7/10(土)ダンスと米澤

2021年7月10日 Posted in 中野note
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写真は会場の前で、共演した女優のナオ フクモトさんと!

下井草に行ってきました。

この町には特別な思い入れがあって、
私が大学に入った頃、唐組の事務所はここにあったのです。

線路側のマンションの一階にあって、
ひっきりなしに通り過ぎる電車の音でうるさかったけれど、
その分、唐組の人たちが発する本読みや飲み会の声も
吸収されただろうと推察します。

いつからここが拠点だったのかは分からないけれど、
2004年秋に唐十郎アトリエができるまで、
唐さんも下井草に通っていたといいます。

大学入学当時の私はケータイを持っていませんし、
東京の交通網にも不慣れでした。お金もなかった。
だから、唐さんに呼ばれると、
横浜駅から東横線に乗って渋谷、JRに乗り換えて新宿、
しばらく歩いて西武新宿線に乗り下井草を目指していました。
昼過ぎに始まる唐組の飲み会が深夜に迫ると、
終電が気になったものです。
横浜国大に来られる唐さんをサポートされていた
劇団員の辻さんが不安そうな自分を逃してくれましたが、
ある時には酔っ払った唐さんが玄関先まで見送ってくださり、
そのまま一緒に目の前の道路に寝っ転がりました。

唐さんとは、その後さまざまな場所で路上に寝て空を見上げましたが、
あれが記念すべき最初でした。

それはさておき。
今回、下井草に行ったのは、竹屋啓子さんのダンススタジオを
訪ねるためです。そこで、米澤の参加している公演がありました。

私たちが『あれからのジョン・シルバー』に初挑戦したのは
できたばかりの若葉町ウォーフでしたが、その時に劇場スタッフとして
唐ゼミ☆を迎え入れてくれた岡由里子さんが振付をする作品に、
米澤も参加したのです。

私はてっきり、ダンサーの方々に混ざって詩を誦じたり、
朗読でもするのかと思っていましたが、米澤は4作品発表される
公演のしょっぱなで踊っていました。

後に次々に登場するダンサーの皆さんの動きとは
比べれるべくもありませんでしたが、岡さんがゆっくりと歩くやり方を
仕込んでくださったことは明白でした。
それに、米澤特有の無表情を、上手く救い上げてもらっていました。

コロナの始まりの頃に出演した座・高円寺での『戦争戯曲集』公演で、
何人かの熱い仲間に恵まれていたことも実感しました。
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