10/9(金)台風の記憶⑨〜2014年10月『木馬の鼻』大阪公演
↑大阪入りするとすぐ、公演を誘致して下さった「犯罪友の会」の
武田一度さんを表敬訪問。恐るべき仕込みの規模に皆、ビックリ。
今度の台風は、どうやら大阪直撃らしい。
確かあの時、大阪公演のゲネプロは、
椿昇さんとやなぎみわさんという豪華ゲストを迎えて行われ、
やる気充分の私たちは、学生たちによる前座パフォーマンス〜
トラックが来襲しての劇場設営〜『木馬の鼻』本番と、
フルコースをやり切りました。
結果、お二人はよろこんでくれ、特に椿さんには
「ルーマニアあたりでやっている村芝居みたいだな!」
と褒められた記憶があります。(そう。これは褒め言葉!)
そして初日を迎える頃には、直撃は確定的に。
こうなると思い出すのは、
同じ『木馬の鼻』が中止になった2012年9年30日、足柄山の上。
あの、本来だったら公演しているはずの時刻に、
宿舎でぬくぬくと過ごしている時間の気持ち悪さ。
ちょっと補足すると、
この感情は、私たち劇団の運営状態が原因なんだと思います。
年間300ステージも公演がある売れっ子カンパニーであれば、
300分の1を中止にするに過ぎないし(それでも苦渋でしょうが)
お客さんに対しても代替が効くというものです。
しかし、私たちは、そこまでの公演回数は無し、
その頃はトータルでもせいぜい20〜30回というところ、
いきおい、一回一回が"魂の叫び"になるわけです。
だからこそ、あんな台風でも、
何か出来なかったか? もっと粘れなかったか?
そうどこまでも思ってしまうし、公演を中止にした事実を前に
自分に対して演劇人たるところを証明できず、狼狽えてしまう。
同じ『木馬の鼻』。同じ千秋楽。かくなる上は、
必ずや公演をやり遂げて二年前のトラウマを乗り越えるべし。
そう思いました。
それに今回の場合は、好条件が2つ
(1)決行・中止の判断が現場に委ねられている
この時も主催は唐ゼミ☆でなく、文化庁と横浜国大でしたが、
基本的に判断は現場に任されていました。
※もちろん、事故は厳禁!
(2)テント演劇ではなく、野外劇である
テント劇場の幕は、風が大敵。しかし、野外劇であれば勝算がある。
※絶対に、事故は厳禁!
そのようなわけで、初日を終えた夜から、
私はどのような公演であれば千秋楽の決行が可能か、
もっとも過酷な状況を想定しつつ、
上演が成立する最小単位を構想し始めました。
その時に思い付いたのは、小池一夫先生の漫画『子連れ狼』。
私の大好きなあの作品の終盤の光景でした。
拝一刀と大五郎、宿敵・柳生烈堂は江戸の外れの河原で対峙する。
彼らの最終決戦を盛り上げるかのように、天気は大荒れ。
すると、将軍をはじめ大名、配下の武士たちが屋敷を飛び出し
本来は"私闘"に立ち会うはずもない人々が現場に集まる。
しかし、闘いのあまりの凄絶さに彼らは近付くこともできず、
まして制止もできず、ただ、鎧を外して(武士としての最高の礼)
両者の闘いを見守る。
↑一番下のコマを見よ。
力尽きた一刀の傍らで、烈堂は大五郎に刺され立ったまま絶命。
こんな具合です。
よし、あれをやろう! そう私は思いました。
幸い、扇町公園は広い。
周囲に関テレや地下鉄の入り口、公衆トイレなどの建造物もある。
だから、私たちは公園の真ん中、
できるだけどこからもよく見える場所で完全燃焼し、
お客さんには『子連れ狼』の大名や武士たちのように、
安全な周囲からその姿を目に焼き付けてもらえばいい。
そう考えました。
もちろん。
すべてのせりふが怒鳴り声になっても、
雨風を超えて唐さんの言葉と物語を届ける。
一人でもお客さんがきたら、やる。
これだけのことを考えてしまうと、気持ちは実に晴れやか。
あとは現実にやってくる台風の強さを見極めながら、
中間にある落としどころを劇団員たちと探るのみ。
どうせ千秋楽だし、必ずやる!
公演2日目のお昼。
その日の晩の公演に備えながら、
私たちは嬉々として翌日の仕込みを始めていました。
〜つづく〜
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