4/3(金)大阪の友
2020年4月 3日 Posted in 中野note
↑2014年、夏の扇町公園
トラック演劇の会場を用意して下さったのも武田一度さんです。
代表は武田一度さん。これが実に面白いおじさんで、
2003年に初めて大阪で公演できることになった時、知遇を得ました。
私たちが割と早期に関西まで巡業できたのは、
やはり大阪で活動する劇団KIOの中立公平さんのお招きによるもので、
作品は『鉛の心臓』という演目でした。
私は大阪でも気合いの入った演劇人の一人である武田さんのところに、
その中立さんに連れられて伺ったのです。
初対面の武田さんは嬉しそうに私からの挨拶を受けると、
アルバムを開いて、ご自身の野外劇について説明してくださいました。
私は初めて、世の中に丸太1,200本を組み合わせて造る野外劇場が
あることを知ったのです。
まるで映画村の一角が期間限定に現れたようだと、感嘆しました。
あの時は昼間だったのですが、
武田さんは私にお茶がわりに缶ビールをお勧めになり、
「唐十郎の弟子」に対する武田さんの期待を裏切っていけないと、
私はかなり頑張りました。
現在では体質的に全く飲めないことを面白く伝える術を身に付けた
私ですが、当時は初心でした。
武田さんは気さくに、
状況劇場の『二都物語』に衝撃を受けたことや、
いずれ船を使った芝居をやってみたいこと、
若手演劇人が使う「ファンタジー」という言葉が気に入らないこと、
「犯罪友の会」という劇団名ゆえに重ねた苦労について、
語ってくれました。
後に観た武田さんの劇は人情味があって、
恐ろしく生真面目に創られていて、ご自身の分身のようにシャイで、
けれども最終的に独特のユーモアに至るところに、愛着が湧きます。
お互いの劇を観た回数は残念ながら少ないのですが、
確かな友情があって、年賀状や公演案内を通じて励まし合っています。
初対面の時、武田さんは、
「君は若いけれど、劇団員に厳しくし過ぎたらダメだよ」
と諭してくれました。
かつて、武田さんはメンバーに厳しくし過ぎたために、
全ての劇団員が辞めてしまったことがあったそうです。
けれども、一人で稽古場に通ううち、戻る人、加わる人がいて
現在に至ったとも、教えてくれました。
一人でも稽古場に通った武田さんを想像すると、
実直で、ちょっと可笑しくて、勇気が湧いてきます。
明日は、劇団集合です!
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