11/26(火)韓流ミュージカルからベトナム現代演劇へ

2019年11月26日 Posted in 中野note
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今日は、13年ぶりにテアトルフォンテでの公演に関わってきました。

という本題に入る前に、
昨日のゼミログ、鈴木能雄さんの追悼展について書いたのを、
椎野が息子さんにお知らせしたところ、
ツリーハウスは私が作っています。父は大工は大の苦手でした...笑
と返ってきたとのこと。
お宅の窓から見えるツリーハウスの片付けられた跡を眺めて、
なんとなく能雄さん、得意そうだったからと、
思い込んでうっかり書いてしまった私が悪いのですが、
能雄さんが大工が苦手だったと思うと、
それもますます面白い。合掌。

そういうわけで、すでに修正済みです。


ここからが今日の話題。
今日は、横浜市泉区のテアトルフォンテで、本番をやってきました。
神奈川芸術劇場の仕事のひとつで、
ベトナム人と日本人が混成キャストで送る
チェーホフの『ワーニャ伯父さん』公演があったのです。

この劇場、思い起こせば過去にお世話になったことがあります。
あれは2006年のお正月下旬、
新宿梁山泊の金守珍さんからの紹介で、
韓国の全州大学と横浜国立大学で大学間交流をした時のことです。
私たちは、全州大学の先生が演出し、
学生たちが演じる、伝統ミュージカル『春風の妻』を招聘したのです。
作者は、唐さんの友人である呉泰錫(オ・テソク)さんでした。

その当時は、2003年に唐さんが大成功した『泥人魚』の、
韓国語版のリーディング公演を呉さんが演出された後だったと、
記憶しています。

呉先生と唐さんがいつからのご縁だったのか、
詳しいことは分かりませんが、
私の聞いたところは、お二人は知り合ったばかりの頃、
自らの酒豪ぶりをアピールするため、
朝食の白メシにウィスキーをかけて牽制し合ったそうです。
相手を威嚇するため、旨くもないウィスキーご飯をかっこむ二人、
なんとも微笑ましい光景と友情です。

呉先生の台本を、
伝統楽器や伝統舞踊を援用したミュージカルに仕立ててある。
そういう公演でした。
朝から晩まで訓練された韓国の学生たちは、達者な人ばかり。

当時、朝6時に横浜国大の中にあった宿舎に行って朝食をつくり、
稽古の終わった彼らを送り届けて25時、という生活でした。
それから幾星霜。
今日は、ベトナム人をお迎えしての公演だったのです。

テアトルフォンテ。
懐かしみながらお世話になりましたが、
2006年の働きがあって、唐ゼミ☆はその後、
二度も全州に行くことになったのです。
そこで『ユニコン物語』と『盲導犬』をやった時の話は、
また今度しましょう。

そうそう。これも思い出したのですが、
90年代に唐さんは、
このテアトルフォンテで公演したことがあるそうです。
演目は確か『動物園が消える日』で、
当時、できたばかりのこの劇場の客席を、
唐さんは紅テントで覆わせたそうです。

劇場の中のテント。
能舞台のような風景だったんでしょうか。
まさに、屋上屋を架す。

そんなことを想像しながらベトナムの名優たちの演技を眺め、
あの劇場の客席にいたことも、良い体験でした。

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