10/3(土)台風の記憶⑦〜2013年7月『夜叉綺想』浅草公演

2020年10月 3日 Posted in 中野note
422-_C7A8313.JPG
↑気温以上に、内容も暑苦しかった『夜叉綺想』2幕の終盤

劇団史上、初めての公演中止を経験した私たちは、
翌年も台風と向き合うことになりました。

演目は、中止となったあの夜に研究していた『夜叉綺想』。
2013年6月に横浜国大と長野市での公演を終え、
7月に浅草に乗り込んだ時のことです。

それにしても、あの夏はほんとうに暑かった。
現場入りした瞬間からカンカン照りで、
熱すぎて軍手なしには鉄骨に触れない。
テントが建てば、中は常にサウナ状態。しかも芝居は三幕もの。
涼しかった長野とは打って変わって訪れた酷暑に、
皆、悲鳴を上げました。

「もう三幕ものはよそうぜ・・・」「三幕もの禁止!」
そんな話をしたのを覚えています。
(後にやった『あれからのジョン・シルバー』も、今回の
『唐版 風の又三郎』も、元気に三幕もの!)

その年の台風7号「ソーリック」がやってきたのは、
浅草公演が二日目を終えた夜、7月14日(日)深夜のことでした。
とても変な台風で、普通は南西から北東に進路をとるのが一般的ですが、
ソーリックは南東からやや北西に進んだのです。
威力も大きく、後に沖縄・台湾・中国に被害を及ぼすことになった7号に、
我々は恐れをなしました。

しかし、実は私はこの夜のことをまるで知りません。
2012年7月の浅草がトラウマとなった齋藤は、
寝てばかりいた私に戦力外通告をし、
齋藤自身も含めた4人を手勢としてテントに残りました。
結果、私は家で寝ていた。

備えは万全だったそうです。
2年前、同じ場所で、
テントの外に出て天井のバウンドを見つめるしかなかった齋藤は、
深夜までかけて厳重な対策を施しました。

が、結局は何ともなかった。
翌朝に私が現場に着いてみると、呆れるほど無風状態の中、
強風に備えてあらゆる箇所が結束された青テントがあるばかりでした。

輪をかけて驚いたのは、
引越しの時などに本をくくる時に使うポリロープの小さな塊、
工事用の足場の上に置き忘れられたそれが、
一晩経ってもその場を微動だにしていないのに気づいた時でした。

この朝の生ぬるい空気は、
齋藤の施した対策の激しさとのコントラストをなして、
強く私たちの胸に刻まれました。

ともあれ、無事で良かった!

トラックバックURL:

コメントする

(コメントを表示する際、コメントの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。その時はしばらくお待ちください。)