10/20(火)わたしたちはあの紅テントから生まれてきた

2020年10月20日 Posted in 中野note
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↑2003年頃の唐ゼミ☆紅テント

昨晩の観劇から一夜明け、さまざまな感慨が湧いてきました。
昨日は唐組の皆さんの寒さに負けぬ熱演と水しぶき、
初めて観ることのできた『さすらいのジェニー』で
胸がいっぱいだったのですが、今朝になってみると、
昨晩2時間半を過ごしたあの小さな紅テントに寄せる記憶が
次から次へと湧いてきました。

今回の公演で唐組が使っている紅テントは2枚の天幕から構成されています。
1枚目は、状況劇場が1967年8月に初めてたてた紅テント。
2枚目は、1971年『吸血姫』公演の時、
いよいよ世間の注目を集め始めていたのを受け、
より多くのお客さんを収容するために追加で買った紅テント。

さらに言えば、『二都物語(72)』『ベンガルの虎(73)』
そして『唐版 風の又三郎』も、昨晩に観たのと同じ天幕の下で
初演されたわけで、実にありがたい紅テント体験と云えます。

その上、実は私たち唐ゼミ☆のスタートにも、
あの天幕は強く影響しています。
2001年に『腰巻お仙 義理人情いろはにほへと篇』を
横浜国大のサークル棟2階、大練習場で公演した時、
唐さんが貸してくださったのが、あの初代紅テントでした。

唐さんとすれば、初めて花園神社にテントをたてて上演したのと
同じ演目をゼミナール生たちが公演するに際し、
援軍を送り込みたかったのかも知れません。
屋内ではありましたが、私たちは天井から天幕を吊るして、
客席が真っ赤な天幕に覆われるようにして公演に臨んだのです。

それから、2002年5月には『ジョン・シルバー』上演に際して、
せっかくお借りした紅テントを屋外にたててみようということに。
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さらに、同じ年の11月に上演した『動物園が消える日』の頃には、
2代目のテントも借りて、二つを連ねるようになりました。
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その後、2003年の『少女都市からの呼び声』と『鉛の心臓』を、
私たちはあの2台の紅テントに守られながらつくりました。

2004年4月に現在の青テントを買うまで、
私たちはずっとあの天幕の下で過ごしていたように思います。
唐さんと状況劇場の面々だけでなく、初期唐ゼミ☆メンバーにとっても、
あの屋根に包まれて過ごした時間は、同じく原点であると感じています。
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