4/8(木)通いすぎた唐さん
2021年4月 9日 Posted in 中野note
『海の牙-黒髪海峡篇』のワークショップが始まりました。
初回は、作品の前段について、どうしても私の話が長くなってしまうのですが、
大学の講義のような序盤を、皆さん、よく聴いてくれました。
それにしても、この作品を執筆した当時の
唐さんのハードスケジュールを思うと、めまいがします。
1973年。
2月には『四角いジャングルで歌う』リサイタルを後楽園で行い、
3月にバングラデッシュに海外遠征をする。
4月からは国内で『ベンガルの虎 白骨街道魔伝』を公演。
同時に、5月にはアートシアター新宿文化で、
蜷川さんや蓮司さんによる『盲導犬』が走っている。
関西テレビ制作によるドラマ「追跡」シリーズ、
(中村敦夫さんと常田富士男さんが主演の事件記者ドラマ)
唐さんが監督した『汚れた天使』がお蔵入りになったのもこの年の初夏です。
そんな中で、唐さんは『海の牙-黒髪海峡篇』を書いた。
エネルギーがありあまっていた唐さんが、容易に想像できます。
そういえば、先月までワークショップの題材にしていた
『盲導犬』には、唐さんの出演シーンがあります。
正確には、唐さんでなければならない、と指定されているわけではありませんが、
芝居が7割ほどすぎたところ、佳境に差し掛かる直前に、
客席からいきなり立ってト書きをしゃべる男、が登場します。
・・・明らかに、唐さん。
これは、私たち唐十郎ゼミナールが『盲導犬』に取り組んでいた頃に
ご本人から伺ったことなのですが、初演当時、唐さんは新宿文化に
通いすぎて、劇団員に怒られたらしい。
唐さんから聴いた当初は、あまりピンときていなかったのですが、
こうして整理してみると、そりゃそうでしょう、という気がします
だって、『ベンガルの虎 白骨街道魔伝』の公演中ですからね。
ちなみに、ワークショップの途中で、私は
「きっと唐さんのことだから、『ベンガル〜』の終演後にすら、
唐さんはアートシアターに駆けつけたかも知れませんねえ。
同じ新宿で、花園神社の目と鼻の先ですから」
と言ったのですが、あれは、完全に間違いです。
よくよく考えてみたら、
1968年の『由比正雪』以降、唐さんたちは花園神社を離れているわけですから。
しかし、例えばこれは私の想像ですが、上野不忍池で公演した後、
ご自宅は阿佐ヶ谷ですから、ひょっとしたら新宿に寄ったかも知れない??
アートシアターは映画館ですから、ロードショーが終わった後に
仕込みをして、受付をして、芝居が始まっていた。
開演が遅いこと、劇がかなり進行してからあのト書きのシーンがくることを
考えれば、あるいは、それを強行したかも知れない。
(『ベンガルの虎 白骨街道魔伝』も、3幕3時間コースの超大作で
終演は22時頃になったと思いますが・・・)
劇団員に怒られた、という言葉から、
そんなことも当時の唐さんならやりかねないなと思いながら、
『海の牙-黒髪海峡篇』の執筆時を想像しています。
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