10/2(金)台風の記憶⑥〜2012年9月『木馬の鼻』足柄公演

2020年10月 2日 Posted in 中野note
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↑台風直撃に備え、解体中の青テント。
後ろは夜中に一人で向かい合うと何だか怖い、旧第一生命本社ビル

『木馬の鼻』足柄公演は無事に初日を迎えました。
翌2日目も大丈夫そう。
しかし3日目、最終日が無事に済みそうにないことは明らかでした。
それほどまでに台風は大型。しかも直撃コースだったのです。

2日目を終えた夜から、私たちは身構えました。
と言っても、簡単に引くことは出来ません。
テント演劇とは、そもそも荒天や騒音とともにあるものです。
悪条件とお客さんの印象は別物で、何だか大変だったけど面白かった、
上手くすれば芸の力でそんな感想を引き出すことができる。
その日、その時間にその場所で起きることを肯定するのが基本的な精神です。
大袈裟に言えば、生きているって素晴らしい、究極的にはにそういうことなのです。

事故の無いよう出来る限りの手を尽くし、
お客が少なければせめて伝説を残そうじゃないか。そうも思いました。
まして私は2004年秋の紅テントを目の当たりにした身です。
やっぱり簡単には引けない。あの日の唐さんに恥ずかしいことはできない。
意地を張りました。

公演を中止にするにしても、せめて判断を翌朝にして欲しい。
そういう私の願いを、主催者である神奈川県、運営を担う
横浜アーチストやハッスル株式会社の皆さんは受け止めてくださいました。

今、KAATでも働くようになって、私はそのありがたさが身に滲みます。
主催者として、強制的に中止を決定して前夜に発表した方が
どれだけ楽だったか知れませんが、皆さんがこちらの意志を尊重してくれました。
このことは、現在も私がプロデューサーとして振る舞う際の規範になっています。

唐組が『眠りオルゴール』の時にしたように、進むことも引くことも出来るよう、
2日目終演後に劇団員たちは遅くまで残り、テント内の装備を最小限に整えました。
そして、判断は翌朝8:00。


早朝に起き出し、即決しました。
すぐに電話は飛び交い、お客さんへの連絡と当時に、劇場の解体が始まりました。
鉄骨を残し、片っ端からバラして目の前の体育館にしまい込みます。
そうそう。私たちが判断をギリギリまで引っ張ることができたのは、
あの体育館のおかげでした。目前に巨大な収納スペースがあればこそ、
当日の朝に決めることができた。幸運でした。

台風は猛威を振るいました。
どう考えても中止に疑いを挟む余地はありませんでした。
皆で風呂に行き、食事を買って宿舎に戻り、夕方になりました。

すると、外は暴風の中、言いようもない不快感が身をもたげました。
妙に心がザラザラする。
芝居を上演するはずだった時間に別のことをして過ごす、初めての夜でした。
私は宿舎にいるのが嫌になり、車で最寄りのデニーズに行って台本を読みました。
翌年に公演しようと思っていた『夜叉綺想』。

相手は誰だかわからないけれど、これは大きな"借り"をつくってしまった。
そんな感覚でした。

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