3/22(日)舞台装置が無い!
2020年3月22日 Posted in 中野note
チラシを作っています。
いつも遅くなりがちなので、今回は半年前には完成しようと、
禿さんと躍起になっています。
そうして夜な夜な作業していますが、今度のチラシは本当に特別です。
2000年に唐十郎ゼミナールが誕生して20年経ちますし、
第30回公演という節目でもありますから、
私たちは満を持して『唐版 風の又三郎』に挑むことにしました。
作品のコンセプトを湛えながら、
これまでの劇団活動のありったけを込めたいのです。
そこで、年表のようなものを作っていたのですが、
二人で話しながら作業するうち、
禿と唐十郎ゼミナールに入ったばかりの頃、
しくじって唐さんにひどく叱られたことを思い出しました。
あれは、唐さんに勧められて私たちが初めて取り組んだ演目、
『腰巻お仙 義理人情いろはにほへと篇』の初日でした。
私は「ドクター袋小路」役で、禿は「お仙」役で、
それぞれ緊張の舞台に臨みました。
1幕、私が舞台に出て行ってまず気付いたのは、
あるはずの装置が何も無いということでした(汗)
本番前、舞台のセットを上演開始時の状態にすることを「プリセット」
と言いますが、それをあろうことか、誰もしなかった。
あの演目は唐さんには珍しい4幕ものですから、
それこそ場面転換の練習は入念にやったのですが、
よりによって、プリセットをするという頭が完全に抜けていました。
仕方が無いので、本番を進行しながら、
徐々にセットである「バス停」や「ベンチ」を搬入するという、
珍妙な序幕になってしまいました。
上演終了後、即座に謝りに行くと、
唐さんはたいそうご立腹で、こう言われました。
「初日だからって泡食ってんじゃない(怒)
『バス停』こそ、この芝居のセットのクイーンだろ!」
.........、
大いに反省して、二日目は勿論このようなミスはありませんでしたが、
同時に、ほとんど初めて怒った唐さんのユニークな物言いに、
感心してしまいました。
なるほど、
作家とは咄嗟の時にもやはり作家らしい表現をするものだと当時も
唸りましたし、唐さんがいかにあの芝居のバス停に入れ込んでいたか、
チラシを作りながらまざまざと思い出します。
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