9/9(木)なかなかの前衛的着想
2021年9月 9日 Posted in 中野note
↑「擬宝珠(ぎぼし)」
つまりてっぺんにある金色の丸い部分を舐めたいらしい。
今朝、久々に浅草に行きました。
かつてお世話になった花やしき周辺にも行き、
街の変わらないこと、変わったことに、
安心したり、驚いたりしました。
あ、織部の冒頭のせりふ。
精神病院から久々に月光町に帰ってきた時の感慨は、
こんな風かなと、思ったりして。
最後に花やしきさんにお世話になったのは、2015年のことです。
あれから5年以上経っている。
その間、私は落語を好きになりました。
浅草に来て思うのは、「擬宝珠(ぎぼし)」という演目。
この噺、大店の若旦那が主人公という典型的な落語なのですが、
相当変わっています。というのも、その若旦那の趣味が、
擬宝珠を舐めることなのです。
例え経済力があっても、この趣味を充すのは大変です。
お堂や塔の上によじ登って、舐める必要がある。
昔の人は、よくこんな性向を思いついたものだと感心させられます。
パラリンピック盛り上がって、「多様性」と言っていますが、
人間に対して寛容な発想だと唸らされます。
噺の上で大事なのは、擬宝珠を異常に好きということの他は
リアリズムで展開することです。大技のウソを考えたら、
あとはひたすら日常的な価値観に基づいて登場人物たちが
動いていく。だから、わけわからなくならない。
唐さんの世界には、大いにこういうところがありますね。
一点だけかなり変態。あとは意外にも社会性あり。
若い頃の唐さんは、浅草の軽演劇人から多くを学びました。
『特権的肉体論』にはそういったエピソードも出てくる。
かなりくだらない洒落れ、変態的着想が、時に前衛に結びつく。
そういうことだと思います。
今日の稽古は3幕、結婚式の帰り。
休憩中に細部を相談する高田三郎役の小川くんと花嫁役の津内口↓
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