4/28(火)私のめぐり会い①
2020年4月29日 Posted in 中野note
↑伏見行介撮影による『唐版 滝の白糸』での水芸。
後ろに伸びるホース、仕掛けがバレバレなのがポイントです。
今日は、最近よくCDを聴いている人の言葉から。
「探すべきではない めぐり会うべきである」
と、往年の指揮者ルドルフ・ケンペは言ったらしい。
なかなか素敵な発言です。
「探す」という行為にはついつい自分の思惑が混ざってしまいますが、
「めぐり会い」には余分な力が入っておらず、素直で、自然体で、
自己が透明であるところに妙味があります。
ただし、これを実践するのは非常に難しく、
一見めぐり会ったつもりでも実は探してしまっていたりしますから、
よほど用心しなければいけません。
どんなに疑いの目を自分に向けても「あれは自然な出会いだった」
と思えたら、これはかなり幸せなことです。
一方、心の底から何かが気になって、
四六時中、それこそ寝ている間も考え抜くことができれば、
人間はふとした拍子に他人には何でもないことをヒントにして、
「めぐり会い」を体験してしまうものだ、という気もします。
例えば、ニュートンのリンゴなんかはそうですね。
他にも、世界の王貞治さんが、
「バッターボックスに立つのではありませんよ。
地球を踏みしめるのですよ」
と合気道の達人に言われて打者の奥義に目覚めたエピソードも同じですね。
そもそも、かなり思い詰め、考え続けている人でなければ、
目の前のリンゴが落ちたことで重力を発見したり、
「地球を踏みしめろ」と言われてバッティングに開眼できるはずがない。
ある作品を追いかけることは、これと少し似たところがあります。
次回は、2013年に上演した『唐版 滝の白糸』の時に起こった、
私の小さな「めぐり会い」についてお話しします。
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