5/3(祝月)前を向いてしゃべろう
2021年5月 2日 Posted in 中野note
↑野外劇は特に前向き。2017年冬に藤沢の白旗神社で公演した『常陸坊海尊』
一昨日のゼミログで、
『おちょこの傘持つメリーポピンズ』を観に行った話をしました。
その時、SPACの皆さんの、ひたすら前を向いてせりふを喋る
朗唱方が、実に効果を上げていた。
このカンパニーはギリシャ悲劇もシェイクスピアのやりますから、
得意手でもあったと思うのですが、この「前を向いてせりふをいう」
ということについて、最近、自分でも考えたことを思い出しました。
あれは去年のこと。
『唐版 風の又三郎』を稽古していた時、
唐ゼミ☆初参加の福田周平さんに「なぜ、前を向くのですか?」
と訊かれた時、歌舞伎や能や、それこそギリシャ悲劇なんかを
持ち出しながら、演劇の歴史においてはお互いを向いて話すことの方が
歴史が浅く、かえって、前を向いてしゃべることがスタンダードだと
説明しました。舞台というのは、二人が並んで前向きに喋っていると、
不思議と会話しているように見えるものだ、とも実例を上げて説明した。
このやりとりが面白かったので、私はこれをFacebookに上げました。
すると、たまたま数日後に訪ねた若葉町ウォーフにて、
佐藤信さんともこの話題になった。
そこで至った最終結論としては、
「劇とはもともと前を向いてせりふを言うものだ」ということでした。
そもそも、劇のせりふとは誰かが一人で書いているものです。
必然、どんなにキャラクターを描き分けてみたところで、
やっぱり一個の人間が、ああだ、こうだと言っている。
程度の差こそあれ、
どんなに隔絶したキャラクター同士のぶつかり合いといっても
極限すれば、すべて作者によるモノローグともいえる。
要は、都合よく書かれた話し言葉の羅列。
それがせりふであり、台本でもあるわけです。
だから単刀直入。
前向きで良い。むしろ、前向きが良い。
そういう話をしました。
自分には野外劇の経験もありますが、
そういう時ほど、この「前を向いてしゃべる」を多用します。
上記したような論理的な結論としてではなくて、なんというか、
稽古していくといちばん効果的な方法に本能的に辿り着き、
自然と前を向いて朗々と、という具合になる。
人間は大して進化していません。希望を持ってそう言いたい。
もっとも基礎的な事柄が最終奥義でもある。そういうことです。
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