1/13(祝月)レバノンに向かうのはゴーンだけではない
2020年1月13日 Posted in 中野note
↑唐さん流、海外公演の資金獲得術がこれ!
「レバノン」という土地に注目が集まっています。
日産自動車のカルロス・ゴーン元会長の逃亡・滞在先としてです。
一方、私たち唐十郎門下にとっての「レバノン」は、
目下取り組んでいる『唐版 風の又三郎』初演時、
唐さんが海外公演を行った場所として記憶されています。
1970年代の前半は、唐さんの一つの黄金期でした。
三年連続、ホップ・ステップ・ジャンプで次々と代表作をものにし、
紅テントの声望がいや増しに高まったのがこの頃。
同時に唐さんは、それぞれの演目に因んだ海外遠征を仕掛けることで、
劇団修行とプロモーションを同時に敢行しました。
1972年春 『二都物語』⇨韓国 ソウル
1973年春 『ベンガルの虎』⇨バングラデシュ ダッカ・チッタゴン
1974年春 『唐版 風の又三郎』⇨パレスチナ レバノン・シリア・ヨルダン
ざっとこんな具合です。
このあたりの手口は、
前に触れた川上音二郎もそうですが、
唐さんの同時代人で言えば、
神彰さんや康芳夫さんの影響もあるように思います。
要は、世間から暴挙としか思えない、言わば"死地"に赴くことで、
そこでの冒険を劇団や芝居に刻み付けて帰り、注目を集める。
戒厳令下のソウルを逃げるように後にしたり、
東南アジアの気候と水、食事に完全に体調を崩し続けたり、
それは、なかなかの強行軍だったと聞いています。
「ああ、日本に戻ってヤキトリ食べたいなあ」
現地に滞在しながらそう思ったと、いつか唐さんはおっしゃっていました。
同時に、
公演先で入場料を取ることができない世界各地での公演に際し、
劇団主宰者として厳しい経営感覚を持つ唐さんが、
ただの持ち出しのしたわけではありません。
例えば、パレスチナ公演の時には、
冒頭に写真を挙げたアサヒグラフにルポルタージュを書くことで、
全部ではないにせよ、軍資金の一部を稼いていたそうです。
メセナも助成金もない時代、筆一本で世界と渡り合おうとした唐さんの、
気概と智謀が伝わってくる方法です。
そして、このことが、
現在の私たちのように唐さんの後を追う者たちにとって、
貴重な資料を与えてくれているのです。
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