7/20(火)好きなせりふを言ってみて④

2021年7月21日 Posted in 中野note
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↑写真は、1962年公開の映画『死んでもいい(原題:Phaedra)』の
ポスターです。ラストシーン、許されぬ恋人=継母フェードラの名を
叫びながら車で疾走するアンソニー・パーキンスの演技は、
唐さんに大きな影響を与えました。
今回、ご紹介するせりふもそのひとつです。


今日は学生時代、唐さんによくリクエストされたせりふを紹介します。

私たちにとって最も印象深いのは、
唐十郎ゼミナールに入って初めて唐さんから出されたお題、
『腰巻お仙 義理人情いろはにほへと篇』三幕に出てくるこのせりふでした。

少年 (ガキに)じゃ、五ヶ月、僕行くよ。
ガキ もう行くの? どこに?
少年 (立ち上り)海辺を一走りさ(忠太郎に)君、一緒に乗らない?
   僕の車は湘南海岸から千葉の九十九里まで十五分でかけ抜けるぜ。
   走っているうちに風というものがとっても固いものだというのが
   よく分かるよ。それと、あのスピードの中で海鳴りというのは
   てんで卑猥なものだと気がつくぜ。でも僕は、まるで海を
   ひきちぎるようにとばすんだ。このまま、目をつむって、
   海へ突っこんでしまいたい。どこかの防壁にでも衝突してしまいたいと
   フト思うそんな時、僕は母さんのことなんか一つも考えやしない。
   そんな名まえなんかくそくらえだ。さ、君、行こうよ。

これは、主人公の青年・忠太郎を前に、ライバルの美少年が放つせりふです。

忠太郎といえば、かの長谷川伸の名作『瞼の母』の主人公、
番場の忠太郎をもじって付けられた名前です。
母を求めてやまない忠太郎を前に、この美少年は母のことを罵ります。
そして、忠太郎に母への執着を捨てて、もっと破滅的に生きようと誘う。

この場面の稽古を重ね、初めて唐さんの前でリハーサルをした時、
唐さんは涙を流しました。私たちはかなり未熟でしたが、
唐さんは約35年ぶりにことせりふに対峙して、泣かれたのです。

以来、何か機会のあるたびに、「あのせりふを言ってよ!」と
声がかかりました。この役は椎野と禿のダブルキャストだったので、
ある時は椎野が、ある時は禿がこのせりふを言いました。
最初の頃でしたから、特に緊張していました。

現在、自分が時間や経験を重ねてみると、
このせりふに、大学生三年生だった当時とは、だいぶ違った印象を受けます。

車をかっ飛ばす描写が伝えるスピード感は変わらないのですが、
「少年」が単に"母"が嫌いなのではなく、むしろ"母"に執着して、
それを無理やりにでも振り切ろうとしているのが感じられるのです。

あまりのスピードにより、風は固く、海鳴りが卑猥に聞こえる。
海に突っ込んでしまいたいというほどの速さです。
(15分で湘南海岸〜千葉を移動することは絶対にできません!)

その後にくる、
母さんのことなんかひとつも考えやしない。
そんな名まえなんかくそくらえだ。
というせりふなど、強がりとしか思えない!

"愛憎"というやつです。憎しみの前提に、明らかに愛がある。
本当は母が好きで好きで仕方がないのに、無理やりに振り切ろう。
そういう露悪的な感じがするのです。

現在だったら、そんなことまで洞察してせりふを言うと思いますが、
当時はとにかく、ワーッと言って力押しするのみでした。

思い出すと、今でもかなり緊張する。そんなせりふです。

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