12/11(水)ジュリーがジュリ子になっちゃうよ

2019年12月11日 Posted in 中野note
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↑  tptが1999年に行ったストリンドベリ特集の台本です


1999年の2〜3月に大学受験をしました。
横浜国大の前期と後期、2回受験してようやく合格しましたが、
どちらも試験前夜、横浜から東京に移動して聖地巡礼をしました。

行ったのは、花園神社、紀伊國屋書店本店、ベニサン・ピット。
どれも本や映像で知った憧れの場所でした。

大学に入学してからは、ベニサン・ピットを拠点としていたtptに通いました。
学生料金が設定されており、安く観られることが拍車をかけました。
とりわけ良かったのは、ルヴォー演出による『令嬢ジュリー』で、
1999年12月〜2000年1月にかけて行われた公演に5回通いました。
しかも、毎回違う友達を誘って。

写真の台本は、何回も観たご褒美として、
制作の女性がプレゼントしてくださったものです。
製本された上演台本を手にする、初めての機会でもありました。

後から、インタビューで読んだところによると、
ルヴォーさんはイングマール・ベルイマンに強い影響を受けたそうです。

ベルイマンは舞台演出家として、
同じスウェーデン出身の作家ストリンドベリの作品を得意としていました。
頬に傷を負ったヒロインのジュリーの印象深い舞台写真を、
何かの資料で観たことがあります。

自分に影響を与えた人の得意演目を演出するときは、
ルヴォーさんだって気合が入るのでしょう。
自分がこれまでに観てきた近代劇の中のトップの座を、
あの舞台は今も譲っていません。

あれはまさに「甘美なきラブストーリー」でした。
ロマンティシズムや甘ったるさを排して、徹底した心理戦。
駆け引きの応酬が、情緒ではなくロジカルに、際限なく展開しました。
口説く時も、ケンカする時も、常に二人は下心ありの舌戦に次ぐ舌戦。

でも、一瞬だけ、ルヴォー演出にも甘いシーンがありました。
終幕近く、男と女がするすべての諍いを終えて、
主人公のジュリーとジャンは相手を称えるように、
束の間、チークダンスを踊ります。

すべてを消耗し尽くした疲労とともにお互いに寄りかかる連帯感が、
そこにはありました。
が、すぐにジュリーと父親のノックによって、世界は現実に帰る。
ジャンは下男の習性を取り戻し、ジュリーは絶望の果てに自死を選びます。
自分には手の届かない大人の芝居、という感じがしました。


ところで、唐さんは『令嬢ジュリー』が好きなのです。
かつて観た千田是也さん=俳優座の上演に痺れたとのこと。
学生時分、舞台と言えば新劇という時代において、
唐さんもまた、優れた新劇俳優を目指した時期があったのでしょう。
滝沢修さんに憧れてサインをもらったこともある、と教えてくれました。

唐さんとは折に触れて、
もしも自分が世界の名作を演出するとしたら、という話をしたことがあります。
『令嬢ジュリー』はいつも上演候補の上位にあって、
自分がやるんだったら、ジュリーが持っている鳥籠を徹底してクローズアップする。
そうおっしゃっていました。

鳥籠の鳥こそ、不自由なジュリーの極めてあからさまな象徴ですが、
唐さんならば、『ジャガーの眼』に出てきた「サンダル探偵社」よろしく巨大化する。
もはや象徴などという思わせぶりなレベルでなく、
ジュリーは実際に鳥籠に入った状態で登場する。
きっと自作のハリボテの羽なんか、付けちゃったりして。

「でもこうなると、『令嬢ジュリー』が『令嬢ジュリ子』になっちゃうよ」
とも、唐さんは言っていました。

『令嬢ジュリ子』・・・、なかなか良いタイトルです。

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