2/20(月)『オオカミだ!』を終えて
2023年2月20日 Posted in 中野note
↑バラシは90分足らずで終わった。何もない本多劇場の舞台で
特に土日の11:00開演は不思議な感じがしました。
何しろ、終演して外に出てもまだ13:00くらいなのです。
私たちが観てもらいたい子どもたち、彼らは午後にお昼寝をします。
だから設定した開演時間でしたが、自分たちがひと仕事を終えてから
周辺の劇場がやっとマチネの幕を開ける光景は不思議な感じがしました。
日曜のバラシだって14:00には終わり、
二日間とも昼間から飲みに行き、夕方からは少し別の仕事もできました。
「作・演出」とクレジットされた公演でしたが、
創作に関わった4人のうち、パントマイム的に一番遅れを
とっていたのは自分でした。だから、よってたかって色々なことを
教えてもらったような創作でした。
いつもとあまりにも勝手が違って、
短い稽古期間の中で毎日、内容が変化し、
毎日、台本を書き換えて印刷し続けました。
稽古は午後の8時間。
テツヤさんとケッチさんはその後によく呑んだし、
飲み会の中の会話にも創作のヒントが溢れていたので、
帰宅後はまったく頭が動かず、翌朝の5時からが
作・演出プランを練り直す時間。
朝早く始めても気づけばお昼くらいになっており、
遅刻しそうになりながら稽古場に出かけていく日々でした。
ずいぶん長い時間を過ごしたようですが、稽古スタートは2/7。
3週間前にはまだ何も象を結んでいなかったのが信じられません。
うまくいく時はうまくいくもんだ。
そう自分に言い聞かせていました。
ひょっとして『3びきのこぶた』を知らない子のために
ストーリーを紹介するものとして紙芝居を使いましたが、
唐さんの紙芝居好きと、椎野が地区センターで借り出しては
演じる紙芝居に、うちの子どもたちが異様に食いついていたのが
ヒントになりました。
台本のおおもとはすべてロンドンでつくったので、
当時の生活も一緒に甦って来ます。
バラシを終えた後、少しの時間、
空っぽの劇場客席に座って唐さんのことを考えました。
1982年11月。唐さんは真新しい本多劇場を洪水で埋め、
ボートを泳がせたのです。いつかあの場所に『秘密の花園』を
還してみたいと思いました。
今までは少し斜に構えて見ていた下北沢がなぜ芝居の街であるかも、
その温かさも、体感することのできた公演でした。
お互いがお互いの公演を支え合って、これからデビューしようという
若手を戦力に変えながら、同時に教育機関としても機能している街。
みんなが居付き、愛し、活躍してからも還ってくる理由がわかりました。
敏腕プロデューサー・テツヤからのオーダーで、
荷物も人も軽くつくりました。それでいて、内容が豊かで、
子どもたちに人間の凄さや可能性を伝える公演を目指しました。
これから旅する公演となって、多くの地域、観客との出会いを
求めて行きます。外国へも持って行きたい。
夢でなく、具体的なプランとして狙っています。
座組と劇場、観客の皆さん、ありがとうございました。
この公演には必ず次があるので、また会いましょう!
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