3/9(水)旧友にあう
2021年3月10日 Posted in 中野note
↑役にピッタリの、この着物を探してくれました
つい先ほど、数年ぶりに旧友に会いました。
お腹がすいたので中華料理屋に入ったら、偶然にも彼女がいたのです。
最後に会ってから5年以上が経っていましたが、
向こうにはまったく変わりがなかったので、
目があった瞬間にすぐに彼女だとわかりました。
向こうもすぐに気づいて
「あっ、先生!」
初めてあった時から、彼女はずっと私のことを「先生」と呼ぶのです。
彼女が食べていたのと同じ海鮮やきそばを私も頼み、
出来上がりを待つ間に駆け足で話をしました。
「先生もまったく変わらないけれど、ただ一点、白髪が増えたね」と。
白髪、我ながら最近は特に急増している気がします。
この方と初めて会ったのは、2009年に上演した
『下谷万年町物語』の出演者を募っていた時のことで、
ご本人は舞台に出る気などまったく無いのに、
出演を希望した知り合いに面談の場所に連れて来られてしまった、
という出会いでした。
ところが、彼女は着付けやヘアメイク、結髪の達人であり、
結局はものすごくお世話になることになりました。
人生の大先輩で、雅やかなお生まれの方です。
戦後すぐ、世の中に貧しさが溢れている時にも振り袖を着て
駆けまわってっていたという彼女は、身のうちに和の教養と
気品を備えている人で、その上けっこう剛腕、
小柄なのにギュッとパワフルでとにかく好奇心の旺盛です。
私たちは、『下谷万年町物語』でさんざんお世話になり、
さらに、KAATで公演した『唐版 滝の白糸』では、
あの真っ青な着物の選定から着付けから、禿がかなり支えてもらいました。
腕もキャリアもある方です。
少ない御礼でものすごく貢献してくださる彼女に
せめても御礼をしたいと、何度か食事をご一緒しました。
その度に、いつもこんなことを言われた。
「先生。子どもは生まなければなりませんよ。
子どもを育てることで、人は"赦す"ということを学ぶのです」
「自分を育てるので手一杯です」と応えて誤魔化していた私も、
気づけば二人の親になりました。
折に触れて、お手紙や年賀状のやり取りをしていましたが、
久々にお話しするのは楽しく、向こうがあまりに変わっていないので、
こちらはついニヤニヤしてしまう。
「また、電話し合おう!」そう言って別れました。
車で20分くらいのところにお住まいですから、
一度、子どもたちを連れて行ってみよう。そう思います。
トラックバック (0)
- トラックバックURL:
コメントする
(コメントを表示する際、コメントの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。その時はしばらくお待ちください。)