10/17(木)冷めやらぬ興奮

2024年10月17日 Posted in 中野note
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一晩たったあとも読後感の興奮が止まらず。

さっそくに中公クラシックス版を読みはじめ、
東大名誉教授の桜井万里子先生の書く冒頭解説文に唸っています。

昨日まで読み続けた岩波文庫版には心打たれる場面がいくつもあり。
例えば、

1.紀元前430年に起こったアテナイでの疫病大流行
病苦に喘ぐ近親者の世話をも恐れざるを得なくなった市民たちの
様子は、まるで『はだしのゲン』を思わせます。感染が怖いために
汚物まみれの家族のいる部屋に最低限の食べ物を投げ込み、
愛するものを放っておかざるを得ない人間の苦しみ。

2.アテナイによるシチリア征伐が大失敗し撤退戦を余儀なくされる
本国から大挙して攻め寄せた戦いに惨敗したアテナイ兵たちの撤退の
様子は、インパール作戦のそれと同じだけの悲惨に充ちています。
動けなくなった同胞を捨てて行軍する兵士たち、それとても
何とか味方のいそうな領地に駆け込むだけがせいぜいの慰めで、
祖国が遠するぎるという絶望感が胸に迫ります。
一方で、一定数帰り着いてしまう者がいる状況も現在を生きる
人間と同じなのです。


3.捕虜となった兵士たち7,000人が狭い石切場に押し込められる
中国の春秋戦国時代末期に秦の将軍・白起が趙を攻めた「長平の戦い」
における亢殺20万人や、明治維新前夜に天狗党の面々が福井県の鰊倉
に閉じ込められて過ごした幽閉期間を思わせます。

こういったシーンのトゥキュディデスの描写は、淡々としているから
こそ真に迫ったものがあり、つい昨日に起きた苦しみ、今日も人類を
苛む事件と同じだけの力を以って自分を圧倒します。

あるいは、昭和40年前後にこれを訳した久保正彰先生の筆力が
そうさせたのかも知れませんが、まるで「映像の世紀」のように
魅せます。


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