9/10(火)『煉夢術』本読みWS 第6回(最終回)
2024年9月10日 Posted in 中野note
↑唐さんの大学生時代。こういう時代の集大成として『煉夢術』を
捉えています
今日は一昨日に行った『煉夢術』本読みの最終回レポートです。
主人公の青年が岐路に立たされています。
番号をもらってバスに乗れば、すなわち制度に飲まれた人間となります。
それを拒む青年。これまでの登場人物たちがよってたかって青年を
説得にかかり、なんとかバスに乗せようとします。
塔のある町に着いたばかりの頃に出会った老人、
バスの車掌となった町の男など、青年にバスに乗るよう促す。
特に町の男はどっぷりと体制側に組み込まれており、
後述する妻の状況と合わせて、悲哀に満ちています。
(唐さんの父への思いか?)
なんといってもいちばん哀れを誘うのは町の女=母親で、
青年がオルガンを弾いたことにより命を落としたと思われた彼女は、
実は一命をとりとめ、しかし、目の光を失っていたことがわかります。
彼女に迫られると、さすがに青年も弱い。
が、結局、青年は母親をも退けます。
この辺りは実に非情で、ハードボイルドです。
後に唐さんが書くことになる『さすらいの唄』にも似て、
肉親を斬って捨てるような思い切り見せます。
こうした別離を経て、青年は町を出、新たな歩みを決意します。
この辺りはスタンダードな青春譚です。
が、よく読むと、やたらと歩を進める際の膝が震えていたり、
「またこの町に帰ってくる」というせりふがあったり。
後ろ髪を引かれまくり、これから歩む道にビビりまくっているのが
魅力です。こういう箇所が、唐さんのチャーミングなところです。
こうして『煉夢術』は終幕します。
青春期の習作、まだまだ後の唐さんらしいポリフォニー、喜劇性、
ダイナミズムには遠い作品ですが、参加者の中にはこのナイーブさを
気に入ってくださった方もいました。
二十歳すぎの唐さんの足掻きを再確認し、原点に触れようとした
今回の目標は達成されました。すべての作品は、紛れもなくここから
こういうセンスから生まれてきたのです。
来週から、1969年に書かれた『少女都市』を読みます。
『少女都市からの呼び声』に対してあまり顧みられることのない
『少女都市』を改めて考え直そうと、皆さんと読んでいきます。
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