9/2(月)『煉夢術』本読みWS 第5回

2024年9月 2日 Posted in 中野note
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↑こういう文庫本があって、多くの著名人が無名時代について書いた
短編を収めたアンソロジーです。唐さんも「試行錯誤のぐにゃぐにゃ」
というタイトルで、駆け出しの頃のアルバイト生活について触れており
『煉夢術』の参考になります


昨日は『煉夢術』2部中盤を読みました。
前回で面白かった受付人と偏執狂の会話による復習から始め、
物語の主人公である地図売り(時計修繕)の青年と受付人との会話
に進みました。

昨日に読んだ箇所から、2部の設定であるバス停が、
1部で男が探検した塔のある街の入り口にある十字路だということが
わかりました。正確にいうと入り口を出たところ。
この、街から一歩出た、街の外にあるところ、というのは
青年にとって重要な設定です。

偏執狂と受付人の会話が終わると、今度は青年と受付人との
やり取りが始まり、受付人は青年が街に忘れたトランクを示します。
中に時計修理の道具が入っていた、アレです。

しかし、塔の内部でオルガンを弾き、それが母殺しにもつながって
しまった青年は、そのトラウマから、このトランクは自分の
ものでないと言い張ります。

受付人がトランクを開けると、中から青年そっくりの人形が現れ、
ギターを弾き、歌を歌い、青年の罪の意識を苛みます。
罪に囚われ、この街に囚われる者として、青年をバスに乗せて
裁きの場に送り込もうと受付人が企んできたことも露わになります。

が、青年は逆襲に出ます。
自分に瓜二つの人形の登場に慄きつつも、受付人の主張を退け、
自らの母殺しによる罪の意識にも開き直り、これを突っぱねます。
こうして、彼が自立への道のきっかけを掴むところで、
昨日は終わりました。

唐さんにとっては、この塔のある街は、
自らを育み、父母のいる上野・万年町界隈のメタファーです。
愛着と束縛感がないまぜになる街からの脱出を図ったものに
違いありません。

とはいっても、何度も書きますが、
自立した唐さんが住んだ先は吉祥寺の近辺です。
冷めた目で見れば吉祥寺と上野の距離に過ぎないわけですが、
そこに異世界に来たような隔たり、望郷、エクソダス的な大脱出を
見出す大袈裟さが作家的才能といえます。

私たちは、時に大袈裟だなあと笑い、
時に真剣さに心打たれながら読んでいます。

来週で最終回。『煉夢術』を終えたら、『少女都市』へと進みます。

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