4/15(火)『黄金バット-幻想教師出現-』本読みWS 第1回 その②

2025年4月15日 Posted in 中野WS『黄金バット-幻想教師出現-』
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↑1981.2.8-3.8に初演された『下谷万年町物語』
この企画がキッカケだと考えています。

昨日の続きです。
次に、どうして唐さんはこの『黄金バット-幻想教師出現-』を
書くに至ったのか? 考えてみます。

私の推論では、状況劇場という劇団の変遷に、それは関係しています。
ざっくり考えて状況劇場は3期に分けることができ、
1963年の立ち上げから1971年秋の『あれからのジョンシルバー』までが
第1期。1972年春の『二都物語』から1980年春の『女シラノ』までを
第2期と考えてみることができます。

この潮目を分けるのは、劇団員の脱退です。

第1期の終わり
麿赤児(当時は「赤兒」)さんがやめ、四谷シモンさんが去る。
(シモンさんはゲスト的存在で、完全な劇団員ではない)

第2期の終わり
1976年『下町ホフマン』で大久保鷹さんが退団。
1978年秋『河童』で根津甚八さんが退団。
1980年春『女シラノ』で小林薫さんが退団。

唐さんとしては、実力と人気を持った劇団員が去って辛い状況に
おかれながら、それを乗り越えていくことになります。

第1期を乗り越え、第2期への扉を開いたのは、
共同通信からの持ち掛けで韓国ソウルを訪ねたことがきっかけとなり、
『二都物語』を構想するという出来事です。それから唐さんは、
1973年バングラデシュ、1974年パレスチナという風に視野を海外に
拡げ、傑作をものにします。

そして、私の考えでは、第2期→第3期に劇団と作品が移行するのに
大きな役割を果たしたのは、1981年2月の『下谷万年町物語』でした。
西武劇場がPARCO劇場に生まれ変わるに際して持ち込まれた、
蜷川幸雄さんとの協働は、唐さんに自分の出自である上野・浅草地区を
特に強く意識させることになります。唐さんは常に下町を栄養源として
きましたが、特に1981年の『下谷万年町物語』『お化け煙突物語』
『黄金バット-幻想教師出現-』は、自分の出自を掘り下げる志向が
とりわけ徹底しています。

『下谷万年町物語』を構想し、執筆することが、続く二作に繋がって
いった。私はこう捉えています。そして第3期は、状況劇場の解散まで、
金守珍さん、六平直政さん、黒沼弘巳(その後「弘己」)さん、
佐野史郎さん、石川真希さん、菅田俊さんらが活躍する時代です。


以上、執筆の経緯でした。
明日は冒頭シーンの内容に踏み込みます。

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