6/26(月)『二都物語』本読みWS 最終回レポート
2023年6月26日 Posted in 中野WS『二都物語』
↑不忍池は1972年当時も今も泥水に違いなく、大久保鷹さんの
フィジカルの強さを思わずにはいられない
『二都物語』本読み、昨晩が最終回でした。
終幕では、
光子とリーラン、それぞれに去っていく女性ふたりが描かれます。
やがて舞台に、日本にやってきた朝鮮半島の残留孤児たちが並ぶ。
現在の日本に育った青年=内田はただ佇むのみ。
という具合に、
哀切で、苦くて、やりきれなくて、
でも、大人数の合唱が迫ってくる物語でした。
順を追って振り返りましょう。
ラスト20ページは別れの連続です。
まずは、包帯をとり、美しい顔立ちの光子が木馬に乗って現れます。
顔に大火傷を負ったはずの彼女が元通りの表情で現れるのは何故か。
彼女がすでに死んでいるからです。
電柱のたもとで死んだ自分を語りつつ、光子は木馬に乗って去ります。
兄・内田一徹は激しく動揺し、光子への思いが溢れる。
結果、彼の亡き妹に傾き、リーランを拒絶します。
食い下がるリーランでしたが、内田が脈なしと見るや、
最後の手段として内田にナイフを振りかざします。
しかし、結局はそのナイフを自らを刺し、木馬に乗って去ります。
(後向きに乗るのが重要!)
その間、リーランが内田に激しく拒絶され、
この劇の中で三たび痰壺に百円を求めるところは壮絶な哀しさに
満ちています。
リーランはかつての日本人の恋人を兄と騙ってかくまいましたが、
その男は日本人たちによって殺された。
以来、彼女は日本に渡って何人もの日本人男性に恋人を
投影してきましたが、男たちをみんな自分を拒絶します。
(当然と言えば当然ですが)
やがてたどり着いた内田一徹ものまた、彼女を振る。
だから、彼女は寂しさのあまり、痰壺に100円入れてとせがむ。
そこから始まるのが例え悪夢であっても、過去の男が目の前に
甦えってくれるわけです。だから、リーランが何度でも
恋人会いたさに悪夢に還るわけです。
この展開、ひたすら唐さんを見事と思いました。
死んだ恋人会いたさに、当の恋人が殺される過去に何度でも
帰らざるを得ないという皮肉と情熱。
こういった悲劇的シーンの合間に、
噂の職安員たち(実は朝鮮半島の残留孤児たち)が繰り広げる
コミカルなやり取りも秀逸です。コミカルだけれども、
最後は彼らの合唱で終わるという仕掛け。
朝鮮の人にも、日本の人にも、
戦争が生んだ影響が今なお切実に刻まれている様子を体現して
この芝居は幕を閉じます。ヒーローやヒロインがヒロイックに
テントの向こうに現れるのではないエンディングの痛みが
傑出していました。
皆さんとの本読みの向こうにそういう光景が
はっきりと見えるワークショップでした。
・・・・・。
この劇は、私としては未上演で、
けれどもどんな舞台作品になるのが理想的か探りたいと思って
本読みWSシリーズの題材にしました。
自分自身も参加者の皆さんのおかげで見えてきた景色が
いくつもあり、たいへん大きな学びになりました。
かつて一度だけ、私が唐さんに『二都物語』の上演を
申し出たことがありました。あれは確か、2004年のお正月のことです。
けれども唐さんは、それを柔らかく却下しました。
「あれは李(麗仙さん)のものだから」というのがその理由でした。
今回読んでみて、その理由に改めて納得させられました。
唐さんはこの台本を周到に書きました。
一見、朝鮮半島から日本にやってきた人々を描く台本に見えて、
その実、朝鮮の血を本当に持つキャラクターは
リーラン(李蘭)だけなのです。他は全員、日本人なのです。
この芝居の上演には、配役にそういう実際の反映を叶えることが
必要条件だと痛感しました。上演には準備が必要!
だからもっと未来に!
それを一緒になって考えてくださった参加者の皆さんに感謝します!
次回からは『夜叉綺想』をやります。
『唐版 風の又三郎』の後に書かれた、想像力が圧倒的暴走を
見せる闇の作品です。
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