3/4(火)『ジャガーの眼』本読みWS 第5回 その①
2025年3月 4日 Posted in 中野WS『ジャガーの眼』
その大部分は、「Dr.弁」と探偵「扉」の論争に尽きます。
ここは一見すると、やり取りに勢いもあって、コミカルな劇中歌も
あって、これまでの鑑賞体験からしてもスムーズに観ることができます。
が、よくよく読んでみると、特に「扉」が何をしたいと思い、
どんな論理でこの論争を押し進めているのか、難解なところがある。
そこで、昨晩は参加の皆さんと一緒にこの部分を解きほぐしました。
まず、「Dr.弁」の立場や考え方からすると、
この部分は理解しやすくなります。彼は一見すると非常識な悪役に
見えますが、実は極めて常識的で職業意識に溢れた医師だからです。
「Dr.弁」は移植手術に身を捧げています。
普通の医者は部位によって専門性を分けますが、彼はとにかく
「移植」ならば何でもする。そして、その実験台に自らの身体を
差し出した人物といえます。人体実験に自分を差し出しているから
フランケンシュタインのようなツギハギの身体なのです。
(もちろん『少女都市からの呼び声』の「フランケ」を金守珍さんが
好演したのがきっかけで、唐さんはこの弁先生を生み出しました)
「肉体の一部を追うものはなく、追われようとする一部もない」
というのが、「Dr.弁」の信条です。
「臓器」は「臓器」、「部位」は「部位」、そこに「意志」「思念」
「思い入れ」「呪い」「霊魂」などどいうものが宿るとしたら、
臓器移植は成立しません。確かに、提供される臓器と患者の体に
相性はある。時に両者は拒絶反応も起こす。けれど、それが「思い」
によるものとしてしまっては医学は成り立ちません。
せっかく相性の良い角膜を見つけ、それを移植することに成功した
はずの「しんいち」が摘出を希望することは、「Dr.弁」にしては
不本意極まりなく、他ならぬ「しんいち」自身のために、そのままで
生活していくよう説得するのは当然といえます。
が、「扉」はこれに異を唱え、論争が行われます。
例えば、精子。精子バンクによる精子の提供により生まれた子どもが
成長して父親に会いたがるのは、精子に意志があるからだ、と述べ立てます。
これは、子どもが自分の父親が誰かを知りたがっているのであって、
精子の意思とまではいえない、と一蹴される。
次に、ヒヒの心臓を人間の赤ん坊に移植したところ上手くいかなかった
のはヒヒの意志だという。これも、「Dr.弁」は拒絶反応として退けます。
こうして、論争は「Dr.弁」が「扉」を圧倒します。
しかし、負けが重なるなかで、実は「扉」こそが「Dr.弁」の論理、
「肉体の一部を追うものはなく、追われようとする一部もない」の
信奉者、支持者でることが明らかになります。
むしろ、わざと反対意見を言うことで、「Dr.弁」の論理を強調したかった
と、「扉」は言い出すのです。ここが、この論争シーンの分かりにくさです。
「扉」は何故、こんな回りくどいことをしたのか、明日にここを整理すると
分かりやすくなってきます。
続きは明日。
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