3/5(水)『ジャガーの眼』本読みWS 第5回 その②

2025年3月 5日 Posted in 中野WS『ジャガーの眼』
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↑例えば初期作品『煉夢術』を思い出し、唐さんが若かりし日に
人体模型人形と街に出かけていた事に思いを馳せるのも良いでしょう

昨日に書いた内容を続けます。
『ジャガーの眼』2幕中盤の論争において、なぜ、本当は「Dr.弁」に
賛成なはずの「扉」は、論争を仕掛けてまでドクターの論理の正しさを
強調したかったのか。これは「扉」の「くるみ」に対するライバル心が
原因しています。

「肉体の一部を追うものはなく、追われようとする一部もない」
というのが「Dr.弁」の信条です。彼は「移植手術」に自分の全てを
捧げる者として、「心」や「魂」の存在を退け、すべてをフィジカルに
捉えようとします。「扉」がこれを支持するのは、「くるみ」こそ、
「肉体の一部を追うもの」の権化だからであり、「しんいちの角膜」
こそ、「追われようとする一部」の表れだからです。

そして、「くるみ」と「しんいちの角膜」の問題が続く限り、
「扉」の好きな「田口」がそちらに囚われてしまっていることが
大問題なのです。「扉」としては、とにかく「くるみ」から
「田口」を取り返したい。「サンダル探偵社」なんか廃業して、
自分のいる「アジア探偵社」に戻ってきてほしい。
それが叶わないまでも、別の事務所同士で同じ案件に取り組もう。
さらに、「扉」の造った人形「サラマンダ」を、また元のように「田口」に
可愛がって欲しい。その一心で、論争を展開したということが
明らかになりました。

問題なのは、結局「扉」としては、
「肉体の一部を追うものはなく、追われようとする一部もない」
が正しい方が「くるみ」を摘発できて良いわけなのですが、
一方で、「ある人物を追う物体はあり、物体に追われようとする人はいる」
と言い出す点です。要するに、「人形」=「サラマンダ」=「物体」には
意志がある、と主張する。


・・・「人形には意志が宿る」と言いながら、
「臓器に意志なんてない」と言い張る「扉」の論理は、かなりこの
場面をわかりにくくしていると感じましたので、くどくど整理しました。

このシーンの楽しさと難解さは、ひとえに唐さんが勢いで書いたから
だと私は考えています。勢いは、時に破綻した論理にも説得力を
帯び出せます。ここは、そういう場面だと思いました。
だからこそ演者は、注意深く読み解き、勢いに任せない理解のもとで
土台をつくりながら、やがて勢いに乗る演技を組み立てる必要が
あります。

というわけで、実は難しい2幕中盤でした。
続きは、3/9(日)夜です。


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