4/9(水)『ジャガーの眼』本読みWS 第10回(最終回)その③
2025年4月 9日 Posted in 中野WS『ジャガーの眼』
↑いずれも沖積舎から出版された2作品には、通じるものを感じます
と、最後までレポートした上で、考えたことを追記します。
『ジャガーの眼』は傑作とされている作品ですが、
戯曲のポテンシャルとしては、以下の部分が明らかにならない、
あるいは、煮え切らないところもありました。
・角膜が「ジャガーの眼」とあだ名されるキッカケ、苛性ソーダによる
斑紋はいつついたのか。持ち主が「田口」時代か、「しんじ」時代か
・敵役である「Dr.弁」と「扉」の敗北の様子
・凶行に及んでしまった「夏子」のその後
・傷ついた「しんいち」と「くるみ」が駆け込んだ病院はどこなのか
これらの点は最後まで曖昧なのです。
唐さんの作品の中で傑作とされるものは、実は構造的にはシンプルで
リニアであり、しかも魅力ある謎や余白を備えているものです。
『ジャガーの眼』を精読してみると、物語にとって重要な上記の点が
薄いのです。
そう考えると、自分には、特に『ジャガーの眼』初演は、
演出が台本を超えてしまっていたのではないかと思います。
通常、劇が持つ威力は、その基礎にある台本で決まると言います。
けれど、時々、台本を上演された劇が超えることがあるのです。
唐さんが執筆時に得ていた着想よりも
現場でほとばしった創造力がもともとの設計図を凌駕してしまう。
その好例として、1980年代の唐十郎が生んだ『ジャガーの眼』と、
それから『ビニールの城』はあるのではないか。
今回の本読みを通じてそのような感慨を持ちました。
同時に、現在の『ジャガーの眼』上演は、
マイク・オールドフィールドの曲の使用を含めて、唐さん演出の型を
踏襲するかたちになっているので、もしも自分が演出するのだとしたら、
本質的で、さらに新しい印象を残すものでなければならないとも
思います。誰が「田口」役を演じられるのか、という問題も大きい。
いずれにせよ、参加者の方からリクエストを得て行った
『ジャガーの眼』という題材は、自分にこの作品を見直す機会を
与えてくれました。面白かった。ご参加、ありがとうございました。
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