11/18(火)『木馬の鼻』本読みWS 第5回(最終回)その②
2025年11月18日 Posted in 中野WS『木馬の鼻』
↑「谷也」らが去り、取り残された「呂々井」
(2014年初夏の上演より 撮影:伏見行介)
「群馬」が大勢を引き連れて去りました。
「林原」夫婦と「天雨」夫婦、「計筋」と「下水」に展望はあるのか。
全くありません。二組の夫婦は、旦那の失職を避けられないでしょう。
測量士たちは実に場当たりで、その場の権力に追従しているだけです。
そう。「計筋」と「下水」が付いていったということは、権力はもはや
「呂々井」から「群馬」に移行したのです。
思えば、「谷也」との問答が激しさを増した時、「呂々井」が
しどろもどろになり、むしろ「群馬」がたくみに言い返す場面が
徐々に増えていきました。「呂々井」が寵愛していた女店員「加々子」
は、今や「呂々井」を見限り、インカ側に付くようになりました。
そうして「加々子」は、自らの名前の由来する「チチカカ湖」の
ある南米方に付いたのです。
「木馬」が一行を引き連れて去った後、劇はエンディング体制に
入ります。わずか3ページですが、そこで「谷也」「竹子」「市」は
木馬「マチュピチュ」の鼻に再びこびりついた鳩の糞を見ながら
敗北を噛み締めます。しかし、素手でその糞をこそげ落としてでも、
「谷也」はやはりこの木馬とともに、どこかにある「マチュピチュ
の谷」を志向します。
その出発には、「竹子」は同行しません。
「竹子」は見送り役で、「谷也」は「市」と旅立っていく。
ここに「加々子」を加えるかは、上演する人次第です。
例えば、『唐版 風の又三郎』ほどの一発逆転的パワーは
ありませんが、それでも、主人公たちは希望を語り、目指します。
上演する者次第で、いかようにも練り上げられそうです。
と、そこへ、ここには風変わりな設定が用意されています。
主人公たちが出発した後、取り残された「呂々井」が自らの
孤独を噛み締めます。ここが、なかなかどうして、この
『木馬の鼻』の味わい深いところ。
それが何を意味するかは、また明日、考えてみます。
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