3/4(月)『腰巻お仙 忘却篇』本読みWS 第3回(最終回)
2024年3月 4日 Posted in 中野WS『『腰巻お仙 忘却篇』
↑左端に写っているのが、2012年に『忘却篇』を上演した時に
「床屋」役だったヒガシナオキです。大学を卒業し、働きながら、
今、屈強な仲間として『鐵假面』を一緒につくっています。
わずか54ページの短い台本なので、あっという間に最終回です。
基本的にはそんな複雑な内容ではないので、
ギャグ満載で楽しく読めるのですが、飛躍の多いところ、
唐さんが何を書こうとしていたのか補わなければ
わからないところを、想像や推理を補足しながら読み、
筋立てを理解していきました。
まず、2幕冒頭からおさらいしましたが、
少女が、すっかり認知症気味になって戦争から帰ってきた
父親の面倒を見て医者に来ている場面からスタートしました。
1幕終わりで父親への憎悪、男憎しの思いを朗々と吐白した
「お仙」の姿はここでは一旦、なりを潜めています。
次に2幕全体の主題である、
1幕に起こった天才の死体隠蔽に対する謎解きがスタートします。
探偵役は床屋と禿の客。特に禿の客は持ち前の頭脳を駆使して
天才と渡り合い、前夜に行われた天才の死体と殺人の隠蔽について
迫ろうとします。
ここでの会話は脱線が多く、周りくどいのですが、
要するに昨日の事件について客が天才に問いただそうとして
いるのだと意識すれば、一本筋の通った会話であることが
浮かんできます。
そうして禿の客が天才を追い詰めていくと、
今度は少女とバカ男の会話が始まります。
バカ男は自分が家を離れているうちに(出征しているうちに)、
かつて少女だった娘がすっかり変わってしまったことを嘆きます。
しかし、少女とすれば、父親が戦地に赴いたせいで、
生活のために体を売らざるを得なかったわけです。
望まない妊娠と堕胎を重ねたことが、彼女が
「腰巻お仙」であることからも想像できます。
そして父親憎し、男性憎しの思いを強めている。
一方、こうしてバカになって帰ってきた父親の面倒を見ている
アンビバレントも示される。そういう場面でもあります。
ここから先は急転直下で、
「先生」なる人の電話が天才のもとにかかってきたことで、
ドラマが動きます。とにかく「先生」という存在は強大で、
この社会の裏側で絶大な権勢を誇る存在であることが伝わってきます。
これに本能的にビビる禿の客ですが、時すでに遅く、
天才の罪状に迫ろうとしたのが仇となり、
天才に巧みに操られた床屋によって殺されてしまいます。
床屋は、自分が天才に騙されて自身の友を
殺めてしまったことに気づきますが、彼もまた、
現れたお仙の笛の音によって、命を召されてゆきます。
お仙に連れられ、天才、床屋、犬、1幕で殺された乞食が逝きます。
この場面は、悪魔が町の人々をさらっていくエンディングで有名な、
イングマール・ベルイマンの映画『第七の封印』の影響と思われます。
それを見送りながら、ラストシーンではバカ男とお蓮が邂逅します。
お蓮の想い人はバカ男その者に他なりませんが、バカ男は禿の客の
死体に瞬時に蓮の紋々を入れ、自分の身代わりを務めさせます。
そしてお蓮に「好きな男、シルバーの後を追って死ぬ気があるか?」
と迫る。実に身勝手な感じもしますが、バカ男は変わり果てた自分を
お蓮が受け入れるかどうか、偽の死体を使って試しているのです。
結果、お蓮が怖気付きます。
後追いの死を拒まれたバカ男は帰るべき場所を失い、旅立ちます。
帰る場所を失った今、バカ男こと傷痍軍人のジョン・シルバーは
目的地無しに旅立たざるを得ないのです。
ここにきて「忘却篇」というサブタイトルの意味も明らかになります。
旅は目的地を見出したからでなく、過去にはじかれて出ざる得ないもの
なのです。20代半ばだった唐十郎のよるべ無さ、確信の無さ。
けれども、必ずどこかに行かねばならないという悲壮な決意が
伝わってきます。
何をするべきかはわからない。当然、絶対の自信もない。
けれども、とにかく何かをやってみよう。
多くの人の青年時代はそういうものなのではないでしょうか。
唐十郎もそれと同じだったわけです。
このような暗中模索のジャンプが身を結んだのか、
唐十郎と状況劇場は一年後に、自らの代名詞となる紅テントを見出します。
次回から『義理人情いろはにほへと篇』!
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