12/31(水)『盲導犬』本読みWS 第6回(最終回)その②
↑初演の写真です。一番左で座っているのが、魔子さんの「銀杏」
昨日のつづきです。
『盲導犬』を前にする時、私たちはこの劇の最後で、「銀杏」が
ファキイルに喉を切り裂かれる場面に向き合わなければなりません。
ファキイルの攻撃を「銀杏」はどのように受け止めたのか。
「銀杏」はファキイルによって殺されるのか。
ここで、「殺される」というのは、果たしてネガティブなことなのか。
「銀杏」が被害者であるならば、なぜ彼女は「夫」の介抱も押し除け、
最後に「ファキイル!」と連呼するのか。
この劇全体にとって決定的な場面をめぐって考えを巡らせていた
20代前半の頃、初演で「銀杏」を演じた緑魔子さんの文章が答えを
教えてくれました。
冬樹社から出版されていた『唐十郎作品集 第5巻』の付録に、
魔子さんは「眠れない夜のために」という文章を寄せています。
そこで、『盲導犬』のラストシーンに触れている。
以下、引用します。
夢に出てきた夫に犬の胴輪をはめられライト、レフトと主人の
言いなりになる服従の盲導犬となってしまった時、一匹だけ
いるといわれた伝説の不服従の犬ファキイルによって、
首をかみ切られ死んでしまうのです。
とてもかわいそうなのです。かわいそうだからかみ殺された
のです、ファキイルに。「だめだ! 服従の犬などになっては
いけないよっ」って。
以上。これが魔子さんの文章です。
『盲導犬』を前にする時、私たちはこの劇の最後で、「銀杏」が
ファキイルに喉を切り裂かれる場面に向き合わなければなりません。
ファキイルの攻撃を「銀杏」はどのように受け止めたのか。
ここでは、噛み殺すというファキイルのアクションが、
「銀杏」への最大級のエールとして捉えられています。
もちろん、いくら初演のヒロインを演じたからと言って、
魔子さんが必ずしも正解であるとは限りません。けれど、
少なくとも私はこの意見を支持します。
ファキイルは「銀杏」を応援するためにかみ殺すのだ。
この考え方に立つ時、『盲導犬』という劇がどんな劇のか、
同時に見えてくるように思います。
つまり、一見するとこの劇は、盲導犬学校の「先生」と
「破里夫」の対立を描いたもののように考えられがちです。
「服従」と「不服従」を巡るやりとり。
1970年前後に繰り広げられた清水邦夫作・蜷川幸雄演出の
芝居は、基本的に反体制運動に敗れる青年群像を謳って
います。
でも、唐さんは結局は「先生(夫)」「破里夫」「タダハル」の
いずれもが、男性原理であるとして一蹴します。
「破里夫」は本当には現世を生きていないのではないか。
本当に「不服従」であるべきなのは、「銀杏」ではないか。
だからこそ、「破里夫」の前には現れないファキイルは、
「銀杏」の前には姿を現し、その威力を発揮します。
『少女仮面』が鈴木忠志さんに対する挑発であったように、
『盲導犬』は蜷川さんへの挑発です・
その後、翌1974年に蜷川さんは日生劇場にデビューし、
客層を若本から、もっと年齢が高めの女性中心とした
いわゆる商業演劇の世界に飛び込んでいきます。
何か、示唆的です。
ラストシーン。「破里夫」と「フーテン」はバーナーの
残火をチロチロやりつつ、どこか寂しげです。
遠くにファキイルの気配はするが、決して現れません。
「(見えない目をあげて)待ってろよ、ファキイル、
これを焼ききる時、俺たちはおまえと一緒にダッタンを越え、
ペルシャを越え、ナイルを逆のぼるんだ!」
というせりふはかなり壮大ですが、これにファキイルが
応える様子はありません。
と、これが『盲導犬』エンディングに向けた私の読み方です。
いかがだったでしょうか。
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