2/1(日)『アリババ』本読みWS 第3回(最終回)その①

2026年2月 1日 Posted in 中野WS『アリババ』
『アリババ』の本読み。
短い台本なので、3回目で最終回でした。
タイトルのもとになった『アリババと40人の盗賊』になぞらえて、
「堕胎児たち」が訪ねてくる、という展開で物語が集結していきます。

この堕胎児たち、せりふがあるのは「児1」「児2」「児3」という具合に
3人だけですが、実際の劇にする場合には人数は多い方が面白い、
という感じです。みんなでワーワー言うと、にぎやかになってたのしい。

前半は、若い夫婦の男女が繰り広げる会話劇でした。
そこに「老人」が入ってきてミステリアスな感じをますます強めますが、
そんなに明るい会話じゃなかったところを、「堕胎児たち」が入ってくると
俄然、にぎやかになって舞台は明るくなります。

「老人」の名前が「忠太郎」であるとわかります。
長谷川伸さんの名作『瞼の母』より、主人公の「番場の忠太郎」から
取られた名前です。こういった名前にも、母を求めるキャラクターが
強く投影されています。

「老人」=元小児科医=「忠太郎」の差配でブランコが降りてきて、
そこに「貧子」が乗って歌う劇中歌が、「堕胎児たち」登場の呼び水に
なります。

ギリシャ悲劇『オイディプス王』の前日譚で「スフィンクス」が問いかけた
「朝は4本足、昼は2本足、夜は3本足、それは誰?」の答えは人間です。
唐さんはこれを替え歌にして、
「朝は海の中、昼は丘、夜は川の中、それは誰?」と歌わせます。
「朝は羊水の中、昼は恥丘にいて、夜は堕胎されて川に流される」
というわけです。なかなか怖い歌詞です。

これを誦じているうちに、先ほど書いたように「堕胎児たち」が殺到し、
賑やかしながら、自分たちと母である「貧子」の足に、決して離れることが
ない鉄鎖をはめてしまいます。これを彼らは「へその緒」と言う。
要するに、母と子どもたちの切っても切れない絆を可視化したもの、
それが鎖であるわけです。

すると、劇冒頭から、馬のいななきを聞き取り、雨の高速道路を
涙を流しながら走って「堕胎児たち」への後悔を語り続けてきた
「宿六」が一気に薄情になる。

「堕胎児たち」に対する、この「貧子」と「宿六」の対応のコントラストが
『アリババ』という劇の見どころです。明日も、続けてまとめていきましょう。

↓有名なオイディプスとスフィンクスの問答。私は、この絵画のスフィンクスは
けっこうカワイイと思いますが
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1/28(水)『アリババ』の名せりふ

2026年1月28日 Posted in 中野WS『アリババ』
そうそう。
以前に新宿梁山泊さんの上演を観た時にも書いたことですが、
『アリババ』に出てくるこの言葉は、唐十郎の名せりふのひとつだと思います。

靴はいてる奴が、どうして裸足の男に追いつける?

青年時代まっただなかの、無名の、まだ何者でもなかった唐さんの
心情がストレートに出たせりふです。
そしてまた、いつくになっても、一度、自分の持ち物を御破算にしてでも
前進したくなった時に、背中を押すせりふです。

先日に読んだなかについに出てきたので、このせりふの良さを、改めて
参加の皆さんと味わいました。

靴はいてる奴が、どうして裸足の男に追いつける?

何度でも強調しておきます。皆さんも味わってみてください。
良いせりふの威力に任せて、今日は短め!

↓自分の足。小さい頃、陸上競技が苦手でした。ぜんそく持ちで、すぐに発作
が起きてしまう。だから水泳をやりました。結果、扁平足です。子どもの頃に
もっと走り込めたら、土踏まずのあるカッコいい足になれたのに
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1/27(火)『アリババ』本読みWS 第2回 その②

2026年1月27日 Posted in 中野WS『アリババ』
昨日の続きです。
「宿六」と「貧子」の娘、正確には堕胎児の名前は「英子」といいます。
「英子」は「ひでこ」と読み、これは唐十郎の本名である「義英(よしひで)」に
由来しています。唐さんは擬似的な父親として堕胎児を想っただけでなく、
自分のことを堕胎児になぞらえたのだということでしょう。
そのような意味と思いを込めて「ひでこ」です。

それから、ミドリのおばさんが轢かれて死んでしまうくだり。
世間の人々が「ミドリのおばさん」としか扱わない彼女を、「宿六」は
定期を調べ、彼女が「北千住に住む小島キク」であることを突き止め、
十把一絡げに彼女を扱う世間に対して激しく怒ります。
人間を個と捉えず、類型として扱うことへの憤りが表れています。
要するに自分は固有の自分であり、あなたは固有のあなたでありたい。
未だ無名だった唐さんの憤慨に他なりません。

結果として、うんこを投げる。
「宿六」だけでなく、「貧子」はもっと景気良くうんこを投げる。
爽快なシーンです。要するに社会への反抗。痛快と言った方が正しいか。

ちなみに、「キク」とは唐さんのおばあさんの名前です。
『佐川君からの手紙』の最後にも「キク」は出てきます。
果てしない優しさ。追い詰められた時の精神安定剤。
それが、キクおばあちゃんです。

といった具合に、細部にはそれなりに意味があります。
それに、警官と氷屋が手をつないで「宿六」を追いかけてくるという
描写には、唐さんの成長を感じます。

それまで、ただ暗く、陰陰滅々の芝居を書いていた唐さんが、
徐々に徐々に持ち前のギャグセンスや喜劇性を発揮し始めた、
その現れがこのくだりです。しかも、シリアスななかに突如として
コミカルをぶち込む。そういう大胆さは、のちに開花する唐さんの
真骨頂といえます。

といった要素をひとつひとつ、参加の皆さんにはたのしんで読んで
もらっています。

↓今日はテツヤと飲みながら、現在活躍している役者で少年役の似合う
人は、というテーマで語り合いました。テツヤはお湯割り、私はホットジャスミン
ティーです
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1/26(月)『アリババ』本読みWS 第2回 その①

2026年1月26日 Posted in 中野WS『アリババ』
昨日は『アリババ』オンライン本読みの2回目でした。
この作品はとても短く、手元の台本では61ページしかありません。
(目下、取り組んでいる『ベンガルの虎』は208ページ!)
ですから、あっという間に、3回の本読みで終わります。
そのなかの2回目といえば、クライマックスに至る道程を
だんだん、だんだん登っていく、そういう盛り上がりを見せます。

煎じ詰めれば、若い夫婦が、かつて自分たちが堕した堕胎児に苛まれる。
そういう物語です。貧しい暮らしを営む二人のもとに度々やってくる
「老人」こそは、堕胎児専門の小児科医という設定。

2日目を通じて、堕した子どもが妊娠5ヶ月だったこと。
名前を「英子(ひでこ)」ということ、が分かってきます。
(堕胎児に名前がある、という不思議な設定です。)

ずっと「宿六」が語り続ける「雨」や「馬のいななき」は、
その不安が具体化してあらわれたものに違いありません。

おもしろいのは、劇中盤まで「宿六」ばかりがそうした不安に襲われ、
実際に身体を痛めた「貧子」はケロリとしていることです。
「貧子」の視界に「老人」は見えないし、実に朗らかなのです。
そして、それでいて、彼女にも「馬のいななき」が聞こえると、
「宿六」を飛び越えて一気に「英子」への思いにかられていく。
このあたりの心理の描き方に、唐さんが男と女をどう捉えていたか、
よく表れています。

ちなみに、劇中によく「黒」と「赤」という二色を云々するくだりが出て
きますが、「黒」は健全に生まれてくることができた子ども、
赤は掻爬されてしまった子ども色を象徴しています。
「老人」の手袋の赤い色。かなり不気味です。

他にも、おもしろい細部があるので、それはまた明日に書きましょう。

↓いまはあまり見なくなった子どもようのこうした玩具も、この作品に
確実に影響しています
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1/19(月)『アリババ』本読みWS 第1回 その②

2026年1月19日 Posted in 中野WS『アリババ』
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↑本当は、初めて『アリババ』が掲載された三田文学 昭和42年6月号
(1967.6)を底本にしたいところですが、未入手。そこで、その次の掲載、
1970年1月刊行の『謎の引越少女』をもとに作った台本を取り上げています


いよいよ『アリババ』本篇に入っていきます。

冒頭、若い男女がいて、なぜか自らの足をひたすらに慈しむ男に面食らいます。
名前を「貧子(ひんこ)」「宿六(やどろく)」という、実にしみったれたキャラクター名
です。

が、ト書きをよく読むと、畳もくたびれ、食べかけのラーメンが残る貧しい
暮らし向きのなかに、真新しい蛍光灯や、桜の造花があって、若者たちが
望みを託した新生活であることを物語ります。
どうやら、若夫婦のお話である。そういうことがわかってきます。

劇が始まるとすぐに、「宿六」の語りが始まります。
雨の日に、馬のいななきが聞こえた「宿六」は、馬を追って東京都内を
駆け巡ります。アスファルトの上を裸足で走り、高速道路の上を裸足で走る。
しかも雨のなかを、びじょびじょに濡れながら走る。

劇は「宿六」主観で進行し、やがてその馬が、「貧子」さんとの間にできて、
生まれてくることのなかった子どもの存在をほのめかしていることがわかって
きます。ただし、「貧子」さんはあまりそれを、気にする様子がありません。

「宿六」は、世間が見る目も気にせず、それどころかそれを楽しむように
駈けていきますが、雨に打たれながら涙を流したりするのは、そういう
心象風景だからです。彼が駆り立てられていることが、だんだんわかって
きます。

他方、「貧子」さんは「宿六」を夜の営みに誘いかけたりもしますが、
「宿六」は馬が気になって仕方がない。というところで、謎めいた老人が
現れる。

昨晩はここまで読んで終わりました。

若き唐さんはわざと抽象的な書き方をしています。
けれど、堕ろしてしまった子どもが心に引っ掛かる、という景色は、
同棲生活を送る若者たちの生活として、かなり具体的な状況でも
あります。「アスファルト」「高速道路」「新幹線」が整備されていく
時代を背景に、唐さんが『アラビアンナイト』の有名な一節である
『アリ・ババと40人の盗賊』を絡めて、どう飛躍しようとしたのか、
そこを分けて考えれば、スッキリとした物語としてこの『アリババ』が
見えてきます。

1/18(日)『アリババ』本読みWS 第1回 その①

2026年1月18日 Posted in 中野WS『アリババ』
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↑第一回 東京オリンピックのビジュアル、改めて優れています。この時代!

昨日の『下谷万年町物語』対面リーディングWSから一夜明け、
今日から『アリババ』オンライン本読みの第1回目です。
両方参加していただける方にはハイペースすぎるかな、と実感しながら、
一方で、万年町で育った青年時代の唐さんが初々しく書いた台本、
それが『アリババ』ですから、理解にはスムーズだな、と実感しながら
オンラインに入っていきました。

『アリババ』が初演されたのは1966年。唐さんが26歳の時です。
紅テントを発明するのは翌1967年のことで、まだそれほどの注目が集まって
いない。けれど、『ジョン・シルバー』を経て、唐さんが唐十郎として覚醒する
前夜の作品です。実際、ご本人も手応えがあったのでしょう。
第3作品目の『煉夢術』までとは異なり、『ジョン・シルバー』『アリババ』は
その数年、再演を重ねています。

今日は初回なので、作品の背景の話をしました。
1960年代は、東京と日本がものすごいスピードで変わっていく時代です。
1964年の東京オリンピックは街を変えました。

道路のアスファルト舗装が進み、高速道路と新幹線が整備される。
『ALWAYS 三丁目の夕日』が1958年の物語ですから、そういう変化や勢い
を想像してもらいやすいと思います。

また、唐さんの個人史としては、大学を卒業したのが1962年。
劇団青年芸術劇場に所属するも一年足らずでこれを辞め、
シチュアシオンの会から状況劇場に至る自前の劇団をつくりました。
といっても、当時の唐さんは俳優のみを志向していました。
サルトルの『恭しき娼婦』で旗揚げしますが、その後に作品を描き始めた
のは、創作意欲かられて、というよりも単にやるべき作品を作るしかなかった
からです。

そうこうするうちに、唐さんは実家を出て中央線沿線に暮らし、
"同棲時代"を開始します。すると、当時の若者の多くがそうであったように、
人生の主題のひとつが、「望まぬ妊娠」「中絶手術」「堕胎児」になるわけ
です。実際、唐さんは20代を通じて「堕胎児」を主題にした作品を何本も
描きました。『煉夢術』『アリババ』『腰巻お仙 忘却篇(1966)』
『腰巻お仙 義理人情いろはにほへと篇(1967)』
『腰巻お仙 振袖火事の巻(1969)』がそれです。
最後にわずかに「堕胎児」が登場するのが、私のみるところ『吸血姫(1971)』
ですが、これはメインのテーマとはいえません。

ひとつの推論としては、ご子息である大鶴義丹さんが1968年4月に生まれた
のは大きかったと思います。人生の関心が、生まれてこなかった子どもから
生まれてきた子に移るのは自然なことです。

1969年12月に初演した『少女都市』で主人公「田口」が健康保険を云々
するのは、そういう事情と思われます。鬼才・唐十郎といえども人間であり
生活もあるわけですから、自分のおかれた状況に応じて切実な関心事は
変わってゆきます。それは、決して同時代の多くを生きる人々と大差無く、
けれども、そこは"唐十郎"ですから、作品のなかでの現れ方がやっぱり
独特なのだ、だから唐十郎なのだ、というお話からスタートしました。

長くなったので、続きは明日!