3/3(日) 17年の年月(齋藤)
2024年3月 4日 Posted in 劇団員note
ただいま、絶賛作業&稽古中の鐵假面ですが、
僕はこの『鐵假面』という戯曲が、唐さんの作品の中で一二を争うほど好きな作品です。
再演するなら何やりたい?って雑談するたび、いつも「やっぱ鐵假面ですかね」と言っていた気がします。
かつて唐ゼミで公演したのが2007年、僕が22歳の時でした。
僕にとって一つの成功体験、うまくいろいろやれたぜ!という実感があった作品であり、
公演終了のタイミングでそこまで唐ゼミを支えていた先輩たちが去った作品であり、
大学を卒業、フリーターでの一発目の作品で、それだけいろいろ悩んだ期間であり、
とにかくお金がない中で死ぬ気でやり通した作品でした。
あれから17年。
改めて戯曲に触れていると、懐かしい記憶が蘇る中、ふと一つの大きな何か、
「しこり」のようなものがあることに気づきました。
それは「口惜しさ」で「無念」のようなものでした。
2007年は春も秋も『鐵假面』をやり通した1年でした。
当時の自分たちなりに、一生懸命戯曲に向き合って、走り続けたけど、
戯曲の中に、何か大きくて、隠れているものがあって、
触れたかもしれないけど、それを舞台上に引きずり出せなかった。
指先にわずかに触れた何かはあったのに、掴めなかった。
そんな思いです。
もちろん、当時からそう思っていたわけではなく、
17年の月日を経たから、気づいたものです。
唐版 風の又三郎が終わってからの2年半
中野さんがイギリスに行き、劇団員のメンバーも減り、
何より自分自身も色々考える期間でした。
仕事はいろんな人のおかげで、順調で、面白い現場にいかせてもらいました。
プロの現場での立ち振る舞いも覚え、新しい経験も、充実感も沢山しました。(時々嫌な思いも 笑)
でも同時に、作品が面白くするため、火中の栗を拾わざるをえないような時、一歩目が少し重たく感じることも多くなりました。
様々な制限も同時に増えていたのです。
そんなことを思う今だからこそ、
17年前に掴み損ねた面白さを、舞台上に引き摺り出したいのです。
22歳の頃の、ただただ面白いものを作りたいという純粋な思いを再び掲げ、
蓄積してきた経験を武器に、
触れたかもしれない何かに、指先に残った感触を頼りに挑みたいと思っています。
あと2週間ちょっと。
ちょっと寒いかもしれませんが、覗きにきていただければと思っています。
齋藤
追伸
最近のゼミログで米澤の牛丼の話題が上がっていましたが、(以前ゼミログで触れた)
2000円を渡した結果、米澤が食べた夕飯はこちらです。
律儀に写真とお礼のライン送ってくれました。
17年の月日によって、今の僕はこんなに食べれません。
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