2024年9月 9日 Posted in
中野WS『『煉夢術』
↑『海底二万里』の挿絵より。オルガンを弾くネモ船長
昨晩は『煉夢術』本読みWSの最終回。
しかし、レポートは明日に回します。
なぜかといえば、『煉夢術』に何度も出てくる重要なモチーフ、
「沈没船から聴こえるオルガン」のネタもとが判明したからです。
それは、唐さんの大好きな『海底二万里』。
ジュール・ヴェルヌの代表作です。
言わずと知れたネモ船長、そして潜水艦ノーチラスを愛してやまない
唐さんは、21世紀になって『行商人ネモ』を書きました。
潜水艦の中にあるネモ船長の豪華サロンには、パイプオルガンが
設られているのです。そして折に触れ、船長はオルガンを演奏する。
『海底二万里』の続編『神秘の島』で、船長は亡くなり、
ノーチラス号を棺として海底深く沈んでいきます。
これが『煉夢術』にインスピレーションを与えたことは、
まず間違いないでしょう。この発見が本読みWSの最終回に間に合って
良かった。そのようなわけで、昨日は冒頭にこの事実を参加者の
皆さんにご報告しました。すごくスッキリして良い気分です。
このモチーフは、他にも映画『ガラスの使徒』にも影響を与えています。
2024年8月19日 Posted in
中野WS『『煉夢術』
↑こういう感じの足カセがはめられる、という場面があり
唐ゼミ☆での上演の際は苦労した覚えがあります
昨晩のレポートです。
通常、1〜3幕ものを基本とする唐十郎作品としては珍しく、
『煉夢術』の1幕は多くの「場」で分かれています。
そして、その「場」、各シーンは2〜3名の会話でシンプルに成り立って
います。ですから大変に進行しやすい。
唐さんの周りにまだ仲間が揃っておらず、せりふを言っている以外の
役者たちが舞台上をウロウロして役割を果たしている、という状況が
生まれるのは、まだ先のこと。
昨晩は5場〜7場を読みました。
5場。
塔の守り番をする男と女の場面です。
男は、新聞記事を保管した冷蔵庫を塔の上からふもとの町に向かって
投げ落とそうとします。時間の止まったこの町に時の流れのあることを
証明するためには、新聞の日付欄や牛乳ビンのふたを貯めることによる
しかなく、それを仕事として実行しているという設定です。
ところが、町に落としたはずの冷蔵庫はすぐに返ってきてしまう。
要するに、この町は頑として時の流れを受け付けない。
一方、女には、この塔を目指して近づいてくる足音、
お腹の中からは赤ん坊の鼓動が聞こえてきます。
成長著しい赤ん坊も、時計修理の青年の足音も、静止した町を
揺さぶろうとする存在、この男女が生み出した命という点で共通して
いますが、やがて腹の音は止まり、足音が高鳴ります。
現れてみると、足音の主は青年ではなく、屠殺人。
堕胎手術を行う医者ともとれる屠殺人Bでした。
6場。
塔のふもとの屠殺場にて、時計修理の青年は屠殺人Aと遭遇します。
屠殺人Aは手管を用いて青年に足枷をはめて自由を奪い、しかもAが
念ずればその足枷はギュウギュウと青年の足首を締め付けて苦しませる
という具合です。Aは、青年がこの町にやってきた目的、即ち、青年の
耳に響くオルガンの元を突き止めようという目的を思い出させ、
屠殺場の中にオルガンの部屋があることを告げます。
足枷を引きずりながら、オルガンの部屋を目指す青年。
7場。
5場の続きです。男女は、屠殺人Bに監視されてこの静止した町を
動かす赤ん坊の誕生を制限されています。「屠殺場」という名の
手術室に誘われ、堕胎させられようとしている場面です。
同時に、男女と青年の出会いが予感させられます。
屠殺人AとBは、町を静止させるものの意志を受けて男女と青年を
再会させようと目論んでいるようです。青年とは、20年前に3歳で
行方をくらませた男女の子どもに他なりません。
時の止まった夢の世界では、子ども=青年の存在は許されない。
そういう雰囲気が舞台上の世界を覆っています。
・・・という3場でした。
かなり観念的です。シリアス。
それでいて、いつも思い出して頂きたいのは、これが20代前半当時の
唐さんの実家に対する感覚、上野周辺に対する感覚であるということです。
吉祥寺周辺に暮らし始めたばかりの無名の唐さんが、自分の育った下町の
無時間感覚(変わり映えのないに日常)を唾棄すべきものとして嫌いながら、
同時に、数ヶ月と持ち堪えられず実家に帰りたくして仕方がない、
ということが、この台本からは濃厚に伝わってきます。
当時の唐さんが思い描いた観念と実際、両方を味わって読んでいくと、
一見むずかしいこの台本が、その難しさも含めて親しみを持って
感じられる。そういう風に読み解くのコツです。次回は8/25(日)。
2024年8月12日 Posted in
中野WS『『煉夢術』
↑20代前半の唐さんはこういったものと行動を供にしていたらしい
昨晩は『煉夢術』本読みの2回目。3場と4場を読みました。
下町には巨大な時計を持つ塔がそびえたち、しかもその時計は
24時を指すとともに止まり、すべての生命が静止した時間が訪れる
というのがこの劇の世界観です。
一見すると抽象的なようですが、
塔=長屋を横から見た姿、停止してしまった時間とは、
何の事件や変化もなく続く下町の日常を表していると考えれば、
これが実に具体的な劇であることがわかってきます。
要するに、若き日の唐さんにとって、それまで過ごした上野での
生活は安穏として不安と不満を覚えさせるものだった。
自分はどうして世に頭角をあらわし、将来への活路を切り拓こうか
という焦りが、こういう設定を考えさせたのでしょう。
同時に、そんな上野下町への強すぎる愛着。
3場は、塔の守り番である中年の男女が新聞の切り抜きや
牛乳瓶のフタの日付から、今日が何日であるかを必死に探っている
様子が描かれます。彼らは静止した時間の中で、自分たちの位置を
確かめようとしている。と同時に、常に時を静止させようとしている
力をひどく恐れています。まるで、24時を過ぎて活動をすれば
命さえも奪われるとでもいうように。
また二人には、20年前に3歳で失踪した子どもがいることがわかって
きます。おそらくその子どもこそが、主人公である青年、地図売りから
時計修理人になった件の青年だということが、容易に想像が付きます。
4場は墓地が舞台です。
青年が鋳掛け屋(街を歩いて鍋釜の修繕を行う)のように時計修理の
セールスしていると、人体模型人形と遭遇します。人形は墓地で自らの
墓碑銘を探し、何とかこの町の住人として資格を得ようと捜索を続けて
いるという設定です。人形は自分の手の中に蛆虫(生きているもの)を
発見して自分も命ある存在に近づいたと喜びますが、その蛆虫もまた
死んでおり、絶望の中でバラバラになっていきます。
青年には、人形との会話の中から、自分がこの町に来てなすべきものの
ヒントが与えられます。時計のある塔を登ること。その中にはオルガンが
あり、24時になるとオルガンを弾く子どもがいる。その子は近ごろ
オルガンを弾くのをやめて泣いている。その子どもに会うことこそ
自分の目的であると思い定めます。
夢の中の自分探しが深さを増していきます。続きは8/18(日)。
2024年8月 7日 Posted in
中野WS『『煉夢術』
↑初演時のチラシの写真です。ギターを担いだ青年が時計付きの塔を
眺めている。山高帽はベケットの影響でしょう
一昨日の続きです。
『煉夢術』冒頭の物語を整理してみます。
まずは、青年のモノローグから始まります。
地図売りの青年です。彼はどうやら、この街に久しぶりに
帰ってきたらしい。しかし、現実に広がるこの街に飽き足らず、
この街に潜む隠された姿、夢魔の世界をあぶり出そうとします。
この芝居のタイトルが『煉夢術』となっているのは、そういうわけです。
そして、具体的な行動として地図をカミソリで引き裂き、
この世界の裏側に潜む世界に観客を誘う。
どこからか聴こえてくるオルガンとか、赤い星とか、
思わせぶりなモチーフが登場しますが、詩的な雰囲気にいたずらに
飲まれることはありません。
要は、これらは幼少期を過ごした街に帰ってきた青年を劇的に
見せるための仕掛けです。青年は幼少期、赤い星の瞬く夜に姿を消し
やはり赤い星の輝く夜に帰ってきた。何とも激しく、ミステリアス。
次に登場した老婆は、そういった青年を識る者として語り、
青年の素性を匂わせます。
地図を引き裂いた後に現れた老人は、
夢魔の世界、静寂の中に眠れる街で唯一、動くことのできる存在です。
しかし、この老人もまた、青年と話すうちに石化し、動かざる者と
なっています。
・・・ちょっと抽象的なストーリー、登場人物です。
けれど、少し考えてみれば、上記が青年の心象風景として当たり前の
ものであることがわかってきます。
青年はとかくイラだつもの。
何者かになってやろうと意気盛んな若者(執筆当時の唐さん)に
とってみれば、街の人々が、平々凡々に甘んじて生きているように
思えるのが理解できます。それが、眠っている、止まっている、
石化しているという風に例えられている。
また、それでいて、この青年には街に対する強烈な郷愁があるわけです。
沈んだ難破船から聴こえてくるオルガンというのは、沈没したように
物言わぬこの街の底から聴こえてくる懐かしき響き。
小学校の教室で聴いたオルガンに他なりません。
私が唐さんのこうした書き方を面白いと思うのは、
これが当時の唐さんの偽らざる郷愁ったろうと考えるからです。
しかし、一方で、唐さんが実家を出たのは状況劇場を立ち上げた頃と
伺っていますので、つまり、23-24歳の頃に生まれ育った上野を出て
吉祥寺周辺で暮らし始めてから一年も経っていない。
しかも、吉祥寺と上野の距離感なわけです。
主観は自由です。が、ここまで極端だとそれが才能につながってくる。
冒頭、主人公が地図売りであるのも、唐さんの体験に起因しています。
東京オリンピックの開催に合わせて都市計画が進む東京で、新しい
地図への広告出稿を掛け合ったセールスマン生活がもとになっている
のは間違いありません。
抽象的に書いていますが、内実、かなり具体的です。
2場になると、地図売りからギター抱えた時計の修理屋になるのも、
自分は止まった街の時間を動かす存在だと表しているということでしょう。
けっこうダイレクトな例え。こんな風に読み解いていくなかで、
普通の青年と変わりない当時の唐さんの心象風景と、
後に発揮される才能の萌芽を読み取っていく。
今回はこういう読み方で展開していきます。
続きは、8/11(日)19:30。
2024年8月 5日 Posted in
中野WS『『煉夢術』
↑角川文庫として1976年にも出版された。
作品への愛着の証左ではないでしょうか
昨晩、『煉夢術』の本読みWSが始まりました。
『少女仮面』を経て、唐十郎が若かりし駆け出しの頃にどんな感性を
生き、不安を覚え、足掻き、未来を見出そうとしていたか。
青年期に皆が通り過ぎる頭でっかち、それでいて、やっぱりこれは
唐十郎の世界であるという萌芽も発見したいと思いました。
若書きで、沈鬱で、後に執筆する沸騰したような台本の数々の興奮には
及ばないかもしれませんが、唐十郎という人を最初期から追いかけ、
唐十郎に出合い直すという意味で、全6回をお付き合いいただけたら
嬉しいです。
昨晩は初回。まずは年譜を追いかけましたから、今日はそのレポート。
唐さんの20代前半はこんな感じです。
1962年3月末 明治大学を卒業
1962年4月以降 劇団青年藝術劇場 入団→退団
おそらく劇団退団後に地図売りのアルバイト
1963年7月状況劇場旗揚げ公演(試演会 No.1)
『恭しき娼婦』@明治大学 大学院ホール
1964年4月11日第1回公演『24時53分"塔の下"行は竹早町
の駄菓子屋の前で待っている』@日立レディスクラブホール
1964年6月2日第2回公演
『渦巻は壁の中をゆく(月光町月光丁目三日月番地)』
@新宿厚生年金会館 三階 結婚式場横
1965年2月6日
『街頭劇 ミシンとこうもり傘の別離』@西銀座・数寄屋橋公園
1965年2月24-25日第3回公演
『煉夢術-白夜の修辞学或いは難破船の舵をどうするか』
@六本木・俳優座劇場
大学を卒業して既存の劇団に入り、けれどもそこでは活躍できず、
退団して仲間たちと集団を作り、試行錯誤していく過程がよく
わかります。人生は一足飛びにいかず、試演会のサルトル作品は、
演目も上演場所も学生時代の延長線上にある。
第1回公演『24時53分〜』と第2回『月光町〜』はよく見ると
2ヶ月と間をおかずに公演していることに気付かされます。
短いものを連続的に手がけても鳴かず飛ばずで、翌年2月に
街頭劇を仕掛け、『煉夢術』に至ります。
それまでの唐さんの劇作は1本目が作品集にして13ページ。
2本目が19ページというところ。それが『煉夢術』になると
いきなり49ページとなり、分量としてみても唐さんが本格的に
執筆に乗り出した感があります。また、公演場所も、それまで
とは違って俳優座劇場を借りて、気張っていたのが明らかです。
25歳までに結果を出したい。そう思っていたのではないでしょうか。
私が唐さんから聞いたところでは、『煉夢術』を以って学生時代から
の仲間は去り、高かった劇場料の支払いに唐さんは四苦八苦した
そうです。大学を卒業して3年、世代は変わっても、若い劇団が
通り過ぎる分岐点として私も唐さんの体験に身をつまされた覚えが
あります。
内容はどんなか? それは明日にしましょう。
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です。