10/5 (月) 台風の記憶 特別編 〜 齋藤版

2020年10月 5日 Posted in 劇団員note

こんにちは。突然の登場失礼します。
舞台監督の齋藤です。


皆様、最近の中野さんの連載記事「台風の記憶」、読んでいただいていますか?

今日のゼミログは、まずこれらのの記事を読んでいただいてから、お読みいただけると幸いです。


9/29(火)台風の記憶④〜2012年6月『木馬の鼻』浅草花やしき

10/3(土)台風の記憶⑦〜2013年7月『夜叉綺想』浅草公演



さて、これらの記事、読んでみて、みなさんどう思われましたか?

明らかに以下のようなニュアンスが含まれていませんか?


舞台監督の齋藤が、疲れて寝てしまった(という小さな失敗をした)中野さんに対して、

(恨みを込めて)戦力外通告をし、(そのトラウマから)心配性を振りかざし、

劇団員を巻き込み、(大袈裟な)対策した結果、空振りだった。


カッコ内は僕が補足しましたが、

端的に言えば、あの男は「齋藤がスベった」というニュアンスで文章を書いています!!



これについて、僕は異議を申し立てたいのです。



なぜ僕が過剰なまでの防衛を見せたのか、なぜ中野さんに戦力外通告を叩きつけたのか、

全ての原因は、中野さんと二人で台風に挑んだ、あの夜にあるのです。


中野さんも知らない、あの夜の真相を僕から皆さんにお話しさせていただきたいと思います。



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(余談ですが、この時のテントはテアトロの表紙にもなりました。)




時は2012年6月19日。台風の接近が迫る、浅草。物語はその日中から始まります。


この日、台風対策に追われている中、中野さんからこんな提案を受けます。


「台風対策を万全にした上で、俺とお前で二人で小屋番をやろう」と。

「役者に負担をかけられない、それに作業はできないけど、俺も一生懸命やるから。」と。


まず、前提条件として中野さんは作業ができません。

風が強いからといって、ロープを縛ったりほとんどできません。

それでは不安だし、本当に何かあった時に対応できないので、もちろん反対しました。


しかし、僕が放った「本当に作業してくれます?」の一言に、

「やるに決まってんだろ。疑ってんのか?」

とちょっとムッとしながらおっしゃたので、

僕は「ああ、失礼なことを言ったな。本気なんだな。」と少し反省をしながらOKしました。

劇団員にも「全員帰って大丈夫、俺と齋藤がなんとかするから。」と、少しヒロイックに話していたことが目に浮かびます。


そう、結果これがシンプルな前フリであるということを知らずに・・・。


(つづく)



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