2/12(木)『ビニールの城』本読みWS 第1回 その③

2026年2月12日 Posted in 中野WS『ビニールの城』
『ビニールの城』。いよいよ物語のなかに入っていきます。

冒頭を読むと、まず、他の唐十郎作品との違いに気付かされます。
「幕」だけでなく「章」立てになっている。
私の知る限り、他に『煉夢術』や『少女都市からの呼び声』がわずかに
この形式をとっているきりで、稀です。

それが、なんとも文学的かつ、各シーンのリード文となって読むものを
導いてくれます。例えば、こんな一文。

第一章 何故、彼はそれを探す気になったか

第二章 覚めた彼がそこに見たもの


という具合です。
先日は第一章を読みました。
「腹話術人形」専門の質屋というべき中古屋があって、
主人公「朝顔」は8ヶ月前に相棒の人形「夕顔」を預けたと言います。

ここの「管理人」は、捨てだんだろう、と言う。
「朝顔」は、二人の冷却期間、距離をとって、それから迎えにきた、と言う。

この問答は平行線ですし、商売としてドライに人形たちを扱う「管理人」は、
どれでも良いからさっさと選んでくれ、というスタンス。
けれど「朝顔」は、口の中からニョキっと夕顔の花を咲かせるのが得意な
「夕顔」を探し当てるまで、譲りません。

まず、この「夕顔探し」が物語の太い幹になります。

次に、「一人の腹話術師」がやってきます。
彼は、「朝顔」とは対照的に、人形たちをただの商売道具と見なし、
ぞんざいに扱います。「朝顔」をそれに憤りますが、現実的には、
「朝顔」の方が厄介者のそしりを受けます。

やがて、「朝顔」の前に、この中古屋に眠る何十という人形が立ちはだかり、
「朝顔」を叱責します。すると、いつしかそれは電気ブランを飲んで酔っ払った
末の夢魔と知れ、舞台は神谷バーへと移行します。
第一回目の本読みはここまで。

ちなみに、初演の会場である常磐座は舞台の天井高がかなりあったために、
冒頭の「朝顔」と「管理人」は、はるか上空から、建物の底の底とおぼしき
人形置き場に降り立ったそうです。ステキですね。
何やら、『オペラ座の怪人』を想起させます。

次回は第二章から!

↓腹話術師がコントロールしているんだけど、人形が好き勝手に生意気を言う。
これが腹話術の王道パターンです。本人だけど本人じゃない。本人じゃないけど
本人。人形が本音を喋ってくれる痛快さ。『少女仮面』を経て掴んだ感覚です
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2/10(火)『ビニールの城』本読みWS 第1回 その②

2026年2月10日 Posted in 中野WS『ビニールの城』
『ビニールの城』に取り組む時、前段として押さえておくと理解しやすくなる
キーワードがあります。第1回の本読みでは、それらについてもお話ししました。

①浅草、常磐座、神谷バー、電気ブラン
②ビニ本
③J.デリダ『尖筆とエクリチュール』


①はすべて浅草関連です。
『ビニールの城』を初演した劇団第七病棟は、場所にこだわる劇団です。
そして、浅草、そのなかにある常磐座に照準を当てた。
面白いのは、当時の浅草が完全に賑わいを失っていたことです。

唐さんの幼少期、1950年代の浅草はすごかったわけです。
映画館と劇場が建ち並び、100メートル歩くのに30分かかった。
毎日がお祭りだった。

もちろん、現在の浅草もすごい。
スカイツリーの恩恵に一番預かっているのは、私の観る限り墨田区でなく
浅草を擁する台東区です。だって、スカイツリーがよく見える。
外国人観光客で溢れかえる浅草は、とっても隆盛しています。

が、浅草がこの間、ずっと賑わっていたわけではありません。
ビートたけしさんが描いた『浅草キッド』の頃(1960年代の終わり)には、
浅草の勢いは途絶えていました。私が大学に入った1990年代終わりの
浅草にも、「両さん」の世界は無かった記憶があります。

閑散とした浅草で、廃業寸前の、けれど、芸能の殿堂だった常磐座で
世間から取り残された腹話術師の物語を描く、というところに妙味が
あったわけです。「常磐座」がどんなだったか、渥美清さんが
ナレーションを務めるドキュメンタリーを、YouTubeで観ることができます。

「神谷バー」は今も大流行りの、浅草の名物バーです。
「電気ブラン」はそのスペシャリテ。ブランデーをもとに、他のお酒や
薬草が秘伝のレシピで調合されているそうです。飲むと「ビリビリ」
するブランデー・ベースのお酒。だから「電気ブラン」!


②ビニ本
「ビニ本」って、いまも新しく製造されているのでしょうか。
そう。『ビニールの城』のヒロインは、「ビニ本」の被写体モデルとして
働く女性です。

「ビニ本」について最近、知ることができるのは、Netflixのヒットドラマ
『全裸監督』です。村西とおる監督は、英語教材のセールスマンを
辞めた後、まずはエロ書籍の販売で頭角をあらわし、やがてアダルト
ビデオにたどり着きます。その書籍販売時代に扱った品物の一つが、
ビニ本でした。ビニールに包まれ、神秘のヴェールを帯びたエロ本、
すなわち「ビニ本」とは何か、その魅力をも、あのドラマは教えてくれます。


③J.デリダ『尖筆とエクリチュール』
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唐さんが読んで、この『ビニールの城』を着想した本です。
「尖筆」とは「とがった、極めて先の細い筆」のこと。

フランスの哲学者、ポスト構図主義の大立者の一人であるジャック・デリダ
が、ニーチェの著作に出てくる女性の描写について分析した本です。
当然、読むと難しい。正直に言えば、私はドゥルーズは理解できている
つもりですが、デリダの掲げる主題には関心が持てず、難しく感じるばかりです。

が、デリダの精読や理解自体は、『ビニールの城』にとって究極的には
どうでも良いと思います。それよりこの本の表紙を見てください。
胸も露わな女の人が剣の切先を突きつけられています。
ここに唐さんは、ビニ本のビニールを破く時の感覚を見出した。
これで充分なのではないでしょうか。

ついでに、デリダが基礎とした学問は「現象学」です。
「現象学」とは文字通り、「現象」について考察するものであり、
「真理」を問題にしません。なぜなら、「真理」は不可知だから。

人間が言葉でものを考え、認知する以上、世界やモノ自体を捕まえる
ことはできません。もちろん、真理を捉えることもできない。

つまり、人間は例えるなら、言葉という「膜」「オブラート」「色眼鏡」を
通してしか、世界を体験できません。でも、「わたしは真理に到達した!」
「絶対の体験をした!」という勘違いは時々、起こります。

宗教的体験、スポーツにおけるゾーン、薬物体験、そして「恋愛」も
この一種です。たいへんに美しく、幸せな「誤解」、「勘違い」です。
でも、体験している本人にとっては、それは「誤解」や「勘違い」でなく、
「真理」なのです。

転じて唐さんは、ある奥手な男が、世界と自分を隔てる薄い膜=
ビニールを突き破って、そのなかにいる女性そのものに近づき、触れ、
一体化できるかどうか、を物語にしたわけです。

まあ、このへんは理屈抜きでしょう。
理屈抜きの直感だから、唐さんはエラいのです。
『尖筆とエクリチュール』を読んで大真面目に「ビニ本の女との恋愛」を
構想する。見事です。ちなみに、表紙の絵の画家はルーカス・クラナッハ。


といったことを押さえたら、いよいよ物語のなかに入っていきます。
続きは、明日。

2/9(月)『ビニールの城』本読みWS 第1回 その①

2026年2月 9日 Posted in 中野WS『ビニールの城』
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↑劇団第七病棟を語る際、この本が第一級の資料です
リブロポート『オルゴールの墓 劇団第七病棟1976-1992』


昨晩から始まりました。
オンラインWS、『ビニールの城』の台本読みです。
唐ゼミ☆では未上演、ずっとこのオンラインWSにご参加くださっている
皆様のリクエストを受けて、初めてこの劇に本気で取り組むことにしました。
ですから、自分もまた、この戯曲の理想的な上演を追究するところから
始めます。

昨日の初回は、主に三つのことを行いました。

①初演団体である「劇団第七病棟」とは
②影響を受けたもの、浅草・常磐座・腹話術師・J.デリダ
③実際に第一章を読んでみる


まずは、唐さんがこの戯曲を書くきっかけとなった劇団第七病棟について。
飯島岱さん(制作)、石橋蓮司さん(俳優)、市来邦比古さん(音響)、
増山真吾さん(舞台美術)、緑魔子さん(俳優)、吉本昇さん(照明)
の7人が1976年に結成した劇団です。

この時に結成のマニュフェストとして出された「浮上宣言」に、この7名の
お名前が載っています。「あいうえお」順で序列が無く、表方(俳優)も
裏方(スタッフ)も同列の演劇人として名を連ねているスタイルが、
端的にこの団体のスタンスや志しを語ってくれます。
一般に「石橋蓮司さんが代表」「石橋蓮司さんと緑魔子さんの劇団」
という風に思われがちですが、厳密には違う、ということです。

前史として。

蜷川幸雄さん、石橋蓮司さん、蟹江敬三さんが中心、清水邦夫さんが
座付き作家だった「現代人劇場」、それから「劇団櫻社」に至る流れ。
(唐さんとの出会いは、1973年5月に櫻社が上演した『盲導犬』)

蜷川さんが東宝の仕事を引き受けることによって起きた、櫻社の解散。
蓮司さんたちが新たにつくろうとして頓挫した「風屋敷」。

を経て、上記7人が「劇団第七病棟」を旗揚げするに至った経緯について
私が知っている限りをお話ししました。

『ビニールの城』は同劇団としては第五回公演です。
旗揚げ『ハーメルンの鼠』、第二回と第四回公演の『ふたりの女』は
唐十郎作品。第三回公演の台本として『おとことおんなの午后』を
山崎哲さんが書いています。そんな風にして、全てが唐作品という
わけではないない、という話もしました。

2000年の『雨の塔』を最後に公演がありませんが、解散したわけは
ない!ということも強調しました。ちなみに私は、この『雨の塔」だけは
生の舞台を観ることができました。1999年の大学入学でやっと東京の
演劇を観ることができるようになった私には、それ以前の上演に立ち
会うことは無理でしたが、僥倖としましょう。

あとは、この劇団が持つ特異な創作スタイル。
廃墟のなかに、自分たちの専用空間を見つけてそれを数ヶ月間借り切る。
演劇界一線のスタッフたちが数ヶ月間、他のすべての仕事をキャンセルして
空間づくりから没頭する。多くの人たちを魅了してやまないのは、
こうした圧倒的な一途さに由来するのだという話をしました。

明日は、『ビニールの城』を書くにあたり、唐さんがヒントにした
浅草・常磐座、神谷バー・腹話術師・J.デリダについて書きます。