2026年1月22日 Posted in
中野note
今年、自分のたてた目標のひとつに、オペラ創作にきちんと立ち会う、
という項目があります。そのために、来月からピアニストの先生のスタジオに
行けることになりました。私がそのような目標を掲げていることを知った
周囲が、勧めてくださったのです。
こういうのは自分だけではなかなか腰が上がらないものですから、
言ってみるものだ、表明してみるものだとつくづく感じました。
その先生によれば、まずは自分の好きな作品をとっかかりにするのが良いと
いうことで、実際の舞台もたくさん観て、録音も何パターンも聴いて、
曲をよく覚えている作品ということで、パーセルの《ディドとエネアス》を
題材にしてくださることになりました。このあたり、すでに明伯楽の予感が
します。
そのようなわけで、ロンドンの本屋で勢いとカッコつけで購入した
スコアが陽の目を見ることになりました。あの時、読めもしないのに
買ってよかった。私が他に持っている楽譜といえばペルゴレージの
『スターバト・マーテル』で、これもいつかテキストにしてもらいたいものだと
密かに温めています。
こういう経験は、ロンドンに行く前に英語学習をした時以来だな、
と思います。あの時、うんと年下の先生でしたが、帰国後も交流する
くらいになりました。英語力ではなく、洞察力で滞在を乗り切ったことには
呆れていましたが。
ここにきて新たな扉が開かれるようで、ドキドキしています。
2026年1月21日 Posted in
中野note
今日は寒かった。朝に保土ヶ谷駅に向かう道に、雪さえ降っていました。
雪といえば、2005年3月3日に近畿大学でテント公演した
『少女都市からの呼び声』を思い出します。雪は劇の中身には
ピッタリでしたが、終盤に登場するオムツ姿の「フランケ醜態」が
痛々しかったのを思い出します。後にも、先にも、雪の中の公演はあれっきり。
2024年3月の『鐵假面』は、なんと雹(ひょう)に襲われましたが。
それにしても、昔、状況劇場時代の唐さんは、真冬のテント公演を
何度か行っています。記録を見ると、『アリババ』『少女都市』のテント公演は
12月ですし、例の新宿西口中央公園事件の、『腰巻お仙 振袖火事の巻』
は、なんと1月3日に起きた出来事でした。
機動隊も警察も、三が日からあんな強行上演をされて、
さぞ対応するのが面倒だったろうと想像します。
さて、今日は鎌倉→海老名→神田→東京を渡り歩きました。
途中、丸の内で1円玉を拾いました。これで、100玉連続記録が途絶え、
通常運行に入った感じがあります。目標の1,000円まで、あと699円。
寒い日は路面凍結にビビって、車でなく電車で移動します。
2026年1月20日 Posted in
中野note
↑これが、拾って募金した、持ち主さんがはっきりしている100円玉
自分はよくお金を拾う、ということにかけて、子どもたちの尊敬を集めています。
ロンドンでは合計35ポンドを拾いました。1年弱で5,000円以上拾った計算です。
今年に入り、まず100円を拾いました。横浜駅近くの歩道の脇に落ちていました。
それがきっかけとなり、一年の間に1,000円拾えるかどうかやってみようと
いうことになりました。1円や10円拾っても、なかなか手の届かない金額です。
難しいなと感じているうちに、専用の箱が用意されました。
ところが、翌日にまた100円拾ってしまったのです。
やはり横浜駅近く、相鉄ムービルの裏手に落ちていました。
朝、何百人という人が通学や通勤で通っているのに、なぜ自分がここに
来るまで拾われなかったのか、不思議でした。
が、こうなるともう200円で、かなりハイペースです。
で、さらに数日後、都内の駐車場でお金を払おうとしたところ、
また100円を拾ってしまいました。今年に入って100円しか拾っていない。
こんなことはかつてありませんでした。その時点で、300円。
そして今日、もっとも不思議な拾い方をしました。
横浜のシルクセンター近く、水町通りの歩道を歩いていると、2車線道路の
反対側から、チャリン!チャリン!とコインが勢いよく転がる音がします。
音を捉えつつ立ち止まると、その100円は自分から1mほどの車道で
止まりました。顔を上げて反対の歩道を見ると、あんちゃん風の男性が
歩き過ぎていきます。彼は私にこう言いました。「いらない!いらない!」。
思わず「いらない?」と訊き返すと、彼はもう無言であっちのほうに
行ってしまいます。自分は100円拾って、けれど、これを400円目にする
気にはなれませんでした。持ち主がわかりきっているお金というのは、
どうにも収まりどころが悪い。そこで最寄りのコンビニに行き、募金箱に
投入しました。
ですから、現在300円です。あと11ヶ月と10日で、700円拾えるか。
2026年1月19日 Posted in
中野WS『アリババ』
↑本当は、初めて『アリババ』が掲載された三田文学 昭和42年6月号
(1967.6)を底本にしたいところですが、未入手。そこで、その次の掲載、
1970年1月刊行の『謎の引越少女』をもとに作った台本を取り上げています
いよいよ『アリババ』本篇に入っていきます。
冒頭、若い男女がいて、なぜか自らの足をひたすらに慈しむ男に面食らいます。
名前を「貧子(ひんこ)」「宿六(やどろく)」という、実にしみったれたキャラクター名
です。
が、ト書きをよく読むと、畳もくたびれ、食べかけのラーメンが残る貧しい
暮らし向きのなかに、真新しい蛍光灯や、桜の造花があって、若者たちが
望みを託した新生活であることを物語ります。
どうやら、若夫婦のお話である。そういうことがわかってきます。
劇が始まるとすぐに、「宿六」の語りが始まります。
雨の日に、馬のいななきが聞こえた「宿六」は、馬を追って東京都内を
駆け巡ります。アスファルトの上を裸足で走り、高速道路の上を裸足で走る。
しかも雨のなかを、びじょびじょに濡れながら走る。
劇は「宿六」主観で進行し、やがてその馬が、「貧子」さんとの間にできて、
生まれてくることのなかった子どもの存在をほのめかしていることがわかって
きます。ただし、「貧子」さんはあまりそれを、気にする様子がありません。
「宿六」は、世間が見る目も気にせず、それどころかそれを楽しむように
駈けていきますが、雨に打たれながら涙を流したりするのは、そういう
心象風景だからです。彼が駆り立てられていることが、だんだんわかって
きます。
他方、「貧子」さんは「宿六」を夜の営みに誘いかけたりもしますが、
「宿六」は馬が気になって仕方がない。というところで、謎めいた老人が
現れる。
昨晩はここまで読んで終わりました。
若き唐さんはわざと抽象的な書き方をしています。
けれど、堕ろしてしまった子どもが心に引っ掛かる、という景色は、
同棲生活を送る若者たちの生活として、かなり具体的な状況でも
あります。「アスファルト」「高速道路」「新幹線」が整備されていく
時代を背景に、唐さんが『アラビアンナイト』の有名な一節である
『アリ・ババと40人の盗賊』を絡めて、どう飛躍しようとしたのか、
そこを分けて考えれば、スッキリとした物語としてこの『アリババ』が
見えてきます。
2026年1月18日 Posted in
中野WS『アリババ』
↑第一回 東京オリンピックのビジュアル、改めて優れています。この時代!
昨日の『下谷万年町物語』対面リーディングWSから一夜明け、
今日から『アリババ』オンライン本読みの第1回目です。
両方参加していただける方にはハイペースすぎるかな、と実感しながら、
一方で、万年町で育った青年時代の唐さんが初々しく書いた台本、
それが『アリババ』ですから、理解にはスムーズだな、と実感しながら
オンラインに入っていきました。
『アリババ』が初演されたのは1966年。唐さんが26歳の時です。
紅テントを発明するのは翌1967年のことで、まだそれほどの注目が集まって
いない。けれど、『ジョン・シルバー』を経て、唐さんが唐十郎として覚醒する
前夜の作品です。実際、ご本人も手応えがあったのでしょう。
第3作品目の『煉夢術』までとは異なり、『ジョン・シルバー』『アリババ』は
その数年、再演を重ねています。
今日は初回なので、作品の背景の話をしました。
1960年代は、東京と日本がものすごいスピードで変わっていく時代です。
1964年の東京オリンピックは街を変えました。
道路のアスファルト舗装が進み、高速道路と新幹線が整備される。
『ALWAYS 三丁目の夕日』が1958年の物語ですから、そういう変化や勢い
を想像してもらいやすいと思います。
また、唐さんの個人史としては、大学を卒業したのが1962年。
劇団青年芸術劇場に所属するも一年足らずでこれを辞め、
シチュアシオンの会から状況劇場に至る自前の劇団をつくりました。
といっても、当時の唐さんは俳優のみを志向していました。
サルトルの『恭しき娼婦』で旗揚げしますが、その後に作品を描き始めた
のは、創作意欲かられて、というよりも単にやるべき作品を作るしかなかった
からです。
そうこうするうちに、唐さんは実家を出て中央線沿線に暮らし、
"同棲時代"を開始します。すると、当時の若者の多くがそうであったように、
人生の主題のひとつが、「望まぬ妊娠」「中絶手術」「堕胎児」になるわけ
です。実際、唐さんは20代を通じて「堕胎児」を主題にした作品を何本も
描きました。『煉夢術』『アリババ』『腰巻お仙 忘却篇(1966)』
『腰巻お仙 義理人情いろはにほへと篇(1967)』
『腰巻お仙 振袖火事の巻(1969)』がそれです。
最後にわずかに「堕胎児」が登場するのが、私のみるところ『吸血姫(1971)』
ですが、これはメインのテーマとはいえません。
ひとつの推論としては、ご子息である大鶴義丹さんが1968年4月に生まれた
のは大きかったと思います。人生の関心が、生まれてこなかった子どもから
生まれてきた子に移るのは自然なことです。
1969年12月に初演した『少女都市』で主人公「田口」が健康保険を云々
するのは、そういう事情と思われます。鬼才・唐十郎といえども人間であり
生活もあるわけですから、自分のおかれた状況に応じて切実な関心事は
変わってゆきます。それは、決して同時代の多くを生きる人々と大差無く、
けれども、そこは"唐十郎"ですから、作品のなかでの現れ方がやっぱり
独特なのだ、だから唐十郎なのだ、というお話からスタートしました。
長くなったので、続きは明日!
2026年1月17日 Posted in
中野note
今日は先週から続く『下谷万年町物語』の最終日でした。
3日目の目標は集大成として通しで読むことです。
そのための準備を、今回はこれまでよりもさらに念入りに行いました。
まず、先週2日間でせりふを振ってきた方々のなかに今日だけお休みされる
人がいたので、代理で誰に読んでいただくかを指名していきます。
そうすると、新しく振られた方はぶっつけで通し稽古になってしまうので、
そうはならないよう、一通り復習を行いました。ここでの調整作業がかなり
重要です。他の方が読んでいたとはいえ、内容自体は先週の段階で
皆さんの頭に入っているわけですから、その上で、細かいところを
詰めていきます。
例えば、会話のなかで、相手役から受け取るせりふの中に、
特に自分の琴線にふれるひと言があります。このせりふを受けると自分の
状態が変わる、という箇所は特に念入りに押さえて、その変化をくっきりと
浮かび上がらせるようにします。そうすると、物語の進行が分かりやすくなる。
あるいは、合いぜりふのところは、お互いのボリュームや高さを聴き合って、
それをどう発展させるかを考えます。まず聴くこと、影響を受けること、
そこから、これから自分の発するせりふの音量・音圧・高低を判断する
訓練をします。
さらに、自分が語ろうとしていることのビジョン、言葉の一つ一つが
語りかける対象をはっきりさせます。そして、自分がどう表現するかでなく、
相手にどう受け取ってもらうかを重視して、せりふを言うようにしてもらいます。
相手に正しく影響を与え、相手からの影響を正しく受けているか、
それらをチェックして整えていきます。
これらの調整に2時間半を使いましたが、結果、かなり成果が出ました。
それには、これまで対面で行ってきた『唐版 風の又三郎』と『少女仮面』より
この『下谷万年町物語』のストーリーがよりシンプルであることも、
ひと役買ったように思います。
皆さん、内容をよくわかって、お互いを捉えながらやり取りしてもらった
手応えを得ることができました。特に通し稽古前の調整は、普段の
舞台づくりと同じように練り上げました。
参加してくださった皆さんに感謝します。
2幕は4月下旬にやりたいと構想しています。
ヒロイン「キティ飄田」が活躍しはじめると、この劇は跳ねます。
皆さんにたのしみにしていただきたいし、自分も期待しています。
『下谷万年町物語』。数ある唐十郎作品のなかで、やはり自分のもっとも
好きな劇です。
2026年1月16日 Posted in
中野note
昨晩から、明日の『下谷万年町物語』1幕の通し本読みに備えています。
具体的には音響を用意するのですが、最後にこの劇を上演したのは
2010年。古いデータなのでどうしてもバグが起こりまくり、押し入れに入って
いるCDケースを引っ張り出し、元はどれだったかと探したりして、夜中まで、
早朝から四苦八苦しています。
今日は打合せと急なお届け物で都内と横浜を2往復しました。
横浜に帰ってきたと思ったら、急いでチラシやチケットを届ける案件が生じ、
こうなれば郵送うんぬんをしていたらかえって手間だと、車で届けることに。
やれやれ。が、昨日に話題にした燃費は、すでに21.2km/1ℓまで回復しました。
車は少しずつ衰えてきているでしょうが、こちらの乗り方次第で、まだまだ
活躍してもらえると実感しています。
そのようなわけで、車中で長い時間を過ごしました。
くたびれた時によく聴くのは、講談の人間国宝、神田松鯉先生の
『河内山宗春』です。具体には『玉子の強請(ゆすり)』という演目で、
これは何度聴いても飽きずに痛快で、なんとなしにリピートして
しまいます。
松鯉先生は明晰かつ朗らかで、どこかコミカルです。
だから、聴くにやさしく、何度でも聴いてしまう。
以前から、いつか生で聴いてみたいと思っていたので、ひょっと思い立って
浅草演芸ホールに寄りました。お正月寄席なので入れ替わり立ち代わり、
10分ちょっとの時間ですが、初めて生で松鯉先生のお話を聴くことができ、
温かい気持ちになって帰ってきました。
会場は浅草演芸ホール。この辺に瓢箪池があったのだ、などと思いつつ。
2026年1月15日 Posted in
中野note

いつも車の燃費が気になっています。
燃費が落ちると自分まで衰えたような気になるし、
上がるとこちらまで元気になります。
自分の運転生活は常に燃費との格闘です。
ロンドンから帰ってきた時、自家用車の燃費は23.0km/1ℓほどでした。
渡英以前に乗っていた中古車に給油回数が激減し、ハイブリッド車の
威力を思い知ったものです。
そんな愛車を駆ること3年。走行距離も85,000kmを超えました。
燃費も少しずつ減ってきています。
自分のこれまで印象では、市街地を走っていると燃費は下がります。
それに比べて、高速道路に乗ると燃費が上がる。
単純にそう思ってきました。
ところが、この年末年始に初めて名古屋に車で帰省してみて、
必ずしも高速道路が良いわけではないことを痛感しました。
特に、往路。元旦未明に新東名を調子に乗って飛ばした結果、
なんと燃費がみるみる下がったのです。
21.3km→21.0kmになり、たいそうショックを受けました。
そこで悟りました。急激なアクセルは車に悪いと。
スピードを出して、それを維持すれば良いわけではないと。
結局、横浜に戻ってきてから燃費は20.9km/1ℓまで落ち込みました。
以来、アクセルもブレーキもなるべく急激に踏まず、
やさしくやさしく運転するよう心がけています
たとえ80km出せる高速道路に乗っても、場合によっては
70kmくらいを維持するようになりました。
無理なく徐々にスピードに乗る場合は、その限りではありません。
そうしてやっと、燃費は21.1km/1ℓまで回復してくれました。
あと2年は、大事に大事に乗りたい。今日はホッとしながら、
心からそう思っています。
2026年1月14日 Posted in
中野note
『下谷万年町物語』のヒロイン「キティ飄田」はたった5行の文章から生まれた、
と単行本のあとがきにあります。
唐さんも個人的に親しかった種村季弘さんの著作に『書物漫遊記』という
一冊があり、そのなかに「逃げた浅草」という一章があります。
そのなかほどに、たった5行。
それから数年後のことになるが、半年程の間ながら私は集中的に浅草に通い
つめたことがある。
東洋劇場に出ていたキティ福田の、ヒロポン中毒でみるみるうちに肉が殺げて
いく真白な身体を胸の痛くなるような思いで見つめていた。そしてキティ福田が
ガス自殺を遂げると、それが合図のように、六区に足が向かうのを避けた。
たったこれだけの記述から、唐さんがあれだけのせりふと、
人間のバックグラウンドと、「文ちゃん」や「洋ちゃん」との数知れない
やりとりと、道行きを書いたのだと思うと、思わず天を仰いでしまいます。
そして、ふたりに共通する報われなさとやりきれなさに、ああいう
エンディングを用意して彼女を蘇らせた唐さんの願いを感じます。
今は絶版ですが、中古の文庫を取り寄せてよかったと思わせてくれる
5行でした。
2026年1月13日 Posted in
中野note

↑自由席の先頭。机も広く仕事がはかどります
今日は朝早くに横浜を出て、岡山までを日帰りしました。
ママカリ、さわら、きびだんごを完全スルーし、目的地と打合せのみの
さっぱりとした出張でしたが、行き帰りの新幹線が合計約6時間。
これは、なかなか充実して過ごすことができました。
第一に、特に行きの電車は指定席が満員だったらしいのですが、
好んで買った自由席には余裕がありました。高校を卒業して新幹線を
何度も利用するようになって以来、自由席が好きです。
現在ののぞみは1-2号車のみ2車両の自由席となってしまったことを
今回の移動で知りましたが、のびのび過ごすことができました。
それというのも、今度の土曜日に備えて、『下谷万年町物語』の
音響新プランを完全に立てることができたのです。
いま考えれば、唐ゼミ☆で上演した2回の公演は、ニュアンスにおいて
捉え方を間違えていたと反省する箇所がいくらもあり、今回やっと
それを正して作品を活かしきったプランになりそうです。
特に1幕は平明なので、音楽は少なめ。効果音は、もっと増やした方が
いいと、つくづく感じました。
また、人から勧められて辻邦生さんの文章を読んでいます。
日本人なのになんでわざわざ外国人名の登場人物ばかり出てくる
小説ばかり書くのだろう、とこれまで直感的な反発を抱いてきた
辻さんですが、かなり集中して世界に入っていくことができるように
なりました。
これはあるいは、以前の自分に比べ、4年前の研修のおかげで
ヨーロッパが身近に感じられるようになったからかもしれません。
その割に、新幹線のなかで隣り合わせた外国人の英語の質問が
ぜんぜん聞き取れず、何度も聞いてイエス、イエスというのが
せいぜいだったのが残念でした。
そういえば、高校2年生の時に、辻邦生さんの『ポセイドン仮面際』
という劇を上演したことまで、思い出しました。
いまから考えれば、あれは誰のチョイスで、なんだったのだろうか?
近く、久々に読んでみようと思います。
現在位置は、
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です。