第34回公演『ベンガルの虎』公演情報 公開第一弾
3/31(火)『ビニールの城』本読みWS 第8回
↑コロナ禍では、舞台の映像配信をよくやりました。その中で、
ずいぶんお世話になったのが携帯用のビニール・パーテーションです。
「モモ」が、どうにか一緒にいて欲しいと「朝顔」にお願いするために
用意した道具に似ています。こうしたものを設置しながら、よく
『ビニールの城』みたいだな、と思ったものです。
先ほどまで、稀代の必殺シーンをやりました。
静かな興奮が、余韻として残っています。
『ビニールの城』オンラインWS第8回の主眼は、
水に沈んだ人形「昼顔」を「朝顔」が救出した後に訪れる
カミヤバーでの「モモ」と「朝顔」の会話です。
「朝顔」が身体を酷使した後の朦朧とした疲れのなかで進行するシーン。
下記に引用します。
モモ あなたが嫌いです。
バシンとくの字の銃をまっすぐ戻す。
モモ あんたが恐いほど嫌いです。あんたが、本当はあたしが
嫌いなように、今では、あたしも嫌いです。ムシズが走るように。
開けて、汗まみれの動物の匂いがたちこめるのが嫌なように、
冷たいその目が嫌いです。
銃口をビニールを越した朝顔に向けている。
朝顔 空気銃なんか恐くないです。皮一枚にめりこむだけだし、
ただこのデンキブランは、射たんで下さい。(そのカップを摑んで
立ち上る)これは、人形たちにおごってもらったもんだから。
モモ そのデンキブランも嫌いです。
・・・・・・
このダイヤローグは、ふたりの頂上決戦とも言えるものです。
大声を張り上げるようなやり取りではありません。
内省的に抑えて静かながら、ヒタヒタと複雑な胸中が行き交い、
すれ違い、お互いに好意を持ちながら別離して行かざるを得ない
もどかしさが、このやり取りの味わいです。
前段として、「モモ」はビニール製のパーテーションを持ち出します。
「ナマ」や「動物の匂い」が嫌いな「朝顔」も、ビニールに包まれた
ビニ本の自分とは暮らせたわけです。だから、実際の生身の自分とも
間にビニールのパーテーションがあれば一緒にいてもらえるのでは
ないかという、彼女なりの必死の懇願がここに見て取れます。
が、ふたりはどうしようもなく決裂し、空気銃は打たれ、電気ブラン
のグラスが割れてしまいます。(せりふに集中しながら、これだけの
仕掛けをこなす俳優は、かなり大変です)
そして別離。最後に、「モモ」が「朝顔」の相方である人形の
「夕ちゃん」を手にいれ、ねんねこのなかに隠していたことが知れて
エンディングに入る手前で、今回の本読みを終えました。
WSに参加してくださっている皆さんの中には、このシーンのファン
が多くて、熱心に思い入れを語ってくださいました。
私自身、正直を言えば、こういう男女の愁嘆場が苦手なのですが、
それでも引き摺り込まれてしまう吸引力がありました。
いくつかの上演を見た時よりも、こうして読む方が、その魅力に
痺れました。
次週、あと一回の本読みで『ビニールの城』を完結します。
次回は4/5(日)19:30から。
詳細はこちら
↓
3/30(月)全く役に立っていないらしい
3/29(日)春がく〜れば思い出す〜/津内口
3月も終わりに近づいてきました。
この時期になると思い出すのが、2年前の『鐵假面』公演です。
今年は比較的暖かくなるのが早く、もう桜も見頃を過ぎ始めたところですが、
2年前の今頃、私たちは寒さに打ち震えていました。
仕込み中は暖かかったのです。
テント建ては力仕事ですから、よく動き、軽く汗ばんで、アイスコーヒーを飲んだ記憶すらあります。
太陽がしずめばもちろん冷えますので、太陽の偉大さを身をもって体験しつつ、
もしかすると公演中に桜が開花するかなあ...なんて、少しばかり期待しておりました。
現場入りすると、天気予報のチェックが日課になります。
週間予報はもちろん、雨雲レーダーまでもを駆使し、
雨予報があれば濡れたら困るものを屋根あるところにしまい込み、しまえないものにはビニールをかけ、
風が強いらしいとなれば、飛んでいってしまいそうなものを内部へしまいながら、
はためきそうなテント幕をロープでおさえる。
そんな私たちですので、初日の雨予報ももちろん想定済み。
昼過ぎにぱらついてきた雨を眺めながら、テントの中でお弁当を食べ、来るべき本番に備えておりました。
一旦雨はやみ、太陽もでてきて、良い雲行き!と衣装に着替え、お客さんが集まり始めた頃、
突如として空が暗くなり、大雨が降り始めました。加えて雷。強風。
冒頭のシーンでもし雨が降ったら、傘を差してでてやろうなどと事前に考えていたプランもありましたが、
そんなことをしたところでどうしようもない勢いの雨でした。
強風にあおられた受付ではまるで競輪場のようにチケットと1000円札が舞い、
乞食のファッションショーで松本くんが着ていた袖無しカッパがいつになく魅力的に見えました。
こうなるともう、笑うしかありません。だってやるしかないのだもの。
トップバッターで舞台にでたら、お客さんも笑っていました。(有難かった)
雨で濡れた舞台の2階で滑って落下を覚悟したり、(落ちなかったけど)
劇中で投げる泥団子が雨でただの泥に戻りやしないかと恐れたり、(全然大丈夫だった)
吐く息は白く、真夏の思い出を語るシーンですら奥歯が震えました。
いろいろなことがありました。よく覚えていません。
そんなことをこの時期になると思い出すのでした。
これはこれで良い思い出だけれど。
今年の10月の公演は、良い気候であることを切に願っています。
(荒天になる前のエントランス。このあとひどい目に遭うことを知らない)
津内口
3/28(土)公開稽古と行李大集結
3/27(金)無視できぬ蕎麦屋
3/26(木)フェンシングの場面が面白かった試しはあるか
3/25(水)こういうメロディなんだ
3/24(火)京都の山に登る
↑学生時代、水曜日は夜中まで稽古して唐研究室で寝た。
9:30頃に室井先生がやってくる。先生のおやつ用のチョコを巻き上げて
コーヒーを飲み、唐さんが10:00過ぎにやってくるのに備えた。
14:40から通し稽古。毎回、異常に緊張していた。
今日は、3年前に亡くなった室井先生の誕生日。
そこで、京都の大文字山に登り、先生を偲んできました。
行きの新幹線では、V.フルッサー『写真の哲学のために』の、
長すぎる解説を読みました。
文章のなかの室井先生は相変わらず、
(1)現在が文明の転換点であること
B.C.1500 ビジュアル→文字 A.C.20世紀末 文字→再ビジュアル化
(2)写真というかなり装置(システム)寄りのメディアにおいてすら、
主体性と自由が発現できる
ことを畳み込むように叫んでいます。
当たり前ですが、室井先生は愚直なままです。
自分は(1)には懐疑的です。
2026年になったいまも室井先生は同じように言えるかな?
自分の生きる時代を歴史の転換点だと思いたがるのは、
単なる自己愛ではないだろうか。
他方、(2)は気になるし、はやり切実な問いと希望です。
"自由"の問題だからです。
そして、帰りの新幹線のなかでつらつら考えます。
今の私の日々の営みを見て、
社会人としての室井先生は、「お前は偉いな」と言うでしょう。
が、美学者としての先生は、自分を許さないとも思います。
もちろん重要なのは後者です。
室井先生は自分を棚に上げるところがズルいし、厄介ですが、
これはもう仕方ありません。闘うしかないな。
亡くなっているんだから無視できそうですが、無視したくないのだ
と今日、自覚しました。こうなれば正面戦だな。オラァ!
3/23(月)『ビニールの城』本読みWS 第7回
昨夜は『ビニールの城』オンラインWSの第7回。
二幕中盤で、「朝顔」が水槽のなかに飛び込み、人形「昼顔」を救う
くだりを読みました。今日はそのレポートです。
まず、前段のシーンで体を張った「リカ」の苦労があっさりと台無しに
なるところが、どこかコミカルです。「河合」「引田」の奇術師コンビに
よって、「リカ」が救った「昼顔」は再び水槽のなかへ投じられます。
残酷に違いない場面ですが、どこかご都合主義的で笑わせもします。
だって、「昼顔」が助け出されてしまっては、「朝顔」の見せ場が
無くなってしまう!
ここから、「河合」「引田」の「朝顔」いびりが始まります。
これが面白い。初め、「河合」のいじめを「引田」は「まあまあ」と
止めます。が、それは表面上のこと、ほんとうは「引田」の方が
「朝顔」に恨み骨髄です。
家庭を壊されてしまった「夕一」、「引田」は彼の叔父さんですから、
かわいい甥っ子の仕返しを「引田」がする。この、回りくどさが
とっても芝居味が濃くて、味わい深い。ネチネチとしたいじめは、
舞台上では大いなる魅力なのです。
ここで、「鳥丸」「水丸」「糸丸」の腹話術師3人が、「朝顔」を
味方し始めます。「引田」「河合」の所業が酷すぎる。
それで、仲良く無かったとはいえ、同業の「朝顔」を擁護し始めます。
こうして、「朝顔」を挟んで、敵・味方に別れた5人がやいのやいの
やるわけです。
冷静に見れば、水槽の深さは高々1.24m。
初演時に「朝顔」を演じた石橋蓮司さんは長身ですから、
実は何でもない深さです。しかし、本人がかもし出す切迫感、
周囲の5人が巻き起こす激しい対立が、水槽のなかの人形を救う
という、実は大したことない行為を崇高の高みにまで押し上げます。
「朝顔」が、あらかじめ水中メガネや水泳帽も用意していた、
というギャグもまじえながら、この大ジャンプは決行されました。
「リカ」以上の気迫を見せた「朝顔」!
続きは来週3/31(火)に行います。
