10/9(木)新たな資料

2025年10月 9日 Posted in 中野note
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最近見つけた新たな資料です。現代詩手帖1969年4月号。
これに、『腰巻お仙-振袖火事の巻』が収録されていると気づき、
さっそく購入しました。

すぐに届きましたので、開封してパラパラとページをめくっています。
精緻に比べたわけではありませんが、この時点でも、
「三幕」と「四幕」にタイトルが付いていることを発見しました。

三幕 我が家
四幕 袋小路病院の一室

というわけです。
この演目については、真の初演である新宿西口中央公園事件が
1969年1月3日のことですから、それから数ヶ月経っての掲載です。
ちなみに、改めて単行本に収録されたのが1970年3月5日出版。
『少女仮面』という書籍です。

それにしても、「詩」への憧れを強く持ち、詩人と自分については
『ジャガーの眼』に見られるように自虐的なことばかり言っていた
唐さんのことですから、現代詩手帖への掲載は、大きなよろこび事
だったに違いありません。

唐さんがひとつひとつデビューし、成功していった。
雑誌の表紙を眺めていると、そういう唐さんの実感を想像してします。



10/8(水)久々の秦野へ

2025年10月 8日 Posted in 中野note
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↑お土産は豆峰商店の落花生

今日は早朝から事務をし、午後から秦野市に行きました。
打合せを終え、そばの銘店 石庄庵にも行く。

秦野市といえば、かつて2018年3月に野外公演を行なった場所です。
演目は山﨑正和さんの『実朝出帆』。
源実朝公は鎌倉の鶴岡八幡宮で討たれたあと、御首を辱められまいと
した心ある配下によって、この秦野市までその首を匿われたという
伝承があって、実朝公御首塚があります。
その目の前でこの芝居を演じるという趣向でした。

初春の寒さがある野外劇でしたが、各回、300名を超えるお客様が
来てくださって、幸せな芝居でした。
何より、野外活動センターという施設で組んだ合宿がおもしろく、
地元の野菜などを買ってきて行なった炊き出しが豊かで、
栄養価が抜群だったことを身体が憶えています。

あの頃から、秦野が好きになり、度々来ていましたが、
石庄庵のあたりまで来るのは久しぶりで、その涼しさ、虫の声の
美しさに感激しました。

現在では、インバウンドのお客様も増えて、なかなか大変なことも
多いそうですが、蕎麦屋激戦区の秦野のなかで抜きん出た存在
だからこそです。

県民ホールの県域展開があるので、また度々やってくることに
なります。道路がすいていれば横浜から車で約1時間ほど、
まったく苦になりません。

10/7(火)『お化け煙突物語』本読みWS 第8回-最終回 その②

2025年10月 7日 Posted in 中野WS『お化け煙突物語』
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↑2006年春の唐ゼミ⭐︎公演より(写真:平早勉)

昨日の補足です。
エンディングのあり方について、詳しくご説明します。

全体にストーリーとしては分かりやすい『お化け煙突物語』において、
いきなり難解なのが最終シーンです。

なぜ、「探偵・金田」は傘で「カイ」を刺すのか。
それによって、「カイ」は息も絶え絶え、死んでしまうのか。
唐突にそういうシーンがやってきて、読む者、観る者を困惑させます。
惹かれ合う者同士がどうしてこんな凶行におよぶのか。

これについて考える時、まず大切なのは、次の要素において
一見すると凶行にみえる二人の行動がポジティブに捉えられる
ことです。

・動かなかった「金田」の手が動く
・前シーンで「カイ」の胸に浮かび上がった蜘蛛の紋様に血が通い、
精気をおびる

要するに、二人の体のパーツのうち、エネルギーを失っていた
「金田の手」「カイの蜘蛛」が甦る復活劇がここで起きています。
さらによく読むと、この最終シーンで次のことが起きてます。

・「カイ」が久々に、「金田」に対して必殺の流し目をあびせる
・「カイ」のベッドがトロッコとなって動き出し、「金田」はその
トロッコを追うことを決意する

というような事柄からしても、このシーンは刃傷沙汰であるにも
かかわらず、あくまでもハッピーエンドなのです。

ということを最後に念押ししたくてこれを書きました。
正直、2006年に唐ゼミ⭐︎でこれを公演した時には盲滅法に
上演するばかりでしたが、今ならこうして確信が持てるように
なりました。これで『お化け煙突物語』を終えて、次回から
『木馬の鼻』に取り組みます。





10/6(月)『お化け煙突物語』本読みWS 第8回-最終回 その①

2025年10月 6日 Posted in 中野note
昨日は『お化け煙突物語』オンライン本読みの最終回でした。
その内容をレポートします。

おさらいすると。
この物語は、主人公「江ノ島カイ」を中心に進んできました。
「玉の井の女郎蜘蛛」とあだ名された娼婦「ツレちゃん」を養母
とする「カイ」は、亡き「ツレちゃん」の遺品を求めて、鉄道病院に
やってきていたのです。「ベッド」「行李」「野呂松(のろま)人形」
という3つ、目的の遺品です。特に「野呂松人形」は重要で、
この人形は娼婦の仕事を見守り、苦界に生きる娼婦たちの心を
清浄に保つ品であるという語られ方をしてきました。

さらに、「カイ」自身は娼婦にならず、ダイカスト・メッキ工場で
働き始めたわけですが、彼女の研修を指導した先輩「金田」と
事故に遭い、お互いの手に傷を負ったことに運命を感じてきました。
「カイ」の手には「蜘蛛」のような赤黒いアザができ、金田の手は
動かなくなりました。やがて金田は工員をやめ、さえない探偵と
なった。

一方、この物語で敵役である「盲人たち」は、戦後の日本を
支えた鉄道関係の労働者として、「お化け煙突」に慰めや癒しを
見出してきました。

が、「大塚の母」が商ったメチル・アルコールの影響で失明し、
大好きな「お化け煙突」を眺めることができなくなった。
そうこうするうちに煙突は解体されてしまった。

だから、さらなる「慰め」を求め、かつて「ツレちゃん」の
お世話になった彼らの矛先は「カイ」に向かうわけです。
「蟬丸」をリーダーに、「カイ」に「慰めてくれ!」と迫っている。

ここまでが昨日の最終回に至る前段です。
で、これからが昨晩に読んだところ。

「盲人たち」にはがいじめにされた「カイ」の前に、
「野呂松人形」が現れます。この「人形」の前で慰められることを
望む「盲人ら」はよろこびますが、すぐに人形は壊されてしまう。

それは、この劇の一幕で「カイ」を男性と思って恋し、
乙女心を引き裂かれた「本間玲子」の仕業でした。
復讐に燃える「玲子」と、妹の剣幕におどおどする「姉」の出番が
こうして最後にやってくる。

「人形」の前で慰められるという希望が絶たれた「蟬丸」は
激怒してさらに暴力的になりますが、ここで、手の動かなかった
「金田」が飛び出し、鋭利な傘で「蟬丸」の喉を突きます。

「金田」は殺人を犯してしまったと悲嘆に暮れ、「カイ」は「金田」に
一緒に逃亡するよう誘います。が、その誘いを非現実的として退けます。
二人の足並みは揃わない。

ところが、ここで「蟬丸」が復活します。
彼は戦後の生活の中で異常なまでの垢に包まれた肉体を持っており、
その垢で傘の威力を吸収、「蟬」らしく脱皮して「カイ」に迫ります。

と、ここで、帰ってきた「大塚の息子」が、「盲人たち」に視力が
無いのを利用し、警察を連れてきたような振りをして、「蟬丸」らを
撃退してしまいます。

「姉妹」も「盲人たち」も「大塚」も「母」もいなくなった舞台で、
「カイ」と「金田」は語り合うも、やはり二人の歩調は揃いません。
今度は「カイ」が別れを望む。

すると、「人形の首」が動き出し「カイ」に語りかけます。
これまでカイは、自分のことを他人に色目を送って慰めるばかりだと
思ってきました。しかし、「ツレちゃん」はずっと「カイ」を
見守ってきたのです。誰かに見られてきたことを「カイ」は実感する。
その表れとして、「カイ」の背中には「ツレちゃん」から引き継いだ
「女郎蜘蛛」の紋様が広がっていきます。

気づくと、「カイ」は玉の井の娼婦となっていました。
女衒の「男」に管理される辛い生活です。お店の屋号は「江ノ島屋」。
この劇で起こってきたことは、すべて娼婦の生活のなかで見た
夢のようでもあります。

しかし、厳しい現実を突き破るように「探偵・金田」はやってきました。
「カイ」に順番待ちする「客たち」を押し除け、動かなかった手を動かし
「カイ」を傘で刺します。すると「カイ」に宿る「蜘蛛」が血が通い、
精気を帯びます。「カイ」の必殺の色目は復活し、再び「金田」はその
視線に射られます。江ノ島屋のベッドが動き出し、再びトロッコと
ともに世界に飛び出す「カイ」を、「金田」は追いかけ始まる。
というエンディングでした。

・・・あらすじをまとめるのにかなりの分量になったので、
明日に説明を補足します。

↓写真集『唐組』に掲載されている「蟬丸」の脱皮シーン。唐さんです
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10/5(日)The CAVE(米澤)

2025年10月 6日 Posted in 劇団員note
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2019年1月に『ジョン・シルバー』『続ジョン・シルバー』を上演したThe CAVEという場所のことを時々思い出します。それは伊勢佐木町モールの関内駅側の一番端のところにあるThe CAVEへの入口の前を歩いて通りすぎることがあるからで、同時に思い出すのが、当時の唐ゼミ☆の公演を見に来た方がおっしゃっていたという「この場所は『少女仮面』を上演することができそうだ」という趣旨の言葉です。

当時は『少女仮面』をちゃんと読んだことがなく、また上演を見たこともなかったのでなぜその言葉が出てきたのがあまり分かっていませんでしたが、去年、今年と上演を経験して今はなんとなく分かります。

まずこの場所は地下にあります。床と壁面はコンクリート(?)の質感がそのまま感じられるようになっています。お客さんの導線になる入口の階段とは別に、スペース奥にもう一つ地上に続く階段があります。『ジョン・シルバー』の際には、人物がそこからリアカーを引いて登場させられていました。イベントスペースとして利用されていないときは飲食店としても営業していたためカウンターがあります。それに、少し分かりにくくはあるのですがフロアの壁には水道もありました。立地的には横浜市営地下鉄・伊勢佐木町駅の出口からすぐそこです。多くの点で『少女仮面』を感じさせます。お風呂がどこから出てくるのかという問題はありますが。いい場所だと感じます。

これとは別に気になっている場所があって、北千住のBUoYというところです。聞くところによると元は銭湯であったそうです。機会を見つけていけたらいいです。


10/4(土)相模湖と三崎港

2025年10月 4日 Posted in 中野note
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↑懐かしくて旨い みうらの夜。その通りです

昨日、深夜に山口から戻りました。
先ほどまで湯田温泉界隈を歩いていたのが不思議な感じがしつつ。
今朝は早朝から起き出して、打ち合わせのために相模湖に向かいました。
10/18(土)19(日)にある「さがみ湖 野外バレエフェスティバル2025」
の打合せのためです。

約束は10:30ですが、7:00に出ると70分で着き、8:00だと2時間かかる。
ナビがそう教えてくれました。土曜の朝は多くの人がお出かけします。
その影響で一気に混むのを恐れて、早めに到着して相模湖町を
散歩しました。これまで何度も来たことがありましたが、
時間をとって歩いてみると、細やか商店や飲食店があって、
今週末から始まる相模湖通いが楽しみになりました。

午後は、ぐっと舵を切って三浦半島の突端、三崎港へ。
ここで行われる「みうら夜市」を訪ねて、来月末に「うらり」で行う
ジャズの演奏会のチラシを撒きました。

夜市は初めての訪問でしたが、次々に大勢の人が押し寄せてきて、
あっという間に目標のチラシ枚数を撒ききることができました。
そこで、せっかくなので夜市に繰り出しましたが、ぜんたいに値段も
安く、これまでに親しんできた真鶴とはまた別の海の街でした。
明日も夜市があるので、またここに戻り、宣伝活動します。
その後は、『お化け煙突物語』のオンラインWS、最終回が待って
います。

10/3(金)唐さんが中也に寄せた文章、講演会の記録

2025年10月 3日 Posted in 中野note
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↑この2冊を手に入れました

今朝、昨日に決めた通り中原中也記念館に行きました。
勇んで行ったので開館9:00より前に着いてしまったけれど、
受付の方の厚情で2分前に入れてもらうことができました。
入館料は330円と、申し訳なくなるような価格です。

特におもしろかったのは、中也が尋常小学校の時に書いた
習字の展示で、律儀で端正な楷書がそこにありました。
先日に亡くなった吉行和子さんがナレーションを務める
ドキュメントも観ました。

帰り際、何枚かのポストカードを書い、
さらに、年に一度、この記念館が出している機関紙
「中原中也研究」を買い求めました。

2009年に出た14号には唐さんが中也の詩『月夜の浜辺』に
寄せた文章が、2012年の17号には、唐さんがこの地を訪れて
行った講演会の記録が、掲載されていました。

自分はそれを、唐さんの関係者だと打ち明けて、
記念館の学芸員さんに探し当ててもらいました。

前者で唐さんは、中也が浜辺で拾ったボタンの捨てきれなさを
論じ、そのボタンを加えた時に小さな四つの穴が漏らす空気の
響きを問題にしています。講演会の記録では、唐さん自身の
近況のなかによぎる中也的なるものを取り上げていました。

いずれも初めて読んだので感じ入りましたが、特に講演会の
記録のなかに私たち唐ゼミ☆の話題が出てきて、当時、
2011年を通して取り組んでいた『海の牙-黒髪海峡篇』の
話をしてくださっていました。
山口で、またひとつ新たな発見です。

10/2(木)山口県にきた

2025年10月 2日 Posted in 中野note
今日は山口県にやってきました。
宿泊は湯田温泉というところで、明日、山口情報芸術センターに
行きます。それにしても、諸事情あって新幹線で行くことになり、
新横浜駅から新山口駅まで4時間かかりました。遠かった。

ろくに調べもせずに事前情報なしで当地について、
散歩したところ、中原中也記念館があるのを初めて知りました。
明朝に時間があるので、これはぜひ行ってみようと決意しました。

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何せ『特権的肉体論』の冒頭は中原中也から始まりますし、
唐さんは『汚れつちまつた悲しみに...』という台本も書いている。
『盲導犬』という劇では、ランボーの『永遠』という詩が誦じられ
ますが、これにも、唐さんは中原中也の訳文を用いています。

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それにしても、このような遠くから東京に出て、
小林秀雄さんに会い、吉田秀和さんに会い、していたのだと思うと
その距離感を体感したのも悪くはないと思えてきました。
明日ももちろん、新幹線で帰ります。

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10/1(水)絵金をみる

2025年10月 1日 Posted in 中野note
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↑『忠臣蔵』4段目、判官切腹の場。注目すべきは背後のふたり。
笑いすぎでしょう

今日は朝のうちに代官山の歯医者に行き、
午後は流山の会館を訪ねるというスケジュールでした。
電車で横浜を出ました。

ところが、歯医者が10分で済んでしまった。
想定より1時間余る計算です。お昼ご飯を食べたり仕事をしても
良いけれど、これは!と思い立ってサントリー美術館でやっている
絵金展を観に行きました。

「幕末土佐の天才絵師」というキャッチが踊っています。

私が絵金を知ったのは、『近松心中物語』で有名な劇作家の
秋元松代先生を通じてです。先生は代表作のひとつである
『七人みさき』をものにするとき、絵金にインスパイアされた、
という意味のことをエッセイで書かれています。

芝居絵を屏風に描いた絵金。
人間の関節では不可能な角度に人体を操るディフォルメ具合い、
実際の芝居では共存し得ないシーンを、時間的にダイジェストして
構図化してしまう編集能力。血と筋肉を描く時の大胆さ。
センセーショナルです。

考えてみれば、自分は四国に行ったことがないのです。
外国なんか行っていないで、未踏の四国を訪ねるべきだ、
と強く思わされました。もちろん図録を買って帰り、
本棚の秋元松代作品が集まっている並びにしまうことにします。

9/30(火)ひさびさの高円寺

2025年9月30日 Posted in 中野note
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ひさびさに高円寺に行きました。
私が大学に入学した時にはすでに唐さんは高円寺に住んでいました。
ですから、何度行ったのかわからないほどに高円寺に通ってきました。

駅前の焼き鳥屋大将はいまだに健在ですが、かつて北口にあった
「さわやか」という焼き鳥屋はなくなってしまいました。
途中から、唐さんには一徳というお店も選択肢に加わりました。
「テル」という喫茶店にもたびたび行きました。

純情商店街のなかに「琥珀」という喫茶店があって、
ここで唐さんと待ち合わせをした際、わたしは30分前から
お店の前に立っていたにもかかわらず、1時間前には店内に
入っていた唐さんに「遅いぞ!」と怒られたりしました。

「琥珀」の奥にある「稲生座」というライブバーが開く前の
昼間の時間に、軒先を借りてチラシ用のインタビューをとらせて
もらったその時の話です。

ひさびさに行ってみたら「琥珀」はなくなっていたけれど、
「稲生座」は健在でした。唐さんの家に続く道は緊急車両が
入れるよう何年もかけて幅員が広げられて、自分の知るこの町では
ないような感覚を覚えました。映画『シアトリカル』で唐さんが
服を着たまま飛び込んだコインシャワーは、そこをずっと進んだ先に
あります。今もあるかな。時間がなく、そこまでは突き止められ
ませんでしたが、やはり高円寺には、今も唐さんの気配がします。