11/21(水)奇跡の邂逅
2024年11月21日 Posted in 中野note
↑1980年にテレビで『パイク』を歌われた時。不適です。YouTubeより
寝起き、仕事の合い間、移動中、一節一節を読んでいます。
ところで、今日は夕方に新宿を歩いていて、びっくりしました。
その数分前、私はYouTubeでヒカシューの『パイク』をたちあげて
聴いていました。あの曲には妙な中毒性があり、
1980年代から現在に至るまで、さまざまな年代の『パイク』を
連続的に聴いたりすることもあるほどです。
『パイク』にはそういう魅力がある。
そして伊勢丹近くの角をまがったところ、巻上さんに遭遇しました。
ヒカシューのボーカル、巻上公一さんです。
巻上さんにはこんな風に、一度会った事があります。
以前は渋谷で会いました。そして今日は新宿。
先ほどまで『パイク』、目の前に巻上公一。
久々だったので、少しおしゃべりして別れました。
うーん。それにしても、まるで『唐版 風の又三郎』の
織部とエリカの出会いのシーンみたいじゃありませんか。
織部の興奮はこんな風だったのではないのか。
さらに、むこうの風の又三郎はニセモノだったが、
こっちの巻上さんはホンモノなので、自分は少し上をいったかも
しれません。
それで思い出したのですが、唐さんが元気な時に車でお迎えに行き、
三軒茶屋のスーパーで買い物をしようと車から降りた瞬間、
唐さんの目の前に麿さんがいたことがありました。
面白かったのは、ふたりが驚くでもなく、毎日いっしょにいるかの
ように事もなげに話し始めたことでした。自分は大笑いしてしまいました。
帰りの電車の中で、麿さんが唐さんのために書いた文章を、
もう一度読み直しました。
11/20(水)『唐十郎 襲来!』
2024年11月20日 Posted in 中野note
明日、発売のこの本を、編集者の樋口良澄さんが直接に
私に渡してくれました。
先ほどまで、横浜駅東口にいましたが、
樋口さんが予約してくれた店では本をネタに喋り続け、
店に入ってから、店員さんに言われるまで30分は注文もせず、
飲み物や食べ物が届いてからも、ページをめくっては喋り、
喋ってはページをめくり、して、あっという間に3時間経ちました。
帰りは、気分が高揚して、冷たい雨が降っていましたが、
歩いて帰ってきました。横浜駅東口は、Kアリーナ終演後に帰途に
ついたお客さんでごった返していましたが、あれだけの人の流れに
逆行して歩くのも良いものでした。
これから、読みます。
11/19(火)星型の禿
2024年11月19日 Posted in 中野note
読み直しました。これは、来月から取り組む『佐川君からの手紙』や
『ご注意あそばせ』の読解に備えてのことです。
佐川君からの手紙をもらい、唐さんは困り果てたでしょう。
そして、青春の書である『ナジャ』に逃走したに違いない。
というのが、自分があの有名な芥川賞作品に感じている感慨です。
パリといえば『ナジャ』、そしてブルトンのヒロインを突き抜け、
自分のヒロインであるキクおばあちゃんにまで逃げ切る、
これが実に唐さんのチャーミングなところだと思います。
もちろん、ぜんぜん逃げきれていない感じがありますが。
それにしても、久々にシュルレアリスム関連の本を読むと、
いかにも青春の書という感じがして、くすぐったいような、
それでいて、やっぱり自分もまたこういうものを信じているな、
という再会の気持ちがします。
写真はマルセル・デュシャンの星型の禿。
唐さんが、ふざけながら、真剣にパクって『腰巻お仙』のヒントに
しただろう一枚です。
11/18(月)『少女都市からの呼び声』本読みWS 第5回
2024年11月18日 Posted in 中野WS『少女都市からの呼び声』
↑フランケが町の人々を連れて乗り込んでくると、舞台は華やぐ。
他方、フランケの孤独とか、雪子を失うかも知れない焦燥とか、
そういうものが見えにくいのが難点。面白いけど・・・
全6回の構想で進めていますから、大詰めが迫っています。
昨日は、雪子がフランケの静止を振り切り、兄・田口と引き換えに
現実の世界にやってくる場面をやりました。
兄が妹に、現実に立ち向かうための3本指を授ける場面が展開した後
田口がグラスを取り落として割ってしまったことにより雪子が
具合を悪くするアクシデントにも見舞われますが、さらに、
フランケもピストル片手に町の人々を引き連れ乗り込んできて
田口を糾弾、雪子に去られるくらいならと、悲嘆と絶望に暮れた
フランケは銃弾を放ちます。田口は身を挺して雪子をかばい、
自分と引き替えに雪子を現実世界に送り出します。
その際、現実世界を生きるよろこびを、秋から冬にかけて
旬を迎える魚・ワラサを例に挙げて語り、雪子がワラサを食べたいと
語るくだりは、唐十郎にしか書けない感動的なせりふの応酬と
なります。
昨日の後半では、現実の世界にいる有沢・ビンコ・看護婦らが
久々に登場し、病院の廊下に居残った有沢が、雪子に初対面する
場面に進みました。二人は初対面ではあるけれど、雪子はずっと
田口のお腹のなかにいたわけですし、有沢は親友のなかに田口とは
違う誰かがいることをずっと予感してきた、だから、雪子の訪れを
必然のようにして受け入れていきます。
実際、オルゴールの箱の中に入れられた髪の毛が雪子として
現れた時から、登場人物名もはっきりと「少女」から「雪子」
へと発展します。
有沢の手を取った時、雪子は自らの手に、フランケとともにいた
世界では欠落していた3本指のあることを確認します。
田口と交替し、雪子が現世を生きてゆく。どういうところで
昨晩は終了時間でした。来週の最終回では、忘却の世界に
雪子とフランケが封じられる、哀しいエンディングが待っています。
次回は、11/24(日)。
12月からは1985年9月に初演された『ご注意あそばせ』を取り上げます。
11/17(日)来年(米澤)
2024年11月17日 Posted in 劇団員note
最近、来年の話をよくします。来年はどうするんですか?と聞いたり、
次は?と聞かれて、僕は来年の話をしたりします。先の計画はあるものの、
唐ゼミの集まりでも、来年の次回公演の話をします。
僕から何か提案することはできず
不勉強なことを再認識する機会になりました。
今年の唐ゼミは3月に半野外、7月に劇場でした。
だから、しばらくテント公演をやっていない気持ちです。
劇場でやることは面白かったです。
11/16(土)オルガンとネモ船長
2024年11月16日 Posted in 中野note
↑ネモ船長のサロンの奥には、立派なパイプオルガンがあります
全てバッハの作品により構成されたオルガンの演奏会でした。
バッハはオルガンという楽器にとって作曲家の王様であり、
スタンダードでもあります。ファンがたくさんいて、実際に、
中田さんとバッハと広報担当の力でチケットはソールドアウト、
終演後には「バッハのオルガン曲が大好きです」という趣旨の発言を、
多くのお客さんがしていかれました。
公演後は打ち上げとして、中田恵子さんと音楽学者の沼野雄司先生と
ご一緒して食事に行きました。そこでの会話はとても面白く、
今ではスタンダードとされるバッハの楽曲がいかに複雑すぎるか、
作曲当時の人々が理解するのには難しすぎる曲であるかという話でした。
バッハは当時も愛されたはずだ、とある人は言う。
バッハは誰にも理解されなかったのではないか、と別の人は言う。
そのやりとりが、結局はバッハの大きさを改めて示すようで、
面白い時間でした。まだ機関車も自動車も開発されていない時代に、
一人だけステルス戦闘機を作ってしまったようなものかな、
と自分は想像します。
すると、なぜグレン・グールドがバッハを好んだのか、
なぜ何度も繰り返し聴ける録音でしか演奏しないようになったかも、
分かるように思いました。
打ち上げでの話を聴いて、同じリサイタルがあったら、
また違った主観で鑑賞できるでしょう。もういっぺん、
どこかでオール・バッハやらないかな。そう思います。
帰宅後、夜中にここ10日ほど読んできた『海底二万里』を読み終えました。
ネモ船長も、大事な場面でオルガンを演奏します。ラストシーン間際、
主人公のアロナクス教授がノーチラス号を脱出する時にも、ネモ船長は
演奏をしています。どんな作曲家の、何と言う曲かは書かれていません。
唐さんにとって、『煉夢術』『行商人ネモ』『ガラスの使徒』に影響を
与えたネモ船長。『煉夢術』と『ガラスの使徒』にはそのままオルガンが
出て来ます。『宝島』とか『白鯨』とか、唐さんが好んだ名作中の名作を
読み直すと、その時に応じた発見があるものだと実感し、良い時間でした。
11/15(金)『ジャガーの眼』より〜老婦長の活躍
2024年11月15日 Posted in 中野note
↑こういう紐がわざとらしく降りてきて、老婦長がこれを引っ張る
すると、巨大な牛乳びんがおりてくる、という仕掛けです
二幕の各シーンで「老婦長」という役が決定的な役割を果たしている
ことに気付かされます。
まず、老婦長のDr.弁にへの忠誠心はハンパではなく、
弁のために処女を守り通してきたらしいのです。
そして、何と言っても圧巻は、二幕の最後でヒロイン・くるみを
閉じ込めるあの牛乳びん、あの仕掛けを作動させるのがくだんの
老婦長なのです。ト書きによれば、昔の水洗トイレの大きい方に
立て下がる紐のような仕掛けが垂れてきて、それを老婦長が引っ張る、
そう書いてあります。
これまで、『吸血姫』に出てくる婦長の魅力には気付いても、
『ジャガーの眼』のなかにこのような秀逸なキャラクターが
配されていることには気づきませんでした。
2月頃から『ジャガーの眼』をオンラインWSで読みます。
最新の発見を、ひとつひとつ開陳していきます。
近く、どこかの劇団が『ジャガーの眼』を上演してくれたなら
相当に楽しめる内容を展開する予定です。
11/14(木)申請書作成しながら、まちがい探し
2024年11月14日 Posted in 中野note
↑右と左はどこがどう違うのか?
想像します。そう。明日は文化庁や芸術文化振興基金による助成の
申請〆切日。コロナ前のように郵送の手間こそ無くなりましたが、
電子申請には電子申請の緊張があります。
ここ数週間の劇団集合は、そのようなわけで、次年度以降の構想立てに
拍車がかかり、いろいろな演目が私たちの間を飛び交っています。
で、ここ数日は直前の執筆作業。
椎野とパソコンに向き合っていると、娘が横ヤリを入れてきます。
それが上の紙。どうやらこれは間違い探しらしい。
違うといえばぜんぶ違うし、どこを同じつもりでどこを違う風に
描いたつもりなのか、彼女の意思を忖度しながら間違いの数を
数える必要があります。このようなことに中断されながら、
なおも申請書作成は続きます。
嗚呼、この娘よ、早く寝てくれないだろうか。
11/13(水)もうすぐあの古典作品が発売される
2024年11月14日 Posted in 中野note
↑これを読み解くためにも必要なのではないか?
今朝、ランニングがてら横浜駅のビッグカメラを横切ったところ、
体に刻み込まれたあの音楽に打たれました。
「ドラクエⅢのエンディング曲!」
週末11/16にリメイク版が発売であることは以前から気にかけて
きましたが、そうか、もうすぐか!と気付かされました。
どうしたものか。
ゲームを離れて15年ほど経ちます。
しかし、これはかつて自分がゲームに染まった原点でもあります
見逃せない。
そう思い、実家においてある息子のNintendo Switchを密かに
取り寄せようとしたところ、あっさり息子にばれ、
「お父さんはゲームをするが、あなたはできませんよ」と伝えたら、
彼は布団に突っ伏して泣きはじめました。
ああ、あの『少女仮面』2場で腹話術師の言う「さめざめと泣いた」
というのはこういうことだなと思いましたが、さすがに無体だと悟り、
とりあえず実家からは取り寄せないことにしました。
齋藤に借りられないかとも思いましたが、彼のスイッチはけっこう
稼働しているらしいのです。
どうしようか。
ゲームは遊びではありますが、
今や『ドラクエⅢ』は唐さんの『電子城』シリーズに繋がってもいる。
年末年始に帰省して、息子の睡眠時間→私のゲーム時間という
昼夜逆転生活を送るか。用意されているであろうリメイク版の
裏設定まで、自分に許された3〜4日でクリアできるのか。
ああ、11/16の発売まであと3日。
11/12(火)『少女都市からの呼び声』本読みWS 第4回 その②
2024年11月12日 Posted in 中野note
↑兄の中指・薬指・小指を切って自分に移植するシーンです
今日ご説明する「指切りの場面」こそは、この演目最大の見せ場です。
これまでにさまざまな上演に接してきましたが、このシーンになると
決まってお客さんが集中して舞台を観ます。
突出して吸引力の高いシーンですが、それでいて難しい場面でも
あります。
要点はこうです。
雪子は、フランケと兄・田口の間で逡巡します。
自らをガラス化してフランケとともに永遠の世界に生きようとするのか、
田口と現実世界に帰ってもう一度、世間に揉まれて生きる道を選ぶのか、
悩んだ末に、雪子は後者を選択します。
今度は、「肉」が必要になる。
硬質な「ガラス」でなく、常に呼吸し、老廃物を生み出しながら
自らを更新していく「肉」を得て、現実と渡り合う。
そのために、雪子は3本指を必要とします。
かつて工場で吹き飛ばした3本指が消滅してしまっているとしたら
今度は肉親である田口の指をもらい受けようと決意します。
ここから、メスを取り出して、任侠映画さながらに指切りの場面が
始まります。「指切りげんまん」をリアルにしたかの如く、実際に
指を斬り始めるわけです。
上演によってはかなり血糊も使い、ともすれば陰惨になります。
勇気・情熱・約束と、3本の指を徐々に切り落としてゆく。
この場面を成立させるにはコツが2つあって、
ひとつには雪子の現実世界に対する不安をしっかり描くこと、
だから指が必要なんだ、とお客さんに共感を呼ぶだけの
心理の流れを押さえることです。
不安に慄くからこそ、仕方なく指を切る。
もう一つは、コミカルな場面を活かすことです。
指を切断する緊張感マックスの瞬間ど真ん中に、
雪子は視界に入った虫が気になって右往左往します。
この場面は、張り詰めた兄妹が一気に緩む効能があります。
なにしろ、指づめ途中の相手をほったらかす、早くやってくれと
催促する、という流れがコミカルです。
そして、コミカルに一度振るから、また指切りに戻った時の
二人の真剣さが生きるわけです。そうするなかで、妹・雪子は
もういちど現実と渡り合う決意をし、兄・田口もまた、劇冒頭の
ダメ人間ぶりを克服していきます。この場面は、田口の成長譚
でもあるのです。
私たちの本読みでは、これらのコツをよく押さえて
この名シーンを終えました。次回、11/17(日)はここに
フランケが乗り込んできます。