5/6(祝火)『黄金バット-幻想教師出現-』本読みWS 第3回 その②
2025年5月 6日 Posted in 中野WS『黄金バット-幻想教師出現-』
↑宮澤賢治の『グスコーブドリの伝記』には飛行船が登場します。
それを模して、この劇の「ブドリ」は乳母車に風車を付け、さすがにそれでは
動力にならないので、一寸帽子の棒で地面を蹴りながらやってきます
造形としてはこんな感じの、『子連れ狼』型の乳母車を想像します
「ブドリ」が登場し、「三上丈先生」とのいきさつや先生への思いを語ったことで
このヒロインもまた誰かを追憶する人間であることがわかりました。
「あの男」は「タキザワ先生」=「黄金バット」を。
「青年("ヤゴ"という名前です)」は「小夜ちゃん」を。
「ブドリ」は「三上丈先生」=「フィフィボー先生」を。
それぞれに慕い続けてきたことが明らかになりました。
「ブドリ」の語りと、そこから溢れる想いを聞いた「あの男」が
彼女を自分に重ね、「三上丈先生」もまた「黄金バット」だ!、といって
意気投合します。屋上から落ちてしまった「三上先生」を、
「黄金バット」が抱きかかえ空に飛んでいったに違いない、と。
そうして、「ブドリ」と「あの男」はお互いに先生を卒業できぬ生徒として
「三上先生」や「タキザワ先生」を想います。
「ブドリ」が大人になった今もランドセルを背負い、「中学6年生」を
名乗るのはそのためです。
それぞれのモノローグ的な思いが連続的に語られるばかりで
ちょっと読みにくいところもありますが、『黄金バット-幻想教師出現-』は
こうして物語が動き始めました。
次回は、5/12(月)19:30からです。
5/3(土)『黄金バット-幻想教師出現-』本読みWS 第3回 その①
2025年5月 3日 Posted in 中野WS『黄金バット-幻想教師出現-』
↑2021年に坂本小学校(唐さんの母校)を訪れた際、屋上から撮った写真。
執筆時、唐さんの頭の中にはこういう景色があったのではないでしょうか
今日は土曜日、その理由は明白です。
明日5/4(日)は唐組紅テントの花園神社の初日なので、
そこに駆けつけたい方のために土曜のうちにやることにしました。
内容的には、ヒロインである「ブドリ」が登場し、
ようやく物語が動き始めた実感です。
このブドリという名は、宮澤賢治の『グスコーブドリの伝記』に由来します。
これは、貧しい農村で家族別れして育ったグスコーブドリが、働きながら
科学を学んで火山をコントロールする術を身につけ、最後には自らが
犠牲となることで一帯の気温の低下→飢饉の回避を達成するお話しです。
東北の自然の厳しさ、口減しという哀しくてやむを得ない風習、
人間が売り買いされる過酷、といった環境下のなかで、なんとか
生き抜いていこうという人間の姿が描かれます。
原作では、「グスコーブドリ」は少年から青年へと成長していく男性です。
が、唐さんはここから「ブドリ」という名を持つヒロインを生み出しました。
さらに、原作の「グスコーブドリ」は「クーポー大先生」に指南を受けて
成長しますが、この劇の「ブドリ」の先生は「フィフィボー先生」に教わった
という設定になっています。
『黄金バット-幻想教師出現-』の設定としては、
「ブドリ」は変わった子どもで、登校拒否児であり、
「フィフィボー先生」=「三上丈(みかみ じょう)先生」に救われます。
「三上先生」は、いわゆる特殊学級を「風鈴学級」と名付けて受け持ち、
普通のクラスでは受け入れられない子どもたちの面倒を見ます。
そのなかで、「ブドリ」が出席を拒否して屋上に逃げ込んだ際、
建物が壊れて屋上から落ちた「ブドリ」をかばって、「三上先生」は
亡くなってしまった、という過去が「ブドリ」によって語られました。
「ブドリ」もまた、命の恩人である「三上丈先生」を慕いすぎるほど慕い、
追憶するヒロインなのです。
続きは、また!
4/23(水)『黄金バット-幻想教師出現-』本読みWS 第2回 その②
2025年4月23日 Posted in 中野WS『黄金バット-幻想教師出現-』
↑うちの娘が描いたミミズの絵。6歳ですがまだ幼児の片鱗があります
『黄金バット-幻想教師出現-』第2回目の後半は、
この劇を支える行商人たちが続々と登場し、いわば顔見せを行います。
リーダーである「鎌いたち」を筆頭に、
「オドロ」「ペンペケ」「メメズ使い」「蛇使い1・2」という
キャラクターたち。
「小夜ちゃん」を求める「青年」、
「黄金バット」を求める「あの男」が、
お互いが思い出のなかに求める存在を確認し合っていると
行商人軍団がなだれ込んできます。
まず、「蛇使い」ふたりが路地に現れ、笛を吹くと、長屋の2階の
窓から「鎌いたち」「オドロ」「ペンペケ」が尻を出して登場。
特に「鎌いたち」の尻を目掛けて、蛇を繰り出します。
さらに、引っ込み思案な「メメズ使い」が登場します。
「メメズ」とは要するに「ミミズ」のこと。
小便をひっかけるとチンチンが腫れる、とか、
「メメズ使い」の書く文字はメメズがはったようなもの、とか
そんな話題が応酬します。おまけに、「メメズ使い」には
「ヒサコ」と名付けて恋しているミミズがいるらしい。
要するに、「メメズ使い」「蛇使い1・2」は見世物屋さんトリオ。
他方、「鎌いたち」「オドロ」「ペンペケ」は行商人トリオで、
デモンストレーションとして、「オドロ」がお客を転ばせ、
「鎌いたち」がそのお客を傷つけ、その傷を「ペンペケ」が
塗りぐすりでたちどころに治してしまう、という芸を披露します。
・・・上記の場面、三人一組のチームが、お互いの得意技を
紹介したのみで、特段ストーリーは進行していません。
ただ、ハッキリとわかるのが、この劇が追憶の物語であり、
追憶するのは少年時代や青年時代でなく、幼年時代と言って良い
かなりガキの頃であるということです。幼児感覚ゆえに、
見世物トリオや行商人トリオがぐっときますし、
要するに「うんこ・ちんちん」的な世界が次々に繰り広げられる
のはそのためです。
次回はヒロインとなる「ブドリ」が登場します。
4/26(金)27(土)28(月)と対面の『唐版 風の又三郎』WSを
開催しますので、このオンライン本読みは5/3(土)19:30から
行います。
4/22(火)『黄金バット-幻想教師出現-』本読みWS 第2回 その①
2025年4月22日 Posted in 中野WS『黄金バット-幻想教師出現-』
↑左側が長屋。この屋根の部分で「小夜ちゃん」は母の商売終わりを
待ち、雨に打たれて風邪をひいたという
前半に「青年」が語る「小夜ちゃん」との関係を、
後半に行商人たちが顔見せして活躍する場面を読みました。
「青年」は、自分のなかに「小夜ちゃん」がいると言います。
実際の「小夜ちゃん」になって合羽屋のおかみさんになっていますが、
それは本物ではないという。普通だったらこの「青年」の主張は
かなりイタいのですが、その理由を聞くと、納得できなくはない。
というのも、「小夜ちゃん」のお母さんは売春をして娘を育てたのです。
だから、商売の時には小さな「小夜ちゃん」は家の外に出されてしまう。
時には雨に打たれて風邪をひき、介抱する「青年」に、「あたし、
大きくなったら、立派なおあにいさんになって、あんな奴らを
追っ払って見せる」と言っていたのです。
そのようなわけで、「青年」は男である自分のなかに「小夜ちゃん」を
存在させて、それを育んできたのです。
劇冒頭に登場した「男」が、自分のなかに「滝沢先生=黄金バット」の
存在を温め続けている構造に、これは重なります。
理由を聞いた行商人「鎌いたち」は、「青年」に絆され、味方してやる。
かつて屋根の上でお母さんの商売終わりを待った「小夜ちゃん」と
同じように、「青年」を屋根の上に押し上げ、合羽屋にメッセージしろと
焚き付け、失敗するのです。
そんな具合に、「鎌いたち」と「青年」が意気投合していく場面が、
昨日の前半。「鎌いたち」は「青年」を男色的に狙っているようでもある
と、付け加えておきます。
4/16(水)『黄金バット-幻想教師出現-』本読みWS 第1回 その③
2025年4月16日 Posted in 中野WS『黄金バット-幻想教師出現-』
↑2021年12月。在りし日の坂本小学校3階の理科室から校庭を臨んだ
まずは、「男」のモノローグ。
これはほぼ、唐さん本人が滝沢先生について語っている内容です。
「タキザワ」が小学校に住んていたこと。
マントをしていたために「黄金バット」とあだ名されたこと。
生徒たちを愛するあまり、小学校を卒業して中学に進む彼らを追って
中学教師になろうとしたこと。それほどに過剰な愛情を子どもらに
注いでいたことが語られます。彼女がいつか学校を去り、
そのアパートを訪ねると、こたつの上にトランプが散らばる横で
バッタリと倒れていた。そのような顛末までもが語られ、
こうして冒頭に、この劇が自分を愛してくれた女教師「タキザワ」への
追憶として成っていることが宣言されます。
そして「男」は、いまここに「タキザワ先生」のマントを取り出す。
アイスキャンディボックスから冷えたマントを引き出し、まるで
「タキザワ先生」を劇中に呼び出そうとするように。
そして、場面が移ります。
次のシーンは長屋を前に行われる、「青年」と行商人「かまいたち」の
会話から始まります。「青年」は幼馴染の「小夜ちゃん」について
打ち明けます。「青年」は幼い頃の「小夜ちゃん」に惚れ込んでおり、
彼女との思い出を大切にしています。
幼い頃、お母さんが春を売っていた「小夜ちゃん」は母の商売の間は
家の屋根に出されており、それで、雨に打たれて風邪をひき、倒れて
しまった「小夜ちゃん」を「青年」が介抱したというのです。
以来、「青年」は自らの中に思い出の「小夜ちゃん」を住まわせ、
その小さな「小夜ちゃん」を大切にしてきました。反面、実際に
成長して大人となり、結婚して暮らす「小夜ちゃん」は真の彼女と
認めていない。それに対して、大人の「かまいたち」は呆れ気味、
という場面です。
第1回で読んだのは、ここまでの2シーンでした。
「男」が「タキザワ先生」に、「青年」が「小夜ちゃん」に
向ける思い出が、この劇に溢れていることが早くもわかってきます。
ノスタルジーの強い唐十郎作品の中でも、突出して追憶の度が高い劇
だとすでに予感されます。
第2回は、4/21(月)19:30です。
4/15(火)『黄金バット-幻想教師出現-』本読みWS 第1回 その②
2025年4月15日 Posted in 中野WS『黄金バット-幻想教師出現-』
↑1981.2.8-3.8に初演された『下谷万年町物語』
この企画がキッカケだと考えています。
次に、どうして唐さんはこの『黄金バット-幻想教師出現-』を
書くに至ったのか? 考えてみます。
私の推論では、状況劇場という劇団の変遷に、それは関係しています。
ざっくり考えて状況劇場は3期に分けることができ、
1963年の立ち上げから1971年秋の『あれからのジョンシルバー』までが
第1期。1972年春の『二都物語』から1980年春の『女シラノ』までを
第2期と考えてみることができます。
この潮目を分けるのは、劇団員の脱退です。
第1期の終わり
麿赤児(当時は「赤兒」)さんがやめ、四谷シモンさんが去る。
(シモンさんはゲスト的存在で、完全な劇団員ではない)
第2期の終わり
1976年『下町ホフマン』で大久保鷹さんが退団。
1978年秋『河童』で根津甚八さんが退団。
1980年春『女シラノ』で小林薫さんが退団。
唐さんとしては、実力と人気を持った劇団員が去って辛い状況に
おかれながら、それを乗り越えていくことになります。
第1期を乗り越え、第2期への扉を開いたのは、
共同通信からの持ち掛けで韓国ソウルを訪ねたことがきっかけとなり、
『二都物語』を構想するという出来事です。それから唐さんは、
1973年バングラデシュ、1974年パレスチナという風に視野を海外に
拡げ、傑作をものにします。
そして、私の考えでは、第2期→第3期に劇団と作品が移行するのに
大きな役割を果たしたのは、1981年2月の『下谷万年町物語』でした。
西武劇場がPARCO劇場に生まれ変わるに際して持ち込まれた、
蜷川幸雄さんとの協働は、唐さんに自分の出自である上野・浅草地区を
特に強く意識させることになります。唐さんは常に下町を栄養源として
きましたが、特に1981年の『下谷万年町物語』『お化け煙突物語』
『黄金バット-幻想教師出現-』は、自分の出自を掘り下げる志向が
とりわけ徹底しています。
『下谷万年町物語』を構想し、執筆することが、続く二作に繋がって
いった。私はこう捉えています。そして第3期は、状況劇場の解散まで、
金守珍さん、六平直政さん、黒沼弘巳(その後「弘己」)さん、
佐野史郎さん、石川真希さん、菅田俊さんらが活躍する時代です。
以上、執筆の経緯でした。
明日は冒頭シーンの内容に踏み込みます。
4/14(月)『黄金バット-幻想教師出現-』本読みWS 第1回 その①
2025年4月14日 Posted in 中野WS『黄金バット-幻想教師出現-』
↑ヒーローの元祖がドクロである、というのはかなりユニークです
初めに、なぜ「黄金バット」と「教師」が結びつくのか説明しました。
「黄金バット」とは、日本最古のヒーローのことです。
スーパーマンよりも早く生み出されたために、世界最古でもある、
とWikipediaに書いてあります。ホントか?
いずれにせよ、『黄金バット』という作品は紙芝居というメディアで
1930年(昭和5年)生み出され、子どもたちの人気者になりました。
戦後は、加太こうじさんによるリバイバルがさらなる火付け役と
なります。そのアニメにもなり、私自身はこのアニメを見たことが
あります。例の高笑いで始まる主題歌が印象的。
紙芝居では、おじさんたち一人一人がこの高笑いをしていたのですから
芸達者が多かったということでしょう。
その「黄金バット」という名前を、あだ名にして呼んだ先生が、
唐さんの恩師のなかにいる。滝沢先生です。
滝沢先生は女性で、唐さんの卒業した坂本小学校に住んでおり、
いつもマントを羽織っていたからこう呼んだのだそうです。
(職場に住む、ということは現在では考えられませんが、戦争直後には
さまざまな事情があって、実際のことだったようです)
滝沢先生は唐さんにとって、大変な恩人だったようです。
引っ込み思案な少年時代の唐さんに朗読をさせたのがこの滝沢先生で、
そしたら、唐さんは朗読をしながら踊り出してしまった。
大人しい少年がそのような挙に出てしまった時、滝沢先生はこれを
大いに褒め称え、ことあるごとに「あれをやって」とリクエストして
くれたそうです。つまり、少年の唐さんに自信をつけてくれたのです。
人前で何かする成功体験を得た唐さんは、ご存知のように芸能に進みます。
そういう意味からも、滝沢先生=黄金バットは、唐さんの人生にとって
いちばん最初の演出家だった。だからこの劇は、こういうタイトルなのです。
続きは、また明日。