4/16(水)『黄金バット-幻想教師出現-』本読みWS 第1回 その③
2025年4月16日 Posted in 中野WS『黄金バット-幻想教師出現-』
↑2021年12月。在りし日の坂本小学校3階の理科室から校庭を臨んだ
まずは、「男」のモノローグ。
これはほぼ、唐さん本人が滝沢先生について語っている内容です。
「タキザワ」が小学校に住んていたこと。
マントをしていたために「黄金バット」とあだ名されたこと。
生徒たちを愛するあまり、小学校を卒業して中学に進む彼らを追って
中学教師になろうとしたこと。それほどに過剰な愛情を子どもらに
注いでいたことが語られます。彼女がいつか学校を去り、
そのアパートを訪ねると、こたつの上にトランプが散らばる横で
バッタリと倒れていた。そのような顛末までもが語られ、
こうして冒頭に、この劇が自分を愛してくれた女教師「タキザワ」への
追憶として成っていることが宣言されます。
そして「男」は、いまここに「タキザワ先生」のマントを取り出す。
アイスキャンディボックスから冷えたマントを引き出し、まるで
「タキザワ先生」を劇中に呼び出そうとするように。
そして、場面が移ります。
次のシーンは長屋を前に行われる、「青年」と行商人「かまいたち」の
会話から始まります。「青年」は幼馴染の「小夜ちゃん」について
打ち明けます。「青年」は幼い頃の「小夜ちゃん」に惚れ込んでおり、
彼女との思い出を大切にしています。
幼い頃、お母さんが春を売っていた「小夜ちゃん」は母の商売の間は
家の屋根に出されており、それで、雨に打たれて風邪をひき、倒れて
しまった「小夜ちゃん」を「青年」が介抱したというのです。
以来、「青年」は自らの中に思い出の「小夜ちゃん」を住まわせ、
その小さな「小夜ちゃん」を大切にしてきました。反面、実際に
成長して大人となり、結婚して暮らす「小夜ちゃん」は真の彼女と
認めていない。それに対して、大人の「かまいたち」は呆れ気味、
という場面です。
第1回で読んだのは、ここまでの2シーンでした。
「男」が「タキザワ先生」に、「青年」が「小夜ちゃん」に
向ける思い出が、この劇に溢れていることが早くもわかってきます。
ノスタルジーの強い唐十郎作品の中でも、突出して追憶の度が高い劇
だとすでに予感されます。
第2回は、4/21(月)19:30です。
4/15(火)『黄金バット-幻想教師出現-』本読みWS 第1回 その②
2025年4月15日 Posted in 中野WS『黄金バット-幻想教師出現-』
↑1981.2.8-3.8に初演された『下谷万年町物語』
この企画がキッカケだと考えています。
次に、どうして唐さんはこの『黄金バット-幻想教師出現-』を
書くに至ったのか? 考えてみます。
私の推論では、状況劇場という劇団の変遷に、それは関係しています。
ざっくり考えて状況劇場は3期に分けることができ、
1963年の立ち上げから1971年秋の『あれからのジョンシルバー』までが
第1期。1972年春の『二都物語』から1980年春の『女シラノ』までを
第2期と考えてみることができます。
この潮目を分けるのは、劇団員の脱退です。
第1期の終わり
麿赤児(当時は「赤兒」)さんがやめ、四谷シモンさんが去る。
(シモンさんはゲスト的存在で、完全な劇団員ではない)
第2期の終わり
1976年『下町ホフマン』で大久保鷹さんが退団。
1978年秋『河童』で根津甚八さんが退団。
1980年春『女シラノ』で小林薫さんが退団。
唐さんとしては、実力と人気を持った劇団員が去って辛い状況に
おかれながら、それを乗り越えていくことになります。
第1期を乗り越え、第2期への扉を開いたのは、
共同通信からの持ち掛けで韓国ソウルを訪ねたことがきっかけとなり、
『二都物語』を構想するという出来事です。それから唐さんは、
1973年バングラデシュ、1974年パレスチナという風に視野を海外に
拡げ、傑作をものにします。
そして、私の考えでは、第2期→第3期に劇団と作品が移行するのに
大きな役割を果たしたのは、1981年2月の『下谷万年町物語』でした。
西武劇場がPARCO劇場に生まれ変わるに際して持ち込まれた、
蜷川幸雄さんとの協働は、唐さんに自分の出自である上野・浅草地区を
特に強く意識させることになります。唐さんは常に下町を栄養源として
きましたが、特に1981年の『下谷万年町物語』『お化け煙突物語』
『黄金バット-幻想教師出現-』は、自分の出自を掘り下げる志向が
とりわけ徹底しています。
『下谷万年町物語』を構想し、執筆することが、続く二作に繋がって
いった。私はこう捉えています。そして第3期は、状況劇場の解散まで、
金守珍さん、六平直政さん、黒沼弘巳(その後「弘己」)さん、
佐野史郎さん、石川真希さん、菅田俊さんらが活躍する時代です。
以上、執筆の経緯でした。
明日は冒頭シーンの内容に踏み込みます。
4/14(月)『黄金バット-幻想教師出現-』本読みWS 第1回 その①
2025年4月14日 Posted in 中野WS『黄金バット-幻想教師出現-』
↑ヒーローの元祖がドクロである、というのはかなりユニークです
初めに、なぜ「黄金バット」と「教師」が結びつくのか説明しました。
「黄金バット」とは、日本最古のヒーローのことです。
スーパーマンよりも早く生み出されたために、世界最古でもある、
とWikipediaに書いてあります。ホントか?
いずれにせよ、『黄金バット』という作品は紙芝居というメディアで
1930年(昭和5年)生み出され、子どもたちの人気者になりました。
戦後は、加太こうじさんによるリバイバルがさらなる火付け役と
なります。そのアニメにもなり、私自身はこのアニメを見たことが
あります。例の高笑いで始まる主題歌が印象的。
紙芝居では、おじさんたち一人一人がこの高笑いをしていたのですから
芸達者が多かったということでしょう。
その「黄金バット」という名前を、あだ名にして呼んだ先生が、
唐さんの恩師のなかにいる。滝沢先生です。
滝沢先生は女性で、唐さんの卒業した坂本小学校に住んでおり、
いつもマントを羽織っていたからこう呼んだのだそうです。
(職場に住む、ということは現在では考えられませんが、戦争直後には
さまざまな事情があって、実際のことだったようです)
滝沢先生は唐さんにとって、大変な恩人だったようです。
引っ込み思案な少年時代の唐さんに朗読をさせたのがこの滝沢先生で、
そしたら、唐さんは朗読をしながら踊り出してしまった。
大人しい少年がそのような挙に出てしまった時、滝沢先生はこれを
大いに褒め称え、ことあるごとに「あれをやって」とリクエストして
くれたそうです。つまり、少年の唐さんに自信をつけてくれたのです。
人前で何かする成功体験を得た唐さんは、ご存知のように芸能に進みます。
そういう意味からも、滝沢先生=黄金バットは、唐さんの人生にとって
いちばん最初の演出家だった。だからこの劇は、こういうタイトルなのです。
続きは、また明日。