2016年7月 1日 Posted in
2016 Posted in
25_特別野外公演_青頭巾 Posted in
お知らせ Posted in
動画
またまた一ヶ月ぶりの更新、申し訳ありません。
この一ヶ月間、もちろん劇団員は密かに活動を続けております。
中野は、やなぎみわさんの公演のスタッフとして大阪へ。
齋藤は、さいたま芸術劇場から北九州、大阪へのツアーへ。
他の劇団員も自主的に稽古、作業をしている様子。
10月の公演に向けて、いよいよ本格的に動き出していきます!
さて、本題ですが、昨年行われた「ガイア演劇プロジェクト」。
劇団唐ゼミによる完全野外演劇「青頭巾」と、
学生パフォーマンス集団の「ザ・クロナイン」によって、
灼熱の東北4都市を廻り、公演を行いました。
その時の様子をまとめた映像ができましたので、よろしければご覧ください。
映像の製作は齋藤、ナレーションは熊野が担当しております。
ガイア演劇がどんなものだったか、少しご理解いただけるのではないでしょうか。
また、この20日間の僕らの様子を中野が日記にまとめています。
全て読むと少々長いですが、写真もたくさん載ってますので、
よろしければお暇つぶしとしてお読みください。
そろそろ、次回公演の情報解禁も近いです!
ゼミログも本格的に更新していきたいと思っております!
どうぞよろしくお願いします。
2015年9月18日 Posted in
25_特別野外公演_青頭巾
9月4日、5日というたった2日間の公演でしたが、
たくさんおお客様にお集り頂き、本当にありがとうございました。
現場入りした日は雨が降りしきり、本番日もあやしい雨雲が現れ
「とうとう本番で雨が降るのか...』と恐れていましたが、
みなさまのお陰でなんとか雨も降らずに最後までやりきることができました。
久しぶりのみなとみらいの絶景は『青頭巾』の前になぜか虚構性を増し、
よき舞台装置として活躍してくれてたな、そんな風に感じます。
秋田からはじまった東北ツアーそして横浜凱旋公演。
青頭巾から離れてしまうのは本当に寂しいですが、
次回作にむけて、唐ゼミはまた船を出航させます!
みなさま是非ご期待ください。
本当にありがとうございました!
2015年9月 8日 Posted in
25_特別野外公演_青頭巾
中野です。
あっという間に二日が経ってしまいました。
ちょっとさぼってしまいましたが、そろそろ最終日のことを書いておきます。
9月6日(日)片付けと打ち上げの日
昨夜は26時まで夜更かししてしまったのだが、6時には目が覚める。
いつものように少し本を読んでから、散歩に出かけた。
家から2キロほど行くと、浅間神社という神社がある。
近くの大きな交差点は浅間下という名前。
さらに進むと軽井沢小学校というのもあって、まるで長野県のミニチュアのようになっている。
どうしてだろう?
7時半に帰宅して身なりを整え、みなとみらいに向かう。
予報では今日は雨とあったけれど、日差しが強い。
現場に到着してみれば、むしろ昨晩のベタベタした風も止んで、爽やかなくらいだ。
晴れているうちに片付けてしまおうと、士気は高い。
都内に住んでいる学生も、まったく遅刻せずにやってくるからなかなかのものだ。
今日は、作業スタートからあらかじめ二班に分かれている。
臨港パークで荷物を送り出す班と、大学でそれを受け取り、片付けをする班。
搬入の日と同じように2台のトラックを往復させ、ピストン輸送する。
その際、トラックの座席を利用して人員をも大学に運ぶことで、徐々に人数の比重も、徐々に現場から大学へと変化させていこうという作戦だ。
ちなみに、こういう動きはいつも齋藤が事前に考えて、昨日の本番前に示し合わせてある。
慣れきった片付け作業は実にスムーズに進む。
自分は箱トラックの運転を担当したが、積み込みの精度に時間をかけるより、むしろ現場が近いので、テンポよく3往復しようということになり、さらに移動は活発に。
今日は全体の最終片付けでもあるので、業者さんから借りた機材や物品は、大学に着き次第、キレイに掃除もする。
14時過ぎ。
遅めの昼食を済ませるころには、ほとんどの荷物とメンバーが大学にいる状態になった。
最後に現場に残った数名で、トラック最終便の出発前に臨港パークの床を磨く。
15時には警備員さんに挨拶をして、臨港パークを辞した。
帰り際、ヘリポートにも寄る。
今日もクルージングのお客さんがいっぱい集まって流行っていたが、 本番中こちらのイベントに配慮していただいたお礼を伝えることができた。
この時点で、翌日から始まる集中講義の準備ために、自分は別動。
椎野と禿も、別の仕事で主力部隊を離れる。
その後、大学であらかた積み降ろし作業が済んだころ、ちょうど雨が降りはじめた。
自分たちは逃げ切ったのだ。
あとは粘り強く片付けを行うだけ。
劇団員は週末には次の公演の準備で再び集まるが、学生はこれで解散なので、特に衣装や小道具など、きっちりと整理させる。
それも17時過ぎに終了。
ひと息ついてイスやソファに倒れこんだら、次の予定は20時に平沼橋の中華料理屋に再集合して打ち上げを残すのみ。
大所帯なので先々の予定を合わせるのは難しい。
それで、ちょっとタイトだけれども、当日に打ち上げの運びにした。
帰ってシャワーを浴びる者、直接お店に向かう者、それぞれに動く。
20時に、よく劇団で利用する「雲海」という中華で乾杯した。
ここは食べ放題、飲み放題で約3,000円というリーズナブルな店で、以前から愛用している。
こうなるともう好き放題で、初めからラーメンを頼んでとりあえずお腹をふさぐ者もいれば、オレだけビーフン、わたしだけチャーシュー、という人もいる。
店の人も心得たもの、チャーハンなんか大皿にてんこ盛りにして運んできてくれる。
この重量感がたまらない。
食べて、食べて、食べて、飲んで、皆と別れた。
22時も過ぎたし、外は大雨なので、あとはもう個人個人で二次会に行くなり好きにしてもらう。
自分と重村は、ちょっと臨港パークの床磨きをやり残していたので、再度現場に戻って24時くらいまで作業をした。
雨天下の方が、床磨きはやりやすい。
見渡せば、雨が降って盛り上がった夜の海は、音も立てず、ダイナミックにうねっていた。
昼の波は細かくて、バシャバシャ音もするが、あれは行き来する船やボートが起こしたものだったのだ。
ここでは夜の番をしなかったので、最後になってやっと気づいた。
日付が変わる頃、打ち上げでのビールを我慢して付き合ってくれた重村に、お礼のビール代を渡して解散。
このとき降っていた雨は二日経った今も断続的に続いていて、台風まで近づいている。
つくづく自分たちの僥倖を感じずにはいられない。
さあ、土曜日からは、また次の作品の準備だ。
〈完〉
2015年9月 6日 Posted in
25_特別野外公演_青頭巾
中野です。
見事に晴れました。
本日は千秋楽、ずっと取り組んできた演目『青頭巾』ともいよいよお別れです。
蜷川さんや流山寺さんのように、一年にたくさんの演出作品を実現する人たちもいますが、自分の準備のスピードを鑑みれば、年に3〜4本が限界です。
ですから、人生で向き合える台本の数自体もすごく限られている。
今日を終えれば、自分の本棚に、またひとつ懸命に取り組んだ台本がおさまるわけですが、この時はいつもいつも、寂寞とした想いにかられます。
と同時に、『青頭巾』の
登場人物や世界はいまや自分の中にしっかりと堆積していて、ちょっとリハビリしさえすれば、いつだって取り出してやるぞ、という感じでもあります。
とにかく一旦さよならですから、爽やかな別れにしたい。
9月5日(土)横浜本番2日目は『青頭巾』全体の千秋楽
6時に起きると頭痛がする。
どうやら寝違えたらしい。
何もこんな日に、と思って首筋をゴリゴリやりながら、いつものようにノートを作る。
といっても、すでに手直しするべき箇所は少ない。
科白を言ったり動いたりする時に、頑張りすぎてはいけない、とか。
どこか強かに、ニヤリと笑ってみせるような余裕があると良い、とか。
そんなシーンがいくらかあった。
それに、今日は学生パフォーマンスチーム「ザ・クロナイン」の最後の舞台でもあるので、彼らを送り出すセレモニーについても考えた。
8時に出来上がったプランを元に、何人かに電話をかけて指示を出す。
特に齋藤には、散歩がてら彼の家に行って、全体のあらましを話しておいた。
ついでに大学に寄って、セレモニーに必要な荷物を調達して、植物への水やりもする。
10時に帰宅し、身支度を整えて現場へ。
集合の少し前に臨港パークに着いてみると、あまりの人の多さに驚く。
ほとんど半裸で体を焼いている人、ボーイスカウト風の少年少女、ランナー、観光客、釣り人で溢れかえっていて、目を見張る。
こりゃ昨日とは桁が違う。
かなり大変そうだ。
11時半に全体集合。
体操をして打ち合わせ。
今日はみんなの親が大結集するらしい。
かく言う自分も父が名古屋からやってくる。
12時。
皆に現場の設営を任せて、自分は助手席に林麻子を乗せて、トラックで大学へ。
途中、父を横浜駅でピックアップ。
大学に着くと、現場で出たゴミを捨て、さらに学生のセレモニー用に麻子の伴奏練習。
トラックの荷台にエレキピアノを乗せて、再び臨港パークに向かう。
途中、3人で昼食を済ませ、皆のお弁当も買って帰る。
14時過ぎに現場に戻って、皆で暴れまわるシーンを稽古。
そのあと皆は昼食。
15時から、エンディングのシーンを変更。
16時、本格的にメイクや着替えを開始。
この頃になると、例のヘリコプターがガンガン飛んでいる。
またワダ君が挨拶に行くとともに、今日のフライトの予定を聞いてきてくれた。
残念ながら、今日は夜もすごい頻度で飛ぶらしい。
まあ、仕方ねえ。
せいぜいヘリコプターとも遊んでやるさ、と役者に開き直りを要求。
17時。
土曜だけあって、お客さんの集まりは早い。
昨日と今日、2度通ってきてくれた人もいる。
出演者や学生たちの父兄さんと、ご挨拶ラッシュ。
久しく会っていなかった横浜ならではのお客さんが多くて浮かれていたら、急に風が出てきた。
空を見れば、なんだか急に暗雲垂れ込めている。
天気予報は晴れを宣言しているがぜんぜん信用できず。
だが、強気でいこう、強気で。
一点良いことが。
公園内にいた人たちが天候の変化を受けて激減、本番を前にすっかり静かになった。
17時半。
早く集まったお客さんの期待に応えて、早めに前座をスタート。
最後なのに、特段気負わずに学生たちはやっているように見える。
一方でたくさん見に来て下さった親御さんは、これを何と思うのだろうか。
遠くから見ていると、後ろのベイブリッジと彼らのコントラストが鮮烈。
ああ、この何と名付けたらよいかわからない演し物も、見納めだなあ。
18時過ぎ。
大入りで口火を切るラストステージ。
楽日の劇は独特。
これまであんなに体に刻み付けてきたのに、ひとつ科白を言うたび、ひとつ場面を終えるたび、もう忘れてしまっていいのだ。
だからこそなのか、皆丁寧だった。
もちろん、お客さんとの間に立ちはだかる強風の壁を突き破るためもあったろうけれど、ここまでやってきた勢いがありながらも、ひとつひとつ言葉や所作を置いていく感じが、皆も別れを惜しんでくれているようで、自分は好きだ。
ヘリコプターとも戯れつつ、休憩をはさんで2幕へ。
雨が降ってくる気配は微塵もないが、風はとにかく吹き続ける。
湿っぽいベタベタした風は、明日から雨降らせる気満々といったところ。
私たちの舞台装置は大きく3つある。
ビールケースでこしらえたテキ屋と、ザクロの木のハリボテと、初夏に目白の業者に買いに行った紅白幕。
このうち紅白幕が、2幕の半ば過ぎでパタリと倒れた。
本当は最後の最後で熊野と禿が揉み合って倒れるのだけれど、風で先にいかれてしまった。
こうなると後ろの橋が丸見えで、行き交う人々もよく見える。
前景では劇の世界が展開し、遠景にはカップルやランナーたちの姿。
後で皆に聞いたら、すでにあまり人もいないし、劇も終盤で盛り上がっているから、もうこのままいってしまおうとメンバーの誰もが思っていたという。
自分もそのひとり。
もう細かいことはどうでもいいや。
勢いで昼のうちに改造しておいたエンディングに突入して、それから今朝から突貫で準備した「ザ・クロナイン」の解散セレモニーもやりきり、この一連の公演は幕を閉じた。
お客さんが多すぎてすべての人たちと語らうことはできなかったけれど、強烈な海風にさらされながら大勢の人たちがコップを手にして喋って喋り倒している。
櫓からさす明かりで浮き上がっている宴会は盛大で、ひとりひとり橋を越えて帰って行く様子も画になっていた。
21時を過ぎてお開きにすると、差し入れ大会。
頂き物を真ん中に並べて、皆で食べ尽くす。
本番中にそれぞれが何を考え感じていたか、終演後にお客さんとはどんな話をして、知人や家族はどんな感想を持ったか。
ワイワイやりながら報告し合い、一息つく時間。
明日の片付けが終わったらこれからどうしよう、なんて、これは学生たちとの話題。
劇団メンバーとは、次の準備が一週間後にすぐ始まるし、11月まで走り抜けようという話をした。
自分もこの公演の片付けと押し寄せる次の準備で、むしろ予定は混んでくる。
ああ、本番の日々はよかったなあ、としみじみ。
夜のうちにできるだけ片付けようということで、23時過ぎまで、翌日の負担を減らすために粘った。
家の遠い者から、「おつかれさま」と行って帰って行く。
自分はベンチに座ってこの日記をまとめていたが、虫よけスプレーの効果が切れたのか、ここにきて大量の蚊に襲われ、気も狂わんばかりに全身が痒い。
集中力もすっかり切れて、大量のムヒを塗りたくりながらもさらに新たな蚊に襲われる始末。
日記のアップはこうして翌日となってしまった。
今朝もまだ、強烈に痒い。
2015年9月 5日 Posted in
25_特別野外公演_青頭巾
中野です。
本番の日の朝を迎えました。
現地を番していた重村によると、気になったのは雨くらいで、風も蚊も問題なかったそうです。
予報によれば今日と明日は晴れ、日曜日からはまたずっと雨が降り続くとあるので、結果的に幸運なチョイスであったといえるでしょう。
普通ならば土曜と日曜日に公演するところを、今回は前後のつががりがあって、金土の本番としました。
金曜日に18時開演はちょっと早いのですが、予約のお客さんもまずまず、ありがたいことです。
午前中はいつものノート作りや散歩、買い物、家の掃除などをして、みなとみらいに向かいました。
都内で公演するのと違い、現場が家から近い!
さあ、本番、本番。
9月4日(金)横浜凱旋公演 本番1日目
現場に着くと、強い日差しのせいで顔をしかめながら、すでに先に到着したメンバーが色々なものを干している。
雨ガッパや養生用のシート、洗濯後の衣装なんか、こんな天気だとすぐに乾く。
一方、すぐそばの岸壁に打ちつける波はきわめて豪快。
まさに、天気晴朗にして波高し。
11時集合。
体操を済ませ、今日の予約数を確認する。
皆のなかには、親や親しい友人がくるという人もいる。
知り合いが見にきてくれて、横浜に帰ってきたのだという実感する。
12時45分から稽古。
昨日のゲネプロを受けて手直しするところがいっぱいあったので、かなり根を詰めた。
繰り返し、繰り返し。
動いて、動いて、運動量を増やす。
臨港パークの広さを使い切れますように。
14時45分。
稽古の途中に抜けた齋藤が、トラックでお弁当を届けてくれた。
こうして皆で車座になって食事をするのも、あと数日。
15時半から、さらにボルテージは上がる。
客席をつくり、皆は16時から本格的に着替えとメイクへ。
そうそう、今日特に神経を使ったこと。
隣のヘリポートから、ひっきりなしヘリコプターに飛び立っている。
至近距離なのですごい爆音だ。
朝のうちにワダと八重柏の長身コンビが挨拶に行き、野外劇場の上空を避けて飛んでくれることになった。
けれども、すごい音であることに違いはない。
ナイトクルージングと聞いていたが、昼間からすごい量のフライトだ。
どうもバスツアーとセットにしたクルージングサービスを今日は特別に行っているとのこと。
恐れをなしてもう一度ワダ・八重柏コンビが問い合わせに行ったら、夕方でツアーのサービスを終わり、あとは19時半から3便、メインのクルージングがあるという。
というわけで、前座パフォーマンスは17時半に始めることにした。
うまくスイスイ進んでいけば、19時半までに劇本編を終えられるかもしれない。
幸い、平日だというのにけっこう早い時間から、お客さんは集まってくれた。
17時半過ぎ。
前座パフォーマンスをスタート。
ライオネルが司会につまったり、勅使河原がラップの紹介を間違えそうになるのもご愛嬌。
客席は温かい。
おもしろかったのは、学生たちのパフォーマンス中、次から次へと個性的なお客さんたちが橋を越えて受付にやってきたことだ。
出色は大久保鷹と山崎春美の登場。
2人はたまたま合流して、遥か遠くから、あの独特のオーラを撒き散らしながらやってきた。
ところで肝心のパフォーマンスだが、最近の吉村は本当におもしろい。
彼女の顔を見ているだけでこちらの表情がほころんでしまう。
高校時代ずっと野球部のマネージャーだったいう彼女は、どちらかというと他人のお世話より、自分がもっと前に出て行くのが向いていると思う。
ちょっとしたスターだ。
2年生で唯一参加の米澤は特に身体能力に優れ、松下は天然そうに見えてなかなか野心家だ。
パーカションで屋台骨を支える2人、黒田は椎野の甥っ子に似ており、齋藤は高校時代の軽音部でしごきあげられたために、すでにプロの顔をしている。
旅の途中、虫さされで泣いていた高畑は、もともとすごく小さかった声が、小さな声くらいには昇格した。
あと、ずっと無表情だったのに、最近は少し笑うようにもなった。
小島は普段から体力と根性の無さを周囲にアピールして止まないが、本番直前になると俄かに追い込み出すギャップがおもしろい。
こういうときだけはデキる女の顔をしているのを見れば、なかなかどうして、誇り高い人だなと思う。
ライオネルと勅使河原は、これまでもしばしば触れてきたので割愛。
ただ、この男女のリーダーを得たことが、この集団の幸運だ。
劇団連中もずいぶん助けてもらった。
このメンバーが揃うのも、今日を入れてあと2回きりだ。
18時少し過ぎ。
本編突入。
始まりからにぎにぎしい雰囲気に包まれて、皆が張り切っているのがわかる。
よく笑ってくれている。
劇場より、テントより、こういう反応を引き出すのは野外に限る。
オープンエアーだと、なぜか人は開放的になるのだ。
中盤まで進んだところでトラブル。
音響席にいた自分からは見えなかったが、他の者たちの伝によれば、出番前に気合が入りすぎ、思わず海に入って出番を待っていた鷲見が、警備員さんに不審者と間違われてしまったのだ。
そりゃ、海に入るのはこちらが悪い。
番が終わってからも、よくお詫びをした。
19時前、休憩中の雰囲気もすこぶる良かった。
2幕が始まり、半ばにさしかかったころ、プロペラ音が。
時計を見れば19時20分。
あーあ、もう始まっちゃったか。
と思いつつ、役者がそれに対応してくれることを願う。
果たして、ヘリの影響、そんなに大したことはなかったと思う。
ただし、ヘリの音が特に大きくなったところに限り、これ見よがしに花道に進んで笑いながらお客さんに近接し、ゆっくり大きく、それこそ耳の遠いお年寄りに話すような科白の言い方をするくらいの強かさがあってよいように思う。
どんな環境も、パフォーマーの裁量ひとつで劇場の仕掛けに変えてしまう。
それが野外の真骨頂なのだから。
結局、トイレ休憩が延びたり、本編も熱が入ったりで終演したのは19時40分すぎ。
そのあと、すっかり興奮気味の鷹さんに乾杯をしてもらって、皆で楽しく話した。
たくさん差し入れもしてもらって、皆でガツガツとご馳走になった。
劇団のお客さんも、演劇界のみなさんも、去年トラック演劇に参加した学生たちも、みんな笑顔だった。
この景色のもとにいると、皆が幸福になるのだ。
東京ではゲリラ豪雨や竜巻まであったらしいけれど、私たちは横浜にいて心から良かった。
明日、いよいよ最後の夜。
2015年9月 4日 Posted in
25_特別野外公演_青頭巾
中野です。
今朝は幸先の良いスタートをきることができました。
朝の散歩と買い物を終えて帰宅すると、ポストに河北新報が届いていたのです。
7月に取材をしてくれた記者さんは、公演前の記事にとどまらず、実際に仙台公演を観劇された上で、劇評も書いてくれたのです。
「唐ワールドが仙台に帰ってきた。」という一文で始まり、劇の中身に触れたあと、わたしたちの野外劇、純粋にからだと言葉で勝負する今回の上演形態を高く評価して頂きました。
「75歳の唐は会場に現れなかったが、影響力の大きさを実感させた。」という結びこそ、この旅の一番のお土産であるといえます。
唐さんは実に「お土産話」というのが大好きで、ひとつ芝居や旅公演を終えたあとには、必ずそれがどんなだったかを報告し合いながら飲み会をするのが慣例です。
さらにこういう時、自分が何に着眼し、それをどんな風に唐さんにおもしろく伝えるかということに、わたしたちは全霊を賭けます。
この「話が最大のプレゼント」という気風は、唐さんご自身、師である土方巽さんから受け継いだものといいます。
唐さんもまたアスベスト館に通った駆け出しの頃、土方先生の前でどんな話しをしようか頭を悩ませ、よく思案したものだとも伺いました。
秋田では土方さんの足跡を感じながら、舞踏の泰斗の遊び場だったという千秋公園で公演してきました。
自分たちを緊張させる唐さんを、さらに緊張させたという土方先生。
その伝説の数々は大久保鷹さんからも聞いています。
できるならば、一度謦咳に接してみたかった。
河北新報に話を戻せば、『青頭巾』の批評の上には「とうほく学生演劇祭」の記事が仲良く並んでいます。
これは、私たちの仙台公演のお世話をしてくれた東北大の中村くんが代表を務める企画です。
ゆけゆけ中村!
彼はほんとうに徳の高い、いいヤツなのです。
だから応援せずにはいられない。
東北各地で覚えた熱をからだのあちこちに感じながら、今日も出撃。
9月3日(木)横浜凱旋公演のゲネラルプローベ
今日は前半、自分だけ別行動をとりました。
昼に都内に出て打ち合わせです。
その間、臨港パークでは、学生が10時に集合して自主稽古。
さらに、劇団員を含む全体は12時に集合して、詰めの作業をじりじりと押し上げていたそう。
野外劇場を整え、劇の稽古も行っていた彼らに自分が合流したのは、リハーサル直前の16時半過ぎ。
ちょうどこの頃から雨が降り始める。
現場に着くと、皆は客席に楽屋テントの天井部分だけを建てて、雨宿りしている。
西の空を見れば、ちょっとやみそうにない。
仙台公演では大雨でゲネプロを中断したけれど、少し間が空いた今日は絶対に全てを完遂してチェックしきらなければならない。
やれやれと思いながら、歌練習をして、ついでに音響チェックも済ませる。
すると、諦めていたのに雨が上がった。ラッキー。
ここらで、室井教授もやってきた。
17時40分。
予定通りの時間で前座パフォーマンス、客席整理の段取り確認を済ませて、劇本編になだれ込む。
仙台以降、多少時間が空いたし、この場所で通し稽古は初めてなので、かみ合わない箇所がいくつもある。
いつものように音響をしながらチェック項目を書きとめていたら、みるみる付箋がなくなった。
19時40分終演。
修正点、多し。
ただ、言っておくと、全体にとにかく元気はよい。
ここしばらく休んで、みんなエネルギーいっぱいだ。
あとは、ちょっとずつ噛み合わないところを細かく指摘してやっているだけ。
これが流れたら、さぞ愉しいだろうなあ。
だから、明日明後日はすごく期待して欲しい。
全幕を終えて、エンディングを念入りに手直し。
それから片付け。
帰り際に、車座になって細かな修正点を伝えた。
あと一晩、どうか粘りに粘り、考えに考えて、全行程の集大成に相応しい結果を出してほしい。
素敵な臨港パークの景観をむしゃぶり尽くしてほしい。
そう思って伝えた。
終わったのは22時過ぎ。
帰り道、みるみる雨が降ってきた。
今夜は本来、齋藤が劇場番の予定だったが、腰を痛めた彼に変わり、重村が番を買って出てくれた。
予報によればこれから夜中に雷雨がやってくるが、どうかよく休んでほしい。
と、ここまで書いたところで日付が変わった。
今日はもう本番の日だ。
残り2ステージ。
2015年9月 2日 Posted in
25_特別野外公演_青頭巾
中野です。
今朝起きると、自宅の窓際の床が濡れていました。
暑いから窓開けっぱなしにしていたら、夜中に強い雨と風があったらしい。
昨晩から臨港パークで番をしているワダは、一体どうしているのでしょうか?
心配です。
9月2日(水)臨港パークで徹底的に稽古する日。
起きぬけに早速ワダに電話してみる。
寝ているかとも思ったが、彼はすぐ出た。
タワーの話によると、雨風は問題無かった、ただ、昨晩の願いむなしく、
とにかく想像以上に蚊がひどかったらしい。
10時に集合。
体操を済ませて、まずは雨のなか風対策。
楽屋や装置を固定する。
海風は強烈だ。
穏やかな日は気持ちがいいけれど、一旦強さを増すや、
床に敷いているトラックシートまで豪快にひっくり返してくる。
あとは櫓の飾り付けや、前座パフォーマンスの小道具作りをして過ごす。
12時近くになって急に晴れてきた。
晴れてきたあとで天気予報を見たら、今日は夜まで晴れに変わっている。
露骨な帳尻合わせだ。
女心と秋の空というが、ここまで天気予報が日和見になるとは。
作業がひと段落すると、トラックの助手席でワダが寝はじめた。
彼は一晩中、雨風の被害から楽屋テントを守っていたらしい。
しかもよくよく聞いてみれば、先ほど挙げた大量の蚊の他に、
26時ごろまで海岸でキャッキャしていたカップルがいたらしい。
これにもかなり苦しめられたという。
あんな天候でしかも虫だってたくさんいるのに、かなりの盛り上がりだったらしい。
すごい。恋のチカラ。
14時から遅めの昼食をとり、15時から稽古へ。
まずはストレッチからはじめて、身体を動かす上での注意点を伝える。
ここはみなとみらいの中でも、とりわけ空と海と大地の広さを感じられる場所だから、
これまでよりさらに運動量を増やすべく、入念に準備運動をさせた。
その上で劇本編の修正点をひとつひとつ当たっていく。
ここまでくれば、要はよく周囲の環境を使いこなしてひたすら遊べばいいのだ
が、この「遊ぶ」というのが難儀なのだ。
見ている人たちに伝わるように遊びきるには、逆説的なようだが、実は周到な準備が必要だ。
あとは圧倒的な度胸。
本番はぜひとも、演者がやりたい放題やっている開放感を味わってもらいたい。
それが東北ツアーを経て培ってきた野外劇の醍醐味だ。
19時半に劇の稽古を終えて、前座パフォーマンスの練習に入る。
が、しかし、すぐに自己練習を命じる。
なんというクオリティの低さ。
やはり合宿体制はよかったと思わざるを得ない。
毎日帰宅してプライベートがあると、彼らは足並み揃えて追い込み練習をしないのだ。
というわけで目下、ひたすらラップを繰り返す学生を遠くに眺めながら、ベンチでこれを書いている。
あと3日で彼らも解散なのだから、どうか持てる力をすべて絞り尽くしてもらいたい。
明日は、全体が12時集合となった。
自分だけは今後の劇団活動に向けて都内で打ち合わせがあるので、遅れてゲネプロの直前に合流となる。
稽古で伝えられることはすべて伝えた。
明日を含めて、この『青頭巾』に接していられるのも残すところあと3回きりだ。
2年前、とびきり子どもっぽくて、笑えて、
でもどこか切れ味するどい演目を求めてこの台本に辿り着いた。
花やしきを皮切りにトラックに乗って巡業していると、
自分たちが登場人物のテキ屋たちと重なるようにもなってきた。
超大作ではないけれど、愛すべき、スマッシュヒットな劇。
稽古しながら、本番をやりながら、まったく唐さんは恐ろしく下らないこと考える達人だよな、
と何度も大笑いさせてもらった。
あと数回笑い尽くしたら、また大感動の大河ドラマにも立ち向かってみたい。
2015年9月 1日 Posted in
25_特別野外公演_青頭巾
中野です。
久しぶりに臨港パークにやってきました。
ここに来ると、いつも海が盛り上がっているような印象を受けます。
天候のせいか波も高い。
まるで生き物のような海面です。
表情に富んだ水面を見ていると、魚がよく飛び跳ねます。
何度か下見には来ていましたが、いずれも20分程度見聞してきた程度です。
こうしてじっくりとここで過ごすのは実に4年ぶり。
2011年に「大唐十郎展」を開催して、『海の牙』を上演して以来です。
あの時も、こんな風に魚は飛び跳ねていました。
9月1日(火)臨港パーク現場入りの日
今日の目標は、早朝から2台のトラックで荷物をピストン輸送し、夕方からは、
前座パフォーマンスと劇本編の登退場位置を定めることにある。
と、意気込んで早朝起きたが、外は霧雨。
天気予報を見れば、これから本格的に降ってくるとある。
8時半、大学に集合して昨夜積みきれなかった荷物を箱トラックに乗せる。
今日はピストン輸送のためにメンバーを2隊に割っているので、残りのメンバーは10時に臨港パーク。
八重柏、入山と学生のうちの何人かは現場に集合して、荷下ろしの担当。
9時15分に大学を出発して30分弱かけて臨港パークに着くと、現地集合組はすでに集まっていた。
小雨だというのに何故か屋根のないところでウロウロしているので、公園内の橋の下に荷物とともに移動させる。
搬入開始の前に、齋藤とワダタワーを連れてパシフィコ横浜と警備員事務局にあいさつに行く。
齋藤は昨日ギックリ腰をやってしまい、体が少し傾いている。
歩くのも辛そうだが、残念ながらこの公園は広い。
事務局も遠いのだ。
2011年にお世話になった時もそうだったが、ここを管理されている方たちは皆さん温かだ。
けれど、問題がひとつ。
東北では坊主役の鷲見は出番になると原付バイクで登場していたが、臨港パークは二輪車の乗り入れ禁止らしい。
自転車もダメ。
けっこうウケていたのに残念だ。
しかし、事務局からの帰り道、即座に別のアイディアを思いついたので、この場所でしかできない臨港パーク特別バージョンをやることにする。
こういうのが野外劇のノリだ。
10時10分。
いよいよ2台のトラックを公園内に入れたところで、雨脚が強まってきた。
大変ではあるが、なあに、風邪をひかなければ、あとは本番さえ晴れてくれたら我々はいいのだ。
周囲の景色と照らし合わせながら野外劇場の設営位置を決めつつ、どんどん荷下ろしていく。
1台目を降ろしきり、すぐに大学へ戻す。
続いて2台目。
11時半。
大きなユニック車に乗って、発電機が運ばれてきた。
東北では自分たちのトラックに乗せて連れ回したが、ここ一箇所につき、運んでもらった方が経済的だ。
現場が落ち着いてきたので、自分だけ現場を抜けて、桜木町近くの日本丸訓練センターに行く。
来週月曜日から始まる夏期集中講義の会場がこの訓練センターなので、書類を提出しに行く必要があったのだ。
着いてみると、陽が差して晴れてきた。
そして、大量の小学生がウロウロしている。
すごい。
皆が皆、無軌道な動きをしている。
何とか統制しようとする担任の先生。
あの先生たちに比べれば、大人22人で動いている自分たちなどなんでもないなと笑ってしまう。
ここにきて気づいたのだが、今日9月1日は新しい学期のはじまりで、
ついに関東以南の小中高生も動き出したのだ。
東北ではすでにランドセル姿の子どもが行き交っていたので、こちらもやっとかという感慨。
それにこの日は、あの関東大震災の日でもある。
自分も昔は防災訓練したっけ。
12時半に現場に戻ると、野外劇場が徐々に立ち上がってきていた。
ワダの統率のもと進む作業は速い、しかも雰囲気が和やか。
体も心も大きなワダタワー。
13時半過ぎから遅めの昼食。
食べていると2台のトラック、大学の積み込みメンバーも合流して、ほぼ全員集合。
ほぼ、といったのは禿だけ大学でデスクワークしているからだ。
15時。
作業を再開しこつこつと進める。
多少は小雨も降ったが、なんということはない。
海風も強すぎず過ごしやすい。
それにしても、この公園を行き交う人の数はかなりのものだ。
近所のマンションに暮らす散歩の人、観光客、釣り人など、けっこう沢山いる。
自転車でやってきたおじさんが特に熱心に看板を眺めていてくれたので立ち話をしたが、
戸部から来られているのだという。
この公園では映画やドラマのロケが頻繁に行われているらしく、
いままでに見かけた俳優さんたちの話や、亡くなった北村和夫さんと呑んだ話を聞かせてくれた。
かなりの芸能通らしく、最近『人間の条件』を見直したけれど、やっぱり仲代達矢は上手い、と興奮ぎみ。
「子ども生むなら早い方がいい」「うつ病にはなるなよ」という去り際の励ましも含めて、
おもしろいおじさんだった。
17時には作業をひと段落して片付け。
18時から場当たり、と思っていたら雨が降ってきた。
さっと避難して予報を見る。
少し西のあたり、普段自分たちのいる保土ヶ谷区が真っ赤だ。
いまごろゲリラ豪雨に襲われているのだろうか。
我らが頭上は意外とたいしたことないので稽古再開。
まずは学生たちのパフォーマンスから確認。
言葉や所作や立ち位置を少しずつ工夫する。
そうしている最中にも、蚊の多いこと多いこと。
雨の影響か大量発生している。
けれども、東北の虫刺されに比べれば知れたもの。
次に劇本編の登退場を確認。
三たび雨による中断も含めて20時には終わった。
稽古中、学生女子は「キレイだね」などと囁きあって、みなとみらいの夜景を満喫している。
それもそうだ。
短期間のうちに方々連れ回して変な経験をたくさんさせてきたけれど、彼らはつい最近まで田舎で高校生をしていたのだ。
あれはレインボーブリッジじゃないよ、ベイブリッジだよ。
湾岸署のあるお台場がレインボーだよ。
何度か雨による中断を挟みながらも、20時に稽古を終えて片付けに入る。
エンディングの目処もつき、明日の集合を10時と定めた。
旅公演と違い、横浜にいると日常の仕事も舞い込んでくる。
それらを朝と晩に捌きながらも、見定めるのは残り2ステージ。
21時解散。
当夜の番はワダがやってくれる。
重ね重ね大きな男だ。
どうか彼を襲う蚊の少なからんことを。
2015年8月31日 Posted in
25_特別野外公演_青頭巾
中野です。
東北から帰ってきて、はや6日が経ちました。
休み中は、望月六郎さんが公演している浅草東洋館に2度足を運びました。
以前とは、劇に接したり、終演後に出演者の皆さんに接する感覚がまるで違います。
それはそうだ。
今度は自分たちが望月さんの新作を上演するのだから、皆さん望月作品の先輩だ。
親近感を感じながらの観劇。
終演後は、おお兄弟たちよ、という気持ちで話をしてきました。
望月さんのところの観劇以外に特に予定を入れなかった劇団員たちは、夏なのに全然暑くないので、さぞよく眠れただろうと思います。
なにせ3週間も自宅を離れて旅をし、集団で生活してきたわけですから、疲れも溜まっていたことでしょう。
そこで思い切り休暇を与えてリフレッシュに努めさせました。
その甲斐あって、本日集合をかけてみるとみんな実にすっきりした顔をしている。
いや、すっきりしすぎている。
そこで今日は、芝居中いくつか気になっていたシーンを取り出して、そんな弛緩しきった体を思い切りシメてやりました。
忘れてはいけない。
今週末は『青頭巾』全体の最後を飾る、横浜みなとみらい凱旋公演なのです。
というわけで日記も復活。
ここから6日間は再び自分たちの格闘を記していくことにします。
8月31日(月)は、臨港パークに乗り込むための準備の日。
休暇中は『青頭巾』最終ステージに向かう腹案を温めてきた。
2004年『ジョン・シルバー』、2011年『海の牙』に引き続き、久々に海っぺりでの公演。
石巻の海岸も首位の大自然が素敵だったが、横浜の、夜に輝く東京湾もなかなかのものだ。
それに、ここ半年以上取り組んできた『青頭巾』のラストを飾るわけだから、渾身の野外ステージにしたい。
13時。
大学に集合する。
まずはミーティングを開き、これからの一週間と、さらに今後の劇団のスケジュールを確認する。
次に、学生チームのパフォーマンスをチェック。
彼らはそれぞれの公演場所で、その土地土地に則したパフォーマンスを繰り出してきたのがウリだ。
当然、横浜でも内容を改める。
先週の段階で会議を開いてアイディアを練らせておいたが、休み中に詰めてきた方向性が間違っていないかを確認する。
久々にこの場所で練習をするなあ、と思いながらチェック。
彼らは数ヶ月前にはか細い声の、さらに動きも鈍い新入生だったが、今回の旅を経てよくここまで元気いっぱいになったものだ。
以前と同じ場所だと、その差がよく分かる。
しかし、週末に臨港パークで相手にするのは劇やダンスを見慣れたお客さんばかり、さらに鍛えこむ必要あり。
変更点を伝えて、あとは彼らに任せる。
何人も親御さんが見に来られるそうだから、張り切ってやってほしい。
続いて、劇団の稽古。
芝居の大敵はルーティンだ。
確かに上演を重ねれば科白は滑らかに、所作はスムーズに、段取りは自在になる。
しかし、慣れてしまえば知らず知らずのうちに甘く入るのが人間。
細かい部分でちょっとした押し込みや粘りが失われれば、これが徐々に堆積し、全体でかなりの質の差を呼んでしまう。
同じ舞台でもコンディションによって様変わりするのはそのためだ。
私たちは公演回数がそんなに多くはないので、どうしても堕落するわけにはいかない。
そこで、仙台公演が終わってからよくよく思い返してピックアップし、緩みがちになってきていた箇所を引き締めておいた。
特に集団シーンともなると、少し時間が空くだけで、すぐにお互いがどう動くか探り合いを始めるし、遠慮しいしいな様子がいかにもうっとうしい。
力を入れてへとへとになるまでやった。
17時。
そろそろ荷造りと積み込みを開始。
今回は経費節約のため、レンタルのトラックを2台に限定してピストン輸送する。
公演場所が近いからできる技だ。
皆、東北公演を経て慣れているし、少ない車両に寄ってたかってなのであっという間に終わった。
19時くらいになって流れ解散。
制作チームは看板作りなどしているし、学生の中には小道具を作っている者もいるので、それを横目に自分はこの日記を書いている。
明日は7時45分に集合、また公演前の日々がやってくる。
2015年8月26日 Posted in
25_特別野外公演_青頭巾
中野です。
いまはもう水曜日。
大学内での荷下ろし、片付けを終えたところで、皆、一息ついています。
山形の河原で襲われ、あれだけ痒かった虫さされの痕も、気づけば消えかかっています。
来週末に凱旋公演として、みなとみらいでのラストステージがありますが、そのための打ち合わせも終えて、これから3日間のお休みをとることにしました。
自分は月曜に先に帰ってきて、25日は朝から横浜と都内で次回公演に関する準備をしていました。
そこで火曜日に本体に起こったことを椎野に聞きながら、これから最後の日記を書きます。
8月25日(火)は仙台から横浜に戻る日。
7時。
宿舎に残った19人が起床。
私物をまとめ、トラックとハイエースにそれを積み分ける。
なぜか学生はお土産が多い。
積み込みの最中、ライオネル田中が秋田で買った「味道楽」のビンを割ってしまう。
「味道楽」は秋田のどの家庭にも常備されているという万能調味料で、味は「めんつゆ」に近い、らしい。
学生たちが秋田で披露した「秋田あるあるラップ」でも触れられているこれを、ライオネルはカバンに入れたことを忘れて、放り投げてしまったらしいのだ。
横浜までもう少しだったのに。
秋田から2週間ちょっとかけて仙台に運ばれた挙句、食されぬままに力尽きた「味道楽」。
駐車場にたなびく香りから、さすがすべての秋田人を虜にするだけの魅力が伝わってきたという。
田中よ、今度は自力で秋田に行き、手に入れるがいい。
夏の終わりに残された、ライオネルの宿題。
8時半。
貸し布団屋さんが布団を回収しにきたのを手伝い、9時にいざ出発。
ハイエース1台とトラック3台で東北自動車道を南下。
するはずだったが、熊野の運転する車両だけ、助手席の津内口の案内ミスで常磐道に突入してしまう。
その後、仙台近く、菅生インターで最後のお土産爆買い大会。
特に学生たちは日々の食費や風呂代を切り詰めていたが、こうしてお土産に予算投下するところを見ると、義理堅い者たちのようだ。
昨日、中野の運転するトラックがそうであったように、道中、特筆するべきことはなかったらしい。
強いて挙げるならば、常磐道に間違えて乗った熊野の車の方が、10分ほど早く着いたことくらい。
まあ、無事故で何より。
16時半には皆で横浜国大に集結。
東北だけだと思っていたら、横浜もすでに涼しい。
そしてそれぞれの想いを胸に、皆、行きよりも大荷物を持って、散っていくこととなりましたとさ。
〈完〉
追記。
今回の旅公演の総括は後日、都市文化ラボがつくる報告書を待て!
2015年8月25日 Posted in
25_特別野外公演_青頭巾
中野です。
この日記も残すところあと2日間。
本番が終わっても結局5時くらいに起きてしまうので、最後までこのペースで書いていくことにします。
8月24日(月)は片付けと自由行動の日。
早朝、起きだしてみると、周囲の交通量が多い。
今日が月曜日であることに加えて、8月も下旬に至り、お盆休み、夏休みが完全に終わった感あり。
しかし、この西公園の脇の道路は交通の要所なので、往き来が絶えない。
東北に来て、運転が荒っぽいように感じるのは気のせいだろうか。
クラクションの音も多い。
メールのやり取りなどしていたら、7時に鷲見が起きてきた。
じゃあいつも通りねと言って、現場を番する毎日の最後に公園内を走る。
鷲見は旅中に5kg落ちた。
しかも大して食事制限したわけでもないのに。
よほど余分な肉が付いているということだ。
以前にも書いたが、自分と鷲見、それから学生の小島だけは、今日の午後には仙台を発ち、横浜に戻る。
走りながら、秋田に移動したばかりの暑かったころの話をする。
今日帰るので、自分と鷲見は全19日間の行程、他のメンバーは20日間ということになる。
ただし、学生は感覚的に21日の旅だっただろう。
いまとなっては懐かしいが、出発の8月6日は、秋田の竿燈祭り屋台村ステージに17時出演が決まったために朝5時出発だった。
だから、5時に大学に集まる脚のない大半の学生メンバーは、ラボに前泊していたのだ。
公園脇の道路を小学生が登校してゆく。
今回の東北ツアーで初めて知ったが、東北をはじめ雪の降る地域は夏休みが短く、冬休みが長いとのこと。
8月下旬にはもう始業なのだ。
北海道出身の鷲見も同じなのだという。
9時過ぎ。
渋滞に揉まれ、予定の時間に遅れて宿舎から皆がやってきた。
昨晩は24時近くまで片付けをしてかなり追い込んである。
車から降りるなり、あと3時間ですべてのケリをつけようと、士気が高い。
これまでわずかの例外を除いて宿舎と公演場所を往復するのみ。
徹底した団体行動を課せられてきたために、午後から明日早朝までの自由行動時間が、彼らにとって相当眩しいらしい。
速い速い。
自分は9時半から、お世話になった人たちをお礼で訪ねて回った。
役所や宿舎や、宣伝に協力してくれた皆さん、さらに公園場所の近隣。
移動時間は頭を整理する時でもある。
帰ったら色々と報告書を提出しなければならないし、次の企画が控えている。
仙台市内を動きながら、秋田、山形、石巻、仙台、それぞれの場所で助けてもらった人たちの顔が浮かんだ。
11時半に現場に戻る。
トラックへの積み込みもほとんど終わっている。
中村くん、室井教授も来ていたので、一緒に近くにあるターンアラウンドギャラリーに行った。
ここの関本さんは2日間も観に来てくれた上、いろいろ宣伝してくれたのだ。
思えば、4月末の下見の時に、同行してくれた秋田公立美大の阿部さんのガイドで初めてこのギャラリーにきた。
その時、関本さんが仙台で公演することを勧めてくれたのだ。
短い期間で、よくこのツアーが成ったものだと、感慨深い。
お礼を伝え、握手をして辞す。
現場に戻ると、室井教授は横浜に帰って行った。
皆はまだ公園内の地面をブラシでこすっていたが、自分は中村くんと一足先に昼食へ。
知り合って間もないというのに、中村くんは本当によくやってくれた。
専門の制作ではないにもかかわらず、見たことのない唐ゼミ☆や『青頭巾』のステージを推して回るのは大変だったと、いまだから彼も言う。
食事を終えて現場に戻りながら、今度、関東にいる自分たちが役に立てることがあったら言って欲しいと伝えた。
風邪気味の彼には、9月上旬に東北全体の学生演劇を巻き込んだフェスティバルの実行委員長として仕事がある。
これから新聞の取材なんですよと言って、彼も去って行った。
13時近く、お土産を買った鷲見たちも戻ってきた。
最後に慣れ親しんだ源吾茶屋に行き、いよいよ3人で出発。
............。
ここから先は、東北自動車道を南下して帰ってきただけで、特筆するべきことはない。
あとは大学に到着するとラボに直行、葉を落としながらもなんとか19日間を凌いだ観葉植物に水をやる。
そこで、本日の午後に仙台で何があったかも含めて、学生の西野にも書いてもらうことにしよう。
【大学2年生 西野ゆりの8月24日(月)】
中野さんが一足先に横浜に帰ってしまいましたので、代打を打ちます。
横浜国立大学2年生の西野です。
昨日ついに東北巡業の千穐楽を終え、今日は朝の九時頃からみんなでバラシ、積み込みの作業でした。
長かった東北ツアーももうそろそろおしまいです。
東北ツアーの最初を飾った秋田公演も、今となっては遠い昔のことのような気がします。
秋田にいたころは暑さで目が覚めるくらいだったのに、ここ仙台では少し寒いくらいで、
半袖Tシャツに七分丈ズボンしか持ってこなかった自分は東北を完全に東北を見くびっていたようです。
普通に寒いです。
さすが東北。
バラシや積み込みはここ三週間くらいの間で数回やってきているので、運びも非常にスムーズであります。
みんな慣れたものだ。
お昼頃には無事に積み込みがすべて終了して中野さん、鷲見さん、学生の小島は一足先に横浜に帰っていきました。
一日前、一つ後輩の小島に24日横浜帰宅メンバーの座をかわってくれないかなと頼んだものの、
あっさりきっぱり断られてしまった自分はちょっぴりうらやましいなと思いつつも気持ちを切り替えました。
メリハリは大切だと小学校高学年の時の担任の先生がよく言っていたなあ。
さて、そんなこんなで残る私たちはここから明日の7時半までのフリータイムをゲットしたわけです。
旅中、散々フリータイムが少なすぎると思い続けてはきたけれど、いざ、さあここから自由に過ごしていいよと言われると、果たしてどう過ごして良いものか。
自分がいちばん行きたくて仕方なかった楽天koboスタジアム宮城にはもう行かせてもらったし、
松島や塩釜は下見の時に行ったし、うーん、どこへ行ったらいいんだろう。
昼ごはん、公演場所の西公園内にある源吾茶屋で天丼とずんだもちを食らいながら考える。
とりあえず、「仙台」「観光」で検索だとスマートフォンで検索。
ばらばらと観光スポットは提示されるがあまりピンとこず。
いい案はまったくもって浮かばないけれど、とにかくもちがうまいのです。
ずんだもちがそりゃあもううまいのです。
ずんだが甘すぎずさっぱりしていて、もちがやわらかくてのびるのびる。
おなかも心も満たされ、心地よい眠気に危うくフリータイムを捧げてしまうところだった。
危ない。
いったん、宿舎に戻り態勢を整える。
もう遊園地(ベニーランド)にでも行ってしまうかと林さん、入山さんと半ば投げやりに行先を決定。
外に出ると小雨。
宿舎を出て五歩ほど進む。
引き返す。
温泉に行くと言っていた椎野さん禿さんに着いていくことを決意。
物事を決断する際にもメリハリは重要なのである。
宿舎からハイエースに乗って約1時間、作並温泉ゆづくしsalon一の坊に到着。
深い森、きれいな水が流れている川、澄んだ空気、溢れ出るマイナスイオン、素晴らしき哉、温泉。
施設の設備のいたれりつくせり具合に感動。
お風呂の質も温度も雰囲気も非常に良かったし、なんとアイスキャンデー、お茶菓子、
コーヒーなど食べ放題、飲み放題、加えてマッサージチェアーも使い放題なのである。
何時間でもいられるねとみんな上機嫌。極楽、極楽。
平日だったこともあってかそこまで混んでもいなかったし、
旅の締めくくりとしてはかなり上出来だったのではなかろうか。
気持ちよかったな。
19時ごろ温泉施設を出て、20時ごろ公演場所の西公園近くの居酒屋「和花菜」へ。
差し入れをいただいたり、公演を見に来てくださったりといろいろお世話になったのだ。
ここのご主人は明るくてとてもおもしろい方でした。
家族でやってらっしゃるお店でお料理もとてもおいしかった。
何が一番おいしかったかな、生姜焼きの付け合わせのなすびの炒め物がおいしかったな。
たこ焼きとどんどん焼きもおいしかった。
ご主人と娘さんのやり取りを見ていてもとても仲の良い家族なんだなということがすぐにわかった。
いいなあ。
おみやげももらいすぎなんじゃないかというほどたくさんいただいた。
思えば、どの公演地でも本当にたくさんの人のお世話になりました。本当に良くしていただいた。
ほんの数日前まで赤の他人だったのに、縁というかなんというか、
人との出会いというのは尊いです。そして、楽しい。
明日、私たちは横浜に帰ります。
行きよりは短いけれど、それでも長い移動です。ありがとう東北。
いつかまた来ます。
2015年8月24日 Posted in
25_特別野外公演_青頭巾
中野です。
仙台公演2日目の朝は、雨音で起こされました。
昨晩、終演後から降り続いた霧雨は、ここにきて強さを増したようです。
これを最後のひと頑張りにして、あとはカラッとあがってくれればありがたい。
公衆トイレに行ってみれば、壁や床や洗面台に、羽虫の死骸、死骸、死骸。
ものすごい数の羽虫が雨を逃れてやってきて、力尽きたようでした。
ここ仙台にきて気づいたのですが、8月だということもあり、旅をする若者を多く見かけます。
コインランドリーや銭湯、道でもよくすれ違う。
西公園は東北自動車道の乗り口に近いので、道路端で「青森」「東京」などと書かれた段ボールを掲げて親指を立てるヒッチハイカーを多い。
目を凝らしてみると、今日も西公園の芝生の真ん中に、野宿している自転車の旅人がいる。
ほんの小さな、たたみ一畳にも満たない天井を植え込みに釣り渡して一夜を明かしたようです。
自分と鷲見など、恵まれたもの。
さて、8月23日(日)仙台公演2日目。
この東北ツアーも、今日を入れて残すところあと3日。
今日はまず、昨日叶わなかった衣裳の洗濯に行く。
ランドリーの開店7時に5分遅れただけなのに、結構な利用率。
雨天が続いているのと、さっき書いた旅行者たちのニーズで、数の少ない乾燥機は奪い合い。
もっとも、5台中3台を独占せざるを得ないこちらが、1番タチが悪いのだけれど。
洗濯機と乾燥機を回すとつなぎも含めて90分近くかかるので、早朝の一番町をウロウロする。
ここはファサードが付いているので、雨の日の散歩やランニングに使われている。
日曜の朝は人もまばらで、店は閉まって閑散としていた。
9時に現場に戻り、しばらく鷲見と話をして過ごす。
11時。
トラックに乗って齋藤、西野、入山がやってきた。
衣裳のケアや、先乗りして作業をするためだ。
齋藤によれば、昨晩中村くんは早朝のアルバイトを控えているにも関わらず、26時まで付き合ってくれそうだ。
熱い男だ。
12時。
全員が揃う。
体操をして、少し修正点を伝え、劇場の仕込み作業に入る。
その間、自分は室井教授と源吾茶屋で食事。
味噌ラーメンとずんだもちを食べて戻ってみれば、皆が湧いている。
来客と思ったら、あ、新崎人生だ!
新崎さんは昨日の公演を観に来てくれていたのだ。
昨晩、なんの前触れもなく現れて、プロレス大ファンのワダは開演前に狂喜した。
中村くんに聞けば、ここ東北では、新崎さんはよく劇を観に来られるのでも有名だそうだ。
しかし、わたしたちの公演に脚を運んでくれるなんて。
ところが終演後、舞い上がり過ぎていたワダはうかつにも声をかけそびれ、新崎さんがすぐに去るのを許してしまったのである。
いまから考えれば、慎み深い新崎さんの行動。
晩、ワダは悔いた。
そして今日早朝にしらみつぶしにネットサーフィンした結果、新崎さんのフェイスブックを探し出してメッセージを送ったのだ。
果たして、新崎さんはわざわざ表敬訪問してくださった。
しかも差し入れまで持って。
「おもしろかったですよ」という声も優しい。
皆、お祭り騒ぎになって、記念撮影したり、Tシャツにサインをもらうワダを囃し立てたり、「凄い体だ!」とヒソヒソ言い合ったり。
ちゃっかり室井教授も、「ぼく観てましたよ」「こうロープを渡るのが凄いんだよ」とアピールしている。
実に童心に帰った時間が流れた。
お見送りして、虚脱状態のワダ。
東北に来てよかった、などとひとりごちている。
本番は大丈夫か!?
気を取り直して13時半。
残りわずかのチラシを持って、皆は宣伝と食事に繰り出す。
自分は、発電機の軽油を補充しにガソリンスタンドに行ったり、今度は皆の私服の洗濯に向かう。
同じ場所で公演2日目ともなれば、ここからの展開は速い。
15時、再集合して自主稽古。
16時、洗濯を終えて自分も合流し、バイト後に仮眠をとった中村くんも元気そうにやってきた。
16時半、劇中歌の最終チェック。
17時近く、 いよいよ東北最後のステージが近づく。
降水確率20%、このままいってくれるだろうと確信する。
勢いとはそういうもの。
メンバーのスタンバイも早い。
昨日よりさらにお客さんの出足がゆっくりなので、前座の開始を遅らせることにする。
昨晩は雨を恐れて早目にスタートしたが、今日は恐るるに足らず。
ならば、なるべく多くの人に見てもらいたい。
集まってきたお客さんの様子を観察してみると、演劇や唐さんを知悉している雰囲気がする。
中村くんや南川さんが駆け回ってくれたおかげで、仙台演劇界の古参や新人さんが、注目してくれているのだ。
昨日観てくれた人が何人もリピーターになってくれた。
最大の評価。
お世話になった、ギャラリー・ターンアラウンドの関本さんも、今日も駆けつけてくれた。
ようし、とりあえず今日で一区切りなのだから、思う存分駆け回り、科白を浴びせようではないか。
17時40分。
ライオネル田中を紹介し、暖かな雰囲気の中で前座開始。
昨日はシャイな都市型お客さんとの探り合いだったが、今日はたくさんのリピーターが雰囲気を引っ張ってくれている。
反応に乗せられて、良い流れが生まれていく。
当日駆け込みでお客さんが増えるのを確認し、前座中に手の空く唐ゼミ勢で客席増強。
学生たちが持ち時間を終えると、ワッと野外劇場に観客が押し寄せる。
トイレを勧め、うちわを配り、虫除けスプレーを提案し、さらに一応レインポンチョを渡す。
ここまで回数を重ねると田中も慣れたもの。
18時10分、東北ラストステージの開幕。
あとを考えなくても良いのだから、皆のびのびとやっている。
観客の反応もさらに大きい。
それに応える役者たち。
唐さんの軽妙さ、美しさが伝わっているのを感じる。
途中、配ったカッパを着はじめたお客さんがいたので雨かと思ったが、なんのことはない、肌寒かっただけなのだ。
東北の暑さは短い。
8月のだというのにお盆を過ぎれば、いまが夏のおわり。
休憩時間も「今日も来てしまいました」と何人かに声をかけられつつ、2幕に突入。
イベント盛りだくさんの後半は流れるように進行し、あっという間にクライマックスへ。
来週末、横浜での上演はどう工夫しようか、などという考えも少し頭を巡る。
カーテンコールを終えて、全員を飲み会に誘った。
客席を改造していくつかの輪をつくり、思い思いに座ってもらう。
最後の夜は、仙台の功労者、中村くんと南川さんに乾杯してもらった。
出会って数ヶ月の彼らが、会場を押さえ、宿舎を手配し、宣伝に走ってくれたから出来た公演だ。
それぞれの輪に入って、劇団員も学生たちも打ち解けて話している。
自分も、仙台の演劇界を支えている皆さんと交流。
21時過ぎ、恒例となった椎野のワンマンショーでお開きにした。
名残惜しくお客さんを見送って、皆でダアとなる。
ちょっと落ち着いたところで、片付けへ。
トラックへの積み込みを終えたら、明日は午後から自由行動だ。
だから、今晩の片付けに対する一同の士気は高い。
これまで散々やってきたから、スピードも速い。
その間、自分と鷲見は風呂へ。
いつもの「駒の湯」が休みなので、少し離れた極楽湯にトラックで行った。
まるで『千と千尋の神隠し』のような一大レジャー施設に驚きつつ、奮発して、ドクターフィッシュも初体験した。
魚たちが食べているという感覚が足から伝わってくる。
帰りの車の中、オレたちの合宿ももうおしまいだな、と二人で感慨にふける。
ともに現場に泊まり、朝になれば一緒に体を動かしてきたのだ。
それにしても、仙台には東京タワーの小さい版みたいなものがいくつもある。
道すがら数えただけで4つ。
あれは何なのだろう?
23時過ぎに現場に戻ると、今日の片付けを終えるところだった。
解散してそれぞれの楽屋に倒れこむのも、もう何度目だろう。
明朝の作業は9時開始。
明日の午後、自分と鷲見と学生の小島は、一足先に帰ることになる。
2015年8月23日 Posted in
25_特別野外公演_青頭巾
中野です。
いよいよ最終公演地、仙台の初日を迎えました。
これまでの3箇所は一夜限りの公演でしたが、この場所だけ週末2日間の本番です。
仙台には以前、唐さん率いる紅テント劇団唐組が巡業に来ていました。
それが、誘致してくれていた方が健康を崩されたために途絶えたそうです。
ですから仙台には、一定の唐十郎ファンがいると思って2日公演を組みました。
先日まで危うかった集客も、現地の中村くんや南川さんの努力で、じわりじわり増えてきました。
さすが劇都仙台。
8月22日(土)仙台公演初日。
朝起きてみると、昨日からの雨はまだ降り続いている。
そのぶん訪れる人も少なくて、公園は静かだ。
鳥が鳴き声をあげて飛び始めたので、雨も間もなくあがるだろう。
いつものようにデスクワークをして鷲見と軽く運動、身支度を整えて皆の到着を待つ。
10時半。
皆がやってきた。
聞けば、昨晩はお風呂に行ったり食事をしたりする中で、動きが緩慢だった学生を椎野が叱りつけたらしい。
団体行動も終盤にさしかかり、皆だんだん地が出てきているが、そんな旅もあと数日だ。
室井先生が小遣いをくれたので、齋藤、椎野と青葉城にずんだ餅を買いにいく。
11時半。
全体ミーティングして1日の動きを打ち合わせして、体操、仕込み作業。
自分は皆の衣類を抱えてコインランドリーへ行って洗濯機を回す。
12時45分。
ここらあたりで雨が完全にやみ、カンカン照りになってきた。
久々に暑さを感じる。
ものがよく乾いて助かるが、予報によると、これで夕方から小雨なのだという。
勘弁してくれよ。
作業が一通り終わってきたので、稽古。
学生パフォーマンスと劇の修正点を伝えると、皆それぞれに練習に入った。
自分は再びランドリーに行って今度は乾燥機。
地元のおばあさんと世間話する。
13時半。
皆は国分町や一番町にチラシ撒きに出かける。
2時間あるので、宣伝して、ついでに食事も済ませてくるという段取りだ。
宿舎のある卸町は工場街、周囲には何もない。
そこと西公園の往復だったほとんどのメンバーは、これで初めて仙台の街を探検することになる。
15時半。
皆が戻ってくる。
少し街歩きをし、それぞれ思い思いの場所で食事して嬉しそうだ。
この時点で中村くんも合流し、本番体制へ一気に加速する。
いまだ陽射しが強く、暑いくらいだ。
客席を整え、受付周りを整え、お客さんを迎え入れる体制をつくりつつ、劇中歌の伴奏合わせをする。
雨が降ってきたときのために、避難用テントもセットして、配置を微調整する。
BMX(自転車でアクロバットな動きをするやつ)の練習に取り組む青年が4人園内に入るので、学生パフォーマンスを見るお客さんとの支障が起きないよう声をかけておいた。
17時過ぎ、じわりじわりお客さんが集まり始めた。
これまでの3 箇所はすごく早い集合だったけれど、いつもの、都内や横浜での公演と同じような時間感覚だ。
仙台、都会だなあと改めて思う。
都会人共通の傾向が確実にあるらしく、このあと本番を通じても、それは発揮された。
おもしろいものだ。
17時35分。
ライオネル田中を紹介して前座パフォーマンス開始。
天気予報によれば夜は雨と盛んに言っているので、早めにスタートを切った。
劇の始まりをチラシで告知した18時以前にするのはルール違反だが、ぴったりに開演するペースを狙う。
学生たちよく動いて声も出ているが、反応薄。
山形県にちなんで『おしん』の名場面を再現する出し物があるが、おしん役の吉村が、船に見立てたポリバケツに乗る際、それを支える松下・米澤コンビがバランスを崩し、落下。
これには客もちょっと反応。
あと、甲子園ネタで「仙台育英高校ありがとう」と田中が吠えると、これにも少し反応。
学生たちにすればやや不安な反応の中で前座を終え、客席へご案内。
さすがにだいたいの観客が揃い、野外劇場の客席はあらかた埋まったが、予約客で遅刻が10人くらい。
18時。
劇を始めると、テンポがぐっと引き締まっている。
それはそうだ。
水曜にやった(まだ中二日しか経っていない!)石巻では、科白の一言、所作のひとつにも反応があった。
また、明らかに客席内に、自分たちのやっているような劇を見慣れない雰囲気があった。
すると、いきおい役者は丁寧になる。
反応の終わりを待つようにもなる。
ステージと客席が会話するような砕けた雰囲気が生まれるのだ。
ところが、ここ仙台での上演は、観客の反応が薄いと見るや、キレのある筋肉質なものに変わる。
何が喜ばしいといって、そういう演じ分けを、役者が自然とやっていることだ。
彼らは去年から続く野外劇を通じて、徹底して劇は観客とつくるものだと体得してきている。
段取りを繰り返すのではなく、相手によって出方を変える。
そういう引き出しを持つ。
テンポよく運ぶ掛け合いや劇の進行を見て、みんな、わかってきているな、と思う。
19時半近く。
エンディングまであと10分というところで、霧雨が降り始めた。
体感的には苦にならないレベルだが、照明のライン上の雨粒が反射している。
まずいなあと思ったが、あと少しだ。
止められるタイミングではない。
もっとも、あと少しとわかっているのはこちらだけで、お客さんに劇の残り時間はわからないわけだから不安にもなるが、役者の頑張りに賭けるしかない。
19時40分。
なんとか持ちこたえて終演。
この場所では明日も公演があるので、大方のお客さんを誘って乾杯。
この段になると「おもしろかったよ」とたくさんの人が喜んでくれている。
そうなのだ。
皆さん反応が薄いだけで、内心おもしろがってくれていたのだ。
これが都会の反応。
無駄に自信喪失するといけないから、学生たちをどんどんお客さんの隣の席に送って、お話しするように差し向ける。
劇団メンバーはさすがに経験上わかっているので、いつもの客席という感じだよねえ、などと話しながら宴会を過ごす。
20時近くになって、近所の小学校から突然打ち上げ花火が上がり、さらににわか雨も降った。
いまは雨用客席テントの屋根の下で、観客と出演者と、お互い運が良かったね、などと笑い合っている。
どんなに1日雨だろうと、本番2時間だけピンポイントで降らないでいてくれたら良いのだ。
明日の予報も雨だけれど、どうにか今日みたいであって欲しい。
21時にお開きにして、お客さんによっては「明日も来ます」と言ってもらって、小雨のなか片付けを開始。
自分は風呂に行き、残すところ二日のみの劇場番に備える。
戻ってきたら、もう全体は解散していて、宴会中に先に風呂を済ませた鷲見がひとり留守番している。
楽屋テントの横幕を全開にしているので不思議に思うと、中がすごい臭いらしい。
熱演の汗を吸った生乾きの衣類で溢れているから仕方ない。
一方、わが女子楽屋は爽やかなものだ。
その後、22時から1時間半、自分は衣裳の洗濯のために近くのコインランドリーをネット情報を頼りに探し回ったのだが、2軒廃業していたのを確認した時点で心が折れた。
ずっと小雨の中、洗濯を明日の早朝に回して寝る。
いまごろ宿舎の主力部隊は、中村くんもまじえて大いに盛り上がっているに違いない。
東北巡業、残すところあと1公演だ。
2015年8月22日 Posted in
25_特別野外公演_青頭巾 Posted in
公演記録
中野です。
忙しかった石巻〜仙台の移動、仕込み日が終わり、落ち着いた朝を迎えました。
8月21日(金)は仙台公演リハーサルの日。
朝5時。
公演会場である西公園は、夜間の道路工事が終わったと思えば、早朝からジョギングや犬の散歩で多くの人々がやってくる。
さらに、パンパンという響きがテンポの良いリズム。
見れば、格闘技に熱中する青年二人がスパーリングに打ち込んでいる。
こちらは日記を書き、いくつかメールの返信をして、早朝を過ごす。
仙台市内は銭湯が少なく、しかも22時閉店であるために、昨晩は風呂に入りそびれてしまった。
タオルを水道で濡らして、体を拭く。
将来の自分が例え一時とはいえこんな風に生活できるなんて、高校生のころは思いもしなかった。
ああ、自由だなあ。
8時になると鷲見が起きてきたので、彼と一緒に公園内をランニング。
あくまで番をしているのだから、常に楽屋テントや劇場が視界に入る位置を走る。
鷲見はこの旅中に93kgまで絞れたと嬉しそうだ。
その後も読書したりしてゆるゆる過ごし、集合時間を待つ。
10時半。
皆がやってくる、昨日は初めての仙台宿舎で、これが工場街にあるのでお店も少なく、食事に苦労したそうだ。
対策を練り、今日からは大丈夫だろう。
体操して、劇場を展開。
昨日やりそびれた細かい作業を12時半までかけて詰め、そこからは自主稽古。
学生たちも、前座パフォーマンスの稽古に熱中する。
自分は、チラシを置いてもらったギャラリーや古本屋に挨拶に行った。
仙台の街はコンパクトで回りやすい。
さらに、現場に帰ってきて、自分だけ挨拶がてら公演場所近くにある源吾茶屋で昼食をとった。
14時。
皆がお弁当を食べ始める。
食べ終わって再び稽古。
ここで面白いことが起こった。
昨晩、何人かのキャストの登場方法に、ほふく前進を提案していたのだが、彼らの練習中、ワダ・タワーのズボンが犬だか猫だかのウンコまみれになったのだ。
ワダから漂う猛烈な臭い。
『青頭巾』の劇中には、唐さんの幼児性が炸裂してウンコを取り沙汰する場面がある。
劇中の話題は小学校の時の検便に及んで、それが劇クライマックスの美しい科白やシーンに結実するのが唐さん一流の劇世界だ。
中でもとりわけ面白いのは、ヒロインがウンコの付いた小道具を持って皆を追い回すところで、今日のワダは、それを地でいっていた。
自分だけ不運に襲われた腹いせに、皆を追い掛け回すワダ。
皆、逃げまどっている。
これに比べると、我々がこれまでやっていた演技は必死さに欠けるなあ。
そういうわけで、今日のゲネプロからこのシーンは良くなるだろう。
やっぱり、基本はリアリズム。
銭湯が開く時間なので、自分は昨日の汗を流しに行って、皆の洗濯係もする。
ワダのウンコズボンは、一本で洗濯乾燥機を独占する超VIP待遇。
フローラルな香りを売りにした柔軟剤も大量にブチ込む。
15時過ぎ。
本格的に雨が降り始める。
洗濯物抱えて現場に帰ってきたが、皆カッパ着て練習している。
16時。
さらに雨足が強まったので、皆を楽屋待機をさせる。
リハーサルは大事だが、お客さんのいないところで風邪をひかせたくない。
17時。
少し雨足が弱まったので、エイヤッと雨宿り用のテントを建てて客席に屋根をつけた。
舞台に出ていない者はここで出番を待てばいい。
17時半過ぎに前座パフォーマンスのリハーサルを開始。
なぜか皆、いつもより動きが良いので、楽しんで見た。
本番ともなれば、もう落ち着いて鑑賞する余裕もないだろうから。
現地制作について色々と手伝ってくれた南川さんが仕事を終えて駆けつけてくれた。
ともにいるだけで心強い、優しさと芝居好きが全身から溢れているような人だ。
18時。
1幕スタート。
公園の2辺が主要道路に接しているために車通りがかなりうるさいが、科白は通る。
地面のコンクリートの反響と雨の湿気が助けになっている。
それになんといっても、方々で公演してきた経験から、野外での場の鳴らし方を、皆が自然に体得しているのを感じる。
一方、室井教授が客席をウロウロし始めた。
舞台下手の道路を、ライトを点けた車が行き来するのが気になるらしい。
これはできる限り、手持ちの車両でふさぐことにする。
1幕が終わったところでドカ雨。
これ以上やったら逆効果と判断し、2幕を割愛する。
ただし、仕掛けものは一通り当たった。
エンディングからカーテンコールの流れも確認し、19時半前には片付けに入る。
今日は皆で西公園の近くにある駒の湯に行って、それから帰りしなに食事をして、宿舎で休ませることにする。
20時半過ぎの時点で、楽屋テントでひとり。
本番2日間の天気予報は五分五分。
なんとか誰にも風邪をひかせずに、週明けまで乗り切れればいいのだが。
2015年8月21日 Posted in
25_特別野外公演_青頭巾
中野です。
石巻公演本番から一夜明け、気温がぐっと下がりました。
8月なのに寒さを感じるなんて、東北ならでは。
今日は石巻を引き払い、仙台に移動し、さらに仕込みと場当たりも行う、いわば必殺の一日です。
本番後の疲れを押しての強行軍になることは必至。
というわけで、8月20日(木)
5時半に起きても、いまだ満腹。
石川さんのお母さんのご馳走が効いている。
テントの外に出てみれば、深夜バラシの精鋭5人が26時まで追い込んだので、かなり片付いている。
彼らはほとんど寝ていないだろう。
6時20分、日記を書いていると、早くも齋藤の駆るトラックが公園に滑り込んできた。
先に冷蔵庫を現場から宿舎に運ぶらしい。
7時。
全体集合。
恒例の体操とともに怒涛の一日がはじまる。
しかし、皆すでに作業に慣れているので速い。
9時近く。
トラックへの積み込み作業が軌道に乗るのを見届けて、方々に出かける。
宿舎に戻って身支度を整え、お礼のあいさつ回り。
萬画館やISHINOMAKI2.0のオフィス、市役所にも行った。
10時半。
仙台での露払いをする自分と八重柏、津内口が先にトラックに乗って出発しようとしたところ、千葉さんご夫妻から全体の集合写真の提案。
皆で門脇ハウスの前に陣取り、よろこんで記念撮影をした。
旦那さんはこの時、専用の台の上に立ち、最後列で高々とポーズ。
こうやって4千人を超える人々を受け入れ、送り出してきたのだ。
わたしたちの寄せ書きを「これが一番の宝物」といって受け取ってくれた。
他にも、公園で片付けていたら、原付に乗ってバナナやお菓子を届けてくれた人がいた。
宿舎に、名物の二色餅を持ってきてくれた人もいた。
お世話になった石川さんもおやつを持たせてくれた。
とどめに千葉さんは、「はい、いつものね」と言って自慢の菜園からきゅうりとゴーヤを分けてくれた。
到着して数日、車の中で寝起きしていた自分は、いつも早朝に起きだして水やりをする千葉さんを見てきた。
多くのものが失われた場所で、新しい命を生み出そうとしている姿だった。
愛着のわく門脇ハウスだが、巨大な堤防をつくる計画のために、1年半後には立ち退かなければならないという。
いろいろなものを受け取って、わたしたちは次の街へ。
石巻を出る前に、石川さんから教えてもらった漁港の缶詰工場に寄って、「木の屋」のできたて缶詰を買った。
仙台へのお土産だ。
12時半。
仙台市内に入り、演劇工房10-BOXにたどり着く。
ここで、八重柏と津内口が夜間利用の講習を受ける。
自分は、東北大学の中村くんが合流してくれたので、彼と仙台NHKへ。
放送局は甲子園の決勝一色に染まっていたが、取材依頼をすることができた。
仙台でも集客はよくない。
最後まで粘らなければ。
10-BOXに戻ると、後発の主力部隊も合流していた。
全員で仙台での活動拠点に荷物を降ろす。
15時半。
いよいよ公演場所である西公園へ向かう。
30分弱で到着。
野外劇場や楽屋の位置関係を打ち合わせて、さっそく仕込み始める。
昨日、衣装や私服の洗濯ができなかったので、自分と学生の小島でコインランドリーに行った。
が、小銭が足りない。両替機もない。
すぐそばに繁華街の国分町があるので、洗濯に必要な100円硬貨を求めてさまよう。
小島がゲームセンターの両替機を使おうと提案してくれた。
自分には思いつかない手、彼女ならではだ。
朝日新聞が配っている号外をもらうと、仙台育英の敗戦を伝えていた。
19時半。
疲れを押して、場当たりへ。
と思ったが皆の疲労が濃いので、一発盛り上げることにする。
今回、公演が終わって横浜に戻るのは火曜の予定だ。
ただし自分は先に、月曜日のうちに帰る。
秋の公演の準備があるからだ。
そこで、トラックの運転手でもある自分は、隣の席に乗る二名を巻き添えにしなければならない。
これは苦しい。
二人のうち一人は希望者が現れたので問題ないのだが、残りの一人を決めなければならない。
皆、月曜昼過ぎからの自由時間を楽しみにしているから、大変な痛手のはずだ。
だから、ジャンケンで決めることにした。
壮絶な闘い。
勝って見守る方にも熱が入る。
結果が出た後、自分と行動をともにする二人には、帰り際、せめてご馳走でもしてやろうと誓う。
そして、盛り上がったところで、さあ仙台公演の場当たりいってみよう。
もう4箇所目の作業だから、段取り良くケリをつける。
あとは明日、明日。
片付けを終えて、宿舎に車で戻るのも時間がかかるし、お風呂や食事もしなければならない。
明日の集合10時半までになるべくたくさん疲労回復してくれるよう願いつつ、皆を見送った。
それにしても仙台西公園。
周囲は交通量が多く、夜に遊びに来る人もたくさん。
しかも、ごく近くで道路工事まで始まった。
警備員さんに訊けば、これが早朝まで続くという。
今夜も眠れそうにない。
巡業初日からこれまで、ずっとセミの声や川の音、海風に揉まれてきた。
ずいぶん都会に来てしまった。
2015年8月20日 Posted in
25_特別野外公演_青頭巾
中野です。
ついに公演の日がやってきました。
昨晩、明日は早めの動き出しでいこうぜと申し合わせました。
その通り、過去もっとも早いスケジュールで本番の日は幕を開けました。
8月19日(水)は石巻本番。
5時に起床すると、さっそく18日付の日記をアップ。
いつもはここで運動するところですが、今日は宿舎に急行します。
6時。
対岸の宿舎に入り、先行でチラシ撒きのメンバーをピンポイントで起こして回りました。
後半担当の者はよく寝ているので、なるべく刺激しないように。
6時15分。
前半チームが宿舎を発ち、石巻駅に移動。
駅にアクセスする人たち全員にチラシ撒きの声がいきわたるよう布陣を組んで、配り始める。
電車は20分に一本ほど、発着時間に勝負をかける。
東京からの夜行バスもやってきて、降り立つ人たちにも配る。
高い確率で受け取ってくれるが、絶対的に人が少ない。
後半チーム、7時半〜8時半の組の方が多くの人に接するチャンスがありそうだ。
列をなしているタクシーの運転手さんに椎野が声をかけたところ、逆にお客さんに渡して、と名刺を渡されたりした。
三井住友銀行のOBであるという運転手さんは、65歳を過ぎてタクシー会社の社長と知り合い、余暇を利用して2種の免許を取ったらしい。
頭の良い人だ。
7時半になると、後半チームがやってきた。交代。
やはり彼らの方がたくさん撒くことができて、手持ちを空にしてくれた。
昨日に続いて、皆パン屋で買い食いしながら帰る。
宿舎に帰って二度寝の予定だったが、皆お腹が空いてしまい、炊飯器のふたを開け始める。
昨日、市場で仕入れてきた塩辛や筋子もある。
早朝に仕事をした充実感からよく食べている。
自分は近所の魚屋で穴子を焼いたのを買ってきて、丼にして食べた。
肉厚だ。
学生の一人にも幸運を分けてあげた。
9時近く。
後半チームも帰ってきて朝ごはんラッシュはますます盛んになり、それが済んで、ようやく皆が休みはじめた。
休んでもらわなければ困るのだ。
夕方から本番のち、深夜に片付け、明日の早朝に荷物を積み込んだら、昼には仙台に移動という予定。
明日の夜には仙台で仕込みを終え、リハーサルしていなければならない。
今日と明日の2日間が、このツアーで最も過酷なのだ。
休みながら、寄せ書きを書いた。
宿舎のオーナー・千葉さんへのプレゼントだ。
全体はワダ・タワーのデザイン。
武蔵美を卒業した彼のセンスが光る。
9時半。
トヨタのディーラーに問い合わせたら、待ちに待ったハイエースが1時間後に完全復活するとのこと。
齋藤にトラックを駆り出してもらい、11時にお店へ。
リアガラスは完璧な仕上がり。
元の割れたガラスに貼ってあったステッカーを、丁寧に剥がして袋詰めしておいてくれた配慮の細やかさ。
さすがトヨタ。
名古屋に生まれて良かった。
これで、メインの移動手段も復活。
12時に宿舎に戻ると、ほとんどの者は現場に行った様子。
13時の集合まで時間があるので、自分は林麻子と一緒に日課である日和山へ参拝。
13時、現場での全体集合。
室井教授もホテルからやってきて、仙台育英高校が早稲田実業を破ったニュースを教えてくれた。
学生チーム「ザ・クロナイン」の新ネタは、せっかく「ナイン」なのに絡んで甲子園ネタだ。
石巻と仙台での評判が大いに期待できる。
お客さんが急増していることもわかり、数日間の広報活動の成果を感じる。
体操を終えたら、ベンチシートを追加で作らねば。
うれしい追加作業。
14時半から稽古して、15時過ぎから恒例となった「いしのまキッチン」お弁当。
この日、メニューは豚の生姜焼きだった。
が、学生の中に肉が食べられない子がいて、本番前にこれじゃ頑張れなかろうと、近所の魚屋に行く。
いままで入ったことのない魚屋さんだったが、これが良かった。
魚の煮たの、揚げたの、焼いたの、美味そうな惣菜が200円からある。
この店にもっと早く入っておけばよかった。
これで彼女も大活躍するだろう。
17時。
ISHINOMAKI2.0の石川さん合流。
彼女にはお客さんを迎えてもらうのと、写真撮影をお願いした。
学生たちが練習しているのをさっそく撮ってくれている。
夕方になり風が出てきた。
公演場所のすぐそばに、津波被害にあった人たちを慰める小さな祭壇があったので、齋藤が線香を買ってきてくれた。
強風に揉まれながらようやく火を付けて、禿、椎野と4人で手を合わせた。
18時過ぎ。
風にあおられて受付準備が整わない中、早くも、お客さんが集まり始める。
ここ何日かのローラー作戦が効いたのか、ご近所の人たちが2、3人ずつ来場しては後から来た人と挨拶を交わし、おしゃべりしている。
皆さん知り合いなのだ。
しかし、まだ受付は完成しない。
どんどん増えてきたので、一旦、野外劇場のイスに座ってもらう。
18時半になってやっと受付が整った。
一旦客席に案内した人たちに声をかけると、列ができた。
さらに、あとからあとから人が集まってきて、対応に大忙し。
でも、お札やチケットが飛ばないように丁寧に作業する。
とりあえずお客さん第一陣目を捌き、18時35分、前座パフォーマンス開始。
拍手や手拍子に祝福されて、嬉しそうに駆け回る学生たち。
「仙台育英高校、決勝進出おめでとうございます」というフレーズには特に大きな反応、そのあとに続いた新ネタ「クロナイン熱闘甲子園」もウケている。
一方、前座の進行中も、受付の列に新たな観客が加わる。
石巻に到着した日、予約は18人だった。
それが今朝の時点で57名に。
なんとかかたちになるかな、と思っていたら、実際のお客さんは明らかに100名を超えている。
これじゃ座りきれないと、前座の間に、劇団員で客席増強。
もうパフォーマンスを見ている余裕なし。
終了と同時に客席はぎっちり埋まった。
19時過ぎに開演。
石巻の人たちが唐さんの劇を見慣れないことを本能的に察して、皆の科白や所作は丁寧だ。
うまく観客を劇の世界にリードして、笑いが起き、拍手も起き、この場所が人の気で充実していくのがわかる。
自分は音響の仕事があるのでこの場所を離れられないが、もしできるなら、対岸や日和山の上や、少し離れたところから今の会場を見たら、きっと美しいだろうなと思う。
中瀬公園を独り占めにして、観客と一緒に劇の世界をつくること105分。
カーテンコールが終わって、小一時間の祝杯。
街じゅうを巡って集めてきたお客さんたちと、皆それぞれに喋っている。
名残惜しいけれど片付けがあるので、椎野の歌でお開き。
翌朝には、この公園に週末の音楽イベントの搬入がある。
自分たちも、明日の夜には仙台で野外劇場を立ち上げていなければならない。
風呂に行く者、宿舎に帰る者、残って深夜バラシをする者に分かれて解散。
自分は、この公演を成功させてくれた石川さんに、彼女のお母さんが経営しているお店に連れて行ってもらった。
24時半に戻ってきて、楽屋テントに倒れこむ。
ツアー全体の中でもひときわ輝く今日の夜を、わたしたちは忘れないだろう。
2015年8月19日 Posted in
25_特別野外公演_青頭巾
中野です。
嵐の夜が明けました。
午前5時半に起きてみれば、ほとぼりがさめたとはこのこと。
外は凪の状態。
風が止み、太陽はじりじり。
静かになった分、鷲見の鼾がひときわ大きく轟いています。
まったく、あれだけ早く寝たのに、まだ寝ていやがる。
ちなみに、わたしたちがずっと寝ているのは、運動会の受付なんかで使うあの白いテントです。
野外公演ではこれを楽屋に使っています。
劇場は天井無しですが、荷物を置いたり、着替えとメイクする場所は屋根が必要。
鷲見は男楽屋、自分は女楽屋の番をしているわけです。
2枚の壁幕を楽々と貫く鷲見の轟音。
改めて、8月18日(火)は石巻公演のリハーサルの日。
6時20分に齋藤とライオネル田中に迎えに来てもらい、留守番を鷲見ひとりに託して、塩釜の市場に買い出しに出かけた。
片道45分。
少し豪華な朝ごはんを食べて、一件お中元を送った。
それからメンバーのためのおかずも買う。
明日の朝食にこれを並べたら、きっと本番の日の朝が盛り上がるだろう。
一方、残してきた主力部隊は8時から石巻駅前でチラシ撒き。
出勤時間のこの一時が、石巻でいちばん人が密集する。
いつもよりは撒くことができたが、ラッシュに少し遅れたので、明日は6時半からやろう。
電車の本数が少ないので、きっと前倒しすればさらに効果的だ。
終わったら宿舎で二度寝すればいい。
9時過ぎに市場から戻り、チラシ撒き部隊の帰りを待っていたら、どやどやと戻って来た。
思い思い買い物してきている。
パン屋や和菓子屋さん、日曜のうちに挨拶回りしたので、皆それぞれに土地の人との交流があるのだ。
朝早いうちに仕事をして、ついでにちょっと遊ぶ。
いつも自分がやっている動きを皆もしている。
9時半から朝食。
皆黙々と食べて、本格的に身支度する。
ライオネルがゴロ寝に入ろうとしたのをたしなめ、現場へと先乗りした。
オレたちは市場に行って皆より贅沢な物を食べたのだから、余分に働かないと。
皆より一足先に、楽屋テントを解いて、濡れた布や幕を天日干しにする。
みるみる乾いていく。
空はますます青く、太陽がこの海辺全体を乾かしていく感じだ。
ちょっとずつ加わったメンバーも、この作業に続く。
全体の集合は11時。
体操をしていつものセッティング作業開始。
立派なカメラを持った人たちが大量にこの中瀬公園をウロウロし始める。
聞けば、仙台の南の地域の高校生たちが先生に引率されて、被災地の復興の様子を撮影しに来たらしい。
野外劇場がかなり目に付いたらしく、櫓や作業の風景なんか、近距離から撮っていった。
こちらはこちらで、今日昼過ぎに帰るという彼らに、仙台公演の宣伝をする。
12時過ぎには、昨日の稽古の確認や、本番前後の段取り合わせ、前座パフォーマンスの修正。
14時過ぎ、禿と買い物がてら、石巻駅前の「いしのまキッチン」に今日もお弁当を取りに行く。
昨日はハイエースだったが、いまは修理中なので今日はトラック。
ハイエースは今頃リアガラスの取り付けを完了し、きっと接着剤の乾き待ちだ。
この時点で電話がないことを考えれば、戻ってくるのは明日だろう。
今晩も石川さんから軽自動車を借りねば。
などと考えながら駅前に行くと、ちょうど室井教授が横浜からやってきたところだった。
「車、ぶつけたんだって」と嬉しそうだ。
弁当をトラックの荷台に乗せ、帰り道は3人。
皆に弁当を届けると、嬉しそうにとってゆく。
昨日のがかなり美味しかったんだそうだ。
500円でこのクオリティと量は、東京や横浜ではちょっと考えられないとも。
遅めの昼食を終えて、皆それぞれ、余暇時間を休憩や自主稽古に使う。
涼しくなった分、風が出てきた。
強風。
16時。
広い中瀬公園の一角にそれぞれが散って、自己練習。
山形公演から間が空いたので、勘を取り戻すのに必死。
あと、ここでは、あらかじめ公園に設置されている石造りの野外ステージを部隊の一部として使用する。
フラットだったこれまでと違い、一部、昇り降りが必要となるため、慣れておく必要がある。
17時半。
劇中歌の練習をしていたところ、公園の反対側に3人の若者が自転車でやってきて、テントを設置し始めた。
あの日焼けの具合。
ピンときて学生に声をかけさせたところ、思った通り、自転車で日本列島縦断の旅をしている若者たちだった。
九州を出発して北海道に至り、いまは南下中だという。
明日は松島と仙台に向かうとも。
これも何かの縁だし、ちょっとくらいギャラリーがいた方が、うちのメンバーも張り合いがある。
リハーサル見ませんかと誘ったところ、ぜひ拝見しますということになった。
18時40分。
3人の旅人と、石ノ森萬画館から帰る人たちに見守られて、前座パフォーマンス開始。
新ネタはおろか、レギュラーネタさえ引っかかるところがある。
これだから学生は、と思っていたら、19時から始めた劇本編も本調子でない。
ここ数日、扁桃腺が腫れてあまり声を出すなと命じた禿がセーブ気味に劇を進行するが、 しかし、健康体であるはずの何人かまで、思うように声が出なかったり、滑舌が悪い。
大人も学生も、この程度のブランクで堕落するとは何事か。
明日しっかり練習させることを誓って本編終了。
本調子とはいえないリハーサルを見てもらうことになってしまったが、最後まで観てくれた3人に登壇してもらって記念撮影をした。
終演後、片付けしながら、劇終盤に至って夜釣りの目的で公園を訪れる人たちの車の誘導やエンディングについて調整を行い、解散。
開演19時と4箇所で最も遅い開演時間だけあって、終わると夜遅い。
急いで風呂屋や食事に殺到。
明日は早朝チラシ撒きを課した。
早い人は6時過ぎに宿舎を出る。
皆、早く寝るために必死だ。
2015年8月18日 Posted in
25_特別野外公演_青頭巾
中野です。
気づけば、この東北ツアーも残すところあと一週間になりました。
今日は後半戦のスタート、石巻の会場である中瀬公園に仕込みをする日です。
この公園は、海に流れ込む直前の河川の中州にあるという、まさに石巻を体現する場所。
そもそも、同じ公園内にある石ノ森萬画館(石ノ森章太郎の記念館)の館長・西條さんが紹介してくださいました。
西條さんは横浜国立大学の大先輩であり、震災の後、北仲スクールに講演をしに来てくださった間柄でもあります。
また、公園からさらに突端に向かって先に進めば、夏牡蠣食べ放題のパラダイス、石巻かき小屋があります。
わたしたちの滞在中、残念ながらここはお休みですが、昨年、渡辺えりさん率いる『天使猫』テント公演がかき小屋のさらに向こう側で行われたのを劇団員の禿が観たところから、自分たちも石巻でやってみたいという希望が芽生えました。
さあ、自分たちもやるぞ、と意気込んで迎えた、
8月17日(月)。
休養十分。
いつものように早朝に目覚めて日記をしたためた後、石巻での日課になった日和山への散歩をすませる。
この山へのルートは何パターンかあって、受け入れの石川さんから、一応緊急時のための避難経路を頭に置いておいてくださいとアドバイスしてもらったので、いくつか昇り降りみて、最短距離で坂に差し掛かる道を想定する。
8時20分
本当は30分から朝食の申し合わせだったが、皆早く起きてきて、どんどん食べ始めた。
米が旨い。
そこへ、学生の斎藤(舞台監督ではない)が宿舎にやってきた。
彼は山形公演のあと、同じ山形にいる祖父母の家に行っていたのだ。
現場入り前に、これでまた全員が揃う。
9時半。
そろそろ現地に向かう。
運転手は車5台で連なり、他のメンバーは徒歩。
宿舎から目と鼻の先ではあるけれど、ぐるりと回って橋を渡る必要がある。
1kmくらいあって、皆が体を温めるには実にいい距離だ。
公園の管理人さんから鍵を借りて車止めを外し、いよいよ園内へ。
10時。
仕込み開始と同時に、小雨が降ってきた。
自分は西條館長に挨拶に行く。
一方、別動で石巻日日新聞の事務所を訪ねていた椎野は、わたしたちが山形にいた11日(火)に、すでに掲載してもらったという情報と、実際の紙面を仕入れて帰ってきた。
仕込み終わったところで、直前にもできたら稽古風景を取材お願いしますと、改めて申し入れてきたという。
12時。作業快調。
皆、慣れて仕込みが早い。
しかし、朝から降り始めた小雨はだんだん強くなっている。
駅前のピンク色のビルに入っている「いしのまキッチン」にお弁当を受け取りに行く。
あれ、22個頼んだはずなのに、20個しかない。
仕方ないから、夕食の買い出しも兼ねて、自分と禿は食事に出かけることになった。
大通り沿いの店へ。
駐車場に車を入れようとしたところ、バキッという音がした。
車止めの向こうにある電柱の配電盤に後部ガラスが当たって割れてしまった。
ここから、店の人に掃除道具借りたり、横浜のレンタカーに電話したり、警察に事故証明もらったりすること1時間半。
車のガラスはちょっと割れるとヒビが全体に広がるので、これじゃかえって危ない。
禿と全部割って、キレイにした。
現場に戻ったら、あれ、後ろだけオープンカーになっちゃった、と皆に驚かれる。
一方、横浜のレンタカーからは、遠すぎて対応できないから、石巻で直してください、という指示。
じゃ、トヨタの車だから、とりあえずディーラーに持っていく。
結果、部品はあって、それでも接着剤が乾く時間が必要だから、明日の夕方か明後日の朝には戻ってくることになった。
お金も保障に入っているのでかからない。
車を預けなければならないので、齋藤がトラックで迎えに来てくれた。
やれやれ。
17時半。
現場に戻ると、皆が作業を終えて稽古の準備をしている。
ディーラーからの帰り道で買ったおにぎりを食べさせていると、雨に加え、風も強くなってきた。
18時。
稽古開始。
まるで嵐だが、やるしかねえ。
学生パフォーマンスの新ネタチェック。
彼ら頑張ったがまとまりに欠ける。
よし、こんな天気だから、この問題は夜に宿舎で解決しよう。
次は劇本編。
この会場に合わせた動きにテキパキ改造。
19時半すぎ。
なんとか最後までやりおおせて、銭湯に出発。
受け入れのISHINOMAKI2.0が軽自動車を2台貸してくれて、分乗してゆく。
宿舎のお風呂で済ますものは、歩いて帰って夕食。
21時。
宿舎に戻り、自分は食事をしながら全体ミーティング。
翌日の予定について、石巻で一番人が多い時間、朝の出勤ラッシュ時に、駅前で宣伝しようということになる。
それから、大広間で、学生パフォーマンスの練り直し。
目処が立ったところで、あとは学生たちに任せて自分は現場へ。
22時半。
現場に戻ると、完全に台風の天候。
海辺だからとにかく風が強い。
鷲見はさっさと寝ようとしている。
番をするテントは揺れるし、雨も振り込んでくる、外の舞台装置も心配だ。
が、鷲見はさっさと就寝。
暴風と渡り合う鷲見の鼾。
ちくしょう、いい性格をしていやがる。
さすがに自分はずっと起きていたが、風が弱まってきたころ記憶を無くした。
何時だったかはわからない。
2015年8月17日 Posted in
25_特別野外公演_青頭巾
中野です。
本日も車の中、日の出とともに目覚めました。
昨日の日記を書いていると、オーナーの千葉さんが庭に出てきて、菜園の植物に水をやり始めました。
震災以降、ご夫妻はすべて手作業で家を片付け、補強し、さらにこの菜園を作られたのだそうです。
肥料は日和山から枯れ葉の混じった土を運んで何往復もする作業を、毎日繰り返されたのだそうです。
そうやって丹精された食べ物を、昨晩の歓迎会でいただきました。
ゴーヤ、かぼちゃ、きゅうり、トマト、スイカ。
どれも味が濃かった。
千葉さんの達成感が伝わってきました。
さて、8月16日(日)の報告。
皆で今日一日は宣伝活動に捧げる。
石巻でのお客さんが少ない。
仙台での集客もいまひとつ。
だから、二手に分かれて動きました。
主力部隊は午前中にお手紙付きのチラシをつくり、石巻の町をブロック分けして、午後から一軒一軒尋ねたり、ポスティングしました。
河北新報の石巻紙面にはすでに15日(土)に掲載してもらいましたが、コンビニで石巻日日新聞というのを発見したので、こちらのオフィスを椎野が尋ねたところ、お盆休みで不在でした。
明日、週が明けたところで、もう一度トライです。
朝8時過ぎから、別動の自分は、学生の小島と鷲見の3人で仙台に行きました。
そこで、仙台公演の受け入れをしてくれている東北大学の中村さんと合流し、彼のガイドで、いくつかのマスコミと大学、演劇関係者を尋ねて回ります。
読売新聞と毎日新聞、朝日新聞の東北支局。
仙台放送。
東北大学、東北学院大学、宮城教育大学。
演劇工房10-BOX、クォータースタジオ。
あとは、公園場所である西公園周辺への挨拶回り。
そうして仙台市内を車でウロウロしていたわけですが、道中とりわけ目についたのは、東口方面にある寺町に集う右翼の街宣車の数と音、それを阻む警察と機動隊のバリケード、時々起こる小競り合いの多いこと。
聞けば、仙台市内では日曜になるとこの活動が活発になるようですが、戦後70年のお盆週末の最終日とあって、かなり大規模に展開している。
渋滞を避けながらの仙台市内行脚。
18時半過ぎに仙台を辞し、20時前に石巻に戻りました。
20時から、お互いどう動いたかを報告し合いながら夕食。
翌17日(月)の予定を打ち合わせ、その後、21時間から銭湯に行く者は車で移動。
途中、公演の現場によって明日の仕込みを想定する打ち合わせも行う。
中には、親しくなった飲み屋に出かける者も。
学生たちの中には、この2日間の休みを利用して、横浜に残してきたレポートや学内手続きをしている子もいる。
明日からまたパフォーマーに戻らなければならないので、学業のケリをつけておかないと。
23時半頃から、寝るものは広間を抜けていく。
いよいよ明日から、石巻の公演会場、宿舎と川を挟んで対岸にある中瀬公園に入る。
天気予報は夕方から雨のようだが、実際にはどうなるか。
学生たちは宣伝活動を終えた空き時間を利用し、前座の新作ネタも作ったようだ。
これは明日披露してもらわないと。
2015年8月16日 Posted in
25_特別野外公演_青頭巾
中野です。
今日、8月15日(土)はなんという1日だったでしょう。
これまで10年くらい劇団をやってきましたが、初めてこんな過ごし方をしました。
これまで経験した各地での公演。
金沢、大阪、新潟、京都、米沢、福岡、長野、名古屋。
けれども、地方にいて1日休みなどということは絶対にありませんでした。
それはそうです。
1日滞在すれば、それだけお金もかかる。
宿泊費、お風呂代、食費など。
だから必要最小限の日数で横浜を発ち、準備をし、公演をし、片付けをし、横浜に戻るわけです。
観光があるとすれば、寝る時間を削って朝早く起きるとか、片付けの日に早く作業を終えて、夕方から自由にするくらい。
それでも、皆は大層その時間を愉しみにしてきました。
それが、今日と明日は、旅先でお休みなのです。
そうなった理由は、今回の4都市ツアーで使わせてもらう会場の利用可能日を掛け合わせていくと、どうしても前回の山形公演から石巻公演の間にブランクが空いてしまったから。
4日(金)に山形から横浜に戻り、16日(日)の夕方に石巻にやってくるという手も考えましたが、お盆の渋滞に巻き込まれた挙句、休息が1日では、かえって疲れてしまうという判断でした。
なにより、石巻の宿舎「門脇ハウス」が格安だったので、この2日間はのんびり過ごすことになったのです。
ただし、残りの石巻・仙台公演に向けて、広報活動はガッチリしますよ。
そんな8月15日(土)。
昨晩、実は自分は車で寝た。
以前に書いたように、ぜんそく持ちゆえにハウスダストが恐ろしくて仕方ないので、大部屋に敷かれる大量の布団に耐えられそうもなかったのである。
虚弱だ、虚弱だと嘆いていると、皆に、テントや車で寝ている方が余程つかれますよ、と慰められる。
慣れてしまったのと、安心して眠れるのとで、自分は全然つかれないのだけれど。
ぜんそくを想うとき、いつも思い出すのはゲバラである。
有名な『ゲバラ日記』や『ゲリラ戦争』を20歳前後で読んで、猛烈に感動した。
なぜなら、ゲバラもまたぜんそく持ちだったからである。
ラグビーの試合中発作を起こしてはベンチ裏に下がり、吸入(ぜんそくの治療)を済ませて再び試合に向かう医大生のゲバラ。
ぜんそくにも関わらず、密林に潜むゲリラ闘士のゲバラ。
ゲバラこそ、ぜんそく界のスーパーヒーローだ。
ぜんそくだってゲリラ戦や革命を闘い抜くことができる。
野外公演が何ほどのことであろう。
他にも、有名なところでは、長野オリンピック、スピードスケート金メダルの清水宏保やアントニオ・ヴィヴァルディなんかもぜんそくらしい。
閑話休題。
そういうわけで、カーテンなき車で寝ているので、石巻でも陽の出とともに目覚める。
周囲は海だから、釣りをする人、散歩をする人がけっこういる。
朝5時台から仙台行きのバスが石巻駅裏を出発するので、これを目指す人も多いのだろう。
かなり人通りがある。
7時。
宿舎の中から出てきた鷲見と散歩に出かける。
津波で流された地域を歩き、海側から日和山を登り、頂上の神社へ。
それから尾根伝いに高校がいくつかある文教地区を巡って、石巻駅周辺へ。
ぐるりと川沿いをあるいて戻って来ること1時間。
途中、壊れてしまってそのままにされている住宅や商店をいくつも見る。
一方で、震災後にできたカフェや飲み屋さんなんかも多くある。
ところで、鷲見から気になる話を聞いた。
聞けば、夜中、一番窓側に寝ている鷲見は女の子がすすり泣く声を聞いたらしい。
いま、石巻に外からやってきている若者は多い。
その中の一人だろうか。
それとも......。
ここは亡くなった人も多いし、お盆なのだ。
8時。
皆でミーティングをして、ここから2日間の動きを話し合う。
いかに休息し、せっかくだから石巻について知り、さらに広報を展開するか。
8時40分。
まずは住環境をさらに快適にしようと、皆で布団を干し、掃除をし、炊事場を整えた。
海風があるし、涼しいしで、何をしていても恵まれた感じがする。
今日は贅沢な1日なのだ。
10時半。
皆をフリーにする。
ただし、チラシ、ポスターは携帯必須。
石巻マップに昨晩行った店を記入させ、未開発の店に率先して行くことで、小さな町の店の壁を野外公演で埋め尽くそうという作戦だ。
食事班と制作班は別動。
車でスーパーに行ったり、溜まったデスクワークしたり。
そうそう。一人学生を病院に連れて行った。
見れば、手の甲がパンパンに腫れている。
山形で虫に刺されたのかも知れない。
いずれにせよ昨晩から、こんな風になってしまったらしい。
普段冷静なこの女子が目に涙を溜めているのを見て、悪いけれど、爆笑してしまった。
聞けば、夜中不安で眠れなかったらしい。
ということは、鷲見が聞いたのは、宿舎を抜け出して泣く彼女の声だったのだ。
鷲見を安心させて、女の子は椎野が病院に連れて行った。
自分は買い出し班に同行する。
お盆なので、家庭でのパーティーに備えて、フルーツやお刺身や焼き肉用生肉の盛り合わせが充実している。
オードブル、お寿司なんかも豪勢だ。
ホタテ貝が氷水に使っていて、それをトングで掴み取るのもある。
ホヤも同様に豪快な売り方。
ここは宮城県なのだ。
12時。
戻ってきて、デスクワーク。
翌16日に仙台で展開する広報活動の準備。
それから、留守中の横浜のケア。
午後は、久々にまとめて本を読む。
おかげで、秋にやる予定の望月六郎さんとの公演の予習が、かなり進んだ。
皆は、海辺や日和山を散策したり、石ノ森萬画館や震災の資料館に行ったり、もちろんチラシを撒いたりしていたようだ。
石巻は震災以降、様々な人たちが訪れるようになった土地だから、地元には2011年のことについて語る使命感を持っている人が多い。
だから、うちのメンバーは、それぞれにそういう話を聞いてきたのだそうだ。
今回わたしたちが公演する中瀬公園はもろに津波被害にあった。
あの場所にはいまだに行きたくないという方も、何人かいたらしい。
一方、中には、仙台まで足の伸ばして楽天ゴールデンイーグルスの試合を見に行くという学生もいる。
相手は日ハムで、先発は斎藤佑樹らしい。
望月さんの新作に、この元ハンカチ王子の話題が出てくる。
実物がどんなだったか後で聞かせて欲しいと言って送り出す。
17時。
集合して食事の準備をする。
といっても、これは普通の晩ご飯ではない。
門脇ハウスのオーナー千葉さんご夫妻が、わたしたちのためにウェルカム・パーティーを開いてくれることになったのだ。
ご夫婦で営む家庭菜園をフルに生かして、ご馳走を作ってくれているのだが、こちらは会場をつくり、おにぎりを握った。
学生リーダーのライオネル田中は料理が得意なので、スーパーで買ってきたホヤを調理してくれた。
19時から宴会。
千葉さんの旦那さんはかなりいけるクチらしく、お酒を各種取り揃えて振舞ってくれた。
焼酎からウィスキーから、なんでもある。
わたしたちはわたしたちで、これまで秋田と山形で頂いてきた日本酒をプレゼントして、ともに飲んだ。
奥様は日本酒党なのだそうだ。
石巻の歴史や、震災後いかにしてこの門脇ハウスを始めたかについて、千葉さんは話してくれた。
これまで4000人を超える人たちがここに泊まったそうだ。
海外の人も大勢。
あとは、旦那さんのサッカー熱について。
皆、おなかいっぱい食べて、飲んで、話して、記念撮影して1日が終わった。
12過ぎに就寝。
こんなのは、やっぱり初めてだ。
2015年8月15日 Posted in
25_特別野外公演_青頭巾
中野です。
昨日も書いた通り、14日(金)は大雨に起こされました。
昨晩の公演時間中は待ってくれたので、思う存分降ってくれ。
時計を見れば4時。
おかげで山形との別れの日に、陽の出に立ち会うことができました。
芋煮会大鍋から馬見ヶ崎川の下流を見渡せば、北東に山々が連なり、さっきまで降っていた雨雲が稜線に絡んでいます。
増水した川にはたくさんの水鳥。
4月にこの場所を訪れた際、これぞ山形という景色を気に入って、ここで公演することを決めました。
管理している山形県庁に問い合わせたところ。
あそこは終バスも早ければコインパーキングもない。
もっと便利な場所にした方が、お客さんが集まるのに。
そう、親切な担当者さんにも言われました。
ですが、自分はここだと思ったのです。
山形の中でも最も山形を体現していそうなこの場所。
最後の日に、この場所の中で、もっとも美しい瞬間に立ち会うことができました。
役得です。
番をしているとこういったことにも巡り会える。
そういえば石橋蓮司さんも、第七病棟の準備期間、布団を引っ張り込んで、なるべくその場所で過ごすのだと本で読んだことがあります。
廃墟を劇場に改修する第七病棟のスタイルは、あくまで建物内ですから、現地の番は取り立てて必要ないでしょうが、自分には蓮司さんがそうされる理由が分かる気がします。
上演場所にこだわる限り、その場所を知り尽くし、同化し、その環境に愛されなければならないと思うのです。
劇は場所に支えられてありますから。
お別れの日だからでしょうか。
ちょっと感傷的です。
それから、前日の日記を書き、昨晩お風呂に入らなかったので、鷲見に留守番を任せて6時からやっている温泉に行きました。
帰り道、山形の有名お菓子メーカー・シベールのパン工房(店名)を発見し、久々にパンを食べました。
食材に力がみなぎっている山形は、ごはんだけでなくパンも美味しい。
それに、東京や横浜より一個あたりの値段が50〜100円安い。
ご機嫌で馬見ヶ崎に帰り、公演の片付けへ。
8月14日(金)は、山形を発って石巻に移動する日。
9時に集合。
疲労感はあるけれど、これから2日休みなので、皆もう一息という表情。
陽差しが強いのを利用して、昨日の雨で濡れたものを土手に並べて乾かす。
次に荷物を解く17日(月)まで間があくので、ぜひとも水分は除いておきたい。
ここでも、天気は味方する。
皆が片付けをしている間、自分は石巻でお世話になる人たちへの山形土産を買い、仙台公演に向けて幾つか手紙を投函。
12時過ぎ、トラックへの積み込みが終わりそうなところで、雨が降り始める。
間に合ってよかった。
天候は安定しないけれど、昨日の本番といい、わたしたちは恵まれている。
13時すぎ。
出がけに駐車場でトラックのタイヤの空転などあったけれど、無事に馬見ヶ崎を出発。
時間があったので、自分は同乗者のワダ・タワーと百目鬼温泉に行く
ここは、4月末に初めて山形を訪れた際、東北芸工大の林海象さんに教わった場所。
田んぼの真ん中に突如ある露天風呂だ。
泉質は極めて濃厚。
3分以上は入るなと注意書きしてあり、迫力のある濁り方をしている。
鉄の匂いも強い。
ワダはでかすぎる身長からか、ここ最近ずっと脚を悪くしているので、しじみスープのようなこのお湯に浸かれば効くのではないかしら。
近くの店で蕎麦も頂く。
15時。
高速道路に乗り、いよいよ石巻を目指す。
山形から仙台、石巻は近い。
これまでしてきた横浜〜秋田、秋田〜山形の移動に比べれば、まったくご近所だ。
そういえば横井さんも、仙台には気軽に行きますよ、と言っていた。
なるほど、こんなに近いんだ。
それにずっと下り坂なので、運転しやすい。
この頃になると雨も本降りなので、スピードの出しすぎには注意して。
熊野の運転するトラックは、荷台のシートの結束が甘かったので、途中のSAで修正作業を加えたようだ。
あっという間、17時前には石巻に着いた。
担当の石川さんと約束した17時半まで時間があるので、街を見下ろす日和山公園に行ってみた。
今朝まで山と過ごしてきたけれど、今日からは海だ。
17時半。
石川さんの案内で宿舎に入る。 ゲストハウス「門脇ハウス」を経営されている千葉さんご夫妻にご挨拶をして、部屋割り。
これから20日(木)の朝まで一軒家で暮らすことになる。
夜、皆で石巻の街を探検。
今晩は個別で夕食にしよう。
せっかくだからチラシを持って行き、皆が行った店々で自己紹介をしてチラシを置いてもらった。
石巻、なかなかの滑り出しだ。
21時過ぎ、皆で近くの温泉に。
オレだけ今日3度目の風呂!
散歩して12時に就寝。
2015年8月14日 Posted in
25_特別野外公演_青頭巾 Posted in
公演記録
中野です。
これを書いている今は、すでに14日(金)の午前4時です。
夜中に降ってきた大雨に叩き起こされました。
昨晩は疲れ果てて、風呂にも行けず寝てしまいました。
本番の日は色々あるので、昨日の朝がはるかに前に感じられます。
これを書くことで思い出してみましょう。
さて、13日(木)山形公演当日の朝。
小雨とともに午前5時起床。
いつもの習慣でノートをつくり、日記を書く。
この生活リズムにもすっかり慣れてしまった。
6時半。
1㎞くらい離れた最寄りのファミリーマートに山形新聞を買いにいく。
載ってる。載ってる。
学生チームが衣装を着ていまにも駈け出さんとする勇姿を、けっこう大きく取り上げてもらっている。
さあ、これでお客さんが、何人来てくれるか。
7時。
鷲見が起き出してきたので、合羽着て雨の中を歩く。
涼しいなあ。いまのうちにガンガン降っちゃって、夕方晴れてくれるといいなあ。などと話す。
8時になると、衣装をケアするために入山がきてくれたので、自分と鷲見は朝食を食べに出かける。
公演場所の近くに山形警察署があって、今日はここの食堂を狙ってみた。
以前、催しもの開催届を署に出しに行った際、中にある食堂を利用したが、これがなかなかオツだった。
味をしめて、今回も夜勤明けの刑事さんたち混じって納豆を練ろうと思ったが、あいにく食堂はお盆休み。
警察にお盆休みはないのだから食堂も頑張れよ、と言いながら別の店へ。
昨日、ゲネプロの日は2人して朝風呂に入ったが、鷲見の調子が振るわなかったので今日はやめにしておいた。
その分、時間が空いたので、トラックで馬見ヶ崎川の上流、唐松観音に行ってみた。
ここの風景は実にのどかで、木の橋なんかもかかっていて、とりわけ趣がある。
それに、なんといっても「唐」松観音なので、ぜひともお参りしたい。
夕方から晴れますように。
10時に全体集合。
皆で1日の予定を確認する。
天候の推移によって数パターン想定しておかないと。
その後、設営作業。
観客席の上に屋根を張る。
自分は洗濯に向かい、東北芸工大に横井さんをピックアップ。
12時。
受付や看板、お客さんの導線、前座パフォーマンスを展開する場所を調整。
この段階の予報によると、夕方に晴れる可能性が強まってきた。
希望を持ちつつ、油断せず。
12時半。
学生たちを車に乗せて山形駅でチラシを撒きに行く。
1時間に1回到着する山形新幹線は、きっとお盆の帰省客でいっぱいだろう。
彼らが興味を持ってくれるかも知れない。
そこまでいかなくとも、自分たちがここで公演していることを知らせなければならない。
少しでも多くのチラシを渡さねば。
が、改札前でのチラシ撒き3日目にして、ついに駅員さんに注意されてしまった。
もう少しでたくさん降り客が来たのに。
いや、たくさん来るから注意されたというべきか。
2日間は見逃してくれた駅員さんの言うことを聞き、改札前から駅の入り口に撤退。
これでもけっこう渡すことができた。
ところで、横井さんによれば、昨日今日と、彼女の知り合いの間で我が学生チームの奇矯な恰好やチラシ撒きの声出しが話題になっているらしい。
駅前でヤバいの見た、なんて。
山形には、個性的なおじさんはいるが、派手な若い奴はいないらしい。
東京や横浜に比べれば小さな街だから、目立ちもするのだろう。
それ、わたしが世話してるんだよ、と教えてあげたと笑う横井さんは、本当にイイ女だ。
彼女はこういう時、いつも学生チームの横について、道案内したり、写真を撮ったり、色々と気を遣ってくれている。
13時45分に現場に戻り、昼食。
14時半から30分間、昨晩のリハーサルの結果を受けて劇の要所を調整。
天候、好転しているが、まったく気を抜けず。
15時から衣装・メイクを付け始める。
雨が降ったらやることは沢山あるので、早め早めに動く。
16時、劇中歌の練習。
16時45分、思い切って客席頭上の屋根を外す。
上演中に降ってきたら、劇を中断して屋根つければおもしろくなるさ。
せっかく野外でやるのだもの。開放的な方がいい。
降らなければ盛り上がる。降ったら降ったで盛り上げること。
17時、お客さんが来はじめる。
秋田と同じく、早めの来場。
地面が濡れているので、イスを出して待ってもらう。
この時点での予報では、20時に再び雨雲がかかるらしい。
終演後、ギリギリだな。
前座パフォーマンスの開始、お客さんの集まり具合も鑑みて、予定よりせめて5分早めよう。
それぞれのスタンバイ位置に伝令を飛ばす。
17時15分、前座スタート。
今日もウケている。
特に、山形あるあるを使ったラップと、名作ドラマ『おしん』の名場面が反応よし。
川沿い、マンションのベランダから見ている人もいる。
20分で前座を終えると、例によって客席へ誘導。
ポンチョの合羽をお勧めして着てもらった。
17時40分開演。
全体に地面が濡れているので、踏ん張りが利かない様子。
何人かコケるが、奮闘している。
こっちはオペレーション席にいて、屋根が音を立てると、雨か、雨か、とヤキモキしながら見守る。
休憩時間を過ぎても降らず。
2幕も中盤を過ぎれば劇が過熱し、こりゃ降っても止められないという雰囲気に。
いや、熱演して熱演して、雨を降らせなければいい。
冒頭、張り切りすぎた禿が最後まで保つか心配だったが、出やすい低音を駆使した結果、エピローグの科白はいつもより良かった。
そして、山形用のエンディング。
結局、本番のみならず、終演後の宴会も降らなかった。
山形の人たちと小さな輪をいっぱい作って、皆、嬉しそうに喋っている。
21時、椎野の劇中歌でお開きにして、片付け始める。
自分はコインランドリーへ。
22時過ぎ、ようやく降ってきたので、作業を翌日に回して撤収。
恵まれた1日、「唐」松観音に感謝します。
そうそう、12日付の日記に書いたバスタオルの件。
あの持ち主は、どうやら学生たちでなく、隣のテントで寝ている鷲見だったようだ。
というのも、皆で洗濯後の衣類をより分けている際、ふっかふかのバスタオルに鷲見が手を伸ばしたのを、劇団員の一人が自分にタレ込んで来た。
学生たちよ、疑ってごめん。
そして。
おい、鷲見よ。お前のバスタオル乾かすために、乾燥機代100円余分にかかっているんだぞ!
と、皆で話題にする。
集団生活というのは、かくも瑣末なことを気にして成り立っているのだ。
今日で巡業全体の日程も中盤。
これから、山形を発って石巻に移動したら、2日間の中休みがやってくる。
広報活動を展開しつつ、皆をリフレッシュさせないと。
2015年8月13日 Posted in
25_特別野外公演_青頭巾
中野です。
山形公演を翌日に控えた12日(水)は、午前4時前に目覚めてしまいました。
これも馬見ヶ崎の圧倒的暗さ、昨夜の強制就寝のなせる技です。
早起きは三文の得とはよく言ったもので、思い当たって、一本メールを送りました。
宛先は、山形経済新聞というネットニュースです。
「経済」とありますが、必ずしも堅苦しくなく、文化やイベント情報にも精通して、小回りの効いた情報をネット上で発信してくれている「みんなの経済新聞」シリーズの山形版です。
地元の横浜には「ヨコハマ経済新聞」があり、現在勤めている横浜都市文化ラボの前身、北仲スクールが始めた頃からその存在を知って、これまでものすごくお世話になってきました。
ですから、山形版に直前掲載をお願いしたらどうだろう、と室井教授が閃いたのです。
ネットだから、対応も早いはず。
果たして、午前10時には返信が来て、突貫で掲載してくださることになりました。
昨日の宣伝活動が思わしくなかったので、ありがたさが身にしみます。
ところで、このツアーが始まって以来、公演場所の番は、ずっと自分と鷲見武が担当しています。
自分は小さいころ小児喘息で、布団や衣類など、布が大量にある環境が苦手です。
だったら空気の良いアウトドア生活がよかろうと、劇団活動のある時期から、ずっとテント番をするようになりました。
朝早く起きてはゴソゴソ仕事したり遊んだりしていますし、夜もさっさと寝てしまうマイペース生活です。
鷲見は、あまりに鼾がうるさくて、オーケストラの異名をとる猛者です。
他人に迷惑かけることをよしとしない彼は、公演場所で大自然とともにあることを選びました。
さらにもうひとつ理由があって、どうも最近の鷲見は太りすぎている。
いや、役者たるもの太っていることは良いのです。
だって、見た目おもしろいのが魅力になりますから。
しかし、動きにキレがないのはまずい。
そこでこれを機会に、早朝の運動を習慣づけようということになりました。
毎日、7時くらいから、2人で5〜8㎞は歩いたり走ったりして、ストレッチを行い、発声や科白の練習もやっています。
まさに一石二鳥。
食事はしっかり摂りつつも、彼は旅に出てから2㎏落ちました。
動きも良い。
こうしてわたしたちは、今も2つの楽屋を守っているのです。
さて、12日(木)の記録。
今日は10時半に河原に集合。
皆は夕方からのリハーサルに備えて、設営作業に入る。
すっかり慣れて早い。
自分は別動。
東北芸工大の近くに住む横井さんを迎えに行きつつ、皆の洗濯物を担当することになった。
いつもは団員の重村や入山が洗濯しているから、初めての担当。
途中にあるコインランドリーに大量22人分を放り込み、横井さんをピックアップし、帰りに衣類を回収する。
昨晩「オレに触られたくないものは洗濯ネットにしまっておくように」と通達したところ、女子は全てネットに入れてある。
男は実に乱雑で、汗を大量にかくらしく、重い。
とりわけ、これは学生チームだなあ、と思うのはバスタオル。
自分にも経験がありますが、旅慣れてくると、バスタオルは持たない。
重いし、かさばるし。
人間はフェイスタオルで十分だと、彼らはまだ気づいていないのです。
女子の中には、パジャマ持参の者もいるらしい。
バスタオルとパジャマか。
まだまだお子様よのう、と独りごちながら、初めての洗濯係。
ちなみに、横井さんによると、山形にはコインランドリーが多いらしい。
あと、横浜は洗濯から乾燥まで全自動が多いのに、どうもセパレートが充実している。
これはおそらく、雪国ならではのものに違いない。
冬場、洗濯物が乾かせないので、皆さん、大量に乾燥機だけ使いに来るのではないかしら、というのが自分の仮説。
さて、ここで朗報。
横井さんによると、朝日新聞の地域ページに今朝掲載されたらしい。
加えて、ランドリーで乾燥待ちしていたら山形新聞の記者さんから電話があって、午後に取材に来て、明日、公演当日の朝刊に乗せてくれるとのこと。
さらに、洗濯を終えて現場に戻ってみたら、劇団の制作ケータイ電話にNHK山形から連絡があり、イベント情報として紹介してくれる運び。
昨日はいかにも反応薄でうなだれていたが、こんなに成果が出るなんて。
冒頭の山形経済新聞も含め、7戦4勝の勝ち越し。
あったかいぜ、山形!
12時半には現場に戻り、学生たちの稽古。
河原を使ったアイディアなど、彼らはだんだん自分たちで考えては試すようになってきている。
13時過ぎに雨が降ってきて、展開していた現場を一旦片付ける。
けっこうな雨量。
13時半に、山形新聞の記者さんがやってくる。
大雨強風なので、仕方なくトラックの助手席にお招きして、こちらは運転席に座って対応。
しばらく概要を話していたら晴れてきたので、前座パフォーマンスのさわりを見せることができた。
取材が終わると昼食を済ませ、14時半過ぎからチラシ撒き。
山形駅前に繰り出したが、再び雨も降るし、人もまばらで、約300枚が余ってしまった。
明日、公演当日も粘ろうと決意して、リハーサル準備のため16時に河原に戻る。
17時からリハーサル体制。
観客の導線や人員配置を確認しながら、17時20分から前座パフォーマンスを開始。
山形では17時半開演で告知してある。
山形市が管理する河原の駐車場が20時で閉まってしまうために、19時半には終演しなければならないのだ。
大自然に囲まれてのパフォーマンスは不思議と絵になる。
ミュージシャンのアルバム・ジャケットみたい。
西陽を浴びながらの『青頭巾』本編スタート。
1幕はほとんど明るくて、暗くなるのは、1幕終盤、休憩時間というところ。
リハーサルは順調だが、雨の後の気温変化と風で、客席が寒いということがわかった。
明日は、雨の日用に持ってきたカッパを配ろう。
あれは風除けにもなる。
予定通り19時終演。
観客の見送り体制を示し合わせた後、劇の修正点を確認、片付けをして21時過ぎに解散。
ここからは、車で温泉に行く者。
歩いて宿舎に直行する者に分かれる。
横井さんが教えてくれた八百坊温泉に入りながら舞台監督・齋藤とミーティング。
ついでにリハーサルで汗を吸った皆の衣装を抱えてコインランドリーに寄り、本日2度目の洗濯係。
現場に戻り、鷲見と明日の早朝予定を確認。 あまりの暗さに今日もブラックアウト。
2015年8月12日 Posted in
25_特別野外公演_青頭巾
中野です。
山形に移動して迎えた初めての朝です。
今日から、山形公演の会場、馬見ヶ崎の河原に入りました。
昨日、山形入りした直後は、秋田とは明らかに違う蒸し暑さに恐れをなしていましたが、今日は曇っています。
涼しく、過ごしやすい。
ちょっと埃っぽいのでどこかで雨が降って欲しいと思うあたり、
秋田公演の本番直前からすると、現金なものです。
ただ、東北にいると、こんなに雨が降らなくて、農作物は大丈夫なのかとも心配になるのです。
少し郊外に行けばずっとずっと田園地帯ですから。
現在は、一通り4大祭りが終わったところ、晴天に守られて各地で派手に開催できたことをそれぞれの地域の人たちは喜んでいる様子ですが、いまとなればもうちょっと降ってもらわないと。
多くの地元と話すと、よくそういう話題になります。
立ち寄るお店やガソリンスタンド、チラシを受け取ったもらう通行人の皆さんなんかと、そんな話を繰り広げながらのキャラバン。
こうやって親しく接しているあたり、わたしたちも巡業で高揚しているし、なにより、東北の人たちは開放的で親切です。
さて、改めて、今日は馬見ヶ崎での仕込みと稽古、山形市内を宣伝で回った話です。
朝10時。
山形駅前や七日町にある宿舎を出て、河原に集結する。
ところが、学生女子4人がいない。
どうやら迷っているらしい。
山形市は空襲被害にあっていないらしく、区画が入り組んでいる。
住んでいる人からすると馬見ヶ崎へ出ることなど何でもないでしょうが、
初めてだと、目印になる店もなくけっこう難しい。
自分も下見の時、30分で済むところを倍歩かされました。
初めからスマートフォン世代の彼らにとって道に迷うことは珍しいらしく、遅れてきて、かなり消耗している。
気をとり直して、搬入と積み降ろし。
山形は二ヶ所目の公演地。
皆、秋田で一通りの公演準備を経験済みなので、それぞれが先を読むことで、作業は迅速に進みます。
それに、実際に腰を落ち着けて周囲をウロウロしていると、街から外れて便の悪い河原だと思っていたこの場所が、意外と快適だということもわかってきました。
さすが山形の秋のビックイベント、芋煮会大鍋会場だけあって、水道がたくさん設置されています。
公衆トイレも、立派なのが近くにある。
周囲にあまり店がないなあと思っていましたが、コンビニやスーパーは無いものの、カフェやお蕎麦屋さん、居酒屋さんに酒屋さんに和菓子屋さんも付近にあることがわかってきました。
いずれも個人経営店なので、ぱっと見、住宅と同化している感じで見つけにくかったのですが、慣れてくると、色々とわかってきました。
曇り空の涼しさにも助けられて準備は快調。
一方で、苦戦しているのが集客。
秋田では、地元の協力者のおかげで100人を超える観客に恵まれたけれど、山形での現在の予約はその半分に満たない数。
なんとか、これを増やしたい。
せっかく山形市に初めて来たのだから、少しでも多くの人たいに顔見世したい。
そう思って宣伝に繰り出すことに決める。
特に、同行している企画代表の室井教授は山形市で5歳まで育ったので、そういったことも話題にして、なんとか山形の皆さんの心を捉えられないかという作戦。
まずは手始めに、2年前にやなぎみわさんと作った『パノラマ』公演の絡みで知り合った、東北芸工大の横井さんを、大学まで迎えに行く。
これまでの公演準備期間、山形では彼女が色々と骨を折ってくれている。
郵送では行き届かないところにチラシやポスターを持って行ったり、馬見ヶ崎周辺のお宅に炎天下の中、一軒一軒、自転車でポスティングしてくれたり。
山形で暮らす横井さんを加えて、マスコミを回る。
事前にプレスリリースは回し、直接訪問したところもありましたが、反応はよくなかった。
けれども、もう一回一通り回ってみることにする。
NHK山形、山形新聞。
毎日新聞、朝日新聞、読売新聞の山形市局。
エフエム山形。
直前すぎて反応は今ひとつだが、とにかくやれることをやる。
夕方からは、学生チームをハイエースに乗せて、七日町や山形駅前に。
チラシを撒いて練り歩く。
これは、皆さんかなり受け取ってくれた。
他にも、横浜国大でダンスを教えている先生の親戚のお宅や、下見の時にたまたま知り合って道案内をしてくれた方のお宅までご挨拶にも行き、どうか知り合いもに薦めてくださるよう、お願いして回った。
途中雨が降ってきたが、残された時間でやれるだけのことをやった。
18時過ぎからは稽古。
この場所を利用しながら、各シーン、登場や退場、エンディングなどを組み替えていく。
驚いたのは、あっという間に暗くなったこと。
そして暗くなると、本当に闇。
背景は川、その向こうにそびえる山。
電灯はほとんどなし。
圧倒的に闇。
こんな環境は初めてで、皆おもしろがって稽古した。
2時間くらいやって、各自に自主稽古の時間を与え、自分はトラックで横井さんを送る。
芸工大生が通う店や、コインランドリー、温泉の場所も教えてもらった。
食事して帰って来ると、皆解散して、鷲見がひとりで番をしている。
日本昔話みたいな風景。
その登場人物のような鷲見。
こりゃ虫との闘いだなあ、などと話しながら、あまりの暗さに強制就寝。
2015年8月11日 Posted in
25_特別野外公演_青頭巾
中野です。
秋田での本番から一夜明けました。
7日(金)の現場入り以来、3日間暮らした千秋公園とも今日でお別れです。
自分と鷲見武は盗難対策のため、ずっと楽屋で番をしています。
滞在初日の爆竹誕生会以降は静かなもので、夜中は肌寒い日すらありました。
昼間は暑いのですが、このあたり、東北に来ていることを実感させます。
6日(木)秋田入りの日に竿燈祭りを見て以来、本番のことだけ考えて過ごしてきました。
ですから、少し早起きした歴史好きな鷲見は、皆が宿舎からやって来る前に、この二の丸から天守閣を見に行っています。
8時。
一足先に現場にやってきた舞台監督の齋藤と入れ替わりで、自分と鷲見は車で宿舎に向かいます。
用意された朝食をとりつつ、皆の荷物をピックアップするためです。
宿舎おおまち荘の社長さんが、わざわざ挨拶に来られました。
9時、全体集合の後、片付け開始。
昨夜の本番で皆の汗を吸った衣裳を洗う時間がないので、今晩、山形に移動してから洗濯することにします。
楽屋を整理し、客席、照明を吊る用の櫓、少ない舞台装置を解体。
速やかにトラックに積み込んでいきます。
一方、自分は時間の許す限り、お世話になった人たちにお礼を言って回ります。
現地での制作をしてくれた株式会社Magの佐々木さん、彼女は大学の一年後輩です。
あと、千秋公園内の食堂・鯉茶屋の奥さん、弥高神社も行きました。
途中、郵便局によって手紙を出し、音楽ホール・アトリオンの地下にある物産コーナーでお土産を買いました。
これから向かう山形市で、お世話になっている何人かに渡すものです。
11時、先に自分が学生2人を乗せて出発。
17時から山形のラジオに室井教授とともに出演する予定があるので、急がねばなりません。
内陸を通って山形に移動。
秋田との別れを惜しみ、途中、6日(木)には学生たちの着替え会場だった西仙北SAで、比内地鶏の親子丼を食べました。
秋田に残った主力メンバーは、さらに12過ぎにすべての作業を終え、海沿いの道をゆっくり山形に移動することにします。
あまり道が良くなくて、結果的にヘトヘトになったというこのルートですが、途中立ち寄った海岸沿いの道の駅で、皆は秋田の海をたのしんだそうです。
15時半。先発3人で山形駅前に滑り込むと、先に電車で移動していた室井教授と合流。
5歳まで山形市内で過ごしたという教授と街中や公演場所周辺を流したあと、ラジオ局へ。
VigoFMのパーソナリティ・菊池翼さんの巧みなリードで15分間出演。
菊池さんは、山形に初めて公演に訪れたわたしたちの不安を察して、強く今回の公演を紹介してくれました。
一方、いまだ移動中のメンバーは、そのときたまたま山間部にいて、どうしても電波が入らなかったと、あとで残念がっていました。
18時半。
ついに公演場所である馬見ヶ崎、芋煮会大鍋前で一同が合流。
現地を確認して明日からの動きを確認した後、宿舎に移動。
山形では男女で別の宿舎に滞在するので、女は車、男は明日からの通勤経路を確認する意味で、徒歩で宿舎に向かいました。
宿舎は山形駅近くなので、けっこう都会だなあ、などと騒ぎながら歩く。
チェックイン後、街に繰り出す者、コインランドリーに行く者に別れて、竿燈祭り以来の自由行動。
秋田の余韻に浸りつつ、山形の街を徘徊して、12時前には寝てしまう。
明日は馬見ヶ崎に10時集合、きっと蒸し暑くなるだろう。
2015年8月11日 Posted in
25_特別野外公演_青頭巾
中野です。
ついにツアー全体の初日を飾る8月9日(日)がやってきました。
今回の東北ツアーは8月6日(木)から25日(火)まで、全20日間で4都市を回るというものです。
秋田市、山形市、石巻市で1回ずつ、最後に訪れる仙台市で2回公演します。
荷物は最小限の野外公演なので仕込みや片付けは速いのですが、その場その場で上演環境が激変するために、稽古時間が多くなります。
段取り決め打ちが効かなくて、それぞれの場所で、即興で動きを組み立てる作業の繰り返し。
それがおもしろさであり、大変さにもなっています。
さて、秋田公演当日、わたしたちに何があったか。
本番の日の朝は、自然と早朝から目が覚めるのを利用して、やっておかなければならないことがいくつかあります。
まずはノートの整理。
昨日の最終リハーサルの結果、どこをどう直すのかを組み立てる。
快晴なので、どうしても昼間は暑くなる。
それなのに、本番のための食事や着替えやメイク時間から逆算すると、どうしても13時くらいに最終調整をせざるを得ない。
たった1回の公演なので、当然、悔いを残すことはできない。
反省したってそれを生かす2回目がない。
劇の中身で上手くいっていないところ、上演環境に役者が乗り切れていないところがあれば、本番までにすべて解消しないと。
しかもひどく暑いので、皆を消耗させないように、時間は最速、最短距離で。
リハーサル中にメモはとってあるけれど、さらに昨晩の様子を思い返して、どこかに穴はないか、もっとよくできる箇所はないか、朝一番に探る。
さらに、せっかく劇の中身がうまくできていても、開演前にお客さんを迎え入れる体制や、本番中の公園内の管理、終演後の段取りに不備があれば、その分だけ公演は減点されていくもの。
料理がおいしくても、接客が悪いよねえ、ということになりかねない。
だから、お客さんの導線など、何度も考えます。
わたしたちからすると、秋田の人が行き慣れたこの場所にどうやって来るのか、想定しきれない部分がある。
だからこそ考え抜く。
中でも、とりわけ恐ろしいのが、本番中の千秋公園内の人々の動向。
例えば。
昨日まではいなかったけれど、たまたま本番の日だけ大勢の犬や子どもたちが通り過ぎやしないか。
鳴き声、泣き声の嵐になったらどうするか。
あるいは。
例え相手が大人だとしても、エキセントリックなおじさんがやってきて、客席横や後ろに陣取った場合。
お金を払って観ている人たちが損をした気になりはしないか。
誰かがタダなら、自分もお金を払いたくないのが人情です。
それを覆すためには、わたしたちが体を張り抜いて、これはお金払ってあげないと可哀想だという熱演をするしかない。
心配は尽きない。
やがて開き直り、そうだ、野外劇を見に来てくれる秋田の人々は、皆、優しいに決まっていると信ずるに至る。
ハイ。ノート作り終えました。
次に、この日記書き。
これ、時間かかるんですねえ。
いままでは劇団員に任せっきりで、自分でやってみて、今回は改めて彼らの大変さに気づかされました。
あれだけの稽古や作業のあとに、これを書いていたなんて。
だからもう、改めて自分がやった方がいい。
自分は本番中はあまり動かないですからね。明らかに体力が残っている。
大久保さんとの約束でもある。
最後、準備の仕上げに、ガソリンスタンドに行きました。
本番を控えて、発電機の燃料を満タンにしておくためです。
あとは本を読んだり、散歩したりして、10時半の集合時間へ。
10時半。
皆が元気に集まってきて、1日の動きをミーティングします。
そして早速、学生たちと稽古、稽古。
彼らは街でチラシを撒くという仕事があるために、先に絞りました。
昨日のあのザマはなんだ、もっと動け、声を出せ、という感じで。
汗だくにしてやって、朝からこんなに走らされたら本番まで保たないですよ、というくらい練習させないと、なかなかリミッター外してくれない彼ら。
大丈夫。お客さんくれば、君らスケベ根性出してウケたくなるから、体力が本番1回分くらい残っていることに、必ず気づく。
よしよし、体が起きてきた。
じゃあ、チラシ撒き、張り切って行ってこい。
いままで宿舎と公演場所の往復だったから、ついでに秋田駅前の街の様子も見て来い。
12時からは劇団員の稽古。
公園内にある日陰で打ち合わせた後、エイヤッと実際のステージに出て直射日光と闘いながら稽古する。
14時終了。
ここで珍客。
学生たちが撒いたチラシ効果で、マスコット・キャラクターの「りずむ」が来てくれました。
遅めの昼食をとって、いよいよ15時半メイク開始。
ここで心配事ができる。
天気予報によれば、16時から90%の確率で雷雨とある。
実際に、ぽつりぽつり感じるし、不穏な雲も近づいている。
こうまで炎天下で準備して本番だけ雨だったら報われない。
降るなら早く降ってくれと思いつつ、雨対策として、公園内に簡易テントを2機建てた。
これならば急に降ってきたら避難できるし、さっと動かせば、観客の頭上だけはあらかた覆うことができる。
突貫でそんなシミュレーションも行った。
雨が降ってきたら、本番中でも「中断!」って叫ぶからな。
そしたら出ているヤツは観客の誘導、他の連中はテントの移動、などと示し合わせる。
そういうわけで、あまり緊張している暇はない。
17時を過ぎれば、なんと早いお客さんの集合。
秋田の人たちは、スタート18時のずいぶん前から受付に集まってくれている
よし、前座パフォーマンスは17:45に始めよう。
伝令が飛び、観客へのアナウンス。
17:45。
学生ユニット「ザ・クロナイン」のリーダー、ライオネル田中登場。
100人近く集まった観客の視線を集め、他のメンバーも拍手のなか集結。
暖かい反応に乗せられて、彼らの身体はキレている。
声もよく出て、途中で力落ちする気配もない。
安心して見ていられた。
みなさん、喜んでくれている。メンバーもそれに応える。
これまで準備してきたものがようやく結実していく。
20分間、声援にあと押しされて前座を終えると、観客を劇場空間に誘導する。
イスを用意し、座布団を用意し、トイレを促し、うちわと虫除けスプレーを提供する。
これも学生の担当。
段取りは事前に練習していたけれど、今日は初日なので、サポートにワダ・タワーを付けた。
自分があいさつに立って、劇本編もいよいよ開演。
唐さんの劇は、力の抜けたお笑いと、突然訪れる詩的な求心力が魅力。
難しく見て欲しくないと思って、公園内をフルに使って、バカバカしく作ってみた。
真剣にふざける。
その想いが伝わったのか、よく笑ってくれている。
それでいて謎めいたシーンになると、じっと見ている。
唐さんの可笑しさと気高さとを体現しきる役者。
休憩をはさんで約2時間が終わった。
多くの観客が会場に残ってくれて、乾杯をし、また来てよと言ってくれた。
役者たちも、そこここでお客さんの輪につかまっている。
そういう光景を見ながら、ふと、明日の夜には片付け・移動を済ませて山形にいることを思い、呆然とする。
全体解散の後、片付けや飲み会を終えて学生を家まで送り、午前2時に楽屋に帰ってみれば、今日も鷲見がよく寝ている。
彼のあとを追って、自分も床に倒れこむ。
2015年8月 9日 Posted in
25_特別野外公演_青頭巾
中野です。
昨夜は公演会場での荷物番。
夜中の爆竹誕生日会から目覚めてみれば、3日目、土曜日の朝。
千秋公園の周りを歩けば、早朝からババヘラが何軒か出ています。
もうすっかり見慣れましたが、秋田には「ババヘラ」というアイスの屋台売りがある。
春先に下見に来た時に目に付いたので、気になって1回食べました。
アイスと言っても、クリームではなくシャーベット状。ジェラートに近い。
特徴は売り子さんで、初老の女性が一人で店に立ちます。
彼女らの格好、店の設え、肝心のアイスも、テーマカラーはクリーム色とピンクのマーブル状に統一されていて、これが非常に目立つ。
年配の女性「ババア」が寸胴に似た円柱形の容器からアイスをヘラでかき出し、土台となるコーンに「ヘラ」で盛り付けるとこから、「ババヘラ」だそうです。
完成品が、バラの花に似ているので、「バラ盛り」とか「ババ盛り」とか言うらしい。
千秋公園は久保田城の城跡です。
資料館もあって、観光客がやってくる。
ジョギングや犬の散歩も、土曜日なので多い。
秋田では人の集まるところ、必ずババヘラあり、らしい。
おもいしろのはその販売システムで、売り子さんたちは早朝に本部に集合し、そこからバンに乗って、それぞれの場所に屋台セットともに降ろされる。
誰がどこで売るかは完全に本部の裁量で、彼女らへの事前通達はなし。
収入は歩合制。
運が良ければ人通りが多い場所に店を構えることができるし、悪ければ逆。
だから公平性を期して、事前告知なし。
それぞれの場所で店を展開した彼女らは、夕方にお迎えの車が来るまで、そこで一本でも多くババヘラを売る闘いに明け暮れるのです。
味はちょっとチープで、郷愁を誘う。
それにも増して、売り子さんたちの姿には、なんだか悲哀がある。
特に人通りのまばらな場所でババヘラを見ると、大変だろうなあ、あんまり売れてなさそうだなあ、と心配になる。
思わず買ってしまいたくなる。
そういった駆け引き込みで、ババヘラの魅力と戦略。
ババヘラの売り子さんは皆、人情味溢れるお顔、物腰をされているけれど、中には腹黒なセールスウーマンもいるに違いない。
彼女らの間には、きっと苛烈な競争もあるのだろう。
そう思うと、侮れない。
今回、わたしたちは『青頭巾』という演目で東北を巡回しています。
この作品のモチーフのひとつが、テキ屋。
お祭りで屋台を出しているあの人たちが多く登場して、宝石の奪い合いを繰り広げるという物語。
浅草という一大テキ屋街で育った唐さんの世界が、口上のリズムに乗って炸裂します。
彼らのB級感、可笑しさと、強かさと、哀しさが出ればいいなあ。
ババヘラも、ひとつのテキ屋。
そうそう。
それで、秋田公演に向けて最終リハーサルの8日(金)は何をしたか。
まず10時に集合して作業開始。
前日にしまい込んだ劇場を再び展開し、詰めの作業を2時間。
それから木陰に集まって、劇の修正点を当たる。
14時には休憩に入り、昼食。
ここから本番体制。
15時過ぎたらもう一度身体を温めて、衣装やメイクを整え、16時半に歌練習。
17時にはお客さんが来ても良い体制を組み、18時の開演予定時間を迎える。
が、明るい。
完全に明るい。
照明は効かないけれど、時間とともにグラデーションしていくのも味だろう。
犬の散歩の皆さんが見守る中でリハーサル開始。
まずは前座パフォーマンスから。
2日前に気を吐いた学生たちに、躍動感なし。
当然、声も出ない。
数人頑張っている者もいるが、全体としてはちぐはぐ。
しまった。
劇本編に時間をとられて、彼らに火を点けておく余裕がなかった。
明日は猛烈に追い込んでやろうと決意しつつ、前座から本編へのつなぎを確認。
劇本編は調子を上げている。
すでに3月に公演している演目だが、今回は配役を変えた。
初役の連中も活躍し始めている。
あとは皆がこの環境に慣れ、それを使い切れるかどうか。
彼らの順応性はなかなかのものだ。
去年の経験も生きている。
劇の序盤で鳴きわめいていた蝉も、気づけば、2幕では静かになっている。
蝉の鳴く気温の分岐点が、どうやら19時前後にあるらしい。
こういう仕掛けが、大自然からの援軍。
終演間際に、朝からの大学業務を終え、夕方羽田を発ってきた室井教授が合流した。
公演終了後の動きも確認して、修正は最小限に抑え、片付けをする。
風呂に門限があるので、あとは明日。
明日にすべてを解決だ。
教授に川端でご馳走になり、夜中に千秋公園に戻ってみたら、坊主役の鷲見が仏さまのような顔で寝ている。
明日が本当の意味での、このツアーのはじまり。
2015年8月 8日 Posted in
25_特別野外公演_青頭巾
中野です。
8月7日(金)の晩は疲れ果てて、宿舎の電気をつけっぱなしで寝てしまった部屋もありました。
うっかりロビーのソファで眠り込んだ者もいたそうです。
そんな2日目には何があったか。
いよいよ現場入りの朝。
皆で朝7時に朝食を済ませると、宿舎から千秋公園までは徒歩20分。
4日間続いた竿燈の翌日とあって、街に燃え尽きた気だるさが漂っています。
各地で繰り広げられた屋台村のブースを解体する業者さん。
キャリーケースを手に、秋田駅へと殺到してゆく観光客。
疲れを振り払うようにして、職場や学校へと向かう人々。
彼らとすれ違いながら、わたしたちは9時に千秋公園集合。
前日、早朝からの長距離移動をクリアして一晩よく休んだために、いよいよ始まるのだと気合十分です。
軽く体操を済ませ、5台の車両を駐車場から公園内へ。
かつて佐竹氏の居城だった千秋公園には、二の丸と呼ばれる広場があって、これが今回のわたしたちの根城です。
先にいた業者さんたちに挨拶を済ませ、搬入経路についてアドバイスを受けて、公演会場を囲むように停車。
ここから一気に積み降ろし作業が始まる。
今回は唐ゼミ団員に学生チームが加わり、いつもより大所帯。
その分、作業は速く進む進む。
ちなみに、今回の「ガイア演劇」という名前には、「地球のすべての場所を劇場に」という思いを込めました。
昨年のトラック野外公演よりさらに荷物を減らし、より肉体のみで勝負する。
去年、劇場を囲っていた幕も完全に取っ払って、その分、周囲の景観を芝居を飾る装置として使い尽くすという企画です。
それで入場料をどうやってとるのかと質問されますが、大丈夫。
それぞれの会場は、公演時間帯、明らかにこの芝居を観ることを目的にしてしか、ほとんど人が通らない場所なのです。
今回、場所の選定はそこが難しかった。
お客さんを集めるためにアクセスは良くなければならない。
しかし、人通りが多ければ、観客と通行人を区別できない。
しかも、環境利用型「ガイア演劇」なので、周囲の景観が、それぞれの地域の特性を持っていて欲しい。
これら条件を満たすために、下見には力を入れ、それぞれの場所のコーディネーターには頑張ってもらいました。
厳選された4箇所。そしてその一発目が千秋公園。
荷物を降ろし終わり、楽屋を作り、簡易な客席と舞台を作る。
仕込みはテントの10分の1。しかも人数が多いから速い。
昼食をまたいで午後には照明・音響を設置。
関東よりは気温が低いとはいえ、中天の時刻になればとにかく暑いので、小刻みに休憩を入れながら、全体でじりじりと作業を追い込んでいく。
神社へのお参りも欠かせない。
千秋公園内にはふたつの神社があり、まずは二の丸近くにある弥高神社に参る。これで「いやたか」と読む。
いつものテント演劇にも増して、今回は天候によって条件が左右される。
風が吹けば科白が流されるし、雨が降れば客席の上だけは天井をつけなければならない。
公演時間になっても気温が高ければ、セミがうるさくて仕方ない。
だから尚更、お参りが大切になる。
基本的には、晴れていて、涼しくて、風は穏やかであって欲しい。
一方で、どうしても荒天の場合、それはそれで天命と心得て、その条件だからそこ面白くなるようにやりきる。
これが野外劇の肝です。
現に去年台風の中でやった公演、あれは面白かった。
どこかしら本番が荒れることを楽しみにしている、マゾヒストのわたしたち。
果たして、夕方から稽古に突入すると、これまで横浜で作ってきた公演を、ここ千秋公園用にアレンジする作業が始まる。
特に、出演者の登場と退場は工夫のしどころ。
あそこの植え込みが使える。石段がおもしろい。ここはコンパクトに観客の背後から。
ひとつひとつ当たってゆく。
上演の前後の流れも、観客の導線を想定しながらリハーサル。
エンディングまで一通り稽古、片付けを終えてみれば22時過ぎ。
皆で急いで宿舎へ。
何せ宿舎の風呂が23時で閉まっていまうために、汗をかきすぎている皆は気が気でない。
風呂。食事。そして今夜もバタンキュー。
一方、自分と鷲見武は今日から千秋公園で野営。荷物の番をする。
夜中の公園には地元の青年たちが集まり、そのなかの一人の誕生会を開いたため、二の丸はかなりうるさかった。
一人一人からのプレゼント贈呈で盛り上がった後、爆竹を鳴らしまくって、警察沙汰に。
秋田県警の注意で青年らあえなく解散。
鷲見は3時に就寝。
2015年8月 7日 Posted in
25_特別野外公演_青頭巾
中野です。今日から毎日ゼミログを書くことにしました。
これを書いている今はすでに秋田にいて、
春先から準備していた東北ツアーが始まったからです。
予定通り事が進めば、横浜に帰るのは8月25日。
それまで自分の体験を書いてみます。
ちなみにこれには、怪優・大久保鷹が一役買っています。
わたしたちは去年も野外劇で方々を巡りましたが、
すべてが終わって時、大久保さんから
「もっと言葉した方がいい。」と言われました。
聞けば、大久保さんは、旅先で唐ゼミの連中が何を発見するのか、
お土産話を愉しみにしてくれていたらしい。
さらに、言葉にすることで、旅公演が単にそれぞれの場所での公演に止まらず、
全体でひとつの作品になるのじゃないか、とも。
いつもの熱いパッションで、まくしたてるように、大久保さんはそう言ってくれた。
唐さんだって『日本列島南下の目次録』を書いたのだから、
自分も『北上』の記録をつけてみよう。
どうでしょう、大久保さん?
そこで第1日目。
昨日、8月6日(木)AM5:00にわたしたちは出発した。
今回の編成は13名の劇団員に学生9名を加えた計22人によるものだが、
そのうちの約半数が、秋田竿灯祭で開かれている屋台村のステージで、
9日に控えている秋田公演の宣伝をすることになった。
これが17時にスタートするものだから、参加する隊はどうしても、16時前には到着したい。
そこで、家が遠い者は前日から大学に泊まり込んで、日の出とともに横浜を出たのだ。
先発の車は、10人乗りのハイエース1台と2トントラックが1台。
宣伝ステージに関係ない9人は後発隊で、2トントラック3台に乗って7:00に発ち、
先発チームを追いかけるという段取り。
いずれも首都高で横浜から都内を抜け、浦和から東北自動車道、岩
手で秋田自動車道に入り、秋田中央という出口を目指す。
朝が早かったこともあって、途中、渋滞などのストレスはなかったが、
やはり秋田は遠い。特に宮城、岩手と、一県一県がでかいのだ。
東北はスケールが違うなあ。
往き慣れた東海道に例えると、静岡県のあの大きさ長さ、
それを一県一県が体現しているという感じ。
たどり着いたらすぐに宣伝のショートステージなので、
そのために用意した短編の準備をしながら秋田を目指す。
宮城の長者原SAにある公園の木陰でミーティング、
降り口の手前にある西仙北SAでは着替えとメイクを済ませた。
秋田中央の降り口では、料金所のおじさんがハッピを着ていた、
今日は3日から続く竿燈祭りの最終日なのだ。
期間中、係りの人たちは皆この格好なのだという。さあ、いよいよやろうじゃないか。
15:30に秋田公演の会場でもあり、
駐車場を借りている千秋公園に着くと、すぐに稽古を開始。
予想通り、出演者の体の動きはとにかくにぶい。緩慢だ。
なにせ、昨晩は遠出前の興奮で騒いで寝ていないし
、狭い車の中に10時間くらい押し込められていたのだから。
煽って煽って、彼らをどんどん走らせ、跳躍させて、強引に叩き起こしてやった。
バス停も近く、通行人が好奇の目で見ていたが、かまうものか。
景気付けに45分間の秋田初稽古。それが終わると急いで徒歩移動。
祭りで賑わう街をダラダラ喋りながら歩くので、2列縦隊を命じて急かした。
風景を楽しむのは、終わった後にしてくれよ。
約束の屋台村に着くと、予想通りすごく盛り上がっている。
竿燈祭の最終日なのだ。優に1000人にいる。
ここは祭りのメインストリート、竿燈大通りのすぐ近く。
屋台村を取り仕切っている浅野さんと司会のMAYUさん(秋田のアイドル・プラモの一員)に
挨拶を済ませて、実際のステージを見ながらミーティング。
現場に合わせて動きを示し合わせた後、出番を待った。
楽天ゴールデンイーグスのチアとマスコットのダンスが終われば、
いよいよわたしたち、いや、オレたちの出番だ!
まずはリーダーのライオネル田中が登場。
トラメガのボリュームが少し小さかったが、堂々としたものだ。
残りのメンバーを呼び出して決めポーズすると、
あとは次から次へと仕込んだ演目を立て続けに打ち込む。
屋台村だから、お客さんは皆、食べながら、飲みながら、
しゃべりながらで、あまりステージを見ない。
だからとにかくテンポを引き締めて、駆け回り、騒ぎまわって、
やりたい放題やらせてもらった。
その中で、こちらを見てくれている人には、言葉を届け、歌詞を届ける。
このステージは主に経験少ない学生チームの仕事だったが、
人前に立った者の本能がよく働き、声も動きもいつもより大きかった。
稽古でどれだけ観客を見るように、言葉を伝えるように口を酸っぱくして言っても直らなかったが、
実際の観客を前にすると、人は自分の営みを人に届けたくなるものなのだ。
15分の充実した緒戦だった。
終わってから広い会場内をチラシまき、
さらにプラモのステージを客席から応援、記念撮影もしてらって、その場を辞す。
汗を拭きながら千秋公園に戻り、後発隊と合流。軽く打ち合わせをして、祭りに繰り出した。
灯を連ね、稲穂を模した竹の棒を、男たちがバランスを取りながら支える。
ある者は手のひらに、ある者は肩に、中には、額で5mを超える竿燈を支える猛者もいる。
力強く、あとはひたすらその姿勢を維持する。
時々バランスを崩す人がいれば、周りが支えて復旧する。
初めて見た竿燈は美しかったけれど、時間が経ってもずっと同じだ。
変化には乏しく、正直期待したほどは面白くなかった。
けれども、劇団員の禿がおもしろいことを言う。忍耐のお祭りだねえ。
そうだよな。米を作るってこういうことなのだ。
じっと竿燈を支え持っている人々を見ていると、命懸けで突っ立っていたという土方巽さんを思い出した。
そうだ。自分たちは唐さんのかわりに、土方さんの故郷に芝居を届けに来たんだ!
宿舎にチェックインしたら、食べて、呑んで、風呂に入り、とにかく寝る。
→東北巡業 2日目を読む
2015年7月 3日 Posted in
25_特別野外公演_青頭巾
東北公演の詳細、そして、横浜凱旋公演の詳細も決まってまいりました。
秋田は千秋公園、山形は芋煮会の大鍋前、石巻は中瀬公園、仙台は西公園!
横浜凱旋公演は久しぶりに波しぶきがかかる、みなとみらい臨港パークにて!
こうやって具体的に決まってくると、さすがに背中にビリビリと興奮が走ります。
そんな中、本日は、リハーサルをやりました。
雨降りしきる中のリハーサル!
舞台セットも変更になるのですが、一応今あるもので舞台を組む。
新キャスト、プラス学生達の前座パフォーマンス。
もっと暴れるにはどんな手があるか...。
考え抜いていきますよ!
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です。