2025年3月 5日 Posted in
中野WS『ジャガーの眼』
↑例えば初期作品『煉夢術』を思い出し、唐さんが若かりし日に
人体模型人形と街に出かけていた事に思いを馳せるのも良いでしょう
昨日に書いた内容を続けます。
『ジャガーの眼』2幕中盤の論争において、なぜ、本当は「Dr.弁」に
賛成なはずの「扉」は、論争を仕掛けてまでドクターの論理の正しさを
強調したかったのか。これは「扉」の「くるみ」に対するライバル心が
原因しています。
「肉体の一部を追うものはなく、追われようとする一部もない」
というのが「Dr.弁」の信条です。彼は「移植手術」に自分の全てを
捧げる者として、「心」や「魂」の存在を退け、すべてをフィジカルに
捉えようとします。「扉」がこれを支持するのは、「くるみ」こそ、
「肉体の一部を追うもの」の権化だからであり、「しんいちの角膜」
こそ、「追われようとする一部」の表れだからです。
そして、「くるみ」と「しんいちの角膜」の問題が続く限り、
「扉」の好きな「田口」がそちらに囚われてしまっていることが
大問題なのです。「扉」としては、とにかく「くるみ」から
「田口」を取り返したい。「サンダル探偵社」なんか廃業して、
自分のいる「アジア探偵社」に戻ってきてほしい。
それが叶わないまでも、別の事務所同士で同じ案件に取り組もう。
さらに、「扉」の造った人形「サラマンダ」を、また元のように「田口」に
可愛がって欲しい。その一心で、論争を展開したということが
明らかになりました。
問題なのは、結局「扉」としては、
「肉体の一部を追うものはなく、追われようとする一部もない」
が正しい方が「くるみ」を摘発できて良いわけなのですが、
一方で、「ある人物を追う物体はあり、物体に追われようとする人はいる」
と言い出す点です。要するに、「人形」=「サラマンダ」=「物体」には
意志がある、と主張する。
・・・「人形には意志が宿る」と言いながら、
「臓器に意志なんてない」と言い張る「扉」の論理は、かなりこの
場面をわかりにくくしていると感じましたので、くどくど整理しました。
このシーンの楽しさと難解さは、ひとえに唐さんが勢いで書いたから
だと私は考えています。勢いは、時に破綻した論理にも説得力を
帯び出せます。ここは、そういう場面だと思いました。
だからこそ演者は、注意深く読み解き、勢いに任せない理解のもとで
土台をつくりながら、やがて勢いに乗る演技を組み立てる必要が
あります。
というわけで、実は難しい2幕中盤でした。
続きは、3/9(日)夜です。
2025年3月 4日 Posted in
中野WS『ジャガーの眼』
一昨日は『ジャガーの眼』本読みの5回目でした。
その大部分は、「Dr.弁」と探偵「扉」の論争に尽きます。
ここは一見すると、やり取りに勢いもあって、コミカルな劇中歌も
あって、これまでの鑑賞体験からしてもスムーズに観ることができます。
が、よくよく読んでみると、特に「扉」が何をしたいと思い、
どんな論理でこの論争を押し進めているのか、難解なところがある。
そこで、昨晩は参加の皆さんと一緒にこの部分を解きほぐしました。
まず、「Dr.弁」の立場や考え方からすると、
この部分は理解しやすくなります。彼は一見すると非常識な悪役に
見えますが、実は極めて常識的で職業意識に溢れた医師だからです。
「Dr.弁」は移植手術に身を捧げています。
普通の医者は部位によって専門性を分けますが、彼はとにかく
「移植」ならば何でもする。そして、その実験台に自らの身体を
差し出した人物といえます。人体実験に自分を差し出しているから
フランケンシュタインのようなツギハギの身体なのです。
(もちろん『少女都市からの呼び声』の「フランケ」を金守珍さんが
好演したのがきっかけで、唐さんはこの弁先生を生み出しました)
「肉体の一部を追うものはなく、追われようとする一部もない」
というのが、「Dr.弁」の信条です。
「臓器」は「臓器」、「部位」は「部位」、そこに「意志」「思念」
「思い入れ」「呪い」「霊魂」などどいうものが宿るとしたら、
臓器移植は成立しません。確かに、提供される臓器と患者の体に
相性はある。時に両者は拒絶反応も起こす。けれど、それが「思い」
によるものとしてしまっては医学は成り立ちません。
せっかく相性の良い角膜を見つけ、それを移植することに成功した
はずの「しんいち」が摘出を希望することは、「Dr.弁」にしては
不本意極まりなく、他ならぬ「しんいち」自身のために、そのままで
生活していくよう説得するのは当然といえます。
が、「扉」はこれに異を唱え、論争が行われます。
例えば、精子。精子バンクによる精子の提供により生まれた子どもが
成長して父親に会いたがるのは、精子に意志があるからだ、と述べ立てます。
これは、子どもが自分の父親が誰かを知りたがっているのであって、
精子の意思とまではいえない、と一蹴される。
次に、ヒヒの心臓を人間の赤ん坊に移植したところ上手くいかなかった
のはヒヒの意志だという。これも、「Dr.弁」は拒絶反応として退けます。
こうして、論争は「Dr.弁」が「扉」を圧倒します。
しかし、負けが重なるなかで、実は「扉」こそが「Dr.弁」の論理、
「肉体の一部を追うものはなく、追われようとする一部もない」の
信奉者、支持者でることが明らかになります。
むしろ、わざと反対意見を言うことで、「Dr.弁」の論理を強調したかった
と、「扉」は言い出すのです。ここが、この論争シーンの分かりにくさです。
「扉」は何故、こんな回りくどいことをしたのか、明日にここを整理すると
分かりやすくなってきます。
続きは明日。
2025年2月26日 Posted in
中野WS『ジャガーの眼』
↑ブルガーコフ、大好きです!
前回の『ジャガーの眼』本読みは2幕にも進んだので、
2幕冒頭もまとめます。
まず、とにかく「くるみ」が「しんいち」を追いかけまくっている
という場面から始まります。当の「しんいち」は1幕終盤で
移植後の眼に起きた違和感から、「夏子」に連れられて病院に来ています。
執刀医である「Dr.弁」に現状を相談するためです。
これに「くるみ」はしつこくつきまとっている。
一方、手術室の中でオペレーションを受けているのは
「少年(ヤスヒロ)」の愛犬「チロ」でした。
が、心臓が停止している「チロ」はやはり助からず、
「ヤスヒロ」は、死んだ者は帰らないという現実に直面します。
そこへ、「しんいち」と「夏子」が訪ねてくる。
「しんいち」は「Dr.弁」に、自分の角膜には他人が潜んでいる
ことを告げ、ドクターとインターンたちはこれを一蹴します。
・移植された肉体の一部を追ってはならない
・新しく一部を受け取った者は過去の所有者を振り返ってはならない
それが、移植手術における基本ルールだとドクターは説きます。
しかし、「しんいち」の体感は納得できない。
しかも、「くるみ」がしつこく追いすがって禁を破ってくるわけです。
こうして、皆が困惑したところに、「扉」がやってきます。
目的は、「田口」を捕えて離さない「くるみ」を糾弾すること。
「Dr.弁」を間に挟み、「扉」と「くるみ」の鍔迫り合いが始まります。
続きは3/2(日)19:30!
2025年2月25日 Posted in
中野WS『ジャガーの眼』
↑このまま放置は完全にアウトでしょう!
今日は昨日の1幕のうち、特に「くるみ」の行動についてまとめます。
2幕冒頭は明日に回します。
というのも、今まで数々の『ジャガーの眼』を観てきたものの、
「くるみ」の行動、その奇行っぷりがと本を精読して
よく理解できたからです。
まず、下記の段階でかなりの不審者です。
「しんいち」登場までの「くるみ」の家宅侵入
・他人の家に上がり込んでご飯をつくる
・勝手に湯たんぽまで用意する
さらに、「しんいち」登場時に行った、バースデーケーキを勝手に
置いておく、という行動はなかなかに度はずれです。
百歩譲ってケーキを置くだけなら良い。
しかし、彼女はローソクに火をつけてしまっているのです。
「しんいち」の帰宅時間を読み切っていたとはいえ、
火事の危険があるこの動きは大胆の上にも大胆過ぎます。
激しい。
しかも、「しんいち」に顔突き合わせてからの「くるみ」は、
「あなたの角膜の移植元は私の恋人である」という決定的事実の
名言こそ避けているものの、それをほぼ言ってしまっているのと
同等の迫り方であり、特に劇中歌の歌詞は明言しているとして
差し支えない告白ぶりです。
初対面の他人にローソクつきケーキを仕込まれ、
差し向かいになるや、歌いながら迫ってこられたら、怖いでしょう。
劇だから、架空の物語だから、という見方もあるでしょう。
しかし自分は、こういった感覚のなかに「くるみ」の執念を測ったり、
唐さんのシャレを感じ取ったりすることは、演じ、上演する上で
とても大切だと考えています。
「おかしいですね。でも、そのくらい元恋人が好きなんですね」
そういう話を、本読みWSではいつもしています。
2025年2月24日 Posted in
中野WS『ジャガーの眼』
↑移植したのは「角膜」のみです。劇中歌に「赤い塊」という
歌詞があるので眼球全体と思いがちですが、レンズの部分のみ
昨晩は1幕終盤から2幕の冒頭を読みました。
「くるみ」の恋人「しんじ」の角膜の移植先である「しんいち」が
登場し、「くるみ」の目的が露わになっていく。物語全体の根底が
示される場面です。
まずは、先週の続きとして、「扉」が「くるみ」を糾弾します。
勝手に他人の家に入り、何事かしている悪い女だというのが「扉」の
言い分であり、それはもっともなことです。
すると「くるみ」は、
「自分はジャガーの眼を持つ男」を探しているのだと言う。
なかなか抽象的な言い方ですが、これが後に、亡き恋人の角膜の
移植先だということが分かってきます。
どこまでも「くるみ」の肩を持つ「田口」に業を煮やし、
「扉」は「サラマンダ」の力を解放します。すなわち、
嫉妬の炎をたぎらせ「暴君」という名の暴風を呼び込みます。
舞台にいた者はみな吹き飛ばされ、静かな路地が戻ってきます。
そこへ、「しんいち」と「夏子」が登場します。
結婚を間近に控えた仲睦まじい恋人同士。「夏子」が「しんいち」
を想って想い過ぎているきらいもありますが、それも幸せのうち。
ところが、一人になって自分の部屋に入った「しんいち」を
待ち受けていたのは、テーブルの上のバースデーケーキ。
しかも、ロウソクに火までついていました。
普通に考えれば不気味な光景ですが、「しんいち」の右目の
角膜が反応します。たまらずにケーキを捨てようとすると
「くるみ」が現れ、「しんいち」に迫ります。
「くるみ」のそぶりから、彼女が自分に移植された角膜の元の
持ち主の関係者だということも分かってくる。
1幕はここで終わります。
「くるみ」が「ジャガーの眼」と呼んだのが、要するに元恋人の
角膜の移植先を意味していることが鮮明になり、この幕は終わります。
続きは、明日。
2025年2月18日 Posted in
中野WS『ジャガーの眼』
↑「くるみ」が他人の家に忍び込んで仕込んだ湯たんぽは
『泥人魚』でも活躍したこのようなデザインのものでしょう
これをこっそり仕込むとは、かなりヘンな行動です
昨日の続きです。
「くるみ」が登場すると、「扉」が喰ってかかります。
路地の家々をめぐり、「くるみ」は何をしていたのか、と。
他人の家に上がり込んで勝手にご飯をつくったり、寝ている他人に
湯たんぽを用意したりしていた人間。それが「くるみ」に違いない、
そう、「扉」「一の戸」「二の戸」は糾弾します。
しかも「くるみ」は、埃の降り積もったところに、大胆にも
「くるみ」というサインまで残していたのです。
泥棒や強盗にしては甲斐甲斐しすぎ、しかも自ら名前まで残していく
ところを訝られながら、こうして「くるみ」は糾弾されます。
そして、「この辺りには、ジャガーの眼を持った男がいる」
という長ぜりふが始まる。やや抽象的な言い回しではあるけれど、
少しずつ「くるみ」の目的が明らかになります。
ここで、面白いと感じたのは2点。
まず第一に、「扉」が必要に「くるみ」に喰ってかかる点です。
まるで、「田口」に道を踏み外させているのはお前だ!と
言わんばかりです。ライバル心の昂まりがすごい。
さらにその際、「一の戸」は「サラマンダ」が怒り狂わないよう、
「サラマンダ」の耳を塞ぐという芸の細かさを見せているのも
ユニークな点です。
次に、「くるみ」が町内を巡って家宅侵入し、家事を行なっていたこと
です。これ、雑誌「新劇」や単行本に掲載された冒頭シーン、
すなわち、女が路地の家を覗き込んでいる場面がしっかりと
上演されれば、ますます活きるのではないかと思うのです。
やはりこうやって何人かで読んでみると、『ジャガーの眼』って
こういう台本だったんだ、という発見に満ちています。
面白い! 次回は2/23(日)です。
2025年2月17日 Posted in
中野WS『ジャガーの眼』
↑胡桃は脳に似ています。そしてカラカラと鳴り響き、
カスタネットの役割も果たしています
昨晩は『ジャガーの眼』本読みの第3回でした。
先週来、探偵「扉」の「田口」に対する思いに気づいた時点から、
本読みが俄然、おもしろくなってきました。
もともと書かれていた冒頭の「くるみ」の歌唱シーン、
「扉」という人物の真価が発動することで、今まで何度も観てきた
『ジャガーの眼』に、新しく、しかもより本来的な輝きを帯びる
可能性が見えてきたのです。そういうことを意識しながら、
一昨日も本読みに邁進しました。
第3回の主眼は、「くるみ」の登場です。
「扉」「一の戸」「二の戸」は噂話をします。
路地の奥にある民家に忍び込んでは、食事をつくり、湯たんぽを
セットする謎の人物がいる。しかもそいつは、ほこりに「くるみ」と
書いて自らの存在をアピールしているのです。3人は嫉妬に狂う
「サラマンダ」を刺激しないよう警戒しつつ、「くるみ」を
怪しみます。
一方、「田口」は路地の住人たちの怒りに触れてサンダル探偵社屋を
メチャメチャにされます。その前段では、飼い犬「チロ」を交通事故で
無くした少年「ヤスヒロ」との問答があり、「くるみ」が「ヤスヒロ」
に亡き者の復活を説いていたことが明らかになります。
結果的には、「くるみ」は「しんじ」を亡くしていたわけですから、
「くるみ」と「ヤスヒロ」はシンパシーを感じているのです。
それら前段があって、「くるみ」はやってきます。
登場の直前には、「会社員」「マダム」「婆ア」がサンダル探偵社に
「お金入りの封筒」「ハンドバッグ」「入れ歯」を投げ込むシーンが
あります。これらはすべて、「くるみ」が探偵として働いた謝礼です。
つまり、「田口」がリンゴで行く先を占いながら依頼者「くるみ」が
持ち込んだ案件に向き合っている間、秘書「くるみ」は様々な仕事を
片付けていたこともわかります。
・・・と、これだけの前フリがあって「くるみ」は登場します。
登場すると、「田口」を間に挟んで、「くるみ」と「扉」の対決が
始まります。それは、また明日。
2025年2月12日 Posted in
中野WS『ジャガーの眼』
↑読みながら、唐さんが憧れたフィリップ・マーロウ像を思い描こう!
一昨日の続きです。
自分としては、「扉」が「田口」に寄せる想いに気づいたことが
大きな収穫でした。思えば、この設定は、同じ探偵事務所を題材にした
『唐版 風の又三郎』の「教授」→「夜の男」の関係性にも似ています。
これから、この視点を以って全体を読み進めていくと、
本来的かつ新たな『ジャガーの眼』が自分に見えてきそうです。
さて、日曜に読み進めた部分の物語について。
アジア探偵社の「扉」が現れ、「住人たち」と「田口」のいさかいを
仲裁します。「扉」は車椅子に女性の人形(サラマンダ)を座らせ、
路地をウロウロしているわけですから、より怪しい気もしますが、
「住人2」の奥さんの不倫を「扉」が告げたことで、その場は上手く
散会となります。さすが興信所員です。
そこからは、「扉」から「田口」に対する口説きが始まります。
要するに、「アジア探偵社」に戻ってきてほしい、戻らないまでも
また一緒に仕事をしよう、と熱心に説得します。
「田口」はこれを断り、断る理由のなかで、「くるみ」の存在が
明らかになります。ある日、依頼人として現れた「くるみ」は
「田口」に何かの捜索を依頼し、「田口」がその仕事に専心するために
秘書まで買って出て「サンダル探偵社」の経営を支えているという
設定なのです。
「くるみ」の存在に、「サラマンダ」は大いに嫉妬して「暴君」と
呼ばれる大風を巻き起こします。
こうして、「くるみ」の登場に対する期待感が昴まっていきます。
いつも上演ではカットされる、「くるみ」の冒頭シーンがあると、
お客はさらにピンと来るように、私は思います。
私が特に面白いと思ったのは、「扉」の部下たちが通り過ぎる
シーンで「扉」と「サラマンダ」が入れ替わるところです。
「扉」が自分の心を「サラマンダ」に託していることがよくわかる
場面であると感じます。
次回の「くるみ」登場がたのしみです。2/16(日)19:30からです。
2025年2月10日 Posted in
中野WS『ジャガーの眼』
↑"サラマンダー"は火を司る妖精です。"ウィンディーネ(オンディーヌ)"
は水の妖精。唐さんは、ジャン・ジロドゥの『オンディーヌ』に対する、
新たなヒロインを打ち出したのかもしれません
昨晩は『ジャガーの眼』オンライン本読みの第2回目でした。
初回はいつも、作品の背景を説明する必要から私がお話しする分量が
多くなりますが、第2回目をしていよいよ本格始動という感じがします。
昨晩に読んだ約20ページは、冒頭から登場していた「田口」に加えて、
「扉」「サラマンダ」というキャラクターが現れます。
「サラマンダ」は厳密には女性をかたどった人形なのですが、
唐さんのセンスとしては登場人物という扱いです。
彼ら3人のやりとりからわかってくるのは下記の事柄です。
扉
・「二十の扉」とも呼ばれる。「アジア探偵社」の探偵。
・人形「サラマンダ」を造られた男。
・「アジア探偵社」を去った「田口」とまた働きたい
田口
・元は「アジア探偵社」に所属していた。
・「フィリップ・マーロウ」と呼ばれていた。
※「マーロウ」とは、レイモンド・チャンドラーの小説に出てくる
ハードボイルドな探偵
・人形「サラマンダ」と組んで恋人同士を装い、浮気調査など
興信所員的な動きをしていた。
・そういう「実用」に飽きて、独立し「サンダル探偵社」を創立。
・「くるみ」という女性が依頼人として現れ、何かを依頼。
・同時に「くるみ」は「田口」の秘書ともなり、サンダル探偵社を
維持していくための仕事は「くるみ」が行う。つまり、「田口」は
依頼人としての「くるみ」の仕事に専心している。
サラマンダ
・「田口」と組んで仕事をするうち、人格を帯びてしまった人形。
・「扉」によって造られたため、「扉」が「田口」に寄せる好意が
「サラマンダ」に宿っている気配あり。
・嫉妬深い女性を100人集めたくらい嫉妬深い。
・「暴君」「ネロ」と呼ばれる暴風に守られており、「サラマンダ」が
嫉妬にかられると暴風が押し寄せる。そのため、「サラマンダ」の前で
他の女の名を口にしてはいけない
・・・という、なかなかキャラクターの立った3人です。
特異なのはなんといっても「サラマンダ」で、彼女のキャラクターには
E.T.A.ホフマン『砂男』の人形「オリンピア」、江戸川乱歩『押絵と旅する男』
が明らかに影響しています。「サラマンダ」には、彼女を造った「扉」の
「田口」への想いが込まれており、かなり面白い関係性が見て取れます。
長くなったので、続きは明日以降に。
明日、2月11日は唐さんのお誕生日です。
2025年2月 5日 Posted in
中野WS『ジャガーの眼』
↑大きくしたので画質悪いですが、こういう路地(五叉路!)の
辻で1幕が進行します
第1回その③は、初回に読んだ場面のストーリーについて、です。
まず、昨日に紹介したプロローグがあります。
女(くるみ)が路地を覗き、亡き恋人を思う歌を歌う。
1幕が始まると、路地の辻の部分に田口が住人たちに
押されてやってきます。傍には、巨大なサンダル型の探偵事務所。
(「事務所」といっても、人ひとりがやっと入れるもの)
住人たちは、田口に自らの生活を覗かれたと言って怒り、
田口は不思議なリンゴを追って路地に迷い込んだと弁明します。
「♪この路地に来て 思い出す〜」という田口の劇中歌もまた、
その弁明の一部という構成です。
住人たちと田口の問答はスピーディでとても面白いのですが、
肝心なのは、住人たちにとって田口の語るリンゴそのものの
存在が疑わしいということです。田口は必死に自分を誘ったリンゴ
について説明しますが、説明を重ねるほどに信じがたい。
すべては田口の言い訳に聞こえ、ますます猛る
住人たちとの仲裁に、別の探偵「扉」が入ってくる、
という場面の寸前で初回WSを終えました。
同時に、すでに「寺山修司」という詩人の存在が満々としています。
・「覗き」をして警察沙汰になったこと
・リンゴ(青森出身)
・劇中歌詞「死ぬのは、皆他人」(寺山さんの好きなデュシャンの言葉)
・サンダル(ジーパン生地のサンダルを寺山さんは愛用した)
・「詩人」というフレーズが頻発
他にも、唐さんの詩作が「批評に値しない」といって突っ返された
せりふにも、寺山さんと唐さんの交流が偲ばれます。
という風にして、『ジャガーの眼』音読みはスタートしました。
全10回、4月中旬までかけてやります。
次回は2/9(日)19:30から!
詳細はこちら
↓
2025年2月 4日 Posted in
中野WS『ジャガーの眼』
↑『ジャガーの眼』が初めて活字化された新劇1985年7月号
WS参加者のなかにふたりもこれを持っている方がいてビビりました
皆さん、相当なフリークです。が、のめりこんだ上で、誰にも
分かりやすい「読み」「上演」を心がけるのが私のモットーです
今日は、「その②」として、
「主役は田口」という話題を展開したいと思います。
『ジャガーの眼』の上演を知っている人であればあるほど、
戯曲を読んでみて冒頭に違和感を感じるはずです。
数ある映像では、路地を覗いたのを見咎められて多くの住人たちに
田口が体を押され、辻に引っ張り出されて糾弾されるシーンから
この劇は始まる。
が、台本では、トップシーンは路地に立つ女。
彼女の歌う歌がプロローグ的についています。
ヒロイン「くるみ」はすでに登場し、亡き恋人「しんじ」と
移植された角膜を想って歌う「♪あたしは見ていた〜」が冒頭で
提示されるのです。
これは、これまで見てきた実上演の印象をかなり大きく変えてしまう
シーンです。この冒頭があると、劇全体が「くるみ」の物語となり、
無ければ「田口」の話となる、というくらいに観る人の感じを
変えてしまいます。
どうしてこのようなことが起こったか。
どのような経緯で唐さんは、当初に書きつけた冒頭シーンをカット
したか。ということを考えるのは愉しい。
ちなみに、この『ジャガーの眼』には活字化されたものでは
3種類のバージョンがあり、
1.『ジャガーの眼』雑誌「新劇」(1985.7 白水社)
2.『ジャガーの眼』単行本(1986.7 沖積舎)
3. 『唐組熱狂集成』より『ジャガーの眼2008』
(2012.2 ジョルダン・ブックス)
という具合です。
今回定本としたのは、最初に活字化された「新劇」掲載のものです。
「新劇」版、沖積舎版の単行本には件の冒頭シーンがあり、
ジョルダン・ブックス『唐組熱狂集成』にはこれがありません。
1986年と2012年の間にはいくつもの実上演がありますが、
そのうちに冒頭シーンが無い上演台本が定着したものと思われます。
が、今回の本読みWSはせっかくなので、
冒頭シーンがある上演はどんなものになるか、という問いを大きな
モチベーションとします。せっかく皆さんで読むんですから。
『ジャガーの眼』の原型が掴めるかも知れない、という愉しみです。
一方で、「主役は田口」ということも重要です。
「田口」とは唐さんがよく自作の主人公につける名で、これは
母方の姓なのだそうです。
1970年代に入ってずっと主役をやらなかった唐さんが、
自ら主役になって押し出している作品が『ジャガーの眼』であるとも
言えるし、プロローグ部分のカットによってそれは決定的になりました。
ということも一緒に考えてみましょう。
2025年2月 3日 Posted in
中野WS『ジャガーの眼』
↑1982年の刊行です。寺山さんが亡くなる1年前
お待ちかねの『ジャガーの眼』本読みが始まりました。
再演の回数の多さ、映像が残されているという点からも人気の演目です。
たくさんの方にご参加いただきました。
昨晩は初回ですので、いつものように年代記的に唐さんが
『ジャガーの眼』執筆に至った経緯を追い、
付随して、触れて頂きたい資料を紹介しました。
『臓器交換序説-寺山修司演劇論集(1982)』
ブリタニカ叢書→1992年1月25日ファラオ企画より再版
『豹(ジャガー)の眼(1975)』 高垣眸 少年倶楽部文庫
『豹の眼-唐十郎第2エッセイ集(1980)』 毎日新聞社
『犬の心臓』 M.ブルガーコフ(水野忠夫訳)河出書房新社
『犬の心臓・運命の卵』 M.ブルガーコフ(増本浩子訳)新潮文庫
ちなみに、『悪魔の辞典』などの短編で有名なA.ビアスにも
『豹の眼』という小説がありますが、これは関係がありません。
『ジャガーの眼』という題名について、高垣眸(たかがきまなこ)さん
の冒険活劇小説と、それを原作とするドラマや映画に影響を受けて
唐さんはタイトルを付けたようです。
1980年に刊行された第2エッセイ集『豹の眼』は主に、
1979年に行った『女シラノ』サンパウロ公演の行程を題材にした
記録です。アフリカと南米を一緒くたにして語るところ、
要するに「なんだか豹がいそう」くらいのイメージで
ざっくりと捉えるところが唐さんの愛嬌です。
寺山さんの『臓器交換序説』には、ヒロイン「くるみ」の歌や
犬である「チロ」が大きく影響を受けています。
寺山さんの好きだったマルセル・デュシャンの言葉(墓碑銘)
「死ぬのは、いつも他人ばかり」という言葉もこの本の中に
出てきます。
ブルガーコフの『犬の心臓』は、ある男に犬の心臓を移植した
ところ、心臓に宿る犬の記憶や習慣が延命後の男に影響して
しまう、という内容です。これはSFチックな話ではありますが、
例えば人間の脳とオランウータンの身体を掛け合わせた
兵士(兵器?)を本気になって模索していたという逸話もある
ソビエト連邦という国家を思う時、あながちSFとも言い切れません。
そういう社会にとって、リアリズム小説と言えなくもない。
と、こういう話をしました。
・・・資料の話で長くなりましたので、続きはまた明日。
ちなみに、『ジャガーの眼』は昨日を含めて全10回の構想で
このオンラインWSを行う想定です。と、いうことは、
4/13(日)が最終回という目算です。
たくさん時間がありますので、ぜひ上記の資料に触れて頂きたい
ところです。
現在位置は、
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中野WS『ジャガーの眼』
です。