2024年12月21日 Posted in
中野note
↑夜のパルテノン多摩
本日、初めて多摩に行きました。生まれて初めてです。
きっかけはまず海老名での飲み会に参加したことで、
これが19:30過ぎ、つまり意外に早い時間に終わりました。
そこで、そこから多摩までは割と短時間で行けることに気づいたのです。
私の年末年始の愉しみは、2024年中のクリティカル・ヒットだった
トゥキュディデスの『戦史』を別の翻訳でも読み、
『ドラクエⅢ』のリメイクをやり、唐さんの一人芝居『マラカス』を
研究することです。で、『戦史』の在庫が多摩の本屋に嗅ぎつけて
脚をのばしました。
多摩センター駅の柱にキティーちゃんがいっぱいいて、
ここがサンリオピューロランドの最寄駅なのだと思い出しました。
ついでにパルテノン多摩にも行き、なるほど丘の上の神殿に似ていると、
アテネのアクロポリスを思い出しました。
パルテノン多摩までの坂道は電飾ギラギラで、
クリスマスイベントで燃焼し尽くした大勢の子どもたちが、
お腹すいたと叫びながらウジャウジャと駆け回っていました。
午後9時ですが、彼らはこれから何か食べずには寝ない闘志に
充ちていました。
多摩センター→京王稲田堤→稲田堤→武蔵小杉→横浜
という最安ルートを選んで帰ってきています。
↓こちらはオリジナル
2024年12月20日 Posted in
中野note
最近、さるクラシック音楽関係者と二人で食事をしました。
県民ホールに勤めてもうすぐ2年、そんなシチュエーションが
自分にもぼちぼち訪れるようになってきたのです。
クラシックというとハイソな感じがありますが、
その方は実に叩き上げの劇場人という物腰で、百戦錬磨の雰囲気があり
自分にバイロイト音楽祭に行った時の話をしてくれました。
あの、ワーグナーの聖地であるバイロイトに、その方は2度までも
行ったことがあるそうなのです。
私はバイロイトはおろかドイツに行ったこと自体がないのですが、
以前に照明家の吉井澄雄先生から伺った話をしました。
吉井先生によると、先生の照明デザインがあのように陰影に富む
ハイコントラストを志向したのは、1961年に体験したバイロイトが
源なのだそうです。クナッパーツブッシュ指揮の《パルジファル》、
その時の劇場空間の暗さは、それまで体験していた日本の劇場とは
隔絶していたのだそうです。
そういう話をすると、一緒に食事していたSさんは、
「ヨーロッパ人の目が受ける明るさは、日本人と明らかに違う。
彼らは明らかに、日本人より3割増くらいで明るく見えているはずだ」
と言い出すのです。つまり、体質的にみんな夜目が効くようなもの。
そう言われて膝を打ちました。
ロンドンで暮らした家の、あの暗さ、間接照明で本を読み、
パソコンを打っていた日々には、節約以外にそんな体質的な違いが
あったのだと気づきました。そう。あれはきっとそうに違いない。
帰国した時、好きな時間に電気を点け、好きな時間に風呂に入り、
好きな時間に煮炊きでき、出かけられることに自由を感じました。
今も、夜中に電気をつけて、こうして文章を書いています。自由だ。
2024年12月19日 Posted in
中野note
↑こういうU字磁石が「電子親友」なる存在の重要なアイテムだと
ト書きにあったので、津内口が画像をつくってくれました
今朝、唐さんが1998年に初演した『電子親友』を精読し終わりました。
物語もよく分かったし、唐さんがゲームの世界、ヴァーチャルの世界に
耽溺する人々を、うまく肯定し、ヴァーチャルな出会いにも人肌や
人情を感じていこうとしていることが伝わってきました。
なかなか暖かな、ぬくい芝居なのです。
一方で、この劇は「ひとり芝居」と銘打っていますが、
看板には偽りがあり、ありまくりました。
主人公の田口泥作(たぐち どろさく)が右往左往するなかで、
サッと舞台袖から腕だけ登場したり、人形2体がセットの隙間を
横切ったり、スタッフの人の動きも含めて、主人公のほかに人間の
気配が充分に濃厚なのです。
果ては、ラストシーン。
追い詰められて自殺を試みる田口を、スタッフたちが刑事に扮して
止めにかかるのです。正確には「刑事たちに化けたスタッフが・・」
とありますが、舞台に出てしまえば人はみな出演者であり、
役者なのですから、かなり苦しいエクスキューズです。
唐さんはもともと、一人芝居ぎらいを公言していますし、
唐(もろこし)に十人の強者(つわもの)あり、ということで
唐十郎なのですから、集団性を重んじる人なのです。
結果、思わず一人芝居の枠をはみ出してしまったのでしょう。
こうなると、残る一本の一人芝居『マラカスー消尽』がやたらと
気になります。数日のインターバルを経て、『マラカス』いってみよう!
2024年12月18日 Posted in
中野note
↑ダイアンに贈ったカード。ぎゅっと詰めて140円。こちらは安い!
先日来、唐ゼミ☆関係者やお客様にメールをお送りしています。
唐さんが亡くなったことで私たちも喪に服する気持ちが強く、
年始のお祝いを失礼させて頂こうと考えてのことです。
毎年、津内口が苦労して舞台写真や劇団員写真を配置して年賀状を
つくってくれていました。特にここ数年は、元旦にしっかり届くよう
みんなで手分けしてメッセージを書き、12/25には投函するように
してきました。クリスマスは私たちにとって、年賀状の〆切で
過ごしてきました。けれど、上記のような理由から
今回は失礼をさせていただきます。
世の中には資源の重要性を気にする向きも強まり、
メールやLINEなどの発達から年賀状をとりやめようという方が
多いようです。加えて、郵便の値上がり。これは私たちにとっても
大ダメージで、考えてしまいます。
ですが、もともとお祝いのおハガキは合理性とは真逆をいくところに
一段深い合理性があると思うので、また来年末になったら、撮り溜めた
写真を組み合わせて作りたい。現在の自分はそう希望しています。
特に、しばらく疎遠にしている方々との交信の良いきっかけになるのが
ありがたいところです。また、歴代の年賀状はどれも気に入って、
本の栞にしているために、本棚から本を取り出した時に
ハラリと落ちたりして、愉しい気持ちになる効能もあります。
現在、ハガキの郵送日は一葉85円。
先日、ロンドンにクリスマスカードを送ったら、
封筒にカードと写真を詰めて140円でした。
後者は飛行機に乗っているのに。ハガキの遠出は割安に感じます。
2024年12月17日 Posted in
中野note
↑発送前の台本です
今日は劇団集合して皆で作業をしました。
先々を考えながら仕込みをしているこの時期ですが、
直近の目標は年明けのリーディングワークショップです。
『唐版 風の又三郎』第1幕が目標の課題ですが、
細部は全体に宿り、全体は細部につながりますので、
断固として全編の台本を作りしました。
これを今から参加の皆さんの元にお送りして、
事前にパラパラと眺めてもらい、それで1/11(土)を迎えようと
いう計算です。製本テープを貼るのはちょっと難しいのですが、
細やかな齋藤が丁寧に貼ってくれました。
唐さんは台本を大切にする人で、ご自身オリジナルの表紙を付けたり、
しおりをはさんだりして意匠を凝らしていました。
皆さんにも大切にしてもらいたいです。
今回が上手くいったら、第2幕をやる会を設けよう、などと
夢は膨らみますが、まずは目の前の1幕です。
2021年以来、久々に『唐版 風の又三郎』に耽溺するのを
愉しみにしています。
2024年12月14日 Posted in
中野note
↑アルバート・スポルディングの演奏が、ホームズに似合うのではないか
と思ってきました
年明け1/11(土)-13(祝月)に行う『唐版 風の又三郎』WSの募集が
定員に達しました。いくつかの希望が重なって思いついた企画です。
①劇団員を増やしたい
②唐十郎作品への取り組み方をシェアしたい
③傑作『唐版 風の又三郎』の世界を味わいたい
と、考えて、唐ゼミ⭐︎としては初めて一般の方向けの集中講座を
やってみようと考えました。私たちの本拠地Handi Laboというのは
鶴見川の近くにある住宅街・工場街にある拠点でアクセスはあまり
良くないのですが、ここにこんな活動の場があることに親しんで
もらいたいと思って、あえて本拠地にお招きしようとも思いました。
唐ゼミ☆の創作の日常を体験してもらいたいのです。
現在、15名定員に達して、新たにお申し込みくださる方にはキャンセル
待ちを頂いています。上手くいったら数ヶ月に一回、連休のある月を
狙って継続していこうかとも考えています。どうなればありがたいです。
一人芝居『電子親友』を1周目読み終わり、明日から2周目にかかります。
まだちょっと内容が入ってこないので、今度はノートをつけながら
シーンごとのあらすじを整理して読みます。
移動や仕事の合い間には、こつこつヘロドトスを読んでいます。
『歴史』中巻に至って、ずいぶん読みやすくなりました。
この本が、要するにプロレスのプロモーションの仕組みだと
わかってきたからです。頂上決戦は、サラミスの海戦による
ギリシャ側の勝利です。その前にテルモピュライの戦いがあり、
マラトンの戦いがあります。
その前段として、ペルシャ帝国がいかに強大な国なのか、
ペルシャが苦労して制圧したエジプトの歴史も含めて物語るわけです。
強大なヒールの半生を語った後にベビーフェイスが彼を倒した方が
盛り上がるからです。そう考えると、くだくだしい前段が愉しめる
ようになりました。年末までに倒したいです。
それが終わったら、『鏡の国のアリス』を読みます。
『唐版 風の又三郎』に出てくるエリカのせりふのネタ元がアリスに
出てくることを知りながら、これまでどの箇所かはっきりさせて
いなかったので、これを機に突き止めようと思っています。
年明けに自信満々でWSに臨むためです。
年末年始はたのしみです。
息子が『シャーロック・ホームズ』シリーズを読み始めたので、
ジェルミー・ブレット版のドラマを観ながら以前に買っておいた伝記を
読めたらさぞ面白いでしょう。ホームズの弾くヴァイオリンの曲を
イメージすることにも興味があります。
できれば『ドラクエ3』もやりたい。息子の興味を惹きつけることが
できたら一石二鳥です。彼の相手と好きなゲームが同時にできるからです。
望むすべてを達成することは難しいでしょうが、
今から色々と望みを託しています。
2024年12月13日 Posted in
中野note
↑初演された時のビジュアルです。演出の「骸馬二(がい うまじ)」
というのは、唐さんの別名で、要するに唐さん本人です
毎朝、唐さんのひとり芝居『電子親友』を読んでいます。
この劇の初演は1998年で、例のポケモン・ショックを受けて
書かれています。ピカチュウの発光により、多くの小学生が
緊急搬送されたという、あの事件です。
事件が起こったのは1997年12月のことでした。
唐さんの『電子城』は1989年、『電子城Ⅱ』は1991年です。
最近リメイクされ、私も年末年始にやりたいと思っている
「ドラゴンクエストⅢ」に影響を受けた台本です。
こうしてみると、ドラクエからポケモンまで10年かかって
いなかったのだという事実に気づいて、10代の数年間というものは
大変に大きな隔絶を生むものだと思わざるを得ません。
あと1週間ほどで読み終わる『電子親友』は、
プログラマーの格闘を描いたもので、唐さんなりにヴァーチャルを
生み出す人の頭の中や皮膚感覚を想像していたことがよくわかる劇です。
一方で、これが一人芝居といえるかどうか、
というのも、チラッと過ぎる人形や、人の気配や、声や、
舞台裏には三人くらいは控えていないとまわりそうにない台本
だからです。そうやって「一人芝居」という、ある種のナルシシズム
を茶化す唐さんが元気です。
どこかで挑戦できる機会をつくってみたいものです。
引き続き読みます。
2024年12月12日 Posted in
中野note
唐十郎を偲ぶ会で頂いたカード。
表面は唐さんのお写真。かえすがえすも優しい表情です。
裏面には唐さんの好きなことば「青春、愛、挫折、希望!」。
このことば、以前は『吸血姫』のせりふだと思っていました。
主人公の青年・肥後守がエンディングで決めぜりふとして言うのが
このフレーズなのです。
「青春、愛、挫折、希望!」と言って、劇中歌に入る。
これが『吸血姫』必殺のエンディングです。実にカッコイイ。
一方で最近、自分で『少女仮面』に取り組んでみて、
その初出が少女・貝のお婆さんのせりふだということに
気がつきました。そのようなわけで、「何よりも肉体を!」
とセットになっているわけです。
めでたく写真たてに入り、我が家のメインどころに飾っています。
2024年12月 9日 Posted in
中野note
昨日は唐さんを慕う人たちの集まりがありました。
新宿の浪曼房というお店が会場でした。
この「〇〇房」というお店は新宿に何軒もあります。
演劇&ダンス公演のチラシやポスターが盛りだくさんの
このお店に伺うのも久しぶりです。
唐さんの舞台、批評、メディア、映像、の関係者といった
趣きの仲間の皆さんが大集結して宴席を張りました。
途中で流れた映像を見て、『ジャガーの眼』初演の頃の唐さんに
自分の年齢が近づいていることに気づいて驚いたりもしました。
唐さんの写真は、状況劇場の初期からの付き合いの皆さんには
馴染みがない唐さんなのだそうです。もっとギラギラしていた、と。
一方、自分にはしっくりきます。それだけ、丸く、優しくなった
唐さんに接してきたということかも知れません。
久保井さんが唐さんに、いいちこを献げました。
愛用していたお茶碗で一升瓶を鳴らします。
チンチンチンと鳴らすと、唐さんもそんなふうに鳴らしながら
良い音だと言っていたのを思い出しました。
記念にいただいたカードを収めるために、
さっそく椎野が写真たてを注文してくれました。
年明け、『唐版 風の又三郎』WSは、まもなく満員です。
唐さんを想って良い会にしたいと、ディープに唐十郎を識る人を
ますます増やしたいと、そう想って準備しています。
2024年12月 7日 Posted in
中野note
↑9月に行なった公演の大入り袋をありがたく受け取りました。
今年は県民ホール公演直前であまりドリプロに行けなかったので、
来年はもっと貢献しようと思います!
最近、『電子親友』という唐さんの台本を読んでいます。
これは珍しい一人芝居で、90年代に初演されたものです。
他にも、『マラカス』という台本がありまして、これも近く研究しようと
思っていますが、まずは『電子親友』から。
本読みを終え、少し運動した後は、綾瀬市に向かいました。
オーエンス文化会館で、綾瀬シニア劇団Haleが公演を行なっている
からです。『少女仮面』で老婆を演じてくれた倉品淳子さんが
創作をリードして、向田邦子さんの『父の詫び状』を基調に
家族を亡くした時に生ずる喪失感と滑稽なできごとを出演の皆さんの
実体験と合わせて描いていました。
落語の『死神』みたいな味わいでした。生き死にを描いていますが
不思議にユーモラスなのです。
綾瀬では、お世話になってきたホールの方と話したり、
近隣のお蕎麦屋さんやタウンヒルズに行ったり、少し足を伸ばして
海老名にも寄ったりしました。
夜になると戸塚に移動して、ドリームエナジープロジェクトの
忘年会に参加しました。飲み屋で会うドリプロメンバーは面白く、
みんなで今年を振り返りながらタラチリをつつくのはなかなオツでした。
移動の合間にはヘロドトスの『歴史』を読んでいます。
今年はトゥキュディデスの『戦史』を読んで感激しているので、
それに対抗して読んでいるのですが、冗長でぜんぜん読み進められません。
これをなんとかしないと、年明けの『唐版 風の又三郎』の準備が始め
られん。矢川澄子さんの『不思議の国のアリス』を読み直したいのです。
忘年会を終え、帰りに、ほんとうに久しぶりに横浜国大に寄りました。
別に用があったわけでなく、1日の歩行目標に2キロ足りなかった
からです。母校を1周すると2.5キロほどなのです。
いろいろと思い出しながら1周しました。
2024年12月 6日 Posted in
中野note
↑シンガポールで最も大きなドラァグクイーン、ベッカさんがディドーを
演じていました
今日、KAATで "Dido and Aeneas" を観ました。
英国のオルフェウスと呼ばれたヘンリー・パーセルのオペラです。
今後も忘れることは無いであろうインパクトのある上演でした。
自分はヴェルギリウスの『アエネーイス』が好きで、好きで、
その前半の一節をもとに作られたこのオペラは憧れの作品で、
いつか生で観てきたいとずっと思って過ごしてきました。
ですから、イギリスに行った時は嬉しくて、
それはもう観られる限りの上演を観ました。
BBCシンガーズがトラファルガー広場の前の教会で上演したもの。
中堅メゾのアリス・クーテがBBCプロムスのナイトプログラムで
主演したもの。古代の温泉町バースにて、小さな国立劇場が上演した
舞台美術つきの完全上演。音楽大学の学生たちによるスタジオ公演
さへ観に行きました。それくらい好きで、好きで。
白眉は、オランダのアイントホーフェンまで押しかけて観た
デイム・サラ・コノリー主演、Eirly Opera Companyによる上演でした。
この作品について、この上演を超える舞台を観ることは無いな!
と確信させる舞台でした。ブリュッセル、アントワープを
踏破して駆けつけた甲斐に応えて余りある公演でした。
今日の上演は、シンガポールの演出家による換骨奪胎版でした。
思い切り現代化し、観客巻き込み型のファニーな舞台で、愉しみました。
が、それでも、やっぱり一番好きなアリアの部分になると、
そんな風に現代化し、ある意味では茶化するような上演だったとしても
音楽と歌に感動してしまいました。
無条件に好きな作品はあるもので、自分でも驚きました。
そういうわけで、いまは深夜に帰ってきて録音を聴き、
イギリスで覚えた味覚の一つであるベーコンエッグを食べ、
ダイアンにクリスマスカードを書いています。
2024年12月 5日 Posted in
中野WS『少女都市からの呼び声』 Posted in
中野note
↑夜の御茶ノ水駅!
今日は文京区に来たので、せっかくだからと御茶ノ水に寄りました。
年明けに『唐版 風の又三郎』1幕のWSをするので、色々と思い出す
ためです。駅の近くにある聖橋やニコライ堂や電話ボックスが第3幕
の舞台になっています。
唐さんの設定によれば、死んでしまった高田三郎三曹を思って
ヒロインのエリカが御茶ノ水をさまよっていると、高田の乗った
飛行機が飛来し、聖橋の欄干の下をくぐってみせる、という
アクロバットな描写があります。
現在、工事中の御茶ノ水駅の周りにその風情はありませんが、
脳内で補正してその光景を想像することは、せりふを言う上で
とても有効です。そう。せりふを言ってやろう、というのでなく、
見ているものや、体験していることを観客に伝えよう、と、
そういう状態になればしめたものだからです。
よく考えたら、今回のWSでは1幕のみを読むので、
ホントは舞台となる代々木に行かなければなりませんが、
いろいろと作品の世界を思い出しました。
唐ゼミ☆で公演した2020〜2021年も同じように、
こんな風に劇をつくっていました。
現在、15人の定員中、11人の方が参加を申し出て下さっています。
あと4名。ありがたいことです。
さらなる参加希望をお待ちしつつ、皆さんに配布する台本を
作り始めています。
2024年12月 4日 Posted in
中野note
小室等さんからCDが届きました。
"lovesong"と題して、永六輔さん、松岡正剛さん、別役実さん、
そして、唐さんも含めた、小室さんがさまざまに交流してきた
人たちとの創作がリニューアルされて歌われています。
傘寿を記念してつくったアルバムだそうです。
最後には小室さんが通った銀座のヤマハまでもが歌われ、
楽譜や音楽を通じて影響を受けてきた多様な人たちまでもが
網羅されているようです。
亡き人を偲ぶCDであることは間違いありません。
けれど小室さんはそれらを現在を生きる力に変えて歌われている。
そのように受け取りました。lovesongの" l "が小文字であることに
小室さんらしい慎ましさと誠意を感じます。
唐さんとの交流からは『さすらいの歌』が、冒頭の語りまでもが
きっちりと小室さんバージョンで入っています。後奏には、永遠に
続くかのようなギターの演奏が繰り返し繰り返し聴こえてきます。
終わることがないかのようです。
ライナーノートに少しだけ、私の名前を出して下さっています。
光栄なことです。
2/27-28には記念碑的なコンサートが行われるようです。
すぐに2/27のチケットを予約しました。
久しぶりに生の小室さんの演奏と歌を聴きにいきます。
2024年11月30日 Posted in
中野note
↑最近、こういうマンガも読んでいます
今朝、近所の人気パン屋に息子と娘と3人で買い物に行きました。
ここは、週に木金土曜の3日間しか営業していない人気店で、
それでも充分に成り立つらしいのです。
店内に入ると、全体にパンの焼ける匂いと暖かさが充満しており、
普通の人にはこれは良い香りなのですが、暑いのが苦手で匂いに
敏感な息子は決まって気分が悪くなるらしく、"毒ガスパン屋"という
あだ名を付けています。パン屋さんには悪いですが。
しかし、味は好きなので今日も買いに行きました。
私はランニング、彼らは自転車。
こうしてお互いのエクセサイズを兼ねています。
自分のパンを選ぶために店に入った息子はやはり気分が
悪くなったらしく、公園に寄る私と娘を置いて先に帰ることに
しました。小学2年ともなれば、一人で帰ることができるのです。
10分ほど経って、椎野から連絡が来ました。
聞けば、息子は帰ってきたものの、信号待ちで2羽のカラスに
襲われ、息子が買ったあんパンを奪われたらしいのです。
さらに聞くと、以前にも息子はカラスに頭をこづかれたことが
あるらしいのです。私は43年生きてきて、カラスに襲われたことは
ないのですが、8年間の人生で2度までもやられたそうです。
驚いたのでここに書きました。明日の早朝、現場検証します。
2024年11月29日 Posted in
中野note
↑2014年に、ここで『木馬の鼻』を上演したことも思い出します
最近、よくよこはまばし商店街に行きます。
お目当ては漬け物屋さんで、ここには「灘屋」さんという専門店があり、
さすがのクオリティなのです。
いま、糠漬けを買えるお店は少なく、実感としては絶無状態です。
昔、大学院生だった頃は近所の八百屋が美味いのを漬けていたの
ですが、最近はそういうサービスをする店が少なくなりました。
一方、灘屋さんのものは、特に息子がきゅうりの糠漬けをよく食べます。
今日は椎野が出かけるので、夕方ごろには家に帰りました。
その途中、ぬか漬けを買って帰ろうとよこはまばし商店街に行ったら
周囲は通行止めをして、酉の市をやっているところでした。
目の前の道路や、大通り公園の中にも屋台が展開して、
少し肌寒いけれど、圧倒的な賑わいでした。
屋台の値段を見ると、大判焼きが200円とか、ビールが390円とか、
お好み焼きや煮込みが500円とか、うちの近所のお祭りより
明らかに勉強した値段でした。
そりゃそうだ。
屋台は商店街の軒先でも連なっており、ここは安く売るので
鳴らしている商店街なので、クオリティ&値段で商店街の店舗に
対抗するには、テキ屋さんたち大変だと思いますが、
訪れる方は嬉しい。昔、親しんだ値段だと思いました。
最近は何もかも高くなっているけれど、
それでも、ロンドン値段に比べれば段違いにマシです。
今日調べてみたら、1ポンド=190円とのことですから、
2年前に165ポンドで悲鳴を上げていた自分はまだまだだった
ようですが、本当に、いま研修に行っている人は大変だと思います。
子守りの日は、彼らに合わせて21:00過ぎに寝ます。
2024年11月28日 Posted in
中野note
↑3日間、米澤剛志も参加の皆さんと『唐版 風の又三郎』を探究します!
先日にホームページで参加者募集をスタートしましたが、
2025.1.11(土)-13(祝月)の3日間、『唐版 風の又三郎』を
集中的に稽古する会を開きます。
これは、いつも毎週日曜の夜にオンラインで行っている本読みWSの
発展版で、私たちの倉庫&ミーティング場所であるハンディラボに
集まってもらい、実際に対面で行うものです。
この1番の利点は、音響を入れられることです。
劇中歌も短期決戦的に覚えてもらい、
もう実際の上演を目指す勢いと気迫で『唐版 風の又三郎』を
実現するために行います。冬季講習といった様相です。
唐さんが亡くなってから、よく思うのは、
「唐さんの台本がどれだけすごいか、どれだけ面白いか、美しいか」
を世界に向かって証明したいということです。
舞台は一瞬一瞬消えていくものですが、
そうだからこそその凄みを、常に世界のどこかで叫び続けたいと
思うのです。まずは小さな集まりから。真摯に向き合っていけば
必ず素晴らしい劇空間が現れます。
想像の翼を広げ、自分のからだを思い切り使い、
地獄から天国までを駆け巡るような本読みにしましょう。
年明け早々、真冬の、燃える3日間にしましょう。
と思って準備してまーす!
参加希望の方には年内に台本(全幕分)をお送りします!
2024年11月27日 Posted in
中野note
昨日、『ジャガーの眼』の打ち込みを終えました。183ページ。
三巻物なので長くはありますが、『 唐版 風の又三郎』や『ベンガルの虎』
に比べると引き締まった作品です。自分で1周は誤字脱字チェックを
しながら読んだので、あとはここに唐ゼミ☆メンバーの力を借りて
打ち損じ箇所を修正していきます。
来週から始まる『ご注意あそばせ』を経て、
『ジャガーの眼』に至るのは2月になる予定です。それまでに、
タイトルのもとになった映画を観て、寺山さんの『臓器交換序説』も
読み直します。
・唐さん自身も割愛して上演してきた冒頭シーンをちゃんとやると
全体にどう影響するのか。
・サラマンダは田口どのように捨てられてしまうのか。
・いかにしんいちが素敵だとはいえ、胸のロケットからしんじの写真を
捨ててしまったくるみは酷いのではないか。
・サラマンダを巡り、扉が田口に対して抱く強烈な対抗意識とは。
・しんいちの心に宿る、ミヨちゃんとは。
・田口はサラマンダとくるみを相手取り、モテ過ぎではないのか。
自分でちゃんと読んでみて、上記の事柄が気になっています。
唐さんが主役を張り、何度も上演が行われ、役者・唐十郎が
もっとも輝いた作品でもあります。
普段とは違い、youtubeに上がっている映像も活用しながら、
唐さんの歌う歌や独特のせりふ回しにも思いを馳せたいと思います。
2024年11月26日 Posted in
中野note
↑参加してくれる生徒の胸にシールを貼ってあげたいところだが、
収拾つかなくなるのではないか。心配が頭をもたげる・・・
今日は久々に『オオカミだ!』の稽古をしました。
来週頭に、都内にある小学校の体育館で上演することになったのです。
それに備えて思い出し稽古をしようと、杉並区のマンションの
一室にある稽古場をレンタルし、ケッチさん・テツヤさん・ユメさんと
私で久しぶりに集結しました。
今回は体育館のステージでの公演ということで、これまでフラット
もしくは階段客席から見下ろしてもらっていたのとは勝手が違います。
そこで、そういう舞台・客席の位置関係でもよく伝わるように、
立ち位置やアクションを改造しました。
一回の上演で200人以上の小学生たちを相手にするそうです。
これまでで最大規模の観客数、そして一年生から六年生まで揃う
そうですから、かなりのカオスが想像されます。
参加型の部分をいつも通りやることにより、
観客が暴徒化しないか(笑)、想定しながら適切な上演を探って稽古
しながら、結局、最後には「その場の雰囲気でやろうぜ!」という
見解で一致しました。
それにしても、当日は10:30開演であるために、私たちの現地入りは
6:30ということです。こちらも釣りに行く気分で横浜を出ますが、
受け入れ担当の先生もなかなか大変です。
体育館、皆さんが集中して観るために、床が寒くないと良いが・・・
2024年11月23日 Posted in
中野note
↑ロンドンのカフェDELI-Xのチョリソー・シチュー
店主のダニエルは通常2枚のトーストにいつもオマケをくれました。
一日1.7食くらいで生活していたので、これには大いに助けられました
今日は朝から青葉台に行き、久々にお目にかかるK先生と
お話しすることができました。コロナと渡英でご無沙汰してしまい
ましたが、また以前のように交流したいものだと思いました。
それはひとえに、話が面白いからです。
食事やお茶を頂きながら「意味」「言語」「貨幣」について考える。
そういう時間から遠ざかって久しいために、なんだかリハビリをして
いるような気になりました。ああ、自分はここ最近、日常の表層を
生きることにあくせくして、その下に底流するものについて考える
ことを怠っていると反省しました。
それが終わると、夕方に家まで娘を迎えに行き、連れ立って
浅草にねぷた祭りを見に行きました。親しい人が運営に関わっている
からです。本場では夏の盛りのものですが、冬に見るのも味わい深い。
2015年に行った東北ツアーを思い出しました。
他方、ヴァイオリニストのピーター・フィッシャーから連絡があり、
彼の友人が経営し、また私たちの溜まり場でもあったDeptfordの
カフェDeli-Xで、ピーターはバッタリ、私の元大家さんのダイアンに
会ったのだそうです。
ピーターは年明けに日本に来ます。
けれど、ダイアンにはなかなか会えないし、そろそろクリスマス
カードの時期であることを思い出しました。
明日、買いに行くか!
2024年11月22日 Posted in
中野note
今日は熱海に行きました。
旅行などでなく、干物を買いに行ったのです。
明日、久々に会う方がいて、お誕生日なものですから、
その人に前に教わったお店で干物を買ってプレゼントしようと
思い立ちました。そこで、久々に椎野と出かけました。
熱海滞在時間30分の弾丸でしたが、なかなか良い時間でした。
その途中、藤沢の国道1号線で、気になるトラックを追い抜きました。
その軽トラックは人力車を運んでいるのです。蘇る記憶。
かつて私たちも、人力車を運びました。
あれは2012年の秋に『吸血姫』を上演した時のことです。
『吸血姫』に出てくる中道具の王者こそ、人力車です。
あれがカッコよくないと『吸血姫』はキマらない。
だから、奮発してレンタルすることにしました。
幸い、公演場所は浅草、馴染みのある場所ではありましたが。
『吸血姫』。あれはもういっぺんやりたい劇です。
『少女仮面』をやって、『少女都市』をやって、『吸血姫』を
十全に上演できたなら、唐十郎の少女ものを極めたと言えるのでは
ないでしょうか。あ、その前に『腰巻お仙』シリーズもあるか。
『吸血姫』こそ唐さんが描く少女ものの極北。
ゆるぎなくそう思っています。次に人力車を借りる日は・・・
2024年11月21日 Posted in
中野note
↑1980年にテレビで『パイク』を歌われた時。不適です。YouTubeより
朝から『唐十郎 襲来!』を読んで過ごしています。
寝起き、仕事の合い間、移動中、一節一節を読んでいます。
ところで、今日は夕方に新宿を歩いていて、びっくりしました。
その数分前、私はYouTubeでヒカシューの『パイク』をたちあげて
聴いていました。あの曲には妙な中毒性があり、
1980年代から現在に至るまで、さまざまな年代の『パイク』を
連続的に聴いたりすることもあるほどです。
『パイク』にはそういう魅力がある。
そして伊勢丹近くの角をまがったところ、巻上さんに遭遇しました。
ヒカシューのボーカル、巻上公一さんです。
巻上さんにはこんな風に、一度会った事があります。
以前は渋谷で会いました。そして今日は新宿。
先ほどまで『パイク』、目の前に巻上公一。
久々だったので、少しおしゃべりして別れました。
うーん。それにしても、まるで『唐版 風の又三郎』の
織部とエリカの出会いのシーンみたいじゃありませんか。
織部の興奮はこんな風だったのではないのか。
さらに、むこうの風の又三郎はニセモノだったが、
こっちの巻上さんはホンモノなので、自分は少し上をいったかも
しれません。
それで思い出したのですが、唐さんが元気な時に車でお迎えに行き、
三軒茶屋のスーパーで買い物をしようと車から降りた瞬間、
唐さんの目の前に麿さんがいたことがありました。
面白かったのは、ふたりが驚くでもなく、毎日いっしょにいるかの
ように事もなげに話し始めたことでした。自分は大笑いしてしまいました。
帰りの電車の中で、麿さんが唐さんのために書いた文章を、
もう一度読み直しました。
2024年11月20日 Posted in
中野note
↑『唐十郎 襲来!』。河出書房新社より。2,640円(税込)
明日、発売のこの本を、編集者の樋口良澄さんが直接に
私に渡してくれました。
先ほどまで、横浜駅東口にいましたが、
樋口さんが予約してくれた店では本をネタに喋り続け、
店に入ってから、店員さんに言われるまで30分は注文もせず、
飲み物や食べ物が届いてからも、ページをめくっては喋り、
喋ってはページをめくり、して、あっという間に3時間経ちました。
帰りは、気分が高揚して、冷たい雨が降っていましたが、
歩いて帰ってきました。横浜駅東口は、Kアリーナ終演後に帰途に
ついたお客さんでごった返していましたが、あれだけの人の流れに
逆行して歩くのも良いものでした。
これから、読みます。
2024年11月19日 Posted in
中野note
日曜から今朝にかけて、久々にアンドレ・ブルトンの『ナジャ』を
読み直しました。これは、来月から取り組む『佐川君からの手紙』や
『ご注意あそばせ』の読解に備えてのことです。
佐川君からの手紙をもらい、唐さんは困り果てたでしょう。
そして、青春の書である『ナジャ』に逃走したに違いない。
というのが、自分があの有名な芥川賞作品に感じている感慨です。
パリといえば『ナジャ』、そしてブルトンのヒロインを突き抜け、
自分のヒロインであるキクおばあちゃんにまで逃げ切る、
これが実に唐さんのチャーミングなところだと思います。
もちろん、ぜんぜん逃げきれていない感じがありますが。
それにしても、久々にシュルレアリスム関連の本を読むと、
いかにも青春の書という感じがして、くすぐったいような、
それでいて、やっぱり自分もまたこういうものを信じているな、
という再会の気持ちがします。
写真はマルセル・デュシャンの星型の禿。
唐さんが、ふざけながら、真剣にパクって『腰巻お仙』のヒントに
しただろう一枚です。
2024年11月16日 Posted in
中野note
↑ネモ船長のサロンの奥には、立派なパイプオルガンがあります
昨日、県民ホールでは中田恵子さんによるリサイタルを行いました。
全てバッハの作品により構成されたオルガンの演奏会でした。
バッハはオルガンという楽器にとって作曲家の王様であり、
スタンダードでもあります。ファンがたくさんいて、実際に、
中田さんとバッハと広報担当の力でチケットはソールドアウト、
終演後には「バッハのオルガン曲が大好きです」という趣旨の発言を、
多くのお客さんがしていかれました。
公演後は打ち上げとして、中田恵子さんと音楽学者の沼野雄司先生と
ご一緒して食事に行きました。そこでの会話はとても面白く、
今ではスタンダードとされるバッハの楽曲がいかに複雑すぎるか、
作曲当時の人々が理解するのには難しすぎる曲であるかという話でした。
バッハは当時も愛されたはずだ、とある人は言う。
バッハは誰にも理解されなかったのではないか、と別の人は言う。
そのやりとりが、結局はバッハの大きさを改めて示すようで、
面白い時間でした。まだ機関車も自動車も開発されていない時代に、
一人だけステルス戦闘機を作ってしまったようなものかな、
と自分は想像します。
すると、なぜグレン・グールドがバッハを好んだのか、
なぜ何度も繰り返し聴ける録音でしか演奏しないようになったかも、
分かるように思いました。
打ち上げでの話を聴いて、同じリサイタルがあったら、
また違った主観で鑑賞できるでしょう。もういっぺん、
どこかでオール・バッハやらないかな。そう思います。
帰宅後、夜中にここ10日ほど読んできた『海底二万里』を読み終えました。
ネモ船長も、大事な場面でオルガンを演奏します。ラストシーン間際、
主人公のアロナクス教授がノーチラス号を脱出する時にも、ネモ船長は
演奏をしています。どんな作曲家の、何と言う曲かは書かれていません。
唐さんにとって、『煉夢術』『行商人ネモ』『ガラスの使徒』に影響を
与えたネモ船長。『煉夢術』と『ガラスの使徒』にはそのままオルガンが
出て来ます。『宝島』とか『白鯨』とか、唐さんが好んだ名作中の名作を
読み直すと、その時に応じた発見があるものだと実感し、良い時間でした。
2024年11月15日 Posted in
中野note
↑こういう紐がわざとらしく降りてきて、老婦長がこれを引っ張る
すると、巨大な牛乳びんがおりてくる、という仕掛けです
『ジャガーの眼』を初めて真剣に精読していると、
二幕の各シーンで「老婦長」という役が決定的な役割を果たしている
ことに気付かされます。
まず、老婦長のDr.弁にへの忠誠心はハンパではなく、
弁のために処女を守り通してきたらしいのです。
そして、何と言っても圧巻は、二幕の最後でヒロイン・くるみを
閉じ込めるあの牛乳びん、あの仕掛けを作動させるのがくだんの
老婦長なのです。ト書きによれば、昔の水洗トイレの大きい方に
立て下がる紐のような仕掛けが垂れてきて、それを老婦長が引っ張る、
そう書いてあります。
これまで、『吸血姫』に出てくる婦長の魅力には気付いても、
『ジャガーの眼』のなかにこのような秀逸なキャラクターが
配されていることには気づきませんでした。
2月頃から『ジャガーの眼』をオンラインWSで読みます。
最新の発見を、ひとつひとつ開陳していきます。
近く、どこかの劇団が『ジャガーの眼』を上演してくれたなら
相当に楽しめる内容を展開する予定です。
2024年11月14日 Posted in
中野note
↑右と左はどこがどう違うのか?
きっと、全国の舞台人・劇場関係者が今日は書類を書いているのだと
想像します。そう。明日は文化庁や芸術文化振興基金による助成の
申請〆切日。コロナ前のように郵送の手間こそ無くなりましたが、
電子申請には電子申請の緊張があります。
ここ数週間の劇団集合は、そのようなわけで、次年度以降の構想立てに
拍車がかかり、いろいろな演目が私たちの間を飛び交っています。
で、ここ数日は直前の執筆作業。
椎野とパソコンに向き合っていると、娘が横ヤリを入れてきます。
それが上の紙。どうやらこれは間違い探しらしい。
違うといえばぜんぶ違うし、どこを同じつもりでどこを違う風に
描いたつもりなのか、彼女の意思を忖度しながら間違いの数を
数える必要があります。このようなことに中断されながら、
なおも申請書作成は続きます。
嗚呼、この娘よ、早く寝てくれないだろうか。
2024年11月14日 Posted in
中野note
↑これを読み解くためにも必要なのではないか?
今朝、ランニングがてら横浜駅のビッグカメラを横切ったところ、
体に刻み込まれたあの音楽に打たれました。
「ドラクエⅢのエンディング曲!」
週末11/16にリメイク版が発売であることは以前から気にかけて
きましたが、そうか、もうすぐか!と気付かされました。
どうしたものか。
ゲームを離れて15年ほど経ちます。
しかし、これはかつて自分がゲームに染まった原点でもあります
見逃せない。
そう思い、実家においてある息子のNintendo Switchを密かに
取り寄せようとしたところ、あっさり息子にばれ、
「お父さんはゲームをするが、あなたはできませんよ」と伝えたら、
彼は布団に突っ伏して泣きはじめました。
ああ、あの『少女仮面』2場で腹話術師の言う「さめざめと泣いた」
というのはこういうことだなと思いましたが、さすがに無体だと悟り、
とりあえず実家からは取り寄せないことにしました。
齋藤に借りられないかとも思いましたが、彼のスイッチはけっこう
稼働しているらしいのです。
どうしようか。
ゲームは遊びではありますが、
今や『ドラクエⅢ』は唐さんの『電子城』シリーズに繋がってもいる。
年末年始に帰省して、息子の睡眠時間→私のゲーム時間という
昼夜逆転生活を送るか。用意されているであろうリメイク版の
裏設定まで、自分に許された3〜4日でクリアできるのか。
ああ、11/16の発売まであと3日。
2024年11月12日 Posted in
中野note
↑兄の中指・薬指・小指を切って自分に移植するシーンです
昨日に引き続き、『少女都市からの呼び声』本読みWSのレポートです。
今日ご説明する「指切りの場面」こそは、この演目最大の見せ場です。
これまでにさまざまな上演に接してきましたが、このシーンになると
決まってお客さんが集中して舞台を観ます。
突出して吸引力の高いシーンですが、それでいて難しい場面でも
あります。
要点はこうです。
雪子は、フランケと兄・田口の間で逡巡します。
自らをガラス化してフランケとともに永遠の世界に生きようとするのか、
田口と現実世界に帰ってもう一度、世間に揉まれて生きる道を選ぶのか、
悩んだ末に、雪子は後者を選択します。
今度は、「肉」が必要になる。
硬質な「ガラス」でなく、常に呼吸し、老廃物を生み出しながら
自らを更新していく「肉」を得て、現実と渡り合う。
そのために、雪子は3本指を必要とします。
かつて工場で吹き飛ばした3本指が消滅してしまっているとしたら
今度は肉親である田口の指をもらい受けようと決意します。
ここから、メスを取り出して、任侠映画さながらに指切りの場面が
始まります。「指切りげんまん」をリアルにしたかの如く、実際に
指を斬り始めるわけです。
上演によってはかなり血糊も使い、ともすれば陰惨になります。
勇気・情熱・約束と、3本の指を徐々に切り落としてゆく。
この場面を成立させるにはコツが2つあって、
ひとつには雪子の現実世界に対する不安をしっかり描くこと、
だから指が必要なんだ、とお客さんに共感を呼ぶだけの
心理の流れを押さえることです。
不安に慄くからこそ、仕方なく指を切る。
もう一つは、コミカルな場面を活かすことです。
指を切断する緊張感マックスの瞬間ど真ん中に、
雪子は視界に入った虫が気になって右往左往します。
この場面は、張り詰めた兄妹が一気に緩む効能があります。
なにしろ、指づめ途中の相手をほったらかす、早くやってくれと
催促する、という流れがコミカルです。
そして、コミカルに一度振るから、また指切りに戻った時の
二人の真剣さが生きるわけです。そうするなかで、妹・雪子は
もういちど現実と渡り合う決意をし、兄・田口もまた、劇冒頭の
ダメ人間ぶりを克服していきます。この場面は、田口の成長譚
でもあるのです。
私たちの本読みでは、これらのコツをよく押さえて
この名シーンを終えました。次回、11/17(日)はここに
フランケが乗り込んできます。
2024年11月 9日 Posted in
中野note
初夏以来、週に一冊マンガを買ってきました。
『聖闘士星矢 NEXT DIMENSION』シリーズです。
きっかけは、息子がやたらとマンガを読みたがり、
しかも近所のイオンの本屋を覗きに行ったところ、大きな本屋でも
売っていないこのシリーズが全巻揃っていたことでした。
以来、だいたい週に一冊のペースで息子と二人で読み進めてきました。
ちょうど11/8に最終巻が発売される予告だったので、
逆算してタイミングが合うようにしつつ、昨日を以って最終話まで
見届けました。伏線回収の畳み掛けがすばらしい最終盤でした。
同時に、よく8歳の息子が内容についていくことができているものだと
感心もしました。
よく占いに用いられる黄道十二星座のなかに蛇遣い座も入るのでは
ないかと取り沙汰されたのは、1990年代半ばのことです。
この話題が今回のシリーズの大きなネタになっていました。
それで調べてみると、今まで水瓶座だと思っていた自分は、
新ルールでは山羊座になるのだそうです。
オーロラエクスキューションでなく、エクスカリバーか・・・。
悪くない。そういう感覚です。
何よりも、血液型とか、星座とか、占いを楽しむ観点からすると、
それがスレるのはなかなかの痛快事です。過去に遡ってみれば
一生懸命に自分の星座の運勢を気にしていたことが無効化されて
なんだかスッキリする感じがします。
唐十郎作品でもっとも天体の運行を取り上げたのは、
最大の長編『腰巻おぼろ』です。ロンドン滞在時に時間があったので
一度は研究したことがありましたが、あの作品に向き合う日も
いずれやってくるはずです。久々に台本データを立ち上げたところ
311ページあります。『少女都市からの呼び声』の2.6倍です。
・・・恐ろしい分量。
2024年11月 8日 Posted in
中野note
昨日にご紹介した「新劇1985年7月号」ですが、気になる記述があります。
「新劇」というタイトルの右上につけられたキャッチコピーが
「少年世界」となっている。
気になって他の号を見てみると、「すべての劇的なるもののために」
と見慣れたコピー。
↑これは1980年秋公演で上演された『鉛の心臓』が掲載された号
私は唐十郎はじめ気になる戯曲が載っているもののみ「新劇」を
持っているので正確なところはわからない。でも、どうも
「少年世界」という文字は1985年7月号の他には見当たらない。
2024年11月 7日 Posted in
中野note
↑まずは初めて活字化された「新劇1985年7月号」を頼りに読んでいる
『ジャガーの眼』を読み始めて6日間。1幕が終わりました。
読むというのは、台本を作るということです。
これは、毎週日曜日の本読みWSに参加している方のリクエストにより
始めたことで、1月には俎上に上げて読むための準備をしている
というわけです。
1日に4頁のペースで打ち込みをし、あと10日ちょっと経つと
すべて終わりますが、改めて精読すると、冒頭から発見の連続です。
まず、台本上は冒頭にくるみの劇中歌があります。
今までに観たどの上演にも無い趣向で、これが自分を興奮させました。
トップから、移植された角膜を追うヒロインを前面に出して、
劇を動機付けます。今後は、どうして唐さん自身も台本通りに
しなかったのかを考える必要があるでしょう。
そして何より、書かれた通りに行う上演を想像する愉しさが
待っています。
それに、『ジャガーの眼』を精読していて他と違うのは、
圧倒的に唐さんの声が聴こえることです。田口のせりふは全て
唐十郎の声で聴こえてくる。
思えば、唐さんがこんな風に徹底的に主役に躍り出る劇は
珍しいのです。その意味で、ザ・役者としての唐十郎という作品だと
痛感します。くるみとサラマンダに、モテすぎな感じもありますが。
明日は2幕に進みます。
2024年11月 6日 Posted in
中野note
↑『恋と蒲団』公演付きシンポジウムのポスター。最後に上演したのが
2009.7.16-17のこと。今だったらもっと匂い立つように出来るはず!
今日も劇団集合しました。来年度の構想を練るためです。
その中で、米澤に過去の劇団活動について語る機会がありました。
例えば、初期メンバーが20代半ばを過ぎて学生時代からの仲間が
劇団を辞めていった時の話。
あの時には『下谷万年町物語』という超絶的な大作を
取り上げ、1年半後に公演すると大言壮語するなかで
何とか巻き返そうと必死になりました。
必死に出演者募集のチラシを配って歩き、
運良く借りられたスナックの休店日を「唐ゼミ☆の日」として
芝居づくりに興味を持つ人たちとの交流の場にして、
多くの人と会って話すようにしました。
そうする中で、ひとりひとり出演者を募ってピンチを凌ぎました。
今、劇団員が少ないですから、また新たな人との出会いを求めようと
いうことで、そういう話になりました。
チラシにどんな工夫を重ねて、柏手を打つようにして一件一件
劇場に設置してもらって歩いたことを思い出します。
そんな中で、『恋と蒲団』をまたやりたいなあ、という話もしました。
ああいう小品を、いつでも抽出しから出せるようにして持って
おいたら素敵だろうと思うからです。
あれは短いけれどなかなか意味深(いみしん)な作品で、
恋愛の嵐が吹き荒れる若者たちが、実に匂いによってお互いの
相性を嗅ぎ分けるという、なかなか淫靡な物語。
味のある作品なのです。
年明けにちょっと作ってみようかなあ。
新しい人とペアでやってみるってどうだろうか?
なあ、米澤よ。
2024年11月 5日 Posted in
中野note
昨晩は雑司ヶ谷鬼子母神様に行きました。
最近は花園初日は別格として、中日に予定をやりくりして駆けつけるのが
常になってきているので、セレモクックな最終日に立ち会うのは
久し振りでした。
千秋楽ならではの芝居でした。
明治大学で観た時より荒っぽくなっているとこころもありましたが、
観客の反応をくぐり抜けて来た演者の皆さんがよく渡り合って、
あるいはざっくりやるところの緩急を心得て、自在感がありました。
あ、生を見ている! そういう楽しさの観劇体験でした。
『動物園が消える日』は集団戦の劇です。
初演時は唐組を結成して間もなくの唐さんが若手をデビューさせる
ためにこれを展開し、今また唐組には新たなチームが息づき始めて
いるのを感じさせる。未来を切り拓く演目なのだと思いました。
打ち上げも楽しく、皆さんの労をねぎらいながら、
ご馳走を頂いて、この秋公演の感想だけでなく、次は何を
やるんですか?という話もしました。
観たことのない90年代唐組作品や、一度も再演されていなくて、
それでいて自分には思い出深い演目をリクエストして、久保井さんが
苦笑いする。若手は、私も興味持っていたんですよ、と言う。
『動物園が消える日』が培ってくれた集団のエネルギーの中に
混ぜてもらっていることが幸せな時間でした。
今年春公演の紅テントはどうしたって特別な雰囲気に包まれていました。
そして、秋公演には日常的な紅テントが早くも戻って来ていました。
当たり前に公演している紅テント。このさりげなさを、自分は
ありがたく感じます。唐組の皆さんに感謝!
2024年11月 2日 Posted in
中野note
↑ドキュメンタリー映画『editor.O』のパンフレットです
今日は朝から『ジャガーの眼』の台本作りをし、
買い物がてら散歩もして、それから『佐川君からの手紙』を読みました。
『佐川君からの手紙』を読むのは、来月から始まる『ご注意あそばせ』
ワークショップに備えるためにです。
息子と喫茶店に行き、彼は星座の本を、私は小説を読むという経験も
初めてしました。息子もまたよく本を読むようになったのです。
夕方には、南万騎が原に出かけました。
駅前のアートスペース〈みなまきラボ〉で、ずっと劇団を見て
下さってきた川口ひろ子さんの映画監督デビュー作『edhitor.O』を
拝見するためです。
おもしろい映画でした。すでに、今月末に2回目の鑑賞をしようと
決意していますが、それほどに良いドキュメンタリー映画でした。
この映画の魅力は、被写体となった文藝編集者・長田洋一さんと
長田さんを取り巻く方々の凄みです。
長田洋一さん本人に加え、福島泰樹(歌人)、正津勉(詩人)、
山口泉(作家)、佐藤直子(東京新聞論説委員)、
塩尻市立図書館館長・図書館員(上條史生、中野友美)、
高橋博(穂高ひつじ屋店主)、窪島誠一郎(戦没画学生慰霊美術館 無言館)
が被写体として登場します。
話題の中には、中上健次、立松和平、松本亮一、辻井喬らが
伝説的な編集者である長田洋一さんを媒介にして登場します。
長田さんを通して、私はこれから彼らの本を読もうと考えています。
窪島さんの無言館にも行ってみたい。
何より、長田さんが塩尻市立図書館でコーディネートされている
「本の寺子屋」に伺おうとも思っています。謦咳に接しておくなら
今のうちだ!川口監督が全霊でそう叫んでいる映画です。
触発され、もっともっと読みたくなりました。
2024年11月 1日 Posted in
中野note
↑1985年7月号に掲載
気づけば11月です。
一昨日、昨日と車で渋谷を通る機会がありましたが、
それはそれは厳戒態勢でした。メインの道路の路肩にはすべて赤い
カラーコーンが一定間隔で置かれ、警察官も大量に立ち、
「絶対に暴れさせないぞ!」という意志に街全体が充ちていたために、
路上のコインパーキングに駐車してタワーレコードに行きたいのを
諦めざるを得ませんでした。
早く終われハロウィーン。早く終われ10月。と思ったものです。
で、11月になりました。
11月といえば唐さんが新作の執筆に入る月です。
ご自身で「祠(ほこら)の季節」と呼ばれていました。
要は内にこもり、気を練る期間ということでしょう。
この時期の唐十郎は新作の妄想にとらわれているために
目はギラギラして怖く、話しかけるのも憚られる雰囲気になります。
そういうわけですから、11月になると自分も背筋が伸びます。
何かしなければということで、少しずつ『ジャガーの眼』の台本を
作りながら読んでいくことにします。
まずは、あの沖積社の金ピカの単行本でなく、雑誌「新劇」に
掲載されたものから。これまで、自分が上演することは無いだろうと
本当に真剣には読んでこなかったので、改めて登場人物表に向き合う
だけでも発見があります。
これから、どうなるか・・・
2024年10月31日 Posted in
中野note
↑河出文庫『佐川君からの手紙』
この中に小説版の『御注意あそばせ』も収録されています
昨日書いたように、『少女都市からの呼び声』本読みが終わったら
『御注意あそばせ』という台本を読みます。
それは、唐さんのなかでは単行本化もされていないし、
かつてあった『新劇』という月刊誌に掲載されたのみの
甚だマイナーな作品です。
そういうわけで、皆さんには事前に予習をすることが難しい作品
なのですが、まずは『佐川君のの手紙』を読むことが
『御注意あそばせ』への窓口になります。
『佐川君からの手紙』を書く→芥川賞をとる→
『佐川君からの手紙』の後日談として小説版の『御注意あそばせ』を
発表→戯曲版『御注意あそばせ』を書く→1985年9-10月に吉祥寺の
劇場で公演
という流れだからです。
そういうわけで、『佐川君からの手紙』がいかなる小説だったかも
振り返ることにしましょう。幸い、河出書房新社から出版されている
文庫本には『佐川君からの手紙』と小説版『御注意あそばせ』が
セットになって入っています。
『佐川君からの手紙』、小説版『御注意あそばせ』
『少女都市からの呼び声』、戯曲版『御注意あそばせ』、
そして『ジャガーの眼』と読み進め、1983-1985年頃の唐さんが
何を考えてみたのか、その頭の中を覗いてみましょう。
2024年10月29日 Posted in
中野note
↑1985年。こちらが発売された年です。私は4歳でした
毎週日曜に行っている本読みWSですが、
参加者の中から嬉しいリクエストが寄せられました。
次は『ジャガーの眼』をやってほしい、とおっしゃるのです。
しかも、単にこの作品が好きだから、というだけではなく、
現在読んでいる『少女都市からの呼び声』との関連の中で
『ジャガーの眼』を読みたい。というご希望でした。
これは嬉しいですね。
唐さんは1984年に状況劇場の若手用に『少女都市』を改訂します。
結果、『少女都市からの呼び声』が上手くいったので翌1985年に初演する
『ジャガーの眼』が誕生しました。
つまり、1984-1985年の唐さんについて考えよう!
とこのような趣向を提案してくださったのです。
もう5年以上も本読みWSをやってきて、良かったと思いました。
唐さんに対する理解を、こうして複数人で蓄積していくことが
できるからです。やはり大変に嬉しい。
ところが、ここには一つ問題があって、それは自分がまだ
『ジャガーの眼』を研究していないということです。
ですから、まずは同じ1985年作品である『ご注意あそばせ』を
先に読んで、その間に『ジャガーの眼』を研究し、皆さんとの
本読みを展開しようということになりました。
今後のスケジュールはだいたい次のような感じです。
2024.12上旬〜2025.1中旬 『ご注意あそばせ』
2025.1下旬〜2025.3上旬 『ジャガーの眼』
今後は1980年代作品を追いかけるのも良いと考え始めています。
2024年10月26日 Posted in
中野note
↑この方にお世話になっていたんだとわかりました
2年前に惜しくも閉店した名古屋のちくさ正文館。
この本屋さんの名物店長だった古田一晴さんが亡くなったと
ネットニュースで読みました。
一人の書店員の他界が報道される、
それだけ古田さんが偉大な存在であったということです。
私はこの報に接するまで、古田さんの存在もお名前も知りませんでした。
ただ、高校時代に演劇に興味を持った時、自分をリードしてくれたのは
古田さんが構成してくださっていた書棚であり、その後に様々な分野に
関心を寄せるようになった時も、次なる一手を古田さんに教わっていた
のだと思います。
実際、大学生になってからも、帰省するたびに自分はこの本屋に行き、
時には名古屋駅から直行して本を買ってから実家に帰ることも
あったくらいでした。ずっと名古屋にいれば古田さんとお知り合いに
なれたかも知れません。せめて一言、御礼は言いたかったと思わずには
いられません。
唐さんの本も買いました。
それこそ、沖積社から出ている金ピカの『ジャガーの眼』を高校時代に
買って、大学入学後に初めて受けた唐さんの授業が終わると、教壇に
立つ唐さんのもとに行き、サインしてもらいました。
初めて唐さんと直接お話ししたのが、その時でした。
2015年1月に名古屋で結婚式をした時、その前夜にちくさ正文館に
寄ると、なぜか、それまでには置いていなかった『水の廊下』と
『さすらいのジェニー』が忽然と現れ、しかも金文字で「唐十郎」と
サインが入っていたのには驚きました。
両方とも、出版から四半世紀ほど経ち、新刊で置いてある店は
東京のどこにもないはずでした。それが、突然に書棚に現れ、
しかもサイン本というのもおかしな出来事でした。
ずっと倉庫に眠っていたのか。
古田さんなら真相を聞けたのに、と今にして思います。
最近、よく丸の内にある丸善本店に行きます。
大きな本屋だけど、やはり自分のナンバーワンはちくさ正文館であり
ネット販売が進行する時世柄その地位が揺らぐことは無いでしょう。
古田さん、お目にかかったことはありませんが、お世話になりました。
ありがとうございました。
2024年10月25日 Posted in
中野note
↑豪華パンフレットの中にあった、あの人物相関図。あれを描いて
レイアウトした人たちは相当に偉いと思いました。これだけ整理した
ものが共有させていれば、芝居づくりに良い設計図になったでしょう
この前の火曜のことですが、新宿梁山泊の『ジャガーの眼』を
観に行きました。赤坂というのはあまり馴染みのない土地ですが
赤坂サカス周辺が舞台版『ハリー・ポッター』に染まるなかに
見慣れた紫テントがあって、威勢の良いテント芝居の声が
聞こえるというのはなかなかの痛快事でした。
『ジャガーの眼』には、さらに言えば金守珍さんの演じる
ドクター弁には圧倒的な思い入れがあり、1998年に深夜放送で
流れた状況劇場初演のこの演目こそ、自分にとって横浜国大で
教えているという唐十郎を目指すきっかけでした。
やっぱり、あの東京音頭の替え歌とか、
「論争、論争」という歌は何度聴いても笑えます。
それに、今回は光栄なことにご用命が来て、
当日パンフレットに文章を書かせてもらいました。
きっと他にも大勢の人たちが書いているんだろうと思って当日を
迎えてみたら、座組の外から寄稿しているのは自分だけで、
金さんに何か託されたような気がしてありがたさが増しました。
終演後は金さんから、状況劇場在籍時に唯一、唐さんから金さんに
向けて当て書きされた役柄が「ドクター弁」であることを聴き、
驚きました。もっともっと金さん用の役があるのだと思っていました
から。でも、唯一が『ジャガーの眼』というのはすごいことです。
同じ回の観客には親しくしている眼医者さんがいて、
その先生に「角膜移植の話だから、リアル・ドクター弁ですね」
と話を振ったら、「移植した角膜を再移植するなんてあり得ないよ!」
と答えが返ってきて、大笑いしました。
芝居の内容に引っ掛けて、こういう話をするのは至福の時間です。
唐さん本人も「おかしいよね」と言って笑うだろうと想像します。
おかしくて、真剣。真剣だけど可笑しい。そういう箇所にツッコミ
ながら芝居づくりするのは、唐十郎作品の醍醐味といえます。
2024年10月24日 Posted in
中野note
↑2001年唐組春公演『闇の左手』の写真と思われます
確か、役名は微笑小路(ほほえみこうじ)、良い名前!
今日は久々に劇団集合をして、これから何をしようかと話をしました。
来年の、再来年の公演をどうしようかという話題を中心に、
テントのメンテナンスや、11月に出版される唐十郎特集の本に
寄稿することができた話もしました。
Amazonで『唐十郎 襲来!』と検索すると出てくる本で、
今これを書きながら、以前は出ていなかった表紙のビジュアルが
出ています。8-10月まで、かなり必死にこの本への原稿書きに
取り組んだので、自分自身とても愉しみにしています。
そうそう、劇団集合。
これからは週に1回のペースで集まって、
台本を読んだり、ワークショップの準備をしたり、
スタジオ公演や本公演や、そういったものを組んでいこう、
新たな劇団員も募っていこう、という話をしました。
一方で、最近は唐組の設営を手伝いに行ったり、
みなとみらいで一緒にイベント設営や運営の仕事をしている
見たいです。また個々人の仕事についてはゼミログに
書くことでしょう。そういったものも応援してやってください。
2024年10月20日 Posted in
中野note
↑こうした長屋では、雨戸を閉めても外の喧騒は耳に入らざるを
得なかったでしょう
今日は翌日未明の投稿です。
というのも、昨晩は椎野が唐組を観に行ったので私は子守りを担当し、
一旦、午後8時には寝てしまったからです。
昨日は土曜日でしたが、お昼に齋藤亮介が舞台監督をしている
ダンス公演を椎野と二人で観に行くことにしました。
それで、子どもらを学童や保育園に預けることにしたのです。
夕方、椎野は都内に行き、私は子どもたちを迎えに行きました。
その後、17:00には夕食。小雨が降っていたので3人で洗濯物を
取り込んだりしながら18:30には風呂に入り、
19:30には家の中を真っ暗にしてしまいました。
息子は疲れていたらしく、すぐに寝ました。
娘は「早すぎる」と抵抗していましたが、暗くしていると
あっという間に寝ました。自分も一緒に寝てしまったので
夜中の2時くらいに目覚めて、こうしてゼミログを書いています。
午前2:00ですが、6時間くらい寝たのでスッキリです。
唐さんの小さい頃、
お父さんである大鶴日出英(おおつる ひでえ)さんの生活習慣は
こんな風だったと聞いたことがあります。
午後8時くらいには、雨戸を閉めて寝てしまったと。
当時の大鶴家には事情があって、住まいが下谷万年町であった
ために、子どもたちに夜の万年町の喧騒を見せまい、感じさせまい
としたのだということです。
うちはうちで商店街沿いなので、酒を飲んだ若者たちが
大声で話しながら通ってゆく様子が聞こえます。
これから、明日から始まる『少女都市からの呼び声』本読みの
準備をします。
2024年10月18日 Posted in
中野note
↑内容は耽美的でもありますが、ジャケットはバブリー
最近、大河ドラマ『太平記』の音楽を聴いています。
先日、明治大学で行われている唐組を観に行った時、
行きがけに寄ったティスクユニオンで安く売っているのを発見しました。
ずっと欲しかったのですが、90年代初頭の発売ですからすでに
中古しかなく、しかも高価なのです。それがやっと手に入りました。
小学校の頃はずっと大河ドラマを観ていましたが、『太平記』が
もっとも好きでした。特に第一話。若き日の足利高氏が
満座の席の闘犬の場に引き出され、乱暴な犬を相手に散々に
打ち据えられて引き上げる場面の屈辱感。
小学生ながらに、青春とはこういうものだと直感しました。
挫折とか蹉跌とかいう言葉を知るのはもっと後のことですが、
今をときめく真田広之さんが何とも言えず気づまりで。
思うに任せない様子は切なさに満ちていました。
後に唐さんの友人であり、総合プロディースをされた高橋康夫さんに
お目にかかった時には、その時の感動を何度もお伝えしたものです。
作曲は三枝成彰さんですが、弟の三枝建起さんには横浜国大で
映像制作講座を教えて頂き、たいへん良くして頂きました。
建起さんに「お兄さんが大河ドラマのために書かれた曲が好きなん
です」とお伝えすると、「『花の乱』もいいよね」と仰っていました。
思えば、両方とも日本の中世、室町幕府時代を描いたものです。
網野善彦さんが展開されたこの時代は悪党が跋扈し、
人間のすぐそばに鬼や天狗がいて、異世界が広がっている。
そういう感じがします。三枝成彰さんの作曲はそういった世相を
和楽器によって表現しながら、燎原の火のように広がる反鎌倉幕府の
蜂起を、後に続く観応の擾乱の地で血を洗う果てしなさと混沌を
如実に感じさせます。
おっとりした日本人が、トゥキュディデス『戦史』や司馬遷『史記』
の容赦の無さ、仁義なき闘いぶりに最も接近したのが観応の擾乱の
激しさだったと自分は考えます。そういうわけで、『戦史』を読み、
『太平記』CDを聴くのです。荒ぶっています。
2024年10月17日 Posted in
中野note
一晩たったあとも読後感の興奮が止まらず。
さっそくに中公クラシックス版を読みはじめ、
東大名誉教授の桜井万里子先生の書く冒頭解説文に唸っています。
昨日まで読み続けた岩波文庫版には心打たれる場面がいくつもあり。
例えば、
1.紀元前430年に起こったアテナイでの疫病大流行
病苦に喘ぐ近親者の世話をも恐れざるを得なくなった市民たちの
様子は、まるで『はだしのゲン』を思わせます。感染が怖いために
汚物まみれの家族のいる部屋に最低限の食べ物を投げ込み、
愛するものを放っておかざるを得ない人間の苦しみ。
2.アテナイによるシチリア征伐が大失敗し撤退戦を余儀なくされる
本国から大挙して攻め寄せた戦いに惨敗したアテナイ兵たちの撤退の
様子は、インパール作戦のそれと同じだけの悲惨に充ちています。
動けなくなった同胞を捨てて行軍する兵士たち、それとても
何とか味方のいそうな領地に駆け込むだけがせいぜいの慰めで、
祖国が遠するぎるという絶望感が胸に迫ります。
一方で、一定数帰り着いてしまう者がいる状況も現在を生きる
人間と同じなのです。
3.捕虜となった兵士たち7,000人が狭い石切場に押し込められる
中国の春秋戦国時代末期に秦の将軍・白起が趙を攻めた「長平の戦い」
における亢殺20万人や、明治維新前夜に天狗党の面々が福井県の鰊倉
に閉じ込められて過ごした幽閉期間を思わせます。
こういったシーンのトゥキュディデスの描写は、淡々としているから
こそ真に迫ったものがあり、つい昨日に起きた苦しみ、今日も人類を
苛む事件と同じだけの力を以って自分を圧倒します。
あるいは、昭和40年前後にこれを訳した久保正彰先生の筆力が
そうさせたのかも知れませんが、まるで「映像の世紀」のように
魅せます。
2024年10月16日 Posted in
中野note
ここ3週間とちょっと没頭してきた本をついに読み終わりました。
トゥキュディデスの『戦史』全3巻です。
これはおもしろかった。県民ホールで大きな公演を抱えていたので
日に20ページしか進まない日もあったけれど、克明に描かれている
ペロポネソス戦争が白熱すると、ノートを取って固有名詞を書き留め、
地図とにらめっこしながら1日に100ページちょっと進む日もありました。
この本の驚くべき点は、リアリズムへのこだわりです。
2,450年前の戦争を通じて、そこに生きる人々の足掻きや駆け引きを
克明に描いてみせる。これを読むと、人類はちっとも進化していないと
いうより、この時点で人がある完成度に達していたことが体感できます。
頭の良い奴、キャラ立ちの良い奴。次々と登場して、同時代を
生きていたら全く敵わないと思わせる英雄がいくらも登場します。
アテナイからは雄弁家ペリクレス、交戦的で道化的なクレオン、
現代人にも愛されそうな穏健で慎重なルキアスらが活躍します。
スパルタには名称ブラジダスがおり、シュライクサイには
ヘルモクラテスがいて、相手にとって不足なしという闘いを
見せます。中でも最も面白いのは、アテナイに生まれながら、
最終的にはスパルタ、ペルシャをも手玉にとるアルキビアデスです。
彼こそ、この戦争を通じて随一のトリックスターです。
色男にして賢い彼の誘惑に屈しなかったので師であるソクラテスのみで、
当時の世界のすべてを引き摺り回し、翻弄させる魅了に彼は充ちています。
ヘロドトスのように伝説化するのでなく、克明に細部を集積させていく
作者のやり方が私は好きです。伝聞を頼りに想像して描いた箇所の多さを
考えれば、ここで展開するリアリズムもフィクションの一種に違い
ありません。けれども、努めて冷静であろうとする意志が細部に宿す
説得力が半端ないのです。自分もまた、このような姿勢で、物事に、
唐十郎作品に臨みたいと、範を示してくれます。
これまで好きな翻訳物は
1位 ヴェルギリウス・マロー『アエネーイス』
2位 ミハイル・ブルガーコフ『巨匠とマルガリータ』
3位 ダンテ・アエギエーリ『神曲』
という順番だったのですが、いきなりトップに躍り出るくらいに
面白い本でした。嬉しい混乱と興奮です。
おさらいに、これから中公クラシックから出ているダイジェスト版も
読むつもりです。小さい頃に大河ドラマを観て、最後に総集編を観た
感覚が甦ってきます。
例えば、ソポクレスの『オイディプス王』に出てくる登場人物たちが、
神話的人物たちに想をとりながら同時代の誰を描こうとしていたか、
いかに当時の現代演劇だったのか。この『戦史』は教えてくれます。
2024年10月15日 Posted in
中野note
↑終了後に重村くんが写真を撮ってくれました。最初期の学生である
自分と、唐さんの最後の学生である皆さんです。唐さんは15年間も
大学に勤めたのだと、改めて感じ入りました
今日は先週末に引き続き、明治大学内の紅テントに行ってきました。
唐十郎アーカイヴによる「唐十郎さんを追悼する会」が行われたのです。
前半は、唐さんが最後に教えた「紅団子」の皆さんによる座談、
後半は、唐組の稲荷さん・久保井さん・藤井さんのお話を
樋口良澄さんが聞き出すというクロストークでした。
唐組幹部の皆さんが初々しかった頃の唐さんとの関わりや
入団の経緯、いま思っていることに加え、藤井さんが20年後の
野望について語ってくれたことには喝采しました。
また、明治大学のOBである紅団子の皆さんがすっかり立派な社会人に
なりながら、それでも緊張の面持ちでトークされた内容を面白く
聞きました。唐さんは就任2ヶ月足らずでケガをしてしまったので、
ごく短期間の関わりだったにも関わらず、初めて伺うエピソードが
たくさんあって、学生も、唐さんも、激しく緊張しながら切り結んで
いた当時の状況がよく分かりました。
自分も『少女仮面』を上演してみて、皆さんが経た工夫が切実に
わかるようになりましたので、いきなり唐さんの指導に接しつつ
あの上演をやりこなした皆さんに、12年前に立ち会った内容を
思い出してもう一度拍手したくなりました。
「せりふは2日で覚えるんだ」と唐さんは豪語、熱血指導したそう
です。そういう言葉を初めて聞かせてもらって、またひとつ
知らなかった唐さんに出会うことができました。
それに、唐さんが倒れた後に名代を務めた辻孝彦さんが
怒りながら俳優を指導したことを知って、胸が熱くなりました。
唐さんが先生であったように、辻さんもまた同じく師範代だったのです。
アーカイブの公開も待たれます。
何かお手伝いしたいと思わずにはいられません。良い会でした。
2024年10月12日 Posted in
中野note
今日は盛りだくさんでした。
朝から息子の運動会があり、実家から私の母と姉もやってきて
家族で観戦しました。といっても、私は娘とともにあちこちを
さまよいました。補助輪付きの自転車を乗り回すようになったために
彼女の移動スピードは格段に上がり、ランニングにちょうど良い
ことが分かりました。
家族で昼食をとった後、私は都内に向かいました。
目黒不動尊の近くにある蟠龍寺(ばんりゅうじ)の本堂で、
『少女仮面』の時に谷洋介さんと小島ことりさんにタップダンスを
仕込んでくださった米澤一平さんが行う定例の即興ライブが
あったのです。それほど広くはないながらも、水底に雌伏する
とぐろを巻いた龍の描かれた天井絵を戴く本堂にて、
ミュージシャン2人+ダンサー3人+一平さんの6人による
豪華インプロが行われました。
特にゲストであるダンサーさんたちが三様に蟠龍から霊感を受ける
様子を面白く見ました。それぞれの感受性と関係性が見えてくると
即興は訳のわからない動作でなく、そこに通う条理が見えてきます。
そういうものが生まれやすい場であることが成功のポイントだと
思いました。力、あったなあ。
それからお茶の水に移動し、ディスクユニオンにも少し寄りつつ
紅テントに辿り着きました。『動物園が消える日』。細部の魅力まで
丹念に突き詰められた、大好きな上演でした。良い芝居だと
改めて感じ入りました。それ以上に、この台本は初演の時から
新人育成用の群像劇であるパワーをいかんなく発揮し、
若手の皆さんも含めて一人一人が輝いていました。
そして何より、丹念につくられた紅テントの芝居が日常的に
上演されていることに幸せを感じました。春公演はお祭り騒ぎ
でしたが、夏を超えて、いつもの唐組が還ってきました。
この「いつもの」という点について、当たり前に紅テントが
あるのは生半のことではないと感じ入りました。
自然と感謝が湧きます。
2024年10月11日 Posted in
中野note
↑日本劇団協議会の媒体 JOIN 109号です
今日は湯河原まで行ってきました。
行きは2時間という大渋滞で、横浜新道の出口付近ですでにノロノロ
運転というかつてない混みようでした。たまりかねて抜け道を
使ったために、原因は突き止められず。
湯河原そのものは充実の愉しさでした。
まず、みかん製品が美味かった。
他にも、堀口捨己さんの建築に接して興味を持ったので、
これからは他の建物にも注目していくことにします。
さて、冒頭に写真を載せた日本劇団協議会の団体誌「JOIN」に
ロンドンでの研修について寄稿しました。
半年に一度出版されるもので、一般の書店ではなかなか手に入らない
ものとも思いますが、見かけたら読んでください。
見開き2ページの分量です。
これを書いていたのは5〜6月頃だったはずですが、
今ではほとんどその記憶が曖昧です。今年は唐さんのことがあり、
文章の依頼が多いので、いつも心のどこかに〆切があり、
何とか書き終えると、はい、次を!という生活です。
が、しばしロンドンのことを思い出し、
レゲエやフォークソングを聴いています。
2024年10月 8日 Posted in
中野note
↑ギャラリーの入り口で
今日から急に冷えました。
日曜日まで30度近くいってTシャツで過ごしていましたが、
今日は車の中の温度計を見ると17℃ということで驚きました。
一日のうちでいちばん気温が高い14:00台のことでした。
現在はお茶の水に唐組の紅テントがあり、赤坂に新宿梁山泊の
紫テントが立ち、という状況ですから、急に冷え込むと現場がさぞ
大変だろうと心配になります。
もっとも、今年3月末に私たちの『鐡假面』を見舞ったあの寒さ。
最高気温がやっと10℃を超える程度だったという、
あれは何だったのかといまだに思います。
どこかにテント劇場が立っているかと思うと、こんな風に
ハッと気になって、身につまされ、心配になります。
いつも、誰より唐さんががそういう感じで、特に朝起きて風の強い
日は電話を「大丈夫か?」と下さったものです。
さて、今日は有明のギャラリーに行ってきました。
お台場とか、有明とか、あまり行きつけない地域に車で行き、
平日ですから閑散として、大型車両が行き交い、小雨まで降ってきた
ものですから上記のように余計に寒さが際立ちました。
目的は、8月に神奈川県民ホールにお迎えしたマンガ家
水野英子先生の個展を観るためで、これは見応えがありました。
画業70年だそうですが、内容においても、技術においても、
水野先生が男女の別を超えて時代を画する存在であったことが
立ちどころにわかる展覧会で、とにかく感嘆しきりでした。
一点一点のコマに捧げられた画が、それぞれに独立した作品としての
強度を持っており、星が描かれた背景、ドレスのドレープ一本が
圧倒的情熱に充ちていました。10/14(祝月)まで開催中です。
水野英子個展「薔薇の舞踏会」
2024.9.28(土)〜10/14(祝月)12:00-18:00
ART SPACE SKY GALLERY
入場無料
2024年10月 4日 Posted in
中野note
↑唐さんが読んだのは、改訂版であるこちらの翻訳かも
昨日、『若きウェルテルの悩み』の話を書いて思い出したのは
唐さんが横浜国大を退官するときに行ったスピーチです。
講座の最後、唐教授は木馬に乗って登場、
壇上でスピーチ、『少女仮面』の劇中歌『時はゆくゆく』を歌い
窓から去る、という趣向でした。
そのスピーチで、唐さんはこんな話をしました。
「授業を終え、校舎を後にしようとして振り返ると、
3階の窓辺に夕陽を浴びた中野くん、椎野ちゃん、禿ちゃんの
影が見えます。あれこそ、現代の若きウェルテルなんだと思いました!
さようなら、横浜国大。さようなら、7年半!」
と言ってい生バンドによる伴奏は開始されました。
続く歌も見事だったのですが、気になったことが。
・・・僕らがいた唐十郎研究室は5階なのです。
唐さんは明らかに百も承知で「3階」と言っていました。
おそらく、語呂が良いから。
世の中にはついて良い嘘、ついた方が良い嘘のあることを知りました。
私が23歳の時のことです。
2024年10月 3日 Posted in
中野note
↑これまで流布してきた多くの翻訳はゲーテによる改訂版をもとにして
いるそうです。これはオリジナルを翻訳したとのこと
無骨で荒削りな原型か、洗練された改訂か。
自分はどちらかといえば前者が好きで、しかも改訂の過程で作者が
何を考えたのか、オリジナルはどこが上手くいっていないと思ったのか、
そういう思考の痕跡に思いを巡らせるのは尚好きです。
その上で、上演するのだったら原型を選ぶのを基本としています。
原型=アーキタイプにはそれだけの面白さがあります。
『少女都市』『少女都市からの呼び声』を併せて研究したいと
考えるのも、そんな好みが底流にあるからです。
今年の初めに出版された光文社新訳文庫の『若きウェルテルの悩み』
は、そのような荒削りな力に満ちて、青春期に起こる空回りの極北を
見せてくれました。主人公ウェルテルの暴発ぶりは痛快なほどで、
被害者感がゼロなところが魅力でした。
勝手に惚れて勝手に死ぬ。ウェルテルのパワーは嵐を思わせます。
繊細で青白い青年でなく、すっかりのぼせ上がって大ナタを
振り回す感じがとても良いのです。
唐さんは『若きウェルテルの悩み』も好きだし、
あほロマンチックな青春を愛するところがあります。
ローリング・ストーンかつ、どうにも止まらない勢い。
訳者の酒寄進一さんが、またひとつ良い仕事をされています。
2024年9月28日 Posted in
中野note
今日は、2017年から関わるようになったドリプロの公演本番でした。
と言っても、ここ数回がそうであったように創作に関わることは
ありませんでした。現在、県民ホールが主催する『ローエングリン』
という公演に関わっていることもあり、参加できなかったのです。
その分、お客さんとしてたのしめました。
純粋お客さんであったのは、2017年に初めて公演を観た時と、
それから、ロンドンから帰ってすぐのタイミングと、
3回目だと思います。
久々にみんなに会うためにリハーサル会場を覗くと、
メンバーもお母さんたちもこれ以上ないくらいに歓待してくれて
感激しました。
舞台本番を、自分が関わっていないからこそ気楽に愉しみました。
みんな堂々としていて、即興でする脱線に行け行け!と応援しながら
観ました。最後の歌と踊りはなし崩しにステージ上に行って、
やっぱりこうなってしまうところにドリプロのおもしろさを
満喫しました。今日も自由の風が吹いていた!
ありがとう、みんな!
2024年9月27日 Posted in
中野note
↑さりげなく貼ってありました
私の父の姉、つまりおばさんは美空ひばりが大好きで、
名古屋でひばりさんのコンサートがある時にはよく行っていたそうです。
うらやましい。もしも自分がもっと早く生まれていたら、
あの伝説的な歌唱力を録音やテレビでなく、生で聴いてみたかった。
ほんとうにそう思います。
ところで、伊勢佐木モール近くによく行く韓国食材屋があります。
その名も「マンナ食堂」。ここのチャンジャは他の店のと全然
ちがって、夜遅くに家に帰ってもおかずがなく、さりとて
外食をする気にならない時に買って帰ると、数日、ぜいたくな
食事ができます。他に、海苔や参鶏湯なんかも買います。
今日はその軒先に気になるポスターを見つけました。
ディナーショー46,000円というのは、そのジャンルでは突出して
高いとは言えませんが、出演者に驚きました。
娘のチュウニさんの方が大きく写っていますが、
韓国の美空ひばりと言われる李美子さんも来るらしい。
気になります。
向こうにすれば、美空ひばりが日本の李美子だ!と言われるかも
知れませんが、あの低音域の響きと、そこから高音域に抜ける
歌い方は、ひばりさんを彷彿とさせます。
ちょっと手がでないかな、と思いながら、一期一会という言葉が
自分を駆り立てます。12/8(日)は本読みWSだから確実に無理として、
これは12/9(月)のスケジュールが仕事で埋まらなかった場合、
悩むぞ!
2024年9月26日 Posted in
中野note
日々、ヤフオク→唐十郎の検索を怠りません。
特にこれまでに見たことのない雑誌が出たときには色めきだちます。
一方で先日は、唐さんの学生時代の公演記録が出品されていましたが、
あまりに高額で手が出ず、口惜しい思いをしました。
ところで、最近は上記の文庫本が出品されているのを発見して
期待しました。こんなの初めて。きっと田中小実昌さんと唐さんが
対談したのだろうと思って注文しました。
ところが、届いてみれば、
これはそれぞれの著名人と歴史上の人物とが空想対談したのを
集めた本であり、唐さんの単著『乞食稼業』に収録されている
シェイクスピアとの対談の再掲載だったのです。
一字一句同じかどうかチェックするほどの気力も起きず、
それでも、唐十郎の名が出てくる一冊として本棚に収まりました。
発見の歓びもあれば、こういうこともあります。
不都合でも、新たに事実がはっきりするのは前進です。
こうして、このネタでまたひとつブログが書けたわけですし。
2024年9月25日 Posted in
中野note
↑『腰巻お仙 振袖火事の巻』より堕胎児たち扮する明智小五郎の
シーン。寂しさと恨みでいっぱいの場面でした。子どもが生まれるときに
こんな芝居をしていたのです。唐さん自身も、ちょうど義丹さん誕生の後、
1968年後半にこれを書いたはずです。「女性」「母」「少女」について、
唐さんと一緒に考えている感覚でした
今日は息子の誕生日でした。
8年前の早朝に産気づいたという連絡がありました。
椎野は私の実家である名古屋で彼を産んだので、あの時、
自分は横浜でひとり暮らし状態で、禿(恵)さんを主演にした
『腰巻お仙 振袖火事の巻』の通し稽古を予定している日でした。
だから、名古屋に駆けつけることはできませんでした。
朝5時くらいにいよいよだと母親から電話があり、
気が動転して、横浜駅西口のドンキホーテまで何か買い物に行こうと
走ったのを覚えています。それでも、どうにも落ち着かず、
早朝に齋藤に電話して迷惑をかけたことも。
大好きな漫画『子連れ狼』では、将軍がお正月のお祝いの席で
大名たちに餅を配るシーンがあり、それの影響で、当時の座組の
みんなに、馴染みの和菓子屋さんで名物のあんこ入りのお餅を買って
差し入れました。とにかく空回っていました。
椎野が13時間格闘して息子は生まれました。
午後に通し稽古をして、それから修正作業をした後に名古屋に
向かい、それからまたすぐに横浜に戻って新宿中央公園に入る日に
備えました。
あの時は、室井先生のおかげで横浜国大で稽古させてもらっていた
最後の方だと思います。それから、息子がうちに来て、唐ゼミ☆の
拠点をハンディラボに移して、維持費もバカにならないけれど、
みんなの協力でなんとか芝居にしがみついてきたな、と思います。
大きくなった息子を眺めつつ、来年の演目について考えています。
2024年9月24日 Posted in
中野note
子どもたちに自転車を買いました。
息子の8歳の誕生日のプレゼントです。
彼の自転車デビューが遅くなったのは、妹のためです。
妹はとても暴れん坊なので、兄の自転車を羨ましがって暴れる、
奪いだすことは目に見えていました。それで、下の子の成長を待った
のです。娘も5歳になり、自転車デビューするに充分な歳になりました。
これから練習です。
自分が初めて自転車を乗りこなせるようになった時の記憶が自分には
ありますが、思い出しつつ教えるつもりです。
難しければ、さまざまなところでやっている自転車教室に入れる
つもりです。
唐さんは、よく自転車に乗っていましたし、自転車が活躍する
台本をいくつも書きました。『ユニコン物語 台東区篇』と
『秘密の花園』はその双璧です。
自転車にユニコンの角を付けてユニコーンだと言い切る。
森のかじかの49段式、というアレです。
他にも、この前に私たちが上演した『鐵假面』の紙芝居屋、
『腰巻お仙 振袖火事の巻』のうどん屋なんかも自転車屋台です。
そうそう。私が初めて観た紅テントの芝居『眠り草』でも
活躍していました。
『腰巻お仙 忘却篇』では、人力の照明機材にもなったと聞きます。
最近は車ばかり運転してきましたが、
唐十郎の愛する自転車の世界に、これから子どもたちと再入門します。
2024年9月21日 Posted in
中野note
↑初対面の時のピーター。コンウェイホール、かつてカール・マルクスが
講演会もした劇場で彼のアンサンブルがユニークな演奏会をしたのを
当日券飛び込みで聴いて、面白かったので話し掛けました
ロンドンの友人ピーター・フィッシャーが年明けに来日します。
フィルハーモニア管弦楽団の日本ツアーのメンバーになったらしいのです。
これはいい。あの時に受けた恩の一端を返す機会となりそうです。
一方、どこでコンサートを聴こうかなと考えています。
ロンドンにいた時には、いつもピーター割引価格で1,500円も
かからずに良い席に座って聴いてきました。
しかし、日本ツアーでは安くても20,000円程度はします。
やっぱり、みんなで飛行機に乗ってやってきて、一流楽団だけに
良いホテルに泊まるわけですから、値段も跳ね上がる。
みなとみらいホールでの公演がなぜか火曜日のお昼で、
しかしも翌日は東京で夜の公演なので、行くならここかなと
思っています。コンサートが終わった後に、
どこかに連れ出すことができるでしょうし。
メインプログラムがシベリウス5番の日と、
別の『中国の不思議な役人』の日という具合に、2回聴けたら
言うことありません。イギリスの文化支援が年々縮小されていく
なかでいつまで演奏できるだろうか、とピーターは言っていましたが
こうして立派にツアーが組まれて久々に会えるのですから、
ありがたいことです。
2024年9月20日 Posted in
中野note
↑CD『1999年サマーの安保ちゃん』
今日は安保由夫さんの命日です。
いつもは、できるだけ今日に、でなければその前日に新宿2丁目の
ナジャにお花を届けていたのに。今年からはそのナジャも無いなんて。
車の中でこのCDをかけて移動しました。
また、安保さんのつくった劇中歌の入った芝居を演らないと!
今日は短めに。合掌。
最後にナジャに行った時に頂いたコースター
2024年9月19日 Posted in
中野note
今日は仕事を終えて夜に時間ができたので、
思い立ってオペラシティに行きました。目的は『マクベス』です。
といっても芝居ではなく、オペラ版の『マクベス』をコンサート形式で
上演するので勇んで行ったのです。この演目の初見でした。
マエストロ・チョン・ミュンフンの指揮のもと、
歌手も東京フィルハーモニーの演奏も演出も素晴らしかった。
必要最小限の道具立てで、スピーディに展開するドラマが最大限に
浮き彫りになるよう、道具の出し入れも照明も衣裳も計算され尽くして
いました。上演としては申し分ありません。
他方、自分はヴェルディの作曲に不満を感じました。
マクベス夫婦が王位を奪った後に張る宴会の軽妙さと、
マクベスがバンクォーの亡霊に苛まれるコントラスト、
特に前者の明るさはさすがだと思いましたし、マクダフとの最後の
決戦、あの「女の腹から生まれていないゾ」と言い張るところの
バカバカしさに当てている曲がとても良かったのですが、
終盤の見せ場である、マクベス婦人の狂乱とマクベスのモノローグの
扱いは、はっきり言って失敗ではないかと思いました。
ヴェルディは稀代のヒットメーカーであり、言うまでもなく
巨匠なのですが、肝心なところで原作の活かし方に不足が
あるように受け止めました、それにしても、上演は素晴らしかった。
作品の不足を補ってあまりある、生きている人間が試行錯誤している
活力を味わいました。
2024年9月13日 Posted in
中野note
↑確かに水が冷たそう。そして、劇場に向いていそうな内装
『宝塚歌劇110年史』というど迫力の本を見る機会があって、
そこにはもちろん、この歌劇団のはじまりも書かれています。
まず、1911年5月に「宝塚新温泉」という浴場がつくられてヒットした
こと。これを受けて翌1912年7月に大浴場に隣接した2階建洋館建築
「パラダイス」を建てたこと。しかし、この「パラダイス」の中央部に
つくった室内プールは上手くいかなかったようで、それは、男女共泳を
禁じたことと、水を温める設備がなかったことが原因と書いてある。
そこで、この室内プールの脱衣所を舞台に、プール部分を客席にして
余興を始めたのが「宝塚唱歌隊」であり、歌劇団の礎である、とも。
・・・そう。
『少女仮面』で春日野八千代が語るせりふとはだいぶ違います。
唐さんのせりふでは、風呂に蓋をしてステージに見立てたのが
宝塚歌劇の始まりとなっていますが、だいぶ事実に反するようで。
情報がゴッチャになっていますが、自分にとっては、
唐さんがなぜプールを風呂にしたかったのか、なぜ蓋をして
そこをステージにしたかったのか、という部分の方が大切です。
こういうところに、唐さんの「こうであって欲しい!」という
願望があるからです。
2024年9月12日 Posted in
中野note
今日は県民ホール企画の稽古でしたが、
テーブルを囲んでお昼ご飯を食べながら
海外経験豊富なメンバーとお喋りしました。
やはりクラシック音楽畑には、海外で勉強と
仕事をしてきた人がたくさんいます。
イタリアに6年、イタリアに5年、
ドイツに2年、イスラエルに10年といった具合。
自分のイギリスに1年などというのは
吹けば飛ぶような将棋の駒ですが、食事の話になり、
晩ご飯をフライドチキン、ピーナッツ、プリングルス、
キットカット、生ハム、チーズで回していた
あの頃を思い出しました。
特にキットカットは食べると頭痛がするように
なってしまったため、ある時期にやめてからは
その後は一度も食べていません。そろそろ、
抹茶味であればいけるかな、とも思いますが。
一風堂が2,000円を超え、赤いきつねが700円するあの頃。
うなぎのぶつ切りを煮て冷やし、
煮こごりとともに食べるジェリード・イールは、
また食べたいと思っています。
2024年9月11日 Posted in
中野note
今度の日曜日から『少女都市』本読みを始めますが、
自分なりに活字化されたものが欲しい方は古本で角川文庫の
『少女仮面』が比較的手に入りやすいです。
これは1973年11月30日初版。何度も再版を重ねています。
他方、私が台本づくりに際して用いたのは、
『季刊同時代演劇 創刊号』です。こちらは1970年2月10日発行。
やはり初めて活字化されたもので読みたいというのがいつもの
基本スタンスですので、これと角川文庫を照らし合わせ、違いを
見つけられたら儲け物です。
もしも違いがあったなら、そこには実上演に関わる現場の事情、
それを書き換えた唐さんの思考があるはずです。
そうものの有無を見極めるのも、本読みのたのしみです。
2024年9月10日 Posted in
中野note
↑唐さんの大学生時代。こういう時代の集大成として『煉夢術』を
捉えています
昨日のネモ船長の話を経て、
今日は一昨日に行った『煉夢術』本読みの最終回レポートです。
主人公の青年が岐路に立たされています。
番号をもらってバスに乗れば、すなわち制度に飲まれた人間となります。
それを拒む青年。これまでの登場人物たちがよってたかって青年を
説得にかかり、なんとかバスに乗せようとします。
塔のある町に着いたばかりの頃に出会った老人、
バスの車掌となった町の男など、青年にバスに乗るよう促す。
特に町の男はどっぷりと体制側に組み込まれており、
後述する妻の状況と合わせて、悲哀に満ちています。
(唐さんの父への思いか?)
なんといってもいちばん哀れを誘うのは町の女=母親で、
青年がオルガンを弾いたことにより命を落としたと思われた彼女は、
実は一命をとりとめ、しかし、目の光を失っていたことがわかります。
彼女に迫られると、さすがに青年も弱い。
が、結局、青年は母親をも退けます。
この辺りは実に非情で、ハードボイルドです。
後に唐さんが書くことになる『さすらいの唄』にも似て、
肉親を斬って捨てるような思い切り見せます。
こうした別離を経て、青年は町を出、新たな歩みを決意します。
この辺りはスタンダードな青春譚です。
が、よく読むと、やたらと歩を進める際の膝が震えていたり、
「またこの町に帰ってくる」というせりふがあったり。
後ろ髪を引かれまくり、これから歩む道にビビりまくっているのが
魅力です。こういう箇所が、唐さんのチャーミングなところです。
こうして『煉夢術』は終幕します。
青春期の習作、まだまだ後の唐さんらしいポリフォニー、喜劇性、
ダイナミズムには遠い作品ですが、参加者の中にはこのナイーブさを
気に入ってくださった方もいました。
二十歳すぎの唐さんの足掻きを再確認し、原点に触れようとした
今回の目標は達成されました。すべての作品は、紛れもなくここから
こういうセンスから生まれてきたのです。
来週から、1969年に書かれた『少女都市』を読みます。
『少女都市からの呼び声』に対してあまり顧みられることのない
『少女都市』を改めて考え直そうと、皆さんと読んでいきます。
2024年9月 7日 Posted in
中野note
↑娘のリクエストによりプッチンプリンを買い、プッチン機能を活用
するのも人生で初めての経験でした。あまりにブルブルで驚く
本日、椎野が埼玉の実家に帰省したため、自分が子守りをしました。
とはいえ、やるべきことはあるので、資料を求めるために、
椎野を送りがてら子どもたちと池袋のジュンク堂に行き、
そこでしか売っていない本を買いました。
子どもたちは子どもたちで、『藤子不二雄大全集』や『おしりたんてい』
を購入。その後、湯島にあるラーメン屋に行って3人で食事し、
県民ホールで少し荷積み、日本大通りでやっているベトナム・フェスタ
を覗いて、象の鼻テラスの行われた友人・チャンさんの講演会を
聴きました。この間、子どもたちはひたすらマンガを読んでいます。
チャンさんの語りのトーンは明るいのですが、
彼女は、お父様がベトナム戦争に敗れた旧政府の軍人であったことから
難民として日本にやってきて、暮らしてきた方です。
ベトナムを出る時の体験、その後の日本での暮らしについての
レクチャーは自分に、初めて生々しく「難民」という存在の実際を
教えてくれました。ベトナムからヌーボーシルクの団体を招聘した
時に通訳をお願いして以来、チャンさんとは7年間のお付き合いが
ありますが、こうして、改めて彼女の半生を伺ったのは初めてであり
自分にとってかなり強烈な体験でした。
その後は、買い物をしながら帰宅し、夕食を作って、子どもたちと
アニメを観ながら過ごしました。もう寝よう、と言われながら今日の
このゼミログを書いています。少し寝て、夜中に仕事をするのが
目標です。目覚ましの時間は24:00にセット。
2024年9月 6日 Posted in
中野note
↑なつかしい『海の牙 黒神海峡篇』。第一幕はかつら屋という設定でした
昨日に紹介した『アニオー姫』が終わりました。
約400年前に軽々とベトナムに渡り、現地の言葉を操り、
しかも王族の娘と国際結婚してしまう主人公は、現在を生きる
自分より遥かに軽快だと思わざるを得ません。
一方で、物語の中で後半の舞台になった長崎に限らず、
九州という土地は私の育った名古屋より、いま暮らしている関東より、
遥かにアジアをビビットに感じられる土地なのだろうと思わずに
いられません。思えば、唐十郎作品の中で、1973年秋に初演
された『海の牙 黒神海峡篇』はそういう世界観を謳った台本でした。
唐ゼミ☆では2011年に上演して、けっこう上手くつくることが
できたと自信を持っている作品ですが、九州・朝鮮半島・沖縄を
行き来する円環運動と鉄棒技の大車輪の重なるという、壮大にして
強引なせりふ・物語の展開がおもしろい劇です。
あれもまた九州人の国際性を実感できるお話しです。
思えば、自分はまだ福岡と佐賀にしか行ったことがなく、
いずれはもっと、南下してみたいものだと思わずにいられません。
何か、上手く仕事を作ることができないものか!
2024年9月 5日 Posted in
中野note
今日からこの公演に関わっています。
タイトルは『アニオー姫』
約400年前にあった実話がもとになっており、
日本の商人とベトナムのお姫様が国際結婚した史実を
オペラにした物語だそうです。
明日は、お昼に去年に上演したオペラの映像上映会があり、
夜に音楽朗読劇版が上演されるので、お手伝いをしています。
2017-2018年頃に特にベトナム企画をたくさん経験したので、
よく大和市のレストラン・タンハーに通いました。
思えば、ロンドンでアジア系の麺類が食べたくなった時に
お世話になったのが、The Albanyの周りに2軒あったベトナム
料理屋さんでした。ロンドンではお金が無くて食べ物に不自由
しましたが、たまに、何か公演を観て、夜遅くにフォーが
食べられると、日本での暮らしを思い出して嬉しくなったものです。
↓ロンドンでよく食べていたフォー!
土日は日本大通りでベトナム・フェスタがあるので、
子どもたちを連れて行ってみようと思います。
知り合いのチャンさんが、象の鼻テラスで講演会もするそうで、
お話も聞きに行くつもりです。
2024年9月 4日 Posted in
中野note
↑なかなかの装丁です。男の色気がほとばしっています
本屋に寄ったら、『安藤昇』という文庫が新刊で出ていました。
著者は木下英治さん。ピンと来てパラパラめくってみたら、
693ページに唐さんが出てきた。有名な『任侠外伝玄界灘』について。
プロデューサーの富沢さんと言うのは、朝倉摂さんの旦那さんのこと。
たった数ページだけれど、例の実弾発射事件がどのように起こったのか
知らなかったことが書かれていました。これだけで、買います。
発砲時の取材はスポニチの一社だけにあえて絞ったとか、
ボートで漕ぎ出してから安藤昇さんと唐さん、それぞれが
何発打ったとか、やたらと克明に書かれていて、笑ってしまいます。
唐さんが少しでも出てくるものは手元に置いておきます。
雑誌など、次から次へと出てきて際限がないけれど・・・
2024年9月 3日 Posted in
中野note
↑ミミは今ではブッシュ・シアターのエグゼクティブ・ティレクター
として活躍中
ロンドンでお世話になりっぱなしだったミミから久々に連絡が来ました。
なんだろう? と思って WhatsApp を開くと、台風のことをやたらと
心配しています。確かに今回の10号はひどかったし、今も影響が
続いているけれど、自分の周りだけは大丈夫だと伝えました。
ともかくも、ひどく心配しています。
彼女はすごく細やかな神経の持ち主で、そのことにずいぶん
助けられましたが、地震や台風ばかりが起こる日本がミミからは
どう見えているのだろうと考えました。
ロンドンで過ごしたダイアンの家には、来客用のお皿が
棚に立てかけてあり、ショーウィンドウのように飾ってありました。
が、あのような置き方は地震の多い日本ではあり得ません。
日本には築何百年の建物はごくわずかの例外を除いてほとんどなく、
ロンドンには数百年越しに使われている建物がゴロゴロあるが
渡英当初は驚かれてなりませんでした。地震が無い国というのは
こういうものかと実感しました。
そのかわり、私たちには無常感というものが身についていて、
『方丈記』なんかを生み出し、読み継いできているわけです。
ミミは、大学時代に学んだ舞踏に憧れて、パートナーと一緒に
日本に来てみたいと言っています。
そのうち、仕事でお招きすることができれば良いのだけれど。
2024年9月 2日 Posted in
中野note
↑こういう文庫本があって、多くの著名人が無名時代について書いた
短編を収めたアンソロジーです。唐さんも「試行錯誤のぐにゃぐにゃ」
というタイトルで、駆け出しの頃のアルバイト生活について触れており
『煉夢術』の参考になります
昨日は『煉夢術』2部中盤を読みました。
前回で面白かった受付人と偏執狂の会話による復習から始め、
物語の主人公である地図売り(時計修繕)の青年と受付人との会話
に進みました。
昨日に読んだ箇所から、2部の設定であるバス停が、
1部で男が探検した塔のある街の入り口にある十字路だということが
わかりました。正確にいうと入り口を出たところ。
この、街から一歩出た、街の外にあるところ、というのは
青年にとって重要な設定です。
偏執狂と受付人の会話が終わると、今度は青年と受付人との
やり取りが始まり、受付人は青年が街に忘れたトランクを示します。
中に時計修理の道具が入っていた、アレです。
しかし、塔の内部でオルガンを弾き、それが母殺しにもつながって
しまった青年は、そのトラウマから、このトランクは自分の
ものでないと言い張ります。
受付人がトランクを開けると、中から青年そっくりの人形が現れ、
ギターを弾き、歌を歌い、青年の罪の意識を苛みます。
罪に囚われ、この街に囚われる者として、青年をバスに乗せて
裁きの場に送り込もうと受付人が企んできたことも露わになります。
が、青年は逆襲に出ます。
自分に瓜二つの人形の登場に慄きつつも、受付人の主張を退け、
自らの母殺しによる罪の意識にも開き直り、これを突っぱねます。
こうして、彼が自立への道のきっかけを掴むところで、
昨日は終わりました。
唐さんにとっては、この塔のある街は、
自らを育み、父母のいる上野・万年町界隈のメタファーです。
愛着と束縛感がないまぜになる街からの脱出を図ったものに
違いありません。
とはいっても、何度も書きますが、
自立した唐さんが住んだ先は吉祥寺の近辺です。
冷めた目で見れば吉祥寺と上野の距離に過ぎないわけですが、
そこに異世界に来たような隔たり、望郷、エクソダス的な大脱出を
見出す大袈裟さが作家的才能といえます。
私たちは、時に大袈裟だなあと笑い、
時に真剣さに心打たれながら読んでいます。
来週で最終回。『煉夢術』を終えたら、『少女都市』へと進みます。
2024年8月31日 Posted in
中野note
↑今日はあまりにバタバタしていたので、下見の時に撮影した写真です
でも、講座中もこのくらい絶景でした
今日は、昨日もお伝えしたレクチャーでした。
配信とか、台風の気配とか、さまざま難題はありましたが
なんとか本番にたどりつき、実際の講座中は自分も一緒にお話しを
伺いました。
テーマであるサルヴァトーレ・シャリーノというのは
一聴して変な作曲家で、ヴァイオリンとかフルートとかの演奏で
あるにも関わらず、他ではありえないような音を出します。
また、人の声を使った作品にしても、
せりふや歌というよりも、感嘆符やオノマトペ的な発声ばかり
であるという不思議な素材の使い方をします。
それでいて、ミステリアスなのは、
抽象的な感じはせず、それらがかなり具象的なところが
変わっています。そんな、ノイズに似た音の連続にも関わらず
人物とか、風景とか、不思議に想像しやすい。
その理由を、昨日は指揮者の杉山洋一さんと沼野雄司先生から
聴くことができました。
シャリーノの中の古典性、シャリーノの中のリアリズム、
そういったものを伺って、うんうんと納得しました。
本番の音楽を、自分はもっと味わえるように整ったと思います。
唐さんの作品を、自分は同じように読んでいるな、とも思います。
押し出しが突飛だから、いきなり観聴きするとくらくらしますが、
心を捉えるものには、ちゃんと底の方で、奥の方で響き合うものが
あるのだということです。
翻って、明日の『煉夢術』のことを考えています。
久々に、アンドレ・ブルトンの『ナジャ』も読んでみたくなります。
2024年8月29日 Posted in
中野note
ピエトロ・マスカーニの『カヴァレリア・ルスティカーナ』が好きです。
2022年にロンドンに滞在して30本以上観たオペラの中で、
突出して良かったのがこの演目でした。
それはもうよくできていたので2回観に行きました。
最近、マスカーニ本人が指揮したCDの存在を知り、移動の時などに
聴いています。1938年と1940年のもの2通りあり、どちらも録音は
良くありませんが、すごくメリハリの効いた大胆な演奏です。
この作品は間奏曲が有名です。
これだけ名曲演奏会のプログラムに選出されることの多い曲です。
この間奏曲を、8歳にしてマスカーニのアシスタントになった
ジュゼッペ・パタネさんが演奏した録音があります。
これは本当にすごいと思う。異常にゆっくりしていて雄大、
他の演奏とあまりに違うので、初めて聴いた時は驚き、
以来、自分にとってこの曲のベスト盤になりました。
最後に大切なのは、大野和士さんが2007年にフェニーチェ歌劇場の
ニューイヤーコンサートを指揮した時の記録DVDです。
やはり間奏曲が演奏されています。大野さんはパタネさんに
師事しているので、いわばマスカーニの孫弟子ともいえます。
連綿と続くもの、変わってゆくもの、
3つの演奏に時代の変遷を聴く思いがします。
2024年8月28日 Posted in
中野note
↑真ん中の女の子が深雪、右上に夜泣丸。とすると、雪子はけっこう
和のテイストかもしれません。
昨日の続きです。
今日も昨晩にご紹介した『オテナの塔』から目が離せず。
ヒロインの名前は「深雪(みゆき)」といって
『少女都市』の雪子は明らかにここからきています。
他に驚いたのは、主人公の父親が「夜泣丸(よなきまる)」の
異名をとる義賊であることです。唐さんの『秘密の花園』に出てくる
「夕泣丸」と「夜泣丸」の関係はかなり難解で、自分が今も
読み解けていないと思っている題材の一つですが、そのネタもとが
図らずもここにあったわけです。「夜泣丸」。
という具合に、『新諸国物語』は唐さんの大きな源泉であったようです。
早く満州系の調べ物を脱して、豪華本を読まなければ!
2024年8月27日 Posted in
中野note
↑こういう可愛らしい本です
今日は上機嫌です。
というのも、なかなか優れた資料を手に入れたからです。
先日にご紹介した『新諸国物語』の豪華本に続き、
今度はの「なかよし三月号」の付録『新諸国物語 オテナの塔』を
ヤフオクで見つけて競り落としました。
「三月号」とあるのみで、それが昭和何年の3月だかは謎です。
始まって1行目で、唐さんがせりふに描き続けてきた「オテナの塔」
の「オテナ」とは何かが判明しました。
唐さんに付き合い、「オテナ」と何度も耳にし、口にしながら、
それが何なのか、よく考えてみたら調べていませんでした。
なんだか分かった気になっていて、疑問にも思わなかったのです。
1行目にこうあります。
「オテナとは、えぞ(むかしの北海道)のことばで、
酋長(しゅうちょう)という、いみです」
つまり、アイヌのことばだということです。
つまり、「オテナの塔」は「酋長の秘宝を隠した塔」という意味
だったのです。
この本には、まだ発見があったのですが、それは、また明日。
2024年8月26日 Posted in
中野note
↑2019年の唐ゼミ☆公演『ジョン・シルバー』2幕より。
重村大介くんの演じた小男の長せりふは、『煉夢術』の偏執狂のせりふ
をそのまま援用したものです。唐さんが気に入っていたのだと思います
昨日、皆さんと読んだ箇所は第1部8場と9場、第2部の序盤でした。
このように『煉夢術』は2部構成になっており、1部は9つの場で
分かれているのに、2部はワンシーンのみという不思議な構成です。
これは私の推量なのですが、
唐さんはまず1部を書き、それからしばらく経って
2部を書いたのではないかと睨んでいます。構成だけでなく
それほどにテイストが異なる。それだけでなく、
1部は1部のみで完結している印象も受けます。
とまあ、色々な感慨がありますが、
まずは第1部の8場と9場をあたってみましょう。
地図を引き裂いて東京の裏側、闇の世界、夜の世界、
時の止まった夢の世界にやってきた青年は、屠殺人に導かれて
彼を惹きつけてやまなかったオルガンのもとにやたどり着きます。
誰がそのオルガンを弾いているのか? 答えは、自分自身でした。
要するに、この物語は自分探しであったわけです。
と同時に、彼は、街を管理する屠殺人たちの罠によって母親を
殺してしまいます。オルガンが鳴る時には誰かが姿を消すというのが
この街のルールです。今回はその対象が母親だった。
彼は期せずして自らの母を殺します。
自分の源に帰りたいという帰巣本能と、外に飛び出していきたいと
いう青年の冒険心を同時を表すシーンといえます。はっきり言ってこの
母殺しには、唐さんが兄貴と慕った寺山修司さんの影響も濃厚です。
一方、自らが罠にかけられたことに気づいた青年は、屠殺人に怒り、
ずっとこの街に居座り続けることを宣言します。
すると、屠殺人たちは戸惑う。このへんは唐さんのユニークさを表す
シーンで、主人公自身はかなり真剣なのですが、読者としては笑えます。
なにせ、オレは自立しないぞ!と謳うわけですから。
このへんの開き直りは唐さんの個性だと思います。
実際、これから上野・台東区をネタにしてどれだけ作品を生んだか。
後の唐さんの業績を知る私たちにとっては、納得の宣言です。
攻めの引きこもり、そういう感じがします。
9場で、青年は夜明けとともに昼の世界、日常に戻りますが
そこでも夢の世界の話ばかりしている、という設定で、
完全に夢遊病者化しています。塔のある街を巡る物語はこれで
完結しているようにも思えますが、先に進み、2部へと続きます。
2部に入ると1部の神妙さや暗さは鳴りをひそめ、一気に喜劇的な
やり取りが展開します。夜の街から昼の街へと帰るためのバス停で、
停留所の受付人とお客の一人である偏執狂がひたすら揉める、
しかもかなりくだらなく揉める、という軽演劇な展開を見せます。
偏執狂は、父親から受け継いだリヤカーと一緒にバスに乗ると
言って聞かず、受付人は当然これを静止して問答に発展します。
このやりとりが珍妙で面白い。
しかも、いつもはやってくるはずのバスは全然やってきません。
こういうシチュエーションの中でナンセンスな対話が延々くりひろげ
られます。よく見れば、1部の青年も、2部の偏執狂も、
過去の思い出にどっぷり浸かっているという共通項もあり、
いかにも唐さんだなあと思わせます。
ただ表れ方は明らかに違って、先ほど書いたように2部のやり取りは
かなり喜劇的で、何より登場人物と舞台が活き活きしています。
ようやく芝居味が出てきたなという印象です。
劇作家としての技量が明らかに上がっている。1部と2部の間に、
唐さんに何があったのかを想像しながら来週も読みます。
次回は、9/1(日)。
2024年8月24日 Posted in
中野note
今日も都内に出ました。目的地はサントリーホール。
芥川也寸志賞の選考コンサートを聴くためです。
目当ては、選考のための演奏を指揮する杉山洋一さん。
神奈川県民ホールでは10月5-6日に、イタリア人作曲家のS.シャリーノ
による『ローエングリン』という作品を公演します。その指揮をして
頂くご縁で、自分は杉山さんの世界に親しむようになりました。
杉山さんご自身が作曲家でもあるので、和楽器を使用した
作曲作品を聴いたり、他の現代作曲家の曲を指揮されたものを
ずっと聴いてきました。特に作曲作品は面白く、聴いてるとボンヤリ
してきて、ずっと浸っていることがあります。
1月には、名古屋フィルハーモニーとの共演されるのを名古屋まで
聴きに行きもしました。もはやちょっとした追っかけです。
杉山さんに接していると、自分が20代の終わりに初めて感心した
クラシックの演奏会を指揮したフィンランドの作曲家・指揮者の
エサ=ペッカ・サロネンさんを思い出します。
ご自身が作曲家であることで、同時代の作曲家たちの意志を
くみ取って鮮やかに伝導していく存在。そういう感じがするのです。
2022年にロンドンで過ごしたことで、自分は現代音楽についての
見方が変わりました。オルガン曲やオラトリオのように古風なもの
まで続々と新作が生まれているのを目の当たりにして、自由な感じを
覚えたのです。それがずっと演奏され続けるものかは問題でなく、
新作が生まれること自体が活力の証です。
サッチャーやヒラリー・クリントンが登場するオラトリオを
爆笑しながら聴いて、新作はウキウキしたものだと痛感しました。
同時にそれは、自分の保守性を反省する機会にもなりました。
さらに、そういうムーヴメントがあることで、
古典化した作品の演奏や上演もまた、パワーを帯びるのです。
今はJRの中です。家に帰ったら久々に、唐さんが自分たちのために
書いてくださった『木馬の鼻』の台本をめくってみようと思います。
2024年8月23日 Posted in
中野note
唐さんについての文章を書いています。
どう世に出るのかよくわからないのですが、勧めてくれる方がいて
朝と夜に書いています。
今日の午前中は、10年前に禿恵の紹介で行き始めて以来、
ずっとお世話になっている整体に行き、午後は観劇を2本しました。
1本目は、ずっと唐ゼミ☆を支えてくれている役者・
丸山正吾さんの出演する舞台で、六行会ホールでの公演でした。
タイトルは『Missing ドラゴンズ・バックへの歩調』です。
イーター(人喰いゾンビ)に侵食されていく世界で、残された人類が
家族や友人との情を育む話でした。丸山さんはゾンビの代表として
活躍していました。普段、あまり感激しないタイプの舞台なので、
移動の電車の中は当日パンフレットを熟読して異文化交流しています。
夜の2本目は、齊藤亮介が熱心に取り組んでいるケダゴロの
『代が君・ベロベロ・ケルベロス』をシアタートラムで観ました。
代表の下島さんは遊び心に充ちていて、舞台を通して色々なことを
教えてくれます。
前回に観た『ビコーズカズコーズ』では林あさ美さんの
『ジパング』という歌が印象的でしたが、今回は中島みゆきさんの
『時代』でした。・・・『時代』。昨晩の鴨リンピックでも唱和されて
不思議な感慨に打たれました。
そういえば、唐さんと三枝健起さんが共同作業の第一作である
ドラマ『安寿子の靴』をつくる時、居酒屋に流れる『時代』に
聴き惚れて、主題歌を中島みゆきさんにお願いすることになった
そうです。そうして、NHKドラマの際は
作詞:唐十郎 作曲・歌:中島みゆき
という流れができていったのだから、面白いものです。
二晩つづけて聴いた『時代』をイヤホンで聴きながら電車の中で
これを書き、横浜に帰っています。
2024年8月22日 Posted in
中野note
今日は夕方から新宿に出かけました。
南河内万歳一座のプリマである鴨鈴女さんが主催する「鴨リンピック」に
立ち会うためです。そう。観るというより「立ち会う」という感覚です。
この、4年に一度、夏季オリンピックイヤーに鴨さんが続けてきた
祭典の大切さと味わいが、自分はよくわかるようになりました。
8年前か、12年前か、同じく名作『青木さん家の奥さん』を以前にも
観たことがあったのですが、それよりもずっと味わい深く、
尊ささえ孕んでいるように今の自分には感じられました。
コメディとして上演されているものにこんな言い方は変かも
しれませんが、自分には、終演後の舞台全体がまさしく爽やかな
汗をかいて、清々しい空気に充ちているように感じられました。
やれるだけやりきったものの余韻。快い余韻がありました。
久々に赤松由美さんを観て、彼女がひたむきに突進しながら、
共演者の皆さんの起爆剤になっているのも頼もしく思いました。
彼女が唐組に入った年、私も大学に入学して唐さんに出会ったのです。
同級生的な感慨がどうしてもあります。
良い気持ちで、各駅停車の副都心線〜東横線に乗って帰ってきました。
明日から東京で4回。大阪で5回。
鴨さんたちの先の読めない激闘が続きます。
がんばれ、鴨リンピック!
2024年8月21日 Posted in
中野note
↑力の入った装丁の豪華本を手に入れました。タイトル文字に魅了される!
このところ、7歳の息子はとにかく「最強」という言葉に痺れています。
日夜、質問攻めにあいます。それというのも、私が子供の頃に親しんだ
『聖闘士星矢』がどんな物語であるのかを彼に説明したためです。
以来、ポケモンのミュウツーと獅子座のアイオリアが闘った場合に
どちらが勝つのかをしつこく訊いてくるのです。
アイオリアの必殺技、ライトニングプラズマは1秒間に1億発の
パンチを繰り出すのですから、私がポケモンに詳しくないとはいえ、
そりゃケタが違ってどんなヤツでもかなわないだろうと教えたの
ですが、息子は納得せず、どんなポケモンなら聖闘士をノックアウト
できるのか、日夜知恵をひねっています。
こうして、私と息子の幼少期(一方は現役ですが)が闘う毎日です。
さて、同じく幼少期の唐さんの心をとらえて離さなかったのが
『新諸国物語』です。ラジオドラマに始まり、ドラマや映画へと
派生したこのシリーズと自分は向き合ってこなかったことに
ハタと気づきました。なんとなしに唐さんの歌う『オテナの塔』
を聴いてわかった気になってきたことに気づいたのです。
そこで、よく調べてみることにしました。
まだ、馬賊・小日向白朗に関する本を制覇するのに時間がかかり
そうなのですが、間に挟むのも一興かも知れません。
日本国内に心ときめかす怪異があるという筋立てのようで、
いくつもの作品が収められている分厚い本です。
唐十郎の源泉のひとつに、また一つ迫ってゆきます。
2024年8月20日 Posted in
中野note
↑配られた当日パンフレット
今日は朝から家族4人で出かけました。
行き先は横須賀芸術劇場。この劇場で毎年行われている
「子どものための劇場裏側探検ツアー」に参加するためです。
このツアーは90分になんなんとする熱の入ったプログラムで、
子どもたちに劇場のバックヤードを案内しながら、
音響・照明・舞台部をくまなく体験させるという充実ぶりでした。
今回は、その最後の方に上演される朗読劇の台本を書いたので、
たのしみに伺いました。ちょうど良いメルヘンチックな家のセットが
あるので、それを活かした短編を書いてほしいというオーダーで、
その制約がある分、発想しやすい仕事でした。
あとは、オペラに力を入れてきたこの劇場の特性をはじめ、
劇場で働く多様な人たちをできるだけ紹介できる内容にしました。
演者・スタッフの皆様が台本を補って余りある上演で、
頭の下がる催しでした。向かいの商用施設での買い物や食事、
軍艦を眺めるところまで、お昼過ぎまででしたが、
満喫して帰ってきました。さすが横須賀、フードコートには
外国人が多くてロンドンを思い出しました。
2024年8月17日 Posted in
中野note
↑昨日、入手できたものです。細部の完成度がすごい
今日は、県民ホールで担当している青島広志先生と水野英子先生による
講座本番の日でした。昨日が台風だったので予定されていた準備ができず、
早朝から同僚とバタバタと会場を整え、受付には大量の物販その他を
並べ、リハーサルが進むのと並行して水野先生をお迎えに行き、
という慌ただしい一日でした。
本番は、機材トラブルも多かったけれど、なんとか終わることができて
終演後のロビーで水野先生が長年のファンの皆さんに囲まれているのを
見ていると、皆さんの尊敬が伝わってきて、「生きる支え」という
言葉が大袈裟でなく支えられてきた方々、突き詰めた創作がそのような
役割を果たしてきた水野先生との関係の厚さを体感できました。
まさに、水野英子という作家は革新者だということが、
事前にマンガを読み、さらにお話を聴いて実感させられる会でした。
10代半ばから仕事をして、いまや画業70周年だそうです。
今後は、来月末から始まる個展があるそうですから、
これを必ず見に行きたいと思っています。あの、試行錯誤され
計算された画の凄みを体感できる結晶のような展覧会になるようです。
昨日、特別に物販されたマンガを買いました。
子育て中に長期連載ができず、短編を世に送る中でご自身が良いと
思うものを集めた小品集とのことです。そのことを知ると、
それぞれがまた違った輝きを帯びるように思います。
たくさんお話しできて、燃焼した一日でした。
2024年8月16日 Posted in
中野note
↑これをよく聴いています
明日、水野英子先生をお迎えして講座が行われます。
水野先生とは去年の夏に電話をしてお話し、決然とした物言いに
さすが女手塚と異名をとる女傑だと感じ入りました。
オファーをかけたのは3月頃で、ちょうど読売新聞の連載で
水野先生が半生を語った記事が毎日載っていた時期です。
門外漢として、先生の世界に入ってゆくのに、あの記事には大いに
助けられ、また貴重な資料ともなりました。
読売新聞を販売店まで買いに行き、毎日ハサミでチョキチョキと
切るのは、唐さんの『朝顔男』が連載されて以来だと感じ入ったり
もしました。
水野先生は10代半ばから活躍を始めたので、すでに画業70周年が
迫っています。初期の手塚治虫影響化のもの、続く大きな瞳の
少女たちを経て、80年代に迫ると、ドレスのドレープも星も、
圧倒的な画力を持つ繊細な線の連なりに惚れ惚れします。
しかし、若い頃はマンガ業と並行して、ガレージで
ドラムセットを叩き、モダンバレエに挑戦し、アフロな髪型に
してジーンズを履きこなす女性でもありました。
先日に少しだけご自宅をお訪ねしてお話ししましたが、
本格的な会話をするのは明日が初めてです。
そして、こういった機会はなかなか無いでしょうから、
どうしても最後になってしまうだろうとも思います。
明日の話題はワーグナーを中心としたオペラ作品ですが、
水野先生を通じて、自分はスコット・ウォーカーを聴くように
なりました。車の中でずっと聴いていると、水野先生の作品を
貫く透明感も見えてきます。
2024年8月15日 Posted in
中野note
↑8/17(土)15:00開演です。きっと台風一過。当日券出ます
今日はお盆の最終日でした。今日まで道がすいていて運転がしやすい。
方や、関東地方は台風の準備に追われています。
イベントの中止や延期がどんどん発表されています。
こういう事前準備の発表はずいぶん早くなりました。
現在は劇場やホールでの公演をやっていても主催者が
多くの責任を取らなければならない世の中になってきています。
催しがあることで観客は会場を目指す。そのことによって事故を
誘発する危険性がある、というような。
テント演劇をやっているとなおさら、身につまされます。
2012年に足柄で行ったテント公演の『木馬の鼻』は中止にし、
2014年に行ったトラック演劇での『木馬の鼻』は決行しました。
お客が一人でも来るならやる、というかつての意気込みや美学は、
今や違ったものになってきています。
あと、自分は神奈川県民ホールで明後日に行う公演の担当を
しているので、明日の動きが封じられることを予見し、
今日のうちに多くの準備を行いました。
音楽家の青島広志先生とマンガ家の水野英子先生の共演による
音楽&歌唱付き対談です。担当になったことで、この半年
ほどは水野先生の作品にずいぶん触れてきましたが、1980年代に
創作された『ルートヴィヒ2世』は一番の気に入りです。
物語も良く、絵を一枚切り取っただけでも見ごたえがあります。
一方で、青島先生と水野先生は毒舌だからなあ。
世間の台風対策とは違い、かなり反時代的なトークになりそうです。
2024年8月14日 Posted in
中野note
↑先日、『少女都市』はどうしたら読むことができるのか?と問い合わせ
を受けました。この角川文庫に収録されています
7月30日に始めた『少女都市』研究ですが、
先週末に台本の打ち込みを終わり、その後、誤字脱字チェックも
今朝を以って終わることができました。
学生時代以来、久々に、じっくりと読んでみて、
改訂作『少女都市からの呼び声』とは違った魅力がわかってきました。
『少女都市からの呼び声』は完成度の作品です。
病室に始まり病室に終わって、主人公・田口の幻の妹・雪子がいわば
夢の世界にいる。その雪子が田口と入れ替わりに現世に現れることに
成功するも、程なくして挫折し、また元の世界に封じられていくという
明確な構造を持った劇です。あちらとこちらが明確に書かれている
ために、たいへんにわかりやすい。
一方、オリジナルの『少女都市』は明晰さでは劣るものの、
満州や大陸的なものが噴き出すような勢いに満ちています。
特に終盤などはかなりカオスなのですが、荒削りな魅力がある。
台本を製本し、さらに探求してみようと思います。
現在、毎週日曜のオンラインWSは『煉夢術』を扱っていますが、
これが終わったら『少女都市』を始め、次に『少女都市からの呼び声』
に進むことにしました。それらが終わったら、かつて一度やったことの
ある『吸血姫』をもう一度やるのも面白いかもしれません。
しばらく、唐さんが仕掛けた「少女もの」を追いかけています。
2024年8月13日 Posted in
中野note
↑当時は定価200円とのことです
2日前、ヤフオクに出ていた出物を競り落としました。
競り落としたといっても、入札したのは私だけ。
新劇1969年11月号、創刊以来200号記念でもあったものとのことです。
お目当てはもちろん、活字化初掲載の『少女仮面』。
これが世に出回った最初でした。
実は、半年ほど前にはこの雑誌の存在に気づいてはいました。
しかし、手に入れることができなかったのです。
当時の古本市場では、雑誌「新劇」の他の号、約5年分も含めた
50冊強で2万円という価格がついていました。
どうしても手が届かない金額でないだけに悩みましたが、
他の号がうちに押し寄せた場合、貴重なものだけに処分できないし、
かといって全部を抱えるほど私の家は広くないし、という具合に
決心がつかなかったのです。結果、その時は桜木町の青少年センター
にある演劇資料室の同号をコピーさせてもらうことで凌ぎました。
『少女仮面』の稽古中に出てきた言い回しへの疑問を2箇所、
この新劇掲載版に解決してもらいました。
『鐵假面』や『蛇姫様 わが心の奈蛇』のように大きな違いはなくとも、
この進撃のほかは全部誤植している、という箇所を発見できたのです。
そのようなわけで、今回の一冊ポッキリ安価での入手は、
これからも『少女仮面』をやりなさいよ、という天からのエールとして
受け取っておきます。本棚の良い位置を燦然と占めています。
2024年8月 9日 Posted in
中野note
↑これを読みました
『少女仮面』公演が終わって以来のぜんそくはなかなかしぶとく、
どうも咳が治りません。そこで、今日はお医者さんに行ってより強めの
薬を出してもらいました。あとは、できる限り大人しくしていることが
大切なので、仕事も家でし、前から約束していた観劇のほかは出かけ
ないようにしました。
すると、必然的に本が読めます。
昨日、小日向白朗の関連書を探しに行ったところ、
どうも近隣本屋にはなく、これはネットで注文することにしました。
一方、「慶安太平記」のタイトルを戴く上記の本を手に入れました。
慶安太平記とは、慶安の変、要するに徳川家光没後の由比正雪に
よるクーデター失敗事件を描いたもので、講談の連続もので有名です。
唐さんが1968年に上演した『由比正雪』が気になる私は、
これまで断片的にではありますが、神田松之丞さんや立川談志さんの
CDを聴いてきました。加えて、全体を本で読みたいと思ってきたの
ですが、かなり以前の古本になってしまい手に入れるのが難しいのです。
だから、この『真・慶安太平記』というのが並んでいるのを
知って小躍りしました。『少女都市』は1969年。『由比正雪』は1968年。
お隣さんみたいなものだから、小日向白朗の本を待つのにちょうどいい、
そう思ったのです。
今日、一日かけて読みました。家で、喫茶店で、病院の待合室で。
そして大いに空振りました。この『真・慶安太平記』は由比正雪の
正体について新説を打ち出すのが妙味で、スタンダード由比正雪の
素性や物語はまったく描かれていないのです。
それにしても、由比正雪がいつ出てくるんだろう?
いつ出てくるんだろう?と思いながらページをめくり続けました。
そう思わせながら300ページ強読ませてしまうのだから、
大した筆力、読みやすく出来ているレイアウト(改行や文字の大きさ)
に感心しました。関係なかったけど、関係ない時間は贅沢なものです。
新たな薬で、咳もおさまってきました。
2024年8月 9日 Posted in
中野note
↑甘粕正彦さんとは違い、戦後も生きて活躍した小日向白朗さん
毎朝、『少女都市』を読んでいると、これがひどく報われなかった
作品だということがわかります。
一つには、例の状況劇場vs天井桟敷のケンカ騒ぎによって、
ただでさえ少なかった公演回数がさらに縮小してしまったこと。
当時の観客はスキャランダラスな事件に熱狂するばかりで
劇の中身など吹き飛んでしまっただろうことは簡単に想像がつきます。
それに、『少女仮面』の向こうを張って書かれ過ぎています。
例えば、3部構成の真ん中は『少女仮面』の腹話術劇ならぬ
人形劇が展開するのですが、これが『少女仮面』ほどには上手く
いっておらず、なんだかカオスなパペットショーといった具合。
『少女仮面』で登場した甘粕大尉を意識して、『少女都市』には
馬賊王と言われた小日向白朗の名前が何度も登場しますが、
これも、そこまで効果をあげているかといえばいくつも
クエスチョンが浮かんでしまいます。
(唐さんは「朗」の字を「郎」と改めて書いている)
でも、これらはあくまでも現段階での感じなので、
何か活路はないかと、さらに読み深めています。
早朝に『少女都市』を読んだ後、昼間の自分の頭の中は
くだんの小日向白朗や満州でいっぱいです。
お盆周辺、日本全体が「戦争」を考えるこの時期に取り組む課題
としても適切なように思います。「満州」「馬賊」「建国大学」・・・
本を読み、ドキュメントを見ていると戦前と戦後が地続きである
という当たり前のこともわかってきます。
2024年8月 8日 Posted in
中野note
昨日発売の「悲劇喜劇」9月号に書きました。
唐さんについての特集のうち2ページです。
7月末に読み始めた『少女都市』は3幕に差し掛かり、あと3日ほどで
一周目を読み終えます。『少女仮面』を終えたからわかることが沢山
あります。来年のテント公演の演目、どうしよう?
2024年8月 6日 Posted in
中野note
↑彼らを持ち運ぶときは顔にタオルや手ぬぐいをかけるべし。
丸山雄也くんが腹話術を習った先生を通じて、こうした作法も学びました
本来なら、今日は昨日の『煉夢術』レポートの続編の予定でしたが、
それは明日に繰り延べます。現在、23:31分。先週はじめの片付け以来
ハンディラボにやってきたところ、さまざまな思いが去来したからです。
今、1日の仕事を終えてここにいるのは、齋藤と津内口が
唐組からお借りした2体の腹話術人形をケアしてくれたからです。
「お返しする準備が整いましたよ」といういう連絡をくれたので、
一旦、自宅に持って帰ろうと、上の写真の2体を取りに来たわけです。
左はイトくんといいます。右はタカシくんといいます。
これは、お借りする時に唐組の久保井さんと藤井さん、福原さんに
教わりました。タカシくんはみんなに愛されて、『少女仮面』の
出演を重ねてきたベテランです。イトくんは、唐組の『ビニールの城』
で活躍してきた気鋭です。
はじめて2体を見た時、イトくんのビジュアルが気に入りました。
しかし、可動性の高いタカシくんにはやはりそれだけの実力があり、
唐組事務所で悩んだ自分は、2体お借りして良いかお願いをしました。
唐組の皆様は、それを快く受けてくださいました。
2体を眺めながら、どちらにも愛着が湧き、私たちの『少女仮面』には
2体とも出演してもらおうということになりました。タカシくんを
操る丸山雄也くんをイトくんに似せ、イトくんを操る赤松怜音さんを
タカシくんに似せました。4人で鏡合わせ。私たちの『少女仮面』には
もうひと組、鏡合わせの2人がいて、それは老婆と少女・貝です。
「鏡」がキーアイテムである『ジョン・シルバー』は唐ゼミ☆の原点であり、
その続編たる『続ジョン・シルバー』こそ『少女仮面』の原型である
というのが私の考えです。風呂・山の絵・水道とくれば、唐さんの頭の
中は「銭湯」でいっぱいに違いない。だから、唐ゼミ☆の『少女仮面』
には「鏡」が登場します。自分の工夫というより、この芝居は
潜在的に「鏡」を望んでいる。そう思うからです。
イトくんとタカシくんが来てくれたのは、唐組のご厚情による偶然です。
自分はあまり運命論者ではありませんが、懸命に考えていると、
巡り合わせが自分を運んでくれるような感覚に陥る時があります。
イトくんとタカシくんによって鏡合わせが補完された時にそれを
感じましたし、山手事情社の谷洋介さんが座組に加わった時にも
同じ感覚を覚えました。長身であることを除けば、谷さんの
ビジュアルはまさしく「甘粕大尉」だからです。
私たちの『少女仮面』では、春日野が最後に『時はゆくゆく』を
歌います。原点主義の私としては、思いつきながら怖れや抵抗が
ありました。
正直に言えば今も、「これで良いのだろうか」
「唐さんは許してくださるだろうか」という自問自答があります。
「あたしは、何でもないんだ!」という従来の締めのせりふのなかに
逆説的な希望を語る行き方があるのではないか、という問いを現在も
問い続ける日々です。
しかし、どう考えても、この主題歌は春日野八千代を騙る女にこそ
ふさわしいと自分には思われるのです。。
そう思ってサトウユウスケさんに発注したところ、素晴らしいアレンジ
がきました。このプランはユウスケさんの伴奏によって支えられたのです。
加えて、詩人の新井高子さんの依頼で椎野が雑誌「ミて!」に執筆した
文章も自分を動かしました。あの中には、私たちが『ジョン・シルバー』
を初めて上演した時のご褒美として唐さんが、『時はゆくゆく』を
歌ってくださったエピソードがあります。
歌うべきか・歌わざるべきか悩んでいるときに
あれを読み、これは歌うべきだと思うに至ったのです。
正直に言って、私は自分たちの『少女仮面』が上手くいったと
思っています。数限りなく上演されてきた台本ですから、
唐ゼミ☆が公演して邪道ではいけないし、かといって過去の踏襲する
安全パイも良くないと思ってきました。
それなりにプレッシャーもありましたが、いつも通り
「唐さんは何を考えただろう?」と思案し続けるうちに、
自然とあの上演に行きついたのです。
結果的に、自然体でやることができました。
それは、自分のアイディアがどうこういうよりも、
上記のようにたくさんの偶然に支えられ、座組内外の人々に補完されてきた
結果でもあります。ありがたいことだと思います。
これから上演する時には、終盤部分に施したい工夫や課題もすでにあります。
その時に、またイトくんとタカシくんの力も借りて上演したいと思います。
しばしのお別れですが、再会を期して。
唐組の皆様だけでなく、二人にも感謝します。ありがとう。
2024年8月 3日 Posted in
中野note
↑カーテンコールは撮影OKだった
今日は昼夜でクラシック・バレエに関する公演を観ました。
お昼は、新国立劇場にて "BALLET The New Classic" を、
夜は、職場である神奈川県民ホールで横浜バレエフェスティバルの
前夜祭を。縁遠かった自分が自然にバレエを観ている。
関わっている方々に知り合いもできてきている。
これは英国での研修を終えて以来、 県民ホールで働き始めたことの
効能のひとつです。初めは、場違いなだあ、なんて思っていたけれど、
ある時、同じ劇場で働くバレエ通の大先輩に「バレエファンは
足の甲を見るんですよ」と教わって、それからは少し親近感を
感じました。確かに、足の甲がすごい人はすごい。
オルガンを身近に感じるようになったのも県民ホールの効能で
この1年半でずいぶんいろんな作曲家と曲を知り、何より
各地のホールや教会にあるパイプオルガンを聴いてきました。
これには、その前の1年、ロンドンで過ごしたことも
聴いていて、そこここの教会に行って演奏やミサに接した
おかげで親しんできたという前段もありました。
明日から始まるオンラインWSのお題『煉夢術』に接していると
20代前半の唐さんが抱いたヨーロッパへの憧れを強烈に感じます。
そしてそれは、唐さん特有のものではなくて、当時の若者全般が
持つ知的関心だったように思います。ベルイマンの映画とか、
回顧展があったらたっぷり時間をとって映画館に通ってみたいと、
『煉夢術』を読みながら自分も学生時代的なことを夢想します。
2024年8月 2日 Posted in
中野note
↑1回に2発、朝晩吸入します!
『少女仮面』公演以来、咳がでます。
そんなに激しくはないけれど、静かな場でムセると目立つので
早く病院に行ってクスリをもらいたいと思いながら
今日まで来てしまったのを、ようやく病院に行ってきました。
考えてみれば、目下研究中の『少女都市』に出てくる
フランケ醜態博士もぜんそく持ちで、そのために満州行軍からの
離脱を余儀なくされたことを心の傷として持ってます。
身体に障害を持って戦後を生き延びながら、
仲間たちと死にきれなかったことを悔いる。
そして、同じく身体障害を持つヒロインの雪子に安らぎを覚える。
自分にとってフランケというキャラクターには、純朴なものとか、
仲間たちへの想い、コンプレックスを持つ者のシンパシーを感じます。
もちろん、押し出しは不気味だったり、コミカルですが。
クスリをもらったので、数日で咳もおさまるはずです。
咳がおさまったら、なるべく薬は使わないようにして。
20代の頃は公演が終わるごとにひどい発作を起こして
自分にはどうしても埃っぽい劇場や芝居が向いていないのではないか
と考えたこともありました。
今では付き合い方を覚えて軽度で抑えながら、
そろそろ休めという身体からのサインを感じながら、
すぐにまた劇がやりたいと思っています。
ああ、愛すべきフランケ。
2024年8月 1日 Posted in
中野note
↑正面から撮るとどうしても光の反射が入るので、斜め撮り
『下谷万年町物語』カーテンコールの写真を家に飾りました。
『少女仮面』片付けの際に、今年の初めに四ツ谷で行った写真展の
パネルも一緒に整理しましたが、60枚以上あるうちのこれだけは
取り出して、飾ろうと思ったのです。
うちはまだまだ子どもたちが暴れ回っていますが、
それでも、以前に比べれば話がわかるようになってきました。
それに、椎野が復帰する前はいかにも昔の思い出という感じが
したと思いますが、今では、これからもやろうという余裕が
出てきました。
これからもやろう!という気持ちで、
写真家の伏見行介さんが贅沢につくってくださったパネルを
朝晩、眺めています。
2024年7月31日 Posted in
中野note
↑1971年に中央公論社から出版された箱入り単行本です。
執筆から時間が経ってからの出版に、唐さんがこの台本を大切にして
いたことが伺えます
『少女仮面』公演のためにここ2週間お休みしていましたが、
今度の日曜日から、恒例のオンラインWSを再開します。
新たなお題は『煉夢術』。唐さんが24-25歳の時に書いた台本で
冬樹社の作品集に3本目の作品として載っています。
それまでの2本は短編だったのですが、かなり分量が増え、
初めは劇団に誰も書く人がいないから、という理由で始めた劇作も
馴染み、野心的に書こうとした青年・唐十郎を感じることができます。
一方で、1967年に紅テントを発明する前の唐さんの、
本来持っている内向性がいかんなく発揮された作品で、
青年期独特の暗さと共に全体が進行するなかで、
唐さんの原点を見極めていきたいと考えています。
一見、抽象的な設定の中に具体性を発見するとぐっと読みやすく、
内容が身近なものになるでしょう。そういう読みをするつもりです。
・唐さんが描く「塔」とは何なのか
・唐さんはなぜ地図売りを描き、そこに何を託したのか
・唐さんの描くオルガンの響き
こういったところを読み解きながら、初期唐十郎のスタティックな
世界を味わいましょう。暑苦しい夏には、静謐な台本を!
2024年7月30日 Posted in
中野note
『少女仮面』片付けから一夜明け、次の目標を定めました。
とりあえず、『少女都市』を研究します。
改作『少女都市からの呼び声』の影に隠れて上演されることのない
『少女都市』ですが、早稲田小劇場のために書かれた『少女仮面』に
対抗して唐さんが自らの状況劇場のために書いた作品ですから、
自分の体に『少女仮面』が入っている今こそ、読み時だと思うのです。
文庫本や単行本、いろいろなバージョンがありますが、ここはやはり
『季刊 同時代演劇』創刊号に掲載された初出版と向き合います。
3週間ほどで読み込むのが目標です。
いずれ本読みWSで、『少女都市』と『少女都市からの呼び声』の
読み比べをしてみたい。狙っていきます。
2024年7月29日 Posted in
中野note
↑昨晩の打ち上げの様子。こんな風な呑み会は唐ゼミ☆としては珍しい
公演終了から一夜明け。
今日は午後からハンディラボに集まって積み下ろしと片付けを行い
ました。今回の舞台装置は特に荷軽く済むことを意識してデザイン
されているので、あっという間にトラックは空になり、道具の収納や
衣裳・小道具のケアに進みます。
昔懐かしい二層式の洗濯機をフル稼働させて、
黒、白、カラーに分けて衣装を洗濯しました。
新たに購入した衣類が多いので色落ちによって他の衣裳が染まるのを
避けるためですが、それもこれも再演を目指してのことです。
洗えないような衣裳は滅菌剤を振りかけてよく干し、
靴もケアしました。『少女仮面』は革靴・ブーツの類でいっぱい、
暑いのは私たちの体には堪えますが、他方、殺菌作用としては
絶大な感じがします。脱水後の衣類もあっという間に乾きました。
差し入れで頂いたお酒やお菓子を皆で分け、ハンディラボをよく
掃除して今回の公演も一区切りです。あとは、これから経理処理や
報告書づくりに向かいます。これには数週間かかるので気長にやります。
座組のみなさま、おつかれさまでした。
↓たくさんの靴にお世話になりました
2024年7月28日 Posted in
中野note
今日も10:00に横浜を出て、渋谷の氷屋さんでドライアイスを買いつつ、
11:00に劇場入りしました。30分で片付けとセッティングをして、
11:30から稽古。最終日になっても、少しずつ修正します。
今日も酷暑かつ大勢のお客さんに来ていただけたので、
あらかじめ通知をして開場を10分早めさせてもらいました。
13:20に客席が開き(冷房強め)、14:03に開演。
最後まで客席お一番後ろで観ました。
目の前で起きる役者たちの本番を経た工夫やお客さんへの対し方が
面白かったし、今後に向けた目標を見出したくて観ました。
最後まで観て、いくつか次回の上演に向けて期するものがあります。
15:45に終演してロビーでお客さんとお話ししながら、
劇場内はすでに解体作業に入り、自分は音響機材を返しに行ったりも
しながら19:00にはエコー劇場をあとにしました。
空間とそれを支えるスタッフの皆さん、ほんとうにありがたい方たち
でした。私たちの劇に相応しい(広すぎない)客席を持ちつつ、
あれだけ舞台空間が高さも含めて豊かな空間はなかなか無いと
思います。それにスクエアな空間だと人の気で埋まっていない気がして
演者は不安になるものですが、エコーさんはそういう余分がない分
ステージ上にいて居心地が良いのです。去年末に劇場巡りをして
ここが発見できて、それは本当に幸せなことでした。
19:00から駅前に移動して打ち上げをしました。
劇場の方に教わった「でですけ」というお店です。
恵比寿という街ににも愛着が湧きます。これまではガーデンプレイスや
写真美術館、つまり南口の街だと思っていましたが、反対の北口には
これだけ繁華街があって馴染みが良いことを初めて知りました。
昼間の駐車場代は高いけれど良い街です。
最初は21:00までと思っていたけれど、みんなで22:00近くまで
飲み食いしながら語り合って、来年はどうしようかも語り合って、
散会しました。明日は午後からハンディラボで片付けです。
テント公演とは違い、みんなと別れを惜しむ余裕があることも、
すごくありがたいことと感じています。
頭の中が劇中歌でいっぱいです。
次のことも考えつつ、でも、片付けと荷返しが終わるまでは
『少女仮面』と座組のみんな、『少女仮面』にまつわる唐さんの
余韻を感じていようと思います。
2024年7月27日 Posted in
中野note
↑カーテンコールの様子
今日は2回公演でした。これは何年ぶりか。
何しろいつものテント公演では1日1回公演が当たり前なので、
世間の演劇人が当たり前にこなしている2回公演に戸惑いを覚えながらの
上演でした。体力的にどう、というのもさることながら、
1回目が終わった後に2回目に向けて仕掛けや段取りを整える、
こういうことに漏れがないかどうかという心配がありました。
10:00前に横浜を出発して氷屋さんに寄りながら、
11:00より劇場入りしました。掃除や舞台復旧をして、
少し稽古、歌練習をしながら、あまりの酷暑に開場待ちのお客さんが
熱中症になってしまわないよう、急遽、連絡を回して開場時間を
10分早めました。これは、明日の千秋楽も同じ対応をとるつもりです。
午後1時過ぎは暑すぎて・・・
結果、13:20に開場し、14:00開演。
15:45に終演してさらに稽古し、夜の公演に備えます。
この間、舞台セットの水まわりに漏水があって復旧に時間が
かかりました。開場ギリギリまで作業にかかりましたが、
なんとか間に合わせて開場〜開演。
18:30の回は客席に余裕があったことと演者も2回目で、
リラックスした公演でした。よく笑いが起きて、良いものでした。
終演後は21:00過ぎに流れ解散。
韓国食材屋に寄り、参鶏湯を買って帰りました。
明日は千秋楽。次に公演する時への目標もたてています。
2024年7月27日 Posted in
中野note
↑本番前の楽屋はこんな感じ
今日はみんな15:30に集合しました。
エコー劇場には、開演前3時間前から入館できるルールがあり、
これは劇場側にとっても利用者にとってもとても良いものだと感じました。
若葉町WHARFでの最終稽古以来、ぶっ続けで動き続けてきたので、
夜公演のみの2日目に昼過ぎまでの休息を与えられたことは、
体力の回復や身辺を整理する意味でも、とてもありがたい時間でした。
その間、私は数日ぶりに県民ホールに行って仕事し、
昼は所沢に行きました。照明の山崎佳子さんの所属する会社が
所沢にあり、照明機材の追加をご相談する中で、自分でお訪ねする
ことになったのです。とても洗練されたオフィスに感心しました。
特に行きはかなり渋滞しましたは、帰りに渋谷の氷屋さんで
ドライアイスも調達し、15:45には自分もエコー劇場に入りました。
皆が掃除やセッティングを終えてくれていたので、
16:10から稽古、16:30から劇中歌シーンの練習をして本番に
備えていきます。初日の入場時は、この劇場の構造に慣れておらず
お客様にご迷惑をおかけしてしまったので、できる限りの対策も
とって、開場がスムーズにいくよう工夫もしました。
18:00開場とともに席が埋まっていき、今日は満席でした。
自分は最後列で観ましたが、初日より緊張がほぐれて滑らかになり
笑いもよく起きて、嬉しい本番でした。終演後は少しお客さんと
おしゃべりして、明日への修正点を伝え、21:00過ぎに流れ解散して
いきました。明日のお昼も満席ですが、なぜか夜は半分ちょっと
というところです。ここから申し込んでくださる方がたくさんいると
良いのですが・・・
2024年7月25日 Posted in
中野note
↑本番直前に調整中。肝心のゲネプロ・本番の写真は後日!
今日は私たちの『少女仮面』初日でした。
朝10:00に集まり、それぞれに準備しながら13:00のゲネプロを
目指します。私はいつもの氷屋へ。
お風呂の湯気用のドライアイスを買って戻り、
皆の掃除やセッティングを終えると、ゲネプロ体制へ。
この頃には、当日受付を手伝ってくださる助っ人の皆さんも
集まり始め、受付も作り始めました。
13:00-14:45にゲネプロをしてそれから修正作業。
スタッフに変更点を伝えたら齋藤が場内をつくり、
俳優たちとは楽屋で演技の直しを行いました。
16:45から劇中歌の確認をして、17:30から受付開始。
18:00に開場して、少し押した18:32に開演。
20:45に終演し、お客さんの送り出し、初日でしたから
多くの方に祝福された初日を過ごすことができました。
皆と少し話をして、21:45頃に劇場を後にして横浜に
戻ってきました。
客席最後列で観ていて、静かで集中度の高い公演でした。
緊張のために会話がゆっくりな部分もあったけれど、
ユーモラスな部分で笑ってもらえたし、それぞれの語りや
場面転換は慣れのために速まり、当初予定していた上演時間は
101分から99分に縮まっています。
一方で、エコー劇場の構造上、
階段のみの2階が劇場入り口、ロビースペースの小ささによって
早く集まってくださるお客さんに一度外に出て並んで頂く対応を
取らざるを得ず、いつもの地上一階、待ち合いスペースが潤沢にある
テント公演との違った入場に難しさを感じつつ、工夫を重ねています。
明日は夕方から劇場入りして、2日目に備えます。
2024年7月24日 Posted in
中野note
今日はエコー劇場で過ごす2日目。
昨日の残り作業を片付けて、午後から場当たりをしました。
一番大変なのは照明の山崎佳子さんで、初めて参加して頂き
苦労をかけていますが、その人柄に惹かれて役者たちが合わせを
厭わずにやっているのを見て、お願いして本当に良かったと
感じています。
ずっと唐さんと私たちの劇団を好きでいてくださっていた方なので、
粘り強く一緒にやり遂げたい思いが強く、
1幕ものなのではやく済むことを期待していましたが、
結局、13:30から始めて終わったのは21:00過ぎ。
公演作りにおいては、やはりやさしい創作は無いものだと
痛感しました。現在も横浜に戻って明日に向けての作戦会議を
しています。
一方で、早くもこの劇場で過ごすルーティンが生まれ、
恵比寿というこれまで馴染みのなかった土地にも愛着が
湧いてきました。
仕掛けのためにドライアイスを買いに行った渋谷の氷屋さんも
おもしろく、これから日曜まで毎日通う旨を挨拶しました。
こうして馴染んでいます。
これを書いている今も課題山積ですが、明日までに何とかして
初日にこぎつけます。
2024年7月23日 Posted in
中野note
↑風呂と火山
本日、10:00より恵比寿・エコー劇場に入りました。
外は酷暑ですが劇場の中は涼しく、音響・照明・美術の増員さんと
ともにキビキビと搬入から始め、『少女仮面』空間をつくりました。
エコー劇場はさすが劇団付きの空間として、
舞台・客席だけでなく楽屋やロビーに至るまで、
30年以上ここで公演してきた方々の工夫が詰まっており、
生きている劇場という感じがします。
150人の客席で、これだけ自由度のある舞台構造で、
天井も高くて、それでいて無駄に隅々に人間味がある空間というのは
なかなか珍しいのではないのでしょうか。
場面転換ありの劇には不向きかも知れませんが、
『少女仮面』の空間にここを選んで本当に良かったと思っています。
現場で初めて完成したヴェスビアス火山の絵とお風呂のセットを
並べると、実にしっくりきました。ああ、20代の唐さんの頭の中は
お母さんの実家である銭湯によって出来ていたのだなあ、と
みんなで納得しました。
こうして、これまで齋藤を中心に腐心してきたスタッフワークが
結集するのは感動的です。音響の平井さんはすでに欠かせない方
ですが、初めての美術家・中根聡子さん、照明家・山崎佳子さんを
力づよく感じます。岡島哲也さんがユーティリティ的にみんなを
支え、元劇団員のワダ タワーさんと重村大介さんも応援に来てくれて
います。手練の舞台人であるエコー劇場の皆さんも温かで、
12時間を劇場で過ごすうちにすっかり馴染んで帰ってきました。
明日もまた10:00から。場当たりを行い、
エコー劇場での『少女仮面』がはじまります!
2024年7月22日 Posted in
中野note
↑今日は作業に没頭しすぎて撮影を忘れたので、昨日の通し稽古より
今日はまず、昼過ぎに劇団員のみでハンディラボに集まりました。
大道具や小道具の残り作業を刈り取っていきます。
津内口は、昨晩は徹夜で当日パンフレットの仕上げをしてくれました。
彼女の誕生日を祝って、皆でケーキを食べたりして。
こんな真夏に公演をすることは野外劇を仕立てて東北ツアーを
した時以来なので、珍しいお祝いでした。
16:00になると他の出演者も集まり、汗をかきながら作業の仕上げと
片付け。19:30には運送業者さんが来て、1時間弱で積み込みを
終えました。
自分は別働で、当日パンフレットを印刷したり、
都内に出て音響の平井さんの倉庫に機材を積みに行きました。
酷暑と雷雨と、最後は大雨の一日でした。
けれども、首都高に乗って横浜に戻ると、都内であれだけ降っていた
ゲリラ豪雨はなりを潜め、地面が乾いています。
明日から毎日、恵比寿で過ごします。
あっという間の6日間になりそうです。
そうだ。開場寺、終演後に劇場内にかける音楽を編集しないと!
2024年7月21日 Posted in
中野note
↑メイクもバッチリしています
6日間お世話になった若葉町WHARFでの稽古が終わりました。
今朝は10:00前には集まってそれぞれに衣裳・メイクをフルに装着し、
音響の平井さん、照明の山崎さん、岡島哲也さんも結集して
11:10から通し稽古。水道や風呂の水、天井からふる工事の砂ぼこりなど
できるだけの仕掛けも行い、この1幕ものを進行させました。
私たちの『少女仮面』はカーテンコールまで含め、
休憩なし101分であるという上演時間に落ち着きました。
歴代のこの作品の上演の中では少し長めと思いますが、
唐ゼミ☆版として工夫を重ねた結果です。
13:00前に通しを終え、休憩時間も挟みながら16:00まで修正稽古、
その後は稽古用のセットをバラし、トラックを寄せて積み込みを行い、
お世話になった若葉町WHARFのスタジオを掃除して退出、
ホームであるハンディラボに帰りました。
明日の積み込みに備えつつ、全ての荷物を整えました。
ちょっと信じ難いですが、すでに1週間後には全ての公演を終えている
時間です。世間で流行っているコロナに足元をすくわれないように
しながら、火曜の劇場入り、木曜の初日と、ゴールを目指して
じりじりと全員で押し上げていきます。
2024年7月20日 Posted in
中野note
↑ラスト数ページでなだれを打って登場する人たちが準備不足や
粗雑にならぬよう、丁寧に稽古しています
今日は明日の最終通し稽古に備え、コツコツ手直しを行いました。
演技の細かなところ、立ち位置の調整、道具の出し入れの簡略化、
こういった細部を詰めることで、全体の底上げを図りました。
そもそものせりふ術の向上や、役柄の見直しも行います。
もっとお客さんに共感してもらえるように情けないヤツにしよう
情けないヤツにするには、ここのせりふの言い方をこう変えよう、
あ、ここにも工夫の余地がある、といった具合です。
こういう修正を一日かけてできるのは、まことに贅沢なことです。
来週の今頃は土曜の2回公演を終えてヘトヘトになっているだろう。
そんなことを考えると不思議な感じがします。
いつもはテント劇場を建てるところからなので、
急にくる本番に戸惑うところもありますが、
ここで詰めきっておかないとと思ってやっています。
どこかに取りこぼしはないか。
どこかに工夫の余地はないか。
どこかに根本的なやり口はないか。
合い間も『少女仮面』の話題一色になっています。
2024年7月19日 Posted in
中野note
今日も通し稽古でした。
今日から音響の平井さんが合流し、全体に効果音が入り始めました。
自分の音響はお役御免で、劇を見ることに集中し始めています。
こうなると、立ち位置によって見えずらいところはないか、
移動しながらチェックし、座席によって演者の挙動が伝わないことが
無いようより厳格に調整が可能です。
演技にせよ、セットや衣裳にせよ、ディティールを詰める
ところもあれば、大局的に観て、キャラクターを刷新するような
アイディアも出てきます。ここまできたからこそ、
根本と向かい合い、全体を見つめ直すことが人によっては必要です。
といった修正を、明日に時間をかけてやる予定です。
明日、直して、明後日に最終の通し稽古をして、
という具合に若葉町WHARFでの追い込み稽古が収斂していきます。
上演時間は100分強の見込みです。
2024年7月18日 Posted in
中野note
↑セットや衣裳も揃ってきている
週末までに3回の通し稽古をする予定です。
今日はそのうちの1回をやりました。
序盤にもたついたところもありましたが、
1場のボーイ主任のスパルタと粘着質ぶりがよく効き、
それがコミカルになる流れができてきました。
2場の腹話術師の残酷ショーには、別れた女を未練たらしく思う
要素がもうひと伸び必要で、しかし、人形の下剋上はかなり
うまくいきました。
3場の中間部は今回の上演の大きな課題で、これをいかに条理として
まとめ上げるかをずっと考えてきましたが、ある心理的なルートを
発見して、それが自然な流れの中に実現しつつあります。
感じた違和感を素直に問題視し、解決策を講じて明日に臨むのが
目標です。全編にわたる力の配分は、この通し稽古の中でしか
育まれませんから、明日にはさらに決まってくるはずです。
真剣ななかに余裕があり、余裕が笑いに結びつく、
顔つきがシリアスすぎて、かえってふざけているのかどうか
読みずらい。そんな上演を目指しています。もうひと超えも
ふた超えも! また明日も通し稽古です!
2024年7月17日 Posted in
中野note
↑人の心に届き、響くように
今日から本格的に若葉町WHARFでの集中稽古です。
今まで練ってきた改善点を全体に行き渡らせ、劇を土台から
パワーアップさせる5日間の始まりです。
この1週間で考えてきたアイディア、
『少女仮面』についての根本的な読みを役者たちと実際のものに
しながら、しっくりくるポイントを探ります。
ハマると「あ、これだな!」と皆で腑に落ちていく。
今日は全編にわたってさまざまな箇所を工夫しました。
明日はそれをこなれさせ、全体の通しの中で検証していきます。
最後には思い切り力を振り絞り、リミッターを外して
120%の燃焼で観る人の心を掴まなければならない
必然、負荷がかかる。
なので、喉を潰してしまわないように加減しながら
よく体を温め、一瞬で全力を出し、翌日までの回復量も計算して
日々を過ごします。まずは、明日にどんな結果を出せるか。
勝負の日々、細部を成形して全体のプロポーションを磨き、
正しいと思える流れの中に魂を込める毎日です。
2024年7月16日 Posted in
中野note
↑工房の片付け中の米澤。最近はハキハキとよくしゃべるようになった
今日はハンディラボでの作業を打ち上げ、
明日から週末までの集中的な稽古のために若葉町ウォーフに乗り込む
日でした。私は朝からトラックを借りて調布まで中道具の借り出しに行き、
皆は舞台の床の紋様を完成させ、『少女仮面』の重要な道具である
お風呂の着色などをしました。
床に凝るということは通常のテント公演だとあまりないことですが、
今回はタップダンスもあり、階段状の客席で上からご覧になる
お客さんもたくさんいらっしゃいますので、そういうことにも
凝っています。
この1週間というもの、最後に行った通し稽古を思い出しつつ、
『少女仮面』の各パートがどんなものかをもう一度考え直して
きました。曖昧に、何となく過ごしてしまっているシーンが
あるのではないか。そういう自問自答のなかで、何ヶ所か
新たな展開、あるべき劇の姿が見えてきました。
明日から早急に内容を更新しつつ、皆が『少女仮面』という
道具立てを縦横に使いこなせるよう、稽古を重ねていきます。
合間に佐藤信さんとおしゃべりするのも、若葉町の醍醐味です。
今日も「あの劇はおもしろいでしょう」と『少女仮面』演出の
先輩である信さんはおっしゃっていました。
本質を捉えた、新しい、私たちの『少女仮面』を探っていきます。
2024年7月13日 Posted in
中野note
↑Wikipediaより
今日も作業は進行中です。
喫茶店の柱や、床を構成するペンキ塗りをみんなで協力して行いました。
その間、稽古も行いました。
総計88ページの『少女仮面』において、
そのうち11ページは2場に当てられています。
「腹話術師」役はそれををほとんど一人でこなします。
正確には、人形もいますから、一人と一体で。
これまでの稽古では、滞りなく行っていたものの、
ずっと不足を感じていました。演者の丸山雄也くんの不足でなく、
全体の構成的に、自分にはこの場に対する理解が足りないように
思えてきたのです。
この、人形と人間の立場が入れ替わるという仕掛けを持った場は、
果たしてどこからどこまでがフィクションで、ノンフィクションか
という区分けに、モゾモゾとした違和感を感じてきました。
そこで、今日はこの部分について整理を行いながら細部を
理解し直しました。唐さんは1967年に出版した『特権的肉体論』で
「グラン・ギニョール」という言葉を書いています。
とすれば、この場を、19世紀末から20世紀初頭にかけて
フランスで流行った残酷人形劇を意識しながら、
自分流にアレンジしたことは間違いありません。
昨日はこの唐版グラン・ギニョールをだいぶ整理できました。
日々の稽古にあくせくし過ぎず、少し引いた目で全体を眺めて
部分を工夫する。そしてまた全体を見る。こういう作業ができると
かなり劇全体が底上げします。贅沢な時間です。
2024年7月12日 Posted in
中野note
いますでに、帰りの新幹線のなかです。
昨晩23:12に着いて翌日19:08に発つということは20時間の富山滞在で
あったということです。その間、いくつかの文化施設に行き、
運転もよくしつつ、かなり富山を満喫しました。
まず、昨晩は26:00までやっている店で食事しました。
白エビ、ウニ、ホタテの焼いたのを醤油をつけずに食べてくれと
店主に言われ、隣にいたおじさんが色々とツマミをご馳走して
くれました。
早朝から起き出し、周辺を歩いてまわりました。
例のオーバードホールのそばに行くと、記憶が蘇りました。
そして朝食。泊まったホテルに恵まれ、なかなか豪華でした。
そこで、ます寿司、ほたるいか沖漬け、焼き鯖。
その後、あらかじめ通達されたスケジュールによれば
昼食抜きとされていましたが、思ったよりも移動に
時間がかからないことがわかり、訪ねた先でアジフライを
ご馳走になりました。
・・・というなわけで、
振り返ってみればなかなかの豪遊な出張でした。
帰り道、なんとかお土産をと思いましたが、食傷気味のせいか
富山ものにはまったく食指が動かず、大好きな「雷鳥の里」を発見。
これは長野のものだけれど、
かつて何度も行った長野公演の際は、スーパーで小さいのを
買って常食するほど私はこれが好きなのです。
名物よりも美味いもの、というわけで劇団へのお土産は雷鳥の里です。
富山、良いところでした。
2024年7月11日 Posted in
中野note
↑開演時に鈴を鳴らし、終演時にスピーチしたエレン・スチュワートさん
率直にそこにいる、という感じに強い印象を受けました
今日はなかなかの強行軍でした。
早朝から車で都内に行き、その後、相模原市の橋本に行きました。
お昼過ぎにハンディラボに移動して衣裳や小道具の確認をしながら
みんなと話をし、夕方に鶴見に移動して、それからは電車。
東京駅に移動してビルの隙間のベンチでオンライン会議をやり、
その後に北陸新幹線に乗って富山に向かっています。
富山か・・・。
富山市は一度だけ行ったことがあり、あれは2006年に
ラ・ママ実験劇場が来日、『トロイアの女』を上演した時です。
私たちは何人かで連れ立って高速バスに乗り、
夜の公演を観たら即座に夜行バスで帰るという弾丸ツアーを
敢行しました。
劇場の中を立って移動しながら観風変わりな上演でした。
外国人の筋骨隆々とした役者たちが、いかにも古代ギリシャ人の
装いで目と鼻の先を通りながら芝居を繰り広げることは驚きであり
また、コミカルなことでもありました。
演出はルーマニア人のアンドレイ・シェルバンで、
19歳でピーター・ブルックに入門したというレジェンドです。
みんなで観に行こうかどうしようか迷っていたところ、
唐さんに、「シェルバンさんは知り合いだよ」と背中を押された
のを思い出します。
ことに感動したのは終演後に夜行バスの時間まで街をぶらぶら
していた時に、さっきまで古代の戦争を演じていた役者たちが
ラママのゴッドマザーであるエレン・スチュアートに連れられ
吉野家の牛丼を食べているのを発見した時でした。
あの時ほど吉野屋が輝いて見えたことはなかったし、
世界的なカンパニーの面々がちっとも飾らず、
地に足をつけて語らいながら食事しているのに感激しました。
あの、エレンが牛丼を頬張る時の表情は素晴らしかった。
あと1時間ほどで、富山駅に着きます!
2024年7月10日 Posted in
中野note
今日も作業日でした。
劇団員のみハンディラボに集まり、工房スペースで道具作りが進みます。
自分はといえば、各所に案内状やリリースを送り、当日パンフレットの
文章を練りました。
作業としては、『少女仮面』の舞台である喫茶〈肉体〉に飾られた
ヴェスビオ火山の絵のデザインのチェックをしたり、風呂の仕掛けの
問題点を齋藤や椎野とともに解決したり、緩やかにコツコツと前進した
1日でした。
昼食に出たり、スーパーに寄って買い物をしたりもできました。
来週の集中稽古までに、音響プランを練り直し、稽古の改良箇所も
整理していきます。集中的な詰めの作業が始まってしまうと
たった五日で『少女仮面』が決まってしまいます。
いつもならテントたてという段階があって、
ここでも頭を整理することができましたが、
今回は間髪入れずに劇場入りから本番が押し寄せる感じです。
世の中の劇団の大半がこのスリルを生きているのだと実感します。
あと2週間で本番です。
2024年7月 9日 Posted in
中野note
今週の月曜日から、本拠地のハンディハウスに入り、
美術・小道具・衣裳の製作作業に入っています。
この1週間をここで確保するため、
6月上旬から7月頭までに前倒して稽古を進めてきましたが、
『少女仮面』の短さに助けられ、エンディングまできちんとつくり、
カーテンコールも目算がたっています。
同じ作業をしていても、皆が劇やそれぞれの役柄の進行をよく
心得ているので、工夫するにしても方針を共有しやすく、
『少女仮面』を中心にした相談が各所でなされます。
例えばそれは、防空頭巾の柄や、ボーイが歌って踊る際に
左手に持つトレーの上ものを考える際に、皆の理解が的確な
工夫に結びついていくということです。
自分はといえば、
昨日は皆が作業を終えた帰りに駅まで車で送ったのですが、
そのまま新宿に向かいました。
劇中にハープシコードのレコードを流す場面があるので、
LPを買いに行ったのです。LPは大きいので、ネットで買うと
やたら送料がかかるし、どだい、ネットで流通する商品は
おおかたが貴重なプレミアものであるわけです。
直接に中古屋に行って、狙い通り480円で買えました。
交通費はかかったけれど、気分転換になるし、新宿方面に
帰る演者を送りながら話すのも楽しい。
具体物が揃ってくると、いよいよ劇場入りが近いのだという
実感が湧いてきます。その前に、来週は若葉町ウォーフでの
集中稽古をします。
2024年7月 6日 Posted in
中野note
↑3月の『鐵假面』ゲネプロより。あの時は寒かった・・・
読売新聞に今年3月に公演した『鐵假面』が紹介されました。
全体に唐さんについての特集記事で、6月に新宿梁山泊が公演した
『おちょこの傘持つメリー・ポピンズ』、唐組が春公演で上演した
『泥人魚』と並ぶ振り返りです。
もうすぐ読者限定になってしまうとのことですので、
今のうちに読んでください。
ところで、3月末はあんなに寒かったのに、今日は暑さの上に
都内に出たらゲリラ豪雨、まだ7月なのに、これから8月はどれだけ
酷暑なんだろうとおののいています。
たった3ヶ月しか経っていないのに、機構の移ろいが凄まじすぎる。
しかし、昨日はカミナリ、稲光りを見て『鐵假面』初日を
まざまざと思い出しました。
2024年7月 5日 Posted in
中野note
↑最後の3ページでやっと登場の少女たち
昨日の稽古休みを挟みながら、今日も全編を通しました。
各シーンを構成する中で、ここのせりふを、ト書きを
こう活かそう、とセットしてきた工夫が一昨日より機能して、
そこにめいめいの個性が発揮されてきています。
一方で、すでにして慣れが出て、細部の目が立たなくなった
ところもあり、そういう箇所を課題として話をしました。
けれども、最も重要なのは、全編を通して
唐さんの筆が全体に仕掛けているテーマを発見することです。
また、お互いのシーンの関連を、演者同士が実感として理解し、
今後にそれを自らドライブしようとするのを促すことです。
全体に、『少女仮面』のコンパクトさに助けられて、
皆でそれぞれの場面について語り合うような余裕があります。
3幕3時間だと追い込まれてカオスなまま直前になってしまう。
けれど、『少女仮面』は恵まれています。
嬉しかったので、みんなでカーテンコールの段取りも早々に
決めました。結果、本編&カーテンコールで100分弱という全体が、
ほぼ定まりつつあります。
今日でお世話になってきた急な坂スタジオを退出して、
来週からは本拠地ハンディラボでの作業、
再来週に行う若葉町ウォーフでの集中稽古へとつないでいきます。
2024年7月 4日 Posted in
中野note
↑とにかくオシャレで洗練された人です。あんなに美しい環境で自分が
生活することは二度とないでしょう、という暮らしでした
久々にイギリスで過ごしている夢を見て飛び起きました。
驚くべきことに、ちゃんと英語を喋っていました。
不思議です。英語を喋れるようになっていた実感は一度として
なかったのに。どうやってコミュニケーションをとっていたのか
実感が湧きませんでしたが、パーティらしきところでなんとか
笑い合っていました。
こんな夢を見たのには明確な理由があって、昨日7/3がダイアンの
誕生日だったからです。ダイアンというのは、部屋を借りていた
大家さんのこと。2年前、彼女の誕生日にはムンク展を見に行き、
彼女の友だちが営業している老舗のパブ、インド料理屋に連れて行って
もらいました。
私が起きたのが午前6時なので、英国は前日の22時。
ということは、今もダイアンはバースデーの最中なのです。
きっと大好きなシャンパンを飲んでいるはずです。
1週間ほど前に、バースデーカードを送っておきました。
多くの人々から寄せられたカードを暖炉の上に並べて
酒を飲むのが彼女の特徴です。きっとその中に私のもあるはずです。
高齢ですから、遠くないうちにまた会いたいものだと思いました。
次に英国に行ったら、ヨークシャーの荒野に行ってみないと。
『少女仮面』はこれからも続けていきたいので、嵐が丘のもとに
なった土地を訪れて、さらに磨きをかけたいと思います。
明日の通し稽古に向けてさらに作戦を練ります。
短い芝居ですが、込めたいことは山ほどあります。
2024年7月 3日 Posted in
中野note
↑丸山雄也くんの喜ばしい復帰でした。人形のタカシくんは唐組から
お借りしました。いくつもの『少女仮面』、『ビニールの城』にも出演
してきたベテランです
初めて全編を通しました。
なぜなら、2場のほとんどを一人で演ずる丸山雄也くんが
久々の稽古参加だったからです。
彼は日曜日まで別の舞台に出演していて、
前回の稽古は、公演本番の合間に行っていたのでした。
まずは疲れを抜いてから事にあたって欲しいと、
徐々にアクセルを入れる予定だったのです。
が、1場から2場に入ったら、なんとなく止めるのが
不粋な雰囲気になり、皆で面白がりながらいているうちに
「開眼」の場の最後までいってしまいました。
少し、腹話術師と人形の下克上が起こるところに不具合はあった
けれど、彼の雄也くんのおかげで途切れることなく3場にバトンが
つながり、初めて、私たちの『少女仮面』が姿を現しました。
これまで、20種類ほどの上演を観てきたように思います。
けれど、初めて『少女仮面』を観たような感覚におそわれました。
自分たちで上演するということは、観流のとはぜんぜん違う
体験なのだということがよくわかりました。
最後の方が未完成なので、明日の稽古休みを経て、
明後日に詰めて、2度目の全編通しに向かいます。
2024年7月 2日 Posted in
中野note
↑手前で繰り広げられるせりふの応酬。後ろに控えて耳をそばだてている
彼らの面白さが、実際に上演を目指すとよく分かってきます
今日は初めて3場を通しました。
なんとか最後までいき、手直しし、それからもう一度。
まだつながっていないところ、不具合もありますが、
これで、みんながせりふや段取りを憶えるという苦労から
解放されていくのを見るのは快いものです。
こうして一通り最後までいけば、あとは考えること、
工夫すること、やってみることの繰り返しとなります。
それぞれの登場人物が役者ひとりひとりのことになって
親近感が湧き、合い間にする話も面白くなります。
明日は、1場と3場をやってみるつもりです。
こうして、だんだん全体のなかで部分を見つめるようになるのも
愉しい作業です。今も、音響の細部を整えたりして、
少し良くなる。その少しを溜めて、全体を変えてゆきます。
2024年6月30日 Posted in
中野note
今日は稽古休みにつき、衣裳を探して浅草・アメ横をめぐりました。
やはり、この地域には芸能関係者がたくさんいて、それなりの需要が
常にあるのでしょう。
店員さんの対応も手慣れたもので、資料やコンセプトを伝えると、
スタイリスト的な役割を的確に果たしてくれます。
1930年代にローレンス・オリヴィエが主演した映画『嵐が丘』
の画像を一緒に観ながら、考えてくれました。
下谷万年町は言うまでもなく、喫茶「丘」、不忍池など、
唐さんゆかりの地で溢れています。
浅草に長らくお世話になった私たちにとっても横羽線〜首都高は
通い慣れた道。
頼りになる台東区に支えられて、たくさんの成果を得て
横浜に戻りました。
2024年6月28日 Posted in
中野note
現在のように、シーンを汲み上げていく立ち稽古の時。
『唐版 風の又三郎』まで、稽古場には先に俳優が来ていて、
自分も加わる稽古は3時間くらい。私が去った後にも俳優たちが
復習をして、トータルで5〜6時間という感じでした。
『鐡假面』は久々だったので、ぜんぶ稽古場にいるようにしました。
すると、今度は俳優同士の稽古時間が失われて緊密さが失われ、
これではかえって良くないと思い、ひと足さきに帰るようにしました。
今回の場合も、私は先に帰ります。
特に現在のように3場に差し掛かると、ずっと出番のある椎野が
稽古場に残った方が良いので、それで、先に帰るわけです。
今日は大雨だったので自転車は使えず、歩いて帰りました。
帰りに保育園に寄り、娘をピックアップして、
息子が小学校から帰ってくる前に家に滑り込みます。
少し遅いなと思っていたら、大雨を心配してキッズクラブの先生が
何人かをまとめて送ってくださっていました。頭の下がることです。
俳優同士の稽古を終えた椎野が帰ってくると、
そこからまた自分は仕事を再開します。
という具合に、私たちの『少女仮面』は成り立っています。
2024年6月27日 Posted in
中野note
今日は少人数での稽古でした。
対象になるシーンに関わる出演者が少ないからです。
ちょうど難しいところに来ていますから、時に間を置いて考えたり、
とっかかりを掴んだところだけでも繰り返して消化したり、
人数が少ないだけ落ち着いて稽古できました。
春日野八千代が貝に、自らも人間であること、
老いや衰えを告白して、それでも自分を慕ってくれているかを
確認する場面です。言葉が直接的でないところを一つ一つ消化して、
自然な所作やせりふに消化して思いが出るよう工夫しています。
これまで20本を超える『少女仮面』を観てきましたが、
皆さん、この難しさと対峙してきたのだと思うと、
改めて頭が下がります。雰囲気で処理することは一切するまいと
決めています。唐さんが何をどう考え、感じていたかを知り
体現することに私たちの劇団の醍醐味はあるからです。
昨日に感じた難しさを、今日すでに克服する糸口を掴んだように
思います。3場は難しい。難しい面白さです。
観る人には易しく感じられるよう、ウンウン言いながら稽古しています。
2024年6月26日 Posted in
中野note
↑セットも入り組むために、狭いアクティングエリアを活かし切る
必要もあり、工夫、工夫です。何人かでかかる箇所は協力が必要!
やはり3場の序盤は難しい。ちょっと夢に見そうなくらいです。
1場終盤の春日野と貝のめぐりあいを経て、3場は舞台の稽古に入る
わけですが、最初こそ舞台『嵐が丘』を題材にした練習が上手く
いったものの、それは喫茶肉体にいるパフォーマーの非力から
すぐに行き詰まりを見せます。
土台、喫茶店の外では工事が始まって、あっという間に、
大スター・春日野八千代の舞台稽古はお粗末なものになり、
弱気になった春日野が新人である貝に身の上相談をする様相を
呈します。と、書くのは簡単なのですが、やるのは難しい。
というわけで、これを整理しながら日付が変わっていくそうです。
2024年6月25日 Posted in
中野note
春日野八千代さんというのは、それはそれは大スターであったようです。
白薔薇のプリンス、というニックネームは伊達ではありません。
私たちは現在にあってYouTubeをタダで見ることができますが、
その中には春日野八千代さんが踊りを披露しておられる動画があって、
1992年時点で70代半ばであった春日野さんがかくしゃくとして
踊っている姿を見ることができます。
スラリとして、背筋の伸び方といい、
やはり往年のスターがスターである所以を感じさせます。
現在において、とりわけ私のように唐十郎を追いかける者にとって
「春日野八千代」という存在はとりもなおさず『少女仮面』の
主人公を指すわけですが、本来、これは違うことを
私たちは忘れてはなりません。
唐さんの作品はあくまでパロディであり、
初演時には本家あっての偽物ヒロインだったわけです。
自分は、その感覚をどうにか追いかけたくて、
現在だったら誰に例えられるだろうと考え込んだりします。
・・・天海祐希さんかな、と思いつきました。
ちょうど宝塚の男役だし、美しいし、皆さんから寄せられる
敬意も似ているのではないかと思います。
現在、天海さんは56歳だそうです。『少女仮面』が初演された
1969年当時にオリジナルの春日野さんは54歳でした。
いよいよ例えとしてちょうど良いように思えてきます。
例えば、「天海祐希」という主人公が出てくる新進作家の台本が
あったなら。そう考えてみると、『少女仮面』の設定ににぐっと
実感が湧いてきそうです。
2024年6月22日 Posted in
中野note
今日で1場について大方の段取りをつけました。
まだまだ役者が自分のものにしていくための入り口の段階ですが、
これまで頭の中にあったものをみんなに渡して、少しスッキリすること
ができました。
2場もある程度、先に進行してあるので来週には3場に進みます。
早く最後まで段取りを伝えきり、曖昧なところは具体的な所作や
せりふの言い方に変えて解決をしたいものだと思います。
音楽も、これまでにストックしてきたものを適切に配し、
劇の構造を露わにするよう仕掛けて行きます。
その中で、足りない曲があれば、見つけなさなければなりません。
衣裳についての創作や捜索も進めています。
ひとりひとり定まるとホッとして演技に集中できるようになるので
これも早めに対処していっています。
少ない登場人物、全体の分量なので、
落ち着いて話をしながら稽古を進めています。
2024年6月21日 Posted in
中野note
「伊東塾」というイベントにお呼ばれしてきました。
劇場建築のコンサルタントやホールの指定管理、その他、
劇場に関する様々な事業を展開するTheatre Workshop代表の
伊東正示さんが行っている連続講座です。
講座の中で、私たち唐ゼミ☆も参加した2009年7月のイベントが
紹介されました。「劇空間を再考せよ」というタイトルを掲げ、
三田の建築会館中庭で行った催しです。
私たちはそこで、簡易の青テントをたてて『恋と蒲団』
という唐さんの短編戯曲を上演し、そのまま、当の唐さんを
メインのゲストにしたシンポジウムを行ったのです。
伊東さんの司会、一緒に、室井先生や、新宿梁山泊の美術を
手掛ける建築家の大塚聡さんも登壇し、たのしくおしゃべりしました。
映像を見ながら、あれから15年経ったこと、
今だったら『恋と蒲団』をもっと上手く活かした上演ができると
当時を振り返りながら思いました。
唐さんがテーマにした「匂い」を現在ならもっと上手く嗅ぎ取り
表現に変えられるようになっていると思います。
もういっぺん、あれをやるチャンスはないものか。
今日も同じように「劇空間」について話しながら、
そういう欲が湧いてきました。
忘れかけていた当時のポスターに再会して、記念撮影もしました。
呼んでくださったみなさんに感謝!
2024年6月20日 Posted in
中野note
↑かつてスーパファミコン版もやった記憶があり、もはや古典作品化
している。モーツァルトやシェイクスピアみたい
秋に『ドラクエⅢ』のリメイクが発売になるらしい。
ゲームから遠ざかって20年近くになるが、これは聞き捨てなりません。
自分がロールプレイングゲームをやり始めたのは小学校2年生の
頃でした。それこそ『ドラクエⅢ』。
うちは土日しかファミコンをすることが許されていなかったので、
特に日曜日は早起きをしました。口うるさい親が起きる前、
5時台には起床して小音で挑んでいた覚えがあります。
あの単純な戦闘画面の向こうに、壮大な闘いを造像していました。
音楽も好きで、CDを買ってそれだけ聞いたりもしました。
高校時代に演劇を始めた時、唐さんの『電子城』に出会いました。
ドラクエをモチーフにした台本ということで、親しみを覚えて
手に取りましたが、すぐに弾き飛ばされました。
2004年秋には『カーテン』と改題して『電子城Ⅱ』が上演され、
この頃になるとなんとかついてゆくことができるようになっていました。
唐組初期を賑わせた『電子城』という芝居は、
ドラクエをつくった堀井雄二さんが状況劇場のファンで、
雑誌「ユリイカ」の対談がもとになって着想されたのだそうです。
モンスターを倒すとゴールド(ドラクエ世界のお金)になる。
その経済原理とは何なのか。バブルに浮かれる世相を背景に
唐さんはそんな風に考えたのです。
どうしようかな。『少女仮面』を精いっぱい乗り切って、
秋は久しぶりに少しだけゲーマーに戻ってみようかな。
とも考えています。息子に何か言える感じじゃなくなるリスクも
ありますが。どうしよう?
2024年6月19日 Posted in
中野note
↑豪華キャストによる完売公演ですから、パンフレットを買って帰り、
「こんな公演だったよ」と稽古場で話しました。演者の魅力も
素晴らしいですが、やはりテーマになっている森進一さんが半世紀を
超えてスターであり続けていることの凄みを感じます
何を隠そう、唐さんの書く悪口が好きです。
コンプライアンス全盛の世の中で、いよいよこういった言葉が
慎まれるべき時代ではありますが、罵り言葉にもやはりセンスがあり、
優劣があると自分は思います。
月曜日、新宿梁山泊による大人気公演
『おちょこの傘持つメリー・ポピンズ』を観劇して、
突き刺さる言葉がありました。
「下関の片田舎では、まだ土葬のところが残っています」
・・・実にさりげなくこの言葉が吐かれるのですが、
なんだかジワジワくるせりふで、思わず帰宅後に単行本を引っ張り
出して正確なことばを調べてしまいました。
もちろん、初演された1976年に日本国内はすべて火葬です。
山口県の人、下関の方には申し訳ないと思いつつ、
やっぱりいまだにクスリときて、思い出し笑いしてしまいます。
幼少期、唐さんは台東区民でした。
山の手の文京区民にはコンプレックスを感じ、
墨田区民には優越意識を持つ、その墨田区民は足立区民を、
足立区民は埼玉・千葉県人を・・・という具合に、
心情的な連鎖は続いていくわけです。
あんまり良いことではないですが、これも人間の業。
わかっちゃいるけどやめられない。
こういうものも土壌にして唐さんの世界は成り立っています。
2024年6月15日 Posted in
中野note
↑佐藤信演出、結城座の公演は1981年1だったようです
今日は全体の稽古は休みでしたが、
谷洋介さんが夕方に稽古場にやってきてタップの練習に明け暮れました。
また、倉品淳子さんと繋い口がその後に合流し、名高き劇中歌
『時はゆくゆく』を繰り返し繰り返し歌いながら、少しずつ解釈と
動きを盛り込んでゆく作業をしました。
こういうことは反復練習が必要ですし、
タップも、大声で歌って初めてほんとうの練習になる劇中歌も、
どうしても稽古場を必要とします。
全体の稽古が休みの日にこういうことに時間をかけて、
リラックスして取り組むことができるのはなかなか幸せなことです。
これは1ヶ月単位で借りることのできた稽古場、
急な坂スタジオの効能です。歩いて麓から登ってくるのは大変ですが、
それだけの効果があります。
一方、7月中旬、劇場入り前の直前には若葉町ウォーフで
仕上げを行います。昨日はそのための打合せに行きました。
ウォーフで佐藤信さんと話していると、現在の芝居づくりに様々な
ヒントを得ることがあります。まして信さんは『少女仮面』経験者。
1981年に信さんがあやつり人形の結城座で演出した舞台は、
初演の早稲田小劇場と並ぶ成功上演だったと、唐さんから伺った
ことがありました。
昨日も、これまでの自分の創作に抜けていた大事な視点に気づきました。
こういうヒントがありますので、やはりウォーフには単なる空間を超えて
信さんという人格を帯びているというスペシャリティがあります。
佐藤信さんが初めて唐さんに会ったのは、信さんが10歳、
唐さんが中学2年の頃、お互いに児童劇団員としての初対面だった
そうです。成長して紅と黒のテントを背負うようになったふたり。
その関係の効能に助けられています。
2024年6月14日 Posted in
中野note
↑短い芝居なので、あっという間に1場の終わりです
キャスト合流がこれからで、代役を立てながらでもありますので
油断はできませんが
昨日に受けたタップダンス指導を経て、
今日からメインの稽古の前後にタップ練習の音が響くようになりました。
カタカタカタカタカタ。
これはもう反復練習なので、時には音響をリピートして踊ってもらい、
周囲もその練習をニヤニヤしながら眺めたりします。
そう。要するに芝居の中身がリンクするわけです。
なにせ、この『少女仮面』の設定は喫茶店。
そこに就職したボーイふたりが、コーヒー入りのカップを乗せたお盆を
歌って踊りながら運ばされる、有無を言わさずそれを強要されている
という状況だからです。
谷洋介さんと小島ことりさんという二人の俳優が同じ目に
遭っています。『少女仮面』に出ることが決まり、キャスティング
されてみたら、有無を言わさず、経験も関係なく、タップ練習に突入。
稽古場にストイックな雰囲気が漂い始めました。
メインの練習では、1場の終わりを稽古しました。
少女・貝と老婆がボーイ主任に煙たがられながらも喫茶店に居座り、
その甲斐あって、春日野八千代に遭遇するシーンです。
主任と貝の会話劇、せりふのやり取りにより交わされる闘いを
細かく成立させながら、途中で登場する水道飲みの男がどう
それまでの言葉に関連するのかも追いかけていきます。
椎野が7年ぶりに稽古場にいて、ト書きに指定された搭乗を
実現するために歩く練習をしてもいます。
そういう稽古場です。
2024年6月13日 Posted in
中野note
『少女仮面』にはいくつか芸能の技術を必要する台本です。。
ひとつは腹話術、ひとつはタップダンス。他にも宝塚的だったり、
明らかに能を意識したシーンもあります。
幼少期に浅草で馴染んだのか、唐さんはタップダンスが好きで、
80年代には『あるタップダンサーの物語』という芝居まで書いています。
これを見たある人は、今は新宿梁山泊の主宰になった金守珍さんが
ヤカンの上でタップを踊って見事だったと教えてくれました。
ヤカンの上でタップ・・・
ほんとうにそんなことができるのか?
しかし、金さんならやってしまいそうな気がします。
肝心の唐ゼミ☆の話に戻します。
そういうわけで、今日はタップダンサーの米澤一平さんをお迎えし、
ボーイを演じる小島ことりさんと谷洋介さんが初めての
タップダンスに挑戦しました。
基礎からみっちり仕込まれて5時間。
一平さんの説明はとてもとても明快でわかりやすく、
まだ板につかないなりに振付まで仕込んでもらいました。
登場シーンのちょっとしたステップまで含めて、抜かりありません。
これから延々1ヶ月ちょっと、
二人は稽古の合間にこれに没頭するはずです。
もう一人、今は『鋼の錬金術師』に出演している丸山雄也くんは
その裏でコツコツと腹話術を学んでいます。これまで見てきた
幾多の『少女仮面』が同じ苦労を経たものであると実感して
まことに頭が下がる午後でした。米澤一平さんに感謝!
2024年6月12日 Posted in
中野note
↑終演後に写真を撮ってもらいました。
荒谷清水さん(左)と重村大介くん(右)という新旧の魚主です
先週末は、唐組『泥人魚』の東京公演千秋楽でした。
この週末が私たち唐ゼミ☆メンバーにとって重要だったのは、
元劇団員の重村大介くんが最後の4日間に限り重要な役柄を
務めたからです。
『泥人魚』には終盤に畳み掛けるように登場する大物ふたりがいて、
いずれもが主人公たちの故郷からやってくる漁業関係者という
設定です。一人目は船長の魚魚(うおにし)、二人目、最後に
登場するのは眼(ガン)さん。
それまで眼(ガン)さんを演じていた南河内万歳一座の内藤裕敬さん
が劇団公演により離脱したので、もともと魚西を務めていた
荒谷清水さんが眼(ガン)さんに、清水さんが抜けた魚魚の役を
重村くんが戴きました。
初めてこの計画を聞いたときには、天を仰ぎました。
魚魚といえば、かつて辻孝彦さんが初演で演じた大役です。
それを、重村が演じる。劇団メンバーは一様に緊張し、
そして、必ず立ち会わなければと思ったのです。
結果的にちゃんと務めていて安心しました。
もっと余裕を持てれば良いには違いありませんが、
ちゃんとせりふを置いて、なんとか成立させようと必死である
ことが伝わってきました。ああ、大きな声を出すときに目を
つぶらずに言えれば良いのに。そうも思いましたが、
気弱なアル中という設定にも助けられて、なかなか良い味を
出していました。良かった。そして、やれやれです。
2024年6月11日 Posted in
中野note
今日から立ち稽古でした。
桜木町と日の出町の近く、急な坂スタジオで初めて稽古し始めました。
滑り出しは、老婆と貝の冒頭シーン。
次に、ボーイたち、水道飲みの男らが登場する場面。
腹話術師役の丸山雄也くんが現在は舞台『鋼の錬金術師』出演中なので
腹話術師の場面は飛ばして進行します。
他にも、別の劇に出演していたメンバーもいるので、
本読みのフォローを入れ、場合によっては補習の時間も設けながら、
休みを使って入れていきます。唐さんの劇はここを怠ると、
ちんぷんかんぷんのまま強引にせりふを言わせることになって、
俳優に負担をかけてしまいます。やはり事前の理解が大切です。
また、事前の準備といえば、音楽をたくさん用意して立ち稽古に
臨んでいます。劇でどんな音楽を使うのかは、全体に大変大きな
ウェイトを占めます。『少女仮面』にはもともと、唐さんが指定した
メリー・ホプキンの『悲しき天使』が絶大に良い味を出しており、
これがこの劇のクオリティ保証に大きく貢献しています。
ただ一方、この曲がかなりインパクトがあり、かつ何度も劇中に
かかるために、さまざまな上演の印象が画一的になることも
事実です。唐さんの選曲力を借りながらも、これをどこまで
バリエーションさせられるかというのが、現場の腕の見せどころです。
そういうわけで、日曜は久々に大量にCDを買い込んで音楽三昧
しました。ちょうど渋谷のタワーレコードに行ったところ、
好きなジャンルが丸ごとクリアランスで売っているのを発見して
狂喜しました。最近はネットで音源を買うことが増えましたが、
初期にしていたように、CDの中に未知の曲との出会いを求めるのも
楽しいものです。そこで揃えた粒揃いの曲をストックしながら、
稽古場で展開するシーンやせりふに宛てていきます。
まずは順調に滑り出しています。
2024年6月 8日 Posted in
中野note
↑早津さん自身は風の商人・伝説の樫村少尉・宮沢先生を演じました!
今日は『少女仮面』のチケット発売日でした。
午前10時よりたくさんの方にご連絡をいただき、
応援の会話とともに受付をしました。今回はいつものテントと違い、
劇場での公演です。(恵比寿のエコー劇場)
ですから、テントと違い、"満員"がはっきりとある。
テントだと集客状況に合わせての拡張ができ融通無碍なのですが
(もちろん限度はありますが)、劇場ではそうもいきませんので、
正確を期してお迎えしたいと思っています。
上演時間は90分前後の想定で、休憩はありません。
『少女仮面』は唐十郎作品の中でも屈指の凝縮度を誇る劇ですから
コンパクトで見やすく、内容充実でおもしろい公演を目指して
企画しました。体調的にテントはハードルが高く、それでいて
唐作品がどんなものか興味のある人に観ていただけたら冥利です。
さて、特に午前中はチケット発売開始に対応しながら、
午後から新潟にやってきました。唐ゼミ☆の恩人の一人である
新潟の早津博美さんが、有志の皆さんを集めて『唐版 風の又三郎』を
上演したからです。
信濃川沿いにある劇場りゅーとぴあの庭園にテント劇場を設え、
公演する企画です。同じプロジェクトは三年前にも行われ、
その時の演目『少女仮面』を自分は観ることができませんでした。
当時、メンバーだった禿恵に代理で行ってもらったところ、
たいそう感激して帰ってきた。それで、今回はなんとしてもと思い
繰り出しました。
20〜73歳のキャスト、経験問わないメンバー19人による上演でした。
公演を支えるスタッフも多く、早津さんの絶大な人徳を感じます。
一年もの時間をかけて稽古を積み上げてきたそうですが、
それだけの内容でした。俳優のからだとせりふを前面に押し出して
台本の中身を重んじ、セットも最小限で済むよう工夫されていました。
出演する人が活躍できるよう、時には危険な仕掛けが丁寧に除かれており、
それでいて物語を伝える。唐十郎作品への愛着と、芝居やテント演劇を通じて
多くの人と繋がっていこうという早津さんの信念を体現した3時間でした。
単に良い芝居をつくれば良い、というのではなくて、
早津さんには、この新潟で、こういう人たちと出会い、芝居をつくって
みたい、という信念があるのです。実際に新たな出会いもあったそうです。
初めは、やはりいつもの仲間が中心になるかも知れないけれど、
そのうちに、ひとりふたり、新たな出会いがあってそれを膨らませてゆく、
そういう志と展望を強く感じました。
終演後の交流会で、出演された皆さんと劇についてお話しするのも
たのしかった。何か一緒にできたら。自分も役に立てたら。
それから、もう一度、自分もまた『唐版 風の又三郎』をやってみたい。
そう思わずにはいられない夜でした。
明日の午後には、横浜に戻ります。
2024年6月 7日 Posted in
中野note
明日は10:00から『少女仮面』のチケット発売を開始します。
今回も早割をやりまして、6/23(日)までに申し込んで頂くと
割引料金で買うことができます。早めの申し込みを宜しくお願いします!
劇団唐ゼミ☆第32回公演
『少女仮面』
作:唐十郎 演出:中野敦之
http://karazemi.com/perform/cat24/20247.html
【日程】
7月
25日(木)18:30
26日(金)18:30
27日(土)14:00/18:30
28日(日)14:00
【会場】
恵比寿・エコー劇場
JR恵比寿駅西口 徒歩5分
東京メトロ日比谷線恵比寿駅 1、2番出口 徒歩5分
【料金】
早割4,000円(事前振込)
※6/23までの限定販売!
当日精算4,500円
当日5,000円
子ども1,000円(当日精算)
※中学生まで
※受付開始は開演1時間前、開場は開演の30分前。
※ 全席自由。チケットに記載されている番号順でのご入場となります。
(チケット番号は開場時間を過ぎると無効です)
※ 未就学児のご入場はご遠慮いただいております。
【出演】
椎野裕美子、津内口淑香、米澤剛志
赤松玲音、かくたなみ、小島ことり、谷洋介、丸山雄也、三木香
倉品淳子、丸山正吾
【チケット予約】
<6月8日(土)10時開始>
チケット予約ページ
https://ticket.corich.jp/apply/318116/
劇団唐ゼミ☆
080-7602-9727(10時〜18時)
※ご予約は前日の18時まで。
《早割チケットのお求め方法》
「早割チケット」は「事前振込」のみの販売になります。
下記ご購入方法および注意事項を必ずご確認の上、ご購入ください。
1,ご観劇日時が決まりましたら、お電話、お申し込みフォームのいずれかでご予約ください。
2,お申し込み完了後3日以内を目安に、チケット代金を所定の口座にお振込ください。
<お振込先>
ゆうちょ銀行
〇ニ八(ゼロ二ハチ)支店
普通 7420793
(記号10210ー74207931)
※振込み名義はご予約者様と同じお名前でお願いします。
※恐れ入りますが振込手数料はお客様のご負担となります。
※ご入金後のキャンセル・未観劇によるご返金はできませんのでご了承ください。
※観劇日時のご変更は、可能な限り対応させていただきます。ただし、ご予約日前日までに限ります。
2024年6月 6日 Posted in
中野note
↑私たちが2019年にも上演した『続ジョン・シルバー』は『少女仮面』の
前年に書かれており、喫茶店・ボーイ主任・少女といった設定が見事に
重なっていることも、今回の上演に活かしたいところです
今日で本読みを終えました。
終盤の約30ページを3時間半かけて読みました。
昨日も書いたように、第三場の中間部は難所で、
今までに観てきた多くの『少女仮面』上演を、
自分が何となくやり過ごして観劇してきたことに気付かされました。
そして、こういう箇所と甘く入らずに向き合い、完全に得心するまで
読み切るところに自分たちで上演する意味があります。
よく向き合って、手応えを得ました。
考えてみれば「今までに観てきた多くの『少女仮面』」という
思案の仕方自体が新鮮です。もう何パターン観たのか忘れてしまうほど
観てきました。そういう台本は初めてです。
『少女仮面』のエンディングは台本そのままにすると
かなりアイロニカルな終幕を迎えますが、それを、
唐さんの意志を汲み取りながらどう描くかというところにも
上演の肝があります。今日はずっと考えてきたアイディアを
皆に聞いてもらって、なぜそうなるのかを説明しつつ反応を
探りました。皆がどう感じるかの向こうに、観客の反応もあります。
劇中歌の伴奏づくりや、タップダンスを稽古するための準備も
進んでいます。来週から、桜木町近くの急な坂スタジオに場所を
移して、立ち稽古をはじめます。
2024年6月 5日 Posted in
中野note
『少女仮面』の本読み中。
今日は二日目で、あと一回行ったら来週から立ち稽古に進む。
そのために目下、三場と睨み合っている。
『少女仮面』は難解で知られる唐さんにしては、
もっともとっつきやすく、そのためか上演頻度の高い作品です。
他にも、上演時間の短さや座組を小さく収められるのも
人気の原因と思われますが、やっぱりわかりやすい。
けれども、三場の中盤以降はかなり難しく感じます。
特に少女と春日野八千代が二人きりになってからは、
春日野の心情吐白がどうのようにして起こり、
ウソのヴェールを一枚一枚ぬいでいく過程を克明に捉えて描きたい。
そう思ってやっています。
この部分を知ったかぶりして飛ばしてしまっては上演の意味なく、
自分が初めて全てを解き明かすのだ、という目標を掲げて
臨んでいます。それには、わからなさに素直に、厳しくあることです。
ちょっとでも不自然だと思ったら、足を止めてその不自然さと
向き合い、せりふの切り方や受け答えに間違いはないか、
一人のせりふの間にも、物言わぬ駆け引きがあるのではないかと思案し、
とにかく受け応えが無理せず自然体になる方法を探ります。
そのために、牛歩の歩みを以って細部に向き合うことが肝心。
明日は後半25ページのために4時間を費やそうと考えています。
2024年6月 4日 Posted in
中野note
↑講談社文庫より『満州裏史』
6月に入り、唐ゼミ☆の拠点であるハンディラボでの集合を開始しました。
昨日は本読み、今日は美術の打ち合わせの作業。
チラシ作りも進み、全体を押し上げています。
その合い間に、甘粕正彦大尉についての評伝を読んでいます。
これがなかなか読ませる。60年安保、昭和の妖怪として有名な
岸信介元首相と甘粕大尉が立ち回った戦前・戦中の満州の様子を
知るについて、唐さんが多くの作品で"憧れと冒険の地"として
彼の地を描いた理由がわかってきました。
もちろん、『少女仮面』に出てくる甘粕大尉と実在の人物には
多くの違いがありますが、それにしても、何を真似ようと
していたのかがよくわかり、参考になります。
車の中で聴く音楽も劇中の使用曲や劇中歌の伴奏となり、
こうして、徐々に日常が『少女仮面』に染め上げられつつあります。
2024年6月 1日 Posted in
中野note
県民ホールの部屋の隅に積み上げてあった箱を開いたら、
ロンドンに行く前に見つけた雑誌のコピーがありました。
そのページだけを印刷したために、これがどんな雑誌の何年何月号だか
すぐにはわかりませんが、調べてみたら「演劇ぶっく1993年6月号」で、
唐さんが『桃太郎の母』を初演していた頃のようです。
唐さんはこの中で50の質問に答えるQ&Aをしていて、
久々に読んでいるうちにいくつか愉しいものがありました。
Q5:健康のためになにかしていますか
つまんないテレビドラマを見ながらボーッとしていること
Q22:小さいころになりたかったもの
医者
Q23:得意だった科目
物理
Q41:実体験を書いたことは
新聞の三面記事を応用することはあるけど、実体験はありません。
全部ウソです。
Q44:書くのが好きなシーンは?
場違いな独白
Q45:アドリブをどう思うか?
座長しか許しません。
・・・などなど。
いいなあ。唐さんは生きているなあ。
しかし「全部ウソです」って!
自分はむしろ、唐さんは唐さんにとってホントのことばっかり
書いてきたと思っています。
2024年5月31日 Posted in
中野note
↑『少女仮面』3場のヒントがここに。つげさんもまた、
唐さんに影響を与えたひとりです
今日はひとつ原稿の締め切りがあって、
午前中のうちにこれを提出することができました。
ここ2ヶ月くらい、どうしようかといつも案じていた作業だったので、
ずいぶん心持ちがすっきりしました。
オーダーを受けたのは1月で、
瞬間に箱書きは考えてメモしてあったのですが、
ひたひたと締め切りが迫りながら、まずは『鐵假面』が終わってから
と考えてあっという間に4月。
それからは『少女仮面』の準備を急いでやって、
5月に入った時にはいよいよ締め切りの月だと覚悟を決めました。
あんまり追い込まれるのも嫌だし、
『少女仮面』の本読みがスタートするまでに心を軽くして
おきたかったので、GWに入った瞬間着手して書き始めましたが、
そこからまた、唐さんの訃報に接して吹き飛んでしまいました。
それで、ギリギリの提出になったのです。提出してみれば、
イベントの台本を書くのは愉しい作業ですし充実しました。
内容は、親しくしている劇場のバックステージツアーの台本
です。夏休みに公開。上手く気に入ってもらえて、
何年もご愛顧いただくことを願ってメール送信しました。
5月末と同時にひとつ重荷をおろして、いっそう『少女仮面』への
視界が開けました。明日は、ホームページでの情報公開です。
『少女仮面』『少女仮面』しょうじょかめん・・・・
2024年5月30日 Posted in
中野note
↑別冊新評『鈴木忠志の世界』
最近、演劇界の先輩に連れられて夜にとんかつ屋に行きました。
横浜の関内周辺はとんかつ激戦区で、そのなかでも人気のお店です。
先輩は美味い美味いと言ってとんかつを食べ、私にご馳走してくれ、
勢いづいてお弁当をふたつ注文してくれました。
私の家族に、ということなのだそうです。
が、この時点で夜8時。帰宅は22時頃の予定です。
ということは、すでに家族は夕食を終えているわけで、
この二つの豪華お弁当は翌朝に持ち越されました。
朝からとんかつ弁当!
このことで思い出すのは、鈴木忠志さんのことです。
私は鈴木さんとお話ししたことはありませんが、
本や関連資料だけなら学生時代からうんと読んできました。
そのなかで印象深かったのは、
新評社の『鈴木忠志の世界』のなかで、当時のプリマだった
白石佳代子さんが鈴木忠志さんに寄せた文章の中に
「忠さんは朝から牛肉やとんかつをぺろりと食べる人」
という一文があったことです。
こういった人格をもとにして、ボーイ主任は書かれているわけです。
かくいう自分も、朝からとんかつは平気でイケるクチです。。
2024年5月29日 Posted in
中野note
↑このなんでもない道路には、思い出がいっぱい
今日、用事があって唐組の事務所に伺いました。
コロナ以来、自分が1年海外に行っていたこともあって
久々にお邪魔しましたが、ネットに記された住所を頼りに到着して
驚きました。下井草・・・・
そう。唐組は2004年以来、唐十郎アトリエを拠点にしていましたが、
2021年にここに引っ越したのです。そしてそれは、1999年、
私が大学入学寺に初めて伺った唐組事務所とまったく同じ建物、
同じ部屋でした。
久々に訪問して、初めて事務所での飲み会にお呼ばれした緊張や、
午後3時から10時頃まで続く長い長い宴会が終わった時の安堵感。
2002年に、私たちの『ジョン・シルバー』の配役を決するために、
この事務所に皆でお邪魔してオーディションをしたことまで
記憶が蘇ってきました。
上の写真の道路に寝そべり、酔っ払った唐さんにプロレス技を
かけられたこともあります。西武新宿線・JR・東横・相鉄。
乗り継いで帰った日々を思い出します。
2024年5月28日 Posted in
中野note
↑今よりも地味だった池袋西口公園
いまだ5月末なので"初夏"というには早いけれど、
気候的には夏はもう目前、という日々を過ごしています。
何しろ、毎日が暑くて暑くて。
今日はあらし。台風1号の影響らしいのですが、
夕方に都内まで行き、帰りの首都高速は法定速度で
ゆっくりゆっくり帰ってきました。
初夏のあらしで思い出すのは、
初めて『鐵假面』を上演した2007年のことです。
あの時、7月に池袋西口公園に青テントを張った私たちを
同じように初夏の台風が襲いました。
確か公演2日目か3日目のお昼に再接近したあらしでしたが、
幸いにも直撃は避け、私たちは胸を撫で下ろしたのです。
が、開演時間よりはるかに早い16:00頃に唐さんはやってきました。
長靴を履いて、"中野、大丈夫か?"と言いながら駅から近づいてきた
唐さんは、明らかに台風のほとぼりがさめて残念そうでした。
あの日は公演を観にくる日ではなかったのに、
唐さんは台風との闘いはこうしてするのだと、
まだ駆け出しだった私たちに示したくて乗り込んできたのです。
せっかく来たのだからと喫茶店にいき、
それからもちろん、芝居を観ていかれました。
あの、ウキウキと近づいてきた唐さん、
私は台風をやり過ごしてゆるんだ頭のネジを巻き直したものです。
2024年5月24日 Posted in
中野note
↑こういう銭湯の風景のなかにヒントがあります
今朝は東京駅近くの喫茶店で美術打ち合わせをしました。
舞台美術家の中根聡子さんと仕事させていただくのは初めてですが、
とてもありがたいアイディアをいただいています。
前回に行った初回の打ち合わせを受けて作ってもらったデザインを
間に置いてお話ししながら、『少女仮面』もまた、初期の唐さんの
作品らしく、『ジョン・シルバー』の残響のなかにあることが
見えてきました。
『ジョン・シルバー』の世界とは、お風呂屋さんの世界です。
唐さんのお母さんの実家は台東区でお風呂屋さんを
三軒経営していたといいます。当時の家庭には家風呂が
ありませんから、お風呂屋はインフラです。
当時のお風呂屋さんは、現在と比べてはるかに地域の名士で
あったと想像します。きっと唐さんのお母さんは、
ちょっとしたお嬢様だったかもしれません。
水道、山の絵画、お風呂。
とくれば、あとは欲しいものが一つありますので、
中根さんにそれをお願いしました。
私たちが追いかけてきた60年代唐十郎を、目の前の美術にも
託すべく工夫を重ねてします!
2024年5月23日 Posted in
中野note
↑そろそろ二人の男性キャストにタップシューズも買わなければ!
今日は『少女仮面』公演本読みの2回目でした。
劇団メンバーに加えて、赤松怜音さん、三木香さん、
唐ゼミ☆初参加の小島ことりさん、倉品淳子さんも入って
1場・2場・3場の途中まで読むことができました。
この役をやるんだ、と決まっている人が参加していると
それだけ本腰を入れて立ち稽古に備えてもらうつもりで
内容を渡していくことになり、力が入ります。
読みながら、考える材料を受け取ってもらう感じです。
多くの上演でドSなだけだった「ボーイ主任」の弱点を発見したり、
彼の指に結ばれた包帯の謎を解こうと思います。
また、今日は3場にも進みましたが、
子守唄からボーイたちがタップを踏みながら歌う『あの人にあったら』
という流れがいかに喜劇的であるかも実践したい。
今までに幾多の上演を観て因果関係がよく分からなかったところが
実に自然につながっていく上演を目指しています。
初演の演出家である鈴木忠志さんに想を得て書かれたところは
実際に鈴木さんを知る人の話を聴いて納得したりしています。
愉しい稽古です。あっという間に4時間が過ぎます。
2024年5月22日 Posted in
中野note
↑このさりげない書影にも、大上段でなく軽く読める魅力が表れています
唐さんが書く平易な文章に打たれることがあります。
現在は『少女仮面』に本腰入れて取り組みはじめてまだ数日なので
別の物語は読みにくくなっています。小説などを読むより、
頭の中を『少女仮面』に支配されたいからです。
そういう時にも、エッセイなどは簡単に読めて愉しめます。
現在は、『風の毒舌』を文庫で読んでいます。
通常は、少し肩に力の入った難解な文章を書かれることの多い
唐さんが、ここでは、実に読みやすいコラム風の短文を書かれています。
一節一節も短い。文庫にして2ページずつとか、そんな按配で、
疲れていてもサッと読んで頭の中に入ってきます。
あの唐さんが、こういう平易な文を書かれるととりわけ新鮮です。
他にも、初めて出した単行本『腰巻お仙』のあとがき。
それから、エージー出版から出した『水の廊下』。
あれは文章というよりインタビューですが、
内容もかなり大事ですし、スタイルが読みやすくて秀逸です。
『風に毒舌』と並んで、ぜひお勧めします。
2024年5月20日 Posted in
中野note
↑仮チラシのカラー版です!
今日は『少女仮面』の本読み初日でした。
なんだか興奮してしまって、本読み後にさまざまな案件が生じたけれど、
どれにも臆せず立ち向かうことができました。
唐さんが亡くなってかなりしょぼくれていましたが、
また躁状態が始まって、ガツガツと生きていくことができそうです。
これまで上演してきた多くの唐十郎作品に比べて、
シンプルに研ぎ澄まされたせりふとト書きが押収します。
無駄やくだらなさも好きですが、こんな風に結晶のような芝居に
対してはそのまま身を任せるに限ります。
これまでにあった幾多の上演を思い出しながら、
オレはこうやる、というのを蓄積させてきました。
唐さんの意図だけでなく、唐さんの無意識にも活かした上演をして
決定版をつくるつもりです。
力が入るあまり、昨日の本読みWSレポートは明日にします!
2024年5月17日 Posted in
中野note
できる限り唐さんに関するものを集めてきましたが、
もちろん全てを持っているわけではありません。
特に状況劇場のポスターの類などは貴重品です。。
一点、結婚した時にお祝いで『腰巻お仙 義理人情いろはにほへと篇』
沖縄公演のポスターを頂いたので、それだけは大事に持っています。
そんななか、今日、お世話になっているご近所さんに、
所持していなかった逸品を頂きました。
『四角いジャングルで唄う』のLP。
自分の家にレコードを再生する機器はないし、
2021年にライナーノートを書かせてもらって復刊したCDがあるので
内容自体はパソコンやケータイにだって入っているのだけど、
これは嬉しい。やっぱりレコードにはモノとしてのオーラがあります。
さっそく、本棚に飾ることにしました。
大事に保管して、いつか針を落とすことを目標にします。
2024年5月15日 Posted in
中野note
↑このなかで唐さんが楽しく唄っています
『少女仮面』の劇中歌について考えています。
その中でどうも謎めいているのは、
喫茶《肉体》のボーイたちがタップダンスしながら歌う
『あの人にあったら』。
〽あの人にあったら、
そっと云ってほしいの
〝乙女の花が枯れたって
月経帯に千代紙はったって
女が一人うたってたって〟
でも、あのひとはもう来ない、
きっと来やしないのよ
だって、あたしゃ皆既日蝕〽
適齢期の女性にとってかなりキツい歌です。
閉経したのに好きな男に振り向いて欲しくて、
千代紙を貼って生理に見立てるなんて。
なかなか淋しい歌なのです。
問題はふたつあり。
①なぜか楽しげなメロディがついて嬉々として歌う例が多い
②初老の女性をオーナーに頂く店の店員たちがなぜこんな歌を
①はひとえに『四角いジャングルで唄う』で唐さんが
ものすごく楽しげに歌ったことに原因があると思います。
作者が歌うやり方を思わず正当と思い込みがちですが
しかしあれは、あくまでリサイタルですからね。
②の答えは稽古を通じて解決します。
実はもう、こうではないか、というアイディアを思いつきましたが、
稽古しながら検証するつもりです。
という具合に、唐さんが亡くなったショックで
止まっていた時間を動かそうと思います!
2024年5月14日 Posted in
中野note
唐さんの告別式が終わりました。
お通夜は雨が降りどおしでしたが、今日は爽やかに晴れました。
実に多くの人たちが集まりました。
普段はそれぞれの美学を持ってものをつくり続けている人ばかり、
時には凌ぎを削ることもありますが、誰もが唐さんを好きで、
その影響力や吸引力に惹かれて集まったのです。
唐さんを中心にできた大きな輪でした。
普段は絶対に冠婚葬祭には参加しないと宣言してきた方までもが
出席されているのには胸がつまりましたが、それもまた、
唐十郎という存在の大きさです。
2012年5月に倒れられるまでに唐さんの生活圏にいて、
親しく接していた皆さんにも久々に再会できました。
10年以上が経ってもすぐにお互いがそれとわかって、
嬉しく挨拶することができました。
それぞれのタイミングで散会となりました。
『ジョン・シルバーの唄』がかかった出棺後、火葬後・・・
仕事に向かう人、連れ立って飲みに行く人、さまざまでしたが、
自分は椎野と横浜に帰って子どもたちと合流し、
お世話になった喪服をクリーニングに出したり、食事や掃除をして、
特に写真立てを飾る棚をキレイにして、明日に備えました。
整理はつきませんが、多くの人と接した際に、
自分の知らなかった唐さんのエピソードがあちこちで
噴出したのが面白く、これからの目標を感じます。
これまでへの感謝と、唐十郎に関わることを一つでも多くかき集め、
芝居でも表現したいという衝動が湧き上がってきます。
2024年5月13日 Posted in
中野note
↑2011.11.4に行った「21世紀リサイタル」冒頭の唐十郎の肉態!
今日は唐さんのお通夜でした。
こうなると、さすがに唐十郎の強靭な生命力を信じてきた自分も、
まもなくその肉体とのお別れが迫っているのを実感せざるを得ません。
人間のバカバカしさと美しさを惜しげもなく見せつけて、
私を沸かせ、憧れさせてきた唐さんのからだ。
と、同時に、行き帰りの駅のホームでも、
唐さんがかつて熱弁振るっていた教えを思い出します。
曰く。
電車を待つ時は線路ぎわに立ってはならない。
そして、いつなんどきおかしな奴に背中を押されても
線路に落とされることがないよう、両足をひろげて踏ん張って
立っていなければならない。
用心深く細心な唐さん。それでいて、酔って電車に乗り、
大事なお弁当箱を置き去りにしていたのを思い出します。
今日は特に、両足をひろげて踏ん張って立ちます。
2024年5月12日 Posted in
中野note
↑映画化された『暗い日曜日』
1日を終えて都内から戻ろうとしたのが22:00手前。
そこから横浜まで帰るのに通常は40分ほどというところです。
ところが、先ほどまで混みに混み、羽田空港周辺の
数キロを進むのに1時間以上かかりました。
痛ましい事故が連続した結果でした。
こんな日もある、と覚悟を決めてからは、
これはもうどうしようもないと腹を括って音楽を聴き始めました。
昨日出たばかりの Jordi Savall の The Four Seasons。
誰もが知る曲を巨匠が初めて録音する意味をまざまざと
感じさせられました。
それから『暗い日曜日』。
『少女仮面』のなかに指定のある曲のひとつですが、
聴いたのはオリジナルのDamiaが歌うものではなく、
この曲をテーマに作られた映画のサウンドトラックでした。
目当ては『暗い日曜日』の様々なアレンジを発見することでしたが、
期せずして、2004年秋に唐組が上演した『眠オルゴール』の
エンディングで響いていた曲が流れ始めて懐かしくなりました。
初日、台風に襲われた西新宿の原っぱで、唐さんが開演あいさつに
立って「眠れ、オルゴール!」と叫んだのをと思い出しました。
あまりの気迫に周りはみんな震えました。
が、あとからよく考えてみると、あの芝居は人を眠らせるオルゴールが
主題であって、肝心のオルゴールが眠っちゃいけないよな、と思った
ものです。あまりの本気が後から可笑しみを帯びてくる、
「唐さんておもしろいなあ」と周囲と言い合ったものです。
2024年5月10日 Posted in
中野note
これは確か、2004年にペーター・ゲスナーさんが代表を務める
うづめ劇場が『夜壺(唐組が2000年春に初演)』を上演した時の
写真です。公演終了後の宴会の風景。ヒロインの歌う劇中歌
『アンクレットの唄』が素晴らしくて、2回観に行ったを憶えています。
室井先生もいます。
唐さんが亡くなってから1週間が経とうとしています。
この間、いろいろな人がいろいろな投稿を行っていて、
それぞれに出会ってきた唐さん、それぞれの人が体験してきた
世界があるものだと感じ入っています。
SNSの世界がありがたく感じられます。
自分が写っているもの、貴重な資料はこっそりダウンロードさせて
もらい、今後に活かしていきます。たくさんの新聞を読みながら、
唐さんの大きさを実感する日々。新しく分かったことも沢山あります。
貴重な資料、情報です。
2024年5月 9日 Posted in
中野note
↑このなかに『化粧論』アリ!
昨日に投稿した、ふたつの唐さんのエッセイについての探索依頼。
さっそくに情報が寄せられました。
『化粧論』が『日本列島南下運動の黙示録』に掲載されているとのこと。
唐十郎といえば新宿花園神社での紅テント興行ですが。
初期においてこの会場での活動期間は長くありません。
1967年に『月笛お仙=(腰巻お仙 義理人情いろはにほへと篇)』で
初めての紅テント公演を行い、その後は『アリババ』『由比正雪』を
上演しますが、すぐに新宿という街全体の風紀取り締まりの
機運が高まり、花園さんでの公演ができなくなってしまう。
その結果起きたのが、『腰巻お仙 振袖火事の巻』を機動隊に
囲まれながら強行上演する、いわゆる新宿西口中央公園事件です。
そして、『腰巻お仙 義理人情いろはにほへと篇』を持って沖縄まで旅し、
今度は北上しながら『腰巻お仙 振袖火事の巻』を公演しながら
東京に戻る巡業へとつながっていきます。
それらの様子を収めたエッセイ集の中に、
私の探す『化粧論』があるということがわかりました。
情報を寄せてくださったSさん、ありがとうございます!
これでまたひとつ、唐さんと劇を理解することができます!
残るは、『按配師に会うまで』です。
2024年5月 8日 Posted in
中野note
↑1970年3月に出版
唐さんが1970年頃に書いたエッセイ2編を探しています。
『按配士に会うまで』『化粧論』のふたつです。
どうやら『少女仮面』につながる内容が込めれれているらしい。
気になります。気になって1970年前後に出版された単行本を
引っ張り出して見てみましたが、どうにも見つからず。
心当たりのある方は、どこに掲載されているか教えてください。
かつて読んだような記憶があるのですが、判然とせず。
よろしくお願いします!
2024年5月 7日 Posted in
中野note
↑このレコードをヘビー・ローテーションしながら書かれたそうです
今日は『少女仮面』の美術打合せをすることができました。
それから、劇中歌の検討をし、伴奏をつくるための依頼を出しました。
公演当日に助っ人に来てもらう受付係をお願いし、
まだ埋まっていない役柄をイメージしながら出演交渉をしました。
こういう具合に、一歩、一歩です。
稽古に備えて、音響で使用する音楽の選定にも入り始めました。
稽古はじめを、チラシの完成とご案内の発送を、
公演初日を目指しながら、執筆当時28〜29歳だった作者を追います。
あ、タップダンスの練習の手配をしないと!
2024年5月 6日 Posted in
中野note
昨日は紅テントに行きました。
たどり着くと、同じような思いを抱えて、
遠く岡山からやってきた人もいて、信じられないという思いを
抱きながら、それぞれに耐えて初日を見守る公演でした。
禿さんや、唐十郎ゼミナール同級生で、今はテレビの世界で活躍する
石井永二くんと語り合いながら、去り難く、新宿を後にしました。
今日は、自分は子守りをして、椎野が紅テントに行きました。
きっと同じようなやり場のない思いで駆けつけた大勢の人たちとの
交流を持てたのだと思います。
家にいて、子どもたちに「何を食べたい?」と訊くと、
「唐揚げ!」とふたりそろって言います。
「唐揚げ」いいな、と思って、近所の中華料理屋で3人で頂きました。
2024年5月 5日 Posted in
中野note
自分が唐さんを大好きなのは、
暮らしとものづくりが一体になっているからです。
カッコつけて創作モードにならずとも、唐さんの往くところ
不思議が起きます。
今朝起きて、
掃除機のスイッチを入れれば、唐さんの掃除の得意なことを思います。
冷蔵庫からヨーグルトドリンクを取り出せば、「人間は腸である!」
と言ってタマネギとともに口にし、腸を健やかにしてやまないのを
思い出します。スーパーの新生姜やアシタバや豚肉にも
絶大に唐十郎がいます。もちろん本日5月5日という端午の節句にも。
銭湯の湯船に投げ込まれる菖蒲の葉にも。
本棚にある様々な本、写真、耳に焼きついたせりふと声。
これをあげる、と言われて受け取った100円均一のボールペンや時計。
唐さんはなんでもないものを黄金に変える錬金術師です。
毎週日曜は本読みワークショップですが、
今日はお休みにして、ただ目を凝らし、耳を傾け、
五感を研ぎ澄ませて唐十郎を感じることにします。
(ご参加予定だった皆さん、ほんとうにごめんさない)
来週以降、倍の力で唐十郎について語り合い、芝居づくりしましょう!
2024年5月 4日 Posted in
中野note
↑エントランスに飾られた巨大な倒木。巨木は倒れれば終わり、
小さな野草の生命力を標榜していこう、というメッセージを受け取る
トリエンナーレに行ってきました。
家から歩いて50分で横浜美術館に着きます。
こうして歩いて行かれるところは休日という感じで贅沢です。
到着しな、ビビりました。
美術館の前にそれはそれはたくさんの入場待ちができていたからです。
と思いきや、それは"スターウォーズの日"を記念して行うイベントへの
行列でした。今日はスターウォーズの日でもあったのです。
それよりは少ないながら、横浜美術館の前にもちゃんと入場待ちの
列が出来ていて、盛況でした。
エントランスののびのびとした展示に始まり、
富山妙子さん、丹羽良徳さんのコーナーなど見応えがありましたが、
全体を貫通する"野草"というテーマには、何かはかないものを
感じました。英語訳して "Wild Grass"というと文字通りワイルドな
感じがしますが、"やそう"という響きのか弱さが影響しているのかも
知れません。
↑無料で見られるゾーンの充実ぶりよ!
人間存在がいかに健気な抵抗を試みつつ、しかし、
大きな流れのなかに押しつぶされてしまうか弱き存在であるように
感じられました。テーマのもとになった魯迅の『野草』も
パラパラと読んでみましたが、なるほど同様の印象です。
そんななかにあって、先ほど挙げたお二人の作品は
生きているパワーが感じられました。
トリエンナーレといえば、自分が関わった巨大バッタは別にして、
2017年に赤レンガ倉庫でみたクリスチャン・ヤンコフスキーの
『重量級の歴史』が最高だったな、と。また思い出して笑ってしまい
ました。帰りも外は『スターウォーズ』で大賑わい。
↑"MAY THE 4TH"ということで5/4らしい
2024年5月 3日 Posted in
中野note
GWがやってくると、いよいよ唐組春公演の東京初日が
近づいてくるのを実感します。5月初めの土曜は連休に浮かれる
人たちを掻き分け花園神社に行く、これが長年の習慣でした。
ところが、今年は違うんですね・・・
すっかり土曜日だと思ってスケジュールしていましたが、
今年は日曜日が初日で、そうすると日曜夜は本読みWSが恒例、
だから私は二日目の5/6(祝月)に伺うことにしました。
これに気づいたのも、今朝早くに知り合いから紅テントの予約を
頼まれたからで、おかげで助かりました。
そういうボンヤリした連休の始まりです。
今朝は運動がてら久々に黄金町のシネマ・ジャック&ベティに行き
サイレント映画にピアノの即興伴奏を入れて上映するプログラムを
拝見しました。キッズプログラムと謳いながらかなり大人の笑いに
満ちたサイレント映画4本、音を鳴らす参加型企画あり、
映写室のバックステージ・ツアーあり、と、単に映画を観る体験
だけではなくて、映画館の楽しさがいっぱいでした。
学生時代にあれだけ行っていた映画館から、ここ数年は足が遠のく
ばかりなので、スクリーンで作品を観られたことに充実しました。
なかなか良い連休の滑り出しでした。
それからは、人に会いに行ったり、あとは原稿書き。
少し遊んで、静かに働く。そういう連休が始まりました。
明日の朝は、ようやく横浜トリエンナーレに行く予定です。
2024年5月 2日 Posted in
中野note
↑2016年10月の唐ゼミ☆公演@新宿中央公園
今度の日曜日から『腰巻お仙 振袖火事の巻』の本読みWSを始めます。
お申し込みはコチラ→
これで、2月半ばにスタートした『腰巻お仙』シリーズが完結。
『忘却篇』『義理人情いろはにほへと篇』そして『振袖火事の巻』
ということです。第三作の主題は、親を恨んで成長した少女・お仙が
いかに恋愛をするか、ということです。
恋愛の先には結婚があり、その先には出産がある。
とはいかにも古風な図式ですが、親を恨んだ少女自身がやがて親に
なる時が来る、そういう台本を最後にしてこのシリーズは幕を閉じます。
唐十郎29歳の戯曲です。唐さんも父親になりたてで、
期するものがあったに違いありません。
この作品はとにかく初演時のエピソードが絶大で、
新宿西口公園にて機動隊に囲まれて上演した、という演目こそが
この『振袖火事の巻』です。同時に、公演自体がスキャンダラスで
あればあるほど、作品の内実を味わうことが少なかった芝居で
あるともいえます。
私の本読みでは、せっかくなので往事を振り返りながらも、
ほんとうには何が書かれていたのかを追います
唐さんは何を書き込めたのか。
2016年に、私たち唐ゼミ☆は同じ新宿西口公園でこの演目を
上演してもいます。ここでやらねば、どこでやる!
というエンディングのひと言のために、新宿で上演した演目です。
エピソードをまじえて本を深く読み解きながら、
唐ゼミ☆公演の様子もまた、振り返ってみるWSにします。
2024年5月 1日 Posted in
中野note
Joseph Mallord William Turner《Vesuvius in Eruption(1817)》
現在23:00過ぎ。
家の近くの駐車場に辿り着きましたが、
ボタボタ降る雨のために車から出る気になれません。
そこで、これを書き始めました。
今は『少女仮面』の舞台美術について考えています。
舞台となる喫茶店には、唐さんのト書きによればベスビアス火山の
絵画が飾ってある、と指定があります。
ベスビアスとは、あのポンペイを一夜にして廃墟にした火山で
ヴェスヴィオと言ったりもします。
このインスピレーションのもとになったのはおそらく、
英国の画家ターナーの『噴火のヴェスヴィオ(Vesuvius in Eruption)』
1817年の絵画です。
英国滞在中に、ターナーの絵をたくさん見ました。
テイト・ブリテンというイギリスの作家の作品ばかりを集めた
美術館があって、そこにはターナー・コレクションという一角が
設られ、まとめて見ることができたのです。
残念ながら『噴火のヴェスヴィオ』はありませんでしたが
ネットで見ると、唐さんが魅了されたのがよくわかります。
他方、ローレンス・オリヴィエが主演した映画版の『嵐が丘』を
見ると、冒頭はヨークシャの荒野が雪で覆われ、やがて、
主人公の二人が逢い引きをするペニストン岩が切り立った岩山で
あることが明らかになります。
ヴェスヴィオ→ヨークシャの岩山→冬の満州
と、唐さんのインスピレーションがつながっていったのではないかと、
20代後半の作者の頭のなかを想像します。
あ、雨が止んできました。家に帰ります。
2024年4月30日 Posted in
中野note
→カーテンコール中、恒例の望月監督スピーチ
昨日は浅草に行きました。
劇団ドガドガプラスを観るためです。
ドガドガはずいぶんコロナに苦しみ、はたから見ていても
あの時の中止続きは辛く、身につまされるものがありました。
けれど、ここ数年に展開している「セクシー女優事変」シリーズは
絶好調で、ちょうど自分が海外研修を終えた頃に始まって、
ずっと逃さず追いかけられている幸せを感じます。
今回の第三弾「人妻死闘編」はセクシー女優の2世がテーマに
なっていて、2世問題は宗教だけではないという切り口が
さすがは望月さんと思わずにいられません。
セクシー女優の息子が中学生となり、
母親の出ているアダルト映像に興奮してしまうという彼の悩みに
ギリシャ悲劇の『オイディプス王』が重なり、可笑しくも切実な
物語が展開します。そしてまた、オイディプス王と言えば
劇の前段にあるスフィンクスの謎かけが有名ですが、
その謎の答えを通じて、母親出演のAVに反応してしまう自分こそが
「人間なんだ!」と少年が宣言するラストシーンは感動的でした。
ほんとうに、このシーンに自分は目からウロコが落ちました。
というのも、フロイトの「エディプス・コンプレックス」は
人間の罪深さを喝破したものと思ってきましたが、
これが望月さんの手にかかると、なんだかそういう衝動を抱えて
しまう人間への激烈な讃歌に思えるのです。
「コンプレックス」という言葉はネガティブな感じがしますが、
望月さんの繰り出す劇には、ひょっとしたらフロイトは、
ついつい母親とセックスしたくなるオレたちこそが人間なのだ!
それはちっともダメじゃないんだ!だから人間なのだ!
と言いたかったのではないかとすら、思わせる強烈なパンチが
ありました。なかなかのアクロバットにして、本家すらも揺り動かす
説得力に満ちていました。
フロイト=人間の豪の肯定=立川談志という構図すら浮かんでくるのは
東洋館という劇場のなせる技です。
ともかくも、望月さんだから描ける、真率なストレートパンチでした。
全編にわたって、大勢の出演者を望月さんが均等に愛しすぎたために
的が絞りきれないところもありましたが、やはり上演が2時間を
すぎてからの力わざ、ラストシーンには「いいぞ!いいぞ!」と
エールを送らずにいられません。無骨な望月監督の剥き出しの魂を
感じました。
2024年4月27日 Posted in
中野note
↑フォーを食べたのはロンドン滞在以来でした。The Albanyの
周辺にはベトナム料理屋が2軒あり、主要な麺類としてほんとうに
よく食べていました。向こうでは高かったな・・・
今日は久々に綾瀬市に行きました。
スマートインターができてすっかりアクセスの良くなった綾瀬ですが、
市の中央にあるタウンヒルズに行き、オーエンス文化会館に行くうちに
旧知の方々に多数お目にかかり、偶然の再会も重なってかなり
充実した1日になりました。
帰りは大和のタンハーというベトナム料理屋&食材店に寄り、
食事とコーヒーの買い物をしたりして。
合間に、樺山紘一さんという歴史学者の本を読んで興奮しています。
書かれている内容と文章が同時に自分の興味やセンスに押し寄せてくる。
久々にそういう著作者に出会い、これは連続的に読みまくるだろうと
予感しています。『少女仮面』の準備に支障が出ないように!
自分がもっとも好きな一冊を挙げろと言われたら、
それはヴェルギリウスの『アエネーアス』です。
今日はそれが、カエサルの『ガリア戦記』にどう影響されたか
という発想に、樺山さんの記述を通じて思い至りました。
ヴェルギリウスにとって、伝説上の戦争を描くに参考にしたのは
目前で起きていた同時代の戦争、すなわちカエサルと、
ケルト最後の英雄・ウィルキンゲトリクスによるアリシアの戦い
だったようです。そのことを通じて、ヴェルギリウスをまた一つ
人間として感じられたことは大きなよろこびです。
逃避にならない程度に、読書もします。
2024年4月26日 Posted in
中野note
↑終演後はちょっとだけお邪魔して失礼した
川口成彦くんのリサイタルを聴いてきた。
彼が3年間レジデント・アーティストを務めてきた紀尾井ホールとの
プログラムの集大成で、それはそれは欲張りなプログラムでした。
内容は、ショパンの一生を追ったもので、
ショパンの先生たち、ポーランドやフランスでの友人たち、弟子たち
という風に、ピアノの詩人を取り巻いた人々の作品を編年体で追いながら
もちろん、ショパン本人の作曲も入る。
傑出した人の一生分を生きて、川口くんが燃焼していった。
それが伝播して、序盤は日頃の雑事が聴く自分にも残っていて散漫だった
けれど、徐々に演奏の世界に導かれていって、最後にはピアノの
音だけになって、完全にショパンと川口くんだけの世界だった。
お世辞にもコンディションが良いとはいえない自分を
ここまで引きずり込むなんて、まったくすごい演奏家だと思う。
同時に、終演後は、3年間をやり遂げた万感がこちらにも
伝わってきて熱くなった。7月の相模湖にも行けたらと思う。
都心の華々しさとは違う世界があの会場にはあって、
川口くんの演奏にも違った趣きでステキに違いない。
2024年4月25日 Posted in
中野note
↑夜の公園にやってきた米澤と私
今日の夜は米澤と落ち合い、お互いにお腹を空かせていたので
ラーメンを食べた後、うちの近くの公園でミーティングを行いました。
昼間は子ども用のままごとテーブルですが、夜は私たちの会議机。
『少女仮面』をどうしていこうか。米澤の事情や希望も聴きながら、
こちらが最近ハマっている『嵐が丘』の話なんかもしました。
面白かったのが、米澤が、車の中で私がかけていたヴィソツキーの
歌声に鋭く反応したことです。
初め小さな音でかけていたのを気にしていたので、
もっとも私が好きな『狼狩り』を爆音でリピートしながら
横浜駅まで米澤を送りしました。同じ歌声に二人で痺れる。
良い時間でした。
もう一つ。今日は劇団として哀しい報せがあり、
それは、金沢在住でずっと唐ゼミ☆を応援してくださったKさんが
亡くなったということでした。
2002年夏に『動物園が消える日』を公演して以来、
ずっとファンでいてくれたKさん。唐十郎ファン同士としても
私たちは大いに盛り上がってきました。
Kさんが見せてくれた蔵書の『犬狼都市』に唐さんがこう署名されて
いたことが忘れられません。「金沢、この小さな中世」
聞けば、状況劇場が金沢で公演した『犬狼都市』を見て以来、
Kさんは唐さんの熱狂的なファンになったのだそうです。
いつも慎ましく、でも唐作品が大好きな気持ちが溢れ出しながら
応援してくださったKさん。ほんとうにありがとうございました。
また、客席のどこかに座られているのだと思って、公演していきます。
2024年4月24日 Posted in
中野note
↑ヴィソツキーとマリナ・ブラディ
『少女仮面』の公演準備をしています。
香盤表をつくり、役者に出演依頼をして、稽古スケジュールを組む。
どれも、手間がかかるけれど、ひとつひとつ、これからつくる劇の
輪郭が見えてくる作業です。
舞台美術について考え、劇中に指定されているベスビアス火山の
絵画の元ネタを探り、宣伝美術について考えます。
劇中歌についても、早々に詰めねばなりません。
やること満載だけれど、ひとつひとつゼロから積み上げて
わたしたちの公演は成り立っています。
そんな中で、ちょっと遊びもあります。
例えば、2場にマリナ・ブラディという女優の名前が出てきますが
実在の女優であり大スターだった彼女が選んだ夫こそ、
ソ連体制化で伝説的な抵抗詩人・歌手・俳優だった
ヴラジーミル・ヴィソツキー(Vladimir Vysotsky)でした。
あの独特のしわがれ声、
唐さんはああいう声を"いがらっぽい声"と呼んで
憧れの声のひとつの累計だと言っていたことがあります。
唐さんはつるりとした美声なので、ニュアンスに富んだ、
ある意味では悪声に憧憬を覚えたのだと思います。
反体制であるために1枚のレコード出版も許されず、
けれども、彼の歌をみんなが知っていたヴィソツキー。
代表曲の『オオカミ狩り(La Chasse Aux Loups)』を
ずっと聴いています。身を削って歌うような燃焼が何度聴いても
一回性で、みんなが彼に痺れた理由に共感します。
2024年4月23日 Posted in
中野note
↑すべてを終えて帰宅の途につくケッチさん@羽田空港
今回もありがとうございました!
昨日の本読みWSレポートによりご報告が遅れましたが、
4/18-21に公演した3回の『オオカミだ!』が終わりました。
今回もまた、多くの子どもたちにギャーギャー観劇してもらい、
子どもたちのリアクションを見た大人の方々にゲラゲラ笑ってもらう
ことができました。
一緒に公演した五十嵐あさかさんの『水曜日の夜』、
山﨑薫さんの『はまべのうた』とのショーケースにより、
返す返すもスタッフの皆さんは大変だったはずですが、
ロマンチスト・テツヤが悲願を達成してよろこぶ姿を見て
土曜の夜には賑やかな、すべての苦労を吹き飛ばしたであろう
打ち上げができました。
自分はいつもながら、テツヤさんに空間の使い方と
ケッチさんにはお客さんとの関係をどう上手く運んで
場を牛耳るかを教わって過ごしました。
終演後に食事に行けば感想戦の趣きがあり、
くだらない話の連続の隙間に、幾つもの創作に対するヒントを
発見しました。今はもう『少女仮面』に向けて走り出していますが、
『オオカミだ!』には、これからもまた上演できるだろうという
安心感と希望があります。現在13ステージを終えたところですが、
さらに回数を重ねる時にハッとしたアイディアを閃くところに
芸の面白さがあるのだと、それもまたケッチさんから教わりました。
テツヤからは「セクシー・キッズプログラム『メギツネだ!』
を作るべし」とも言われています。
「ヨルノハテの劇場」はこれからどうなるんだろう!?
観劇してくださった皆様に感謝します。
気にかけてくださった皆様は次の『オオカミだ!』公演で
お目にかかりましょう!
2024年4月20日 Posted in
中野note
今日は『オオカミだ!』2日目。14:00からの開演でした。
昨日の『はまべのうた』から一夜あけ、
一昨日からの改善点を活かして、照明エリアの調整が行われている
KAAT大スタジオに11:00に入りました。
それからそれぞれに準備をして、少しだけケッチさんの芸の流れにも
工夫を凝らして、開場、開演を迎えました。
たくさんのお子さんたちが集まってくれて、
彼らのおかげで活力のある劇空間が生まれました。
ケッチさんが即興で観客の反応に応えるところ、
それでいてショー全体がもたつかず次々にシーンを展開していく
スピード感。序盤に披露した基礎的なパントマイムやクラウニングが
『3びきのこぶた』本編に過不足なく結びついて、
これは、去年の2月から、
本多劇場→ザ・スズナリ→青梅第六中学校→母島小学校と
渡り歩いてきたこの演目がひとつの達成を見た手応えがありました。
もちろん、このショーはその場に集まった人たちによって
大きく影響されるように作っているし、KAATのような
ハイスペックな劇場設備があればそれを使うし、何もない
体育館があればそこに適応できるように作った演し物です。
その場その場の本番がありますが、その上で、
ひとつのレベルをクリアできたと思いました。
公演後には、昨日すばらしいパフォーマンスを見せてくれた
山﨑薫さんも加わって座組全体の打ち上げをしました。
五十嵐あさかさんがすでに静岡でふじのくに世界演劇祭出演の
ために不在なのは寂しいけれど、それでも、劇場を打ち出して
仕掛け人であるテツヤさんを囲み、関内バル333で
楽く飲みました
明日が最後のステージです。
9:00入りの11:00開演に備えて自分は帰宅してこれを書いています。
何人かは2次会に行って今も飲んでいるはずです。
当日券も出ますので、見逃さないようにしてください!
2024年4月19日 Posted in
中野note
↑終演後の薫さんはみんなに引っ張りだこで、ダンサーとしての役割を
終えたゆめさん、ご来場のよし乃さん(青梅と母島での『オオカミだ!』
アシスタント役)、ケッチさんで記念撮影しました。薫さんとの撮影は
次のチャンスを探ります!
今日は「ヨルノハテのショーケース」第3弾『はまべのうた』公演でした。
浦島太郎伝説をもとに岸田國士が映画のために描いたシナリオを
山﨑薫さんの個性を活かしリサイタル形式にして上演するものでした。
自分はこれまで、このような岸田作品があることを知りませんでしたが、
浦島太郎をモチーフにしながら、連綿とつづく人と人との別れを描いた
実に味のある原作だと思いました。
浦島太郎が竜宮城に行ったことで、もともと暮らしていた妻は夫との
別れを体験する。当の太郎もまた、乙姫との贅沢すぎる生活の後に、
残してきた妻を想う。それを察した乙姫は太郎との別れを決意。
地上に還ってきたきた太郎が経験するのは時間の経過による
元の妻との別れであり、新たに得た妻とも睦まじく暮らすが、
やがて自らの老い、相手の若さを悟って諦めたように妻を
手放すことになる。
これまでさんざん別れの原因をつくってきた自分には、
新たな妻を引き留める資格のないことを太郎は知っている。
それ以上に、太郎は、人と人とはいずれ別れてゆくものだ
ということを知り抜いてしまっている。
そういう、無常感のある、苦みばしった作品でした。
しかし、ショーとしてはあくまで甘く仕立てられていて、
人形もあるし、ピアノの豪勢な演奏もあるし、ダンスもあるし、
シンプルだけれどそれぞれの状況を換気する照明・音響・映像の
効果が感興を昂めます。
何より、センターにいる薫さんの歌唱力と演技、
東西から集まった名曲の数々があってバラエティに富み、
ところどころに笑いもあって、目先を変えながら、でもやっぱり
大人だから分かる「別れ」「岐れ」「訣れ」に収斂していくという
演し物でした。いかにも大人っぽい雰囲気だけでなく、
悲嘆の甘やかさ、という風情。
聴衆はみんな酒が飲みたくなったのではないかと思います。
自分は体質的に酒は飲めませんが、そういった意味で
次はノンアルコールドリンクを飲みながら見たい大人の味でした。
終演後は、テツヤ・ケッチ・アツシでビストロに行き、
演出作品を終えて放心するテツヤを激励し、また明日の
『オオカミだ!』の工夫を話し合いました。
ともあれ、すべての出し物が出揃うまでに3作品を支えてきた
スタッフの皆さんは大変だったと思います。お疲れさまでした!
2024年4月18日 Posted in
中野note
↑終演後に一息つきながら撮影しました
『オオカミだ!』1回目のステージが終わりました。
朝から灯り合わせをして、16:00からランスルー。
17:30にお弁当を食べて、18:15からお客さんをお迎えしました。
スタッフの皆さんは、午後早い時間には翌日の
『はまべのうた』の照明づくりもあるし、終演後はセットの
飾りかえもあります。それぞれにシンプルな仕込みですが
かなり大変な公演です。
そういう1日を過ごしながら、
2月に母島に行って以来の『オオカミだ!』が幕を明けました。
KAATの大スタジオは、これまででいちばんスペックの高い空間です。
だから、スクリーンや照明も使うし、割と勾配高めの階段席という
構造もあって子どもが騒ぐにはやや危険も伴います。
劇場の案内係さんがよくサポートしてくれました。
ケッチさんは持ち前の圧倒的な即興対応力をフルに発揮して、
お客さんからのリアクションを拾うこと多めのパフォーマンスでした。
ちょっと上演時間が予定より延びてしまいましたが、
今日には今日の本番があります。
ケッチさんという稀代のパフォーマーの体感のなかで、
あるお客さんに応じて彼らを味方に変えながら、
ほかのお客さんを間延びさせていないか、駆け引きしているのを
観ているのはいつもすごく面白い。そういうすべてを百戦錬磨の
経験と今の直感のなかで判断しながら渡り合っている姿を
自分はいつも感嘆しながら見ています。
ユメさんには持ち前の愛嬌を発揮しつつ(ほんとうに天分だと思う!)、
ケッチさんが考え、感じていることをプラスして大きな演者に
なってくれることを期待しています。みんなに愛されて、
いろいろとチャンスを得て大きくなっていって欲しい。
明日の『はまべのうた』を観客として味わいつつ、
土日の『オオカミだ!』を準備します。まだまだ空席があるので、
お客さん集めもします!もし良かったら来てください!
2024年4月17日 Posted in
中野note
↑テツヤさんの野望全開の連続公演がはじまりました!
今日から「ヨルノハテのショーケース」がはじまりました。
今夜はその第1弾、五十嵐あさかさんによる「水曜日の夜」です。
自分は18:00に家に帰って、椎野と子守りを交替しました。
一度、椎野にあさかさんを見せたかったからです。
去年にルーテル市ヶ谷で、あさかさんの自主公演「音みる夜」を
見た時から、これは体験してみなければわからない世界だと思って
きました。だから、せっかく横浜で公演があるこの時に、
椎野に体験しておいてもらいたかった。
米澤や鷲見くんも来ていたそうです。
彼らは普段、あまりクラシック系の演奏会には
行かないだろうけれど、あさかさんは普通のチェリストの枠には
収まらないパフォーマンスを見せる人なので、
きっと良い鑑賞になったに違いありません。
あさかさんのパフォーマンスには、
自分もやりたいことをやれば良いんだ!と強烈に思わせてくれる
ところがありつつ、けれども、決してやりたい放題やっている
わけではない品格があります。現在の表現を獲得するまでに、
これまでどれほどの試行錯誤があったのかも、感じ取れます。
今日も良い舞台だったに違いありません。
自分は子どもたちとワーワー言いながら家で過ごしたので、
今回を観られなかった分は、来月のルーテル市ヶ谷で
今年の「音みる夜」に立ち会うことで取り返したいと思います。
明日はいよいよ自分の番です。
ショーケース第2弾の『オオカミだ!』。
朝から照明合わせ。午後からゲネプロをして
夜19:00からの公演に臨みます。
本番になってしまえば、演出をしている自分でさえも
次に何を仕掛けてくるだろうと観客と一緒にこれから
起こることを楽しみにさせてくれるところがケッチさんの
凄みです。長く、盛りだくさんの一日になりそうです。
2024年4月16日 Posted in
中野note
↑終演直後の五大さんの隣にいるのは、中華街でよく行く「馬さんの店」
の馬さん。お二人とも、自分にとってヨコハマの顔です
今日は朝からKAATに集まり、4/17-21「ヨルノハテのショーケース」に
向けた大スタジオでの仕込みが始まりました。
劇場技術課の皆さんとの朝礼をして、テツヤさんが集めたスタッフさん
たちが動き始めます。テツヤさんは『鐵假面』公演を支えてくれたので、
劇団から齋藤と米澤が応援に駆けつけてくれました。
特に齋藤、2013年に『唐版 滝の白糸』を一緒にやって以来、
いまや多くの仕事を経てKAATの仕組みを知り尽くしており、
強い味方です。
自分は楽屋の制作まわりづくりをお手伝いして現場を抜けました。
それから県民ホールで打ち合わせです。
夕方には、津内口と協力して『少女仮面』の制作を進めました。
キャスティングや広報の準備。劇場入りした後のスケジュール想定、
各所への連絡などです。普段は、公私に渡るさまざま用事が押し寄せ
いつも劇団の進行が遅れがちなことが気がかりです。
津内口と頭を突き合わせて作業しているとそれらが次々にクリアされ、
不安が解消されて、7月のことを想像するのが愉しくなります。
そうそう。
午後には椎野も合流して、五大路子さんのライフワークである
『横浜ローザ』千秋楽を観に行きました。初めて観劇して以来、
これは年に一度観たい、立ち会うべきお芝居だと思ってきました。
五大さんの精力的なこと、劇とお客さんに対する突き抜けた誠実さ、
さすがの技術、いつも全力を尽くしきる姿を仰ぎ見ました。
近年は特にシンプルな演出になっていて、
それは究極的に、パイプ椅子2個に集約される世界です。
実際のメリーさんを写した写真のなかでも
特に印象深いものの中に、ビルの廊下にイス2台を並べて休む
メリーさんの姿があり、五大さんのお芝居もこれに始まり、
これに終わります。そのなかに、昭和21年から平成に至る
時代の変遷と横浜ローザの人生がめいっぱいに込められている。
ところどころ力の抜けた笑いもまじえながら、五大さんの
くっきりとしたせりふがこちらの胸に刺さってきます。
そして、最後に再び、ローザはパイプ椅子に還る。
あの、万感迫ってうつむいている姿に、ローザの上演75分と、
メリーさんの生きた何十年という時間が収斂されて、
物言わぬ姿、佇まいが、ことば以上の多くを語りかけてきます。
最後の瞬間、どうしてああいうことが達成できるのか、不思議です。
ライフワークだからこそ可能な、それこそ"境地"なのだと思います。
そして、お芝居の最後ではローザの姿に込み上げて仕方ないけれど、
アフタートークではいつも五大さん自身が元気な姿を見せて観客を
安心させてくれることも、このショーの素晴らしさです。
来年は30周年だそう。よし、来年も観よう!
自分も舞台やるぞ!と思いながら赤レンガ倉庫から強風のなかを
歩きました。明日から『オオカミだ!』を含む「ヨルノハテの
ショーケース」が始まり、その向こうに県民ホールの様々な企画が
あり、7月末に挑む『少女仮面』が見えてきます。
2024年4月15日 Posted in
中野note
『鐵假面』公演が終わってから、
『少女仮面』に備えて『嵐が丘』を読んでいます。
ヨークシャーの荒野を背景に繰り広げられる過剰な男女の恋愛は
否応なく周囲を不幸にするばかりで、まさに嵐が丘。
小説としても面白いし、何より『少女仮面』に引用された箇所を
特定するためにも、なかなか愉しい読書です。
『少女仮面』の劇中歌を歌うためには
『少女仮面』全体を学び直さなければならない。
『少女仮面』全体を学び直すためには
『少女仮面』の中に出てくる『嵐が丘』のせりふ引用が
どのシーンにあたるのかを突き止め、研究しなければならない。
そういう意味のことばを、状況劇場のプリマだった
李麗仙さんが言ったと、自分はある音楽プロデューサーに
伺ったことがあります。
果たして、『少女仮面』1場終盤で
春日野八千代が演じる『嵐が丘』の場面は、
原作小説では第15章にあたり、キャサリンとヒースクリフが
最後に愛憎をぶつけ合うシーンに由来します。
ただし、自分は2010年に出た新訳で読んでいますので、
当然、唐さんが1968年にこれを書いた時に引いた翻訳とは異なります。
そこで、当時に手に入った翻訳本3パターンをAmazonで注文しました。
かなり古い本なので、3冊求めても送料込みで約1,200円。
懐にやさしい資料集めで助かりました。
数日したら、一冊ずつ届くはずです。目指すは第15章!
どうか三つのうちのどれかに当たりますように。
その向こうに、『少女仮面』のワンシーンが視えてくるはずです。
2024年4月13日 Posted in
中野note
『オオカミだ!』の稽古はいつも短期決戦。
今回も4日間で仕上げるので、集中して稽古しています。
稽古2日目にあたる今日は、これまでにつくってきた段取りを
確認しつつ、今回の環境に合わせたやり方に変えていきました。
何しろ、初演からたった1年の間に4ヶ所で公演し、
その度にそれぞれの場所に合わせてバージョン・チェンジしてきた
演目です。アシスタントの黒子役も、SATOCOさん、
月岡ゆめさん、よし乃さんと、3人ものパフォーマーが
参加してくれました。今回は2代目のゆめさん。
必然、各バージョンの動きの違いは、
それぞれの黒子役の個性を活かすためのものでもあり、
だからこそ、今回の月岡ゆめさんには彼女ならではのやり方がある。
そういう稽古をしています。
KAAT公演にあわせ、
今回はテツヤさんがスクリーンを導入してくれました。
新たに加わった音響の大久保友紀さん、
舞台監督の吉成生子(よしなり たかこ)さんが、
こちらがお願いする変更にたちまちに応えてくれます。
そういうなかで、普遍的に『オオカミだ!』を良くする工夫を
盛り込んで、少しずつ少しずつ向上させていかれるところが
いつもの演劇とは違う幸せなところです。
ケッチさんをはじめとして、身ひとつで様々な環境で仕事を
続けながら芸を披露するパフォーマーの皆さんは、そうして
技や演目を磨いていくのだそうです。
何百回と本番を重ねるうちに
「なぜ、これを初めから思いつかなかったんだろう?」
というように、根本的パワーアップを果たすアイディアが
出ることさえあるそうです。
その時も待ちつつ、明日も稽古を続けます。
2024年4月12日 Posted in
中野note
↑手前味噌もありますが、すごく粒揃いの3本だてです!
今日から『オオカミだ!』の稽古が始まりました。
全体としてはプロデューサーのテツヤさんが組んだ
3本のショーケースの1本なので、山崎薫さんとの『はまべのうた』、
五十嵐あさかさんのリサイタル『水曜日の夜』もセットにした公演です。
試しに他の2本のリハーサルにも潜入しましたが、
特に、初めてみた山崎薫さんのショーには驚きました。
何か牧歌的な人形劇を想像していたのですが、
まるで高級ホテルのラウンジのような大人の雰囲気です。
思わず「これは看板に偽りありますよ!」と言ってしまいました。
女優である薫さんの歌唱力にすっかり舌を巻き、
良い気持ちになってスタジオを後にしました。
五十嵐あさかさんの実力とユニークさはもともと確信しています。
去年にルーテル市ヶ谷でのシリーズ「音みる夜」を
見に行ってから完全にファンになりました。
既存のチェリストのイメージを抱いていくと完全に裏切られます。
あさかさんはマラカスを振って歌も歌うし、
小さなギターをつま弾きながら日本の古典である『八百屋お七』を
見事に唸ったりします。こういう人は他に見たことありません。
見たことない表現だから宣伝が難しいのですが、
とにかく「自分のセンスにはビンビンくるから見てみてよ!」
といういう他ありません。
3本もやるなんてテツヤさんは欲張りだ!
と内心思ってきましたが、リハーサルを覗いていると、
せっかくKAATを使えるのだから欲張りたくなった訳がよくわかります。
スタッフの皆さんは大変そうですが、
あさかさんの会には薫さん・ケッチさんもゲスト出演で入り乱れるし、
『オオカミだ!』で黒子役の月岡ゆめさんは薫さんのショーでも
活躍するし、自分も企画全体でテツヤさんの野望を押し上げていきます。
長くなったので、『オオカミだ!』のことはまた明日!
2024年4月 9日 Posted in
中野note
↑ずいぶんお世話になりました。味といい値段といい、傑作です
今日は嵐でした。
こんな日は、公演の時にこんな風でなくてほんとうに良かったと
思います。一方で、このところの暖かさを感じるにつけ、
なぜ『鐵假面』の時に少しは春らしい天候になってくれなかったのかと、
恨みがましくなります。
明日、半月ぶりにメンバーで集まって打ち上げをやります。
その準備をしているせいか、まだまだあの公演が身体に残っていて
現在進行形の天気にも一喜一憂しています。
そんな中でイオンに出かけたところ、
レジの隣に上の写真にあげた黒糖かりんとうが大挙して売っていました。
これもまた、『鐵假面』公演準備の最中にどハマりし、さんざんに
食べ続けてしまった一品でした。
持ち込んだのは、現在も『オオカミだ!』を一緒に作っている
テツヤさんで、私がケータリングコーナーの周辺をゴリラのように
うろつきながら何度もつまんでいる姿を目にすると、
この、イオン-まいばすけっとで売っている128円の品物がいかに
他のかりんとうと比べて圧倒的な旨さを誇り、それでいて安価なのかを
力説してきました。実際にこれは感服せざるを得ない逸品であり、
私はあの寒さを、カロリーの塊であるこの黒糖かりんとうによって
凌いだと言っても過言ではありませんでした。
今日、久々につまんでみて、やはり美味いと思いますし、
やはり袋が尽きるまでやめられません。テツヤさんとイオングループに
恩義を感じざるを得ません。
2024年4月 6日 Posted in
中野note
神奈川県の仕事で県内各地を巡るなかで、
かなり面白い地域や地元の人たちに出会ってきました。
2017年にこういった活動を始めた当初は
スタンダップコメディアンの清水宏さんと真鶴に注力し、
去年2023年は湯河原町で、古参の舞踏集団とりふね舞踏舎さんによる
シニア向けダンスワークショップのお手伝いをしました。
そういった縁で、せっかく県西部に行くのだとしたら、
自分一人が車に乗って道中を過ごすのも寂しいし、
何人かで温泉にも入ってみたいので、
津内口、米澤、鷲見くん、うちの子どもら二人を連れ立って
二つの町を訪れました。
上の写真は、真鶴で魚を食べて買い物を済ませ、
その後に湯河原に移動して温泉に入った後、
去年、地元の方に勧められてとりわけ美味しく感じた
みかんジュースを飲んでいるところです。
場所は湯河原惣湯という、町営のカフェ&コワーキングスペース
の軒先のテラスです。
実は、昨日は先週に行った水戸のバッタ展示の予備日でした。
3/30(土)が雨だった場合に備えて4/6(土)をフリーにして
おかなければならない日だったのです。そういったわけで、
休日を持つことができました。道中いろいろな話をしたり、
子どもに振り回され続けたり、寝たりするのも良かった。
帰りに海老名SAに寄るところまで休日をやりきりました。
2024年4月 5日 Posted in
中野note
↑10か月ちょっとお世話になったグリニッジの丘の家
『オオカミだ!』の台本を書いていた時、
当時暮らしていたグリニッジの丘の上にあるダイアンという女性の家、
そのセキュリティの強さがすごく参考になりました。
そもそも、ロンドンの治安が悪いので仕方のないことですが、
特にダイアンは警戒心が旺盛で、扉には四つの鍵が付いている。
さらに家中の窓にも二つずつ鍵が付き、常に外敵の襲来に備えている
といった趣きがありました。
実際に、比較的安全なグリニッジでさえ、
1年前に女性が襲われたとか、高級腕時計を身につけていた老紳士が
手首ごと切り落とされて時計を奪われたとか、
物騒な話を聞かされました。
それに、あの壁の厚さ。
ダイアンの住んでいる家のレンガ壁の厚みはゆうに30センチはあり、
夏は涼しく、冬に暖かく、何より堅牢でした。
自分は、この辺りのことを体験しながら、
イギリス民話である『3びきのこぶた』の世界に入っていったのです。
それにひょっとしたら、イングランドという島国に押し寄せる
大陸からの外敵にも、大きくは影響されたかもしれません。
そのあたり、元寇を神風によって退けた日本とは違うかも!
などと思いながら過ごし、台本を書きました。
とはいえ、これは作品にとってすごく中核的な、精神的なことなので
実際の技術的なこと、パントマイムとは何か、その特性を活かす方法に
ついては、テツヤさん&ケッチさんにずいぶん鍛えてもらいました。
夏の昼間にロンドンの公園のベンチに座って、夜の日本とzoom会議
したことを、よく覚えています。
2024年4月 4日 Posted in
中野note
↑2022.5.27 英国のブライトンにて
昨日、『オオカミだ!』KAAT公演について書きました。
今回の演出をどうするか考えながら、そもそも、
この企画の始まりについて振り返ってみると、
テツヤさんの引き合いで元が〜まるちょばのケッチさんと出会った
ことからすべてが始まりました。
自分が2022年5月にロンドンに滞在していた時、
ケッチさんは仕事で、ロンドンの南にある観光地ブライトンの
フリンジ・フェスティバルに来ていました。
現在では、サッカー日本代表の三苫選手の活躍により、
ブライトンという名前は日本でも有名です。
自分は初めて噂に聞いていたブライトンを訪れ、
首都との位置関係からしてなんだか江ノ島みたいなところだなと
思いながらドキドキして歩き、待ち合わせ場所の特設テント前に
ケッチさんを探しました。
ケッチさんは質実で飾り気がなく、何よりクレバーな人でした。
芸と僅かな道具類、ご自身のアイディアで世間を渡ってきた凄みを
感じました。あの時、複数のパフォーマーが入り乱れるショーに
参加したケッチさんの芸も面白かったけれど、それ以上に、
ジュリアという女性芸人のショーをケッチさんが絶賛していたのが
印象的でした。
ケッチさんに勧められ、そのジュリアのショーを観て、
自分も、これはすごく面白いと思った。
そういうセンスの重なるところを確認しあって、
私たちはお互いに協力してやっていけそうだと思ったのです。
『オオカミだ!』の始まりはこんな感じでした。
2024年4月 3日 Posted in
中野note
↑日本大通り沿いに大きなポスター!
気づけば、『オオカミだ!』KAAT公演が2週間後に迫っています。
『鐵假面』の片付けがやっと終わり、
『少女仮面』を急いで仕込んでいるところですが、
これも私の勝負どころです!
思えば、2022にロンドンで構想を練り、
帰国後に横浜で創作して2023.2に本多劇場で初演、
その後、9月にザ・スズナリで再演のあと、
青梅の中学校や小笠原諸島のひとつである母島の小学校でも
公演を重ねてきた『オオカミだ!』です。
KAAT神奈川芸術劇場でも上演できるのがいかに幸せなことか!
下記の日時、料金、座組で挑みます。応援を宜しくお願いします。
『オオカミだ!』KAAT神奈川芸術劇場公演
4月18日(木) 19:00開演
4月20日(土) 14:00開演
4月21日(日) 11:00開演
料金(全席自由・税込):一般3,500円 小学生以下1,500円
*託児サービスは行っておりません。客席でご一緒にお楽しみください。
*乳幼児で席を使用しない場合は無料
出演:ケッチ(元が~まるちょば)
脚本・演出:中野敦之(劇団唐ゼミ☆)
アシスタント:月岡ゆめ
紙芝居原画:井上リエ
音響協力:平井隆史
企画:岡島哲也(ヨルノハテ)
提携:KAAT神奈川芸術劇場
主催:神奈川演劇連盟/ヨルノハテの劇場
2024年4月 2日 Posted in
中野note
↑実家の近くにある陣屋というお店には藤井聡太さんも来るらしい
水戸のバッタ展示を終えて、瞬間的に名古屋に帰りました。
目的は、先週から一人で私の実家に行っていた息子を回収するため。
横浜の家を出ようとしたところ、娘が羨ましがったので、
彼女も連れて行きました。未就学の彼女は、なんと電車代がタダ。
年度がわりで混み合う新幹線の中でも私の膝の上に乗り、
実家でやりたい放題して過ごしていた息子と合流しました。
24時間に満たない滞在の間に、息子とCDや本を買い、
同じラーメン屋に2度行きました。
名古屋には「好来系」という根菜類でとったダシを押し出した
独特の醤油ラーメンがあり、小学生の頃からこれを食べつけてきた
私にとって、これがノスタルジーな味なのです。
息子もよく食べ、帰りは3人で新幹線に乗って横浜に戻りました。
道中、3人で富士山を眺めました。今年はけっこう富士山を見ています。
↓5歳児にも富士山は有名だそうです
年度の移り変わりで、駅で見かけた人の中には、
これから大学に進学して一人暮らしを始めようという学生さんも
大勢いたように思います。自分が18歳だった頃を思い出しました。
唐十郎教授への弟子入り前夜です。
コンパクトで、良い帰省でした。
↓この数日で一気に雪解けした感あり。『鐵假面』公演中に高速道路から
見た時は真っ白だった
2024年3月31日 Posted in
中野note
↑椿昇さんと室井先生の写真
自分は昨晩のうちに横浜に戻り、
今日は朝から都内に行って二件、用事を捌いたあと、
娘を連れて名古屋に移動して、夜にはオンラインWSを行いました。
その間も、水戸では絶好調の晴天のもとでバッタが展示されており、
上手く膨らんでいる様子がLINEやメッセンジャーで送られてきます。
室井先生は生前、どうしても角(つの)をたてたくて仕方なく、
2009年の開国博Y150の時には躍起になってその方法を探っていました。
実際、あの時は頭の部分に特殊な扇風機を別で入れることで、
かなり自在にたてることができるようになりました。
↑磯崎新さん設計の塔ごしに
ですが、今度のは、角の部分を軽い素材に変えたことで、
それこそ正真正銘、自然なかたちで角がたったそうです。
こうしてたってみると、長い。もうちょっと短くても良かったんじゃ
ないだろうかと思わなくはないですが、せっかくたったんだから
おめでたいことです。
次の展示予定は定かではありませんが、
またきっと水戸芸術館の皆さんが動いてくださり、市民の皆様にも
展示のノウハウが伝えられていく機会が成ることを願っています。
↑正面。次は汚れをとりたいもの
2024年3月30日 Posted in
中野note
↑ボランティアスタッフの皆さんと記念撮影。去年、触覚も新たなものに
昨夜は23:30に水戸のホテル入りし、一夜明けました。
早朝から散歩に出かけ、千波湖に足を伸ばすと、大雨に洗われた後の
絶景でした。ジョギングしている人も多い。
それから豪華朝食を食べて9:00に水戸芸術館へ。
去年の3月、そして夏と2回に渡って展示や修復を行ったノウハウが
蓄積されて、水戸芸の皆さんがスムーズに動き、ボランティアが
たくさん集まりました。大人で、ずっとバッタを大切にしてくれている
方々に加え、高校2年生がたくさん。聞けば、ボランディアに
参加すると受験対策的に有利になるようで、4月からの3年生年次に
向けて準備しているということで、いかにもしっかりもの。
懸念されていた6本の足先のツメ部分の交換は、
ハニカムファクトリーの安元さんの職人的名人芸によって
かなりスムーズに行き、新しくなったブロアー(扇風機)5台の
パワーを結集して15:00頃から膨らませました。
結果、最近ではもっとも良い張りを見せましたが、
いかんせん、全体に生地が緩んでいることが明白で、
今後の修復プランは部分でなく全体に効果的な一手を
検討するところから始めなければならない感じがしました。
ともあれ、土曜日には無理かもと想定していた展示を1時間だけ
とはいえ行うことができました。自分はこの日しかいられなかった
ので、事後を託して横浜に戻りました。渋滞があり、ひとつ都内での
会議を経て24:00過ぎに帰宅。明日の展示も上手くいきますように。
2024年3月29日 Posted in
中野note
↑長かったけど、あっという間でした
今日は午前中、春の嵐の中を保育園に娘を送っていき、
それから県民ホールに短い時間出勤しました。
ここ2週間『鐵假面』に集中していたので、浦島太郎的な感じがあり、
それでいて、年度末であることを痛感しました。
保育園の先生には異動を告げられ、
県民ホールでは退職者の皆さんと一通りお話ししたためです。
例年に比べてかなり多くの人たちが職場を変える年になりました。
それから、午後は初台へ。
新国立劇場で、大野和士さんが指揮する『トリスタンとイゾルデ』を
観ました。言わずと知れたワーグナーの人気演目ですし、千秋楽でも
あったので海外からのお客さんも多く賑わっていました。
この上演は初演も観ており、あれは2011.1.4だったと
強烈に覚えています。結果的に波乱の2011年でしたが、
お正月あけて一つ目の鑑賞がこの楽劇で、燃焼し尽くしたのか、
大野さんがその後に体調を悪くされたことをよく憶えています。
そして、震災の年になってしまった。
以前より、多くのものが見えるようになりました。
『トリスタン〜』というと、主人公二人の盛り上がりに目がいって
いましたが、こうして実際の上演を久々に観ると、二幕で盛り上がる
二人を遠巻きに眺めるイゾルデの侍女はなんだかやり手ババアのような
おかしみもあるし、三幕冒頭、息も絶え絶えのトリスタンを励まそうと
する従僕は、なんだか太鼓持ちのようです。
そういった人間の可笑しみ、転じて哀しみが自分の中に入ってくるように
なりました。二幕終盤で、主人公二人のデート現場に踏み込んだ王が
若い嫁を満足させる肉体を失っていること、二人の密会を告げ口した
臣下がイゾルデに対して横恋慕していたことも気になりました。
当人たちにすれば地獄絵図ですが、側から見ていると面白い人間関係です。
それに、二幕終盤の地味な場面で、トリスタンがいかに愛情に欠落して
育ったのかが切々と語られると、彼がある時は異様に王に忠義立てし、
ある時はイゾルデにゾッコンのめり込んでしまう理由がわかる気がしました。
思わず、尊敬する小池一夫先生の『I・餓男(アイウエオボーイ)』を
思い出してしまいました。そういったことがわかるようになったのが
自分の13年間だと教えてくれた、貴重な公演でした。
さて、それから新宿で晩御飯を食べ、『少女仮面』に必要な
文房具を買い、水戸に殺到して今に至ります。
明日は朝からバッタ。土曜の夜には横浜に戻ります。
2024年3月28日 Posted in
中野note
ひたすら事務作業とお礼参りです。
公演が終わって1週間で年度末になってしまうので、
突貫で経理処理と報告書作成を行なっています。
本来だったらひと月の猶予があるのですが、
今回は一気に仕上げていきます。
大変ですが、各所への支払いや手続きなど迅速に行うとスッキリするし
4月になってみたらやって、あっという間に片付いて、良かったと
思えるはずです。今は眠いですが、もう一息。
それから、お世話になった各所に御礼を伝えてまわっています。
今回、横浜市の皆さんにはとりわけ多くのサポートを頂きました。
文化部門も建築部門も、消防も、
以前は役所と人というともっと怖い感じがしましたが、
時代が変わったのか、自分がおっさんになったからか、
対応が柔らかく親身になってくれる手厚い方々ばかりで
ほんとうに助けられました。時に荒れ放題になる公衆トイレに
かわって、ずっとお手洗いを貸して下さった技能文化会館の皆さんにも
救われました。温かい公園場所でした。
明日の夜は水戸に行き、
週末に室井さんと椿さんのバッタを修復するお手伝いをします。
去年、室井先生が亡くなる直前に水戸芸術館に行ってから、
あっという間に1年が経ってしまったことを実感します。
これからは来月に行う『オオカミだ!』について考え、
7月末の『少女仮面』の準備を急いで行います。
2024年3月27日 Posted in
中野note
今日は晴天のもと、ハンディラボで片付けをしました。
干せる限りのものを干し、できる限りきれいに畳んで収納。
太陽の力は偉大でみるみる乾いてゆく。
『鐵假面』のために製作したものは廃棄処分に。
ぜんぶで9m3の廃棄物を業者さんが持っていってくれました。
差し入れをみんなで分けて頂きました。
あの、齋藤が作って劇場入り口に掲げた巨大鉄仮面を気に入り、
ハンディラボの唐ゼミ☆コーナーに飾ることにしました。
それまで飾ってあったジョン・シルバー人形とはお別れし、
この鉄仮面が新たなモニュメントです。
事務処理はまだ終わっていません。
みんなから領収書をかき集め、支払いを行い、報告書を
躍起になって書いていきます。本当に公演のすべてが終わるまでは
まだもう少しかかります。
2024年3月 2日 Posted in
中野note
↑私では入ることができない
今日は稽古も作業も休みでした。そこで何をするかといえば、
トイレの数を数え、ポスティングをして回ることです。
あらゆる舞台公演の会場にはトイレが必要で、
その数もまた条例によって決められています。
客席〇〇平米につき1台という風に、観客席の大きさによって
その台数が定められているのです。
この所管は保健所で、このところずっと仮設建築に対する
申請作業を行なっていますが、その次は消防・そして保健所の許可を
得て初めて、公演ができるというわけです。
今回の『鐵假面』を行う関内駅近くの大通り公園には
立派な公衆トイレがあって、公演場所は目の前です。
というか、ここに公衆トイレがあるから、私たちは公演場所を
その前と決めたのです。そのくらいトイレは大事。
で、届け出を出すにあたって便器の数をカウントして提出するのですが、
これがなかなか難しい。というのは、自分は女性用トイレに入ることが
できないからです。かといって夜中に行ってこっそり数えるのも
ますます怪しい。
そこで、今日は椎野と大通り公園に行きました。
椎野ということは休みである子ども二人も連れて行かざるを得ず、
息子と娘を連れて4人で行きました。
そして、男性用トイレには小便器2台、大便器1台、
女性用トイレには大便器2台、プラスみんなのトイレ1台、
などと数えて保健所への書類に書き込むわけです。
せっかく来たので、4人で近隣の皆様へのポスティングも
しました。宣伝ではなく、挨拶回りです。
ガス・水道・電気・道路などの工事の際に、
それを告げる通達がポストに入っていることがありますね。
あれと同じです。3/14(木)から設営をして、3/20(祝水)から
本番、24(日)に公演を終えて片付けして26(火)には去ります、
というのを手紙にして、近隣のマンションなどに配って回りました。
焦点や病院や公共施設は、説明をして回ります。
子ども連れでこんなことをしていると、自分を取り巻く状況の変化に
気付かされますが、皆さんの反応も良く、面白い体験でした。
あと10日ちょっとで現場入りです。
2024年3月 1日 Posted in
中野note
私たちの美術製作にワダ タワーさんも助太刀に来てくれています。
今回のセットにはデザイナーの鎌田朋子さんが考えた抽象絵画的な
紋様があって、これは美術の領域です。
こういう時に強力なのが美大出身のワダさんです
ちょうど10年前に一緒に上演した『パノラマ』という芝居で
ワダさんは画工の役を演じましたが、それは実際に彼が美術の心得を
持っているからです。今回もその特技を活かしてパネルに画を描き、
さらに鎌田さんが仕上げにやってくるという手順で仕事を
進めてもらっています。心強く、頼りになる男よ!
他方、今日も米澤はやってきてせっせと働いています。
昨日は齋藤により、牛丼の名店すき家で2,000円の豪遊をしたそう。
どうやったらすき家でそんな金額にいくのか、ちょっと想像できません。
そのうち自分も資金援助して米澤の栄養状態を高めたいと思っています。
2024年3月 1日 Posted in
中野note
米澤は今回、役者として『鐵假面』に出演しませんが、
以前として劇団員であり、きちんと作業に来てセットを作っています。
私がロンドンに行っている頃から他の団体に出演したり、
ワークショップによく出ているようで、以前は寡黙一辺倒だったのが
最近はよく喋るようになってきました。
米澤はあんこが大好きなので、お世話になっている方から頂いた
もなかをプレゼントしたところ、今日は二つ食べて美味しかったと
言っていました。というくらい彼は元気です。
米澤は面白い役者なので、彼が出演しないことはファンの方には
申し訳ありませんが、私もまた早く復活して欲しいと思い続けています。
米澤の近況はXで見てください。時々、ポストしているようです。
間を置いて会うたびにちょっと痩せたなと心配していたら、
今日は齋藤がご馳走していたようです。
やっぱり後輩劇団員が食えていないと心配になります。
なんだか共産主義社会みたいですが、劇団には確かにそういう
相互補助の要素があり、慎ましくてお互いさまの、
なかなか良い関係だと思っています。
2024年2月28日 Posted in
中野note
三木さんや角田さんが衣裳をつくり
一歩くんや丸山くんや昼寝くんが鉄仮面の頭頂部を量産し
さらに昼寝くんが、スプレーで鉄の重厚感を出すのを見るにつけ、
みんなでものづくりをする劇団の良さを感じます。
彼らの姿を見ながら全員で叩き上げた衣裳・美術・小道具を
武器にして、どうやって劇を仕上げていこうかと考えています。
とても良い奴らです。最高のコンディション、役やせりふの体現にして
彼らを送り出そう!
2024年2月27日 Posted in
中野note
↑演技も著作も大好きな金田龍之介さん
昨日からハンディラボでの作業が始まりました。
大道具・小道具・衣裳・制作作業を一気に進めていきます。
こうなると、仕切りは舞台監督の齋藤です。
それぞれの適正に合った作業を割り振って全体を押し上げています。
私はといえば、みんなが作ったりデザインしてくるものを
ジャッジしながら、建築確認申請にいそしんでいます。
横浜市を相手にこれをするのは2019年以来で、
今回の行き来の中で、市庁舎が新しくなったのをまざまざと
感じています。キレイで良いけど、建物に着いてから
各部署に行くまでエレベーターが混んで10分くらいかかる時もある。
働く市役所員はさぞ大変だろうと思います。
また、今日は帰りにとても良いものを見ました。
横浜の若葉町には牛鍋の名店「太田なわのれん」があります。
さすが文明開化の地であるところの象徴の一つです。
自分はまだ行ったことはありませんが、興味は持っています。
若葉町ウォーフの近くでもあり、よく店の前を通りますが、
今日はこの店舗前に、宴会後のお坊さんたちが大挙して喋り合って
いるのを発見しました。ちゃんと坊主が金色の袈裟を着ている
スタイルで、嬉しそうに喋っていました。
なかなかの生臭感ですが、あまりにあっけらかんとして
かえって明るい気持ちになりました。俗っぽさが突き抜けて健康的です。
伊丹十三映画を思い出しました。『あげまん』の金田龍之介さんは
良かったなあ。素晴らしい俳優でした。
2024年2月24日 Posted in
中野note
↑これは自分が学生たちとやった『忘却篇』のチラシ
明日から『鐵假面』の座組がハンディラボに集まって作業をします。
舞台美術を作り、小道具を作り、衣裳を作る作業です。
自分はご案内上で至っていないところなどを送りきり、
3/14(木)より劇場を設営するための許可申請やポスティングの
準備などもしようと思っています。
要はやることがたくさんあります。
一方で明日、日曜日は恒例の本読みWSです。
『腰巻お仙』シリーズを『忘却篇』から読んでいくという企画です。
何せ3本もありますから、初期の台本で短いとはいえ、
週に一回やって4ヶ月くらいはかかります。
1作目『忘却篇』は戸山ハイツで公演して警察沙汰、
2作目『義理人情いろはにほへと篇』は初めて紅テントをたてた公演、
3作目『振袖火事の巻』は機動隊に囲まれた新宿西口中央公園事件
とエピソード満載の公演ですから、自然と心が浮き立ちます。
『鐵假面』公演の合間にやっても気分転換になるし、
何より参加者の皆さんの様子を見ていると、初参加の方が何人か
いるのも含めて、期待感が高いように思います。
アンダーグラウンド演劇、として唐さんを唐十郎にしていった演目
と捉えられているのかもしれません。
『鐵假面』の準備の合間に、良い気分転換になっています。
お申し込みはコチラ→
2024年2月23日 Posted in
中野note
↑津内口と麻子の声はよく出ており、安心。が、油断せずいく!
稽古がひと段落して、よく寝ました。
1月下旬に声が枯れ、騙し騙しやってきましたが、
ここらでピッカピカに治したいからです。声が出ないと力が出ない。
けれども、良かったこともあって、
それは、喉を痛めてしまった役者の情けなさがよくわかったことです。
本番の日の朝に不調を感じつつ公演に向かう時の悲壮感も想像が
できます。公演まで1ヶ月を切りました。コロナやインフルエンザは
もちろん、喉を無傷で初日に向かわせることが自分の務めです。
2/25(日)からは集合が再開して、
今度はハンディラボでの道具作りが始まります。
作業が苦手な自分にもできる仕事を齋藤がアレンジしてくれ、
大事な仮面づくりを行おうと思っています。
例え本番中に不具合があっても凌げるよう、予備だって作りたい。
タイトルロールですから。文字通り鉄仮面が主役の芝居です。
そのことを先日の全幕通し稽古でも痛感しました。
個性的な役柄が多いけれど、鉄仮面が主役!
ここから数日かけてやりたいことがあります。
『鐵假面』について、台本を新しくして音響用のものを仕立てる。
案内を送りきれていないお客様に封書をつくる。
仮面を作り、みんなの作業を見守りながら進めたい作業です。
大通り公園の近隣の皆さんへの手紙づくりとポスティングも
大事な作業です。最低でも迷惑をかけないように、できれば、
劇団の味方になってもらい、興味を持ってもらえるように。
それから、『少女仮面』の準備もしたいと考えています。
気づけば、『少女仮面』公演が5ヶ月後に迫っているのです。
せっかく劇場でやりますから、いろんなところに持ち運べる
私たちの財産を築きたい。こういうところにも、『オオカミだ!』
の経験が生きています。面白いのは最低限。フットワークの軽さも
心がけて、レパートリ化も狙っていきます。
そうそう。『オオカミだ!』の4月KAAT公演もある!
2024年2月22日 Posted in
中野note
↑前回と同じ63点をぎっちり詰め込みました!@ギャラリー写蔵
自分でもビビっています。
四谷で写真展をしてくださった伏見行介さんが
元キャパ編集長の石田立雄さんと急速に話をまとめ、
横浜 大桟橋の近くにあるシルクセンターのギャラリーに
呼び出されたのが先週のこと。
そこから数日で、唐ゼミ☆写真展を再びやることになったのです。
この写真展は、実はもう始まっています。
シルクセンターのギャラリー写蔵にて2/22(木)〜25(日)まで開催。
その後、『鐵假面』公演に合わせ3/18(月)〜24(日)にも実施します。
回廊時間は11:00-18:00です。
伏見さんの会社のブログ
思いつきから打合せ、新たにパネルなどの製作、
展示のための飾り付け作業までのスピード感について
伏見さんと石田さんのスピード感にはほんとうに驚きました。
自分もけっこうせっかちなのですが、
お二人の速さは只事でありませんでした。
しかも、その物腰にはぜんぜん力みが無いのです。
楽しい驚きです。
フッと思いついてパッとやってみせる。
用意周到な計画性も良いですが、まるで学生時代のような勢いに
最近の世の中に廃れがちな積極的ないい加減さを感じました。
まさしくインプロ。『鐵假面』もいや増しに盛り上がります。
2024年2月21日 Posted in
中野note
↑座組のマスコットとなっている鷲見武くんの熱演風景
10年以上の付き合いの中で、ほんとうに面白い役者になった
『鐵假面』なんとか全幕を通しました。
体調不良で一人欠席でしたが、他はフルメンバーです。
今週から加わった宇野雷蔵くん、昨日から加わった角田奈美さんも
加わり、初めて全体をつなげていきました。
今日のタイムでは、休憩込み118分です。
2時間以内に収めようという目標は達成されましたが、
質を高めて3分絞りたいところです。
全体を俯瞰して見ると、この『鐵假面』は実にメリハリの効いた
芝居です。真ん中にいる4〜5人の登場人物が、キャラ立ちの良い
他の人物をゲスト的に迎えては、個人技の応酬を受けていく。
そういうスタイルが実にハッキリしています。
ですから、やはりシーン毎に出てくるワンポイントの
人物たちをいかに面白く仕立てるかが勝負であり、
それを担う役者たちと一役一役、工夫を凝らすのはたのしい作業です。
もちろん、体調にも気を配ります。
ここ2週間はかなり根を詰めましたが、
明日から少し休み、日曜からハンディラボでの作業が始まります。
しばらくセットと衣裳、小道具づくりに邁進し、
再び稽古を立ち上げるのは3/4です。
本番約1ヶ月前に通し稽古が成立するのは私たち独特ですが、
作業をしていたらあっという間に時間は過ぎています。
最近は声が枯れ気味なので、ここで一気に治そうとも思います。
2024年2月 9日 Posted in
中野note
今日は〈オルガンavecバレエ〉公演のゲネプロでした。
順調に上手くいっています。何度観てもとても豪華な公演で
明日の一回で終わってしまうのがつくづくもったいない公演です。
演奏される曲はバロックからコンテンポラリーまで多彩で、
すごく愉しめます。しばらく耳に焼きついて離れないでしょう。
一方、行き帰りには日本のSF音楽CDを聴いています。
『ゴジラ』で有名な伊福部昭を筆頭に、昭和の時代には
さまざまな怪奇映画がつくられ、日本の現代音楽家たちが
この分野で腕を振るい、しのぎを削ったことが伺われます。
これらを聴くのは、単に愉しみのためでもあり、
『鐵假面』の劇中にかける音楽を探すためでもあります。
以前はメロディアスな曲が好きだったのですが、
ノイジーで、少し聴いただけではメロディのパターンが
読めない曲がだんだん好きになってきました。
こういった曲が劇にハマると、一段上の魅力を発揮することに
気づいたからです。そういうわけで、音楽漬けの日々です。
いつも各地を移動しながら細かな時間割りで生活しています。
家と劇場を行き来するだけだと負担が少ないし、物事をじっくり
考えられます。事務作業もずいぶん進みました。
明日でひと段落するまで、もう一息です。
2024年2月 8日 Posted in
中野note
↑県民ホールの同僚がよろこんでくれた舞台写真
一昨日で稽古を一旦切り上げ、昨日からはオルガンのことを考えています。
今週末2/10(土)に神奈川県民ホールの小ホールで行う
〈オルガン avec バレエ〉公演を担当しているので、仕込みをし、
リハーサルをし、本番へと向かっているというわけです。
https://www.kanagawa-kenminhall.com/d/avec_2023
目の前でバッハやメンデルスゾーンの曲がパイプオルガンで
演奏され、ステージで研ぎ澄まされたバレエダンサーたちが舞っている
のを見ていると、前日まで乞食たちのファッションショーを
必死になってつくっていたのとギャップがありすぎて
笑ってしまいます。異世界に紛れ込んだような。
いや、どう考えても普段の唐ゼミ☆の方が異世界だよなあ。
そう思わずにはいられません。実際に、一緒に働いている
クラシック音楽畑の仲間に、来月にオレは12日間、公演のテントで
寝泊まりするんだよね、と言ったら、???マークがいっぱいでした。
仕方がないので、伏見さんの写真展で展示したフォトデータを
見せると、「なんか楽しそうですね」と言われたりして。
そんな具合に異文化交流を2/10までして、
2/11からはもとの世界にズブズブと帰っていきます。
そう。2/11は、唐さんの84回目のお誕生日です!
2024年2月 7日 Posted in
中野note
昨夜、『鐵假面』の1幕を初めて通しました。
皆が動き回り、キャラクターが立つようにつくってきましたが、
通して48分、上手くいったところもいかないところも孕みながら
新しい『鐵假面』をやりました。
みんなの運動量を増して攻め抜くやり方は成功していました。
なかなかの変人ショーで、気に入っています。
他方、リアリズム的な詰めがぜんぜん追いついていないので、
ひとりひとり、居残り稽古を重ねることで、全体に重厚な芝居に
なるよう底上げを図る必要を感じました。
早速、通し稽古の後は、昼寝くんが残って2時間ほど稽古しました。
しかし、あんまりせりふのやり取りを徹底しすぎると、
なんだかチマチマした会話劇になってしまうし、役柄は底抜けに
明るく、くだらなく、みんながみんな異様な偏執狂でもあるので、
稽古を始めて以来、一緒になって追求しているスケール感と
独自色を押し出し続けて行きたいと思っています。
基本的すぎることですが、断然みんなが個を持っているわけですから
それを押し出さないと。
そうこう思いながら次の稽古を思い描いて気分よく過ごしていたら、
ドアにぶつかった拍子にメガネが壊れました。
これはここ5年以上、レンズを一年に一度ずつ交換しながら気に入って
使ってきたフレームです。店員さんには3年ほど前から、
「そろそろ老朽化ですよ」と言われてきましたが、鼻あての金具が
ポキンと折れて、お別れすることになりました。
ずっと好きで使ってきたけれど、充分に頑張ってくれたので
惜しくはありません。また新しいフェーズに入るのだと、
そういう感じがします。
ロンドンで壊れた時用に用意してあったスペアが2本あって、
新たにそのうちの1本をかけ始めました。また新しい視点で、
いろんな角度から登場人物を解放していきたい。稽古の時間を
たっぷり確保して、徐々に徐々にやるつもりです。
2024年2月 5日 Posted in
中野note
↑ピアノの傍でベストを着て立っているのが山下洋輔さん。その演奏で
みんなが舞台に上がり、踊りました
昨夜は本読みワークショップでした。
それで、いつもなら今日はレポートの日なのですが、
昨日のお昼から夕方の体験が強烈だったので、
先にこちらを書きます。
横浜市磯子区の杉田劇場は私が特に親しくしているホールのひとつです。
ここには、中村牧さんという名物館長がいて、
地域貢献をよくし、シニアやお子さんや障がいを持つ人にも優しい
劇場とはどんなところかを常に実践しています。
自分が5年ほど前から関わっている
ドリームエナジープロジェクトの主な発表の場としても、
杉田劇場はいつも支えになってださっています。
昨日はこの杉田劇場で、「ニコニコ冬まつりライブ」という
イベントが行われました。平和なネーミングの催しですが、
なかなか侮れないどころか、異様な盛り上がりでした。
土日で2日連続で行われたライブ、日曜はダンス編ということで、
山海塾の一員でもある松岡大さんが小田原で展開してする
スクランブル・ダンスプロジェクト、肉態表現家の戸松美貴博さんと
ジャズ・ピアニストの山下洋輔さんによる肉態即興DUOが出演。
その間に、自分の参加するドリプロが出演し、
AYAKO先生の新作パフォーマンス『2月のおもい 2月のきおく』を
発表し、自分も出演してきました。
終盤の大団円は特にすさまじく、戸松さんの煽りで会場は総立ち、
誰も彼もがステージに上がりたい放題で、山下洋輔さんのピアノに
乗せられて全員が踊り狂うというカオスに突入しました。
最近の体調不良が嘘のように吹き飛んでしまう威力がありました。
久々に自由の風が会場内に充満するのを感じました。
胸のすくような思いをして、本読みWS目掛けて会場を後にしましたが、
かつて『ジョン・シルバー』や『腰巻お仙 義理人情』唐さんと共演した
山下洋輔さんに接することができたのは大きな収穫でした。
そして、やはりそれ以上に、最後にあらわれた狂騒の10分間は
今思い出しても稀有な体験でした。
2024年1月31日 Posted in
中野note
↑建物一階に設置したこの案内も、丸めて持って帰ってきました
今日は写真展の最終日でした。
朝からの登板は津内口にお願いして、自分は横浜での仕事を片付けてから
四谷に向かい、12:30に到着して訪ねてきてくださる方を待ちました。
最後に駆け込みで来るよ、と言っていた伏見さんの言葉通り、
多くの皆さんが訪れてくれました。熊野とちろさんが来てくれた。
一緒につくった舞台の記録がいくらもあります。
他にも、その時々で舞台を見てくださっていたお客さんを
お迎えできて、被写体になっている芝居や場面、キャラクターへの
愛着を伺うことができました。普段、公演で会う時には
こちらは緊張しています。今回は写真のパワーのおかげで、
安心して話を聞くことができました。
15:00になると片付けを始めて、
これが実にスピーディーに、30分ほどで終わってしまって、
当たり前ですが公演の片付けとはずいぶん違うものだと思いました。
伏見さんの発案もあり、今回せっかく作ってくださった
写真のパネルは大事に受け取って帰り、保管することにしました。
劇団の大きな財産です。全てが並ばないまでも、
またご披露する機会をつくりたいと思っています。
2024年1月30日 Posted in
中野note
↑松本くんは筋肉量が多く、すぐに大汗かいて半袖で動き回っていま
写真展、今日は米澤が登板の予定でしたが、
米澤が風邪をひいてしまって失礼をしました。
横浜で稽古があり、他の唐ゼミ☆メンバーはこちらに注力、
ギャラリー番は伏見さんに任せきりになってしまいました。
今日も新たな登場人物がやってきて、次々とシーンが展開していきます。
顔見世の1幕という効果が如実に出ているので、キャラクターを
立てることに試行錯誤しています。
登場してすぐに強く印象付けたいところ。
公園課職員役の松本一歩くんが登場し、
味の素の若手エリート社員役のヒガシナオキも立ち稽古の出番が
やってきました。
衣裳も考えています。ヒガシは味の素社員なので、
赤と白を基調につくろうかと思いますが、もちろんモデルはこれです。
今は可愛らしいパンダのデザインの容器に入っている味の素ですが、
昔のボトルは今や貴重品なんだそうです。
2024年1月29日 Posted in
中野note
↑初演時に流行っていた萬屋錦之介版のドラマ『子連れ狼』に唐さんが
インスパイアされて、現在は鷲見武くんが演じている「中年男」という
キャラクターが生まれました
今日は写真展5日目。
きっと何人かのお客様がお越しになってくださっていると思いますが、
私たちがギャラリーの番を伏見さんにお任せして、
『鐵假面』の立ち稽古を若葉町WHRAFでやっています。
昨日のギャラリートークをしたことで、
今度の公演に期待してくださっている方々の表情を実際に見ることが
できました。浅草で公演してからの2年はイギリス滞在期間も相まって
特別な時間だったことに違いありませんが、自分にとっては、
ずっと続けてきた劇団活動が分断されてしまった時間でも
ありました。勝手をやっているのは自分なのですが、
一つ一つ、糸を結び直している、そういう感じがします。
立ち稽古はまだまだ序盤です。
物語の基礎である稲妻姉妹とタタミ屋の関係ができ始め、
乞食の群れはにぎやかにやっています。
紙芝居屋と中年男は苦労をしていますが、
それも、日常とはかけ離れた、現在の私たちでは想像しにくい
キャラクターを手に入れるために手続きととらえています。
両役を任せた佐藤昼寝くんと鷲見武くんとは時間を尽くし、
一緒になって確信を得た役柄と所作とせりふを獲得していくつもりです。
かたやハンディラボでは、齋藤が一人で作業を続けています。
一回、座組のみんなでお食事会をして、温かいものを食べたい。
そんな気持ちがもたげています。1幕稽古中に。どこかで!
2024年1月28日 Posted in
中野note
今日は写真展が4日目で、ギャラリートークを2回行いました。
それに合わせて来てくださった、伏見さんの仲間の皆様、
劇団のファンの皆様、元唐ゼミ☆メンバーや座組のみんなと
同窓会のようになって、ありがたい時間でした。
14:00の回は伏見さん&椎野と2009-2017年までについて
演目を追いながら話し、16:00の回は伏見さん&津内口&麻子と
2018-2021年の話をしました。
前半は編年体で劇団の基礎情報や唐さんの話を交えてしましたが、
後半は、2018年頃から舞台写真だけでなく公演準備の撮影しに
来てくださるようになった伏見さんのスタイルの変化に合わせて、
ひとつの公演に関わるドキュメント的な話をしました。
津内口や麻子は、本番中もずっとそういう公演回りを整えながら
舞台に出入りして、唐ゼミ☆の舞台を担って来ました。
そういう彼女らが今度は『鐵假面』で主役をやろうとしている。
主役になれば舞台での居方が変わるので、その大きな第一歩に
なったのが昨日であったとも実感しました。
それから、カメラ技術や性能的に、
テント演劇の乏しい照明や、小さな空間ですばしこく動き回る
役者たちを捉えるのがいかに難しいか、という話もたくさん
伏見さんから伺いました。
写真に写る舞台は、実際の舞台を超えた写真の中の舞台だと
自分は思って、実際にその通りになっています。
伏見さんは広告写真家なので、作家としてのご自身を出さない
ところに凄みがありますが、私たちにとってはクリエーターであり、
私たちに自分自身が何をしているか見せてくださったのだと
改めて良くわかりました。感謝です。
残すところ3日間。
1/29(月)10:00-18:00
1/30(火)10:00-18:00
1/31(水)10:00-15:00 までやっています!
2024年1月25日 Posted in
中野note
↑セブンイレブンを目印に5階に上がるとポートレートギャラリーです
今日は写真展初日でした。
早く起きてしまったので8:00には家を出て、
横浜から新宿三丁目まで電車、そこから歩いて四ツ谷を目指しました。
朝の都内を歩くことがは滅多になく、そう遠くないことがわかりました。
到着して伏見さんと落ち合うと、
スライドショーを仕込んだモニターを付け、
カバンの中にあったフルートのCDをかけてBGMにしました。
目下、『鐵假面』に使っている曲が入っているもので、
ピッタリきました。格調高い感じです。
10:00を過ぎると、
本読みワークショップの常連メンバーや、
学生時代から劇団を応援してくださってきた方、
室井先生のお友だち、出演して写真の被写体になってくれた
パフォーマーのご親族が来てくれました。
伏見さんのお客様として、
カメラや写真の業界の方々とお話しできたのも愉しい経験です。
久しぶりに腰を据えて一つ所で一日を過ごしました。
最後には、Project Nyxの稽古を終えた禿恵が来てくれました。
久々に食事をし、横浜まで一緒に引き上げました。
これはもちろん、彼女の写真展でもあります。
2024年1月24日 Posted in
中野note
四谷ポートレートギャラリーにやってきました。
夕方から作業開始、伏見さんと進めてきた準備が目の前で次々に
結実し、ようやく実感が湧いてきました。
展示プロパーの皆さんがやってきて、
蛍光色の糸で水平を取り、巧みに釘を打ちつけて写真を壁にかけてゆく
作業はそれは美しいものでした。そこにキャプションが付く。
キャプションは、今週末の土曜日に小田原で安藤洋子さんと
神奈川県のシニアの皆さんによるダンス公演のプロデュースを
している津内口が、夜を徹して仕立ててくれたものでした。
これがピタリとハマる。ギャラリーの方に、ピンではなく、
マジックテープで壁に貼り付けるやり方を教わって、
いちいち感心。
そして、展示順の最終形に合わせて、
椎野が家で当日に配る刷りものを仕上げてくれました。
横浜に戻ってきて、現在は印刷を待ちながらこれを書いています。
現在の自分にとって、とてつもなく贅沢な時間です。
伏見さんが天使に見える。そして、一緒に舞台をつくってきた
メンバーに想いを馳せる時間でもあります。
当番の日は、お客さんとお話ししながら、
誰もいない時間に『鐵假面』の音響プランをつくろうと思います。
そういうもの全てをひっくるめて、これが伏見さんから授かった
足を止めて考える時間だと受け止めています。
特に年明けから、
これまで関わってくれたメンバーに椎野から許可どりの連絡をして、
その報告を聞くのは楽しい時間でした。唐ゼミ☆の舞台に立ってきた
みんながどんな風にしているか、久しぶりに聞くことができて、
それも大きな収穫です。
いよいよ明日からです。ふらりと来てください!
2024年1月23日 Posted in
中野note
私たちの新しい『鐵假面』のために、昨日から立ち稽古を始めています
会場は横浜、若葉町WHARF2階の稽古場。
唐さんの盟友である佐藤信さんがオーナーのアートセンターです。
管理人の須賀さんは自ら世人(せじん)というカンパニーを主催されて
いる方であり、だからこそ、この空間には絶大な安心感があります。
広い半野外ステージのスペースは取れませんが、
それでも、齋藤が工夫して間取りを考え、床にテープを貼りながら
役者たちに今回のセットプランを説明。稽古に入りました。
冒頭に音楽をかけます。
ロンドンでハマったジャズやレゲエが唐作品に合うかどうか、
実験しながら劇に入っていきます。サトウユウスケさんが新たに
作り直してくださった劇中歌の大合唱の伴奏も、みんなが歌いやすいか
初めの音を取りやすいか、検証しながら稽古をします。
何より、実際の野外空間を想定しながら、
どんな動きが想定されるのか、伝えながらのびのび動いて欲しいことを
伝えます。今までより格段に広い舞台を走り回っていこうぜ。
そう伝えています。今回の劇はアスレチック・プログラムだ。
そういう言い方もします。
冒頭から大汗かきながらみんなが演じて、大笑いしました。
さっきまで「寒いねえ」などと言っていたのに、すぐに暑がるように
なり、スタジオの窓は結露せんばかり。
コロナもあったし、海外にいて稽古をしていなかった期間も
たくさんありました。ホームに帰ってきた実感でいっぱいです。
幸先の良い稽古でした。
みんなの様子をよく観察しながら、全員で押し上げていきます。
2024年1月19日 Posted in
中野note
↑1台目はシルバーのラフェスタでしたが、フリードは白。
一番傷が目立ちにくいのが白だということで
今日は朝から横須賀に行き、午後に品川、夜に初台に行きました。
いつもは車で動きますが、駐車場代もかかるし、
何より車を休ませたいので電車で移動することにしました。
車を気遣うということを、私は初めて買った10年落ちの
日産ラフェスタから教わりました。中古であるとはいえ、
購入時に1万キロ強しか走っていなかった彼は、
それはそれは自分に献身してくれました。
4年間で13.5万キロを走り、修理に修理を重ねながらも
『唐版 風の又三郎』浅草公演の仕込み中にどうしようもなく止まって
しまい、廃車にするしかないとわかった時には、涙が出ました。
それほどに、苦楽をともにした仲だったのです。
それから自分を省みました。
自分はハードに車を動かすことで、悦に入っていたのではないか。
もっと優しく乗って、彼を長持ちさせることはできなかったのか。
いま乗っているホンダ フリードは、自分の車としては2台目です。
ロンドンから帰ってきた時に、奮発してハイブリットの新車を購入した
ものです。戦争は止む気配なく、これからガソリンが高騰すると
見込んでのことです。
1年経ってみて、やはり3万キロ弱走ってしまっています。
乗り始めて21.4km/1Lだった燃費が、徐々に落ちてきているような
気もする。そこで、人間にとっての休肝日のように、できるだけ
彼を休ませたいと思いが募っています。
幸い、1時は21.0km/1Lまで落ちた燃費も21.2km/1Lまで回復しました。
しかしこれは、高速道路に多く乗っているということでもあるので、
要注意ではありますが。
唐さんは昔、新品真っ白のズボンを大事にするあまり、
結局、一度もはかずに終わってしまったことがあったそうです。
自分と車の関係はさすがにそこまではいきませんが、
モノを偏愛し、モノが人格化してこそ、唐作品に取り組む資格が
あるということです。
初台でこれを書いています。
アイツが今ごろ、駐車場でよく休んでくれているといいなあ。
2024年1月16日 Posted in
中野note
↑こんな風に実際に試作品を被ってみながらフォルムや質感を調整
何より表情が重要です。装着する役者の身体のサイズによっても
適切な大きさが違う。そのへんを丁寧にやっています
今日は午前中からお昼過ぎにかけて県民ホールの仕事をして、
14:00にはハンディラボに到着、タイトルに掲げた作業に没頭しました。
写真家の伏見さんとzoom会議をしながら、
1/25(水)オープンの写真展に間に合うよう、
残りの作業を割り出しはコツコツと完成させていきます。
一方、工房スペースでは齋藤がオリジナル鉄仮面の
製作に当たっています。プロトタイプを作りながら、
意見を出し合いながらフィッティングをするのは楽しい。
けれども作業量は膨大です。
2007年に上演したときからずいぶん時間が経つ中で、
素材選びも工法も、だいぶ進化したことを思わずにはいられません。
何より、造形に託すコンセプトを確認しながら、それをより
叶える方法がないか、ビジュアル的にしっくりくるか、
検証しながら試行錯誤しています。
初号ができたら量産体制に入りますが、
鉄仮面はタイトルロールですから、まさに最重要アイテムです。
ズラリと並んだ時に思いを馳せながら作っています。
そして夕方からは稽古。
昼間の予定を終えたメンバーが集まってきて、
暖房を入れながら、それでいて乾燥しすぎないように本を読みます
あと一回、本読みを終えたら、キャスティングを全て決め、
1月下旬から立ち稽古に入ります。
↓本読みの様子に耳をそば立てながら作業する齋藤。工房は寒く、
足元にはヒーターを入れています
2024年1月12日 Posted in
中野note
↑キッチンや洗面所周りを入念に掃除、ブリーチとハイターの応酬で
消毒くさい。『吸血姫』の看護婦長のせりふを思い出しました
今日は朝からハンディラボの大掃除。
唐ゼミ☆からは、林麻子と椎野と私の3人で繰り出しました。
そのそも、私たちの拠点であるハンディラボとは、
横浜市鶴見区にある倉庫のことです。
この中には、事務・作業・資材置きができるスペースがあり、
この場をハンディ・ハウス・プロジェクトという建築家集団が
管理に当たっています。
彼らは実に気持ちの良い人たちで、すごくカッコいい集団です。
メンバーの皆さんはいずれも自立した建築家やデザイナーさんたち
ですが、ハンディ・ハウス・プロジェクトとして、
施主も一緒に手を動かして作る家づくり・お店づくりを中心に、
オフィスカーや海の家、廃材を活用したオブジェづくりまで、
その活動はユニークかつ多岐に渡ります。
今日は久々にハンディ・メンバーが揃っているのに接して
少しおしゃべりしたりしながら、一緒に大掃除をしました。
唐ゼミ☆メンバーは事務スペースやお勝手周りを掃除して
実にスッキリしました。
その後は横浜市役所に行き、公園利用の許可証をもらい、
それから建築指導課とのやりとりを開始しました。
仮設建築確認申請。消防署と保健所への届け出。
これらこそ、芝居の準備に並行して自分がこれから闘っていく
なかなかの難題です。しかし、口火は切られたので、
これからガシガシ進めいきます。人間必死になれば、
風が吹いた時の荷重計算や吸排気の計算までできるように
なるのです。
あとは、鎌田朋子さんとの美術打合せ。
公演準備のための環境づくり、各所との手続き、
内容にダイレクトに関わる演技とビジュアルづくり、
これらが勢いよく走り始めています。
2024年1月11日 Posted in
中野note
↑深夜、堺の食堂に行っていた頃。やなぎさんのおかげで新宮にも
よく行き、あの落合博満記念館も訪ねるという役得に預かりました
今日は日帰りで関西に出張しました。
唐ゼミ☆でなく神奈川県民ホールの仕事です。
堺市と京都市、弾丸で2か所を巡りましたが、
久々に見た街の景色に、過去に関わったプロジェクトの数々が
去来しました。
まず、堺市といえば、2016年に取り組んだやなぎみわさんの
トレーラー演劇。あの時は演出助手で参加しましたが、
名村造船所の倉庫の中で初夏にした格闘がまざまざと甦りました。
あの時は、とある美術教室のソファに寝起きして歩いて稽古場に通い、
よく住吉大社にも散歩に出かけました。深夜作業に煮詰まると、
スタッフの黒飛くんや井尻さんと連れ立って堺の市場まで足を伸ばし、
夜中に食堂であさり汁を食べたのを思い出します。
食べた後のあさり殻を床に捨てるという習慣のある店で、
帰りに貝殻をバキバキと踏みしだく楽しい想い出があります。
まだ長男が生まれる寸前の、おもしろい滞在でした。
京都はもう、圧倒的に唐ゼミ☆公演の思い出です。
立誠小学校のグラウンドや校舎で行った劇の数々、
皆で泊まった修学院の大学宿泊所や、四条と五条の中間にあった
ドミトリーを思い出しました。
移動の合間に、『鐵假面』の美術や衣裳について考え、音響を練り、
写真展に必要な文章を書いたりしています。
もう少しで新横浜。今日はこの辺にしておきます。
2024年1月10日 Posted in
中野note
↑1/28(日は)ライトに楽しめるコミック・ソングをフューチャーします
今日、県民ホールでは週末の公演のリハーサルがスタートしました。
作曲家の夏田昌和さんと生誕150周年のA.シェーンベルクを共演させて
それぞれの作品を演奏するC×Cという企画です。
早朝に、エレクトロニクスを担当する有馬純寿さんの機材搬入をお手伝い。
初めて有馬さんとお話できました。ちょうど2001年に私たちがバッタと
格闘していた頃、有馬さんも横浜トリエンナーレに参加して激しく
プロジェクトにぶつかっていたそうです。
椿昇さんとも多くの仕事をしてきたということで、
これまで遠巻きにスゴい方だ!と思っていた有馬さんが一気に身近に
感じられました。
また、現代音楽雑誌の編集者時代にパリから戻りたての大里先生に
取材されたそうで、苦労した話を聞かせてもらいました。
自分の車になんとか機材を押し込んで、かなり愉しい移動時間でした。
それが終わると、ハンディラボに移動し、
今度の写真展で行うギャラリートークの中の劇中歌の稽古。
椎野と麻子が行うセッションをブラッシュアップしました。
工房では齋藤が鉄仮面の試作品を着々と作っており、
それによって、目指すオリジナルの仮面のかたちが見えてきました。
拘束感があって、シャープで、無表情で、
その無表情の下に演者の表情が渦巻いている。
そういう仮面を目指しています。
麻子と衣裳デザインの構想を練ったり、
サトウユウスケさんから新たな劇中歌伴奏が届いたりすると、
そういう一つ一つを吟味し尽くす時間が、もっともっと欲しい!
2024年1月 9日 Posted in
中野note
稽古しています。
出演者が集まって、『鐵假面』の稽古が始動しています。
本読みをして、散りばめられたネタを一つ一つ伝えて、
さらにそれぞれの登場人物の変遷を探ってゆきます。
劇の中で一流企業「味の素」がクローズアップされますが、
横浜国大を卒業して食品業界でバリバリ働きながら劇を続け、
今回もこうして唐ゼミ☆に出ている東くんから、
味の素社のエピソードを皆で聞いて唸ったりしました。
うま味調味料だけでなく、アミノバイタルもあるし、
クノールカップスープもあるのです。
やはり業界の雄の座に君臨し続けている。
そういう話が参加者から聞けるのが、稽古の合間の面白い時間であり、
それで一つ稽古場と劇がハネるのです。
と、同時に。劇中歌の練習をしたり、
衣装についてのプランを出したり、肝心の鉄仮面について
今回の劇にふさわしいデザインを編み出しています。
ネットや一昨年にイギリスで買ったカタログを
眺めて鉄仮面を要素に分解し、劇に必要なパートを掛け合わせて
微妙にオリジナルな鉄仮面を作る作業です。
こういう作業をしていると、
『NINAGAWAマクベス』の仏壇を思い出します。
あれは美術家の妹野河童さんが数多の仏壇を見て回りながら
要素を結晶させた、ありそうでない仏壇デザインなんだと聞きました。
僕らがやっているのは、その鉄仮面版です。
これから本番にたどり着くまでに際限の無い作業の連続で
気が遠くなりますが、まずは一歩を踏み出し、踏みしめています。
2024年1月 4日 Posted in
中野note
↑今年に行う2回の唐ゼミ☆公演の間に、『オオカミだ!』もやります
プロデューサーのテツヤさんが運営するヨルノハテの劇場が
神奈川県演劇連盟に所属していることから、連盟が枠を持っている
KAATでの公演が実現します。
他にも人形と音楽が紡ぐ『はまべのうた』。
異色のチェリスト・五十嵐あさかさんが繰り広げるコンサート
『水曜日の夜』という3本立てのショーケースを行うなかで、
この『オオカミだ!』も3回公演します。
思えば、ロンドンでの滞在中。
異常気象の夏にウンウン言いながらこの台本を書きました。
ちょうどBBCプロムスの頃だったので、当日券でスタンディングの
席を買い、一度ホールの外に出て日陰の階段に腰掛けてZoomで
話したのをよく覚えています。
ロンドンのケータイ・キャリアは押し並べて日本のものより
電波が脆弱で、なかなか難儀した記憶がありますが、そのような
頃から準備して、去年の2月に初演し、9月にもやり、
先日の青梅の中学校や来月の離島の学校公演を経てKAATでも
公演できるというのは、ありがたいことです。
荷軽につくって何度も公演できるように仕立てる。
それは劇団の演目展開にとっても次々に公演の口がかかることは
大きな目標ですから、『少女仮面』こそは少人数、シンプルな
展開からして可能性があるかもしれない。
そういうこともプランを組む材料にしながら、今年の公演を
思い描いていきます。
2024年1月 3日 Posted in
中野note
↑初めてスイッチのコントローラーに触れました
新年3日目にして色々ありました。
絵に描いたようなベタな失敗なのですが、
息子の期待に応えて動物園の池でボートに乗ったところ、
渡英前より愛用していたiphone13を落としてしまったのです。
あ、と気づいた時にはすでにパーカーのポケットから
滑り落ちていたらしく。皮肉なことに椎野が撮影した映像には
「あ、ここで落としたな」というボチャンという音が入っていました。
が、水深3メートルの深みは如何ともしがたく、おさらばすることに
しました。ケータイショップをすぐに予約し、即座に復旧。
名古屋のヨドバシカメラに殺到して強化ガラスとカバーも新たなものに
しました。現在、iCloudにあるデータを移行中。
とまあ、なかなかの惨事ではありましたが、
朝から快調に写真展の準備を終えていたので、
名古屋の実家から東山動物園に至る途中にはあった城山八幡宮に
初詣に行くことができました。
かつて『木馬の鼻』の野外演劇版を上演した場所です。
あの公演を行ったのももう10年前、
高台にある城山八幡宮はなかなかの賑わいで、混みすぎることなく、
わずか20分の滞在で存分に楽しめました。
ちゃんと横浜へのお土産も買い、
あとはもうヤケクソで息子と一緒にポケモンをやりました。
人生で初めてのポケモンです。
こちらは物語進行がよくわからないので、ひたすらレベル上げ係。
これがけっこうハマって、昔、ドラクエなどでひたすらザコ敵を
倒していたのを思い出しました。
・・・というわけで、スマホが新品になって横浜に帰ります。
明日は肩慣らし程度に働いて、明後日5日から本格始動。
2024年1月 2日 Posted in
中野note
↑懐かしき2024年夏の野外劇。この状態から10分ちょっとで劇場が
組み上がり、芝居が始まるという趣向でした
↑10分後にはこんな感じ。音響には拡声器型スピーカーを選びました
作業しています。
1/25(木)からはじまる写真展では、約70点の写真を飾る予定です。
これの選定はあらかた終わって、伏見さんが画質をブラッシュアップ
してくださっています。
それとは別に、モニターを使ったスライドショーも用意しています。
せっかくだから、ダイジェストで公演を一本分観た気になって
もらえたらと思い、約5分ワンサイクルの素材を3本準備しています。
一つは最近作の『唐版 風の又三郎』。
もう一つは唐ゼミ☆唯一の唐十郎書き下ろし作品『木馬の鼻』。
そして、打ち合わせやテント設営の風景を収めたドキュメント。
この3本です。
1点を視認できる5秒×60点=300秒=5分を目安に選んでいます。
伏見さんは一回あたり400〜500カットを撮影して下さっているので、
85%を削る必要があり、この選定がなかなか難しいのですが、
吟醸酒を作る酒蔵の気持ちになって削り込んでいます。
それに、一枚一枚にレビューをつけて物語の進行を紹介します。
5分ワンサイクル。
これは自分の趣味の問題で、美術の展示などで映像作品に
付き合うのが苦手な私は、どうしてもサクッと観られるようにしたい
願望が強いのです。自分が落ち着きが無いので、他人様にも
じっとしている時間は短くあって欲しいという願いを込めています。
これが終わったら、冒頭の挨拶文を書き、
さらにギャラリートークの練習。これはいくつかの劇中歌を
歌うので、歌を練習しようというのです。歌唱自体と、きっかけから
歌への流れだけはあたっておきたい。
年始には『鐵假面』の稽古がスタートして本読みをしますが、
同時進行で写真展の準備も行います。なかなか贅沢な試みなので、
目の前の忙しさにかまけず、この機会を粘りきっていきます。
2024年1月 1日 Posted in
中野note
新幹線の中から撮影。車内は外国人観光客多めでした。
明けましておめでとうございます。
今年は劇団公演を2本やります。『鐡假面』と『少女仮面』。
奇しくも仮面ばっかりかぶる一年です。
年始は写真展からスタート。
1/25-31に四谷ポートレートギャラリーで展示を行い、
1/28にはギャラリートークをして劇中歌も少しやろうと考えています。
昨日から今日にかけていろいろありました。
仕事自体は12/30に納まったので、大晦日は身辺整理に。
このところ、初期の唐ゼミ☆に関わっていた山崎雄太君が
横浜市による新港地区でのイルミネーションやライトアップ、
プロジェクションマッピングを担当しており、それを見に行きました。
人手が必要ということで、劇団員の齋藤や米澤、
平泳ぎ本店の松本一歩君も関わっており、昨晩は米澤と一歩君に
会えました。冬場の野外プロジェクション運営は大変そうです。
暖冬とはいえ、雨の日もあるでしょう。風邪ひかないと良いけれど。
それから、北野武監督の『首』を観に行き、広い映画館を
他4名の観客と貸し切り状態で観ました。
かつてあれだけ通った映画館から最近は随分と遠のいていて、
2023年に観たのは『ドラえもん』『ハマのドン』『首』の3本のみ
という状態です。2024年はせめて2桁は観られないものか。
遅ればせながらジブリも観たいし。
22:30には倒れ込んで、久しぶりに長いこと寝ました。
朝は展覧会に備えて写真の選定などして、
それから、年始ということで白川静先生の『初期万葉論』より
『呪歌の伝統』を再読しました。柿本人麻呂の詠んだ安騎野冬猟の
情景に、現在の大晦日に野営して父霊と交流し、陽の出とともに
新たな力を得る軽皇子の姿を描いたものです。
3月のテント番は寒くなりそうですが、
よし、自分もそんなつもりでやろうと思いました。
現在にも古代人的なものは生きている。再び野外演劇をやるのだと
思うとそんな感覚が研ぎ澄まされます。気宇壮大です。
その後、ポストに届いていた年賀状をチェックしてから
返信用のハガキと台本をリュックに詰め込み、新幹線で移動。
富士山も見ました。
実家に着いてみたら、先に来ていた家族のうち息子は熱を出しており、
さらにこの地震です。このところ関わってきた北陸の人たちや施設の
ことが気掛かりです。
2023年12月29日 Posted in
中野note
↑4枚組を聴いています。至福!
一昨日に唐さんと音楽の話をしましたが、
最近、これが気に入り!という『田園幻想曲』の演奏家を見つけました。
マルセル・モイーズという人です。
きっかけは毎週日曜にやっている本読みWS。
ちょうど本読みをしながら『田園幻想曲』をかけようとiTuneを
立ち上げようとしたところ、何か不具合。
慌ててYouTubeを検索しました。
すると、マルセル・モイーズという人が引っかかりました。
正直、この曲なら誰でもいいやという気持ちで皆さんに紹介しましたが、
一聴して、これまでに聴いた中でも抜きん出た演奏だと思いました。
WS終了後はもうこれの虜で、何度も何度も聴き、
中古で売っていたCDも、ちょっと奮発して買いました。
1930年代の演奏で、時代相応にノイズが多いのですが、
それを貫いて表現が濃く、テクニックが凄まじいのです。
唐さんの好きなランパルはオーケストラによる伴奏ですが、
こちらはピアノ伴奏なのも良い。伴奏がスッキリしている分、
肝心のフルートがより引き立つように自分には感じられます。
県民ホールの同僚にフルートをやっている女性がいるので
このマルセル・モイーズという人がどういう人か訊いたところ、
フルート界において神様と称される存在だそうです。どうりで!
20世紀初めに近代のフルート演奏法を確立した彼は教則本を作り、
その影響力は現在にこれからフルートを習う人もテキストにするほど
現役バリバリだそうです。さすが!
とにかく気に入って聴いています。本番で使うかどうかわかりませんが、
良い音楽を聴いていると、目の前に鮮やかに『鐵假面』の世界が
拡がります。
2023年12月28日 Posted in
中野note
↑これで痛くてたまらないという情けなさよ・・・
先日、月イチで通っている整体に行ったところ、
ストレッチボードを勧められました。
試しに乗ってみたところ、まずは激しく痛い。
そして急角度で後ろに倒れてしまう。
あるいは、へっぴり腰になってしまう。
70歳の先生は笑いながら自分が乗ってみせて、
そこで見事な立位体前屈を見せました。
さらに笑いながら、「とりあえず三日も乗れば痛くなくなりますよ」
などと言います。
ちょっと心惹かれたけれど、お金もかかるし、
うちに物が増えるのが嫌なので躊躇していたら、
先生は、「こんなのは段差があれば簡単にできる」と
手軽な方法を教えてくれました。
以来、道にあるあらゆる段差が輝いて見えます。
自分の硬い体に優しい低めの段差。
挑戦すると思わずのけぞってしまうスパルタな段差。
いろいろですが、ゆっくり息を吐きながら身体の裏側を2分くらいかけて
伸ばすと、妙にスッキリすることに気づきました。
「とりあえず三日も乗れば痛くなくなる」という予言は叶えられて
いませんが、朝にウロウロするついでに続けてやってみるつもりです。
壁や自販機に向き合って、はたから見たら変な姿ではありますが。
2023年12月27日 Posted in
中野note
↑本に掲載された楽譜を見ると『あんたが死んだら』の作曲は李礼仙さんに
なっています。編曲は山下洋輔さん
昨日にも紹介したドップラーの『田園幻想曲』という曲は、
1960年代後半から70年代前半の唐さんの創作意欲を
大いに刺激したようです。
音楽に惹かれて劇作をするというのは、
唐さんの場合、他にも例があって、例えば有名な『少女仮面』は
メリー・ホプキンの『悲しき天使』をヘビーローテーションで流しながら
たった二日で書いたというのを聞いたことがあります。
当時はレコードですし、リピート機能も無いので、
劇団の若手であった十貫寺梅軒さんがレコードに張り付いて
リピート役として延々、針を落とし続けたとも聞きました。
あれなど、音楽の世界に耽溺しながら唐さんが書いた好例です。
他にも思い浮かぶのは、ギリシャの作曲家ミキス・テオドラキスが
映画『フェードラ(邦題:死んでもいい)』のために書いたテーマで、
それを唐さんは『腰巻お仙 義理人情いろはにほへと篇』から『吸血姫』
にかけて多用し、劇中歌のメロディにも応用しました。
そして『田園幻想曲』。
この曲が『鐵假面』に鳴り響くフリュートの音楽だと私に教えて
くれたのは亡き根津甚八さんのブログによってですが、
そのメロディを初めて聴いた時、私はそれが『鐵假面』だけでなく、
『腰巻お仙 義理人情いろはにほへと篇』三幕で美少年の歌う
『あんたが死んだら』の原曲であることにも気がつきました。
『あんたが死んだら』は単行本に楽譜が付いています。
初めて『腰巻お仙 義理人情いろはにほへと篇』に取り組んだときには、
だから、この劇中歌は小室等さんの手によるものだと思っていました。
ところが、『鐵假面』をきっかけに『田園幻想曲』に辿り着いて
みると、それがこのフルートの名曲を応用した歌であったことにも
わかってきたのです。他にも、イタリア人歌手ミルバの『リコルダ』
から『ジョン・シルバーの唄』を作ったり。
芝居づくりを通じて、当時の唐さんの音楽的劇作術も見えてきます。
2023年12月22日 Posted in
中野note
↑本日のピンスポット。レトロな機材には「やってる感」が絶大にあり、
なかなかに達成感がありました
夏以来、準備を行ってきた「あっぱれフェスタ」が開催されました。
横浜市旭区にある福祉施設が集まり、展示やマルシェを複数日に渡って
展開するイベントです。コロナでのオンライン開催を挟みながら
今年で第10回を数えます。
自分は、その中で行われるD-1グランプリ。
つまり、演(だ)し物を競い合うステージもののコーナーで、
参加団体のひとつである「空とぶくじら社」のコンテンツづくりを
サポートするために参加してきました。
内容としては、
石川さゆりさんの『天城越え』を歌って演歌歌手デビューしたい女性、
同じ曲にのせて踊りを披露したい女性のショーをつくり、
その上で、坂本九さんの『幸せなら手をたたこう』の合唱を、
施設の皆さんと協力して仕立ててきました。
客席からあらかじめ工作した巨大な歌詞カードを出したり、
みんなで声援を送る練習もしてきました。後半の曲は、
客席通路にひしめき合って振り付けをしながら合唱するたのしさも
追究しました。両楽曲ともにヒットナンバーですから、
大いに支えられながら、人数の多い空とぶくじら社の面々が
協力して10分弱のショーを実現するようリハーサルを重ねました。
本番は、出演者全員がステージライトと多くの視線を浴びることで、
高揚しているのがわかりました。
自分はただ観ているよりも手伝ったほうが面白いので、
劇場機構に不慣れながらも協力して役割を果たしている
各施設選抜の実行委員会の皆さんの列に混ぜてもらい、
全編を通じたピンスポット係をやって充実しました。
北中スクール以来のご縁だった権藤由貴子さん、
現旭区長も自らフルートを手に舞台に立ち、誘わせたトリオで
演奏をしてくれました。賞をめぐる皆さんの闘いはかなりガチンコで、
噂に聞いていたD-1NO仁義なき戦いぶりを目の当たりにしました。
結果、空とぶくじら社は優勝を逃してしまい、
実際に体験するまでは「勝ち負けは関係ない」と言っていたものの、
「勝ちたかった」「勝たせたかった」という思いも芽生えて笑ってしまいました。
正直、勝ちたかった!
その中で、真に立派なのは、
やはりカプカプの鈴木励滋さんと真帆さんのコンビでした。
彼らは支えに徹し、励滋さんは裏を取り仕切り、真帆さんは審査中に行われた
審査対象外の合同演し物で、ひたすらみんなの心が解放されるよう
願いを込めて踊っていました。
この二人がいなければ、
こんな風に年末に集まって、大勢がしのぎを削り、
感情を揺さぶらせて自分を燃焼させることもなかったのです。
大変なことだと思わずにはいられません。
今年に亡くなった室井先生が言っていた通り、
すべての事業は、まずたった一人の頭の中から始まり、
たった一人の頭の中からしか始まらないのです。
二人に対して絶大に敬意を覚えました。
彼らのために何かできることがあったら、またやってみたい、
やらなければならない、そう思わせてくれる集まりでした。
あっぱれフェスタ、第11回に続きます。
2023年12月21日 Posted in
中野note
先日、打ち合わせに行った先で、お土産をもらいました。
行ったのは杉田劇場という磯子区の劇場です。
ちょくちょく教えに行っているNPO法人ドリームエナジープロジェクトの面々が
2024.2.4(日)にこの劇場で行われる「にこにこフェスティバル」に
出演できることになったので、舞台打ち合わせに行ったのです。
ここの館長さんは、伺うたびにおやつをくれたり、
お土産をくれたり、地域の敬愛を集める優しい方なのですが、
昨日は「鉄観音茶」の茶葉をもらいました。
ここで、グッときてしまう。
もはやこの、旧字の「鐵」という字を観るだけで、
自分はもう、今度の上演をどんな風にしよう?という考えに
囚われてしまう。そして同時に、このパッケージを宝物のように
感じてしまうのです。当然、実際にお茶を淹れて飲むなんてとんでもない。
また、北中スクール以来、
よく食事に行く馬車道にはその名も「鐵(くろがね)」という鉄板焼き屋が
あったことも思い出しますし、新横浜駅に行く時に車を停める篠原口の
近くには、同じ「鐵(くろがね)」という焼き肉もあります。
喜ばしいことに、2パターンある「鉄」の旧字のうち、
いずれもが唐さんが選択した、真ん中に「王」がある方です。
焼肉屋には、一回気合い入れに行った方が良いんじゃないかと思っています。
2023年12月15日 Posted in
中野note
↑迫力に満ちた全体チラシ
この秋から、複数回に渡って横浜市旭区の福祉施設
「空とぶくじら社」に通っています。この施設名、実に良い名前。
きっかけは、カプカプひかりが丘の鈴木励滋さん。
旭区内の福祉施設が集まって毎年開かれたきた「あっぱれフェスタ」
の名物コーナーD-1グランプリ(Dは演し物のD!)に挑む
空とぶくじら社のアドバイザーを引き受けることになったのです。
夏に顔合せを行って、
本格的に演し物を構想し始めてから、今日で4回通いました。
その間に、演歌歌手になるのが目標のHさんと踊りを踊りたいYさん
のデュオ・ショーを作り、それから皆さんの合唱、という
2つのコンテンツを軸に全体の流れを考え、整えてきました。
今日は施設での最終稽古。
あとは現場でのリハーサルと本番を残すのみでした。
朝に私が到着すると、皆さんはかなり緊張していて、
自分が観にくるのに備えて準備を進め、そうやってドキドキ
して待っていてくれたのをひしひしと感じました。
こちらは、皆さんにリラックスしてフルパワーが出せるように
なっていて欲しいのに、やっぱり緊張感を与えしまっているなとも
思ったし、それはそれで超えるべきハードルとしてこの場にいれば
良いのかな、とも思いました。
そして、なんだか、私たちの学生時代に
唐さんはこんな気持ちだったのだろうかとも考えました。
大学生時代、
ゼミナールのある木曜日に唐さんがやってくると、
通し稽古に何とか私たちはそうれはもう緊張していました。
今にして思えば、唐さん自身は活き活きと演じてくれよと
願っていたと思いますが、そんなことに気がまわる余裕もなく、
喉をカラカラにしながら通し稽古を見せていたはずです。
空とぶくじら社を通し稽古を通じて、そんな記憶まで蘇りました。
1度通してからはすぐに修正点を出して、それからもう2度、
10分のショーを繰り返しながらブラッシュアップしました。
こうなるとこっちも懸命で、他のことは何にも考えなくなり、
後して、けっこうスパルタだったなと思いました。
次の木曜夜に会場の旭公会堂でリハーサルをして、
12/22(金)に本番です。初参加なのも手伝いすごくたのしみです。
仕上げに客席から、みんなに掛け声をかけたいと思っています。
2023年12月14日 Posted in
中野note
以前、SDガンダムのプラモデルの進化に驚きました。
球体関節が至るところに取り入れられ、とにかく色んなところが
動くのです。プラスチックの質自体も明らかに向上し、
枠から必要パーツが外れやすいのにも驚かされした。
その後、お世話になっている人が息子に
リアルタイプのザクをプレゼントしてくださったので、
これも張り切って組み立てました。が、朝の6時台から二人で
取り組み、結局5時間ほどかかりました。
特に序盤は細かいパーツで溢れかえり、
一つ一つを見つけ出すのに異常に難儀し、目は疲れ、
肩が凝りました。明らかに小学校1年生の手に余るシロモノで
ここはオレがやるしかねえと思い定めて、何度も「明日に回そうかな」
と思いながらも、さらに追い込まれる恐怖が先に立ち、
完成にこぎ着けました。
確かにカッコいい。
しかし、何が驚いたといって、不要パーツが4割ほど
残ったことでした。それらは、初めから必要のないものとして
梱包され、最後まで使用されることのないままにしておかれる
パーツなのです。この方が大量生産上の効率が良いのでしょうが、
自分の小さい頃にはこんなことは無かったので、仰天しました。
それに、息子にザクを買い与えてくださった方には
一つの信念があるようなのです。世の中は、
誰もがガンダムになれるわけじゃない。多数のザクがほとんどなんだ。
だから、ザクを大切にしなくちゃいけないんだ。
そのかたはそのようなことを言いながら息子にザクをプレゼント
してくださいました。ガンダムよりザク、仮面ライダーよりショッカー。
カイジより黒服たち。
ここには、有名性より無名性の美学を押し出した寺山さん的なるものも
宿っているように思われます。
2023年12月13日 Posted in
中野note
↑Merry Christmas & A Happy New Year from Japan が伝わりやすい
カードを用意しました。セットの封筒に入れて、投函!
今日は劇団集合でした。
3月の公演に向けて準備をしています。
出演者やスタッフに対して、事務的な準備と、作品的な準備と
両方を進めていきます。
それから、来年初夏にも公演したいので、その準備も行っています。
私たちはいつも一つの公演をやっては、その次、その次、
とたいへんに分かりやすく活動してきましたので、
ここでちょっとした計画性を求められて、
二つの公演の準備を整理しながらやっています。
それから、年末の準備。
年明け、1月末には写真展もあるし、年始の挨拶もメールやハガキで
したいし、そのためのデザインや文案作りも躍起になってやっています。
公演準備→写真展→稽古→本番をしながら、同時にずっと本読みWSも
やりたいので、その予定や内容組みもしました。
・・・気が遠くなるような作業ではありますが、
それでも、何人かで頭を突き合わせてやっていると、
その中に楽しさもあるし、食事の時間をとって落ち着いたりもするし、
何より仕事が進みます。
それから、個人的にも、
ロンドンに向けてクリスマスカードを出しました。
向こうでは特に12/24-25がクリスマスというのでなく、
12月全体がクリスマスだと知ったのは去年のことです。
逆に言えば、カードは12/1から受け取りOKなので、
これも遅くなっているのが気にかかっていましたが、
やっと書いて送りました。切手代は一通あたり140円。
この安さは感動的です。数日後にはイギリスに届くのだと思うと
人類は大したものだと思う。
目まぐるしく動いています。
みんなで片っ端からやっつけて年末までには落ち着いていることが
目標です。12/18(月)にはハンディ・ラボの大掃除もします。
嗚呼、やること満載!
2023年12月12日 Posted in
中野note
↑フランチェスカ・レロイさんに一年ぶりに会いました
去年、ロンドンで出来た外国人の友人に、初めて日本で会いました。
彼女の名はフランチェスカ。研修先だったThe Albanyで行われていた
シニア向けワークショップ "Meet Me"にボランティア・スタッフとして
参加していた女性です。
※"Meet Me"とは、高齢者たちが集まって美術創作や合唱を練習をするもの
研修のかなり終盤に出会ったフランチェスカは、
自分は作曲家であり、2023年に日本で演奏会があることを
教えてくれました。それが12/10(日)に自由学園明日館で
行われたのです。せっかくロンドンから来て、しかも彼女は
演奏会全体の企画者でもある。これは大変なことだと感じましたし、
彼女が事前に丁寧なお誘いメールをくれたこともあり、
本読みWSの日にちを振り替えて出かけることにしました。
結果、その会はすごく良かった。
日本の女流作曲家に焦点をあて、トークを交えながら演奏を聴かせ、
最後にはフランチェスカの新作を初演するという趣向でした。
また、その新作の内容が振るっていて、
大逆事件で殺された伊藤野枝の詩を薩摩琵琶にのせて歌うという
ユニークなものでした。演奏を聴くと、フランチェスカの発想が
よくわかります。
つまり彼女は、平家物語などの軍記物を琵琶法師が語ったように、
伊藤野枝という女性の闘いを琵琶に乗せたかったのです。
社会的な戦争→個人の戦争を琵琶で語るというアイディアが面白い上、
野枝の日常のストレスを琵琶にのせる歌うと、
その大仰さが笑いにもなるのです。
あいつが許せない!キーッ!
みたいな部分をフツフツとした琵琶のノイズと弱音でやられると、
コミカルでもありました。
ああ、フランチェスカはホンモノなのだなと思いました。
当日に配られたパンフレットで経歴を見ると、日本で賞も獲っている。
さらに驚いたことに、谷崎潤一郎の『鍵』をもとに作品をつくっている。
・・・要するに、彼女は谷崎潤一郎や伊藤野枝を読みこなすくらい
日本語ができたのです。日本人でも彼らを読む人は少ないというのに。
必死に英語でやりとりしてたことがバカバカしくなりました。
先に言えよ、フランチェスカ!
次に来日したらまた会おうと伝えました。
文学、自分はけっこう詳しいよ!
少なくとも、葉山の日影茶屋に案内してご馳走するくらいはできるよ!
そう日本語で伝えました。
2023年12月 8日 Posted in
中野note
↑ブリュッセルに聴きに行ったコンサート。終演後の大野和士さん
今日は初めて、
指揮者の大野和士さんに会ってお話しすることができました。
お話しといっても、ほんのご挨拶程度でしたが。
所属されている事務所の方々や、以前からお世話になっている
神奈川県庁のOBの方、県民ホールの同僚など、
皆さんのおかげで、大野さんに会うことができました。
私が大野さんの仕事に注目するようになったのは
2011.7.24に京都でマーラーの3番を聴いたのがきっかけでした。
あの時、室井先生の主催する北仲スクールという大学の
サテライトで働いていた私は、クシシュトフ・ヴォディチコという
現代美術家の招聘に躍起になっていました。
それがあまりに煮詰まったので、なんだかピンときて、
ほとんどヤケクソで、京都まで行くことにしたのです。
当時、私はクラシック音楽を聴き始めたばかりで、
確か、自分でチケットを買っていくコンサートとしては
3回目だったと思います。
大野さんのマーラー3番は、
第一楽章が終わった瞬間から、今日はすごいことになったと
確信させられる体験でした。その後に第二〜第六楽章が続いて、
生き切った人生の後に、動物になり、植物になり、
この世界をわたり歩いて、天界に召されていく思いがしました。
最終の第六楽章に入ると涙が止まらなくなり、
でも、それは情緒的なものではなく、ひたすら巨大なものに触れている
感触によるものでした。柔よく剛を制す、上善如水、であるべしと
言われているようでした。あまりにすごかったので、
帰りに美味いもんでも食べようという考えすら放棄して、
さっさと京都駅まで行って帰りました。
自分には、あのコンサートだけで充分すぎるほど充分でした。
私がそれまで比べ、
格段に台本を読むようになったのは大野さんの影響です。
量ではなくて、一本の劇を細部に至るまで読み込むということについて。
以来、大野さんが手がけるオーケストラを、オペラを、
レクチャーコンサートを聴いて現在に至ります。
ありったけの御礼を言いたかったけれど、そんな時間はなく、
それはまた今度にしようと思います。
2023年12月 7日 Posted in
中野note
↑写真集「唐組」より『腰巻お仙 義理人情いろはにほへと篇』舞台写真
この場面で例の前奏曲がかかっていたと思われます
必要があって『ローエングリン』を聴いています。
ワーグナーの『ローエングリン』。
去年、生まれて初めて実演を観ましたが、それはイースター明けの
4月下旬。なぜ語学学校で出会ったロシア人の女の子と一緒でした。
彼女はオペラというものに一度来てみたかったらしいのです。
こっちは貧乏留学生気分で過ごしていましたが、彼女はエルメスの
バッグなんか持っていたりして、お金持ちそうでした。
『ローエングリン』の話。
自分が初めてあの印象的な前奏曲を聴いたのは、
蜷川さんが三島由紀夫作『弱法師』の最後の長せりふに
あの曲をあてていたからでした。主人公の語り始めに合わせて
あの曲がヒタヒタと流れ始め、最後は大きなうねりになって
空襲の業火を語る描写をいやましに高めました。
実にピタリとハマって感心させたれたものです。
ところが、よくよく様々なことを知るようになると、
蜷川さんが近代能楽集を演出する9年前に劇にこの曲を使って
いる人がいたのです。・・・唐さんです。
唐さんは、初めて紅テントを立てて芝居をした時の演目
『腰巻お仙 義理人情いろはにほへと篇』の二幕冒頭、
「ここは壮大なワーグナーのローエングリン響く床屋」
というト書きを書いています。あの壮大さをギャグにしているような
でも、床屋の趣味として本気だったような、面白いト書きです。
2023年12月 6日 Posted in
中野note
↑これは1998年の放送。58歳の唐さんです
初めて、ジャン・コクトーの『声』を読みました。
渡邊守章先生の翻訳。先生がご自身で主催されていた演劇プロジェクト
「空中庭園」での上演台本が光文社新訳文庫になり、
絶版ではあるものの古本屋で手に入れました。
懐かしいなあ。空中庭園。
大学生の時に青山に『悲劇 フェードル』を観に行き、
糸巻きを持ったタイトルロールのヒロインと、マオカラーで
キラキラした眼鏡をかけた渡邊先生のロビーでの立ち姿が印象的でした。
話を戻して。
『声』に興味を持ったのは、忙しくても短いから電車の中ですぐに
読めるし、最近、車の中で聴いている一人芸ものに、モノオペラとして
『声』をネタに作られたプーランク『人間の声』やメノッティ『電話』
があるからです。(メノッティは全然内容が違いますが)
で、ハタと思い出しました。
確か、コクトーの『声』が初めて自分にインプットされたのは、
唐さんの語りによるものだと。よくよく記憶を辿ってみると、
それは高校時代に観た深夜放送での、扇田昭彦さんによる
唐さんへのインタビューでした。
この放送の影響で自分は横浜国大を受験することになりましたが、
こうして、細かな場面でも、いまだに思い起こすことがあります。
唐さんが語っていた情報の数々、それ以上に、ものの考え方。
最近は便利なことに、YouTubeにこの動画が上がっています。
27:00過ぎに、唐さんが一人芝居について語るくだり、
ジャン・コクトー『電話』の話題が出てきます。
2023年12月 1日 Posted in
中野note
↑なんてことないベランダからの風景も、寒くて空気が澄んできれいに、
少し寂しくも感じられます
先ほど帰宅したら、住んでいるマンションがさっぱりとしていました。
うちの建物は結構古くて、そのために10月半ばから大規模な外装工事が
入っていました。
初め、みるみるうちに足場が組まれ、外観はネットで覆われました。
建物全体に徹底した養生がなされ、ビニールとテープが全体を包む。
ペンキ塗り直しが飛散しなよう、ほんとうに徹底して覆われたために
窓を開けてもビニールで塞がれて外の空気がいっさい入らない。
そもそも、ベランダ修繕中は窓が開けられない日も続きました。
今年は11月上旬まで暑かったので、この密閉感には難儀しましたが、
一方で、工事のする人たちに行き帰り挨拶するのは、なかなか
良いものでした。住民が窮屈な思いをしているのが分かりきって
いるので、皆さん、それはそれは丁寧に接してくれるのです。
やがて、人見知りの子どもたちも、働き者のおじさんたちに
挨拶できるようになりました。それが今朝、いよいよ終了予定日に
なって足場を解体していたのです。
当たり前ですが、先ほど帰宅した時には、
静かでさっぱりとした、それでいて以前より綺麗になったうちの
マンションに戻っていました。駐輪場から自転車を引き出すのに
一苦労させられていた鉄骨も取り除かれ、しんとして、
清潔な感じがします。
賑やかだった工事道具もなくなり、もうあのおじさんたちに
会うことがないのだと思うと感慨がありました。
そして、自分たちのテント劇場を見守ってくれていた周囲の方々も
いつもこんな感慨だったのかも知れないと思うようになりました。
うるさく、わずらわしく始まった工事が、
こんなふうに懐かしさと虚無感を生むのです。ああ、早く芝居小屋を
つくって、早くこういう感慨を届ける側になりたいと強く思います。
次回作『鐵假面(てっかめん)』は3月末に公演予定です。
詳細は近く発表。『オオカミだ!』こそ上演してきましたが、
やっと芝居屋に戻れるな、と。
準備を進めながら実感が強まってきています。
2023年11月30日 Posted in
中野note
↑初めて利用した羽沢横浜国大駅。新宿まで40分。付近に住んでいる
劇団員の米澤は、この駅が出来て良い思いをしているに違いありません
昨日はスコーンの話題に終始してしまったけれど、
浅草に観に行ったドガドガ+の『セクシー女優事変』は面白かった。
帰国して2月に観に行ったのがシリーズの第1弾で、今回は第2弾。
両方とも好きです。
アダルトビデオから出発した望月監督にしか書けない世界を、
座長の丸山正吾さんを中心に、若手からベテランまでのキャストが
素晴らしく支えています。過酷な性の世界を描くから様々に陰鬱
なのだけれど、最後には軽やかに、かつ不条理に暴走し、
それら過酷を突破していくのが痛快でした。
不幸や、一生消えない傷や、トラウマ、
世の中に溢れかえっているけれど、それで人が不幸せなまま
一生を終えて良いわけがないという、望月さんの信念がおふざけの
中に詰まっています。気分良く浅草から引き上げてきて、
昨晩はスコーンを食べました。
それで今日は、
朝から整体に行き、初めて羽沢横浜国大駅を使って新宿に出て、
阿佐ヶ谷スパイダースの『ジャイアンツ』の千秋楽を観て、
それから上野に移動して文化会館で青木涼子さんの能声楽を聴きました。
何かずっと遊んでいるみたいだけれど、合間にちょっとずつ
働いてもいます。しかし、やっぱりそれ以上に遊んでいて、
最近ハマっているのは一人芸の世界です。
落語とか講談の録音も聴きますが、
モノ・オペラというものがあるらしいと知って、
移動時にイヤホンを付けたり、カーステレオで聴いています。
だいたい、舞台ものは録音だと大勢の演者が入り乱れるので
訳が分かりません。しかもオペラは外国語なので、
一回上演を観たことがあるものでないと録音を聴いても
チンプンカンプン。ところが、登場人物が1人だとかなり
愉しめることが分かってきました。
そういえば、小学生の頃にマルセ太郎さんを観て感激したことも
思い出します。唐さんにも一人芝居が2本あって佐野史郎さんが
演じた『マラカス〜消尽』、金井良信さんが初演した『電子親友』
という台本です。録音が残っていたら愉しいだろうなあ。
それ以上に、いつか上演して旅ができたら、
どんなに素敵だろうと思わずにはいられません。
2023年11月29日 Posted in
中野note
ロンドンでできた日本人の友達が帰国しました。
彼女と知り合ったのは私の滞在が半ばを過ぎた頃でしたが、
それからは本当にたくさんのサポートとアドバイスをもらいました。
恩人の一人です。
彼女は旅行会社に勤務していましたのでこちらが旅の手続きに困ると
いろいろと教えてもらい、名士たちが集まるジェントルマンズクラブにも
連れて行ってもらいました。
その彼女は帰国にあたって、わざわざ私のために、
私がよく通っていたパン屋Gail'sのスコーンとブラウニーを
買ってきてくれたのです。生ものだから急がねばと思い、
都内で急遽落ち合うことにして、ありがたく品物を頂戴しました。
あまり時間がなかったので、
最近気に入りの醤油ラーメンを一緒に食べたりして。
食べものが美味しくないと言われがちなロンドンですが、
自分は、ベーコンをカラカラに焼く調理法は圧倒的にロンドンが
美味しいと思いました。そして、今回プレゼントしてもらったスコーン。
日本にいたときは、パンとクッキーのあいのこみたいで、
いかにも中途半端なシロモノだと思っていたスコーンが、
こんなに美味しいと初めて実感しました。
パンでもない、クッキーでもない、スコーンでしか得られない
満足感と美味しさがあると思うようになりました。
本式では、ナイフで上下に切り分けて、
生クリームやジャムをたっぷり塗って紅茶とともに頂くものです。
でも自分は、手でパカっと行儀悪く割って、そのまま食べても
充分に美味しいと思う。小麦の充実感。
日本のパン屋で買うスコーンは、たいがいこれには勝てないなと
ずっと思っています。
2023年11月28日 Posted in
中野note
↑「季刊同時代演劇」には『鼠小僧次郎吉』と『少女都市』が
収められています
唐十郎作品のうちで、
再演頻度と人気の高いものに『少女都市からの呼び声』があります。
ことこの演目に関して新宿梁山泊の金守珍さんの貢献は絶大で、
かつて状況劇場の若衆公演として新宿ゴールデン街の小さな劇場で
産声を上げたこの作品は、その時にフランケ醜態博士を演じた金さんに
よって何度も何度も上演され、時にはニューヨークでも上演されました。
まさに金さんのライフワーク。
今年だけでも3パターンの上演を金さんは行って、
その粘り強さには頭の下がる思いがします。そうした金さんの展開に
支えられて、ハヤカワの文庫には、『少女仮面』『唐版 風の又三郎』
という代表2作品と並んで、この『少女都市からの呼び声』が
収められたのだと思います。
自分が大学に入ったばかりの時、唐さんは一般教養の授業で
200人からの学部生を相手に、その公演映像を観せていた記憶が
あります。「満州」という要素こそあれ、生まれてこられなかった
妹と兄の織りなすこの物語は普遍的で、お話としての自立度も高く、
初心者にとっても入っていきやすい。
唐さんはきっとそう考えて、あまり自分の芝居に馴染みの無い
学生たちにこれを観せたのだと思います。
一方で、自分は最近、
この『少女都市からの呼び声』のもとになった『少女都市』が
気になるようになりました。唐さんが早稲田小劇場に託した
『少女仮面』の対になる作品として自身の劇団に書いた演目です。
春に比べれば短い秋の公演、
しかも、例の天井桟敷との大立ち回りから唐さんたちが警察に
引っ張られた結果、ただでさえ少ない公演回数をさらに縮小されて
しまったのがこの作品です。
気になるので、来月はこれを研究しようと思います。
せっかくであれば、初めてこの演目が掲載された「季刊同時代演劇」
をもとにやってみようと思います。
2023年11月24日 Posted in
中野note
↑野澤健さんと共演経験もある、新宿梁山泊の渡会久美子さんと一緒に
観ました!
今日は先ほどまでダンスを観ていました。
ちょうど10年前、KAATで上演した『唐版 滝の白糸』に出演してくれた
野澤健さんが、久々に舞台に立つと言って誘ってくれたのです。
去年に自分がロンドンで過ごしていた時、
健さんはfacebookで大病をしたことを投稿していました。
その時はなんと言って良いのか分からずにいましたが、
久々に客席から眺めることのできた健さんは、
以前と同じように自分の表現を果敢に探っていました。
健さんは、もともと横浜国大の学生だった三浦翔くんが紹介してくれた
パフォーマーでした。三浦くん自体もダンスをやっており、
自分が演出した『腰巻お仙 忘却篇』ではドクター袋小路を
演じて私を大笑いさせてくれた良い男でしたが、共演したことのある
健さんを紹介してくれたのでした。
『唐版 滝の白糸』に登場する、小人プロレスラー・アトムが
その時の健さんの役どころでした。世の中のあらゆる大勢に闘いを
挑もうとする闘争心、一転、夕陽に伸びた自分の巨大な影を眺めて
しんみりするリリシズムがアトムの持ち味で、これは健さんに
ピッタリでした。
当時は蜷川さんがシアター・コクーンで同じ演目を上演していて、
同じくアトムを演じていたマメ山田さんが僕らのバージョンを
観にきてくれたのも強烈な思い出です。
マメさんが客席最前列の中央に座ったことから、
健さんは自分のもっとも輝かしいシーンでマメさんとさし向かいに
なることになり、客席後方からその光景を眺めていた自分には、
二人が向き合っている姿に神々しさを感じたものです。
その後、健さんは多くの企画に見出され活躍をしていくことに。
あれだけの個性を持ち、クレバーさを持つ健さんは、
どこまで身体が保つかという闘いを常に生きているはずです。
よく動いていたし、終演後に話したら強気だったし、
また健さんを観られる機会がありそうだと、油断はできないけれど、
やっぱり安心しました。
観る機会だけではなくて、出演も探らないと。
健さん、復活おめでとうございます!
2023年11月23日 Posted in
中野note
↑子ども用の絵本を選んでいるうちに見つけました
ガタロー☆マン作の『おだんごとん』。
子ども用の絵本コーナーで娘に合う品物を探るうち、
これを発見して即座に買いました。当然、私用です。
あの『珍遊記』の漫☆画太郎先生がこんな風に絵本作家としても
活躍されていることを、私は初めて知りました。
いそいそと買って帰り愉しみに周囲を覆うセロファンを外すと
久しぶりの画太郎節が待っていました。
単純で呵責ないストーリー。
お馴染みの画風、お馴染みのキャラクターが行き交い、
得意のオナラやウンコが元気いっぱいに跳ね回っています。
そして何より、この圧倒的な無意味性。
子供達も大喜びで「ヤバイ、ヤバイ」と言いながら一緒に読みました。
見事に構築された作品が好きです。張り巡らされた伏線も好きです。
けれども、最終奥義は、脳髄を直接に鷲掴みにされるような
無意味性が上だと思うのです。なんでスゴいと感じるか
まったく説明できないけれど、やっぱりスゴく感じる。
これが最高です。無意味に勝るものなし!
読むと良い気分になります。オススメです!
2023年11月22日 Posted in
中野note
Nancy CinatraのSugar Town
動画でも簡単に観られます。
→
それにしても、劇中で何度も何度も歌われる
『Sugar Town(邦題:シュガータウンは恋の町)』は面白い。
もともとはナンシー・シナトラが歌った歌詞はこんな具合なのですが、
I got some trouble, but they won't last
I'm gonna lay right down here in the grass
And pretty soon all my troubles will pass
'Cause I'm in shoo-shoo-shoo, shoo-shoo-shoo,
shoo-shoo, shoo-shoo, shoo-shoo Sugar Town
唐さんはこんな風に替え歌しています。
〽誰か私に教えて
かわいいベビーのつくり方
やさしい母さんになりたいの
ここはシュシュシュ シュガータウン
現在は30代で結婚、40歳前後で初産も珍しくありませんが、
当時は20代で結婚し子どもを産む時代、今より早く大人になる
時代だったでしょうし、定年も55歳という世の中です。
(今では考えられん!)
それに、同棲ブームによって、妊娠→中絶が若者世代に
溢れた時代でもありました。それが唐さんとその周辺にとっても
生々しい話題であったことは、初期のアリババや『腰巻お仙』
シリーズを読めばすぐに察せられます。
『Sugar Town』はyoutubeでも簡単に聴けますから、
ウキウキと聴いてもらいたい唐さんオススメのポップスです。
同時に、このメロディに少女のアイロニーを混ぜ込んだ
唐さんのブラックユーモアも、歌詞をあてはめて
愉しんでもらいたいところです。
2023年11月21日 Posted in
中野note
↑唐さんにとっての初めての単行本だった『腰巻お仙(現代思潮社)』
あとがきは当時の唐さんのてらいの無い思いが溢れていて、胸を打ちます
『腰巻お仙 義理人情いろはにほへと篇』の台本打ちがやっと終わりました。
これは、かねてからの懸案事項で、ずっと気になっていたものでした。
というのは、唐十郎ゼミナールが最初期に上演した演目について、
私たちは上演台本を作らなかった。あるいは、作ってもデータ管理が
いい加減で、それを失くしてしまっているのです。
『腰巻お仙 義理人情いろはにほへと篇』もそのうちの一つで、
かなり前から心に引っかかっているのですが、
近く『腰巻お仙』シリーズ、すなわち、
『忘却篇』『義理人情いろはにほへと篇』『振袖火事の巻』を
一気に本読みWSの題材にしようと思い立ったので、
これを機に研究し直してみようと考えました。
それで、ここ3週間ほど、
早朝は初掲載の雑誌、単行本、作品集を見比べて読んでいるわけですが、
『映画批評 1967年12月号』に取り組みながら、単行本に掲載するに
際して唐さんが最後の方のシーンを書き足していることに気づきました。
第四幕だけに登場する「看護婦」の出番が終盤に増えている。
これは、稽古の過程で、この役や役を演じた俳優の面白さにより
膨らんだとか、唐さんが役者を慮ったとか、最後の方で別の役の、
例えば「かおる」役にメイクや扮装替えの時間を稼ぐ必要があった、
などの理由が考えられ、いずれにせよ当時の現場感を想像するに
大きなヒントであると感じています。
また、後年は書き換えをほとんどしなくなる唐さんですが、
雑誌から単行本化にあたってずいぶんせりふを書き換えています。
それは、美学的な作業というより整理をした感じで、初々しかった
唐さんが殊勝な感じで初めての単行本に力を入れていた様子も
察せられて、愉しい作業です。単行本に際して唐さんが書かれた
あとがきはあまりにも素直で、ストレートで、胸を打ちます。
機会があったら、ぜひ読んでもらいたい唐さんの文章です。
2023年11月17日 Posted in
中野note
↑日付は2001.12.7でした
昨日、紹介した本の表紙をめくると、唐さんのこんな署名があります。
公演終了後に頂いたもの。開演前に浮き足立ちすぎて
舞台セットのプリセットを忘れたり、終演後に宴会に至る動きが
鈍すぎて唐組の皆さんの手を煩わせたり。
観劇してくださった大久保鷹さんに、
「1・2幕をわざとつまらなく作っておいて、
3幕から面白く見せる作戦だね」と言われたり、
帰り際に際にダメ押しで、
「もっと絶望した方がいいな」と笑いながら言われて
どう受け止めて良いのがその後もずっと考え続ける公演でしたが、
唐さんがいかに私たちに手加減し、気を遣ってくださっていたか、
分かるサインとコメントです。
今日は一日中、動き回ってヘトヘトなので短めです。
あの、初めての唐十郎ゼミナール公演のあとも、
緊張しすぎて同じような感じでした。
2023年11月16日 Posted in
中野note
↑この現代思潮社から出ていた再販版が、私たちの教科書でした
早朝に研究中の『腰巻お仙 義理人情いろはにほへと篇』が
第3幕に入りました。何とこの芝居は全4幕で構成されており、
そのようなわけで、半分を過ぎたことになります。
第1幕 その人の名は
第2幕 恋づくし
第3幕 喫茶ヴェロニカ
第4幕 月下
という構成です。これが、長いかと思いきや、
各幕がテンポ良く進んで全編で2時間以内に収まるようになっています。
とりわけ第3幕には思い入れがあって、
唐さんが得意とする長せりふの世界がいよいよ始まります。
ギャグとドタバタに溢れ、それまではずっと軽演劇風だったこの芝居が
一転、じっくりとして謎めいた会話劇となり、
主人公・忠太郎の前に立ちはだかる美少年(=腰巻お仙)による
母体論が滔々と展開します。
今から考えれば、内容をよく私たちは、
しかし、だからこそ、せりふを言ううちに身体が熱くなるのを
本能的に感じることができました。まるでブルース・リーのように、
Don't think, feel.を地でいっていたわけです。
それから20年以上経って、同じ言葉に向き合う時、
あの時より遥かに多くの意味が自然と自分に迫ってきます。
けれど、それによって失われたものがあることを、
慎重に思い返すべきだとも思うのです。
稽古中、私たちの下手くそな芝居を観ながら、
この劇が第3幕に差し掛かった時、唐さんが泣いていたのを思い出します。
そうして生まれたのが、ついこの前に唐組で観た『糸女郎』でした。
毎日、少しずつ読み進める台本の探求。
明日は、まさにその長せりふ部分を読み込みます。
2023年11月15日 Posted in
中野note
↑これがハガキの表と裏面です
このゼミログの冒頭で、いつも写真を紹介しています。
初め、文章だけを書いていたら、やっぱりビジュアルがあった方が
良いということになり、最低でも一枚は写真をあげるようにしました。
本読みWSのあと、それが唐ゼミ☆公演で上演した台本であれば
舞台写真をあげます。ここ12年は、広告写真家の伏見行介さんが
撮ってくださったもの。伏見さんと知り合って12年ちょっと経ち、
数万枚の写真が溜まったそうです。
そこで、写真展をやろうという話になりました。
2024年1月末に1週間、四谷のギャラリーで行います。
ハガキのフライヤーを作ったので、これから配っていきます。
期間:2024.1.25(木)〜31(水)
会場:ポートレートギャラリー(新宿区四谷1-7-12日本写真会館5階)
ロンドンにいた去年から準備をしてきました。
付き合い自体は10年以上になる伏見さんと時間をとって話し込んだのは、
実はロンドンと日本をつなげたzoomが初めてでした。
まず、伏見さんに追いかけてもらっているこの12年間、
自分が何を考えながら演目の選定や公演組みを行なってきたのかを
話しました。劇団の歴史は、やはり団員の〇〇が入り、〇〇が辞め、
というトピックが重要な位置を占めます。劇団の根本は人。
その時々にいた団員たちに注目したいという主題が立ち上がってきました。
写真の選定は大方済み、
これから元劇団員たちにも連絡をしていきます。
さらに、モニターで見せるスライドショーづくりをし、
1/28(日)にはちょっとしたイベントもやろうと内容を考えています。
まずは第一報でした。
2023年11月10日 Posted in
中野note
↑3月に初演して面白かったので4月にも上演しました
『腰巻お仙』シリーズについて想いを馳せていると、
これが台本としてはなかなか破天荒だけれど、
実際に上演してみると笑いが多く起こって、
稽古の現場までもがとにかく面白かったことが思い出されます。
正確にいうと、
『腰巻お仙 義理人情いろはにほへと篇』の頃は自分たちがまだ青くて、
余裕がなくて、しゃっちょこばってばかりいたので、どうにも
硬かったのですが、30歳に差し掛かる頃から徐々に余裕を覚え、
ふてぶてしさ、図々しさが身につくようになり、
お客さんもよく笑ってくれるようになりました。
なかでも思い出深いのは学生たちとつくった『腰巻お仙 忘却篇』で、
これはもう、稽古のさなかにも膝から崩れ落ちるほど笑いました。
あの時はなにしろ、集まった学生たちがすこぶる優秀だったと
思わずにはいられません。彼らは地面に埋められたり、
人形を使って屋上から飛び降りたフリをしたり、
チケットがわりの石を投げつけられたり、
照明が壊れたという設定で自転車を漕ぎ続けて
共演者に必死のライトを浴びせたり・・・。
とにかく真面目かつ余裕を持って演じてくれました。
ふざけているのではなく、杓子定規すぎもしない。
要するにそれはユーモアに満ちていたということです。
書いていてさらに思い出しましたが。
1メートル以上の高さのある帽子をかぶったり、
リアカーをくくりつけた自転車を転がして坂道を全力で駆け降りたり、
自分の転がすリアカーに轢かれたり、
バリカンで頭に星型のハゲをつくったり。といったこともしました。
自分が本読みWSで『ジョン・シルバー』シリーズを熱心に
取り上げつつも、『腰巻お仙』シリーズを避けていたのは、
これらの現場感がちゃんと伝えられるか心配していたからだと
思い至りました。でも、本読みだって、実際に声に出しさえすれば
あのウキウキ感がやってくるのではないかと思い、やってみたいと
考えるようになりました。おどろおどろしく受け取られがちな
演目ですが、あれこそ世の中を明るく照らす芝居です。
2023年11月 9日 Posted in
中野note
↑映画評論1967年12月号
最近、『腰巻お仙 義理人情いろはにほへと篇』をデータ化していない
ことに気づきました。あの作品に取り組んだのは大学3年生の時で、
当時はなんと、みんなで買った現代思潮社の単行本をそのまま
台本にして書き込みなどもしていたのです。
そういうわけで、Wordのデータになっていない。
これでは本読みワークショップができません。
何より、気分転換にああいう、リリカルにしてバカバカしい台本を
読めば元気も出ようというもの。そこで、少しずつ読み始めました。
で、ふと気づいたのです。
確かに現代思潮社の旧版は唐さんの初めての単行本ですが、
『腰巻お仙 義理人情いろはにほへと篇』はその前に雑誌に
載っていたはず。そう思って本棚を探したところ、出てきたのが
上記の映画評論でした。
この雑誌では、唐さんが花園神社デビューに際して
「腰巻」という言葉が嫌がられるのではないかと配慮して命名した
別タイトル『月笛お仙』で掲載されています。
何か発見があるかも知れない。そう思いながら少しずつ、
この雑誌版と向き合っています。
2023年11月 8日 Posted in
中野note
降って湧いた仕事に揉まれてヘトヘトなので、今日は短め。
教会とかお寺とか、前を通りかかるとなかなか面白い言葉が書かれて
いることがあって、足を止めることがあります。
これは最近、ルーテル市ヶ谷という素敵な教会兼音楽ホールに
フォーレのレクイエムを聴きに行った時に思わず見入ってしまったもの。
これは書いた人が偉いと思います。
きっと聖書の一説なんでしょうが、その抜き出し方、字の雰囲気。
そういうものが相まって、
神サマがなんだか欲張りな感じがして好感が持てます。
スナック菓子を両手に持って頬張っているような感じ。
だいたい、冒頭の「す」という文字から、
ボケる気満々のコメディアンのような予感が漂っています。
そして「だから」という締め。特に「ら」の曲線の妙。
・・・今日は以上です。
2023年11月 7日 Posted in
中野note
↑現在はひたいの角のようなパーツ無しで頑張っています
先日の日曜、7歳の息子と良い時間を過ごしました。
最近、彼はプラモデルづくりに目覚めたのです。
ちょっと前、最初はファースト・ガンダムを組み立てました。
ガンダムといってもリアルタイプでなくSDの方です。
これは初回でしたからほとんど私が組み立てましたが、
息子はこれを大いに気に入りました。
続いて一昨日。
今度は手を貸さずに息子自身に組み立てさせようと
ニューガンダムのSDを買いにヨドバシに行きました。
今度は子ども用のニッパーも買って、
一人で組み立て始めました。そばにいると口を出したくなるので
こちらはなるべく見ないようにしました。
シールを逆さまに貼った挙句、貼り直そうと剥がしてダメにする。
ニッパーの使い方がまずくて、部品を傷つけてしまう。
左右反対にくっつけてしまう、など、
見ているとこちらもソワソワしてきて、
手を出さずにいることの難しさと闘いました。
結果、彼はなんとか組み立て終えて、
ファーストとニューを並べて眺め、やがてはそれらをぶつけ合い
始めました。脳内戦争です。
さらに、蕎麦屋に出かけようとしたところ二体を持ち出したのです。
蕎麦を食べ終え、ドラッグストアに寄り、スーパーにも寄りました。
その間、ガンダムたちは道路を飛行する。が、途中で気づいたのです。
気に入りのファースト・ガンダムの角がない・・・
それから90分くらい、もときた道や通り過ぎた店内を3往復しました。
が、結局出てきませんでした。そのトボトボとした歩みは
味わい深いものがあって、しょげかえる息子には悪いのですが、
自分には充実した時間のように思われました。
大げさにいうと映画『自転車泥棒』のような、こうして親子で
連れ立って挫折している体験は、変え難く大切だと思うのです。
これはちょっと唐さんの世界だな。そうも思い、
唐さんにこんな体験をしたと報告したくなりました。
新しいのを買ってやろうか?と訊いても、
あのもともとのパーツとは別モノだと言い張り、
購入を受け入れない息子は、なかなか良いセンスだと思います。
量産されている製品なのですが一点もの。これも唐さん的だな。
そう思います。
2023年11月 3日 Posted in
中野note
↑面白かったので、2冊並べて読みました
今日は椎野が唐組に出かけています。
長男が生まれてから、自分たちが揃って芝居を観にいくことは
無くなりました。どちらかが家にいて、子どもの面倒をみます。
大概出かけるのは自分ですが、唐組はやはり特別です。
娘がある大きさになった時から、椎野もひとつの公演につき
1回は立ち会う習慣を復活させました。
で、留守番の間、子どもが自分で遊んだり、
昼寝をしたり、夜になって就寝してしまうと、本を読みます。
今日読んだのはW.フォークナーの『エミリーに薔薇を』。
ここしばらくずっと新潮文庫でしか読めませんでしたが、
昔に福武文庫で出ていた翻訳が中公文庫で復刊されたので、
それも手伝って読みたくなりました。
次に上演する『鐵假面』には、この短編に触れるくだりがある。
『エミリーに薔薇を』、それからゾシマ長老に触れるシーン。
要するに『鐵假面』は、ホステス二人が殺してしまった男の首を
ボストンバッグに詰めて各地を逃げまわる話です。
ですから、彼女たちの荷物から溢れる死臭に引っ掛けて、
エミリーが殺した恋人とゾシマ長老という、死体の匂いが小説世界の
衆目を集める存在をこの芝居で唐さんは引っ張り出しました。
ほんのひと言だけのせりふですが、やっぱり発するからには
読んでおきたいと思って、これまで随分と豊かな世界に出会ってきました。
これも唐さんとずっと付き合ってきたことの効能のひとつです。
試しに唐さんのガイドによって読んだ短・中編をいくつか挙げると、
・モーパッサン『脂肪の塊』
・ホフマン『砂男』
・ゴーゴリ『外套』
・ドストエフスキー『地下生活者の手記』『白夜』
・アンドレ・ブルトン『ナジャ』
・泉鏡花『夜行巡査』
・夏目漱石『夢十夜』
・上田秋成『雨月物語』
なんかがパッと思い浮かびます。
ことに翻訳ものとなると唐さんは、登場人物の自意識が暴走するもの、
事件としては小規模でも個人の内面がひどく痛ましいものが好みです。
そしてそれは、唐さん自身の繊細さの証左でもあります。
『エミリーに薔薇を』、
初めて読んだ2007年より格段に面白く感じました。
自分を捨てた男を殺して、朽ちていく遺体と寝続けた女の話です。
たった20頁に、死んで肖像画になっても威圧的であり続けるエミリーの父、
自分より遥かに身分の低い男に捨てられ、誇りを踏みにじられつつも
同衾をやめられないエミリーの愛、物言わぬ黒人の召使の非人間性などが
いっぱいに詰め込まれています。
この短さ、凝縮度をして、唐さんはよく"珠玉"と言い表します。
自分もそれに倣って、これぞ珠玉と思います。
2023年11月 2日 Posted in
中野note
ここ一週間、さまざまな催しを行ったり観に行っていますので、
写真とともにダイジェストでお届けします。
トップはこの方!
10/28(土)のこと。
やっぱり唐さんに会うと自分の芯からエネルギーが湧き上がるのを
感じる。学生時代から疲れ果ててヨレヨレで会いに行っても、
帰りは余力に気付かされる。今もまったく変わらん!
同じ10/28(土)のお昼はJordi Savallの演奏会を最前列で聴きました。
特に後半は、82歳のマエストロが血管ブチ切れそうになりながら
マラン・マレその他のプログラムをガンガン弾いていて、
ぜんぜん枯れていないことにビビる。
写真は去年の8/17にエジンバラで撮ってもらったもの。
10/31(火)は茅ヶ崎の教会にお邪魔して、中田恵子さんのオルガン演奏を
聴きました。いつものホールとは違い教会だったので、中田さんから
キリスト教の風習や聖書についての説明を受けながら、バッハの小曲集を
聴くことができました。音楽から見える景色がぜんぜん違うし、
レジストレーションや演奏の根拠を識ることができた。特別な体験。
↑オランダ製のオルガンを横に撮影。タイムボカン的な写真で面白い。
アシスタントを務めた下田さんの連携も見事でした。
11/1(水)はカプカプ×新井一座WS。
受講生の皆さんが2チームに分かれ、オリジナルのアイディアを出し合い
WSをリード。夕方からは振り返りとともに改善点が挙げられました。
↑サツマイモを松ぼっくりを持ち込み、秋を全開にした着想が卓抜!
風呂敷を縫い合わせた大風呂敷を使って不思議な世界。
本日11/2(木)は米澤が出演するワンツーワークスを観に下北沢へ。
米澤は現在、リアリズムの演技を習得したいと考えて、自分なりに
学びの場を求め、努力を続けています。
自ら依って立つ姿を見て、もっとやれ!と願います。
↑終演後は会えなかったけれど、仕込みの時に現場が隣り合わせた
岡島哲也さんが記念撮影して送ってくれた。米澤の短髪と笑顔は珍しい。
新鮮だけれど、痩せていることは心配・・・
2023年11月 1日 Posted in
中野note
↑終演後、唐組の皆さんの撮影にちゃっかり混ぜてもらいました
(撮影:平早勉)
先週の土曜日は鬼子母神に唐組を観に行きました。
前の予定から会場時間を過ぎてやっと紅テントに到着し、
そこにいた美仁音さんに「今回の役は何?」と訊いたら、
「美女丸です」と応えました。
美女丸。乳母川美女丸といって『糸女郎』の敵役です。
もちろんこの役は男性の役なので、当意即妙に冗談を飛ばす
彼女をおもしろく思いながらテントに入りました。
劇が始まると、トイレの中でお腹を露わにする美仁音がいて、
やっぱり美女丸ではなくヒロインなのだと理解しました。
この日のヒロイン・湖村蚕(こむら かいこ)は、
天竜川の崩壊により破壊された養蚕・製糸業の悲劇を
丁寧に、丁寧に伝えていました。
特異なキャラクターが多く登場し、
登場人物たちの魅力で笑っているうちに撹乱されてしまいそうに
なるところを、あの部分が、この『糸女郎』とはどんな物語で
あるのかを伝えてくれます。
主人公の大切な役割を果たしている。
この日は唐さんが来ていたので力が入り過ぎているところも
あったけれど、それも含めて、"背負っている者"の演技だと
受け取りました。
一方、初演でヒロイン・デビューした藤井由紀さんは、
久保井さんが演じたチャン(レディ・チャンドラーのこと)の
元愛人を演じて、笑わせてくれました。
特に、悪役アザミノが藤井さんの右脇にはえた剛毛を
掻き分けてサメの刺青を求めるくだりは、エロス過ぎて
エロス以上の何ものかに到達してしまっており、
唐さんくらいに妄想大爆発でエロいと、
もはや世間でいうセクハラを乗り越えてしまうのだなあ
と感心しました。電車のレールを見ても欲情するのですから。
言いたいことは尽きませんが、とにかく、
自分が大学4年の時に唐さんが初演した芝居がどんなだったか、
その物語も、その面白さも、改めて教えてくれた上演でした。
今週末までやっています!
2023年10月28日 Posted in
中野note
開場直前に撮った写真です。右の女性は、オルガン・アドバイザーの
中田恵子さん。
今日はハロウィンにちなんだオルガン・コンサートだったので、
週明けから数日かけてかぶりものを作りました。
シルクハットに鉢植えみたいに作った木をはめて、
カボチャでなく柿の実にハロウィンの顔を描いて被りました。
仕上げを津内口が手伝ってくれた。
上がいい加減な分、胴体には久々にネクタイを絞めまして、
考えてみればこれは、去年にロンドンでジェントルマンズ・クラブに
行って以来です。
とまあ、自分はロビーで来場者プレゼントのチョコレートを
配ったりして賑やかしていましたが、県民ホールの同僚・山下さん
という女性は、メインでこの公演をプロデュースし、
さらに仮装しながら演奏の際の譜めくりやアシスタントをして
獅子奮迅の活躍を見せており、実に大したものだと思いました。
明日は、以前から大好きなヴィオラ・ダ・ガンバ奏者の
ジョルディ・サヴァールを音楽堂に何人かで聴きに行き、
夜には鬼子母神の紅テントに駆け付けます。
肝心の唐ゼミ☆公演のことをまとめにかかってもいます。
さらに来年のことも考え始めており、さまざまな台本を読み直しても
います。気候がよく、疲れにくいので朝から深夜まで
稼働が楽です。『鐵假面』だけでなく、来年の劇は何が良いか・・・
2023年10月26日 Posted in
中野note
↑少年が鏡を見つめる有名なシーン。パーセルの音楽がかかります
最近、タルコフスキーの本を読みました。
ちくま学芸文庫から復刊された『映像のポエジア』という本です。
読むうちに、久しぶりに映画そのものも観たくなって、
久々に『鏡』を観ました。
ロンドンで叩き売っていたDVDを買っておいたのです。
初めてこの映画を観たのは大学1年生の時、
それから大好きな作品になりましたが、
久々に観直してみて、その良さがますます深まりました。
タルコフスキーの生きた20世紀のソ連について
時間がたった分だけ詳しくなったこともあります。
そこここに挿入されているドキュメント部分の意味が
判るようになった。
そしてそれ以上に、タルコフスキーの幼少期への想いや、
彼のお母さんに女性としての人生があったという当たり前の事柄に、
自分もまた想像が至るようになったことが大きい。
冒頭、吃音の少年を医者が治します。
模糊としていた彼の語りが治療とともに噴き出す。
タルコフスキーは自らの追憶を、
こうして現在形にしてフィルムに定着させたのだということも、
今では判りやすく感じるようになりました。
逆に時間の経過とともに、
カメラワークや演者の動かし方についてこちらの想像が
及ぶようになり、作為が視え過ぎるようになったきらいもありますが、
やはり『鏡』は素晴らしい。
そして何より、劇中に流れる音楽の選曲センスが拓跋です。
ペルゴレージの『スターバト・マーテル』
バッハの『ヨハネ受難曲』
パーセルの『インディアン・クイーン』
どれもこれしかないという曲が、これしかないタイミングで流れます。
特にヘンリー・パーセルの『インディアン・クイーン』は
もともとが歌入りの曲を楽器演奏のみに編曲して流しています。
この音源、手に入れたいと思わずにはいられません。
2023年10月23日 Posted in
中野note
↑よく見てください。昭和59年製の銀色500円硬貨
昨日、湯河原町に行きました。
そこで行われた野外ダンスイベントを観に行くためでしたが、
せっかく海辺の街に来たのだからと、そこでお土産に干物を買いました。
何度か訪れたことのある馴染みの干物屋。
その際に面白かったのは、
会計のお釣りに500円銀貨を渡されたことです。
昭和59年につくられたと刻印してある。珍しい!
500円玉はあれから金貨になり、
最近はそれがさらに二重に色付けされた金貨になって、
街中の自動販売機の中には、新しい500円は使えません、
というものがあって、これに結構イライラさせられます。
そういう時に、先代どころか2代前の銀貨に久々に再会したのです。
この銀貨には思い出があって、
あれは2002年に初めて『ジョン・シルバー』を公演した時のことです。
ぼくらはまだ大学4年生の春、
ようやく唐十郎ゼミナールで芝居を作るペースが定まった頃。
めくら滅法、とりとめもない稽古を延々としては本番に臨んでいました。
その中で、学生演劇といえど料金を取りたい私たちは
500円という入場料を設定しました。それを聞いた唐さんは即座に
「500円銀貨にしよう!」と言ったのです。
当時は、先々代500円玉から先代500円玉への過渡期で、
感覚的にはやや500円銀貨が押されていた時期でした。
そこへ来て、唐さんは観客に「旧の硬貨である銀貨を持ってこい!」
という指令を下したのです。
これはけっこうウケて、受付はちょっとした盛り上がりを見せました。
『ジョン・シルバー』には銀貨1枚!
ぼくらはそうして唐さんの遊び心に触れていたのです。
2023年10月20日 Posted in
中野note
↑1989年に再演された『盲導犬』の当日パンフレット
最近、『盲導犬』を読み直していたところに財津一郎さんが
亡くなった報に接しました。
財津さんといえば、
タケモトピアノの話題がネットニュースに溢れているし、
やはり圧倒的に『てなもんや三度笠』なのだろうけれど、
唐ゼミ☆的には、財津一郎さんは石橋蓮司さんの次に『盲導犬』の
影破里夫を演じた名優として記憶されています。
上演は1989年12月のこと。会場は日生劇場。
ヒロインの銀杏は桃井かおりさん、フーテンは17歳の木村拓哉さん。
なかでも財津さんは、喜劇人の好きな唐さんにとって敬愛の対象
だったのでしょう。上の写真のパンフレットに唐さんが寄せた文章の
大半が、影破里夫と財津一郎さんに割かれていることに
改めて気づきました。
プロデューサーの中根さんからは、
当日は蜷川さんの停滞期だったこともあり、
この『盲導犬』は上手くいかなかった公演だと伺ったことがあります。
それでもやはり、財津さんによる劇中歌や「ファキイル!」という
叫びを聴いてみたかった。そう思わずにはいられません。
2023年10月19日 Posted in
中野note
↑青梅第六中学校正門前。5:55にテツヤPと横浜を車で出発し、
8:00前には到着しました。大自然!
2月に初演した『オオカミだ!』が順調に育っています。
もともと、軽量級で上演できる痛快な作品を作って各地に、
それこそ世界に飛び出していけるように組んだプログラムでしたが、
縁あって、青梅第六中学校が招聘してくださいました。
大きな体育館での公演です。
公演には近隣の保育園生も参加して、
5歳前後と13歳前後という組み合わせの観客を前に
ケッチさんがいつもの笑いを巻き起こしました。
保育園生が起爆剤となって、照れ屋な中学生たちの心を開いていく。
そういう状況が後ろから見ていておもしろく、
来て良かったと心から思いました。
一方で、ものすごく巨大な中学校に
全校生徒が30名弱という光景は、いろいろなことを考えさせるものでした。
少子化に過疎化・・・
ところで、今回の公演は自分の人生で初の学校公演と
意気込んでいたのですが、よくよく思い出してみたら、
私たち唐ゼミ☆には学校公演の経験があったのです。
あれは2004年秋のこと。
大学院の先輩が戸塚高校定時制で先生をされていたことから、
私たちは芸能鑑賞会のネタに呼んでいただき、
いつもの青テントを校庭に立てたのです。
演目は『黒いチューリップ』。3幕3時間の大作です。
よくもまあ辛抱強く付き合ってくれたものだと思いますが、
あの時、客席にいた生徒たちもすでに30代半ば。
引きこもりを題材にした台本ですので思春期のみんなに
シンパシーがあるはずだと上演していましたが、
騒がしく盛り上がったテント内の空気と、
上演後に先生方が作ってくださった炊き出しを思い出しました。
というわけで、今日は2度目の学校公演でした。愉しかった!
2023年10月18日 Posted in
中野note
↑写真の選定中。15年以上で3万点をこえる写真を撮ってもらいました
今日は唐ゼミ☆の拠点Handi Laboに伏見行介さんが来てくれました。
伏見さんは写真家。ご専門は広告写真なのですが、
2010年頃、カメラ専門誌であるCAPAという雑誌に劇団員だった
禿恵を取り上げてくださったところから縁を得て、
以来、ずっと公演のたびに撮影に訪れて下さっている方です。
そのために、このゼミログに登場する舞台写真のほとんどは
伏見さんの手によるもの。私たちの関係も10年を超えたので、
これまで撮り溜めた写真を整理する作業をしました。
いつも奥ゆかしい伏見さんとは食事を一緒にするのも初めてで、
これもなかなか面白いの体験でした。これまでは大人の距離感を
とりながら撮影にあたってくださってきた伏見さんと、
これからは色々と相談しながら公演を迎えさせて頂きたいと
お願いしました。
2023年10月13日 Posted in
中野note
今日は午前の仕事を終えて一度、家に戻りました。
途中、近所で買い物ができるのが嬉しく魚屋に寄ります。
いくつかある魚のうち、ワラサを買いました。
1パックで250円。魚屋さんが立派な包丁で良く切り付けて
柵を刺身にしてくれました。見事な切り口です。
ワラサにはつい反応してしまう。
ワラサはブリの一歩手前の状態です。
関東ではワカシ(ワササゴ)→イナダ→ワラサ→ブリ
関西ではモジャコ→ワカナ→ツバス→ハマチ→メジロ→ブリ(ハマチ)
呼び方が違いますが名前が成長度合いによって変化する
いわゆる出世魚です。
このワラサが重要な役割を果たす唐十郎作品があります。
新宿梁山泊の金守珍さんがライフワークにしている
『少女都市からの呼び声』です。
あの話のなかで、現世に一歩を踏み出そうとする雪子
=本来は生まれてくることができなかった少女は、
世間に出たら美味しいものを食べたいと言います。
それに応えて、兄である田口は「今は、ワラサかな?」と言う。
雪子「そのワラサ、食べたいよお」と続きます。
私はこの選択は実に見事だと思います。
これがブリではいけません。
雪子は現世の荒波を恐れる繊細な少女なので、
ブリでは脂がキツすぎる。それに語感も良くありません。
イナダは野暮ったいし、ワカシでは若すぎる。
やはりここは、程よく成長しつつもサッパリとしたワラサです。
最後は「サ」で終わる音も爽やかな少女の感じを出します。
こういう選択はそれこそセンスです。
そして自分は、唐さんの才気をこういうところに見ています。
「今は、ワラサかな?」
兄・田口のせりふを聴くとき、冬に閉ざされた雪子の世界に
ドウッと暖かな風が吹き込んでくる感覚がします。
2023年10月12日 Posted in
中野note
いつものケッチさん、テツヤさん、私に加えて
今回は「黒子」役として新たに よし乃さんが参加してくれました。
右から2番目の女性。
CHAiroiPLINに所属している身体能力抜群の若手俳優です。
今日から『オオカミだ!』3回目の上演に向けて動き出しました。
ありがたいことに、上演して欲しいというオーダーを受けることが
できたのです。前回から1ヶ月ちょっとでの上演ですが、
新しい黒子さんを迎えながら、前回からまた少し工夫。
文筆家でサーカス研究者、プロモーターの大島幹雄さんに
頂いた意見を参考に、ずっと考えてきた改善点を試しながら序盤を
組み立て直します。あとは、会場の特性に合わせた設えを想定。
前回の月岡ゆめさんからよし乃さんに替わったことにより、
黒子さんの造形も変えていきます。これはもう単純に、
それぞれのパフォーマーの特設をいかに演目のなかに
生かせるかという創作のおもしろさです。
稽古場は流山寺事務所の本拠地、space早稲田をお借りしています。
都心での稽古。これもまた気分が一新されてなかなかの贅沢です。
明日も同じ場所で夕方からやります。
2023年10月11日 Posted in
中野note
↑『愛の床屋』のレコードをいつか買わなければならないと思っているの
ですが、高価で手が出ません。でも、いつかは!
1ヶ月に1回、床屋に行きます。
私の髪型は坊主に見えて、坊主ではありません。
坊主は社会性がない、と20代終わりに言われたので、
それからは頭頂部だけやや長めにするようにしました。
そういうわけで床屋が必要なのです。
今行っている床屋にはずっと通っています。
現在の家に引っ越してきてからなので、
すでに9年近く浮気せずに同じところにお世話になっています。
先日に行った時、その床屋の店主がいつもよりサッパリした
髪型をしているので、ふと気になりました。
床屋は自分の頭をどうやって散髪するのか。
こんなことが気になるのは初めてのことでした。
思い切って訊いたところ、なんと自分でカットしていると言います。
後頭部まで器用にやるのですから、改めてプロの技術に唸りました。
以前は床屋の友人同士で火曜日にやっていたそうですが、
お互いにスケジュールを合わせるのが面倒になり
いつしかセルフカットになったそうです。
他人様の髪型を撮影できなかったので写真はないのですが、
"ホリエモンの後頭部"のような感じです。
あれをどうやってセルフでやるのか、ちょっと想像つきません。
ついでに、有名人の髪型について喋りました。
プロの目から見てアッパレなのは河合俊一さん。
現在、ブームになっている男子バレーボール。
いつの間にか協会の会長になっている河合俊一さんの
髪型が数十年に渡り維持されていることは、プロの目から見ても
すごいのだそうです。あの横分け前髪アリの髪型です。
それから、北朝鮮の金正恩さん。
あれは床屋技術的にはかなり至難の技の賜物で、
特にサイドの部分を剃り上げている精度がすごいそうです。
しかも、相手は一国の最高権力者ですから、
チクリなどと刺激を与えてはいけないでしょうし、
まして流血などもっての他に違いありません。
同じ床屋として、会ったことのない金正恩さんの担当には
頭が下がると言っていました。
唐さんの『愛の床屋』はスウィーニー・トッドの日本版で、
床屋の中には一抹の狂気や恐ろしさが含まれているという歌です。
が、お隣の国ではそれとは逆に、今日も命懸けで
カットにあたっている人がいるかもしれないということでした。
床屋、マンセイ。
2023年10月 6日 Posted in
中野note
↑昔の箱入りのではなく、新装版で読んでいます
明日はドリームエナジープロジェクトの発表会です。
略してドリプロ。藤沢を拠点にさまざまな障害を持つ青少年たちに
多様な学びを提供しているNPO法人です。
藤沢の新堀ライブ館という会場で
いつも行ってきたレッスンの発表会をやります。
絵画や書道の展示、音楽やダンス、英会話などの発表。
自分は一緒に演劇づくりをしていたのですが、コロナでは難しい。
そこで最近はスピーチの練習していて、みんなが好きなものを
写真で紹介しながらアピールするというコーナーをつくりました。
みんな喋るのがメキメキ上手くなるし、お互いに日常的に
何にハマっているかわかって面白い。
怪我の功名的なたのしさがあります。
他にも音響係とリハーサルの進行を担当します。
これと緩やかに関係があるんですが、
最近はコツコツとミシェル・フーコーを読んでいます。
時間はかかるし、分厚い本は重いし、翻訳も難しい。
でも、まるで学生のように少しずつノートを取りながら読んでいます。
きっかけは打合せで、寿町のコミュニティセンターを訪ねたときです。
多くの本が収められた本棚にフーコーの代表作『狂気の歴史』と
『言葉と物』があったのです。ピンときました。
かつては日雇い労働者たちの街、
いまは高齢化と福祉の街になった寿町のスタッフが
フーコーと自分たちの日常をつなげて捉えているのを知り、
感心しました。
自分も、今の方が切実に読めるはずだと思いました。
最近は本当に多様な人たちと付き合うようになったからです。
自分の中に自然にある、
普通の人とそうでない人の線引き。自分はまともだという実感。
特に集団行動をするときなど、遅れをとる人に対する苛立ち。
といった、自分の中にある権力的なものと向き合う必要を
私自身は感じます。
『狂気の歴史』を理解できたら、次は『監獄の誕生』を読みます。
ロンドン以来、久々に硬派な読書に取り組んでいます。
2023年10月 3日 Posted in
中野note
↑祝詞を入れた箱の傍らに肉(にくづき)を捧げる様子を示す「名」
「名」とは祈りであると見抜いた白川静先生の言う通り、
名前とは重く、思いのこもったものなのです
今日は一昨日に行った『青頭巾』WSの内容をレポートする予定でしたが、
緊急で別の内容にします。というのも、日ごろ親しくしているある女性の
言動に衝撃を受けたからです。
彼女の名を、Oさんとしておきましょう。
Oさんはジャニーズのファンであり、特に関ジャニを応援しています。
それが、例の記者会見による社名変更、グループ名の消滅に
大きなショックを受けたのです。
昨日の午後に一緒にいたので、それは目の前で起こりました。
私にはどうにも想像できない境地なので、
それがどんなに大事なのか、思い切って彼女に訊いてきました。
すると彼女はこう言うのです。
「中野さんには息子さんがいますね。
これまでずっと呼んできた息子さんの名前を、
今日から変えなさいと決められたようなもんです」
これには驚きました。
只事ではない感じがひしひしと伝わってきます。
そんなバカな!と言いたい気にもなりますが、
それそこ、完璧に主観の世界なのです。
それに、普段は穏やかで大人しい彼女が
こんなに鋭く激しい例えをすること自体、初めてのことでした。
翌日。つまり今日。
Oさんは体調を崩しています。
〇〇〇〇ロスという現象の実例をまざまざと見せつけられるのも
自分には初めての経験です。
アイドルが人々に与える影響力を痛感させられています。
2023年9月29日 Posted in
中野note
↑朝8:00前後にこんな感じで交差点に立ちました
ついにこの日がやってきました。
息子が小学校に入学した4月以来、
いつか来ると思って期待してきた児童通学時の横断歩道警備、
要するに「みどりのおばさん」の担当日がやってきたのです。
「みどりのおばさん」は、初期唐作品にとって重要な登場人物です。
唐さんが幼少期に体験したみどりのおばさんの不気味さ。
おばさんなのに男か女か分からない、という感慨に端を発し、
さまざまな作品にこの役は登場します。
例えば『続ジョン・シルバー』に。(演じたのは大久保鷹さん)
例えば『愛の乞食』に。(演じたのは麿赤児さん)
例えばドラマ『追跡・汚れた天使』に。(演じたのは不破万作さん)
いずれも、幼少期の唐さんの印象により男性が演じています。
その実、戦後のみどりのおばさんには、
戦争で夫や息子を亡くした未亡人や母が積極的に登用されたという
歴史があります。子供時代の唐さんは、みどりのおばさんの中に
見た目に面白さだけでなく、そういったシリアスな悲哀を感じて
魅了されていたともいえます。
ともあれ、今朝の私はよろこんで集合場所に行き、旗を振りました。
次に我が家が担当になる時も、仕事がない限り私がやります。
2023年9月28日 Posted in
中野note
↑横浜に戻り、テツヤさんとの作戦会議
今週はたくさん劇を観ています。
KAATの『アメリカの時計』。
イエローヘルメッツの『夏の夜の夢』。
流山児事務所の『戦場のピクニック』。
アーサー・ミラー、シェイクスピア、F.アラバールと
なかなかの正統派&ハード路線です。
最近は音楽や、ジャンルにとらわれないイベントにも
アンテナを張っているので、こんな風にストレート・プレイばかり
観るのは久しぶりで、また、そのペースからいっても
ロンドンでの生活を思い出しました。
『アメリカの時計』は、恐慌によって共産主義運動に目覚めていく
青年という設定を面白く観ました、アメリカで共産主義といえば
ずいぶん肩身の狭い思いを余儀なくされるわけですが、
映画監督のエリア・カザンや作曲家のハンス・アイスラーに
ついて書かれたものを読んだ記憶が、劇を観ながら甦ってきました。
アーサー・ミラーが1980年代に追憶を込めて書いているところが
他の代表作と一風ちがうユニークさを生んでいました。
『夏の夜の夢』は、シェイクスピア上演を自家薬籠中のものに
している座組の上演、という説得力がありました。
8人のキャスト、テーブルとイスのみのシンプルな道具立てで
2時間に凝縮して魅せるものです。洗練されてステキでしたが、
一方でブラックボックスでなく、もっと明るく開放的な空間での
同じ上演を観てみたいと思いました。暗い空間だと神秘的で
良いのですが、この上演の大らかな笑いが増幅されるように
思います。
『戦場のピクニック』は、『ゲルニカ』や宮澤賢治『飢餓陣営』との
合作になっていました。そのぶん複雑ですし、複雑さを押し切る
強引さが魅力でした。ところどころ、ユルさもまじえて笑いを
呼びます。が、基本的には流山児さんが三作を通じて強烈に
戦争反対を叫んでいました。シンプルです。
もうとにかく反対なんだ!というストレートさがこの上演の
何よりの力です。超真剣です。
観劇後はテツヤと横浜に引き上げながら、
今後の作戦を練ったりしました。
2023年9月27日 Posted in
中野note
↑つい1ヶ月前に発売になったCDです
ついに聴きました!
モーツァルトのオペラ『バスティアンとバスティエンヌ』。
『秘密の花園』唐組改訂版に新たに登場する野口医師。
彼が語る長ぜりふのなかに、このオペラについて語る箇所があります。
うりふたつの女、いちよともろはに引っ掛けて、
このそっくりな名前の男女の恋愛を題材にしたオペラについて
語るのです。
どマイナーな作品です。
いかに天才モーツァルトとはいえ、
なにしろ彼はこれを12歳の時に作曲したのだそうです。
12歳じゃねえ。
メロディラインはともかく、
オーケストレーションの乏しさは否めません。
しかし、まあ、そのぶん単純で聴きやすくもある。
録音自体が珍しく、いつか聴いてみたいと思い続けてきたので
最近に出たのをすかさず買いました。
唐さんはおそらく聴いていないような気もしますが、
そんなことは関係ありません。
おかげで、なにか『秘密の花園』の新機軸を閃きそうです。
2023年9月26日 Posted in
中野note
↑そういえば、タイトルのもとになったバーネットのこの本を
私は読んだことがありません!読まなければ!
もしも『秘密の花園』を上演するとしたら・・・
ここ二日、そういうことを考えています。
今年のお正月、ロンドンから帰ってきて以来、
何本もの唐十郎作品を本読みWSの題材に取り上げました。
『秘密の花園』もそのうちの一本。
台本には1982年の初演版と1998年の唐組改訂版があり、
WSでは初演版をベースに、最後の回では改訂版との比較を行いました。
台本に向き合うとき、私は次の二つの考え方をします。
(1)なにを物語るか
(2)どう物語るか
唐十郎作品上演にとって重要なのは、圧倒的に(1)です。
上演頻度が少ないからです。
唐作品は凄いけれど、まだまだ一部の人のみが知るもの。
これはシェイクスピアやチェーホフや近松と比べての話です。
だから、 (1) なにを物語るか、が圧倒的に重要です。
要するに、みんなが話を知らないから、お話を伝えなければ!
他方、中には、わずかに上演頻度の高い作品があります。
『少女仮面』『唐版 風の又三郎』『ジャガーの眼』などがそれ。
こうなるとやはり、(2)どう物語るか、という勝負になってくる。
まるで『ハムレット』や『桜の園』、『冥土の飛脚』をやるように。
モーツァルトの『フィガロの結婚』やベートーヴェンの5番をやるように。
自分にとって『秘密の花園』はその部類なのです。
どんな作品だって(1)なにを物語るか、がベースになります。
そのことを忘れちゃいけない。
けれど、現在までに多くのパターンがある『秘密の花園』には
(2)どう物語るか、も必要です!
そう思って、ウンウン言いながら考えています。
上演するなら、どんな上演にしようか。
唐十郎の専門家のはしくれとして、他の上演に遅れをとることは
できないな、なんて俗っぽいことも考えながら、ウンウン言っています。
何か、考えつきそうです。
2023年9月23日 Posted in
中野note
9月21日からホームページの不具合で
ゼミログの更新ができなくなっていました。
お陰様で、9月23日に無事復旧しました。
本日は、9月20日に書いた記事を掲載します。
↑2011.11.3に行った唐十郎21世紀リサイタルでの安保さん
今年も安保由夫さんの御命日がやってきました。
安保さんが亡くなったのは2015年のことですから、
あれからもう8年が経ちます。
安保さんは状況劇場出身の俳優で歌手で、
私たち唐ゼミ☆劇団員にとっては、1970年代以降の唐十郎作品に
多大な劇中歌を生みだした作曲家としてとりわけ大きな存在でした。
同時に、安保さんはご自身の店、
新宿のナジャに行けばいつでも往時の唐さんの創作エピソードや
劇の成り立ちを聴くことのできる生き字引であり、
私はしばしば話を聴き、また気骨ある安保さんに
励まされもしてきたのです。
8年前に安保さんが亡くなってからも企画が立つたびにナジャに行き、
安保さんの奥さんのクロさん(みんなそう呼びます)とやり取りして
きました。
今度はこの芝居を上演するので安保さんの歌を歌わせてください。
そうお願いして、薄い水割りを飲ませてもらうのが、私が稽古に入って
いく時のセレモニーでした。
が、今年の9/20が例年の違うのは、さらにそのクロさんが
体調を悪くされ、今月上旬を以ってナジャが閉店することになって
しまったことによります。
恒例だった、安保さんにお花を届ける先さえ無くなってしまいました。
これは、かなりやり場のない思いです。
先日の劇団集合では、最近の中心である津内口と麻子に加えて
椎野も入り、過去の劇中歌から気に入りのもの、可笑しかったものを
思い出してみました。
来月から本読みWSを『青頭巾』で行う予定ですが、
『青頭巾』に出てくる『オイチョカブの歌』は面白さにおいて
傑出しています。『ユニコン物語 台東区篇』の『八房の歌』もまた
イントロで「♪ブンガチャカ ♪ブンガチャカ〜」とやっていると
明るい気持ちになります。
あの、生真面目さと悪ふざけが入り混じっていた安保さんの役者姿も
思い出しつつ、今日はコミックソングを歌って自分の中の安保さんと
自分自身を浮上させようと思います。
↓先月末にみんなでナジャに行きました
2023年9月19日 Posted in
中野note
↑お土産はナショナル・シアターの『フェードラ』
ウィーンのレゾナンツェン音楽祭、BBCプロムス
スリークワイヤーズフェスティバル in グロウスター
の当日プログラムたち!
先日、ロンドンでできた友人に会いました。
彼女、Mさんは日本人で、もう5年以上もロンドンに住んでいる人です。
知り合ったのはまことに単純な理由で、彼女こそ、
私が去年に厄介になっていたダイアンの家に部屋を借りていた、
前の住人だったのです。
ダイアンの家を出た後もMさんは近所に住んでおり、
時どきダイアンの家に遊びにきていました。
それで紹介されて知り合うことができたのです。
長期に渡ってロンドンに住んでいる彼女の英語は素晴らしく、
旅行代理店勤務という職業人としての優秀さも抜きん出ていました。
いつも私が七転八倒しながら旅行の準備をしていると
荷物の大きさに規約があるからこのスーツケースにまとめた方が良い、
などとアドバイスをくれました。
実際のケースまで貸してくれるのです。
飛行機のチェックインをオンラインで済ませる手続きなど、
一緒にやってもらったこともあります。
自分にできたお返しは食事や遊びに案内することくらいでした。
たまたまコンサートや芝居にも興味を持つ人だったので、
私からは、これは凄いぞ!というものを案内して、
多少は役に立つことができたように思います。
しかし、それすらも、
観たものについて語り合う相手ができた私の嬉しさの方が大きく、
まことに大きな恩人でした。
その後、Mさんは弟さんの結婚式があるというので一時帰国し、
なんと羽田に着いた朝に『オオカミだ!』を観に来てくれました。
それから改めて、先日の夜に9ヶ月ぶりに会うことができました。
ロンドンでできた知り合いに日本で会うのは不思議な感じが
しました。今もグリニッジに住む彼女から、あの街が今も
正常機能して変わらずにあるのを聞きました。
(当たり前といえば当たり前ですが)
この9ヶ月間、Mさんは私の勧めた催しを観に各地に行き、
その当日パンフレットを集めてくれていました。
それが冒頭の写真です。観られなかった芝居、行けなかった
音楽祭、それら資料が入っています。
それぞれのページをめくりながらか彼女の冒険譚を聞くのは
愉しく、自分が行かれなかったウィーンやダブリンの話に、
またヨーロッパに行ってみたいと思うようになりました。
次は『オオカミだ!』を持って行きたい!
そういう話もしました。今度は研修生としてではなく、
演じ物を持って英国に行けたらどんなに良いだろうと
思わずにはいられません。ありがとう、Mさん!
2023年9月17日 Posted in
中野note
↑はじめて奮戦中
息子があと1週間で7歳になります。
7年前、私は横浜国大の丘の上にテントをたて、
『腰巻お仙 振袖火事の巻』の通し稽古に臨んでいました。
朝5時頃に産気づいたと連絡があり、昼に息子は生まれました。
あれから7年。
彼が誕生日プレゼントに望んだものは、
「メザスタ」というポケモン系ゲームのタグでした。
それ自体は600円ほどで、さして高額とはいえない品物です。
誕生日当日に私がフリーである保障がない以上、
与えられるうちにセレモニーは済まさねばなりません。
安いな、と内心思いながら買ってあげると、彼はタグを買った
イオンに入っているゲームセンターへと歩を進めました。
そうです。
このタグはゲームを進めるためのとっかかりに過ぎず、
ほんとうの勝負と予算投下はここから始まったのです。
彼はタグに込められたモンスターを駆って勝負し、
新たなタグを手に入れて嬉々としています。
まるでパチンコ玉や麻雀の点棒が自分の手元に集まって
くるのにホクホクするオッサンのようです。
500円、1,000円、1,500円・・・が
あっという間に吸い込まれ、タグに変わりました。
長い闘いになりそうです。
彼はこれから、手元のタグが誘いかける禁断症状との格闘、
我慢を始めなければなりません。酒であれ、色欲であれ、
ギャンブルであれ、時にはチョコレートやアイスクリームにさえ。
人は必ず何かに依存します。要は程度問題です。
彼はあるところで折り合いをつけられるようになるのか、
自分はあまり偉そうなことは言えないな、と思いながら
これからを見守ることにします。
2023年9月15日 Posted in
中野note
左足の踵が痛んでから、もう1ヶ月が経とうとしています。
最初は構わずに走り続けていたら痛みは強くなるばかり。
それで朝は、走るのをやめて歩くことにしました。
時間はかかるけれど仕方ありません。
そうするうちに治らないだろうか、そう思ったのです。
時間が経つうち、痛みは徐々に緩んできました。
しかし、ちょっとした時にやっぱり痛む。
そこで月に一度お世話になっている整体の先生に相談したところ、
靴の中にソールを入れてみては、というアドバイスを受けました。
早速、今日は仕事の合間を縫ってスポーツオーソリティに
行くことにしました。オススメのソールを聞いたところ
勧められたのが上の写真です。
履いて行った一足に入れてもらったところ、良い感触です。
特にクッション性も抜群で、少し背が高くなったようで気持ち良い。
家にあるもう一足にも同じものを入れようと二つ目も買いました。
気に入りのスニーカーは捨てがたいものです。
中敷きや底がすり減っても、これだ!というフィット感が
次に買うものによって得られるとは限らないのです。
だから、ひとつ気に入ればできるだけ同じものを買ってきました。
が、やがて型はチェンジしていくもの。泣く泣く次のバージョンに
乗り換える。そういうことを繰り返してきました。
このソールを変える、というのは案外良い方法かもしれません。
全体を使い続け、中身を入れ替えていけば長持ちして安上がりでもある。
同じことはメガネにも言えて、昨日はレンズも交換しに行きました。
キズがついたレンズを交換しながら、同じフレームをずっと使って
います。イギリスに行く前にスペアをひとつ買ったのですが、
そちらの方はいまだに馴染めず、結局は古い方に手が伸びます。
こういう風にリニューアルしながら使い続ける最高峰は
自分にとって畳の張り替えです。あれは一日仕事であるために手間が
かかりますが、張り替えられたばかりの畳は素晴らしい。
『鐵假面』の主人公はタタミ屋なので、実際の仕事を見るためにも
張り替えを行おうかと思います。今はまだ暑いので、涼しくなったら。
外側からは見えずらくとも、見えない部分に気を配ることは
なかなかどうして、贅沢さに溢れています。
2023年9月14日 Posted in
中野note
↑マンガもさることながら、新潮文庫のこの本が自分のガイドになって
くれました。オススメです!
少女マンガを読んでいます。
萩尾望都作品を文庫で買ってきては、代表作から読んでいます。
別に『オオカミだ!』公演を終えてリラックスしているわけではなく、
来週末に担当している公演に萩尾先生をゲストにお招きしているので
せっかくだからこれを機会にその世界に浸ってみようと思ったのです。
☆神奈川県民ホール主催
青島広志&萩尾望都の「少女マンガ音楽史!」
・・・なるほど、これは自分にとって新しい世界です。
『ポーの一族』も『トーマの心臓』も、
これまでタイトルを知りこそすれ触れてきましたでした。
初心者の私なりに萩尾先生をすごいと思うのは
『半神』と『イグアナの娘』を同じ方が描いている点です。
前者はあまりにも無駄なく研ぎ澄まされています。
後者は、一見すると突飛な設定の中に、
やはり母娘関係が研ぎ澄まされて凝縮しています。
同じ肉親の愛憎を描きながら、
これだけの表れ方のバリエーションがあることに、
萩尾先生の凄みを感じます。
が、正直に告白すると、萩尾作品を読みながらちょっと疲れています。
『ポーの一族』を一気に読んでいるせいかも知れませんが、
劇場で机を並べている女性スタッフが「あ、萩尾先生のマンガだ」
と言って嬉々としてページをめくり始め、しばらく後に
「止まらなくなっちゃう」と言って無理やりに手を仕事に戻す光景を
見たとき、ああ、オレは頑張って読んでいるんだな、
自然に萩尾先生の世界に夢中になってはいないんだな、
という疎外感を覚えざるを得ませんでした。
口惜しかったので、帰りに『ポー詩集』を買いました。
これは対訳が載っているもので、おお、さすがに去年の英国生活を
経た後だと、英語でも多少は読めるようになっている!とやや自信を
回復しました。平易な英語で書かれている。これはポーの才能です。
そんな風に脱線しながらも、『ポーの一族』に帰ります。
主人公たち、エドガーとアランを自然体で自分のものとすることが
できるのか、そういう挑戦を続けています。
2023年9月13日 Posted in
中野note
大島幹雄さんをご存知でしょうか?
私はここ7年、大島さんのファンです。
大島さんはサーカスや大道芸の研究者であり、
また実際のイベントを取り仕切るプロデューサーでもあります。
その探究の深さ、著書のおもしろさ、それでいて現場を切り分ける
処し方の温かさは、あんな風でありたい、と思わせる大人ものに
して本格派の方、という印象です。
この7年と、まことにはっきりした期間であるのには理由があって、
神奈川の財団からの仕事を受けるようになってすぐにお目に
かかった方のひとりが、大島さんだったからです。
少し話を聞いてすぐに興味を持った私は、
伝説の道化師ラザレンコの著した『サーカスと革命』や
康芳夫さんと並んで私が仰ぎ見る「呼び屋」のひとりである神彰さんを
描いた『虚業成れり』を皮切りにして、大島さんの世界に入門して
いきました。
大島さんの本の中で読んだ「サーカスの熊の仕込み方」
についての一節は、現在社会では許されない残酷さに満ちていますが、
人類が行き着いた芸能のあり方として、自分の好きなエピソードです。
いったいどれだけの人に、私は大島さんから学んだ挿話をしたことか。
大島さんの本を読むと、人に喋りたくなる。
そういう魅力に満ちた本を書き、同時にプロモーターとして、
あの伝説の「段ボール箱に一万円札を蹴り込む」を経験されている
ところが大島さんの凄みです。チケット発券システムが行き届き、
果てはQRコードチケットの導入によって忘れ去られた世界の
たのしさが、大島さんのキャリアにはあります。
前段が長くなりましたが、そのように敬愛する大島幹雄さんが
『オオカミだ!』を観にきてくださり、文章を書いてくださいました。
所帯の大きな演劇公演とは違い、ケッチさんのような
フィジカル・コメディやソロパフォーマンスには、演し物を育てていく
という文化があることに改めて気付かされます。
ほんとうは演劇公演だって育てたいけど、どんなに面白くとも
100回、1,000回と公演できる作品はごく一部です。
そういう意味でも、自分は留学をしているのだなと思います。
そして留学をしたからには、その力を自分のメインの演劇づくりに
活かしてもうひとつ上の芝居づくりをしようと考えています。
2023年9月12日 Posted in
中野note
↑さよなら、ナジャ!
最近は『オオカミだ!』の現場レポートをしてきましたが、
同時進行で行っていたことがありました。それをいくつか。
上の写真は、安保由夫さん・クロさんのお店
新宿二丁目のナジャが閉店すると聞いて駆けつけたものです。
よく一緒に来ていた禿恵もいます。
安保さんが亡くなってからもクロさんお一人で続けて来られましたが、
クロさんが体調を悪くされたということで、クローズすることになった
そうです。寂しいです。
沢山のことを聞き、劇中歌を教わり、励まされてきました。
改めて、お二人に感謝します。
9/6(水)のカプカプWSです。
これから月に一回ペースで行っていきます。
この日が初回だったので受講生の皆さんも緊張していましたが、
それぞれに専門領域を持った面白いメンバーが集まり、
私は主催者としてうれしいです。
9/9(土)に水戸で行われた室井先生を偲ぶ会です。
基本的には、中学・高校時代を水戸で過ごした室井先生の同窓会的
意味合いの強い会でした。
が、横浜都市文化ラボの受講生だった戸田真くんが、
横浜の会に参加できなかったからと駆けつけてくれました。
戸田くんは大学生になってすぐ、2012年度に受講した熊倉聡敬先生の
講座に衝撃を受けたという話をしてくれました。
「いちごメディテーション」というお題の一回でした。
私や椎野も運営スタッフとして面白く参加した講座でしたが、
大学一年生だった戸田くんにはとりわけ忘れられない講座だったそうです。
時に若者は、運営が思うよりもずっと大きく影響を受けます。
教えてくれた戸田くんに感謝しました。室井先生はいつもそういう
機会をつくろうとしてきたのです。喜んでいるはずです。
それから、翌9/10(日)の巨大バッタ修復&展示に備えて
ミーティングもしました。自分が『オオカミだ!』千秋楽につき
安達俊信くん・小松重之くんのコンビが名代をしてくれました。
結果、水戸の皆さんを二人がサポートするかたちで良い1日を過ごした
そうです。触覚は立ち上がりきらなかったので、次回に繰り越し!
こんなこともやりながら、『オオカミだ!』を終えることが
できました。欲張りな10日間でしたが、精一杯やりました。
それぞれに場所で一緒に走ってくれたみなさんに感謝!
2023年9月 8日 Posted in
中野note
↑ロビーのバナーの前で!
自分が横浜に戻る前に皆さんに希望して記念撮影してもらいました
『オオカミだ!』2日目。
今日はザ・スズナリ公演を組む前から決まっていた
県民ホールの催しがあって、『オオカミだ!』の本番には立ち会えません。
けれど、1日目から少しだけ改良したいところがあったし、
できるだけ座組のメンバーと一緒にいたいこともあり、
集合の16:00から17:30までは下北沢にいました。
着いてみると、今朝からの大雨の影響で、
大事な紙芝居の経師(パネルに印刷物を貼ったもの)が浮いていて、
ザ・スズナリの洗礼を浴びました。
数少ない道具はどれひとつとっても欠けてはならず、
その中でも井上リエさんによる紙芝居は私たちの生命線です。
それだけに皆でヤキモキしましたが、
楽屋の小部屋で除湿をガンガンにかけて許容範囲まで
立ち直らせました。というトラブルに見舞われながらも、
稽古をして、それから皆さんに本番を託して横浜に戻りました。
ずいぶん寂しいものだな、と思いましたが、
これから『オオカミだ!』がうまく育って方々に出かけるように
なれば、経費節約のために自分不在の方が良い局面が必ず来ます。
だから自分がいない状況もまた、『オオカミだ!』の特性と
思うようにしました。
中心にテツヤさんとケッチさんとユメさんと私の4人。
それに、受付のエミさんと鈴木さんがいて、スズナリの
野田支配人とチカさんが手厚く後方支援してくれます。
加えて、照明はチエさんとツバサさんのサポート、
井上リエさんの描いたビジュアル、平井隆史さんの音響協力。
チラシのデザインと写真撮影をしてくれる金子さん。
そんな風に広げて考えても、やっと10名強の座組です。
ですから、助け合って舞台を支えています。
開演時間の19:00になればウクレレを弾くケッチさんを想像し、
19:45を回れば三男ブタのレンガの家との対決に入った頃だと思いました。
県民ホールで立ち会っていた公演を終えてケータイに電源を入れると、
観てくれた人たちからのメッセージが入っていました。
子どもたちがたくさん入り、客席はかなり盛り上がったそうです。
ありがたいこと!
明日は朝9:00に集合して11:00から3回目の本番。
それを終えたら自分は水戸に向かいますが、
『オオカミだ!』は14:00からも本番があります。
ああ、どこでもドアがあれば!
2023年9月 7日 Posted in
中野note
今日は『オオカミだ!』初日でした。
本番に集中するために朝から別件を捌き、13:00に劇場入り。
最終リハーサルをして、演技について最後の改善点を詰め、
小道具の細部もさらにブラッシュアップ。
その後、下北沢の街に出てチラシ撒きもしました。
今回は5回公演ですが、集客に関して
空いている日と混んでいるに恐るべきムラがあり、
少しでもお客さんの少ない日を埋めようと躍起になっています。
近所には子供たちの集まる広場やスイミングスクールもあり、
そこに出入りするお父さん・お母さん・子どもたちにチラシを
渡して受け取ってもらいました。
そこからの本番です。19:00開演。
始まると舞台はもうケッチさんの領分で、
この舞台は自分もたのしみながら観ることができます。
その場でのお客さんとの交流や、インスピレーションに
賭けることの多いケッチさんに、驚きながら観る。
それに、今回の黒子アシスタント役であるユメさんとの
コンビネーションが急上昇し、普段は爽やかで美しい彼女は
面白い動きをたくさんして、ケッチさんと息が合うのです。
これは実に相性で、4日前に初対面したばかりとは思えぬほどの
嬉しい成果です。前回の舞台では冗長だったところを引き締めて
1時間ぴったりで公演を終えました。
今日のお客さんは少なかったけれど、そういう状態であれば
そういう客席なりのケッチさんの渡り合い方を見ました。
舞台が終わった時、
本番中にオオカミに使われまくった観客の皆さんが
よろこんで帰っていくのがよくわかりました。
今回の『オオカミだ!』は前回の本多劇場公演とは違い、
集客に苦戦してきました。同じ下北沢で、
あまりにも短いインターバルでの再演が良くなかったとか、
キッズプログラムなのにちょうど夏休みが終わったばかりの
タイミングとか、いろいろと原因を考えています。
けれど、さまざまな場所への巡回を目指すこの公演を、
私たちはチャンスと見ればどうしても仕掛けたかったのです。
結果、5回の公演の客席は、極端にムラができています。
すごくお客さんの少ない日と集まっている日の差は人数に4倍も
差がある。だから、座組の全員で最後まで宣伝です。
それからザ・スズナリの支配人さんも大いに協力してくださり、
まるで劇場の主催事業のように力を入れて下さっている
ありがたさが身に沁みます。
そういうわけで、劇場の方にも参加してもらって初日乾杯をしました。
明日9/8(木)も19:00開演。明日は同じ平日でも子どもたちを含めた
お客さんがたくさん来る予定です。台風が心配です。
↓開演前のステージ
2023年9月 6日 Posted in
中野note
↑劇場前!
今日は朝にカプカプひかりが丘に行き、
今年度の「カプカプ×新井一座によるファシリテーター育成WS」を
スタートさせました。
今年度は2年度目でもありますし、
岡山・鳥取から駆けつけたメンバーもいてトップから
スムーズに始まりました。昨年度もそうでしたが、
このWSには新井英夫さんを慕って特別な思い入れを持つ
参加者が多くいて、しかも皆さん腕に覚えのある豪華メンバー。
ここで始まったネットワークが将来への強力な布石になりそうな
ところも愉しいところです。
その後、午後には下北沢に行き、
初めてのザ・スズナリ入りを果たしました。
午前中からテツヤP率いるスタッフ陣が仕込みを終えてくれて、
シンプルなステージが完成して照明を合わせているところでした。
↓客席の様子
それから場当たりをして、
その中で、今回の座組の新人であるユメさんの動きの工夫も
重ねました。何しろ、彼女はまだ稽古を始めて4日目なのです。
段取りを覚え終わり、これから「黒子」という役に工夫を凝らす
余地がいっぱいある。自然に周りも欲が出てきて、粘りました。
夕方まで場当たりをして、
それから小道具をブラッシュアップしようと買い物に
行こうとしましたが、突然の夕立で身動き取れず。
このゼミログを書き始めたのは、その買い物までの待ち時間です。
↓ロビーで作業。小道具を工夫
30分ほどして雨の勢いが落ちると買い出しに行き、
総力戦で道具に手を入れて、手を入れた道具を扱う箇所を再度、
念入りに稽古して劇場入り初日は終了。
最後に片付けをして、客席をつくることもできました。
明日は昼に集合し、ゲネプロをして初日を迎えます。
↓ステージ奥からの眺め
2023年9月 5日 Posted in
中野note
↑稽古の休憩時間にケッチさんと積もる話をします。
ケッチさんは今年もエジンバラに行かれたそうです。
ああ、頭がグルグルします。
やることが多くて、そのどれもに粘りたくて、沸騰する感じです。
9/3(日)に『オオカミだ!』の稽古を始めました。
久々にケッチさんとの再会し、本編の内容を思い出しながら、
2月の公演に自分たちがした工夫に気づいたり、
今回用に拡大するところ、割愛してコンパクトにするところなど
洗い出してブラッシュアップしています。
合い間にするケッチさんの海外戦略の話など面白く、
そのうちイギリスに斬り込もう!などと話し合っています。
前は遥か彼方の土地で想像すらできなかったけれど、
去年を経てヨーロッパが身近になり、話に付いていかれるように
なりました。効能です。
今回の黒子役の月岡ゆめさんは、
自分が2020年度に桐朋芸術短期大学に非常勤で教えに行っていた時の
生徒でもあります。3年経ってこんなかたちで再会するとは
思いませんでしたが、同時に20人ほどの学生を相手にしていた
あの時には無かった会話があって、これも面白く過ごしています。
彼女にはパフォーマーとして華やかさがあるので、
少ない稽古期間の中でもまた違った、かなり主体的な黒子をつくろうと
示し合わせています。
あとは、早朝の散歩中にレギュラーガソリンの値段が195円まで
上がったことに衝撃を受けました。
さらに、これはかなり今更なのですが、
唐さんが『続ジョン・シルバー』の台本のト書きに書き付けていた
歌『I'll be〜』の正体を突き止めました。
これだったんだ!
ROY ORBISON
"THERE'LL BE NO TEARDROPS TONIGHT"
こういうことが一つあると、それだけでもう、
もう一度『続ジョン・シルバー』をやらなければならないような気が
してきます。
気ばかりがはやっています。
カプカプひかりが丘でのWSや県民ホールのオルガン公演、
水戸の巨大バッタなど、いろいろな本番が同時にある今週末です。
台風は大丈夫か!?
2023年9月 1日 Posted in
中野note
↑歯医者で授けられた強力マウスウォッシュ。殺菌だけでなく
傷の治りも早くする効果があるらしい!
9月になりました。
少し気温も落ちて過ごしやすくなってきています。
ハンディラボの工房スペースは冷房がありませんから、
少し稽古をするとドロドロに汗をかきます。
たまりかねて休憩を取り、事務所スペースに逃げ込んで涼をとります。
ずっと炎天下で闘うスポーツ選手や道路工事など野外で仕事をしている
人たちが偉く見えます。私たちも、9月にテントや野外公演を行うようで
あれば押して稽古をして、むしろ暑さに慣れる体づくりをしなければ
なりませんが、今回はそうではないので、素直に逃げ込んで休憩を多めに
とり、水やお茶をガブガブ飲んでいます。
暑かった8月を通じて、今年は歯の痛みに悩まされました。
いちばん痛かったので前半で、これは今まで未経験のズーンとしたもの。
左下の奥歯近辺から痛みが走ると左半身全体に痛みが貫通して
10分やそこら身動きが取れなくなる感じでした。
それでいて、かかりつけの歯医者でも、紹介されて行った
セカンドオピニオンでも、虫歯ではないと言われてかえって困りました。
どうしたものかと頭を抱えながら、しかし、よく寝るようにしたことも
あってか、お盆前には劇的に改善していきました。
セカンドオピニオンでしてもらった高さ調整が効いたのか、
痛みが徐々に引いて、数日経つとウソのように痛くなくなったのです。
これには喜んで、かぶりつき系のトンカツなんか勇んで食べました。
ところが、また8月最後の1週間に差し掛かった頃から痛くなり始め、
やっぱりダメかと思っていたら、今度は歯茎が腫れて、左頬がゴリゴリと
膨らみ始めたのです。ああ、これは歯茎にバイキンが入ったな、と
思いました。この感覚は、2016年の正月にオヤシラズ4本を手術して
抜いてもらった時によく覚えていたのです。
手術して1週間ほど経ち、傷口にバイキンが入って腫れた、
あの時と同じなのです、おそらく、痛い、痛いと歯磨き過剰、
いじくり回しているうちに傷つけたのかもしれません。
で、膨らんだ後の方が見た目には影響ありましたが、
原因がはっきりしたのでずいぶん心が楽になり、
そこから数日経つうちに腫れも半ばほど引いた状態で、
今日はかねて予約してあった近所の歯医者に行きました。
状況を説明すると、なるほど腫れているということで
麻酔を打たれて膿を吸い出され、抗生物質を
もらいました。今は治療のおかげで瞬間的に痛いけど、
これで加速度的に改善するはずです。
しかし、いつも思うのは、医者だって整体だって、
大抵コンディションが底をついている時には行かれないという
ことです。なんとか対応するために予約を入れると、
少し良くなったタイミングでやっと通院ということになる。
今回もそうでした。
抗生物質、5日前に欲しかったな・・・
うがい薬も良いのを手に入れたので、しこたまやります。
2023年8月31日 Posted in
中野note
↑机と本棚に囲まれても、実際には見た目よりスペースがあり、
激しく動き回れます。
今日もハンディラボで稽古していました。
津内口と林麻子のふたりを相手に『鐵假面』1幕から抜粋して立ち稽古。
今回の上演にふさわしい演技スタイルを探るのが目的ですが、
どうしたらせりふと動きを御して役者が自由に振る舞うことができるか、
それでいてせりふが求める世界を余すことなく表現することができるか、
演じてもらい、話をし、また演じてもらい、の繰り返しです。
特に今日は事務スペース全面を使うことができたので、
冷房のなかで稽古しました。ここ最近のようにドロドロにならずに済み、
工夫の凝らしかたも冷静です。
稽古を進めるうち、ヒロインのスイ子がわざと淫蕩ぶってみせる
せりふに行き当たりました。
「あなた、乱行はどうしてお嫌い」などというせりふを言うのです。
最初、津内口はこれをドスを効かせて言いました。
けれど、こういうせりふは悪ぶることなく、かえって穏やかに
言った方が効くものです。その後、相手役の童貞青年・タタミ屋は
自分がいかにセクシャルなものを嫌悪しているか語るわけですが、
こういう突飛でエロいせりふは、静かに言った方がその魅力が出て
相手役の拒絶感も引き出せようというものです。
・・・と、このシーンを稽古しながら、かつて学生時代、
大久保鷹さんに教わったことを思い出しました。
あれは20歳の頃の大学3年時。
立ち上がりたての唐十郎ゼミナールで
『腰巻お仙 義理人情いろはにほへと篇』を上演した時、
本番を観にきた鷹さんは僕らにせりふ術を授けてくれたのです。
主人公の忠太郎が床屋の見習いを始めた場面でした。
床屋のおやじは忠太郎をいじめるべく、彼を「おい!」と
呼び出しておいて「用があったら呼ぶね」と言うのです。
これを、同級生だった石井君はドスを効かせるようにに演じました。
いかにも強面です。ところがこれを観た鷹さんは、こういうせりふは
ニコニコと、さらにクネクネと、相手を撫でまわすような優しさで
言うべしと例を示したのです。
参考にすると、奇妙ないやらしさ、悪意が出来しました。
そして、翌日の本番ではてきめんにこのせりふがウケた。
効果は絶大でした。相手の痛ぶりかたにこのような陰湿な
やり方があることを私は知り、今日はそれを津内口に伝えました。
彼女の人間としての抽出しも、これでひとつ増えたことでしょう。
2023年8月30日 Posted in
中野note
↑言葉の心配はないよ!小さな子でもいいよ!というメッセージを
ザ・スズナリの野田支配人がアレンジしてくれた。ありがたいぜ!
昨日、昼間にハンディラボで立ち稽古を行ったところ、
ドロドロになりました。まるでサウナのなかで稽古しているかのように
うだるのです。半野外想定の稽古なので、演技は大時代的なスタイルです。
ゆえに、声を張り上げる。
ゆえに、声を張り上げるだけで汗がふきだす。
大間違いだったのはTシャツの替えを持って行き忘れたことで、
稽古後、夕方からの予定に同席した人たちは、
さぞ私が臭かったことと思います。あいすみません。
『鐵假面』稽古はそのように熱を帯びて、
自分たちが伸び伸びと大熱演できるか、その方法を探っています。
他方、9/7(木)-10(日)に迫った『オオカミだ!』公演の稽古も
週末に迫っています。前回の公演をブラッシュアップする方針をたて
各シーンにどんな工夫を加えるかを考えています。
一昨日には、テツヤPにお願いをしてザ・スズナリを下見させて
もらいました。2月の公演を観てくださった支配人の野田さんと
スタッフの方が、一日中働いた後にも関わらず温かく迎えて下さり、
舞台の設営についてお話しすることができました。
おかげで不安が払拭され、より舞台が観えてきました。
野田支配人は今回もまた、劇場近くの交番の向かいにある壁面を
ジャックして、私たちの公演のポスターで埋め尽くしてくれました。
英語のキャプションだって付いています。
そう。テツヤPとケッチさん、私の3人はいずれ海外に行こうと
考えて『オオカミだ!』をつくったのです。
背中を押されました。終わったあとはテツヤPと二人で横浜に
引き上げ、深夜のもんじゃ焼き屋で作戦を練る。
そういう日々を送っています。
2023年8月29日 Posted in
中野note
↑実際の上演を想像しながら立ち稽古
立ち稽古したら会場について構想する会議
↑その間にみんなマンガのなかの記述をしらみつぶしに探す
残すところあと1週間になった唐ゼミ☆夏稽古を追い込んでいます。
新たな上演形式をハード&ソフトの両面から探るために立ち稽古。
立ち稽古をし、役者と観客のパワーをより開放するために
劇場をどう建てるか話をし、また立ち稽古に戻る。
そんな感じです。
合い間には調べ物をします。
『鐵假面』という芝居には、唐さんが小さい頃にみた紙芝居
『少年王者』が大きな影響を与えています。
ヒロインの名前が「スイ子」というところにも、それが表れている。
けれど、劇の中で『少年王者』のスイ子について
語られるせりふが原作のどこにあるのか、いまいち判然としない。
それはこんなせりふです。
昔からスイ子さんは健忘症だった。
少年王者に助けられた時だってあんたはいつも気絶していた
じゃありませんか。果たして気絶したのか、
気絶した振りをしていたのかは分りませんが、
お父さんにお前、それは夢だよと言われると、
そうかもしれないなどとすぐに大事なことを忘れてしまう。
と、主人公の青年はこんなことを喋りますが、
これがどこにあるのか気になって仕方ない。
そこで、稽古や作業の合い間に何人かでよってたかって探しました。
要するに、みんなでマンガをガーっと読む。
・・・マンガ喫茶みたいですが、激しい立ち稽古、
神妙なミーティングだけでなく、これも私たちの公演準備です。
そんなこともやってます!
2023年8月25日 Posted in
中野note
↑『オオカミだ!』と巨大バッタ。9月前半の取り合わせ
気づけば『オオカミだ!』公演まで2週間に迫っています。
公演情報はコチラ→
https://yorunohate.net/the-big-bad-wolf/
唐ゼミ☆夏稽古もたけなわですが、『オオカミだ!』稽古の準備もしないと。
2月の本多劇場に引き続き、
今回の公演会場であるザ・スズナリもまた演劇界の重要拠点です。
普段はテントや野外を中心に活動している自分への、
これは、プロデューサ・テツヤからの大いなるプレゼントです。
燃える!
どういう風な稽古・本番にしようか。
方針は見えています。その方針が各シーンにどう宿るのか、
ここから1週間で計画を立て、直前の稽古に入ります。
どうやってこのショーを作ったのかを一から思い出す必要もある!
去年ロンドンにいて、イギリス民話である『3びきのこぶた』を
どう体感しながら台本づくりをしたのか。
作品と自分の原動力をともに振り返るところから始めます。
これは、一人でこっそりハンディラボか、
あるいは、風呂屋ででも考えようかと思っています。
風呂屋。いいなあ。
他方、『オオカミだ!』公演を行う9/7-10の週末はイベント尽くし。
9/9(土)は水戸芸術館に再び巨大バッタを膨らませにいきます。
これは展示をするというよりも、修復の意味合いが強い1日です。
が、あのバルーンはデカすぎて、そんな作業も結局は展示になってしまう。
屋外での作業にならざるを得ないので、
せめて、猛暑が少しは秋の気配に変わっていてくれるといいなあ。
そうそう。ボランティアスタッフを募集しています。
巨大バッタに触ってみたい人はぜひ来てください。
たのしく膨らませ方を伝えます
募集ページ
2023年8月24日 Posted in
中野note
↑新宿中央公園で公演していた2020年秋。
公園近くのドラッグストアでこの歯ブラシセットを発見しました。
以来、気に入ってずっと買っています。ロンドンにも持って行きました
・・・まったくよくわかりません。
あんなに痛かったものがどうして克服できたのか。
痛みとは歯の痛みのことです。
まず春先から、奥歯が異様にしみるようになりました。
歯が痛いなあという兆候はロンドン滞在時からあったのですが、
帰国後には冷水どころか真水を飲んでもしみるようになったのです。
だいたい、技術が粗雑なロンドンの歯医者なぞにかかったら
かえって歯をガタガタにされると渡英前に留学経験者から脅されていた
自分は、とにかく歯磨きに必死でした。
日本に戻ってきて事なきを得たと安心していたら、
むしろ帰国後に大きく痛むようになった。
歯医者さんに相談したら「虫歯はなし」
「シュミテクトで磨いてください」とアドバイスされ、
通常の歯磨き後にシュミテクトもやるという
二段構えでしばらく過ごしました。
これは大変に煩わしく、サボったり、けれども痛いから真面目に
2度磨きをしたりの数ヶ月。
ところが、7月末から、噛むたびに異様な痛みが走るようになりました。
左の奥歯が痛く、痛すぎて下が痛いのか上が痛いのかわからないほど痛く、
なんだか顎まで痛く、時によると左手の指先まで痛みが貫通するのです。
これに耐えかねて歯医者に行くと「やはり虫歯じゃありません」と
言われ、「そんなに痛いなら」と紹介状を書いてもらった
セカンドオピニオンでも「問題なし」と言われました。
ところが、お盆手前にこのセカンドオピニオンに行った翌日から
劇的な改善をみせたのです。あれから十日あまり、痛みはすっかり
去り、しみるのすら去って現在に至ります。
理由がぜんぜんわからない。
何かのストレスで寝ながらギュウと奥歯を噛みしめていたのかも
知れないな、と思うのですが、それすら寝ているからよくわかりません。
ともかくも痛みは去り、シュミテクト併用の二度磨きからも解放され、
スッキリ爽やか、安堵感とともに日々を過ごしています。
前触れもなく痛むと、酷ければ10分くらい動きが止まった日々、
激痛とともに夜中に飛び起き、ロキソニンに手を伸ばさざるを
得なかったあの日々。あれはいったい何だっただろうか。
2023年8月23日 Posted in
中野note
↑先週末まで、齋藤は日生劇場で行われた『せかいいちのねこ』公演に
関わっていましたから、家族で観に行きました
8月に入って以来、連日ハンディラボに集まってゴリゴリと作業を
進めています。折からの驟雨にやられてびしょ濡れで来たり、
倉庫内が暑さに事務スペースの冷房を特に効かせて、
日々、集まっています。
いつもはLINEでやりとりしている内容を直に共有したり、
公演準備に際して書類を作る必要があればすぐに複数人で
対応できることも、今回組んだ集中稽古の効能といえます。
昨日は、いつもの津内口、林麻子、ちろに加え、
丸山雄也、井手晋之助、齋藤亮介もやってきました。
それぞれ直前にあった本番を終えたり、逆に準備中の出演に
備えながら、こちらにも目を配っての参加です。
最近は、3月公演の寒さの中でもお客さんが集中して観られるよう
舞台の進行をスピーディにする道を探っています。
これまで4〜5人で工夫箇所を探ってきましたが、
人数が増えるとさらに複眼になり、もうひと超えコンパクトにできる、
あるいは、伏線として重要な細部が改めて見つかったりします。
人数が多い時には、ちょっと遊びもやりたいと思います。
この前は突然にウナギを食べに行きました。
あんな大技でなくて良いので、どこかで食事などできたら良いと
考えています。あるいは、昼の休憩などに近所のうどん屋に行くのも
愉しいものです。
年が明けたら即、公演体制は佳境に入り余裕が無くなります。
だからこそ準備、だからこそ遊び、そう思っています。
2023年8月22日 Posted in
中野note
↑これが「すじ鉾」。この決然としたロゴにも好感を持ちます
・・・さすがに混乱してきました。
目下、週のうち4日はハンディラボで『鐵假面』を準備しています。
土曜になれば翌日の本読みWSに備え、日曜夜は『夜叉綺想』の世界。
『鐵假面』では、姉の情夫を殺して全国を逃げまわる姉妹の
ボストンバッグから、殺された男の頭部が腐臭を上げます。
その腐臭が道しるべとなって、ステキな「森」に行けるという物語。
他方、『夜叉綺想』は、馬の死骸から取り出した内臓が出てきます。
馬のモツ料理が豪勢に振る舞われ、モツを貪り食うパーティーの
果てにロボトミー手術の罪業が問われる。そういう仕立てです。
・・・この2作品を行ったり来たりしているうち、
お互いのクセの強さが私を揺さぶり、混乱してきます。
稽古中に話が混ざるのです。『鐵假面』をやりながら
「ええと、モツが・・・」とか考えている自分に気付き、
ハッとしたりします。
ところで、すじ鉾。
私は神奈川の仕事でよく県西部にも行きます。
昨日は湯河原町。そのついでに、最近に小田原の友だちから教わった
「すじ鉾」というのを買いました。
小田原の名物といえば「かま鉾」ですが、
「すじ鉾」は「かま鉾」にならない魚の骨や皮や・・、
要するに魚のホルモンを砕いて練ってつくったものなのです。
舌触りはかま鉾のように滑らかではありませんが、
独特の歯応えがあり、味にも力強さがあって、栄養価は高く、
値段が安い。教わって食べ、私はこれが好きになりました。
稽古の合い間には「最近『すじ鉾」というのを紹介された。
これがなかなかオツで・・・」というような話をしますから、
みんなにも買って帰りました。
『鐵假面』や『夜叉綺想』はまさに「すじ鉾」の魅力です。
地元ではこれしか食べない!というファンもいるそうです。
この呪縛力。わかるなあ。
2023年8月18日 Posted in
中野note
↑『青島広志&萩尾望都の少女マンガ音楽史!』のチラシ
神奈川県民ホールで働き始めて8ヶ月が過ぎようとしていますが、
今日は、来月に控えているこの公演について紹介します。
自分は担当なので当然、数ヶ月前からこの両巨匠とのやり取りを
行っていますが、いまだに不思議な感じがします。
青島先生はずっとテレビでお見かけし、
雑誌の連載なども読んできましたが、直に接しているとあのままの
口調、早口で少女マンガやワンちゃんへの愛情を滔々と披露し、
こちらを楽しませて尽きるところがありません。
また、こちらを気配りながらお茶やお菓子を勧めてくださる手つき
など、まさに積年の、堂に入ったる妙技といえます。
萩尾先生とはいまだ面識なく、
出版社の方を介してのみやり取りをしていますが、
9/23にはいよいよご本人がやってくるのだ!という、
まるで大きな山がこちらに向かってゆっくりと近づいてくるような
迫力を覚えます。
やはり、どうしてこのお二人とご縁を得たのか、
我ながら不思議な感じがしますが、夜遅くに青島先生のご自宅を
お訪ねして打ち合わせをしながら、ひょんなことから唐十郎門下で
あることを打ち明けると、青島先生がかつて、若い時分に
黒テントの音楽を担当しかけたことがあると教えてくれました。
そこでこちらは、最近の佐藤信さんに接している話などをして・・・
そんな具合に、他流試合に臨む日々です。
膨大にあるお二人の作品のすべてを網羅することはさすがに
できませんが、せっかくにお迎えするのだからちょっとずつ齧りながら
日々を過ごしています。
詳細ページ→
https://www.kanagawa-kenminhall.com/d/aoshima2023
2023年8月17日 Posted in
中野note
↑これがロンドンでの高級朝食。これだけで2,500円くらいしてしまうが
さすがに美味かった!
近ごろはベーコンエッグばかり食べています。
自分があまりにいそいそと食べているので、
それを眺めていた息子のさねよしまでもが、
ベーコンエッグ、ベーコンエッグと連呼するようになりました。
ベーコンエッグの作り方は簡単です。
極弱火で時間をかけてベーコンに加熱し、水分と油分を出す。
その上に卵を落とし入れて蓋をし、さらにじくじくと火を入れます。
自分の場合はベーコンの塩分のみで食べるので、
塩も胡椒も振りません。
大事なのは白身に火を通し切る一方で黄身を液状に仕上げることで、
温かくとろりとした黄身はそのままベーコンにまぶして食べる
ソースになります。
毎日のように食べることができる、侮れないご馳走です。
ベーコンは家から2キロほどのところにある肉屋で切ってもらい、
卵は八百屋にある秋田県産の濃厚なやつです。
朝の散歩のついでにこれらを買えたら、数日楽しめます。
自分の中のベーコンエッグがこんなにも眩しくなったのは、
イギリス生活のおかげです。
どこで食べても美味しくないか、美味しいけれどひどく高価か、
そのどちらかだったイギリスにあって、ひときわ輝いていたメニューが
このベーコンエッグでした。
特にカティーサークという最寄り駅すぐそばにあった
Bill'sというカフェのイングリッシュ・ブレックファーストで
供されるベーコンエッグは格別でした。
そうだ!あの時のように紅茶も入れてみよう。
今、これを書きながらそう思い立ちました。
今日はちょっと郷愁です。
↓こんな本も読んでしまう!
2023年8月16日 Posted in
中野note
"この国の空は私たちをきらっているのね・・・"
二人がキューバに侵入してひとこと目のせりふがこれ。
こういうところはやはり素晴らしい
やっと手に入れたマンガ『性病部隊』。
ひと言でいうと期待外れでした。
小池一夫先生(当時は"一雄"だったよう)らしく、極めて言葉が強い。
"私たちは諜報員(エージェント)でも兵士(ソルジャー)でもない・・
意志をもたない人間爆弾・・・"
"人類が開発した兵器の中でも一ばん汚ならしい性病爆弾なんだわ・・"
といった具合。
いつもの小池節に、やっぱりいいなあなどと惚れ惚れしますが、
しかし、この物語はどうかと思いました。
なにしろ、件の男女。
性病部隊に課せられた使命はものの数ページでたちどころに成功、
あっという間にキューバ全土の6割が彼らの持ち込んだ新型梅毒に
感染します。アメリカの作戦はただちにハマってしまう。
その上で、物語の主眼はその後の性病部隊に転じます。
彼らはすでに用済みとなり、
むしろ証拠隠滅を図るアメリカによって消されにかかる。
だいたいが、この二人に知らされていた自身への理解、
すなわち抗体ゆえに特殊梅毒を持っていても自分たちは大丈夫、
という情報自体が真っ赤な嘘だったと知らされ、
長くとも一年の命であることを知らされる。
他方、自分たちが貶めたキューバからは、
抗体保持者として、言わば生きた特効薬と目され、
これまた命を狙われるハメになる。
前門の虎、後門の狼の様相でアメリカとキューバに挟まれ、
しかも1年間の期限付きという条件下で、この男女はせめて
精一杯を生ききり、まるでアダムとイヴ、イザナギとイザナミの
ように孤高のひと組としてお互いを求め合う、という状況が
描かれるのです。
で、自分はこれらをひどくつまらないと思いました。
なぜかと言えば、それは単に、追い詰められた男女の心理に
過ぎないからです。それ自体は、一緒に殺人を犯したとか、
無人島で生きることになったとか、要するに一対が孤高である
心情と結局は同じになってしまうわけで、なにも『性病部隊』
という特殊設定を持ち出さずともできることなのです。
さらに言えば、特攻を命ぜられたあらゆる人間兵器には、
押し並べてこの心情や物語が当て嵌まってしまうのです。
自分はそれよりも、この性病部隊がいかに奇想天外な、
あるいは逆に、いかにも俗っぽい色仕掛けでキューバ人たちを
虜にし、業病を蔓延させるか。
そういうプロセスを描いて欲しかったと願わずにいられません。
発想の突飛さはさすが小池先生ですが、
先生はあろうことか、けっこう凡庸な正義感に駆られてしまった
のではないか。そのように思い、落胆とともに長年求めたはずの
一冊が、今は目の前にあります。
ここにお宝は無かったわけですが、
好奇心が満たされ、スッキリした思いはあります。
が、タイトルに妄想を膨らませていただけの方が良かったかも。
そういう思いで、ここ数日います。嗚呼、トゥループパリダよ!
2023年8月15日 Posted in
中野note
↑やっと手に入れた『性病部隊』。この怪しげな書影を見よ!
今日はマンガの話です。
大学生になった頃、小池一夫にハマりました。
小池先生の代表作である『子連れ狼』『首斬り朝』を
大学1年の時に読んだのがきっかけでした。
これら二つの何度も読むと、他の小池作品にも自然と手が伸びました。
『御用牙』『クライング フリーマン』『餓男 アイウエオボーイ』など。
『子連れ狼』の続編が出ると、勇んで買い求めました。
小池一夫先生ご自身には一度だけお目にかかったことがあります。
『御用牙』が紀伊國屋サザンシアターで舞台化された初日のこと。
かねて知り合いだったプロデューサーさんからこの企画について
聞かされた私は大興奮し、主席で当日パンフレットへの寄稿を懇願して
書かせてもらったのです。
結果、同じく小池一夫ファンである劇団員の齋藤と初日を観に伺い、
ホワイトのマオカラーにギラギラの貴金属、全身からオーラを
ほとばしらせた小池先生にお目にかかりました。
少しだけ言葉を交わすこともでき、齋藤と二人で興奮したものです。
まさしく僥倖でした。
そんな小池作品のなかでずっと気になってきた作品があります。
それが、タイトルに書いた『性病部隊』。
こう漢字で書いて『トゥループパリダ』と読ませます。
物語は奇想天外。
キューバ危機に対抗するため、アメリカが最強の兵器を開発します。
それは、選りすぐりの男女ひとりずつに、最高の容姿・声・フェロモンを
備えさせ、さらに新型の梅毒を搭載してキューバに送り込む、
というものです。
彼らがキューバに侵入して後、あっという間に国民の6割が
新型梅毒に感染し、フィデル・カストロ率いる国民たちは大混乱に陥る。
というストーリーです。
・・・どうです? 気になるでしょう?
物語を聞きつけて以来、これまで10年以上も気になっていた作品です。
ですが、なぜか古本屋サイトでは見かけませんでした。
それがようやく、ヤフオクで手頃な値段で見つかったのです。
・・・実際の読後感は、また明日!
2023年8月11日 Posted in
中野note
↑稽古中の景色
今日も丸山雄也くんがハンディラボにやってきました。
いつもの津内口・林麻子・ちろに彼を加えて、
前回はうまくいかなかった『オイディプス王』を稽古しました。
敬愛する高橋睦郎修辞を傍に置き、新しい山形治江訳でもう一度
読んでみたのです。結果、成功しました。皆、体が反応しやすく
ビビットに喋っていくことができた。
前回を経て、もともと野外劇用に書かれた距離感とか様式感、
そういうものに慣れたというのを差し引いても、
現在の私たちには大変に優れた翻訳だということがわかり。
サクサク読みながら皆で語り合いました。
途中、こんなものもあるよ、とパゾリーニの映画を紹介しました。
今回の夏稽古では、こういう時間にゆとりを持っています。
いつもの稽古だと喋って終わりの事例とか、いっぱいありますが、
今回はyoutubeを開いたり、画像を検索したり、そうやって
味わう時間があるのが贅沢なことです。
マリア・カラス主演『メディア』とか『アポロンの地獄』の
さわりを観ることで、自分がずいぶん前にこれらの映画を観た時より
凄みがわかるようになっていることにも気がつきました。
こういうのも嬉しい時間です。
以下、ちょっとしたメモです。
・劇の序盤、テイレシアスはほとんどの真相を喋ってしまっている
・面白い役は、コリントスからの使者と羊飼い。狂言の役どころみたいな
たのしさ。コメディにもなり得るから、そういう上演があっても良い
・自分の思うクライマックスをつくることができそうだった。悲劇に
見舞われるところでなく、意志を貫くところであって欲しい。
総じて、自分の人間観だと思います。40歳を過ぎて、
くだらないこと、意志を持つこと、このふたつが自分には輝いています。
オイディプス!
↓この本を読みました
2023年8月10日 Posted in
中野note
↑終了後に記念撮影。左から戸松貴博さん、清水宏さん、私です
今日は初めて荏原中延に行きました。
この街の商店街にあるブックカフェ「隣町珈琲」は
スタンダップコメディアンの清水宏さんのホームグラウンドの
ひとつであり、ここで清水さんがずっと行っている
「スタンダップコメディ大学」のアフタートークに呼んで頂いたのです。
テーマは「三谷幸喜VS唐十郎」。
唐十郎ファミリーの一員として清水さんがステージに
呼び込んでくださり、ふたりで語り合ってきました。
唐さんとの出会いがどんなだったか。
世間では乱暴だったり、謎めいていたりする唐さんのなかに
どんな繊細さがあって、謎で片付けずに読み解いていけば
どんな条理を発見することができるのか、
自分が接してきた唐さんのパーソナリティを紹介しながら
お話ししました。
そして、さまざまな角度から唐さんを読み解いていくなかで、
その作業をしてなお残る謎の中に面白さの真骨頂があることを
伝えました。
一方、清水さんが1984年に上演された状況劇場の
『あるタップダンサーの物語』を観て、そのなかで活躍した
四谷シモンさんに痺れた話を初めて聴きました。
2017年に出会って以来、清水さんとはハードな仕事をして
ずいぶん濃密に付き合ってきたつもりでしたが、
唐十郎という存在については初めて語り合うことができました。
ありがたい機会でした。
隣町珈琲はとても気持ちの良い知的な空間で、
清水さんの一連のシリーズにももっと立ち会いたいと思いました。
2023年8月 8日 Posted in
中野note
↑上の方に4輪
下の方に2輪↓
昨晩の『夜叉綺想』本読み第6回は素晴らしい読み応えでした。
2幕が特に優れたこの台本のなかで、これぞ!という箇所に
差し掛かったのです。私の予定のせいで月曜に振り替えたので、
参加できなかった人には申し訳なくなるくらいでした。
その後も興奮して深夜まで過ごすことに。
で、今朝早く起きて、さあレポート書くぞ!
と意気込んだのですが、『夜叉綺想』の後味を上回るライブの興奮が
押し寄せたので、今日もレポートは明日に回します。
何しろ、現在の自分は横浜の家でひとり暮らし。
名古屋の実家に送り込んだ家族、特に息子の宿題である
朝顔への水やりと咲いた花の数を数える作業を肩代わりする日々です。
毎日。今朝は、ハイ1輪ね。今日も、1輪・・・
そういう感じでここ5日間来ましたが、なんと!
今日は一気に6輪も咲きました。こうなるともう興奮して、
これは息子さねよしの朝顔でなく、オレのものだと言いたい!
朝からボルテージがマックス、スーパーハイテンションに。
そういうわけで、「狂い咲き」といえば、唐十郎門下として
今日は『少女仮面』に出てくるこのせりふを反芻しましょう。
春日野
あたし、今、廊下に血をこぼしちゃったの......
まるで季節はずれのひな祭りね、ここ五年、もうなくなってたのに、
あの水のみ男にシャツをひっちゃぶかれたら、
狂い咲きのように始まったのよ。
ああ、そこいらの男の子と死ぬの生きるのってジタバタしたいなあ。
2023年8月 7日 Posted in
中野note
↑これを小一時間でやってしまいました
今日は先ほどまで本読みワークショップをしました。
『夜叉綺想』第6回です。いつもは日曜の夜が恒例なのですが、
昨日は県民ホールの公演に立ち会ったので、今週だけは月曜日に
したのです。そんな中でも参加して頂き、皆さんには感謝!
が、レポートは明日に回して、今日は表題のことを書きます。
オレの夏休み。
目下、家族(椎野、息子、娘)は私の実家の名古屋にいます。
従って、私は一人暮らし。昨日は20:30に帰宅しました。
これは私にしては珍しく早く、かといってWS開始時間の
19:30には間に合わなかったために、家に一人で呆然としました。
が、その後に、猛然とよろこびが湧き上がってきたのです。
それから、好きなものを簡単に料理し、食べました。
YouTubeで『Three Kingdom 三国志』を観ながら。
それから、最近に人に勧められた、ホテルニューグランドの初代料理長
サリー・ワイルの本を読みました。しかも、買っておいたアイスクリーム
パルムの箱を一本ずつやりながら。
気づけば、6本一気にいってしまいました。
しかも、さらに気づけば、風呂にも入らず歯も磨かずに寝落ちして
冷房と電気を付けっぱなしで朝4:00になっていました。
人によっては疲労が溜まりそうと言われるかも知れませんが、
それが、最近稀に見るほど爽快な目覚めでした。
おかげで今日は仕事がはかどる。
ああ、たまにはこういうことをしなければならないのだと思いました。
まことにくだらない過ごし方ですが、これがたまらなく良いのです。
思えば、去年のロンドン暮らしはしんどかった。
ダイアンは面白い人ですが、やれ風呂には早く入れ、
入浴後の水滴は拭き取れ、ドアノブは静かに閉めろ、
電気を付けっぱなしで寝るなど人手なしの所業!
という具合でした。
今日のこの快調さを実感する時、人間たまにはこういうことを
してみるもんだと思いました。家族はあと3日後に帰ってきます。
もう一回くらいだらしなく過ごそうと思います。
2023年8月 5日 Posted in
中野note
夏稽古3日目が終了し、呆然としています。
というのも、今週の水曜、そして今日と試しに唐十郎作品ではなく、
『オイディプス王』をやってみたのですが、これがどうにも不発だった。
理由をいくつか考えてみたのですが、
・最近の過密スケジュールゆえに自分がこの劇に耐える力が無いのか?
・みんなも、もっと繰り返し読んで慣れてくれば面白くなるのか?
・憧れの高橋睦郎修辞バージョンの時代がかった物言いが難しい
これが美しさなのか、単に大時代的なだけなのか、どうしたらいい?
・この劇はそもそも、クライマックスが分散しすぎている
①己の正体を知るところ。②目をつぶして再登場するところ。
③ほうほうの体で尚、自分を国外追放を申し出て王者の責任を果たそう
とするところ。
→ソフォクレスの執筆経緯から考えて自分は③を取りたいけれど、
それが狙うようにはいかなかった
という具合でした。
どうしようかな。この試みには劇団「平泳ぎ本店」の丸山雄也くんが
参加してくれたので、次回に彼が参加する日に、違う翻訳で
『オイディプス』をやろうか、悩んでいます。
また、麻子の弾き語りの練習は上手くいき、手応えを感じています。
乗るとぐっと歌が上手くなるし、何より見た目におもしろい。
そういう能力をどう劇に使おうか考えています。
最後に、これは劇団とは関係ないことですが。
今、うちの家族(椎野、息子のさねよし、娘のりんこ)は
実家に帰っています。私の実家の名古屋にいる。
そこで、さねよしの夏休みの宿題のひとつである朝顔への
水やりと、咲いた花の数を数えるのを私が肩代わりしています。
思い起こせば去年。
大家さんであったダイアンは滞在途中から徐々に植物への水やりを
私の仕事としてスライドさせていきました。巨大なジョウロに2杯。
暑い盛りともなれば倍の4杯。庭中にかけて回っていたのを
思い出しました。さねよしは「お父さんは水やりできるのか?」
などとナメたことを言っていましたが、イギリス仕込みの水やりで
毎日、写メ送っています。
昨今の小学生が育てる朝顔の鉢は、私らの頃よりだいぶ進化したことに
気付かされもしました。が、風情はイマイチです。
これはただの懐かしさへの感傷なのか。どうなのか。
オイディプスのことがあるので、
朝顔の鉢までもが、新しさと古さの長短や"美"についての問いを、
自分に迫ってきます。
2023年8月 3日 Posted in
中野note
↑一緒に大和のベトナム料理屋「タンハー」に行った時の写真です
左から津内口、タンハーのママ、珠麗さん、私です
演出家・劇作家・翻訳家の薛珠麗さんが亡くなりました。
7/30のことです。それから二日後の8/1に津内口がSNSでの発表に気づき、
今日がお通夜だということで、先ほど二人でお別れに行きました。
珠麗さんと知り合ったのは、ここ4年ほどのことです。
津内口が珠麗さんのワークショップに参加したのをきっかけに
紹介してもらいました。
私は高校3年の終わりから5年ほど、
ずっとベニサンピットでのTPT公演を追いかけていたので、
過去に観た公演の中で気に入った劇のパンフレットを引っ張り出し、
珠麗さんに見せたりもしました。
私が特に痺れたのは1999年12月から2000年1月にかけて上演された
ディヴィット・ルヴォー演出の『令嬢ジュリー』で、あれには5回
通いました。TPTの創作の秘密を話してもらう貴重な存在でした。
また、珠麗さんと会うようになったのは、
ちょうどラウンドシアターに来日していた『WEST SIDE STORY』
を観に行った後であり、日本側の演出としていた珠麗さんに、
あの劇場や座組を取り仕切る苦労について聞いたりもしました。
そうして珠麗さんと知り合うようになってから、
実は、神奈川ならではの劇を作れないかという話もして、
珠麗さんの出自を活かした、珠麗さんにしかできない劇を
一緒に構想してもらっていた矢先の発病でした。
それからは、容態が良くなるたびに会って話をしてきました。
最後に会ったのは自分がロンドンから戻った後で
「書きたい気持ちと、書くと自分の全てが燃え尽きてしまう気がする」
と言っていたのが、今も自分に突き刺さっています。
無念の死であったと思います。
もっともっとやりたいことが溢れて仕方ない様子が自分に
焼きついています。最後に珠麗さんのお顔を拝見して失礼しました。
明日もハンディラボに集まって稽古です。
2023年8月 2日 Posted in
中野note
もう約1か月後に迫っている!
『オオカミだ!-「3びきのこぶた」に出てくるオレの話』を
ザ・スズナリで再演します!!
で、
ステージナタリーさんでケッチさんのコメントが紹介されました!
スタッフ入れて4〜5人で上演できる舞台なので、
今後は旅にも出かけたい。そのための幸先の良い再演です。
前回の本多劇場と同じように、ザ・スズナリの舞台でも
多くの唐十郎作品が上演されてきました。
そういう意味でも燃えています。
と、燃えながら夏稽古に向かう日々。
本日は2日目。林麻子がピアノ弾き語りするところから実験を
開始しました。毎週土曜日に劇中歌ワークショップをやっている
ことからもわかるように、彼女はピアノが弾けます。
この特技をいつか舞台で使いたいので、その実験です。
これはかなり面白かったのですが、写真を撮り忘れました。
次回8/4(金)の稽古でもさらに追究するつもりなので、
今度は忘れずに撮影します。
森進一、森昌子、ASKA、桜井和寿、尾崎豊、泰葉、
槇原敬之、サンボマスター、萩原健一などの歌唱を皆で見ながら、
実験を繰り返しました。
こういうことは普段やったことが無かったのでおもしろく、
今後に生きるのかどうかよくわからないところが、
いかにも今回の夏稽古の趣旨に合っています。
今回の稽古は利便性ではない。
どこへ行くのかわからないけれど根本的。
そういう稽古なのです。
それから、春先に研究した高橋睦郎修辞の『オイディプス王』を
読みました。難しいことばを理解しながら朗唱する練習です。
序盤の3分の1を読んで、オイディプスの前に2番手として現れる
テイレシアスがその後の展開をすべてしゃべってしまったことに
愕然としました。ほんとうに、ぜんぶ喋っちゃってる。
でも、初演時の観客には問題無かったでしょう。
全員が知るエピソードだったに違いないのですから、
ストーリーを知った上でどう振る舞い、転落するかが面白いのです。
これも写真を撮ってない。明後日に撮ります。
あと、休憩時間にはお菓子を食べます。これは完全にケッチさんの
影響です。ケッチさんとの稽古では合間に煎餅を食べながら、
お喋りが2時間に及んだこともありました。
その果てにそろそろやろうか、となる。
相撲の立ち合いのように息が合うと稽古。そんな具合でした。
唐ゼミ☆はもっと実直にやっています。
2023年8月 1日 Posted in
中野note
↑今日の写真はヘタすぎた。ほんとうはもっと躍動感アリ!
今日からハンディラボに集まって話し合いや稽古をすることにしました。
ここから1ヶ月で20日。100時間やろうという企画です。
本番は以前に書いた通り2024年3月目標に切り替えましたが、
せっかくとってあったスケジュールを維持し、劇団員や座友で
過ごします。
今日は、津内口・林麻子・ちろに丸山雄也君も加わり、
みんなでギリシャの古代劇場の話をしたり、唐さんの『恋と蒲団』の
稽古をして、青春の下ネタが満載のこの台本を愉しみました。
過去に2度上演したこの劇のやり方にはある程度の自信を
持っていますが、今となっては詰めが甘かったと感じる箇所があり、
今回の稽古を通じて改善策も模索しました。
短時間でも、せりふの掛け合いだけでなく
立ち回りのアクション、唐さんにしか書けない独特の濡れ場もあり、
満載の演目です。いずれパッと上演できるようにしたい芝居。
明日は高橋睦郎さんの『オイディプス王』や
林麻子の弾き語りを追究してみたいと考えています。
ハンディラボは相変わらず居心地が良くて、
少人数で稽古をして、みんなを車で各駅まで送りながら帰るのも
創作の時間です。久々に劇団の良さを満喫しています!
2023年7月28日 Posted in
中野note
↑これがチラシ!隣町珈琲という、清水さんがずっと発表の場に
してきた会場に自分も乗り込みます
今日は夕方に小田原に行きました。
たまたま今日は、パンデミック以来ストップしていた
真鶴町の貴船祭が復活する日であり、その影響が渋滞に及ぶのに
ビビった自分は、珍しく電車で行くことにしました。
ですから、帰りの電車の中でこれを書いています。
真鶴町で思い出すのは、5年前にスタンダップコメディアンの
清水宏さんとつくった「真鶴ばなし」です。
激烈で真剣な清水さんの人間性と作品創作に伴走して
我ながら熱い夏でしたが、それだけに手応えがあり、
神奈川県域でイベントを仕掛ける事業を始めたばかりの自分にとって
その後の指針となった企画でした。
町の人に生々しく食い込むことは大変だけれども、実り多い!
以来、清水さんとの共同作業はいくつもあって、
その度に大冒険をしましたが、常によく話し、よく語り合う
ヒリヒリする創作であり続けました。
そんな清水さんが、ご自身の主催するスタンダップコメディの会に
自分をゲストとして呼んでくれます。
題材が「三谷幸喜vs唐十郎」ということで、
8/10(木)19:00から荏原中延の隣町珈琲で繰り広げられる
清水さんの話芸の後に、自分も加わってアフタートークします。
詳しくはこちら
三谷さんと唐さんを並べて語られるのを聞くこと自体
初めてなので、清水さんが繰り広げる世界をよく聴き、
よく受け取って、インプロで切り返せたらいいなと思います。
果たして清水さんの切り口は?
それに自分は上手く切り返せるだろうか?
出たとこ勝負でいきます!
2023年7月27日 Posted in
中野note
↑8/1(土)の湖上祭(花火大会)に備え、町は臨戦体制でした
今日は打ち合わせで、朝から相模湖へ。
湖畔に行くと、天気も良く絶景。
しかし、よく聞けばこの湖、法律上は河川なんだそうで、
運用が厳しいらしい。
自分が赴くということは、何かイベントやろう、
というのが基本なのですが、こちらを駆り立てる素晴らしい景観と、
河川は厳しいというネガディブな情報を同時に得て帰ってきました。
圏央道が便利で、横浜から1時間ちょっと。
おかげで、今日は早朝から夏休みっぽい雰囲気になり、
その後も方々に出歩きましたが、暑さも前向きに捉えられました。
そうそう。相模湖交流センターの喫茶店にも寄って、
名物のダムカレーを食べたり、よく見ると、
ダムを模したカレー部分に煮干しが浮いており、
これが見事に湖を泳ぐ魚を表現している。
この芸の細かさにニヤニヤしてしまいました。
おかげでのどかな一日となり、心も穏やかです。
投稿も短め!
↓ダムカレー。確かにカレーが堰き止められています。そそりたつスイカ!
2023年7月26日 Posted in
中野note
↑自分が芯を変えながら使ってきたフリクション・ボールペン。
色はスカブルー。唐さんのブルーブラックを意識しつつ、
明るい気持ちになるようにこの色。目立って読みやすいのも良い
オンラインでの会議や打ち合わせが広まった2020年以降、
時には車の中からzoomをするようになりました。
例えば、昨日。
相手の事務所に12:00に行かなければならないのに、
会議は10:30から始まる。会議を終えてから相手先に向かったら
間に合わないので、自然と先に目的地の近くに行っておいて、
車の中からzoomに入室します。
便利といえば便利なのですが、難点もある。車の中は暑いのです。
エンジンかけてエアコンをつけっぱなしにすることもできますが、
あまりにも不経済。そこで、車を停められる日陰を見つけて、
直射日光は避け、車のドアを開けっぱなしにして参加。
車の中でワーワーやっているのが周囲に聞こえない環境
というのはなかなかないのですが、街の一角にそういうところを
めざとく見つけました。
で、1時間半。
暑いは暑いが、なんとかウエットティッシュも駆使して会議を終えた。
で、パッとみると、フロントガラスの下のスペースに
積み重ねた書類に異変が起きている!
私が津内口と作りかけて、赤を入れた書類が
フリクションボールペンで書いたために熱で消滅している!
あのボールペン、こすれば消えるということは、
要は摩擦熱で消えるということで、
せっかく手直し部分を丁寧に指摘したのに見えなくなってしまった。
悲嘆に暮れて思い出そうとしましたが、細かく書いたぶん、
徒労感が押し寄せる。落ち込んでエンジンをかけると、
おお! 今度はエアコンの風が当たってみるみる色が、文字が
復活しました。冷たくすると、また文字が浮かび上がるらしいのです。
助かりました。
が、よくよく考えたら、フリクションボールは気をつけなければならない。
消えた文字が浮かび上がる危険性があるということは、
書きつけた内容によって、これはこれで油断ができないということです。
2023年7月21日 Posted in
中野note
↑三曹の詩だけでなく『出師の表』も収録されたお得本です
先日、Amazon UK プライムを騙る者によって不正な引き落としを
発見しました。対策として、直ちにクレジットカードを凍結し、
新たな番号によるカードをつくることにしました。
それで、銀行に行きました。事情を説明して再発行の手続き。
その合い間に、本屋にも行きました。
銀行が横浜駅西口にあったので、地下街の有隣堂に。
今日の収穫は『曹操・曹丕・曹植の詩文選』です。
カエサルの『ガリア戦記』。
マルクス・アウレリウスの『自省録』。
二つの好きな本に並んで今回の詩集に共通するのは、
著者たちがいずれも激しく現世的な現場でそれらを書いたことです。
だから自分はこれらに痺れます。
私は毎日、朝に目を通した文章やせりふを
昼間に街中や劇場をウロウロしながら読んでいます。
人や風景に接する中に、本を読む作業もあるように思います。
今日は打ち合わせをし、書類をつくり、いくつもの連絡をし、
みなとみらいホールで中田恵子さんのオルガンを聴き、
下北沢で清水宏さんの主催するカルト宗教をテーマにした
スタンダップコメディを観ました。
帰りの電車が混んでいたので、立って曹操の詩を詠みます。
小さな声でブツブツ。武蔵小杉を過ぎたら席に座れたので、
このゼミログを書きます。
書き終わる前に横浜駅に着いてしまったので、
ホームのベンチでこれを書ききります。
帰宅してしまうと食べ物に手が伸び、食べ終わると眠くなるからです。
自分にとって悪くない日常です。
曹操の詩を詠むと、それが良い日常にも思えてきます。
2023年7月20日 Posted in
中野note
9/7(木)-910(日)に『オオカミだ!』をやります。
会場はザ・スズナリで再演できることになりました。
https://yorunohate.net/the-big-bad-wolf/
プロデューサーの岡島哲也さん(テツヤ)は長く演劇界で
活躍してきた人です。9月に予定していた唐ゼミ☆公演が
流れたことで落ち込んでいた私を、新たな公演を組むことで
励ましてくれました。
ケッチさんもたまたま予定が空いていて、
それで実現することができた!
ちょっと予定が空いたから、短期集中でガッと公演する!
このスピード感は第一にテツヤさんの剛腕です。
加えて、そもそも『オオカミだ!』自体をキャスト・スタッフ含め
5人でできるよう軽くつくることを心がけたからです。
おもしろくて、料金が高くなくて、フットワーク軽く
いろいろなところに出かけられる公演にしたい。
それが企画スタートからの私たちの目標でした。
今回、ケッチさんの共演者として新たに加わってくれたのは
月岡ゆめさんで、彼女は私が2020年に桐朋学園芸術短期大学に
教えに行っていた時、クラスの中にいた一人でした。
その後、ダンサーとして活躍してきたそうです。
久々の再会に、どんな大人、パフォーマーになっているのだろうと
期待しています。
2023年7月19日 Posted in
中野note
↑これも「味の素」製品でした
最近、関内駅のそばに新たなラーメン屋を発見しました。
「水嶋」という店で、無化調を謳っています。
「無化学調味料」ということで、これは要するに化学調味料を
使っていないという宣伝文句です。
食べてみると、なるほど味がやさしい。
が、一方でメニューに目をやると「昭和のラーメン」という
ものがあって、これはどういうものかと店員さんに訊きました。
すると、「『昭和のラーメン』には化学調味料を入れます」
との回答。あまりにサッパリそれを言うので面白くなり、
後日、劇団員の津内口を誘い、自分は「昭和の〜』を頼んで
食べはじめに二つを飲み比べました。
化学調味料はなるほど、ズキリとパンチが出て後味が残ります。
要は、ずっと食べてきた中華料理のあと口。
これが化学調味料、つまり「味の素」だ!
と、ここまではっきり違いのわかるお店のシステムに
感心しました。
ところで、この「味の素」。
バブル期からグルメブームを牽引した漫画『美味しんぼ』では
徹底的に敵視されてきました。あれは、舌をビリビリさせて
ずっと日本人の味覚をバカにしてきた。と、そんな論調。
けれどもよくよく考えてみたら、
スポーツ選手やパフォーマーなんかが飲むサプリメント
「アミノバイタル」も会社「味の素」の製品なんですね。
調味料としての「味の素」と「アミノバイタル」。
両方ともアミノ酸を扱っていて、でも、そのイメージは
ずいぶん違う。自分も疲れて、アミノバイタルを
すがるように飲んだりします。
目下、取り組んでいる『鐵假面』には「味の素」社の
社員たちが大活躍します。
中には「『味の素』は泥でできている!」なんていう、
いかにも都市伝説的な、ちょっと酷すぎるせりふもあって、
本当の「味の素」社には申し訳ないですが、笑わせます。
でも、アミノバイタルの印象を思うと、ちょっとイメージが
違いますね。かたちを変えて、やはりアミノ酸を操る
「味の素」社にゾッコンなんだと思わずにはいられません。
ラーメンは次は無化調を食べるだろうけれど、
やっぱり、「味の素」には形を変えてお世話になっています。
2023年7月18日 Posted in
中野note
↑美しい葉書や便箋を期待したら、中からデカデカとチャールズ3世王!
ダイアンとは、去年の3〜12月までロンドンで下宿させてもらった
大家さんのことです。彼女は一人暮らしなのですが、
天文台ので有名なグリニッジの高台に居を構え、
そのうちの空き室を日本人に貸してきたと言います。
渡英したばかりの頃はホテル暮らしだった私は、
ネットでこの家を知り、下宿を申し出ました。
そして、これまで暮らしたことのないファンシーな生活が
始まったのです。彼女の家は外画に溢れており、
それは見事なコーディネートがなされていました。
自分の日本での生活はそういう美に囲まれた雰囲気に縁遠く、
「あ、これはオレの一生のうちでもっとも美しい生活環境だ」
と確信したものです。あと何年、人生が続くか分かりませんが、
このことだけは決定だと確信しています。
そして、去る7月3日はダイアンの誕生日でした。
だから6月下旬に私はバースデーカードを送りました。
小田原での仕事中に郵便局に行って投函。
その返事が、今日、返ってきました。
封筒を開けると、デカデカとチャールズ3世王の姿が!
美に囲まれた暮らしの中で、かなりユーモラスだったダイアンを
思い出しました。私たちは、国境を超えてお互いのギャグセンスを
競い合う会話を朝食時にしました。
話が盛り上がると、簡単に語学学校の遅刻を覚悟したものです。
それから、私たちはよくお互いにメッセージを送り合いました。
私は家賃を入れた封筒に時々にちなんだ御礼を書き、
彼女は、私が買い物に出ると、その代金を包んだ封筒に
メッセージやイラストを描いてくれました。
彼女の字は、あまりにクネクネしていて、一緒に暮らした時から
読みずらかった。だから私はよくこう彼女に伝えたものです。
Your characters are too beautiful to read!
今回も彼女の文字は変わらずに美しすぎ、
読み解くのに数日かかりそうです。
2023年7月14日 Posted in
中野note
↑お馴染みのアテナ像の前で!
『夜叉綺想』にヘラという神様が出てきます。
ギリシャ語風に表現するとへーラーという女神で、
あのゼウスの妻にして、多情なゼウスにヤキモチを焼き続けたこと
でも知られています。
ヘラ、と聞いて、ああ、あの女神ね、と思えるのは、
すべて幼い頃に観た『聖闘士星矢』のおかげです。
少年ジャンプで連載していたそれを、自分はアニメで観ていました。
漫画だとずいぶん先の話をしている、と驚きながら読んだのは
小学校低学年から観はじめたアニメが、ずっと後半になってからです。
その影響で、プラネタリウムも観に行くようになりました。
名古屋で唐さんがテントをたてていたのは若宮大通公園なのですが、
自分はそこからすぐ近くにある科学館に行き、
プラネタリウムを何度も観ました。
星そのものより、星同士を結んで星座をつくり、
その星座にまつわるエピソードを想像する。
そういう物語の力に魅せられたのです。
おかげで、
唐さんの台本にへラが出てきても対応できるようになりました。
ギリシャ悲劇も置いてけぼりせずに読めるようになった。
三島由紀夫さんが憧れたギリシャの青空も、
高橋睦郎さんのギリシャ愛も、自分は理解できます。
最近、息子のサネヨシは『聖闘士星矢』に興味を持ち、
自分の12星座である天秤座(ライブラ)を背負った青年が
漫画の中でどんな闘いを繰り広げるかを知りたがります。
夜な夜な話して聞かせるので、
自分が子どもの頃に魅了されて思いもまた、蘇ってきます。
2023年7月13日 Posted in
中野note
たいへん申し訳なく、無念なご連絡です。
先日に自分のFacebookにも書いたのですが、
年賀状を発送した時から9月に公演すると発表していた
『鐵假面』公演を、2024年3月に繰り延べて行うことにしました。
原因は、
目標においていた公演会場について上手くまとまらなかったことです。
それに、延期先の3月の方がバリッと役者が揃うということも
大きな理由です。
今回の公演は、唐ゼミ☆が持っている既存の青テントや
2014-2015年に行った野外公演の資材を活用し、
新たな野外公演を組めないかという実験も行おうと考えてきました。
3月だとまだ寒いであろうということも加味して
このプランも、新たに構想し直そうと計画しています。
前回、浅草で『唐版 風の又三郎』公演があってから
今度の10月で2年が経とうとしています。
去年に行ったロンドンでの研修により何がどう変わったか、
その成果も発揮する劇団公演にしようと思っています。
『鐵假面』公演に期待して待ってくださっている皆さんには
ほんとうに申し訳ありませんが、さらに半年間、時間をください。
当初の計画では、
9月下旬の公演に向けて8月が稽古最盛期の予定でした。
それもまた繰り延べになってしまったわけですが、
せっかくなので何人かのメンバーでこの期間を利用して
ハンディラボに集まり、夏の集中創作をしようと思い立ちました。
思えば、ここ5年ほどの稽古は、無駄がなさすぎたように感じます。
公演を控えて最短距離を進む準備でなく、一回、自分たちの
立ち場を、やり方を、時にはそれぞれが何を武器として生きて
表現しようとしているのかを見つめ直し、新たに公演のためのパワー
にできるかを模索しようと思っています。
これから始まる8月の稽古や試行錯誤の様子、
何より、2024年3月公演の日程と場所についてまとまり次第、
続報していきます。どうぞよろしくお願いします。
2023年7月11日 Posted in
中野note
↑ちょうど去年の今日はシェイクスピアの故郷
ストラトフォード・アポン・エイボンにいたようだ。
が、この頃にはすでに罠にかかっていたのだ!
本来ならば『夜叉綺想』本読み2回目の続きをレポートしたいところ
でしたが、昨日、思わず興奮させられる事があったので、
こちらを先に書きます。
6月はわが社の決算期です。
私と椎野でやっている小さな会社はセンターフィールドカンパニー
といい、これは「中野」の「中(センター)」と「野(フィールド)」
を合わせた名前です。
私たちの一年は6月に始まって5月に終わり、
クレジットカードの支払い記録が揃う7月が決算期。
そこで、二人で過去のレシートや支払い書を前に作業を始めました。
去年といえば、私がイギリスに居たので、
椎野にとってはちんぷんかんぷんの店の名前が支払い記録に並んで
います。そこで私が、自分が何を買ったのかを思い出しながら
Excelシートに記入する作業にかかりました。
これは面白い体験でした。
買い物の記録を通じて、自分が去年のいつ、どこで、何を食べ、
何を見聞きしたのか、思いを馳せることになりました。
歯医者に行くことができない、だから奮発して高級歯磨き粉を買った。
大家さんのダイアンのお遣いでトイレットペーパーを大量買いした。
日本にいるのと同じようにCDばかり買っていた。
定期的に一風堂で豚骨ラーメンを食べるが、
それにしても、日本に比べ値段が高すぎる!
といった具合です。
地道な作業ですが、それなりに愉しみました。
その中でオヤ!という支払いを発見したのです。
よく利用していた英国Amazonのプライムの払いが、
帰国後も続いていました。それは月額1,300〜1,500円ほどで、
日本に帰ってきた2023年1月以降も、今に至るまで続いています。
なんとか英国Amazonに掛け合って、とにかく未来の払いを
ストップしなければなりません。
できれば、一切利用していない日本に帰ってきてからの支払い分を
返してもらいたい。そう思いました。
それにしても、自分は自覚症状無しに向こうのプライムにも入っていた。
まあ、便利だったからいいや。そういう感慨でした。
こういう時、頼りになるのは英国でご近所だった日本人女子です。
彼女は長年にわたりロンドンで働いており、その経験豊富さ、
秀でた語学力でいつも自分を助けてくれました。
そこで、早速に彼女とzoomをつなぎ、
一緒にAmazon UKのカスタマーセンターに電話したのです。
いくつかの照会の後、
私はプライムに入っていなかった事がわかりました。
私の自覚症状の無さは決して間違いでは無かったのです。。
よくよく調べてみれば、私は2022.5以来、月々1,300〜1,500円ずつ、
謂れのない金額を支払わされてきたことが判りました。
とりあえず明日、クレジットカード会社に電話して
これ以上の被害を食い止めなければなりません。
前にケータイ電話料金を帰国後も引き落とされ、
返金を要求して勝ち取ったと書きましたが、
英国生活における罠はまだまだ終わっていなかったのです。
手強いぜ、イギリス!
2023年7月 7日 Posted in
中野note
↑研修の終わりに仕上げの会議を行った時のギャビン
今日の朝は久々にカプカプひかりヶ丘に行きました。
私の会社、センターフィールドカンパニーが行う
体奏家の新井英夫さん率いる一座とカプカプメンバーを講師にした、
福祉分野で活躍したいアーティスト向けWSの受講生募集が
佳境なのです。月末にはメンバーを決定して来月から始まる
WSについて、アイスコーヒーを飲みながらゆったり話しました。
励滋さんに会うのも久しぶりなので、近況報告もして。
それから、県庁に寄りつつ県民ホールに行って地道な仕事をして、
夕方から都内に出かけました。
紀尾井ホールで川口成彦くんとバロックの弦楽アンサンブルによる
演奏会があったのです。楽曲のメジャーさよりも川口くんの
やりたいことを盛り盛りにしたプログラムのために集客に苦労した
そうですが、集まった聴衆はいずれも猛者揃い。
1800年頃に造られたフォルテピアノをしげしげと眺めて写真を
撮ったり、暗めの超弱音でスペインのまどろみを表現する川口くんに、
全員に息をひそめて喰らいついていく意気と一体感がありました。
とりわけ、5人編成のピリオド弦楽器チーム
La Musica Collanaとのコンビネーションは最高でした。
お互いの演奏と呼吸を洞察し合い、この先に来るべき音楽を
予感し合う見事な対話とセンスは、一聴して長年の友情による感じが
しましたが、果たせるかな、終演後に聴いたところでは
大学時代からのお付き合いということで、川口くんも
良いご学友に恵まれたものだと感心しました。
そして、現在。
24:00過ぎに帰ってきたうちの駐車場の車の中でこれを書いています。
なぜかといえば、今日は2022年に私の所属先だったロンドンの劇場
The AlbnayのCEO・芸術監督、Mr.ギャビン・バロウの就任20周年の
お祝いだからです。
この後にパーティーが始まると、私のお世話係だったミミが
教えてくれたので、ビデオ電話でコングラッチュレイションズを
伝えるべく、待機しています。
家の中では、ご近所さんの手前、私がうるさくしすぎるので
こうして車中にいますが、なんだか蚊がいるっぽい。
痒さに耐えながら、日付を跨ぎつつ出番を待っています。
2023年7月 6日 Posted in
中野note
↑昔は新横浜のラーメン博物館や伊勢佐木モールに出店していたこともある
京都公演をしていた時には四条河原町のお店によく行きました
今日は早起きをして京都に行きました。日帰り出張です。
主目的は、今年度から京都に移転した文化庁を訪ねることでしたが、
おかげで、いろいろな用事をすることができました。
まず、新幹線の中で溜まっていたデスクワークを放出しました。
もうすぐ締め切りになる助成金の資料作りとか、
夏にやろうと思っている集中的な唐ゼミ☆稽古についての準備や連絡、
ずっと取り組んでいるドリームエナジープロジェクトの
ワークショップ内容について考える。県民ホールの仕事で、
ここが滞っている、あそこがまだ着手していない。
そういうことを見つめ直して整理し、やっつける2時間でした。
まあ、かなり地道です。
その後、立派な建物になりセキュリティも厳しい文化庁に着いて
打合せをし、その後は、唐ゼミ☆の齋藤もスタッフで加わっている
劇団地点の経営するカフェ&デリカ「タッパウェイ」に行ったり、
室井先生の家に行って、絵里さんとお話ししたりできました。
この前の追悼の会はタイムコントロール的にグダグダになってしまい、
慌てて片付けたために京都行きに荷物に紛れ込んでしまった私の本、
『教室を路地に』と『巨大バッタの軌跡』も回収できました。
室井先生の追悼の会の京都編は明後日7/8(土)に行われますが、
自分はそれには参加せず、同日にパシフィコ横浜で行われる
椿昇さんの講演会に行く予定です。
そうそう。
室井先生が横浜国立大学に長く勤務したことで叙勲したので、
そのために送られてきた勲章なども見せてもらいました。
生で見たのは初めての経験で、これもなかなか興味深いものでした。
帰りの新幹線の中でも油断せずにせっせと働いて、
夜10時には帰ってきました。暑かったのでさすがにくたびれましたが
だいぶいろいろいろな用事を済ませることができた。
うちへのお土産は新福菜館のラーメンセット。
子どもたちは醤油ラーメン大好きで、普段の食事の時は一口食べる度に
走り回りますが、醤油ラーメンだけは集中して食べます。
そこで、名店と誉れ高いお店のラーメンがお土産です。
少し寄り道もありましたが、いかにもスタンダード日帰り出張という
1日でした。こんな風にサラリーマンっぽい体験も、
たまにできると新鮮です。
2023年6月30日 Posted in
中野note
↑写真だけ見てもとりわけ怪しい『夜叉綺想』のワンシーン。
2014年初夏の唐ゼミ☆公演。撮影は伏見行介さん。
気づけば6月が終わってしまいますが、最終の1週間は特にハードでした。
室井先生の会が終わるとすぐに、翌日は相模湖交流センターに行き、
若手ピアニストコンサートを聴きながら、さらにその場で
さっきまで演奏されていた音楽のハイレゾ録音を聴きながら
語り合う、という珍しいイベントに立ち会いました。
週明けには県民ホールの仕事で小田原と横浜で撮影を行い、
街中で行う屋外撮影だったので、いつも天候との闘いで、
雨が降るのを心配したり、晴れだとしてもやたらと酷暑だったり。
ままならないものでしたが、各所を歩き回ってロケを終えました。
それから、同時並行的にフランス人のオルガニストをお迎えして
リハーサルを重ね、今日6/30が本番でした。
その間にも、唐ゼミ☆WSでは『二都物語』が終演し、
これは今までに行った未上演の台本の中で、特に発見に満ちた
体験でした。参加者の皆さんのおかげで、将来に『二都物語』を
上演するとしたら、どういう姿が理想的かはっきり見えました。
そして、主人公のリーランの特殊性も。
蒸し暑さに絡みつかれるような6月末をなんとか終えて、
明後日から始まる『夜叉綺想』本読みの準備を進めています。
この作品は名作系であるよりもトンデモ系で、
それだけにコアな魅力に溢れており、実際に上演した2013年初夏の
思い出もたくさんあり、記憶と思い入れの濃い作品です。
タイトルに「綺想」とあるだけあって、それこそ奇想天外な
魅力に溢れています。冒頭から始まったら、まずは青年主人公による
3ページの長せりふ!
これを少しずつ割って読んでもらうか、
ひとりの参加者に通読してもらうか、そんなことを思案するのも楽しい。
都こんぶ、という昔なつかしいお菓子がキーアイテムになるので、
明日に買いに行ってみようと思います。
ともかくも『夜叉綺想』!
ちょっと怖くて、唐さんの仕掛けた突飛な設定の数々が
脳内に絡みつく台本です。参加はこちらから!
http://karazemi.com/perform/cat67/post-18.html
2023年6月29日 Posted in
中野note
↑特にクライマックスの畳み掛けがすごい。
自分で読むスピードを決められる「小説」にも関わらず、
唖然としているうちに終わってしまう、その後に、
必死さと哀しさと可笑しさが同時に押し寄せる。そういう読後感です
先日の室井先生の会の終わりに、許光俊先生とお話しすることができました。
許先生こそは、その著作が出たら一も二もなく購入する書き手の一人で、
要するに自分は先生の文章の大ファンです。
去年の8月に出版されたザッハー・マゾッホの
『毛皮を着たヴィーナス(古典新訳文庫)』など、
自分は日本に帰るのを待ちきれず、何冊かアマゾン・ジャパンから
取り寄せた本と一緒にロンドンに届けてもらい、旅行しながら
読みました。主人公たちが各地を旅する内容なので、
ちょうど良いと思ったのです。
大学生の頃に種村季弘訳で読んだ時には難しく感じたあの小説が、
男と女の切実で普遍的な、けれども端から見ればコミカルな営みで
あるのを発見して、大笑いしながら読みました。
それでいて、再び主人公二人の立場に立ってみれば、
彼らの恋愛はお互いに対して実に必死の営みで、
傷つきながらも自分の全てを賭けた男女が臨みあっていました。
そういう真剣さが哀しくもあり、
人間というのはまさにこうしたものだと納得させられる翻訳でした。
許先生の文章は柔らかく、時にふざけたようなユーモアに溢れていて
読みやすい。さらに、いつも選び抜かれた感覚と言葉で、
対象に対してぴったりくる端的な言葉や事例が充てられています。
何より、余裕のある物腰の下に隠れた、度外れな真剣さ、本気、
そういうものを感じさせながら素知らぬ風を装うところに、
先生の品格を感じます。
許先生は自ら悪評を好んで選ぶような
ところもありますが、自分にとっては、ほんとうの品の良さとは
ああしたものだと感じます。
まあ、許先生自体はそんなことを言われたら嫌がるでしょうが。
そういうわけで、先生がいくつも書いたクラシック音楽の本、
例え入門書の類であっても、新たな本が出る度に全て買って
読んできました。紹介された内容でなく、許先生の言葉が
読みたいからです。
一番優れていると思うのは『クラシックを聴け』で、
これは先生が若い頃に、時間芸術と調和について書き尽くして
しまった本だと受け取っています。
好きなのは『オレのクラシック』で、
そこには少しだけ、唐さんや室井先生のことも出てくる。
許先生が横浜国立大学で教えていた三年半に何を感じていたかも
わかる、自分には特別に面白い本です。
許先生ご本人に久しぶりに会ったことで、また一から先生の
文章に触れたくなり、ここ数日、ずっと読み返しています。
まったく、こんな文章が書けたらと思わずにはいられない内容です。
近年だと、『モーストリークラシック』という雑誌に書かれた
バッハの『ロ短調ミサ曲』に関するものが特に素晴らしく、
ああしたものもまとめて本にならないだろうか。
そう希望しています。
2023年6月28日 Posted in
中野note
↑一緒に出かけた時の写真
ダイアンの誕生日が迫っています。
彼女の誕生日は7/3。この1ヶ月、ずっと気になっていました。
そろそろカードを送らなければならないな、とか、
かといって早く着き過ぎたり、遅れて届くのもカッコ悪いな、とか。
ダイアンは、いつも自分に届く贈り物やカードを
戦利品のように陳列していました。
彼女の気に入りのリビングには暖炉型の暖房があり、
その上にそれらを並べるのです。
母の日(3月下旬)、誕生日、クリスマスとそんな具合でした。
大量のカードを並べておいてソファに寝そべり、
テレビを観ていたダイアンを思い出します。
あと1週間というところまで迫ったので、
仕事で行っていた小田原での合間に買って持っていた
カードに記入をして、やっと郵便局に持って行きました。
実は、海外にハガキを送るというのは初めての経験でした。
大昔、それこそ高校時代に手紙を出したことはあったけれど
それだけの昔のことですから全くやり方を覚えておらず、
ネットで記入方法を検索して書き込み、窓口に持って行きました。
その切手代にびっくりしました。
なんと70円なのです。安い。安すぎる。
日本国内が63円で、ロンドンが70円とは!
これまでの自分の不明を恥じています。
そうと知ってりゃ、さっさとたくさんのハガキを出したのに。
これからは、もっと送ろうと思いました。
こんなにライトなものだなんて。
それにしても、去年の誕生日には一緒にムンク展と
インド料理屋に行ったダイアンは、
果たして元気にしているのでしょうか。
2023年6月27日 Posted in
中野note
延べ3時間のつもりだったのに、結局4時間超えで喋ってしまいました。
土曜に行った室井先生の追悼の会のことです。
唐ゼミ☆的にも歴代になんなんとするメンバーが集いました。
(以下、敬称略でいきます!)
ごく初期に、演劇志望でもなんでもないにも関わらず、
バッタから流れで一緒に芝居をつくった小松重之や橋本幸紀。
彼らのおかげで初めての『ジョン・シルバー』や
『動物園が消える日』があり、いまや世界的なアーティストに
なって室井先生を大喜びさせた猪股あきも、劇団員というのとは
違うけれど、『動物園〜』を支えてくれた一人でした。
前田裕己は劇をやめているにも関わらず以前より
キャラ立ちの良いビジュアルになっていて笑ってしまいました。
同じく堀内大助もキャラ立ちを増しています。
彼はもともとマジシャン志望で、現在はプロになっているので
あえて狙ってあのいかがわしさを出しているのでしょう。
安達俊信はよく会うので、お互いによくやっているなという感じ。
さらによく会う重村大介が久々に音響操作をやっていると、
過去にやったいくつものイベントが去来しました。
杉山雄樹と関緑のふたりが金沢から可愛らしい子どもたちを
連れてきてくれたことには、再会した瞬間から感激してしまいました。
二人はなにか、すごく大人になった感じがしました。
ことに、現役の米澤剛志と杉山雄樹が飲み会で隣り合わせていたのは
不思議な感慨を覚えました。彼らはなんというか、
初めからせりふをしゃべる感覚に特別に恵まれており、
普段の独特な雰囲気にも共通するところがあるように思うのです。
ずっと音響として自分を支えてくれて高次琴乃は
クールな感じの女性に変貌していました。
彼女がわずかに出演してくれた『恋と蒲団』や
『蛇姫様』のヤンキーを思い出すと、隔世の感がありました。
あとは、椎野がいて禿がいて津内口がいました。
齋藤は仕事により現場にはいられませんでしたが、
祭壇を作って米澤に託していってくれました。
皆とずいぶんバカなことをしてきたものだと思わずには
いられませんが、現在に七転八倒している事柄も、未来から見れば
やっぱり同じような振り返るに決まっています。
それにしても、あの中華料理屋での宴会。
ホントにコロナがあったのかというほどの狂騒、騒ぎっぷりでした。
ああ、これがやりたくて、これをしなければ、
みんなで室井さんの死を乗り越えられないと思って、
自分たちは2ヶ月でこのイベントをつくったのだと確信しました。
8年ぶりに行ってみたらかなり美味しくなっていた
杯一食堂のスタッフの皆さんに、特に爽やかで優しい店長さんに、
感謝!
↓今回のためにつくった祭壇
2023年6月23日 Posted in
中野note
明日はいよいよ室井先生の横浜追悼会です。
最後の最後で、映像作家の小山祥平くんが頑張ってくれています。
資料の編集は大変な作業ですが、追い込みをかける彼を待ちながら
チェックを繰り返しています。
そして、気分が学部生時代のようになってしまった結果、
ついに唐さん関係の本を読み始めてしまいました。
『駈ける男の横顔-大庭みな子対談集(中央公論新社1984.6刊 )』です。
これは実は、ずいぶん前に買って読まずにきた本です。
何人もの著名な人たちが男女関係をテーマに平岩さんに
インタビューを受ける中で、唐さんもその一角を占めています。
冒頭で『佐川君からの手紙』に触れていますから、
1980年代半ばの初出です。前々から読もう読もうと思いながら
流されてきたものを、小山くんの作業を待ちながら
やっと通読することになりました。
唐さんとの対談部分はわずか20ページですが、侮れない本でした。
『佐川君からの手紙』以上に、これは『秘密の花園』の
創作の秘密が明かされているという点で、第一級の資料です。
そこには、
唐さんの従兄弟の名が「アキヨシ」であること(主人公そのまま!)
アキヨシさんは夫と子どものいるキャバレーの女に入れあげたこと
(子どもがいることの他は、そのまま!)
肉体関係は無いのに貢いでいたこと(そのまま!)
が明かされていました。
また、実在のアキヨシさんは、
当の子どもの子守りさえしたそうなのです。
そして、多くの親戚が彼を止めとうとしが頑として
彼女との関係を貫いたこと。それでいて、2年が経った頃に
アキヨシさんにも気持ちの変化が生じ、
芝居と同じように関西への転勤を申し出たところ、
その女性からは「あ、そう」のひと言で片付けられてしまったことが
つづられていました。(劇とは正反対!)
唐さんはそこから、
あの、トイレに行って首を吊ってしまうヒロイン・いちよを、
実際とは反対の男女関係の成り行きを構想したらしいのです。
面白いのは、本物のアキヨシさんが子守りまでしていたことで、
ここに「ねんねこ男」「いちよの夫・大貫」の要素が含まれているのを
特に面白く読みました。
嗚呼、学びの時間よ!
小山くん、もう一息だ。ガンバレ!
2023年6月22日 Posted in
中野note
6/24(土)の追悼の会に備え、準備が佳境です。
・・・と、気づけば毎日のように書いています。
やれやれ、こんなことになったのは本人が葬式を拒んだせいで、
まったく子供じみた、しようがない先生だ!と思いながら、
しかし、イベントである以上、どうしてもある程度の完成度や
盛り上がりを目指しさずにはおれません。
そんな活動の一環で、今日は久々に
馬車道ほど近くにある中華料理屋「杯一食堂」にやってきました。
今回のイベントは室井先生の好みを踏まえ、
気に入りの講演会場であった日本丸訓練センターが選ばれました。
とすれば、会が終わった後は当然、
やはり先生の好きだった中華「杯一食堂」になるわけです。
この中華料理屋は安くて、
メニューが豊富かつ美味しくて、実に先生好みの店です。
庶民的に美味く、洗練されすぎていてはいない。
美味い餃子とか美味い唐揚げがあるのが良い。
そういう感じです。
ここで、土曜日の夕方から、
追悼文集や今回の会のために尽力したメンバーを労うべく、
集まった人たちの中から特に希望のあった人たちも含めて
宴会を張ろうという計画です。
前に一度立ち寄って予約をしましたが、
店長さんがわざわざ確認の電話をくれたので、
スタートメニューのオーダーがてら、今日は乗り込んで食事しました。
久々に食べる麻婆春雨と干し豆腐のあえものが自分の変わらぬ
好みでしたが、細部に味付けや盛り付けが改善されていて、
自分が最後に来てから(確か)8年間の変化を強く感じました。
嬉しかったのは、店長さんが私たちの事を
しっかりと覚えていてくださった事です。
予約しに行った段階で「・・・あの大学の」と
年若い店長さんに切り出された時は驚きました。
それだけ室井先生がヘビーユーザーだったとも言えますが、
すごい記憶力です。
・・・と、このように一つ一つ、
コツコツと念入りに準備を進めています。
ああ、他に何か漏れがなければ良いが・・・
2023年6月21日 Posted in
中野note
↑唐十郎流のおもしろ発言が飛び出し、みんな笑っています。
そういう瞬間を撮影してもらったものです(撮影:平早勉さん)
室井先生の追悼の会の準備をしながら、こんな写真が出てきました。
2009年7月に三田の建築会館の中庭で行われたイベントです。
あの広場に私たちは青テントを張って、その中で『恋と蒲団』を
上演しました。田山花袋の私小説『蒲団』に唐さんがインスパイア
された、愛すべき短編です。
1976年に初演された時には、
一言もせりふを発しない聾者のヒロイン役を日本舞踊家の
女性が演じたために、途中に踊りのシーンも挿入され、
1時間半ほどのステージが渋谷にあったジャンジャンで
繰り広げられたのだそうです。
私たちのバージョンではストレートに演じて、
上演時間は40分ほど。それでいて、独自の世界観と
見応えによる量感のある良い上演ができたと自負していました。
休憩を挟んでシンポジウム、
劇場建築に関わっている建築家さんたち、
唐さんや室井さんと一緒に「劇空間の理想」というテーマで
語り合いました。
この頃、30歳に手が届きそうになった自分は、
やっと人前に出てしゃべることに慣れ始め、
徐々にテキトーになっていったように思います。
あんまりしゃっちょこばらず、相手の話を聞いて
反応できるようになってきました。
このすぐ後には開国博Y150を控え、
秋には『下谷万年町物語』をやろうと緊張して過ごしていました。
大仕事を前に、ちょっと軽めで、けれども意味深長な
『恋と蒲団』をやって、私たちはだんだん軽妙さに
開眼していったように思います。
同じ年の10月に、北仲スクールも始まろうとしていました。
2023年6月20日 Posted in
中野note
↑まだ新しく売っていた!
今週末土曜に行う室井先生追悼の会に向けて準備が佳境です。
例えば、大学院を卒業したばかりの映像作家・小山祥平くんは、
当日に投射する画像・映像資料を作っています。
その素材提供で相談しやすいのは、元唐ゼミ☆の禿さん。
唐ゼミ☆の齊藤や米澤は飾り付けのための祭壇を作り、
津内口は先生の写真や当日に配布する紙資料をせっせと作る。
椎野は飾り付けのためのお花を注文・・・
そういう具合です。
明後日には当日配布する追悼文集も届きます。
これには各執筆者に加えて、突貫で編集作業にあたった
学部の先輩・椋本さん、院の先輩・本永さん、
名古屋大学の秋葉先生の力が結集しています。
自分はといえば、
会の中で登壇してもらって、対話形式でエピソードを
披露してもらいたい人たちに電話をかけまくりました。
先生も先輩も後輩も、講師で来てくださっていた
クリエーターの皆さんもいます。
中には、依頼の電話がすでに長電話化してしまい、
本編も収集つかなくなってしまう予感がするほどに
話し込んでしまった人たちもいました。
ちゃんと時間に収めなければ!
他方、もちろん日々の仕事もしているわけで、
今日は昼過ぎに都内に行ったので、息抜きに本屋に寄りました。
すると、冒頭に挙げた本が新刊で売っている。
即座に買いました。
思えば、入学時に室井先生が最初に買うことを勧めた本は、
厳密には自著ではないこの『写真の哲学のために』でした。
ここで先生は長すぎる解説を書いており、
当時は難解に感じたこの文章が、今の自分にははるかに平易に
なったのを感じます。
もちろん、難しい本を読み慣れたこともあるでしょう。
けれども、自分の生活実感の中にあるモダンとポストモダンを
選り分けて考えられるようになったことが、
易しく感じられる理由です。
いずれにせよ、室井先生が新たな時代、
人類の新たな局面にワクワクしていることが伝わってくる文章です。
これが書かれた今から25年前、現在の自分と同い年くらいだった
先生の内面を推し量る愉しみもあります。
2022年に第7刷が出たばかりとあります。
息ながく版を重ねていることも、嬉しい発見です。
2023年6月16日 Posted in
中野note
↑これがラーメン大至の醤油ラーメンだ!
しばらく会わなかった人に会うと、
イギリス行ってたんだって? うらやましいなあ、と言われます。
去年の研修は、それは素晴らしい体験であったに違いありません。
40代すぎおっさんになってあんな大学生みたいな暮らしが
よく許されたものです。まことにありがたいことだと思わずに
いられません。
が、一方で傷も深くあって、
子どもたちが病気になっても一切の手出しができない状態とか、
明らかに劇団員たちと疎遠になっていく感じとかは、
あんまり気持ちの良いものではありませんでした。
かてて加えて、イギリスならではの見聞きできるものに
全力投球し過ぎたために、食生活ははなはだ貧しいものにならざるを
得ませんでした。物価が高いので1日1食半を旨とし、
晩御飯はフライドチキンやパンで済ませました。
それだって500円ちょっとは確実にかかり、乏しい懐を痛めました。
時にラーメンが食べたくなって
ロンドンでもブームの豚骨ラーメン屋に行くと、
それは日本円にして一杯2,000円以上もしました。
サービス料だってしっかり1割とられるのです。
こうなると、美味しさとは別の意味でスープが残せなくなり、
ラーメンが本来備えていたはずの気楽さが全く無くなってしまいました。
確かに美味しいけれど、どこか苦いのです。
また、醤油ラーメンは壊滅的でした。
醤油を放り込んだお湯にダマになった麺が沈んでいる。
そういう感じなのです。これは二度ほど失敗して、
以後はオーダーするのを一切やめました。
反動で、日本に帰ってきてから以前より醤油ラーメンをよく
食べるようになりました。特に好んでいるのが、湯島にある
ラーメン大至という店です。ここは東京ラーメンの究極を追求しており、
普通のラーメンを普通ではないレベルでつくるという意味において
突出しています。
感動的なのはナルトで、これまでノスタルジーこそあれ
決して美味しいと思ったことのなかったあのナルトが
(業者の皆さん、ごめんなさい)、ここのだけは美味いのです。
ロンドンにいた時にネットで発見し、
帰国してから劇団員と行ってみて気に入ったこの店に、
すでに4回行きました。個性に圧倒される体験も大切ですが、
研ぎ澄まされた普通の中に凄みを感じるという体験も、また感動的です。
ここのナルトには、東京ラーメンの必需品に込めたお店の人の
意地と気高さが宿っています。
2023年6月15日 Posted in
中野note
↑目下、これをゴロゴロしながら読んでいます
ずっと四方田犬彦さんの本を読んできました。
『叙事詩の権能』という、ともすれば時代錯誤に
巨大な物語を四方田さんが語ったものが
特に好んで何度も手に取る本です。
加えて、軽く書いたエッセイも好きです。
『けだものと私』『黄犬本』『赤犬本』なんかを
笑い転げながら読み、『月島物語』の影響から初めてレバカツを食べ、
その美味しさに開眼したりもしてきました。
聞くところによれば、四方田さんはご自分ですっぽんすら
料理できるらしい。恐るべき腕前です。
最近は『人、中年に至る』の続編『いまだ人生を語らず』が
出ていることに気づき、早速に書店で求めました。
四方田さんがフリーハンドで書いたエッセイは読みやすく、
調べ物をしながら書いた情報量よりも、かえって地下水脈の
ような知を感じさせて、味わいがあります。
日々これを読み、数日後には惜しみながら読了してしまう
だろうことが読み始めてすぐに予測できる書き出しです。
先ほどあげた『人、中年に至る』と『先生とわたし』は
特にそんな風にして毎日を愉しみに読んできました。
ところで、四方田さんは我が師・唐十郎にはなかなか
辛い点をつけています。自家撞着に陥っている、という
批判の文章を読んだことがあります。
一方で、寺山修司には評価を与えています。
それ自体は残念なことですが、噂では、
『佐川君からの手紙』の取材のとき、唐さんがサンテ刑務所を
訪ねるために骨を折ったのが四方田さんだと聞いたことがあります。
だとすれば、四方田さんが唐さんを支持しないのも頷けます。
なにせ、唐さんはそういった裏の根回しをふいにして、
佐川一政さんに会わずに帰国してしまったのですから。
これは、あくまで私が人から聞いた話であり、
真偽のほどは確かではありません。
それに、四方田さんほどの人が作品や作家を評する時に
私情をまじえるとも思えません。
が、ひょっとして、万分の一でも
唐さんに実際的な迷惑をこうむったことが氏の唐十郎評価に
影響しているとしたら、それはそれで大いに人間味のある話だと、
私はかえって共感を覚えます。
まあ、私自身は唐さんからそれほどの被害に遭うどころか、
ひたすら大きな滋養を得てきましたし、
時に唐さんに振り回されたとしても面白がってお付き合いしてきました。
惚れた弱みというやつかも知れませんが。
2023年6月14日 Posted in
中野note
↑少年マガジンで連載していた『カメレオン』という漫画にも
「宮下ヒロエ」というアイドルが登場し、受験を話題にしていました
1998年度のことです
広末涼子さんが話題になっています。
スターシェフと不倫したことで無期限の謹慎に入ったらしい。
ベストマザー賞を受賞すると良き母の座からかえって転落する。
何人かの先人も振り返りながら、そんなこともニュースになっています。
広末涼子さんと私とは学年が同じで、必然、
高校三年生の時に彼女の大学受験が大いに話題になりました。
早稲田大学の受験を宣言した彼女は、確か自己推薦枠で見事に合格を
勝ち取りました。
同級の受験生たちの中には、
「推薦枠などとは卑怯だ」「どうせ退学するに決まっている」
という不満や、「彼女の学力は早大のレベルに満たないはず!」
などという妬みや悔し紛れともとれる感情が巻き起こっていたと
記憶しています。
私などは当時から、人気者だった彼女が早稲田を目標に掲げただけで
当の私立大学の声望が自然と高まるのだから、
他の誰にも真似のできない彼女の貢献に大学側が「合格」という
かたちで応じるのは当然と思っていました。
これが国公立であれば問題ですが、
私立なんだから目くじらを立てることもないでしょうに。
印象深かったのは、自分がなんとか受験を終えて
横浜国立大学に引っかかり、目標だった唐さんの研究室を初めて
訪ねた時のことです。
当時の唐十郎研究室はガランとしたものでしたが、
冷蔵庫の上に置かれたファックス付き電話に一枚の
用紙が届いていました。
見れば、そのファックス用紙は
広末涼子さんの所属事務所から送られてきたもので、
「この4月から早稲田大学に入学しましたので宜しく」
という内容のメッセージが書かれていました。
あの時、なぜ唐十郎研究室の電話番号を広末さんの事務所が
突き止めたのかはどうにも謎ですが、確かに届いていました。
当時の唐さんは何らか広末さんと交流があったのかも知れませんが、
それにしても、何故あんなものがわざわざ研究室に届いていたのか、
謎です。誰かが送った偽物の可能性もありますが・・・
広末さんが話題になると、初期の唐十郎研究室に届いていた
あのファックスを思い出します。
2023年6月13日 Posted in
中野note
↑傾斜の上に青テントを建てたのが4年前。今は平らになっていた!
久々に日本丸に行きました。
ここの会議室で6/24(土)に室井先生の追悼会をやるので、
津内口と二人で下見に来たのです。
少しは飾り物も考えているので、机などの備品を測ったり、
プロジェクターとPCの相性を試したり、
させてもらいました。
2012-2015年に勤めていた横浜都市文化ラボ時代に、
ここでよく講座を行ったものです。
吉岡洋先生や熊倉聡敬先生の講義は、
とりわけ印象に残っています。
そして、2019年には、
同じ公園の中の駐車場にあたるスペースをお借りして、
唐ゼミ☆の青テント公演も行いました。
『ジョン・シルバー』シリーズ3部作を一気に上演するという
企画でした。この芝居だけはどうしても海沿い、水辺でやりたくて
相談したところ、事務局の方々にずいぶん良くして頂きました。
観光用の水陸両用車両スカイダッグが水中に降りるスロープが
テントのすぐ後ろに来るように設置して、この上ない景観のもとで
7時間に渡る初期唐十郎の海賊ものを実現できたのです。
最終日の強風はなかなかの難敵でしたが、
それでも、みんなで歌った『ジョン・シルバーの歌』の高揚を
体がよく覚えています。
2023年6月 9日 Posted in
中野note
↑有名な鈴廣や籠生のほかにも蒲鉾ブランドがいっぱい。
今回買ったのは「山一」というお店
昨日と今日の二日間は小田原で過ごしました。
神奈川県民ホールの仕事で、まだ新しい三の丸ホールを中心に
ある企画が進行中のため、街の皆さんに挨拶まわりをしたのです。
車で小田原に行くには二つの方法があり、
横浜新道から西湘バイパスへと繋ぐ道、
東名に乗って小田原厚木道路を往く道がありますが、
大磯から海沿いを走ることのできる西湘バイパス方面の
朝はたいがい激混みです。
そこで小田原厚木道路を進むことになるが、
なかなかどうしてこの道も素敵です。
制限時速70キロという高速道路にしては低めの
スピード設定に加え、この道は覆面の警察車両が常に
回遊しているのだと、神奈川の仕事を開始したばかりの頃に
小田原の知り合いに教わりました。
だから、感覚的には極めて低速で直線的な道を進むが、
まず、途中にある平塚がなぜ「平塚」という名前なのかがよくわかります。
本当に、まあ平らなのです。
そして、二宮を超えて風祭トンネルを抜けた先に広がる
小田原の景色はいつも素晴らしいと思います。
一気に視界が開けて、JRや小田急の線路が結集する線路を中心に
右は緑濃い山が広がり、左手に海が見え、何より空が広い。
小田原に行く時はいつも朝の渋滞を恐れて早朝に行き、
小田原東のインターでうどんを食べるのがずっと日課になりました。
昨日も今朝もこの調子です。
コロナやイギリスを挟んだので久しぶりの感がありますが、
こうして日常的に各地に行っていると、ああ、神奈川の仕事をしている、
そういう気分と高揚感が高まってきます。
2023年6月 8日 Posted in
中野note
気づけばすでに3週間を切っているので、
室井先生追悼の会への準備について、尻に火がついてきました。
空間をどうつくるかは齋藤を呼び出して相談に乗ってもらい、
進行を考えて、出席してもらえる人の中からエピソードを披露して
もらえそうな人たちに電話をかけまくっています。
どうも、参加を申し込んできた卒業生の中には、
「何か喋らされるのではないか・・・」と恐れて申し込みを
躊躇した人もいると聞きましたが、さすがに私も大人です。
そんな無理強いはしませんから、安心して下さい。
というわけで、事前の丁寧な申し入れを行なっています。
ケータイ電話番号を知らない人にも、
facebookのメッセンジャー通話でかけられるから便利です。
あの、着信する時の♩ドロロロロロロ、ドロロロロロロ
という音はなんだか気持ちが悪いですが。
電話で話す人の中には、当然ながらかなり久しぶりの人が多く、
隔世の感に打たれまくっています。
あとは、腕利きのK山くんに頼んで煽り映像を作ってもらいます。
彼には、こちらがストーリーを組むのが遅くなりすぎて、
負担をかけすぎないようにしなければと思っています。
あと16日後。
申し込みにはまだ10名強の余裕があり、フォームはこちらです。
2023年6月 7日 Posted in
中野note
↑前は中公文庫ビブリオでお手軽に買えました。
今は中古のみだけど・・・
なにかむずむずと調子が悪い。
特段、熱を出したり風邪をひいたりというのでは無いのですが、
舌の付け根がなんだか痛い。
これは、22歳の時に『動物園が消える日』金沢公演を
終えた後にかかった急性扁桃炎以来の症状です。
あの頃は体力も、ペース配分の知恵もなかったし、
すぐに次の予定もなかったので公演後は緊張感がなくなり、
芝居を終えるたびにガクッときてしまっていました。
そのなかでも金沢公演のあとはビッグウェーブで、
初めて舌の付け根を痛いと感じました。
あの時以来、舌の付け根は喘息と並んで自分の体の「弱い部分」
となり、危険を察知するセンサーの役割を果たしてくれるように
なった、とも言えます。(前向きに言って元気を出そう!)
致命傷ではないがちょっと調子が出ないな。
現在はそういう感じです。
こういう時に思い出すのは、皆さんも好きな
エルネスト・チェ・ゲバラのこの言葉。
「打撃は絶え間なく与えなければならない」。
これは有名な『ゲバラ日記』でなく、
それよりは読む人の少ない『ゲリラ戦争』という本の一説です。
自分はこれを、こう捉えています。
「調子の悪い時は悪い時なりに、
ほんの小さな軽石を投げるくらいでも良いから打撃を続けよ、
そうでなければ、敵が安心してしまう。安心は相手の回復を
増長を生み出してしまう。そうなれば不利だ」と。
まあ、自分の場合は創作や生活上の目標があるのみで、
「敵」というほど大げさなもんではありませんが。
それにゲバラに対して私が捧げている敬意は
偉大な革命家としてよりも、喘息持ちなのにゲリラ戦の過酷を
やってのけた人、という意味合いが圧倒的に強い。
というわけで、今日は軽めの小石としてのゼミログでした。
2023年6月 6日 Posted in
中野note
↑立体駐車場での演奏会のリハーサル。曲目は惑星組曲だったらしい
イギリスのピーター・フィッシャーからメッセージが来ました。
それによると、彼の参加するフィルハーモニア管弦楽団は、
今年もペッカムというガラの悪い地域の立体駐車場での
コンサートを行ったらしい。
去年、さまざまなライブを観ましたが、
あの場所は特に気に入りの会場のひとつでした。
何せクラシックのコンサートを、屋根こそあれ半野外の、
国鉄を往き来する電車の軋みが響き渡る場所で行うのです。
日本では考えられませんが、
英国トップクラスのオケであるフィルハーモニアは嬉々として
この場所でコンサートを行っていました。
自分はひとつも見逃すまいと、去年ここで行われたすべての
ライブを聴きました。
スクリャービンの『神聖な詩』
グレツキの交響曲3番
ラフマニノフのピアノ協奏曲2番
が、それぞれメイン、という具合でした。
当時、ピーターは「来年もあるかどうか分からない」
と言っていましたが、今年も同じように実施されて、
曲目はホルストの惑星組曲だったらしい。
空に近いあの場所で、遊び心のあるナイスな選曲だと思いました。
今年に入って、仕事や友人がらみ以外の演奏会に行くことは絶えて
ありませんが、フィルハーモニア管弦楽団がそのうちに来日したら
必ず駆けつけようと思っています。
ピーター、ツアーメンバーに入ってくれると良いけれど。
2023年6月 2日 Posted in
中野note
↑唐さんが持っていた創土社の全集。インパクト大の装丁!
昨日の夜、ホフマンについてお話しする機会がありました。
ドイツ文学における後期ロマン派の作家として活躍した、
あのE.T.A.ホフマンのことです。
自分は本当の専門家では無いのですが、
集まっている人間の中ではよく読んでいる方だったので、
10分でホフマンについて説明して欲しい、
というオーダーに応えることにしました。
18世紀の後半に起こったロマン派のムーヴメントについて、
ナポレオンやベートーヴェンや絵画の印象派や
もちろん、ドイツ文学史上の先輩であるゲーテやシラーを紹介しつつ、
ちょっと変わり者の後輩としてのホフマンを紹介しました。
私がホフマンをよく読んでいたのは20代半ばのひどく暇だった頃です。
あの頃、バルザックやドストエフスキーとともに、よく読みました。
そして、その背後には、確実に唐さんの影響がありました。
大学に入ったばかりの頃に緊張しながら唐さんの研究室を
訪ねると、そこにはまだ、後にできる小さな木組みの
ステージや暗幕はなく。タイル床とじゅうたん敷きの
スペースが半々になっていました。
壁一面の本棚に本はなく、ただそこにぽつんと、
創土社のホフマン全集のみが置かれてありました。
きっと唐さんが、室井先生にリクエストして
慣れない研究費の活用で古本屋から買ったのかも知れません。
大学1年の頃の自分に、ホフマンは未知の作家でした。
ただその装丁のサイケデリックなことと、
唐さんが好きなのだから必修課題であることだけが
インプットされました。
後から考えたら、2000年春、
唐組がホフマンの『黄金の壺』『砂男』に想を得た
『夜壺』を初演した背景には、あの全集が一役買っていたのだと
思います。あの全集は当時から貴重品で、自分は文庫本や
国書刊行会のものを掛け合わせて一作一作を読んでいきました。
皆さんの前でホフマンを語ることができたのも
そういうわけで、唐さんのおかげなのです。
2023年6月 1日 Posted in
中野note
↑私の想像する唐さんの過去車。こんな風だったのだろうか?
今日のお昼は仕事を一旦置き、車の点検に行きました。
自分がまだロンドンにいた頃、12月半ばに納車されたホンダ フリードが
半年点検を迎えたのです。
つい先日、釘3本によりパンクしたタイヤを交換してもらった
ばかりだったので、今日はオフィスにいた担当の店員さんに
慰められました。劇団をやり、劇場に出入りしていると、
どうしても釘との遭遇率は高くなる。
自分ではそんな風に自らを納得させています。。
劇団をやっていると、20代の頃は自家用車を持つことなど
思いもしませんでした。しかし、神奈川県や財団の仕事で県内を
行き来するようになり、日産ラフェスタから自分のキャリアが
スタートしました。まだ小さな子どもが病気になった時など、
車があるのが本当にありがたく感じられます。
駐車場、保険、車検、修理、固定資産税、まれに違反の罰金・・・
多分に漏れず維持費はかかるけれど、助かっています。
2代目のフリードはどこまで走ってくれるだろうかと案じながら
すでに14,000km走行。これはなかなかの数字だと言われました。
よくメンテナンスしていきます。
点検の待ち時間に唐さんと車のことを考えてみると、
『腰巻お仙 義理人情いろはにほへと篇』・・・海辺をひとっ走りの車
『続ジョン・シルバー』・・・小春の愛車ムスタング
『吸血姫』・・・人力車と救急車
『虹屋敷』・・・岸信介が乗りつけたキャデラック
『赤い靴』・・・少女の誘拐に使われたハイラックスサーフ
などが連想されます。きっとまだまだあるでしょう。
唐さんご自身は大学に来る時、辻孝彦さんの運転する
ブルーのBMWに乗ってやってきました。
私が知り合う前の唐さんは、ピンク色の車に乗っていたとも聞きます。
ちょっと想像がつきませんが、いかにもファンシーな唐さんらしい。
自分は車にこれ以上の贅沢を望みませんが、どうか長生きして欲しい。
初めて乗ったラフェスタのことも思い出しつつ、そういう気持ちを
現在のフリードに託しています。
2023年5月30日 Posted in
中野note
↑掲載写真は、1997年10月に初講義を終えた唐十郎教授と室井先生です
今日は昨日に引き続き本読みWSのレポートをする予定でしたが、
嬉しいことがあったので、予定を変更します。
今日、5/30付の読売新聞夕刊に、3月に亡くなった室井先生と唐さんに
関する記事が出ました。関東版のみの掲載らしいのですが、
取材を受けた私としては、勇んで夕刊を開きました。
書いてくださったのは山内則史記者です。
山内さんと言えば、ずっと前から紅テントでお目にかかり、
唐さんを特集した映像DVD『演劇曼荼羅 唐十郎の世界』や
新聞連載小説『朝顔男』を世に送り出した方でもあります。
唐十郎という存在に対して室井先生がした仕事は、
演劇界的な営みとしては評価するのが難しい営みでした。
室井先生は美術や文学や映画や、もちろん舞台の批評だってして
いましたが、こと唐さんに関する限り、同じ演目であっても
観られるだけ紅テント公演を追いかけていたからです。
そんな観劇体験をしようとする人はあまりいませんし、
それはもはや「観劇」では無かったようにも思います。
山内さんがあらわした通り、
生命体として唐十郎を追いかけている。
そういう感じでした。
ともあれ、そういった捉えどころのない室井先生の探究を
巧みに書き表してくださったことは、自分にとっても嬉しく
山内さんに感謝するばかりです。
皆さんもぜひ読んでみてください。
ちなみに、同じ紙面には野田マップに出る唐さんの息子さん、
大鶴佐助も特集されていて、なんだか痛快です。
2023年5月26日 Posted in
中野note
↑高橋睦郎の修辞では「女怪」と表されるスフィンクスと私
上演する以外に年に3本は重点的に台本を研究したいと思っています。
去年はロンドンで孤独だったのでずいぶん時間があり
3本どころではなく、『腰巻おぼろ 妖鯨篇』や『下町ホフマン』も
含めて6本研究することができました。
研究とは、パソコンで書かれていることを丸写ししながら
読むことです。ひと言ひと言に気をつけながら洞察し
同時に台本をデータ化して使いやすくします。
『鐵假面』稽古が本格化する前に研究しているのは
『オイディプス王』です。最近出たギリシャ悲劇の本を読んで
いっぺんやってみようと思ったのです。
翻訳にはこだわりがあり、高橋睦郎さんが修辞したものが相手です。
これは蜷川幸雄さんが築地本願寺で上演した時に作られた台本ですが、
単行本に収めたものがかつて売っていました。
私はそれを、大学受験の前の晩に新宿紀伊國屋で買ったのです。
ずっとお店の棚にあって汚れていたけれど、紛れもなく新刊本でした。
よく読んでみると、特におもしろいと感じたのは「使者」役です。
オイディプス王が自らの出自や運命を自覚し始めたあたりで
登場する使者は、王に父親たる隣国の王が亡くなったことを知らせます。
そして、まだまだ警戒心を解かないオイディプスを慰めようとして
かえって真実を明るみに出してしまう。
真実を伝えたらご褒美ください、というようなおねだりぜりふも
あって、相当なお調子者です。そして結果的に地雷を踏んでしまう。
この様子はゾクゾクします。空気の読めないマヌケな男が
自覚なく周囲を地獄に叩き落とす。
このやらかしっぷりに自分は好感を持ちました。
『オイディプス王』でどの役をやりたいか、
どの役が面白いかと問われたら、私は「使者」と答えます。
↓大学受験の時に買った小沢書店の高橋睦郎修辞『オイディプス王』
2023年5月25日 Posted in
中野note
↑空気を入れて水をかけると、穴が空いているところがブクブクいいます
ブクブクいうということは穴が空いているということです
ここ数日、暑い。
暑い時は車の窓を開けて移動します。
すると「カチッ、カチッ」という音が聞こえたような、気がしました。
が、面倒なので、気にしないようにしておきました。
それが先週木曜日のこと。
それから、日曜に藤沢に餅つきに行き、
昨日などは川崎→横須賀→大和と渡り歩きましたが、
なんだか運転しながら自分が車体が左に傾いているような気がしても、
きっと道路の傾斜だろうと思っていました。
いや、思い込むようにしたのかも知れません。
それが、今日の昼に移動しようとした際、タイヤが明らかにブヨブヨする。
足でグイグイ押してみて、こりゃいかんと観念しました。
お店に行って見てもらったら、釘が3本刺さっていました。
どこで3本も!と思いましたが、
即座にタイヤ交換。交換してもらったら速いもので、
1時間ちょっとでパンクしたタイヤ一本だけ取り替えてもらいました。
不都合な真実と向き合うのは大変で、今回も逃避を続けてしまいましたが、
大事に至らなくてホッとしています。それにしても、どこで3本も刺さったのだろう。
怖ろしいことですが、これは避けようがありません。
お金もかかったけれど、事故ったり、何かが決定的に滞ったりするよりはマシ。
と自分を慰めました。やれやれ。
2023年5月24日 Posted in
中野note
この前の日曜日、
本読みワークショップの前に藤沢に行きました。
ずっと参加しているドリームエナジープロジェクトの餅つき大会が
藤沢市の弁慶農園というところで行われたのです。
子どもたちも連れて行きましたが、
餅つき自体は自分の方が興奮し、ついたくさん食べました。
自分なりにソースを用意しようと、生まれて初めて、
ずんだ餡をつくった達成感も、餅へのタガを外させました。
子どもたちは餅には淡白でしたが、
同じ農園にいた山羊と馬には興奮していました。
自分は山羊は初めてで、ずいぶん神秘的な表情だと魅入られました。
『もののけ姫』のシシ神さまに通じる表情です。
角もたいそう立派でした。
が、内面は暴れん坊で、これまで幾人もの人にタックルを見舞ってきたそうです。
こんな知恵者のように面差しで、実は乱暴者だなんて。
感動とともに、今日は短め。
2023年5月23日 Posted in
中野note
まだまだ助走段階ですが、『鐵假面』の台本読みをしています。
唐ゼミ☆ではこの演目を2007年にも上演していますが、
当時を知っているのはすでに椎野と齋藤のみ。
台本の下地となる情報を伝えながら、まずは知識を入れる段階。
それを経て、台本を読める段階に進もうと、
地道な本読みをオンラインで行っています。
『少年王者』がどんな紙芝居か。
『ジロリンタン』がどんなラジオ番組だったか。
紙芝居屋とは。せんべいソースとは。『子連れ狼』とは。
そんな話をクリアして、知らないことが無くなったゾ!
という段階になれば、せりふの端々に振り回されず、
大掴みに登場人物が何を言おうとしているかが見えてきます。
2007年にこの芝居を上演した時、
自分には生活は人生に対する体験が足りませんでした。
だから、約50年前に大阪千日前で起こった火事の衝撃とか、
被害に遭った人たち、その家族たちのその後など、
いまに比べてまったく想像が及んでいなかったのだと
改めてこの台本を読みながら痛感しています。
彼らの人生が沁みるように伝わって、
そこから、唐さん一流の喜劇的な飛躍がある。
泣き笑いというか、笑いがなければやっていられないのが昂じて、
大哄笑の世界が現れる。そういう舞台を夢見ています。
津内口や林麻子、ちろ、椎野らの劇団員に加えて、
昨日は『唐版 風の又三郎』に出てくれた井手晋之介君も来てくれました。
たった一度かかわった唐十郎作品に惹かれての参加がうれしい。
この面白さを共有して、さらに体現できる人たちを
もっともっと世の中にはびこらせたいと思っています。
2023年5月19日 Posted in
中野note
↑関西テレビのたもとにトラック野外劇場をつくった時の写真です
2014年9月に上演した『木馬の鼻』より
現在、新大阪のホテルにいます。
今日は神戸に出張して、明日の朝の帰りを楽にするために
終電で移動してホテルに入りました。
ずいぶん以前は漫画喫茶に泊まったりして大阪の夜を過ごしたこともあり、
自分も大人になったものだと思います。
とはいえ、格安のビジネスホテルですが。
初めて唐ゼミ☆が大阪に来たのは、
まだ学生時代に上演していた『鉛の心臓』を持って、
天王寺のアベノロクソドンタという劇場に呼んでもらったのが始まりでした。
劇場経営者にして劇団KIO主宰の中立公平さんが呼んでくれた。
2003年のことでした。
それから、近畿大学が唐さんのフェスティバルを開いてくれたのが2005年。
一軒家で合宿しながら近大に通い、雪の中で『少女都市からの呼び声』を
上演しました。まだ3月だったから寒かった。
それからは、同じ関西である京都での公演が増えて
大阪にはもっぱら芝居を観に来るようになっていきました。
唐さんが近畿大学の学生たちと上演する劇も観たし、
特には唐組の春公演を一番早く観るために大阪に来ました。
『行商人ネモ』をよく覚えています。
維新派や犯罪友の会の劇も駆けつけて観ました。
2014年に上演したトラック版の『木馬の鼻』が、今のところ大阪で
上演した僕らの最後の芝居です。あの時は扇町公園で三日間やりましたが、
最後の日に台風と激突して、それでも、観客が13人集まってくれたので
強引に上演しました。翌日に踏み荒らした公園を整備したのは
大変でしたが、唐ゼミ☆のキャリアの中で面白い上演でした。
あれから10年が経とうとしているので、何かやりたい気持ちに駆られます。
青テントは設置と解体にコストがかかり過ぎるの、何か身軽な公演を持って。
明日の8:00には新幹線に乗り、横浜に帰ります。
2023年5月18日 Posted in
中野note
↑画面ごしに撮影した痰壺。コインがまさに壺に投げ入れられようとするところ
昨日に書いた映画『RIO BRAVO(リオ・ブラボー)』のDVDが届きました。
ワークショップの常連メンバーFさんの証言によれば、
この映画の中に唐さんの『二都物語』に影響を与えた場面があるらしいのです。
勇んで観始めると、そのシーンはさっそくやってきました。
早撃ちの名人ながら失恋ののちにアル中になっているディーン・マーチンが
悪党にからかわれる場面。酒場で無一文ながら物欲しそうな視線を向ける
ディーン・マーチンに対し、悪役はコインを取り出し、それを柱のたもとに
設えられた壺の中に投げ込みます。
ディーン・マーチンが酒欲しさに仕方なくコインを取ろうとすると、
保安官役のジョン・ウェインがそんな情けないことをするなと壺を
蹴飛ばす。ここまで一切のせりふ無し、のなかなか見事な場面です。
これ。正直に言うと、今回のことが無ければ、
ほんの少しの時間で過ぎていくこの場面の壺が他ならぬ痰壺であることに
自分は気づかなかったと思います。
と言うのも、自分は実働しているリアル痰壺を見たことがないのです。
調べてみれば、2005年まで痰壺は法律でも容認されていたそうなのですが
自分が物心ついた1980年代の後半には、すでにその役割を終え、
本来は衛生環境を守るための痰壺がむしろ不衛生なものと見做される
に至っていたのではないかと推察します。
ですから、痰壺そのものに馴染みが無かった。
映画の冒頭シーンはほんの一瞬です。
Fさんの指摘のおかげで、自分は『二都物語』だけでなく、
ハワード・ホークス監督の『リオ・ブラボー』そのものもまた、
よく理解することができました。
それにしても、この一瞬の場面を覚えていて自らの芝居に盛り込み、
本来の映画以上にドギツいシーンに仕立てる唐さんは、
やはり剽窃の名人です。さまざまなディティールに鋭く反応し、
それを自分流にアレンジ仕切って見せる。唐さんの見事な手腕です。
2023年5月17日 Posted in
ワークショップ Posted in
中野WS『二都物語』 Posted in
中野note
↑早く届け!と心待ち
いつも本読みワークショップに参加してくださっているFさんから
目下、研究している『二都物語』について情報が寄せられました。
この劇中、
有名な場面のひとつにリーランが100円をせがむシーンがあります。
彼女はすれ違う人たちに常に100円をくれるようお願いして回る。
が、これが単なる物乞いと違うのは、リーランが自らに課した過酷な
条件によります。
彼女は、お客に対して痰壺に100円を投げ込むよう頼む。
痰壺という極めて不衛生、普通だったら嫌がるものから硬貨を
拾い上げてみせると約束することで、まるで自分を見世物に
してみせる。これがリーランが自ら設定したアイディアです。
なかなか残酷で、忌まわしい仕掛けです。やはり印象的。
ワークショップでこのシーンを読んでいる時、
Fさんから、このシーンはある映画の影響だと指摘がありました。
その場では俳優ロバート・ミッチャムの出演作だという話になりましたが、
翌日にわざわざ訂正の連絡を頂きました。
どうやら正解は、ハワード・ホークス監督、
ディーン・マーチン主演の『RIO BRAVO』ということです。
1959年の映画。唐さんは西部劇が大好きなのでこれは当たりでしょうし、
ネットで調べたところ、確かに冒頭にそういうシーンがあるらしい。
唐さんは若き日にこれを観て『二都物語』に援用したに違いありません。
ずいぶん前の映画なので、格安DVDを注文しました。
ネット・レンタルも良いけれど、将来、何人かで観る可能性がある。
そこで買って持っておくことにしました。
明日には届くそうです。届いたらさっそく観てみるつもり。
Fさん、ありがとうございます!
2023年5月16日 Posted in
中野note
唐ゼミ☆、ハンディラボで集合しています
ハンディラボに集まって夏の稽古日程について話し合ったり、
zoomで台本を読んでいます。
タイトルが『鐵假面』ですから、必然的に最も重要な道具は鉄仮面です。
その造形をどうするか。本読みを通じて
どうすれば効果的になるかを探っていきます。
去年、イギリスにいた時にはずいぶん鎧兜を見ました。
そういう中で参考になるものを見せたりもします。
ヨーロッパで流布していた鎧を眺めていると、
剣や槍や矢で刺されないように隙間を塞ごうと必死です。
しかし、隙間を塞ぐほどに重量は増し、可動域は減り、
これでホントに身動きが出来たのだろうかという仕上がりです。
人間の必死は、それを俯瞰で見るとコミカルに見えます。
ひとつの芝居を巡って延々と考え、話している風景も似たようなものか。
時には、2021年に『唐版 風の又三郎』に出てくれたメンバーと再会し、
旧交を温めたりもしています。
ワダ・タワー、佐藤昼寝、赤松怜音、渡辺景日、鷲見武。
みんなゴッツくなっています。
体格ではなく、存在というか、肝が太くなった感じがしました。
あれから一年半経つ間に、多くの出演を重ねたそうです。
自ら企画を手がける立場になったり、逆に所属団体がピンチになったり、
舞台以外の声優の仕事に盛んに挑んでいるという話も聞きました。
それぞれのチャレンジ、時には修羅場を潜り抜けてきた事が
伝わってきました。
自分はイギリスにいて、時間が飛んでいるような感じです。
行動が連続していないので断絶した感じ。
あの11ヶ月がどういう風に自分の行いに影響してくるのか。
公演準備が進むと見えてくるはずです。
劇団員の齋藤は私たちの集合場所であるハンディラボを活用して
仕事をしていたそうです。他の団体の舞台監督を受けてやっていた。
重点的に掃除をしたらしく、倉庫の中の空気がキレイになった感じが
しました。具体的に動いていると、皆の変化が見えてきます。
2023年5月15日 Posted in
中野note
↑パーカーの万年筆。元日本人たちはこの偽物を路上販売することで
生活しているという設定です。万年筆への憧れ。一定世代以上、年齢が上の
人たちは持っていると聞きます
本来は毎週日曜日に行う本読みWSですが、
昨晩は特殊な予定アリだったために振り替えて本日に行いました。
月曜にも関わらず多くの方が参加してくださり、ありがたい。
今回、『二都物語』2回目はついにヒロインのリーランが登場しました。
彼女は働き先のレストランでお客に100円をせびり、クビになったのです。
それで職安に返されてきた。ところが課長が率いる職安の部下たちには
彼女に仕事を紹介した記憶がありません。
強かな彼女は嘘を言ってこの職安に連行されたのです。
それからは100円を巡る問答。彼女がなぜ100円をもらうことに固執するのか。
それは次に起こることへの伏線です。
リーランはお母さんのお腹にいる時に朝鮮海峡をわたり、
日本にやってきました。そういう出自もせりふから明らかになります。
一方、課長率いる噂の職安連中もまた、朝鮮半島から日本に渡ってきた。
ただし、ここが重要なのですが、彼らはあくまで日本人です。
正確に言うと元日本人。
戦前戦中に日本から大陸にわたり、戦後も内地に帰らなかった人々。
それが彼らの正体です。あるいは、帰れなかったのかも知れません。
いずれにせよ、今では自分たちの戸籍が日本にあるのかわからない。
しかし、彼らは日本に帰ってきた。
そして、日本で働いて生きようにも戸籍がないので仕事が見つからない。
だから噂の職安を開いたり、夜はつぶれた工場からかっぱらってきた
万年筆を行商します。同情を引いて粗悪品をお客に捕ませる商売です。
(ここの描写がおもしろい)
昨日やったシーンの終わりでは、本物の職業安定所の役人が
刑事を連れて課長たちのニセ職安を摘発しにやってきますが、
実はその刑事もまたニセモノであり、ニセモノ勢が勝ってしまいます。
大切なのは、ニセモノ勢=元日本人だということです。
同じ「海峡を渡ってきた者」にしても、リーランは朝鮮にルーツを持つ者。
課長たちは日本で生まれ育ちながら大陸に渡り、戦後もそこで暮らした者。
同じ戸籍が無いにしても、この部分が違うことは先ほども書いた通りです。
『二都物語』というと、どうしても「朝鮮半島から日本に渡ってきた人たち」
の迫力で押されてしまって、彼らの差異は二の次な印象を受けます。
私たちのWSでは、両者の違いに丁寧に注目しながらこの先を読み進めます。
次回はリーランの過去が語られます。悲劇的な記憶に触れつつ、
その分、美しい主題歌も立ち上がる。愉しみに参加してください。
2023年5月12日 Posted in
中野note
↑高校1年生(手前)と3年生の大豪院邪鬼(奥)では、こんなに
身体のデカさが違う(『魁!男塾』より)
話を盛りすぎること、大歓迎です。
自分だって同じ話をするたびに自然と話を盛ってしまう。
そういう性質の強い方だと自覚しています。
GWこの方、さまざまな本を読みましたが、
シュリーマンの超有名著作『古代への情熱』を初めて読み、
これを大いに愉しみました。
シュリーマンが自ら築き上げたストーリーをざっくり振り返ると、
次のようなあらましです。
幼い頃に読んだホメロスを人生の聖典とし、
商才、語学の天才を生かして一代で財を成す。
しかし、それは彼自身にとって副次的なもの、
築き上げた富を投じて遺跡調査に乗り出し、
傍の良妻に支えられて見事に伝説の宮殿を発見する。
事実は小説より奇なり、と言いたいところですが、
彼のレポート自体が書かれたものであって、必然、自らの人生が
より劇的に、自説が有利になるよう、それは盛りに盛られて
ここまでに膨れ上がった。
そういう感じがすることに好感を持ちました。
事実より、自分がこうであったらと願う誇大妄想、
こんな風にしちゃえという改ざんにこそ、より人間味があるからです。
唐さんで言えば、同じバングラデシュ行を唐さん自身が書いたものと、
状況劇場の劇団員だった山口猛さんの書いた記録との隔たりにこそ、
この二人の真骨頂があります。
『ギルガメシュ叙事詩』なんかを読むと、
古代の王は800年くらい平気で生きています。
しかし、それが一概に嘘かというとそうでもない気がします。
往時の時間感覚からすれば、1週間は悠久の時かもしれないからです。
同じ伝でいけば、ガルシア=マルケスの『族長の秋』など、
現代においてもそういう時間感覚を活かすことに成功していて
喝采します。この物語の中で独裁者は数百年を生きており
だからこそその独裁の強烈さが読者に伝わってくるのです。
そういえば、ずいぶん以前に見た深夜番組の中で
伝説の400勝投手、金田正一は「ワシの球は180キロは出ていた」
と豪語していました。「ありえない数字だ!」と芸人が詰めよると
金田さんは平然と「心の180キロだ!」と言ってのけました。
さすが金田さんは冷静さも持ち合わせている。
ホンモノを感じさせます。
子どもの頃に読んだ『魁!男塾』の大豪院邪鬼もそう。
登場した時に身長3メートルを超えて描かれた彼は、
後に、ひ弱な一年生たちの畏れによって実物より遥かに巨大に
見えていたのだと語られます。これもまた一つのリアリズム。
絵画に印象派があることからも分かるように、
人間を信ずる限りこれらはすべて真実に他なりません。
2023年5月11日 Posted in
中野note
↑青梅駅構内には駅にちなんだ映画の看板
真ん中は唐さんの好きなあの名作
ゴールデンウィークの最終日に青梅に行きました。
目的は映画を観るためです。シネマネコという、
可愛らしい木造の映画館が目的地でした。
が、映画以上に、青梅駅周辺を歩きながら思い出したことがあります。
それは、唐さんがかつて上演した『紙芝居の絵の町で』という芝居
でした。初演は2006年。唐さんが一日、都内を歩いてネタを探し、
使い捨てコンタクトレンズをヒントに書いた、紙芝居作家たちの
物語でした。
あの中に、当時は丸山厚人さんの演じた
「群青疾風(ぐんじょうはやて)」という看板描きの青年が出てくる。
カッとしがちだけど腕が立つ看板絵師の彼の仕事場こそ、
この青梅駅周辺でした。
確かにあの街には、古き佳き映画の看板絵がそこここにあって、
青梅を訪れた人の関心を誘う名物になっていました。
唐さんが好きな『鉄道員』の看板もあって、
自分は唐組での『紙芝居の絵の町で』だけでなく、
『ジョン・シルバー』の冒頭に映画『鉄道員』の
テーマミュージックを使ったことも思い出しました。
唐さんのおじさんは満州から引きあげてきた後に
国鉄田町駅の助役となり、そういった連想からも
唐さんは『鉄道員』が好きなのです。
ということまでも思い出しながら街を巡りました。
2006年春公演の台本を書くための取材は
きっと2005年10〜11月頃だったはずです。
その時、唐さんもまた同じ青梅の街を巡り、
あの、長大で流麗な群青疾風の長ぜりふが描写したせりふを
構想したはずです。そういう唐さんの姿を想像しながら
青梅を歩いていると、すばしこい唐さんの、あの歩行の
緩急が見えるようで、雨の青梅がずいぶん愉しいものになりました。
遠かったけれど、またひとつ唐さんの足跡を追うことができました。
2023年5月10日 Posted in
中野note
林麻子と丸山正吾、この二人と観に行きました!
唐組『透明人間』の花園神社初日を観ました。
良かった。だから、あれからずっと『透明人間』とは
どんな劇だったのか考え続けています。
今までの上演も良かった。
タイトルを変えて上演された『水中花』も『調教師』も含め、
何度も再演されてきた『透明人間』はいつも傑作だったけれど、
今回は特に、ただ面白さに流されるだけでなく、
この劇を真正面から読み解いてみたい、
そういう風に誘いかけてくる上演でした。
この劇は、戦中の中国と1990年初演当時の日本にいる、
二人の「モモ」という名の女性を軸に展開します。
一人は太平洋戦中を生きたモモ。
もう一人は、バブル期のさなかに日本にやってきたモモ。
両方とも、モモは中国に生まれた女性です。
"女性"と書いたのには理由があって、
特に太平洋戦争下のモモは、犬の名前でもあるからです。
唐組が2003年に初演した『泥人魚』のヒロイン・やすみは
「ヒトか魚かわからぬ女」でしたが、戦下のモモは
「ヒトか犬かわからぬ女」として書かれています。
ここがこの芝居の唐さんらしい不思議さであり、面白さです。
1989年に当時10代の木村拓哉さんをフーテンに配して再演された
『盲導犬』の痕跡が、ここに感じられます。
あの劇は、ヒロイン・銀杏が犬になぞらえられる物語だからです。
ともあれ、どちらのモモにも共通するのは、
彼女らがアジアに進出する日本によって組み敷かれた存在であること。
過去には軍事的な力により。1990年当初は経済力により。
ただし、その中には真実の情愛が宿ることもあるわけで、
「辻(つじ)」という男は父子二代で彼女らを利用し、
同時に心底愛しもする。
今回、過去に連なる「モモ」を大鶴美仁音さんが演じ、
現在のモモである「モモ似」に藤井由紀さんが扮しました。
この配役が素晴らしい。
まず、美仁音の優れたところは「犬」を濃厚に体現したことです。
隠喩としての「犬」でなく、「犬」そのものとして舞台にいた。
辻の父親との種を超えた愛を表現する佇まいに驚きました。
そして、藤井さんはリアリズム。中国から日本に
出稼ぎにやってきた水商売の女の哀しさと強かさを演じ切ります。
その上で、今回の上演が優れていたのは、
タイトルが『透明人間』であることを存分に考えさせてくれたことです。
二人のモモだけなら、この芝居は唐さん自身が一度は改題したように
『水中花』でも良い。また、この劇の元になった小説のタイトル
『調教師』でも良い。けれど、この芝居はあくまで
『透明人間』として書かれたのです。
どうしてなのか。そのヒントを
この劇にとって第三の女性である「白川先生」が与えてくれます。
欲求不満の分裂症である彼女には「透明人間」が見える。
悪意や情愛という相反する情念に私たちをけし掛ける透明人間。
2幕エピローグ前の暗転時に彼女が黒板消しを投げるのは、
その寸前に起きたカタストロフの元凶を、彼女が突き止めようと
しているからに他なりません。
典型的な保健所員=小役人を自覚する主人公・田口、
腸が長いだけのつまらない日本人であることを嘆く田口が
二幕の後半になって突然に「経済」を口にする時も
やはり「透明人間」がカギになります。
(思えば、序盤に合田が田口をからかって言う、労働とは何か?
というせりふが終盤でグッと生きる仕掛けになっている)
経済や軍事を推進する人間、同時に情愛に満ちている人間。
人間の得体の知れなさ、乱反射する人間の欲望を突き動かす
存在「透明人間」を唐さんは描いている。そう実感しました。
唐さんにとって、バブル経済を生きる人々、
人々を駆り立てる欲望は得体が知れなかった。
日本を戦争に駆り立てた衝動もまた得体が知れない。
その正体を見極めようと、唐さんは『透明人間』を書いた。
『透明人間』の輪郭を見極めるには白墨の粉が必要だ、
そう思って、黒板消しを白川先生に託した。
もちろん白川先生は、幼少期の唐さんにとって
「すべてを識る者」だった女教師・滝沢先生の面影があります。
・・・と、これが今現在の私の『透明人間』です。
明日になれば、さらに深化した『透明人間』に気づくかも知れない。
もう一度観れば、もう一つ『透明人間』に接近できるかも知れない。
そんな風に観劇後も頭の一部を侵されることこそ、
唐十郎作品の醍醐味です。この優れた劇の正体に向かって
自分もエイヤッと黒板消しを投げたい。
そういう衝動に自分を突き動かしてくる。
これぞ傑作の効能と言えましょう。
2023年5月 5日 Posted in
中野note
端午の節句です。
用事があって近所を歩き回り、それから都内にも出ましたが、
道々目にする和菓子屋にお客が殺到していました。
柏餅。皆さんがあれを食べようと躍起になっているのを見て、
"日本"は私たちの中にまだ生きているな、と思います。
私は今日は混んでいるので行きません。
来客用に和菓子を用意していく中で、今年はすでに二度、
柏餅を食べました。殊に味噌あんが好きなのですが、
そのようなわけで満ち足りています。
今年に三度目があるにしても、明日以降でいいや。
他方、唐十郎研究において今日はより重要な意味をはらんだ日です。
今年に入ってから『秘密の花園』について本読みWSをやりましたが、
あの芝居に出てくる数々の小道具の中で、突出して重要なのが
菖蒲の葉です。1幕には、端午の節句の銭湯で子どもたちが
我先にと立派な菖蒲の葉を奪い合う描写も出てきます。
下町を体感的に知り尽くした唐さんの景色です。
これまでは漫然としてきましたが、
ああして台本に取り組むと、俄然、実際の銭湯が
気になり始めました。果たして、あの大きなお風呂に
満々と菖蒲の葉が浮いているのかどうか。
そこで、実際に行ってきました。
お馴染みのカフェ・バー・タケウチにも用があったので、
まずは吉原に行き、それから『秘密の花園』の舞台、
日暮里の周辺へ。外国人観光客の多い谷中に朝日湯という
銭湯があって、電話したら、ちゃんと菖蒲の葉を浮かべている
ということでした。
果たして、実際に菖蒲の葉はありました。
もちろん、唐さんが書いたほどの量はありませんでしたが。
銭湯の中ゆえにスマホで写真を撮ることはできないものの、
しっかりと目に焼き付けました。こうして、またひとつ
せりふの中身に説得力が持たせられると思います。
役者にアドバイスする時にも、実感が伝えられようというものです。
2023年5月 5日 Posted in
中野note
↑これが見て良し、触って良しのヘラ絞り製タンブラー
最近、何を見てしまうといって、ヘラ絞りの動画を見てしまいます。
その作業の行程、ヘラによって滑らかに湾曲していく金属板の波。
仕上がりの厚みの恐ろしく均一なこと。そして、その手早さの妙。
とにかく魅入られてしまって。
蕎麦屋に入って蕎麦が出てくるまでの間とか、
電車を待つ間、打合せの合い間にも、気になって熟練の職人仕事を
収録した動画を見てしまいます。
そこへきて、
先日に恐竜ショーをやっていたヒカリエに行った時、
8階で神奈川県の特産品をやっているのに気がつきました。
こちらはここ5年間、特に神奈川をウロウロするのを仕事にして
きましたので、これは見逃せないと中に入りました。
そこで見つけた、憧れのヘラ絞りによるタンブラー。
川崎市高津区にある相和シボリ工業という会社の製品とのことですが、
これがめっぽう美しい。いや、美しいというレベルを超えて
艶かしい。普通だったらツルツルにする絞りの跡をわざと
残したデザインが、絶妙な触り心地を生んでいます。
買いました。
といっても自分のためではなく、近く外国から来る人に
地元の名産品をプレゼントしたいと思っていたので、
この上ない逸品だと思ったのです。
そして家に持ち帰ると、
取り出せる梱包のために中身を外に出してはしげしげと見てしまう。
手に取りながらまたまた動画も見てしまう。
お渡しするまでの間、ずっとこれが続きそうです。
https://www.youtube.com/watch?v=tn6vkuj5oLM
2023年5月 1日 Posted in
中野note
↑想像していたよりデブちんで可愛らしい体格! アンキロサウルス
本来であれば、今日は昨晩のワークショップのレポートをする日です。
が、昨日のお昼に観に行ったショーに大興奮したので、
その話題を先に紹介します。『愛の乞食』最終回は明日にしましょう。
もともと、東横線に乗りながら『恐竜ライブ ディノサファリ』の
中吊り広告を発見しました。何がソソると言って、
"動くトゲトゲ戦車"鎧竜アンキロサウルス初登場!と銘打ってあります。
そして、当のアンキロサウルスの姿がシークレットになっていました。
アンキロサウルス・・・
私は恐竜に興味がありませんでした。
多くの子どもたちが恐竜を好きらしいのですが、
小さい頃から全く興味がない。
ところが、息子の真義(さねよし)は恐竜が好きなのです。
そして、好きになりたての頃、数ある恐竜フィギュアの中から
彼が選んだのが、今回のショーのスペシャルとして紹介されている
アンキロサウルスでした。
初めて恐竜フィギュアを買ってやろうとした時、
もっと売れ線のティラノサウルスやトリケラトプスでなく、
アンキロサウルスを選んだ息子をどうかと思いました。
トゲトゲしているし、格好もずんぐりしてシャープではない。
けれども、初めて観に行ったこの恐竜ショーでは、
アンキロサウルスは実に見事にエースとして登場し、
気は優しくて力持ち、という振る舞いを見事に体現しました。
尻尾の先に付いている妙な膨らみは、
実は敵に対しハンマーの役割を果たし、大変な威力なのだそうです。
感心!
ショー全体としても、シンプルな空間で魅せながら、
恐竜たちの造形と動きが実にシャープに再現され、
躍動する姿にはとにかく見応えがありました。
私の人生で、初めて恐竜に興味を覚えました。
来年もまた新種を加えて新しい展開があるらしい。
あの恐竜の造形。あの動きの面白さ。気になる。
2023年4月28日 Posted in
中野note
↑5〜9月はこの単行本に集中!
今度の日曜日、『愛の乞食』本読みが完結します。
「愛の乞食』が終わったら、5月からは『二都物語』に取り組みます。
『二都物語』こそは、唐さんにとってエポックな、
伝説的な演目です。その初演を観た人は誰れもが冒頭シーンに
度肝を抜かれたと言い、大久保鷹や李麗仙がすごかったという。
一方で、じゃ、どんな話だったのかというと、
よく思い出せない人がほとんど全員という謎めいた演目でもあります。
話を思い出せなくったって、すごいものはすごい。
いや、話を思い出せないのにすごいからこそ、ホントにすごい!
とも云えます。
前にも書いたことがありますが、
『二都物語』こそは、私が唐さんに上演を止められた二演目の
うちの一つです。もう一つは、韓国で『泥人魚』をやろうとして
断られました。
『二都物語』については、「あれは李(麗仙)のものだよ」
というのが理由ですが、著作権とか、筆を動かしたのは自分とか
そういうものを超えてインスパイアされた作品という仁義が
そう言わせたのでしょう。『泥人魚』の場合も、
「あれは唐組のものだ」と。
秋に『鐵假面』を上演します。
当然、『二都物語』が終わったら上演に合わせて『鐵假面』を
題材にオンラインWSをします。
大ヒット作というだけでなく、『鐵假面』の前段という側面からも
『二都物語』を読みます。一冊の単行本に収まった二本の理想上演が
皆さんの脳内で立ち上がります。
2023年4月27日 Posted in
中野note
ミミがブッシュ・シアターのエクゼクティブ・ダイレクターに!
今日はロンドンから嬉しいニュースが届きました。
去年、The Albanyでいつも自分をサポートしてくれた
ボスで相棒のミミが、Bush Theatre という高名な実験劇場の
エクゼクティブ・ダイレクターに就任することが決まったそうです。
https://www.bushtheatre.co.uk/bushgreen/introducing-our-new-executive-director-mimi-findlay/
これはもう、掛け値なしの快挙であり、カッコ良いことです。
ミミはナショナル・シアターで長いこと働いていたそうです。
いわば古典と現代劇の保守本流です。
それからThe Albanyで地域の多様性を表現に変える
コミュニティワークに取り組みました。
そして、ブッシュ・シアター。
ここは私も観にいきました。
さほど大きくはありませんが、ロンドンでは実験的な演劇をすることで
有名な劇場です。私はここで、3人の黒人青年がフットサルをやりながら
演じる会話劇を観ました。機敏な劇場、そういう感じがしました。
ミミのこのキャリアの積み方は相当にカッコ良い。
演劇の基礎を働きながら学んで地域貢献に従事し、
そのあとは実験的な劇場を取り仕切るようになるわけです。
実に軽やかで、"人間"に根差したステップアップをしています。
30代後半の小柄な黒人女性であるミミは明らかに優秀です。
そんな彼女が、当たり前のように劇の本流と地域貢献を併せ持つ
存在として頭角を表そうとしているのに、思わず喝采してしまいます。
すごいぞ、ミミ!!!
また、今日はドガドガプラスを観に行くことができました。
コロナの影響で何度も中止の憂き目に遭ったことも知っていましたし、
望月さんに並々ならぬ想いがこちらにも伝播する内容でした。
実際、今回から始まったシリーズは問題の多いAV新法に触発されたもので、
アダルトビデオ黎明期の真っ只中を生きた望月六郎のキャリアが
縦横に活きた完全新作でした。そういう業界の実態を詳らかにされる
だけで、大きな価値と愉しみがあります。
加えて、独特のリズムを持った面白いキャストが揃っています。
特に始まってから1時間半はストーリー展開よりも個々のエピソードの
応酬で、ひたすら個人技で見せていく軽快な無意味さを心地よく
味わいました。後半30分は思弁的になって難しくもありますが、
これはあくまで第一作であり、さらにシリーズが続くことを
予感させて終わります。見知った役者、初めて見る役者、
それぞれに楽しく、久々に観られて本当に良かったと思わせる内容でした。
2023年4月25日 Posted in
中野note
↑あなたはジャギさんです!
『愛の乞食』に登場するミドリのおばさんこと元海賊の尼蔵(あまぞう)。
芝居に登場する3人組海賊の兄貴分である彼はなかなか魅力的な悪党です。
彼の名前、尼蔵は明らかに尼港事件の「尼」から取られたネーミングです。
初演時には麿赤兒(当時:赤児)さんが演じて、冒頭に公衆便所で、
小便器に向かって吐いている後ろ姿だけで、それはもう相当な
気持ち悪さだったと聞きます。これは実際に舞台を見たという人の証言。
当時の状況劇場は評判の劇団とはいえ、本格的に観客が押し寄せた
1972年『二都物語』からだそうなので、なかなかレアな体験といえます。
劇の中で、尼蔵とシルバーは敵対する存在です。
不良兵士たちのリーダーである尼蔵と、
兵士たちの不品行を取り締まる立場の憲兵シルバー。
同じ日本軍兵士でありながら、その中に悪人と善人がいる。
この構図を踏まえないと、この芝居はよく分かりません。
なんだか誰も彼もが悪党に見えてしまうと、話についていけなくなる。
ここを押さえれば、実はシルバーは海賊ではないことがわかります。
彼は、尼蔵たちによって濡れ衣を着せられ、海賊であるとの
風評をたてられた被害者なのです。
他人のせいにして悪さをする男といえば、
私の世代の男性にとっては、冒頭に挙げた彼のことを思い出します。
『北斗の拳』に登場する北斗四兄弟の中で、
ラオウ、トキに次ぐ3番目の男としてジャギは登場します。
主人公ケンシロウは末弟。末弟が後継者となったことで起こる
兄弟間の闘争が、第一部後半の主題でした。
3人の兄たちの中で最初に登場するジャギは
兄弟の中で抜きん出て弱く、また卑劣な男です。
かつてケンシロウに試合で敗れたことを恨みに持った彼は、
ケンシロウのトレードマークである7つの傷をわざと胸につくり、
各地で悪行三昧をします。
そして決め台詞「おれの名をいってみろ」と被害者たちに迫り、
「ケンシロウ=悪」というレッテルを各地で拡めるのです。
まさに尼蔵のようではありませんか。
原作者の武論尊先生が唐さんの『愛の乞食』を観ていたかどうかは
わかりません。が、私は『愛の乞食』を読みながら、
「ア、アニメで見たジャギみたい」といつもこの愛すべき悪党を
思い出すのです。
2023年4月21日 Posted in
中野note
↑『煉夢術』と小説版『ガラスの使徒』。それぞれ単行本になっています
今日は、昨日書いた演奏会の本番でした。
オルガン・プロムナード・コンサートというのはいつも
昼間のランチタイムに行っているから、今回のも12:10開演。
私のようなテント者、芝居者にはなかなか不慣れな時間だと
思いながら本番にあたりました。
400回記念ということで豪華メンバーによる出演でした。
なにしろ、4人のうちの3人が日本オルガニスト協会の会長経験者
(1人は現役の方)であり、一人は若手のホープである県民ホールの
アドバイザーなので、これで入場料500円とは大盤振る舞いでした。
曲の違いもさることながら演奏家によって鳴り方が違うものだと
聴き比べながら舞台裏で過ごすことができたことが贅沢でした。
ところで、昨日はオルガンと唐さんの関わりについて、
『煉夢術-白夜の修辞学或は難破船の舵をどうするか-』を紹介しました。
が、もう一本、大事な作品があるのを忘れていました。
それは、2005年に封切られた映画『ガラスの使徒(つかい)』です。
唐さんがシナリオと主演を行い、金守珍さんが監督した作品です。
あの映画では、巨大な望遠鏡を作るための"レンズ"が重要な役割を
果たします。唐さんはレンズ職人に扮し、主人公サイドの
経済的ピンチを救うために、とびきりのレンズを研磨します。
しかし、そのレンズ磨きには特殊な砂が必要でした。
その砂は、今はダムの底に沈んだ小学校の校庭にだけあり、
ヒロインはそれを取りに行きます。そして、小学校の校舎に、
同じく水底に沈んだオルガンを発見する。水中でオルガンを弾くと、
一音一音が大きな気泡となり、遥か上方の湖面を目指して
踊るように舞い上がっていく、というシーンが描かれます。
いわば、主人公たちが絶体絶命の危機を乗り越えるための
反撃の狼煙を歌い上げるのが、湖底のオルガンの役割でした。
面白いことに、この水底のオルガンのイメージは、
65年に書かれた『煉夢術』にすでに現れています。
あの劇にも、海底からオルガンの音が
空気の塊となって浮上していく、というせりふがある。
20代の頃に得た着想が40年を経ても揺るがない。
唐さんの自らのアイディアに対するこだわりを、オルガンが登場する
二つの作品を通じて味わうことができます。
2023年4月20日 Posted in
中野note
↑4/21(金)オルガン・プロムナード・コンサート
400回記念スペシャルのチラシ。
今日はこの公演の準備をして過ごしました。
今年に入って勤め始めた神奈川県民ホールの小ホールには
ドイツ製のオルガンがあって、このコンサートは月に約1回弱の
ペースで行われます。この習慣は開館した1975年以来、
48年に渡って続けられてきたもので、それが明日で400回。
この定例シリーズ以外にもオルガンに関わる公演はいくつもあって
かなり驚異のペースといえます。他面、オルガンを持つということは
日常的に演奏家に弾いてもらってコンディションを維持しなければ
ならない。巨大ですが繊細な楽器でもあるようです。
そして、せっかく弾いてもらうならばお客さんにも聴いてもらいたい。
という思いが重なって400回。明日は特に豪華で、通常は1人の演奏家に
よるコンサートなのですが、4人の演奏家が揃い踏みします。
そのようなわけで、急速にオルガンに親しんでいます。
急に身近になったオルガンのある日常です。
思えば、去年たまたまイギリスにいたことはかなり役に立っています。
かなり多くのバリエーションの教会を見て、コラールにも参加したので
期せずしてキリスト教と結びついたオルガンの姿に
たくさん接してきました。
唐十郎作品の中でオルガンが登場する演目といえば、
『煉夢術-白夜の修辞学或は難破船の舵をどうするか-』です。
時計修繕を仕事にする青年が彷徨い込んだ街には高い塔があり、
そこからオルガンの音が鳴り響いている。そして実は
オルガンが聴こえる時に、この街では誰かが死んでいく、
という設定です。・・・かなり暗い。
唐さんが書いた3本目の台本です。
唐ゼミ☆では2005年初夏にこれに取り組みましたが、
その陰鬱なところ、思弁的なせりふがあまり会話にならず
モノローグ気味に展開するところに、かなり若書きの印象を受けました。
劇作を始めたばかりの唐さんが役者を得て彼らを活かすための
書き方を開発し、喜劇的に弾けまでの習作という感じです。
あと、唐さんだけでなく1960年代の日本の青年たちの、
ヨーロッパに対する強烈な憧れを感じる劇でもあります。
オルガンに少しずつ詳しくなり、響きを身近に感じ始めた今だったら、
だいぶ違った風に上演できるようにも思います。
角川の文庫にもなっているので、ちょっと読み返してみよう。
2023年4月19日 Posted in
中野note
↑軍歌活用ランキングNo. 1はこの場面でしょう
『唐版 風の又三郎』唐ゼミ☆2021年公演より(写真:伏見行介)
軍歌を愛好しているというと、戦後民主主義社会では波紋を呼びます。
が、唐十郎作品の中にも軍歌は登場します。
一番見事に軍歌が使われた例は『唐版 風の又三郎』で活躍した
『荒鷲の歌』です。あの、帝国探偵社の面々がふんどし姿で跳び回り、
♪ぶんぶん荒鷲、ぶんと跳ぶぞ〜と歌い上げる場面は、
誰がどうやっても盛り上がり、爆笑に包まれる鉄板シーンです。
いま読んでいる『愛の乞食』にも軍歌は登場します。
『独立守備隊の歌』『満鉄の歌』など、一瞬にして満州の空気を
充満させる効果が絶大です。
私が聞いたところでは、初期の紅テントにおいて、
芝居がはねた後の車座の宴会では、どんぶりを箸で
チンチン叩きながら、たびたび軍歌が歌われたそうです。
いわば座興の盛り上げソング。
初めてこれを聞いた時は驚きました。
初期状況劇場といえば進歩的な人たちの集まりであったはず。
どちらかといえば反体制的、左翼的な傾向が強い面々にあって、
彼らが軍歌を歌い上げている光景は想像し難い。
けれど、澁澤龍彦さんなども軍歌で盛り上がるクチらしいのです。
こうした事実を面白いと思います。
歌に込められた思想信条は別にして、小さい頃から高揚した歌に
身体が勝手に反応してしまう。そういうこともまた、
歌が持つ強い側面だということです。
小さい頃に観ていたアニメソングみたいなものか、とも想像します。
刷り込みが効いているので、『ドラゴンボール』や『聖闘士星矢』や
『北斗の拳』の主題歌に、思わず体が反応してしまう。
自分はそういう世代です。気づけば全て少年ジャンプ系。
2023年4月18日 Posted in
中野note
↑唐ゼミ☆2010年公演より。右が重村大介この時も兵2は彼のもの
(写真は伏見行介)
日曜に読んだ『愛の乞食』二幕一場について、
私たち唐ゼミ☆劇団員が素通りできないエピソードがあります。
それは、今は唐組で頑張っている元団員の重村大介について。
彼が横浜国大に入学してきた時、周囲は一様に驚きました。
よく「オレって人とは違うんだよね」とか、「いや、オレこそが」などと
自意識過剰な青年世代は個性的であることを競う合う風潮があります。
が、重村こそはダントツの、飛び抜けて変わり者でした。
あの喋り方、オドオドとして、その実けっこう自信満々な物腰。
4年間の浪人生活を終えて大学生となった彼は、
当時、皆に「ヨン様」と呼ばれていました。
そして、彼が大学の講座で『愛の乞食』により初舞台を踏んだ時、
それを観た学生たちは度肝を抜かれました。
・・・とにかく、何を言っているのかよくわからない。
決して唐さんのせりふが難解だからではなく、
重村のあの喋り方によって、日本語がまったく聞き取れない。
彼は顔を真っ赤にして目をつぶり、大音声で叫び続けました。
初めて登場したのはガードマンの役、長ぜりふは散々でしたが
しかし、一人二役を兼ねて2回目に登場した時、奇跡が起きました。
「兵2」です。兵2が登場するのは兵1に次いで二番目。
兵1がしたやり取り、言ったせりふを兵2もそっくり繰り返してやる、
そういう仕掛けのシーンで、重村は爆発しました。
どんな筋立て、やり取りかはあらかじめ兵1がやってくれているので、
観客は事前に何が行われるかを知ることができました。
その上で兵2に扮した重村は、他の誰にも真似できない行き方を突き進む。
例えば、「キャラメルはありません」という何でもないせりふ。
重村にかかると「ぎゃらべりばせん!」という叫びに変化しました。
重村がひとこと発する度に、狭い研究室に詰め込まれた30人が湧き、
部屋が揺れました。思えば、あの時の演出は唐さんの跡を継いで
大学に来てくださった久保井さん。
・・・あの頃に比べると、重村のせりふはずいぶん分かりやすくなりました。
少し寂しいような気もしますが、あの時は同じやり取りを繰り返す
兵2だからこそ威力を持ったのです。
『透明人間』での素晴らしいせりふ回しに期待しましょう。
2023年4月14日 Posted in
中野note
↑坂本小学校跡地の角から撮ったパノラマ写真。右手が言問通り
先日、台東区に行ったので、恐る恐る入谷坂本町に寄りました。
渡英前に2週にわたって大掃除に加わって以来、約15ヶ月ぶりです。
唐さんの卒業した坂本小学校は一面平らなコンクリートになっていました。
もともと校庭だった場所はフェンスで囲われ、
ずっとそうであったようにサッカーのクラブ活動が継続されていました。
が、他はガランとして、変わり果てた平らな土地が広がっていました。
ロンドンから、facebookでの投稿を見ていましたから、
小学校が解体されるプロセスも知っていたつもりですが、
やはり感覚的にはあまりに一足飛びで、愕然としました。
立体的にあったものが、こうまでさっぱりしてしまった。
坂本小学校をはじめ周辺の小学校は、
1923年に起きた関東大震災後に建てられた建物がいくつもあります。
そのために頑強につくられていて、当時の日本の勢いを反映し、
さまざまな意匠も凝らされていました。
太平洋戦争中は福島に疎開していた唐さんは
戦後に下谷万年町に戻り、この場所にあった坂本小に通いました。
相当に内気な少年だったらしいのですが、それが、担任の滝沢先生に
朗読をするよう命じられ、これをうまくやってのけて褒められたところから、
芸能開眼したとのことでした。
当時、滝沢先生は校舎に住んでいたそうです。
それが戦後の混乱期の日常なことなのか、宿直的なことなのか
分かりませんが、夕方、校舎の窓から下校する子どもたちを見送る
滝沢先生を、唐さんはよく憶えているそうです。
それに影響されて、自分もまた坂本小学校を訪ねると、
滝沢先生はどのあたりにいたのだろうか、と想像を膨らませたものです。
ああ、あの校庭と校舎を使って『黄金バット〜幻想教師出現〜』を
上演する機会は永遠に失われてしまったのだと実感しました。
これまでの間に、もっとやっておくべきことがあったのではないかと、
後悔が募ります。
2023年4月13日 Posted in
中野note
↑東京湾入り口にある観音崎はひっきりなしにタンカーが往きます
今日は三浦半島に行きました。
いろいろな場所がありますが、これまでに一番気に入って、
折に触れて訪ねてきたのは横須賀美術館のある観音崎という場所です。
まだ横浜に来て数年の大学生時代、
アルバイトしていたコンビニの店長は、私をいろんな場所に車で
連れ出してくれました。時には深夜のアルバイトを終えて
朝6:00から遊びに行き、朝食を食べさせてもらったこともあります。
その度に、神奈川にはこんな場所があるんだと教わりました。
観音崎もそのひとつで、だから、横浜に来てから2年ほどで、
私はあの場所に親しむようになりました。
2007年3月に初めて『続ジョン・シルバー』に挑んだ時、
「海の見える喫茶店ヴェロニカ」というト書きに悩みました。
あの公演は新宿梁山泊のアトリエ芝居砦・満天星が会場でしたから、
東中野の地下空間にどうやって海を持ち込むかを思案しました。
結果、観音崎に行って映像を撮りました。
そして、深夜に横浜国大のサークル棟にまっさらなパネルを
一面に立て込み、撮影した海岸線から海の映像をプロジェクションしながら
描いたのです。劇団員総出でやった、楽しい作業でした。
喫茶店ヴェロニカはまるでお風呂屋さんのタイル画のように、
海の絵がすべての壁面に描かれたカフェになりました。
芝居が始まる前、会場時間中はそこに撮影した映像を重ねると、
不思議な風合いが出て面白い効果を得られました。
観に来てくれた状況劇場出身の田村泰二郎さんが
「アンゲロプロスの映画みたいだったね」と言ってくれました。
自分にとって望外の賞賛でした。
だから自分の中で、
三浦半島はまっすぐに『ジョン・シルバー』シリーズに繋がっています。
2023年4月12日 Posted in
中野note
↑砂といえば、去年の初夏はThe Albanyで "Sun and Sea" という
インスタレーションオペラを招聘した。砂の仕込みが大変だった
昨日からしきりと、周囲が黄砂のことを話題にし始めました。
「明日、明後日はひどいことになるらしいよ」とか、
「外に洗濯物は干せないね」とか。
今朝、ベイブリッジを渡ったら「風速14メートル」という表示が出ていて、
この大風に乗せられて、砂は西から東へ、遥かゴビ砂漠から日本へ
やってくるのだと実感しました。
目下、本読みWSで取り組んでいる『愛の乞食』には、
愛すべきキャラクター、チェ・チェ・チェ・オケラの
「〽万里の長城から小便すれば、ゴビの砂漠に虹が立つ」
という気楽な鼻歌があって、これを思い出したりもしました。
しかし、車がザラザラになったりして、特に九州や西日本の人たちにとっては
気が気ではないでしょう。
黄砂は日本だけかといえばそうでもなく、去年に暮らしたロンドンで、
大家さんのダイアンから、春にやってくる砂について聞いたのを思い出しました。
ダイアンの家は頑強で分厚いレンガづくりで、そのために冬は暖かく、
夏でも涼しさをキープしています。そのために気温が40度に迫った
異常気象の盛夏ですら、冷房なしで過ごすことができました。
窓は二重窓。
その二重窓に、春になると砂がつく。
キレイ好きなダイアンは毎週水曜にやってくるハウスキーパーの
ロミオに頼んでいつも窓を外から拭いてもらっていました。
その砂はどこから来るかといえば、北アフリカのモロッコからやってくる
のだと聞きました。日本では西から東に吹く風が、イギリスには、
南東から北西の吹くのだと妙に感心したりして。
It's quite romantic that the sand is brought all the way from Morocco!
と伝えたらダイアンは笑っていました。
エリアス・カネッティのモロッコはロマンティック、
チェ・チェ・チェ・オケラのゴビ砂漠は愛嬌いっぱい。
二つの砂は自分にとってそんな感じです。
2023年4月12日 Posted in
中野note
↑残念ながら、こっちの方が断然良かったです!
ずいぶん前に江戸川乱歩版『鐡假面』を入手したと書きました
なにせ昭和20代の本で陽灼けしていたが、読む分には何も問題もなく、
むしろすべての漢字に振り仮名がふってあるから読みやすい。
児童用の本につき文字も大きめでした。
しかし、何かが読みにくい。
ボアゴベの原作は、最後まで苦味ばしった大人の魅力がつきまといます。
虚無感と言ってもいい。悪政を敷く大臣を倒すべく青年たちを率いた
主人公モーリスが投獄され、残された恋人、仲間たちが数十年に渡って
彼を救い出そうと試みるも、ついにその願いは叶わず、
やがて歳をとり死んでゆく話です。
獄中でモーリスがかぶせられたのが鉄仮面であり、
モーリスを中心とした若者たちの夢も希望も、時間さえも、
息苦しい鉄仮面が無惨に覆い尽くしてしまうところに味わいがあったわけです。
ところが、乱歩版は違う。
全てがミステリー。全てが冒険譚。要するに怪人二十面相のノリなのです。
時代がかった口調で、それ自体は慣れてくれば読みにくくはないのですが、
全体にB級感、軽薄さが漂う。
驚いたのは大きなプロットを丸ごと無視しているところで、
時のフランス王の双子が秘密裏に幽閉されており、彼が国王と瓜二つの
顔を見られてはいけないために鉄仮面を被せられている、という設定が
丸ごと無し。主人公モーリスを救い出そうとした一党が、この王の双子を
助け出してしまうという運命の皮肉が思い切りパスされていました。
その代わり、なんだか怪しげなドクロ顔の男が登場したり、
別の姿に化けていたあの男は実は・・・、と言った具合に、
明智小五郎がいつ登場してもおかしくない言い回しばかり。
最終的に、あの原作が持つ無常感、そこからくる抒情性はどこへやら、
いきなりとってつけたようなハッピーエンドで、
主人公モーリスは仲間たちの思惑とはぜんぜん別のところで
勝手に脱獄を成功させ、老体ではあるけれど、
悪徳大臣を倒す他国の抵抗勢力に将として加わっている、
という具合に結ばれます。どうも白々しい。
特に最後の方の展開はグダグダで、取ってつけた感が半端ない。
なんだかんだと時間をかけて読んできて、ラスト数ページの結びに
思わず「・・・そりゃないぜ」と呟いてしいました。
唐さんが幼少期にこれを読んだことは間違い無いでしょうが、
読後の感触としては原作にかなり劣ります。
少なくとも私にとっては。
・・・というわけで、同じ児童文学化されたものだったら、
冒頭に写真を上げた、さとうまきこさんのバージョンが格調高く、
明らかに原作の持ち味を生かしています。
口直しに読んでみようと久々に引っ張り出しました。
唐さんが何を読んでいたかがわかったというのは収穫でしたが、
乱歩版は内容的には問題あり。まあ、こういうこともあります。
2023年4月 7日 Posted in
中野note
↑ヤング・ガン『愛の乞食』公演チラシに掲載されていた広告欄が気になる!
昨日、紹介した唐組ヤング・ガン公演『愛の乞食』のチラシを
しげしげと眺めていると、さらなる発見がありました。
唐さんの書籍の広告が並んでいるなかに、
「唐十郎からあなたへ・・・」の意味深な文字。
さらに「4つの感動をもう一度!」という具合に、
唐組が初期に上演した作品についてビデオ販売が行われています。
『ジャガーの眼』(110分)
『電子城』(120分)
『セルロイドの乳首』(125分)
『透明人間』(95分)
・・・知らなかった。
自分は恥ずかしながら、このような映像が市販されていたことを
知りませんでした。昨日に紹介した年表から考えると、1989-90年に
公演した4本を収録して販売したということになります。
この情報を得て納得がいったのですが、
だから、9年前からYouTubeに上げられている唐組版『ジャガーの眼』は
おそらくこのビデオを違法にアップしたものだということです。
それも分かってきました。
この4本だと、やっぱり観たいのが『透明人間』初年ですね。
パッとネットの中古市場を見たところ見当たりませんが、
これは今後、いつも頭に置いて探したいもののひとつ。
Kさんが送ってくださったチラシの効能がここにもありました。
という報告です。再度、感謝!!
2023年4月 6日 Posted in
中野note
これは凄いぞ!
先日、3/28(火)の投稿「誰か教えて!〜ヤングガン公演」に対し、
貴重な、あまりにも貴重な第一級の資料とお手紙が寄せられました。
送ってくださったのは、おそらく長年の唐十郎ファンであり、
私たち劇団唐ゼミ☆の常連でもあるKさん。
中には、私が気になっていたヤング・ガン公演『愛の乞食』のチラシが
入っており、Kさん自らが丁寧に整理してくださった手書き年表も
付いていました。
整理すると、下町唐座〜劇団唐組の黎明期は次の公演があったようです。
下町唐座
1988年春 『さすらいのジェニー』
1988年秋 『少女都市からの呼び声』
劇団唐組
1989年春 『電子城 背中だけの騎士』
1989年秋 『ジャガーの眼』
1990年春 『セルロイドの乳首』
1990年秋 『透明人間』
1991年春 『電子城Ⅱ フェロモンの呪縛』
1991年秋 『電子城Ⅱ フェロモンの呪縛(再演)』+ヤング・元公演『愛の乞食』
1992年春 『ビンローの封印』
という具合です。
Kさんの説明で、かなり基本的なこともわかりました。
例えば、唐さんのWikipediaで作品リストを見てみると、
それが初演のみの記述であることがわかります。
下町唐座の『少女都市からの呼び声』再演。
唐組での『ジャガーの眼』再演と『電子城Ⅱ』の春秋連続公演。
もちろん、ヤング・ガン『愛の乞食』はウィキ情報からは抜け落ちています。
このあたりの流れがよく分かったのは大きな収穫です。
これら再演物の多さは過渡期にあった唐さんの試行錯誤を
如実に想像させ、90年代半ばのカンテン堂シリーズや
2003年の『泥人魚』演劇賞総ナメ=唐組スタイルの完成の重みを
より深く、熱く感じさせます。
一方、私の仮説は崩れました。
作品内容から言って、ヤング・ガン公演『愛の乞食』→『透明人間』執筆の
流れを想像していましたが、事実はその順番に反していました。
一方、Kさんからは、1987年に李麗仙さん演出の秘演会で『愛の乞食』が
取り上げられたという情報も寄せられました。状況劇場末期のことです。
これらをどう考えたら良いのか、本読みワークショップを進めながら
同時に思案していきます。
Kさん、ありがとうございます!
2023年4月 5日 Posted in
中野note
↑「カプカプひかりが丘×新井一座 人材育成講座」実施中
先週末、2022年度末〜2023年度頭にかけて、
これまで準備してきたイベントを二つ実施しました。今日はその報告です。
一つは、「カプカプひかりが丘×新井一座 人材育成講座」です。
実施は3/30(木)。横浜市旭区の福祉事業所カプカプひかりが丘と
体奏家の新井英夫さんを中心とした一座が集まって行うワークショップの手法を
学ぶ受講生たちが集まり、一日を過ごしました。
受講生たちは皆、腕に覚えのある人がたくさんいて、
そのことも豪華な集まりなのですが、それぞれが新井一座に影響を受けた
アイディアを試すなど、主体性の強い回となりました。
終了後は車座になって2時間半くらい語り明かしましたが話は尽きず
きっと2023年度も続けていこう!と言い合って別れました。
ロンドンにいた2022年6月頃に持ち上がった企画でしたが、
カプカプの日常、新井一座の手腕、受講生してくれた皆さんとの関係が
スタートしたこと、どれをとっても絶大な実りを自分にもたらしてくれました。
あと二年は継続して、受講生の皆さんがきっちり活躍し始め、
他の福祉施設でもこういった活動が行われる端緒まで持っていきたい。
明確な結果を目指して逆算しながら事を進めていくつもりです。
ワークショップやって良かった!ではなく、実際に各地で受講生が
福祉×舞台芸術の力で、出会った人たちの日常を変えていく状況が
続いていくことが目標です。続く!
二つ目は、4/1(土)にKAAT1階のアトリウムと県民ホール前庭で開催した
「クラウンパレード 2023 in KANAGAWA」。
これはクラウン(=道化師)たちの表現の盛んなウクライナのパフォーマーを
支援するために日本のクラウンたちが有志で集まって開催したもので、
1月末に相談が持ちかけられて以来、突貫で進めてきたものでした。
元プロモーターでサーカスや興行師に関する優れた著作の多い
大島幹雄さんの仕切りで17組ものメンバーが集まりましたが、
熟練の技術とアイディア満載の芸が披露されるのを愉しみました。
特に晴天に恵まれて行った県民ホール前庭でのライブは、
会場がイベント用の一等地であることを教えてくれた機会ともなりました。
今後に向けて協働していくパフォーマーとの出会い、新たな会場の発見
という意味でも多くを得た一日でした。
以上2つ。充実!!
2023年4月 4日 Posted in
中野note
↑初演でチェ・チェ・チェ・オケラを演じたのは唐さん本人です
一昨日のワークショップで参加者の一人からとても良いアイディアを聞きました。
これまでに何度も『愛の乞食』を読んだり、一度は上演もしましたが、
「チェ・チェ・チェ・オケラ」というおもしろいキャラクターの由来が
なんなのか分からずにきました。
ところが、参加者のKさんが「チェ・ゲバラではないですか?」
とコメントをくれたのです。1970年初演という時代的にも、
これはかなり説得力があります。「チェ」といえば誰よりも「ゲバラ」。
「ゲバラ」と「オケラ」という語感も似ていますから、これはまず
間違い無いでしょう。
言われてみれば何で今まで気づかなかったんだろう?
とも思いますが、これがみんなで話し合いながら台本を読み進める
ワークショップの効能です。Kさん、ありがとうございます。
最近ではあまりそういう表現をしなくなっているように思いますが、
「オケラ」とは、財布の中が空っぽ、持っているお金が無いことです。
10代の頃にアニメで見たりマンガで読んでいた『美味しんぼ』
という漫画の主人公・山岡士郎は、いつも給料日前になると
「給料日前、オケラ・・・・」と言って同僚をはじめとした周囲に
おごってもらったりしていました。
バブル期の一部上場企業(新聞社)の社員にして見事なその日暮らし
だと今にして思いますが、それ以外に会話の中で「オケラ・・・」という
せりふを聞いたことはありません。自分も言ったことがない。
しかし、なかなか愉快な、味わい深い日本語です。
『愛の乞食』後半になると、チェ・チェ・チェ・オケラが狂言回しの役割を
コミカルに務めます。演者がおもしろく喋る、私の好きなシーンです。
2023年4月 1日 Posted in
中野note
↑明日、KAATの1階と県民ホールの広場でこういう催しをします
エイプリルフールにウクライナの芸人さんたちを支援しようという取り組みです
今日は3/31。年度末に伴うさまざまなことがありました。
まず、事務所内の引っ越し。私はKAAT&県民ホール館長の秘書もやって
いますが、今まで館長室だったところを引っ越すことになりました。
それで膨大な本を片付け始めたのですが、これが大量。そして重い。
午後に始めて4時間、ひとりで四苦八苦しましたが、
途中から津内口や小野寺が手伝いに来てくれてスピードとパワーが
著しくアップし、その3時間後には終了することができました。
まだやり残したことは多いけれど、格好はつきました。
また、自分にとって関わりの深い人たちが退職しました。
KAATの小沼知子さんは、2013年にやった『唐版 滝の白糸』を
担当してくれたプロデューサーです。
あの時、かなり無作法だった自分の教育係、という感じで
あらゆる相談に細やかに乗ってくれ、仕事の合間に個人的な話もよくして
大変に助けられました。それ以来、ずっと友情を感じてきました。
来年度からは別の劇場で活躍するそうですから、担当公演に注目していきます。
もう一人は、佐藤泰紀さん。
佐藤さんは、立ち上がったばかりの共生共創事業のシステムを整えて
くれた人でした。2018年度にこの事業を立ち上げた時、スタッフは3人でした。
ボロボロになりながらたどり着いた年度末シンポジウムの聴衆は、
確か、会場のキャパシティが300人に対し20人くらいでした。
全てがボロボロ。
そこへ、STスポット館長だった佐藤さんが現れて、
事業を支えるシステムをつくってくれました。
初めは数人でやっているのに過ぎなかったグループは、
共生共創課になり、財団内のバリアフリー対応や教育事業を吸収して
社会連携ポータル課となり、課長さんのいる8人とチームになりました。
自分はロンドンから帰ってきてから、今の自分は県民ホールの事業を
メインにしていますが、ここまできちんとした編成になったのは、
明らかに佐藤さんの確かな仕事のおかげでした。
今後、また別の職場に移って活躍するそうです。
狭い業界ですから、また会おう!と言って別れました。
小沼さんと佐藤さん、自分にとって大きな存在でした。
また、年度末ということで唐ゼミ☆で申請していた助成金の結果が発表になり、
採択の内定をもらうことができました。ホッとすると同時に、
『鐡假面』をやらなければ!という切迫した思いが込み上げてきます。
今回、第一報は『オオカミだ!』プロデューサーのテツヤさんから
もたらされました。会議をしていたらテツヤさんからLINEが届いて、
唐ゼミ☆が助成を獲得できたことを知りました。きっとテツヤさんも、
別にプロデュースしている団体の結果を見ていたのでしょう。
以前は、こういうニュースを持ち込んでくれるのは、
ネットサーフィンの鬼である室井先生でした。
ああ、先生はいないのだな、と実感したり、新たに私たちを応援してくれる
テツヤさんがありがたいな、と思ったり。
人の不在を胸にせまる中にも、確かに新たな関係性があることを実感する
感慨深い一日でした。
明日は、冒頭のポスターにあるように、クラウンたちが大集結して
芸を披露するクラウンパレードを行います。
サーカスの興行師にして研究者でもある大島幹雄さんから持ち込まれた
企画です。大島さんの著作の大ファンを自分としては、きっちり運営を
支えようと意気込んでいます。
2023年3月30日 Posted in
中野note
↑手製のアンパンマン号とおもちゃセット。これが1歳児の心をわしずかみ
年度末なのでさまざまなイベントの仕上げをしています。
ロンドンにいた時から準備してきた「カプカプひかりが丘×新井英夫一座」の
ワークショップもそのひとつ。
本当は3/1で終わるはずだったけど、
12月に予定していた回が延期になり、3月末が最終回になりました。
おかげで、春のひかりが丘団地を味わうことができた。
初めは5回のつもりが、準備のためのオンライン会議や
中止になった回をササマユウコさんがフォローしてくれた回を含めると
10回くらい集まった感じです。
すでに福祉×アートの現場で活躍している人、
これから活躍したい人、ジャンルや職分、世代もバラバラの人たちが
集まって、良い集まりでした。元締めをやったおかげで色々な知り合いが
一気に増え、視野が急激に拡がりました。
中には乳児連れで参加してくれた人もいて、
写真はアンパンマン号を椎野が作って持たせてました。
椎野は年度末の事務処理があって現場に来ることができませんでしたが、
赤ちゃんが何を与えれば喜ぶか、遠隔操作でもたちどころに当てることに
驚きました。
お母さんのワークショップ参加をサポートしようと思って自分が
子どもの相手をしようとすると泣かれましたが、
参加者のみなさんがずっと子どもの相手をするのが上手くて、参りました。
最終回だったので終わった後の話し合いは2時間半におよび、
みんなが別れを惜しみながら帰っていきました。
助成金が取れたらまたやる! そういう締めをしました。
車で人を送った後は良い気分になり、
CDを買ってから帰ろうと横浜ビブレに行きました。
妙に閑散としている店内を不思議に思いながらエスカレーターを上がると
タワーレコードにお客が一人もおらず、21:00閉店だったことを初めて
知りました。(以前、地下一階にあった時は22時だった)
閉店時間に着いた私が諦めようとすると、
「買うものが決まっているなら」と店員さんが待ってくれました。
時短のために狙っていたものを一緒に探し、見つけると、
締めるのを待たせておいたレジ打ちをしてくれ、
「ひょっとしたら止まってしまっているかもしれないから」
と、その人がエスカレーターまで送ってくれました。
こうした"個人の裁量"的な部分は、現在では絶えてないことです。
(ロンドンではたくさんあったな)
こうしたことをネットで書くと、むしろ「我も我も」とワガママ客が
訪れる可能性を生み、店をあげて「やはり閉店時間きっかりに終わりましょう」
などとかえってルール徹底するような世の中でもあります。
このブログは社会に対して大した影響力が無いだろうから書きました。
やっぱり人間的な対応を受けて、希望を持ったからです。
明日は職場の掃除。良い年度末です。
2023年3月29日 Posted in
中野note
夜の散歩中。
『鐡假面』探究のために公衆トイレを求めてウロウロしながら、
初めて池上本門寺に行きました。
階段を登ると立ちはだかる仁王像の乳首の造形に感心。
さらに歩くと約400年前に建てられた五重塔があり、
若者たちが連れ立って写真撮影をしていました。
そのたもとには、彼の力道山の墓を案内する看板あり。
この場所にお墓があるとはとんと知りませんでした。
去年亡くなったアントニオ猪木さんも、
きっと何度もここに足を運んだんだろうな、
と思いつつ、うねうねと続く墓地の隙間の道を下って帰途につきました。
公衆トイレは無かったけれど夜桜の花見を一人でしました。
自分は花鳥風月に疎く、今の時期だからといって花見をしようとは
思わないのですが、結果的にはベストな場所に躍り出てしまった。
なかなか良い夜の徘徊でした。柄になく雅やかな気分です。
今日は短め!
2023年3月28日 Posted in
中野note
↑見よ。70年代、唐さんのヤングガンぶりを!
唐組の春公演の仮チラシを手に入れました。演目は『透明人間』。
『透明人間』こそは『秘密の花園』と並ぶ唐組の当たり狂言です。
いやむしろ、本多劇場の柿落とし公演として書かれた『秘密の花園』より、
そもそもが唐組初演の『透明人間』こそ、ザ・唐組の演目と言える!
聞くところによれば、
『透明人間』は1990年に初演された後、90年代半ば過ぎに
現在の座長代行である久保井研さんによって再発見されたそうです。
久保井さんは夏に行う内輪向けの新人発表のために『透明人間』を
取り上げ、これが好評を博す。結果、水戸芸術館で(テントでなく劇場内)、
1998年2月に二日間のみの上演につながり、2001年秋に
新宿西口に『水中花』というタイトルでの上演・・・・・という具合に
再演を重ねていったそうです。
私が観たのは大学3年時に上演されたこの『水中花』からで、
初見で、なるほどこれは傑作だと痺れました。
その後、シアターコクーンで南河内万歳一座の内藤裕敬さんが
演出した『調教師』も含め、その再演を見逃さずに過ごしてきています。
さて、「ヤングガン公演」の話題です。
目下、唐ゼミ☆本読みWSで取り組んでいる『愛の乞食』こそ、
唐組の初期に「ヤングガン(=若い銃)公演」と銘打たれ、
劇団に集まった若手を登用して取り上げられた演目でした。
私の想像では、このヤングガン公演『愛の乞食』の後に
『透明人間』は書かれ、だからこそこの二作品は大変に似ています。
どう似ているかはまた今度お話ししますが、
自分にとってどうもはっきりしないのは、
ヤングガン公演および初期唐組の活動全般です。
下町唐座を経て、唐組が発足する。
『電子城』があるか思えば、YouTubeに上がっている『ジャガーの眼』を
大久保鷹さんも出演して上演した形跡があるし、ヤングガン公演もある。
このあたり、自分はどうも整理しきれていません。
せっかくなので1990年前後の唐組の活動について整理したいと考えてみます。
久保井さんにお願いして飲み屋でご教示願うのが良いかもしれませんが、
案外、関わってきた本人も憶えていないかも知れません。
ヤングガン公演を観たという人がいたら、誰か教えてください!
2023年3月24日 Posted in
中野note
↑外装、照明が洗練された現代の駄菓子屋「ヴィルトゥ・サトウ」
横浜の片倉町、TSUTAYAやとんぱた亭の近くにあります
最近、駄菓子屋に行きました。
人生で最後に駄菓子屋に行ったのはいつかは思い出せませんが、
中学生の時以来だと思います。
ここは、『オオカミだ!』公演を一緒につくった
プロデューサー・テツヤの奥さんがやっているお店で、
横浜市の片倉町にある駄菓子屋です。
名前は「Virtu Sato(ヴィルトゥ・サトウ)」と駄菓子屋らしからぬ
カッコよさですが、コンペイトウ10円からの買い物が出来ました。
確かに駄菓子屋です。
自分が「駄菓子屋」を発見したのは、
あれは小学校二年の時だったと記憶しています。
一年生の遠足の時、自分はまだ駄菓子屋を知りませんでした。
だから、上限200円と設定されたおやつ代を二品で使ってしまった
のです。ところが、友人に連れられて駄菓子屋を始めて訪ねた時、
"革命"が起きました。何しろ、200円もあれば延々と買い物が
できるのです。ヨーグルトとか、五円チョコとか、
カゴに山盛り選んで買えるようになりました。
メンコも買った覚えがあります。
「ヴィルトゥ・サトウ」では、娘は10円のコンペイトウを二つ買い、
息子は60円のシャボン玉製造機を買いました。
4月に小学生になる息子はすでに世の中の道理を理解し始めており、
これまで知っていた100円均一を凌ぐリーズナブルな買い物に
甚く感動していました。自分が駄菓子屋を発見した時と同じ、
「オレの持ち金でしこたま買い物ができる!」というあの喜びです。
韓国やベトナムに行った時、これだけ食べてこの安さ!
と感動した感覚まで思い出しました。ロンドンは高すぎましたが。
一個10円のコンペイトウの商売の中で、
原材料費、製造料金、輸送料金、ヴィルトゥ・サトウの利益が
どう含まれるのかは謎ですが、ともかくも駄菓子屋は目の前に
建っています。行くべし!
『オオカミだ!』のTシャツとポストカードも売っていて、
このひと月ちょっとで何点か売れたそうです。
2023年3月23日 Posted in
ワークショップ Posted in
中野note
昨日から本読みワークショップが新たな演目に入りました。
『愛の乞食』です。もともと1970年に初演された本作ですが、
いくつもの掲載誌がありますので、内容に入る前に、
今日はざっとそれらを紹介しましょう。
1970年2月 文芸総合誌「海」1970年3月号に掲載
1971年11月 中央公論社より単行本『煉夢術』に掲載
1975年7月 角川文庫より『戯曲 吸血姫』に掲載
1979年6月 『唐十郎全作品集 第二巻(冬樹社)』に掲載
という具合です。
この台本に関して、私は版の違いによる比較検討はまだしていません。
ワークショップは全作品集版をもとに行なっていきますが、
やはり気になるのは初演より約半年前に掲載された文芸誌「海」版です。
上演を通じた現場の事情により、唐さんが台本を書き換えることは
ままあり、だからこそ着想のままに書いた原典版への興味はつきません。
この中でオススメなのは角川文庫版です。
手に取りやすく、『吸血姫』『愛の乞食』というゴールデンペアが
一冊になっています。安く見かけたら、買い!です。
ちなみに、上演記録では、この作品を状況劇場が初演した際
タイトルは『ジョンシルバー 愛の乞食篇』と銘打ってあります。
確かに「ジョン・シルバー」が大きなモチーフになっていますし、
『ジョン・シルバー』『続ジョン・シルバー』と続いてきた流れに
属する作品です。
が、内容的に第三部にあたるかといえばそうでもありません。
『愛の乞食』は独立した意味合いの強い劇ですが
おそらく、唐さんは興行成績を強く意識して公演の際に
そう名付けたものと考えられます。
その辺りは本読みを進めるうちにわかってきます。
内容はまた明日!
2023年3月21日 Posted in
中野note
↑ずっと前に、NHKで関鉄之助を川谷拓三さんが演じた番組を見たこと
あって、それがずっと印象に残っている
今回の水戸行きはなかなかタイトな日程でしたが、
それでも、バッタ以外にも水戸を楽しみました。
まずは、水戸芸術館に入っているレストラン「チャイナテラス」。
以前はフレンチレストランだったと記憶していますが、
それが今は中華料理に。でも、単なるアートセンター付属の
食べ物屋さんに終わらず、かなり豪華なレストランであるという
特性は変わっていませんでした。リッチに昼食を食べたり。
夜は、水戸芸術館の学芸員さんに教わった「中華料理 北京」。
水戸の夜の繁華街である大工町の中にありましたが、
これがなかなかの店でした。個性的なおじさんが厨房、
ホールをすべて一人でこなしており、その手際の良さ、
喋りの面白さ、私たちが食事している間にやってくる常連さんの
個性派ぶりに唸りました。
↓中華料理・北京の外観
アンコウやウナギも美味しい水戸からすれば
セオリー無視の昼夜ともチャイニーズでしたが、これが美味しかった。
帰り際、北京のおじさんには系列別店舗も薦められ、
9月に来られたら行ってみたいと思いました。商売上手!
あと、最終日の早朝に回天神社まで走ってみました。
那珂川を望む場所にある神社で、ここには、幕末の水戸を生きた
人々が眠っています。
安政の大獄のリーダーだった関鉄之助。
幕末の青年藩士たちの精神的支柱であった藤田東湖。
その息子で、天狗党の乱のリーダーの一人だった藤田小四郎。
誰より、水戸天狗党の人たちのお墓がずらりと並び、
その墓跡の姿形の同じこと、並び方の整然としたことから
往時の政争に敗れた面々への処刑の凄惨さが実感できました。
時代は違いますが、水戸黄門で有名な「格さんのお墓」があって、
何かホッとさせられました。千波湖や偕楽園など、
他にも久々に行ってみたい場所はありますが、それはまたいずれ。
↓いつも常磐道で利用していた守谷のSAも様変わりして新しく!
2023年3月20日 Posted in
中野note
↑初期唐ゼミ☆メンバーを含め、バッタを通じて多くの人と知り合って
きました。今回もまた新たな人たちに支えられました
3/19-20と水戸に行ってきました。
水戸芸術館で巨大バッタのバルーンを設置するためです。
バッタ自体が表に出るのは2014年以来9年ぶり。
作品を収蔵している水戸芸術館での設営は・・・、
今回は久しぶりのテストということで、
スタッフ募集以外は広報もせず、あれが今も設置できるかどうか実験し、
各機械が正常に稼働し、摩耗や汚れの修復可能性について調べるために
巨大バッタを出したのです。
土曜の深夜に水戸に付き、日曜の朝から作業スタート。
10名を超えるボランティアの皆さんと、プロの業者さん、
水戸芸術館のスタッフ、室井先生とバッタをつくった椿昇さんと
協力して、昼過ぎにはバッタを膨らませることができました。
唐ゼミ☆メンバーの齋藤がいれば、バッタに空気を送り込むための
扇風機(ブロアー)の付け方や、安全性や姿勢のカッコよさを
確保するためのロープワークがスムーズにいったはずです。
今回は自分だけで行ったので少し思い出すのに時間がかかりましたが、
それでも、確かに膨らみました。
初期の頃より明らかに張りが弱くブヨブヨしていますし、
ところどころ汚れのひどい箇所もあり、そういう部分を今後どうしたら
良いか、調査しながらの設置でした。
内部に入って、積年溜まったゴミを掃除機を持ち込んで掃除しました。
養生テープや砂利、草など、ずっと前にバッタに入ったきり
一緒に収蔵庫の中に入っていたものが吐き出されました。
水戸芸術館では、秋に本格的な展示をしようと計画しているそうです。
今回とったデータがひとつひとつ検討され、もっと立派に展示できるべく
学芸員の皆さん動いてくださるそうです。
何より、今回、久々にバッタを出すことで、
設置のためのノウハウが参加した人たちにシェアされたのが大きい。
あれは小学生でも理解できるすごく単純な仕組みで動いていますが、
とにかく作業に人数が必要なために頻繁に出すわけにはいきません。
出さなければ、みんなやり方を忘れてしまいます。
それが、伝授されたことを喜んでいます。
学生時代に一緒だったメンバー、過去に水戸に来た時に知り合った
人たちとの再会がたくさんありました。
以前は一軒家のレジデンスでみんなで雑魚寝していましたが、
今回はキレイなホテルに泊めてもらい、豪華な朝食付き。
月日が経ったことに感動もしました。
水戸への移動自体も、一人で自家用車を駆ってスイスイ。
秋の本格展示は、唐ゼミ☆の動きや神奈川県民ホールの仕事次第ですが
もちろんできる限り駆けつけたいと思っています。
2023年3月18日 Posted in
中野note
先ほどから雨が降り始めました。
予報によると明日、土曜日いっぱい雨だそうで、
そのために3/18(土)に水戸で取り組むはずだった巨大バッタの
テストが日曜日からになりました。
本来は夜のうちに水戸にいるはずが、家に帰ってきました。
そして、帰ってきた格好のままで、床にバタンと寝てしまった。
本当にバタンキューな感じで、さっき起きて笑ってしまいました。
現在、3:33。数時間遅れで、ゼミログを書き始めました。
今年に入ってから、実はこんなことが数回ありました。
正確に言うと、昨日はなんだか倒れ込んでしまっただけなのですが、
これまでは、いつも次のものをかじった結果、バタンキューでした。
チョコレートのラミーです。
ラムレーズン、つまり少しアルコールが入った冬季限定のお菓子です。
今はもう春の兆しを受けて店頭から消えてしまいましたが、
ちょっと前まではスーパーには潤沢にこれがあって、
椎野が好きでよく買い込んできました。
で、私は帰宅後にこれをかじる。
すると、どうにも良い気分になりました。
良い気分になって、いつもは帰ってからしてきたこともできずに
そのまま床でグダグダと寝てしまうのです。
要するに、私は酔っ払っていました。
お酒を飲む人には笑われるでしょうが、体質的に酒の飲めない
私にはこのラミーが「適量」だったのです。
フワフワして何もしたくないし、何もできない。
意識が鈍くなるのがちょうど良く、そのまま寝てしまう・・・。
ああ、酔っ払いの人はこんな感覚で過ごしているのだ。
この冬は何回かそう思いながら気持ち良く過ごしました。
そういう感覚にハマって数回、かなりだらしなく寝ました。
もちろん、私の中の酔っ払いの筆頭には唐さんがいるわけで、
大好きな「いいちこ」を飲んで、「バタンキュー!」と言っていた
唐さんはこんな感覚だったのかも知れないと、追体験してきました。
昨晩はラミーは無かったので、単なるバタンキューです。
さらに思い出すと、私が子どもの頃、
深夜まで働いて帰ってきた父が、居間にワイシャツのまま
転がっていたことがありました。
数時間前の自分はまさしくそういう感じだったので、
そんなことまで思い出しました。
これから始まる一日は雨が降り続けて、気温も低いままだそうです。
でも、これを超えたら、春に向けて季節がぐっと変わるはずです。
水戸のバッタが日曜になったので、明日はひとつイベントに参加します。
6歳になった息子は、保育園の卒園式を迎えます。
2023年3月16日 Posted in
中野note
↑小山祥平くんとポスター前で記念撮影しました
新国立劇場に『ホフマン物語』を観に行ったら、小山くんに会いました。
小山くんとは、彼が大学一年生の時からの知り合いです。
一見、無表情に見えるがなかなかの熱血漢で、
いろいろなものに好奇心旺盛に飛び込む。
往々にして若手はみな女子の方がアグレッシブですが、
小山くんは今時の男子にしては珍しいタイプです。
望月六郎監督の指導する講座で映画を撮ったし、
他のさまざまなイベントにもフットワーク軽く参加してくる。
新宿中央公園で『唐版 風の又三郎』を公演した時には
航空兵のひとりとして出演してくれ、ずいぶん助けられました。
ほとんど初舞台のようなものでしたが、
特訓の稽古を行っているうちに、メキメキとせりふも伸びました。
全体の稽古とは別に、航空兵練習の日を設けたのをよく覚えています。
小山くんは少しボンヤリした風貌が不敵で、それでいて熱演します。
自分から見た彼の人柄もそんなふうで、大人しそうだと侮っていたら、
全裸で何人もの青年たちが全力疾走する映画を撮ったり、
その後には『死神 ドクター・テケレツ』という作品を監督して、
活躍しています。
新国立劇場のトイレでばったりあった時も、
一般に敷居の高いオペラを小山くんが観に来ていることに
驚きました。若者向けの割引を利用してたびたび観るらしく、
なかなかにアンテナを張っています。
しかも今回の『ホフマン物語』では、彼が興味を持つ
「人口美人」「自動人形」のオリンピアが原作『砂男』により
登場するために、それで注目して来場したのだと言っていて、
納得しました。
同じような主題では『長谷雄草紙(はせをぞうし)』という
日本の古典があり、これも、ある男が女性の死体から美しい部分を
繋ぎ合わせた「人口美人」に対する話だよ、と伝えました。
実はこれ、唐さんからの受け売りです。
『下町ホフマン』や『夜壺』からもわかるように、
唐さんもホフマン好き。今度会ったら、そのことも伝えたいものです。
↓唐さんから教わって買った『長谷雄草紙』の絵巻が入った本
2023年3月15日 Posted in
中野note
↑目黒区民センター公園には変わった公衆トイレがあった
三月は忙しない。
助成金申請や神奈川県民ホールでの仕事、
観に行きたい劇やオペラやイベント、
週末の水戸バッタの準備などありますが、
深夜に公園めぐりをしています。
秋にやろうとしている『鐡假面』の舞台は公園。
公園にある公衆トイレに夜な夜なホームレスたちが集まり、
ファッションショーを繰り広げている、という設定です。
劇の後半ではそれが見世物小屋に変わります。
公園を管理する役所の公園課長が夜な夜な見世物小屋を
開いている、という突飛な設定です。
唐ゼミ☆が初めて『鐡假面』に取り組んだ2007年、
自分はまだ26歳で、その時点で交流することのできた社会人は
ごくごく限られた人たちでした。
それが、あれから15年が経ち、何人もの県庁や市役所、
区役所とやりとりする機会を持つことになりました。
さまざまなタイプに接してきましたが、
やはりオフィスでの静かな働き、堅実な実直さはどの人も
共通しています。だからこそ、あの中の誰かが夜な夜な
公園の公衆トイレを見世物小屋に改造してショーをしていたら。
具体的に考えるほど面白い。
以前よりはるかに具体的に想像して笑えるようになりました。
各地に出かけながら、気になる公園を覗きます。
ファッションショーや見世物小屋になるにふさわしい景色、
公衆トイレはないものか。
そんな取材が息抜きにもなっています。
2023年3月13日 Posted in
中野note
↑あまりの堂々ぶりに目を疑い、そのあとで勇気が出た
土曜と日曜は鎌倉に行きました。
鎌倉といっても大船駅から歩いたところにある鎌倉芸術館です。
ここで、県民ホールが主催するオペラ『ヘンゼルとグレーテル』の
子ども用ハイライト版が上演されたのです。
そこで帰り道にあっぱれな看板を見ました。
決然とした迷いの無いロゴです。
宝飾品、メガネ、補聴器、時計などを扱うお店だそうです。
創業は1946年。この創業年にも力強さを感じます。
パンデミックが起きて数ヶ月があった頃、
ニュースでコロナビールが倒産したと聞いて愕然としました。
まったく関係ないことが誰にもわかっていながらアウトなのです。
その中で、このお店はよく自らを貫き、生き抜いたものです。
信号待ちをしながらこの堂々たる看板を見て、喝采しました。
そういえば、前回に同じ鎌倉芸術館に来たのは2019年に
安藤洋子さんのシニア向けワークショップでのことでした。
あの時、多くの鎌倉市民の皆さんとの出会いがあり、
皆さんの参加は今も続いています。
当時、ワークショップ会場の下見と打合せを終えたあと、
大船駅に向かう間の道にあった焼肉屋で昼ごはんを食べた記憶があり、
今回、久々にその前を通りました。
まだ営業している!
コロナが流行してから焼肉やお鍋の店は大変だったはずです。
けれども生き残っている。お互いよく生き延びたものだと、
こちらにも嬉しくなりました。
2023年3月10日 Posted in
中野note
↑奥から手前に乗り換えています。親亀の上に子亀みたいに。
子どもの頃、多くの親たちに忌み嫌われた『おぼっちゃまくん』
という漫画がありました。私はアニメから親しみ、
後にコロコロコミックを買って読むようにもなりました。
あの中で繰り広げられる下品なやり取りが大好きでした。
最近になって自分が子どもを持ったことで、
例えばおぼっちゃまくんと彼の父の間に繰り広げられる
コミュニケーションが、かなりリアリズムであることも
分かってきました。
あの漫画の輝きと説得力はいやますばかりです。
さらにおぼっちゃまくんは、自分に別の影響を与えました。
何せ、同じ服ばかり買ってしまうのです。
ご存知のようにおぼっちゃまくんは同じ服を際限なく持っていて、
いつも着替えて清潔を保ちながら、
見た目は一向に変わらないという生活を送っています。
自分もまた同様で、気に入りの服や持ち物が
モデルチェンジせずに売っている間は同じものを買ってしまう。
だから、見た目にはずっと同じ服を着ているわけで、
人によっては内心、不衛生なヤツだ!と思っているかもしれません。
でも、ちゃんと着替えて同じ格好をしています。
スティーブン・ジョブズではなく、おぼっちゃまくんの影響です。
実は今、パソコンを更新しています。
コロナ禍の始まりの頃、娘が当時使っていたラップトップに
ヨーグルトドリンクをたっぷりかけて破壊しました。
それがきっかけで定額給付金で新調。
以来、ずっと使ってきたものがバグり始めたので、
かねて買ってあった新品に乗り換えつつあります。
一緒に海外研修を乗り切った相棒でもありました。
新しい方を買ったのは2022年1月。
渡英直前です。昔、室井先生がサバティカルでヨーロッパに
行った時、パソコンを盗まれて大騒ぎしていたのを思い出した自分は、
恐怖に駆られてスペアを買っていきました。
幸い盗難も紛失もありませんでしたが、
ここにきてようやく新品の稼働となりました。
もちろんおぼっちゃまくんのように外見は全く同じものです。
最近、このパソコンを見た人に
「中野くん、向こうで男の人に誘われなかった?」と訊かれました。
このピンク色は、そっち系がオッケーのサインらしいのです。
オッケーではありませんが、気に入り色なので引き続き使います。
2023年3月 9日 Posted in
中野note
2007年の展示より。ちょうど『鐡假面』に初めて挑んでいた頃だ!
来週末、3/17(金)に久々に水戸に行きます。
目的は、水戸芸術館に収蔵されているバッタのバルーンを
久々に膨らませるため。実施自体は3/18(土)-19(日)です。
昨日はそのための打ち合わせがオンラインで行われました。
水戸の学芸員さんたちと、椿さんと、4人での話し合い。
室井先生の代理を引き受けたものの、
東京都千代田区で最後に膨らませてからもう10年近く経つし、
どういう作業行程だったかあまりよく覚えていなかったのですが、
話すうちにまざまざと思い出しました。
水戸芸術館の収蔵庫の様子。
クレートと呼ばれる車輪付きの巨大な箱にバッタ生地が
収められている様子。ブロアーと呼ばれる扇風機が予備も含めて5台。
アンカーを打つためのペグやロープ。カラーコーンとバー。
それらを収蔵庫から出し、噴水の前の庭に持ってくるまでの道筋。
仮設電源からコードを引っ張ってバッタのお腹の部分に持ってきた時の
あのバッタの干物状態。そこでロープワークをして・・・
話しているうちに、
水戸でバッタを膨らませながら絡んだ
パフォーマーのユキンコアキラさんや
ドラッグクイーンの恰好で野点(のだて)をするきむらとしろうじんじんさん
のことも思い出しました。
久々に思い出したのでネットサーフィンし、
現在も活躍されていることを知って嬉しくなりました。今もやってる!
ただし、先ほど書いたロープワークだけはずっと劇団員に任せきりで
きたので、あとで齋藤に連絡してどんな結び方をしたか聞きます。
来週末ではありますが、今のところ天気予報は晴れ。
ボランティアスタッフも集まり、なんだか女性が多いようです。
これまでもそうでしたが、女子は積極的。男子も集まれ!
最後に水戸に行ってからずいぶんと時間が経ち、
一人で車を運転して深夜に水戸入りすることになった。
そんなことにも感慨があります。
2023年3月 7日 Posted in
中野note
↑ハレノワに、神戸、三重、神奈川から劇場で働くメンバーが集まりました。
今日は『秘密の花園』レポートその②、と思っていたのですが、
精も根も尽き果てて頭が動きません。
そこで、この二日間にあったことを書きます。
昨日から岡山市に行ってきました。人生初の岡山です。
目的は9月にオープンする新劇場ハレノワを見るためで、
単に施設見学するだけでなく、三重や神戸から集まった
劇場界の仲間や先輩と会合を持ちました。
噂には活躍を聞いていたけれど初対面の人。
オンラインでやりとりしてきたけれど、直接に話すのは初めての人。
何人もが、それぞれの土地で熱心に活動していることを知り、
話し合いが盛り上がりました。
自分はロンドンやイギリスで体験したことを報告して、
将来は移動型公共劇場をやりたいという目標を語りました。
月曜の夜に岡山入りして飲み会。
それが終わると深夜徘徊がてらランニングをして、
目ぼしいラーメン屋に飛び込んだところ、これが大当たりでした。
少し並びましたが、自分の後ろにいた地元の二人が街や飲食店について
説明してくれて、人にも恵まれました。
↑醤油ラーメンの名店 中華そば山冨士
深夜にホテルに帰り、マグカル助成に応募するための企画書を書き、
少し寝て、早朝からはロンドン体験のプレゼン準備をしました。
紹介したい写真を整理していると、イギリスで世話になった多くの人が
思い出されて、彼らがどうしているだろうかと気になったり、
まだ何も成し遂げていない現状に苛立ったりもしましたが、
あの国で生活して体感が甦ってきました。
朝食後に市内を走りましたが、
想像していたよりかなり大都会で、喫茶店が多くあり、
面白い屋号や看板をたくさん発見しました。
見つけた大衆演劇の劇場も、時間があったら入ってみたかった。
文化施設もいくつか見て回り、
ホテルでシャワーを浴びて改めて出かけると、
噂に聞いていた福祉事業所「ありがとうファーム」を訪ねることもできました。
高級な牛肉の切り落としを使ったカレーはかなり美味く、
店にいた人たちにこの施設の取り組みについて説明を受けることもできました。
なんと!、メインスタッフの方が自分がKAATで働き始めた頃に
ベトナムから招聘したヌーボーシルク『AO SHOW』を観に来てくれていたと聞き
感激しました。
↑右から「ありがとうファーム」の馬場さん、深谷さん、一番左が元同僚で
今は神戸に移った熊井さん
飛び込みで行ったりにも関わらず、
手厚く相手をしてくれたファームの皆さんに感謝が尽きません。
主目的の新劇場ハレノワは、開館直前の狂騒が伝わってきました。
4時間以上たっぷり、熱心に話して、冒頭の集合写真を撮って別れました。
現在は岡山地区限定の高級きびだんごを買って、新幹線の中です。
疲れたけれど、良い疲れです。本読みながら帰ります。
劇団員の林麻子は以前に水害に遭った真備町の出身で、
彼女がどこから上京し、あの時は心を痛めながらどのように帰省したのか
想像できるようになりました。前に劇団員だった土岐くんも岡山出身です。
今度会ったら、彼らと岡山について熱く語り合うつもります。
2023年3月 3日 Posted in
中野note
↑終演後に齋藤を囲んで。右側は大学院の先輩にして、
かつて戸塚高校定時制に唐ゼミ☆公演を読んでくれた木村剛先生
昨日は清水に行ってきました。駅前にある劇場マリナート。
これは2013年以来、実に10 年ぶりのことです。前回は、唐さんの娘さんの
ミニオンが出演する『美しきものの伝説』を見ました。
桐山知也さん演出の、ズラリと棺桶が並んでドキリとさせられる舞台でした。
あの時は、椎野や禿と一緒でした。
今回は、劇団員の齋藤亮介が舞台監督を務める
話題のダンスカンパニー・ケダゴロの公演を観に行きました。
『ビコーズカズコーズ』という作品です。
福田和子さんを題材にした75分のダンスでした。
殺人を犯すも警察に捕まらず、美容整形をして各地を逃げ回った女性。
時効寸前で逮捕された彼女がインスピレーションのもとになっていました。
逃げ回ろうにも、結局は「逃げられない」。
作品の中でカズコーズ(8人いるから複数形)を追いかけるのは
アイザック・ニュートンとアインシュタインで、彼らの論理から地球人は決して
「逃げられない」。新型コロナウィルスからも決して「逃げられない」というのが、
全編を読み解くキーワードでした。
要するに私たち人類は皆、福田和子なのです(タイトルそのまま笑)。
なかなか痛快な断言です。そういえば唐さんもかつて、
「世界はすべて台東区なのだ!」と高らかに断言したことがあります。
・・・実は、あまりにギリギリで会場に着きすぎて、
タイトルの意味、福田和子さんが題材になっていると知ったのは終演後で、
それでだいぶ得心がいきましたが、本当にサラの状態で見ながらも、単純に
「よくここまでダンサーの体をいじめるもんだ」
「よくこのようなセットと音楽の組み合わせを思いつくもんだ」
「よくこういった特徴ある演者を集めたもんだ」
という感心で75分間を観て、さらに終演後の客席でパンフレットを読んで
自分がいま観たものが何かを大いに納得したという鑑賞体験でした。
終演後に会った齋藤からは、ツアーを全うできた清々しさを感じました。
唐ゼミ☆もまた荷物軽めの公演を組んで、旅をしたいものです。
行きは鈍行の東海道線。
思ったより早く上演が終わったので、帰りもまた2時間半ほどの鈍行で
帰ってくることができました。交通費も安く、車中で読書して過ごす
小旅行の経験も良くて、イギリスで各地に旅した感覚を思い出しました。
行き帰りで読み切った本は、団鬼六の『真剣師 小池重明』です。
これがまた破格の面白さだった。なんだか、『ビコーズカズコーズ』とも
重なる世界を持っているような気がする。
時間が無くて漁港や海鮮丼とは無縁だったけど、充実の清水行きでした。
2023年3月 2日 Posted in
中野note
↑工房カプカプの前で。亡くなったミオさんを偲ぶ河童様像の前で
昨日は横浜市旭区にあるカプカプ光ヶ丘でのワークショップでした。
私の会社、センターフィールドカンパニー合同会社が主催して行っている
福祉×舞台芸術の担い手養成講座です。
カプカプ光ヶ丘で長年にわたりワークショップを継続してきた
新井英夫さん率いる一座と、カプカプ光ヶ丘に通所するメンバーが講師になり、
これから福祉×舞台芸術の取り組みを各地で実践していこうとしている
受講生を鍛え上げるために行ってきました。
カプカプ光ヶ丘の鈴木励滋さんから「こんなのやりたいんだけど・・・」
と相談を受けたのはロンドン滞在中でしたが、椎野や津内口が活躍し、
自分の不在中でも助成金をとって道をつけてくれました。
集まった受講生たちは、業界のレジェンドである新井さんの奥義を
見ようと集まってきた、これまた腕に覚えのある面々、これからの業界を
背負って立つだろう有望なルーキーたちです。
神奈川県でこういった仕事を始めて以来、
自分はまだ5年ちょっとなので、かえって主催者の自分が、
各地で行われてきた皆さんの活躍を知る機会にもなっています。
休憩時間にはそんな話を聞いたりして充実しています。
またこの事業は、カプカプーズ、
つまりカプカプで働いている障害を持つメンバーを講師としてお迎え
しているのも大きなポイントです。
些少ですが、講師料をお支払いしています。
人にものを教えて対価を得る、
少ない金額しか出せなくて心苦しくもありますが、
それが地震とよろこびになるのだと言われて、嬉しくなりました。
昨日は、このワークショップ以外には仕事を入れず、
それだけを考えて過ごしました。いつも複数の場所を移動しながら
働いているので、これも実に嬉しいことです。
新井さん一座とカプカプーズによる巧みなワークショップを見守り、
メモをとりつつ、ジャージ姿でストレッチしながら一日を過ごしました。
流れている時間そのものが、普段の自分を取り巻くものとは
ものすごく違っています。
新井さんは、温泉に浸かりにきたようなものだと言っていました
できれば、まだ助成金をとって継続していきたい事業です。
今年度最後の回は、3/30に開催されます。
2023年3月 1日 Posted in
中野note
↑どことなく高貴な感じのする、CD店の店員(おそらくオーナー)さんでした
面白い作曲家を発見しました。
ギリシャの作曲家ニコラス・スカルコッタス。
誰だ? と思うでしょう。私もそう思っていました。
ロンドン研修中にとあるCD屋に入ったところ、
そこのおじさんが思いのほか良い人でした。
品揃えも良かったのですが、さりとて特に欲しいものがない。
一方、店員さんが親しげに話しかけてくる。聞けば、ギリシャ人だというのです。
憧れのギリシャ。一度は行ってみたいアテネ。
研修先の劇場でもイオシフィーナとい美しい名前のギリシャ人スタッフと
知り合って興奮しましたが、この時も胸がときめきました。
せっかくなので「ギリシャ人作曲家でオススメはありますか?」
と質問しました。すると店員さんは、「ギリシャのクラシック作曲家で
もっとも偉大なのはニコラス・スカルコッタスである」と教えてくれたのです。
そのお店はナクソス・レーベルのCDがとても充実していました。
ナクソスといえば、ありとあらゆる作曲家のマイナー曲を網羅していることで
お馴染みのレーベルです。値段も安い。ギリシャ人に勧められると
"ナクソス"というレーベル名までもが好もしく感じられました。
まあ、このレーベルは香港に本社があるらしいですが。
ともあれ、一番良さ気なものを買いました。
が、正直に言って買うものがなくて購入したCDなので、
さして期待せず、約半年間も開封せずに来たのです。
昨日、それを何の気なしに開け、車の中で聞き始めたところ、
アタリでした。ブレヒトと組んだことで有名なクルト・ヴァイルに似て、
リズミカルでコミカルで、ちょっと諧謔味を持ちつつ、スイスイと聴けるのです。
改めて良い作曲家を教わったのだと実感しました。
ギリシャ人のおじさんよ、ありがとう。
ニコラス・スカルコッタス、なんだか名前の響きも
ガイコツやシャレコウベが踊っているような感じで面白い。
初期の唐さんは人体模型人形を愛し、お友達でした。
『煉夢術』には人体模型人形も出てくる。そんな妄想も働きます。
スカルコッタス、別の曲も聴いてみようと思います。
2023年2月28日 Posted in
中野note
↑ネット上の写真によれば、こういう箱入り、カラー挿絵多めのものが
届くようです。期待!
今年の公演目標は『鐡假面』。
2007年以来、二度目にやるからには完全無欠の『鐡假面』をつくろう。
そういう意気込みなのですが、実務的な公演会場おさえや予定組みをしつつ、
もう一つしなければならないことがあります。
それは、江戸川乱歩の『鉄仮面』を読むこと。
数々の不思議な短編や、怪人二十面相シリーズで有名な乱歩ですが、
その仕事には海外作品の翻案も含まれています。
「翻案」であって「翻訳」でないのは、けっこう書き変えてある、らしい。
『鉄仮面』もその仕事のひとつであり、
おそらく唐さんは少年期にこれに親しみ、乱歩版の読書体験をベースに
唐版『鐡假面』を生み出した、らしい。
らしい、らしい、と書いたのは、自分はまだ読んでいないからです。
これまでずっと探していたのですが、見当たらなかった。
それで、文庫になっているボアゴベの翻訳、つまり大人向けの長いものとか、
それをさらに少年少女に読みやすくしたものとかに目を通して、
2007年は劇をつくりました。
が、肝心なのは、やっぱり唐さんが何に影響を受けたか、です。
乱歩の作品はたくさん出版されています。
有名なポプラ社のものなど、人気作家ですから手に入りやすい。
私が小学校の頃には図書室にずらりとシリーズが並んでいました。
けれども、翻案物に関しては新しく出版し直すのが難しいらしいのです。
きっと著作権が複雑に入り組んでいるからでしょう。
オリジナル作品とは違って、出版努力の割に売れなさそうでもある。
そのようなわけで、ずっと引っかかっていたのですが、
ネットの古本屋で探したら昭和35年に出版されたものが高くない値段で
出ていたので注文しました。63年前の本です。
どんなコンティションでくるのだろう?
中には戦前に出版されたものも並んでいましたから、
これで最新の方なのです。
いずれ届く乱歩版を読めば、ここ15年抱き続けてきた負い目が解消されます。
もちろん、何か発見があることを第一に期待しつつ、本が届くのを待っています。
公演を組むということは社会的な活動ですから、
場所を決めるのも、出演者に交渉するのも、それぞれの人たちの事情があります。
一喜一憂あって、ラッキー!と思うこともあれば上手くいかない時もある。
そんな中にあって、よし!乱歩版を読むぞ!という行動は自分次第でできるので
息抜きになります。それでいて、劇に向かっている感じがする。
何か発見があったら、それこそ有頂天です。
唐さんが読み、見たであろうものを追う。
文章だけでなく挿絵が多そうなので、そこにすごいヒントがあるかも知れません。
2023年2月24日 Posted in
中野note
帰国後、今年から県民ホールに勤めるようになり、
音楽事業も担当するようになりました。
中でも、小ホールにあるパイプオルガンを活用したオルガンコンサートの
担当から、自分の音楽プロデューサーへの道が始まっています。
もちろん、メイン担当がいて、私はサブですが。
オルガンコンサートは毎月恒例で行われ、
大規模な特別会もあるので、たくさんの曲を聴くことができます。
今日も本番があって、働きながら愉しみ、また勉強にもなりましたが、
ここ一月半でいちばん感激したのは、バッハのBWV.540を初めて生で
聴けたことです。
これは、唐さんが大好きな映画『Phaedra(邦題:死んでもいい 1962年)』の
エンディングでかかった曲です。
継母フェードラ(メリナ・メルクーリ)との許されぬ恋を父親に咎められた
青年アレキシス(アンソニー・パーキンス)が、映画の終わり、
海外沿いを車でかっ飛ばし、車ごと投身自殺を図る。
その時、車中で彼が流したのがこのバッハのオルガン曲でした。
曲に合わせ、アンソニー・パーキンスは独白し、歌いもする。
元がギリシャ悲劇ですから、普通の映画ではあり得ないシーンですが、
これが不思議とハマる。
車、オルガン、長せりふのスピード感が一体になって、
唐さんが痺れたもの頷けます。亡き根津甚八さんのブログによれば、
当時の状況劇場劇団員はこぞってこの映画を観たそうです。
唐ゼミ☆も上演した『続ジョン・シルバー』では、
このオルガン曲と長せりふを真似たト書き指示があり、
唐ゼミ☆で初めてこの作品に取り組んだ2006年に、
私は聴けるだけのCDでこのBWV.540を聴きました。
だから思い入れがあります。
映画でかかった演奏スピードはあまりに速く、
CDや実演とはだいぶ違いますが、それでも初めて生で演奏される熱演を
客席後方で聴いて痺れました。役得です。
2023年2月23日 Posted in
中野note
↑真ん中が三上宥起夫さん、向かって右が嶋田勇介さん。
今日は久々に綾瀬市に行ってきました。
綾瀬シニア劇団のメンバーを対象に、とりふね舞踏舎の
三上宥起夫さんがワークショップをしてくださるというので、
久々に現場を覗きに行かせてもらいました。
ロンドンに行く前に会って以来、1年数ヶ月ぶりの再会でしたが、
皆さん、ありがたいことに自分のことを憶えていてくれて、
元気そうな様子を確認できました。
また一緒にワークショップを受けて、特にマッサージのコーナーが
気持ち良すぎて、寝てしまったりして。
今日の会場は公民館だったのですが、
合い間に綾瀬市オーエンス文化会館も訪ねて、
ずっとお世話になってきた副館長さんとも話しました。
地域の人たちにすごく頼られて、
通り過ぎる多くの人たちが次々に挨拶して行く様子も以前と同じ。
何より嬉しく、面白かった再会は、
三上さんのアシスタントとして来ていた嶋田勇介さんに会えたことでした。
嶋田さんは、自分がほんとうに駆け出しの頃、
まだ横浜国立大学で唐十郎ゼミナールの発表公演をやっていた時から、
とりふね舞踏舎の新人ダンサーとしてチラシ折り込みに来てくれたり、
北仲スクール時代にはバンカートのスタッフとしていつも丁寧に
接してくれた人でした。これを期に、
またちょくちょく会う関係になりそうです。
初めてお話しすることのできた三上さんとは、
もと演劇実験室天井桟敷のメンバーでしたから、
1969年に起きた渋谷での状況劇場の乱闘がどんなだったか、
結局は誰が原因をつくったのか、というかなりニッチな話題で
盛り上がりました。
そういうお話ができる相手を得て、久々にボルテージが上がりました。
やっぱり一番のイタズラ者は、愛すべき四谷シモンさんということで、
一致を見ました。
2023年2月20日 Posted in
中野note
↑バラシは90分足らずで終わった。何もない本多劇場の舞台で
『オオカミだ!』3日間の公演を終えました。
特に土日の11:00開演は不思議な感じがしました。
何しろ、終演して外に出てもまだ13:00くらいなのです。
私たちが観てもらいたい子どもたち、彼らは午後にお昼寝をします。
だから設定した開演時間でしたが、自分たちがひと仕事を終えてから
周辺の劇場がやっとマチネの幕を開ける光景は不思議な感じがしました。
日曜のバラシだって14:00には終わり、
二日間とも昼間から飲みに行き、夕方からは少し別の仕事もできました。
「作・演出」とクレジットされた公演でしたが、
創作に関わった4人のうち、パントマイム的に一番遅れを
とっていたのは自分でした。だから、よってたかって色々なことを
教えてもらったような創作でした。
いつもとあまりにも勝手が違って、
短い稽古期間の中で毎日、内容が変化し、
毎日、台本を書き換えて印刷し続けました。
稽古は午後の8時間。
テツヤさんとケッチさんはその後によく呑んだし、
飲み会の中の会話にも創作のヒントが溢れていたので、
帰宅後はまったく頭が動かず、翌朝の5時からが
作・演出プランを練り直す時間。
朝早く始めても気づけばお昼くらいになっており、
遅刻しそうになりながら稽古場に出かけていく日々でした。
ずいぶん長い時間を過ごしたようですが、稽古スタートは2/7。
3週間前にはまだ何も象を結んでいなかったのが信じられません。
うまくいく時はうまくいくもんだ。
そう自分に言い聞かせていました。
ひょっとして『3びきのこぶた』を知らない子のために
ストーリーを紹介するものとして紙芝居を使いましたが、
唐さんの紙芝居好きと、椎野が地区センターで借り出しては
演じる紙芝居に、うちの子どもたちが異様に食いついていたのが
ヒントになりました。
台本のおおもとはすべてロンドンでつくったので、
当時の生活も一緒に甦って来ます。
バラシを終えた後、少しの時間、
空っぽの劇場客席に座って唐さんのことを考えました。
1982年11月。唐さんは真新しい本多劇場を洪水で埋め、
ボートを泳がせたのです。いつかあの場所に『秘密の花園』を
還してみたいと思いました。
今までは少し斜に構えて見ていた下北沢がなぜ芝居の街であるかも、
その温かさも、体感することのできた公演でした。
お互いがお互いの公演を支え合って、これからデビューしようという
若手を戦力に変えながら、同時に教育機関としても機能している街。
みんなが居付き、愛し、活躍してからも還ってくる理由がわかりました。
敏腕プロデューサー・テツヤからのオーダーで、
荷物も人も軽くつくりました。それでいて、内容が豊かで、
子どもたちに人間の凄さや可能性を伝える公演を目指しました。
これから旅する公演となって、多くの地域、観客との出会いを
求めて行きます。外国へも持って行きたい。
夢でなく、具体的なプランとして狙っています。
座組と劇場、観客の皆さん、ありがとうございました。
この公演には必ず次があるので、また会いましょう!
2023年2月17日 Posted in
中野note
↑初日開場を前に、創作に関わった7人で記念撮影しました
現在、初日を終えて少し食事し、東横線で横浜に引き上げています。
稽古期間は短かったけれど、ようやく初日に辿り着きました。
パントマイムの公演をつくるのは初めてで、
ケッチさんとSATOCOさんとテツヤさんが
自分を指南しつづけてくれたような公演準備でした。
稽古はじめから3日間が特に混乱の極み。
でも、ケッチさんの創作がテクニックの羅列に終わらず、
リアリズムを基調としていることがわかるにつれ、
自分にもやりようがあることを悟りました。
唐さんの台本だって、
今ここにないものを演者の力で舞台上に現出させることに妙味があります。
ことばと所作の違いはありますが、踏まなければならない手続きに
似たものを感じました。
一方で、揺るがせにしてはならない台本があるのと違い、
現場の判断ですべてを更新していくオリジナル創作は、
リスクと希望が一緒に噴出していて、
自分の責任を痛感しながら日々を過ごしました。
初日の感触を確かめながら、
あそこはカットして、ここには小道具を足して、効果をこう加えて・・・
などと楽屋で相談するのも愉しい。
お互いに、一国一城の主が寄り集まって公演しているので、
公演の全体にそれぞれが思いを馳せ、お客さんのことを慮るチームです。
複眼チェックなので穴も少なく、目一杯サービスします。
これからいろんな場所で公演していくのが希望です。
そのために荷物も人も少数精鋭でつくってあります。
明日も、ところどころ工夫して臨みます。
午前9時集合、11時開演!
2023年2月16日 Posted in
中野note
↑これが記念撮影用のバナー。ロビーに置いてある。
『オオカミだ!』公演準備。
今日は明かり合わせを終えて、初めて劇場での通し稽古をしました。
明日には最終リハーサルをして、初日を迎えます。
いろんなところに持って行きたい。
言葉なしのショーなので世界にも持って行きたい。
そう考えて出演者2名、スタッフ2名の最小チームでやってきました。
音響も照明も舞台監督もプロデューサーもやるテツヤさんには
たいそうな負担ですが、私もロビーでお客さんの記念撮影などして
最後までお客さんへのサービスを全うしたいです。
そのためのグッズも届きました。
記念撮影用のバナーや、販売用のTシャツやポストカードなどです。
井上リエさんのおかげで、この公演のビジュアルは大したものに
なりました。それを活かしたデザイナー・金子さんの手腕でも
あります。
気楽に笑いながら観られる1時間のショーです。
人間が身体で表現する芸の凄さも味わってもらえるようにしました。
考えてみれば、ずっとロンドンの部屋で
この公演について考えていました。パントマイムを観た自体が少なく、
どんな風につくるのだろうと?マークいっぱいの頭で知恵を絞って
きました。ボツになったアイディアもたくさんあり、事前にずいぶん
準備をしましたが、結局はこの10日でエイヤッとつくった感が
あります。
けれども、この公演の原動力のすべては、ロンドンで暮らした
ダイアンの家にあったと思います。
毎日、23:00頃に帰っては、ドアについた四つの鍵を閉めました。
締め忘れると翌朝には必ずダイアンに注意され、ロンドンの治安の
悪さをこんこんと説かれました。
そういう体験を通じて、私は『3びきのこぶた』の真髄を理解しました。
ケッチさんの愛嬌と面白さによって、オオカミはずいぶん愛くるしい。
けれども、危険なオオカミからいかに逃れるかがキモなのです。
今日、たまたまロンドンから電話を受けました。
聞けば、自分の後にダイアンの家に入居した人からで、
ついでに久しぶりにダイアンの声を聞きました。
日本に帰って以来、自分がロンドンにいたことを夢のように
現実感なく感じてきましたが、今日は紛れもなく自分があの街で
レンガづくりの家の小さな部屋でずっと寝起きしていたことを
実感しました。
ここ1ヶ月半、日本の良さを満喫しながら過ごしてきましたが、
今日は少しだけロンドン暮らしを懐かしみながら、
明日の仕上げ稽古プランを練っています。
2023年2月15日 Posted in
中野note
↑肝心なところが反射してしまっていますが、
こうして人生初の絵画購入が成りました。我ながら大人の買い物
昨日、23:30頃に帰宅すると、すでに家族は寝ていました。
が、テーブルに書き置き。「なにかあるかもね」と息子の字で
書いてありました。
振り返ると、恐竜のフィギュアが逆さ吊りになっている。
風呂に入れば、なぜか風船が壁伝いに逆さ吊りになっている。
彼なりに私の誕生日を祝ってくれたようでした。大笑いしました。
今日の現場入りは13:00。
テツヤさん率いるスタッフ陣は朝から本多劇場に入って仕込みを
していましたが、昼過ぎに行けば良い日程でした。
そこで、朝は県民ホールの会議に出て、
それからケッチさんを黄金町近くのホテルに迎えに行き、
一緒に下北沢を目指しました。
国際性と場数において百戦錬磨のケッチさんの発する言葉は
さまざまな教えに満ちており、稽古以外ではめっぽう面白く
おしゃべりします。
例えば「子どもはバカな大人に物を教えるのが大好き」。
なるほど、これは至言だと思いました。
公演を見にきてもらえばわかりますが、そうした言葉通りに
ケッチさんは動き、子どもの力を引き出すのです。
午後に現場入りしてからは、明かり合わせをし、
かたやケッチさんとは決め切れていなかった場面を
確信が持てるまでに煮詰めて、場当たりに備えました。
夕方から始まった場当たりは時間切れで最後までいくことは
できなかったけれど、どこをどう改善し、残りの作業をどう
潰せば公演が完成するのか、道筋が立ちました。
それからテツヤさんと食事をし、明日に必要なものを
車に積み込んで別れ、そうして帰宅したところです。
今年は、娘と自分の誕生日に絵を買いました。
『オオカミだ!』のイラストを担当してくれた井上リエさんから
一点、購入させてもらったのです。人生で初めて絵を買いました。
ロンドンのダイアンの家で暮らして、絵のある生活は良いものだと
知りました。うちには大暴れする子どもたちがいて、あんな完成度
には程遠いけれど、ともあれ、少し雰囲気が潤っています。
段取りの整理や音響をブラッシュアップしながら、明日に備えます。
2023年2月14日 Posted in
中野note
↑下北沢の街には『オオカミだ!』のポスターがいっぱい
協力してくれた皆さんに感謝
今日は誕生日でした。
つい3日前に娘の誕生日だったのでケーキも買いませんでしたし、
この年で誕生日がどうということもないのですが、
厄年が終わってホッとしました。
41歳の大半を過ごしたイギリス生活は物価が高くて
栄養価がかなり低く、丸ごと厄だったような気もしますが、
人殺しにも泥棒にも会うことが無かったのは幸いだと思います。
そんな風にして42歳になりました。
今日は初めて本多劇場の舞台に立って、稽古をしました。
休憩時間にはブラームスの弦楽六重奏をかけたりして、
こけら落とし公演がどうだったのかを夢想しました。
『秘密の花園』にドキドキしながら、何人もの出演者とスタッフが
あの楽屋や舞台裏をウロウロしていたはずです。
もちろん、その中には42歳の唐さんもいたわけです。
私の方はといえば、すでに馴染んだ4人で稽古をして、
本番の舞台での見え方など、チェックと工夫を繰り返しました。
いつも2月半ばは年度末で忙しく、悲惨なスケジュールな中を
ケーキをホール食いする荒くれた誕生日が多かったのですが、
今年は年始に帰国したばかりで請け負っている仕事が少なく、
何年かぶりに心に余裕のある一日でした。
追い込んでつくるいつもの公演とは違い、
今回の『オオカミだ!』が平和に楽しむキッズプログラムであることも
影響していると思います。
あと3日で本番初日。まだ根本から練り直している場面もあり、
台本に沿ってつくるいつもの創作とは違ったスリルを味わっています。
チケットは完売。ありがたいことです。
2023年2月11日 Posted in
中野note
↑ケッチさんとの稽古。新たに加わる衣裳や小道具を使いこなしながら、
新しいパフォーマンスを完成させていきます。
ちょっと前に書いたイギリスのケータイ問題、あれが解決しました。
幸せなことに完勝である。改めて契約解除の手続きがなされ、
余分に引き落とされていた1月末〜2月末の利用料金が
返金されることになりました。やれやれ。
助けてくれたのは、イギリスで知り合った友人・マイさんでした。
彼女は5年以上の英国滞在経験があり、ご近所さんでもありました。
旅行の時、帰国の手続きの時、渡英中もずいぶんお世話になり、
こうして帰国後も助けてくれました。
zoomをつなぎながら一緒に問い合わせ方法を見つけ出してくれて、
キャリアであるVodafoneとのチャットに付き合ってくれました。
日本でもイギリスでも、今のケータイ業界はチャットで問題を解決するのが
主流らしい。まずは契約を止め、それから返金を願い出ました。
それぞれに「あなたはそういう手続きをしていませんよ」と言われましたが、
「店に行ってお願いしたら、"手続き完了!"と言われたんたんだよ。
ホラ、これがその親切で、実は何もしてれていなかった店員さんとの
記念写真だ!」と写真データまで送ったら、すべてこちらの申し出を
飲んでくれました。
解決後はつい幸せな気持ちになってしまったが、
考えてみたらこれは当たり前のこと。
2時間くらいかかってしまったし、引き落としのレシートが届いてからの
モヤモヤを考えれば、完全に余計な手間を取られてしまいました。
が、これぞ英国流、ああ、自分は紛れもなく1年近くをロンドンで暮らしたのだ
という実感が湧いた。何より、マイさんのありがたさが改めて身にしみた。
足を向けて寝られない存在である。
彼女が一時帰国する時には、全力で御礼したいと思っています。
そういう小さな(それにしては面倒だったが)ストレスを解決しながら、
『オオカミだ!』の稽古は進んでいます。稽古4日目にして大型の流れ、
作品の構造を作り出すに至っていますが、日々、昼過ぎから夜までの稽古、
さらに深夜・早朝の作戦練り直しに迫られて、自分を全開にしている感じ。
そんな中、プロデューサーのテツヤによると、チケットが売り切れたそうです。
初日1週間前にして稽古場で喜び合いましたが、これは「予約がいっぱいに
なった」という状態で、支払いと発券手続きをしない人がいれば、
また空席が出てしまう状態だそうです。希望しても見られない人たちのために、
予約の人には、きちんと発券もして目撃してもらいたい。
心からお願いします!
2023年2月10日 Posted in
中野note
↑遡ること前回の日曜日。ドリームエナジープロジェクトが出演する公演に、
即興ダンスの応援に行ってきた。
現在、『オオカミだ!』公演の稽古3日目が終了したところです。
やってみて、今、ものすごく苦しい。
一応、書いてきた台本通りにはすでに流れを組んだのですが、
なにかこう、ケッチさんとSATACOさんの肉体から、
稽古場からでしか生み出すことの出来なさそうな、
とても大切なものが決定的に出そうで、まだかたちになっていない。
いわゆる産みの苦しみというやつなんですが、それを味わっています。
フィジカルシアター、パントマイム、サイレントコメディ・・・
呼び名は色々あれど、自分にとって初めての経験だし、
稽古初日に、ケッチさんと会うのがやっと2回目という状況の中で、
残る稽古場での稽古はあと三日間のみ。
異常にヒリヒリしています。眠れん!
こうしてゼミログを書いている間にも、
アイディアが湧いては中断してメモを取り、それが実現可能か、
どれほど面白いものになるか、考えながらゼミログ文章を書いています。
同時に、明日は雪が降るのだろうか。そうすると、やはり車は危ない。
稽古場にどんな風に行こうか。などと、垂れ流しの思考が身をもたげたりします。
それどころか、こういう時に限って過剰な雑念が溢れ出てくる。
今回のショーでは「紙芝居」が重要な役割を果たすのですが、
それは唐さんの影響からかも知れないな、と思います。
唐十郎作品には『黄金バット〜幻想教師出現〜』や『紙芝居の絵の町で』
という台本もあり、唐さんが幼少期に興奮した紙芝居の影響が如実です。
時代を下って、確か『ちびまる子ちゃん』にも紙芝居屋の描写が出てくる。
いずれも、学校帰りの小学生たちを狙って、飴やたこせんを売って
紙芝居を見せるという、あの商売が描かれます。
さすがに自分が子どもの時には、あの紙芝居屋さんはいなくて、
大学生になってから行ったラーメン博物館で遭遇するのみだったのですが、
保育園の先生がやってくれたし、今、息子と娘も、地区センターで借りてくる
紙芝居を椎野が家でやってあげると、かなり楽しんで聞いています。
・・・と書きながら、うん、やはり紙芝居だ!などとアイディアをまとめています。
稽古中の現在の私の頭の中はこんな感じ。
そうだ!
リラックスした時に考えがまとまる、とも聞きますので、違うことも考えます。
先日の日曜日は、久々にドリームエナジープロジェクトの皆さんのサポートを
しました。杉田劇場で行われる公演に、ドリプロが出演者のひと組として出演、
即興ダンスを披露したので、短い舞台稽古から立ち会いました。
だから、冒頭の写真は終演後に上手くいってホッとしている時のもの。
おお!良いアイディア出てきた! 明日の稽古、いけるかも知れん!!!
一気に作品がまとまるかも! ・・・という具合に、千々に乱れた考えを
やっとまとめながら、現在も準備しています。
2023年2月 8日 Posted in
中野note
↑井上リエさんが宣伝用に作ってくれたビジュアル
今日は『オオカミだ!』公演のための稽古2日目。
音楽や効果音をラップトップで動きに当てながら稽古しています。
ケッチさんの技の応酬を間近で見て、大変にぜいたくな思いです。
それ以上に、稽古の合い間の話し合いから聞くことのできる
エピソードが面白い。技を活かすためにケッチさんが過ごしてきた思考
アイディアを面白く聞いています。
そう。ステージ上では言葉なしなのに、稽古が止まるとやたら喋っています。
技自体はすでに誰かが生み出したり、
他の人だって自分のものにしているわけです。
けれど実際には、エスカレーター=が〜まるちょば として多くの人の心に
刻み付けられている。それはなぜなのか。そういう話を聞かせてもらえる
わけです。
稽古場には、舞台上でケッチさんをサポートするSATOCOさん
というマイム・アーティストもいて、彼女の話もたくさん聞けます。
カナダに行ってパントマイムを志した話だとか、
が〜まるちょば が始めた道場で学んだ話、
最近はあるキッカケを境に手話を学び始め、
現在では英語よりも手話の方が上手いのだそうです。
手話のできるマイム・アーティスト。
パフォーマンスの上で、何気なく二人が掛け合う姿を見ていると
実に見事で、その呼吸に長年の付き合いを感じます。
これも自分にとって、以前には無かった経験です。
ところで、来週末の三日間、一日に一回ずつ行う公演のうち、
すでに2/19(日)11:00の回は完売しています。
残すところ、2/17(金)19:00と2/18(土)のみ。
土曜日の回も徐々に埋まりつつあります。
2023年2月 7日 Posted in
中野note
↑テツヤPが写真を撮ってくれました。
今日は『オオカミだ!』公演の稽古はじめでした。
通常の演劇づくりとは異なり、稽古期間は1週間。
その後に現場入りしてから3日で初日を迎える弾丸企画です。
主演のケッチさん、黒子として参加してくれるSATOCOさん、
テツヤP、私の4人で稽古場である若葉町ウォーフに集まり、
7時間ほど稽古しました。その後も話は続く。
考えてみたら、こんなに稽古のみの一日を過ごしたのはほんとうに
久しぶりでした。いつも別の仕事から仕事へ渡り歩きながら稽古も
してきましたので、朝に二、三の用事は捌きましたが、それ以外はずっと稽古のこと。
時には休憩時間を長くとっておしゃべりして、ぜいたくな時間でした。
ケッチさんに会うのは、去年の5月末にブライトンで会って以来、二度目でした。
今日は全体の進行を確認しつつ、主にケッチさんの技の数々を把握するところ
から始めました。百戦錬磨のケッチさんのこと、技の引き出しが豊富で、
パントマイムの何たるかという基礎も一緒に教わりました。
用意してあった進行台本を最後まで読み進めましが、
実地に検証する中で、シーンのつながりを整えつつも新たな技を思いつくなど、
私たちが実際に上演するものへの視界が一気に開けて、
今晩から明日にかけては宿題が山積です。
とにかく、「あ、パントマイムの公演ってこうやってつくるんだ!」と
発見に満ちた1日でした。
短期決戦なので、集中して自分が持っているすべてを出し尽くそう。
現在のケッチさんの芸における挑戦に伴走していこう。
そう思って稽古後の今も作業を続けています。
「写真を撮る時は目を開くこと!」とケッチさんに教わりました。
そういうわけで、記念撮影の写真まで力がみなぎっています。
明日も早朝から準備をして、昼からの稽古に臨みます。
2023年2月 3日 Posted in
中野note
↑私が撮り忘れたので、重村大介が写真を送ってくれました。今日も頑張れ!
昨晩は下北沢で『赤い靴』を観てきました。
女性二人による少女誘拐事件に端を発して、彼らに犯行用の車両、
ハイラックスサーフを売ってしまった青年が取り憑かれたように
その事件の真相に迫る話です。
舞台にスクリーンが登場したり、奥行きなしでも演じられるようになっているのは、
この演目が渋谷の映画館ユーロスペースで初演されたためです。
林海象監督の『海ほおずき』に主演した唐さんは、その上映と並演するために
この『赤い靴』を書きました。1996年のこと。
新人公演と銘打った出演陣の中には、ずっと応援してきたメンバーもいるし、
新たに加わった人たちもいて、 多士済々でした。。
全体に、みんながいきなり主役級を張って肩に力が入っていたけれど、
それも誰もが通る道で、観ていて気持ち良い。
唐さんの役柄を演じるのは、
共感や感情移入といったリアリズムを持ちつつ、それをズラすのがコツだと思う。
与えられたせりふや役柄によってそのバランスは異なり、空間によっても
適切なバランスは変わる。
テントよりも劇場でやる方が、ちょっとリアリズム寄りに寄せてみよう、とか、
今の自分だったらそんな風に組み立てるけれど、それには経験も必要です。
皆さんには、こうした実演の上手くいった部分を頼りに、
偉大な先輩方の表面的な喋り方、演じ方の真似に終わらず、
自分の素直な生活感覚で役をとらえて、そこから唐さん流にジャンプする術を
やはり自分流で見つけていって欲しいと思いました。
昨晩より今日、今日より明日が良くなっていくだろうから、もう一回観たい、
そう思わせる舞台です。
一方で、舞台を観終わって帰りながら、
これまで接してきた様々な上演を思い出しました。
私は初演には間に合わなかったけれど、大学に入って唐さんに入門してから、
山中湖乞食城での新人発表や赤レンガ倉庫での公演、中央線沿線の小劇場、
唐組アトリエ......、さまざまな上演を観て来ました。
だから、それぞれの舞台で活躍して来た歴代のキャストが自分を駆け抜けました。
また、2009-2011年に室井先生を中心に運営された馬車道の北仲スクールでも
学生たちが久保井研さん演出によりこの演目を演じていて、その記憶も蘇りました。
その時、主人公の一人「韋駄天あやめ」を演じていた元学生のSさんが
昨日の回を観に来ていて、帰りに井の頭線の中で思い出話と近況を交換しながら
彼女が衣裳のワンピースを着ていた物腰、1幕の終わりで「カーレン!」と言った声を
まざまざと思い出しました。
あの時のメンバーはみんな社会に出て活躍しているそうです。
そうそう。室井先生によれば、
唐さんが横浜国立大学の教授になるかどうか逡巡していた際、
その回答をもらったのは、初演の舞台上でのことだったそうです。
まだ40代だった室井先生が舞台を観にいった時、
唐さんはそれまでとは違った演じ方をしてみせて、舞台上から回答をした。
それを受け取った室井さんが終演後に唐さんに応答することで、
教授就任が決まったのだそうです。
(ということは、室井さんが唐さんのメッセージをキャッチしなければ、
自分は唐さんのもとで学べなかった)
昨晩、主人公の灰田瞬一がスクリーンを切り裂いた場面を思い出しながら、
そんな風に翌日、今この瞬間も鑑賞しつづけています。
昨日、熱演してくれた皆さんに感謝。
2023年2月 2日 Posted in
中野note
↑ホンダの店舗から見たミツ沢の景色。横浜国大に入ってから20年以上
この場所に親しんできたが、こんな風に眺めるのは初めて!
今朝は劇場の仕事を少しして、それから横浜市民ギャラリーに行きました。
唐ゼミ☆を横浜国大で活動し始めた時からずっと見守ってもらい、
時には川崎市市民ミュージアムでの公演をプロデュースしてもらった
仲野泰生さんが、展覧会に参加しているからです。
仲野さんの作品は、近年に行き来してきたメキシコ文化と
お住まいのある川崎の遺跡、縄文文化が融合していて、
端正なものでした。ちょっと怖いようなリアリズムもあって
まことに二枚目! 一方で、自分は仲野さんが展開してきた
小型のエロ本シリーズが好きなので、あれもまたやってほしいと
伝えました。
それから、劇団員のちろさんに会いました。
ほんとうに久しぶり。彼女にはイギリス留学経験があり、
自分は渡英準備の中でさんざん世話になりました。
だから御礼を伝え、不在の間の出来事や、これからのことを
話し合いました。ロンドンで買ったお土産をやっと渡すことも
できました。
実はまだ、林麻子と米澤と佐々木あかりには会えていません。
彼らにも会って、早くお土産を渡したいと思いつつ、
後手後手で1ヶ月。早く公演場所の算段をつけて、
具体にどうしよう?っている相談をする状況を整えたいと
思います。お土産、ずっと車に乗っています。
それから、車の1ヶ月点検を受けに来ました。
今、その待ち時間にこれを書いています。
横浜国大近くのホンダ三ツ沢店が担当店舗です。
自分が不在の間、椎野は自転車でここまで行き来し、
今乗っている車を用立ててくれました。
大学時代から慣れ親しんだミツ沢上町の交差点ですが、
店舗の中から見るとまた違った風景です。
帰国してからの1ヶ月で、走行距離は3,500kmを超えています。
ハードワークは仕方ないとして、大事に乗っていきたいと思います。
それに車の販売店の、このホスピタリティの良さよ!
今日はこれから車を家に戻し、下北沢に唐組を観に行くつもりです。
重村や山本十三、立派になった美仁音の活躍に期待!
どうだったかは明日に書きます。
2023年2月 1日 Posted in
中野note
↑中の様子は変わっていたが、木馬マチュピチュも健在だし、やっぱり
良い空間だと思った。なんだかインスピレーション!
今日は朝からドタバタしました。
朝から映像作家の飯塚聡さんを迎えに行き、それからカプカプ光ヶ丘へ。
今日はカプカプ×新井一座のワークショップを開催したのです。
福祉×舞台芸術の分野で活躍したいメンバーが受講生で、
業界のレジェンドたちのノウハウを実地に学び、
今後の普及につなげたいと思ってやってきました。
ご本人が発表していますが、WSを主導してきた新井英夫さんは
去年にALSという筋肉が衰えていく病気を発症されました。
類まれなる新井さんのノウハウを次の担い手に伝え、
実践できるようになってもらいたい。時間との闘いです。
午前の部が始まりそうなところで、神奈川県民ホールに移動して
会議に参加しました。音楽学者の沼野雄司先生に会いましたが、
会議終わりに室井先生や渡邊未帆ちゃんの話ができました。
案外、共通の知り合いがいるものです。
北仲スクール時代に三人で働いた時のことを思い出しました。
それから財団スタッフの何人かと喋って、またカプカプに戻りました。
午後の部の終盤に混ぜてもらうためです。
何をやっても笑われることがない空間なので、
思い切って動いたり吠えてみたりしました。爽快でした。
相手の動きを感じ取って自分なりにアレンジして返すと、
相手はそれを踏まえて次の動きに移る。このつながり、
連鎖にアンテナを立てます。私たちの間に発生するやり取りを実感しました。
それから振り返りの会をして、体験を経た後で新井さんたちのノウハウに
ついて質疑応答しました。新井さんのノートを見せてもらって痺れました。
精緻に計画し、現場で即興的に取捨選択する。
その後で何がウケ、何がウケなかったを検証していました。
伊達にインプロをやっていない。周到さと直感が高度に結びついていました。
すごい!
それから、再び飯塚さんを日吉の家に送って、
今日は吉原文化研究のセミナー「燈虹塾」に参加しました。
本当は会場の西徳寺に行きたかったけれど、開始時間に間に合わないので
オンラインでの参加。そのために、日吉から近いハンディラボに一年ちょっとぶりに
帰ってきました。久しぶりだ! ハンディラボ!!!
ずっと維持して来たので、なんだか感激しました。
ここから、また再び地道な創作をしたい。そういう思いを新たにしました。
2023年1月26日 Posted in
中野note
↑1ヶ月前にはブレイクゆかりのフェルパムに彼の行きつけを訪ね、
ランチを食べていた。自分でも信じがたい・・・
今朝は早起きをしました。
何しろ、午前4時半からのオンライン会議に参加したのです。
ザ・ブレイク・ソサエティの会合。
英国時間の19:30開始が、日本時間の翌日4:30開始でした。
ロンドンで発見した会員制教会コンサートに参加するために
ホームページづてに連絡をとったのが縁で入会したこの会合。
1年に一度の年次総会が行われたのです。
私にとって初めての参加が年次総会となりましたが、
これはなかなか興味深い体験でした。
まず、開会前はいかにも神秘的な、そうプラネタリウムにでもかかりそうな
音楽が鳴っていて、ブレイクの版画がスライドショーされている。
定時になり開会すると出席者のうちの何人かが顔を出すわけですが、
皆、一様におしゃれな部屋からのオンライン参加か、背景画像に
やはりブレイクの版画を使ったりしている。
年次総会なので決算報告などもありましたが、
総じて、参加者の一人であるオーストラリアの方が、彼の国での
ブレイク需要を発表したのを面白く聴きました。
英語は、あまり衰えを感じません。
というか、都営期間中の最後だってトップスピードで話されると
よく振り切られていたので、もともとが低空飛行だ、という意味で
違和感がないのです。わかることはわかる。わからんことはわからん。
ともあれ、こんな風にロンドンでの体験の後の愉しみに繋がるのは嬉しい。
いつか、唐さんの『吸血姫』の劇中歌について説明する日が来るかも知れません。
半世紀ちょっとまえの極東に、こんな影響がありましたよ、と。
参加人数はそう多くなく、20数名というところでした。
それだけに秘密の集まり感があって、それがスパイスになっていました。
題材が秘密めいていますし、スタイルが秘儀っぽい。
次回もよろこんで参加します。
2023年1月25日 Posted in
中野note
↑移動後の新店舗。張記小籠包は遠藤啄郎さん気に入りの店だった
久々に横浜中華街に行った。
ひどい寒さの割りに、お客さんが戻ってきている感じがする。
1年ぶりだったせいもあり、ただ歩いているだけコロナが流行ってから
今までのことを丸ごと思い出した。
2020年の春先。
緊急事態宣言により全てのお店が閉まった時のこと。
その軒先で、50枚で3,500円するマスクを売る露店が幾つもあったこと。
それらがあっという間に値下がりして、店の人たちに悲壮感がつのっていたこと。
中華街といえば、山下公園側の大通りに面した"張記小籠包"という店に
通ってきた。ここは横浜ボートシアターの遠藤啄郎さんから教わった店で、
ボートの公演終了後に連れてきてもらってから通うようになった。
自分の酸辣湯麺好きはここから始まって、
それから何軒も食べたけれど、ちょっと替わりが見つからない。
寒いロンドンにいた時も、ああ、あそこの酸辣湯麺を食べることが
できたら、と何度か思った。
SOHOのチャイナタウンは値段が高くて気軽に行ける場所では
なかったし、街場の中華料理屋にはいつも違和感ばかり覚えて、
会計後に後悔してばかりだった。
さて、"張記小籠包"。
久々に!と思ってお店の前まで行ったら、
別の、中華料理屋でもなんでもない居酒屋になっていて愕然とした。
繁盛店だったからお店の人の健康に何かあったのかと
悲嘆に暮れたが、ネットで調べてみると「移転」とあり、
なるほど、中華街の真ん中らへんに懐かしい看板を発見した。
店に入ると懐かしい店員さん。
久しぶり!という話になり、しばらく来なかった理由を伝えたり、
引越しの理由を聞いたりした。賃貸契約の更新時期を区切りに
移動したらしい。
いつもの!と頼んだら大盛りで持ってきてくれた。
酸辣湯麺を食べながら、遠藤さんに「僕が初めてこれを食べたのは
1970年代のパリ」と言われたのを思い出した。
ヨーロッパが身近になったので、以前よりその情景が想像できる。
遠藤さんは2020年2月上旬に亡くなったから、
ギリギリのタイミングでコロナを経験しなかった。
いつも陽性の雰囲気を持つ人だったから、コロナによる
様々な制約を知らずに逝ったことが、遠藤さんらしいと思う。
以前よりアクセスがスムーズでなくなった分
頻度は減るだろうけれど、また通おう!
2023年1月24日 Posted in
中野note
↑典型的に愚兄賢弟の三男。なるほどかしこそうです
今日は月曜日です。
いつもならば日曜に行ったワークショップのレポートをする日。
けれど、心折れました。
すべての仕事を終えて帰宅したのが24:15。
そこから食事してレポート執筆にかかりましたが、
ようやくあらかた書いたところでシステムエラーが起こり、
完全に消えてしまいました。
ほとんど、9割がた完成していたというのに・・・
ですから、レポートは明日に回します。
今日は短くて楽しい話題をやりましょう。
井上リエさんからオオカミとこぶたのイラストが届きました。
『オオカミだ!』のパントマイム・ショーの中に出てくる
紙芝居をデザインし、宣伝ビジュアルも作ってくれているリエさんが
新たにイラストをプレゼントしてくれたのです。
チラシに載っているオオカミだけでなく、こぶたもいます。
井上リエさんはオシャレな輸入食品を扱うカルディのビジュアルを
担当されているクリエイターで、あのユーミンのコンサート
ビジュアルも何度も描いてきました。
知れば知るほど良い作家に引き受けてもらったものだと思います。
肝心のケッチさんのショー部分を考える際も、リエさんの絵に
大いに助けてもらっています。
以上、愉しい話題でした。現在26:00を過ぎています。
もう風呂入って、寝る!
↓カルディといえばこの絵でしょう!
2023年1月20日 Posted in
中野note
↑『オオカミだ!』チラシができました。さっそく撒き始めています。
公演日時と場所はこんな感じ!
2/17(金)19:00
2/18(土)11:00
2/19(日)11:00
於:下北沢 本多劇場
今日のお昼に劇場の下見に行きました。
これまで下北沢には何度となく足を運んできましたが、
自分が公演する側になるのはこれが初めてです。
普通だったら必ずや通り過ぎるであろう下北沢ですが、
テント演劇をやっていると空き地を求めて彷徨ってしまう。
だから初体験です。
現在はちょうど修繕中だったのですが、
セットも何も無い舞台を初めて見ました。
唐さんの『秘密の花園』によりこの本多劇場が
スタートしたのだと思うと感慨がありました。
それに、駅前の変化したこと。
渡英していた11ヶ月の間に、駅前から劇場に至る道はかなり
スムーズになり、両側には新たな飲食店が多くオープンして
多くの人たちが気持ちよさそうに昼食をとっていました。
渋谷駅から井の頭線に乗り換えるルートも久々に歩きました。
すでに1月下旬に差し掛かっています。
稽古は2月に入ってからですが、
しなければならない準備は山ほどあります。
帰国以来、日本で再会した仕事や生活を定着させるために
過ごしてきましたが、今日を境に意識の中心を創作に切り替えます。
チラシを渡しながら何にかに訊かれましたが、
大人ひとりでの観劇ももちろん大丈夫です!
2023年1月19日 Posted in
中野note
今日は午前中の予定に余裕がありました。
そこで、家から日の出町あたりまで走り、鶏ひき肉を買うことにしました。
日本に帰って以来、外食に対するモチベーションがあまり湧きません。
明太子とか塩ジャケ、納豆などの良いものを味噌汁とやるのがひどく美味く感じます。
今日は鶏肉の専門店に行きたくなって、そんな風に走ることにしたのです。
途中、上の写真を見て驚きました。
あまりにも安い価格設定。文字の大きさとゴチック体のフォントが、
決然としたお店の意志を訴えていました。右の方に「男性客も大歓〜」という表記が
見えますが、要するに男性客を歓迎する旨が書いてありました。
つまりここは、女性用の店なのです。
丸刈り→490円です。それにしてもこの安さよ。
思い起こせば、ロンドンの床屋はひどく態度がデカいところばかりでした。
まず、寝ると怒られる。おそらく髪が切りにくいからでしょう。
はっきりとDon't sleep!と言われる。Pleaseは付かない!
それに、頭の向きを変えるときにはガシッとつかんでグイと方向をチェンジ
させられます。なかなかの力の込めよう。そこに優しさはありませんでした。
極め付けは「耳ファイヤー」。
これはアラブ系の床屋に限ったことらしいのですが、
耳の周辺の産毛を一掃するため、時にお線香の巨大な感じのやつに点火し、
立ち上る炎で耳を炙るのです。反射的に身をのけぞらせて熱がると、
周囲のお客さんと一緒に「ワッハッハ!」と笑われました。ドS!
散発のスピードは極めて速く、一人15分とか、その程度です。
値段は顔剃りなしで2,500円くらい。
都心の高級なところに行かなかった私が悪いのかも知れませんが、
グリニッジ周辺の3軒はいずれもそんな感じで、割と優しめな店員を見つけて
腰を据えました。ただし、その人がいなければやはり他の荒らくれに
グイッとやられてしまう。
日本に帰って来られて幸せです。
2023年1月18日 Posted in
中野note
↑帰り際に記念撮影もしました
今日はたくさん移動しました。
朝から、横浜→深川→関内→鎌倉→吉原と巡って横浜に帰ってきました。
特に、鎌倉の腰越にある井上リエさんのアトリエには初めて行きました。
リエさんは、神奈川の仕事で県内を巡る中で知り合いましたが、
クリエーターとしてお訪ねしたのは初めてのことです。
来月に控えている『オオカミだ!』という子ども用の公演の中で、
リエさんには劇中に登場する紙芝居をデザインしてもらい、
それをチラシのイラストにも使わせてもらっています。
ロンドン滞在中に仕事を依頼、引き受けてもらってから
ずっとメールや電話やZoomでやりとりしてきました。
以前とは違った関係で直接に会うのが不思議な感じがしました。
腰越のアトリエに着くと、幾つもの作品が壁にかけられ、
机とか、マットとか家具類などにもデザインが溢れていました。
イギリスで暮らした家の中にはあらゆるところに絵や写真が飾られていたので
自分の家にもこういったものがあると良いと夢想しましたが、
3歳の娘の攻撃にさらされるのが目に見えているので、
もっと先のことだと思い直しました。
けっこう話し込んでしまった後に東京に向かいました。
台東区吉原のお寺で行われる江戸文化研究の勉強会に
ずっと参加しています。酒井抱一という人がいかに書や画の技芸を
体得していたかという話を聞き、その多才ぶりに驚きました。
日本に帰ってきてから、会いに行くべき人に片っ端から面会しています。
初めはリストをつくっていたのですが、かえって気が急いて混乱することに
気づいたので、行けるところから行くというやり方に切り替えました。
2月第2週から『オオカミだ!』の稽古が始まるので焦っています。
リエさんのアトリエに一緒に伺ったテツヤさんと話しながら、
そういえば下北沢で自分が公演をするのが初めてだと気付きました。
学生時代に初めて大学を飛び出して新宿で公演した時、
日々、あの街に通うのだと想像しただけで興奮したのを思い出しました。
1ヶ月後には千秋楽を迎えていることを、信じがたく感じます。
2023年1月17日 Posted in
中野note
↑崇禅寺本堂 入り口のカラーコーン。よく見るとお地蔵さんがくり抜かれている。
このセンスに接して、さすがは桃山さんが頼みにしたお寺だと唸った
1/15(日)に羽村市に行ってきました。
去年に亡くなった桃山邑さんの納骨式に参加するためです。
桃山さんの具合が悪いと聞いたのは、去年1月末に渡英して
約ひと月が経った頃のことでした。
それから5月の公演に向けて出たチラシには「桃山最後の野戦攻城」とあり、
桃山さんは新聞取材を受ける中で自らの病状を語っていました。
自分はロンドンから、多くの関係者が羽村に桃山さん最後の舞台を訪ねるのを
眺めていることしかできず、その後、10月半ばに桃山さんは亡くなりました。
イギリスでできることもなく、実感を持てないまま過ごしてきました。
帰国後、桃山さんの納骨式があることを知った時、すぐに参加を希望しました。
桃山さんの死を実感したのは、羽村の崇禅寺に着いて席に座った時でした。
水族館劇場の関係者はいるのに、桃山さんはいないのです。
それまでどうにもピンときていなかった自分は、
桃山さんがいつも一緒にいた人たちの中に桃山さんが不在なのを感じて、
ようやく桃山さんが亡くなったのを体感しました。
いつもカーテンコールで一人一人の名を叫んでいた桃山さんの声と、
あの独特の話し方の訛りを遠くに感じました。
お坊さんによる式の進行は水族館劇場と桃山さんへの理解に溢れるもので、
古風とポップが入り混じっており、この方に支えられて桃山さん最後の
公演が成ったのだと、温かな気持ちになりました。
その後、桃山さんのお骨は共同の墓地に納められました。
係の人が重い石板をずらして骨壷を納める作業をしているのを見て、
しばしば舞台の床下に役者が入ってく水族館の芝居を思い出しました。
それから、一人一人お線香を手向けました。
私の理解する水族館劇場の主義からして、桃山さんは劇団の代表らしきもの
ではありましたが、一劇団員として自分を貫いてきたのだと思います。
カーテンコールで役者・スタッフすべてを同等に紹介していましたし、
だからこそ、桃山さんが亡くなっても水族館は続かなければならない。
仮設の舞台を組んで公演する場所の確保、
土地を運営する方から理解を得ることは、ますます難しくなっています。
桃山さんは崇禅寺への埋葬を望むことで、最後に大きなお願いをしたのだと
思います。水族館劇場をよろしくと桃山さんが言っているようでした。
次も、次の次も、水族館劇場の公演が続きますように。
同じ仮設の興行を目指す者として強く望みます。
桃山さん、ありがとうございました。これからも期待しています。
2023年1月14日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑ここ数日で読んで面白かった本。本文と関係なし
ロンドンから荷物が届いた。
ダンボールにぎっちり詰め込んだものが二箱。
12/23に送ったものが案外と早く着いて、私が不在の間に重い重いそれを
係の人が階段をのぼって届けてくれた。
さっそく荷をほどきをして、
上の方に入れた衣類を出し、全体のいくらかをクリーニングに出した。
夏の間にずっと着ていて汚れたジャケットなどがリフレッシュしてくれるのは
嬉しい。戦争の影響で日本から荷物を送ることができないと知った時は
途方に暮れたけれど、なんとかTK-MAXXXXという安く衣類を売る店で
揃えることができた。それらを着て歩きまくった日々は確かにあったのだと
思い出させてくれた。
CDも大量に出てきた。
容積と重さを軽減するため、一度ケースを外してやっと収納したが、
日本に着くなり注文しておいた大量買いのプラケースに復帰させることが
できた。ピーター・フィッシャーを筆頭に、サラ・コノリー、
ハリー・クリストファーズ、ジャッキー・ダンクワースなどが
サインやメッセージを書いてくれたもの。
お墓に持って行ったレジネルド・グッドオールのものもあって、
ここ数日はほんとうにロンドン生活があったのかどうか
半信半疑の感覚が強まっていたけれど、一気にそれぞれの時を思い出した。
また、昨年夏以来、ずっと奥歯の痛みが気になってきた。
必ずや虫歯に違いないと思ってきたが、実際に歯医者に行ってみて、
それらが決して虫歯ではないとわかった。
なんだかんだと英国生活は緊張の連続だったから、
朝起きると奥歯を噛み締めて寝ていたこともしばしばだった。
・・・という具合に、わずかに残った作業も一つ一つ味わっている。
そうだ! 文化庁に提出するはずのレポートも残っている。
これも日本での仕事が軌道に乗る前に倒してしまわなければ。
2023年1月12日 Posted in
中野note
↑忘れてはならない『夢十夜』
ここ数日、『秘密の花園』冒頭について語りながら、
触れそびれてきたシーン、人物がいます。
それは「中年男」とされる登場人物。
劇の冒頭中の冒頭、プロローグと言ってよい始まりの部分に登場して、
主人公のアキヨシを妖しい世界に導きます。彼とアキヨシの現実感の無い
会話によって、この劇は一気に幻想譚の雰囲気を帯びます。
中年男は赤ん坊を背負いながらアキヨシに声をかけ、
まずはアキヨシが押さえた額の心配をします。
という心配りや優しさからアキヨシに言葉巧みに接近し、
どこか胡散臭がられながらも、気の弱いアキヨシと会話を続ける。
アキヨシはお姉さんのことが特別に好きらしい、
そういう様子に敏感に気づくのも、この中年男の年の甲という感じや
会った瞬間に相手の素性や無意識を見抜いてしまう、占い師めいた雰囲気に
繋がってきます。
そして二人の会話が極まると、
中年男はズリズリとおぶった赤ん坊を背中から引きずり出し、
陸橋から落とそうとする。アキヨシが止めにかかると、
「おまえをおぶうように、坂の上の姉さんから」頼まれたと
アキヨシを翻弄します。
この中年男は、夏目漱石の『夢十夜』の第三夜にインスパイアされています。
もともとは、我が子を背負った男が突如として背中に重さを感じ、
耐えかねていると、いつの間にか赤ん坊に自分の殺した敵が乗り移っていた
という怖いお話です。
それが唐さんの手にかかると、
お前も背負って赤ん坊にしてしまうぞ、というユニークな迫り方に転化する。
次なるシーンは、いちよがアキヨシに語る『青い鳥』、
「未来の王国」に影響された生まれる前の子どもたちの場面ですから、
生まれる前の世界、赤ん坊の世界、彼らがみている夢や無意識、
という具合に繋がってきます。
このようにして中年男はなかなか不思議な存在なのですが、
自分の職業を「ベビー預かりの大番頭よ」と宣言します。
なかなかハッタリの効いた唐さんにしか生み出せない言葉だと思いますが、
よくよく考えてみると、これは0歳児保育で働くおじさん、保父さん、
のことだと考えられます。
自分もまた年の甲で、学生時代に始めてこの台本に触れた時とは
違って人の親になりましたので、こういう風にも考えられるようになった。
唐さんは子育て熱心な人ですから、ちゃんと社会に生きる一人として
「中年男」を思い描きながら、彼が「赤ん坊を背負う」のに過剰な情熱を
持っていたとしたら、と発想したに違いありません。
保父さん、保育園の先生、という風にも地に足をつけて考えながら
ベビー預かりの大番頭、という押し出しを楽しんで幻想性を持たせる
唐さんを読み解く時のコツが、この役柄の捉え方ひとつにも込められて
いると考えます。
2023年1月11日 Posted in
中野WS『秘密の花園』 Posted in
中野note
↑北宋社『紅い花 青い花』
後に唐さん同じ出版社から『ユニコン物語 台東区篇』を上辞します
引き続き『秘密の花園』のことが気になっています。
劇の冒頭でおでこを押さえている青年・アキヨシ。
なぜ押さえているかというと、日暮里駅前に生えているうるしにかぶれたから。
どれほどかぶれているかというと、ついさっきまで一緒にいた実のお姉さんにも
アキヨシだと見分けがつかないほど、という設定です。
・・・という具合なので、これだけで相当なかぶれ具合、
アキヨシの顔面が大いに変形してしまったことが想像できます。
しかも、ことが起こったのはほんの僅かの時間だという。
どれくらいかといえば、一緒に日暮里駅に降り立ったお姉さんがトイレに行き、
戻ってくるまでの間。どう考えても10分ほど。長くても30分とかからない間に
すっかりかぶれて見分けがつかなくなってしまった、という設定がおもしろい。
なかなか奇抜な発想といえますが、これは唐さんオリジナルのものでは
ありません。唐さんの好きな泉鏡花の『龍潭譚(りゅうたんだん)』という
短編に、唐さんのアイディアのもとになった少年とその姉が登場します。
『龍潭譚』
少年がお姉さんに禁じられた外出をするところから物語は始まります。
しかも行ってはいけないと諭されていた方角に進み、
少年は咲き乱れた躑躅(つつじ)に魅せられ、かぶれます。
この小説の場合はうるしではなく躑躅です。
それでいて、顔がかぶれてしまうところは一緒です。
少年が迷子になりながらも家に引き返そうとするうちお姉さんを発見しますが、
必死で弟を探す姉には少年の正体がわかりません。
結局、家の使用人に助けられて家に戻ったところでこの短編は幕を閉じ、
自分の慕うお姉さんに他人の扱いを受けてしまった体験も含めて、
少年には夢魔として一連の冒険が記憶されるという話です。
比較してみると、唐さんの場合はほんのトイレにたった隙の一瞬の
出来事である点が、一層の効果を上げていることがわかります。
現実的には、ほんの刹那に肉親からも分からないほどにかぶれてしまうのは
かなり理不尽ですが、それが『秘密の花園』という台本が持つ
強い魅力につながっています。
執筆当時の唐さんは、後に親しくなる文芸評論家の堀切直人さんと
知り合っています。北宋社という出版社で、日本の現代作家が書いた
花に因む短編を集め、『紅い花 青い花』というアンソロジーが編まれたのが
きっかけだったそうです。この本には泉鏡花も、別の機会に触れたい夏目漱石も、
唐さんの作である『銭湯夫人』も収められています。
これを、唐さんはニューヨークに行く際に持っていったのだそうです。
古本で手に入り辛いですが、興味のある人は探してみてください。
『龍潭譚』の方は、岩波文庫の『泉鏡花短編集』などで簡単に手に入ります。
2023年1月 6日 Posted in
中野note
↑おお!なんと美しい塩ジャケの切り身よ
馴染みの魚屋で、こんなものとも感動の再会を果たしている
帰国して以来、明らかに体の調子が良くなってきています。
時差ボケこそあるものの、お正月休みによる睡眠時間の増加。
温暖で快晴の気候、など理由はいくつかありますが、
なんといっても食生活の改善が大きく影響しています。
ロンドンでの食事は貧しくならざるをえませんでした。
イギリスの食事が必ずしも不味いわけではないですが、
とにかく値段が高かった。パンを一個買おうと思うと、
例えばクロワッサンが450円します。
だから、悩んで、悩んで、
これでお腹が膨れるだろうか、とか
そもそもオレはほんとうに空腹なのだろうか、とか
散々に考えてから、よくやくオーダーの列に並びました。
食事の一回一回が真剣勝負で、
意を決して予算投下して食べたものがハズレだった時には
かなり落ち込みました。
日本に帰ってから、馴染みの肉屋に行ったり、
野菜たっぷりの鍋をつくって食べることで、
身体の痛みがみるみるとれてきています。
イギリスでは視力を落とさないようにするためのブルーベリーと
手に取りやすいオレンジジュースだけがフルーツとの接触でしたが、
日本ではイチゴやパイナップルを安価に食べることもできる。
昨日は約1年ぶりに日本そばを食べました。
あと一週間もすれば慣れてしまいそうですが、感動が続いています。
物価の安さについて、
日本が国際間の経済競争に遅れをとっている危機を感じながらも、
スーパーで見かける値段にどうしてもホッとしてしまう。
現在のように万全であの英国生活が送れたらさらに
ステキだったろうとも思いますが、アウェーなので仕方ありません。
もうすぐクロネコヤマト・ロンドンに託した段ボール二箱も届きます。
不調ながら方々に出かけ、手に入れた公演資料を本棚に並べるのを
たのしみにしています。
2023年1月 5日 Posted in
中野note
↑靴と靴墨
仕事が始まったとはいえ、いまだペースはゆっくり。
まだ休みを続けている人もいるし、本格始動は来週からという
雰囲気なので、幸い、自分ごとに時間が使えます。
朝はゆっくりで良かったので、ネットで取り寄せた靴墨を使って
革靴をキレイにしました。この革靴はイギリスに持って行ったもの。
普段はスニーカーで動きましたが、少しフォーマルな場所に出向く時
これを履いて出かけました。
グラインドボーン音楽、ジェントルマンズクラブ、
クリスマスにテンプルホールというサロンで行われた
サラ・コノリーのコンサートにもこれを履いて行きました。
ダイアンの誕生日に出かけた時も、洗練された彼女に合わせて
身綺麗にした方が良いと思い、これを履きました。
が、合計10回ちょっと利用したにも関わらず、
一度もメンテナンスをしませんでした。
泥がついたのを拭き取るくらいのことはしましたが、
こうして汚れをとり、靴墨を塗って色を濃くし、光沢を出す作業は
できなかった。向こうでは、道具の調達が面倒すれば無駄が出るし、
高価でもありました。
こうして日本に帰ってきて、一緒に歩いた土地を思い出しながら
靴を磨くのは愉しい。この靴墨は簡単に塗れて値段も安く、
かなりキレイになります。なかなか贅沢な気分に浸らせてくれます。
新しいものを買うよりもさらに贅沢な感じです。
オレも大人になった。そういう満足があります。
そういえば、初めて畳の張り替えをやった時、
あれもかなり爽快で、やはり贅沢な感じがしました。
同じくメンテナンスの贅沢です。
今の家のもかなり陽に焼けてきたし、あれをまたやりたい。
が、下の子がもう少し落ち着いてからの方が良い気もする。
唐ゼミ☆としても畳屋さんにはずっと助けられてきました。
テント演劇をやる際、よく要らないゴザをもらってきたのです。
さらに、今年に上演すると決めた『鐵假面』の主人公は「タタミ屋」
という設定で、キャラクター名もズバリ「タタミ屋」。
ならば、やっぱり春になったらやろうと思います。
主人公の職業について身近に観察する機会になるはずです。
2023年1月 4日 Posted in
中野note
2022.8の演奏会。北アフリカから東南アジア、中国に至る奏者をサヴァールは
揃えた。本を読みながらあの音楽を改めて味わう。
一昨日、昨日は家の中を整理しました。
日本にいた時から使ってきた衣類で、英国生活で摩耗させきって捨てた服が
たくさんあったので、その替わりを購入してまわりました。
店舗にないものはネットで注文。
お店の場所やメーカ自体の名前も変わっていたりして、
11か月間の変化を実感します。
昨日、1/4(水)からは神奈川の財団での仕事を再開しました。
まずは挨拶回りから始めましたが、オフィスの様子や人の配置も変化しており、
ここでも新たな気持ちになりました。まずは、自分の不在中にどんな風に
みんなが過ごしてきたのか聞くところから始めています。
途中、皆さんの好意でうなぎや鱒寿司をご馳走になりました。
懐かしいお菓子にも再会しました。ここでもやはり、もとあったお店が無くなり、
新たな店舗がオープンしているのにも気づかされました。
それから有隣堂で本を買いました。
英国にいた時は送料が上乗せされたので、なんて懐に優しいのだろうと
喜ばずにいられません。買ったのは『アイヌ神謡集』と『イブン・バットゥータ』。
『アイヌ新謡集』の翻訳をした知里幸恵さんのことを、私は渡英中に知りました。
YouTubeで過去のドキュメンタリー番組を見て、帰国後すぐに読もうと思って
きましたが、やはり命を削った結晶という感じがします。
幸恵さんが出自に敬意を払い、本作りに関わった人たちが幸恵さんに敬意を払う。
そういうリスペクトが連鎖して編まれている神話です。
『イブン・バットゥータ』は14世紀イスラム世界を旅した冒険家。
エジンバラで彼をテーマにしたジョルディ・サヴァールの演奏を聴きましたが、
この冒険家自体を私は知りませんでした。『アイヌ神謡集』の近くに、
バットゥータについての評伝が新刊されているのに気づいて買い求めました。
復習の愉しさです。本を読みながら、あの時に聴いた音楽がより像を結んで
塗り替えられていくようです。今となってはあまりに基本的なことですが、
ロンドンでの生活を通じて、自分は初めてイスラム教徒の人たちと
身近に接することができたのです。
11か月間の情報量が膨大だったので、
こうして自分に定着させていこうと思います。
お正月のうちに日本のものを観はじめたいとも希望しています。
2023年1月 3日 Posted in
中野note
↑日本人留学生のKordy.M(牧野)くんが撮影してくれました。
現代社会。
たった一日の間にかなりの距離を移動できるものだ実感しています。
現在、羽田空港に着いて二日半が経ちましたが、つい先日まで
歩いていたあの石畳の道、自分を取り囲んでいた石造りの建物の数々、
あれは何だったんだろうと思わずにはいられません。
特に帰国前日はロンドンからドーバー海峡に向かって2時間ほど行ったところに
あるケント州にいたものだから、ギャップが凄まじい。
本当に遠くまで行っていたものだとつくづく思います。
飛行機に乗っていたのは13時間半。
到着時の検疫に関するチェックもさほど気にならないものでした
日本に着きしな、羽田に車で迎えに来てくれた椎野と何ヶ所か回り、
お土産を配って回ってから帰宅しました。
実家から来てくれていた家族が子どもを遊ばせてくれていた公園で
彼らに再会したら、とたんに逃げました。恥ずかしがるようになった分、
子どもたちの成長が感じられました。
家に帰ると、自分のいない物の配置や生活リズムがそこにはあり、
あれから二日、服とか、歯ブラシとか、少しずつ自分も含めた暮らしが
家の中に復活してきています。
感動的だったのはいつも使っていた腕時計を、11か月ぶりにはめたことです。
この時計は装着していることで発生するエネルギーで動くので、
まさに時が動きはじめた感じがしました。
この時計は自分には高級品、大切な貰いものです。
日本でメンテナンスを重ねながらずっと使ってきましたが、
治安の悪いロンドンで不幸な目に遭っては大変と置いていったものでした。
1月2-3日と休んで家の中を整理し、だいぶ日本での生活の誤差も埋まりました。
明日1月4日から仕事をし始めます。ずっと夏休みみたいな状態だったので、
そもそも休養は充分なのです。
一方で、自分がいなくなったグリニッジ、
研修先のThe Albany周辺の街が今日も正常に機能していること、
それが不思議でなりません。
至る所に壮麗な教会建築があり、異人種が行き来する景色が夢のようです。
1か月に1回はZoom会議しようとミミと約束しました。
その時に、英語が聞き取れ、ある程度しゃべることができる状態にしなければ
なりません。今後の日本生活に加わった、新たな課題です。
2022年12月31日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑ヒースロー空港にて。
荷物の重量オーバーや日本独自のコロナ対応への申請作業など、
不安も多かったが、無事にチェックインを済ませることができた。
今から飛行機に乗り帰国する。
1/31以来つづけてきた「2022イギリス戦記」もこれでおしまい。
読んでくれた皆さん、どうもありがとうございました。
2022年12月30日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑『オオカミだ!』仮チラシも完成。すでに走っている!
ロンドン生活も大詰め、名残惜しさに美術館と演奏会場を回った。
家での梱包作業や掃除や、私が帰国した後にダイアンが
不自由しないよう買い物をして回らなければならないので、
11か月の中で気に入ってきたものを、短時間で。
一軒目はナショナルギャラリー。
ダヴィンチもゴッホもヤン・ファン・エイクもタダで観られるこの場所で
自分が一番気に入ったのはレンブラントのこの絵だった。
作者自身、画題に興味があるというより、明らかに自分の得意技を発揮できる
一コマを日常から切り取った感じがして、気に入った。
これで、4度目。
二軒目はザ・ウォーレス・コレクション。
ここも入場無料。お金持ちによる私設の美術館だがタダ。
一番有名な絵画はフラゴナールの『ぶらんこ』だが、
正直に言って初めて生を観た時から全く感銘しない。
フラゴナールが描く人物の目はどれも瞳孔が開ききっており、
なんだか頭が悪そう。キューピーのお人形と至近距離で
向かい合っているような感覚。
何を考えているかさっぱりわからない目をしている。
私がここで気に入ったのは鎧兜のコレクション。
昔、子供の頃にガンダムシリーズに「騎士ガンダム」というのがあって、
西洋の甲冑に憧れた。が、実際に観てみると、とにかく戦いの中で
自分の体が傷つかないよう必死過ぎる。
あらゆる隙間を塞ぎにかかった結果、それはとても重そうで、
兜など、ほとんど視界を覆ってしまっているから逆に危ないのではないか。
もっとも、こんな装備を身につけるような人物は、後方で指揮を取るのみで
乱戦の場には立つことがないような気もする。
最後に通い慣れたウィグモアホール。
ここは高級そうでいてけっこう親しみやすい。
目当ての演奏家がくる時はもちろん、特に観聴きしたいものが無い時こそ
ここに来て音楽を聴いた。そうして聴いた知らない音楽家の中に、
ずいぶんユニークな人たちがいることを知ることができた。
昨日もホールに寄ることが目的だったから、知らない演奏家だった。
グリーグに『ホルベルク組曲』というのがあり、あれのピアノ版があるのを
初めて知った。ルズヴィ・ホルベアという17世紀後半から18世紀前半を
生きたノルウェーの劇作家を題材にした曲だ。
「北欧のモリエール」というのがホルベアのあだ名だった。
彼は喜劇の作家だったのだ。
音楽は颯爽として、ホルベアの疾走感が伝わってくる。
思わず胸がすき、開放的な気分になった。
イギリスの美術館は写真撮影OKだし、コンサートホールではグラスを客席に
持ち込んで飲みながら演奏を聴いて良い。そういう習慣ともお別れの日だった。
日本に帰ればそれらは禁止事項だし、またマスクを付けての生活が始まる。
けれども、やっぱり日本での仕事と生活のためにこの11ヶ月間を
過ごして来たから、試してみたいことがたくさんある。
勝手知ったる日本に帰れる。そういう開放感が強い。
やっと自分の持ち場に戻る!
2022年12月29日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑この景色はブレイクの過ごした220年前も同じだったのではないか。
昨日はFelpham(フェルパム)に行った。
ロンドンから南に2時間ほどのところにある海岸沿いの街だ。
真南に行くと有名なブライトンがある。
海沿いに西に行くと日本人が名前だけ知っているポーツマスがある。
フェルパムはその間にあるマイナーな街。
ここは詩人ウィリアム・ブレイクの関連地で行き残した最後の場所だった。
ずっと気にかかっていたが、遠出でもあるし、特段イベントもなく
いつでも行けるものだから後回しになり、ついに帰国の日が迫ってしまった。
それで、早起きして行くことにした。
生きている間は不本意な仕事しかできなかったブレイクは
生粋のロンドンっ子で、70年の生涯のほとんどをロンドンで過ごした。
けれども、あまりの困窮に3年だけロンドンを離れる。
そこで移り住んだのがフェルパムだった。
明らかな都落ちだから、きっと寒村だろうと想像していた。
けれども、実際に訪れたフェルパムは観光地で、店も多かった。
ブレイクが暮らしたのは1800-1803年だから一概に同じとは言えないが、
暖かで風光明媚なことに変わりはなかったと思う。
昨日は寒いし、雨だし、強風だったけれど、
ここが冬でなければとても過ごしやすい土地であることはすぐに分かった。
ブレイクが暮らしたコテージは博物館として保存されている。
残念ながら修繕が間に合わずに中に入ることはできなかったが、
外から眺めることができた。この場所で彼は中年の三年間を過ごしたのだ。
今までは、何か寂しげな三年を想像していたが、実際に来てみると
英気を養うような期間だったのではないか。そう思えてきた。
そのコテージの目と鼻の先にあるパブ、The Fox Innで食事した。
創業は1790年だからブレイクが越してくる10年前からここにあったわけだ。
このパブでブレイクは反動的な演説を打ち、逮捕されたという。
さらに3分ほどのところにある聖マリー教会。
誰もいない建物の周囲をウロウロしながら、たまたまやって来た男性に
声をかけると、電気を点けて中を案内してくれた上、ブレイクを記念した
ステンドグラスの場所を教えてくれた。ちゃんと隅の方にキャプションがある。
一番の収穫はビーチだった。
行きしな、小雨・強風の荒々しい海辺づたいに歩いて縁の地一帯に辿り着いた。
風が強過ぎて傘がさせない。体を前に傾けないと進めないような風。
あまりに強過ぎて、すれ違う人たみなと笑いながら挨拶を交わし合った。
ふとみると、カモメが何匹も飛び立とうとしていた。
海の方に向かって風に乗ろうとする。けれど、誰も彼もが押し戻されて
着地を余儀なくされていた。けれども、飽きることなく、もう一回、もう一回。
海辺とカモメのこと。
この景色はブレイクの頃と変わらずにあるものだろう。
これを見て、彼は励まされたかも知れないと思った。
そうしてロンドンに戻ったのかも知れない。
1803年から20年数年間、ブレイクはロンドンで足掻いた後に亡くなる。
移動時間合計5時間。滞在時間2時間半という小旅行だった。
強風すぎて傘もさせず濡れたから、帰国前に風邪をひかないようにしなければ。
2022年12月28日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
渡英した時、トランク一個。リュック一個。書類かばん一個で出発した。
書類かばんはわざわざ買った。なぜかというと、ロンドンではリュックを
してはいけないと聞いたから。治安の悪いロンドンでは、
背負ったリュックですら気付かぬうちに背後からの盗みに遭う。
そういう触れ込みだった。書類かばんは肩からかけると体の前にくる。
が、ここで暮らすうちに、リュックは大丈夫だとわかってきた。
都心ではいつも足早に歩いているか、催し物会場の中にいる。
あまりカフェにもパブにも行かない。それが良かったのだろう。
幸い、泥棒には遭わなかった。書類かばんを持って、
荷物が常に自分の前にくるようにしていたのは
ほんの半月ほどの間だけだった。
ともかくも、行きの時にはトランクの重さを量りさえしなかった。
春夏用の服は後で送って貰えばいいやと高を括り、
当座の衣類しか持って来なかったことも荷物を軽くした。
この計画は、渡英後に起こった戦争により挫かれることになった。
だから服を買った。それからCDを買い、少し本を買い、
何より書類が増えた。300以上観た公演に関する全ての付属資料、
当日パンフレットとかチラシとか、それらをいちいち保存してきたから、
とてつもなく重くなってしまった。
で、現在である。
先週、ダンボール二個を日本に送り出した。
24kgの荷物が二つ。制限25kgだからパンパンに詰め込んだ。
それから昨日はトランクを二つ作った。
23kg制限で二つ。
こちらでできた友だちに体重計を借りて、いちいち掴んで乗り、
自分の体重を引きながら量る。結果、一つは22.5kgで収まったが、
残る一つは8割入れたところで30kgに達した。
完璧な超過である。仕方ない。料金を払って凌ぐしかない。
それにしても、お金で全てが解決できるわけではなく、
オーバーも9kgまでが限界だそうだ。最後まで闘いは続く。
しかし、20kgくらいの荷物でやってきて、
帰りは100kgに到達してしまっているということだ。
生活は恐ろしい。帰国したのち、これらがどこに収納させるのかという
問題もある。闘いは続く。
2022年12月27日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑イギリスでは汁物にありつくのが難しかった。Deli-Xでよくこれを食べてきた
いよいよイギリスを離れる前に、何軒か店を回っている。
どれも格別に親切にしてくれたレストランと喫茶店。
まずは、イタリアンのマルチェラ。
イギリス人にはアルデンテという概念がなく、
大概のスパゲッティを食べると猛烈に後悔する。
実際、イギリスのサイゼリヤのような店でカルボナーラを頼み、
水っぽくてブヨブヨしたものを食べた時はずいぶんと
落ち込んだ。ひたすら胡椒をかけてごまかす。しかも2,000円強。
が、このマルチェラは違う。
研修先の劇場のすぐそばにあり、決して安くはないが、
クオリティが抜きん出ていた。渡英直後に初めてまともな食事をしたのが
ここだった。それから、ちょっと贅沢したいときに行き、
知り合いを招いての食事に使ってきた。最後にシェフたちに挨拶した。
それからDeli-X。
ヴァイオリニストの友人ピーター・フィッシャーとの溜まり場だが、
コメダ珈琲的に居心地が良いので、一人でよくパソコン仕事をした。
電源を繋ぐことができたからだ。夏の暑い盛りは、ここでミネストローネを
食べて凌いできた。通常は2枚のパンがいつも3枚付いてきたのは、
オーナーのダニエルさんの心づくしだった。
あとは、自炊。
イギリスでは一度も料理をしたことがなかったが、
12/25クリスマスはどの店も閉まり交通機関も停止したために、
前日に材料を買っておいて初めて料理した。最初で最後の料理。
今週は最終週だから、フィッシュ&チップスやパイ&マッシュも食べるつもりだ。
特に後者の店で食べられるウナギの煮凝り、ジェリード・イールには相当に
はまってきた。イギリス人のほとんどが忌避するそれを私は気に入ってきた。
和食屋の付き出しに出てくる魚の煮凝りのような感じで、美味いと思うのだが。
2022年12月23日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑いつもカフェで気さくに話してくれたギャビン。威圧感が微塵もない人た
昨日、12/22(木)に語学学校を卒業した。
当初は12/9(金)の卒業予定の10ヶ月コースだったが、
通い始めて2ヶ月目にはAlbanyの活動が軌道に乗り、
毎週火曜日を休まざるを得なくなった。
そこで、休む分を延長してくれたのだ。
そのようなわけで、初めの半年は週4で通っていたが、
8月に入ってからは地方遠征が増えてやや崩れた。
もう躍起になって各地を廻り、Albanyでのミーティングも増えたから
不良学生に転落していった。
極め付けは11月以降。帰国を控えて来年の企画が本格化するに従い、
英国時間の朝=日本の夕方にオンライン会議を組まざるを得なくなった。
しばらく不登校みたいになり、登校すると「久しぶり」と言われるように
なってしまった。
今週はすでにクリスマス休暇の学生も多くて、
閑散とした学校に最後の思い出として通った。
初期に自分のモチベーションをかなり高めてくれたエリザベス先生は
先週で年内の仕事がおしまいだったから、初めて食事に行った。
「スシが食べたい」と言われてグリニッジの良さげな店に行き、
ばらちらしの食べ方を伝授した。
刺身をつける醤油にわさびを溶くのは御法度だが、
ちらし寿司に限ってはそれで掻っ込む無作法こそ美徳となる。
『江戸前の旬』という週間漫画ゴラク掲載の有名なマンガにも
そういう教えを説いた回がある。そう伝えておいた。
帰りに本をプレゼントされて、帰国後の英語での読書を推奨された。
良い先生だったし、友人として付き合ってくれた。
そしてAlbany。
12/24(土)にキッズプログラムを観に行くのが私のAlbany納めだが、
昨日は最後の総括としてギャビンと話した。
スタッフの雇用形態とか、レジデントカンパニーとの関係性、
後継者問題から来年度の運営形態に至るまで、ここぞとばかりに
しつこい質問をした自分に丁寧に答えてくれた。
最後にWhatsAppを交換して、今後も連絡を取りやすくした。
貴重な時間をとってくれたのだから、
昨日のギャビンとの時間には多くの準備を費やして臨んだ。
質問事項をあらかじめ紙に書き出したり、今年に自分が観てきた
プログラムを整理した表を見せながら喋った。
Albanyのプログラムは72公演を観た。
レギュラーのキッズ・ファミリープログラム有り。
貸し館あり。もちろん2022年に注力したフェスティバルプロあり。
3月23日19:00には、2022年を総括するミーティングが行われる。
ミーティングと言っても、テレビ番組みたいな仕立てで面白い。
今年の3月に誰が誰ともわからず参加した時には、英語がまたまだ
難しくて難儀したけれど、全てを知り尽くした今度の会議は愉しめそうだ。
日本時間では、3/24 AM4:00からの開催。
久しぶりにみんなに会えるのだと思うと、喜んで起きるだろう。
折り詰めの寿司でも買っておいて、見せびらかしながら参加しよう。
2022年12月22日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑光るパペットとともに歩く4,000人強の人たち
昨夜はAlbanyのメンバー、ソフィー、メグらと連れ立って
Beckenham Place Parkに行った。
ルイシャム地区の南の方にある大きな公園だ。
発音が難しい。カタカナにするとベッケンハム・プレイス・パークとなる。
しかし、私にはどうしてもバッキンガムパレス・パークに聞こえてしまう。
打合せ初期、私はずっとバッキンガム宮殿の前の公園で
何か催しをやるのだと思い込んでいた。
同時に、一年間行ってきた地域のフェスティバルの終幕を
どうしてルイシャム外でやるのか?マークで頭がいっぱいだった。
が、チラシを見て得心した。
確かにルイシャム地区には似た発音の公園があったのだ
公園に着くととても暗かった。
こちらも日本での野外イベントの経験が多数あるが、
安全管理上、日本だったら明らかに問題がある暗さだった。
足元が見えないし、好き放題に走る子どもをすぐに見失ってしまいそうだ。
その中で、各所でリハーサルが進行していた。
合唱したり、楽器が演奏されたり。霧がかった広くて暗い公園のあちこちで
ポツリポツリと人々が動き、合唱したりしている光景は、
UFOを呼ぶ儀式のようだった。
スタート1時間前だから、まだ人の気配は薄い。
この公園でのメインコンテンツはサーカスである。
若手のフィジカルパフォーマンス系のサーカス団がテントを建て、
12月半ばから1月上旬まで興行を行う。
それを土台に、先ほど道すがら見てきたフィナーレが展開するという趣向。
まずはテントに入り、セレモニーに立ち会った。
今年一年間のフェスティバルを記念して、Albany代表のギャビンや
ルイシャムカウンシルの偉い人、代表的なクリエイターが次々と登壇し、
スピーチを行った。面白いのは、こういう場で、皆さんはポケットに手を
突っ込んで喋ったりする。これが普通なのだ。
ギャビンの紹介で、これまでやってきた数多くの、
ほんとうに数多くのイベントの映像がダイジェストされた。
その場にいた中で、自分は最も多くそれらに立ち会ったのではないか。
まるで走馬灯のようだった。それぞれの場にいた聴衆、スタッフ、クリエイターを
思い出して、各地各時間に繰り出された莫大なエネルギーの総量を思った。
ほんとうに途方もない。
イベントの中には数千人を集めて大いに熱狂したものもあった。
が、中には、荒削りなもの。チラシが完成したのはやっと10日前だったもの。
聴衆がさっぱり集まらなかったものも多数あった。
けれども、こちらのメンバーはそういったことを引きずることもなく、
とにかく乱打戦を制するように協力しあって前進してきた。
聴衆がほとんど関係者だけだった時も、限られたメンバーで
熱心に拍手して、胸を張って一つ一つのイベントを凌いだ。
ダイジェスト映像に見入っていると、
自分にはなぜか、そういう爆発しきれなかった光景の方が胸に迫った。
よく凌ぎ切ったスタッフたちへの敬意が込み上げてくる。
小一時間ほどそんな会があって外に出ると、驚いた。
その前まで閑散としていた公園に、4,000人超の聴衆が溢れていた。
自分はこの企画にはノータッチだったから、あまり内容も知らず、
本当に初見の一人として驚きながらこれに加わった。
最後のイベントは、こんな具合。
林の中から、光るパペットが生まれて、それは小学校一年の子どもの大きさくらい。
彼が別に光る球体を追いかけて、公園の歩道を進む。聴衆はその周りをゾロゾロと
ついて行く。途中、合唱や、ライトを振り回すダンスや、この地区の皆さんによる
パフォーマンスに遭遇し、コミュニケーションしていく。
ある地点までいくと、光るパペットは成長し、巨大な4メートルくらいの大きさになる。
彼は多くの人たちにハイタッチしながら、木を愛でたり、鼓笛隊と絡んだりしながら
公園中を闊歩し、やがて大きな教会の前まで来て皆に仕草で挨拶をした。
そして、その光を失い、建物の中に消えていった。
その前のテントでのセレモニーが終わった時、すでに気温は4度くらいだった。
初め、あまりに寒かったので、風邪を引かないかどうか心配だった。
このイベントは1時間くらいあると聞いていたから、かなりビビった。
けれども、始まってすぐに時が経つのを忘れた。
4,000人以上の人々を引き連れて霧深い闇の中を光る人形が先頭をゆく。
大行進だった。ルイシャムらしく、あらゆる人種の人たちがいた。
子どもも、赤ん坊も、お年寄りも、車イスの人も。犬もいた。
そういう人いきれが大移動していく光景に見惚れながら歩くうちに
あっという間に終わってしまった。寒さも感じない。
高揚して、風邪など引こうはずがない。
終着地点の教会の前で熱狂する人々を見て、
気がつくと代表のギャビンが立っていた。
普段から、こういう場所でギャビンはいつも傍観しているのみだ。
実際に手を動かしているのを見たことがない。
そして、けっこうな割合で一人ポツンと立っている。
ここに集まった人たちはそれぞれによく働き、よく楽しみ、
熱狂の中で自分を燃焼させていた。
けれども、ここにいる人たちの中で、
一番基礎になっている人物こそギャビンだった。
彼がAlbanyを背負ってからの20年以上がなければ、
このイベントも、聴衆の集まりも、すべてがないのだ。
感動して後ろから彼の写真を撮っていたら、
振り返って自分に気づいたギャビンがこちらを指さして笑った。
彼の姿を、自分は一生忘れないでいようと思う。
2022年12月20日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑小さな劇場、小さなカフェだけれど、いつも人の気が充満している
昨日はその最高潮だった
昨日は3月から参加してきたシニア向け企画
"Meet Me"のクリスマス・パーティーだった。
当初は近所のパブJOB CENTERで開催する予定だったが、
1週間前に店側からキャンセルの通達があり、
プロデューサーのソフィーはげんなりしていた。
そう。英国では店側から一旦受けた予約をキャンセルされることが
ままあるのだ。日本では考えられん。
気を取り直して、
結局はいつもの稽古場で手作り開催することにした。
Albanyにはカフェがある。
そこに調理場もあるので、カフェのスタッフたちが
ヨークシャー・プティングだとかチキンのソテー、
ベジタリアンには焼きナス、人参のグラッセ、
ブロッコリーなどの和え物、じゃがいもを焼いてくれた。
昨日の出席率は極めて高く、日ごろ休みがちなシニアも沢山来ていた。
初めは、カフェスペースで合唱する。いつもアート製作に
取り組んでいるシニアたちがメインの聴衆。
そこに、カフェを利用するお客さん、クリスマス用のキッズプログラムに
訪れていた家族連れのお客さんたちも聴く側として自然に加わる。
いくつものクリスマスソングを歌ううち、
劇場事務所からもスタッフがみんな顔を出し、合唱を応援し始めた。
要するに、劇場建物に居合わせた人たちみんなが集まり、
振り付け付きで大合唱する格好になった。
唐さんの出身である長屋の家族的雰囲気が溢れ、かなり感動的な
光景だった。
それからいつものリハーサルルームに移り、みんなで食事。
みんな帽子をかぶって、クラッカーを鳴らして、
職員もボランティアスタッフもみんなで食べた。
それから、クリスマス恒例のくじ引きがあった。
続いてシニア側の幹事からボランティアスタッフたちへの
表彰があり、その中には自分も対象として入っていた。
エンテレキーアーツのスタッフで、これから産休に入るジャスミン、
それから自分は特に手厚くしてもらった自分が、順番にスピーチした。
ジャズミンは短めだったけれど、
自分にとってこれが本当に最終最後の機会だから、
日本語で挨拶する時のように時間をとって喋らせてもらった。
これまでのことを思い起こしながら込み上げてくるものが多すぎて、
御礼を伝えるのに必死で時間が経つのを忘れた。
英語についてずっと自信無く過ごしてきて、
今も大して上達しなかったという感慨の方が強い。
けれど、10分くらい、自分が英語で喋っていることを忘れて
話せるようにはなった。
そのあとはお開きとなり、一人一人と別れを惜しみつつ、
人生の先輩たちに「アツシはワイフとチルドレンを大事にしろ」と
繰り返し繰り返し言われながら彼らを見送った。
自分が一番の基礎としてきた企画が完全に終わった。
あとは明日、CEOのギャビンと総括的な話をして研修は終わる。
その後に御礼のメッセージを方々に書いて仕込んだら、Albanyはおしまい。
やること多し。もうひと越えだ。
プロデューサーのソフィーと。見た目通り終始優しかった。↓
2022年12月20日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑雪のために道をはみ出して歩くことが難しいのに・・・
最近、なぜか映画『八甲田山』が観たくて仕方ない。
YouTubeで細切れの映像を観るのだが、やはり全体が観たい。
別にロンドンに雪が降ったからではない。
ロンドンに雪が降ったのは1週間前だが、それより遥か前、
1ヶ月半くらい前からなぜか『八甲田山』が観たいのだ。
考えてみれば、これは、すぐ隣にある危機への
シンパシーではないかと思う。英国では、通い慣れたはずの
道ですらすぐに危機が訪れる。
ストライキは起こり、予告もなしに駅は閉鎖される。
先日など、都心めがけてバスに乗ったところ、
道が混みすぎているからと運転手は一言だけ放送を入れ、
途中で勝手に進路を変えた。そして、最寄りの降ろしやすい
バス停で全員を降ろしてしまった。
看板に偽りありにも程がある。
しかし、不思議だが誰も文句を言わない。
渋滞によりバスの到着が遅れて遅刻した経験はあるけれど、
バスが引き続きの運行を放棄しての遅刻とは。
果たしてこれはよくあることなのか。さっぱりわからない。
ところで、先日はまたしても郊外に出かけた。
例によってコンサートを聴くためなのだが、
途中の道にはかなり往生させられた。
こちらはナビが2時間半での到着を予想していたところを
ビビって4時間半前に家を出た。だから最寄り駅に着くのも早すぎて、
シャトルバスが迎えに来るまでに1時間半もある。
ナビを見れば30分ちょっと歩けば良いと出ていたものだから
勇んで歩き始めた。が、あっという間に民家はなくなり、
原野みたいな光景。本当にこんなところに劇場があるのかと
思いながらも、Googleナビに従って歩道のない道を前進した。
が、道半ばでNo footwayの表示。
そんなの今さら言われても困るから、ドキドキしながら小走りに前進し、
途中ビュンビュン走る車に邪険にされながらも何とか目的地に着いた。
電灯の無い道だった。
日没したあとだったら、車は私がいると気付かずに飛ばしただろう。
陽が残っていて良かった。
あと2週間で帰国したら、何か食べながら『八甲田山』を観たい。
2022年12月16日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑ミミと一緒に聴き、終演後にSarah Connollyに挨拶に行った。
一ヶ月くらい前に発見して小躍りしたコンサートに行ってきた。
今回はお世話になってきたミミを連れて。
開場前にミミの好きなレストランに行ってご馳走になり、
こちらはチケットをプレゼントした。
Middle Temple Hallという都心にあるサロンでのコンサート。
クリスマス用の特別な会だったから、休憩時間にドリンクサービスもあり、
内容も変わっていた。
サラ・コノリーの歌だけでなく、ヴァイオリンの演奏、
ベケットやクリスマスの童話を面白おかしく語る朗読。
Temple Church付属の男声合唱、子どもたちが登場してプレゼントを
置いていく演出まであった。
初めはかなり権威的な感じがして面食らったけれど、
休憩時間を挟んで後半になると、お客さんも酔っ払って
座が砕けた感じになり、面白かった。
サラ・コノリーはいつも通り素晴らしく、
シューベルトも良かったけれど、初めて聴いたフーゴー・ヴォルフが
特に美しかった。そして、彼女は遊びでピアニストと連弾をし、
さらに弾き語りまで行った。
終演後に挨拶に行き、ピアニストとしても称えた。
私のイギリスでのボスです、とミミも紹介して楽しく話すことができた。
ホールのスタッフの一人、黒人のおじさんはかなり面白い人で、
初めて訪れた私たちを丁寧に案内してくれた。下の写真は、
「ここでシェイクスピアの『十二夜』が初めてレコーディングされた」
という記述に注目して撮影した。
ここでの上演が、映像として記録されたということか?
ちょっと分からないけれど、私のカバンにはAlbanyでお土産にもらった
『Twelfth Night』のカッコいい本がたまたま入っており、
三人で盛り上がって撮影。
ずっと一人でこんなこともしてきたと、ミミに伝えられて嬉しかった。
2022年12月15日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑ こちらでの毎日が溢れている品々
昨日は水曜日だった。
The Albanyでは毎週水曜15:00にカフェで集まりがある。
別になんの強制力もない会。おやつとコーヒーが出るので、
オフィスにいる人、その時間に余裕がある人はカフェに集まっておしゃべりする。
今年のAlbanyはあまりに忙しかったから、これは今月の頭から始めた習慣。
昨日はミミと約束があり、特に時間前に余裕を持って行くようにして、
パソコン仕事をテーブルに座ってしていた。
すると、みんな集まってきて、いつもより盛んにコーヒーを勧める。
妙に熱心だから、進行中のメールづくりを中断して輪に加わった。
いつもはもっとフリーな雰囲気だけど、
不思議に思いながらコーヒーを注いでミルクを入れようとしたら、
自分のためにちょっとしたセレモニーと贈り物の時間が始まった。
来週、忘年会があると聞いていたから、その時がお別れで
その時に挨拶しようと思っていた。だから、これは不意打ちだった。
みんなの中には、今週末で仕事を終えてクリスマス休暇に入る人もいる。
だから、昨日になったのだ。
みんなの前で挨拶をして、Albanyの素晴らしさと感謝を伝えた。
ここは建物は小さいし、煌びやかな作品をいつもやっているわけではない。
けれど、日常を大切にしている。
今日も、周辺地域の人たちが望むことをやって、
多くのクリエーターたちが間借りした事務所で新たな展望を語りあって、
いつも活気のある食堂やパブのような劇場だ。
プレゼントを開いたら、
一年間のフェスティバルの中で体験してきた全ての事業のチラシ、
一緒にした作業の合間に食べて私が「美味い!」と気に入った現地のお菓子
(スーパーで売っているやつ)
私がいつも食べてみんなにもプレゼントしていたパン屋のパン、
自分が発見してみんなに教えた近所のカフェのキャンドル、
この作家が好きと話していた英国作家のビンテージ本などが入っていた。
こういう人たちなのだ。
彼らは、日ごろ自分とした会話をよく覚えていてくれて、
その証言を持ち寄って、今日のプレゼントを仕立ててくれたのだ。
ロンドン市から受託したフェスティバルのおかげで、
今年のAlbanyスタッフがイギリス人にあるまじき忙しさだった。
折に触れ、何人かに「もっと一緒に食事したり、出かけられなくてゴメンね」
と言われてきた。
その度に私は「気にしないで。おかげで、たくさんの催しを体験できるから」
と返事してきた。
プレゼントを見て、彼らが、自分との限られた時間、
なかなか上達しない英語でのコミュニケーションの中でも、
いつもこちらに興味を持って、注意を払ってくれていたのが伝わってきた。
英国は契約社会で競争も激しい。
何人かは契約を終えて劇場を去り、何人かは契約更新の是非を巡って
これから打ち合わせに入る。すでにステップアップを決めた人もいる。
けれど殺伐とせず、上記のような配慮を忘れない。
だからこそ、常に緊張感を持って自分の腕を磨いている。
システムや制度や肩書きや役割で振る舞うのではなくて、
人間の裁量を常に重視している。
これからの目標がはっきりと見えてきた。
なぜ自分が唐さんやテント演劇が好きで、
神奈川の仕事をするようになってからも、なぜ各地を走り回って、
シニアや障害者の人たちとの企画をつくってきたのか。
その中で何を押し通そうとしてきたのか。はっきりわかってきた。
2022年12月14日 Posted in
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中野note
↑粘土細工しながらクリスマスソングを大声で歌うシニアたち
昨日は"Meet Me"というシニア用レギュラーWSの年内最終回だった。
いつも通り合唱をし、アート製作をし、ここ一ヶ月取り組んできた
特別プログラム"陶芸WS"も行った。
初めて参加した3月から半年以上が経ち、今では全員と顔見知りになった。
ボランティアスタッフの中には新たに加わる人もいて、こちらが道具の
しまい場所を教えてあげることもある。
シニアたちが休憩時間に飲むお茶について、
それぞれの好みを把握するまでになって、
みんなも打ち解けて話してくれるようになった。
何枚もクリスマスカードをもらって、こちらの習慣を実感した。
先週に都心の劇場で行ったイベントで年内一区切りという人もいるし、
二日前に降った雪の影響で欠席する人も多かったけれど、
いつも通り歌を歌った後に、皆さんにお礼を伝えた。
その後に先生の仕切りで、来年は何が歌いたいかという話し合いが持たれ
みんなが一曲一曲大合唱していくのが面白かった。
その中には、唐さんが『少女仮面』の中で使った『悲しき天使』もあった。
来週まで集まりはあるけれど、次回はパーティーだ。
お世話係のソフィーは、予約してあったはずのパブ「ジョブセンター」が
店側からパーティーをキャンセルしてきたことにゲンナリしていて
おかしかった。いかにもイギリスらしい。
来週は早めに集まって、パーティー会場になったいつもの稽古場を飾り付け、
料理をする必要がある。その時がほんとうに最後になりそうだ。
中には90代の人もいるから、今生の別れは必至。
数多くのアーティストにも会ったけれど、
ここで出会う近所の人々との交流こそめっぽう面白かった。
みんな自信に満ちていて強気だ。明らかに生命力が強い。
英語も、彼らによって鍛えてもらった。
2022年12月13日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑この人に会って一緒に食事した
今回の11ヶ月間の研修中、先週末は明らかなハイライトだった。
前半の山場は7/28-30に行ったThree Choirs Festivalだと感じた。
今回は後半の山場。
場所はミルトン・ケインズ。
友人のピーター・フィッシャーが誘ってくれたので、
ロンドン郊外のこの新興都市にジャズのクリスマスコンサートを聴きに行った。
正直、初めは侮っていた。
地方都市の郊外にあるさほど大きくもない劇場。
自分はJazzに詳しくないので、出演メンバーが誰かもわからなかった。
行きの車の中でピーターに、「今日は何のコンサートなの?」と聴いたくらい。
彼は色々と教えてくれたけれど、知らない固有名詞が多くて
自分にはよくわからなかった。
が、始まってすぐに異変に気づいた。
聴衆は近所の人たちばかりなのだが、やたらと質が高い。
だから終わる頃には、ピーターにくっ付いて翌日もこの演奏会に
立ち会うべきだと思った。
その後、バンドのリーダーとメインの歌手に誘われて、
彼らの家で遅い夕食をご馳走になった。美術館のようなお家だ。
すると、かなり高齢の女性がその食事に加わった。
彼女の名前はCleo Laine。95歳。
メインの歌手はJacqui Dankworth。
バンマスはAlec Dankworth。
Cleoの子どもたちだった。
毎年クリスマスになると、彼らは自宅の隣にある小さな劇場で、
恒例のクリスマスコンサートを開いてきた。
始まったのは50年以上前。Cleoは旦那さんのJohnny Dankworthと一緒に
この催しを始め、現在は子どもや孫を中心に集まる仲間たちに
それが引き継がれている。それがこのコンサートだった。
夜中にロンドンに戻り、翌日は夕方までの時間に買い物をした。
CDを買って、それからジャパンセンターで良さそうな梅酒を買った。
二日目はなお自由度が増したコンサートだった。
終わってまた食事。
乾杯の時に差し入れた梅酒で「カンパイ!」と言ってくれた。
そこからまた、ピーターとロンドンに戻ったのが午前4時。
二日経つが、いまだに現実感がない。
あれは何だったんだろうか。
「来年は家族を連れてきなさい」と言われたけれど。
2022年12月 9日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
いつ日本に帰るのか?
そう訊かれることが増えてきたので、12月31日と答えている。
すると一様に、それじゃどこでハッピー・ニューイヤーか
分からないね、と言って笑う。
12月20日(火)と21日(水)に大きなパーティーがあるから、
大半の人たちとはそこでお別れになる。
と、思っていたら、一昨日は先制パンチを喰らった。
ずっとAlbanyのチケット売り場や入場管理係として
お世話になってきたマチルダが、任期満了で退職することになった。
たった11ヶ月の滞在でさえ、これまでに何人も同じような人たちを
送り出してきた。これがイギリス流の働き方で、だいたいが一年契約。
契約者と息が合えばそれを更新するし、他に行ってもみければ
新たにチャレンジする。そうやって次々と職場を移っていくのだ。
だからこそ、今接している人たちへの敬意と
何もかも自分の腕次第という緊張感を持って働いている
感じがする。一方で、体を壊したらどうするんだろう?とか。
産休とか育休は?とか。なかなか厳しい社会でもある。
終身雇用の方が安心して安定した力を発揮できる。
人間にはそういう側面もあると思う。
イギリスで住んでいるダイアンの家にはプリンターが無いから、
自分はいつもマチルダに添付ファイルを送って印刷してもらった。
明らかに仕事に関係ない、旅行の予約や公演チケットなどを
オーダーすると、かえって丁寧に封筒に包んでプレゼントしてくれた。
イギリス人としては異例に細やかなマチルダ。
またしても突然に切り出されて面食らったメレど、
何度も御礼を言ってマチルダとお別れすることができた。
それから、夜は都心でのコンサートを聴いた後、
強行軍でAlbany近くのライブハウスにも行った。
渡英直後、衝撃を受けた音楽表現の一つが、
このMatchStick PieHouseで聴いたSteamdownというバンドだった。
ジャンルはFolkとJazzのフュージョン。
当時は特に日本でのコロナ対策感覚が残っていたから特にたまげた。
超過密なスタンディングで皆が上着を脱ぎ捨て、
熱気でサウナ状態になりながら、毎週水曜日の定例ライブで
深夜まで盛り上がってきたのだが、いきなり年内最後だと
言われたので、行かないわけにいかなかった。
24時近くになってやっとライブが終わると、
一気に解放された出入り口から強烈な冷気が入り込んで
気持ち良かったが、片付けをしているジョージに話しかけた。
みんな、アンクル・ジョージと呼んで慕っている彼は、
ライブハウスでのギグを斡旋するプロデューサーだ。
明らかにあまり儲かりそうにない業態なのだが、
それだけにいつもミュージシャンとへの愛情と熱意に溢れていて、
ある時などは、二つの会場で別々のライブを同時進行させて
本人は自転車で30分ほどの距離を行き来していた。
Folkに関心があると伝えると、いま期待できるのは彼ら!
とすぐにオススメを教えてくれて、見知らぬ土地にある会場で
ジョージと待ち合わせたのも面白かった。
別日にこのライブハウスで行われているFolk Sessionにも彼は参加し、
自らギターを片手に即興で風刺的な歌を歌って全員を爆笑させる。
この会はアマチュアの会だから、中にはそれほど上手くない人もいる。
そういう時にみんなの私語がいきすぎると、
「音楽家と歌にリスペクトを持とう」と言ってみんなを嗜め、
歌い手を励ますのも彼だった。
「アツシはファミリーはいるか?」と訊かれて家族構成を伝えると、
「オレは奥さんに離婚されちゃったよ」と言っていた。
イギリスで出会ってきた中で、最も温かみを感じる人の一人。
忘れえぬ人だ。
2022年12月 8日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑右から、司会でヴァイオリン奏者の女の子、リーダー、リーダーがハモる時の
パートナー、自分。そういえば、誰も名前を知らない!?
ああ、お別れの始まりだなと思った。
何をすれば良いか、何が観られるのかよくわからなかった初期の頃とは違い、
今ではロンドンのさまざまな催しをキャッチできるようになった。
だから、昨日も4択あった。
いつものウィグモアホールでバロック音楽を聴く。
ロンドンの南に小一時間行ったところの地方都市にルーマニアの楽団が来ている。
ヴァージニア・ウルフの『オーランドー』が都心の劇場でかかっている。
そしてAlbany近くのライブハウスで行われるフォークソングの集まり。
悩んだけれど、4番目を選択した。
2週にいっぺん、火曜日の夜に開催されるこの会に何度参加してきただろう。
春までは欠かさず、夏場になると遠出やAlbanyの催しが重なって少し遠のく。
秋になって戻ってきたら、集まる人がずいぶん増えて、歌を楽しむより
飲み会の雰囲気が強まった。
まだ12/21にもあると思ったけれど、ひょっとしたらと思って
いつものMatchStick PieHouseに行ったら、冒頭に「今日が年内最後です」
というアナウンスがあって、やっぱり来て良かったと思った。
大人数が集まって超密度、
ホットワインの香りが充満し、揮発したアルコールに頭がクラクラしたけれど
クリスマスソングを皆が思い思いに持ち寄ったステキな会だった。
上手い人、素朴に一心に歌って味わいがある人、
騒ぎ屋の若者、いかにも腕に覚えがあるというおじさん、
色々な人がいるけれど、時間が経つと酔っ払って、一人の歌に
歌と楽器で次々に相乗りしていくインプロが始まって、
期待していた通りの面白い会になった。
この中で自分は、いつもオーガナイザーの女性が歌うのを楽しみにしてきた。
4年前にこの会を始めたという彼女は、いつも少しだけ仕切って、
あとはみんなが歌うままに任せて、でも、流れが途切れると、
自分が静かに歌い始めた。彼女が歌うとみんな静かになって聞き耳を立てる。
それだけの突出した声質と歌唱力を持っている。
正直に言うと、日に一度か二度歌う彼女の歌のために、
自分は熱心に通ってきたようなものだ。
あとは、日本では決して得ることのできない全体の雰囲気。
最後に挨拶をして、写真を撮ってもらった。
例えイギリスに来たとしても、今後この会への参加は至難だろう。
ひとつひとつ行うお別れがついに始まってしまったと思わずにいられなかった。
↓この空気感はまさしくここだけのもの。
2022年12月 7日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑この作業中に強烈に思い出してしまった。
ロンドンでの滞在も残り3週間ちょっとになった。
正直、今は日本に帰る日が待ち遠しい。
何しろ、この慢性的な肩こり、奥歯の痛み、夜の部屋の寒さが
一気に解決するのだ。そう思って、残りの期間は我慢して過ごす。
せっかくいるのだから、
劇場でこちらの人たちと可能な限り熱くやりとりし、
少しでも多くのものを観聴できるよう予定を入れている。
人間は無いものねだりである。
帰国後、数日も経てばまたロンドンに帰りたいと思うに違いないとも思う。
だから、できるだけ後悔しないように。
食べ物の高価なのにはいい加減にくたびれた。
旅先に行けば、もっぱらタイ、ベトナム、韓国、インド料理が希望となる。
暮らし慣れた近所では馴染みの安心できる店があるが、
初めての土地は暗中模索である。
高いお金を出してハズレに当たると侘しい気持ちになる上、
悔しさまでが込み上げてくる。だから、ハズレの少ない上記4カ国が
生命線なのだ。
カーディフでも、夕暮れ後の寒空の下を2kmちょっと歩いてタイ料理屋
に行った。グリーンカレーを注文して、やはり間違いがない。
Albany近辺ではもっぱらベトナム料理。
三軒も良店があるので強いて日本食が無くてもオレはぜんぜん大丈夫!
そう思っていた。
が、昨日、自分がそこそこ飢えていることに気づかされた。
ロンドンに戻り、Albanyでの陶芸ワークショップをやっていたところ、
粘土をテーブルに押し付けて棒状にのばす作業をしながら、
つい日本蕎麦のことを思い出してしまったのだ。
私が蕎麦を本気で食べたいときには秦野市に行く。
野外劇『実朝出帆』に挑みながら発見した名店の数々が
あの街にはたくさんある。店周辺の景色の美しさも含め
都会ではちょっと勝ち目の無いクオリティだ。
もちろん横浜市内、自宅の近所にだってよく行くお店がある。
ああ、今年は年越しそばが食べられないのだな、と思ったりして。
昨日のワークショップでは、ファシリテーターが提供する
匂いにインスパイアされて形を造形する内容だったから、
例えばシナモンの匂いをかいだりした。
すると何故か、これまで大して好きでもなかった八ツ橋が
思い出されるのである。自分でも不思議だが、
シナモンの匂いは自分にとって決してアップルパイなどでなく、
あの「おたべ」のことだったのだ。
あまり自覚してこなかったが、無意識にこたえているらしい。
先日、実家の姉からLINEが来た。
「日本に帰ってきたらみんなでステーキを食べに行こう!」
という明るい誘いだった。・・・大変ありがたい呼びかけだが、
なぜステーキなのか!?
姉だって、学生時代にイギリスとタスマニア島で暮らした。
彼女は同じように感じなかったのだろうか。
特に長く滞在したタスマニアでは、牡蠣をはじめとした魚介が格安で
豊富で、恵まれていたのかも知れない。
姉ながら、どこか日本離れした不思議な感覚を持っている人だ。
↓一個700円以上する赤いきつねを、果たして誰が買うのだろうか?
2022年12月 5日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑Srangwyn Hall
迎賓館のようなホールだった。公演だけでなくパーティーもやるらしい
日曜と月曜の二日間、ウェールズに行ってきた。
実は、英国が4つの国からなることを知ったのは数年前のことだ。
今回の研修を意識するようになるまで、自分にはイギリスと英国と
グレートブリテンとイングランドとUKの違いがよく分からなかった。
さすがに研修の試験を受ける時には多くの人から教わって知識が入り、
実際にロンドンに来てからその感覚が掴めるようになった。
これまでロンドンを拠点とし、イングランドの様々な地域に行った。
スコットランドは3回。ウェールズとアイルランドは一度も行ったこと無し。
だから、というわけではないけれど、ウェールズに行った。
先週にオックスフォードで観たウェールズ国立歌劇場。
本当は本拠地カーディフで観たかったけれど、
気づけば年内の地元開催予定が終了していたので、
ソフトとハードをバラバラにしてコンプリートした。
実際にその出来は今年観てきたオペラの中でもNo.1の面白さで、
もっと早めに追いかけ始めれば良かったと思う。
カーディフの劇場では、すでに慣れ親しんだThe Sixteenの合唱を聴いて
指揮のハリー・クリストファーズさんとロビーでお話することもできた。
それから月曜にはさらに先のスワンジーという街に行った。
この街にあるBrangwyn Hallという空間で、1981年にウェールズ国立歌劇場が
『トリスタンとイゾルデ』を録音した。これは私の特別なお気に入りで、
だから当地を訪ねてみたかったのだ。
事前の申し入れが効いて、
催し物が無いこの日に特別に入れてもらうことができた。
技術スタッフのキースさんという人が丁寧に案内してくれて、写真も撮ってくれた。
一番感激したのは、私がノートパソコンから当の音楽をかけていたところ、
音響システムにPCを繋げてくれたのだ。
キースさんの心配りには心の底から感激した↑
20世紀前半にこのホールをデザインした美術家の立派なカタログまで
お土産に持たせてくれた
指揮者レジネルド・グッドオールの伝記によれば、
1981年11月末に、この音楽はここで録音された。
大ボリュームでホールいっぱいに鳴り響く、音楽の里帰りだった。
現地に行って、なぜここが選ばれたのか事情がよく分かった。
カーディフから電車で1時間。すぐそばに海が広がるこの建物の駐車場は広い。
ホール自体も、時には結婚式などの催しに使われるものだから、
備え付けの客席ではなく、録音作業向きなのだ。
広い客席部分にテーブルや椅子を並べ、
100人を超す演奏家とキャストが録音に挑み、時にくつろいだのだと思う。
録音技師たちは、この平場にたくさんの機材をひろげたことだろう。
その中心には確かに80歳の小柄なグッドオールがいて、
采配を振るったに違いない。
すぐそばに海を臨むホール。
遥かこの海の向こうには、物語の舞台であるコーンウォールが広がっている。
2022年12月 2日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑寒空の下で屋外プロジェクション。スタッフが手分けして誘導
猫は9つの命を持ち、女は9匹の猫を飼っている。
前半は古代エジプトから伝わる言葉。
後半は17世紀イギリスの神学者トマス・フラーが付け足した。
・・・なかなかの名言だ。
猫の心はかくも気まぐれであり、
女性の心はさらに輪をかけて移ろいやすい。
昨日の晩、Catford=キャットフォードに行った。
アーケードの入り口に巨大な猫の像を持つこの街は
ルイシャム区の中心地であり、ここには市庁舎やタウンホールがある。
街の中心にある通りでパブリックプロジェクションが始まった。
初日をお祝いして、大きなパブでセレモニーも開かれた。
作品は、大気汚染を訴えるものだった。
人間の体内にいかに汚染された空気が入り込み、
時間をかけて堆積しながら人々を蝕んでいっているのかという映像。
ルイシャム・カウンシルのある庁舎から窓越しに映像を打ち込み、
向かいにある壁面に投射した。ここは南北と東西に進むバスが行き交う
交通の要所だから、両建物の間にはひっきりなしの車通り。
そのモクモクとした排気ガスを貫く仕掛けだった。
ロンドン市、ルイシャム区、Albanyの面々、
プロデューサー陣、アーティストたち。彼らを囲むロンドンのマスコミ。
日没後の気温は7度。1時間くらいスピーチやインタビュー、写真撮影が
行われた。
↓右側がパブ Ninth Life
その後、近くにあるパブ、その名も"Ninth Life"のパーティールームを
貸切にしてセレモニー。スピーチが連続する会はこちらでは珍しいが、
何人かの偉い人が「長かったフェスティバルもあと1ヶ月。これからの
未来につなげて行こう」と語って、自分に日本を思い出させた。
それにしても、"Ninth Life"。9番目の命。
さすがキャットフォードのネコ像の向かいにある名物パブのネーミングだ。
Albanyのスタッフたちもこの店は初めての人が多く、
何人かとユニークな店名の話になって、私は冒頭の格言を披露した。
「それには続きがあって、女性は・・・」
みんな一様に笑っていたけれど、
それを私が知ったのが、10代の頃に見たテレビ番組
『恋のから騒ぎ』だったとは伝えようもない。
あの頃はバブル経済の香りがまだ残っていた。
新團十郎さんの奥さんと義理のお姉さんも、あの番組から出てきたのだ。
よく考えたら、番組タイトル自体もシェイクスピアの影響。
知的な番組だったのだと今にして思う。
2022年12月 1日 Posted in
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中野note
テムズ川の北は観光客用の繁華街や高級住宅地が多い。
Aegel駅の周辺もその一つだ。
お洒落な服屋やカバン屋、カフェが並び、
行くたびに青山・表参道を思い出す。
246のような大通りこそないけれど、
Aegel駅の周囲にあるお店の雰囲気はまさしくそんな感じだ。
文化的にも、
ここにはアルメイダという有名な中規模の劇場と
人形劇専門の小屋がある。そしてなんと言っても、
サドラーズ・ウェルズ劇場。
ダンスで有名な劇場だ。
クラシックからコンテンポラリーまで、
様々なダンスカンパニーがここにやってきて公演する。
日本で一緒に仕事をしてきた安藤洋子さんも、
フランクフルトバレエやザ・フォーサイス・カンパニーで
よくここに立ったらしい。
実際に私もここでフォーサイスやピナ・バウシェ作品を観た。
そしてまた、野田さんの『Q』英国公演もここで観た。
昨日はマシュー・ボーンの『Sleeping Beuty』を観た。
初日ということもあり、集まっているお客さんたちも
洗練されたファッションの人たちが多くて、
とりわけ華やかな感じがした。
この劇場は、今回の研修の候補地の一つだった。
2017年にさいたまゴールド祭で紹介された劇場が
自分の研修先選びに大きく影響している。
サドラーズ・ウェルズ劇場はシニアたちのダンス表現にも
熱心に取り組んでいるから、候補の一つにあがったのだ。
が、なんだか自分には不釣り合いな気がした。
青山・表参道的な洗練、
コンテンポラリーにアーティスティックな様子が柄じゃないように思い、
今のAlbanyにたどり着いた。ワイルドなDeptfordは上野・浅草的で
妙に馴染む。自分は唐十郎門下なのだ。
一方、この劇場には特別な思い入れがある。
サドラーズ・ウェルズは今でこそダンスの劇場だけれど、
300年以上の歴史を持ち、ダンスに特化し始めたのは20世紀に
入ってからのこと。
かつては演劇やオペラも盛んだったこの劇場で
1945年にはブリテン『ピーター・グライムズ』初演と
1968年には『ニュルンベルクのマイスタージンガー』公演が行われた。
指揮は敬愛するレジネルド・グッドオール。
彼にとってそれらは、キャリアを決定づけるエポックな公演だった。
晩年を除いていつも不遇が付きまとったグッドオールにとって
1945年は初めて脚光を浴びた公演。
それから数年で長い低迷に入った彼が復活したのが1968年の公演だった。
特に後者はライブの様子がCDになっている。
最初こそおぼつかないものの、幕が進むごとに威力を増して、
最後は宇宙的に異様な盛り上がりを見せる。
実にグッドオールらしい演奏。
大手書店フォイルズでディスクを買うことができたので、
会場前の早めの時間に行って、受付の人に写真を撮ってもらった。
この音楽は確かに、54年前にここで演奏されたのだ。
2022年11月30日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
毎週火曜日は恒例WSの日と決まっている。
午後から合唱の練習があった。
もうすぐクリスマス、だから12/8(木)には
都心のオールド・ヴィック座で行われるイベントに参加する。
そこで歌うために、特別に近所の小学生たちと練習。
AlbanyのあるDeptfordは移民の街だ。
アフリカ、中東、アジア・・・、まんべんなくいる。
小学生たちは95%が黒人。これが可愛い。
そして、彼らのウォーミングアップが面白かった。
国歌を歌おうという合唱指導の先生の合図で、
彼らはイギリスでなく、南アフリカ共和国の国歌を歌った。
アフリカ系でない子もいるだろうけれども、今日は南アフリカ、
そういう感じだった。
こちらのシニアメンバーの中にはアフリカ系の人もいるから、
彼らも自然に歌い始めた。それでアフリカ出身なんだと自分が
理解できた人もいた。カリブ出身も多いから、肌の色だけでは
自分には判断がつかない。
こんな風に、いくつもの出身国が当たり前に入り乱れているのが面白い。
日本にも在日の人がいて、沖縄や北海道が独自の出身地であると
誇りにしている人もいると思うが、私は日本人という人との
数の多寡がはっきりしているために、だいぶ違う。
一方で、人間みな同じだなと思うのは、先生に対する反応だった。
昨日、いつも指導に当たっているレイチェルさんがお休みだった。
一昨日の晩、彼女は自分のバンドと一緒にライブがあったのだ。
半年以上お世話になってきたレイチェル先生だし、
どんなライブハウスでどんな風に歌うか興味があって駆けつけた。
ぜんぜん別人のレイチェル。
という風に完全燃焼した翌日だからレイチェルは休んだわけだが、
代わりを務める若手の先生も大したものだった、
が、シニアメンバーの何人かは納得しないのである。
レイチェルじゃないとダメ・・・という雰囲気を漂わせて身が入らない。
こういうところは人類普遍だと思って可笑しかった。
レイチェル先生だって曖昧な指示を出したり間違えたりするが、
皆は不満に思いもしない、が、若手がやると文句が出るのだ。
・・・という具合に来週に向けて準備をしている。
オールド・ヴィック座のステージ裏に入れるのは愉しみだ。
劇を観にいったことはあるけど、裏に入るのは初めて。
高校時代、初めて手に取ったシェイクスピアの文庫本は、
新潮から出ている福田恒存訳『リチャード三世』だった。
表紙を開くと、そこには本場イギリスのロバート・ヘルプマンが
主人公を演じている写真があって、さらに「オールド・ヴィック座」
と書かれていた。今はあまりシェイクスピアなどやっていなさそうだし、
改修もされているだろうが、それでも同じ建物だ。
何か雰囲気を探ることは出来るだろう。
地震のない国の良さがここにある。
2022年11月29日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑日本ではしない替え玉。これで340円くらい
ロンドンでは、クロワッサンが一個400円する。
サンドイッチ一個とミネラルウォーターで1,000円。
だから毎日が真剣だ。
が、物価の高いロンドンにあっていくつか安いと思うものがある。
ハム、チーズ、アイスクリーム、ショーのチケット。
最後のは特に助かっている。今回の滞在はこれが目的なので。
昨日、さらに安いものを発見した。花だ。
今まで数度買い。昨日もスーパーで買って確信した。
ちょっとしたスーパーにけっこう豪華な花束がいつも置いてあって、
それらがさほど高くない。こちらの人にとって身近だからか。
そもそも花束にするような花はいずれも西欧からやってきたのが
理由か。日本で3,000円くらいしそうな薔薇の花束が、
こちらで2,500円くらい。物価の差を加味すれば半分くらいの値段。
それを持って、昨日はウィリアム・ブレイクの墓に誕生祝いに行き、
Albanyでお世話になってきた合唱のレイチェル先生のライブに行った。
こういう時、パッと花をプレゼントすることも、
自分は唐さんから教わった。人の芝居を観に行くときに、
物語に関係がある花を考えて、唐さんはよく買っていた。
が、ハム、チーズ、アイスクリーム、チケット、花、
これらは例外である。他のものは押し並べて高い。
特に高いと感じるのが日本食だ。
よく「日本食を食べたくなるでしょう?」と訊かれるが
値段を見れば到底納得できないから「いいえ」と答える。
それに、何度か経験して失敗の連続でここまで来たのだ。
親子丼、カツ丼、すし、うどん、
どれもチャレンジして強烈な違和感だけが後味として残った。
そこに、先日は一昨日は味噌ラーメンが加わった。
コンサートを聴いた帰り、いつもの通りを一本入ったところに
日本食の店を発見し、驚いた。こんな身近なところに、
しかも、閉店時間の早いロンドンなのに22:30まで営業。
それで、なんだか日本を思い出した。
何かを観て、少し食べて帰る。あれがやってみたくなった。
それで、一杯2,000円する一番安い味噌ラーメンを頼んだのである。
酷かった。ただひたすら酷かった。
スープもひどいが麺がさらにひどい。明らかに小分けにする用の
ザルでしかも茹ですぎているために(英国人はアルデンテを理解しない)、
ニチャニチャと固まった半分ダンゴのような麺が沈んでいた。
歯触りが悪すぎる。向こうから吸い付き、こちらが絡め取られる
ような食感だった。
一晩経ってもあまりにあの口の中のニチャニチャとした感覚、
おの記憶がひどいので今日は一風堂に立ち寄った。
ここは値段を除けば日本とそう変わらない。
多くの人はスープが薄いとかいうけれど自分はそう感じない。
むしろ、温度がぬるいことの方が気になる。雑なのである。
・・・という具合にトラウマを更新しないではいられなかった。
あんなに好きだった麺類そのものを嫌いさせるほどの迫力だったが、
克服して現在に至る。おかげで出費は倍。
2022年11月25日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑入口はここですよ、分かりにくいから迷わないように。
,そう言って先方は写真まで撮って送ってくれた。10日したらここを訪ねる
今週から来週頭にかけて日本との会議が目白押しだ。
時差が9時間あるから必然的にロンドンの早朝になる。
それぞれに準備が必要だから、夜中まで詰めの作業をして、
寝て、起き抜けにミーティングする。
おかげでシャワーを浴びるのが遅く、ダイアンに文句ばかり言われている。
不眠気味な彼女は、こちらがゴソゴソとやっているのが気になるのだ。
彼女はキッパリ物を言うタチだから、翌朝に必ず刺される。
その度に誠心誠意謝るが、その夜に改善されたりさねなかったりする。
これを繰り返して、さほど嫌な感じなく過ごしている。
やり取りがあることが大切で、後に引かない。
もう一つ。
最近、夜中にハマっているのが、ウェールズ行きの計画を練ること。
来月の予定を見、他にも行き残した場所をカウントしながら
ホテルの値段をチェックする。週末は高い。
日曜から月曜にかけての一泊が安い。
何が観たいとか、どこの劇場に行きたいとか、
希望が絡むから条件は複雑になるが、これだ!というコースを発見した。
12/4(日)
11:00 本読みWSが終わる。
11:35 グリニッジから地下鉄でパディントン駅へ。
12:38 パディントン発の国鉄でカーディフ中央駅へ。
14:33 カーディフに着き、歩いて10分のホールへ。
15:00 St David's Hallで合唱団The Sixteenを聴く
17:00 ホテルにチェックイン
その後、気が向けばカーディフ・ミレニアムセンターでダンスを観る。
以前はこんな風に接続が上手くいくのかビクビクしていたが、
イギリスの交通事情にも慣れ、主要駅での乗り換えも迷わなくなってきたから
大丈夫であろう。まあ、ミスったらミスったで、コンサートが途中からに
なっても仕方ない。で、翌日が大事である。
12/5(月)
9:00 カーディフ中央駅を出発してSwansea駅を目指す
10:02 Swansea駅に到着し
11:00 Brangwyn Hall に行く
あとは一度カーディフに電車で戻りつつ、高速バスで適当に帰る。
イギリスの電車は往復で切符を買うと格段に安くなるので、
一度カーディフに戻った方が安くて速いのだ。
この Brangwyn Hall はかなり重要。
好きなCD、Sir Reginald Goodall指揮 Wales National Operaの
『トリスタンとイゾルデ』は、1980年にここで録音されたのだ。
通常だったら催し物をやっていないこの日は中に入れないが、
思い切ってメールで問い合わせて事情を説明したところ、
わざわざ日本人が来るのだからと、係の人が親切な返事をくれて
中に入れることになった。
こうなると俄然、ウェールズ贔屓である。
聞けば、今回のワールドカップにはイングランドだけでなくウェールズも
参戦しており、11/29にはご近所の両者が激突するらしいのだ。
唐作品を信奉する自分としては、常に弱いものの味方にならざるを得ない。
こんなに優しいウェールズ人の気質を思えば、なんとか勝って欲しいものだ。
2022年11月24日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑Deli-X。荒くれたデプトフォードにあって、店内だけは治安が良さそう
一昨日は興奮して寝つけなかった。
10月末を以って最後だと思っていたDame Sarah Connollyのリサイタルが
新たに開催されるらしいのだ。最近になって組まれた企画なのか、これまで
まったく告知されていなかったのに、しれっとホームページに載っていた。
朝を待ってダイアンに確認し、彼女も行くというので2枚分を押さえた。
料金ごとにエリアが違う指定と自由が半々のシステムだから、
あとは買ったエリアの中でなるべく前列を押さえるため、
開場時間前に殺到するのみだ。
ダイアンは脚が悪いので引っ張っていく格好になるだろうが、
Dame Sarahの凄みを知らしめねばならない。
以前から、ダイアンはDame Sarahの写真を見て冷やかしてばかりいた。
「彼女はほんとうは男なのではないか」そんなことばっかり。
しかし、最近になって彼女の友達(ロイヤル・オペラで働いている)から、
Dame Sarahがいかにホンモノかを聴いたらしい。
それで俄然、興味を持ち始めたのだ。きっと驚くであろう。
・・・という具合にハイに夜明かしし、早朝から『オオカミだ!』の
ミーティングに突入した。zoomごしに、時には実演もまじえる会議。
半分、稽古みたいなものだ。普通の演劇をつくるのとは勝手が違い、
実際の稽古期間は短い。その分、事前の準備に成否がかかっている。
2時間半これをやり、Albanyへ。
劇場メインプロデューサーチームとカウンシルメンバーの会議。
今年推し進めてきたフェスティバルもいよいよフィナーレの12月を控え、
皆の疲労の蓄積が如実に感じられる会議だった。
やっとここまできた。来月どうしよう。
そして、来年以降にこれをどう結びつけよう。・・・やれやれ。
そういう雰囲気で、これまでの企画を振り返るだけでお腹いっぱいの
自分たちに、さらに鞭をくれるための会議だった。
こちらとしては「Well done」としか言いようがなかった。
働き者のイギリス人たち!
その後は散会になり、こちらはDeli-Xに移動して日本の仕事をした。
明日も朝7時から会議だから、準備しなければならない。
こんな風に何時間もいられて、電源も使えて、値段も高くないカフェは
ロンドンでは珍しい。紹介してくれたピーターのおかげである。
資料を作ったあと、グローブ座に『ヘンリー5世』を観に行ったが、
これは面白くなかった。
2022年11月23日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑手づくりの器。粘土製
昨日深夜、『下町ホフマン』の打込みが終わった。
289ページ。ここまできたら300ページいっちまえよ!!! とも思ったが、
2回の休憩時間を含むと3時間45分コースである。
あと10分ちょっとでも、延びない方が良い。
ちなみに『腰巻おぼろ 妖鯨篇』は311ページだから、間違いなく4時間越え。
すごいぜ!唐さん!
こんな作業をし、昨日書いたような荷物整理をしながら、
日常を見つめ直している。思えば、ここ2ヶ月は移動の連続だったし、
観劇だって、あと40日間で31本観ることはさほど難しくない。
それよりも、最後の1か月である12月をより良く過ごすために、
ここで足元をかためようと思ったのだ。
Albanyで積み上げてきた日常的なWSへの参加を
もう一度初心にかえって眺め回そうと思って、時間に余裕を持って到着し、
スタッフや参加者との会話もよくするように心がけている。
昨日は朝に合唱、昼から粘土細工という内容だった。
合唱は近所の小学生たちと合同。
12月にはクリスマスのイベントとして、都心にあるオールド・ヴィック劇場
という由緒あるホールでの合唱があるから、これのために顔合わせと
初回の練習を行った。土地柄、黒人の子どもたちが9割で、みんなアクティブで
可愛い。自己紹介の堂々としたこと。押しだしも立派なもの。
↑庭の花を摘んで盛る
午後は、粘土を使った器づくり。
手で捻ってカップのかたちをつくり、そこに、それぞれ劇場の庭に生えている
植物を摘んで飾りつける、という趣旨だった。が、あっという間にこのルールは
崩壊し、勝手な彫刻作品をつくり始めたのが面白かった。
↓彫刻作品化しはじめる
12月に出かけたい土地はまだある。
ウェールズに行きたい、ケルト文明に触れたい、ロンドンならではの舞台が観たい、
そういうのももちろん大事だが、こんな風に日常から異界が開く瞬間を
見逃してはならないであろう。
↓リアルキノコ・オン・キノコ
2022年11月22日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑こんな風に置かれて雨に濡れていたので、反射的に家の中に引っ張り込んだ
昨日は家にいた。語学学校を休みにし、Albanyでの予定は無い。
夜に何かを観に行くのもやめにし、徹底して家にいて身辺を整理し始めた。
何しろ11月下旬だ。月日の過ぎるのは早いもの。
日本への荷物の郵送を先延ばしにしてきたが、
いよいよ本格的にこの問題に向き合い始めた。
こちらでできた日本人の友だちに聞いたら、
クロネコヤマトのロンドン支店に頼るのが一番簡単らしい。
もっと安価に済む方法もありそうだが、やり取りが円滑で、
安全に破壊されずに荷物が日本に着いて、保証も効く。
だから、ヤマト!
で、発送する荷物を判然とさせるために、まずはトランクを買いに行く。
こちらにはトランクひとつで来たが、文化庁に問い合わせたところ、
私の場合は、23キロのトランクを二つ運べるらしい。
船便は最大3か月かかるし基本的に高価だから、
自分で運べるものなら自分で運びたい。
そこで、安いトランクを求めていつものルイシャム・ショッピングセンターへ。
が、夏場はあれだけ見かけたトランクはすっかり鳴りをひそめていた。
隅っこに少しあるくらい。どうせすぐ手に入るだろうとタカを括っていたが、
どうやらあれは季節ものだったらしいのだ。
仕方なく都心に行こうかと思ってセンターを出たら、
ワイルドな露天で良い感じのを売っていた。しかも安い。
本来3万円以上するやつが7,000円くらい。バッタもんかも知れないが、
とにかくロンドンから日本まで一便だけ運ぶことができたなら、
それだけで得なのだ。それだけ保ってくれたならバッタもんだって構わない。
それを運んで家に帰り、荷物の総量を見定め、
捨てていくもの、最後まで必要だから必ずトランクで持ち帰るもの、
12月の買い物や頂き物のためにとっておくべきトランクの隙間を想定し、
郵送するものを割り出した。そして、郵送物の量に見合ったダンボールを
ヤマトに注文。こういう場合は単なる語学留学生となり、学割適応を目指す。
というわけで、家にいたと言っても周辺はウロウロした。
ダイアンに頼まれた日用品の買い物もあったから、
別方向のスーパーに行って帰り、ショッピングセンターに行って帰り、した。
ダイアンは医者に行くと言って早朝から不在だったが、
1回目の買い物を終えて帰ってみると、ドア前にまあまあ大きな段ボールがあり、
雨のためにこれが濡れている。てっきり家電でも買ったのかと思い、
急いで大切にキッチンに運び込んだ。
すると、2度目の買い物後に家に着くなり、ダイアンが激怒している。
先に帰宅した彼女が台所で発見したそれは、近所の家に届くはずの
冷凍ドッグフードだったらしい。
すぐに運送会社に電話し、配達員を呼びつけたところ、
彼は「家の中には入れないから、ドアまで持ってきて欲しい」と言い、
ダイアンは「こんな重いもん運べるか!」と問答になり、
配達員は帰ってしまったという。
本気で怒っていたダイアンには悪いが、爆笑した。
ペットがいないこの家に、巨大な冷凍ドッグフードが届いたのが面白かったのだ。
ロンドンのずさんさが極まっている。
結局、新たに呼び出した配達員に私が渡すことになった。
それにしてもデカいドッグフードだった。近所でよく見かけるデカい犬の
いずれかが、あれを貪るのだろうか。
2022年11月18日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑大里先生は極度のシャイだったから、こうして極端な守銭奴を演じなければ
忘年会の参加費用を徴収ができなかった。会では、大里先生のギター伴奏で
唐さんが歌を歌ったことも。
昨日、11/17は大里俊晴先生の命日だった。亡くなって13年も経つ。
亡くなったのは、室井先生を中心にスタートした7大学連携サテライトスクール
「北仲スクール」のオープニングパーティーの日だった。
朝のうちに東中野の葬儀場に行き、司会をしたような記憶がある。
その後は急いで馬車道に戻って、宴会の支度をした。
おつまみを並べ、大量のウィンナーを茹でて、お客さんに配った。
アサヒビールの横浜支社がいつも手厚く協賛してくれて、
飲み物も潤沢だった。お客さんが歓談に入ったところで、
奥の台所に引っ込み、身内でやれやれと話したのを覚えている。
やはりスクール運営の中心メンバーの一人だった梅本洋一先生が
台所を覗いて、「ほんとうはパーティーしている場合じゃないんだけどな」
と呟いたのを覚えている。その梅本先生亡くなってしまった。
大学一年生の時から、一番親しく接してくれた先生が大里さんだった。
年長者ぶったところも、権威ぶったところも無くて、
「はいはい、オレはダメ人間ですよ」という物腰でいつもこちらを
安心させてくれていた。それが、大里先生の正義感だったと思うし、
"正義"なんて言葉を嫌がる、ほんとうの正義漢だった。
大里先生の研究を多少なりとも理解できるようになったのは
むしろ亡くなった後で、そういう不躾な自分でも、多くを識る大里先生は
こちらの興味に合わせて大らかに接してくれた。
荷物の片付けや、引っ越しなんかも手伝った。
レポート採点時期になると東京まで帰るのが面倒な先生は研究室に
泊まってしまっていたから、その作業を邪魔するかのように遊びに行った。
先生はベジタリアンだったから、
大学近くのコンビニまで歩き、梅のおにぎりやあんまんを買って、
帰りに歩きながらそれらを食べて夕食を終了させていた。
それが、引っ越しを手伝った時には、西荻窪前の食堂で
野菜てんぷら定食をご馳走になったことがある。
持ち前の高潔さから美食を遠ざけていた大里さんが振る舞ってくれた、
先生の豪華料理だった。美味かったな、あれ。
大里ゼミのこととか、先生の好きなゲストを呼んでやった特別講義とか、
先生が学課の宴会の幹事をしていたこととか、新宿駅南口に買った
ペントハウス「オフィス・オオサト」のこととか、書いていたら際限なく
吹き出してきて仕方がない・・・・・。このくらいにしておきます。
2022年11月17日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑DJクリスが皆から募った曲をかけて踊らせまくっている
Albanyで"Tea Dance"があった。
前回、6月に参加したときはこれがイベント名だと思い込んで、
普通名詞であると知ったのはその後のことだった。
"Tea Dance(ティー・ダンス)"。
もともとは、イギリスの田舎で夏から秋にかけてガーデン・パーティーを開き、
踊ったり、軽食とともにお茶の飲んだのが始まりらしい。
時間は午後のお昼過ぎと決まっていて、だから、夜に開かれる場合は
"Tea Dance"とは呼ばない。"Dansant(ダンサン)"とも言う。
Albanyでは、レジデントカンパニーの代表格である
Entelechy Artsが主催して半年に一度、これを開く。
前回は劇場が他の大事業に忙殺されていて使えないために
他の文化施設に流れざるを得なかったが、私にとって二度目にして最後の
参加となる今回は、ホームグラウンドであるAlbanyのホールでの実施に
立ち会うことができた。
楕円形の劇場構造を利用し周囲にイスとテーブルが設られ、
マスコット的な存在であるクリスの司会とDJにより会は進む。
合唱、ダンス、詩の朗読、ソロの歌の披露など盛りだくさんで、
会を進行させながら、ホールの端の方では即興的なペインティングも
繰り広げられた。今回はスコーンは無かったが、前回と同じく
ケーキ、お茶、コーヒーの消費量が半端なく、皆でやりたい放題している
感じだった。
この会の始まりから20年、ずっと参加してきたシニアが
自らの思い出を語る切々としたスピーチがあった後、
サイモン&ガーファンクルの『ブックエンド』が合唱され、
それぞれの大切な人のドローイングを持ちながらダンスが踊られた。
続く青年が、友人のアコーディオン伴奏により朗々と
"Over The Rainbow"を歌い上げて周囲は感動に包まれた。
こういう時のクリスの反応は鋭く、司会のトーンを囁くような語りかけに
切り替える。そして、割れんばかりの拍手が起こった後は、
まさかのビヨンセ。結局、ビヨンセは最強で、老若男女、障害の有無を
超越した熱狂を生んで場は閉じられた。
イギリス人にとって、クラブカルチャーと、スピーチやポエトリーが
根付いていることがこの会の成功理由だと思う。
同じ仕立てを日本に移したところでお互いに恥ずかしがるだけだと
想像できるが、私たちにだって、餅つきや節分、盆踊りというイベントが
あるわけだから、ああいうものを劇場が援用すれば難しくなくできると思う。
季節感や年中行事が希薄になっていく中で、だからこそ劇場の役割が
出せるのではないかと思う。
終わった後にスタッフ会議があって意見を求められたので、
「日本には季節の変わり目に豆を投げるイベントがある」と伝えたら全員に
爆笑された。それだけで相当に意味不明だったらしいので、恵方巻き情報を
かぶせるのはやめた。彼らが節分の風景を見たら、どう思うのだろうか。
季節の変わり目に"魔"がやってくるのは同じと思うが、
こちらではハロウィーンに家々を訪ねる子どもたち=精霊たちにお菓子をあげる。
いきなり豆をぶつけて追い出す日本より、寛容だとも思える。
2022年11月16日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑スターリング大学内。劇場や図書館を含むセンター周辺の明かりを
見つけてホッとした。郊外なので、寮に住んでいる学生か劇場への観客
の他、人気はあまりない。
先週末はグラスゴーに行ってきた。
幸い天気がよく、北方にも関わらず気温もロンドンと変わらなかった。
スコットランド国立劇場の公演を観て事務局を訪ねるための
短い旅行だったけれど、この地域が持つ質実剛健さに
触れることができた。
特に初日の土曜は面白く、
グラスゴー中央駅で降りてホテルにチェックインしたらすぐに駅に戻り、
さらに北に30分強行ったところにあるStirlingまで行った。
バスも使えたけれど、初めて訪れる場所は地形もチェックしたい。
そこから小一時間歩いて目当ての公演会場を目指した。
劇場は山の上の大学の中にあった。
劇場を含むアートセンターが堂々とスターリング大学の中にあって、
一般のお客さんも自分の街の文化施設として気兼ねなく利用していた。
公演は、まるで大河ドラマだった。
シェイクスピアの歴史劇にも似て、スコットランド史に輝く英雄に
想を得ながら、現代人のセンスと美学で描いていた。
啓蒙とエンターテイメントが上手く融合した舞台で、
この地方の気質も反映してか、言葉がシンプルに書かれていたので、
自分にもよく理解できた。
現代の服装で現れた役者たちが衣裳を着て時代劇を演じ始める構造を
わざと見せるところなど、山﨑正和さんの『実朝出帆』をやった時の
ことを思い出した。
終演は22時過ぎで、向こう1時間来ないバスを待つのもかったるくなり、
結局、往復ともに駅まで歩いた。道はさらに暗く、歩道の無い箇所も
あったけれど轢かれないよう気をつけながら歩いて、
スムーズに辿り着くことができた。
日付が変わる頃にはグラスゴーのホテルに辿り着いた。
それにしても、あの坂を登る感じ。
敷地の境界が曖昧でどこからでも入れそうなセキュリティのユルさ。
電灯の少なさからくる夜の暗さ。どこもかしこも横浜国大みたいだった。
↓劇場ロビーのポスターの前で
その後にグラスゴーをウロウロして分かったが、この地域は実によく
街の景観に大学が溶け込んでいる。グラスゴー大学、市立大学、
そういったものを見かけだが、それぞれに美術館やコンサートホール、
カフェ、庭を持っており、これが周辺住民や観光客にも開かれていた。
学校が賑わっていて、留学生も多かった。日本人は見かけなかったけれど、
中国や韓国から来ている人が多くて、彼らのニーズに応える料理屋が
充実していた。久々にキムチチゲを、しかも安く食べることができた。
↓グラスゴー大学内の美術館
2022年11月15日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑プライベートでは賭け事をしない(と思う)唐さんだが、
私たちも親しくしている望月六郎監督のこの映画に出演している。
『新・極道記者 逃げ馬伝説』。唐十郎フリークの人はぜひ見て欲しい。
前回の唐ゼミ☆本読みWSを読んでくれたHさんから投稿が寄せられた。
それによると、競輪場の車券売り場のシステムについて、
唐さんは正しかったらしいのである。
『ベンガルの虎』2幕に出てくる「2-3」窓口。
つまり、2番と3番に一着二着を賭けるための車券売り場窓口が
固定されているのはおかしいのではないか、という私の意見は、
当時の実際を知る人によると完全に間違っていたらしいのだ。
正しくは、数字の組み合わせによって窓口は固定されていたらしい。
そうすると、本命ガチガチの窓口には長蛇の列ができ、
およそ勝ちそうにない大穴の窓口は閑散とすることになる。
「そういうことなんですか?」とHさんに伺ったところ、「その通り」との
回答が寄せられた。
そういうわけで、唐さんは完全に正しかったのだ。
Hさんのおかげでまたひとつ勉強になったし、次回の本読みWSで
修正しなければ!
考えてみれば、コンピューター管理される前の風習は、
後の時代を生きる者からしたら想像を絶して手間がかかっていたのだ。
『黒いチューリップ』に出てきたパチンコ屋の玉出しシステムもそうだし、
かつては芝居のチケットを買うために、わざわざ劇団事務所を訪ねる
必要があったのだ。
『ベンガルの虎』に話を戻すと、これはなかなかイマジネーションが
膨らむ話である。要するに、それぞれの売り場窓口には個性があって良い
ということなのだ。町内の全ての赤ん坊を取り出した産婆にして、
伝説の車券売り場窓口員である「お市」のいる2−3番。
こういうのは舞台美術を考える際の個性の持たせ方に直結する。
またしても良い話を聞いた。Hさんに感謝。
そして、唐さん、ごめんなさい!
2022年11月11日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
水曜日にAlbanyで公演を観た。"QUIET REBELS"というタイトル。
映像とシンプルなステージング、4人だけの出演者による舞台だったが、
若い人たちの熱気と関心が場内に溢れ、満員だった。
これは、実話に基づいた物語だ。
労働者階級に生まれた白人女性が、移民としてカリブからやってきた
黒人男性と恋愛し、結婚をした。結果的に彼女に対し、
白人社会からのものすごい圧力や嫌がらせが寄せられることになる。
それらを、実際の当事者たちのインタビューと、俳優による演技と
虚実の両方から進行させてゆくステージだった。
今年、このような闘争を描いた様々なイベントに参加してきた。
NEW CROSS FIREについて Linton Kwasi Johnsonが語るレクチャー。
カリブからの移民第一世代が往時を回顧するWINDRUSH PEONEERS。
ルイシャム・ショッピングセンター周辺で繰り広げられた
人種差別闘争の様子を収めたドキュメンタリー映画上映会。
シニア企画に参加するアフリカやカリブから渡ってきた人たち。
ここ半年を総動員して、目の前の劇を観た。
初見では捉えきれなかった言葉のやり取りについて行きたくて
今日は二度目をこれから観る。
現在、目の前でやり取りされている平穏な日常が、
どれだけの闘争の果てに成し遂げられたものか実感できる。
ダイバーシティとか多様性とかいうけれど、日本とは土台の
複雑さが違う。平和そうに見える周辺地域に底流するものを
またひとつ感じることができた。。
日本では、カプカプひかりヶ丘×新井英夫WSが
ズーラシアの近所にある実際のカプカプで本格的にスタートした。
ロンドン時間のAM1:00〜AM9:00の長尺だが、
皆さん次から次へと押し寄せる予定に、
慌ただしく活動していると聞いた。
新井さんのコンディションがちょっと心配されたが、
ふたを開けてみれば、休憩時間も惜しんで受講の皆さんに
話し続けていたらしい。新井さんによる魂の講座だし、
カプカプの利用者さんたちが全員で講師をしていることも
今回のウリだ。引き続き正対、ストレートな運営をしていこう。
次回のB日程初回は12/23。
2022年11月10日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
昨日、友人の川口成彦くんとロンドンで落ち合った。
常にアンティークの楽器や音楽家関連の場所を見て回っている
彼にくっついて、クレメンティ・ハウスに行ってきた。
多くのピアニストを育て、作曲し、ピアノ製造まで行った
ムツィオ・クレメンティの暮らした家である。
川口くんは、彼が東京芸大院生の頃に知り合った。
唐さんの母校である入谷の坂本小学校でやなぎみわさんが書いてくれた
『パノラマ』を公演した時、相談役だった焼き鳥たけうちさんの
マスターから川口くんを紹介されtのだ。
彼はイベントに参加して書生姿に扮し、エレピを弾いてくれた。
その後、椎野と自分が結婚した時、椎野のリクエストに応えて
ショパンの『英雄ポロネーズ』を弾いてくれた。
この時も焼き鳥屋備え付けのエレピによる演奏だった。
その後、彼はアムステルダム音楽院に留学してこれを卒業すると、
ブリュージュのコンクールで2位になり、
第1回ショパン・ピリオドコンクールでも2位に輝いた。
それから一気に有名になって、現在に至る。
これから国際的キャリアを築いていこう、
という時期にパンデミックになってしまったので、
彼は日本での時間を増やして、多くの国内需要に応え続けてきた。
けれど、その間もアムステルダムの住居も維持して
アフターコロナに備えてきたそうだ。
ロンドンであれば、ウィグモアホールに登場するクラスの人だと思う。
前に川口くんのシューベルト即興曲や連弾曲を聴いたけれど、
その後に彼を凌ぐ演奏に出会ったことがない。
実力はあるのだから、あとは巡り合わせだと思う。
彼の発案で、ノッティングヒル近くにあるクレメンティ家を訪ねた。
これが面白かった。ネットには開場時間や入場料などが書いてある。
けれど、そこは本当に単なる家で、現役で暮らしている一家の長らしき、
おじいさんが案内をしてくれた。
一応、居間にはクレメンティ社で造られたスクエア・ピアノが
置いてあったが、鳴らない鍵盤もあるなど、ケアは全くされていない。
「ここにはメンデルスゾーンも来たこともあるんだよ」
おじいさんはそんなガイドを少しばかりしてくれたが、
「クレメンティの肖像画などはないのでしょうか?」という質問には、
「ここにあるのはうちの家族の写真か絵ばかり、クレメンティの肖像は
グーグルを検索しなさい」という大胆な答えが返ってきた。
「この家のどこを見ても良い」と言われて階段を登ったが、
どこもかしこもおじいさんの家族が暮らす現役の居室で、
ある部屋を覗くと、中でお孫さんの青年がくつろいでおり、
なんだか申し訳ないような気になった。
「わたしはこの家で生まれ暮らしてきた」
おじいさんはそう言い、特に親族関係も無いらしい。
こじんまりとしたギャラリーやミュージアムを想像していた私たちは
顔を見合わせて笑い、この方がよほど面白いと言い合った。
その後は近くにある中古CD屋で希少盤を漁り、日本食屋に行った。
川口くんをヴィクトリア駅に送りながら満員電車にも乗ったので
まるで東京で会ったみたいだったが、クレメンティ・ハウスだけは
圧倒的に外国だった。
夜行バスでアムステルダムに戻ったら、数日後は現地の音大生相手に
英語でマスタークラスをやるらしい。さすがだ、川口くん!
2022年11月 9日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑写真を撮るためにいつも買っていたスーパーに行った。
現在は見ただけでちょっと気持ち悪くなる。
ここ最近、体調が悪かった。
2週間くらい前に風邪をひき、そこからズルズルと忙しくなり、
書類づくりやWSの準備に追われた。
日本とイギリスを同時進行させると、時差の厳しさを痛感する。
こちらが朝起きてメールをチェックすると、日本はすでに夕方近い。
早く返事を出そうと焦っているとロンドンでの予定が迫ってくる。
イギリスで参加しなければならないプロジェクトも多数あるし、
夜は夜で何かを観に出かけたい。そのまま突入したコーンウォールへの
旅はバスばかりだったから、ずっと乗り物酔いみたいで苦しかった。
復調してきたので、こうして書いている。
何が原因だったかと考えてみると、
どうもキットカットばかり食べていたせいではないかと思う。
あれは食べ応えがあって、持ち運びができて、しかも安い。
英国の料理はマズいマズいとよく言われるが、そんなことはない。
たしかにゴワゴワのフィッシュ&チップスとか、ぞんざいな仕立ての
ものは多いが、美味しいものもちゃんとある。
しかし、決定的に不満で苦しいのは、それが高価なことだ。
庶民の味、フィッシュ&チップスやパイ&マッシュを食べると
簡単に2,000円を越えるのだ。
当地の人たちはちょっとしたカフェでサンドイッチが800円することに
不満を覚えないだろうが、こちらは日本の飲食店の味と値段を
知ってしまっている。だから、抵抗感が湧き上がってくるのだ。
結果、よくキットカットを食べた。
大型スーパーで大量に売っているのを買い込んでおいて、
お腹が空いた時にチビチビ食べていた。
すると、なんだか食べるたびに胃がムカムカするようになったけれど、
味はあの通り美味しいから、さらに食べるという生活が続いた。
今では、あれが体調不良の原因だったと睨んでいる。
さすがに懲りて、少しお金を使ってでもパン屋のパンを
食べるようにしたら、気持ち悪い感覚が無くなり、風邪も治った。
車酔いみたいな感覚が払拭されるまで、もうちょっと。
作業も峠を越えたので、気分も心持ちも楽になってきた。
さすがにキットカットはしばらく見たくない。
来年に予定している公演の現場で、ケータリングとして出されたと
したら、また手が伸びてしまいそうだけど。
2022年11月 8日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑ペンザンス唯一の目的地はここ。崖に造られたミナック・シアター
先週末はコーンウォールを訪ねた。イングランド南西部の巨大な田舎だ。
数箇所の目的地があったが、ほとんどを移動で過ごした。
しかも、電車は少なく、大方がバス。
睡眠不足や不規則な食事にならざるをえず、車酔いばかりしていた。
どこも隘路だし、運転がものすごく荒いので、
どうしても船酔いみたいになってしまったのだ。
初日に訪ねたティンタジェル城までは天気も良かったが、
あとは雨・雨・雨だったから、二日目は最低限の目的地だけに絞って、
あとはホテルで寝た。値段は安いけれど気持ちの良いホテルだったのは
ラッキーだった。
細かなトラブルを挙げればキリがない。
ロンドンからの夜行バスではドラッグ中毒の女性が騒ぎケンカが起きた。
コーンウォールに着いてみたら、バス会社の一つがストライキを
行っており、電光掲示されたバスが全く来ないというフェイントを
食らった。電車に乗ろうと駅に行ったら、電車が動かなくなったので
この高速バスに乗れと指示されて、危うく時間内に目的地に
着かないのではないかとヤキモキさせられた。
レストランの定員が計算ミスをして多く支払わされそうにもなった。
他にも細かいのがたくさん。
帰りはプリマスに寄り、友人ピーター・フィッシャーの車に乗って
ロンドンに戻る予定だったが、彼の車が壊れたために電車で戻って
くることになった。
これには驚かない。
最近、彼の車に乗るたびにアヤシイ音をたてていたからだ。
去年、4年ちょっと乗った愛車ラフェスタを廃車にせざるを
得なかった自分なので、その予感は充分にしており、
どう思うかピーターに訊かれたので、彼には辛い見立てを
正直に告げた。
けれど、実際に壊れるまで乗り続けてしまうのが人間だ。
だからいつもアクシデントになり、急な対応の連続になってしまう。
けれど、もうちょっと、もうちょっとと引っ張ってしまうのだ。
幸い、ピーター車はロンドンで壊れた。
これがプリマスに来る途上だったら大変だった。
田舎道からの移動は過酷を極め、彼の演奏に影響したと思う。
色々なことがあり、忙しなかった。
どの目的地もさすがにインパクトがあったが、
なぜかペンザンスでした昼寝がいちばん印象深い。
昼寝ができたなんて、何年ぶりだろう。
調子に乗って動き回り過ぎ、ボロボロで帰国すると
年明けの仕事に影響するだろうから、加減しなければいけないとも
思い始めた。目下、観劇数は255本。300いけるかどうか微妙だ。
2022年11月 4日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑6月にオープンした新路線エリザベス・ライン
Bond Street(ボンドストリート)駅が10/23に遅れてオープンしたが、
表示は以前のまま。車内の×印が修正されるにはまだ時間がかかるらしい。
日本がせせこましいのか、英国がルーズなのか。
イギリスの住環境は悪くなる一方である。
私が過ごしてきたごく短い期間だけでも、近所のパン屋は二度にわたる
値上げを決行した。初め500円くらいだったソーセージパンが、
いつしか600円になり、昨日から660円になった。
マジか!?
EU脱退、コロナ・パンデミック、ロシアVSウクライナの戦争と、
インフレの要因が畳みかけている。
そして、日本に比べて恐ろしく低いホスピタリティ。
今日もドラッグストアに買い物に行ったのだが、
緩慢な動きでレジを打ち始めたスタッフは何度も何度も入力を失敗し、
3分以上が経過したところで無理と見て同僚を呼んだ。
誰もレジに並んでいたわけではないのに、
歯ブラシひとつ買うのに5分以上かかった。
このように、英国生活はトラップだらけだ。
テンポよく移動と要件をこなしていこうと思っても、
いたるところで細かなブレーキがかかる。
レジ待ちが何人並んでいようと、いま会計しているお客と店員が
談笑したりしている。後ろのお客がたまりかねて文句を言うと、
不満そうに増援を呼ぶベルを叩いて助けを呼ぶが、その助けが
ぜんぜんやってこない、という光景もざらだ。
EUを離脱したことによって、多くの外国人労働者がイギリスを去ったそうだ。
特にポーランドから来ていた人たちは優秀で、かつ人件費が安かったらしい。
例えば高級車用の手洗い洗車サービスについて、彼らが去った後は
かなり粗雑なクオリティで車が返却されるようになったそうだ。
しかも、もともと3,000円程度だった料金は10,000円近くにまで高騰。
イギリス人の人件費はかくも高く、顧客にとっては良いことがないそうだ。
他方、英語をマスターした人々が大挙して帰国したポーランドの景気は
右肩上がりだそうだ。一国の判断が、そんな風に周囲の国々に影響するのも
流動性の高いヨーロッパならでは。
私は大学生時代、深夜のコンビニでアルバイトしていた。
牛乳を並べていてお客がレジに立とうものなら、カウンターに走って
戻ったものだ。ここにきて、「お・も・て・な・し」を改めてアピールしていた
理由がわかってきた。駅員も店員も、誰も彼もが仏頂面で、
スマホに釘付けな姿もよく目にする。
電車もバスも簡単に遅れる。
今まさに旅行が始まったばかりのタイミングでこれを書いた。
けっこうタイトなスケジュールを組まざるを得なかったが、
ちゃんと移動できるだろうか。駅員や各所の職員が優しいと良いのだけれど・・・
2022年11月 3日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑The London Oratory
昨日はいつもと曜日をずらして劇団や座友メンバーとの
『ベンガルの虎』本読みをやった。2幕の終わり。
いつもながら唐さんが書く3幕ものの2幕終盤は素晴らしい。
こちらがいちいち考え、理解するのを寄せ付けない勢いに満ちていた。
気持ちよく、せりふのやり取りや物語の進行に振り切られた感じだ。
直に体がうずく。
ブルース・リーの名ぜりふに"Don't think, feel."というのがある。
"考えるな、感じろ"。昔からの唐さんやアングラ・ファンの中には
こういう味わい方をしている人がたくさんいる。
けれども、遅れてきた世代である私にとって、
唐さんの作品はやっぱり考えながら読むものだと思う。
荒唐無稽に見える設定やせりふの中に唐さん流のリアリズムがある。
そうでなくては、どうやってせりふを言い、セットをつくり、
物語をつむぐのか。やる側はThinkせよ、と思ってやっている。
けれども、やっぱり唐さんの魅力の究極は、
理性ではなくて、感覚による納得でねじ伏せていく
いわく言い難い、けれども誰もが体感的に納得してしまう
吸引力や腕力だと思う。
それを存分に味わうために、私たちは分かるところは分かっておこう。
そういう考えでやっている。
そういえば、前に『トリック』という大ヒットドラマがあって、
あれも似た話だった。主人公はマジシャン、
次々と登場する霊能力者のトリックを暴きながら物語は進行する。
けれど、それは霊能力者がニセモノと言いたいために
やっているわけではない。むしろ逆。
本物の霊能力者に出会うためにこそ、
トリックを見破ること=理屈でニセモノを選り分けているのだ。
すべては、ホンモノの不思議に出会うために。
真の摩訶不思議に圧倒され、打ちのめされたい。
そういう思いで台本を読んでいる。
私たち作り手にはお客さんという存在がいるが、
まず自分たちが圧倒されて、今度はそれをお客さんにおすそ分けする。
そういう相手であると思っている。
昨日、『ベンガルの虎』二幕には気持ち良くやられた!清々しい。
イギリスでは、ここ数日は教会の催しばかりに行っている。
土曜日はオックスフォードにある大学の中のチャペルと
福音史家ヨハネ教会。
月曜にはロチェスターの大聖堂。
火曜には都心のテンプル教会。
昨日はサウスケンジントンにあるロンドン・オラトリーという
カトリックの教会、という具合。
どこも特別な内装と音響だったが、
とりわけロチェスターとオラトリーは素晴らしかった。
今日、木曜の深夜から旅に出る。
風光明媚だけれど交通の便はすこぶる悪いコーンウォールを攻める。
伝説ではアーサー王が住み、
トリスタントイゾルデの舞台ともなったティンタジェル城、
岬の野外劇場ミナックシアター。そしてプリマスの教会にも行く。
この教会ではピーターのアンサンブルによる演奏会が行われるのだ。
合い間に『下町ホフマン』研究と来年度公演の企画書づくり、
『オオカミだ!』とカプカプ×新井一座WSの準備もする。
体はイギリスの僻地、頭は日本のことを考えて過ごす週末になる。
2022年11月 2日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑終演後のクリスティは喜色満面。足元に覗くソックスの赤が眩しい
唐組が終わった後も唐さん関連の公演が続く。
流山児事務所が『ベンガルの虎』の稽古に入っているとのこと。
自分が観られないのは無念だが、コロナに捕まることなく
最後まで駆け抜けて欲しい。
それから、状況劇場の終わりから唐組初期の唐さんを支えた
俳優・菅田俊さんが率いる東京倶楽部の『ジャガーの眼』公演もある。
菅田さんはずいぶん以前に『ふたりの女』も手掛けられていた。
今回は、宣伝のためかYouTubeで1980年代半ばの唐さんについて
菅田さんがエピソードを披露されている。これが面白い!
https://www.youtube.com/watch?v=QF9aL3X3GxM
この時代は唐さんにとって困難な時期であり、
表に出てくる情報は少なかった。だから菅田さんのお話は貴重だ。
皆さんもぜひ観てください。これまで知られていなかった当時の
様子だけでなく、強面に見える菅田さんの純真さにも打たれる。
こちらも観にいけないのが悔しい!
誰か観に行って、どんな風だったかを教えてください!
ところで、今日のゼミログのタイトルは、
別に流山児さんや菅田さんが助平だというのではない。
(二人とも色っぽいが)
目下、研究中の『下町ホフマン』に"平手"というキャラクターが
出てくる。三度笠をかぶり、侠客めいた格好だから、
おそらく講談の『天保水滸伝』に出てくる強者、
平手造酒(ひらて みき)からとられた名前だと思うが、
この男が自分は助平だと連呼するのだ。
強いと言われれば弱く、弱いと言われればあべこべに異常な強さを
発揮するところが面白い。そして、オレは助平だと訴える。
ああ、これは大久保さんに宛てて書かれたのだなと
当時の配役表を見なくてもすぐにわかる。
鷹さんも色っぽい人だが、あの雰囲気で「オレは助平だ!」と
叫んで回っていたら、舞台は湧いただろう。
英国で観た助平なパフォーマーとといえば、
第一に、フランスから来ていたウィリアム・クリスティという
指揮者&チェンバロ奏者が思い浮かぶ。
演奏もそうだし、全身黒ずくめにも関わらず
足元にチラチラと覗くソックスだけは真っ赤、
ああいうところが実に助平ったらしい。
あれは彼のトレードマークで、この間に聴きに行った
演奏会では、最前列のフリークらしき客も真似して
赤いソックスを履いていたのが目立った。
あんたも好きねえ、という感じ。
カーテンコールの時など、女性奏者の腰に手を回して
褒め称えるやり方など、露骨に助平があわられている。
堂に入ったものだ。
もう一人の助平は、ザ・シックスティーンという合唱団を
率いるハリー・クリストファーズ。
一昨日の夜も彼のライブを聴きに行ったのだが、
これは希代の助平野郎だと思わずにいられなかった。
彼がクリスティと異なるのは、
一間するとひどく真面目そうなところだ。
だが、聴くべきを聴き、見るべきを見れば
彼が心底ムッツリだということがすぐにわかってしまう。
だいたい、一昨日のプログラムは環境破壊を強く訴えたもの
だったが、実際のパフォーマンスを聴けば、
それが崩壊の美を謳っていることは明らかだ。
会場はロチェスターというロンドン近郊の古い街にある
大聖堂。そこで、ルネッサンスからバロックまでの曲を順に歌い、
また同じ曲をたどりながら元の時代に戻っていくという趣向。
いわば自然の円環を表現していたわけだが、
映像作家が作ったプロジェクションと合わせて考えるに、
人類など滅びてしまえば良いと言わんばかりの美感に
溢れていて、何度も聴いてきた彼らの演奏の中でもベストの
パフォーマンスだった。
終演後に話しかけて「あなたは実に危険な巨匠ですね」と
伝えたらニヤニヤ笑っていた。あれは、真剣に環境問題に
拳を振り上げる人の態度ではない。
誰も彼もが快楽主義者だと思わずにはいられない。
そういう助平な人たちを、私は好む。
↓ハリー・クリストファーズ。真面目そうに見えてエロの塊
2022年11月 1日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑この日もDame Sarah Connollyはいつにも増して男前ないでたち
圧倒的なゴッドねえちゃん感だった
一昨日未明にサマータイムが終わった。あれはなかなか不思議な体験だ。
最近、かつてのテレビ番組『驚きももの木20世紀』にハマっている。
その日も夜中までこれを見ていたのだが、AM1:59の次の瞬間、
時刻はAM1:00になった。こうして1時間巻き戻すのである。
むろん、これネットと連動しているケータイやパソコンの時刻表示に限る。
腕時計は手巻きで1時間戻した。
3月に23時間の日を過ごしたが、日曜日は25時間あったわけだ。
週末はオックスフォードに行った。
名門大学で有名なこの街だが、目当てはOxford Liederという
歌曲のフェスティバルの最終日。
これに憧れのDame Sarah Connollyが出演したのだ。
若手、男性、サラ・コノリーと、3人の歌手でリレーしていく1時間半。
この日も彼女のパフォーマンスは頭抜けており、脳天をぶち抜かれた。
あと2ヶ月の滞在中、数回は彼女の出演するコンサートがある。
が、いずれもオケとの共演のみ。話せるとしたら最後のチャンスと思って
終演後に順番待ちして声をかけた。
すると、いきなり彼女の方から
Lovely to see you again. I read your letter, thank you.
と言われ、頭が真っ白になってしまった。
ただでさえ英語に難ありなのに、こうなるとお手上げだった。
どのようにしてかは分からないが、
9月末にウィグモアホールのスタッフに託した手紙は彼女のもとに
遅れて届き、読んでくれたらしい。
そこからは完全にテンパってしまい、言葉も出ず、
ただ、絞り出すように御礼を言って、
直近の歌曲のCDにサインしてもらった。
周囲には、マーク・パドモアをはじめ、
フェスティバルに参加していた綺羅星のような歌手が
ワイングラス片手にウロウロしており、
隔絶した世界のように思えた。
学生時代に紅テントに行き、
唐さんを囲む、麿さんや蓮司さん、魔子さん、シモンさん
鷹さんたちが談笑しているの遠巻きに眺めていたのを思い出した。
帰り道は浮き足立ってしまい、バス停まで走って帰った。
大学時代は新宿駅まで。やはり走った。そう急がなくてもいいのに。
サマータイムが終わると、陽が暮れるのが早い。
午後4時には暗くなる。渡英直後を思い出した。あと2ヶ月。
2022年10月28日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑2017年 横浜トリエンナーレの準備中。
作業中の桃山さんを訪ねるとすぐにビールを出された
水族館劇場の桃山邑さんが亡くなった。
桃山さんが病気だと聞いたのは渡英してからだった。
それから、春の水族館劇場公園には多くの人たちが駆けつけていた。
皆、それが桃山さん現場にいる最後の公演になると知っていて、
自分も列に加わりたかったけど、叶わなかった。
初めて桃山さんと喋ったのは、
入方勇さんの遺品を整理しに行った時だった。
入方さんは北海道出身の役者で、第七病棟の劇団員だった。
この劇団はたまにしか公演しない。だから入方さんは見世物小屋の
主としても活躍し、各地の縁日を賑わせていた。
私たちが初めて『下谷万年町物語』の上演に挑んだ時、
出演者募集に入方さんが応えてくれた。
役者としても面白い人だったけど、持ち前の見世物小屋設営の腕を
活かし、唐ゼミ☆のテントを飾り付けてくれた。
以来、入方さんから教わった方法をもとに、
テント劇場の外観を造作することもまた私たちの表現になった。
知り合ってから一年後、入方さんは亡くなってしまった。
「また出てくださいよ」と頼んでいたのに。
連絡を受けたのは『下谷万年町物語』再演の稽古をしていた時だった。
気持ちのやり場がなく困っているところに、
入方さんが借りていた倉庫の整理をするから手伝いに来ないか
と声をかけてくれたのが水族館劇場の皆さんだった。
入方さんは、"カッパくん"の愛称で親しまれた、水族館の常連だったのだ。
埼玉のどこだったかは忘れたけれど、
指定された倉庫に行くと桃山さんたちがいて、一緒に道具を整理した。
それから入方さんが住んでいたアパートにも行き、
荷物を運び出して作業は終わった。
それから桃山さんが誘ってくれて韓国料理屋に行った。
お酒と料理が並ぶと、桃山さんは「今日は入方の話をしよう」と
言って流れをつくってくれた。
それから、私たちの交流が始まった。
寿町や都内に、三重の芸濃町にも公演を観に行った。
桃山さんたちも唐ゼミ☆公演を観に来てくれた。
特に面白かったのは新宿中央公園で『唐版 風の又三郎』をやった時。
予約して来場した桃山さんは「山谷で揉め事が起きたので
初めだけで失礼させて欲しい。ごめん」と言い、
一幕だけテントの外から見て、台東区に殺到して行った。
自分が良かったと思うのは、
2017年横浜トリエンナーレのスピンオフ企画で水族館劇場が
寿町に夜戦攻城をたてるのをサポートできたことだ。
お世話役を横浜美術館の学芸員Sさんがしていて、
まずは誘致すべき土地を一緒に見立てて欲しいと頼まれたので、
喜んで案内して回った。Sさんは自転車、私はランニングで。
何箇所も候補を出したけれど、もちろん、水族館には寿町でしょう!
と言って、数ヶ月後に実現した。
当時一緒に働き始めていたKAATの眞野館長と一緒に桃山さんたちを
応援した。上の写真は陣中見舞いに行った時のもの。
台本が遅れることについて、
劇も劇場も千穐楽を終えてなお未完成であることについて、
桃山さんはわざとそれらを、信念を持ってやっていた。
そのことを心底理解できるようになってきたのは最近のことだ。
初日に駆けつけると、「なんで初日に来るんだよ!」と
冗談めかして怒られる、いつも桃山さんとのやりとりは
シャイで、優しくて、楽しかった。
帰国したら、また桃山さんに会いに水族館劇場に行こう。合掌。
2022年10月27日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑見た目は倉庫のようなスタジオでもオペラが上演される
↑中央線沿線にある小劇場と変わらないサイズ感だが、演目はかなり違う
ここ数日、朝は日本の仕事。
カプカプ光ヶ丘と新井英夫さんの講座が週末に始まるので、
その対応が急務。何しろ、こちらは朝6時でも、日本は午後2時。
就業時間も終盤に差し掛かる頃だ。なにか気忙しい。
これから2ヶ月、ずっとこんな感じになるのだと思う。
『下町ホフマン』が厳しい。
目の前のやりとりは大変に面白いのだけれど、
何しろ量が膨大だ。Wordに打ち込みながら読んでようやく
半分を過ぎたところだけれど、手元の台本様式にしてすでに
150ページを越えている。『腰巻おぼろ 妖鯨篇』に次ぐ長大さだ。
300ページ超と踏んでいる。
これまでのペースを維持してあと12日間かかる。
ひとりひとりのせりふが長く、ページをめくって
ビッシリ詰まった紙面を見るにつけ、
"ああ、唐さん、調子いいですね"などと対話。
朝の時間だけでは遅まりきらず、夕方、帰宅後、
空いた時間はすべて『下町ホフマン』に。
それから、昨日は良いことがあった。
残り2ヶ月を気遣ったギャビンが、劇場執行部と
ルイシャム評議会の定例会議に自分を招いてくれた。
神奈川で行ってきた仕事に置き換えると、これは
県の文化担当者との打ち合わせに同席するという感じ。
それにしては、皆さんフランクだったけれど、紛れもなく中枢だ。
今、劇場やフェスティバルが何にフォーカスして動いているか
たちどころにわかる。これからは二週に一度、これに参加。
初めてだったので固有名詞の多さに面食らったが、
何を喋っているか半分くらい分かるようになってきた。
あと、観劇について腹を括った。
年末までに観る公演数を目標300に設定した。昨日で241本目。
しかし、ただ観ればいいってもんじゃないこともわかっている。
これは!と思うものを、密度高く追いかけるようでなければ。
そもそも、自分が数字を意識するようになったのは
渡英前に海外研修の先輩に「オレは200ほど観たよ」と
言われたからだ。「多いですね」と答えたら「そうでもないよ」
と言われて、まずは200を目標に置くようになった。
ところが、これが意外に簡単だったのである。
達成したのが9月上旬。それからちょっと宙ぶらりんで
過ごしてきたが、もうこれは数にこだわった方がいい感じが
してきた。というわけで300。
金田正一投手には及ばないけれど、何となく気持ちが分かる。
昨日はロンドンから2時間かけてBath(バース)という街に行った。
古代の温泉地として有名な観光地だが、ここの小さな王立劇場で
『Dido & Aeneas』の舞台版を観ることができた。
これまでコンサート形式ばかりだったから、他で観た時より
歌手や演奏に弱いところもあったが新鮮だった。
ドラマに寄せきったストレートプレイのような上演。
最後の方にドキリとさせられる、それでいて理にかなった
良い演出があった。
今月中に250に迫ることができればイケる気がする。
バカバカしいと知りながら、けれども、後悔の無いようにしたい。
2022年10月26日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
昨日、デイヴィットさんが引退した。
今年、イギリスにいるきっかけをつくってくれた一人だった。
私は、自分が長期にわたり外国で暮らすことになると予想していなかった。
きっかけは2つ。
ここ5年間、一緒に働かせてもらっているKAATの眞野館長に
絶対に行くよう勧められたこと。Albanyという劇場を知ったこと。
5年前、さいたまゴールド祭初回に合わせて来日した何人かの中に
Albany代表のギャビン・バロウさん、Entelechy Arts代表の
ディヴィット・スレイターさんがいた。
二人は盟友である。
ギャビンさんは劇場そのものを運営している。
Albanyは催しも手がけるが、もっとも重要な役割は場を提供することだ。
いくつもの提携団体が長屋の住人のようにこの劇場に事務所を持っている。
各団体の事業が合わさって、Albanyの力になる。
Entelechy Artsは提携団体の代表格だ。
ディヴィットさんが創立したこの法人は四半世紀に渡り、
高齢者・障害者・地域の人々を意識した創作と実験を続けてきた。
二人の存在と活動を知った私は、
外国への苦手意識を忘れ、初めて行きたい劇場が見つかった。
外国にはもちろん、ユニークで優れた舞台がたくさんある。
観たり聴いたりすることで大きな影響も受ける。
けれど、単に鑑賞するだけでなく、主体的に関わりたいと思うには
もう一つ何かが必要だった。そして、二人の話にはそれがあった。
Albanyを中心とした活動の面白さはいつも書いてきたから
ここで繰り返さない。大切なのは、昨日、ディヴィットさんが
引退したこと。実にさりげない引退だった。
"Moving Day"の座組みのみんな、15人ほどで記録映像を見た。
その後、ディヴィットさんは少しスピーチをして、
仕事にひと段落をつけた。
考えてみたら、自分が参加してからの半年強、
ディヴィットさんはずっと自身の気配を消していきながら、
後進に法人の活動を託すことを考えてきたのではないだろうか。
一貫してそういう振る舞いだった。
Entelechy Artsの手がける企画は、
すでにマディとジュリーという二人の若手(正確な年齢は訊けない!)
を中心に回ってきた。ディヴィットさんは最後の仕事として、
それぞれの営みを自然に継続させることを狙ってきたように思う
普段と変わらない、ちっとも特別なことのない午後の活動
だったけれど、やはり終わった後は、次々に立ち上がって喋る
シニアたちの涙が、彼の帰りを引き止める格好になった。
自分も、ディヴィットさんの意図に反すると知りながら、
日本の関係者からのメッセージや、花束を渡さずにはいられなかった。
今まで見たことのなかったタイプの、信念に溢れた引退だった。
ディヴィットさんによって、時代は終わらずに続いていく。
2022年10月25日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑Mass Danceのカーテンコールを側面から撮影
収穫の多い週末だった。
最大の催しはMass Dance。
ロンドンにしては珍しい嵐、ドカ雨だったが、
開催時間だけはピンポイントで雨が止み、ミミを中心とした奮闘が実った。
入れ替わり立ち替わりのダンスは合わせて1時間強の作品になっており、
"総力戦"という言葉がぴったりだった。
1日目は大イベントとして一緒に盛り上がり、
2日目は作品としての味わうことが出来た。
ドローンを含む5台のカメラで撮影された映像が完品となり、
将来に活かされていくと思う。
特に日曜は嵐がひどくて、
国鉄の線路上に倒れた大木が交通マヒを起こすような
コンディションだったけれど、よくやれたものだと思う。
日本の仕事、カプカプ光ヶ丘×新井英夫 講座の応募締め切りを
土曜に迎え、たくさん手を挙げてくださった中から、話し合いを
重ねて12人を選び出した。すぐに連絡がいく。
申し訳ないことに選びきれなかった方にも、
事業を継続していずれ直接に会えたらと思う。
もう来年度の準備が始まっている。
他には、唐ゼミ☆本読みをしたり、『オオカミだ!』会議をしたり。
細かい時間を積み上げて『下町ホフマン』にも取り組んでいる。
どう考えてもあと3週間はかかりきりになる分量だ。
見聞きしに行ったものも良くて、
イギリスに来て初めてミュージカルに行き、これが当たりだった。
家から5分のところにあるグリニッジ劇場で見た。
ここは小さな劇場で、週末だけの短い公演が多いけれど、
今月だけはオリジナル・ミュージカルを3週間ぶっ通しでやっていた。
これは何かあるな、と睨んで千秋楽の1日前に行った。
やはり心のこもった、規模は小さいけれど上質の仕事だった。
セットもシンプルにして洗練されている。
何より、主演のKatie Elin-Saltという女優がすごかった。
悪く言えば、劇場業界的にグリニッジは場末だ。
だからこそ、この場末をしてこれだけの実力者がいるのが
イギリスなのだと痛感した。
そういう凄みをせいぜい150人ほどで、間近で観られて幸せだった。
その影響で、今や後回しにしてきたミュージカルに前向きである。
近く『ファントム〜』を観に行こう、そう思っている。
↓ミュージカル『ARE YOU AS NERVOUS AS I AM?』のカーテンコール
2022年10月21日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
週末のMass Danceに向け、昨日から本番会場での練習が開始された。
Sedgehill Academyという高校のサッカー場。
ここに設置された大きなテント。これが会場だ。
といっても、全面に屋根がつくわけではない。
屋根がついている部分は全部ステージで、
だから巨大な開口部になっている。
もともと、これはみんなで踊るイベントなのだ。
観に来る人たちは友達や家族が中心。
予約が必要で、手数料に300円くらいかかるけれど、基本的に入場料は
タダなので、観る人は芝生部分で思い思いに座ったり立ったりしながら
観てくれれば良い、というコンセプトだ。
我がルイシャムはロンドンにある区の中でもアフリカ・カリブ・中東
・アジア系移民が特に多い地域だ。
だから、クラブミュージックからジャズ、コンテンポラリーだけでなく
国籍を超えた数多くの舞踊を展開する。
というように、200人を超える踊り手が主役のイベント。
今週のロンドンはずっと雨がちで、夜になると冷え込むけれど、
とにかくあと数日なので力押しに練習している。
お客さんのために、本番だけはなんとか晴れてほしい。
・・・と、これを書いていたら、リズ・トラス首相が辞任した。
たった1ヶ月半の短命政権だった。
滑り出しから評判が悪かった。
英国の政界事情がよく分からないので、強気そうな彼女に対する
女性差別、男性のやっかみかとも思っていた。が、違ったらしい。
今月初め、ダイアンに「新首相は来年くらいに交替?」
と質問したところ「3週間後!」という答えが返ってきた。
冗談かと思っていたが、本当だったらしい。
私としては、円安が際限なく進んでいるから、
こちらの人たちには悪いが、もうちょっと長く地位にとどまり、
ポンドをさらに下げてくれると助かったのだが・・・
2022年10月20日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑これが200人以上で踊り狂うMass Danceイベントのチラシ。
多様性をテーマにしたMimiの自信作だ。
AlbanyのチラシはA5サイズが基本でやたら分厚い紙が使用されている
昨日は水曜日だったが、変則で劇団本読みを行った。
劇団員+座友(古い言い方だけれど、良い表現!)の本読み、
唐十郎ファン用の本読みWSも、同じ『ベンガルの虎』を当たるように
なった。自分だけ何度も何度も同じ箇所を読むので、各所での説明も
話芸の完成度が上がってくる。まるで落語家。
今週末は立て込んでいる。
昨日に書いた『オオカミだ!』会議があるし、
その後はルイシャム南部にある高校に殺到してマス・ダンスの本番が
二日間連続。日曜日の朝には本読みWSがあり、夜には聴き逃せない
コンサートもある。こうなると、日本にいた時のように車があれば!
そう思わずにいられない。車が欲しい。
車が欲しい、といえば11月の遠出。
この計画を練るのにひどく頭を使っている。
たかが遊びじゃないか。てめえが勝手でやってるんじゃねえか。
と言えばそれまでだが、イギリス南西部がこんなに広大で、
しかもバスや電車の本数がこんなに少ないとは。
まるでサスペンスの犯人のような細密な予定を組まされている。
ティンタンジェル城、ミナック劇場、
プリマスで行われるピーターのアンサンブルのコンサート。
行きたいのはこの3つだけなのに、完全に3日間とられる。
久しぶりに夜行バスに乗ることになりそうだ。
最後に乗ったのは、確か野外演劇『青頭巾』で東北ツアーを
組むため、山形に行った時ではないかと思う。
あの時は、早朝に駅に降り立ち、3キロ歩いて朝6時から
やっている温泉に入った。
当然、イギリス南西部のコーンウォールに温泉はない。
いかにも寒そうなイメージだが、気温はどれくらいだろうか。
なんとなしに常に強風が吹きそうなイメージでもある。
とにかく見るべきものを見て、風邪をひかずに帰ってくる。
これが目標だ。最近は陽も短いし、今月末でサマータイムも終わるのだ。
本来は夏に行くべきところを、後手に回ってこの時期になった。
人気スポットであるにも関わらず、チケットを取りやすいのが
唯一の慰めだ。移動7時間で見るのは2〜3時間。
どこもそんな感じだ。
さらに、今年はもう何度目になるか分からないストライキの噂を聞く。
ああ、車があれば・・・。
2022年10月19日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
Albanyでのシニア企画には、ファッション部門もある。
クリーターのAlisa(右)の指導のもと、思い思いに装飾するのだ。
せっかくなので上の写真を撮ってもらった。
今週は土曜日に『オオカミだ!』会議がある。
気づけば公演まで4ヶ月を切っている。だから追い込まなければ。
さまざまな活動に参加しながらこの事ばかり考えている。
昨日もAlbanyでシニアの活動があったが、
会場であるカフェを普通に利用する家族連れがいた。
4歳と2歳くらいの子どもが駆け回っているのを見ると、
彼らにウケたいと心底思う。
実際の上演を考えてこれまで溜めてきたアイディアを
修練させていくのがこの時期の仕事だ。
が、同時に、ここまで敷いてきた絨毯をひっくり返すようなネタが
ないかと思う。そういう疑いの中で生活している。
そんなことを考えながら、自然に体は動く。
Albanyでシニアの皆さんに関わっていると、あと2ヶ月だという
思いがもたげる。民族や国籍、押し寄せる波のような
インパクトがこのメンバーにはある。
生き方はさまざまだと自然に教えられてきた。
ロンドンには、以前は全く想定できなかった人生がゴロゴロあって
些細なことが気にならなくなる。世界的都市だから忙しないところもある。
けれど、全体に大らかな感じがする。
そういえば、自分が差別を受けたことは無い。
昨晩、ふと『シャーロック・ホームズの冒険』をパラパラ読んでみた。
ホームズは中学校の頃よく読んで、イギリス行きが決まってから
英語の先生に課された課題図書のひとつだった。
簡単な英語にしたやつ。
今回は椎野に送ってもらった翻訳を作業の合間に読んだのだけど、
印象が以前とまるで違う。地名の多くを具体的に想像できるように
なっている。これは愉しい。唐さんの台本が東京に根付いているように
ロンドンと近郊にの地名が溢れている。
100年前の話だけれど、地震の無い国だし、街並みは古い。
想像するに難しくない。
11月の遠出の予定も組んでいる。
Plymouth(プリマス)や、さら先のPenzance(ペンザンス)を目指す。
ほとんどを移動時間に費やすことになるだろうど、見ておかなければ
ならない場所がある。果たして、取りこぼさずに行けるだろうか。
2022年10月18日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
『下町ホフマン』の研究を開始したおかげでエンジンがかかってきた。
研修する、遠出する、公演を観る、飲食や睡眠、掃除など生活する。
それに『オオカミだ!』に工夫を凝らす。
初夏までのように一日の目が詰まってきた。
残る時間は少ない。意地でも力押しに鞭をくれるタイミングなのだ。
↑練習&本番会場であるSedqehill Academy
15日(土)
歩いて南下し、ルイシャムショッピングセンターから1時間のところに
ある高校に行った。ここのホールで、22-23 日に控えている
ダンスイベントの稽古。150人くらいで練習している。
10人のダンサーを中心に稽古を進行していく。
彼らが各チームに散る。
ティーンたち、障害者たち、子どもたち、シニアたち、など。
そこに国際性も入り乱れている。
アフリカやインドの舞踊も組み入れられている。
さすがのバラエティだ。
中心となるダンサー10人の動きがキビキビしていて気持ち良い。
小学生で、すごい身体にバネがある少年を見つけた。
ふざけてばかりだが、振り付けの飲み込みも異常に早い。
これから稽古や本番のたびに、彼に注目しよう。
↑演奏後のピーターと
16日(日)
『ベンガルの虎』本読みを終えて走って駅に行き、
2時間ちょっとかけてドーバー海峡に面した港町Broadstairsに到着。
この街の小さなホールで、ピーター・フィッシャーがグリーグの
ヴァイオリンソナタを3曲立て続けに演奏した。
ピータにとっては明らかにハードワークだったが、
今年聴いてきた彼のライブの中でベストの仕上がりだった。
19世紀のスタイルに規範を求める彼の美学が満ちていて惹き込まれ、
痛快だった。ソリストとしての彼に立ち会える機会は多くない。
来て良かった。
燃焼してハイになったピーターと海辺に行き、
ディケンズの別荘など見て、季節外れになったビーチ近くの
レストランでフィッシュ&チップスを食べた。
ゴールデンチッピー以外で初めて美味いと思う店に出会った。
かなりライトな仕上がりで、また違った美味しさだった。
演奏後のピーターは疲れが溜まっているのだろう。
何度も道を間違えながらグリニッジに帰宅。
ダイアンがピーターに会いたがるので、少し家に寄ってもらった。
彼らの関係は帰国後も続くだろう。
↑週末に向け通し稽古
17日(月)
学校に行き、午後はDeptford Loungeで
女王の崩御につき延期されていたMoving Dayの稽古。
演出家レミーやプロデューサーのジュリーと久々に再会できた。
前日に日本の三重で行われたジャパニーズ版との違いについて
話したりもした。彼らの心配をよそに、出演者たちの記憶は確かだった。
通し稽古をし、ミーティングして金曜日の本番に備える。
・・・と、ここまで書いているうちに、
放課後の高校生たちが図書館のテーブルを占拠し始めた。
彼らに囲まれてこれを書いていたが、エアドロップでエロ画像が
送られてきた。斜め横の五人組が「しまった!」とばかりに
キョロキョロしている。送ったのは彼らのうちの誰かだ。
こちらはお首にも出さないが、内心ニヤニヤしてしまう。
稽古後もここに残って仕事していて良かった。
どんなだか紹介できないのが残念だが、画像がエグい。
2022年10月14日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑花と伝記とCD。出世作『マイスタージンガー』とブリテン2曲。
そのバス停で降りる者は自分しかおらず、
そこからの道に歩道はなかった。
行き交うのは自動車のみで、これが田舎道らしく半端ないスピード。
語学学校をサボって良かったと思った。
帰り道が暗くなれば轢かれかねない。
20分ほど歩くと、教会があった。
ネットで調べた時に毎日オープンと記されていたが、
案の定、扉は固く閉まり、周囲に人の気配なし。
が、幸いなことに墓石の数は少なかったから、
ひとつひとつ、心に余裕を持って確認していけた。
一通り見回して、無い。
すると、散歩中の老父婦が通りかかったので、彼らに訊くことができた。
二人はグッドオール自体を知らなかったけれど、
もう1箇所、付近に同じ教会付きの霊園があることを教えてくれた。
そこを訪ね、半分くらいの墓石を見て回ったところに、目的のお墓はあり、
その老夫婦もこちらの発見を一緒によろこんでくれた。
見つからなかった役場に尋ねることもできるよ、
と言ってくれた優しい旦那さんでもあった。
花を手向け、本とCDを並べてパソコンでDJした。
彼が専門としたワーグナーの序曲をいくつか。
若い頃はベンジャミン・ブリテンとの共同作業で名を馳せたから、
彼が初演した『ピーター・グライムズ』も。
ブリテンのCDは絶版でプレミアもついていたが、
ヘリフォードで叩き売っていたのを中古屋で見つけたものだ。
到着したのが午後2時半過ぎ。
1時間くらいして肌寒くなってきたので、カンタベリーに引き上げた。
霊園の周辺にワイナリーがいくつもあるらしく、
車を飛ばす人たちはそこの職員さんのようだった。
カンタベリーでピザを食べ、大聖堂での夕べの祈りに参加した。
合唱隊は少女のみ。まったく力まず、声を張らないのに、
言葉が明晰で力のある合唱だった。
この場所の教会音響を知り尽くしているのだ。
指揮をしていた青年はすごくおとなしそうで、
はっきり言えば頼りない感じがしたけれど、すごく敏腕な指導者なのだ。
帰り道は油断しまくり、電車を乗り間違えて遠回りしながら帰ってきた。
午後10時に帰宅。
↓カンタベリー大聖堂の前で
2022年10月13日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑メッドウェイ川を渡る際、いかにもケント州に入った!という感じが
した。実際の境界線はもっとロンドン側にあるけれど。
思い立ってカンタベリーに行ってきた。突発的な小旅行。
最近、不安に思うことがある。
帰国までに行きたいところは多数あるが
果たしてすべてを訪ねることができるのか。
近々、リストをつくろうと思っている。
逆算しないと、後で後悔することになる。
ここは必ず行かなければ、というところはさして問題ない。
必ず行くからだ。むしろ、行った方がいいな、程度の場所は困ったもの。
先延ばしにしているうちに時間が尽きてしまいかねない。
カンタベリーもそういう場所だった。
有名な大聖堂もさることながら、指揮者レジネルド・グッドオールの
墓参りがしておきたい。マップで見ればカンタベリーからさらにバスで
移動した田舎道の傍にあるようだ。
小さな教会つき霊園に、彼のお墓はあるらしい。
たどり着けるだろうか。
これまでの経験からお墓探しの難しさはよくわかっている。
物言わぬ墓石を見つけるのは難しい。
まして彼は、誰もが知る有名人というわけではない。
時間がかかるだろう。
かなり閑散とした土地の感じがする。
尋ねられる人が誰もいなさそうでもある。
英国は刻一刻と冬に向かい、日を追って日没時間が早まる。
だから、語学学校の一限目を終えた後、二限目をサボって飛び出した。
最低限の仁義を切り・・・
自分のいるグリニッジは、
ロンドン都心からドーバー海峡に向かう最初の要所にある。
だから、カンタベリーには行きやすい。
駅に歩きながら、乗車切符をネットで購入し、ホームに流れ込んできた
電車に乗った。絵に描いたような田舎道だった。
有名な『カンタベリー物語』はカンタベリーを舞台にしていない。
巡礼者たちが道すがら語り明かした様子を描写するものだから、
むしろ今進んでいる道こそ、あの話の舞台だ。
ケント州に入ると、陽射しは強まった。
横浜から湘南に出たような感覚だ。そう三浦半島に似ている。
2時間かけてカンタベリー。そこからバスに乗った。
・・・長くなるので、続きは明日。
2022年10月13日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
Tea Danceのアイドル、クリスと良い感じの写真を撮ることができた
一昨日、彼はカンパニーのメンバーと一緒に、仮想の高齢者施設
『THE HOME(ザ・ホーム)』のプロモーションにやってきた。
パフォーマーたちが勧誘員に扮し、
Albanyに集まるシニアを相手に高齢者施設の勧誘をする。
マネージャーの女性による挨拶のスピーチ、少し怪しいキャッチコピーの
連呼、スタッフたちによる歌や踊り、どれも面白かったが、
最高だったのは、彼らの仲の悪さが勧誘中も浮き彫りになることだ。
自己顕示欲の塊のような敏腕マネージャーに
スタッフたちは辟易しており、歌や踊りの出番を奪い合ったり、
小声で罵り合ったり、相手がアクトしている時には
ひどくつまらなそうなリアクションをして
観客たちを大笑いさせていた。
作り込んだ資料もホンモノらしい。
日本では催眠商法やオレオレ詐欺が相変わらず猛威を
振るっているので、それをパロディにしたブラックユーモアが
炸裂していたけれど、勧誘行為自体はホンモノなので、
見事に虚実がないまぜになっていて、パフォーマンスの力を
感じさせた。
配布されたプログラムもよく出来ている。
が、これらはすべて架空の高齢者施設で、
オンライン上で皆が集まってお互いにつながったり、
こうしてパフォーマンスや、前後の交流を愉しむことが
眼目なのだ。
英国のパフォーマーのレベルの高さを再認識させるショーだった。
そしてクリス。
クリスは大変に大きな存在で、初めてクリスと会った時、
Heと言いかけてSheなのかどうかまごついていた自分を察して
「どっちでもいいよ!」と言ってくれた。
日本語では彼/彼女とあまり言わないので、
イギリスで実地に体験してこういう時の作法を覚えてきているのだが、
初期にクリスに会えたことで、安心して学ぶことができた。
その感触が半年経っても残っていて、とにかくありがたい存在なのだ。
下記のホームページを見てほしい。
OiBokkeShiの菅原直樹さんも協力してイギリス/日本 対応の
バーチャル空間を作っている。
末尾のクレジットで
クリスのフルネームがChristopher Greenということもわかったが、
やはりクリスはクリスという感じがする。
2022年10月11日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
『ベンガルの虎』のことを考えながらカレーを食べる(ベジ専門店)
唐さんたちはバングラデシュで毎日カレーに辟易し、
醤油を惜しみながら使ったらしい。毎日はツラそう・・・
先週末に『黒いチューリップ』を終え、
今週末より『ベンガルの虎』をWSの題材として取り上げる。
唐ゼミ☆で未上演の作品をテーマにするのは、
『少女仮面』に引き続き二度目。
「僕らが上演したときには・・・」という話はできないので、
あるべき舞台の姿をより強く思い描くワークショップになる。
「唐ゼミ☆で上演するとしたら・・・」という具合だ。
もちろん、初演時の資料を紐解いたり、この演目を持って
唐さんが行ったバングラデシュ公演に思いを馳せることになる。
新宿梁山泊の舞台も観ているので、あの上演のことも思い出したい。
あの頃、私たちは開国博で巨大バッタを使ったイベントに
奔走していた。それの初日をやった翌日、
紫テントの立つ井の頭公園に駆けつけた記憶がある。
暑い中、唐さんと並んで観た。
あの公演で、それまで"広島桂"さんだった桂さんは
ヒロインの名前"水嶋カンナ"になった。
カーテンコール、金(守珍)さんがあの甲高い声で
「水嶋カンナを演じました水嶋カンナ!」と叫んだ時、
可笑しかったけれど、度外れな情熱と真剣さが伝わってきた。
それから、前によく通った入谷坂本町の景色も甦る。
2014年のお正月に私たちは唐さんの母校、
坂本小学校でやなぎみわさんが書いてくれた劇
『パノラマを』を公演させてもらった。
その前年、春からよく入谷に通った。
小野照崎神社の御山開きや坂本小学校で行われる納涼祭にも
呼んでもらった。そしてなんと言っても、朝顔市。
あんなにも賑々しいと想像していなかったのでたいそう驚いたし、
『ベンガルの虎』三幕の景色がたちどころに理解できた。
朝顔市は『ビニールの城』でも活躍し、
読売新聞紙上で唐さんが添加した連続小説『朝顔男』の
舞台にもなってきた。
日本ではコロナへの対応が長引いている。
朝顔市、浅草のほおずき市も完全復活は来年だろうと思う。
帰国したらまた行きたい。
初回はもちろん、『ビルマの竪琴』の話から入る。
ロンドンであの映画のことを考えていると、不思議な気持ちになる。
かつて東南アジアの島々で、出征したのに一発の銃も撃てず、
ただ飢餓と病気で亡くなった兵士たちも多かったという。
2022年10月 7日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑オレンジジュースを飲みながらショートフィルム鑑賞、のはずだった
昨日、シニアたちが集まって映画鑑賞をした。
といっても、この上映会は彼らのためにあるのではない。
若手のクリエーターがコンクールに参加するべく完成させた
ショートフィルムを、Albany常連のシニアたちに観てもらい、
意見してもらおうというのだ。
会場は劇場近くにある"JOB CENTER"。
これは仕事を斡旋するセンターでなく、飲み屋の名前である。
Albanyのメンバーが利用する馴染みのパブの一つであり、
初めて劇場に来た時に連れてきてもらったのもここだった。
この店を昼過ぎから借り、スクリーンやプロジェクターをセットし
みんなで観る。
やって来た人から、ちょっとしたお菓子と飲み物を手にする。
こういうところ、運営のエンテレキー・アーツはいつも行き届いている。
自分も勧められてオレンジジュースのグラスを受け取った。
イギリスでの私の主なビタミン源はオレンジジュースだ。
風邪をひきたくない。が、フルーツはいちいち高いから
紙パックのオレンジジュースを買って、一本を3日に分けて飲んできた。
昨日でちょうど前のが空いたところだから、今日の分はこれでいい。
やった。ラッキー。そう思ってごくりと飲み込んだ。
・・・久しぶりに飲んだこの重だるい味。酒だった。
よく見れば、カウンターに大量のグラスが並んでおり、
BUSK'S FIZZと書いた紙があった。
酒を飲まないので名前に疎い。
すぐに調べたら、オレンジジュースをスパークリングワインで
割ったものだそうで、飲みやすいと書かれていた。
それから、水平をたもつのもしんどくなった。
後に会議もあり、夜にはポエトリーリーディングの公演を観に行きたい。
翌日の早朝には日本のシンポジウムで喋る予定もある。
などと考えながらも、体が錆びついたようにギシギシし始めた。
目の前では、シニアたちが嬉々として昼酒を飲み、映画に観入り、
フランクに意見を言い合って映像作家たちを緊張させていた。
他方、自分は会議の予定が迫り、1時間ちょっとでその場を後にした。
映画の内容はほとんど入ってこなかった。ただでさえ英語が難しい。
加えてこのコンディションでは・・・。
いつだったか、唐さんのお宅に伺った時、
「中野にこれを買っておいたよ」とパックのグレープフルーツジュースを
差し出されたのを思い出した。美味かったな。あのジュース。
酒が飲めたら、もっと人生が開けたと思う。
同時に、かなり能率は下がり、お金を使っただろうとも。
後に出席した会議では、何も言わないうちからミミに
「大丈夫?」と心配された。隠したつもりだったけれど、
顔に出てしまっていたのである。
病院を勧められたが、それは断った。
事務所のソファで休み、水をがぶ飲みして、昨日は思っていた予定を
強行した。夜の公演では、司会者の喋りは理解できたが、
ポエトリーはさっぱりだった。
2022年10月 6日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
一昨夜の帰り、ロンドン・ブリッジから不思議なものを見た。
テムズ川に浮かぶ船はどちらも背が高い。
前後を挟む二本の橋より明らかに背の高い船が、
どうしてあそこにいられるのだろう?
一昨日はエイシェント室内管弦楽団を聴き、
昨日はエイジ・オブ・エンライトメント管弦楽団を聴いた。
エイシェントは古楽、
エイジ・オブ・エンライトメントは啓蒙時代
という意味。両方、ロンドンで古参の古楽器演奏集団だ。
古楽器集団は20世紀半ばに次々と現れた。
初め、カリスマ的なリーダーが中心となって発足し、
アンティークの楽器やその演奏方法を探究して、
古い道具や奏法の中から新しい響きやスタイルを生み出した。
彼らは既存の大オーケストラとは別の道を行った。
そして、当初は違和感だった演奏が、その後のスタンダードに
汲み入れられていった。
大オーケストラの地位は揺らがないけれど、
彼らの演奏の中には、古楽器集団の奏法や感覚が息づくようになった。
日本の60年代演劇もこれに似ている。
既存の団体に受け入れられない、あるいは背を向けた人たちが
小さな集団をつくって台頭した。もちろん、唐さんもその中の一人。
今や、大きな劇場で上演される劇にも、
唐さんや寺山さんや鈴木さんや信さんや串田さんのセンスが
生きている。運営そのものを直にする人たちもいる。
そういうことだ。
エイシェント室内管弦楽団の創立者、
クリストファー・ホグウッドはすでに鬼籍に入った。
お客さんの少なさが気になったけれど、後継者たちの演奏は
実にハツラツとしていて、初めて聴くハイドンのオラトリオ
『四季』の面白さを教えてくれた。
日本では滅多に聴けない、
けれどもCDではスタンダードナンバーのひとつである。
今年は一通りの楽曲を聴くというのも目標にしている。
それに自分の周囲に置きかえて、色々なことを考える。
もう10月なので、年明けから始まる日本の生活に片足は戻っている
ような感じだ。体はロンドンだけれど、頭の中で来年の帰国後を
思い描くことが多くなってきている。
2022年10月 5日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑前回のTea Danceの仕込み風景。引っこ抜いてきた木が逆さ吊りに
なったいた。
11/15(火)にAlbanyでもひときわ盛り上がるパーティーが開かれる。
その名もTea Dance。昨日は準備のための会議が行われ、
スタッフ、参加者の代表にあたる人たちが結集していた。
司会を務めるクリスもいる。彼こそこの会のシンボルだ。
歌って踊って演奏をして、司会をする。
その振る舞いは周囲への気遣いに溢れている。
当然、みんなが""クリス!"クリス!"と言って慕っている。
前回は6月に開催され、その光景に驚いた。
それまでやってきた歌や踊りの練習、美術創作が何のためにあったのか
たちどころに氷塊した。みんな、この日のために仕込んでいたのだ。
今度は2度目なので、
準備に加わろうと思って会議への参加を希望したのだ。
みんなが前回からの改善点について話し合っている。
プログラムの順番とか、招聘するアーティストとか、
式次第をプリントして配ろう、とかそういうアイディアも出る。
なるほど、こうして意見交換しながらつくられていくのだ。
思えば、スコーンの食べ方を知ったのもあのパーティだった。
上下で半分にパックリと割り、あるいはナイフで切って、
そこにクリームとジャムを塗りたくって食べる。
自分としては濃すぎるが、こちらの人たちはそれに
ミルクティーを合わせる。
それまで、スコーンは、クッキーだパンだかわからない
中途半端なものだったが、この時に旨さがわかり、以来、
しょちゅうプレーンで食べるようになった。
そういう効能もあったのだ。
会場設営は、テーマに合わせてアーティストがデザインする。
前回はRooted=根付く ことがテーマだったので、
Albanyの庭から切り出した木を逆さに吊るしてセンターに飾っていた。
この辺のゆるさがいい。
横浜国大にいたころ、唐ゼミ☆はよくそんなことをしたものだ。
特に竹はどんどん育つので、気兼ねなくフラッグを作る時の
竿にさせてもらったのだ。
ドレスコードについても話し合われた。
別に正装である必要は全くないが、せっかくだからテーマを決めて
それに沿ったオシャレを目一杯しようというわけだ。
これから40日間。そんな風にして準備が続く。
2022年10月 4日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑生き残った片割れ。これがあれば当座は困らないが。
イギリスでどれくらいの落とし物をしてきただろう。
日本にいるのとは違いリカバリーが難しい。
語学力の不足、旅先での出来事であることが原因だ。
公演前も、こういったアクシデントはよく起こる。
忘れ物や落とし物をしてしまう。
いつもは正常稼働していた機械類が故障する。
運転中に交通違反をして切符を切られてしまうことも、ままある。
それらに対処しつつ、いちいち落ち込まないようにしてきた。
公演準備は非日常のことなので、自分でも気づかぬうちに浮つく。
ちょっとしたトラブルが起こるし、スムーズに運ばないのが普通だ。
経験とともに観念し、アクシデントを想定してやりくりするようになった。
イギリスでも、いくつかのものを失くしている。
耳かき。これはエジンバラで失くした。
地元、天王町の薬局で売っているかなり良いやつで、
ダメージを受けた。イギリスのスーパーや薬局では
そもそも耳かき自体を見かけないのでAmazon.UKで買って補った。
が、もちろん精度は及ばない。
ぜんそくの薬。これはラドローで失くした。
ストックがあるが、ひと月分くらいを失くしたので、
1日2回の吸引をしばらく1回に減らして補った。
文庫本。
これは、ロンドンのグローブ座付近の路上で落とした(と思う)。
岩波文庫に『大した問題じゃないが』という20世紀初めに
イギリスの新聞に載った名エッセイ集がある。
3分の1を読み残して落とした時、続きが気になった。
が、タイトルに励まされて悔しさを克服した。
大した問題じゃない。
・・・『少女仮面』の最後の方で、
ヅカファンの少女たちが春日野に服や髪の毛を返す場面の
せりふみたいだが、このような具合である。
いずれも致命傷を帯びるようなものではないが、
日常の便利や楽しみが少しずつ損なわれてきた。
先週末に、コンセントの変換プラグを失くした。
大小2種類の部品から構成されているこのアイテムのうち、
メインでない小さい方を失くした。イギリスでは残りの大きい方で
機能するので問題ないが、追い詰められた感じはする。
変換プラグについては、警戒して2個持ってきた。
全部失くしたらPCとケータイの充電ができない。死活問題だ。
実は、ラップトップももう一台持ってきている。
何年かに一度、自然に壊れるし、置き引きに遭うかも知れない。
そう思ってのスペアだ。
2006年に『ユニコン物語 溶ける角篇』をやっていた頃、
室井先生はサバティカルで数ヶ月間ヨーロッパに行き、
置引きか何かでパソコンを失くした。
「大問題が起こった!」という悲壮な連絡を受けた覚えがある。
あんな風になるのは絶対にイヤだと思ってもう一台持ってきた。
ただし、スペアは今回のように
グリニッジに定住しているだから可能な技だ。
常に移動しながらの一年だったら荷物が増えて仕方がないから、
スペアを持ち運ぶ余裕は無いと思う。
あと、サバイバル力を磨く機会を失っているのかも知れない、
とも思う。人間、その気になれば現地調達できるはずだ。
あるいは、諦めてそれ無しで生き抜く強さも育まれる。
そういうチャンスを放棄しているとも言える。
残すところ90日を切っているが、まだトラブルはあるのだろうか。
ちなみに今年は厄年だが、折に触れ、イギリスまで厄年は及ばないと
自分を励ましながら生活してきた。
占いにも弱い。ああいう言葉にはなんとなしに縛られてしまう。
2022年9月30日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
初めてチラシを受け取った。
最近、また鉄道ストライキがあるらしいと噂で聞いていた。
それが、昨日、グリニッジから都心に出るために駅に行ったところ、
気の良いお兄さんがこの宣伝チラシを配っていたのだ。
10月1日と5日、8日に実施されるようだ。噂は本当だった。
今年、何回目のストライキだろう。
特に印象的だったのはエジンバラから帰れなくなった8月第3週の
ストライキで、あの時は前日に「数は少ないけど大丈夫!」と駅員に
言われたにも関わらず、翌日になってロンドン行きが全滅、
宿泊を延長する羽目になった。
もっとも、あの素晴らしいスコティッシュ・ナショナル・シアターの
仕事に立ち会えたのは収穫だった。さらに翌日、
疑心暗鬼にかられた私はかなり早朝にエジンバラを発った。
鉄道もまた一寸先が闇、これが日本との違いだ。
郵便についても似たようなことが頻発している。
こちらでもAmazonをよく使う。"JP"ではなく"UK"。
これがしばしば、勝手にキャンセルされるのだ。
最もひどい場合はこんな具合。
「翌日に配送」とあるのでポチる。
翌日に「あと三日かかります」の通達。
さらに二日後に「明日届けます」の連絡。
当日になり「うまく届けられないのでキャンセルしました」
というメッセージが届く。・・・来る来る詐欺。
悔しいのは、待ち続けている期間に、
街のお店で目的の品物に遭遇してしまう時だ。
目の前の品を買うこともできず、かといって、
本当に届くかどうかも怪しい。
体感的には、4回買い物をするとそのうちの1回は勝手に
キャンセルという頻度。これもまた日本との違い。
10月1日(土)はタイムトライアルになりそうだ。
朝のオンラインWSを終えた後、13:30キングスクロスまで余裕を
持って移動するはずだった。が、ストライキにより想定を
変えなければならない。どの電車が止まり、どの電車は動くのか。
混むであろうバスだとどの程度かかるのか。
そんな情報収集と試行錯誤が必要だ。
少し油断するとすぐにピンチが訪れる。日本との大きな違いだ。
2022年9月29日 Posted in
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中野note
↑英国が誇るメゾソプラノDame Sarah Connolly(左)
伴奏Joseph Middleton(右)もかなりの腕利きだった
ダイアンがギリシャのイタカに旅立った。昨日から一人暮らしである。
出かける前、彼女は何度も施錠や電灯のオン・オフについて
指導していった。ロンドンは危険なのだ。だから注意深く
それを遂行しなければならない。
出かける時にはラジオをオンにする。泥棒をビビらせるためだ。
あとは庭の水やり。けっこう時間が抱えるので、雨が降ると楽になる。
ロンドンの雨の多さが、ここでは幸いする。
朝からAlbanyのボランティアスタッフの茶話会に出た。
彼らの意見を汲み取るために定期的に行なっているらしい。
きめ細やかである。実際、彼ら無しに日々の事業の継続は難しい。
だから大切に耳を傾けて、主体性を持ち続けてもらうのだ。
「The Wating Roomに来て」と言われ、劇場の受付で訪ねたら、
そんな部屋は無いと言われた。結果的に近所にある喫茶店のことだった。
紛らわしい名前だ。語学力と土地勘が揃わないと辿り着けない。
いまだに、こうしてあちこちにぶつかりながら日々を過ごしている。
辛いところでもあるが、少し遅れたっていいやと鷹揚に構えている。
分からない原因が分かりずらいので、焦っても仕方ないのだ。
午後はキッズプログラムを観て、それから都心に出かけた。
2ヶ月前、衝撃だったThree Choirs Festivalの最終夜に登場して
その技量を見せつけたDame Sarah Connollyを聴くのだ。
男性はSir、女性はDame、騎士の称号に女性版があることを
私は彼女を通じて学んだ。
英国一のメゾソプラノだそうだが、完全に納得している。
他を聴いた数が少ないので断言できないが、絶対値がすごいことが
よくわかる。ピーターと大学の同級生らしく、若い頃から抜けていた
と教えてくれた。
数年前に大病をし、手術をして、声量が衰えたということだが、
衰えてなお恐るべき歌手である。今まで持っていたCDの多くに彼女が
登場していることが分かって、彼女を目的に音源を聴きなおすのも愉しい。
彼女の力感と演じ分けの力がフルに発揮されたバラエティ豊かな
リサイタルだった。前半は英語の歌。後半はフランス語やドイツ語の歌。
後半のトップに歌ったショーソンの歌曲の悲劇性が会全体のハイライト
だったが、その後はヴァイルなどを歌ってお洒落に愉しく終った。
最後の方は、彼女の向こうに舞台となる安酒場が視えるのだ。
高級なチープさだった。
2022年9月28日 Posted in
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中野note
↑野外劇のカーテンコール。普段は加害者の側に回る私だが、
やっと終わったと拍手しながらかなり嬉しかった
昨日は午前中からAlbanyに行った。
再来月のパーティーに備えて、シニアたちは二班に分かれて
準備している。美術製作がしたい人たちは、飾り付けの造花を作る。
アーティストによるお手本を参考に量産していく。
もう片方のチームは、出し物の合唱の練習をしている。
『ブルーベリーヒル』『スカボローフェア』
『ワンダフルワールド』に加え、みんなで作詞して先生が曲を
振ったもう一曲をやる。昨日は3つの既存曲の練習。
パート分けしてハモるのだが、自分は高い方に配属されている。
『スカボローフェア』を歌いながら夏に二度行ったエジンバラを
思い出した。電車の窓から見えたスコットランドの海沿いの景色。
夏だけど寒そうだったあの風景が、サイモン&ガーファンクルの
描いた世界だと思う。
『ワンダフルワールド』の2番を歌っていると、自分の子どもが
生まれて2歳くらいまでを思い出す。
それなりに長く生きて来たので、歌詞が沁みるようになった。
その後はデスクワークをして、夜に野外劇を観に行った。
テムズ川沿いのベニューで、ナショナルシアターのバックアップによる
新作劇の発表があった。
18世紀、産業革命前夜に発見された不思議な牡蠣をめぐる
エピソードに、現在のジャーナリストが北極の様子を
ライブストリーミングする話が絡む、というトリッキーな物語だった。
要するに、気候変動と環境破壊を意識して創作されたストーリーだ。
俳優のレベルが高く、スタッフワークも緊密で唸ったが、
野外に必要なワイルドさには乏しかった。
明らかに膨大なコストがかかっている。
舞台は貧乏臭くてはいけないが、
あまりにテクノロジーを駆使しすぎると、
もはや劇場の中でやれば良いのではないかということになる。
そういうステージだった。
それから、昨晩は寒すぎた。
気温は10度だったのである。もっとマックスの厚着で
行けば良かったと後悔しながら観劇し、1時間50分を震えながら観た。
直前に近所のベトナム料理屋で熱々のフォーを食べたのが幸いして、
風邪をひくことはなさそうだ。一方で、隣の席に座ったおじさんは、
なぜかハーフパンツに半袖Tシャツにも関わらず余裕そうだった。
英国ではこういう人をよく見かける。
極寒なのに半袖短パン、バーの屋外席でギンギンに冷えた
ビールジョッキをあおっていたりする。
多様性という言葉を実感する。彼らは同じ人間に違いないが、
同じ人間には思えない。体感温度にも、かなり個人差があるらしい。
役者は役によって露出度高めだったり、
ずっと倒れている役の人もいて心配になってしまった。
かつて、極寒の中で自分が公演してきた様々な作品を思い出した。
2022年9月27日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑ガラの悪い街ながら壮麗な教会がある。コンサート直前の風景。
イギリス国教会の様式
Croydonという街に初めてやってきた。
といってもロンドン市内、Albanyから徒歩と電車を合わせて
南に小一時間行ったところにある街。
ああ、また一つワイルドな場所に来た。
スリや盗難に遭わないように。ケンカにも巻き込まれないように。
けれども、見るべきものは見たいのでジロジロと周囲を睨め回しながら
歩いてしまう。
目的は9月頭に都心で聴いた合唱集団The Sixteenの公演。
彼らほどの実力者であれば、同じプログラムでも何度も
聴きたくなる。むしろ、違う会場の建築を観て、
そのアコースティックをいかに彼らのものにするのか、
愉しみは膨らむ。それにしても、なかなかの土地柄・・・
こういう新たな土地、しかも経済力や治安が良くなさそうな場所を
訪れるのにも慣れてきた。パウンドランド(英国の100円均一)や
Icelandという量販店スーパーを発見したら、その土地の平均所得は
推して知るべし、ということも分かってきた。
自然に、財布やケータイを仕舞う場所を組み替える。
後ろポケットに入れていようものなら、
ヒョイとつままれてしまうこともあるからだ。
先週末、日曜日は面白かった。
ピーター・フィッシャーの出演するフィルハーモニア管弦楽団が
マーラー1番を演奏するので、この曲が最も好きだというダイアンを
連れて行った。指揮者のサントゥ・マティウス・ロウヴァリは美音で、
精妙な優雅な音楽をやる。
主題の変遷がよくわかり、綺麗な演奏だった。
これがロンドン交響楽団ならもっと躁鬱の激しくなるけれど、
彼らの演奏は温かみがあって、高齢のダイアンを招くに
もってこいだった。
ピーターがお友達割引を駆使して、特等席を格安で用意してくれた。
私たちが座った席の周りには彼の他のお友達もいて、
終演後はその中のご夫妻のご自宅に伺った。
我ながらちゃっかりしたものだが、
ダイアンは持ち前の社交性を発揮し、サウスバンク・センターと
ナショナル・シアターから徒歩5分のところにあるその家を
「ステキな部屋だ!」絶賛しながら、私と一緒にお呼ばれした。
帰り際になって、その家のご主人に、
「昔、日本人の演出家が演出した舞台を観たことがある」
と言われた。アラン・リックマンが出ていた、とも。
ということは、蜷川さんが演出し、清水邦夫さんが書いた
『タンゴ・冬の終わりに』の英語版『Tango at the end of Winter』
に違いなかった。
1991年。プロデューサーの中根公夫さんは勝負をかけた。
それまで、十八番である『王女メディア』『NINAGAWAマクベス』
に向けられた海外での評価は高かったけれど、いずれも各地で
短期に公演したイベント的な公演だった。
その点、『Tango〜』は座組を海外でつくり「興行」を目指した。
日本の演劇人が挑んだ大ジャンプだった。
会場は、ウエストエンドの中心にあるピカデリー・シアター。
結果的には、勝ったとは言えない公演だった。
初日直前にチケット販売を行っていた会社が倒産して
売れていた入場料が全く入って来なくなった。
(それでも中根さんは、わずか当日券が売れる収入や助成金を
駆使し、赤字と闘いながら予定していた公演を全うした)
演目も、西洋のリアリズム演劇の延長にある戯曲をなぜ持ってきたのか
と言われたらしい。期待された"日本"の要素は、確かに弱かった。
けれど、観劇したその人は、面白かったので二度観に行ったそうだ。
これには嬉しくなった。
帰国したら、中根さんに伝えに行きたい。
2022年9月23日 Posted in
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中野note
Albanyに通うこと8か月が経とうとしている。
しかし、まだまだ知らないことは多い。
通い慣れた企画ですら、知らない計画が進行中ということもある。
これが日本語でのやりとりならば、注意して聴いていなくても
会話が自然と耳に入ってくる。「何それ?」と会話に割り込み、
情報を得ることができる。しかし、やはり英語は難しい。
そんな状態ではあるが、先日、
シニアたちを連れて都心に出かけると聞いた。
尋ねれば、数ヶ月に一度そういう外出をしているらしい。
連れて行ってよと頼んだら、ウェルカムと言われた。
結果、昨日は学校をサボって都心に出た。
朝10時にヴィクトリア&アルバートミュージアムに集合。
英国の黄金時代を築いた女王と旦那さんが世界から収集した品々を
展示した施設だ。南はアフリカ、東は中国まで、"帝国"という言葉を
強く実感させる展示品の数々。
10時に行ってみるとスタッフが集まっていた。
シニアたちはタクシーでやってくる。
今現在タクシーがどこにいるかはケータイでモニタリングできる。
それを眺めながら、導線を確認する。
このスロープを使おう、とか。
荷物置き場はここで、学芸員に話を聞く場所はここ。
最後に集合して軽食を取る場所はここ、という具合だ。
運営にあたるエンテレキー・アーツの面々は、サンドイッチや
スナック、フルーツを持参している。まことに余念がない。
今日の目当ては、常設展ではなく、
アフリカ・ファッションをテーマにした特別展だ。
コンテンポラリーにアフリカ色を反映したモードを展示していて、
華やかだった。その上で、常設展のアフリカ部門も見てね、
というコンセプトなのだが、今回は時間を限っているために、
シニアたちはひたすら特別展のみを見る。
果たして、タクシーから降り立ったシニアたちは輝いていた。
ルイシャム地区は移民の街。アフリカやカリブからやってきた婦人たち
なので、アフリカ・ファッションを地でいっているのだ。
展示場では一つ一つを食い入るように眺め、記念撮影をしてゆく。
とにかくじっくりと見て、キャーキャー盛り上がっている。
こういう性質の展覧会だから、おそらくファッションを学んでいる
学生たちが大勢来ていて、彼らもなかなかの洒落者揃いだったけど、
恰好も振る舞いも、うちの組は度外れに派手で周囲を圧倒していた。
ツアー開始前のスタッフ会議でお互いに確認しあったのは、
彼らをミュージアムショップに絶対に近づけてはならない、
ということだった。それだけで2時間過ぎてしまう。
そういうわけでショップには目もくれさせず、目的地まで案内した。
一通り終わった後は軽食を取り、迎えに来たタクシーにみんなで
乗り込み、にこやかに帰っていた。なかなかの遠足である。
2022年9月22日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
昨日は日本からやってきた鷹野梨恵子さんにグローブ座で会った。
優れた女優である鷹野さんは、
今やGMBH(ゲーエムベーハー)https://www.gmbh0802.com/という集団を
立ち上げ、運営もしている。
ちょっと前にプロデュースしたイエローヘルメッツの『ヴェニスの商人』
を終えたばかりだが、疲労も感じさせずイギリスにやってきて、
シェイクスピア関係の場所を巡り歩いたらしい。
グローブ座のガイドツアーと『ヘンリー8世』を一緒に観た。
鷹野さんを初めて認識したのは彼女がまだ無名塾に在籍していた頃、
当時、よく唐ゼミ☆に出演してくれていた虎玉大介くんが
他の芝居に出るというので観に行ったら、そこに鷹野さんも出演していた。
物語の設定は昭和初期。戦争に向かっていく日本を生きた
若い芸術家たちを描いた話だったと思う。
あだっぽい踊り子役を彼女は演じていた。
持ち前の身体能力を活かしてピョンピョンと跳ねるように
舞台に現れたのが、とても目を惹いた。
それから、他の男の役者たちとせりふを応酬した後、
「あたし、ヌードはしないわよ」と言ったのをよく憶えている。
言葉のインパクトもさることながら、その見栄の切り方、
表情はせりふを凌ぐ押し出しの強さだった。
いかにも勝ち気そうな感じがしたけれど、
3年程前に再会した普段の鷹野さんはおっとりした感じで、
そのギャップに驚いた。しかし、やはり強い。
無名塾に入る前、ドイツでコンテンポラリーダンスを学ぶために
一年間留学した経験もあるという。
そんな風に国際経験もあり、踊り込んでいるから体力も違う。
渡英の翌日にはストラトフォード・アポン・エイボンに行き、
さらに翌日にはロンドン塔を巡りグローブ座に来て、二本の劇の合間に
ガイドツアーにも参加していた。
自分はといえば、渡英翌日はビザのカードを郵便局に取りに行った後は
頭痛がひどい上に買い物の仕方もよくわからなくて、ビクビクしながら
ホテルで寝ていた。実感として三日間は動けなかった。
それに比べると、イギリスでスイスイとでフル稼働し、
1週間くらいで日本に戻っていく鷹野さんは強靭だ。
研修を終えて日本に帰り、再訪したとしても自分には真似できないと思う。
シェイクスピアについての全てにキラキラした視線を送っていて、
この歴史上もっとも有名なイギリス人に、どれだけ彼女が
突き動かされているかが分かった。
それにしても、『ヘンリー8世』こそは渡英以来観てきた
シェイクスピアの中で、一番の自分のお気に入りである。
エリザベス1世の誕生シーンで締め括られるあの劇を、
プラチナムジュビリーの時に観、お葬式の周辺で観たことになる。
出生の場面では場内から大きな拍手が送られた。
幕開け直後だった6月よりも出演者が好き放題に演じていた。
細部に遊びがあって、熱演する場面の燃焼も激しく、両者のメリハリが
効いていた。バカな下ネタの数々を大胆に繰り出す中に、
それぞれの役柄の悲哀を滲ませていた。
2回目だし、作品をよく知っている鷹野さんにも教わり、
どこをカットし、何を足しているのかもよく分かる。
自立した台本としては、他に優れたものはいくつもある。
ここまで押し上げたのは現場の力だとつくづく思う。
やっぱり昨日も面白かった。
↓エリザベス1世(左)を黒人の女優が演じる。技ありのアイディア
2022年9月21日 Posted in
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中野note
↑2011年のリサイタルより。ステージ上でいつも張り詰める唐さんも、
安保さんが横にいれば安心の表情
昨日、9/20は安保由夫さんが亡くなった日だった。
改めて思い出してみれば、2015年のこと。
もう七年も経ってしまったのかと驚く。
ほんとうに、ちょっと前まで安保さんの肉声を聞いていた
ような気がするけれども、あの時はまだ、今度6歳になる長男が
生まれる前だったから、確かに七年だ。
安保さんが亡くなった日、セレモニーはやらないと聞いたけれど、
居ても立っても居られなくて、高円寺駅南の火葬場に押しかけた。
唐組や梁山泊のメンバーはもちろん、状況劇場で同級生的な
仲間だった十貫寺梅軒さんや小林薫さんも来ていた。
式はないけれど、それに匹敵する人の輪がそこにあって、
僕らも末席に加えてもらった。
あれから、『あれからのジョン・シルバー』や『唐版 風の又三郎』を
二度ずつやった。その度に安保さんを思い出してきた。
ああ、生きていてくれたらなあ、と思う。
紅テント在籍中、卒業後も安保さんが手がけた歌で、
まだまだ知られていない劇中歌があると思う。
『音版唐組(CDで復刻し『状況劇場劇中歌集』)』に
収められたのはいずれもそれぞれの演目中、メインに歌われた唄。
けれど、ちょっとしたコミックソングや、役者たちが群れなして
歌うような記録に残りづらい劇中歌の中にも、安保さんの傑作はある。
ちょうど、劇団員たちとオンラインで『ベンガルの虎』を研究している。
10月後半から唐ゼミ☆WSも同じ演目を読むことにした。
あの中でヒロインが歌う『雑巾の唄』はもちろん良い。
でも、女性劇団員たちが唐行きさんに扮して合唱する
『鬼と閻魔』も傑作だ。
本当に、唐さんを追いかける自分たちにとって、
安保さんが逝ってしまった喪失感は大きい。
もっともっと色んな話と歌を聴きたかった。
安保さんがいた新宿のナジャに行くと、
酒が得意でない自分のために、安保さんは薄い水割りと
食べる物を作ってくれた。長芋を輪切りにしてバター醤油で炒めたもの、
日本らしくもちもちの麺でつくった特性のナポリタン・・・
今こそああいうものが食べたい。
安保さんはちょっとしたものを仕立てる料理上手でもあった。
2022年9月20日 Posted in
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↑チェーン店ではないこのコンビニ。ここは開いているはずだと思ったが
昨日はエリザベス女王の葬儀だった。
朝から日本とのZoom会議をしたが、その後は予定が無くなった。
語学学校も研修先も劇場もどこも閉まっている。
本来はケンブリッジまでコンサートを聴きに行く予定だったが、
それも1週間前には中止の連絡が来ていた。
日用品の買い物があったから、家を出て近所を歩いた。
道すがら、あの店は閉まっている、この店も閉まっている、
しかし、やっている店もある。2割程度の稼働だった。
メジャーなスーパーは全部閉まっている。
チェーン店も大概閉まっている。
ロンドンには日本のコンビニにあたる24時間営業の店は稀で、
そのかわり雑貨屋みたいなものは無数にある。
これらもほとんど休みだった。
小さい頃のお正月を思い出した。
当時は昭和の終わりで、現在のように元旦から、
あるいは二日から店が開いているということもなかった。
三が日という言葉が生きていた。
おせち料理やお餅は、それら店舗が閉まっても食事が絶えないための
保存食だった。
小学校に入った頃からコンビニができ、
それに引きずられるようにスーパーも開き始めた。
だから学校に上がる前の、あの静だったお正月を思い出した。
予定から予定を渡り歩いている時の方が、熱心に音楽を聴こうとするし、
本だって読もうとする。今日は早朝のミーティングで燃焼してしまって
なんだか能率の悪い日になってしまった。
洗濯はした。
ロンドンは寒く、もう半袖や薄手のジャケットに活躍の機会はない。
コンパクトに畳んで、近く、日本に送るための準備を始めている。
届くのに数ヶ月かかる安い船便で送る予定。
残り三ヶ月半。100日ちょっとだ。
2022年9月16日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
ダウンロードが隆盛だ。CDを売る店がめっきり少なくなった。
ロンドンでは、私がCDを買う店は2軒に集約されている。
都心のトットナム・コートロード駅近くにあるフォイルズという本屋と
ノッティングヒルにあるClassical Music Exchangeという中古屋だ。
最後の砦として頑張っているこれらの品揃えは良い。
が、たった2軒は淋しい。
フォイルズのジャズコーナーのおじさんと話した際、
彼は元々独立した店舗を経営していたのだと教えてくれた。
それが立ち行かなくなり、この大型書店が中に引き込んでくれたそうだ。
ここからソーホーは近く、有名なジャズクラブがいくらもある。
CDへの需要があると思うのだが、時代の波には勝てない。
最近、遠出した際、お土産物売り場でCDを売っているのを発見した。
懐メロというか歌謡曲というか、そういう類の品揃え。
日本でいうと、高速道路のSAで売っている内容のような感じだった。
そして、ひどく埃をかぶっている。
興味を持ってしげしげと見ていたら、上のCDが1,000円くらいで
売っているのを発見して即買いした。
メリナ・メルクーリはギリシャの国民的女優だ。
私が初めて彼女を認識したのは、蜷川さんの『王女メディア』の
映像を観た高校時代。あの演目をギリシャの古代劇場で上演した
ことにより蜷川さんは世界で頭角をあらわしたのだが、その時の
ギリシャの文化大臣がメルクーリだった。
カーテンコールの映像。
かつては自分も演じた役を、日本人の平幹二朗が演じているのを
涙にくれながら称賛していた。文化大臣だから前列のVIP席で観ていた
彼女は、観客の拍手に応えるステージ上の平さんの前に進み、
何か言いながらキスをしている。
そのキスが、なにやら頭突きみたいな迫力なのだ。
パッチギと言った方が良いくらいの獰猛さ。
興奮して平さんの顔面にゴンゴンやっているようにしか見えない。
あれは印象に残った。
さすがギリシャ悲劇のヒロインをことごとく演じてきただけあると
感心した。ゴツい魅力なのだ。
次に彼女を意識したのは、唐さんとのやりとりの中だった。
唐さんが20代の頃に観て虜になった映画に『Phaedra』という
ギリシャ悲劇を現代化したものがある。邦題は『死んでもいい』。
彼女はその主演なのだ。
※DVDは無いけれど、下記アドレスにフルアップされている
https://www.youtube.com/watch?v=JQVbuCbpZ_c
監督は彼女の夫のジュールズ・ダッシン。
二人の仕事としては『Never On Sunday』の方が有名だ。
邦題は『日曜はダメよ』(見事な翻訳!)。
唐さんは『死んでもいい』の主題曲のメロディが好きで、
その影響は『腰巻お仙 義理人情いろはにほへと篇』や
『続ジョン・シルバー』『吸血姫』にあらわれている。
ここから先は自分の想像だが。
メルクーリの歌声を聴き、駆け出しの唐さんは彼女の声質を、
隣にいる李さんに重ね合わせていたのではないかと思う。
低音域がよく出るところ、それがちょっとかすれるようなところ、
それでいて音域広く高音まで出るところが、似ている。
ひょっとしたら、野心に燃える唐さんは、
メリナ・メルクーリのような魅力で李さんを押し出していこうと
恰好の好例として捉えたのかもしれない。
・・・というような様々な思いが10秒くらいで過ぎり、CDを即買い。
ギリシャでテレビに出演した際に歌っていた主題歌を集めたもの。
なぜこんなものがお土産物屋の軒先にあったのか、それは謎だ。
2022年9月15日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑ゴールデンチッピーのオーナー・クリスさん。
若い時の苦労、商売人としての重厚さが笑顔の奥に滲み出ている。
エリザベス女王の死で霞んでしまったが、
先週は英国に新しい首相が誕生した。リズ・トラス首相。
滞在していた城に新首相を迎えて任命した後、
2日して女王は亡くなった。だから、首相の初の大仕事は
旧国王の葬儀と、新国王の戴冠とを国家代表として仕切り、
立ち会っていくことになる。
外交的に彼女は一気に顔が売れるだろうけれど、
これから女王を頂いていたいくつかの国で
英国王室との距離感をめぐって様々な動きが出てくるだろうから、
これらに対応するのは骨が折れるだろう。
旧大英帝国領の国々にとっては、
ここで動かなければズルズルいってしまうと必死になるだろうし、
英国内の国民だって、あの女王だから許せていた予算の捻出を
今後も維持するモチベーションがあるかどうか。
宮殿7つは多すぎるよ、と英国人の知り合いが言っていた。
日本のロイヤルはそれに比べるとだいぶ質素だよ、と教えた。
マーガレット・サッチャー元首相は現職時、
女性として女王よりも前に出過ぎないように気を遣ったらしい。
それはそうだろう。
主演女優と同じ色の衣裳を二番手が着てはいけない。
若手女優が主演である場合、クレジットの最後に来るような大物女優と
かぶってもいけない。まして、初めて女性として首相になったのだから
先例もなく、大変に気を遣ったと思う。
英国3人目の女性宰相はこの悩みから解放されたとも言える。
トラス首相は地元の人だそうだ。
ホストマザーのダイアンがどこからか彼女の家がグリニッジにあると
教えてくれた。そこでゴールデン・チッピーに行った際にオーナーの
クリスさんに訊いたのだ。
こういうネタは、地元の繁盛店の店主に訊くのが一番。
結果、やはりクリスさんの店の裏手の丘を上がったところに
大きな家があるそうだ。
クリスさんの店は地域ナンバーワン フィッシュ&チップスの呼び声高い。彼は若い時にトルコからやってきて、
働きに働いてこの繁盛店をつくり上げたそうだ。
いつもひっきりなしに多くのお客が出入りするから、
自然とこの界隈の情報は彼に集まる。だからなんでもよく知っていて
「あの辺だ」と指差しながら教えてくれた。
着任後すぐに、トラス首相には若いボーイフレンドがいるという話題が
メディアに抜かれた。夫とは別に、二年間に渡って付き合ってきた彼が
いるらしい。
君主の死がこのニュースを覆ってしまったが、
例え女王の話題がなかったとしても、こちらでは、例えば首相を
辞任させられたりする程のニュースではなさそうだ。
2022年9月14日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑テイト・モダンの前に掲げられたバナー
「用意していた!」
これは、唐さんの作品の中でも80年代の傑作『ビニールの城』二幕に
出てくるせりふだ。相棒である人形「夕顔」を探し続けていた
腹話術師「朝顔」の前に、水槽に封じられた夕顔が現れる。
水に潜って助けなければ!
すると朝顔はポケットから水中眼鏡と水泳キャップを取り出す。
こういう事態を予測し、彼はあらかじめ完璧な用意をしていたのだ。
先のせりふはここで出てくる。なぜこんな周到な準備ができるのか。
もちろん、芝居だからだ。すべて唐さんの思うまま。
しかし、このせりふを言うことで、劇の進行とともに緊迫感に
包まれていた客席に笑いが起きる。
唐さんの、実にズルい手である。
目下、ロンドンはエリザベス女王に染まっている。
至るところに彼女の写真を見る。
娘時代、王位を継いだ頃、貫禄に満ちてきた頃、皆が見慣れた晩年。
それにしても、本当に、驚くべきスピードで、
これらの遺影はあっという間にロンドン中に溢れた。
店先で、バスの停留所で、地下鉄の駅で・・・。
もっとも良いなと思ったのは、テムズ川沿いのテイト・モダンだ。
現代美術を専門に扱うこのギャラリーのバナーも、
いつの間にか、あっという間に女王になっていた。
亡くなってからデザインし、確認し、印刷したのでは
絶対に間に合わない速さで流布したのを見るだに、この国がいかに
女王の死に備えていたのか体感することになった。
不謹慎だから誰も表立っては言わないけれど、
ちゃんと用意してきたのだ。いつの頃からかは分からない。
けれど、実に鮮やかな手口だと思った。
葬儀が9月19日(月)に決まり、その日に予約していたライブは
キャンセルになった。
2022年9月13日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
写真では多く見えるけど、イスの数は300くらい。大きなホールより
かなり少ないので、いつも売り切れる。
朝起きたら、霧がかかっていた。
すっかり忘れていたが、確かに春までのロンドンはこんな感じだった。
必然、やや肌寒い。
こちらでは先週の木曜に女王が亡くなり、
興行が停止するかと思いきや、予定通り行われるものもある。
自分が予約していたものはたまたまそれにあたり、
金土日と夜は何かを観て過ごした。
いずれも音楽がらみだったから、冒頭はGod Save The Kingを捧げる
ところからは始まる。同じ曲のタイトルがQueenからKingに変わった。
土曜に行ったペッカムは、
治安の悪い南ロンドンの中でも札付きの一つだ。
ブリストン、ニュークロス、デトフォード、ルイシャム・・・
ペッカムでは語学学校の友人がケータイを奪われた。
バス停のベンチに腰掛けてスマホを操作していたところ、
ヒョイと持ち上げて逃走されたのだ。
そういう場所の、駅前のビルでフィルハーモニア管弦楽団の
コンサートは行われた。映画館とかゲームセンター、ビアガーデンが
雑居するビルの立体駐車場がライブ会場として使われており、
そこでラフマニノフのピアノ協奏曲2番をやった。
この場所とこのオケの組み合わせは3回目だ。
この夏に行われた演奏会をすべて聴いた。
とにかく会場が好きなのだ。手の届きそうな天井により
増幅された轟音、隣近所で飲む若者たちの声、脇を走る国鉄の
レールの軋み、そういったものがガンガンに闘うのだ。
いつも演目は1曲か2曲で、1時間くらいで終わった。
それでいて入場料は一律4,000円。
都心の立派なホールで2時間半の公演を1,800円くらいの席で
聴くより割高な感じがする。けれど、好きなのだ。
演奏スペース近くの吹き抜けの部分はカーテンで覆っているけれど、
客席半ばくらいからは外の景色とコンクリートの隙間から沢山
のぞいている。なにせ駐車場なのだ。
冷暖房なしだから、夏限定の会場だ。
ずいぶん愉しませてもらったけれど、今年はこれでおしまい。
来年またやるかどうか分からないけれど、やったとしても
自分はいない。今後イギリスに来ることがあっても、
まずは仕事だろうから最後かもしれない。
だから、3回とも行った。
メインシーズンが帰ってくると、こういう遊びの公演も終わる。
2022年9月 9日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑公演するはずだった図書館の受付前に置かれた女王の写真と記帳セット
一昨日にチェーホフの『かもめ』を観て、
これまで鑑賞してきた催し物数が200本になった。
昨日はスタンダップコメディのコンテストを観たので、現在は201本。
今週から、イギリスでは新しい年度が始まった。
だから、各劇場でも次々と新シーズの演目が開幕している。
観たいものがたくさんあるので、まだまだ増えそうだ。
試しに確認してみたら、現在、336日の滞在予定のうち、221日目だ。
鑑賞数300本は無理だろうけれど、それに迫る数字にはなると思う。
あらゆる物価が高いこの国で、なぜかチケットは安い。
正確に言うと、ほとんどの催しが安い席を用意してくれている。
語学学校にも通っているので、学割もしばしば使える。
これには助かっている。
ところで、帰りの飛行機をどうしたら良いか思案している。
ルールとしては、45日前に海外研修の事務局に連絡して航空券を
手配してもらうのが基本なのだが、どうしたものか。
と言うのも、今回の研修期間はビザによって決定した。
文化庁的には350日まで滞在が許されたのだが、
取得できたビザの上限が335日だったので、
それでイギリスにいられる期間が決まった。
残りの1日は飛行機の上にいる。それで336日。
現在のところ今年の大晦日にヒースロー空港を発ち、
元旦に羽田空港に着くつもりだ。
が、何かの拍子に、例えば大雪などで
イギリスを発てなかったとしたらどうなるのだろうか。
ビザが切れているのに滞在し続け、これが問題化すると、
今後10年はイギリスに入れなくなるらしい。
そうなれば、せっかくつくった人間関係や土地勘の意味が激減する。
用心を重ねて12/30に発った方が良いのか、
それとも予定通り12/31まで使い切ろうか、
やむを得ないトラブルであれば許してくれるのか。
ちょっと早いが、そんなことも気にし始めている。
慣れない海外のことだから、何がどんな具合かよくわからない。
何が本当に厳格で、どういう時には許されるのか。
この研修を終えたら、だいたいの落としどころは身につくと
思うのだけれど。
・・・と、ここまで書いたところで
エリザベス女王が亡くなったことが発表された。
新しい首相を任命する際、こやかなに笑って談笑する写真を
今朝の新聞で見たばかり。夕方に不調が報じられた数時間後に
その死が発表された。
Albanyのみんなが騒いでいる。
これから喪に服し、Albanyでは催しをストップするらしい。
新国王はチャールズ3世と
2022年9月 8日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑昨日は観客に合わせてイスを用意。演者が移動するとイスも一緒に移動
最近、雨がちである。
時にはカミナリも鳴る。英語でサンダーというがどうもしっくりこない。
ファイナル・ファンタジーを思い出してしまう。
いよいよ、噂に聞いていたロンドンの本領発揮と思う。
暗くて曇りがちなロンドンという定番の印象が、自分にはない。
1月末に渡英して以来、日々、春に向かって時間が過ぎたし、
何より一つ一つの行動に必死すぎてよくわからなかったのだ。
今、季節は冬に向かっている。
だから今度はロンドン独自の気候を存分に味わえると思う。
そして、もっと暗くて寒い1月を自分はパスする。
日本の予定やビザ取得に難儀してたまたま2〜12月の滞在になったが、
これが9〜7月だとずいぶん印象が違ったと思う。
日照時間が長く活動的で、旅行に向いた季節を失わなくて良かった。
秋の始まりに、シニアたちの本番に立ち会っている。
先週はショッピング・センターでの本番だったが、
今週は図書館に場所を移して、別のメンバーで構成された本番が
始まった。
物語は基本的に同じなのだが、
先週はコミカルだった。メンバーにアフリカ系の陽気な人が多かったし
ショッピングセンターの賑やかさが方向性に拍車をかけていた。
今週は本格派ストレートプレーの趣きで、
聴衆は会話をよく聴き、演者たちはあまり声を張らずに内容を聴かせる。
先週は民族衣装を着てくるというコンセプトでかなり派手だったが、
今週は日常に近い格好で、「移民」「引っ越し」をテーマにした社会派の
匂いがする。こういうのも、演出のレミーはきちんと計算している。
休憩時間の過ごし方も2チームで全く違って、
先週はお茶を飲んでワイワイ歓談し、人によっては食事や買い物に
行っていたけれど、今週の面々は演技の改善に余念がない。
中には、上手くいかなかったところを悔やむ人もいて、
周囲が彼女を慰め、「まだ次がある!」と鼓舞していた。
1日に2回ずつ、週末にも上演する予定なので、
次の回への対策を話しながら、一緒にサンドイッチを食べていると愉しい。
ああ、一年ぶりに劇をつくっているな、と実感する。
2022年9月 7日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑ジャマイカ出身の野菜カラルー。花が咲いているが葉を食べる
毎週火曜日は定例となっているシニア向けWSに参加する。
だいぶ慣れてきたが、それでも細部に発見がある。
昨日は合唱の練習が終わり、参加者がそれぞれのペースで帰宅する時、
Albanyの庭で採れた野菜を持ち帰る人がいた。
Albanyには広めの庭があり、ここで植物が育てられている。
英国人が庭を愛することはダイアンやミミの情熱に接して知っていたが
劇場でもそれは同じだ。
よくスタッフが庭を手入れしているのを目にする。
植物に水をやり、必要な栄誉剤をやり、雑草を間引き、掃除する。
温室まである。劇場受付やチケット販売業務の傍らに庭を世話する。
しかも、楽しそうにやっているのが良い。
今日、参加者が持ち帰ったお土産はSpinach=ほうれん草だった。
また一つ英単語を覚えた。
ただのほうれん草ではなく、カラルー(Callaloo)というものらしい。
これはもともとジャマイカの野菜だそうだ。
野菜なのに高たんぱくで、しかも鉄分やカルシウムも
驚異的に含んでいるらしい。
ロイシャム地区にいると、ジャマイカ移民の存在感をひしひしと
感じる。彼らが、ハングリーな生活や日常的な闘争を経て
市民権を獲得してきたことが切実に理解できる。
もちろん、レゲエという音楽も彼らとともにやってきた。
国境を超える時には、水分、植物、動物、昆虫なども
厳格に管理される。生態系に影響するからだが、
(そういえばロンドンではセミを見なかった)
人が動けばそういったものも移動するのだろう。
カラルーが、多くの栄養や効能で大勢の人たちの身体や健康を
支えてきたことを想像すると、野菜ひとつにもロンドンを感じる。
ちなみに、ルッコラはロチェットと言い、
ダイアンのお遣いの際にそれを教わった。
パプリカはペッパー。特にフレッシュ・ペッパーという。
前にペッパーを買うよう頼まれて、胡椒を買いそうになった。
2022年9月 6日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑開演前のリージェントパーク・オープン・エア・シアター
昨日はリージェント・パークというところで野外劇を観た。
演目は『アンティゴネー』。ソフォクレスの原作を
Albanyでポエトリーの催しをしていたイヌラ・エラムスが
翻案したものだ。
彼は移民の問題を背負いつつ、優しい語り口の詩や台本で
ファンを得ている。ナショナル・シアターで2018年に上演した
『バーバーショップ・クロニクルズ』が代表作、
日本語にすると『床屋年代記』、魅力的なタイトルだ。
同じ日に、各国の床屋で起こる小さな事件を集積させることで
この台本は成り立っている。上手いアイディアだと思う。
かつて巨大な帝国を築き、今は移民の街となったロンドンの劇だ。
今回はギリシャ悲劇が原作だけれど、
彼はこれを家族からテロリストを輩出したムスリム家庭の葛藤に
読み替えていた。
反社会性力の最たる者として扱われるテロリストの死を
その妹であるアンティゴーは弔うことができるのか、という問い。
ソフォクレスの原作では国王だったクレオンは首相という
立場になっている。
この公演に興味を持ったダイアンが、
自分の障害者手帳を利用して格安の良席を手に入れてくれて
贅沢な環境で環境で観ることができたし、天気も持ち堪えた。
『アンティゴネー』野外劇といえば、
去年のゴールデンウィークにSPACによる上演を観た。
会場は駿府城公園だった。
こういう観劇を重ねていると野外劇場とギリシャ劇への思いが募る。
小さい頃にアニメ『聖闘士星矢』を見て以来、
ギリシャは憧れの地なのだ。小学校の頃に、
名古屋の科学館に通って星座に関わる神話をたくさん聞きもした。
ギリシャといえば、私にはなんと言っても
蜷川さんのプロデューサーだった中根公夫(ただお)さんだ。
1960年代にパリに留学し、
夏はいつもギリシャに行っていたという中根さんの話を思い出す。
日本人でもっとも沢山のギリシャ悲劇を観た中根さんは
それから20年後に蜷川さんを擁してギリシャに乗り込んだ。
『王女メディア』に出演していた金田龍之介さんのエッセイに、
現場の様子が臨場感をもって描かれている。
今は神奈川芸術劇場の館長である眞野(純)さんも、
2004年に野村萬斎さんがオイディプスを演じた公演で
古代劇場を体験ずみだ。うらやましい。
リージェントパークでさまざまなことを思い出した。
ウェールズにはミナック・シアターという海辺の岩場を利用した
素晴らしい野外劇場があるという。ここにも行ってみたい。
2022年9月 2日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑右から2番目が演出家のレミー。もうすぐ新作詩集が出版され、
ドラマーとしてスペインに演奏の仕事にもいく多才の人。
男性出演者は勝手にどこかに行ってしまい、この写真に写っていない。
昨日はシニアたちによる移動型演劇を公演した。
近所にあるルイシャム・ショッピング・センターという商用施設内の
メインストリート、ギャラリー、事務所スペースを使い、
お客さんを連れ回しながら物語の進行させる。
初めのシーンはかなり往来なのでピンマイクを使い、
そこからは静かな空間に入っていくので、
マイクを外してせりふを通していた。
シニアたちはいずれもキャリアがあり、強メンタル。
高揚はしていても緊張はしていなかった。
衣裳はそれぞれの国の民族衣装という指定で、
アフリカ系の人がほとんどなので、ド派手な格好で家からやってきて
2ステージこなし、そのままの姿で意気揚々と帰っていった。
面白い人たちだとつくづく思う。
とりわけ興味深かったのは、
2ステージあるうちの休憩時間の過ごし方だ。
初回が終わり、皆よろこんでいたが、演出のレミーから
2回目に向けての作戦会議が提案される。
集合時間も告げられた。
皆は1回目のお客さんと喋った後、
思い思いに軽食を取ったり、休憩したりしていたが、
会議の時間になり、女子がビシッそろった。
が、男は来ない。
一人はテイクアウトのコーヒーを買いに行ったまま
なかなか戻って来ず、もう一人はそのカフェで、観に来てくれた
息子さんと娘さんとガッチリ昼飯を食べていたところを後で
発見された。女性たちは演技の工夫と詰めに余念がない。
見事なコントラストだった。
小学生の頃、掃除の時間にふざけていたのはいつも男子だった。
女子はいち早くトレンディドラマを観て大人になっていくのに、
私も含めて、ミニ四駆やガンダムのプラモデルをぶつけ合って
喜んでいた。
場所がロンドンだろうが、年齢が80歳オーバーだろうが、
この構図は普遍だった。2回目の本番、男子たちは段取りを
飛ばしたり勝手なことを喋り始めたりしてスタッフを大いに
焦らせることになった。
明後日も2ステージやる。彼らに幸あれ。
2022年9月 1日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑白い衣裳がジャンヌ・ダルクを演じた俳優さん
バイセクシャルを公言しており、鎧をまとう時の腋毛が印象的。
横浜国大の先輩、黒木香さんを思い出した。
9/1といえば関東大震災。
うちの子どもたちも保育園で避難訓練をしているらしい。
関東大震災は1923年に起こったから、来年で100年が経つ。
自分が生きてきた期間だけでも、
阪神淡路大震災、中越沖地震、東日本大震災と
大きな地震が続いてきた。かなりの頻度だ。
子どもの頃にはわからなかったけど、
親になって避難訓練の大事さがわかった。
災害はいつも不測の事態だけれど、それでも、
訓練があるのとないのとではだいぶ違う。
テント公演をする時にも、私たちは避難誘導訓練をする。
演劇史的には、
関東大震災は築地小劇場の成立に影響を与えた。
震災後は建築基準法がゆるみ、建てられる建物のバリエーションに
幅が出た。その機に乗じて新劇の始祖たるあの劇場は成立したらしい。
第一次世界大戦の敗戦国であるドイツやロシアの貨幣価値が下がり
留学しやすくなったこと。震災の影響。といったもので
演劇ムーヴメントが成立したとは。因果なものだ。
さて、昨日のこと。
だいぶ豪快に間違えてしまった。
グローブ座で新たな演目がスタートしたので観に行った。
ずいぶん前に日本から取り寄せていたシェイクスピア『ジョン王』の
台本も読み、歴史も調べ、予習はバッチリだった。
いつものように、5ポンドの立ち見席へ。
しかし、冒頭シーンからかなり違う。
女の子が出てきて独白を始めた。そして剣を振りかざす。
グローブ座は基本的に原点主義だから、
ここまで原作と違うとは何事かと思った。
カバンに入っていた台本と見比べても、冒頭シーンからぜんぜん違う。
そして気づいた。これは『ジョン王(John)』ではない。
よく見ると、タイトルは『I, Joan』→"わたし、ジョアン"だ。
つまり、ジャンヌ・ダルクの劇。
作者はシェイクスピアですらなく、
現代作家が書いた新作のお披露目だったらしい。
グローブ座では、シェイクスピアでは無い作家もの劇もかけるのだ!
そこからは、必死にせりふを追いかけて内容を追った。
セットはほとんどないから情報源は圧倒的に言葉。難しかったけれど、
有名なジャンヌ・ダルクの一生をベースにしたものだから、
その本案やパロディとして何とかついていけた。
グローブ座に何度も来るうち、何人か顔を覚えた役者もいて、
彼らを応援しながら愉しむやり方もわかってきた。劇団の魅力だ。
それにしても、あまりにも基本的な、こっぴどい間違いだった。
愕然とする。ロンドンではこういうことがたびたび起こる。
かなり情けない気持ちにもなるが、笑ってすますことにする。
2022年8月31日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑投稿内容とは関係がない写真
Albanyの主催でスウェーデンの作家Ruke JerramのGAIAという作品を
展示した。てっぺんとそこの部分から3方向ずつワイヤーを引っ張って
安定させる。良いロケーションだったが、プロデューサーのメグが
仕込みも含めて4日間つきっきりだった。巨大バッタの展示を思い出した
マジでビビっている。
英国での暮らしは気楽で愉しいばかりではない。
まず体が痛い。2013年にKAATでの『唐版 滝の白糸』を
上演した後から、整体に通い始めた。
劇団員だった禿恵の紹介だったが、
あっという間に彼女より通うようになった。
回数券を買い、1ヶ月に一度身体が痛くても痛くなくても行く。
走ったり歩いたり習慣化した頃とも重なり、ルーティンになった。
と、このように、床屋、歯医者、整体、これらに月にいっぺん行く。
日本にいた頃は。
ロンドンではたくさん歩く。街が狭く交通費が高いからだ。
それは良いのだが、パソコンとスマホを見ている時間も長い。
これが結構堪える。そしてシャワーのみで風呂はないから慢性的に
首が痛い。これから寒くなる。大丈夫だろうか。
先ほど歯医者を挙げたが、歯も不安だ。
日本の自宅の隣の隣には近所で評判の歯医者がある。
これにしょっちゅう行っていた。
初め、痛かった奥歯をたちどころに治療してくれて、感激したのだ。
英国の歯医者は劣悪だと聞いた。
ロンドンで歯科治療を受けた場合、噛み合わせが悪くなることも
充分にあるらしい。語学力的に、細かく症状を伝える自信もない。
だから、歯医者に行かないために必死だ。
機会があれば歯磨き、歯磨き。
で、最後の難問は目である。
最近は目がかすむ。視力が落ちてきているのではないか。
基本的に英国の室内照明は暗い。
そしてホストマザーのダイアンは間接照明が好きなのだ。
ロシアとウクライナの戦争による電気料金の高騰は節電に拍車をかけた。
ますます、夜が暗い。
ひょっとして老眼か、とも思う。
早めにきているのかも知れない。
が、とにかく出来ることをしなければ、と思って最近は
スーパーでブルーベリーを買うことにした。
物価が高いのでブルーベリーも高い。
ひとパック400円くらいするが、仕方ない。
薬だと思って買っている。
残すところ4ヶ月である
英語に慣れ、知り合いも増え、色んなものを見聞きできたのは良いが、
この11ヶ月間の後遺症が残らないようにしなければならない。
2022年8月30日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑必ずしもヨーロッパ人が強気で日本人が従順なわけではないと思う。
救急医療で待ち時間4時間44分は、日本では許されないだろう。
が、皆さん、おとなしく待っていた。
研修先 The Albany Theatre のあるルイシャムは悪名高い。
多くの移民が住み、治安が良くないのだ。
知り合ったロンドンっ子に研修先を切り出すと、大概の人に
「気をつけて」と言われる。家のあるグリニッジは高級住宅街だ。
だから住所を伝えると「ラッキーだね」と言われる。
2キロくらいしか離れていないのだが。
そのルイシャムの病院に行くことになった。
ホストマザーのダイアンが私の不在中に救急車を呼んだらしい。
めまいがしてそのようにしたようだ。
Albanyが地区内の公園でやっていた野外の美術展示の帰り、
たまたま近くを通りかかっていた時に、ダイアンから電話があった。
日曜の21時くらい。それで家ではなく病院に向かうことにした。
結果的には何事もなかったが、
診察や血液検査にやたら時間がかかった。
何しろ、待ち時間表示に「あと4時間・・・」などと平気で出ている。
隣に「スタッフには待ち時間の詳細を訊かないでください」という
張り紙も。体調が悪そうな人たちがたくさんいたが、
これではさらに悪化を招きかねない。
ただし、これは日本人感覚だと思う。
スーパーも駅のチケット売り場も、そして病院も、
待っている人を気にすることなく一人一人に時間をかけるのが英国流だ。
待ち時間が長かったので、興味深い人たちをたくさん見た。
待っている間、大いびきをかいて寝ているおじさん。
若い女性は、苦しそうに姿勢を崩して床に倒れてしまったために
看護師たちが足を上げたりして応急処置しながら奥に運んでいった。
ネイルがやたらと長い女性が、高速でスマホを打ち続ける音が
待合室に響く。爪がスマホのモニターにカツカツと当たるのだ。
ずっとヘアセットをし合っている母親と娘。
震え続けている車椅子の老女。などなど。
極め付けは、警官二人を両脇に連れている男。
彼はプリズナー=囚人らしい。体調が悪いので仕方なく病院に
連れてきたらしいが、手錠も無く、一般人と同じ待合室で
待っていることに衝撃を受けた。軽微な罪なのだろうか。
それにしては、左右のポリスマンたちがゴツすぎる。
囚人さんは、あたり構わず周囲の人たちに話しかけていた。
まるで、人と話すことのできるチャンスを惜しむかのように
人の会話に割り込み、コミュニケーションのきっかけを拾い集めていた。
ずっと孤独なのだろうか。
ダイアンは温かいものが飲みたいと希望したが、
ロンドンに24時間営業の店やコンビニはほとんどない。
帰りもタクシーがなかなか捕まらず、夜中の1:30に往生した。
翌日はたまたま祝日だったから良かった。
劇場やイベントに行くより、バラエティ溢れるものを見た。
やっぱり好きだな、ルイシャム。
2022年8月26日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
昨日はシニアたちの移動型演劇 "Monving Day"の
ドレスリハーサルだった。要するに、セットと衣裳を本腰入れてやる
本番直前の通し稽古だ。
この公演には赤組と黄組があって、
赤組は図書館で、黄組はショッピングセンターで、
それぞれの施設の中のさまざまなポイントを
演者と観客で動きながら鑑賞する。
今日は赤組の稽古だった。。
発表初日は9月1日だけれど、出演者であるシニアたちにも予定がある。
だから、昨日やって、手直しを8/31(水)にやったら、
あとは公演当日の朝にさらって本番。
こういう企画のためには知恵が必要だとつくづく思う。
豪華なセットやスタッフワーク、入念な準備というのは
コミュニティワークの一環として行う演劇には余計である。
それらはお金も人のかかりすぎる。
コストがかかりすぎると続かない。継続性が大切なのだ。
かといってチープなだけで良いかというと、絶対にそうではない。
本質的に訴えるものがなければ、
演じる側にも、観る側にも迫力を生まない。
これらをどう両立させるのかがクリエイターに問われる。
運営をしているエンテレキーアーツの面々は達者だと思う。
スタッフの一人、カミラは手作りで段ボール製のバナーを
作ってきた。良い出来だ。こういうのがパッとできる。
とても大事な素養だ。いちいち外注などしていられない。
代表のデイヴィット・スペンサーさんは、
俳優として出演することにした。物語の流れ自体は固定だが
せりふ自体は即興だから可能だとも言えるけれど、
人が足りないなら自分がやると言って自然に演者になる。
組織の代表が身をもって創作の身近さを示しているから、
みんなが安心して演じることを愉しむ。
演技や創作をすることに対する精神的なハードルが低い。
構成・演出を担当するレミーは巧者で、
劇の中に、出演者が個人史を語るシーンを盛り込んである。
誰だって過去には多くの問題があり、多くの問題を乗り越えた
あるいは、乗り越えられなかった経験がある。
真率なエピソードは人に届く。
そういう力を巧みに解放して武器に変えている。
本番では、自分も役割を与えられた。
移動中の演者のマイクの着脱を担当することになった。
こういうこともパッとやるのだ。
日本代表なので"そんなの簡単にできますよ"という風に平然と
引き受けているのだが、心中穏やかではない。
果たして上手くできるだろうか。
2022年8月25日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
昨日は書き物の一日だった。
年明けにケッチさんとテツヤ(岡島哲也P)と作る舞台の準備をしている。
イギリス民話『3びきのこぶた』を題材にしたサイレントコメディの
ステージを作る。それで構成台本を書いているのだ。
いつもとは逆で、自分の書いたものに意見をもらって書き直す作業だ。
自分はせりふの台本は書かないけれど、イベントの構成台本を書いたり、
依頼が来て寄稿したりすることは度々ある。
それぞれに、テレビマンにエッセイストになったつもりで書く。
書くことは苦しいけれど、後から考えると充実する。
震災の後に吉原町内会から頼まれてやった節分イベントの
出し物は自信作で、ステージを見ながら近所のおばちゃんたちが
「よく出来てる!」と褒めてくれた。
吉原なので、『助六』を題材にした。
よく唐ゼミ☆に出てくれている鷲見くんがヒロインの揚巻に扮して
鬼たちが襲おうとすると上半身はだかのレスラー姿になり、
プロレス技でやっつける。彼の立派なお腹に「フライド・ロール」
というリングネームが墨で書かれているという他愛もないもの
だったけれど、よくウケたな。
東京乾電池が初期にビアガーデンでやっていた出し物は
こんな感じだったのではないかと、自分なりに考えた。
エッセイの方は、最近は岩波書店の月刊誌「図書」に書いたものが
来月に出る。こちらは、ロンドンでの生活を読書に絡めて書いた。
語学学校が終わり、Albanyでの用事が無かったので、
ロイヤル・アルバート・ホールに行って夜の演奏会の当日券を買った。
その後、ベンチに座ってZoomでテツヤにアドバイスをもらった。
ハイドパークで書き直し、テツヤの寝起きに届くよう送った。
ロンドンにはたくさんの自然豊かな公園がある。
ハイドパークはその王様だ。ハイドパークに行くということが
休日の立派なイベントになるのだ。
宮殿やモニュメント、池やアミューズメントがある。
それ以上に、やたら広くて伸び伸びとした公園だ。
こういう公園の芝生に敷物を敷いて食事したり寝転がったり
するだけで休日や遊びが成立するのが英国人なのだ。
ハイドパークのベンチで、
周りで遊んでいる子どもたちを眺めながら、
とにかく彼らにウケたい、大ウケしたいと心から願って台本を直した。
その後、夜の演奏会は22:15開演だからやたらと時間があり、
公園の反対側の中古CD屋に久々に行き、厚遇してもらえて気を良くした。
初めてハイドパークやこのCD屋に来たのは渡英直後の寒々しい2月だった。
あの時は不気味で幻想的な感じもした夕暮れだったけど、
今はのどかな馴染みの景色になった。
あと4ヶ月ジタバタして、あっという間に帰国。
帰国後の仕事について、徐々に直面し始めている。
2022年8月24日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑外見からは何の建物かよくわからない。
誰もが気になりながら、
よく実態がわからないあの組織の本部がロンドンにある。
しかも、割と気軽に入れて、お土産物屋まであると言うのだ。
実は、この建物は渡英直後から気になっていた。
教会のような感じだけど、それよりはそっけない。
企業のビルにしては「売店開いてます」的な看板がある。
ロンドンの中心部にあるものだから、
あっちこっちと訪ね歩く際に何だろう?と気になってきたが、
あれがそれだとようやく気付いたのだ。
フリーメーソン。
モーツァルトが入っていたことで何より有名で、
この世界を操る真の黒幕とも、いやいや只の友愛を目的とした
紳士たちの親交団体とも言われている。
正直、自分はよくわからない。
よくわからないけれど、ライトな感じでとりあえず
行ってみた。行ってみておいて日本に帰り、
あるいはこの先、本など読むかも知れない。
その時に「あ、オレはあそこ行ったな」と思えれば、
とりあえずいい。
入口の荷物チェックは他より厳しめだった。
ロンドンでは、色々なところに出入りする際に荷物チェックを受ける。
でも、かなりかったるそうに係員が流し見ているのが実際だ。
けれど、ここはガッチリ、丁寧に、全てのジッパーを開けて
紹介した。
ホールがあって、時にはコンサートをやっているらしいけれど、
今日はその日ではないので、ギャラリーを観て、お土産物屋さんを
眺めた。展示の量はあるけれども、内容は自分にはさらりとした感じで
グッズショップは面白かったけど、節約しているから何も買わなかった。
この素っ気なさは不気味と言えば不気味だ。
何人かお客さんがいて、誰もが自分よりかなりお金持ちそうに
見えて、訳ありな感じに見える。けれど、無効にすれば
自分がそう見えているかも知れない。
謎である。深淵である。どうも底が見えない。
帰ってきてからも気になっている。
2022年8月23日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑ほんとうに善い人たちばかりなのだ。決してスノッブでなく、
素朴で人情味のあるご近所さんといった雰囲気の集い
自分がクラシック音楽を好きになったのは明確なきっかけがあって、
唐さんと同時期に横浜国大で私たちの先生だった大里俊晴先生と
許光俊先生の影響である。
大里先生は現代音楽が専門で、許先生はドイツ文学の研究に加えて
クラシックの音楽批評もされている。自分が28歳の時に
大里先生が亡くなって、学生時代を思い出しているうちに
色々と聴くようになり、好きになった。
ロンドンはウエストエンドに象徴される演劇都市だが、
それ以上に音楽都市でもあって、次から次へと世界的音楽家たちの
出入りがある。自然と方々へ出かけることになった。
で、BBCプロムスである。
イギリスを代表するこのクラシック音楽の祭典のことを
自分は3ヶ月前まで知らなかった。
が、何人かの人に「もうすぐプロムスだね」と言われて
その存在に気づいた。7月中旬からの9月中旬は欧米の年度末
=シーズンオフだ。この期間に国営放送のBBCの主催で毎日
コンサートをやり、ライブで観にくるお客さんを集めつつ、
放送にかけるという趣旨なのだ。
すでに自分は何回か行っている。
はっきり言って、超絶的な感動体験はありそうにない催しである。
会場のロイヤル・アルバート・ホールは5000人以上入るデカすぎる
場所だし、どうも音楽的に散漫な感じがするのだ。
でも、シーズンオフだから他はやっていないし、
豪華出演陣だし、珍しい曲もたくさんやる。
何より当日の立ち見席が安いので行ってしまう。
そんな感じなのだ。
昨日も出かけて行った。
ケルン放送交響楽団が目当てだった。
この楽団の印象は、ギュンター・ヴァント、若杉弘、
ガリー・ベルティーニという指揮者たちとともに覚えている。
CDで聴いてきた親近感にかられたのだ。
早めに行って当日券を買い、
アリーナ席の床に座り込んでPCで書き物しながら開演を待った。
すると、自分の周りの人々がやたらとよく喋る。
先に来ている人が、後からやってくる人を迎えて盛り上がっている。
そうこうするうちに、自分を真ん中に置いて5人くらいでお喋りする
恰好になってしまった。たまらないな、と思った。
が、開演が迫ってきたので、トイレに行くために話しかけて
荷物を見ておいてもらうようお願いしたところから、一気にその
均衡は崩れ、用を足して戻ると自分も輪に加わってガンガン喋り始めた。
聞けば、彼らは毎日来ているそうである。
何人かは仕事の都合で飛び飛びのレギュラーだけど、
中には本当の皆勤賞もいる。どうも、そういう通しのチケットが
あるらしいのだ。2ヶ月弱の間に、全部で72のコンサートがある。
ある女性は「本当にくたびれている。あと3週間もある」と
こぼしていた。だったらやめればいいじゃん、というのは愚問である。
とにかく来る。とにかく聴く。聴きすぎて記憶が曖昧になり
何が楽しいのかさっぱりわからなくなった果ての境地があるのだ。
昨日は日曜だったから、朝11時と19時半からの二本立てだった。
その間に何をしていたのか。家は近いのか。色々と気になったが
そこまで話し込む余裕はなかったし、語学力も足りなかった。
中には夜の回に続く、レイトショー的な回もある。
こういう時は23:30頃に終演する。自分も目当てのものがあって
1回行ったが、帰宅はかなり遅くなった。
友情が芽生えているようである。
次を訊かれたので、水曜に来ますよ、と言って別れた。
水曜のレイトショーが、ザ・シックスティーンというすごく良い
合唱団なのだ。常連と知り合ったことによりインセンティブが付き、
これからは今までより愉しめそうだ。初心者の自分としては
興味深い人たちだ。
肝心のケルン放送響は期待外れだった。
ブラームスの3番はあんなに淡白なもんじゃないはずだ。
1曲目の『フィンガルの洞窟』は良いぞ!と思ったが、
だんだん心が離れていくという珍しいパターンの鑑賞体験だった。
ケルンで聴いたらもっと凄そう。
2022年8月19日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑青いドレスの女性はメディアではない。メディアに殺されてしまう
王の娘が、このバージョンでは登場するのだ。女性二人が対決すると
笑いがいっぱい起きた。
結局、エジンバラから帰れなかった。
サヴァール二日目朝のコンサート(プログラムが違う)を終え、
機嫌よくエジンバラ駅まで歩く。悠々13:30には着くと、
電光掲示板のにはロンドン(キングス・クロス駅)行きが示されていた。
余裕じゃねえか、と思ってホームに行くと"電車は来ない"との表示。
おかしいなと思って見渡すと、電光掲示板によって言うことが違う。
ロンドン行きがあったり無かったり、時間も違うし、ホーム番号も違う。
このいい加減さ。
さすがイギリスだと思って駅員に訊いたら、
「今日はロンドンまで行くものはありません。
その手前のヨークやドンカスターで止まってしまいます」との説明。
その二つの街で高速バスを捕まえれば帰れるかも、
ということで駅員二人に協力してもらって粘り強く調べた結果、
ロンドンまで帰る望みは無いと判断し、もう一泊することになった。
現在、先週に泊まったドミトリーの三段ベッド。
真ん中の段でこれを書いている。これまで何度か泊まった時は
いつも最上段だったから、天井の低さが際立つ。
姿勢のバリエーションが少ない。暗いし、強制的に眠い。
朝のサヴァールはもちろん良かった。
1日目はマイク付きだったけど、2日目のコンサートは完全に
アコースティックで彼の演奏の美しさとニュアンスが際立っていた。
1日目を聴いたという高齢者女性に話しかけられて、
彼女がサヴァールと写真を撮るのに協力したりした。
頂いた名刺のメールアドレスに写真を送ったが、
どうやら彼女は画家らしい。ちゃんと届いていれば良いが。
それから、何となしに街をウロウロして
スコットランド国立劇場のギリシャ悲劇『メディア』も観た。
先週とは違い、夜になるとめっきり冷え込む。
北国らしい気候にヒートテックやネックウォーマーも
動員している。この1週間でフリンジに参加するパフォーマーたちは
かなりふるい落とされたようだ。ストライキによる来訪者の少なさも
手伝い、ちょっと路地に入ると閑散としている。
エジンバラは基本的に、落ち着いた渋い街だとよくわかった。
どこか物悲しげだ。
2022年8月18日 Posted in
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中野note
↑写真を撮ってもらうことができた
昨日から再びエンジンバラに来た。
と言っても、一泊だけして今日帰る予定。
予定、と書いたのは訳があって、またぞろストライキなのだ。
だから昨日、ロンドンの玄関口であるキングスクロス駅で切符を
買おうとしたら、駅のチケット売り場の人に止められた。
明日はストライキだから帰って来れなくなるかもよ、
電車無しとは言わないけれど、数が少ない、
来週にすれば? とか言ってくる。
そんなこと言ったって、
チケットは買ってあるしホテルの予約もしてある。
「帰れなくなったらもう一泊します。ずっと立って帰るのでもいい」
と伝えたら「グットラック」と言って売ってくれた。
そういうわけで、これから帰れるかどうか不安である。
ロンドンに向かう最終が14:30ということは昨日に確認したから、
とにかく早めに来て待っているところだ。
通路でも何でも良いから、乗って終えば勝ちなのだ。
ロンドンまで4時間半。さらにロンドンに着いてから
全部歩く羽目になるかもしれないけれど、仕方がない。
エジンバラに着いたら、まず、先週に置き去りにしたパスポートを
回収しに行った。無事に完了。
それから、ジョルディ・サヴァールのコンサートを聴き、
日本ではソロか、せいぜい3人での演奏を数回聴いていたところを、
今回は彼が率いるエスペリオン21の総力戦を聴くことができた。
初日は14世紀に活躍したイスラム圏の冒険家イブン・バトゥータを
主人公に、彼の行動遍歴を音楽的に追ってみようという試みだ。
西はモロッコを出発点に東は東南アジア、中国まで行っていたらしい。
だからゲスト奏者に中国の琵琶や琴を弾く女性たちを招いて
いるわけだが、彼女らのソロパートにじっと聴き入り、かすかに頷く
サヴァールの物腰は、まるで仙人・達人のようでもあるし、
それでいてかなりエロいことを考えていそうでもある、
という具合なのだ。
↓すごい色男っぽいかった
これまで、東京で彼のバロック音楽演奏を聴いたことはあったけれど、
歴史上の人物や地域にまつわる音楽をジャンルを越えて追究する姿に
初めて生で接することができた。
(ドン・キホーテとかコロンブスとか、アルバムがいっぱいある)
今日、これから、18世紀初めのイスタンブールにまつわる
コンサートを聴いて帰る予定。ひょっとしたら帰れないかも知れないし、
ひどい帰り道になるかも知れないけれど、まったく後悔がない。
サヴァールは81歳、いつまで元気に演奏を聴かせてくれるのか
わからないのだ。
2022年8月16日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑今は枯れ果てているが、渡英直後はフサフサだった↓
ここ1ヶ月、ほとんど雨が降らなない。
日本にとってのゲリラ豪雨が異常であるように、英国にとっては
この干上がり方が異常らしい。
8月に入り、週に三日くらいは夜に家にいるようになった。
主だった劇場がシーズンオフになったのと、遠出の際にまとめてお金を
つかうために意識してそのようにした。
英国の就業体制は厳格だ。午後6時にオフィスが閉まる。
だから夕方に劇場を出てスーパーなどに寄りながら家に帰ってくる。
午後9時くらいまで明るいので、途中、公園のベンチに寝そべって
本を読む。2週間くらい前に初めてこれをやって、
我ながら優雅なものだと思った。日本では考えられん。
先週半ばから読み始めた『カンタベリー物語』は中巻に入った。
上巻では、作中の巡礼者たちはロンドンブリッジの南を出発し、
Albanyのあるデプトフォードとグリニッジを通った。
面白いものだと思う。
そんな風に読み進めていると、昨日は8時半頃から雨が降った。
イギリスの公園は大きくて緑が豊富だから、
まるで『トトロ』のように大木の下で雨宿りをして、
雨脚が弱まったところでさっと帰ってきた。
考えてみれば、公園も、家の周りも、あのおとぎ話のようだった
緑の豊かな芝生は、今ではすっかり痩せて、枯れた草が地面に
こびりついたような具合になっている。
明日も夕立があり、明後日は本格的な雨が降るようだ。
同時に気温もガクンと下がって、20度周辺で落ち着くらしい。
明後日にはもう一度エジンバラに行く。
今度こそ、避暑地としてのスコットランドを味わえるかもしれない。
パスポートも早く回収しなければ。
2022年8月12日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑黒い服に黒い鞄で分かりにくいので、アップ写真も↓
昨日のゼミログを書いたのは帰りの電車の中だった。
エジンバラ〜ロンドン間は4時間半かかる。
東京から九州に迫ろうという時間だ。
日本にいたら長く感じるだろう。
飛行機で行こうかな、とも考えるだろう。
しかし、イギリスでは断固電車だ。
まず、景色に慣れていないから見飽きない。
そして何より確実性。
ロンドンにはたくさんの空港があり、
待ち時間があり、時間の調整があり、燃料代も変化する。
だったら、安定の電車。そう思っていた。
帰りの電車はうるさかった。
座った席が、ちょうど大家族に囲まれる具合だったために、
彼らがひっきりなしに行き来するし、頭越しに会話してくる。
イギリスの電車には必ず大騒ぎする人たちがいる。
どう処したら良いのか。物申して良いのか、自分にはわからない。
そんな中でゼミログを書き終えた。
すると彼らは二つ目くらいのニューカッセルという駅で降りた。
やれやれ。
と、この瞬間、気づいてしまった。
ずっとTシャツの中に忍ばせていた貴重品入れ。あれがない。
中には、これから観る公演チケット、国際運転免許証、
そして、パスポートが入っている。
しばらくゴソゴソやって、いよいよ手元にないことを確認する。
すると、アラン・カミング観劇中にチケットをしまうため、
客席で胸から取り出したことを思い出した。あそこに置き去り!
それから、ミミに電話し、劇場に電話し、
どちらも電話に出なかったので、問い合わせフォームに
メッセージを打った。
ピーターはその夜もエジンバラで演奏している。
明日、彼が回収してきてくれないかな、などと期待したが、
ともかく劇場に連絡をつけることが先決だ。
ちなみに、昨日に観劇したBURNはあの演目の千秋楽で、
夜公演はない。終演後、あの芝居が気になっていたピーターに
「ひどくつまらなかった」と3分くらいかけて悪口メールを打ったので、
自分は一番最後に客席を出た。だから係員以外に発見は不可能。
という好条件ではあるものの、ドキドキする。
結局、ミミにも状況をメールして、昨日はまっすぐ家に帰り、
夜遅かったので、シャワーを浴びて寝た。
ダイアンに「どうだった?」と訊かれ、「良かったよ」と簡単に伝えて寝た。
翌朝になりミミから返事があったので、どんな貴重品入れだったか、
羽田空港で撮った自分の写真などを送って説明した。
朝食時にダイアンに打ち明けると、涙目になって神に祈り始めた。
・・・やはり、昨夜に黙っていたのは正解だった。
ピーターに連絡を取ったが、彼は早朝からグラスゴーに移動していた。
今夜に別の演奏があるらしい。忙しいそうだ。
ピーター「帰りに戻ろうか?」と言ってくれたが、
見つかりさえすれば来週に自分で回収できるから安心してほしい。
そう伝えた。
すると、ミミが通常より早く電話で劇場オフィスをこじ開け、
話をつけてくれた。自分が送った写真も先方に送ってくれたらしい。
さすが劇場関係者。話が早い。あとはアツシで電話するべし、とも。
早速に先方の担当者とスピーカーホンで話し始めたところ、
横から猛烈な勢いでダイアンが喋り始め、あっさりと自分の物だと
確認された。「これはかなり重要ですね」と先方は笑っていた。
イギリス人のいい加減さに知り尽くすダイアンは油断がない。
相手が何日の何時に確かに劇場にいるかを確認し、
「変更があったら私に電話をしてくれ!」と迫っていた。
そういうわけで、今朝9:30をもって問題にはケリがつき、
巻き込んでしまったみなさんに現状と御礼を伝えて、
通常スケジュールに入っていった。
シニアの街頭劇の稽古に立ち会い、日本とZoom会議をし、
Albanyで会議をして、現在に至る。
2010年以来ファンになったフィルハーモニア管弦楽団の面々と
一気に繋がることができたので、浮かれたのだと思う。
ヤキモキした分、今日はやたら小銭を拾う。人生、正負の法則。
旅行時の装備について、もう一度考え直さなければ。
2022年8月11日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑一本目に観た子どもたちのための劇。素朴な感じの二人だったが、
主役の老人人形がフルに活きるよう計算し尽くされた造形だった。
最終日、エジンバラ三日目は二つの作品を観た。
1本目:A VERY OLD MAN with ENORMAOUS WINGS
シルヴプレさんが観たという人形劇を観ようと思っていたが、
道すがら、チラシ配りの女子が渡してくれたフライヤーを見て
ピント来た。開演は10分後だったが、急いで駆けつけて観劇。
しっかり者の女性とトボけた男性のコンビによる、
人形や映像、サンプラーを駆使したキッズプロだった。
と言ってもギミックではなく、マンパワーを主体として、
お客さんの想像力に訴える。ボケてニワトリ小屋に住む
老人に周囲のみんなが困惑するのだけれど、最後にはこの
おじいさんが天に召される。
最小限の規模に考え抜かれた美術の造形ひとつひとつが見事で
さりげない恰好のパフォーマーが周囲を活かしきる姿を
観ている側がどんどん好きになる公演だった。
2本目:BURN(詩人ロバート・バーンズのこと)
スコットランドの国民詩人にまつわる一人芝居を
同じく地元の名優アラン・カミングが演じるという趣向。
しかし、演出家がイフェクトを多用しすぎて、肝心のアランの
魅力が立ち上がってこない。観客は皆、くだんの個性派俳優を
観たくてきているというのに、もったいなかった。
実に嘆かわしい。最後に、緞帳の前に出たアランがカマチに
腰掛け、観客に語りかけるシーンがほんの少しだけあって、
初めからそれをやれよ!と思った。
ライティングとプロジェクションを組み合わせて、
彼の顔がよく見えない。重要なところで、
あまり上手いとはいえないダンスを見せられた。
体は鍛えられているが、そういうことではないと思った。
一本目と二本目の間に、韓国料理を食べようと思った。
学割の効く良さげな店を、昨日のうちに発見していたのだ。
が、開店までに時間があったので、木陰で寝そべってラジオを
聴いた。立ち上がると、近くのカフェからこちらを呼ぶ声がする。
ピーターとフィルハーモニア管最古参の女性奏者だった。
エレナーさんという方。日本に20回以上きたことがあるという。
席を勧められたのでコーヒーをご馳走になり、
かつてのボスであるジュゼッペ・シノーポリの話を聴いた。
昨日『ルサルカ』を観たのでオペラの話になり、歌舞伎について
訊かれたので、現在の市川猿翁が演出して、吉井澄雄さんが
ライティングした『影のない女』の話をして盛り上がった。
ロンドンに帰ったら、リハーサルを観にきなよ、と言われた。
北仲スクールをやっていた2010年にフィルハーモニアと
サロネンによる『中国の不思議な役人』を聴いてクラシックに
興味を持った。これもピーターのおかげだ。
ピーターが主宰するチェンバー・アンサンブル・オブ・ロンドンは
11月にプリマスで公演するということだ。
プリマス〜コーンウォール〜ミナックシアターの旅を
ここに入れようかと思っている。
エジンバラにはまた来週行く。
2022年8月10日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑24:30くらい。スリー・クワイヤーズ・フェスからエジンバラへ
ハードスケジュールを嘆くミュージシャンたち
3日間の滞在の真ん中に当たる昨日は、
泊まっているドミトリーに荷物を置き、軽装で出かけることができた。
まず、開園時間にお城に行ったら、すでに予約で入場券が完売していた。
明日もダメ。来週に来るから、持ち越そうか。
ただでさえ有名観光地の最盛期に来てしまった。
そこから朝ごはんを食べて、チケットを買いに行った。
エジンバラに限ったことでなく、英国での買い物は時間がかかる。
スーパーでも、駅でも、ボックスオフィスでも、窓口がフル稼働している
のは稀だし、何人並んでいようが受付の人が常にゆっくりなので
当て込んでいた時間の3倍かかったりする。
時間もできたし、あとがタイトにならないように。
1本目:ウィル・テルと悪い男爵
ケッチさんがアドバイザーに加わった子ども用作品。
女の子版ドン・キホーテみたいな話で、ウィリアム・テルに憧れる
少女が身の回りの品で英雄に扮し、悪の男爵の城を探し当てて
これを倒す。造形や動きで観せる。何回か、子どもたちをステージに
上げて助っ人として活躍してもらうことにより、彼らをどんどん味方に。
最後は全員でゴールした感じだった。
お金持ちの子どもたちが多く観に来ているのか、子どもたちの誰からも
エレガントでゴージャスな感じがした。
2本目:ラッカス(騒ぎ)
当てずっぽうに入ったこれは、女優の一人舞台。
男女のゴタゴタを描くせりふ芝居で、ゆえに置いて行かれた。
ファック・ミーと何度も吠えていた。うっかり最前列に座って
しまったので、眠らないように最後まで頑張って消耗した。
早すぎる英語を聴いていると眠くなる。
終わった後、キットカットを食べた。
3本目:一人でロード・オブ・ザ・リング
黒つなぎに地下たびの男性俳優が例の三部作を一人で、
1時間で演じ切っていた。あらゆる役と情景を声と体の動きで表現。
途中に起こるDVDの交換まで。頭空っぽで大笑いしながら観た。
第一部を映画館で観て、エンディングで三部作だと気づいたこと。
第二部を唐さんも観ていて、オーランド・ブルームについて喋ったこと。
第三部はヨコハマ・ウォーカーの葉書応募で当てて先行で観たことを
思い出した。一人で映画を演じるといえば、マルセ太郎さんも
思い出した。
4本目:歌劇ルサルカ
ドヴォルザークのオペラ。セットと照明、演出が良かった。
歌と音楽が先行するオペラでは、オーセンティックでない演出が
成功することは稀だ。どこか足りなかったり、やりすぎて素材を
邪魔していたり、訳わからなかったりするけれど、これは実に巧みに
一体化していた。巨大な蓋つきのセットで水底の世界を巧みに表現。
コミカルなシーンもふんだんにあって、けれども聴かせどころでは
この作曲家のフォークソング的に単純素朴な魅力が全開だった。
終わった後は、ピーター・フィッシャーの手引きでパブへ。
フィルハーモニア管弦楽団の女性ヴァイオリニストたちと
おしゃべりして、これまで来日コンサートで聴いてきた曲目を
伝えた。なぜかイギリスの地方都市であるポーツマスの話題になり、
昔、大里先生に教わったポーツマス・シンフォニアの話を振ったら
ピーターしか知らなかった。で、YouTubeでこのオケが演奏する
『ツァラトゥストラ』を彼らに聴かせたら、大喜びしていた。
あと、明日はイギリスの名優アラン・カミングの一人芝居を観る
と伝えたら、4人のうち誰も彼を知らなかった。
この人ですよ、とスマホで画像を見せたが、反応薄。
終いに「あ、アランはスコティッシュだ。私たちイングランド
だから知らないんだ」と皆が言い出して、冗談の中にイギリス人たち
の国民意識を知ることになった。
静かにシャワーを浴び、午前2時頃寝る。
2022年8月 9日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑ホルーリード・パークの崖の上
昨日からエジンバラに来ている。
有名なエジンバラ・フェスティバルに合わせてやってきた。
噂には聞いていたが、街に降り立って面食らった。
人、人、人。もう観光客がぎっしり。
街中の至るところにショーのチラシやポスターが貼り出されていて、
大きなものから小さなものまで、千や二千のプログラムが
ひしめいているのだと実感し、眩暈がした。
今回、私が目標に置いてきたものはわずか。
①ケッチさんに勧められブライトンでも観たジュリア・マシリーのショー
②ケッチさんがアドバイザーを務めたシアター・フェデリ・フェデリ
③ピーターがオケに加わっているドヴォルザークの『ルサルカ』
④清水宏さんが激闘したパブThe World's Endに行く
⑤エジンバラ城に行く
と、このくらい。
が、日曜日にロンドンでパントマイム「シルヴプレ」のお二人に
会えたことにより、目標が増えた。名優アラン・カミングが当地の詩人
バーンズの生涯を一人舞台にして公演しているらしい。
そこで、これを⑥に。
さらに、街で『一人でロード・オブ・ザ・リング』というポスターを
発見したので⑦。Summer hallという会場の演目が面白そうなので⑧。
朝からやっているパペットの公演を⑨とした。
到着から3時間で街を歩き、タイ料理屋に入ってこういう計画を組んだ。
その後は、なんだか人いきれにヘトヘトになってしまったので、
焦ってジタバタしないことにした。ジュリアのショーは22時頃に始まる。
3時間以上あるから、近くのホルーリード・パークに登ることにした
丘というか、山というか、崖というか。
数時間かかりそうだなと思ったが、麓で寝そべっているおじさんに
訊いたら「30分かからんよ」ということなので、歩き出した。
かなり簡単に辿り着き、フォース湾と市街地を眺め、
「アーサー王の玉座」と言われる岩肌も発見した。
なかなかの眺望で、『マクベス』のことを考えたり、
メンデルスゾーンの3番を聴いたりして頂上で1時間くらい過ごした。
降りるときに、一回転んで尻餅をついた。
筑波山でも、大山でも、降りるときはいつもこうだ。
ジュリアのショーは完成版というより、
エジンバラで観せるために刈り込まれていた。
ポップになっていて客席はウケていたけれど、
クリエイター力の発揮具合はブライトンの方が上だった。
ここには時間制限もある。なかなかに厳しい環境だ。
2022年8月 5日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑Lewisham Shopping Center 内部
昨日は、シニアたちと進めてきた街頭劇の稽古が
(と言っても建物内での公演だが)いよいよ本格化した日だった。
会場は慣れ親しんだルイシャム・ショッピング・センター。
ここが本番の会場であり、中のメインストリートとかギャラリー、
Albanyが今年のフェスティバルに合わせて構えたフリースペースなど
複数箇所を使って劇の各シーンが進行する。
構成・演出のレミーのテキパキとした指示のもと、
まずはどの会場でどの場面を演じるのか、それぞれで動きを
付けながら当たっていく作業が続けられた。
いつもの稽古は90分強だが、今日は2時間半以上やったので
最後にはシニアたちもくたびれていたが、開放的で賑やかな空間に
やって来られたことに誰もが嬉しそうだった。
実際、やりとりも活き活きしてきた。
もちろん、昨日の稽古はセンターの許可を得てやっているが、
普通のお客さんが往来する場所で稽古は進められ、自然と衆目が
集まったり、赤ちゃんに絡まれたりするのも面白かった。
警備員が、それとなく見守っているようだった。
思えば、自分のこのショッピング・センターに対する思いは
この半年で劇的に変化してきた。初めてここを訪れたのは渡英2日目。
中にある郵便局にビザカードを取りに来るというミッションが
あったからだが、あの時ははっきり言って怖かった。
治安への不安、言葉の壁が立ちはだかる。
政府から届けられた郵便を受け取るだけの作業にぐったりした。
それが、ダイアンの家に住み始めた頃から、
この場所はあらゆる買い物が安く便利に住む場所になった。
日用品から衣類、食料品まで、ほんとうに何でも揃うのだ。
この中にあるH&MとTK-Maxxxの服で自分の春夏秋ものを買った。
Wilkoというホームセンターでタオルや傘、歯磨き粉を買う。
他にも、パウンドランドがある。
アイスランドという、いつもオレンジジュースを買う定番の店も
すぐ近くにある。油断は禁物だが、安心していられる場所になった。
本番は9月の上旬、二日かけて3回行われる。
あと3回のリハーサルで公演だ。恐るべきスピード。
2022年8月 4日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑アーネスト・ダウスンの墓参を終えた。
明らかに誰にも顧みられていなさそうだったので、年内に再訪し、
掃除してから帰国しようと思う。
※今日は生々しい話になるので注意してください。
昨日は久々にハードなやつが来た。突然に。
ダイアンには、ロンドンでは道で話しかけられても絶対に相手を
するなと厳命されている。しかし、習慣というのは拭い難いもので、
ついつい立ち止まってしまうのだ。相手もまた、
そういう自分を見透かして声をかけるのか、とも思う。
Albanyの近くで、黒人の女性に声をかけられた。
30歳くらいだろうか。彼女は私を呼び止め、
ワンピースのすそに付いたたくさんの血を見せながら
2ポンドくださいと頼んできた。
生理がきてしまったので生理用品を買いたい。ということなのだ。
オレは英語がわからん!ごめん!
と言って振り切ったが、なかなかの威力だった。
その後、最近ピーターに教わったレバノン料理屋に行った。
鶏肉をタレに漬け込んで焼いたものに、ライスとサラダが付いて7ポンド。
こちらにしてはリーズナブルな値段で味が良く、量が多い。
何より焼き方が優れている。
炭火の管理をせっせとして、うちわであおぎながら焼いてる。
焼き加減を確認するしぐさは日本の鰻屋そっくり。
調理が雑で、基本的に焼き過ぎパサパサのロンドンでは珍しい丁寧さ。
肉がジューシーなまま出てくる。さすがピーターの紹介。
昨日しくじったアーネスト・ダウスンの墓参りも達成できた。
開園時間中の霊園に入ったところ案内がないので、しばらくウロウロした。
物言わぬ墓を探すのは難しい。まして藪の中みたいなところに
いくつもの墓石が見える。暑いし、虫が多いし、植物も棘だらけなので、
そういう場所を探すのは至難の技だ。今が冬であれば!
今日もダメかと思いながら、
向こうからやってきた数少ない通り掛かりの人に訊き、
通常は留守中の管理室に施錠にやってきた係員にも訊いて、
やっと発見できた。
ダイアンからもらったあじさいと文庫本を備えて手を合わ、。
ヘタクソな英語で彼の代表作を誦じた。
昨日の彼の誕生日を祝いに来た者は自分だけのようだった。
清々しい気持ちである。
その後に冒頭の女性に声をかけられ、
今日も一日、ふんだんに人間を味わった。
来週はエジンバラに行く。今週はできるだけ大人しく
リーズナブルに過ごして、エジンバラに備えよう。
2022年8月 3日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑この霊園のどこかにアーネスト・ダウスンは眠っている
昨日は収穫なし!
それなりにウロウロしてさまざまなことに手を出したが、
どうも決め手に欠いた。
早朝に日本とのzoom会議をし、
それからAlbanyでシニア向けWSに参加し、合唱の練習をした。
その後、久々に墓参りをしようと計画していた。
「風と共に去りぬ」「酒と薔薇の日々」という言葉を生み出した詩人
アーネスト・ダウスンの墓参り。私は15年くらい前に出た彼の短編小説の
ファンなのだが、彼がルイシャムで生まれ、死んだ人だと渡英後に知った。
生家のあたりも、亡くなった場所も、家から歩いて行ける距離だ。
ライムハウスというテムズ川沿いの街で家業の船着場を
営んでいたらしいが、ここも電車でよく通る。
仲間たちと遊び歩いたソーホーも、簡単に想像できるようになった。
さらに調べると、家から4キロほどの墓地に彼は眠り、
8/2が誕生日ということだった。普通は命日だろうが、
亡くなった2/23は過ぎてしまったから、ひとつ、誕生祝いを
してやろうと思ったのだ。ダイアンの庭からあじさいの花を一輪もらった。
しかし、午後に急に会議に参加することになり、
4時半頃にやっと劇場を出て5時過ぎに霊園に到着すると、
門はすでに閉まっていた。4時閉園なのだそうだ。早い。
そこから、多少はジタバタしたが、結局どうもにならなくて
仕方なく出直すことに。
それから、ロイヤル・アルバート・ホールに行った。
6月にオールドバラ音楽祭でパトリシア・コパチンスカヤの
ショスタコーヴィチ ヴァイオリン協奏曲1番を聴いて凄かったので、
同じ曲を違う団体と共演すると知って行ったのだ。
が、このホールはデカ過ぎ、しかも満員のために音響はさらにデッド。
BBCプロムスに集まるお客の騒々しさで、6月に比べるとかなり
貧弱で散漫なものになっていた。それでも、さすがは彼女の熱演で
多くのお客が熱狂していたけれど、やっぱりあの空間を牛耳ったとは
いえない出来だった。
というわけで、何か煮え切らない1日だった。そういう日もある。
それは分かっているが、期限付きの滞在においてはいかにも無念だ。
2022年8月 2日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑この大聖堂と奥にいる合唱隊が主役なのだ
先週末、7/30(土)は特別な日だった。
ちょうど渡英から6ヶ月。あと5ヶ月を残しているけれど、
こと音楽鑑賞に関してあの日を超える体験はないと思う。
そう断言できる。
2ヶ月前まで、Three Choirs Festivalそのものを知らなかった。
自分がロンドンで聴いて気になった団体がこれに参加すると
知ったところから、この音楽祭の存在を知った。
ヴァイオリニストのピーター・フィッシャーに訊いたところ、
歴史ある音楽祭らしかった。そして、名門フィルハーモニア管弦楽団の
一員として彼も舞台に上がることが分かった。
日曜の朝はWSだから、土曜日の最終日は立ち会うことができない。
そう思っていたところ、ピーターは「絶対に最後の夜のエルガーを
聴くべきだ。コンサートが終わったら、一緒に車で帰ろう」と
言ってくれた。別にエルガーを好きでもなく、聞き覚えのない
曲が演奏されるらしかったけれど、言われるがままに予約した。
↓ピーターよ、ありがとう。
木曜に当地に行き、いくつものコンサートを聴くうち、
演奏の素晴らしさだけでなく、音楽祭のコンセプトもわかってきた。
イングランドとウェールズの間あたりに、
ウスター、グロスター、ヘリフォードという都市がある。
どれも大聖堂を持つ古い街だ。聖堂に合唱隊は欠かせない。
だから、合唱を主体にしたフェスティバルが始まった。
1715年にスタートし、各都市が持ち回りで会場となる。
だから、3年に1回わが街にやってくるのだ。
今年はヘリフォードという街が会場で、そこに行った。
面白いのは、アマチュアの合唱隊が舞台に上がることだ。
ただし、オケもソリストも超一流が集まる。
アマチュア団体が渡り合えるのかと思うけれど、渡り合う。
大聖堂のアコースティックが、彼らを支えている。
それに、8日間の期間中のラインアップがすごい。
1日のクライマックスを飾る曲目だけ並べるとこうだ。
7/23(土)ドヴォルザーク『レクイエム』
7/24(日)マーラー 交響曲4番
7/25(月)George Dyson『クオ・ヴァディス』
7/26(火)ハイドン『天地創造』
7/27(水)Richard Blackford『ピエタ』
7/28(木)Luke Styles『ヴォイス・オブ・パワー』(世界初演)
7/29(金)プーランク『スターバト・マーテル』
7/30(土)エルガー『ゲロンティアスの夢』
現代曲、新作、マイナー曲、何でも来いのラインアップ。
要するに2日目を除いて合唱隊はフル稼働。
メインじゃない演目の中に合唱曲が際限なくある。
教会だから、夕方のお祈りもこなす。
曲を覚え、歌いこなすだけでも大変なのに、
コンサートだから、当退場や演奏中の起立・着席・移動など
段取りも無数にある。それをみんながこなすのだ。
ものすごく厳しいことを言えば、アンサンブルやソロパートが
弱い時もある。けれど、大聖堂という音響装置が彼らを昇華させる。
何より、これだけの過酷な連続技をこなす彼らはゾーンに入っている。
一年をこの8日間のために研鑽しなければ不可能、
というくらいの音楽祭だった。
プロの力と、アマチュアの献身や情熱、
この場所でなければ!という音響空間とローカリティ、
それぞれの良いところが溶け合っていた。
最後の夜に演奏された『ゲロンティアスの夢』は、
死の恐怖に慄く爺さんが神に救われる、という『ファウスト』の
終盤だけをやるような物語だった。エルガーはこの地で全盛期を
過ごしたらしく、銅像もあった。
地元の人たちにとっては、このオラトリオはこの地が誇る聖曲らしかった。
教会だから、見切れどころか、ステージが完全に見えない数多くの席も
びっしりと超満員で、すごいひといきれだったけれど、みんな陶然として
聴いていた。合唱隊が、主人公を導く天使になったり、苛む悪魔になったり
しながら大活躍して、彼らが主役の音楽祭を表現を以って示していた。
終わった後、聖堂の中で、周囲の庭で、合唱隊も、演奏家たちも、
普段は近寄り難いソリストたちも、そこここでおしゃべりしていた。
音楽鑑賞に関して、このイギリス滞在の紛れもないピークだったと確信している。
あれから二日間。夜は家にいておとなしく本を読んでいる。
身体が余韻でいっぱいだし、お金もかなり使ってしまったのだ。
分厚い音楽祭のパンフレットを何度も見返している。
英語の歌詞を読んで、自分が聴いたものの意味をもっと知りたくなる。
特別な夜の力は、今も生きている。
↓ゲロンティアスを歌ったニッキー・スペンス。
強靭な声を生み出す体格だけでなく、ミサイルのような頭のかたちも凄い。
2022年8月 1日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
3人のあやとりが広がっていく。友情に溢れたエンディング!
(撮影:伏見行介)
昨日は『蛇姫様 わが心の奈蛇』WSの最終回でした。
この大長編が、どうやって大団円を迎えるのか
10人で読み込みました。
物語は、ヒロインあけびの父親探しを基調にしています。
自分の父親は誰か。自分はどこから来たのか。
前回、バテレンが過去を暴きたてる場面をやりました。
朝鮮戦争中にアメリカ兵の引き上げ船「白菊丸」の中で起こった出来事、
そこに居合わせた人が誰で、あけびの母を集団で強姦したのは
誰だったのか。それが、あけびの父と思しき人物であるはずです。
本物の伝二が登場し、薮野一家が死に絶えていたことが知れると、
これまで伝二を騙っていた男は李東順(り とうじゅん)を名乗ります。
薮野一家の面々もニセモノが居座っていたと暴露される。
ここからが昨日のシーン。
まず、あけびが畳み掛けます。
肝心の部分がハングルで書かれた母シノの日記を読み解けば、
李東順を名乗り、薮野一家だと言い張る男たちは朝鮮人かと思いきや、
そうではなく、彼らもまた日本人だというのです。
このあたりの事情が込み入って非常に分かりにくいとWS参加者から
問い合わせがあったので、よく整理をして重点的にやりました。
こういう質問というか、オーダーは、こちらも助かります。
細部をいい加減にせずに、まずは筋立てて考え抜くことが大切です。
整理しながら、
朝鮮戦争が起こっていた1950-53年に朝鮮半島から15歳で引き上げて
くる日本人がいるとすれば、それはもう太平洋戦争の残留孤児に
違いない。そういう推理を立てました。
・・・が、唐さんはこの問題に回答を与えていません。
突き詰めて考えていくと、伝二を騙り、李東順を名乗る男、
あけびの父親らしきこの男が何者か、決定的な尻尾が掴めない。
朝鮮人かと思いきや日本人かも知れない。
しかし、やっぱり究極的な正体が判らない。
・・・だから彼は「蛇」なのです。正体不明な「蛇」なのです。
考えた末に、
「蛇」は「蛇」であり、「蛇」は「謎」である、
と今回は結論づけました。
あけびの父親は巨大な「謎」なのです。
これはなかなか唐さんの素敵なところだと感じます。
「蛇」で強引に押し切る。考え抜いて尚、辻褄を合わさせない。
これでいい。これがいい。
結局、この謎の男は大蛇になって天に逃げました。
かなり破天荒で強引な幕引きです。スペクタクルを駆使して、
強硬に逃げ切っている。だからあけびの謎は解けずじまい。
あけびも小林も落ち込みますが、
最後に、もう一度まむしに噛まれたタチションを、
あけびは再び身を挺して救います。
目標の探偵事務所取得は遠ざかる一方ですが
小林はあけびを励まし、あけびはタチションと3人で事務所を
やろうと提案します。これで、タチションを加えたトライアングルが
完成します。
最後は、1幕で小林とあけびの出会いのきっかけになった
スリのやり合いを、今度は3人でやってエンディングを迎えます。
皆、スリへの用心のために赤い紐をつけているから、
3人を頂点に、赤い紐はキレイな三角形を描く。
この物語は終始、どこか子どもじみています。
「お姫様ごっこ」を思わせるのどかさで全体が進行する。
大人の男女関係や友情は複雑ですが、
3人は子どもの世界に生きてるからこそ、このトライアングルが可能です。
友情パワーにより、唐作品の中でもかなり幸せいっぱいのエンディング。
三ヶ月かけてやってきた長編もこれでおしまいです。
皆さん、ありがとうございました。
唐ゼミ☆にとってかなり手応えの大きかった作品なので、久々に思い出しました。
来週から10月の半ばまでかけて『黒いチューリップ』をやります。
唐作品の中ではそれほど有名な演目ではありませんが、
唐十郎流に「引きこもり」を追究する物語です。
蜷川幸雄さんと行ってきた一連の作品群の最終形でもある。
ポップで面白い台本です。ぜひ参加してください!
2022年7月29日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑ヘリフォード大聖堂
昨日から旅行している。ロンドンに戻るのは日曜の早朝。
英国の真ん中あたり、ヘリフォードという街を中心に
行われている"スリー・コーラス・フェスティバル"にやってきた。
この音楽祭、
これまで全く知らなかったが300年以上の歴史を持ち、
周辺の3つの都市が持ち回りでメイン会場を受け持つことから、
こういう名前だという。当然、コーラスに力を入れている。
これに興味を持ったのは、
前にウィグモア・ホールで聴いたフレットワークという
ヴィオール集団がきっかけだった。
面白いと思った彼らがこのフェスに参加する。
それでフェス自体が気になるようになり、
ピーター・フィッシャーにどんなものか問い合わせたところ、
彼もフィルハーモニア管弦楽団の一員として当地に逗留、
演奏を連続的にするということだった。
こういう話を聞く過程で、メインが合唱ものだとわかったし、
スケジュール的な事情もあって、当のフレットワークは諦め、
フェスティバルが最高潮に達する最終3日間を狙うことになった。
問題が多かったのはホテルの予約だ。とにかく予約が取れない。
超高額か、車移動なら宿泊が可能なテント泊というのを音楽祭が
推していた。それとて、結構な値段だ。
考えてみれば、ヘリフォードの人口は5万人。
そんなところに普段からたくさんホテルがあるわけはない。
それに、出演するミュージシャンたちが先に近場を押さえている
に違いない。そのような事情から、自分が泊まるのは電車で
30分ほど移動した先にあるラドローという街に落ち着いた。
こちらは人口1万人強。さらに田舎だが、古城で有名らしい。
↑ラドロー城
まずはラドローに着いて古い城を見物してから、
ホテルにチェックインして荷物を置き、ヘリフォードに来た。
ラドロー城は良かった。先日に観た『リチャード3世』。
あれに殺されてしまう二人の少年王子が出てくる。
兄の方が、主人公であるグロスター公リチャードの兄
エドワード4世の長男にあたる。
彼はこのラドロー城で帝王学を学んでいたところ、
父の死の報せを受け取り、王位を継承するためにロンドンに向かった。
そしてロンドン塔に幽閉され、例の叔父さんによって殺されてしまう。
また、『ヘンリー8世』で離婚させられてしまう賢妻のキャサリン。
あの人もこの地の出身なんだそうで、なかなか高貴な場所のようだし、
実際に行ってみて、その雰囲気はかなり伝わってきた。
そしてヘリフォード。コンサートのメイン会場である大聖堂の立派さ。
これは規模と美観において、渡英以来随一と断言できる。
こんな田舎に、忽然とこんな立派なものがあるなんて。
そういえば、神奈川県には寒川神社がある。
相州一宮というくらいだから県内で格式が高さは抜きん出ている。
そして寒川町はこの神社を頂くことで、横浜市民の私から見ても、
かなり自信満々な感じがするのだ。
↑寒川神社(去年の12月)
似ている。
ちょっとした中庭なども古い建物と植物が一体になり、
よく手入れされていて抜群に美しい。
フェスティバルのために周囲に建てられた運動会用テントや
仮設トイレは美観を損なっているけれど、それにしても壮麗だ。
帰るのは日曜の早朝。あとまるまる二日間、滞在する。
↑ヘリフォード大聖堂のコンサート開演前
2022年7月28日 Posted in
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中野note
↑ウェストミンスター寺院は11世紀に造られた。パーセルが生きた
時点ですでに500年の伝統を持っていた
ヘンリー・パーセルの生没年は1659-1695年だから、
約36年の短い生涯だった。
衛生環境、医療、栄養、あらゆる条件が劣悪だったから、
子どもが成長するのが大変だった時代だ。
実際、パーセルの子どもたちは1歳に満たず何人も亡くなった。
彼の父親もウェストミンスター寺院に勤めた音楽家で、
ヘンリーの息子も同様だったらしい。職業選択の自由はない。
面白いのは、要するに国家公務員的ミュージシャンである
彼の一生が条件闘争の連続だったことだ。
さして多くはない給料はすぐに未払いになる。
さらに、国王に随行して音楽演奏する際、移動費が自費負担に
ならないよう交渉したともいう。
つまり、それまでは出張費を自分で出していたのだ。
出かけたがるのは王様なのに、あまりに理不尽だ。
このように、当時の労働条件はなかなか過酷だったらしい。
制服にあたる衣裳が擦り切れると、これを新調するための折衝が始まる。
17世紀後半といえば、エリザベス1世の統治時代を経て、
国王が斬首されたクロムウェルのピューリタン革命も乗り越え、
王政復古がなされた時代だ。王室の財政も不安定だった。
王が旅先から帰ってくる時、パーセルは様々な詩人の詩に曲を
つけて王を迎えた。オード(頌歌 しょうか)というやつだ。
くだらない詩もあれば、優れた詩人の作もある。
それからもちろん、教会でのセレモニーのために
アンセムをつくった。讃歌とか祝歌とかのことだ。
今回のロンドン滞在中、
沢山の教会のイブニング・コラールに参加してきた。
オルガン演奏からスタートし、開会の挨拶、懺悔の言葉、
ここから合唱と神父(牧師)や会衆(氏子総代?)による
詩篇朗読が繰り返される。合唱団と神父さんが対話的に
歌う時もあって、まだ規則性や手続きの順番を完全には
掴み切れていない。
こういう時に立つ。こういう時は座る。
こういう時はひざまづく。一緒に歌を歌う。
最後に寄付を(自分はほんの少し)する。
全部見よう見まねで、ワタシは外国人です!
という空気を振り撒きながら参加している。
いずれ立派に手順をこなせるようになってから帰国したいけれど、
この時点でも、パーセルが何のために曲を作り、オルガンその他の
楽器を演奏し、時にはバスとカウンターテナーで歌ったのかが
想像できるようになった。
彼は一生をずっとウェストミンスターの周りに住み、職場とした。
ロンドンを離れるのは国王の随行時だが、上記のことから想像するに、
そんなに生やさしいものではなかっただろう。
食事中の演奏を所望され、聴いても聴いていなくも演奏し続ける
という習慣が当たり前だった時代だ。
パーセルは劇場用の曲も作ったから、これまではそちらに惹かれてきた。
『ディドとエネアス』の他に、『妖精の女王』『アーサー王』
『テンペスト』『インディオの女王』などを好きで聴いてきたけれど、
今回の滞在を通じてオードやアンセム、王や女王の死に捧げた葬送曲を
もっと聴いてみたくなった。
作曲の経緯が経緯だから、似たり寄ったりの曲がたくさんあって、
駄作も傑作も入り乱れているらしいけれど、とにかく聴いてみたい。
生で聴いて、録音で確認して、そういう繰り返しの残り5ヶ月に
なると思う。
2022年7月27日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑ようやく訪れたウェストミンスター寺院の入り口で
ロンドンに住んで足跡を訪ねてみたい人が何人かいる。
①ウィリアム・シェイクスピア(劇作家、俳優)
②ウィリアム・ブレイク(詩人、画家、彫版師)
③レジネルド・グッドオール(指揮者)
そして、④ヘンリー・パーセル(作曲家)である。
もともと、パーセルのことは、
横浜国大でお世話になった茂木一衛先生に教わった。
先生は私が大学入試を受けた時の面接官の一人で、
おかげで唐さんに師事できたと思っている。
だからという訳ではないが、先生の退官講義の時にはお手伝いを
させてもらった。そしてその講義についてあれこと打ち合わせする中で、
『ディドとエネアス』というオペラがあることを教えてもらった。
それから幾つものCDを聴いて、今をときめく
テオドール・クルレンツィス指揮のものを気に入った。
彼の指揮もさることながら、ヒロインのディドを演じる
シモーネ・ケルメスという歌手に惚れ込んでしまったのだ。
唐さんはよく、歌いすぎたら語れ、と言う。
せりふが流暢になってくると、ついつい歌い上げてしまう。
劇中歌もやはり、メロディに飲まれて歌いすぎてしまう。
それでは良くない。
それでは、言葉が言葉としての意味や魅力を失ってしまう。
役者の喋り方、歌い方というのはやっぱり言葉が基本だ。
優れた役者はリズムは韻律を持って聴かせるものだけれど、
心地よいだけでなく内容が観る人の胸に迫るためには、
語ることが必要なのだ。
そこへいくと、このシモーネ・ケルメスという人の在り方は
そのお手本のような感じだ。確かに歌っている。
けれども、まるで話すように、喋るように歌うのである。
メロディと詩が一体になって攻めてくる。
だから、いつか彼女の実演を聴いてみたいと思い続けている。
で、ヘンリー・パーセル。
先日、椎野からパーセルの伝記を含む荷物が届いた。
数年前に、神田の中古レコード屋で見つけて買ったものだ。
渡英前に日本でも読んだけれど、正直あまり面白くなかった。
彼が生きた17世紀後半のロンドンや教会がまったく想像できなかった。
内容が入ってこなかったのだ。
が、今はこれがめっぽう面白い。ロンドンに住んで多くの教会に行った。
コラール・イブニング(夕べの祈り)に行くと、本当に珍しい合唱や
オルガン曲が山のように聴ける。しかも、ところによっては無料。
メディア的に有名な音楽家でないにせよ、
腕達者なオルガン奏者や歌手がゴロゴロいて、しかも、
教会建築という音響装置にかかると、その魅力が何倍にも増幅される。
そうこうするうちに、本に書かれているアンセムやオードが
どういう歌で、教会のオルガニストがどういう仕事か、
体感的に想像できるようになってきた。親しみが湧くようになった。
パーセルはイギリス王室の寺院であるウェストミンスター周辺で
生まれ、暮らし、この寺院を職場とした。
長くなったから二日に分けよう。
また、明日。
2022年7月26日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑少年少女のためのプレイグラウンド。日本だったら"危険"とみなされる
に違いない。
今、馴染みのカフェDeli-Xで暗然としてこれを書いている。
長らく愛用してきたリュックサックのジッパーが壊れたのだ。
これは、椎野が彼女の父からプレゼントされたもので、
それを借り続けているうちに自分のものになった。
5年以上は世話になってきたと思う。それが、ついに壊れた。
英国に来て以来、特に荷物を満載にする機会が多かったのが
負担だったのだと思う。ダイアンに訊いて、修理してくれそうな店を
何軒か訪ねたが、いずれも無理だと言われた。残念だが仕方がない。
週半ばから遠出するし、アウトドア系の店で大きくて丈夫なやつを
買いたい。都心のあたりでセールとかやっていれば良いが。
ところで、先週末のAlbanyは壮絶だった。
二つのフェスティバルに同時開催するというスタッフ泣かせの
スケジュールが強行されたのだ。
一つは、"Liberty Festival"。
ロンドン市長の肝入りで予算がついた障害者のための祭典だ。
パフォーマーたちは皆どこかに障害がある。彼らによる表現を
立て続けに観せようという企画だ。
どのプログラムも周到に組まれたスタッフワークがあって見事だった。
自分の観たものを挙げると、
①2038年時点の地球の環境破壊をSFテイストで物語る、知的障害者たちに
よる自由奔放な野外劇。その完璧なコスプレの絶叫の破壊力。
②芝居がかったガードマンの案内で、音楽学校の教室を巡りながら
聾者、聴覚障害者、少年たちのダンスを見て回る移動型上演。
③車イスの男性ダンサーと、その上に乗った女性ダンサーの
アクロバティックなダンス。また、雲梯を駆使して足の不自由なダンサーの
上半身のパワーを最大限に活かした振り付け。
④義足の女性ダンサーが複数の義足や車イスを操りながら見せる
脅威のスローモーションを展開。
⑤トランスジェンダーかつダウン症のコスプレ5人チーム
その名も「ドラッグ・シンドローム」による歌とダンス。
⑥車イスと聾者の女優二人が、映画俳優としてデビューする過程を描く
ストレートプレイ。
⑦劇場周辺の高架下などで、瞑想やフォークソングをくり広げる
視覚障害者のためのお散歩企画
⑧稽古場に完全なリラクゼーション空間が出現し、そこで全ての人々を
リラックスさせる瞑想企画
など。全ての企画に立ち会えた訳ではないが、粒ぞろいだった。
そして、二つ目はルイシャム地区が主導する"Climate Home"。
これは、温暖化をはじめとする異常気象を強く訴える
青少年たちのプログラムで、この夏いっぱいをかけて開催される。
そのフェスティバルのオープニングが、金曜に行われた。
会場が実にユニークで、学童のプレイグラウンドなのだと説明された。
木で造られた要塞のようなアスレチック群の真ん中に、そこだけ屋根の
ついた野外ステージがあり、観客は好きな場所に腰掛けたり、
スタンディングで見る。
ダンスや歌などもあったが、一番見事だったのは
10歳くらいの少年少女がひとりずつ披露するポエトリーだった。
自身の主張を詩に変え、これを謳いあげることに
日本人は馴染みがない。しかし、こちらの人々は実にこれを巧みに
実践し、また聴き手としても喝采を送る。さすがシェイクスピアの国だ。
少年たちはまったく臆することなく、自作の詩を韻律に乗せて披露していく。
そして高らかに歌い切った後は、拍手を浴びて興奮のあまり
アスレチックを駆け回っていた。
チームに分かれて運営に奔走しているAlbanyスタッフが心配になる
企画数だが、内容だけでなく、さまざまな空間を新たに発見できた
という意味でも、面白い体験だった。
これらは公金を投下し、入場料無料でやっている。
だから、思い切った実験的企画が多かった。
お金を稼ぐための企画、地域貢献のための企画、
CEOギャビンによる切り分け、メリハリの付け方が見事だと思う。
唐ゼミ☆で野外劇をやったりした際、いつも空間を探してきた。
日常の中にハッとさせられるような場所はあるものだ。
そういうことを知っているから、よりAlbanyの面白さが分かる。
けれど、同じように問題があって、
こういうもので収益を上げたり、芸術として評価したり、
批評を得るのは難しい。そういう話を、チーフプロデューサーの
ヴィッキーとした。面白いけれど、ロイヤル・オペラ・ハウスや
ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーと同列に語られない。
あるいは、同列に語る必要がない、という違う評価軸が整っていない。
これからの仕事である。
↓野外でリサイクルの重要性を訴える、その迷いない力強さ。突破力。
2022年7月25日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野WS『蛇姫様 わが心の奈蛇』 Posted in
中野note
↑本物の伝治が登場して、ニセモノが暴かれる。胸には骨壷。
その中身は本物の薮野一家の骨。しかし、こんな格好で働いている人は
この世にいないだろう。これも唐十郎流のギャグ(撮影:伏見行介)
昨日は『蛇姫様 わが心の奈蛇』WSでした。
謎解きが立て続けに展開し、劇の興奮が高まっていくシーンです。
唐さんの筆も乗っているし、その勢いに任せて読んでいけば面白い。
けれども、ところどころ、唐さんの強引すぎる設定を味わいながら読むと
さらに面白い。もちろん、唐さんは、そういうことをわかって書いています。
辻褄の合わなさをシャレにして笑い飛ばしています。
まず、二つの映像を見るところから始めました。
天知茂主演 明智小五郎VS怪人二十面相の予告編
https://www.youtube.com/watch?v=DU2nSdNmYY4
片岡千恵蔵主演 多羅尾伴内シリーズ 正体を明かす場面
https://www.youtube.com/watch?v=xkheg50m3rw
これらを観ておくと、唐さんが思い描いたノリや
造形がよく見えてきます。両作とも、演技が二枚目すぎて笑いの域に
達しているので、おもしろ動画としても楽しめます。
その上で、
ドラゴン=鏡 という引用元不明の理論。
小林と伝治の対決による、小林の敗北。
バテレンの加勢が序盤。
というシーンが展開。
そしてここから、バテレンの壮大な謎解きが始まります。
まとめてみると、
①伝治はニセモノである
これまで伝治を名乗ってきた男はニセモノだと暴かれる。
彼は白菊丸に乗って密航した男で、当時は12歳。
シノが輪姦されるのを見ていたに過ぎない。
ちなみに、バテレンは従軍牧師として乗船していた。
②本物の"伝治"は日本人
小倉で乳飲み児(あけび)を抱えた恩人
シノを世話した。その東京に出て薮野一家の居候をしていたが、
脳卒中で倒れ、今は半身に障害を抱えてバスの整理係をしている。
シノが送った写真を、自分のニセモノになる男にユスられる
③薮野一家もニセモノである
大きい兄ちゃん(蛇)、文化や青色申告、知恵も密航者。
三年前に死に絶えた床屋の薮野一家を乗っ取った。
内縁は、もともとの薮野一家で生き残ったお婿さん、
だから文化たちを恐れている。
④白菊丸で起こったこと
シノが輪姦されたことは間違いない。
しかし、ニセモノ伝治が加わっていたかは不明。
バテレンは、当時12歳だった少年にそれは無理だという。
一方、ニセモノ伝治本人は満15歳だったと主張。
そのため、相変わらず自分はあけびの父親かも知れないと強硬に主張。
真の名前は「李東順(りとうじゅん)」
※唐さんによる「李東順」という名の引用元は不明
・・・と、このように、さまざまなロジックが展開します。
シリアスとコミカルが激しく交錯して、真剣なのかふざけているのか
分からないのがポイントです。劇的なやり取りが連続しながら、
あけびの出生がますます謎めいたことは確かで、
だからこそショックを受けた彼女は三度目の癲癇の兆候を見せます。
次の7/31(日)で最終回。かなりの力技で大団円に突入します!
2022年7月22日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑間違いはここで起きた
ロンドンで生活することを本気で想定し始めたのは年明けだった。
呑気なものである。1/31渡英が決まっていたものの、
用意されているのは文化庁が用意してくれる航空券のみで、
ビザが降りたのが1月半ば、渡英後に宿泊するホテルの予約を始めたのも
同じ頃だった。
他にも、コロナ対策として、
パッセンジャー・ロケーター・フォームの記入とか、
ホテルに政府公認の抗原検査を送るとか、さまざまな手続きを
すべて松の内があけてからの同時期に仕留めたと記憶している。
デビットカードの存在と重要性に気づいたのは、
1/20前後だった。それまで、海外に長期滞在する経験の無い私は、
自分の手持ちのキャッシュカードは、世界の大都市のどこでも
通用すると思い込んでいた。
2種類を愛用しているうち、横浜銀行はややローカルだが、
UFJはメガバンクだ。ロンドンはほとんどキャッシュレスと聞いていたし、
たまにおろせばいいんだろと高を括っていた。
しかし、何かの拍子に知ったのである。
ロンドンでは国産キャッシュカードによる引き出しができない。
デビットカードというものが必要だ、と。
早速に申し込んだ。
出国までに届かなければ、荷物と一緒に送ってもらえればいいやと、
この後に及んでも軽く考えていたが、果たして6日ほどで
ピカピカのカードは届き、晴れてデビットカードを持って
日本を出られることになった。
結果的に、これが功を奏する。
床屋とか、カレー屋とか、こちらでも稀に現金のみの店がある。
もっとも重要なのが、ダイアンに家賃を払う時だ。
彼女の主義は、ニコニコの現金払いなのだ。
もちろん、当初は彼女の家に居候することになるとは知るよしも無い。
で、先週の日曜である。
オペラのマチネを観た私は、いつもの電車を乗り継いで
上機嫌で帰ってきた。こちらでは滅多に昼の公演を観ない。
だから、帰り道にまだ陽が高いのが嬉しかったのだ。
調子付いた私はATMに立ち寄ることにした。
そろそろ月末、来月分の家賃をおろしにかかったのだ。
ところが、スムーズにお金が引き出せない。
こちらのATMは色々と質問してくる。
言葉は何が良いか、とか。
手数料に納得できない点があるか、無いか。
レシートが要るか、要らないか、などと。
その日に選んだ機械は妙にしつこかった。
これらの質問が煩わしく感じながら操作するうちに、
私は自分が使っているいくつかのパスワードのうち
間違った方を連打してしまった。結果、お金が引き出せない。
まあ、連続でミスったから、時間を置くか、
悪くても翌日にトライすればいけるだろうと、その日は諦めて帰った。
そして翌日にもう一度試す。が、このカードは使えない、の一点張り。
別のATMでも同じ反応だった。
仕方がないので日本に電話すると、
「暗証番号番号の誤操作が続いたので、ロックしました。
これを解除するには、ご本人様が帰国後に直接、銀行に来てください」
ということだった・・・
対応窓口の女性の声が持つ、圧倒的な機械的物言い。
ラチがあかないことは明白だった。
・・・というわけで、渡英前にテキトーに作って、
2月に横浜の家に届いていたネットバンクの口座のデビットカードを
椎野に送ってもらうことにした。
ここにもいくつかのハードルがあって、
いくつかの郵送サービスのうち、最も速いものに限ってこういった類の
カードや重要書類が送れないとか、あらゆる郵送物に戦争の影響で時間が
かかるかと、クレジットカードからチャージしたお金は買い物はできるが、
現金をおろすことができない、とか。
要するに、このネットバンクの口座に、他の口座から振り込みを
行った金額のみ現金化できる、というルールがあることがわかった。
椎野にも迷惑をかけながら試行錯誤して、やっと目処がたったけど、
手元にカードが届くのは半月くらい先になりそうだ。
それまで、ダイアンに家賃の支払いを待ってもらっている。
ごめんよ、と言って、彼女の好物のスモークサーモン550円相当を
渡したら喜んでいた。
2022年7月21日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑テンプル・チャーチにて。会が終わったあとはワインが振る舞われた
昨日はぐっと気温が下がって最高でも30度いかないくらいだったが、
寝ようとするとじわっと自分の体が熱を持っていることに気づいた。
日焼けだ。日本にいた時みたいに窓を開けっぱなしにして
寝たいところだが、それはダイアンによって禁じられている。
うちは一階にあるので、セキュリティを慮ってのことだ。
暑くて寝られないというほどではないが、
朝起きて、窓を全開にした。そしてこれを書いている。
昨日はせわしなかった
学校→WS"Moving Day(シニアたちの街頭劇創作)"
→New Earth Theatreのクミコさんに会う
→テンプル・チャーチでコラール・イヴニング(夜の讃美歌)参加
→帰り道に電車を間違えて、かなり時間をかけて帰る
→その間にひたすら本を読む
という具合だ。
WSのシニア参加者の出席率は半分以下だった。
まだ外出への警戒が解かれていない。が、秋の本番に向けて
配役の発表がなされ、外部から参加する若手の役者も加わって、
稽古の密度が明らかに上がった。
役が決まったことによる興奮が伝わってきた。
その後、New Earth Theatreのクミコさんに初めて会った。
6月に『ソニック・フォー』という、ベトナム料理を食べながら
在英ベトナム人の語りを聴くというユニークなイベントに参加した縁で
「会って話をしましょう」と声をかけて頂いた。
初対面だったけれど、一所懸命しゃべってお互いの興味を理解し、
今後、さまざまな案内をくれることになった。
ちなみに、彼女のお母さんが日本人とのことだったが、
日本語は喋れないそうで、もちろん英語で頑張った。
そして、走ってデプトフォード駅に行き、
電車でブラックフライヤーズに移動。テンプル・チャーチまで急いだ。
夕方のお祈りは18:00から。別に信心はないが目的は二つ。
教会建築を見ることと、声楽曲を生で聴くこと。
今回は大当たりだった。「ロンドン 教会」とググると、
ウェストミンスター寺院、聖ポール寺院と並んでここが出てくる。
建築的にかなり立派だったし、合唱団のレベルが高かい。
女声4人による完璧な倍音と教会の反響で陶然としたり、
カウンター・テナーまで擁しているのに贅沢を感じた。
帰りがけに知ったが、英国のレーベルからいくつかCDも出ている。
ウィリアム・バード、パレストリーナ、バッハの音楽を聴けた。
セレモニーが終わると神父様(プロテスタントだと牧師様)の
話がある。何軒もの教会の儀式に参加して気づいたが、
どの人も必ずスピーチで笑いをとる。彼らの人格の柔和なこと。
笑いの基本である緊張と緩和の典型例だということでもある。
かのテンプル騎士団によって造られたという教会の内部には
展示コーナーも充実していて、見応えがあった。
もちろん、テンプル騎士団といえば、唐さんの劇『河童』を
思い出す。テンプル騎士団が天ぷらを揚げるというシーンがあった。
開催時間1時間という軽めの鑑賞体験だったから読書がはかどった。
『ユリシーズ』3巻目を読み終わって、いよいよ最終4巻だ。
週末までに読み終わりたい。
2022年7月20日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑22:15開演→23:00終演という大人の集まりだった。帰りは涼しかった。
昨日は火曜日恒例のWS"Meet Me"だったが、オンライン化された。
最高気温40度というあまりの高気温であったために、シニアたちに
とって劇場に来るプロセスそのものが危険と判断されたためだ。
そこで、スカイプによる電話ミーティングが繰り広げられた。
要するに、ビジュアル無しでグループ通話をしたのだ。
Zoomやモニター付きの会議でないのは、
シニアたちのメディア環境に配慮してのことだ。
みんな、電話には慣れている。
結果的には1時間以上も話していたために、
皆さんの腕や耳が疲れないか心配したが、それは大丈夫だそうだ。
このあたり、パンデミックのロックアウトの経験が生きている。
話題として、来年の"Meet Me"10周年をどう祝うかが
話し合われた。そう。この企画が誕生してから、間も無く
10年が経つのだ。参加者たちから次々にアイディアが出て面白かった。
・それぞれの家族を巻き込みたい
・それぞれの出身地・出身国の特色を出したい
・お世話になってきたボランティア・スタッフにお礼がしたい
・これまでを振り返るレトロスペクティブがやりたい など。
初めてこの企画に誘われて参加した時のエピソードを
話し始めるシニアもいて、感慨深い話し合いだった。
10人強のメンバーずつ、2グループに分かれて、
約1時間ずつ行われた。
その間、私はずっと家の、自分の部屋から会議に参加していたが、
今日はダイアンの友人一家が泊まりがけで遊びに来る日で、
隣の部屋でパーティーめいたランチが繰り広げられた。
休憩時間にあいさつした。
会議を終えて近所に買い物に出た。日用品を買う。
あまりの直射日光と気温だから、日本から持ってきた
善光寺の笠を付けた。
買い物をするたびに店員に話しかけられるので、
これは日本の風習であると伝えた。我が国ではみんな被っている。
夏の常識である。特にこのモデルは最近の流行りである。
という具合だ。
それから、ベトナム料理屋にも行った。
ベトナムには似たような笠「ノンラー」があるから
親近感があるらしかった。米食民族同士、親しみが湧くのだ。
そして、このままBBCプロムス行く。
ハーフパンツに善光寺笠だが、やむを得ない。
昨日、ロイヤル・オペラ・ハウスでハーパン・Tシャツを
何人も見かけたので、強気である。
カジュアルにクラシックを愉しむ。それがBBCプロムスなのだ。
郊外に住むミミの家の近所では、山火事が自然発生しているらしい。
2022年7月19日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑暑さがもっとも伝わりやすいからこれを選んだ。撮影は先日の土曜
日本の終戦記念日を思わせる暑さである。
快晴。真上から直射日光が照りつき、影が短く、濃い。
40度近くまでいっているらしい。おかげで街から人がいなくなった。
ロンドンは涼しいと思い続けてきたが、今週は暑さのケタが違う。
当地に住む人たちにとってみれば、これは異常事態のようである。
この気温は、仕事を休むに足る立派な理由だそうだ。
そのようなわけで、今日はWSも打ち合わせもキャンセルされ、
午後はフリーになってしまった。
お金持ちは都会を離れ、所有するカントリーハウスに行ったという。
9月を以って任期を終えるボリス・ジョンソン首相も例外ではなく、
自身の別荘で、お得意のパーティーをまた開いたらしい。
コロナ禍の度重なるパーティー開催により国民感情を逆撫でした彼は、
すこしも臆することなく昨日もこれを続けている。筋金入りのパリピ。
本気になって怒っているイギリス人には言えないが、
私はそんな彼が嫌いではない。
皆の家は暑くて仕方ないという。
学校も、劇場も、両方の友人たちが口々にそう言う。
暑くて寝られない、昼間は家にいられない、そういう状態らしい。
ところがダイアンの家は、冷房もないのに何故か涼しい。
分厚いレンガの壁と、二重サッシのおかげだと思う。
ここにきて、都心の居心地が良い。
普段は人で溢れかえっているのに、何しろ人がいない。
閑散としていて気持ちが良い。暑いことに違いはないが、
自分の地元、あの蒸し蒸しする名古屋と同じくらいだと思う。
Albany近くのカフェでミネストローネを食べ(夏野菜!)、
馴染みのパイ&マッシュの店でサイドメニューである
ジェリード・イール(うなぎ!)のみをオヤツに頂く。
そういう充実の食事を摂って、今日もロイヤル・オペラ・ハウスへ。
演目は『オテロ』。
私が買ったのは2,000円程度の立ち見席だが、
お金持ちたちは15,000〜30,000円くらいの席を軽々と放棄する。
必然、私の目の前には幾つも空席が現れ、開演と当時に、
これにサッと座るのがロンドン流。
日本では考えられないが、より良い席が空いていた場合、
こちらの愛好家たちは躊躇なく席を移り、
よほどマナーが悪くなければスタッフがこれを見咎めることもない。
むしろ、幾つかの劇場では、最安席に座っている人を、
案内係が率先して前に移るよう促してくることすらある。
ルーズというか、余裕というか、ロンドンはゆるい。
とここまでが昨日のこと。
今日の気温は41度まで上がると言っている。観測史上、最高だそうだ。
2022年7月15日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
シェイクスピアの故郷を旅行して気づいたのだが、
Tシャツの数が足りない。私は毎週土曜日に洗濯することにしている。
が、手持ちの半袖が6枚しかない。
これまでは必ずに肌寒い日があったのだが、
遠出の時には洗濯日もズレ込むだろうし、余分も持って
おいた方が良い。というわけで、Tシャツを買い足した。
場所は気に入りのルイシャム・ショッピングセンター。
カフェやレストランが高いイギリスだが、服は高くない。
増して貧しき者の味方のルイシャム地区なので、
良いものが買えた。
しかし、英国ではほとんどのTシャツが柄モノかロゴ入りだ。
私には、どこのブランドやメーカーか分かるものを着るのが恥ずかしい。
やっと無地を見つけたと思っても、胸にポケットがついている。
Tシャツの左胸のポケットに何か入れている人を
私は見たことがない。あれは、なんのためについているのか。
さすがのロンドンも暑くなり、30度を超える日が頻発するように
なった。それに伴い、ダイアンが庭の植物を心配している。
最近の私は、通学前にアジサイに水をやるようになった。
根っこの部分だけでなく、葉っぱや花びらの部分に上から水をかける。
日本ならば根腐れするほどの量を容赦なくかける。
それでも、あっという間に乾燥する。これが英国の気候だ。
語学学校では、トルコ人の女子がやたらと話しかけてくるようになった。
彼女の上半身は常に水着のような格好だが、手にはいつも毛皮の
カーディガンを持っている。暑さ寒さに極端で、中間部が全くないのが
面白い。露出度の高いロンドンの人々の中でも、彼女の極端さは
際立っている。
辛いものが食べたくなってインド料理屋に行くと、
今日は店員だけでなく、オーナーもいるのを発見する。
彼は面白い人で、店に入る時、食べ終わって出る時、握手を求めてくる。
今日はアレが美味かったと伝える。インドの梅干みたいなやつを
付けてくれるようになった。暑さの分だけ、美味く感じる。
バケーションを重視するヨーロッパ人にあって、
今年のAlbanyは特殊だ。一年間のフェスティバル期間中、
夏が最盛期なので、フル稼働する予定なのだ。
今日も目前のイベントへの準備が優先されて、定例会議が中止になった。
皆、顔を真っ赤にして働き続けているが、土台、働き方に対する
意識が進んでいる分、この先、誰かが音を上げるのではないか。
野外イベントが増えるに伴い、
私が渡英時に持ち込んだ善光寺笠の出番が迫っているのを感じる。
あれを日本で付けているとたいそう目立ったものだが、
こちらでは大したことがないように思う。
人種だけでなく、人々の格好も、こちらはバリエーション豊かだ。
2022年7月14日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
奥さん、アン・ハサウェイの実家。目下読んでいるジョイスの
『ユリシーズ』では、彼女は徹底してエロ女扱いを受けている
いま思い返してみると、
ストラトフォード・アポン・エイボン行きは完全に修学旅行だった。
だいたい、修学旅行生が多い。あの様子はおそらく中学生だろう。
街に溢れかえっていると言って良いレベルだった。
私もベタなコースを回った。
シェイクスピアの生家、彼が成功者として買った屋敷跡。
勉強し、初めて旅回りの劇団の芝居を見たという学校。
友人たちの家の跡、埋葬された教会、奥さんの実家。
こんなところだ。そしてエイボン川に浮かぶ白鳥を眺め、
川沿いを歩く。
必然的に、どこもかしこも修学旅行の群れ。
彼らのほとんどはシェイクスピアに興味無いだろうが、
イギリス人はこうして国民作家に通じる教養をインプット
されるのだ。私たち日本人が誰でも奈良の大仏を知っているように、
彼らはいくつかの劇のタイトルを言えるくらいに仕込まれるのだ。
ケータイでシェイクスピアが育った家を撮影していたら、
「私たちのことを撮っているでしょ!」と女子中学生に
怒られたのも面白かった。イエゼンタイヲトリタイ、と
訴えてどいてもらった。
あと、学校の案内をしてくれたおじいさんが熱心すぎて
大幅に時間を取られてしまったこと、それと、
昨日、水曜日は特別に教会の営業時間が短く、
結果的にシェイクスピアのお墓参りができなかったのは残念だった。
ウィリアムと妻アン、二人の実家の距離感や、
ともにお金持ちの出であったことを実地に確認できたのも良かった。
そういうことは、彼の描く恋愛に、必ず反映されてしまうものだと思う。
予約した安めのホテルは居酒屋の2階で、
それだって物価の高いイギリス、観光のメッカたる当地では
1万円くらいかかったけれど、これも趣きがあって良かった。
観劇を終えて帰ったところ、開け放しにした窓から大量の虫が
入ってきていたが、部屋を暗くしてあっという間に追い出せた。
何か、旅籠屋という言葉を思い出させる宿泊だった。
名古屋の小学生として、京都・奈良県物をしたことを思い出した。
とてもおもしろかったです。
2022年7月13日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
RSCとはロイヤル・シェイクスピア・カンパニーのこと
昨晩、この劇団の本拠地ストラトフォード・アポン・エイボンで
『リチャード3世』を観た。結果、期待したほどではなかった。
この劇の魅力はタイトル・ロールを演じる俳優に依存するところが
大きいと思うけれど、さほど惹かれなかった。
何より、この劇場の構造が良くないと思った。
どう良くないかと言うと、同じシェイクスピアを専門にする
グローブ座と比べると判りやすいと思う。
自分はグローブ座が好きだ。
先日に書いた通り、特に『ヘンリー8世』は最高だった。
けれど、グローブ座が好きだとロンドンで劇場関係者に言うと、
意外に思われる。「あそこは観光施設だからね」という
コメントも即座に寄せられる。
だから、私は好きなのだ。
あの劇場の役者たちは、観光客を相手に闘っている。
正確に言うと、闘わなかったりもする。
まるでうらぶれた芸人のようにやる気がないかと思えば、
急に大熱演して場内を盛り上げ、また急速に意気をしぼませたりする。
要するに、緩急を心得ているのだ。
それに、人間としての自然の姿があって、好感が持てる。
要するに芸能、大衆演芸的なのだ。
そこへいくと、RSCも街ぐるみで観光客を相手にしているが、
彼らは芸術家っぽい感じで、どこかお高い。
劇場は近現代風で、中身もそうかと言えば、ステージ様式は
グローブ座と同じ張り出しを採用しており、演出家の美学が
あらわれにくい。この辺が中途半端なのだ。
何より重要なのは、シェイクスピアは明らかに大衆演芸路線の
作家だということだ。私はグローブ座で、なぜこの作家が書く
台本にラブシーン、下ネタ、残酷シーン、決闘が多いのかを知った。
あれは明らかに、野外上演で途切れがちな集中をつなぎ止め、
庶民で構成される客席のウケを狙ったものなのだ。
チケット料金の取り方や客席の様子も違う。
グローブ座は、舞台近くの立ち見はすべて5ポンド、
椅子席には25〜75ポンドをとる。そして観劇中も飲み食いできる。
野外なので、完全暗転はないし、昼の上演は明るい。
RSCは全て椅子席で、ステージ近くが高くて最高値が65ポンド。
安い席でも40ポンドする。中には10ポンドの席もあるが、
これは柱で視界がさえぎられる席だ。客席は暗く、
周囲に迷惑をかけないように飲み物を口にすることはできる。
ちなみに、双方ともにせりふが徹底的に上手い。
このあたりはさすが専門家だ。
世間の評価は逆だろうけれど、私にはグローブ座の圧勝に思える。
この後は『テンペスト』『ジョン王』『ヘンリー5世』
『タイタス・アンドロニカス』が控えている。
『タイタス〜』では、我が子の死体でつくったミート・パイを母親が
食べてしまうシーンを、観客を大爆笑しながら観るのではないか。
残虐極まりないがゆえに、突き抜けすぎてギャグになってしまう。
芝居とシェイクスピアの不思議な魅力、その真骨頂だと思う。
2022年7月12日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑車窓からは山羊が見えた。シェイクスピアは田舎の小さな村から
世界に挑んだのだ
リチャード3世のことである。
今、ストラトフォード・アポン・エイボンに向かいながら
これを書いている。午前中にAlbanyのシニア向けWSを終えて、
ロンドンを飛び出した。シェイクスピアの故郷で、
これからロイヤル・シェイクスピア・カンパニーによる
『リチャード3世』を観る。
現地に到着してから開演までさほど時間は無いだろうから、
各所を見て回るのは明日だ。
そういうわけで、先週末は読み進めていた『ユリシーズ』を一時中断、
シェイクスピアの伝記と『リチャード3世』の台本をおさらいした。
思えば、高校2年の時に初めて読んだシェイクスピアがこの本だった。
以前より格段に面白く読めた。
ロンドンに暮らすことになって5ヶ月半。
台本を読みながら、彼が王位を手に入れるため、あるいは、
望みを叶えてからは逆賊を退けるために、いかに素早く立ち回ったか、
実地に想像できるようになっていることに気づいた。
何にもの邪魔者に矢継ぎ早に死を与え、
同時に、必要な人間は最短距離で口説き落としている。迅速だ。
史実としては、リチャードはもっと時間をかけて
一手一手、策を実行に移していったのかもしれないけれど、
シェイクスピアのスピード感は5日間くらいの出来事のように感じさせる。
ロンドン塔、聖ポール寺院、ホルボーン、
ベイナード城があったブラックフライアーズ、
戴冠をしただろうウエストミンスター・・・・など、
新宿区の端から端までの広さをひたすらかけずり回っている。
「ロンドン、街路」とあるだけのト書き、今まで無味乾燥だった
このト書きが色彩を帯びて、豊かに想像できる。
そこここに、忙しなく行き交っては足を止め、持ち前の饒舌を尽くす。
そんなに広くないセントラル・ロンドンをコマネズミのように立ち回り、
口八丁と切った張ったで人生を切り抜けていったことがわかる。
後半の敵軍との闘いのために進軍した場所も想像できる。
最近は英国地図と首っ引きで旅行計画を練っているためだ。
それぞれの都市の位置と距離感がだんだん身体に入ってきた。
そういえば、前にYouTubeの動画で銀座のママさんが語っていた。
デキる男は皆、素早くて可愛げがあるのだそうだ。
グロスター公リチャードは素早くて、可愛げがある。
主人公のキャラ立ちは良くても、若書きだから緊密さに欠けると思っていた。
けれど、辣腕政治家の一代記として、この台本は面白い。
面白いように出世して、政務を取る間も無く殺される。
作者のタイムコントロールに喝采してしまう。
もうすぐ目的地だ。
2022年7月 8日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑小柄だけれど、出てくる音は大きなアントニオ・パッパーノ監督。
名前も鳴りが良さそうだ。
今週はロイヤルオペラハウスに通っている。
月から水曜までで『コシ・ファン・トゥッテ』
『カヴァレリア・ルスティカーナ』『道化師』
『マダム・バタフライ』を観た。
バタフライを除いて立ち見席を押さえることができた。
立ち見は良い。途中で座ることができるし、伝統あるオペラハウスの
あの狭い席に押し込められるより、結局は疲れない気がする。
周囲との距離感も良い。座席に座ると、両隣の人がどんな風で
あるかによってかなりコンディションが変わる。
昨日のバタフライなどは、その最たるもので、
蝶々さんの自殺で終わるエンディングに口笛をもって歓呼するとは
どういう了見なのだろう。
この国の客席は盛り上がる。拍手も口笛もブラボーも大きい。
けれど、それが必ずしも良いかといえば、そうでもない。
人間には、静かに余韻を味わうべき時があるのだ。
最も良かったのは、二日目のヴェリズモ・オペラ2作だった。
アントニオ・パッパーノ指揮のもと歌手も演奏家も解放されていて
何より演出が優れていた。古典劇的にヒロイックなところと
近代劇的に会話や心理が緊密なところ、両方の良いところを
美味しいところどりしたような上演で、見事だった。
だいたい、オペラはかったるいものだと思う。
もともと貴族の遊びなのだ。魂の叫びや、人生を揺さぶられるような
体験を求められるものではないのだ。ダラダラ進むのも仕方ない。
心に余裕がある人が特権で観るものという感じがする。
YouTubeの広告にイライラするような現代人では愉しめないのも当然だ。
という感覚からしても二日目は良かった。
と言いながらも、
昨日はAlbanyでインスタレーション・オペラの『Sun & Sea』を観て、
今日もまた、これからロイヤル・オペラ・ハウスに行く。
たまたまそういう週になってしまった。
明日は『The Blue Woman』という新作オペラの初演。
これにはかなり興味がある。もともとが絶滅危惧種的ジャンルだし、
コストがかかる分、わざわざ作る意味を考え抜いた結果、
珍妙なことが起こりやすい。期待できそうだ。
ちなみに立ち見席の値段は2,500〜4,000円だ。
高い席は40,000円くらいするが、これくらいだから手が届くのだ。
2022年7月 7日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
書類を作り、他にもいくつもの文章を書いている。
外国にいてもけっこう日本の案件があるし、それができるのが現代だ。
パンデミックを経験した今、オンライン会議も常識だ。
書き物をするときは、各地を転々とする。
授業後の語学学校の教室、Albanyのデスク、観劇前のロビーを渡り歩く。
行き詰まると場所を変える。すると、歩きながら頭の中が整理され、
また書き進められるようになる。
昨日はカフェにも寄った。Albanyの近所にあるDeli-Xだ。
ピーター・フィッシャーに紹介されたここは居心地が良く、値段も安い。
コンセントも使えるから、たくさんの人たちがパソコンをつなげて
仕事している。よし、原稿の最終直しをするぞ!
そう意気込んでコーヒーを注文し、奥のソファを見ると
ピーターが座っていた。
即座に、仕事を放り出した。ちょうど、彼を必要としていたのだ。
二日前、私はスリー・コーラス・フェスティバルという音楽祭を発見した。
期間は今月末。場所はイングランドとウェールズの境目にある
ヘリフォード(Hereford)という小都市を中心に、
周囲の街を巻き込んで行われるらしい。
これは面白そうだ。
田舎町に点在する教会を総動員して、各地でプログラムが組まれている。
小規模な城砦めぐりもできそうだ。
さらに調べてみると、フィルハーモニア管弦楽団がやたら出演している。
ピーターはこのオケによく参加しているから、話を聞きたかったのだ。
果たして、彼も出演し、オケと一緒にずっとヘリフォードに滞在することが
わかった。どこに宿をとったら良いかも訊くことができた。
そんな話をしていると、ネコが割り込んでくる。
Deli-Xには一匹の飼いネコがいて、彼の名前はビスマルクというそうだ。
店主のダニエルによれば、ビスマルクこそこの店のCEOらしい。
こういう冗談の感覚は、日本も英国も変わらない。
2022年7月 6日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
昨日は不意打ちのような別れがあった。
火曜の朝は語学学校を休み、Albanyに行く。
いつも開かれるシニア向けWSに参加するためだが、
今日はマネージャーのソフィーが休みだった。
代わりにロミカがいた。
みんなで美術製作を行った。97歳最高齢の女性と、
初めてWSに参加した女性の相手をすることになり、
二人の間に挟まれて一緒にペイントをした。
今日の仕切りはジャスミンというエンテレキー・アーツの
腕利きスタッフ。なかなかの無茶振りだった。
こちらだってKAATで多くのシニアを相手にしてきたのだ。
語学力の不足を除けば引けを取るものではないと自分を鼓舞して
4時間の長丁場を持ち堪えた。特に新人さんはいかにも
不慣れだったから、いろんな話を必死に聞き出しながら、
作業も逐一いっしょにやり、最後まで見送って「来週も会おう!」と
何度も何度も約束して別れた。
今日は特別に長時間やる日だったから、ボランティアスタッフも、
途中でひとりふたりと帰っていく。
最後の片付けまで残ったのは自分も入れて4人だけだった。
ふりかえりのミーティングをして、解散。
すると、ロミカがジャスミンと抱き合い始めた。
なぜ?と訊くと、ロミカは今日が最後だと言う。
正確に言うと、先週で劇場との契約が終わっていたのだけれど、
今日は、前に自分が担当していたWSのメンバーに会うためにやって
きたのだった。
これが英国だ。
終身雇用とはかけ離れたところで働くのが自然なのだけれど、
ロミカは初期に特によくオフィスで顔を合わせていたので
ショックを受けた。
この劇場のスタッフにはいつも仲の良い。
けれど、この仲の良さは常に離合集散を繰り返す
英国スタイルゆえなのかも知れないと思う。
だからこそお互いに敬意を持ち、一緒にいる時間を大切にする。
残る半年間にも同じようなことがありそうだ。
あるいは、自分が帰国して3年も経ったら知り合いが誰も
いなくなりそうな気もする。
みんな、己の腕一本で生きているのだ。
2022年7月 5日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑背中に貫禄がある。いかにも目利きという迫力だ。
7/3(日)はミス・ダイアンの誕生日だった。
日本人ならば、自分のバースデーについては殊更に知らせることなく、
慎ましくするものと思うが、彼女はそうではなかった。
もともと、私は4月の時点で彼女の年齢と誕生日に気づいた。
自分のイギリスでの健康保険証取得のために試行錯誤した時に、
ダイアンが実物を見せてくれたためだ。
あ、7月3日生まれなんだ。
そう理解したことを、私は悟られまいとした。
それで、当日になってワッとお祝いしてやろうと思っていた。
しかし、彼女は遥かその上をいった。
5月下旬には自分の誕生日を私に伝え、その日の予定を開けて
おくよう厳命。それからは、週に一度のペースで予定を確認され
何度も「大丈夫だ!」と答え続けた。
その時点で、エリザベス2世のプラチナム・ジュビリーなど
ダイアンのバースデーの露払い程度のイベントに思えた。
それからある日、リビングにはムンク展のチラシが堂々と
張り出され、「ここに行くのだ」と言い渡される。
彼女が傾倒する国はインド。大好きなインド料理を食べるために
飛び切りの店が予約されたらしかった。
何しろ、あらゆる予約情報が、メールをしない彼女の代理で、
私のアドレスに届く。レストランが3人予約になっているので、
「他に誰か来るの?」と訊くと、「来ない。こうすれば大きな
テーブルが押さえられる」と自分の流儀を示して自信満々。
当日の朝、日本との深夜のミーティング続きでヘトヘトになりながら
起き出し、ガラガラ声でGood Morningと伝えると、
「アツシよ、あたしにハッピーバースデーはないのか?」と迫ってくる。
そこで、部屋から急いで隠しておいたプレゼントを取り出しながら
Happy Birthday to Youの歌ってやると嬉しくて泣きだす始末・・・
ダイアンとした初めての都心への外出は面白かった。
電車待ちの間、近くのベンチで大声を出して喋る女性を見咎めると、
ここでは書けない言葉で罵り倒す。
乗り換え時に不案内だった駅員に対しても容赦ない辛辣さ。
がカバンの中に見当たらないと、すぐに泥棒に違いない!と訴える。
常に本気か冗談かわからない物腰なので、こちらはずっと爆笑。
ムンクを見にThe Coutauldというギャラリーに初めて行きましたが、
素晴らしかった。ルネサンスや印象派の有名絵画が溢れんばかり。
そして、それらの常設展示物を経てムンクの遍歴を辿る展示を見れば、
彼がいかに多くの先行様式に学びながら、『叫び』で有名な
あの独特の画風にたどり着いたのかを知ることができました。
展覧会の作り方が、とにかく上手かった。
ちなみに、今回の展示に有名な『叫び』は無く、
『メランコリー』などがメインディッシュでしたが、満足しました。
それから、ダイアンの40年来の友人が営む有名パブに顔を出し、
インド料理屋でたらふく食べて、電車とタクシーを乗り継いで帰宅。
その間、普段は節約を旨とする彼女が、店員や運転手に惜しげもなく
チップを弾むことに驚きました。ハレとケが、マジ徹底している。
「夕食は私が払う!」と言って聞かなかったので、
クリスマスはこちらで持とうと誓いつつ、お祝いの一日が過ぎた。
2022年7月 1日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑ホルボーンの教会で通行人のおじさんに撮ってもらった。
たいてい一人で行動するので、自撮りでなくするのに骨が折れる。
スマホを渡したら、そのまま逃げられるリスクがあるのがロンドンだ。
この場合は親切な人だった。一回一回が賭けである。
"義手"についての興味とおそれは唐さん譲りのものだ。
『宝島』に出てくるジョン・シルバーからその興味は始まる。
その『ジョン・シルバー』シリーズを、これまでに自分は
何度上演してきただろう。
また、『腰巻お仙 義理人情いろはにほへと篇』のドクター袋小路や
『少女仮面』に登場する腹話術人形も「♪俺の体は義手義足〜」と
歌い上げる。この歌はもともと、麿さんが得意だったらしい。
そんな唐さんの義手に対する好みが最高潮に高まったのは、
2000年春に初演された『夜壺』だと思う。
もともとのタイトルは『人形の都』だったとも聞いている。
ズラリと並んだ義手と義足がいっせいに動き出す脅威の舞台は、
いまも記憶に鮮やか。
ある日の朝食時、ロンドンの危険についてミス・ダイアンが語り始めた。
ロンドンにいる数多くのスリのなかで、最も巧妙だった女の手口について。
その女は路上に立ち、
赤ん坊を抱えながらスペイン語で困窮を訴えてきたという。
泣き止まない赤ん坊をこちらに傾けられれば、人はそれを支えざると
得ない。生粋のブリティッシュで、常に警戒を怠らないダイアンも、
この時ばかりは赤ん坊を半分、抱かずにはいられなかったという。
しかし、そこに罠があったのだ。
後から考えれば、その女の右腕はぎこちなかったという。
つまり義手だ。そして、大きなワンピースに隠した、本物の右手を使い、
赤ん坊でできた死角からダイアンのバッグの財布を抜き取ったという。
財布は、彼女の本物の手に握られ、そのままワンピースの中に収まる。
・・・・・。
果たして、そんなことが可能なのだろうか。
ロンドンは都会中の都会だが、かなり魔術的な雰囲気のする話でもある。
ここまでやられたら、悪くはないような気さえする。
唐さんに伝えたら、きっと喜ばれるだろう。
2022年6月30日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑終了後に、客席から後方のオルガンと合唱スペースを眺める。
お香の香り、水とパンを口にする仕掛けも含め、五感を総動員させて
立ち会う者を巻き込むスペクタクルが展開する。おそるべき装置だ!
お金をかけない愉しみを覚えてきている。
月に一度は遠出をしたい。場合によっては二度行く。
どうしてもお金がかかるから、温存しておかなければならない。
しかし、かといってAlbanyでの用事を終えてじっとしていたのでは
つまらない。何より、ロンドンにいる意味がない。
そういう時、教会の催しは良い。
セレモニーは当然ながら無料。
建築的にも風習的にも面白く、何より珍しい音楽が聴ける。
昨日は再び、ワーグナーの達人指揮者、
レジネルド・グッドオールが働いたという
聖アルバン・マーティル・ホルボーンに行ってきた。
通例は日曜朝に行われるミサだが、昨日は水曜の夜にも行われたのだ。
初めて、パレストリーナという作曲家の合唱曲を聴いた。
カソリック音楽の父と呼ばれる16世紀イタリアの作曲家だ。
彼は自身の曲もさることながら、ハンス・プフィッツナーという
19〜20世紀の作曲家がつくった、その名も『パレストリーナ』
というオペラで有名だ。
それで、大元のパレストリーナ自身の曲もCDで聴いたことが
あったけれど、いまいちピンと来なかったので生で聴きたかったのだ。
まず、この教会の音響的に優れていることに唸らされる。
前回はオルガニストの練習に立ち会って感心したが、
伴奏にかぶせて数人の合唱が増大されて空間を満たす。
ちなみに、演奏や合唱はすべて客席後方のバルコニーで行われ、
聴くものは降り注ぐサラウンドを浴びながら、向き合うのは
神父様、その向こうにいる神様のみ、という格好だ。
素晴らしく良く演出されていて、しかもこの教会は特に
飛び抜けている。
ラテン語もイタリア語もよく分からないが、
こういう反響の中、幾つもの声が重なっても歌詞が聴き取り易い
よう工夫したのが、パレストリーナの功績だそうだ。
すべての曲は、セレモニーの進行と完全に一体化しており、
説教や聖書の朗読、いろいろと取り決められた所作ごとが目の前で
繰り広げられるなか、時に伴奏になり、時にメインになりながら
歌われ、演奏されていった。要するに「作品」ではない。
家に帰り、早速に今日聴いた合唱のCDを買った。
一回、生で聴けば、録音もそれぞれの違いがよく分かって面白くなる。
こうして、知っている曲が増えるのは楽しい。
アマゾンUKを使えば、CDも600円くらいで手に入る。
教会は数知れず、各地にある。宝の山だ。
2022年6月29日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑夜はアート・アンサンブル・オブ・シカゴのロスコー・ミッチェルを聴く
英語の成長実感が無い。困ったことだ。
語学学校の学友たちはメキメキと腕を上げている感じがする。
彼らは授業後も連れ立っているから、どんどんツーカーになっている。
それに比べてオレは・・・。
また、英国人同士が目の前で容赦ないネイティブトークを展開すると
完全に振り切られて、左耳の先がピクピクいうようになってきている。
ストレスだろうか。気になる。
そんな中でも、いつも会っている人たちならば
徐々に人間関係ができてきている。
今日のようにWSがある時には、お茶の注文をとって回る。
・コーヒーと紅茶、どちらが良いか?
・ミルクの有無は? また、その加減は?
・砂糖は入れるか? 入れるとしたらホワイトか、ブラウンか?
・クッキーは欲しいか? 4種あるうちのどれが良いか?
こんな具合で、聞き取れなければ、もう一回!と言えるようになって
来ている。参加者のシニアたちも、分かりやすく発音してくれる。
今日は長い時間、80歳を過ぎた女性の話を聴いた。
彼女は1963年に一家でコロンビアからやってきて以来、
ずっとロンドンに住んでいるという。
「コロンビア、きっとマイナーだから知らないわよね。
あっ、そうだ! ベネズエラ! ベネズエラの隣よ!」
そう言われて思わず笑ってしまったが、
コーヒー豆のおかげでコロンビアが有名であること、
ベネズエラの方がむしろマイナーだと伝えた。
彼女はあまり外国には行ったことがないそうだ。
けれど、スペインとフランスには行ったことがあり、
良い思い出だそうだ。
左脚の悪い彼女は、イスから立ち上がる時にサポートを必要とし、
私の右腕を借りて、休み休み、お迎えの車まで歩く。
左足を持ち上げる道具を常に持っていて、今日はその使い方を
教えてくれて、初めて見送りを一人で完璧にすることができた。
そこへ、ちょうど代表のギャビンが来たので、
彼女を「大事なパティシパントです」と紹介し、
「私は今や、パティシパントのパティシパントです」と伝えたら
笑っていた。まさにそんな感じなのだ。
彼女が劇場に来始めて5年、毎週が楽しく、幸せだそうだ。
2022年6月28日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑これがウィリアム・ブレイクのステンドグラス
先週末は久々に現場仕事をした。
都心にあるキングス・プレイスという会場で「能」のイベントを手伝った。
早朝に家を出、帰りは24時を過ぎた。鉄道ストライキも気苦労の理由だった。
面白い人たちの現場にいさせてもらったけれど、疲れた。
翌日曜日はワークショップや劇団本読みをして、そのあと遊びに出かけた。
2週間前に訪ね、閉まっていたバタシーの教会でセレモニーがあったのだ。
あの教会は基本的に午前中しか開いていない。
この機会でなければ、午前中は学校かAlbanyにいる私が訪ねるのは難しい。
バスを乗り継ぎ、片道1時間半。今度こそ扉は開いていた。
私が興味を持ったのは、詩人ウィリアム・ブレイクが婚式を行ったからだ。
教会内には彼を表すステンドグラスもある。
儀式に参加するわけだから、入り口で聖書を受け取った。
聴衆は20人。コーラスが15人。オルガンの伴奏でアンセムが歌われ、
説教師のお話が繰り返された。そこで事件が起きた。
1時間が過ぎたところで、説教師の話が途切れ、
突然、奇声とともに倒れたのだ。明らかに癲癇の発作だった。
もちろん、人がこんなことになるのを初めて見た。
皆が慄き、合唱隊の一人が救急車を呼んだ。
ピアノをどかしてマットを敷き、彼を寝かせる。
聴衆はそれぞれの判断で、五月雨にその場を去った。
悪いことに、私は最前列の一番端に座っていたから、
立ち去りずらくなってしまった。ここに座ったのは、
すぐ横にブレイクのステンドグラスがあったからだ。
通路をバタバタと人が行き交う間、
私はじっと祭壇を見て、周りの状況が落ち着いたところで
そっとその場を後にした。そして水を飲みながらすぐそばのテムズ川を眺めた。
それから気付いたのだ。自分の怪しさに。
考えてみれば、ここはローカルな教会だ。
あの場にいたのは誰も彼もが知り合いに決まっている。
しかも、外に置いてあった看板を読んだところ、
この日は、永年ここに勤めてきたあの説教師の、
引退前、最後のセレモニーだったらしいのだ。
思い返せば、合唱隊の若者の何人かは騒然とする教会の中で
私の方を見ていた。200人以上入る席の中で私だけが変な位置に
座っていたし、見知らぬ顔だし、無表情だし、一言も喋らず、
なかなか動かなかった。あの視線には明らかに、
何か不気味なものを見る感じがあった。
確かに、ドストエフスキーやブルガーコフの小説に出てくる悪魔は、
さっきまでの自分みたいな物腰なのだ。
このままではいけないと思った。
しばらく待ち、戸口で救急車を見送った若者に挨拶することにした。
自分の身分やここに来た訳を話し、また来ますと伝えた
彼は初めは訝るような感じだったが、少しフレンドリーになった。
救急車に乗せられていく説教師を見る限り、命に別状は無さそうだった。
2022年6月24日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑Albanyのチケット売り場も、当然カード決済。これが読み取り機。
ロンドンではほとんど現金を使わない。多くの場合、カード決済なのだ。
私にとってこれは喜ばしい。記録が残りやすいし、スリを恐れてポケットに
ねじ込む財布も厚くならず、かなり薄くて済む。
エスニック料理店のうちのわずか何軒かが、
うちは現金のみでと言うが、紙幣もコインも、だからあまり持たない。
カード決済には2種類の方法がある。
読み取り機会にカードを差し込んで支払う方法と、
ピッとカードをタッチするやり方だ。
渡英当初から、私はもっぱら前者を選んできた。
タッチでの支払いをしたことが無かったし
私の持っているクレジットカードには、もともとその機能が無いのだ。
が、しばらく生活するうち、皆が皆、タッチ支払いしているのに気づいた。
速いし、手軽なのだ。が、危険も感じる。挿入支払いにはパスワード入力が
必要だが、タッチにはその必要さえない。つまり、カードを落としたら
使われ放題になる。恐ろしい。
そんなある日、現金の引き出しのため、
渡英直前につくった手持ちのデヴィットカードが、
タッチ対応していることがわかった。
便利に違いないし、大概の人がタッチ支払いだから、
会計のたびに店員と問答し、彼らが機械を翻すのにもくたびれてきた。
だから試してみようと思ったのだ。
なるほど、確かにこれは便利だ。レジでの流れも極めて良い。
郷に入っては郷に従うのも悪くはないか。そう思った矢先、
しくじりがあった。その日、私はケータイ・ホルダーに
英国のSuicaであるオイスターカードと、デヴィットカードを
一緒に入れてしまったのだ。
結果、地下鉄の支払い機は同時に2枚を読み取り、
ネットでキャンセルせよと駅員に告げられた挙げ句、
厄介な手続き方法に四苦八苦するうちに時間が過ぎて
約260円を失う羽目になってしまった。
あんなことは二度とゴメンだ。
そう誓った私は、すぐにまた元の挿入支払いスタイルに戻った。
いちいち暗証番号を打ち込むから間違いもないのだ。
今日も私は、タッチを求める店員にCan I insert?と切り出す。
すると店員は、OK!と言って機械をクルリと反転させる。
やはり安全が一番だ。お金は安全第一!
2022年6月23日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑今日からAlbanyでは、特に注力して準備してきた"Sun and Sea"が始まる。
レセプション会場の飾り付け、DJブースの準備もバッチリ。
今日は知り合いから聞いた話をしたい。本当に驚いた。
彼女の家には週に一度ハウスキーパーさんが来る。
その人は、フィリピンから来た男性だそうだ。渡英して40年になる。
週に一度やってきて、家中を掃除し、庭やゴミ捨て場を整え、
買い物のサポートもしてくれるそうだ。始業時間は朝8:00。
買い物も含めると午後まで働くらしい。
ところが、彼はいつも朝7:00にやってくる。
ロンドンでは電車よりバスの方が安い。けれど時間がかかるので、
5:30には家を出てやってくるらしい。
そして早めに到着し、電話をかける。フィリピンに向かって。
家族との会話の時間だ。
奥さんと喋り、お子さんと喋り、お孫さんと喋る。
ただし、彼はそのお孫さんに会ったことがない。
40年間、国に帰っていないからだ。
国に帰るのにはお金がかかる。
そしてそれ以上に、彼は観光ビザでイギリスに入ったので、
一度帰ったらロンドンに戻ることができなくなる。
彼にはロンドンのパートナーがいて、おそらくフィリピンの奥さんにも
別の相手がいるのだろうということだ。
今のようにWhatsAppやLINE、Facebookメッセンジャーなど、
無料で国際電話できるようになる前はどうしていたのだろうとも思うが、
ともかくも今の彼は家族で電話している。
不思議な関係だ。
40年会っていないという状況を私は想像することができない。
おそらく、彼が話しているお孫さんに彼が会うことは、この先もないだろう。
そんな風に思いを巡らせてしまう。
そして、それが当たり前の彼にはまったく悲壮感がないらしい。
極めて明るい人だそうだ。そりゃ、人間はいつも悲しんではいられないもの。
だけれど、やはり不思議だ。
こういう生き方を知ると、優れた劇場プログラムと同じくらい、
いや、それ以上に、ロンドンにきて良かったと何故か思う。
2022年6月22日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑5種類ある魚のうちHaddockを選んだ。タラ系の魚だ。
今週は鉄道のストライキ週間。
火曜、木曜、土曜とそれは行われるらしい。
過去30年間で最大級規模という
たまたま昨日は電車を使う予定がなかった。
朝からAlbanyに行き、午後は劇団のオンライン会議や事務をして
夜は近所で行われるフォークソングの集まりに行く。
すべてが徒歩だから問題はない。そう思っていた。
が、生活に影響がある。
周辺の店がけっこう休んでいるのだ。
確かに、電車が停まるということで、職場や学校をオンラインに
しているところが多数あると聞いた。
ということは、飲食店にとってお客さんが減るわけだし、
従業員が店にやってくるのも大変だ。ええい、休んでしまえ!
と休みことに対して常に前向きなイギリス人が判断するのは当然だ。
そういうわけで、Albany周辺のカフェもインド料理屋も、
ベトナム料理屋も休業しているためにランチ難民になり、
結局はゴールデンチッピーに行くことになった。
私はこの店が休んでいるのを一日しか見たことがない。
バンクホリデーのその日にだけ開いていなかった以外、
ずっと11-23時で営業している。
おかげで午後5時にやっと昼食を食べることができた。
面倒なことが目に見えているので、珍しく昨日は出かけるのをやめ、
日用品の買い出しに精を出した。
戦争の影響により、何もかもが値上がりしている。
貧しい人たちが住むゾーンまで歩いていって、
トイレットペーパーを買いだめした。
高いものは十分に在庫があるが、
4ロールで1ポンドというのは稀になってしまった。
6セット買い、まるでオイルショックのようだと思いながら、
大荷物を抱えて家に帰る。久々によく寝た。
2022年6月21日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑すごく良い人だった。彼への感謝は尽きない
先週末もいつくかの場所に出かけたが、やはり遠出は印象深い。
DVDで予習済みのオールドバラ音楽祭に行ったのが面白い体験だった。
まず、ロンドンを出る際のやり方は相変わらず難解だ。
リバプールストリート駅から北東に進む電車に乗れとナビが入っているが
駅に着いたところで自動券売機が壊れまくっている。
仕方なく窓口に並ぶと、スムーズに券は買えた。
次は正確な電車が停まっているレーンを探さなければならないが、
これがよく分からない。だらしなく立つ駅員に訊いたら、
その人にも分からないという。
イギリスでは、どの電車がどのレーンに入るか、
場合によっては直前になるまで分からないのだ。
出発10分前になり、不安になりかけたところでようやく
電光掲示板に13番と出た。急いでそこに入ってみると、
今度は改札が開かない。なぜだ? さっき買ったばかりの切符を
通しているのに。駅員に訊きたくとも、改札の中、
10mくらいのところに立っている二人はおしゃべりに夢中だ。
役に立たない奴らよ。
かなり遠いところにいた駅員のところまで走ると、
彼がチケットを確認して入れてくれた。他にも同じ事情で
困る人たちがいて、私の後に続いた。
電車の中は空いていて、快適だった。
1時間ほど行ったところで乗り換え、そこから3駅の単線無人駅に
降り立つ。そこから8キロのところに会場はある。
送迎車があると聞いたが、ぜんぜん来ない。
不安にかられて事務所に電話すると
「あなただけ? すぐ迎えにやるから!」と電話が切れた。
そして、電話を切った瞬間に向こうの駐車場から一台の車が動し
こちらに向かってきた。待機はしていたが、誰も来ないので
運転手がぐうたらしていたのだ。ロンドンの駅員とは違い、
彼の高木ブー的な感じに好感を持った。
距離は遠いが田舎道なのであっという間に着く。
この時点で、帰りはタクシーを予約しなければならないことが
分かった。コンサートが終わる時間に送迎サービスはないらしい(何故?)
なんとか歩けないことはない距離だが、狭い道に歩道は無く、
車がかっ飛ばすので危ない。それに、動物に襲われる可能性もある。
親切なブーちゃんがタクシー予約を手伝ってくれた。
会場に着く。そこは、ブリテンがウィスキー工場を改造してつくった
施設群だ。ひなびていて、アートセンターという言葉は似つかわしくない。
工芸品を売る店があり、楽器を売る店があり、ギャラリーがいくつもある。
もちろん、食事や酒を売る売店やパブもあり、川下りも楽しめる。
それに、美術の野外展示が多くて、どれも変テコで面白かった。
例によってCDやパンフレットを買ってしまいながら、開演を待つ。
バームンガム市交響楽団によるブリテンの曲がメインのプログラムだが、
私の目当てはパトリシア・コパチンスカヤのショスタコーヴィチ
ヴァイオリン協奏曲1番一択だ。恐るべき弱音を聴きたいし、
一番安かったので、最前列、ソリストの目の前の席を買った。
アンサンブルは捨てる。
当たりだった。聴いているとこっちまで身体が熱くなる演奏だった。
昔、巨人時代の清原が大嫌いな阪神・薮を相手にホームランを打った瞬間
「ボケェ!」と叫んでしまった。あんな感じなのだ。
ソリスティックな部分をガンガンに弾きまくり、オケにつなぐ時など、
彼女は「オラァ!」という感じで後ろを向く。最高だった。
終演後、例のタクシーが来るまで時間があった。
聴衆もスタッフも引き上げてしまって、自分ひとり、時間を潰すために
もう一度オブジェを見て回った。すると、向こうから演奏を終えたばかりの
パトリシアが一人でやってきた。思わずデカい声でリアリィ!?と言ったら
笑っていた。彼女は、ずっと誰かとビデオ電話していた。
帰り道はあっという間で、ナビよりも常に早めの電車に乗り継ぎながら、
2時間ちょっとで帰ってくることができた。
地元のシニア・ボランティアが大活躍して支えている
実に人間味のある音楽祭だった。
2022年6月17日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑わざわざスコアを持たされて撮影したのだろう。
後ろに見えるホールに行く予定。
今週末、再び遠出するつもりだ。
前回に行ったブライトンとグラインドボーン音楽祭から3週間。
次なる目的地はオールドバラ音楽祭である。
これは『戦争レクイエム』で有名なベンジャミン・ブリテンが
1948年に創立した音楽祭だ。彼は20世紀イギリスが生んだ最大の
作曲家だが、その最晩年期に自分の故郷オールドバラでの音楽祭を
立ち上げるに至った。ロンドンから電車で2時間半の土地。
その後、彼自身は1976年に亡くなってしまったが、
半世紀を越えた今も、音楽祭は健在、今年も6月に行われている。
音楽もさることながら、ホール自体も愉しみだ。
もともとウィスキー工場だったところを改装してできたというのだ。
音楽祭が開始されて程なく火事になったが、また復元されたらしい。
趣きもあって音響も良いと聞くから、期待が高まる。
ところで、先日、いつも都心に出た時に立ち寄る大型書店で、
この音楽祭に関するDVDを発見した。これは行く前に見ておきたい。
けれど15ポンド=2,500円する。一回見てしまえばおしまいなのに
高いと思い、Amazon UKを調べたら2ポンド送料無しの出物を発見、
注文した。
たった三日で届き、蓋を開けると監督のサインまで付いていた。
サインしてもらったのにとも思うが、ふとどき者のせいで恩恵に
あずかることができた。早速に本編を見たら、創立時の様子、
ブリテンの奮闘、若かりし日のエリザベス女王が祝辞を述べるところまで、
経緯が良くまとめられていた。
ホールの様子も 予習することができたが、
そのうち、気になることが出てきた。妙に少年たちがものを
食べるカットのインサートが多いのだ。
それに、ボーイソプラノのコーラスの稽古を熱心にやるブリテンにも
しつこいくらいにフォーカスしていた。
・・・要するに、そういうことなのだ。
ブリテンの盟友といえばピーター・ピアーズという男性歌手であり、
その関係が公私にわたるものであることは有名だ。
加えて、この監督は、ブリテンが音楽祭を立ち上げるに至った
モチベーションを潜ませたのではないかと思う。
少年たちを故郷の田舎に集め、熱心に指導をし鍛え上げる。
当然、都会からは遠いので合宿状態。
これは、ブリテンのモチベーションを大いに高めたに違いない。
私は、こういう仕事の仕方が心から好きだ。
個人的な動機があってこそ、仕事はただの仕事以上の迫力を帯びる。
そう考えてみると、『春の交響曲』『シンプル・シンフォニー』
『青少年のための管弦楽入門』など、ブリテンの仕事はまた違った
角度からも強く輝き始める。明日の昼過ぎ、オンラインの本読みを
終えたら出発だ。
2022年6月16日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑目を凝らすと台座に落書きが見える。罰当たりな奴らよ。
学校が終わったところで、今日が自由であることに気づいた。
皆さん、昨日のTea Danceで燃え尽きているので、Albanyに行っても
会える人が少ない。特筆すべき会議も無い。
そこで、繰り出すことにした。
前から行きたかった聖マリー教会バタシーに向かう。
ここは極めてマイナーな場所だが、ウィリアム・ブレイクが
結婚式を挙げた場所だ。アクセスが極めて悪いから、
こうして大きな時間がとれないと訪ねることができない。
チャンスだと思ったのだ。
徒歩→バス→電車→徒歩という工程は面白かった。
東京都心から芝浦の方に向かう感じなのだ。
工場や倉庫が増え、テムズ川を挟んで対岸はお金持ちゾーンを
思わせるが、やはり南側はハングリーだ。
駅を降り、小ぶりかつワイルドな商店街を抜けた川沿いに
目的の教会はあった。結婚式の前後に、ブレイクもこの川面を
眺めたのだと思うと良い気持ちだ。言い忘れたが、今日から
気温は急上昇に、ロンドンにも夏が来た。
すっかり良い気持ちになって教会に入ろうとしたところ、
扉が閉まっている。側面に入り口があるのだろうと回り込んだが
そんなものはどこにもない。ネットで見たら18:00まで開いている
と書いてあったのに。教会の半地下にある幼稚園を覗いたら、
保母さんが出てきて優しく教えてくれた。
最近は昼で閉めるようになっていて、今日の営業はおしまい・・・。
別組織なので、私はカギを持っていなくてごめんなさい。
せっかく来たのに中に入れなかった。
でもまあ、道を付けたので次は早い。
自分なりに安く、早く来られる方法も発見できた。
ナビもまた当てにならないのがイギリスだ。
そう思って歩き出した。次の予定はウィグモアホールで、
かなり離れている。夏到来で汗だくになるので、途中からバスを
利用することにした。バタシー公園の反対側に、都合の良い
バス停がある。スタスタと公演を抜けるべく歩いていると、
八角堂を発見した。生まれたばかりの釈尊が天を指差し、
「天王天下・・・」とやっている黄金の像も見えた。
曹洞宗系の高校を卒業しているので、親しみを感じる。
かつて我が演劇部は、いつも仏像のある講堂で稽古していたのだ。
テムズ川沿いにあるこのお堂は日本人の手によるものらしく、
なんちゃって、でなく本モノだった。材料の調達から、
こちらの大工さんとの共同作業まで、さぞ苦労したろうと思う。
そしてよく見ると、神をも恐れぬ落書きがあった。
まことに罰当たりな話だが、台座にアルファベットが書かれていた。
新鮮で、ちょっと面白いと思ってしまった。
神様は見られなかったが、立派な仏様を見ることができた。
ウィグモアでは、今日からイザベル・ファウストによる
ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ全集が始まった。
3日通って全部聴くつもりだ。日本にいたらこんなスケジュールは
絶対無理なので、これも海外研修の贅沢だ。
人が燃焼し尽くすのにドキュメント的に立ち会う苦労が良いのだ。
『ジョン・シルバー』シリーズを連続でやった時に立ち会ってくれた
唐ゼミ☆のお客さんへの感謝も思い出す。
それにしても、先週のサー・シフの協奏曲全集といい、
本当はベートーヴェン生誕250周年だった2020年に公演される
予定だったのではないかと思う。ほとんどの人がマスクをしない
ロンドンにも、パンデミックの残滓がある。
2022年6月15日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑15台以上のポットが使われて壮観だった。
昨日は、「ティー・ダンス」という催しが行われた。
会場は、ゴールドスミス・コミュニティ・センター。
キャットフォードという街にある地区センターだ。
会場に着くと、すでに昨日からエンテレキー・アーツのメンバーを中心に
仕込みが行われていて、パーティーの様相が整えられていた。
「Rooted 21 Century Tea Dance」というのが会の正式名称で
イス・机の他に「Rood」→植物にまつわる飾り付けがなされている。
もちろん、音楽演奏や合唱、朗読をするための設え、
お茶やケーキを食べるための準備もなされていた。
いつもWS「Meet Me」「Moving Day」に参加している
シニアたちがお洒落して集まり、会の中で発表する合唱の仕上げをした。
その中の何人は、一人で詩の朗読に挑戦し、別の男性は得意の
『ダニー・ボーイ』を独唱するようだ。
そして、別の曜日にやっていて、私がまだ加わったことのない
障害者向けWSのメンバーも集まってきた。
クリスという、歌も演奏も司会もできる万能パーソナリティの
仕切りで会が始まった。恰好は女性用のワンピースで、
「彼」と「彼女」、どっちで呼べば良いか訊いたら、
どっちでも良いということだった。
前回はWS中に会って、その時は男性の恰好をしていたけど、
今日が本領発揮だそうである。英語も性別も難しいね、
と笑いながら話した。
参加者とスタッフ、併せて100人くらいの大パーティーだった。
前後に、お迎えや、タクシーでの送りの管理もあるから、
エンテレキーの中心スタッフ、ジャスミンやロクサーヌは
大変そうだった。こちらは、英語と会への不慣れの二重苦を乗り越え、
ちょっとずつ手伝うことができた。イベントのアテンドは、
どこの地域に行っても似たようなものだから、勘は働く。
ああ、このために日ごろのWSがあったのだなと合点がいった。
飾り付けに使われたバナーなんかも、美術の時間に創作されたものだし、
歌も、この時のために練習されたものだった。
美術には植物を使ったり、楽しい歌、悲しい歌、思い出の歌を
取り混ぜたり、会の趣旨に合うよう、日常的に行われてきたWSが緻密に
計算されていたことが分かった。会場デザイン、進行台本づくり、
すべてアーティストの仕事だ。こちらの芸術家は、自分たちの職能が
社会に向けて広範に役立つことを知っていると思った。
美術館やオペラハウスを頂点とするような、
芸術分野の中のヒエラルキーからも自由な感じがした。
人間や社会のためのものなので、どっちでもいいじゃん、
という物腰だった。これは強い。
恐るべき量のチョコレートケーキ、レモンのパウンドケーキ、
生クリームとジャムを塗ったスコーンが供され、皆が一斉に食べてゆく
様子は壮観だった。日本だと、餅つき大会みたいな盛り上がりだった。
半年に一度行われるわけだから、次の会は12月だろう。
その時はAlbanyでやるようだ。今回のことで全体像を理解できたので、
これからの日々行われるWSの意味を噛み締めながら参加してゆける。
長期スパンで研修できるありがたさを実感した。
それにしても、クリスの仕切りはすばらしかった。
そして、もっともすべての人を狂騒に巻き込んだ最強コンテンツは
シヴァ先生による「ジャマイカ・スカ」だった。カリブ海の文化は強い。
Linton Kwesi Johnsonがレゲエを武器とした理由を実感した。
2022年6月14日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑単にタダ飯を食べたのではないが、それにしても美味かった。
ロンドンにもようやく夏の気配が感じられる。
日差しも強いし、昼間にひなたを歩いていると汗ばむ。
日本と違ってじめじめしていないので、夜になると冷え込む。
いつも朝8:30過ぎに家を出、方々巡り歩いて帰るのは23:00頃だから
どうしても寒い状態に衣類を合わせる。昼間は余計に暑い。
先週の土曜はかなりユニークなイベントに参加した。
Albanyの一角に事務所を構えるレジデントカンパニーのひとつ
New Earth Theatreによるイベント"Sonic Pho"だ。
Pho=フォーとは、あのベトナム料理屋で出てくる麺類のこと。
ルイシャム地区にはベトナム人コミュニティがあり、
食を絡めた面白い劇場プログラムをつくり、
同時に相互交流を図ろうという狙いだ。
受付を済ませると、スタジオに行き、
そこで、フォーづくり、主にスープづくりのデモンストレーションを見る。
ハーブや香味野菜について説明を受けながら匂いを嗅ぎ、
出汁の取り方も目の前で料理してもらいながら、見る。
普通はチキンだが、ベジタリアン用には昆布を使う。
昆布だしなんて、4ヶ月半ぶりだった。
試飲させてもらったが、さすがにしみる。
アジア人が大好きな、これがグルタミン酸ナトリウム。
昔、唐さんが飲み会で上等の生ハムを食べながら
「これはアジアじゃ無理だ!」と絶賛していたのを思い出した。
ああ、オレも慎ましきアジア人の一人。
同時に、ベトナム人女優さんが、簡単にベトナムの現代史、
特にベトナム戦争の影響で世界中にベトナム人コミュニティができた
エピソードを紹介してくれた。
そして、移動。
近所のベトナム料理に皆で移動して、席についた。
そこでは、配られたヘッドホンをして、供されるフォーに向かう。
メインの具は好みによって指定でき、私はビーフにした。
本格的なフォーだ。
別皿にミント、もやし、コリヤンダー、唐辛子の輪切りが大量に盛られ
レモンも付いている。明らかに移民の人による店。
英国人は麺をすする音を嫌うから気を付けて食べ始めると、
すぐにヘッドホンから音楽が、続いて、ベトナム戦争を含めた現代史を
誦じる詩。要するに『ミス・サイゴン』的に国を追われた人たちが
この本格的なフォーをロンドンに持ち込んだのだ。
私はヒヤリング能力の貧弱さゆえにけっこう美味しく一杯を食べたが、
周囲の参加者にとって、けっこう苦い味だったのではないかと思う。
戦争の話題とフォーの味・・・。
はっきり言って今はあまり上手くいっているとは言えない
実験段階の企画だったけれど、その心意気が素晴らしい。
味覚をきっかけに地域のコミュニティにアプローチしたいという
着想が面白い。こちらも一所懸命アンケートを書き、連絡先を交換した。
近く、事務所に行くつもりだ。
劇団スペヤタイヤ、エンテレキー・アーツに続いて、
知り合った三つ目の団体ニュー・アース・シアター。
今回行ったベトナム料理屋にも、
これからアジアの味を求めて通うことになるだろう。
2022年6月10日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑画像はネット上から引っ張ったイメージです。左側の感じ。
すっかりルーティン化していた語学学校で久々に震撼した。
授業中にブルガリアから来ている女の子と喋っていたら、
彼女が面白い話をしてくれたのだ。
まず、彼女は常にビジャブをしている。
ムスリムの女性が頭に巻く布だ。英語が上手く、
たちどころに発表のための文章を書く。なぜ、このクラスに?
聡明、という言葉がぴったりだ。単に賢いのではない。聡明なのだ。
年齢は19歳だそうだ。そして既婚者。
早い!と驚いたが、彼女の国では常識の範囲内なのだそうだ。
それだけで凄いと思ったが、いつも熱心に授業を聴く彼女が
今日だけはチラチラと窓の外を気にしている。
どうしたの? と訊いたら、旦那さんが外にいるのだそうだ。
歩いて30分ほどのところに住んでいるらしいのだが、
30分の休憩時間を狙って会いに来たらしい。青春である。
結婚したのは2月で、それから彼女はロンドンで暮らし始め、
これから就職するために英語を学んでいるそうだ。
てっきり彼と一緒にブルガリアから引っ越してきたのだと思った。
どうやって出会ったの?と訊いたら、こともなげに
「アツシはインスタを知ってるか?」と言う。
なんと、彼女はインスタ上で彼に出会い、
同じブルガリア出身で7年前からロンドンに住んでいる彼と
結婚するために、英国にやってきたのだという。
出会ったのは去年の秋。
驚いた。結婚適齢期はそれぞれのお国柄があるだろうが、
この果断さ、行動力については国境を超えたパッションを絶大に感じる。
物腰は大人しめなのに、ふつふつと燃えたぎっている。
家では、ブルガリア語、トルコ語、英語が飛び交うという。
クラスの中でもっとも控えめに見えた彼女は
実はもっともアグレッシブな女性だったのだ。
放課中に旦那さんと少し話したが、「結婚の時は大変だったよ」と言う。
てっきり家族の反対とか、そういうことかと思ったら、
「彼女が乗った飛行機がなかなか着かなくて」と言っていた。
唖然とした。「おめでとう!」と言うのが精いっぱいだった。
2022年6月 9日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑足元に転がるチープなカップにより、ポンドが動くのだ
昨日は会議が無くなったので、午後に時間ができた。
そこで、Albanyには行かずに美術館に行く。テート・ブリテン。
ダイアンが一番好きだというターナーを観に行った。
ロンドンの美術館は巨大で、しかもここは無料だから、
こうして何度でも来ることができる。自分はじっくりと
絵を観て回るのが苦手だから、散歩がてら来て、
興味が湧いたコーナーだけを観、また別に関心が湧けば、
何度も来たらいいと思っている。
先週末の連休で力尽きたとみえ、ロンドンの都心は静かだ。
実に歩きやすい。こういう時は逆にベタなルートで
歩いてみようと思い。ウェストミンスターからロンドン・アイという
巨大観覧車に向かう橋を渡ってみた。
そこに面白いものが。
橋の中腹で、数人を相手におじさんが張り切っていた。
三つのカップに球を入れ。カップの並び位置をサッサッと変える。
さて、球を入れたカップはどれでしょう?
というお馴染みのマジックをやっていた。
面白いのは、ここにお金がかけられることだ。
当たると賭け金が倍になって戻り、外れると賭け金を没収される。
恐ろしく分かりやすいシステムだ。
興味本位の人が参加して、おじさんはけっこう負けていた。
球のありかがさほど難しくなく分かるのだ。
しかし、少し離れた位置から眺めていると、
そのうち、勝っている何人かがおじさんの仲間だとわかる。
そして、通行人を誘って、その人が大きく賭けた時に初めて本気を出す。
この単純さに、ハマる人はハマってしまうだろうけれど、
なんだか、この分かりやすさといかがわしさ、簡単さとスピード感に
好感を持った。晴れ渡る青空のもと、観光地のど真ん中で
こんなことも行われている。きっと警察が来たら雲の子散らすのだろう。
ロンドンに溢れる人間味を、またひとつ発見できた。
2022年6月 8日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑この劇評にオレも撃沈。腹立つわ!
最近観た劇の中で一番おもしろかったのは
グローブ座の『ヘンリー8世』だ。
最近、というよりも英国で観たすべての劇の中で一番だった。
観劇前はくたびれていたのだけれど、
終わった後はあまりの面白さにすっかり元気になって、
すぐにまた来ようと思った。それくらいの興奮で帰ったのだ。
なのに、今朝、ダイアンが見せられた新聞評を観て驚いた。
三つ星。これがレストランなら最高位だが、劇評の場合は五つ星が最高。
二つ星以下を見たことがないから、要するに低評価。
文章を一生懸命に読んだが、あまり誉めていない。
これには落ち込んだ。
グローブ座はゆるい。
囲み形式の客席になっていて、天井は空いているし、観光地だし、
特に立ち見席は安くて日本円で800円くらい。座る席は高いけれど、
立ち見は極端に安い。だから、疲れて途中で帰ってしまう人もいる。
そういう環境に立ち向かっている俳優たちは、
みな、シェイクスピアのせりふを言いこなす技量があるとともに、
ゆるくて、どこか芸人的だ。観客とのコントタクト多めだし、
それでいて、いざという時には熱演して、聴かせる。
反面、ダレ場の抜き方も心得ている感じがする。
ムラもあるだろうし、あまり芸術家然としていないところが
むしろ自分は好きで、大らかな人間の自然を感じる。
その中でも、『ヘンリー8世』は出色の出来だと思った。
前に観た『ジュリアス・シーザー』チームには悪いけれど、
座組みも、予算投下も、何よりアイディアが格別だった。
下ネタのオンパレードだったから、それが文句言われている
ようだけれど、それらは山田風太郎的で、大笑いして見ながら、
大好きになったのだが。
やっぱり劇は、リビングルームで満たされぬ家族や性を
じくじくと悩んでいなければならないのか、と疑問に思う。
ロンドンではここに人種の問題が加わる。
当の『ヘンリー8世』は、最後に生まれるエリザベス1世を
黒人の女優が演じていて痛快だった。
巨大なキャラクターや大きな物語。
それでいてバカバカしい公演に触れたいと思っている自分には
あの三つ星が五つ星以上に見える。
もっと観に行きたくなった。
10月まで飛び飛びで、レパートリーシステムでやっているから。
新聞の低評価を受けて、むしろあれを応援したいと思う自分の心が
燃え上がっている。
2022年6月 7日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑向こうの方にグランドピアノが見える。天井が低い!
先日、ピーター・フィッシャーに誘われて面白い催しを見た。
会場はペッカム。なかなかガラの悪い場所で、語学学校の同級生は
この街でケータイを擦られた。駅前の歩道はゴミの散乱がすごい。
それで、迷いながらフラフラとナビを頼りに進んだら、
ゲームセンターみたいな建物の裏手にたどり着いた。
名門フィルハーモニア管がこんなところでやるか!
っていう場所で、立体駐車場の上の方でたった1時間の
コンサートをやるという。
どうせ客は少ないだろうと舐めきって受付に行ったら
完売だと言われて返り討ちに遭い。しょげていたところを
ピーターのショートメールが助けてくれた。
これを見せろ!と。
で、スマホのモニター見せたら、
仕方ないなあと正価で入れてくれた。ああ、友よ!
入っていってのけぞった。
こんなんで満席って頭おかしいんじゃないか、と。
どんどん入れりゃ、いくらでも入るような隙間がいっぱいあって
演奏が始まってからも壁が吹き抜けてるから、ノイズだらけ。
近所を通る国鉄の軋みはすごいし、周囲のゲームセンターの放送も
元気よくなだれ込んでくる。
一方、肝心のフィルハーモニア管は、
大男だったら頭擦っちゃうんじゃないかという低い天井の空間で
ノイジーなスクリャービンを2曲弾いた。
『法悦の詩』『プロメテウス』という、
どっちも官能性充分、ノイズも充分という曲なので、
周囲の雑音と妙にマッチしちゃって、後ろの方の聴衆はみんな
ケータイかざして聴いてるし。心から堪能した。
まざまざ思い出したのは、
自分の青テントの舞台を後ろの方から眺めているあの感覚。
同時に、オレたちはいつも周囲のノイズにハラハラしてたけど、
案外と観客は平気なもんだって気づいて、開き直りも含めた
無頼な気持ちになった。
こんな感じでここれまでやって来たし、
我ながらやっぱり好きだなあという確認。
他方、こういうのは忘れ難くて最高だけど、
一回性のイベントで処理されちゃうから、
本心からやりたいこっちと、作品を評価するラインに乗せた公演、
両方やらなきゃならんのだあということをこのオケから教わりました。
周囲のノイズに負けないために音圧を強くして、
反響しすぎる空間に対処するため、アーティキュレーションを
クッキリ。彼らの腕前もいつもより分かった公演だった。
音楽について、これは2度と無い経験だろうなと思う。
またテントを自分でやって味わおう。
2022年6月 3日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑ヘンリー8世の巨大な黄金マラに場内は大喜び
昨日は良い休日だった。
ウィリアム・ブレイクに関するいくつかの土地をめぐることが出来た。
生まれた家→洗礼をした教会→彫刻師としての作品が飾られた美術館
→創作が最高潮に達した時の家を渡り歩き、土地柄を把握できた。
地震のないロンドンでは、日本よりかなり多くの建物が保存されている。
100年前のビルは新しい、などというのは言い過ぎだと思うけれど。
ブレイクが暮らしたのは、いずれも都心の貧しい地域であることが
如実に実感できた。
自分には、彼のこじれっぷりが面白い。
現世的にはまったく成功できなかった人だから、
打ちのめされた彼は鋭くて巨大な内面世界を築いた。
普通、現代人は「経験」という言葉を肯定的な意味で使う。
「良い経験をさせてもらいました」10代の若者までもがこんな常套句を
使いこなす。
けれど、ブレイクは「経験」を悪しきものと断じた。
生まれた時が最高潮で、経験も人を汚すものだ、
そう考えて自分に閉じ籠り、そして死後に評価される結果を残した。
・・・と云うことが分かった時、
『無垢と経験の詩』というタイトルと、それぞれの詩の真意が理解できた。
唐さんが『吸血姫のテーマ』のベースにした『愛の園』もこの中にある。
ブレイクがこれを著したのは30代後半。当時、暮らしたランベスという土地は、
ロンドンの中心地であるウェストミンスターのテムズ川対岸にある。
ガラの悪い土地で、彼がここの自らの無垢を鍛えたことがわかった。
今後は、晩年を暮らした土地やお墓、たった3年だけ地方に暮らした
家も訪ねてみよう。
↓今の建物にもちゃんと印がある。
そして、夜にはグローブ座で『ヘンリー8世』を観た。
彼はエリザベス1世の父親だから、最後は女王が生まれるシーンで終わる。
世間とはまた違ったエリザベス2世へのお祝いを体感できると予想して
行ったのだけれど、果たしてその通りだった。
8人もの奥さんを渡り歩いたこの劇の一部がマラ祭り化していて
マジで面白かった。もう一度観たい下品さ、生演奏もあって豪華だし、
アイディア豊富な絶好調の公演だった。
観光地だと思ってナメてはいけない。
というか、お前らが観光でくるならオレたちはこんな風にやるぜ!
という風に舞台が観客をナメていて、それが良かった。
今日はこれから、黄金のカエル劇場の子ども劇→フィルハーモニア管の
『2001年宇宙の旅』コンサート→アンネ・ソフィー・オン・オッターの
ナイトコンサート。初めての3本立てだ。
2022年6月 2日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
今日から週末までイギリスは連休になった。
本日木曜はもともとの祝日で、明日金曜も休みにして4連休とし、
在位70周年を迎えるエリザベス女王のお祝いをする週末にしたようだ。
私がこれを把握したのは最近だったため、
何か拍子抜けしたような感じで今日の朝を迎えた。
ポカンと予定が空いたので、身辺を整理することに使おうと思う。
こういう時に気を抜くと、あっという間に夕方になり、
ああ、1日を無駄にしてしまったと後悔に苛まれることになる。
まず、部屋の掃除をしよう。
最近はよくチーズを買って食べるようになった。
物価の高いロンドンで安いのがチーズやアイスクリームだが、
後者は恐れをなして食べていない。あの味を思い出して
際限がなくなってしまうことが目に見えているので、
4ヶ月間食べずにきている。
チーズはカバンの中に忍ばせておいて、お腹が空いたらかじる。
これは便利なことに気づいたが、パルミジャーノがボロボロと
こぼれることがあり、部屋の掃除は必須である。
次に英語の練習をする。
これは日本にいた頃から続けているもので、
ネイティブの人が喋っているのを追いかけてこちらも発語し、
完コピを目指すというもの。そうすることで、しゃべり言葉が
何を示しているのか、そのパターンを自分に叩き込む。
「洗濯機」という言葉を知っていても、日本人は口語で
「せんたっき」と発話する。「せんたっき=洗濯機」と体感したり
「それで、その時は」→「んでそんときは」となることを自分の中に
蓄積しないと、人の会話についていけない。
その次は傘を買いに行こう。
これはすでに4代目だ。イギリス人は傘をささない。
強風ですぐに壊れるからというのが理由のようだが、
私は日本人だし、アウェイで風邪をひきたくないから、
この予算投下を惜しめない。だいたいが粗悪品だが、
代替わりするごとに、あるホームセンターで売っている品が
強度と値段に満足できるものだと気づいた。あれを買いに行こう。
その次は都心に出る。
美術館は昼間にしか開いていないので、そのどれかに行けたら
しめたものだ。あるいは、最近ハマっているウィリアム・ブレイクの
生家や過ごした家を訪ねてみたい。ふと、気づいたのだが、
彼はロンドン指折りの繁華街であるソーホー出身で、
4月に帰国したサウジアラビア人のヤジードは
タイガー・タイガーというソーホーのナイトクラブが好きだった。
Tyger Tyger・・・、ブレイクのもっとも有名な詩の書き出しである。
ナイトクラブの創業者のセンスはたと気づき、興味を持った。
イギリスの建物には、そこここに青いマーク(プラーク)がついていて
過去の偉人との関係を教えてくれる。
夜はグローブ座に行けたら良いと思う。
『ヘンリー8世』がやっていて、歴代国王の中で抜群のキャラ立ちを
誇る彼について、シェイクスピアが書いたものだ。日本にいたら、
演目的にはマイナーでなかなか観ることができない。
今週、王室について体感するに、良い選択であるようにも思う。
さあ、ここに書いた。これから上記の予定をこなしていこう。
2022年6月 1日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑この喫茶店で過ごしていると、次から次へとピーターの友だちが
やってくる。昨日はソファの特等席に座れて特に根が張ってしまった。
昨日は朝と夕方にAlbnayで予定があり、途中が膨大に空いたので、
フィルハーモニア管の海外ツアーを終えて帰ってきた
ヴァイオリニストのペーター・フィッシャーと喫茶店で落ち合った。
主目的は、彼の新譜をもらったり、前回聴いた彼のコンサートについて
話すことだったのだけれど、自分の好きな音楽とか、今後に構想している
お互いの仕事の話になって、完全にとりとめも無くなってしまった。
私のパソコンからピーターを始めとした様々な音楽を再生して
遊んだりした。当然、お互いが生きてきた過去についても話は及ぶ。
ピーター・フィッシャーのヴァイオリン演奏は凄いと思う。
けれど、ロンドンで彼がメジャーかといったらそうでもない。
でもやはり、ひと目見た時から彼は凄いと私は思う。
ソロで活動し、室内楽団を率い、名門フィルハーモニア管に
エキストラで呼ばれながら、彼は生活している。
話の流れで、自分の子ども話をして、あなたはどうなのか?
と訊いたら、独り身だそうだ。子どもをつくるには歳を取りすぎたよ、
それに家族と子どもにはお金がかかる、もう60歳だ。
いつも陽気でパワフルな彼はそう言って、少し寂しそうだったけれど、
あとは、ひたすら楽しく、時にダラダラと話した。
途中には、お互いがケータイの向こうの知り合いにメッセージを
打っているだけの時間もあった。それでも許される感じが
とても居心地が良い。
彼の友人ダニエルのお店の雰囲気も相まって、
午後の4時間をここで過ごした。この居心地の良さときたら。
ロンドンで一番なのではないか。
ミミ、エリザベス先生、ダイアン、ピーター。この4人は格別だと思う。
正直、自分は外国への憧れが強くないし、
家族と劇団員、親しい人たちがいる日本での生活の方が好きだ。
何かあればいつ帰っても構わないくらいなのだけれど、
この4人と別れるのは相当に堪えるだろうと、既に今から思う。
だからこそ、一緒にいられるうちに存分に過ごしたいと思う。
ピーターは私が通っているフォークソングの集まりに興味を持った。
まさか、バリバリのプロである彼を、連れて行くことになるのだろうか。
2022年5月31日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑グラインドボーン音楽祭の庭
↑我がThe Albany Theatreの庭
『腰巻おぼろ 妖鯨篇』研究を終えてから1週間が経つ。
台本に取り組んでいないと予定に余裕が生まれる。心にも余裕がある。
先週末はブライトンのフリンジ・フェスティバルに行ってショーを見、
ケッチさんに会えた。ケッチさんの出番は短かったけれど、
そのかわりケッチさんの勧める若手女性クラウンの素晴らしい出し物を
見ることができた。このショーの感想を間に置きながら、
私たちは来年2月に創る舞台について話し合った。
その後に泊まった海辺のドミトリーは8人相部屋で面白い経験だった。
帰るのは夜中だし、朝早く起きてエントランスの広々としたカフェで
仕事をした私は、むしろ彼らに迷惑をかけた側だったと思う。
朝になっていそいそとタキシードを取り出し、
四苦八苦しながら慣れない身支度をする私を笑いながら見守ってくれた。
案の定、芸人か、友人の結婚式に備えているだと誤解された。
ちなみに、ミス・ダイアンには帰ってからこの宿泊体験を報告した。
ブライトンはゲイの街だ。そう断言する彼女に事前に宿泊先を告げたら
猛反対されたに違いない。私としては、グラインドボーンという
貴族的な土地へ赴くことへの禊としてここに泊まったのだ。
シャンパン片手にドレスアップしてピクニックを楽しむだなんて、
名古屋の地方公務員家庭に育ち、テント演劇に明け暮れてきた
自分には耐えられない。
そしてグラインドボーン音楽祭。
タキシードその他、ドレスコードを満たす準備や、
生き帰りの方法について調べるのは大変だったけれど行った甲斐があった。
この小旅行にはやたらと膨大な待ち時間がつきまとうから、
林あまりさんが教えてくれたチャペックの『園芸家12ヶ月』と、
ウィリアム・ブレイクの本を読んだ。数年ぶりにのんびりできた。
以前にのんびりしたのは、親知らずを抜くために入院した時だ。
グラインドボーンは想像していたよりもずっと人間味があって、
嫌な感じはせず居心地が良かった。演奏はいつも聴いている
ロンドン・フィルで、相変わらずわんぱくな弾き方だ。
何より、イギリスの女流作曲家エセル・スマイスの
『The Wreckers』という演目と、新たな演出が良かった。
レッカーズ、つまり"レッカー車"の"レッカー"には
"故意に物事をダメにする"という意味がある。
20世紀の貧しい漁村の共同体の中で、不倫関係を貫く男女が描かれる。
僧侶の言葉も村人の忠告も彼らは振り切り、やがて心中を選ぶ。
こんなオペラだから、衣装はジーンズやオーバーオールが目白押しで
ひどく簡素だけれど、これはブリテンの『ピーター・クライムズ』と
ワーグナー『トリスタンとイゾルデ』を掛け合わせた作品なのだ。
民主主義下の大衆の圧力にも、宗教的な抑圧にもヒロインは屈しない。
イギリス人にも関わらず、イギリスの地方都市を舞台にしたオペラを
フランス語の作品にしたスマイスの反骨心が溢れていた。
彼女はレズビアンだったらしい。女性の闘争心が全開のオペラ。
演出もそういう要素をさらに先鋭化させていて痛快だった。
休憩時間には、ウィンザーからきたという常連さんのおじさんに
話しかけられて、楽しく過ごすことができた。
ビルギット・ニルソンを生で聴き、マリア・カラスに会ったことが
あるという彼は、大の音楽ファンで、一年で何回か、ここに来るそうだ。
最近の歌手には不足を感じるとこぼしていた。
彼は手荷物を庭に置きっぱなしにして客席に戻る。
ロンドンの喫茶店では、トイレに立つ時には全ての荷物を
持っていかなければならない。それと、ここでの人々の振る舞いが
好対照を成していた。誰も盗みなんかしない。なんと贅沢な。
してみると日本は豊かだ。落とした財布が返ってくる世界。
私はと言えば、売店でこの音楽祭の過去公演CDが1枚5ポンドで
叩き打っているのを発見し(定価30ポンド)、狂喜して大量買いした。
まるでディスクユニオン。この買い物には本当に満足した。
無事に深夜に帰って翌日。朝の本読みWSを終えた後、
今度はオールバニーの庭でのアフリカ音楽フェスだ。
巨大スピーカーを持ち込み、街中に響き渡る音量でガンガンにレゲエを
かけていると、オシャレした若者たちが集まり、踊り始める。
参加無料のイベントだが、酒やスナックが飛ぶように売れる。
面白かったのは、トイレの数が全然足りず、若い女子たちが茂みに
飛び込み、ギャハハと笑い合いながら用を足していたことだ。
そしてまた踊りに戻る。若さと健康を撒き散らしていた。
グラインドボーンとオールバニー。
表面的にはぜんぜん違う両者は、しかし、
劇場、庭、オシャレ、飲み食い、音楽という衝動において
まったく同じ欲求に根ざしている。どちらかを侮るなかれ。
オールバニーを回りくどくするとグラインドボーンになる。
この回りくどさが文化だと、栗本慎一郎先生なら言うだろう。
日曜の夜は夜で、バービカンに行き、
ロンドン響とゴスペルのジョイントコンサートを聴いた。
いつもより格段に観客に黒人や子どもが多く、活き活きしたライブだった。
途中から立って踊り出す人さえいた。
昨日で、渡英してから鑑賞したものが100本に達した。
2022年5月27日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑なぜか道端にナイフが落ちていた。日本ではあまり見ない。
今日はAlbanyで予定されている会議が直前でキャンセルになった。
これまでもこういうことはあったのでさして驚かないが、
何か発言を求められるかも知れないと身構えているこちらとしては、
多少は拍子抜けした。
AlbanyやWe Are Lewisham絡みで見聞きしたものを中核にしつつ、
不慣れな異邦人として、この界隈での生活全般についてお届けする。
私に与えられる時間というのは、みんなにとってはリラックスタイム
だろうから、せめてここだけは面白くありたい。
シニアたちとの交流においては、あそこに行け、ここに行けと
指示を受けるので追っかけて回って、翌週に再開して話すのを
楽しんでいることや、ドキュメンタリー演劇づくりでは、
いきなり人生のヘビーな話題が目の前で展開したので
面食らった話をしようと思っていた。
来年に日本でつくるキッズプログラムに、
Albanyでの観劇体験が生きるだろうことや、
週末のグラインドボーン音楽祭に向けて七転八倒したことも
伝えたかった。側から見たらずいぶん間抜けだろうが、
こっちは必死だ。唐ゼミ☆の運営や大学〜劇場の仕事の中で何度も
壁を感じたことがあったが、今回のは種類が違った。
荷造りから各種の予約から、すでに準備はあらかた終えたけれど、
決して油断はできない。現地で、どれだけ所在ないだろうかとか、
終演後のバスにきちんと乗れるかどうか、電車の駅から間違えずに
ロンドンまで戻って来られるかどうか。とにかくトラップだらけだ。
ところで、久々に語学学校が面白い。
さほど英語が進歩しているとも思われないが、
新入生としてやってきたドイツの青年たちが楽しませてくれる。
彼らの英語はスピーディで、発音も綺麗に感じる。
それでいて、休憩時間に一緒にコーヒーを買いに行きながら話した
エリザベス先生に言わせると、文法はメチャクチャなのだそうだ。
それを計るだけの技量は、自分にはまだない。
授業中に日本の話になり、節分の可笑しさについて説明した。
鬼の格好をする。豆を投げる。年の数だけ豆を食べる。
このくらいまでは良かったが、恵方巻きの説明はひどく難しかった。
ノンカット・スシロールのサイズ感は、彼らに分かりにくい。
一通り話すと、今度はドイツ人青年アレックスが、
タケシ・キャッスルが好きだと言い出した。要は「風雲!たけし城」だ。
あれ、ヨーロッパでも放送されていたんだ、と驚いたが、
トラックにパンツを引っ張られながら走るゲームの、
たけし軍団が力尽き、スピードに負けて皆が全裸になってしまう面白さ。
あれを伝えきれず悔しかった。英語は難しい。
2022年5月26日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑曇天だったし、花も盛りを過ぎていた。左下の紫の花はイチハツ。
↑こういうのを見ると、造園家は、自分にできるはずだと思うらしい。
イギリス人の園芸にかける情熱、あれは一体なんなのだろう。
彼らは本当に熱心に造園する。古い建物を大事にするから
自ずとリフォームも多く、出来るだけ自分の手でやろうとする。
楽しみなようだが、週末は庭づくりで大変だった、などとミミは話す。
何か、マゾヒスティックな快楽が潜んでいる感じだ。
Albanyでは、新たに参加するべきプログラムが一つ増え、
これで、月・火・木にルーティンを持つことになった。
英語にも慣れ、しゃべっている雰囲気は醸し出せるようになった。
土地勘も備わり、楽である。
シニアの中には毎回熱心に話しかけてくれる人も現れ、
こちらはもっぱら聞きやくだ。あまり複雑な話はできないから、
そのほうが私も助かる。
WSに参加する中で一人、ボランティアスタッフの女性が
自作の絵画をプリントしたオリジナル葉書にメッセージをくれた。
そこにはチャールトン・ハウスを訪ねるべし、とある。
チャールトンと言えば、同名のフットボール・クラブを頂く土地だ。
今まで訪ねたことはなかったけど、語学学校から歩いて30分強。
次に彼女に会う来週火曜までに行きたいと思い、授業後に向かった。
郊外型の巨大商用施設を横目にスタスタと歩き、
チャールトン・ハウスにやってきた。建物を囲む公園がデカい。
ベストコンディションでは無いものの庭があり、
なかなか大きな建物があって、サンドイッチを食べたり、
資料展示室で説明を聴いたりした。
カントリーハウス。そう呼ぶらしい。
この地域にはカントリーハウスがたくさんあるらしいのだ。
ここから先は私の推測だが、グリニッジ公園にある
エリザベス1世の別荘クイーンズハウスといい、
ロンドンのセントラルからテムズ川沿い南西のこの地域は、
幾多の来客に備えた屋敷を必要としたのではないか。
飛行機もユーロスターもない時代。
ヨーロッパの大陸からロンドンを目指したかつての人々は皆、
このルートを通ったはずである。かなりゆっくりとしたペースで
人々は行き交っただろう。
式典へのご招待ともなれば要人もいたはずだ。
自分はこれまで、花鳥風月への興味に乏しかった。
が、ロンドンに住み、ダイアンの渡仏の間に庭に水をやったりして、
興味が湧いてきた。ロンドンには巨大な公園がたくさんあるので、
ここを通り過ぎる時間を楽しくしてくれるとも思い、
花の名前を調べるアプリをダウンロードした。
これからは、いろいろな花の名前を調べて回りながら、
匂いも嗅いでみるつもりだ。ジャスミンの香りは確かに良い。
明日〜明後日のブライトン行きに備えて、グリニッジ駅で電車の切符を
買うなどして準備している。きっと様々な植物にも会うだろう。
2022年5月25日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑2016年に補陀落寺を訪ねて撮った写真。この小さな船に和尚さんを
乗せて、太平洋に送り出すらしい。
ものすごい時間がかかった。
さすが最長作品。こんなにもかかったのは初めてだったが、
2回り読みこんでかなり把握することができた。
執筆当時、よくこれだけの内容が頭に入っていたものだと眩暈がした。
唐さんは頭パンパンで、はち切れそうだったんじゃないか。
追いかけるだけの私も、最後の方は冒頭からの情報と緊張を維持しながら
読むのに苦労した。気をつけないと、すぐにその場で起こることだけに
飲まれ過ぎてしまう。
誰も彼もが死んでいるような世界で、文字通り死中に活を見出そうと
するのがこの台本だ。『唐版 風の又三郎』を書いてしまってから、
『唐版 滝の白糸』『夜叉綺想』そして『腰巻おぼろ-妖鯨篇』と、
まるで魅入られているかのように死の影が濃い。根っこが暗い。
本読みワークショップでこれを展開したならば、5ヶ月かかる量だ。
大物が終わって、少し解放されている。
もう6月が近いというのに、イギリスは暖かくならない。
今日など雨が数回にわたってドカ降りし、冬に戻ったかのような冷え込みだ。
暑さが苦手な自分には過ごしやすいが、この気候にはさすがに驚いている。
自分は1月末に来たものだから、英国の本当の冬を知らないように感じる。
1月や2月はどんなものだろうか。サマータイムの終わりが10月末だから
急激に日没が早くなり、きっと昼間がすごく短い体感になるだろう。
研修を2月スタート、12月終了にして良かったと思う。
同じ11ヶ月でロンドンの気候なら、冬場をカットできた方が良い。
台本を読みながら、何度も新宮を思い出した。
あそこには石川淳の『補陀落渡海記』のもとになった補陀落寺があって、
一定年齢に達した和尚さんを流すという船を見に行ったこともある。
それにしても、ある年齢になった住職は
補陀落(仏教における伝説の山)に向けて旅立たなければならない。
ひとり船に乗って太平洋に漕ぎ出し、信仰に範を示すため、
拒むことや止めることは許されない。・・・恐ろしい習慣だ。
『普賢』の好きな唐さんのことだから、影響があるかも知れない。
『補陀落渡海記』の主人公は、先ほどの習慣に抗う。
補陀落に行けるなどというのは迷信、自分は生きたい、
追い込まれた主人公はジタバタして渡海の途中で逃げ出すが、
結局は村の人々に見つかって殺されてしまう。
おぼろはかなりジタバタして、生き延びる。
最後のシーンは生きるということへの執着を見せつける大仕掛けの
場面だが、これはどうしたものか・・・。唐さんのイメージはわかる。
けれど、『盲導犬』で犬が飛ぶようなもので、難儀しそうだ。
上演を目指すとしたら、一番にクリアしなければならない問題だ。
2022年5月24日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑一昨日に行ったジャマイカ音楽のライブを以って、
渡英以来、鑑賞してきたステージ数は92になった。92/112日。
イギリスに来る前、同じ文化庁の制度を使ってフランスで研修した
先輩演劇人に「自分は200本観た。その全てに鑑賞の記録を取ってあり
今も時々見返すことがある」と聞いた。それに感化されて、
数も、記録も素直に真似することにした。
しかし、今後は少し本数を絞ったり、工夫しようと考えている。
週末にロンドン近郊のブライトンに向かうのを皮切りに、
いよいよ遠出しようと計画しているからである。
遠出すれば、交通や宿泊代がかかる。
食事だって近所では安く済むけれど、かさむに違いない。
きっかけは週末に予約したグラインドボーン音楽祭だ。
金曜にブライトンに行き、フリンジに参加しているケッチさんの
参加するショーを観て一泊する。
先にFacebookで発表したが、プロデューサー・テツヤの剛腕により、
帰国後、2023年2月に『3びきのこぶた』を原作にキッズプログラムを
演出する。ケッチさんこそ、その出演者なのだ。
こちらは一方的に存じ上げてきたけれど、初対面だ。
そして、翌日はブライトンから電車で20分のルイスに移動し、
そこから送迎バスに乗ってグラインドボーンに行こうと計画した。
ところが、新作オペラに惹かれて予約した後、
この音楽祭には、今まで自分の人生には経験の無かった
「ドレスコード」があることが分かったのだ。かなり狼狽えた。
男は絶対にタキシードが必要なのだそうである。
これに対し、自分は「スーツ タキシード 違い」とググるところ
から出発しなければならなかった。襟が違うらしい。
すでに予約してしまったので、諦めたらチケット代が無駄になる。
そんなことは許されないし、何より自分が情けない。
日本にいたら唐ゼミ☆の衣裳を動員するのに・・・
何とか希望を繋いで、庶民の味方、
ルイシャム・ショッピングセンターのTK-Maxに行った。
ここは結構なハイブランドの売れ残りを結集させた店だ
ひょっとしてタキシードが無いか探したが、もちろん無かった。
それによく考えたら、ズボンの裾上げが間に合わない。
悲嘆に暮れてダイアンに打ち明けたところ、
「Boss Brosでhireすべし!」と言われた。レンタルがあるらしい。
昨日、朝の語学学校を終え、午後にエンテレキー・アーツのすごく
高度なシニアのドキュメンタリー演劇創作に立ち会った後、
夕方にBoss Brosに殺到し、対応してくれた女性のベテラン店員に
「オレ、グラインドボーン、分からず、予約した」と伝えたら
すべてを察して、一発でジャストサイズを見繕ってくれた。
金曜の昼過ぎに受け取りに行った時、蝶ネクタイのつけ方も教わる。
果たして帳尻は合うのだろうか。
こういうこともあって、今後はできるだけ、
無料で入れるミュージアム、教会でのイベント、読書に精を出そう。
タダだけど、ロンドンではすごく良質なものに触れることができる。
そして、ストラトフォード=アポン=エイボン、コーンウォール、
バーミンガム、エディンバラ、ウェールズなどを目指すのだ。
2022年5月20日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑テツヤとの対話。ここで話しながら企画が生まれた。
劇団をやり、劇場で働く。
主宰と演出をし、コミュニティワークと劇場運営を身につける。
目下わたしが行っている取り組みだ。
今日は演出家としての話題。
コロナ以降、配信番組をつくってたびたび対話し、
去年のお盆には太田省吾さんの『棲家』リーディング公演を
一緒に行ったプロデューサー・テツヤから、
新たなお題が来た。キッズプログラムをつくろう!
今日が情報解禁日で、詳細はコチラ↓
http://yorunohate.net/
オオカミだ!- 『3びきのこぶた』に出てくるオレの話 -
日にち:2023.2.18.sat,19.sun
会 場:本多劇場
「第33回下北沢演劇祭参加作品」
出演:ケッチ
演出:中野敦之
企画製作:ヨルノハテの劇場
主催:合同会社ヨルノハテ
原型は『3びきのこぶた』。
去年の終わり頃、テツヤはこの童話とロシア文学を並べて
「どっちがいい?」と訊いてきた。
ロシア文学は好きだけど『3びきのこぶた』と即答した。
ロシアの方だとつい難しぶったり、カッコつけそうで良くない。
『3びきのこぶた』の方が逃げも隠れもできない感じがしたのだ。
ひたすら子どもたちのための劇をつくる。
そう思ってより平明な方を選んだつもりだったが、
なかなかどうして、このイギリス産の童話には、英国の人たちの
生活に根ざしたメッセージがあることがロンドン暮らしの中で
わかってきた。
ただ一人の出演はケッチさん。
これはすごい。テツヤの剛腕だ。
すっかり張り切って、今から構成台本製作や演出プランを
つくっている。年末には、帰国後すぐに稼働できるよう体調を整える。
初めてキッズプログラムを演出する。
初演以降の展開もすでにテツヤは狙っている。すごいぞ、テツヤ!
2022年5月19日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
イギリスの食事は不味いと言われるが、自分はそうじゃないと思ってきた。
前にも書いたが、フィッシュ&チップスは美味いところは美味い。
パイ&マッシュに付いてくる鰻の煮凝りも、ほとんどの英国人は
気味悪がるが、自分は大好きだ。野菜中心のインド料理も良いし、
かのイングリッシュ・ブレックファーストは豪勢だ。
イタリアンとかハンガリーとかアラブの料理もある。
ともかくも自分は満足してきた。しかし・・・
最近、パリに住む日本人の知り合いと会う機会があった。
そこで自分は、グリニッジで気に入っているパン屋の
チョコレートケーキとハニーケーキを差し上げることにした。
これらは間違いない。そう自信満々に思っていた。
が、彼女が勧めるパリのクロワッサンをひとかじりして、
これは勝負にならないと思った。ダイアンが好きなので、
毎週日曜の朝はクロワッサンを食べているが、格が違った。
時間も経っているのに、驚異の美味しさである。
それに、このレベルの店はざらにあり、値段はロンドンの半額だという。
この衝撃は、例えばこんな感覚。
小さい頃から大好きな『北斗の拳2』には、
中国大陸に渡ったケンシロウをたちを待ち受ける敵がいる。
そのちょっと前にケンシロウと互角に渡り合った元斗皇拳の
ファルコがその敵と闘ったわけだが、死力を尽くして相打ちがやっと。
問題はその敵が、中国大陸に無数にいるザコの一人に過ぎないことだ。
そのことを死にゆく彼が告げた時の絶望感といったら無かった。
子ども心に戦慄し、ケンシロウの今後を思って天をあおいだ。
・・・という時のことを思い出した。恐るべしパリのクロワッサン。
さらに、今となっては私が差し上げたふた品が心許ない。
彼女は美味しいと言ってくれたけれど、別のものにすりゃ良かったかな。
2022年5月18日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑みなさんよく体を鍛え、ビジュアルのセンスを磨いている人たちだった
日本でいうところの知的障害、英国では学習障害者のための企画。
高齢者のための創作企画。こういったものにレギュラーで参加できる
ようになってきた。彼らの英語は容赦ないわけだが、
話しかけられたら何とか返事できるようにもなってきた。
わからなくても、今こんなこと言いそうだな、と推測して返事する。
トンチンカンな受け答えかもしれないが、こちらにそれは分からない。
分からない側の強みってあるよな、と自分を励ましている。
開き直るところまではさすがに行かないけれど。
そんな流れの中で、LGBTの人たちが大集合する
ファッション&ダンスのイベントに行ってきた。
これもルイシャム区とAlbanyの企画なのだ。
コロナによる行動規制が多い日本からすれば
考えられないほどの密着と熱狂だった。
みんな、ここぞとばかりに思い思いの、
大概は露出度の高い格好をしてランウェイを歩き、踊り、歓声を上げる。
初めは目を丸くしたが、しばらくいると、警備員の多さに気がついた。
そういえば、入口のチェックもかなり厳しかった。
チケットはもちろん、荷物も。サイトを見れば、
犯罪行為する人はつまみ出しますよ、と強調してある。
これを見てわかってきた。
彼らは強面に見られがちだ。
旧世代からすると鼻じらむようなイベントかもしれない。
けれど、よく考えてみると、彼らはなかなか苦労多き人生を歩んで
きたのかも知れない。自分の好みをに気づくのに時間がかかったり、
思いを打ち明けるのにハードルがあったかも知れない。
そして、それを素直に発露できる場所に行こうとすると、
どうしてもそこは都心であり、ドラッグや犯罪に近づいていくことに
なりかねない。誰だってそんなのは怖い。
そんな危険に自ら近づきたい人はいない。
だから、公共の仕事で安全性を確保することが大事なのだ。
格好は奇抜に見えたとしても、それは趣味の問題だから、
内面が暴力的だということには全くならない。
ところで、公共の仕事というものは、どこかソフトに
行儀よくなってしまいがちだが、このイベントにはそんな要素は
微塵もなかった。一見するといかがわしい。それが彼らを存分に
燃焼させる。けれど、安全である。健全である。
良いイベントだと感心した。
2022年5月17日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑大好きな真横の席から
『唐版 風の又三郎』浅草公演が終わった後、
私と林麻子はサントリーホールに行った。
林は音大のピアノ科を出ていて、その能力を活かして
劇中歌ワークショップを行っている。彼女は内田光子さんが
好きだそうなので、それで初めて生を聴きに行ったのだ。
私が内田さんのCDを初めて聴いたのは大学1年生の時で、
当時、横浜国大の先生だった許光俊さんの本『クラシックを聴け』
の中で、内田さんのモーツァルトのピアノソナタへの解説があった。
あの本はいまもしばしば読み返す。
自分にとっては、時間芸術とは何かを教えてくれた本。
渡英後に気づいたのはロンドンでの内田さんのリサイタルの多さ。
彼女にとってここは地元だ。だからけっこう頻繁に、
それもあまり高くない値段で聴くことができる。
オーケストラとの共演も、ソロでの演奏も、すでに何度も聴いた。
最も印象に残っていうのは渡英直後に行ったモーツァルトの協奏曲の
演奏会で、アンコールに呆然とした。モーツァルトK.545ソナタの
第2楽章のみ。人の人生を数分間に叩き込んだような演奏に、
打ちのめされた。
そして昨日も、それとは別の素晴らしい経験をした。
室内楽やバロック音楽用のウィグモアホールで、
内田さんはテノール歌手のマーク・パドモアの伴奏をしたのだ。
パドモアは当代随一のテノール、
彼の声の爽やかなこと理知的なことは見事なもので、
昨日、彼はこれまで見たどの時より格段に燃焼していた。
それは、内田さんの伴奏があったからだ。
とにかく煽る、煽る。
いま、パドモア相手にあんなに攻めの伴奏が
できるのは内田さんだけだろう。
それでいて、歌詞が終わって伴奏だけになると、
今度は内田さんがあっという間に主役になって、
アップダウンの強い、ロマンティックな演奏を繰り広げる。
達人同士が燃え盛っていた。
伴奏は大事。
神奈川には竹本駒之助師匠という娘義太夫の人間国宝がいて、
師匠の人間描写の徹底した味付けの濃さと燃焼にはいつも唸らされる。
そしてここでも、重要なのは三味線による伴奏。
伴奏はボクシングのスパーリング・トレーナーのようなもので、
ミットの差し出し方や位置で、次に打ち込むべき場所をリードする。
打ち手の力を何倍にも引き出すことができる。
僕らの芝居の音響や、集団シーンも同じだ。
せりふと音響、話し手と周囲が見事にキャッチボールする時、
人の力は何倍にも増幅される。昨日観たものは一生忘れないと思う。
2022年5月13日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑人種が入り乱れて、日本の会議より華やかに感じる。
ちなみにこれは自分の報告があると知る前で、人の多さに浮かれて
撮影した。直後に追い詰められるのをまだ知らない。
昨日は木曜。
学校を終えて電話や買い物をしながらAlbanyまで歩く。
劇場直前の十字路、先週に刃傷沙汰があった場所でまたケンカだ。
ただし今回は口論のみ。捨ててある段ボールをめぐって、
商店主とホームレスが激しく言い争っていた。
捨てられたばかりの段ボールを持って行きたいホームレスを
きちんと業者に持って行かせたい商店主が咎める。
「捨てたんだろう。なぜこの段ボールがお前に必要なんだ!?」
とホームレスの男は怒鳴り散らしていた。
周囲もやきもき見ていたが、暴力沙汰にならずに済んだ。
その後オフィスに行き、Albanyでの定例会議である。
いつものように末席に座り、フンフンと半分くらいしかわからない
彼らの話を聞いていた。15:00から1時間ほどこれは行われ
(英国の会議は短い)、わからないところは後でミミに聞く、
というのがいつものやり方である。
それにしても、対面とリモートが並行して行われてきた会議への
出席者が、今日は妙に多い。4月に加わった新人スタッフが
二人いるし、繁忙期が迫っているということだろう。
あとで自己紹介しようかな、と思っていたら、
一個めのトピックが終わった後で、いきなり全員がこちらを向いた。
聞けば、自分の番だったのだ。開始時間10分前に送られた会議進行の
メールをまじまじ見ると、確かにAtsushiとある。
「We Will Be Happy Hereについて報告してみて」と言われた。
確かに、皆は忙しいので自分が一番張り付いている。
それで、渡英以来もっとも大人数の前で喋ることになった。
これが恐怖との遭遇である。ビビったが、すぐに頭を切り替えて。
We Will Be Happy Hereがどんなだったか。
学習障害を持つ参加者それぞれによって、リハーサルの内容が
どう変わったか。かなり念入りに伝え、1980年台のファミコン的
世界であったこと、その時分に小学生だった自分にはそれがよく
わかるという話をした。
演出家のレベッカの一人一人に対する真剣さには驚かされる。
真のアーティストの迫力。アーティストであるが故に狂気も感じる。
プロジェクトに厳しく、参加者に優しい。
皆さんもぜひ土曜に見て、参加者それぞれによって生まれる
世界の違いを見てください。この企画の一人への向き合い方に、
全ての人たちに開かれたメッセージがある、と伝えた。
ついでに、最近参加しているMeet Meについても話し、
初めはミミと「ミート・ミー」の区別がつかなかったことや、
参加者のシニアをお世話するどころか、むしろ英語の歌を教わり、
全員が英語の先生状態になっていることを告げた。
・・・ということで、10分以上しゃべったが、
皆は声を上げて笑ったり、ニヤニヤしながら聞いていて
それがまた自分を調子づかせた。いけなくはない。
終わった後は飲み会に誘われたので、当日券でどこかに行こうと
していたのをやめてこれに加わった。
ロミカと英国内で訪ねるべき場所について喋り、
文学少女だと分かったリヴと、イギリスの詩人や小説について話す。
それも20:00過ぎに散開となり(英国の飲み会はサクッと終わる)、
早めに家に帰って、頭が疲れたので22:00に寝た。
そして今日は、苦もなく5:00に起きることができた。
明日からダイアンが遠出するので、先日の庭の水やりに続き、
トイレ掃除の仕方をこれから教わる。
ちなみに、『腰巻おぼろ-妖鯨篇』2周目は絶好調だ。
一度目はとりとめもなく感じたせりふの中に、二度目は多くの伏線や
つながりを感じて、遥かに緊密に感じる。やってみたくなってきた。
2022年5月12日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
少し雨が降っただけでカタツムリ大量発生。1m四方に30匹以上いて爆笑
今日は雑感でいく。いくらか気になったことを。
(1)金芝河さんが亡くなった。
私は唐さんを通してこの方を知っているのみだが、
やはり1972年に始まった友情は熱い。
言葉の違う二人がどうやってコミュニケーションしていたのか
想像もできないが、きっと通じ合うものがあったのだと思う。
日韓反骨同盟。
この二人は揃って叛逆児だけれど、叛逆の種類が違うとも思う。
文化とは何か、という問答になった時、
金芝河さんは「闘争の結果である」と答えた。
対して唐さんは「瓦礫の前を横切る少女のくるぶしのようなもの」
と応じたそうだ。
・・・なんだか大上段な金時河さんを向こうに回し、
唐さんがとりとめもない感じもする。が、実際この通りと自分も思う。
背負っているものがあるから金時河さんは偉い。
けれど、唐さんにとって文化とは、人を驚かせる大いなるいたずらであり
チャームを持つものなのではないかしら。そんなことを思った。
(2)学校の友人がケータイを盗まれた
トルコ人の彼は、ここ二日無断欠席をしていた。
それが、今日は遅刻して悲壮な感じでやってきたのだった。
開口一番「先生、ごめんなさい。ケータイを盗まれてしまい」と。
続けて、ペッカムというまあまあ治安の悪い場所でバス停で
ケータイをいじっていたところ、黒人男性がそれをヒョイと
つまみあげ、走り去ったという。驚くべきは、彼がなかなかの
偉丈夫だということだ。背も高いし筋肉も多そう。
普通はもっとか弱い人を狙うと思うが、容赦なし。
自分にも緊張が走った。
(3)コインを拾いすぎ
いつかまとめて書くが、最近はもう確実に1日1枚+αのペースで
拾ってしまう。最も多くて1日に15枚拾ったことがあり、
先週の土曜は8枚、今日は13枚拾った。
特筆すべきは、あ、ここにホームレスの人が座っていた感じ、
というスーパーの前に、まとめて5枚が転がっていたことだ。
これはどうなのだろう? せっかく人がプレゼントしてくれたのに。
流石に「もっと必死になれ!」と怒っても良いのではないだろうか。
(4)アルメイダ劇場で新作劇『THE HOUSE OF SHADES』を観る
3時間の芝居を観ました。女流作家の新作書き下ろし。
20世紀後半のイギリス中流家庭が、共産主義にかぶれた息子を
力づくで更生させて無気力人間にしたり、娘が秘密裏に妊娠した
赤ちゃんをゴミ捨て場に捨ててでも表向き幸せを保つ。
当然ながら、対面を保っているものの、家族の誰もがいつも表面下に
ストレスを抱えている、という物語。
俳優は上手かったしスタイルも洗練されて、何よりアルメイダ劇場の
舞台後方のレンガの壁がカッコ良かったけど、はっきり言って趣味じゃ
なかった。ロンドンの人は実感を持って観ているのかなとも思ったが、
案外これは日本で数年後に翻訳されて上演していそうな気がする。
2022年5月11日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
昨日は二つの事業に参加して、劇的に理解を深まった。
3週前から通い始めたシニア企画「Meet Me」と、
学習障害をもつ人たちのための「We Will Be Happy Here」。
まず「Meet Me」だが、やっと事業の枠組みがわかった。
The Albanyには小ぶりな事務所がたくさんあって、
劇場本体の事務局や企画、技術などの部屋の他に、
レジデントしているアーティストや企画団体がたくさんある。
「Meet Me」はエンテレキー・アーツとこの劇場の共同企画なのだ。
なぜ今までそれがハッキリしなかったのかというと、エンテレキーの
スタッフが休暇中だったからなのだ。このへんが英国っぽい。
ちなみに私は、この劇場のどこかにエンテレキー・アーツという
団体があって、福祉的な文化事業をここが主導して行っていることは
日本にいた時から知っていた。しかし、今日に至るまで、ミミなどに
紹介を頼むのを避けていたのだ。
なぜかというと、ただ会っても話が続かなくてしんどいのが
予想できたからである。現場に潜入していけば会うだろうと
思っていたが、果たして今日がその日となった。
ロクサーヌとジャスミンという女性スタッフとシニアを迎えたり、
作業したりしながら喋るのは愉しい。親しくなったので、
これからは事務所にガンガン遊びに行くことにする。
今日はもっぱら合唱の部屋でローズマリーさんという名前のお婆ちゃんと
一緒に歌い続けた。彼女の楽譜を見せてもらい、時には英語の歌詞の
読み方を教わりながら参加した。
"見学です"などと硬い姿勢は現場にとって迷惑でしかない。
新人で、英語ができなくて、そういう自分なりに現場を活気づかせる
ことができると思っている。
私はすでに地元に詳しいので、彼女が住んでいる場所も検討がつく。
オススメの店を教わったり、ローズマリーさんのお孫さんの話を聞いて、
こちらの子どもの話をして、終了後も盛り上がった。
参加者の一人一人が、エンテレキー・アーツが提携している
病院=お医者さんの勧めて参加したそうだ。医療行為の延長として
ドクターは劇場プログラムへの参加を進める。
そういう信頼関係とシステムができているらしい。
午後は「We Will Be Happy Here」。
今週はその企画に注力すると聴いていたが、会議に出席しても
ウェブサイトを見ても、正直その内容がよくわからなかったものが、
今日のリハーサルを見て氷解した。
てっきりWSをすると思って劇場に入ると、すでにセットが組まれていた。
ホール1階には三つの部屋が作られていて、明らかに仕掛けがたくさん。
そこに3人のパフォーマーがいた。彼らが何かやるんだと思っていたら、
お母さんとお兄さんに連れられた青年がやってきた。
その物腰から、彼に学習障害があるのだと分かった。
それから、彼は3人の女性パフォーマーと体をほぐして、
マントのような衣装を羽織って、各部屋を巡り始めた、
モンスターと闘ったり、踊ったり、キーボードを演奏したり、
光るボールで遊んだり、絵を描いた紙を吊るしたり、
最後は真ん中の部屋で大きなロール紙が引き出されて、
そこに、「We Will Be Happy Here」という言葉が書かれていた。
この間、ずっとファミコンめいた音楽が鳴ったり、シーンに合わせて
照明が変化していた。
・・・つまり、こういうことなのだ。
このインスタレーションは、学習障害者ひとりひとりから
内面世界を引き出してホール全体に立体化したものなのだ。
河合隼雄さんの箱庭をスタジオ規模に大きくした。
そんな感じだ。物語の作り手である彼は主人公として冒険する。
明日には他の3人のリハーサルが行われ、明後日はまた別の人の
リハをして、そうして週末の発表に向かっていくことだ。
完全にピンときた。見終わって演出家のレベッカに会い、
「彼はTVゲーム好きなのでしょう?
ひとりひとりに合わせてカスタマイズするのでしょう?」
と訊いたら、そうだと返事が返ってきた。恐るべき労力だ。
だからこれは、個々のパフォーマンスもさることながら、
「わたしはあなたと徹底的に向き合いますよ」というメッセージを
発信するためのプロジェクトなのだ。
「この人と向き合ったやり方と深さで他の全ての人と向き合う」
というメッセージを贈る。執念と狂気を感じる企画だ。
レベッカから信念が噴き出している。そういう雰囲気の糸田。
お金がどうやって回っているか、とか謎は多いけれど、
上記のことが完全に理解できた。
この企画を主導しているのは劇団スペアタイヤ。
良い劇団名だ。スペアタイヤの事務所もAlbanyにあるので、
これからは遠慮なく訪ねさせてもらう。
もともと3ヶ月くらいかかると思っていたが、機が熟したを感じる。
この研修は第二段階に入った。
2022年5月10日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑人は優しい。先週末、前から気になっていたハンガリー料理を初めて
食べた。腕利きの店員さんに説明されながらオススメを頂いた。
英国での生活はドラブルに満ちている。
例えば、最近はワクチンパスを手に入れたいと思い、かなり苦労した。
ワクチンを打つにもかなり手間がかかったが、事後だけでもこんな具合。
まず、接種後2週間が経ったのを確認して、119に電話。
そうすると高速の英語と闘うことになる。当然、相手の顔は見えない。
外国人用の対応窓口につないでもらっているにも関わらず
「ゆっくり喋ってくれ」と何度言ってもスピードが落ちない。
ネイティブの人にとって、ゆっくり話すのは難しい。
自分も可哀想だが、相手も可哀想だ。こちらが電話を置くまで
相手をしてくれるものだから、最後は申し訳なさでいっぱいになる。
埒があかないので、今度は登録の病院に直接に行く。
ここ数週間、保険証登録などでもすっかりお世話になってきたので、
こちらのことを覚えてくれている。受付の人は優しい。
スマホにこのアプリをダウンロードしてみて、
というアドバイスをもらい、GoogleからのDLに挑戦する。
すると今度は、ダウンロードのためのパスワードを、
Gmailアドレスに紐づいた私の日本のケータイ番号に送るという。
当然それは凍結してあるわけだから、キャッチできない。
そこで、現在持っているイギリスのケータイ番号に紐づいた
アドレスを新たに作ることにした。これ、病院の受付の前の
イスで焦りながらやったものだから、自分の名前なのに
アカウントがAtusshi Nakanoで登録されてしまった。
「アトゥッシ ナカノ」。でも、まあいいやと気を取り直す。
名前がどうでも今回は関係ない。
今度こそDLを試みると「あなたのデバイスではキャッチできない」
という。日本で買ったスマホだからなのか。ここで、方針転換。
同じアプリをパソコンに落とそうとしたが、これもダメ。
さらに別の方法を入れ知恵してもらって、
健康保険のウェブサイトから取り寄せることにした。
ここにもハードルがあって、フォーマットに入力するうち、
自分の写真を添付で送ったまでは良かったが、
「Movieも送れ。その際にこの4ケタの数字を言え」と続く。
この時、なぜか自分のPCのカメラが作動してくれない。
いつもZoomもLINE電話もこのMACでしているのに、
どうやってもカメラが動かない。
仕方ないから、Albanyの金庫番であるセリに頼むことにする。
ミミやロミカは親しいが、リモートワークが基本だ。
チケット売り場のリヴやアレックスやイオシフィナも優しいが、
彼らのパソコンは共用のものだし、いつ掛かってくるかわからない
チケット予約に備えている彼らを巻き込むことはできない。
そこでセリだ。若手スタッフと会議をしていたセリに
「後で時間をください」とお願いし、わざわざ自分のデスクまで
来てくれたセリに「あなたの部屋で話したい」と切り出す。
何事かと、彼女は神妙に私を招いてくれたが、結果こんな要件である。
果たして、セリのデスクトップのカメラで映像を撮影するわけだが、
悪いことに、自分のパスポート写真はメガネを外しているから、
裸眼で挑まねばならない。
そこで、指定4ケタの数字を記憶して臨んだのだが、
初回はテンパって「よんなな・・」とやってしまいセリに爆笑された。
再トライして、ようやく24時間以内にメールを送るという通知を得た。
果たして、明日にこれは届くのか。
最後まで気が抜けないのが外国での生活だ。
5/6(金)
学校→VACCURSE会議→買い物→Albany→ナンヘッド霊園
→『腰巻おぼろー妖鯨篇』打ち終わり→BBC交響楽団
5/7(土)
Zoom会議→洗濯→『鐡假面』本読み→ハンガリー料理
→チャールズ・ヘイワードLive
5/8(日)
掃除→本読みWS→買い物→ロンドン響
5/9(月)
学校でテスト→ワクチンパス取得のため病院→Albany
→ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団
2022年5月 7日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑Linton Kwesi Johnsonさんと。気さくであった。
先のブログを書いて買い物をしに劇場を出たところ、
ついに目の前で事件に遭遇してしまった。そこで今日は連投する。
Albanyを出て100mほどのところに、馴染みのカレー屋がある。
よく昼飯を食べるし、入らない日も挨拶する。
今日もそうして通り過ぎようとしたところ、
私の後方5mほどの所でガラスの割れる音がした。
さっきからワーワーやっている黒人たちのうち3人がケンカを始め、
一人はナイフを取り出す。「ナイフはやめろ!」と周囲から
怒号が飛ぶなか、敵対する男2人は周辺の店の看板を武器にして
殴りかかった。結果、ナイフが地面に転がり、味方のいない彼は
何度か殴られ、それでも素手でやり返した。
少し距離をとって睨み合うと、
看板を破壊された中華料理屋の女性店員が猛り狂って突進した。
負傷した男の肩をつかみ、大声で「ヤーメーロー!」と怒鳴り続けた。
男は怒りのやり場がなさそうだったが、本能的に女性に危害を加える
わけにもいかず、事態は沈静化した。
改めて周囲は彼の流血に気づき、彼もようやく痛みを感じたのか
上着を脱いでTシャツになった。簡単な手当をするうち、
警察が来て、救急車が来て、あっという間にバリケードが張られ、
インド料理屋は店じまいを余儀なくされた。
自分は予定通りスーパーに行ってオレンジジュースを買い、
そこから2時間、劇場での催しを観たが、終わって外に出ると
まだ警察はそのままで、サイレンの音こそないものの
パトカーの明かりが強烈に周りを照らし続けていた。
驚いたのは、警官の視界の届く範囲内で、
ベンチにたむろしていた別の黒人の青年たちがまたぞろ口ゲンカを
始めたことだ。さすがに今度は暴力に至らなかったが、
けっこうな大声だった。
今日のAlbanyで催しは、Linton Kwesi Johnsonという当地の
伝説的な黒人抵抗詩人のレクチャーで、満席の場内に集まった
聴衆の中にはたくさんの若者もいて、熱心に彼の話と朗読を聴いた。
劇場の内外で観た出来事を自分はどう理解したら良いのだろう。
2022年5月 6日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑Deptfordは造船業が盛んだったらしく、商店街の端に錨が飾られている。
イースター明けの4/18(月)以来取り組んできた『腰巻おぼろ 妖鯨篇』。
二日ほど前に峠を越えた感じがあったが、いよいよ踏破が見えてきた。
130ページの台本に毎日6ページずつ向き合って、残りあと8ページ。
今回はさすがに堪えた。肩も背中も痛いし何より目が霞む。
イギリスの照明は暗く、室内灯を煌々とつけることは、
倹約家のダイアンの手前、憚られる。
だから早朝や昼間に時間を見つけて取り組んできたが、
用事たくさんで夜にもつれこむ日もある。そうなるともう泥試合。
暗い中とり組むことになるから、負荷が高い。
蛍雪時代という言葉を思い出した。
例えば、ドストエフスキーやトルストイを今の生活の中で読むことは
難しい。あれは20代の暇な時だったから何度も何度も読めたのだ。
ラブレーやセルバンテスは大学1年の時に読んでおいて良かった。
プルーストは来世に託すしかない。
『チボー家の人々』やムージルの『特性のない男』も同じ。
今年は降ってわいた学生時代なのだ。
とにかく、『腰巻おぼろ 妖鯨篇』と『下町ホフマン』を仕留めること。
そうすれば70年代まではほぼ頭に入る。
80年代唐作品にも『あるタップダンサーの物語』とか『住み込みの女』
『ねじの回転』などがあり、先は長いけれど、とにかくこの2作が
ずっと引っかかってきたのだ。
手もとの様式で現在290ページ。
渡英後初めて打ち込んだ『秘密の花園』のざっと倍だ。
その実、プロットが非常に単純なのだが、唐さんは赴くままに
せりふを書いてここまできてしまったのだ。
34〜35歳の唐さん。まず体力がすごい。
『白鯨』の主人公エイハブ船長の気迫を感じる。
巨大なクジラに銛を撃ち込まんという勢いだ。
あとはひと息に。今日と明日は1日6ページのルールを完全無視。
空いた時間の全てを唐さんに捧げて畳みかける!
こんな事をしながら気づいたが、今年は全体が合宿なのだ。
中年以降をよく働くための強化合宿。
2022年5月 5日 Posted in
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↑カーテンコール。8人で上演できちゃうのだ。
5月なのにロンドンは寒いままだ。
ジャケットこそお気に入りのTK-MAXで買った薄手のものに変えたが、
インナーはまだヒートテックのまま。なのに、そう汗をかくわけでもない。
気になってダイアンに訊いてみたら、これは異常なのだそうだ。
例年の5月の気持ちよさといったら。それなのに今年は・・・
そう愚痴こぼしていた。
暖かくなるのを心待ちにしてきたのには理由がある。
グローブ座に行ってみたい。が、あそこは吹き抜けの青天井。
しかもシェイクスピアだから3時間弱を覚悟しなければならない。
こんなアウェイで体調崩したら面倒だ。そう思ってきたが、
今日は他に鑑賞の予定もないし、『ジュリアス・シーザー』は
超メジャー演目でもないから£5の立ち見席が空いていた。
語学学校を終え、Albanyで事務をして18:30。
Deptfordからグローブ座まで30分ほど。行くべし。
初めてグローブ座で劇を観ることができた。
たった8人の役者で全編を演じ切り、最後に素朴な踊りまであった。
衝撃的な大感動を呼ぶわけではないけれど、町中華で食べるラーメンの
ような安心の美味しさがあった。
今日は観客がまばらだったし徐々に寒さが増していく。
観光客が多いからか、休憩時間に帰ったお客もたくさんいた。
けれど、役者たちは熱演して、演出により、時には観客と絡んだりした。
『ジュリアス・シーザー』は革命青年たちがクーデターを起こす話だ。
そして大義を持ったはずの殺人のあと、彼らは追い込まれ、滅ぶ。
後方のベンチシートで観ていた中年男性が嗚咽するように泣いていた。
学生運動に挫折した経験でもあるのだろうか。
主役のブルータスは黒人の若い女性が演じていて眉毛が繋がっていた
このメイクに、役柄の一徹さが表れていた。相棒のキャシアスは白人女性。
衣裳はスーツやミリタリーを使った現代服でシンプル、そこに少しずつ
古風に見えるように工夫されていた。
太鼓やタンバリンなど打楽器を使った原始的な演奏が随所に見られ、
最後にはダンスがあって、盛り上がって終わった。
地面はコンクリートで、照明も電気だけれど、
吹き抜けによって見える空だけは400年前と変わらない。
テントや野外劇をやってきたから、雨の日の様子も含めて気になる。
それに、さまざまな演目を立て続けにやっているから、
『ジョン王』とか『ヘンリー8世』とか、珍しい演目を観られる。
オーセンティックな衣裳による上演も見てみたいし、また来よう。
全体に誠実な感じがした。観光客が観にくるわけだし、
グローブ座の様子を再現するというミッションもある。
しかしその枠組みの中で、純粋に芝居としても面白い上演のために
最善を尽くしている感じがしたのだ。ダレる日もあるだろう。
でも、空だけでなく、人間も大して変わっていない。
そういうことを実感させる良さがあった。
↓お土産物売り場で異彩を放つマンガ版『リア王』。まるで漫画ゴラク
2022年5月 4日 Posted in
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↑都心でテント小屋を発見。なかなかの安定感とエントランスだ。
グリニッジ駅前の殺人事件から二日が経った。
事件そのものにも驚いたが、輪をかけて驚異を感じるのは、
翌日も平然と事件現場となったパブが開店していることだ。
今日は都心から帰ってくる際に横を通ったが、
警官が三人いて聞き取りを行っているところだった。
お客は少ないが、三組ほどいるのが外から見て分った。
衝動に駆られて惨事を起こしてしまうのは辛うじて理解できなくはない。
しかし、淡々と開店していることは冷静な行動だ。
確かに、では何日閉めるべきかと問われたら答えに窮するが、
それにしても・・・・。献花が増えていた。
帰宅して、英国人としてどう思うかダイアンに訊いたら
普通は閉めるものだとの答えが返ってきて、少し安心した。
時間を戻すと、連休明けの今日は火曜日なので、
ソフィーの仕切るシニア向けWS「Meet Me」に参加した。
合唱と美術創作の2種目で好きな方に参加しているメンバーが
早くも自分のことを憶えていてくれて、やりやすかった。
「グリーンティーをちょうだい!」などと頼まれる。
よし来た!と思ってお茶を淹れて持っていくと「ミルクを入れて」と。
日本人としてはかなり違和感を感じたが、
怯まず「スタンダードミルクかソイミルクか?」とすかさず
訊いて、「ソイ!」とのリクエストを受けた。
日本人は緑茶にミルクを入れることに抵抗があるが、
紅茶にミルクを入れるわけだからこちらの人は緑茶も同じように
するのかと思ったが、これもダイアンに普通ではないと言われた。
簡単に国民性の違いにしてはいけないらしい。
シニアたちの英語は容赦ないが、まあ何とかやっている。
合唱に加わって英語の歌を覚えられるのは良いことで、
これは自分にとって英語学習プログラムだと皆さんに伝えたら、
ヘンリー8世をからかった俗謡を歌ってくれた。
その後は文化庁に提出する3ヶ月に一度の報告書を書いて、
都心に出かける。ウィグモアホールで初めて聞く合唱団が
色んな作曲家のアヴェ・マリアばかり歌う、という過剰な企画を
やったので当日券で入ったが、思った通りかなり面白かった。
アヴェ・マリアは唐さんも好きで、『腰巻お仙 忘却篇』や
いま本読みWSをしている『蛇姫様 わが心の奈蛇』でも使うよう
ト書きに指示がある。いつもギャグ的な使用なので、
今日のコンサートは大変に美しかったが、やっぱりバカバカしい
シーンが思い出されてニヤニヤしてしまった。
ちなみに、なぜか入場料はたった£5で最上等の席に座れた。
当日券だと安いのだろうか。よくわからないが幸運だった。
2022年5月 3日 Posted in
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↑終了後の稽古場。チェンバロが見える。
これをロンドンの都心で書いている。
飲食店はどこも高いこの街では、屋内にフリーで座れる場所は貴重だ。
ナショナルギャラリーの横にある教会セント・マーティン・イン・ザ・
フィールズの地下は落ち着いてデスクワークができる場所だ。
それにこの教会はイベントに大変熱心で、
3月にはここでBBCシンガーズの『ディドーとエネアス』を聴いた。
今日は地下1階のテーブルに陣取ったところ、地下2階に稽古場が
あるのを発見した。このゼミログを書いているすぐ横では、
ガラス1枚を隔てて木曜に上演予定のヘンデルのオペラ
『セルセ』の稽古が行われている。
主役級の歌手が、出番の合間にコーヒー片手に目の前のテーブルで
休憩し、電話をし、くつろいだ後、また稽古に戻っていく。
稽古場の中はは紀元前5世紀頃のペルシャ。
さすがヘンデルの地元。これがロンドンだ。
4/29(金)夜は内田光子さんのリサイタルに行ったが、苦しかった。
弱音と不協和音が連続する現代作曲家の曲に対し、周囲に沢山いた
中国人旅行者たちが騒々し過ぎたのだ。
まず、私の席に言ったところ、先に座っている人がいて閉口。
チケットを示してどいてもらった。
隣の中年夫婦はひっきりなしにお互いの体をまさぐり合うか、
姿勢悪く寝ているかだった。一方、当日パンフがオンライン配布なので、
ケータイの明るさを最弱にして読みながら聴いていたら、
二席隣のおじさんが「目に入るから電話を閉じろ」という・・・
苦いコンサートだった。
4/30(土)はサウジアラビア人の友人アジードと最後の晩餐。
その前にロンドン・セントラル・モスクに一緒に行こうと約束したが、
こちらが着いたところで電話があり「間に合わない!」と。
後でレストランに着いて分ったが、この日、彼は半年間お世話になった
ホストマザーを連れてハロッズに行き、お礼に高級なアラビアの香水を
買っていたのだ。彼が案内してくれた店でした三人での食事は面白かった。
予定の組み方も、案内の仕方も、メニューの頼み方も、
18歳の彼のアテンドはものすごく未熟だ。
でも懸命で、こちらに自国の食べ物や感謝を伝えたい気持ちが伝わってきた。
同じアラビア圏のトルコ人留学生たちと、友達になってはケンカ別れを
繰り返していた彼。彼の目標である良い医者になって欲しいし、
彼とは再会の可能性があると思う。何年後かに日本を案内できたら嬉しい。
一人で満喫したモスクでは、イスラム教の合理性がよくわかって
楽しかったし、食事も美味しかった。久々に沢山お米を食べた。
アジードに幸多からんことを!
5/1(日)は唐ゼミ☆本読みWSをしてキングスプレイスに出かけた。
ピーター・フィッシャー率いるチェンバー・アンサンブル・オブ・
ロンドンを聴くためだが、キングス・クロス周辺の文化施設は
綺麗すぎて自分はどうも馴染めない。演奏会は会心の面白さだった。
ピーターはフィルハーモニア管のツアーに同行するため、
夜中にヘルシンキに向かった。激務だ。
5/2(月)。銀行が閉まるバンクホリデー。メーデーだ。
朝から『腰巻おぼろ 妖鯨篇』と格闘して、へばり気味だが、
昼過ぎにはウィグモアでガーシュインを特集するコンサートを聴いた。
その後、今後の遠出に備えて電車に切符を買いに行った。
オンラインでの申し込みが基本だが、なぜかクレジットカードが
はじかれる。そこで現地購入。
時間の無駄とも思うが自分はこういうのが好きだ。
劇や音楽の公演も、できればボックスオフィスで買って
紙チケットが欲しい。スタッフに質問したりすることも含めて、
時間に余裕があるからできる贅沢だと思う。
そして都心を歩き回り、今、冒頭の教会にいる。
今日、ダイアンは大金持ちの友人に誘われて、
ロイヤル・オペラ・ハウスでディナー付きボックスシートだそうだ。
出がけにストールの色やバッグの色について意見を求められたが
明らかに派手な方を選んで欲しそうだったので、そちらを指さしたら
喜んでいた。
他方、土曜未明にグリニッジ駅前のバーで殺人があったそうだ。
酔っ払った30歳前後の友人二人がケンカをして、一人が刺されて
亡くなり、一人は警察に捕まった。あまりにあっけない。
これがロンドンだ。
2022年4月29日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
猫の捜索願いを目にするのは二度目。が、これはインパクトある。
片目の黒猫を捜している!
Albanyにいて感じるのは、ここで行われる劇場運営が
日本のそれよりはるかに多く地域の人たちに関わっていることだ。
もともとそう思ってこの劇場を研修先に選んだわけだが、
実際に一緒に過ごしてみて、強く実感する。
そのため、この劇場が行う催しは圧倒的に音楽イベントが多い。
子ども向けのプログラムを除けば、これまでにストレートプレイは
3つしか観なかった。つまり、それだけせりふ劇の間口が狭い
ということなのだ。
また、辣腕のソフィーが仕切るシニア向けの定例WSに立ち会った。
皆で染め物によるバナーづくりをしたり、サイモン&ガーファンクルの
曲を合唱するのに参加した。作業や練習そのものは90分程度の
長さだが、皆さん早めに集まってくるし、休憩時間もたっぷりとる。
劇場から供されたお茶とお菓子で団欒して過ごし、
終わった後もみんなで残って茶話会のような感じになる。
とてもステキな光景で、それら一連が終わると、
ある人は自身で帰途につき、別の人は家族が迎えにきた車に乗って
帰って行く。ソフィーはそのひとりひとりと話をしながら見送っていた。
ソフィーはオーガナイザーであり、参加者の娘や看護師のような
存在でもある。「ソフィーはどこ?」と誰もがすぐ彼女に助けを求める。
その度にソフィーは二つの会場を駈けまわっていた。
まるでデイケアサービスのようだと思った。
内容的にもアートの度合いは薄めにしてあり、そのかわり間口が広い。
そして、Albanyがこうなったのには明確な理由がある。
地域経済が逼迫したからだ。
21世紀に入った頃、この地域は困窮した。
Lewishamはシニアにかかる医療費を支えきれなくなり、
Albanyは文化予算の削減に喘いだ。そこで両者は手を取り合ったのだ。
追い詰められたもの同士が結びついて、劇場の新たな事業展開に活路を
見出した。言わば、窮余の一策ともいえる。
必ずしも英国が良いわけではないと書いたのはそういうわけだ。
医療と文化、その両方がいまだ一定水準の予算規模を保っている日本は
幸せである。しかし、若者が減り、高齢者が増える国家経済の行き先を
誰しも明るいとは思わない。だから、来るべき時のためにと思って来た、
ともいえる。
いずれにせよ、そういう苦さも含めて自分は学びの日々を送っている。
音楽イベントに集まる若者たちにとって、Albanyは劇場でなく、
DJのいるクラブとしか記憶されていなのかも知れない。
そういうことも思う。
それが良い。それで良い。やっぱり劇場だと思われたい。
こんな風に3段階の感情が湧き、正解は見えない。
やはり、劇場は最高水準の芸術性を追究するべきでしょう。
という思いもある。最高水準の芸術性・・・。
しかし、しかしである。
これらは、やりようによって共存するのではないか。
それどころか、人々の事情や暮らし向きに接していることは、
むしろ劇をつくる作業にとって必須なのではないか。
実は、そういう思いもあってここにいる。
人間を描く、人間の営みだから、と言える。
そういったことを唐さんは『下谷万年町物語』でこう書いている。
これから劇作家になろうとする少年・文ちゃんに、
ヒロイン・お瓢が覚悟を問いかける場面だ。
お瓢 転がってくるもの。
文ちゃん え?
お瓢 果てしなく、いつも、こうして、転がってくる......。
文ちゃん はい。
お瓢 なりゆきとか、ゆきずりとか、手垢にまみれた、下々の、
様々なこれらを、おまえは、これからもずっとつかんで行けんのか?
自分のいる地区には、ものづくりにとって一番大切な魂がある。
そう信じている。
他方、作品をつくるということは当然ながら技術であり、
技術は都心で学ぼうと夜はセントラルに通う。
そんなイメージで過ごしている。
技術や形式だけの学んで帰りたくないと思って行動している。
けれど、もちろん、帰国後の仕事によってのみ正解・不正解は証明される。
だから必死だ。
2022年4月28日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑普通、終演後に指揮者とソリストは抱き合ったりするが、今日は
それはなかった。慎みということだろうか。
ラトルはずっと、男性歌手とお喋りしながら拍手を受けていた。
消耗が激しい。完全にワクチンのせいである。
夜中にやや発熱したようであるが(体温計がないのでわからない)、
普通に早朝に起きて、パンを買いに行った。
体のふしぶしが痛くて、丘をおりて買い物し、
また登ってくるときにいつもダッシュが効かない。
風邪をひいて熱を出した時にいつも不思議に思うのだが、
どうしてあんなにパフォーマンスが落ちるのか。
近所のコンビニに行ってポカリスエットを買うだけでヘトヘト。
今日はそこまでではないが、学校でも授業中ずっとウトウトした。
それから、自分を苦しめているのは『腰巻おぼろ 妖鯨篇』である。
せっせと台本をつくりながら読んでいるが、とにかく長い。
一日の分量をいつもより多めにとり、打ち込み始めて10日になる。
半分まできたところでいつもの台本様式で150ページになってしまった。
つまりこれは300ページいくということだ。恐ろしい。
『ジョン・シルバー』は80ページ。『盲導犬』は100ページ強。
『唐版 風の又三郎』をして224ページである。
その上、登場人物が多く、
正直いって今の自分には物語の進行がよく分らない。
基本的には捕鯨船の元乗組員たちの話。
海で亡くなった破里夫、彼を慕うヒロインおぼろ、
おぼろに横恋慕する千里眼、という3人の物語。
それを、それらが済んだ後でおぼろに出会った主人公ガマの視点から
過去を解き明かし、決着を目指す物語だ。
『あれからのジョン・シルバー』に似ている。
恐れずに言えば、唐さんがせりふを書けすぎて、
溢れることばの洪水の中に物語が埋もれてしまっている印象だ。
自分が今、お話しのどこにいるのか、迷子になってしまっている。
とりあえず最後までいって、もう一度頭から読んで、
あと3週間くらい振り回されるだろう。
日本にいたらとても太刀打ちできない量感。
そんな中でも、夜はバービカンに出かけてロンドン響を聴いた。
演目はクルト・ヴァイルの『七つの大罪』。
怠け者の父や兄弟がいる一家の家計を背負った少女アンナが
アメリカの各都市を巡り、七つの大罪のエピソードになぞらえながら
時に身を持ち崩し、金を稼ぐアイロニカルな話だ。
ブレヒトが筋を書き、ヴァイルが曲をつける。
『三文オペラ』を当てた二人は、女優ロッテ・レーニャに充てて
これをつくった。彼女はヴァイルの奥さんである。
CDでも聴くことができる。
今日の上演も夫婦の仕事だった。
サイモン・ラトルが指揮して、奥さんのマグダレーナ・コジュナーが
アンナ役を歌った。初めにラトルが楽曲の説明をして、
「家族です」と言ってマグダレーナを紹介した。場内から笑い。
『腰巻おぼろ 妖鯨篇』の台本が書き上がった時、
李さんはどう思ったのだろうか。何でもない会話、
そこでやりとりされるせりふ一つ一つが過剰に長いこの台本、
読むだけでも大変、憶えるのはもっと大変だったと思うが、
強靭な李さんのことだから臆することなく立ち向かったのだろうか。
2022年4月27日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑軽く一発打っていかない?というくらいのニュアンスが感じられる。
今日は色々なことがありすぎた。
よって、ざっと記録を並べる。
朝起きてオリーブパンを食べ、7:30過ぎには出かける。
デプトフォードブリッジ近くのコミュニティハウスに行き、
早く仕事に行く親が学校が始まる前の小学生達を預ける施設とわかる。
ジェニーズカフェで朝食。
イングリッシュ・ブレックファーストがBill'sの半額。
メニュー構成は一緒だが、それなりの味だ。
アルバニーでソフィーのワークショップ。
ボランディアスタッフを一人で仕切り、約25人の高齢者を相手にする
ソフィーの凄みに触れる。まるでデイケアとアートの融合。
Deli-Xに行って昼食。ダニエルはいなかった。
パウンドランドでスラッグキラーを買い、
商店街で驚くほどの量の小銭を拾う。15枚で合計17ペンス。
ルイシャムでブースターを打つ。
あまりにいい加減なのでビビる。ウォーク・イン・ヴァクチネーション。
過去に何本、何を打ったかは自己申告。消毒ガーゼでの消毒なし。
パッケージに包まれているが、床に落ちた注射器もある。
打ったあとの絆創膏なし。15分待機なし。
記録のカードを後から見たら、名前のスペルが間違っていた。
これがルイシャム・クオリティ。
その後、ダイアンに頼まれた洗濯石鹸と、自分用のTシャツを買う。
さらに小銭を拾いながら家に接近、月に一度、家に納めるのが習慣と
なっているトイレットペーパーとキッチンペーパー、食器用洗剤を買い、
ATMで来月分の家賃をおろす。この作業は、毎度ドキドキする。
悪い輩がウロウロしているゾーンだからだ。
帰宅し、『腰巻おぼろ 妖鯨篇』の台本づくりをしていると、
帰ってきたダイアンから近所で火事があったと聞かされる。
19時過ぎに再び出かけ、ゴールデンチッピーでフライドチキンを買って
これを食べながら、マッチスティックパイハウスを目指す。
アダムや音楽プロデューサーのジョージと再会しつつ、
フォークソング同好会に参加する。いつもより求心力に欠ける。
お互いの演奏や歌をあまり聞かない感じだ。いつもより感心しなかった。
ただし、リーダーの歌は相変わらず凄い。あと、今までに見たことのない
ヴァイオリンの弾き方2種類に接した。
帰りに火事場を通りかかる。
10時間経った今もマンションの最上階の部屋が燃え続けていた。
鍵を家に置きっぱなししたことからドアをノックして帰宅。
今さっき、寝る前のダイアンから明日の朝も焼きたてクロワッサンを
買ってきて欲しいと頼まれる。倹約家の彼女が、自分によって
徐々に贅沢の味を覚えてきているような気がする。
左腕、少し痛い。
2022年4月26日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
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↑川口成彦くんが勧めてくれたジャン・ロンドーを聴いた。
チェンバロによる、瞑想的な『ゴルドベルク変奏曲』。
しかし、浮かれていられないのがロンドンの帰り途なのだ。
今日はガチの話題である。
最近、ロンドンに潜む危険についてダイアンが熱弁を振るってくる。
きっかけは、最近知り合ったペーター・フィッシャー。
日曜に行ったフィルハーモニア管の演奏会に彼はエキストラで
参加していたが(様々なオケによく呼ばれるようだ)、
特にショスタコーヴィチ7番『レニングラード』は珍奇なものだった。
というのも、大編成かつ長大さがウリのこの曲において、
ほぼ9割方埋まった客席によって場内の気温はどんどん上がり、
全員で朦朧とするような演奏会だったからだ。
おまけに、曲の静かな部分で客席のケータイ電話が鳴り響き、
しばらく止むことがなかった。こうなるともう全員ヤケクソになって、
アンサンブルは乱れるがとにかく爆音で盛り上がるというエンディングに。
客席は変に興奮していた。
終演後、ホールのバーで待ち合わせて、ペーターと一緒に帰ったが、
彼は新任の主席指揮者サントゥ・マティウス・ロロヴリが好きだという。
こっちは前任サロネンのファンだから、ストラヴィンスキーや
バルトーク、ショスタコーヴィチはエサ=ペッカの方が
向いているんじゃないかと伝えたが、ペーターはそうは思わないらしい。
まあ、サロネンの指揮振りを見る限り、彼の関心は大方
パーカッションと管楽器に向けられているから、
弦のペーターとしては不満に思うんでしょう?と訊いたら、
当たりのようだった。
サントゥは優雅な感じがしたので、『シェエラザード』とか
チャイコフスキーのバレエとかが聴きたいと言ったら、同意してくれた。
それに、あなたのアンサンブルの方が遥かに面白いと伝えたら喜んでいた。
実際にそうなのだ。
で、話題を戻すと、昨日ペーターがくたびれた様子だったのは、
ある事件が起きて、前日の眠れなかったからだ。
彼はニュー・クロス・ゲイトというAlbanyの近所に住んでいるが
彼の家の目の前で、夜中に銃撃戦が起きたのだ。
16歳の女の子が5発も撃たれて、それは大きなニュースになっている。
ペーターは「テリブル!インクレディブ!」と連呼していたが、
今日は今日で、カナダ・ウォーターで同じ家に住む女性3人と男性1人が
殺されたりもしている。
さらにダイアンによれば、一昨年にグリニッジ公園脇のジャズクラブ前で
高級時計をしていた男性が殺されたり、去年も20代半ばで小学校の先生を
している女性が殺されたというのだ。
他にも、80代女性が25歳の男性にラブレターを送りまくった末、
彼の奥さんを殺してしまうという怪事件まで、去年は近所で起きたらしい。
どうりで、ダイアンの警戒心が半端ないわけだ。
とりあえず、夜道で音楽を聴きながら歩くのをやめることにした。
誰かが接近していることに気づかないと危険だからだ。
なかなかの土地だが、来てしまったものは仕方がない。やれやれ。
2022年4月24日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
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真ん中が彼である。いつも親切にしてくれるレストランのスタッフと。
今日は家にずっといた1日だった。
早朝にパン屋にクロワッサンを買いに行き、
それからはZoom会議が二つ。
朝に写真家の伏見さん、昼過ぎに津内口。
合い間にFacebookを投稿する。
最近は土曜日午前中の日課になっている。
この研修はさまざまな人の応援により成り立っているので、
少しでも日々の成果を伝えたいし、自分が立ち会った物事を
忘れないようにするためでもある。
洗濯などもするうちに3時になってしまう。
本当は散歩がしたい。このところ、ナンヘッド・セメタリーに
もう一度行きたいとずっと思っているが今日もそれはできなかった。
『腰巻おぼろ 妖鯨篇』一幕、佳境の長ぜりふの応酬にかなり時間と力を
持っていかれてしまった。結局、終わったのが6:30。
今日は8:00にAlbany近くのレストランを予約してあるので、
身支度してぼちぼち出かけた。語学学校入学時からの友だちヤジードが
来週末に国に帰ってしまうので、彼と食事することにしたのだ。
彼は一旦帰国し、秋からはアメリカの大学に入る。
お父さんは会社の経営者で、運転手付きのロールスロイスに
乗っているらしい。彼は12人兄弟の末っ子。
年上の兄弟たちはみんなお父さんの会社で働いているが、
ヤジードだけは医者になる道を選んだのだそうだ。
今はラマダンでもあるから、少し遅めの時間にして、
牛タンを焼いたのやパスタを食べた。
お腹が空いている彼は勢い込んで食べ始めたが限界は早かった。
このラマダンですっかり胃が小さくなってしまったと嘆いていた。
たくさんいる兄弟や、馬や車を買ってもらった誕生日の話、
お父さんの会社にいる7人の優秀な日本人の話を面白く聴いた。
日本に来たことがあり、道の綺麗さや和牛の旨さに感動したという。
厳格なムスリムの生活についてもいろいろ教えてくれた。
彼にとって英国での最後の1週間が始まるが、
お世話になったホストファミリーの家を出て、
明日からハイドパーク近くのホテルで過ごすらしい。
さすがセレブリティ。
帰り道、Albany周辺の街並みや行き来する人々にビビる彼と歩いた。
お金持ちの自信と、少年らしさが入り混じる。素直で面白い奴だ。
どうか良い医者になって欲しい。
2022年4月22日 Posted in
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↑開演3分前。40人も入ればいっぱいの劇場。全部セットみたい。
今日は変な空間を訪ねた。
これまでも、地元民も立ち寄らないようなスペースを見つけては
突撃を繰り返してきたが、今日のは飛び切りだった。
きっかけはソプラノデュオのFair Oriana。
近所の教会で知り合った彼らが
先週のセント・バーソロミュー・ザ・グレイトに続き、
別の場所で同じプログラムをやると誘われたので、
カナダ・ウォーター近くの会場まで歩いて行ったのだ。
Albanyから歩いて30分強。
これが変な建物で、開館から50年近く経つフィルムセンターらしいのだが、
全ての空間が芝居がかっていることこの上ない。
小さな映画館あり、劇場あり、ライブラリーやカフェあり、
廊下もトイレも、時代劇に出てくるような衣装や仮面、
小道具の数々が溢れ、さらに映画のポスターが数限りなく飾ってある。
内装が内装が凝りに凝っていて少しの隙もない。
今日は空間の力に完全に圧倒された。
小さな劇場での配信主体のコンサートだったのでお客は少なく、
二人も歌い方をガラリと変えて贅沢な時間だったが、
この建物にはどうしてももう一度来たいと思った。
毎週火曜に古い映画を観るクラブをやっているらしい。
Albanyの人も知らないだろうから、誰か連れて行きたい。
それだけの魅力を持つ場所だ⑤。
しかし、興奮しながら約1時間の道を歩き、
ゴールデンチッピーでの買い食いもしながら帰宅すると、
ダイアンの意見はまるで違った。
私が見せる写真をしげしげと眺めながら、
「私はロンドンのあらゆる場所を知っているがこの場所は全く知らない。
それにこの内観の天井の低さは怪しい。きっと悪魔が棲んでいるから
気をつけろ」と、本気が冗談がよくわからない表情で言う。
彼女はかなり気になったらしくずっと写真を見ていたので、
それなら、毎週火曜に行われるフィルムクラブに行ってみようぜと
誘ったところ、「アツシはスウィーニィー・トッドを知っているか、
私はパイになるのはごめんだ」とも言っていた。
自分は必ずもうまた行くだろう。
どうやって経営が成り立っているのかよくわからないが、
とにかくすごい場所なのだ。
↓すべての廊下がこんな感じ
2022年4月21日 Posted in
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中野note
↑メールするのでDeptfordのカフェで会おうぜ、と言いながら写真を撮った
ヴァイオリニストのPeter Fisherさん。
渡英から3ヶ月を目前に、最近は疲れやすい。
歩いている時はどうということもないが、
授業中とか会議中とか、じっとしていなければならない時に
足の裏がむくんでいる感じがするようになった。
こうなることは予想していた。
英国には風呂がない。湯船に浸かることなど考えられない。
これは、外国で暮らす日本人がいだく定番の不満だ。
それから、私は2014年以降、劇団員だった禿の勧めで、
とある整体に月に一回お世話になってきたのだ。
それまでは、公演が終わるごとにくたびれていたのだが、
その先生に出会ってからは、調子が良くても悪くても月に一回は通い
コンディションが上向きになって平均化した。
ちょうど同じ時期に散歩したり走ったりする習慣を得たので、
それも良かったと思う。けれど今はその両方がない。
それに歩いていると、妙に石畳のゴツゴツを感じることに気がついた。
スニーカーを裏っ返してみると、すっかりゴムが削れて、裏面が直に
地面に接するようになっている。日本にいた時からややくたびれていた
ものをずっと履き続けてきたのだが、ロンドンの舗装は良くないし、
平均すると1日あたり13kmくらい歩いているので、
この2ヶ月半のあいだにかなりダメージを受けたのだ。
それに気がついてからここ1週間というもの、各地の靴屋を見て回った。
円安だし物価は高いしで節約したいのだが、どの店も底が厚くて
蒸れにくく、要するに歩きやすそうなものは高いのだ。
ところが、今日の午後、大英博物館を初めて訪ねたついでに
コヴェント・ガーデンに行ったら、良い靴屋があった。
すでに割引している上に、学割まで効くというお店。
踵の部分にエアーが入ったナイキのを選んだ。
博物館で古代ギリシャ文明に触れて唸ったばかりだったので、
NIKEにしようと思ったのだ。
センチとインチの換算もよく分っていないので、店員さんにそれを
話して何パターンか履かせてもらい、適切なサイズを決めた。
これまで履いていた古いのと別れを惜しみつつ、お店で処分して
もらうことにしたら次回使える割引券ももらえた。
その後てきめんに調子がいい。この靴でまた色々なとこに行ける。
何とか年末まで保ってくれると良いけれど、ダメだったらまたここで
割引券も含めたトリプルコンボで買おう。
その後、Conway Hallという伝統あるホールに行って室内楽を聴いたが、
これが良いものだった。雰囲気がとてもくだけていて、古今の作曲家が
つくったトルコをモチーフにした曲を次々に紹介するユニークなプログラム。
ある曲などは、演奏を始めてから少し経った時に、リーダーがストップを
かけ、初めからやり直した。「変なマスク(曲のタイトル)だったから」
というのが理由らしい。率直で人間的で、演奏一生懸命な人で、
これでいいのだ!という音楽と演奏への愛着が伝わってきた。
アンサンブルの中に日本人の方がいて休憩時間に話したら、
終演後にリーダーのピーターさんを紹介してくれた。
ピーターさんはAlbanyのあるDeptfordに住んでいるということだ。
Deptfordで会おうぜ! そんな話をしつつ撮ったのが、冒頭の写真。
2022年4月20日 Posted in
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中野note
↑初日なので、演奏に緊張感があった。
昨日は渡英以来、2回目のロイヤル・オペラ・ハウスだった。
思えば、ロンドンに来て初めての観劇は『Theodora』というヘンデルの
どマイナーオペラで、街を歩くにも建物に入るのも緊張していたが、
たった3ヶ月足らずで慣れるものだ。
当日券を買うのも観劇前にコーヒーを飲むのも、パンだけは安くて
美味いグリニッジの店であらかじめ買って持ち込むのも板についてきた。
はっきり言ってロイヤル・オペラは高いし、
慣れたところでやっぱり場違いだし、身を切るような表現からは
程遠い場所だから、普段の演目を観たいとは思わない。
けれど、やっぱりイースターだったから、『ローエングリン』を
観たいと思ったのだ。
と、学校で言ったら、やはり先日から興味を持っていた
ロシア人のAさんが一緒にくることになった。
彼女は大変に個性的な人で、22歳でモデルの仕事をしているそうなのだ。
先日、突然にタイのバンコクに行って周囲を驚かせたが、
それも仕事での渡航だったらしい。
今日わかったことだが、学校を終えた後はいつもジムに行くそうだ。
さすがモデル。学校の中ではいつもピンクのスニーカーを履いていて
外に出るときは黒の革靴にかわる。教室の隅にある先生用の荷物置きに
勝手にそのスニーカーを置いていて、彼女が数日休む時には、
それを観てみんなが笑っていた。
そういうわけで、授業後に一旦別れ、それぞれの予定をこなして再集合、
セントラルを目指した。聞けば、彼女は毎晩セントラルで食事をしている
そうだ。グリニッジの辺は好きではないと言う。
こちらはホストマザーに教わったグリニッジの店の方が好きだと伝えたが、
セントラルのレストランが良いのだそうだ。
どうも、お金に余裕がある人のように思える。
劇場に着いて当日券を買い、自分は寝ないようにコーヒーを、
彼女は白ワインを飲んで一幕が始まった。酒強い。さすがロシア。
有名な前奏曲から始まる一幕をかなりの集中力で聴いていたが、
面白かったのはそれからで、休憩時間の終わりがけに電話がかかって
きたのでそちらを優先させ、結局は三幕まで戻ってこなかった。
驚くべきはそれからで、気まぐれに帰ったのだろうと思って、
優れた二幕、三幕終盤に集中していき、カーテンコールで拍手していたら、
電話が鳴った。なんと、劇場のバーにいるという。
しかも、行ってみたら英語の勉強をしていた。
・・・謎すぎる。
最安に近い席だったとはいえ、あれだけ熱心に観ていたのに3分の2を
不意にし、帰ったと思いきや、ずっと待っている。しかも英語の勉強をして。
深淵なるロシア。帰り道は、マリインスキー劇場に行った話を聴いた。
2022年4月20日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑自分がクジラに最も接近したのはこの時。2016年8月。
イースターを利用してのんびりした。
語学学校もAlbanyもお休みなので、買い物しながら近所を巡ったり、
床屋に行ったり、教会を訪ねたりした。
日曜に行った教会がまた面白くて、見た目は古風なのだけれど、
新進の宗派によるもので、ずいぶん砕けたセレモニーだった。
スタッフも若いし、アコースティックコンサートのような集会。
親しみやすい楽曲を皆で合唱したり、踊ったり、
ずっと旗を振っている人もいた。
近所にある教会では、スタンダードなカトリックの素朴な儀式にも
参加できたし、セントラルにあるセント・バーソロミューでは、
ひときわ壮麗で厳粛な内観も体験できた。
そこに、昨日の経験も加わった。
一口に教会行事といっても多くのバリエーションがあるようだ。
考えてみれば、日本の仏教にもさまざまな宗派があり、
二十世紀以降に新たに誕生した分派もある。それらと同じだと感じた。
と、このようにのんびりして英気を養い、
昨日から『腰巻おぼろ-妖鯨篇』に着手することにした。
渡英前に作品集をコピーして持ってきたのだけれど、130ページもある。
あの『唐版 風の又三郎』でさえ100ページほどなのだから、相当に長さだ。
ノーカットだと4時間30分くらいかかるのではないだろうか。
作者である唐さん自身、『腰巻おぼろ-妖鯨篇』が一番長いと言っていた。
初演の稽古の時、劇団員たちは台本を「電話帳」とあだ名したそうな。
悪役に扮した唐さんが「油揚げ」300枚をつなぎ合わせた背広?を
着て登場したことでも知られる。クジラを扱う台本だから鯨油に
引っ掛けての「油揚げ」だと聴いた。
これが登場すると、紅テントの中にすえた油揚げの匂いが立ち込め、
雰囲気があったという。
こういう大作に落ち着いて挑めるのも、英国研修の効能だ。
日本にいると日々の仕事に追われて、一つの作品への集中を
維持し続けるのが難しくなる。だから、まとまった仕事の合間に
台本づくりを押し込む。一度、ちゃんと読んで、頭に入れてしまえば、
それについて考え続けることは難しくなくなる。
昨日から、1日あたり6ペーずつダイピングしながら読むのを始めた。
初めは全然進まない感があるのだけれど、日々の目標のことだけを考えて
とにかくクリアしていくと、気づけば中程になり、終盤になり、
幕を閉じる段になっている。いつもそういう感覚だ。
終盤は睡眠不足で目が霞んだり背中が痛む。
けれど、一本を踏破する快感がある。
こうしてゼミログに書くと、途中でやめられなくなる。
明日もその次の日も、自分に課したノルマを確実にクリアするようになる。
これもゼミログの効能。皆さん、いつも読んでくれてありがとうございます。
2022年4月15日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑開演直前
昨日、いつもの通り語学学校に遅刻していき、授業を受けたところ、
放課に呼び出された。何か注意でも受けるのかと思ったら、
月曜に受けたテストの点がよく、昇級すべしと言われた。
冗談じゃない。この問題はマークシートのテストみたいなもので、
実は英語がわからなくても他所の問題を見れば解く方法があり、
それで正解を出してしまったのだと先生と事務スタッフに白状した。
そういうわけで内容をいかに理解していないかも伝えたら
大笑いされた。数週間で卒業していく周囲とは違い、
僕はゆっくりやらせてもらいます。
あと、遅刻をするのはホスト・マザーが素晴らしい人で〜
などと話して、これまでよりさらに深い理解をいただくことに成功した。
まことに良い学校、良いスタッフの皆さんである。
さて、Albanyではミミが忙しい。
イースターの連休を目前に、これからますます佳境に入っていく
各プロジェクトのために新人スタッフを迎えている。
彼らに働き方を教えるのもミミの仕事だ。
さらに、ヴィッキーやエマの家族や友人に不幸があったらしく、
彼らは劇場に出てくることができない。ために、ミミはますます
追い込まれた。そばでデスクワークしていたが、切迫感が半端なく
話しかけるもの憚られた。
しかし、昨晩は観劇の約束をしていて、
午後5時半には連れ立ってロイヤル・コート・シアターに出かけた。
それもあって彼女は、鬼の形相で仕事を片付けていたのだ。
ロンドンが地元のミミとの移動は楽だ。
おしゃべりしながらスイスイと劇場入り口に着くと、
観劇予定の何人かがミミに話しかけてくる。
この人は、いま売り出し中の劇作家でヒット映画のシナリオも書いた。
この人は、この劇場のスタッフで2カ月前に出産したばかり。
この人は業界のベテランで、制作も創作も何でもやるマルチプレイヤーだ。
この人は・・・
すでに地下にあるカフェのテーブルがミミによって予約されており、
夕食を食べた。そして客席に進みながら入場料はタダで済んだという。
席は2階席真ん中1番前の、要するに最VIP席。
素晴らしい友だちがいっぱいいるから、とミミ。さすがだ。
自分にとって2度目の観劇となるこの演目は大評判だ。
新しく登用された演出家がロイヤル・コートで成功を収めた、
そうミミが教えてくれた。
帰りにミス・ダイアンに教わった隣の高級カフェに飲み物だけ
飲みに行った。なるほど、ノエル・カワード、ベケット、
ジョン・オズボーン・ウェスカー・・・、様々な人たちがこの店を
訪れた写真、舞台のポスターや写真が飾られていた。
この店は初めてだったらしく、ミミも驚いていた。
良い指南役に恵まれたものだ。
他方、現実の世界に比べれば劇場や演劇の世界は小さい。
24時近くの帰りの電車の中で、ミミに、今日もAlbanyの近くで
キリスト像の前に立ち尽くして15分も動かない女性を見たと伝えた。
それから、お互いの国の政治や経済や風習の話になった。
別れ際、家に着いたら必ずメッセージをちょうだいと、ミミ。
ロンドンで危険な目に遭いやしないかと、こちらを心配している。
小柄なミミは、実に力強い。
↓COLBERIというカフェに終演後に行った。高いので一杯だけ。
2022年4月14日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑T•K•MAXXボンドストリート店。日本にも支店が欲しいくらいだ。
冬物の衣類はかさばる。そこで、当初は冬物のみを持って渡英した。
ロンドンに着いたら数週はホテル暮らし、そのうちに住む家も決まる。
新しい家に定住したら、あらかじめ選んでおいた春・夏ものを
椎野が送ってくれる。そう思っていた。
ところが、ロシアとウクライナの戦争がこの計画を狂わせた。
現在、飛行機による国際便はすべて停止。船便ならOKだが
これには3ヶ月もかかるので、春が終わってしまう。
仕方なく、買い物に出かけることにした。
初め、ダイアンにはプライマークという店を勧められた。
ロンドンの物価は高い。例えば、春もののジャケットを買おうとすれば
100ポンド(16,000円)を超える金額がかかる。
自分はそんなお金を文化庁からもらっていない。
プライマークなら35ポンドで買うことができる。
が、しかし、お店に行って眺めたり触ったりしてみたが、
これがどうにも心許ない。何かペラペラのフワフワなのだ。
知り合いはみんな知っていることだが、私の身体は柔らかい。
柔軟性のことでなく、表面が妙にムチムチ、フワフワしているのだ。
これは遺伝の影響と、小さい頃から水泳を一生懸命やったからだと
思う。とにかく大人の男なのに幼児みたいな質感なのだ。
それで、いつも硬めの服を選ぶ。
ちなみに、室井先生が巨大バッタをやっていた時に昆虫=外骨格の
素晴らしさを盛んに訴えていたが、私は学生の頃からその意見に
個人的な意味で賛同していた。外側が硬めでありたい。
硬くて、作業しやすくて、底々フォーマル。
あと、ロンドンでのセキュリティー的に内ポケットがあることも重要だ。
そんな服がないかなと、スポーツ用品や登山用の服屋も巡った。
日々ダイアンには、なぜプライマークで買わないのか?
と訊かれるのだが、拙い英語ではうまく説明できないし、
プライマークを嫌がる気位の高い人間だと思われたくないので、
口籠るしかなかった。フワフワにフワフワが合わないんですよ。
とどう言えば良いのか・・・
が、ついに素晴らしい店を発見した。その名をT•K•MAXX。
ここは各種ブランドから売れ残りを引き取って扱う店なのだ。
10年前の新品。そんなものもある。
ブランドに興味はないが、多様な選択肢があることが私を魅了した。
初め、馴染みのルイシャム・ショッピング・センターでこれを発見し、
元々120ポンド(20,000円)する好みのものを12ポンドで買った。
だだし、この時のものは完全に夏物だったので、
系列の店舗がセントラルに2軒あったのを思い出し、さっそく回ってみた。
すると、1,500〜4,000円くらいのもので全て揃えることができたのだ。
家に帰ると、ダイアンにこの買い物を絶賛された。
プライマークより安く、良質だったからだ。
彼女はスタイリストだったから、ブランドや素材感にも詳しく、
洗濯しやすさにも敏感なのだ。
日本の業者からの買い物は航空便を使うことができる。
Amazon Japanで買った新書は5日で届いたが、
家から同期間で本を送ってもらうことはできない。
商用でない輸送が停止しているのだ。
結果的に輸送費より安くあがった。昨日から春服である。
2022年4月13日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑セントラル。車いすで横断歩道無視する人がいて痛快だった。
これに書き忘れていたが、先週の土曜日のこと。
ナショナルのビッグレースがあるとダイアンに馬券を買いに行かされた。
自分も付き合い、Each Way(おそらく三単連)で買い、楽しんだ。
店員に「日本の学生です。ホストマザーのお遣いで初めて来ました」
と伝えたら、大笑いしながら代わりに記入してくれた。
ただし、これには問題があり、
結果的にダイアンのオーダーとは別の馬に賭けていたのだ。
彼女の馬が勝たなかったから良かったものの、
これで一着だったら大問題になったところだ。ヒヤヒヤした。
ところで。
語学学校の同級生、ロシア人モデルのアナスタシアはニーチェを
読んでいるらしい。『ツァラストゥラ』だそうだ。
話してみたら、ブルガーコフやトルストイ、ドストエフスキーも
読んできたそうだ。今度『ローエングリン』を観に行くと伝えたら、
一緒に行きたいと希望された。
イースターが迫り、毎晩イエスが死んでいる。
『スターバト・マーテル』はヴィヴァルディ、ドメニコ・スカルラッティ、
ペルゴレージ×3で聴き 、『ヨハネ受難曲』と『マタイ受難曲』は
2種類ずつ、ヘンデルの『メサイア』は苦手なのでパスしても、
毎晩のようにキリストの死に触れている。
さらに、カトリック系の教会で、
キリスト像に布がかけられているのを見ながらセレモニーに参加し、
帰りには松で作られた十字架をもらった。
家では朝食にホット・クロス・ブレッドを食べたり。
スパイスとドライフルーツを入れて、表面に十字の模様をつけたパン。
このパンは本当にどこでも売っていて、
格安スーパーでも気軽に並んでおり、端午の節句が迫ると
コンビニのレジ近くで柏餅を売っているのと似ている。
プロテスタントのダイアンが「最近のコンサートはどうだ?」
と訊くので「毎晩、ジーザス・クラウストが私の前で処刑されます」、
そう答えたら、大笑いしながら「来週の月曜には復活するから大丈夫だ」
と言っていた。
これが「神は死んだ」ということなのだ。
それでも人間は、繰り返しの毎日を新鮮に生きることができる。
↓教会でもらった十字架をダイアンはたいそうよろこんだ。
2022年4月12日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑Lewishamショッピングセンターに行ったら、こんなものが。
ベルリンの壁だそうである。さすがヨーロッパ。しかしこの絵は・・・
渡英から2ヶ月以上経ち、思い立つことがあった。
ワクチンの3本目を打とう。
日本にいる皆さんのFacebookを見ていると、
何人かが熱心に副反応についてレポートしているのを見かける。
英国ではなんとなしに次のワクチンを打つ話を聞かながいが、
今後のことを考え、実行に移そうと考えた。
ワクチンを打つためにには、まず病院の登録をしなければならない。
イギリスの医療システムは、家の近所の病院に自分を登録するところから
始まる。自分の場合は、すでに日本にいた時に7〜8万円払ってあって、
これが健康保険料のような役割を果たす。
このお金を払ってあることも、英国ビザ発行の条件なのだ。
それだけの強制力がある。
あとは現地に来て病院に行き登録を済ますだけ。・・・だった。
初めはホテル暮らしだったので、そのうちに家を探し当てて、
そうしたら病院登録をすれば良いと思っていた。
ところが、こうしてミス・ダイアンのもとでお世話になること
1ヶ月以上が経過してしまった。その間、病院には行っていない。
やはり、人は病気にならなければ病院に行く気にはなれない。
だいたい、イギリスの人は病気になっても、大概は市販の薬で済ませn
治るのを待つのだそうだ。
おまけに、歯医者には気をつけろとも言われる。
日本にいた時、私がもっとも頻繁に行く病院は歯医者だったが、
今回登録するような国立の病院で歯科治療を受けた場合、
お医者さんによっては噛み合わせが悪くなったりするとも聞いた。
こうなると、モチベーションが全く湧かない。
入国するためにお金は払ったけれど実質が無いようなもので、
それで今日までサボってきたのだ。だいたい、渡英の直前直後にかけて
自分はどれだけのアカウントを作り、登録手続きを行なってきただろう。
その一々に疲れ果て、イラついていた私は病院のことを後回しにしてきた。
が、ブースターのためである。それはもちろんコロナに掛からぬように
するためだし、かかっても軽症にしたいと思う。そして、何かの拍子に
3回目の接種証明を求められることもあるかも知れないので、
余裕のあるうちにやりたいと考えたのだ。
果たして、グリニッジ公園近くの病院の受付に行って事情を話すと、
記入用紙とネットのアドレスを教えてくれた。
これを持って、近くの国立海洋博物館のカフェに移動し、
記入を始める。紙はいけたものの、ネットがよくない。
受付の女性が書いたアドレスが解読できないのである。
ロンドンではこういうことがよくある。
人の書いたアルファベットが読みづらい。内容以前に、
これはeかなrかなとやり始め、結局ヒットしないので病院に行って
また訊き、面倒なので病院の受付前のイスに陣取って、
そこで登録をさせてもらった。これにも時間がかかる。
〇〇という病気がありますか? 薬物や飲酒、喫煙習慣は?
という質問が延々続く。翻訳ソフトを使わないと、
そんなマイナーな単語にはついていけない。
と、ここまで来て、身分証と住宅の証明書が必要だというので、
家に相応しいものをとりに帰って、またすぐ戻った。
すぐに戻ります。私の家は近いのです!と言って。
戻ってきたら、受付の人たちは笑っていた。
こうして、力技で登録は成った。
1週間後には完了の通志が来て、ナンバーが授けられるそうだ。
1ヶ月遅れで、残った宿題を済ますことができた。
次は本題のワクチンに進む!
/8(金)
学校→Kings Crossで打合せ
→South Bank CenterでCarmina Burana
4/9(土)
Zoom打ち→洗濯→『鐡假面』本読み→馬券を購入
→Lewishamで服を買う→Albanyでライブ
4/10(日)
ジャムの交換→掃除→唐ゼミ☆WS
→Murcellaで食事→→Lewishamで服のタグを外す
→近所の教会のイベントに参加
4/11(月)
学校でテスト→病院の登録→Eustonで情報交換
2022年4月 8日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑さすがのド迫力。頭のお鉢がデカい。人類を代表する頭脳といえよう
ここ1週間、語学学校ではディベートが盛んだ。
元ドラマーで、日本の大学に通った経験もある新米のビリー先生は
なかなかのアイディアマンで、生徒たちが楽しく授業に臨めるよう
準備に余念がない。
「幸せはお金で買えるのか?」という問いを立てて、
賛成派と反対派に分かれて議論を行う。
「世の中は金だ!」と言い切る外科医志望の青年がいて面白い。
決して迷わず、譲らず、臆面がないところが良い。教室が湧く。
ところで、自分が好んで霊園を訪ねていることを伝えると、
決まって勧められる場所がある。Highgate Cemetery。
ロンドンのトリップアドバイザーでも高位を獲得している霊園。
ここは何といってもカール・マルクスの墓所として有名だ。
自分にとってマルクスはコミュニズムの泰斗である以上に、
「お金」について考えた人という印象が強い。
「お金とは?」「価値とは?」
ディベートしながら大学時代に読んだ本を思い出していたところ、
ミミからメッセージが入り、午後の会議が中止になったと告げられた。
自分のいるGreenwichやDeptfordからHighgateまでは少し離れている。
電車で70分ほどかかる上に、午後5時には閉園する。
今日は晴れているし、もってこいのタイミングだった。
3時に目的地に着く。
途中、手前の公園でトイレを探していたら、小さなギャラリーを発見。
受付にいたスタッフと話しこんで思ったより時間が経ってしまった。
現代美術の作品や創作ドキュメントを記録したDVDや冊子が
たくさん置いてあって、規模は小さいけれどもBANKARTを思い出した。
・・・池田さん。
話をもとに戻すと、
Highgateの入口で受付のおじさんに入園料を求められた。£4.5。
学生割引なし。説明書きをもらって進んでいくとマルクスの墓があった。
巨大な頭がついていてわかりやすい。正直言って深刻味に欠けるが。
おじさんによると、像のついたこのお墓は移転した後のもので、
霊園の真ん中あたりに元々のオリジナルがあるとのこと。
これも一応、確認した。
途中ベンチに座り、30分ほどミミとZoomしたりもして、
1時間以上のんびりした。その間、30人くらいはマルクスのお墓参りを
していた。御供物のお花がいくらもある。
しかし、マルクスのお墓が名所になって入園料をとっているとは、
本人が知ったらどう思うだろう。思わずそんなことを考えてしまう。
観光地化されすぎている感もある。
自分としては、LewishamのNunheadの方が神秘的で軍配が上がる。
最後にもう一度、受付に寄っておじさんと話した。
日本人だと言ったら「中国人はけっこう来るけど・・」と珍しがられた。
どうしてロンドンにいるのか訊かれたので、政府の派遣で約1年滞在して、
Albanyで作品づくりとコミュニティワークを学んでいると伝えた。
それから、記念にポストカードを2枚選んで買おうとしたら、
有料のパンフレットと併せて「私からプレゼントしたい」言われた。
「君のコミュニティワークのために!」とも。
・・・さすがマルクスの墓所だけある。
キャピタリズムとコミュニズムが良い具合いにブレンドされて
帰り道は得した値段以上に清々しい気持ちになった。
Gustav Mahlerの娘さん、Anna Mahlerのお墓もたまたま発見できた。
自分のスマホにはお父さんが作った曲がいくつも入っている。不思議な感慨。
↓このおじさんに会えて良かった。
2022年4月 7日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑バロックから後期ロマン派まで、ガッチガチのクラシックを一人で
歌い切った後、なぜか子どもたちをステージに上げてポップスの合唱を
したジョイス・ディドナート。ヤンキー・ディーバの異名は伊達ではない
昨日、4/6(水)を以って、YAHOO JAPAN! ニュースの
イギリスへの配信が停止してしまった。
人間とは愚かなもので、自分に不利な状況には目を背け
何故か楽観的に考えてしまう。2月に告知がなされて以来、
なんとなく危機を察してはきたが、そんなこと言っても、
なんだかんだ見られるんでしょう?と心に甘えを持ってきたのだ。
かくして4/6(水)当日。
朝は、普通に見られた。それから、見出しだけ見られるんだけど、
ニュースの中身は見られない。そんな状況になった。
この時点で、見出し見られるんだ!充分!充分!
などと、ちょっとラッキーに感じていた。
ところが午後になり、予告通り、完全に見られなくなった。
仕方がないので、ケータイにはNHKのニュースアプリをダウンロード。
こうなると、下らないなあ、などと半ばバカにしながら眺めていた
芸能ニュースを、自分がどれだけ楽しんできたか痛感している。
最近とみに激しくなった連ドラや大河ドラマのヨイショ記事。
「この図形は何のカタチに見える?」の心理テスト。
プロ野球ニュース結果、ひろゆきの本から抜粋した自己啓発系の記事。
桜情報に小林麻耶の暴走、小室圭の試験結果に至るまで、
なんだかんだ言いながら楽しみにしてきたのだ。
わざわざ自分から検索しにいく程ではないこれらニュースが無くなり、
これからのイギリス生活に、潤いが少し減るように思う。
今週に入ってから、午後はAlbany &地域調査、
夕方から観劇というルーティンが戻ってきた。
昨日はバービカンでジョイス・ディドナートの演歌歌手風コンサート、
今日はAlbanyで子ども用プログラム『SLIME』を観た。
オフィスでは、前より日常会話に入っていけるようになった。
フィッシュ&チップスはSKATEという魚が好きと伝えたら
大いに共感を得たが、パイ&マッシュの店でキドニーパイと
ジェリード・イール、それにチリ・ヴィネガーを鬼ほどかけて
常食していると言ったらドン引きされた。
この組み合わせはごく一部のコアな英国人のみが好むもので、
苦手な人が多いらしい。外国からやってきてふた月の人間に
「オレはクサヤと鮒ずし、豆腐窯が大好きなんだよね」と言われた
ようなものだろうか。美味いと思うけどな。
『黒いチューリップ』の台本打ちが約2週間で完了。
明日から誤字脱字チェックしながらまた読む。英国の室内灯は暗い。
目が疲れているので、ブルーベリーを買いにいかなければ。
2022年4月 6日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑近所のFordham Parkに石碑があって、お供え物が動物たちに食べられて
いた。リスやキツネを毎日見かける。
今日は"黒人"について書く。
昨日"宗教"について触れたので、今日は"人種"だ。
日本にいた時、こういう話題をどうして良いのか分からなかった。
一昨日、ロイヤル・コート・シアターで渡英後50本目の劇を観たが、
これが"黒人"についての芝居だった。1ヶ月くらい前、
ブッシュ・シアターで観た劇も黒人のサッカー少年3人のみの劇だった。
それに、最近はAlbanyとの関わりの中で調べ物をしている。
1981年1月に起きた「New Cross House Fire」という事件についてだ。
これにも人種の問題が深く絡んでいる。
Albanyから歩いて10-15分ほどのところで起きた出来事。
10代後半の黒人青年たち13人がホームパーティー中の火事で亡くなり、
これがきっかけで、大規模な人種差別撤廃運動が起こった。
警察当局の事件の処理の仕方に疑義が寄せられたためだ。
異人種が起こした放火や事故だったのではないか。
その上で、黒人の青年たちが自らの過失にされてしまったのではないか。
そういった疑問に対して、公式な見解は現在に至るまで、
当事者たちの過失で済まされている。真偽はわからない。
が、これが運動につながり、現在の社会を生みだす
大きなきっかけとなったのは確かだ。
この国が多様性を重視するきっかけとなった事件がここLeshamの
一画で起こった。それで、モニュメントや事件現場だった場所を
見て回っている。
日本にいる時、黒人の人を見ると正直ギョッとした。
慣れないし、たまにしか見ないから怖いし、驚いた。
知人が一人もいないので、距離感がわからなかった。
ところが、こちらに来て激変した。
まず、ミミのおかげ。それからチーフプロデューサのヴィッキーや、
技術スタッフの頼れる男ケイトリンもいる。
黒人の人といることがすっかり当たり前になった。
全体的な感想としては、体のバネやリズム感がすごい。
クラブイベントでちょっと体をゆすっているだけの姿を見て
「ほお〜」と見惚れてしまう。サマになっているし、
それくらい違いを感じる。
ただしミミは例外で、彼女は身体能力!というより知的で
いかにも育ちが良さそう。当たり前だけれど、人によって違う。
先日、シンポジウムで登壇したミミは、自己紹介で「I am a black woman.」と
言っていた。あ、こんな風に挨拶の中に人種の説明が自然に混ざるんだ!と、
ひとつ心がほどけた。ロイヤル・コートの劇の2回目はミミと行く予定。
黒人としての彼女がどう思うか、教えてもらいたい。
こうやって、信頼関係をもとにした一つ一つのやりとりの中で、
適切な距離感やエチケットを覚えている。
2022年4月 5日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑気の良い二人!初めてできたイスラム教徒の友人。モスクに行きたい!
昨日は学校に行くと、アラビア語圏の友だちがグッタリしていた。
聞けば、ラマダンに入ったからだという。
「朝ごはん食べられないから、チカラでないよ」
と英語で泣きごとを言っていた。
完全に断食ではなく、夜中のうちは飲み食いできるというシステムだ。
これがきっかけになり宗教について話し込んだ。
自分は物見遊山的な興味でもって、聖書やコーランを読んだことがある。
高校が曹洞宗系の学校だったので、仏教、禅宗の本も少々。
ゾロアスターとかグノーシスの本も暇だった学生時代にパラパラやった。
特にグノーシスの、ニセモノの神様が自分をホンモノと思い込んでいる、
というくだりは深い。世界の真実の一端がここにある。
話を戻すと、一神教の中で、イスラムは後発の宗教だ。
ユダヤ教があってキリスト教があってイスラム教がある。神様は皆同じ。
そのために、コーランには特に聖書の反省が生かされているように思う。
というのも、聖書(特に旧約!)は物語から教訓を読み取るために
異常に多くの解釈を生んでしまうのだ。それが面白いのだけれど、
同時に多くの論争を生んだ。そこへいくとコーランは実践的だ。
日に5回お祈りするべしとか、より貧しい人に財を分けなさいとか、
利子は悪しきもの、とか。具体的。目の前で友だちが苦しんでいる
ラマダンにしたって、これはみんなのために健康法なのだと思う。
年に一回デトックスしましょう。ということではないか。
僕は演劇をやっていて、高校時代からギリシャの古典劇が好きに
なったんだけど、現在にこれらが伝わったのはアラビアの人たちの
おかげなんだ、と、そんな話もする。
ローマ帝国でキリスト教が国教化されたときに、
ギリシャの神々は数も多いし怪しすぎて排除したらしいのよ。
それで、一端アラビアで保管されて、十字軍との聖戦の中で
西ヨーロッパに古代ギリシャ文化がカムバック。ルネッサンスに至る。
君たちの断食のおかげだ!とか言って。
「オレたちがブタを食べないのは、ブタは不衛生だから食べると
病気になると考えているだ」とも教わった。
「現代のブタは衛生面で大丈夫だと思うよ」とこちらは答える。
それくらいにフランクに話せるところに、この学校の良さがある。
せめて君らの前では食べないようにするよ、と約束した。
同じムスリムでもラマダンの捉え方は人さまざまで、
「オレは働いているので週末だけで良い」というナイスガイもいるし、
「ラマダンなので1ヶ月間学校を休みます」という女子もいる。
この大らかさがギリシャの文化を延命させたのではないかと思う。
唐さんとアラビアといえば、どんな関わりがあるだろう?
(1)アリババ・・・アラビアン・ナイトの外伝より
(2)盲導犬・・・・ファキイルという名前
(3)海の牙・・・・シェエラザード
※(3)はバングラディシュ公演の影響と思われる
(4)鉛の兵隊・・・小泉政権下のイラク派兵がモチーフ
「ラマダンの三日月が夜空をしゃくる!」という名ぜりふ!
と、すぐに思いつくだけでこれだけある。
4/1(金)
学校→久々のAlbany出勤→WIGMOREでヨハネ受難曲
4/2(土)
掃除・洗濯→『鐵仮面』本読み
→『WOLF!』@Canada Water Theatre→買い物@Canary Wharf
4/3(日)
『下谷万年町物語』WS※電波とぎれがちで迷惑をかけ、凹む
→『WOLF!』2回目@Albany→Roth +London Sym@Barbican
4/4(月)
学校→Albany→New Cross House Fireの調査@New Cross
→For Black Boys......@Royal Court ※渡英後50本達成!
2022年4月 1日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑この犬の絵がもっとも面白かった。
今日も方々に出かけた。
学校が終わってケータイショップに行き、これをひと月更新。
それから一度帰宅してZoom会議に臨んだが30分足らずで終わる。
拍子抜けしたところに机を見ると、ミス・ダイアンが残していった
フランシス・ベーコン展のパンフレットがある。
そこで突撃することにした。
とにかく5:00pmまでに入れば良いのだ。もちろん学生料金で。
このあたりの反射的移動が速やかになってきた。
頭の中に地図と路線図を思い描いて、最短距離を出す。
交通費が安くなることも考える。2ヶ月の成果だ。
まじまじ観たが、犬の絵がもっとも気に入った。
フランシスは、欲動が強くて、神経剥き出しで、
自分に振り回されっぱなしで生きづらい人生だったと思った。
が、ミス・ダイアンに言わせると、それ以上に周りを不幸にしたそうだ。
なんとも返答に困るやりとりを帰宅してから受けた。
『ベルセルク』『鋼の錬金術師』『ハンター×ハンター』など
多くのマンガがインスパイアされているのも感じた。
今日はもう一つ。
Sadler's Wells Theatreに行き
William Forsythe振付のEnglish National Balletを観た。
実に1990年年代的なトレンディなノリで、
まるでティーンたちの文化祭かダンスパーティのようだった。
もちろん、惜しげもなく披露されるテクニックの数々。
ガチガチの古典をやっているダンサーがたまにこういうのを
やると嬉しい、そういう喜びが溢れて、客席を巻き込んでいた。
大変な盛り上がりで幕を閉じた。
ところで、帰宅するとダイアンは盛んにチョコレートを勧めてくる。
ロンドンではキットカットなど安く大量に買えるので、
自分はつい手が伸びて、ズブズブになることを恐れている。
アイスクリームとチョコレートは大敵なのです。
と言い続けているのに、母の日のプレゼントにと息子が贈ってきたから
と勧めてくる。こう言われては断れない。
彼女は私が食べるのを見ながら嬉しそうだ。
こちらはフリで言っているのではない。
歯止めが効かなくなることを心の底から恐れているのだ。
人は、人が怖がることを仕向けてみたくたる。
そういう落語=古いコメディのお話が日本にあることを彼女に伝えたら、
笑っていた。
2022年3月31日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑古き佳きダンスホール。現役だ。
4日目に歩いた場所の記録を残したい。
この日はAlbany周辺まで行き、皆は元気かな?と思いつつもちろん建物には
入らず、まっすぐに南下するコースをとった。
Lewishamエリア中央部分の南端Honor Oak、ここを目標にした。
かなり単純な道なのだが、延々と登りなのだと実感しつつ歩く。
このゾーンは国鉄の駅がいくつもあって、
面白いのは同じ路線の駅ではないことだ。
つまり、北西のロンドン・ブリッジ駅から放射状に線路が伸びているため、
自然と何本もの線路を渡る仕組みなのだ。
つまり、地元の人たちにとって、都心に出るには簡単だが、
東西の移動にはバスを利用することになる。
自分は物見遊山なので、ゆっくり歩きながら写真を撮る。
結論から言うと、この日に歩いた地域は完全に戦後の新興住宅地らしく
いずれも同じ規格の家がズラリと並んで、それが英国の人の気質により、
大事に大事に修繕されながら使われてきた印象だった。
日本人も物を大切にして始末が良いと思うが、
イギリスの人たちの物持ちの良さはかなり突出していると思う。
↑この中が体育館化しているなんて、想像できなかった。
Brockleyで面白かったのは、覗いた教会だ。
先日、教会でStabat Materに感激してから、教会への垣根も取れ
むしろ、またあんな良いことないかなと積極的に除くように
なったのだが、ここでも意外な光景を目にした
覗いてみると、イスが取り払われて、
マットが敷かれた体育館状態の教会内で、
子どもたちが跳び箱や体操、ダンスの練習などをしていたのだ。
変なおじさんが覗いているわけだから、
レオタード姿の先生が走ってきて「何ですか?」と質問された。
「私は劇場で勉強している日本人だ」と答えたところ、チラシをくれた。
見れば、イースターに向けて出し物の練習中なのだ。
面白そうだから、これは見に行く。
↑イースター、キリスト教社会では重要な祭典だ。
さらに南下するとForest Hillに出て、大きな霊園がふたつあった。
先日の墓地が良かったので覗いたが、こちらはかなり整然としたもので、
初回以上の驚きはなかった。が、より現役感がある分、バルーンや花文字で
「DAD」とあるなど、当地の人たちが亡くなった肉親に込める
想いの表し方を知れて良かった。
↑霊園入口、ひっきりなしに車が出入りしている。墓参が盛んだ。
一帯の丘の頂上として、One Tree Hillという場所に出た。
東京でいうと戸山ハイツの箱根山的な雰囲気だが、
歴史的には古代ローマのブーティカ女王がここで現地人に敗戦したり、
エリザベス1世がここを訪れたり、第二次世界大戦中は、敵の飛行機を
撃ち落とす砲台ともなったらしい。
↑これで撃ち落としていたのだろうか。
そしてHonor Oak。
ちなみに、語学学校の同級生である超お金持ちアラビア人青年は
この地に下宿しており、翌日「なぜ来ることを教えてくれなかった?」
と責められた。語学学校の生徒たちは、みな自分より郊外に暮らしている。
うちはアクセスも良いし、街場も近い上に自然にも恵まれている。
何より、生粋のロンドン人かつ芸術に精通したミス・ダイアンがいる。
友人たちはみな愛情を以ってホストファミリーに迎えられているようだが、
自分は相性の面で恵まれたと思う。
帰りは、スタスタと下るだけだった。
巡っていた中でぶっちぎりで変な町がCatfordであることは揺るがない。
あとは、南西にあるCrystal Palaceを訪ねればLewishamひと通りだ。
2022年3月30日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑右がジュエリー・イール(ウナギの煮こごり)
紅茶の付けて1,400円くらい。豚骨ラーメン1,800円がいよいよ変だ。
今日は疲れている。
連日の遠足で疲労が蓄積してきている。
さすがに一日20キロを連日はやりすぎだったか。
そこで今日はライトに、元気になる話題を。
日本人が死ぬ前に食べたいものは鰻丼だそうだ。
ほんとか!?と怪しんできたが、最近その気持ちが分かる。
だからと言うわけではないけれど、渡英前、浦和まで行って鰻を食べた。
最近、ウナギに対する思いはイギリス人も同じだと知った。
体調を崩したミス・ダイアンに、ウナギ買ってきて!と頼まれたのだ。
ロンドンではより身近にウナギがある。
フィッシュ&チップスと並んで庶民的な料理にパイ&マッシュがあるが、
その付け合わせで、ぶつ切りのウナギを酸っぱく煮たものが
トッピングできるのだ。そして、ここが肝心なのだが、
通常は温かで食べるこの煮ウナギを、
冷たい状態で食べるのがネイティブなのだ。
ウナギは英語でEelなので、「ジュエリー・イール・プリーズ!」
と言えと教わった。周囲にまといつく煮こごりが宝石のようだと
いうことらしい。
これは美味い。チリヴィネガーをたくさんかけて食べると尚うまい。
酸味もあるし、疲れたらこれだと思うようになった。
ついでながら、英国の人は揚げ物によく塩と酢をふりかける。
酸の取り方が上手いようだ。風呂で身体を温められないので、
疲れの抜きかたを確保し、長期滞在に向き合っている。
他に、
ミキス・テオドラキス作曲のギリシャ音楽を聴いたり、
フォークソング同好会に顔を出したりしている。
遠足の成果はまた明日!
2022年3月29日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑休憩時間に話を聞いた。こんなに達者な人たちが身近にいるなんて。
3/27(日)からイギリスはサマータイムに入った。
この日だけ1日23時間にして、今後の日照時間を有効に使う工夫と
理解している。当日はすっかり忘れていて、朝起きた時はいつもより
長く寝ることができたと思った。そこから身支度をして
ワークショップのためのZoomを立ち上げると、誰もいない。
おかしいと思ってしばらく待機していると、
ミス・ダイアンが時計を1時間繰り上げてくれと頼んできた。
一気に事情が分かった。これからの日本との時差は8時間。
3/28(月)は面白いことがあった。
学校を終えた帰り、たまたま一緒になったエリザベス先生と歩きながら、
先週に彼女の住まい周辺を歩いたことを伝え、セメタリーの面白さを
話し合った。彼女も好きらしい。次はHighgateに行くべきねと教わる。
カール・マルクスのお墓で有名な墓地だ。
それから床屋に行った。英国で2回目。前回とは違うところ。
寝落ちしたら"Don't sleep!"と言われた。日本ではこちらの状態に
床屋さんが寄り添ってくれるが、ロンドンでは彼が髪を切りやすいよう
こちらが合わせるのだ。まことに厳しいが郷に従う。
さっぱりして家に向かった。
昨夜・早朝と書類を作ったので少しのんびりしようと思ったのだ。
それで坂を登って行ったが、気になって、家の直前にある教会を
初めて覗いてみた。教会は開門していればウェルカムだと聞いたけれど、
慣れないのでなかなか緊張する。
けれど、すぐに入って良かったと思った。
オルガンとヴィオラ・ダ・ガンバを弾く男性が合わせて二人、
歌手の女性が二人の合計4人で演奏会の練習をしていたのだ。
お客さんは自分だけ。
アルトの女性が歌っていたので、手の空いていたソプラノの人が
相手をしてくれた。フランスの古い歌を歌っているらしいが、
かなりレベルが高い。教会の反響によるハーモニーが抜群。
席について聞き惚れていると、アルトの人が寒さを気にし始めた。
ソプラノの人が「温かいお茶を淹れてくるね」と。
すっかり魅了されたので、思い立って坂のふもとに走り
いつものパン屋でマドレーヌを買ってプレゼントした。
今日のチケット代ということで。そこで5人で少し話ができて、
今度の演奏会の情報をメールしてくれることになった。
オルガンの人は東日本大震災前の日本に来たことがあるらしく、
当時、心を痛めたそうだ。写真を撮らせてもらって、練習再開。
イントロを聴いて驚く。
ジョバンニ・バティスト・ペルゴレージの『スターバト・マーテル』
いつか生で聴いてみたいと20年来おもい続けて来た曲だ。
アンドレイ・タルコフスキー監督作品の中でも特に好きな『鏡』の
中で使われた音楽だ。この監督は曲使いの名人で、
ヘンリー・パーセルの『インドの女王』、
バッハの『ヨハネ受難曲』や『オルガン曲BWV639』など、
大好きになった曲をいくつも教わった。
特にペルゴレージはいくつもの録音を聴いてきた。
それが突然に始まったのだ。呆然としながら練習の区切りで、
感激したこととその理由を伝えずにはいられなかった。
「excellent!」と言って向こうもよろこんでくれた。
本番は4/10(日)18時からだそうだ。必ず行く。
コンサートホールとはまた違った格別の体験だった。
たまたま入った教会で、ずっと聴きたかった曲を聴けるなんて。
音楽を進行させながら、失敗を笑って乗り越えながら工夫を重ねて
掛け合っていく姿が、本番では体験できないステキさだった。
先週末から週明けまでの動きは下記の通り。
3/25(金)
学校→本読みやWSの準備→Brackheathでギャビンやミミ、
ミミのパートナーとピザを食べ→ホールでポップスコンサート
3/26(土)
テツヤとの配信→『鐵假面』本読み→Lewisham Art Houseで
インスタレーションを観る→Southbankで『ヨハネ受難曲』
3/27(日)サマータイム始まる
『下谷万年町物語』WS→掃除・洗濯→Notting Hill GateでCD買う
→Oxford Sircusで半袖シャツ買う→WigmoreでSixteen→
帰宅後、母の日のプレゼントをミス・ダイアンに渡す
3/28(月)
学校→床屋→近所の教会でPergolesiの練習を聴く→
BarbicanでMikis Theodorakisのギリシャ音楽を聴く
毎日『黒いチューリップ』に取り組んでいる。現在、二幕序盤。
まだまだこれから先が長い!
2022年3月25日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑グリニッジで馬に乗る警察を見かけた。
今日も歩きに歩いた。
語学学校を終えて、一度帰宅した。
ミス・ダイアンにお使いを頼まれたのだ。
彼女は体調が良くないので、代わりに郵便局、スーパー、薬屋を
巡ることになった。紙に書かれた指示に従うだけだが、
おかげで、こんな近くに郵便局があることを知ったり、
便利なドラッグストアの存在に気づいた。
イギリスのスーパーで野菜を買うのも初めてで、
彼女のメモを頼りに店員に訊きながら買い物をした。
Rochetというのはルッコラのことだと分かったし、
人参は本数ではなく、重さでの買い物なのだと学んだ。
大きい方が得だろうと買った人参は、ダイアンには大きすぎた。
薬屋では、すでに電話でのオーダーもなされていて、手紙を渡せば
一式揃えてくれたが、店員が入れたティッシュペーパーがダイアンの
想定と違い、あとで返品した。返品する時に一旦断られたので、
店でダイアンに電話して、スピーカーフォンで直接会談してもらい
ことは成った。平日の午後に家の近所にいるのが初めてなので、
また違った風景が見える。聖アーシュラ女学院の女子高生たちが
紙切れ片手に大声で電話している。「国語9!数学9!・・・」
成績が出たのだろう。色気が全くないワイルドな女学生たちには
元気いっぱい。未来を切り開く元気が備わっている。
ここから散歩。
The AlbanyのあるDeptfordを少し南下すると、東西に走る道路がある。
交通量が極めて多く、国道246に似ている。多くの種類のバスが走る
ことからも、かなり重要な道路であることがわかる。
この道を主流に各地に枝分かれしていくことのだ。
今日はここを西進する。
「一品行YIP」という店があって、小さいが、ここはアジア-日本の食材が
たくさんあった。考えてみたら、横浜でもっとも韓国の食べ物が
揃うのは福富町の小さな店だ。将来、困ったらここに来よう。
↑醤油、味噌、酢、みりん、海苔...etc。日本食を振る舞うときはここ!
国鉄New Cross駅を越えると、Deptford Hallというのがあった。
残念ながら扉が閉まってて入れない。
さらに歩くとGoldsmiths University
という大学があった。かなり変な建物。中の様子が丸見えなガラス多用の
デザイン、きしめんが舞うようなオブジェ。後でダイアンに訊いて分かったが
芸大だそうで、かのダミアン・ハートの母校らしい。
New Cross Gateが栄えているのに驚いた。通り沿いの商店、
大型スーパー、ここが特に交通の要所であることがわかる。
↑近くに美味そうなハンガリー料理屋を発見
New Cross Bus Garageまできたところで、進路を南に切り替える。
Nunhead Cemeteryという墓地が見たい。イギリスの一般的な霊園が
どうなっているのか知りたかったのだ。坂を登って峠を越えながら、
途中、Telegraph Hillという公園を通った。斜面にある芝生や遊具で、
子どもも大人もよく遊んでいる。日光浴の数の多さ。
ジャグリングの練習に励む青年もいた。
Nunhead Cemeteryは今日の一番の収穫だった。
地下で眠っている人には申し訳ないけれど、お邪魔させてもらった。
ランダムに点々とする墓跡の様子、水平すらとっていない英国のお墓の
様子に文化の違いを感じた。
朽ちた煉瓦造りの礼拝施設が立ち入り禁止になっていて、
タルコフスキーの映画のようだった。日没も迫り、園内はひんやり
していたが、ジョギングする若い女性が猛スピードで駆けていった。
↑Nunhead Cemeteryの入口。正面にメインの建物。両側にお墓が点在。
住宅もお墓も、日本と英国では発想が違う。
塀を信じる日本。壁しか信じない英国。
このところ体験している、ミス・ダイアンが自宅に施すセキリュティの強さ。
閃くものがあった。
進路を戻して国鉄沿いに歩き、Nunhead駅を経てPeckhamに着く。
途中、集合住宅の共有施設では、空手の稽古帰りの少年たちや、
小さな体育館でエアリアルの練習をする女性を見た。
Peckhamは都心に近く交通の要所でもある。
Deptfordをさらに大規模にした雑然さに充ちている。
エリザベス先生の家はこの辺と聞いたが、彼女の通勤経路が想像できた。
時おり遅刻をするわけだ。帰路はバスで。ダイアンの望むティッシュは
明日に持ち越しだが、駅のフリーペーパーは手に入れた。
一旦、家に帰り、改めて9:00pmに出かけた。
ORIVER'S JAZZ CLUBが家から5分のところにあり、
有名な老舗なのだとエリザベス先生が教えてくれたのだ。
ダイアンにこれを伝えたら、あそこのオーナーはミスター・セックスだ。
同性愛の人がいっぱいいるから気を付けなさいと笑いながら言われた。
が、店に入ると客は10人ほどで、演奏もまあまあ、
夜中まで付き合うわけにもいかないので、ある程度で引き上げた。
週末にまた行って、この店の真価を知りたい。
連日20㎞以上歩く。なんだかお遍路さんみたいだ。
1月末に渡英して以来服装が冬のままだが、昼間に歩くと汗ばむ。
が、飛行機を使った国際郵便が戦争の影響で停止中らしい。
春や夏のものを買うしかないか。と悩んでいる。
2022年3月24日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑初めて、Lewishamより南に行く。あのトンガリつくるのは大変そう。
今日もよく歩いた。
早朝にBanKARTの池田修さんの訃報が届いて混乱する。
年末に会ったのが最後だった。KAIKOがオープンしたばかりなのに・・。
池田さんは常にいろんな企画を進行させていたけれど、
年に一度ほどご自身の好みを全開にした催しをやっていたと思う。
その仕事が好きだった。原口典之さんの展示の時は何度も通った。
「やっぱりファインアートすごいよね」
と言う池田さんが可笑しくて、でも本気で同感した。
劇団もしんどい時期に助けてくださった。
結婚する前、元旦に帰省するため新幹線に乗ったら、
同じ自由席に手ぶらの池田さんがいた。自分は名古屋で池田さんは大阪。
大晦日にBanKARTで宴会をやって、翌朝に帰省するところという。
現場が好きで、スタッフやお客さんといるのが好きだと言外に伝わった。
ちょっと寂しがり屋な感じを受けて、また別の意味で池田さんを信頼した。
・・・・・。
日本に電話したら止まらなくなってしまった。
室井先生の研究室が閉じられる日でもあったのだ。
もうとっくに卒業したはずの学生時代がもう一度終わってしまった
という実感に驚く。いまだに先生に依存する心があるのだと実感。
もう40歳過ぎているのに。18-34歳までのあまりに長期間、
一緒にいたから言い尽くせない。
椎野やKAATの眞野さんにも電話した。
色んな人に世話になりまくっている・・・
遅刻して語学学校に行く。
新米先生が日本に留学して名古屋に滞在していたと分かり、
授業後にいろいろと話した。その後、ミス・ダイアンに頼まれた
買い物をして一度帰宅し、すぐ散歩に出かけた。
ここからが本題。今日はLewisham駅から初めて南下する。
すぐに新興の住宅地になって、生活に余裕アリというゾーンが広がる。
Lewisam Hospitalの裏に広がるLadywell Fieldsという公園。
子育てしやすそう。こちらの人は日光を大事にする。ピクニックが上手い。
↑遊具コーナーには柵がある。親は楽だろう。
さらに南下して30〜40年前の新興住宅地を抜けると
面白い街に出た。Catford。初めCatfoodにしか見えなかった。
巨大なペット用品店でもあるのかと思った。
かに道楽のカニくらいのサイズで巨大な猫もいたし。
懐かしい雰囲気の活気ある商店街。
↑絶対にFOODだと思っちゃう。
築90年のBroadway Theatreも発見したが、
改装中のようだった。後でミミから、設備にいろいろ問題があって
改修がうまくいっていないと聞いた。
↑改修中のBroadway Theatre
交通もメディアも未発達の時代に地元に貢献してきたであろう威容。
さらに南下し、巨大なカー用品店や洗車場がいっぱいある地区に出た。
店も国道沿いの感が強い。16:00前にBellinghamに着き、
国鉄で移動しようかとも思ったけど、やはりバスでLewishamに戻った。
今日行った地域はおしなべて横浜の本牧的だ。後からできた街の雰囲気があり
整然とした住宅地や巨大なお店がある。
↑Bellinghamの国鉄。都心まで30〜40分ほど。
ショッピングセンターのカフェで16:30からミミとzoomで話す。
「まだ西に行ってないんだけど、貧しくて治安が悪いのって
LewisamとDeptfordだけ?」と周囲に慮って小声で聞いたら、
ミミに爆笑された。ほぼYesという返事だ。
最近、ミミの話をしてよ、とお願いしたら、
彼女は大学時代に舞踏に興味を持ち、ダンサーの先生に教わったことを
教えてくれた。土方巽も大野一雄ももちろん知っていると言われて、
唐十郎門下、元上星川住民の血が騒ぐ。自分はミミの役に立てる!
オレが気に入りの蕎麦屋で食べていると、大野先生の家から
出前の電話がかかってきたものだ。そう伝えてまた笑われた。
将来、ミミを日本に呼びたい。ここでしてもらっていることの
お返しを少しでもできたら、どんなに良いだろうと思う。
ところで、Zoomのためにカフェのテーブルにパソコンやケータイを
出すことには緊張感がある。警備員さんのいるセンターの中だから
大丈夫だろうか? 一店舗ずつのカフェの軒先だと場所によっては危険?
そんな風にビクビクしながら、初めて家と劇場ではない場所でZoomした。
カバンは常に視界のうちに入れる。
もう一つ、忘れないように書いておきたい。
ショッピングセンターを出たところで、電動車イスのダウン症の女性と
すれ違った。男性二人がお世話していた彼女は30歳過ぎくらいだろうか。
ふと見ると、車イス付属の荷物入れにビニール製の赤ちゃんの人形が
覗いていた。一瞬で打ちのめされた。
夕方からはセントラルに行き、書店FOYLES本店→Charing Cross
→Southbank Centreに行って帰宅。
2022年3月23日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑グリニッジ公演の南端に戦没碑があった
今日から午前中は学校に行き、午後は散歩することにした。
そもそもロンドンは32地区に別れており、Lewishamはその一つ。
研修先のThe Albanyはロンドン市が行ったコンペに勝って、
劇場が地域を盛り上げるためのフェスティバルを2022年を通じて
行なっている。それが「WE ARE LEWISHAM」だ。
自分としては、一度、区内をくまなく歩いてみたい思った。
月曜の朝シンポジウムで、久しぶりに多くの劇場スタッフに
まとめて会ったが、何人ものスタッフに「アツシはいつも劇場にいる」
と言われた。一通り顔見せは済んで馴染んだようだし、
今度は、この劇場が盛り上げようとしている地区を肌で感じてみたい。
どんな地形で、どんな歴史を持ち、どのような人たちが住んで、
地区の雰囲気がつくられているのか。歩いて把握する。
大通りだけでなく、住宅街にも分け入って、民家や学校を眺める。
家や庭の様子や子どもたちを見れば、そこに住む人が想像できる。
商店にも入って、美味い店も見つけたい。
考えてみれば、KAATでも初めにこんな動きをした。
神奈川県は広いから、車を調達して走りに走った。
イギリスでは車がないがその分狭い。徒歩で十分だ。
↑庭が広い。高級車がたくさん。
Greenwich Westにある語学学校を出て南に進む、
登りを経てBrackheathへ。ここは有名な観光地だが、
行ったことのある中心をわざと避けて、区の境界ギリギリを歩く、
高級住宅地だ。庭は広く、高級車がいたるところにある。
学校の広々としており、いかにもお金持ちの子弟がバスケットボールを
していた。
↑新築のマンション群
高級マンションが次々と新築されている様子で、
公園にはユニークな遊具があった。
さらに南進してLeeを目指すと、もう少し落ち着いた
昔から裕福な人たちが住み続けている雰囲気に切り替わる。
新築エリアには生活感がないが、住み慣れた居住まいの良さを感じだ。
国鉄Lee駅は周辺にだけお店があり、広大な公園と住宅街だった。
↑Lee駅前。「WE ARE LEWISHAM」のフラッグがあった。
この場所が自分にとって重要なのは、
好きな詩人で小説家のErnest Dowson(1867-1900)の出身地
だからだ。唐さんも好きな「酒とバラの日々」という言葉は
彼の詩による。同名の映画が作られたのを唐さんは観て
『二都物語』二幕にこのタイトルをつけた。
自分は20代の頃に岩波文庫から出た短編を読んで気に入り、
翻訳で読めるものは読んだが、土地柄を見て彼の原点を実感した。
彼が生まれる前年に国鉄開通。地方の商人がロンドンで商売を
するために屋敷を構えたこの場所には豊かな邸宅が多い。
けれど、すぐ近くにLewishamというワイルドな一帯を見下ろす。
↑Bwlmont Groveという地域。この丘のあたりでダウスンは生まれた
金持ちしか知らない金持ちと、貧しい人々を知っている金持ちは違う。
ダウスンは後者ゆえにあのような作風になったし、身を持ち崩して
破滅していくやり方を、小さい頃から体感していたのだと思う。
それにしても、何人かのイギリス人にダウスンの話題をふったが、
誰も彼を知らない。ミミも知らいという。
今度セントラルに行ったら、本屋で本を探したい。
小説には英語力が追いつかないが、詩なら辞書を引き引き味わえるかも。
Lee一帯は今日の気候の良さも手伝って、別荘地のような優雅さだった。
そこから北上しLewisamを経て帰ってきた。
途中、ダイアンに頼まれた買い物をしたりして。
合計10マイルちょっと歩いた。
2022年3月22日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
ロンドンの町で目につくものがいくつかある。
まず、ゴミ箱。やたらたくさんあって、でも道路はゴミだらけ。
一体誰がどうやってあのゴミ袋を一つ一つ取り替えているのか、
よほど早朝の仕事なのだと思う。
あと、床屋。
床屋、美容院、こういったものは本当によく見る。
自分は床屋にすでに一度行ったが、耳のうぶ毛を除くため
お線香の炎のようなもので耳を炙られてびっくりした。
確かにキレイになったが、それにしても熱い。
ネイルサロンもよく見るし、お客が常に入っている。
緑も多い。ここは確かに都会なのだが自然が大切にされている。
住宅街の中によく芝生や花壇を見かけるし、広くて美しい公園が多い。
こういうところでお金をかけずにリラックスして休日を楽しむ方法に
英国の人は長けている。
そしてやはり、教会。
これは、かなり立派なものが数多くある。
一軒一軒見応えのある建築物で、基本的に日中は解放されており、
土曜日には無料のコンサートが行われる。
こういう体験を通してバッハやヘンデルが身近なのだろう。
街中にトイレは少ない(駅にもない!)。教会はお手洗いを
借りられる数少ない場所でもある。
自分のいるAlbanyの近くには、ワイルドな商店街沿いに
小さな教会があり、軒先に十字架にかけられたキリスト像がある。
この像、誠に申し訳ないが少しチープで、とても神々しく見えない。
けれど、劇場の行き帰りに、熱心に祈る人をよく見かける。
夕方など、みじろぎもせず、ほんとうに一心に祈っている。
像がおもちゃみたいだからこそ、この光景はかえって尊く感じる。
この地域が、決して裕福な人たちのためのエリアでないこと、
周囲が雑然としていることが、祈る姿をいっそう峻厳にしている。
ひょっとしたらそれはこちらの思い込みに過ぎず、
「息子の受験をよろしく」「トトカルチョが当たりますように」などと、
私たちが神社でするのと同じようなお願いをしているかも知れない。
貧富の激しいロンドン、多国籍が入り混じるこの地域だからこそ、
お祈りがそんな風に、例えば生存ギリギリのものでなければ良いと思う。
先週末から週明けの動きは下記の通り。
3/18(金)
学校(エリザベス先生最終回)→AlbanyでRomicaと話す
→St Martin Churchで"Dido and Aeneas"を初鑑賞、外はデモの騒音
3/19(土)
写真家・伏見さんとzoom打合せ→洗濯→劇団本読み『鐡假面』
→KAATの同僚たちが仕事で成果を出していて嬉しい
→Dolden Chippyでエビフライ→Albanyで05FEST最終日"Rap Party"
3/20(日)
本読みWS『下谷万年町物語』第7回→掃除→Murchellaが満席
→Dolden ChippyでSkate→AlbanyでJazz Live"Love is Attention"
3/21(月)
午前中、Albanyでフェスティバルのためのシンポジウムに出席。
そのために語学学校を休む。ダイアンの体調が悪そうなので、
午後は帰宅して買い物などする。方々にまとめてメールを送った。
2022年3月18日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
みな楽しく喋っている。ついていけない自分はこのレモネードと対話。
飲み干すとすることが無くなってしまう。時間をかけてチビチビやる。
昨日はアップダウンの激しい一日だった。
まず、日本の地震が心配だった。
その上、KAATの仕事のうち渡英後も継続しているものに問題があった。
相手のあることでもあるから、連絡をしてはウトウトして返信を待つ。
そんな風に前夜から明け方までを過ごした。
いつもなら直接押しかけて解決してきたのに、今回はそうはいかない。
横浜国大の後輩でもアシスタントの小野寺さんが助けてくれた。
大人になった彼女を頼もしく感じた。
そういう滑り出しなので、予定の捌きが後手に回る。
すでに打ち終えた『唐版 俳優修行』の2周目熟読がままならない。
この作業が十全でないと不完全燃焼になり、一日が重く始まる。
学校への道も電話が続くのでやや遅刻気味。
冒頭30分は、先生や級友の話が入ってこない。
頑張ってスイッチをオンにしなければ、まだまだ英語は厳しいのだ。
1時間ほど過ぎたところから、なんとか持ち直した。
放課の間、いつもなら台本に向かうが、この時間も日本との電話。
授業の後半パートは音楽に関するプロジェクト。
失恋した時、元気な時、ホームシックな時、何かに挑戦する時、
さまざまな状況に応じてどんな曲が聴きたいか、というお題なので、
パソコンを出して即席DJをして遊んだ。
唐さん直伝の『悲しき天使』とかシャンソンやカンツォーネを
混ぜたりして。ポール・アンカやヴィソーツキーも紹介した。
ちょっと癒されたところで、良いことがあった。
授業後にエリザベス先生に声をかけられて少し話ができた。
来週から次のクラスへの進級を告げられたのだけれど、
それは大した問題でなく、お互いに人間的な話ができたのだ。
それから劇場に行って、ミミに会えた。
会議もしたけれど、ちょっと疲れているせいもあって、
なかなか話に入っていけない。終わった後に気になったことを
質問したら、自分の理解にトンチンカンな部分があることがわかって
内心落ち込んだ。加えて、目の前のミミはとても忙しい。
親切な彼女はカフェに誘ってくれて、目の前にいるのだけれど、
次から次へとやってくるメールにも対応しなければならず、
時間のかかる自分との会話に縛り付けるわけにもいかない。
流れで、今日はAlbanyで二日連続で同じ芝居を観ることにした。
セントラルに行くにはコンディションが悪すぎるし、
昨日はギャビンと観たこの芝居が自分には難しかったので、
もう一度トライしたら理解がマシになるかも知れないと思ったのだ。
それに、ミミも今日観るつもりだという。
ところが、今度はそこへAlbanyの他のスタッフがやってきて、
ミミも含めた彼らは高速イングリッシュトークへと突入したのだ。
こちらは自分に鞭をくれて残るすべての力を聴力に託したけれど、
典型的な外交人の疎外感を味わった。
自分がいるために皆がやりづらくならないよう、
取り繕うので精一杯だった。この瞬間が今日の最底辺。
それから眠さを殺して観劇をしたら、良いことがあった。
昨日は歯が立たなかったこの目の前の芝居が何を言いたいのか、
完全にわかってしまったのだ。
だいたい、これが日本語だったら、自分には人のやっていることを
理解するに誰にも引けを取らない自信がある。
こちとら難解で鳴らす唐さんの頭の中をずっと解き続けてきたのだ。
芝居に限らず、音楽だろうが美術だろうがダンスだろうが、
相手がどんな風に来ようと、その意思を汲み取らずには済まさない!
少しメモを取りながら観たが、今日のは完全にいけた。
それで、終わった後にミミとかなり話し込んだ。
舞台に仕掛けられた道具や演出の数々、せりふの示すところなど、
メモも頼りに膨大に指摘して、私もそう思う、と言ってもらえた。
性暴力にあった女性のモノローグだったから非常に重かったけれど、
巷のミュージカルとは違った意味で、自分は劇にもっと希望が欲しい、
そして希望とはある種の人間の愚かさではないかと伝えた。
愚かさとは、親しい人が亡くなった時にもお腹が空いてしまうとか、
そういうことだ。愚かであることや無駄なことの素敵さを、
唐さんを通じて自分はずっと考えてきた。
それにミミは、かつて英国公演を観て感激した蜷川さんの
ファンなのだそうだ。それなら、次は中根公夫さんのことも話そうと
約束した。一緒に渡英した自分のハードディスクには、
中根さんと蜷川さん、唐さんと蜷川さんの資料が膨大にあるのだ。
また来週の月曜に会おうと約束して別れた。
朝食は無し、お昼に焼きそばを軽く食べたきりの一日だったので、
帰りにゴールデン・チッピーに寄り、フライドチキンを食べながら
家への道を歩いた。肉を齧りながら坂をのぼると力が湧く。
けれどここはロンドン。元気のない時にフライドチキンが買えない
人も多い。そういう人はどうすればいいのか? そんなことも考えた。
今日はすぐ寝よう。
2022年3月17日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
朝起きてブラインドを開けると曇天。しめた!
今夜はAlbanyでイベントのみ。昼間に特筆すべき打合せもない。
ということは、昼間の自由行動が許される。
これが夜に他所の劇場へ行くようなら、
必ず昼にAlbanyを訪ねなければならない。
誰に強要される訳ではないが、そうでなければ新参者の、
言葉の苦手な自分がこの劇場の一員たることはできない。
大学に入った時、唐さんに接する時、KAATに入った時も
自分はそうしてきた。こういうところには室井先生の教えを感じる。
人は自分を見ている。一番大切なものから目を切ってはいけない。
Albanyに夕方遅くに行けば良いし、典型的なロンドンの曇り空。
となれば行くべき場所は一つ。ロンドン塔。
学校では絶対に今日出掛ける場所を言わない。
一緒に行こうよ!などと周囲に言われては台無しだ。
こちらは漱石の小説も日記も読んで盛り上がっているのだ。
必ずやひとりでなければ。
授業を終えるとすぐにカティサークに行き、
初めてテムズ川のボートに乗った。横浜のシーバスより揺れる。
うねうねと上流に進みタワー・ブリッジに接岸。
途中、高級住宅らしき建物をたくさん見た。
ボックスオフィスでMature studentと主張し切符を買う。
ロンドンはメリハリが効いている。あらゆる美術・博物館の
常設をタダにしておいて、ここは約4,000円とる。
中に入ると落胆の連続だった。
当然ながらすっかり観光地化されている。
小学生たちの遠足も元気に行進。さらにやたらと写真撮影を頼まれる。
カップルに、おじさんの二人連れに、言葉が不得意なオレに
頼むなよと思うが、声をかけられるとつい全力で応えてしまう。
さすが高額をとるだけあって場内は清潔。ロンドンでは珍しい。
庭も建物内もトイレも。スタッフにも緊張感があった。
が、展示のショーケースやモニターの数々が邪魔すぎる。
ついラーメン博物館を思い出してしまう。
歩き回っていると小雨が強めの雨に変わって子どもたちが去り、
夕暮れが近づいたので少し雰囲気が出てきた。
正直に言って、夏目漱石の『倫敦塔』は最初と最後だけ面白くて、
塔内の描写は自己陶酔が鼻につく。それにジェーン・グレイの
くだりなど、あまりに絵画のパクリなので興醒めだと思ってきた。
が、実際のロンドン塔に行ってみてその中間部を見直した。
漱石が訪れたのはすでにヴィクトリア朝末期だ。
ここはもうとっくに観光地化されていたはず。
だから、彼は十二分に現実を受け止めながら、
こうであって欲しいという姿を書いたのではないかと思った。
実際を体験して小説の価値が増した。
この小編の最後、漱石は宿屋のおやじに塔の感想を述べて冷や水を
浴びせられ、もう二度とロンドン塔の話をすまいと決心する。
当然、二度と足を運ぶこともない。
一方、自分は一度も行かず小説だけ読んでいれば良かったと思う。
最後はヤケクソで売店のキーホルダーを買ってしまった。
唐さんの『鐵假面』という戯曲が好きだ。だから鉄仮面を見ると弱い。
せめて、倍の値段をとっても良いから、
全消灯のうえ蝋燭でいくナイトツアーを組んでくれないだろうか。
それなら、自分はもう一度たずねてしまうかも知れない。
ところで、最もプロフェッショナルなのはカラスたちだった。
こちらの手の届く範囲に近づいても彼らは一向に物怖じしない。
目の前1メートルのところで糞をするカラスを初めて見た。
これには感心させられた。
2022年3月16日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
皆でくつろいで過ごす。どこからともなく演奏と歌が起こる。
自然に合いの手が入る。コンサートには無い滋味がある。
みな凄く達者だ。気分は宮本常一。誘ってくれたアダムさんに感謝。
『唐版 俳優修行』の打ち込みが間もなく終わる。
残すところあと1ページもない。というところで寸止めする
心地よさよ。これが終わったら誤字脱字チェックがてら
もう一度読み込んで、頭を整理するのだ。
学校に行ったところ、敬愛するエリザベス先生は休みだった。
昨日から病気らしい。コロナでなければ良いが。
Albanyへの道すがら、マッシュ&パイの店に寄った。
ミス・ダイアンが、あの店にいくべきだ、
そこでチリ・ヴィネガーをかけるべきだ、と強弁するのだ。
彼女の言うことは必ず聞く。なるほど、紅茶をつけても
£5のランチはリーズナブルだし、店でゆっくりできるのも良い。
食べながら、近くロンドン塔に行こうと決める。
Albanyではセリとロンドンの人件費や物価について話した。
劇場運営に関する予算について訊き、話が派生したのだ。
アツシの好きなパン屋は高い。そう言われた。
で、夜はライブハウス「マッチスティック・パイハウス」へ。
このまえ知り合ったアダムさんに誘われて、フォーク音楽の集い
に参加しのだ。これが実に不思議なイベント。
ロビーに着くと10数人が腰かけているのみ。
アダムさんに喋りかけるとあと10分で始まるという。
実際、8:15pm頃にオーガナイザーの女性が喋って、
男性が歌い始めた。会場はロビーのまま。
これが今夜の趣向なのだそうだ。一人目だけゲストシンガーで、
あとは思い思いに歌うのだとアダムさんに教わった。
信じがたい。しかし、実際に事は起こった。
オーガナイザーが緩やかに仕切ると、
誰かがギターを取り出して歌うのだ。
おじさんたちはみな達者だった。
他にアカペラ男子もいたし、ヴァイオリン弾きの女の子もいた。
二人でハモりながら弾き語る女子は抜群のコンビネーション。
ハモり、即興でギターやリコーダーも加わる。
そこへヴァイオリンまで入ってくる。間が開くと司会の女性が歌うが、
これがまたやたらうまい。アイリッシュが中心の夜。
とりわけ面白かったのが、ずっと酒をチビチビやっているおじさんで、
彼らは歌わない。聴きながら、涙目になっているように見えた。
不思議なことにこのイベント、集まった者は皆知り合いでなく、
最大でも3人連れか4人連れのペアがちらほらあるのみ。
要するに、知り合いでもない人たちが集まって、思い思いに歌う。
楽いそうにはとても若い男の子も寝そべるようにして参加している。
最終的には、大合奏になっていった。重ねて不思議な夜だ。
歌はどれも良かった。郷愁に充ち手いた。
自分はこれがひどく気に入り、次回3/26にも参加することにした。
振られた時のために、一曲くらい仕込んでおく必要がある。
マッチ棒パイハウスの黒板。どうやら定期開催らしい。
他イベントも覗いてみると面白そうだ。セントラルにない魅力がある↓
2022年3月15日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑実物を見た。オフィーリアの衣装は生地がかなり厚めだとわかった。
だから水吸って沈む。しかも清流でなく澱んだ水。絶対飲んじゃダメ。
3月13日、日曜日。この日は早く帰った。
引っ越してから1週間、初日こそ家にいたものの
以降は毎夜出かけてばかりきたが、昨日はAlbanyで行われた
子ども向けプログラムのみだったので20:00前に帰宅したのだ。
すると、話をしましょうとミス・ダイアンから声をかけられた。
彼女はこちらの行動を見てひどく心配してきたらしいのだ。
曰く、初めて会った下見の時からするとアツシはどんどん痩せていく。
ちゃんと食べているのか?と。
食べていますよ、と答えると、
このままではイギリス生活中にあなたは別人になってしまい、
日本に帰って奥さんに驚かれてしまう。それが心配だ、と引かない。
そこで、ここ数年の日本での不摂生について語ることになった。
日本では車で動いている。朝早くから夜遅くまで働いている。
夕食を家で摂るかどうかその日の流れ次第なので、
優しいワイフはちゃんと作っておいてくれる。
例え外食したとしても、そういうわけで、夜中にもう一食たべてきた。
しかも、うちには子どもがいるので、
ついつい息子の好きなお煎餅の良いやつを買ってしまう。
福祉施設への出入りも多いからクッキーも買ってしまう。
アイスクリームやケーキも買ってしまう。
それを子どもよりも自分がたくさん夜中に食べてしまう。
さらに、地元では夜中までやっている美味い店を知り尽くしている。
そもそも、日本は24時間営業の店が山ほどある。
うちの家は徒歩5分以内のところにそういう店が3軒ある。
しかも、渡英前はこれが食べ納めと言ってやりたい放題した。
結果的にかなり動きが鈍くなった。疲れやすい。
走るのが好きだが、忙しくて1日に30分弱しか走れない日も続いた。
その点、今は幸せだ。
時間に余裕があるし、ロンドンの景色が愉しいので1日12キロくらい歩く。
回数こそ減らしているが、食べるとなれば美味いものを食べる。
夜に食べないので調子が良い。店が開いていないので誘惑が少ない。
浮いたお金で劇や音楽や旅行に使うこともできる。
だいたい、自分がもっとも恐れているのは、
近所のスーパーにあるハーゲンダッツのパイント(480円相当)を
買ってしまうことだ。しかも悪いことに、置いてあるのは、
日本では見たことのないチーズケーキ味(一番好き)のパイントなのだ。
あの味を覚えてしまったら、この研修は失敗すると思う。
自分はあればあるだけ食べる人間だ。
アイスクリームのパイントを一回で食べたことも、
ケーキをホールでやってしまったこともある。
実は今日はAlbany近くの気に入りのイタリアンで奮発し、
日曜限定の軽いコースを食べた。スターターで出てきた
仔牛のカルパッチョが脳天をぶち抜かれるほどの旨さで
厨房を覗いてシェフ二人を絶賛し、記念にメニューの紙をもらってきた。
ほら、これがそれです。このデザートがまた美味いんですよ。
と、伝えたら、さすがのミス・ダイアンもI see.と言った。
そして、このエリアNo.1のピザ屋を教えてくれた。
明らかに日本より健康的だと思う。
気に入りのインド料理屋のおかげでベジタリアンぽくもなってきている。
ここ二日間の動きは下記の通り。
3/13(日)唐ゼミ☆WS→部屋の掃除→Deptford Lounge→Albany
3/14(月)学校→Albany→テイト・ブリテン→バービカンセンター
↓記念にもらったメニュー。毎週内容が変わるのでプレゼントしてくれた。
2022年3月12日 Posted in
中野note
↑家から5分のところにあるスーパーの前
今日は土曜日。しかし、林麻子のワークショップはお休みです。
彼女の劇中歌WSはニッチな感じもしますが、実践的で面白いものです。
なかなか参加者が増えないのでどうしてだろうと思っていたら、
"歌う"という行為に気後れするのだと聞きました。
確かに、歌のWSは参加者同士、家で家族から見られることを考えても
二重の恥ずかしさがありそうですが、唐十郎フリークにはぜひ参加して欲しい。
唐さんは若い頃からシャンソンやカンツォーネに目がなく、
劇中歌は唐さんの芝居の全編を集約する宝石です。
ひとつの歌を歌詞を読み解きながら歌ってみるだけでなく、
その同じ歌が、物語の進行とともにどう意味を変えていくか
知ることも重要かつ愉しい作業です。
楽しい歌が悲しい歌に変わり、主人公を励ます讃歌になったりする。
観劇後につい口ずさんでしまう劇中歌のある劇は名作です。
今ならまだ少人数。ぜひ讃歌してください。
さて、私の方は徐々に暖かくなるロンドンを味わっています。
今日は土曜日なので朝の動き出しに余裕があり、
家の近くに桜があるのを発見しました。
しかし、ロンドンはしばしば強風。
そのために雨が降っても誰も傘をさしません。
それほどの強い風がいつも吹いています。
当然、咲き誇る桜にも容赦なく風が吹き、
日本で見るような雅やかさは望むべくもありません。
他面、「ガンバッて咲いています。一瞬の命です」という峻厳な感じする。
ここ数日も色んなものを見ていますが、
一番すごいと思ったのはナショナル・ギャラリーでした。
これだけ錚々たる絵画をいとも簡単に、しかもタダで見て良いのか?
と思うくらいに、ロンドンは恵まれています。
日本の美術館では考えられませんが、ここでは、
フラッシュをたきさえしなければ誰でも撮影OKで、
有名な絵と記念撮影する老若男女をたくさん見ました。
日本だと"印象派展"という風にならざるを得ませんが、
ここには数百年間の絵画が勢揃いしていて、それぞれの時代に
人が世界をどう見ていたか、実感することができます。
被写体がキリストや聖人たち、王様ばかりの時代、
平面的で、画角いっぱいに光の当たる世界観から、
徐々に陰影がつき、遠近法が導入され、"人間"が自らの個を
強く信ずるようになった過程がダイレクトに実感できました。
あれだけのものを見て街に出ると、
ああ、自分の前に広がる景色のこの見え方も、
自分が生きている時代固有のものに過ぎないのだなと痛感します。
普段、自分が文学や歴史、もちろん演劇を通して味わっている愉しみ。
それぞれの時代や地域の人たちと交流する面白さを、
この日は絵画を通して味わいました。
当日にネットで予約すればすぐに飛び込むことができるのも魅力です。
カタログを読んで、また行ってみたいと思います。
↓大天使ミカエルが悪魔をやっつけている絵
2022年3月11日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑カーテンコールから。一日の終わりにめった打ちにされてトボトボ帰宅。
今日は調子が良かったのである。
新居に越して間も無く1週間が過ぎる。
一日のルーティンも定まってきた。
ミス・ダイアンの主導によって生活の中にコーヒーやティータイムが
自然に入り、日常はやや優雅になった。
就寝は早まる。彼女が寝たら自分も寝よう。
体力はより回復するだろうから、欲張りたい作業は明日の早朝に見送る。
そういう諦めも自然とつくし、結果的には身体に良いはずだ。
朝、学校に行くと、不思議と会話が入ってくる。
エリザベス先生の言うことも、課してくる課題もよくわかる。
英語に慣れてきたのだなと思った。いいぞ。いいぞ。オレ。
午後はオンラインミーティングが日本あった。
Albanyの周囲でコロナがくすぶっているらしく、
本当はLewishamの新拠点に集結して対面の会議をするはずだったのを、
急遽Zoomに切り替えたのだ。劇場では催しがひっきりなしだ。
これらを生かすために、少しでもリスクを刈り取らなければならない。
コロナに対するロンドン全体の雰囲気は極めて緩いが、
ミミの連絡から切迫感が伝わってきた。
そして、このミーティングが楽しいのである。
明らかに先月や先週よりもわかるようになっている。
今、資金調達の話をしている。今、先々のスケジュールを組んでいる。
最後に振られた時も、テキパキと質問や確認ができるようになった。
聴くことが大幅に楽になり、喋りはややマシになってきた。
それでも、みんながダーッとまくしたててくると
頭が彼らの喋りをブロックしてフリーズに向かい、やたらあくびが出る。
わかりやすく負荷がかかっているのがわかる。
そういう時はモニターをオフにしてゴロゴロしながら聴く。
治ったら画面をオン。そうすると何とかついていけるのだ。
会議後のみんなにも励まされ、やれそうだな、などと悦に入った。
が、今日の夜にAlbanyで観た催し。これは相手が悪すぎたのである。
今回のフェスティバルに合わせて書き下ろされた新作戯曲の
サンプル・リーディング公演だ。これには参った。
7人の男女が出てきて、台本を手にしゃべる。
かなり緊密に演出・稽古されていて、道具立てこそ少ないものの、
今回自体を作品として見せよう、という意志を感じる。
完成度は明らかに高い。
しかし、内容は心底よくわからなかった。
考えてみれば、学校も会議も、文脈があるのである。
先週がこうだったから、昨日がこうだったから、そういう前段がある。
ところが、新作戯曲のリーディング公演は街場の殴り合いみたいなもんで
どう言う世界か設定を理解することが極めて難しい。
開演前、たまたま隣に座ったジャーナリストの女性と楽しく談笑した
までは良かったが(彼女もBush Theatreに入ったばかりだった)、
始まってすぐ迷子になり、90分間眠くて仕方なかった。
よくよく考えてみれば、午前や午後の予定は英語力でなく
洞察力と慣れて凌いでしまっている疑いがある。
もう今日は挫折とともに寝る。ああ、古典劇とかやっていないだろうか。
2022年3月10日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑すれ違ってアッと思った。中央の後ろ姿。その道の達人の雰囲気がある。
居候を初めて数日、ミス・ダイアンの威力は絶大だ。
まず、彼女は私に英語で喋りかけてくる。
当然といえば当然だが、これがためになる。
出かける時はどう言うか、帰宅時にはどう言うか、
スラングも含めて生活に密着した生きた英語を教えてくれる。
それに買い物や交通手段を指南をしてくれる。
あのドラッグストアに行くべし、同じ店でもこう買うべし、
ここからここは電車でなくバスを使うべし。
などとアドバイスをくれるから、少しずつ経費の節約になる。
朝にコーヒーを飲むかと訊かれ、YESと答えると上機嫌になることも
わかった。飲食は別々が原則だが、こちらがあまり食べないのを
心配している。単に日本で一日四食くらい食べまくってきたので、
ちょっとスリムにして動きにキレを出したいと思っているのだが、
心配らしい。だから、今日はカレーをたくさん食べました、
などと報告する。
そんな彼女のアドバイスの一つに、
劇場に行ったら常に「Mature Student」と言うべし、というのがある。
ロンドンは学生に手厚い。自分はAlbanyでの研修生でもあるが、
語学学校の生徒でもある。だから純然たる学生扱いで、
特に劇を見に行く時などに学割を受けられるのだ。
なるほど、先日行ったBush Theatreは5ポンド引きになったし、
今日行ったナショナル・ギャラリーでも、図録が値引きされた。
今日は〇〇を観てきます、帰りは〇〇時頃、と出がけに伝えると
「Don't forget "Mature Student" !」と念押しを忘れない。
ユーモアのある人でもある。
あと、非常に実践的な知恵もくれる。
これは臆してまだ実行できていないのだが、コンサートに行った際、
会場がガラガラであれば、より良い席に移ってしまえば良い。
と言われた。それで怒られないのがロンドンスタイルであるし、
良い席が埋まっていた方がプレイヤーも喜ぶ、と言う。
昨日、いつものサウス・バンク・センターに行った時、
注意して見ていたら、なるほど、その道の達人がいた。
演奏開始間際、指揮者が登壇する頃になり、
あるおじさんがそのタイミングでサッと位置を変えたのだ。
それまではフワフワ動いていたが、一瞬で機敏になるその動きは、
往年のサッカー選手・ロナウドを彷彿とさせた。
実は今、これを書いているのはバービカン・センターなのだが、
そのおじさんが近くにいる!
自分と同じように、毎日、劇場通いしているのだ!!
今日も彼の動きから目が離せない。
これから注意して彼を追いかけよう。
オレンジのビニール袋を持っている長身の男性。よく目立つのだ。
↓おじさんだけだと味気ないので、ナショナル・ギャラリーで
気に入った絵画も添える。楽しそうだ。
2022年3月 9日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑冬枯れで寂しげだけど、オフィスから見えるAlbanyの中庭はのどか。
土地柄を考えたら、ここには"ホッとできる場所"という意味合いもある。
『唐版 俳優修行』が愉しい。
初演は1977年の秋。同じ年の春にあの小林薫さんが大活躍した
『蛇姫様 わが心の奈蛇』が上演された後に書かれた作品だ。
唐さんによれば、あのロマンはどこへいったと、お客や批評家に
嘆かれたらしい。
けれど、今の自分にはこの悩みの薄さ、軽快さが愉しい。
まだまだ序盤だけれど、コントのような小気味の良さは、
自分が愛してやまない『恋と蒲団』に通じる。
二作品が書かれた時期は近い。それに同じ単行本に収録されている。
読んでいると明るい気持ちになる。3月は首っぴきで取り組もう。
語学学校に特筆すべきことなし。
トルコとサウジアラビアの連合軍団がうるさくて、先生が困っている。
先生は別の生徒に質問を振っているのに、彼らは横からすぐに答えて
しまうのだ。さすが10人を超える兄弟がいる家庭で育った彼らは闘いを
心得ている。より声の大きい方が勝つのだ。面白い。
美味いものが好きな日本人青年のS君をいつもの
インド料理屋 Hullabaloo に案内して二人でガッツいていたら、
長身の黒人男性が店に入ってきた。目はまどろみ、ズボンのウエスト部分
も危うげで、誰彼かまわず絡んではカウンターにもたれかかり、
「お茶をくれよ」と言っている。明らかにドラッグだ。
店の人は慣れた手つきで紙コップのお茶を外のテーブルに置き、
彼を店外に連れ出した。大家のダイアンさんは、DeptfordとLewishamには
気をつけろと言う。そう言われても毎日通うAlbanyだから避けようが
ないし、最近は慣れきってしまって当初の警戒が和らいでいたことに
気がついた。ここは危険なまちなのだ。
今日もロミカは来ない。メールにも返信なし。仕方ない。
セリに少し話を聞いてもらって、セントラルに繰り出すことにする。
我慢と粘りが肝心。焦りは禁物だ。
2022年3月 9日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑いろいろ面倒を見てくれたホテルスタッフのサキブさん
先週末から週明けにかけての記録を。
4(金)
イギリスの人々の週末にかける意気込みは強い。
語学学校のエリザベス先生も、今日は金曜日だと嬉しそうだ。
と同時に、クラスメイトの中には遅刻が目立つ。
初めて文法のテストで一番になることができた。
これまで周りに遅れをとってきた分、嬉しい。
この日のalbanyにはミミやセリ、エマがいない。
そこで引っ越し準備に注力するため、午後をホテルで過ごす。
物を増やさないようにしてきたが、書類や石鹸類、
買ってしまったCDなどが確実に増加している。
到着時、すでにトランクがパンパンだったので、
スーパーの買い物袋を足して対処する。
困ったのはお金の用意。大家さんに敷金と初月の家賃を現金で
渡さなければならないが、ATMで四苦八苦する。
ここにきて、近所のスーパー前にあるものでは一度に£200までしか
おろせないことが判明。後ろに人を待たせながらの繰り返し作業に
怖気付き、一回やったら次の人、その人が終わるのを待ってまた自分、
を繰り返す。が、いよいよフィニッシュと思ったら、デビットカードの
1日上限に道を阻まれた。仕方ない。
残りは明朝おろそうと先送りにして、荷造りを終える。
長い逗留だったし、初めてのUK滞在場所につき思い入れがある。
ホテルスタッフにお礼状を書いた。カードキーと一緒に封筒に入れる。
夜はアンドラーシュ・シフのハイドン・フェスティバルに向かう。
初日を聴いてもう一度行きたいと思った。当日券でステージ近くの席を買う。
フォルテピアノの音は繊細だ。聴き逃してはならないと奮発したが、
響きと演奏に陶然として悔いなし。
帰り道、オフィスビルの路地裏を通ったら、閑散とした通りに
四人の男が毛布にくるまって車座になり、サイコロを振っていた。
英国式チンチロリンだ! 彼らから10メートルほど離れたところには
明らかな人糞があり、「ペストのロンドン」という言葉を思い出した。
5(土)
引っ越しの朝。早朝に日本とzoomを行った。
ずっと唐ゼミ☆の写真を撮り続けてくださっている伏見行介さんとだ。
これまで、あまりお話もせずに10年以上も撮影してくださっているが、
初めて話し込んだ。日本に帰ったら、伏見さんに会いたい。
それからfacebookを更新し、引っ越しの仕上げにかかる。
トラブルが二つ。まず、一日経ってもお金がおろせない。
次に、出発時にお礼状を置こうとしたらサキブさんに声をかけられ、
お別れがセレモニー化してしまう。彼はチェックアウト客の捌きも
あるから、少し話しては接客に戻る、を何度も繰り返さざるを得ない。
ありがたいのだが、大家さんに10:00に行くと約束しているので、
ちょっと焦れてしまった。でも、やっぱり別れを惜しんで記念撮影。
スニーカーの袋を括り付けたトランクをゴロゴロやりながら
新居のある丘の上を目指す。息せききって辿り着くと、
これからお世話になるミス・ダイアンが温かく迎えてくれた。
まずは、部屋に荷物を運び込み、それからお金について
お詫びと説明をして、残りを待ってもらえることになった。
それから、カギの開け閉めや部屋の窓の開け方や収納の仕方を教わる。
共同生活のスタートを良好に切るためにも、この日は他に予定なし。
バスタオル、追加で必要なハンガー、昨晩壊れた傘の替え.....。
そんなものを買うために出かけようとしたところ、
どこに行けば安いか、どのように移動するべきか、丁寧に教えてくれる。
行き先は、何度か行ったことのあるLewishamショッピング・センター。
あそこは治安が悪いので気をつけるよう、何度も釘を刺される
母親のようだ。
のどかな丘を下って行くと、20分で目的地に着いた。
それから英国で、初めて生活感のある買い物をした。
何軒も店を回りバスタオルの価格を比べた。
£20の店もあれば、£5のところもある。もちろん自分は底値のを買う。
触れたところ品質に問題ないし、自分は年末までの期間限定だ。
水なども買って家に戻ると、ダイアンさんはご自身の買い物に
出かけている。そこで、Canary Wharfへ。
いつも乗り換えにだけ使ってきたが、ここにはスーパー付属のものより
精度の高そうなATMがあり、案の定、無事に引き出すことができた。
初めて Canary Wharf の商用施設も渡り歩き、
どんなお店が入っているかを確認した。ここにも一風堂がある。
6:00pm頃に家に戻って荷を解いているとダイアンさんも帰ってきた。
シャワーの使い方も聞いたが、使用後は水を拭き取ってねと言われ、
Yesと答えながら内心おどろいた。そんなことができるのか。
これはやってみると、そんなに難しくなかった。
英国は乾燥していて洗濯物などすぐ乾くが、ここのバスルームは換気が弱い。
ダイアンさんの入浴後も、なるほど、キレイに拭き取られている。
これを食べるしと様々なものを供される。
それでいて寝る前には、飲食は自分でね、と念を押される。
6(日)
翌朝起きしな、コーヒーどう?と言われて笑ってしまった。
原則があり、グレーゾーンがある。これが共同生活だ。
聞けば、これまでダイアンさんは何人もの日本人女子を受け入れて
きたらしく、最長の人は8年もいたらしい。向こうの方がプロだから
こちらは従って行けば良い。それに、下手に友だち世代とシェアを
するより、向こうにイニシアチブがあってそれに合わせていく方が、
曖昧さが無くて楽だ。ここの掃除はどっちなの? という状態で
不衛生になっていくより、規律があった方が健康に良い。
今年は体調を崩せない。
こちらの時間で9-11時まで唐ゼミ☆WSをして、
自分の声がデカすぎないか訊いたら、ダイアンさんは笑って
OKと言ってくれた。
昼過ぎに、ぜひ行くよう勧められたブラックヒースに散歩して
昼食のパンを買った。いつもグリニッジのGAIL'sという店で
買ってきたが、同地にも店舗があるらしい。
歩いて15ちょっとのブラックヒースに向かうと、
丘を下ったところに大きな教会があり、さらにその下に商店街が広がる。
自然が多く、コンパクトにお店が集まるのが魅力的な村だ。人が多い。
頼まれたダイアンさん用の水も買い込み、少し教会に寄って家に戻る。
今度は洗濯の仕方を教わった。洗濯は週に一度だそうで、
とりあえず土曜日を選択した。汗をたくさんかく夏は大丈夫か?
洗い終わりを待ちながら、さらに買い物へ。
共有物として、食器洗い洗剤、トイレットペーパー、
キッチンペーパーを月に一回収めなければならない。
また、今回は使わせてもらったが、洗濯用石鹸も別々。
そこで、これらが安く手に入るお店とグリニッジ駅への近道を
教わり、今度は今までとは別のルート、階段を使って丘をくだる。
以前は前を通り過ぎながらも決して入らなかった店がオススメの買い物先。
こうして、徐々に自分も地元の仲間入りする。
品物を揃えてレジの青年のところに持っていくと
Do you live in Dian's house?と訊かれてビビる。
Why do you know that? と訊き返すと、
歴代の住人が皆同じものを買いにくるから、と笑っていた。
あの小さな女の子はどうした?とも訊かれたけれど、
1週間前に入れ替わりで引っ越した彼女を自分は知らない、と答えた。
家に戻ってダイアンさんに報告すると、笑いながら
店員の彼は前に住んでいた女の子のことが好きだったのよ、
と教えてくれた。これまでのホテル暮らしに比べて
人間関係の入り組んでいることよ。
5:00pmに家を出て、Deptfordへ向かう。
インド料理Hullabalooで食事を摂り、その後Albanyのカフェで事務。
そして、7:00pm開場のライブを観るのだ。
7:30pm頃からお客の集まりが本格化すると、
着席で150キャパのAlbanyに倍以上押し寄せている。
今夜はオールスタンディングゆえにそれが可能なのだ。が、凄い数だ。
バーも激混みだが、リヴやケイトが生き生きとお客を捌いている。
7:45pmからDJのあおりが始まり、8:00pmからライブ本編。
3人の歌手が場を盛り上げたが、自分にはイマイチだった。
ヘイワードさんやMatchstick Piehouse でのライブの方が
断然すごかった。今日の3人は有名人なのだろうか。終演11:00pm。
遅いので急ぎ足に帰宅したが、あらかじめ帰り時間を伝えてあった
ダイアンさんはにこやか。シャワーを浴びて拭き掃除し、就寝。
↓自分の部屋。ここで色んなことがあるだろう。
7(日)
次なる研究対象を『唐版 俳優修行』と定め、台本づくりと読みに入る。
シェイクスピアの国にいるから、というのが選定の根拠。
かつてMORDの松本修さんが演出した舞台を思い出す。
その後、新居から初めての出勤。
目と鼻の先にSt Ursula's Covent School(聖ウルスラ学園?)という
女子校があり続々と生徒が登校してきていたが、校門が開いていない。
生徒たちが開門を待つ。日本とは違う景色だ。
語学学校にはヨルダンとフランスから新たなクラスメイトが加わった。
ロンドンで発見した自分のオススメスポットについて話し合う。
先生や他の生徒の話が、以前より聞き取りやすくなった気がする。
Golden Chippyで特大Skateを食べ、Albanyに移動。
先週の会議の議事録を送ってくれたロミカにいろいろ質問したいが、
いないようだ。シフト表では出勤になっているが、オフィスに荷物を
置いて何処かに行っているようだ。また明日チャンスを探ろう。
夜はBush Theatreへ。
少し遠いところにある劇場だが、演目が気になった。
フットサルと会話劇を融合させた作品だった。
16歳を演じた3人の黒人青年が優れている。
お客は半分も入っていなくて100人に満たなかったけど、
彼らの達者さといかにも青春の残酷と甘さを描いたストーリーに
終演の瞬間から総立ちで拍手していた。一体になってグータッチもする。
コロナはどこへいったのだろう。
↓村はずれの教会。日曜朝の礼拝の後で、中は良い香りがした。
2022年3月 4日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑ロゴをプロジェクションしたり、演奏中はちょっとしたライティングも
このへんはポップな感覚だ
今朝の語学学校で、例のお金持ちの青年と話した。
彼は高校での成績は常に一番、ハーバードの医学部に入ることが
すでに決まっているそう。どういうシステムなのかよく分からないが、
「オレはジーニアスだ」と言う。
「アツシはいつまで学校にいて、どうやって英国に来たのか?」
と訊かれたので国の派遣だと答えると「アツシもジーニアスだな」と。
彼はイギリスが好きになれないそうだ。
多くの人と話したいがどうもそういう風に接してくれない。
アメリカは違うだろう、と希望に思っているとも言う。
考えてみれば、学校にいる20歳前後の青年たちは皆
同じような気持ちでいる気がする。
他国で不安だし、時間があるもから連れだってはいるが、
入れ替わり立ち替わりだし目的も様々で、関係が深まるのが難しい。
今の自分には孤独でいられることがありがたいが、
それは一度多くの人間関係に揉まれる毎日を生きたからで、
彼らにとっては辛そうだ。皆の内面が少し見えた。
午後はzoomミーティング。オンラインとはいえ、ついにエマとも会えた。
実は昨日、唐突に送られてたショートメールに「ワッツアップやろう!」
というメッセージがあって、「エマ? エマですか?」と質問したら
それには答えず。今度会いましょうとだけ返ってきた。
怪しい!と思って警戒していたのだが、やっぱりエマからだったらしい。
ミミが私の電話番号を伝えてくれて、エマもメッセージをくれたというのが
経緯だったらしい。何かの営業かと恐れていたと伝えたら、皆に笑われた。
「This in Emma.」とひとこと言ってくれても良いのに。
肝心のミーティングだが、
先月に立ち上がり、年末に向けて進めている企画のあらましや
進行を知ることができた。さまざまな事情で上手く修学できない青年たちと
作品をつくるのがミッション。すでに彼らについてのリサーチを終えて、
適切なアーティストを選考する段階に入っている。
というような話が、ネイティブな英語で矢継ぎ早に繰り出される。
毎度のことながらヘトヘトになるが、末尾にベトナム・コミュニティへの
アプローチという項目があって自分を元気にさせた。
ベトナムなら行ったこともあるし、大和市のタンハーに入り浸ってもきた。
ベトナム・コーヒーをみんなで飲みたいぜ!という感想を述べたら、
またみなに笑われた。ラクなポジションでいさせてくれている。
夜はバービカン・センターへ。
開館40周年を記念してレジデント・オケのロンドン交響楽団が
ハイドンの『天地創造』を演奏するのを聴きに行ったのだ。
やっと着いたら、ロビーのそこここを駆使して演奏隊が爆音で
演奏をして、華やかな周年事業を思わせる趣き。子どもたちも混じって
演奏している。今晩は合唱こそ多いものの、ハイドンは小編成なので
降り番の一流奏者たちを一瞬とはいえ間近に見られて良かった。
この楽曲は3部から成り、下記の構成
第1部 混沌から世界ができるまで
第2部 世界に生命が生まれ生息する(鷲とか鯨とかから)
第3部 人間の誕生(アダムとイヴ)
ヘンデルの『メサイア』の向こうを張って、ハイドンは旧約聖書で
いこうと思ったのだろうか。3部はミルトンの『失楽園』から。
実際に聴いてみて、アダムとイヴも幸せいっぱいだし、
すごくポジティブな内容で楽想のオンパレードだと再認識した。
ロンドン響はもちろん達者で、超一流オケに特有の音の厚みと
弱音スタートでも全くブレぬ安定感と、アンサンブルの良さが凄い。
前に聴いたベルリン・フィルと同じように、ロールスロイスのような
高級車が静かにスーッと入ってくる感じだ。当然、合唱も上手い。
(指揮者より客席側にいた合掌の人々はどうやって指揮を見れたのか?)
と言っても、肝心の指揮者サイモン・ラトルは最近に受けた小さな
手術の回復に時間がかかっているということでキャンセル。
普通だったらメモリアルで勝負どころの演奏会だと思うが、
ベルリン・フィルをキャリアのゴールにせずにロンドン響の音楽監督に就任、
ホールの建て替えが進まぬとみるやそのロンドンも蹴ってバイエルンへ、
サーの称号を得ているにも関わらずドイツ国籍になっちゃった、
というラトルの凄みを痛感する。
演奏は、曲のせいだとも思うけれどかなり牧歌的で笑ってしまった。
「クリエイション!」だもの。日本語訳である「天地創造」という重みが
どうしてもねえ。この世界が生まれるにしてはライトだし、
今の世界を描写するにはあまりに楽天的だ。ラトルだったら、
もっと辛辣でエキセントリックなところもある演奏になったのだろうか。
ところで、今日は夜の演奏会の行き帰りにかなり消耗した。
というのも、私にとって都心に出るための要であるバンク駅が工事で
閉鎖されているために、ものすごい回り道を余儀なくされたのだ。
(横浜市民にとって渋谷を断たれるようなもの)
日本では夜中の工事を積み上げたりして、
こんなことはまず考えられないが、ロンドンは平気らしい。
しかも、私の使っているGoogleナビはそれをまったく感知せず、
「バンク駅まで〇〇分!」と元気が良い。余裕を追って出たはずの往路は
おかげでかなりせわしないものになり、消耗した。
ただし怪我の功名で、道すがら初めてロンドン塔を眺めることができた。
『リチャード三世』と夏目漱石の、あの恐るべきロンドン塔!
2022年3月 3日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑アダムさん
昨晩は面白いことがあった。夜にイベントがあったのだ。
今年オールバニーが中心となって進めているフェスティバルのイベントの
一つなのだが、会場はいつものAlbanyやCanada Water Theatreではない。
どうやら、近隣のライブハウスで行われるらしい。
チケットは売り切れのようだが、ミミがねじ込んでくれた。
それで夜に現地に向かったのだ。サイトには7:00pmスタートとある。
時間に余裕を持って出かけたがかなり迷ってしまった。
住所を打ち込んだナビは、着いてみればマンションの一室を示すのみ。
小雨のなかをウロウロして、やっと国鉄の高架下にある
Matchstick Piehouseを発見できた。
すでに7:20pm
お世辞にも入りやすいとは言えぬ扉の前に立つと中から音楽が聴こえる。
もう始まっているのかと思いきや、中に入るとまだ閑散としていた。
出た!ロンドンのライブ特有の、この開演時間のあいまいさ。
待ち合いに受付らしきものはなくバーのカウンターがあるのみなので、
飲み物を買う列に並んで、質問してみた。
アルバニーのミミに予約してもらったアツシである。
チケットはどこで手に入るのか?
すると、スタッフの中でひときわイカつい男性がこう言うのだ。
「ニホンカラデスカ?」
聞けば、彼はアダムさんと言って、
このパンデミックの2年間に独学で日本語を学んできたそうなのだ。
あと30分くらいでライブが始まる(結局8:15pmスタートだった!)ので
待つと良いと言って、コーラを注文したらプレゼントしてくれた。
さらに彼としゃべったら、15日(火)に面白いイベントがあるという。
聞けば滋賀県から来た日本人もプレイヤーの一人なのだそうだ。
自分のカレンダーを見れば、この日はバービカンでチェコ・フィルの
予約をしているけれど、即決で、行く!とアダムさんに伝えた。
すでに買ってしまった2,500円のチケットはもったいないけど、
人との出会いには断然変えがたい。
それに、語学学校に来ている若者にクラシックにチケットを
プレゼントしたら、彼らにとって良い経験になるかも知れない。
そう思ってこれを書きながら待っていたら、始まった。
内容は凄かった。ここルイシャム地区の多文化主義が生んだ
ミュージシャンたちのレベルの高さに唸る。
彼らはこともなげに役割を変える。しかも一曲の間に。
ボーカルがサックスを弾き始めたと思ったら、ジャンベを叩いていた
プレイヤーが歌い始める。コントラバスの女性がハモり始める。
ロックと聞いてきたが、フォークやカントリーが明らかに混ざっている。
即興もある。始まって3時間を過ぎたが、まだ終わらない・・・
2022年3月 2日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑このアイス販売マシンはかなり神出鬼没である。
さすがにひと月経つと落ち着いてくる。
学校→Albany→観劇、といつもの動き。食事に行ったカレー屋も3回目。
そこで、最近はなんとも思わなくなったロンドンへの違和感について
まとめてみたい。
【全体的に】
・道にゴミ捨てすぎ
・それでいてゴミ箱の数多すぎ
・Are you fine? Are you OK?と訊いてきすぎ
・地上1階を0階と数えすぎ
・生まれた瞬間から1歳と数えすぎ
・小雨多すぎ
・買った時点で傘ボロすぎ
・風が強すぎ
・建物、ムダに意匠こらしすぎ
・ホームセンターに置きもの充実しすぎ
【スーパーにて】
・入口に警備員が立ちすぎ
・生鮮食品がワイルドで不気味すぎ
・菓子パン雑に積み上げすぎ
・冷凍食品多すぎ
・ゆっくりレジ打ちすぎ
・店員、閉店作業を早めに始めすぎ
・野ざらしのATM多すぎ
・ATM付近に物乞い多すぎ
・買った時点で爪きり切れなさすぎ
【音楽会に行くと】
・事前にロビーで飲み食いしすぎ
・客席に開演間際に殺到しすぎ
・客が鎮まるの待たずに演奏に入りすぎ
・楽章間で拍手しすぎ
・余韻なく拍手しすぎ
・休憩時間にアイスクリーム食べすぎ
・トイレの小便器の位置が高すぎ
・演奏がちょっと良いだけで盛り上がりすぎ
・終演後のサイン会無さすぎ
【移動時の電車の中】
・電気が点滅しすぎ
・電車のレーンと時間テキトーすぎ
・身体デカいのに天井低すぎ
・電車の中で愛し合いすぎ
・動画の音デカすぎ
・電話の声さらにデカすぎ
・鼻歌、大声でうたいすぎ
・犬と自転車を持ち込みすぎ
【PUBなど飲食店で】
・寒いのにテラスでビール飲み過ぎ
・酒のアテ無しで飲みすぎ
・寒いのに半袖とノースリーブ多すぎ
・フライドポテトの量多すぎ
・水とサービス料の会計システム分かりにくすぎ
・・・と、これらに慣れて現在に至ります。
2022年2月28日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑帰りに気づいたのだが、劇場の壁面の絵柄が変わっている。
明日、質問しなければ。
渡英以来、すでにひと月経ってしまった。
日々あちこちを歩き回っているが、本当にあっという間だ。
2/25(金)
朝は語学学校に行かず、zoomでバッカーズの会議に出席する。
VACCURS=電撃障害者商品企画会議。
これは月に一度行われている寄り合いで、可能であれば必ず参加している。
会の幹事の方が施設運営についての変革時期だと伺った。
ご本人はかなりしんどそうで心配だが、身につまされる。
いつも参加している別の人も、それに呼応して自分語りを始めた。
一人ひとりに背負っているものがあって、励まされた。
学校は出席率8割をキープすれば良い。月一の会議には今後も必ず参加する。
午後はAlbanyの近くのイタリアンでギャビンと食事しながら話した。
彼は忙しい時間を縫って来てくれている。他の2施設に行ったことや
子ども向けのプログラムに関心を持っていることを伝えた。
素晴らしかった『Underwater』の演出家さんから、
来月末にマンチェスターでキッズ向け公演のフェスティバルがあると
聞いたと伝えたら、把握していないなあ、と言われる。
ひょっとしたら自分が言葉を聞き間違えたのかも。
帰って調べ直さねば。
夜はセントラルに行く。
ピカデリーサーカス近くの文房具屋でペンを買ったり
ウィグモアホールのボックスオフィスで4-7月のチケットを購入。
時間に余裕があったので前から見たかったウェストミンスター寺院まで
歩いたところ、デモに遭遇。彼らの歌声と、ウクライナ・カラーを
手に手に四方八方から続々と集結する人々。
クロムウェルの像も印象に残った。
生前は英雄だったクロムウェルは、王政復古とともに墓を暴かれ、
遺体の首を刎ねられた末、四半世紀に及び骸をさらされた。
そして、今は銅像が建っている。
複雑な気持ちになったので、帰りにゴールデン・チッピーに寄り、
スケイクという魚を食べた。ここのおじさんは痛快だ。
お前はもっと食べるだろうと言って、A few chips!と店員に大声で
指示を出す。これがa few!?という量が盛られてくる。
人間の地力に打たれる。
2/26(土)
朝からFacebookを投稿。週末恒例の作業だ。
他にも、原稿を書いたり、『秘密の花園』の初演台本と睨めっこ
しているうちに時間が過ぎる。
3:00pm頃になって出かけ、バンク駅から歩いてバービカンに行き、
そこからさらに歩いてウィグモアホールに行った。
途中、喫茶店でチョコレートケーキを食べた。
海外旅行のお土産にもらうチョコの味だ。キャラメルや他の甘味が
入り混じっていて、甘過ぎる。
ヘンデルの合奏協奏曲やカンタータ、スカルラッティ父の歌曲を聴く。
こんなプログラムは日本では滅多に聴けない。
専らCDで聴いていたけれど、指揮者が立ったままチェンバロ片手に
弾き振りするのを初めて体感。こうなっていたのだ!
バロックなので、もとは王侯貴族の音楽だ。
美しいし楽しい。雅やかさに浮世がどうでも良くなる快感があるが、
何か後ろめたい。昨日のデモとクロムウェルが頭をよぎる。
帰りはすべて電車にせずに、歩きを混ぜながら帰った。
週末だから大勢の人が出ている。寒いのに露出度が高い。
大道芸に合わせて合唱している酔っぱらいの若者チームなど、
ノースリーブのワンピースだ。彼らは寒さを感じないのか?
2/27(日)
朝から唐ゼミ☆ワークショップ。
『下谷万年町物語』第2幕に入る。
第2幕こそ、大勢のオカマが長屋のセットにはびこって、
これぞ万年町!という光景が現れる。
その一角で、主人公3人がサフラン座創立のための作戦を練る。
1日に進む分量を抑えてやっているので、たくさん修正をして
稽古っぽい稽古。こちらも腕がなまらないように。
飛び入りで博物館に行こうと思ったが、無料だけれど予約が必要で
どこも埋まっている。メジャーなミュージカルも検討したが、
週末は値段が高い。そこで腹をくくり、完全デスクワークの日にした。
おかげで『秘密の花園』の初演版と改訂版のどこがどう違うのか、
最後まで、そして細部まで把握することができた。
夕方に食事に出かけて散歩もした。
前々から、テムズ川を徒歩で渡る方法はないものか疑問に思ってきたが、
よく見ればカティサーク号のわきに地下道に通じる階段がある。
大きな川を下から渡るだけあり、螺旋階段を長く降りる。
そして階下のトンネルは意外に狭い。
船の横の出入り口、トンネル、向こう岸...まるでドラクエ。
2/28(月)
先週の木曜日以来、三日ぶりの学校。
旅行について話したが、隣の中国人女性がバックパックで30カ国も
巡った経験があり驚いた。他の皆も国際経験豊かだ。
自分は数カ国。旅行で行った国は一つもない。
仕事で行ったベトナムのホーチミン市でけっこう高級なホテルに
泊まったけれど、早朝のジョギングを終えて朝一番でマッサージに行ったら、
女性の整体師にゴリゴリやってもらっている途中、いきなり小声で
「Special service?」と囁かれてビビった話をしたら盛り上がった。
その後、バスでルイシャム駅に行く。
渡英時にヒースロー空港で買ったSIMカードをひと月更新するためだ。
あの時、ボーッとした頭でテキトーに「3」という会社を選んだ。
後に「O2」か「Vodafone」の方が優れていると知ったけど、
今ではこの電話番号に愛着もあるし、ふた月目からは同じ条件で
3,000円程度になる。だから更新しに行ったのだ。
お金は先週に問い合わせに来た時に払ってあり、
店員さんが操作してくれて「これで良いですよ、また来月」と言われ
安心してAlbanyに向かった。しかし、道すがら全然ネットに繋がらない。
もうナビ無しでも迷わないが、到着時間を知りたくても無反応。
劇場に着いて久々に再会したミミが色々と試してくれたけど、
どうしようもない。お店に電話しても、混んでいると繋がらない。
だんだん腹が立ってきて、いっそVodafoneに乗り換えることにした。
Vodafoneならば、週末に引っ越す家の最寄り駅カティサークの前にある。
行ってみたらさほど高くなかったし、むしろ条件が良い。
「3」に払った分を無駄にしても今後の利便性を考えてこちらの方が
良いと思った。新たなSIMカード=電話番号がやってきて、
ネットも絶好調になった。大学2年時、懐かしきJ-PHONEから始まった
自分のケータイ遍歴はVodafoneを経てSoftbankに至った。
久々のVodafoneだ。
順番が前後してしまったが、もちろん今日の最重要トピックはミミとの
邂逅で、前回会った時に疲れ果てていたミミはすっかり元気になっていた。
ここぞとばかりに、今後プロジェクトに同行するためのスケジュールを
ガンガン組み、エマとも会えるように手配してもらった。
聞けば、エマは二つの職場を掛け持ちしていて、週に二日をAlbanyに割き、
しかも殆ど在宅勤務のプロデューサーなのだ。道理で会えないわけだ。
家は近くらしく、こっちから近所のカフェに行っても良いよ、と伝える。
また面白い展開になるだろう。
今日の食事はAlbany近くのインド料理屋でしたが、
(先週、地元の青年たちと写真撮影を巡って睨み合ったところ)
すでに二度目の訪問で店員さんがデザートをサービスしてくれた。
ココナッツ入りのナン。美味い。先日のチョコケーキとは雲泥の差。
この店は肉は出さない。ベジタリアン&ビーガン対応だが、米も含め、
日本で知っているカレー屋より香り豊かで旨いカレーが食べられる。
夜はウィグモアに行き、サー・アンドラーシュ・シフによる
ハイドンフェスティバルの初日を聴く。本来はソプラノ付きの室内楽を
予定していたが、コロナの影響で器楽曲のみに変更したらしい。
よって紙で配るプログラムは無し。
それを補うためにか、彼はマイクを使ってよく喋ったが、
小さな、けれど確信的な声で話す。自然と、こちらが彼の発言を
受け取りにいくよう導かれる。彼の演奏にも共通する特徴だ。
大きな音を出さないところが、かえって強く印象に残る。
弦がピチカートするところのアンサンブルが良かった。
フォルテピアノは撥弦楽器。だからモダンピアノより相性が良いのだろう。
ストリングス三重奏の趣きだ。
ともあれ、今週は何としてもエマに会う。
先週は一通りAlbanyを巡る状況を把握できたので、今度は企画に潜入する。
エマに、ノーアポで自然に会える関係性をつくりたい。
あと、渡英してふた月目なので、暖かくなればロンドンの外にも出てみたい。
2022年2月25日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
Deptford Lounge 館長のアネッテさんは、まるで地域のお母さん。
ヨークシャー出身の彼女と『嵐が丘』についても話した。
昨日もいろいろなことがあったので、特筆すべきことを三つほど。
一つ目。
語学学校の同級生、ヤジーズ君がサウジアラビアの大金持ちと知る。
お父さんは企業の社長(何の仕事かは不明)。
運転手付きのロールスロイスに乗っており。兄弟は12人。
前回の誕生日に彼がもらったプレゼントは良質の馬だという。
「Very Cheap!」が口グセ。
週末ごとにセントラルにあるタイガー・タイガーというクラブに
通っているが、行くと意外と奥手で、何人かの女の子とやっと
インスタアカウントを交換してもらい喜んでいるとは、同行した人の談。
二つ目。
初めて、Tha Albanyが運営する別棟施設 Deptford Lounge に行く。
というか、いつも横を通っていた図書館の建物がそれと知って驚く。
ここは日本でいえば生涯学習施設で、地域の人に集会や練習の場を
提供しているが、特筆すべきは学童を含んでいることだ。
屋上にグラウンドまである。
劇場とは直接関係ない施設を運営することで、縁遠い人たちを
公演やワークショップに招き入れるシステムの窓口になっている。
感心した。
三つ目。
Canada Water Theatreでポエトリー・リーディング公演に参加。
『OFF THE CHEST』というタイトル。
プロのMC、プロの詩人、アマチュアの中からオープンマイクに
手を上げて選ばれた10人が出演者だ。
特に面白かったのはもちろんオープンマイクで、腕に覚えのある
人たちが詩やラップを繰り広げる。少女の告白といった向きの
朗読もありました。中でも胸を打ったのは、20代半ばと思しき
大柄の黒人青年の訴えです。彼は非常にたどたどしく、けれども
他の人とは違ってノートやスマホは一切見ず、コロナにより仕事を
奪われ、孤独であることを語った。
それは、自分の語学力の低さを貫通して、たちどころに理解できる
ものだった。彼が終わった後は、皆が立って彼に拍手。全体の終演後は、
ロビーや劇場内で延々語らいが止まらず、時間が過ぎていく。
当然といえば当然だが、普通に会ったら
絶対に近寄りがたい風貌の青年が、同じ人間なのだと切実に実感した。
劇場スタッフのリヴやジェニーは、早く帰りたいなあ、とは冗談で
言いけれど、片付けられるところを片付けながら、彼らを見守って
いた。毎日、少しずつ粘ることこそ難しい。なかなか出来ないことだ。
内容や関わる人たちを尊重する姿勢が、この劇場のスタッフには
浸透している。彼らを見ているとたのしい。
働き過ぎではないかと思ってリヴにそう伝えたら、彼女は週末から
週明けまで休みをとって、イタリアに行くそうだ。片道5,000円も
せずに行く方法があると教えてくれた。写真をたくさん撮るのだと
行っていた。サッとイタリアに行く。カッコいいなあ。
お代は見てのお帰りなので、専用の回収バケツがある。
2022年2月24日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑この直後に怒られる。
一昨日から昨日にかけて起こったことを書こう。
2/22(火)
台本読みにさらに注力し始める。
『秘密の花園』は1982年に初演された戯曲だ。本多劇場にて。
それが1998年に唐組によって再演され、評判を呼んで99年にも上演された。
後者に大学入学が間に合い、自分はこれを観ることができた。
唐さんは唐組での再演にあたり、台本に手を入れた。
当時の唐組のチラシを見ると、ちゃんと改訂と書いてある。
初演版と改訂版、どこがどう違うのか調べつつ読んでいる。
ああ、日本語なら人並み以上に理解できるのに、とも思う。
慣れてきたので、学校にはギリギリ滑り込む。
エリザベス先生は授業巧者だ。それぞれの人間に興味を持っていて、
そういう彼女のスタンスが生徒の発言を活性化させる。
伝えたい内容がある時、人はその手段を必死に磨く気になる。
この日から加わった中国人の女の子も含めて、
色々な世界をそれぞれが生きてきたことを実感する。
最も饒舌なのは、サウジアラビアの青年たち。
彼らには兄弟が12人とか、20人とかいる。
お父さんには4人(許される最大数)の妻がいて、
最近、妹が生まれたばかりという20歳の青年がいる。
別の青年は、ハーバード大学に入り医者になると言う。
他にはいかにもお坊ちゃん風の質問魔の青年。
システムエンジニアとしてのキャリアアップを目指し、
英語の予習復習を欠かさない大柄の青年、などなど。
多くの兄弟に揉まれてきたのだろう。自己主張がシンプルだ。
家にラクダがいる人もいる。
片や、中国人の女の子は一人っ子。
重慶に生まれ育った後、シンガポールでアパレルの仕事をして、
ロンドンに来たのだという。今は日本料理店で働いているけれど、
イギリスで服飾の仕事がしたい一念で苦学しているようだ。
午後はAlbanyへ。
最近、劇場そばにあるインド料理屋が気になっていて、
この店が良いかどうか同僚に訊くために写真を撮った。
店や人の名前を一瞥して覚えるだけの頭が自分にはまだない。
そうしたら、店の前にいた青年3人が怒って叫んできた。
I don't allow you to take picture!
15mくらい離れていただろうか。
こちらは彼らを撮ってはいないのだが、確かに嫌な気がするだろう。
初めて英語で怒られたのでかなりビビり、かえってI'm sorry!
と異常にデカい声で返してしまった。
それがまたちょっと変な雰囲気を呼んだので、サッと劇場に入った。
Deptfordはなかなか荒くれた街だから用心しろと言われてきたが、
それにしても、昼飯を食べ損ねた。
が、これが功を奏する。
劇場に入ったところ、ちょうど催し物が始まるところ。
訊けば、0-2歳用のダンスプログラムに親御さんも含めて40人くらい
集まっている。飛び入りで観させてもらったら、これがすばらしく
感心しっぱなしだった。
が、ここにも間違いがあり、2階席で資料用にと撮影していたら、
舞台監督らしき青年に注意されてしまった。本番風景の撮影が厳禁な
ことはもちろん分かっているが、しかし、渡英してからこのかた、
その感覚がひどく麻痺していたのだ。内容も素晴らしかったし、
申し訳なく思ったので、終演後に改めて謝りに行き感謝を伝えたら、
かえって歓待してくれた。
ここにいる事情を話すと、彼はディレクターやプロデューサーに
繋いでくれた。結果的にたくさん話すことになった。
ちゃんとした映像や資料も送ってくれることになった。
その後はオフィスに戻り、方々にメールを打つ。
もちろん英語だし、システムに慣れていないので操作ミスが続き、
ひどく疲れる。一方で、リヴという女の子に系列劇場の見学を
お願いしていることをレミーというスタッフに話したら、
彼女がその場で先方にアポと取ってくれた。
大変ありがたいのだが、これはリヴと手配が重なる可能性がある。
レミーにはそのことを話して、さっそくリヴを探し回った。
果たして、やっとリヴを見つけて事情を話したら、
彼女は昨日に送った依頼メール自体をまだ読んではいなかった。
レミーにもリヴにも生真面目だと笑われたけど、こちらは新米だし、
慎重にならざるを得ない。お腹も空いているし、ヘトヘトになった。
気を取り直して、ルイシャム駅に向かう。
渡英後ひと月が経つので、ケータイ電話の更新方法について
訊きに行ったのだ。電話だと不安なので、直接が手っ取り早い。
自然と歩行距離が伸びる。店員さんがサクサク処理してくれたが、
2/28-3/1じゃないと手続きできないと言う。また来週と言って別れる。
ルイシャム駅に来るのは渡英直後に郵便局を訪ねて以来だが、
帰り途、イギリスでの初めての食事(ケバブ)を買ったあの店が
見えてきた。あの時は嬉しくて「また必ず来るよ」と言ってしまったが、
正直ケバブの肉はイマイチだった。目が合うと気まずいので、
あのナイスガイがポテトを揚げている隙にサッと通り過ぎた。
今日は色々なことがあってくたびれたので、絶対に近所の名店
ゴールデン・チッピーと決めていたのだ。
前回のcod(タラ)に引き続きrockというフィッシュ &チップスを
食べたが、やっぱりこの店は美味い。エリアNo.1と何人かが
絶賛するだけある。良いカサゴの唐揚げを食べている感じ。
食べたらすっかり元気になり、もう一つ何かしたい。
そこで、カティサーク近くのコメディ・クラブへ。
↓開演30分前。この後に全ての席が埋まっていった
火曜なのでお客は少なめ、それでも恋人同士や家族づれが
合計50人くらい入っていて、一人なのは自分だけ。
と思ったら、開演間際に入ってきた一人のおじさんがいた。
よほど通な感じがする。8:00pmに開演して、清水宏さんの
やり方の原型を見ることができた。メインのコメディアンが
場内を煽り、熱を帯びてきたところで別の二人を紹介する。
ロシア情勢やジョンソン首相のことを話しているのは分かった。
あと、ロンドンの地下鉄のうち、どの路線沿線に住んでいるかを
お客に訊いていき、その回答に反応しながら、ドッカンドッカン
ウケていた。とにかく「ファック」「ファッキン」「イディオット」
のオンパレード。これまで一生かけて聴いてきた「ファック」の数を、
今晩だけで完全に凌ぐ量だった。
面白かったけど、英語を聴くのに消耗して前半で失礼した。
これはまた行きたい。長い1日だった。
2/23(水)
早朝から作業してお腹が空いたので、初めてカフェで朝食を食べた。
口開けらしく景色の良い席に通されたが、いつもより30分早く
動いたことで出勤・通学の風景を見ることができた。
皆、険しい顔でそれぞれの目的に急行していく。どこの国も一緒だ。
語学学校は遅刻が目立つ。週半ばになるとすぐにこうだ。
11:00にやっと来た青年は、昨晩遅くまで遊んで帰宅が深夜だったらしい。
オリジナルのコンテストを考える、
自分が英語を学んできたプロセスを説明する、
という課題にチームで取り組んだ。
今日が初めての42歳トルコ人男性がいて、彼は奥さん一人と言っていた。
大量に買ったからと言って、皆にスニッカーズの小さいのを配ってくれた。
授業後は、カナダ・ウォーターに向かう。
50分ほど歩いた。初めていく場所には出来るだけ徒歩で行きたい。
土地の様子を見るためだ。水辺にある劇場に着くと、
ジェニーというスタッフが丁寧に案内してくれた。
地下鉄の真上にあって、図書館も併設しているから若者たちで
賑わっている。130席ほどの劇場が一つきりだけと、
ここにも、会議・稽古のためのスペースは6つもあった。
ジェニーは自分のために予め全ての空間の電気をつけておいてくれた。
丁寧な歓待に感謝して、明日また来ると言って別れた。
リヴが23日にこの劇場で行われるポエトリー・リーディングの
チケットを予約してくれているのだ。何度も来られて嬉しい。
↓水辺のCanada Water Theatre
30分ほど戻るかたちで歩きながらAlbanyを目指す。
途中、ホームセンターを発見して、じっくり文房具を買った。
このところずっとダブルクリップとクリアファイルを探してきたが、
英国の百均にあたるパウンドラウンドやスーパーには皆無なのだ。
ここでやっと見つけて嬉しい。他の売り物を見て周り、妙に置物が
充実しているのが可笑しかった。
↓偶像が好きすぎるのではないか
Albanyに短時間行き、セリにここ数日の体験を話しつつ、
夜の予定の確認をする。オンライン会議があると聞いていたのだが
ミーティングアドレスがどこにあるかを訊いたのだ。
全体メールで回ったカーソルをクリックするべしとの返答。
参加してみて分かったのだが、これは法人全体の年次総会だった。
2020-2021年のお金の収支、各企画の進捗、これからの展望について
それぞれの担当が話すのだが、驚くべきはそのスタイルで。
なんだかテレビやラジオの番組風に総会が展開するのだ。
全体を進行するのは若い男女で、彼らがパーソナリティーとして喋り
ギャビンの代表挨拶や担当の発表を促していく。
合間には音楽も鳴るし、企画説明の時にはそれぞれの進捗を
極めてわかりやすく、魅力的にまとめた映像が流れるのだ。
ニュース番組みたい。対外的でなく、組織内の44人のメンバーが
視聴するものなのだが、約2時間の番組風で愉しんだ。
内容にも増して、この形式を生み出すのにどれほどの労力を
かけたのか訊いてみたい。社内報や忘年会の充実に全てを賭ける
班があるのだろうか。皆が全体を把握することをいかに重視しているか
実感した。
そうだ。今日はセリにあってから年次総会までの間に時間があり、
初めて英国の床屋に行った。床屋は街中に溢れて迷ったが、
語学学校のそばの店に飛び込むことにした。
朝に通りかかった時に、スタッフの男性がシャッターを開けているのを
目撃したが、彼の耳の上の刈り上げ部分には小さなハサミのタトゥーが
あり、よほどこの仕事が好きなのだと興味を惹かれたのだ。
果たして、その男性は他にお客さんがいたので、
店主らしいおじさんが相手をしてくれた。横浜の床屋で、
髪を切り立ての自分を撮影しておいたので、それを見せながら説明したら、
任せておけと言って散髪が始まった。かなり剛腕な散髪で、
自分の場合、一才をバリカンで行ってくれた。ソケットを念入りに
取り替えて矢継ぎ早だが、終わってみて側頭部と後頭部の刈り上げ具合が
すごい。我ながらビロードのような触感なのだ。こんなのは初めてだ。
結果的に、シャンプーや顔剃りは無かった。
初めてなのでなるに任せたが、驚いたのは、両耳を炎で炙られたことだ。
高級な葉巻に火を付ける時に使う、あんなようなもので、
かなり熱い思いをした。訊けば、これで耳周辺の産毛が処理できるらしい。
しかし、驚いた。
帰りには、通り掛かりのタイ式マッサージが気になった。
横浜では定期的に整体に通ってきたので、ぜひイギリスでも行きたいが
ここは自分が入って良い店だろうか。
帰って調べようと店の写真を撮る。
今日は徒歩移動のみに終始し17km。よく歩いた。
2022年2月22日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑通りがかりのおじさんは、木に足をのせろ!と言った。
ずっと雨。ザーザー降りではないが、1日に一度は小雨が降る。
そして強風。先週の木曜、学校でもAlbanyでも
「明日からの嵐に気をつけて」と言われた。
なんぼのものかと思って金曜(18日)の朝に起き出すと、
確かに吹いている。そしてそれは週明けの月曜まで続いた。
これがロンドン名物らしい。雨でも、よほどでなければ人々は
傘をささない。よくこのような強風が伴うために、傘が壊れてしまう
のが原因のひとつだと言っていた。
学生時代にやった巨大バッタ時の強風、
テント公演で揉まれてきたいつくかの強風を思い出す。
という経験を持っているので、恐るるに足らず。
野外劇の『青頭巾』を石巻の中瀬公園でやった時、強かったな。
金曜に起こったことは、Facebookに書いた。
お世話になっている人が多く見ているFacebookは週一ペースでの
更新と決めた。ダナという女の子のフェアウェルランチに連れ立ったが
これがなかなかの激闘で愉しませてくれた。
2/19(土)
学校で知り合ったブラジル人の青年ギリアミ君と前日に約束し、
朝から国立自然史博物館を目指す。ただし現地に行ってみて、
無料ではあるが予約が必要であり、それはもういっぱいだと二人で
知ることになった。残念。と、向かいに別の博物館がある。
V&Aミュージアム。これ行こうと言って入ったが、当たりだった。
ヴィクトリア&アルバート。英国が帝国として最も輝いていた時代、
それが19世紀に長期君臨した女王に由来するヴィクトリア朝時代だが、
旦那との名を連ねたこの建物は、ものすごく広く、世界各地から
当時のイギリスが調達した品物で溢れている。当時の栄華が伝わる。
仏像も、ギリシャ神話の英雄たちの像もある。
門などに使われる金物のレリーフをギリアミ君が熱心に記録している。
彼の父は、金物を扱う職人だという。彼自身は建築家。企画や設計、
ペーパーワークが仕事だと言っていた。28歳。
ファイブガイズというハンバーガー屋で食事して別れ。
午後は雨量が増してきたので、一旦ホテルに戻り、『秘密の花園』を
読んで、少し昼寝した。夜はAlbanyでギグなのだ。
Albanyでの催しは全て出席しようと決めているから、
7:30pm開始というふれ込みに従って劇場に行く。ただし、どうも
この時間は開場時間のようで、実際にスタートしたのは8:20pm過ぎ。
これが、望外の面白さだった。
Charles Haywardというドラマーが中心となり、集めたメンバーで
繰り広げたライブだったが、Albanyはステキなライブハウスと化し、
179名(後で技術スタッフのケイトリンに聞いた)が寝そべったり、
座り込んだりしながら酒を手に手に聴いている。イスは少量。
かつてプログレと云われ、今はエレクトリカル・ロックとされている
音楽演奏。
音楽に呼応して絡みついているカップルは、セックスし始めるのでは
ないかという程に盛り上がっている。演奏は素晴らしかった。
20分ほどの曲を2曲やって、休憩。後半は別の人のドラムと
サックスの巨匠の即興。これも2曲やった。
打ちのめされた。終演後、チャールズ・ヘイワードに寄っていき、
最高だったのであなたを追う、と伝えた。11:00pm過ぎに興奮しながら
帰って、渡邊未帆ちゃんに報告すると、彼が組んでいた「ディスヒート」
というバンドが有名だという。大里先生に報告したかった。
↓ヘイワードさんと
↓ライブの様子
2/20(日)
朝から唐ゼミ☆ワークショップ。佐々木あかりが公演を終えて
帰ってきた。アシスタントを得て楽になった。
一回に約20ページずつ進む。一幕おわりまでいき、
文ちゃん、洋一、キティ瓢田というサフラン座のトライアングル完成。
急いで11:30amまでに入店した者が食べられる
イングリッシュブレックファーストにありつき、帰りに駅前にきたところ
強風で木が根こそぎ倒れている。眺めていたら、近所のおじさんが
写真を撮ってやろうと言い出した。面白い人だ。
午後はヘイワードさんのCDを手に入れようと街を徘徊するが
そして、夜にウィグモアに行き、初めてギトン・クレーメルを聴いた。
シューマン、ヴァインベルク、ラフマニノフというプログラム。
初めて生で聴くトリオの曲だが、量感がある。クレーメルは
じくじくとした弱音の手つきがエロくてあやしい。
往々にしてピアノがデカすぎると思った。アンサンブルそっちのけで
グイグイくる。
2/21(月)
今日から学校の先生がエリザベスさんという女性に変わった。
彼女とすごく打ち解ける。理由は簡単で、趣味と行動半径が激しく
一致したからだ。彼女はウェールズ出身の母と、母の故郷が嫌いな
イングランド人の父の間に生まれ、二人の娘さんがいる。
ピアノとヴァイオリンをやり、夜と週末はタンゴの教師をしている。
ロンドン・シンフォニエッタの事務局で働いた経験があり、
なんと、5年前までAlbanyに勤めていたらしい。
好きな小説は『マエストロ&マルガリータ』。
こちらも5回くらい読んでいると言って、1時間ほど話し込んだ。
日本語訳されたブルガーコフはほとんど読んでいる。
ヴェルギリウスとダンテ、ペンリー・パーセルが好きだとも
訴えて、プロ・アマ問わず『Dido & Aeneas』生演奏を逃さない
つもりだと伝えた。今後、色々と指南を与えてくれそうだ。
午後はAlbanyで事務。
方々にメールを打ち、入口管理のトムにプリントアウトを
手伝ってもらった。ここはそういう役割分担らしいのだ。
いよいよ家が決まったので、大家さんに渡す資料や、
劇場の資料も印刷。唐さんの台本も印刷してもらう。
印刷待ちの間、トムに21世紀リサイタルの動画を少し観せたら、
唐さんのボクサー姿に爆笑していた。
唐ゼミ☆のみならず、巨大バッタ、唐さん、RSCと蜷川さんが
『リア王』を作った時の眞野さんの映像が自己紹介に役立っている。
(室井先生は"哲学者"だと分かりにくいので、バッタをやった人を強調)
ミミ、エマ、アネッタ、リヴにメールを打って、
打ち合わせや施設往訪の申し入れをする。動かなければ!
夜はまたウィグモアに行って、韓国気鋭のカルテットを聴く。
ショスタコーヴィチを聴いてブルガーコフを思い出した。
グロテスクな笑い、時々メロディアス。
客席はやっと半分埋まっている程度だが、これからの人たちだと思う。
トップからアンサンブルがとても良くて、熱演も激しい。
理想的だ。と、1ヶ月前なら思うところだけれど、迷いが生じている。
イギリスに来て、全体なんかそっちのけでグイグイいく
プレイヤーに魅了されている。痛快で、潔い感じがする。
国鉄に慣れ、地下鉄の乗り換えもより便利な方を選択できるようになった。
スーパーでは、チーズの他にハムも安く、美味しい。
レストランでは、安いピザ屋を見つけた。
生活しやすくなっているが、課題はAlbany内での喰い込みと、
英語の成長実感が乏しいこと。そのうち何とかなるのだろうか。
↓エリザベス先生。今度ギャビンに会ったらこの写真を見せよう
2022年2月19日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
昨日、芸術文化財団の上司の一人とLINEする機会があった。
やりとりのついでに語学学校での授業中の写真を送ったら、
誰もマスクをしていない、と驚かれた。
そうだ!
マスクするのを、こちらの人たちの雰囲気に押されて忘れかけている。
と言うくらいに、英国ではコロナのことを皆が気にしていないように
感じる。すでに国民の4分の1以上が感染しているイギリス。
無自覚無症状の数を合わせれば、さらに多くの人が罹患している
だろうから、集団免疫をすでに獲得しているのかも知れないけれど。
Albanyでは金曜に夜に、皆で連れ立ってパブに行った。
写真の様子は、広い広いパブの中で自分たちの陣地を確保するやり方。
劇場のロゴの入った風船を膨らませて、各テーブルに置き、
確保完了です。これはなかなか洒落ていて良い方法だと感心した。
劇場から近く、広くて安いこのお店が皆の溜まり場。
ボックスオフィスとエントランス管理のスタッフも、
総務担当も、各プロデューサーも、テクニカルスタッフも、
時間に余裕のある人がそれぞれに集まっていて、盛り上がる。
劇場が一つのチームであることを感じさせる数時間。
そしてまた、家庭や用事や疲労のある人から、
気づけば五月雨に抜けていく。これも自由な雰囲気で、良い光景。
自分は£2のジンジャーエールをカッコ良いグラスに入れてもらい
ずっと飲んでいる。英語はよく分からないけれど、こういう場だと
相手の言うことが理解できるから不思議だ。
各人の名前は、自分のノートにスペルを教えてもらい、覚えている。
あと、この二日間は、ロンドン名物の嵐だった。
とにかく風が強い。学校でも劇場でも、明日は気をつけてと言われ
何のことかと思っていたが、こういうことか。
実際に強風がやまない。
小雨もパラついているが、これがイギリス人が傘をささない
大きな理由なのだそう。この点に関しては、自分は断固スーパーで買った
折り畳み傘をさして、濡れないようにしている。
風邪ひいてなるものか。せっかくイギリスでの貴重な時間が
部屋で伏せっていたら台無しだ。マスクも、都心に出る時はしないと。
そう思って強力なやつをカバンに忍ばせている。
2022年2月18日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑テムズ川も砂浜みたいに遊べるようだ。相変わらず、1日に1度は小雨。
昨日は語学学校で、ディスカッションを行った。
パーティーの開き方について議論したところ、
サウジアラビア人の青年二人に強硬にやり込められた。
30人のパーティーをある店に予約したが、
2日前、参加者の中にベジタリアンが5名いることがわかった。
お店はそもそもベジタリアン対応はしないレストラン。
幹事の自分はどうするべきか。
①パーティーを取りやめる
②別の店に切り替える
③現在の店に交渉する
自分は③を選んだけれど、彼らは②だという。
30人分の予約はお店の準備や収益にとっても大ごとなので、
③をして対応してくれたら良し、断られて初めて②に行けば良い
と伝えたが、絶対に②だという。彼らお国柄か、若さか、面白かった。
午後、Albanyには行かなかった。
昨日は皆が自分の関係者がオフィスに来ない日なので、
(ネットで出勤状況を調べられるようになった)昼から出かけて
Facebookで椿昇さんに勧められたテート・モダンに行った。
元工場だという建物に圧倒される。
無料と有料のコーナーに別れており、まずは無料から。
初回ゆえに作品より、展示スペースの方が印象に残ってしまう。
ミュージアムショップだけで何軒もある。しかも50%オフ中。
草間彌生の有料展示は、3月末まで予約でいっぱいだ。
パンデミックでなければ、もっとすごいのだろう。
また平日のフリータイムに来るべきだと思った。
フラッシュ無しなら写真撮影OKという習慣にも驚く。
夜はコンサートに行き、ストラヴィンスキー・プログラム。
イヴァン・フィッシャーとブタペスト祝祭管のリズム感の悪さ、
もつれっぷりにイライラしたが、中盤のヴァイオリン協奏曲に登場した
パトリシア・コパンチンスカヤが状況を一変させた。
カラフルな衣装で、よく見えないがおそらく裸足、
ヘッドバンキングしながら周りの演奏を聴き、自分の演奏に
挑みかかっていく彼女により、空気が格段にハネる。
たった一人がこんなに全体を支配してしまうことがあるのだ。
素晴らしい俳優もこうだなと思いつつ、彼女が去った後半の
『ペトルーシュカ』はまたキレ無し。
終演後の拍手をそこそこにボックスオフィスに向かい、
6月にコパチンスカヤが出るプログラムのチケットを買った。
チーペストじゃなく、できるだけパトリシアに近いところで!
と伝えたら、馴染みになった髭のおじさんが笑っていた。
ところで、これまで書きそびれてきたが、一日に一度は必ず誰かに道を訊かれる。
また、ホールのロビーにあるテーブルに陣取って仕事していたら
中年女性2人に相席を申し込まれ、子どもの教育問題について
熱心にやり取りする様子に思わず笑ってしまい、彼女たちと少し話す。
コンサート中、隣の家族連れに当日パンフレットを貸して欲しいと言われ、
快諾したら、かなりの時間熟読してなかなか返ってこなかった。
何か、人間同士のやり取りが率直で、自分は居心地が良い。
一方、ホール最上階には会員限定のレストランやカフェがあり、
そこには入ることができない。
移動中、どこにどんなホームレスがいるかも頭に入ってきた。
グリニッジの隣、カティサーク駅を出ると、
足の皮が松の幹の表面のようになっているおじさんがタンバリンを
叩いて集金している。ロンドンだ。
2022年2月17日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑2週連続、曇天のバザー。管理人に出店者の若者が注意を受けている
ように見えた。ああいうのを聴き取れるようになりたいものだ。
現在、2/17(木)7:00am。
昨日も夕方に Albany から国鉄に乗って街に出ようとしたけれど、
電車が遅れていたようで、それで思い立って、やめてしまった。
7:00pmにはホテルに帰ってきて、
いろいろと状況を整理してみようと思ったのだ。
だいたい、ここ数日は小雨続きだ。
朝は晴れているのだけれど、昼過ぎからは曇り始め、夜は雨。
ロンドンらしいロンドンかも知れない。
8:25amに学校に向かい、
途中では日本にいた時から続けている英語学習をしている。
30分弱で学校につく。
一限目を受け、30分の放課ではだいたい日本に連絡をとっている。
ちょうど日本の夕方にあたり、仕事にせよ家族にせよ、
お互いの活動時間が重なる時間帯だからだ。
12:30に学校が終わると1時間ほどかけてAlbanyに向かう。
ここで食事。昨日は辛いものが食べたくなってタイ料理に行ったが、
これは失敗だった。価格はロンドン値段。それでいて量が少ない。
ロンドンでは量が多いので、一日一食のペースが身についたのだ。
その習慣を崩された。横浜にあるアジアンダイニングキッチンの
ランチの量と値段を見習え!と言いたい。
観光地だからか、価格に12.5%のサービス料ものる。
この頃から雨が降り始め、Albanyにたどり着いた。
周囲とコミュニケーションしながら、先日セリからもらった資料に
目を通している。この劇場の運営システムや組織図、進行中の企画に
ついて書かれた資料だ。合間で、一人一人知り合いが増えていく。
昨日はファイナンス担当のマークと知り合った。マークは二人いる。
今回はシニアのマークだが、彼はカティサークのそばにある
"ザイバツ"という面白い名の日本料理屋が気に入りだと教えてくれた。
ロンドンでのアジア系飲食は失敗続きだが、教わった以上は近々
行ってみよう。どんなものか。
昨日は途中、事務室を出て劇を観た。
『ONE MEAL』という子ども用の劇を上演していたからだ。
ここ2日間、45分ほどのステージを1日3回ずつ公演している。
客席の子どもたちを見ていると面白い。多文化主義の街にある
劇場なので、多様で、でも子どもの動きは万国共通だ。
あれは10歳くらいだと思うけれど、少年の俳優が、
お母さん役の女優と、狂言回し役の男性の真ん中で活躍していた。
終演後は、客席とのレクリエーションの時間で、
子どもたちはキャストと話し、写真を撮り、セットの中を冒険して
いた。運営にとってはハードな3回公演だが、とても良い雰囲気だ。
ちなみに、大人も子どももワンシート一律 £7。
と、ここで色々と頭に思い浮かぶのだが、まだ自分に話し合うだけの
語学力がない。今回の公演も各地を巡回しているプログラムの
買い取りのようだが、どんなエリアをどの程度の頻度で回っているのか。
少年の俳優がいるのがまるで大衆演劇の一座のようだが、
彼の通学はどうなっているのか。
どだい、通い慣れてくると、色々な疑問が頭に浮かぶ。
Albanyの劇場の周りでは定期的にバザーが開かれているのだが、
これが週末というわけでもなく、どういったものなのかよく分からん。
こんなことも訊いてみたい。??が頭にいっぱいある。
なんとなく習慣的に暮らせるようになってきているけれど、
まだまだだなと思う。それもあって早めに帰り、駅で配っている
フリーペーパーを読んだり、日本で買ったイギリス史の新書を読んだりした。
そういえば、ヒースローで買ったSIMカードは1ヶ月単位のものだけれど、
次回更新のやり方を知る必要もある。
というように、足回りを固める時間として昨晩を過ごした。
日本から連絡が来て、取り壊しの迫る入谷の坂本小学校(唐さんの母校)
を保存するための運動を続けている小林さんとやり取りをした。
小林さんのコツコツとした粘り強さに頭が下がるし、
いつものように駆けつけられないことが歯がゆい。
一方、ほんの近所だって、少し違う方角、違う路地に進めば、
まだまだ知らないお店や風景があることに昨日は気づいた。
慣れてきたつもりだけれど、自分はまだまだロンドンを知らない。
↓終演後の舞台。イギリスにも桟敷席はある。自分は最前列端で観た。
2022年2月16日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑英国でのビッグボス ギャビン・バロウさん。まさに大物アクティビスト。
「ビッグボス」という言葉に新庄監督により馴染んでおいて良かった。
現在、2/16(水)朝7:00。
今日は昨日のことだけ。コンパクトに書こう。
出会いと別れがひっきりなしの語学学校だが、
クラスの主要メンバーがインスタのネットワークをつくっている。
ロシア人のダナという17歳の女の子、トルコ人のセナ(年齢わからず)
という女子が声も大きくムードメーカーだが、グループを活用した
彼らの応酬が授業中に飛び交う。
明日の夜に「『シンデレラ』か『美女と野獣』を観に行かない?』と
ダナ。みんなが反応しないでいると「私だけ? 返事してよ」と言う。
自分はお誘い対象外だと思うが、夕方になって寂しそうなコメントが
続いたので、お礼とお断りのコメントをしたが、特に返事なし。
やはり、対象外だ。
今週入学した国も名前もわからないおじさんが「オレだけオールド」
と言ったので、「41歳の自分もですよ」と告げたら、デザイナーの
ロシア人・スヴェタが「私も47歳」と言った。
彼女の名前は......、『ジョン・シルバー』の「ドクリンコの唄」を
思い出して呼びかけにくい。「♪あたいたちゃスベタ・・・」
授業中、KAATの案件で津内口に取り次ぎを頼んだが、
まだやったことのない国際電話を急遽しなければならなくなりそうに
なり、焦る。「3」のSIMカードでは無理そうだ。
通い慣れたbill'sで昼食。今日は20歳のSho君と一緒に食べて、
久々に手ぶらでトイレに行けた。彼のホームステイや日本の家族、
これから2年を英国で過ごす展望を聴く、ヒースロー到着時の戸惑いは
みな一緒だと思う。
この日は雨で、自分はチープな折り畳み傘をさし、
Sho君は英国流にささない。後で劇場のソフィーやセリに傘を持たない
理由を訊いたら、風が強くてすぐに壊れるからだそうだ。
日本製をプレゼントしたいものだ。
午後は劇場に行って、やっと、ついに、やっと、
大ボスのギャビンに会うことができた。3つの施設を同時に運営し
多忙なギャビンと30分ほど話すことができた。
まずは今回の誘致に改めて大きな感謝を伝えて、
ここ2週間のこと。エマに伴走しようとしていること。
ミミの体調が心配なこと。ロンドン市内を歩き回っていること。
を伝えた。次は他の2施設を案内して、食事をする約束をする。
忙しそうだ。
そこからはセリと一緒に、オフィスの予約の仕方や、
劇場のメンバーとのスケジュールの押さえ方、運営組織を示す図を
見ながら、それぞれの立場と役割について説明を聴いた。
CEOのギャビンがとても偉そうに見えるので、
この樹形図から、ここの上下関係がどれくらい厳格なものであるか
訊いた。質問の動機を伝える中で、思いかけずKAATの眞野館長のこと、
唐さんや唐ゼミ☆のこと、室井先生と行ってきたことまで
説明することになった。
それらすべてを生かすヒントが、この劇場にはあるのではないか。
オペラやクラシック音楽や文学、古典劇などのハイカルチャーも
好きだけれど、最終的にはヒューマニティー("動物としての力"でもある)
を自分が発動させたり、人がそれを爆発させている瞬間を最重視している
ことを伝えた。
ペーパーワークに忙しいはずの彼女は、
およそ2時間以上も自分に割いてくれたと思う。
アツシに向いたギャビンの活動がある、と言っていくつかのコミュニティや
それに付随するウェブサイトを紹介してくれて(それらの拠点は、
ロンドンの外や、英国外にも及ぶ)、金曜の夜に開催される集まりにも
誘ってくれた。「でも、チケットいっぱい買ったアツシには予定が
あるかもね」と言うから、ここにいることの重要性と、優先順位が
高い予定を常に選ぶための最安席であることも念を押した。
もし「こちらにいるべきだ」という予定が飛び込んだら、チケットは
学校の同級生にプレゼントしても良いし、学校の出席日数については
規定数をクリアするよう通うし、すでに先生方や事務局にも渡英の
主目的を伝えて理解を得てあると伝えた。
セリの理解がありがたかった。
このあたり、大学一年の頃を思い出す。
6月頃、まだ親しいとはいえない唐さんが花園神社や鬼子母神での
紅テント解体に誘ってくださった時、自分は迷わず月曜の授業をサボった。
どちらのために生きているか、という優先順位の問題。
もちろん、予定なしにサボることはしない。
ここの職場は原則6:00pmまで、というセリに従って作業を終え、
今日もサウス・バンク・センターに向かう。当日券で£10。
7:00pmから「啓蒙時代の楽団」というオケを聴く。
秋にオペラシティで聴いたイザベル・ファウストがソリスト。
シューマンのヴァイオリン協奏曲は、かつて横浜国大の茂木先生に
勧められた曲だ。特に第2楽章の美しさは、気のふれた晩年の状態が
よく出ていて、不思議に魅力的だと。初めて生で聴いてそれが伝わった
けれど、いかんせんオケの規模や古楽器スタイルにはホールがデカすぎる。
アンコールを告げるために喋ったイザベルの声の柔らかさが印象的。
名前も風貌もいかつい感じがする彼女の演奏は繊細さ、玄妙さに魅力が
ある。細やかな人なのだろうと思う。
2022年2月15日 Posted in
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中野note
↑昨日は誕生日だったので、皆がお祝いしてくれました。
現在、2/15(火)朝7:00。
前回は金曜の朝に書いたので、金・土・日・月にあったことを書こう。
2/11(金)
この日は、唐さんと娘のお誕生日だった。建国記念日に生まれた二人。
学校に行き、昼食(近所のbill'sのウェイターさんと親しくなった)
をはさんで劇場オフィスに行き、リヴ(Liv)という女性から
パソコンのログインや様々なセキュリティについて、
解除の仕方を教わった。
こちらは、バックヤードのトイレにもテンキーが付いている。
館内を自由に動けるようになり、スタッフの一員として一歩前進した。
18:00頃には劇場を出て、国鉄に乗ってロンドンブリッジ駅で降り
30分ほどテムズ川沿いを歩いてサウス・バンク・センターに到着。
今日も当日券を買おうとしたところ「今日はイベント無いよ」と受付の人。
どうやら、カレンダーを見間違えていたので、
ならば!と近くのテーブルに陣取り、夏までのプログラムや
自分のスケジュールと睨めっこし(競馬の予想みたい)、
先々のチケットを最も安い席で買う。
"チーペスト チケット"がスタッフとの合い言葉。
その中でオススメの席を!と相手にお任せした。
本来はミシン目で切れるはずのチケットが蛇腹になって出てくるのが
面白く、ボックスオフィスのスタッフと爆笑しながら買った。
10数回分買ったら割引も適応され、2万円いかないくらい。安い。
帰り途、電車の乗り換え中に電話がかかる。エージェントさんから。
下見に行った大家さんが、OKしてくれたらしい。
ついては、翌朝エージェントさんとの面談を決める。
グリニッジから30分ほどのニューエルタム駅で待合せ。
前金が必要なので、帰りにATMに寄ったが£20紙幣がたくさんになって
しまった。あと、包む封筒がない。
2/12(土)
ホテルに戻り、本を読んだりしながら過ごして、夜中(日本は朝)に
唐ゼミ☆オンライン会議。その後、早朝(日本のお昼過ぎ)にも
一本zoomで写真家の方と打合せして、先々の企画について話し合う。
こちらが寝ている間には、林麻子のWSが進行中。
彼女は、教え方やタイムコントロールなど、巧者のようだ。
いつも劇中歌の振り付けをしたり、衣裳を考えたりしている時にも
視野の広さがあると思ってきたが、当たりだった。
彼女は音大出でピアノと声楽をやってきた。
劇中歌ワークショップ、ぜひ参加してください。
『唐十郎劇中歌ワークショップ』
ここから、7:00に回転するセインズベリーに行って封筒を探す。
尋ねてみると、売り切れ。困っていると、店員の女の子は
別棚の便箋とセットになっている封筒を一枚引き抜いて
プレゼントしてくれた。本来、便箋とセットの売り物ではないのか?
幸せな気持ちになるが、買う人には一枚足りないことになる。
その後、エージェントさんと会い、
20年イギリスで暮らしているという日本人のその方に、
色々と面白い話を伺った。息子さんがサッカーに夢中だそうだ。
こちらにいるうちにサッカーの試合も観たい。
超一流リーグはレアチケットだけれど、地元のチャールトンという
チームなら手に入りやすいらしい。下部リーグの厚みこそ本場を
感じる。劇でも、音楽でも、スポーツでも、決して来日公演のない
ローカルなものを目にしたい。良いアドバイスをもらった。
午後になり、ミミとWhatsAppというアプリで連絡を取りあったら、
彼女の体調が優れないことがわかった。彼女は明らかに忙しい。
その上で、自分の家や生活の心配をしている。
なるべくオフィスに顔を出して馴染みたいが、
ミミが不在の間に劇場に行くと結局は彼女に連絡がいくことに
なりそうなので、朝は原稿書きをして午後からは出かけることにする。
金曜にサウス・バンク・センターでのチケット注文が面白かったので、
同じことをバービカン・センターでもやった。ここは、蜷川さんが
公演していた場所だ。ボックス・オフィスの青年ジャックさんと
蜷川さんの話をしながら、席をアレンジしてもらった。
その後、ピカデリーサーカスの辺りまで歩き、
聖ジェームズ教会のバレンタイン・コンサートに行ってみた。
ヴィヴァルディを立て続けに演奏するプログラムで、
協奏曲など初めて生で聴くものばかりだ。
開場時間と同時に入って、自由席だというので前から2列目
真ん中通路沿い(テント芝居みたい!)を押さえた。
トイレに行く際、荷物を置くのは危ないので、当日プログラムと
ペットボトルを置いていき、戻ってみたら、中年女性と青年の
親子連れにズラされていた。どうやら悪びれた様子もないので
こちらが良くなかったようだ。今後は、周りに人が座るまでは
その場にいて、コミュニケーションしてから動くべきと悟る。
演奏は一流ではないけれど、1600年代からあるという教会内部は
趣きがあり、とにかく周囲のカップルがイチャイチャしながら
聴いているのが面白い。ちゃんと入場料を取るライブだが、
平気で写真や動画を撮りながら聴いている。おおらかだ。
教会の人からは、平日のお昼は無料の演奏をしているから
またおいで!と言われた。ヴィヴァルディは喘息持ちで赤毛の司祭
だったというから、合っていたように思う。
催し物会場としての教会という選択肢があるのだとインプット。
2/13(日)
朝起きて、唐ゼミ☆ワークショップ。
午後はKAATの仕事で発行している「共生共創通信」の原稿書きをし、
メーテルリンクの『青い鳥』を読んだ。堀口大学の翻訳だけれど、
唐さんが『秘密の花園』に使った言葉ではない。誰の訳文か、
今後に調べる必要がある。
イタリアンレストランで昼食。ここは先週も来てかなり気に入った。
イギリスに美味いものがないというのは違うと思う。
中華料理屋に行くと違和感を感じるが、西洋のものは美味しいと思う。
雨の中、夜はAlbanyのライブに行った。
(先日スーパーで折り畳み傘を発見。チープなものだけれど)
「TOMORROW'S Warriors(明日の戦士?)」というバンドのライブだ。
劇場に行ってみると、ホールが完全にライブハウス化していて面白かった。
いつもとまるで雰囲気が違う。案内係のケイトがお客さんをリードする
様子も、明らかに先週のキッズプログラムとは違う、
2階客席の奥にあるバーカウンターでは、システム担当のリヴが
ビールを注いでいる。多芸だなと思った。
演奏と歌のレベルが高い。このバンドがどれほどメジャーか
わからないが、キーボード、ベース、ドラム、ギター、ヴォーカル、
フルートの6人組のレベルの高さはすぐに分かる。
でも、何よりも、片付けまで疲れも見せず、テキパキと働く
ケイトとリヴが素敵だった。彼女たちのお客さん対応には
人間的な温かみがあって、催しをかなり底上げしてくれている感じがした。
2/14(月)
語学学校に行き、同級生のトルコ人・セナに年齢を訊かれた。
40歳....あ、今日で41だ!と言ったら教室内が盛り上がった。
日本人は幼く見えるので、オレには妻も子もいると伝えて、笑われた。
一方、週末を経て、若者たちによる教室内のラブワゴン感が加速している。
帰り際、放課中に即席で作られていたバースデーカードをもらって、
写真を撮る。ありがたいことだ。同時に、隣の青年・マリオは卒業。
2週目に入り実感したことだが、ここは毎週、新人が来て卒業生が出ていく。
1ヶ月程度の学習の人もいる。自分のように11ヶ月コースは長い方のようだ。
午後は、各種手続きに動き回った後、夕方から初めてウィグモアホール
に行った。当日券で、CDで聴いていたマーク・パドモアのリートの
チケットを買う。開演まで時間があったので、高級感のある周辺を
ウロウロしていたら、丸亀製麺とCoCo壱番屋があった。
と、ふと気づけば、どこからかコーラスが聴こえる。しかもかなり上手い。
気になって近くの教会を覗くと、ロンドン・フィルハーモニックの合唱団が
練習中だった。女性合唱指揮者がテキパキと稽古をつけていてカッコ良い。
2022年2月11日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑ジャック・ザ・チッパーのおじさんにまた来ると伝えたが、再訪なしかも。
今日を以って『秘密の花園』を一通り打ちこみ終わった。
かなり読めたつもりだが、前半部分の「夕泣き丸」「夜泣き丸」部分の
描写が浅い。今後は睨めっこして、考え抜きたい。
それに、自分が参考にしてきた単行本は、あくまで改訂版だ。
1998年に行われた唐組秋公演の素晴らしさを受けて出版されたから、
首藤幹夫さんによる舞台写真がいっぱい。
最近はお目にかかっていない堀切直人さんと、亡くなった立花義遼先生、
そして、室井先生による解説が載った沖積舎版。
1982年に初演されたものから、唐さんによって少し書き換えられている。
その差も検証したい。
後半二幕のアキヨシといちよの会話には随所に赤ちゃん言葉があって、
これは初演バージョンの名残りなのだと、大学一年生の時に受けた講座の
なかで唐さんはおっしゃっていた。劇中歌をいちよ役の緑魔子さんが
歌ったはずでもある。これを遡ることで、執筆時はどうで、
唐さんが何を考えて書き換えたのか、これから考えてみたい。
さて、前日(2/9)に『芝居の大学』のためにお休みした語学学校に行く。
すると、受付で総務の女性に話しかけられた。
実は火曜目を終えたところで詳細なアンケートがメールで送られてきた。
自分はそれに、ちょっと講座のレベルが高く感じたことを伝えたのだ。
事務局は柔軟に対応してくれたらしく、今日、試しにもうひとつ初級を
受講できるよう手配してくれたらしい。それを受けてみて、
アツシに判断して欲しい、と。
新たな教室に行ってみて、即座にこっちだと思った。
この学校のなかで最も初級にあたるこのクラスは、明らかなタレント揃い。
アルジェリアやロシアやブラジル、そういった国々の青年たちが、
とにかく騒がしく、人間としてのパワーに溢れている。
先生もまた、お腹痛いと言いながら少し遅刻したのにも好感が持った。
さらに遅刻した生徒が後から後から入ってくる。
こう書くと怠惰なだけのようだが、授業中は質問が飛び交う。
私語も飛び交う。その度に先生は笑いながら、静かに、と嗜める。
すっかり気に入ったし、自分の英語力に合っていると思ったので即決。
デイビット先生に謝りに行ったら、気持ち良く送り出してくれた。
初日と二日目のクラスの生徒たちの何人かも「なぜいないんだ?」と
声をかけてくれ、後ろ髪も引かれたけれど、基礎クラスに編入した。
総務の女性には、アツシはいつから英語の勉強を?と改めて訊かれた。
日本では中学生からやるけれど、自分は去年から取り組んだと伝えた。
「なぜ、10代の頃からできなかったのか?」とも言われたので
「日本語を勉強するのに40年かかった」と答えた。
事務室の人たちは爆笑していたけれど、
早朝、こちらは必死に唐さんの日本語と向き合っている。
一方、体調的にはあまりに眠いし、頭も痛いので、
コスタコーヒーのメニューにチョコレートのお菓子を加えた。
ロンドンに来て以来、あまり食事をする気になれないし、
体がスッキリしていくようで悪くないので、あまり食べてこなかった。
しかし、加糖したら、頭がスッキリして2時限目はあっという間だった。
ディスカッションでは、どこでフィッシュ&チップスを食べたら良いか
を話題にした。10日ロンドンにいて、自分はまだ食べていない。
グリニッジ大学近くに数軒ある店の中から一つを勧められた。
明日においしかったか教えてくれ、と言われとなると、
こうなると今日は昼飯を食べる気になる。
JACK THE CHIPPERというお店。
タラを揚げるのに7分かかるというから、お店のおじさんと話し続けた。
パンデミックでぜんぜん観光客が来ないとぼやいていたが、
あなたは良い店を選んだ、推薦した先生の目は確かだと言って、
グリーンピースのペーストを付けてくれた。これが古典的スタイルだ、と。
ホテルに足早に戻って急いで箱を開け、食べる。
噂に聞いていたよりよほど美味しい。タラに鮮度がある。
しかし、味は薄い。日本ほど塩分が濃くないせいもあるけれど、
魚の甘味に乏しい。チップスも美味しいけれど、量が多すぎる。
グリーンピースのペーストは、砂糖と水分を加えればお汁粉のような味。
と、ここからが劇場研修。
Zoomで「HERE NOW US」というプロジェクトの進行確認会議に加わる。
もちろん途中参加だし、英語が厳しいのだけれど、まだらに理解したところに
よると、劇団スペアタイヤの代表レベッカさんを中心に進むこの企画では、
地域の学習障害がある青年たちと美術やインスタレーションを作って
彼らの活性化を図っているそうである。去年から各地でWSを進めてきたけれど、
ずっとコロナとの闘いで、中断やオンラインの活用に苦労しながらやってきた。
そういう内容だった。ディスカッションが始まると、翻訳ソフトも使いながら
ギリギリとそれにしがみつく。映像紹介があるとホッとする。
90分でどっと疲れた。
今日とったメモをもとに、次にエマに会う時、質問攻めにしなければ。
他方、電話で話したミミは体調が悪いらしい。忙しい彼女が心配だ。
さらに、今日はここからが勝負の時。
3月から入居できるかも知れないお宅の内見に行った。
そこは、今いるホテルから歩いて10分ちょっとのところで、
グリニッジ公園の通用門が目と鼻の先にあるお家。
ひとり暮らしのシニア女性が、部屋を貸しているらしい。
近々、現在の借り手が出ていくので、申し込みをすることができた。
早めに行き、教わったアドレス直前で少し迷っていたら、
知り合いだという近所の女性が案内してくれた。
出てきたのは、教養があって、少し厳格そうな女性。
部屋を見せてくれたり、コーヒーをご馳走してくれた。
何か望みは、と言われたので、少しお話ししたいと伝えて、
自分がロンドンに来た目的や、これまでの10日間のこと、
思い描く生活スタイル、家族や唐さん、唐ゼミ☆やKAATでの
仕事について話した。
彼女も、自分の家族や、便利なお店、行くべき文化施設、
大好きだというフットボールチーム、トットナムについて話してくれた。
さっきあなたが行ったフィッシュ&チップスは間違いだ、
この地域でベストなのは THE GOLDEN CHIPPY だ、とも。
あとはエージェントを通してやりとりしましょう、と言い合って失礼した。
ここで暮らせたら願ってもないけれど、どうなるか。
今日は都心に出るには充実し過ぎたので、教わった商店を確認するために
カティサーク〜グリニッジの辺りを歩いて、ホテルに戻った。
先日見つけたジブリ上映中の映画館の他に、この街にはもう一軒、
スクリーンがあることもわかった。
夜はホテルのロビーでメールを打ちまくったり、台本を読んだり、
2/14までの予約を延長した。ずっといるから、受付の人と打ち解けてきた。
もっといろというけれど、さすがに財布がもたない。
就寝は24:00。
翌2/11は唐さん82歳の誕生日、うちの娘も3歳になる。
2022年2月10日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑終演後、こうして場内で写真を撮って良い雰囲気がロンドン流らしい
昨日は『芝居の大学』の最終回だった。
日本の19時スタートは、こちらの10時開始。
だから前日の段階で語学学校には欠席することを伝えて、
早朝からzoomのリハーサルに臨んだ。
3名のゲスト、
桐山知也さん、浅井信好さん、鈴木励滋さんのお話はどれも面白く、
作品表現を追究すること、創作プロセスを全て表現と考えること、
さらに拡げて、日々の暮らしの中に表現を意識し、日常を緩やかに
変えていくことの面白さと可能性について語り合った。
後半には、前回のゲストだった横山義志さん、鈴木伸幸さんも
加わって、それぞれの思うところを述べてくださった。
"表現"を取り巻く何重ものレイヤーと、
それぞれの段階が持つ可能性と課題に触れることができた。
そして、目の前にはロンドンの下町とThe Albany があって
昨日は情報量の多さに圧倒されたけれど、午後から今朝までの
時間を使い、少し頭を整理することができた。
課題は、一直線につながっている。
そのようなわけで、午前は日本とのやり取りでホテルにおり、
午後は午後で、ミミやエマや、Albanyのスタッフが多忙だったので
これまたzoomで話し、ホテルにいた。
これから自分は、エマの担当する
"Here Now Us"というプロジェクトに伴走する。
その土台となる情報共有を、慣れない英語でやっている。
直接会うより、Zoomやメールでの内容理解は格段にくたびれる。
家探しは続いているが、良い物件が候補に上がり、希望を持つ。
2/10(木)の夕方に下見に行けるようエージェントが手配してくれた。
安価だし、すでに住み慣れ、移動に便利なグリニッジ周辺だし、
なんとかこの機会をものにしなければ。
夜は、どうしようか迷ったけれど、
ホテルばかりにいると気がふさぐので、街に出かけた。
小雨の中を電車に乗ってセントラルに出ると、
金田家というラーメン屋を見かけたので、入って食べてみた。
日本で食べるより美味く感じたけれど、会計は2,500円くらい。
外国のものは高級品だ。
それから、ウロウロした後にサウス・バンク・センターに行き、
当日券を買って、ロンドン・フィルハーモニックを聴いた。
指揮者クラウス・テンシュテットのCDの演奏を務めていた楽団だ。
ちょっと疲れていて、ウトウトしながらの鑑賞になってしまったが、
真ん中に演奏された現代曲のヴィオラ協奏曲が面白かった。
2004年に作られた曲らしいけれど、演奏後は作曲家も舞台に上がった。
メインのマーラー1番は、これまで何度も聴いてきたが、
スイングが多く、指揮者の力かオケの特徴か、
それとも今の自分の状態が影響しているのか、
分からないけれど、日本で聴いてきたのとは別モノに感じた。
ノリに乗って、ところどころ雑で、突っ込みが激しい。だから盛り上がる。
楽章間では、第2ヴァイオリン奏者が楽器の不具合で袖に引っ込んでしまい、
なかなか再開できないでいると、お客が笑いだし、ついにはリントゥさんが
「スコアに書いてあるんだよ」と大声でジョークを飛ばして場内が爆笑した。
それもあって終盤はさらに特攻的演奏。
お客さんの入りは6割程度だったが、みんな立ち上がって
掛け声を飛ばしながら盛り上がった。掛け声だ。もうコロナは関係なし。
それにしても、今日は最安席£14=2,500円で聴いたけれど、
とても良い環境に感じた。ラーメンより若干安いって・・・
これからはこういう感じで数を鑑賞していこう。
帰りに、雨が強くなっていて、
そういえばまだ傘を買っていないことを思い出す。
いくつかのスーパーを見て回ったが、日本のように雨だと軒先に
設置して売る様子もなく、どこで買ったら良いか、今だに分からない。
語学学校で訊いてみよう。
それにしても、ロンドンの街にはたくさんのホームレスがいて、
コスタコーヒーの紙コップなどを置いて、寄付を求めている。
何人か、傘をさしながら地べたに座り込んでいる人を見かけたが、
彼らはなぜ屋根のあるところに移動しないのか。
追い出されてしまうからか。あの状態の方がお金が集まるからか。
よく分からない。彼らが傘をどこで手に入れたかも、よく分からない。
帰ってから24:00に寝て、6:00に起きる。
久々に理想的な就寝・起床タイムだ。
2022年2月 9日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑サドラーズ・ウェルズ・シアター。安藤洋子さんが活躍してきた場所。
学校や劇場が二日目の昨日も、面白い一日を過ごした。
午前中の講座は二部制。9:00-11:00まで発音、文法、単語を学ぶ。
30分の休憩をはさんで、11:30-12:30がディスカッションの時間。
完了のニュアンスの違いや、接続詞を学び、すぐに使い始める。
会話の時間には、学校で初めて、少し打ち解けて話す人を得た。
彼女はスペインの方で、大学で数学を教えているのだそう。
担当教官デイビットさんや、総務のマホメットさんと個別に話しができた。
デイビットさんは、かつて船橋で一年を過ごしたらしい。
自分は一度しか行ったことがないので、彼の方が断然詳しいわけだが、
当然、『続ジョン・シルバー』に出てくる船橋ヘルスセンターの話をする。
歴史・哲学・神学を学ぶことを趣味とするマホメットさんは、
自分が舞台の仕事について名刺を渡しながら説明すると、興味を持って
くれた。ロンドンで見るべきものを、どんどん教えてくれるよう依頼。
午後は劇場に行き、昨日よりさらにスタッフの名前と顔を覚えつつ、
ミミが自分の滞在先探しを手伝ってくれた。
彼女が見つけておいてくれたサイトはMixBより良くて、
すぐに入居できる情報をたくさん得ることができたが、いかんせん高価。
月初めには情報が増える傾向にあるので、サイトに網をかけつつ、
2月半ばからは、今より安価で朝食付きのホテルに移動するのが吉、
という判断に至りました。このホテルへの以降手続きを明日に行おう、
そう言ってミミと別れた。
何しろ、彼女は忙しそう。
今年、The Albanyはずっと特別なフェスティバル期間中なので、
いくつもの企画とトラブルを抱えている様子。彼女が同僚とする会話から
"angry"という言葉が何度も聞こえ、家が遠いらしいこともわかったので、
俺は大丈夫だと言って、こちらは次の行動にうつることにした。
ちなみに、今日はAlbanyにあるいくつもの集会室の中で、
一階にある大きめの部屋に地域のシニアの皆さんが集っていた。
KAATでは演劇やダンスを志す人を集め、創作する仕事をしてきたが、
こちらは劇場の規模からしてもより地域密着型で、車椅子の方、
杖をついた方が散見される。当然、人種も入り乱れている。
という様子を見ながら、今日もセントラルに行くことにした。
公演やステージを見る前に、まずは各地に道をつける。
そして、パンフレットやフライヤーをもらうというのが目標だ。
ホテルに帰ると疲れが出てすぐに寝てしまい、夜中に起きる生活が
連続しているので、きっと英語のストレートプレイには耐えられない。
まずは顔見せ、観劇は後日にする。動いていれば、起きていられるし。
少し遅めに帰って23:00-5:00くらいに睡眠時間をもっていきたい。
Albany最寄りのデトフォード駅から国鉄に乗ってロンドンブリッジに着く、
出発時にオイスターカードをタッチし忘れて、駅員さんに補い方を
訊いたら、初めて切符を買って駅を出ることになった。
案内も親切で、ありがたい経験。
そこから地下鉄に乗り換えて、ロイヤル・コート・シアターを目指す。
去年KAATで上演され、今月末に米澤が出演する『ポルノグラフィ』が
初演された劇場だ。若手の育成と発掘に力を入れ、登竜門の一つらしい。
地下にはパブと演劇関係書を扱うさほど大きくない本屋
「サミュエル・フレンチ」がある。現在公演中の演目のチラシをもらい、
受付の女性や書店のおじさんと喋って、次の目的地へ歩く。
明らかな高級住宅、ブランド店が集まるカドガンを抜けて、
立派なケンジントン駅の裏手からハイドパークに入った。
1999年に、さいたま劇術劇場でロイヤル・シェイクスピア・カンパニー
との共同制作『リア王』が上演された時、そのロンドン公演の様子も
撮影されたドキュメンタリーの中で、真田広之さんがランニングして
いたのはこの公園ではなかったか。日本のスターは当然ながら、
良い待遇を受けていたんだなと、土地柄を把握して実感。
公園を抜けてノッティングヒルに至る。
ここには、京都のレコード店「ラ・ヴォーチェ京都」の御店主に
教えてもらった「Classical Music Exchange」がある。
(ロンドンのディスクユニオンみたいな感じ)
御店主に挨拶して、日本から来た、この店を教わって来たと
伝えると、地下のクラシックコーナーは改装中だと言われた。
仕方ない。一階の商品の中から気になるジャンルを物色していると、
特別に地下を開けてくれて、さっそくレアものを発見。
日本だと滅多になく、ネットでは5,000〜10,000円するCDを2枚
それぞれ3ポンドずつで譲ってくれた。
また来ます、と伝えて地下鉄へ。
ノッティングヒル駅からセントポール・カテドラル駅に行き、
そこからの乗り換えがよく分からない。何故か訊けそうな人もいない。
そこで次なる目的地であるアルメイダ劇場まで歩き出した。
夜のオフィス街と静かな住宅街を抜けて、エンジェル地区に到着。
アルメイダでもフライヤーをもらった。この道すがら2ペニーを拾う。
お金を使うばかりの英国で得た初収入だ。
同時に、看板で名前を発見したので、さいたまゴールド祭のために来日し、
安藤洋子さんもイギリス公演の党打ち会場にしていたという
サドラーズ・ウェルズ・シアターにも行った。
途中、とんこつラーメンの金田屋、ユニクロ、無印良品を発見した。
帰りは、どうもバスの方が良いようなので、ここで渡英初めてバスに乗車。
ロンドンブリッジ駅から、直通でグリニッジ駅に行く電車を見定めて、
今日はストレートに帰ってくることができた。
電車を待つ時間が25分近くまったので、駅構内のお店でサンドイッチを
買ったが、レジに並んでいるお客を目掛けて、一人一人に懇願している
中年男性がいる。どうからお金が無くて一番安いピザのピースを
リクエストしているようだ。私は英語が分かりません、と伝えたら
次の人に行ってしまったが。彼はどうやって改札を通ったのだろうか?
電車賃はあるけど、食べるものを買うお金はないのだろうか?
不思議に思いながら、21:30頃にホテルに帰り。
歩き続けて20㎞以上、疲れて22:00には寝る。
3:00に起きて、これを書いています。
今日はこれから、講座『芝居の大学』の最終回!
↓英語の担当教員・デイビット先生
2022年2月 8日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑帰り際のミミ。彼女は7分後に出発する電車に乗らなければならない。
昨日から全てが始まった。
1/31にロンドンに来てからはあくまで肩慣らし、
時差を克服して生活リズムを整え、周辺の環境を知ることに注力してきた。
そして、いよいよ第二週から劇場研修と語学学校と、
自分がロンドンに来た主目的がスタートした。
正確に言うと、研修先のThe Albanyには前日2/6(日)に初めて入った。
『The Dark』という子ども向けのプログラムを上演するとHPで見たので
ミミさんにリクエストすると、招待してくれたのだ。
が、昨日はミミさんも、劇場のトップであるギャビン・バロウさんも
いないとのこと。日本だと「今日はアツシが初めて来るから」と
特別に出張ることもありそうだが、きっと休日に対する意識や就業体制が
しっかりしているんだな、と推察しながら劇場を訪ねた。
演目は巡回しているものをThe Albanyが受け入れたもので(買い取り?)、
この劇場のオリジナルではなかったけれど、演者は流れるように喋り、
歌い、踊り、パントマイムし、客席の子どもたちと即興で対話していた。
暗闇を怖がるというのが万国共通の子どもの習性だが、
少年に扮した俳優を、"闇"を演じる女優さんが脅かしながら劇が始まり、
やがて最後には友情を結ぶ。女優さんは電子ピアノやエレキギターも
演奏したりして、とにかく万能。
スタッフ(おそらく2名ほど)や美術も含めて、
ハイエース1台に乗る量の、とにかく洗練された1時間弱の劇だった。
実は、面白かった一方で、不安にもかられた。
それは、劇場空間そのものがとても小ぶりで、はっきり言えば
チープな感じがしたからだ。例えば、KAATの大スタジオや
世田谷のトラムなどの方が大きいくらいのサイズ。
設備は比べるまでもない。まあ、自分はテント演劇の徒なのだから、
これが向いていると自分を鼓舞する一方で、11ヶ月間研修する場所として
不安を覚えなかったと言ったら嘘になる。
と、ここまで読んで気づかれたと思うが、
さらに正直に言うならば、自分がここに実際に来るのは初めてなのだ。
我ながら、これはあまり良いことではない。研修先というものは、
やはり実地に目で見て選ぶのが本道だと思う。けれども、
自分は、いつかさいたま芸術劇場で聴いた劇場主ギャビンさんの講演と
伝え知る情報によってこの場所を選んだし、研修への応募を本格的に
思案した2020年の初頭は、パンデミックの始まりでもあったから、
渡英など考えられない状況だった。だから賭けをした。
賭けをして自信がずっとあったけれど、それは訪問初日で少し揺らいで
ホテルに戻った自分を少しナーバスにしたというのが、偽らざるところ。
果たして、初日。
すべてが始まったと冒頭に書いたのは、今日が語学学校の初日でも
あったからだ。すでに週末に確認済みなので、自信満々に学校までの
道を往き、建物の2階に入った。
事務局のあいさつしたら、9:00まで待っていてと言われる。
その間に、PCとケータイのWi-Fiを登録し、朝だけでは足りなかった
『秘密の花園』の研究時間を補った。
9:00になると、今日が初日の生徒を集めてイントロダクションがあり、
学校について、ロンドンでの生活について、細かな説明があった。
説明してくれた男性はマホメッドさんといって、
僕の趣味は、哲学・歴史・神学を学ぶことだと言っていた。
さすが、ムスリムの預言者の名を冠する男だと思った。
初めの2時間は各種登録作業や英語力を測るためのテストで
瞬く間に過ぎ、英語を学ぶ簡単な個別面談を経て、授業へと案内された。
と言っても、この時間は座学ではなく、いきなり各チームに別れて
先生が課したお題で話すというもの。自分が参加を命じられた
女子3人チームの関係性や話題はすでに流れに乗っており、
しかも彼らがイタリアやドイツから来たティーンだったので、難儀した。
「ア・ツシ?」「ジャパン?」「スシを思い出すわ」
「もうお昼だからお腹すいた」そんな感じだった。
こわばった1時間は異様に長く感じた。
事務局に、初日は難しかった、また明日!と大声で伝えて学校を後に。
ホテルに一旦戻り、荷物や身支度をし直して、劇場に向う。
ちなみに、ホテル〜学校は徒歩25分、ホテル〜劇場は15分。
15時少し前にThe Albanyに着くと、
受付の男性(トム)がセキュリティを解除してくれて、案内された。
カフェに、ミミとヴィッキーが打ち合わせしながら待ってくれていた。
Zoomで会ってきた彼らと、やっと初対面。
皆、自分にも分かりやすく話してくれた。
日本茶と両口屋是清の二人静というお菓子をプレゼントした。
足柄(神奈川)と名古屋である。特にミミには、1/3に広隆寺で入手した
弥勒菩薩のポストカードを渡して、自分の変な英語と付き合い続けて
くれているお礼をした。
そのうち、エマというスタッフの女の子も加わって、重鎮ヴィッキーの
長広舌が始まった。このあと年末まで、この劇場を拠点に周辺一帯の
ルイシャム地区を巻き込んで行う様々なプロジェクトについて
説明してくれた。これは聴き取るのにさすがに苦労したが、
①地域の人々から集めたエピソードを音楽化する企画
②伝統から最新流行までを網羅したダンス企画
③LGBT問題に取り組む企画
④貧困の問題に取り組む企画
があると理解できた。全体のアテンドをミミが行ってくれ、
まずはエマの担当する企画にくっついて動くべしと言われた。
説明の全ては理解できないけれど、一緒に動きながら理解していくだろう
と伝えて、ヴィッキーにお礼を行った。
それから、オフィスに案内された。
スタッフの誰も彼もが女性。ハーレムのようだと伝えると、
ミミは笑いながら、うちは女性23人、男性は4人、アツシで5人目と言う。
KAATも女性が支えている。世界的な傾向なのだろうか。
ちなみに、デスクは全てシェアするシステムで、日ごとに予約して
押さえるのだそうだ。だから全てのデスクはキレイで、
1日の終わりにはそれぞれが自分の痕跡を消して帰る。
役割によってだいたいの定位置が決まっている感じもしたが、
原則はシェア&予約制で、代表のギャビンはだいたい家で仕事しているそう。
ここにきて、ギャビンは腹痛により今日は来られないことも分かった。
それから、新しいメールアドレスをもらった。
これで劇場のメーリングリストに加わるということだ。
ただし、ログインの仕方が分からず四苦八苦していると、
明後日にセリという総務担当の女性が詳しく指南してくれると教わる。
いずれにせよ、生まれて初めて末尾が「.UK」のアドレスを入手。
さらに施設案内を受けたが、これが良かった。
この劇場には昨日見た小さなホールの他に、三つの会議・稽古スペースと
数多くのオフィスがあり、さらに広い庭もあった。
「うちには今、26のレジデントカンパニーがある」とミミが言った。
しかも、たまたま今日はカフェミーティングの日で、フェスティバルに備えて
創作中のアーティストたちがカフェに大勢集まってきて、賑やかになった。
ここにきて、昨日の印象は完全にくつがえった。
The Albanyを日本と同じ感覚で単なる劇場と捉えてはいけないのだ。
ここは"拠点"であって、多くの人が出入りしているその規模は、
KAATなどを遥かに凌ぐ。この劇場の小さなホールも公演会場だが、
発表の場はそれだけではない、劇場前の広場も、街のそこここも、
巨大な会場なのだ。このことを実感して、完全に安心した。
自分の選択は間違っていなかったと思った。
創作の基地だとすると、とてもデカい基地なのだ。
安心して、改めて年末までを過ごすことができる。
昨日の感慨を、皆さんに謝りたいような気持ちになった。
夕方を過ぎると、近所のパブに連れていってもらい、
気の向いた何人かがアフター5を過ごす輪に加えてもらった。
「アツシは初日だから」と、ミミとキャロリンという女性音楽家が
一杯ずつジンジャーエールをおごってくれた。
皆、食べずに飲んでいる。飲んで、たくさん話している。
キャロリンの相棒らしきアナという女の子、ロミカという女性とも
たくさん喋った。ここ1週間、自分がロンドンに着いて経験した
トラブルの数々は、皆を愉しませることができたようだ。
喋るのは簡単だ、ブロークンでもなんでも、自分が何を言っているかは
当然ながらよくわかる。問題は聴く力。早く、皆の話を詳しく正確に
聴き分けられる英語力を身につけたいと思った。
19:30過ぎにミミが帰るというので、自分も店を後にした。
彼女の家は遠いらしい。それを知って、なおさら頭が下がった。
明日は13:30に合流して、ランチをともにし、家探しを手伝ってくれる
という。ミミが菩薩に見える。
20:00頃にホテルに戻ったが、当然ながら英語ばっかりの初日に
疲れて、すぐ寝てしまう。夜中に起きて、これを書きました。
↓デスクをシェアするシステムなので、いきなり自分もデスクで仕事できる
2022年2月 4日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑グリニッジの王立天文台
睡眠時間が夜にまとまらないために、常に軽い頭痛。
しかし、早朝に起きて『秘密の花園』にあたり、英語の勉強もする。
『秘密の花園』は1幕の終わりに差し掛かり、大学一年の秋に観た
紅テントでの上演から、堀本さんや飯塚さんの声が聴こえてくる。
堀本能礼さんは唐組を辞めた後、
オルガンヴィトーの『黄金バット』に出演されているのを拝見した。
飛んだり跳ねたり、体当たりの演技で、あの美声が健在だったし、
あの公演には飯塚燈子さんも出ていた。
自然と色々な記憶が蘇るペアだった。
その後、堀本さんは2017年に46歳で亡くなってしまった。
自分が唐さんに親しく教わるようになっていったのが2001年頃、
丁度その頃に退団された堀本さんとのやりとりは殆ど無かったけれど、
唐十郎ゼミナール一期生の先輩たちは、音響操作の助っ人として
関わったはずだ。
『24時53分「塔の下」行きは竹早町の駄菓子屋の前で待っている』の
上演に、おそらく唐さんに請われてやってきていた。
音の強弱によって身をくねらせながらオペレーションする堀本さん。
演じるような、ダイナミックな仕草が狭い客席の隅で光っていた。
それらを終えたら、近所の中華街で坦々麺(想像と別モノだったけど)を
食べて、週明けから通う語学学校の場所を確認しに行った。
道すがら、国立海事博物館やクイーンズハウスを見かけたので、
帰りに寄ってみた。皆、無料で入れる。満喫した後、天文台にも行く。
帰りには、スーパーでオレンジジュースや水(最重要!)、
寒いのでカップスープの素を探して買った。
これで部屋で温かいものを体に入れることができる。
辛ラーメンのカップ版も見つけたが、お箸がないので見送った。
さらに、スーパーの外のATMに、利用者も物乞いもいない場所を発見。
これはと思い、何度かのトライの後についにお金をおろすことに
成功した。やれやれ。徐々に生活に慣れてきた。
と、思った矢先、
送られてきたエージェントによる生活の手引きには、
野外のATMは危険だから使うなと書いてある。
背中にリュックを背負って歩くのも、
音楽を聴きながら移動するもの避けるべし、とある。
どれくらい真剣に受け止めれば良いのだろうか悩みつつ、
バスの乗り方などは参考になった。
週明けには、ミミさんはじめThe Albanyの人たちに会える。
今は何を危険に思い、何に安心したら良いか掴めず疑心暗鬼だが、
彼らに会えば、ある程度ここでの常識や習慣がわかる。
オススメの店や買い物先も教えてくれるという。
歓迎会的にレストランに連れて行ってもくれるそうだ。
今日は身辺整理に終始したので、そろそろ初めて観劇に行きたい。
↓まいばすけっと的スーパー「セインズベリー」左端にATMがある
2022年2月 3日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑ピカデリー・シアターにて。偉大なり、中根公夫!
一晩が経ち、さまざまなメールやZoomのやりとりを経て、
どうやら昨日に椎野に来たメールは、一度目の間違ったフォーム入力が
原因だったことがわかってきた。ということで、割と自由らしい。
一方で、相変わらず生活基盤が整ったとは言い難いので、
自分が何を不安に思っているか、書き出して整理してみた。
①2/14(月)以降の住居が決まっていない
②デビットカードでお金をおろせることを確認していない
③語学学校のオリエンテーションの日時変更が必要(2/7実施の予定)
④語学学校への道を確認しておかなければならない
⑤コインランドリーの位置を含む、洗濯の仕方がわからない
⑥グリニッジにいるのに以外と忙しく、天文台に行っていない
以上である。
①については、ネットで物色しつつ、2/7のミミさんとの接触を待った方が
良さそうだ。交通や治安についての助言がいる。だから一旦放っておく。
②昨夜、スーパーの前にATMらしきものがあったが、英語に自信がないので
ぜひ他に利用者がいない時にトライしたい。しかも、そのATMの前には、
物乞いの女性が陣取っていて、話しかけてきたり、お祈りの言葉を始終
ブツブツやっているのだ。あれは怖い。
③これはメールを打ち、返事待ち。
④散歩がてら解決しよう。
⑤友人のYさんにLINE電話したら、風呂で石鹸で洗えとアドバイスを受けた。
合理的だ。とりあえずホテルのシャワーとボティソープでゴシゴシやる。
イギリスは乾燥しており、乾くのが早そう。
⑥ ④とともに早々に行くべし。
・・・というように、まだまだ生活基盤が整っているとは言い難いが、
こんな「受け」にばかり終始していると気がふさぐので、ここは一度
セントラルを攻めてみることにした。
初日は何しろ余裕が無かったし、日没しかけのロンドンを移動した。
が、今日は荷物も軽いし、余裕がある。外の景色を見ながら、目に入る
文字を片っぱしから電子辞書に入力しながら都心部を目指す。
果たして、Forylesという本屋に行って品揃えを見る。
舞台については照明やメイクの本まで充実しており、
DVDやCDのコーナーもあった。Jordi SavallのCDが潤沢で安い。
日本語の本のコーナーもあったが、520円の新潮文庫に13ポンドの
シールが貼ってあった。暴利を感じる。
『ハリー・ポッター』のパレス・シアターを通り、
ラーメン一風堂を発見しながら、ロイヤル・オペラ・ハウスを確認。
ラインナップを観て、今日がヘンデルの『Theodora』初日だと知る。
日本では希少かつ来日公演も乏しいバロック・オペラを観るのも
今回の目標の一つ。今日は夕方にZoom会議なので出直そうと誓う。
ピカデリー・サーカスにも行ってみた。
中根公夫さんが1990年代に格闘したピカデリー・シアターを見る。
中根さんはここで清水邦夫さんの『Tango at the end of Winter』
ロングランを行い、チケット会社の倒産という憂き目と闘ったのだ。
中根さんの挑戦の大きさを、改めて実感する。
他にも目に飛び込んでくるものはいくつもあったが、
会議に備えて余裕を持って引き上げる。Greenwich st.直前の車中で
電車の不具合があり、途中の駅で降ろされたりした。
日本では人身事故だが、こちらでは車両の不具合・・・。
いずれにせよ、慣れないうちは関わる人たちの信頼を得るために
余裕を持って行動しよう。ホテルに戻ってミミさんとZoomで話したら、
安心して急激に眠くなった。
時差ボケと食糧難、初めての街や英語での会話......
どれが決定打なのか自分でも分からないけれど、無意識な消耗を感じる。
一方、ロイヤル・オペラをきっかけに観劇の計画を練り始めたが、
豪華プログラムが、しかも安い。
チケットの予約入力に不安があるし突発的な予定が入る可能性があるので、
しばらく当日券で飛び込んでみよう。Covid-19の影響で空席は多そうだ。
攻防一体の一日。
↓高額の値がついた日本書籍
2022年2月 2日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
ロンドンに着いたばかりの昨日は、夕方に一度寝てしまった。
で、夜中に起きた。
起きて、水が尽きようとしているのに気づいた。
思えばこれは飛行機内でもらったペットボトル。
いまやコップ一杯分もない。これはまずい。
そう思ってホテルの外に出た。
ところが、駅前にも関わらず店がない。自販機もない。
仕方ないので、戻って昨日のゼミログを書く。
Facebookに記事を上げたらエールがたくさん来て嬉しい。
が、水を手に入れるのに四苦八苦しているこの研修が、
果たしてどこまで行き着けるのか、不安。
本格的に寝たのは深夜で、しかし、早朝に目覚めた。
やっぱり喉が渇くので、ホテルの受付にいた女性に質問した。
すると彼女はカウンターの裏に自動販売機があるのを
教えてくれた。ところが、である。
ホテルの自販機の水は500mlで2ポンド(約320円)もする上に、
硬貨でしか買い物ができない。
イギリスはカードで何でも買える。そう言われていたが.....。
手もとのコインを結集させてもに2ポンド分に及ばず。
見かねた女性は、でかい紙コップに食堂のウォーターサーバーから
並々と水をくれた。これで当座が凌げる。
それから、抗原検査をして陰性の結果を四苦八苦しながら入力。
英国政府のフォームは優しくない。最近に様々つくった登録情報を
次々に入れる必要があるが、どれがどれやら混乱。
何とか送信して、いつものルーティンに入る。
台本を読み、英語を勉強し、メールをチェックする。
そうこうするうちに政府から返信が来た。
どうやら、これで動いて良いらしい。
2kmほど歩いてルイシャムという地区の郵便局を目指した。
ここに自分のビザのカードがあるのだ。
道すがら、ケバブと水を手に入れることができた。
安い買い物なので、やはりカードは使えない。
道の渡り方、横断歩道の位置がわかりくいので、
周囲を見回して人々のを真似した。
郵便局は混んでおり対応もゆっくりだ。
ようやく自分の番がきてパスポートを見せ、ビザを取りにきたと
伝える。受付の人は初めピンとこなかったが、自分のカードが
あるはずだと伝えると裏に入っていった。
果たして、BRPカード(生体認証付滞在許可カード)が手に入った。
ちゃんと年末までいて良いとの記載に胸を撫で下ろす。
気分を良くして、今度はThe Albany Theatreに向けて歩き出す。
実は出発前の自分は、数日間はホテルにいなければならないと
思っていたが、直前にそうではないと知った。
アテンドしてくれているミミさんにはそれを伝えられずに
来てしまったので、いっそ直接に訪ねてみようと思ったのだ。
劇場に近づくについて、商店街が広がる。
アジア系やアフリカ系のお店と人々が入り乱れて、
なかなかにハードな場所を研修先に選んだものだと改めて思った。
ところが、Albanyのそばにやってきたところで引き返すことになった。
日本の椎野のもとに、英国政府からのショートメールが入り、
アツシは8日間の隔離と2度目の検査が必要だ、というのだ。
しかも、ちゃんとホテルにいるか場合により連絡する、とも。
ひょっとして劇場に迷惑をかけてはいけないので、
急いでホテルに帰る。この時、歩いて15分の距離だと知った。近い。
部屋に帰って冷静に考えてみると、羽田で入国のためのフォームに
誤りを指摘され、やり直したのを思い出した、椎野への連絡は、
一度目の間違った申請に対するものではないか。
そんな風に考えながら、とりあえず現状をミミさんにメール。
明日の午後にzoomで話そうということになった。
そして、疲れたので少し寝た。19:00くらいに起き出して、
スーパーを探し始める。今朝、自分は駅の南側を歩いて
何もないと思ったが、どうやら北に行けば繁華街があるらしい。
行ってみると、確かに繁華街があった。
スーパーもカフェもレストランも、たくさんあった。
紅茶輸送船として活躍したカティサークや本屋、映画館もあった。
昨日は湘南モノレール沿いと書いたが、やはりここはロンドンだった。
水不足の恐怖から逃れるため、合計3リットル買ってしまう。
2リットル0.5ポンドのスコットランドの軟水が美味しい。
映画館では来週からジブリ特集が始まる。第一弾は『PONYO』。
今日動いたゾーンでは、マスクの人は半分以下。
殆どがはずして動いている。ダースベーダーみたいな男女が一組だけいた。
2022年2月 1日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑部屋は簡素かつ広め。合理的で悪くない。
ちゃんと熱いシャワーが出る!
現在、イギリスの時間で2/1(火)の0:24。
こちらの夜中に起きてしまったので、これを書き始めた。
昨日の午後にロンドンに着いた。
飛行機内での12時間は充実して過ぎた。
本をいくつも読み、映画も観た。
途中ウトウトしたけれど、本格的には眠れない。
興奮しているし、外の景色も面白くて目を丸くし続けた。
ロシアの大地だ。
200人以上を収容する飛行機の中で乗客は30人ほど。VIP待遇。
CAさんとお話ししたら、新国立演劇研修所にいたことがあるらしい。
自己紹介をしたら、帰りにプレゼントを頂いた。
ヒースローにつくと、まずSIMカードを買った。
どれも日本のケータイ会社より安い。
ネットがたくさん使えて、電話とメールは無制限。
そういうものが安く手に入った。大事なのは英国での電話番号を
取得できること、イギリスの人はLINEをしない。
WhatsAppというアプリを使って、これがLINE的機能を果たす。
違いは、これが電話番号に紐付いていることで、だから番号も必要なのだ。
次いで、オイスターカードに課金した。
これはSuicaやPASMOみたいなもので、渡英する知り合いが
花向けにプレゼントしてくれた。ここにクレジットカードでチャージする。
チャージの仕方も、電車の乗り方も、
ぜんぶ分からないので、いちいち聞きながらひとつひとつ行った。
対応は丁寧で、何より、まだ陽が高いので希望が持てる。
地下鉄は狭く、ボロっちく感じた。
身体の大きな人が多い割に、日本より窮屈で室内灯が点滅する。
日本にいるときに、
リュックを背中に背負ったり、イヤホンを付けて歩くのは
防犯上よくないと言われてきた。
けれど、地元の人は平気でこの二つをこなしている。
早くこんな風になりたい。
自分の宿は時計台で有名なグリニッジにあり、
郊外にある空港から都心を経て、また郊外に来たという感じ。
着く頃に日没したせいもあり、駅前は殺伐として寂しい。
それにパッと眺めてお店が見当たらない。
大船駅から湘南モノレールに乗って数駅いったところ。
そんな風景を思い出した。
ホテルの受付ではハードルが3つあり、
支払いのこと、注文しておいた抗原検査キットのこと、
Wi-Fiのこと、これらを質問してクリアしなければならないが、
混み合う時間だったせいもあり、フロントの女性はイラついていた。
とりあえず一つ目だけ手続きして部屋に入ったあと、
着替えを済ませ、頃合いをみてもう一度行った。
こちらは自然と大袈裟にお願いしたり、解決すると大感謝してしまう。
すると、相手も笑いはじめて人間的な対応になった。
と、ここまできて猛烈な睡魔に襲われて寝た。
明日の第一目標は、コンビニかスーパーを見つけて買い物をすることだ。
飛行機の中で食べまくったせいでお腹は空かず、今のところは
機内でもらったペットボトルの水で充分だ。
日の出とともにウロウロしてみよう。
そしたら、街が少しは自分のものになるはず。
↓飛行機内で頂いたプレゼント。ありがたい。
2022年1月31日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
今日から渡英します。
今これを書いているのは、出発前の5:04。
このあと、8:00には家を出て、津内口や椎野が送ってくれる車で
羽田空港に行き、11:30の便でイギリスに向かいます。
初めて一人で、国際便に乗ります。
初めてヨーロッパに行きます。当然、イギリスも初めて。
空港に着いたら保険に入ろう、とか、円をポンドに換えようとか、
やるべきことがいっぱいあって、ひとつひとつクリアしなければ
ならないことを数えています。実に不慣れ。
自分は、一度行った場所にはフットワーク軽く何度も通うのですが、
行ったことのない場所に対してはかなり出不精です。
何か、大学受験の時にたいそう緊張して新幹線に乗った時のことを
思い出します。一年経ったら、すべてが何でもなくなって
ホイホイとヨーロッパに行くようになる。
そのための研修でもあります。
しかし、このところはやはりドキドキしてきました。
牛乳を買うときなど「あ、賞味期限が2月に入っている」
タワーレコードの新譜情報を観て「発売は2月か・・・」
Amazonを見ていても「オレがいるうちに届かない・・・」
とこんな具合に、迫り来る今日を実感して来ました。
一方、なるべくいつものペースを崩したくないので、
今朝は4:00には起きて、台本を読み、これから走ってから行きます。
読んでいる台本は『秘密の花園』。唐さんがニューヨークに滞在中、
ホテルにカンヅメになって書いたそうですから、今の自分に
向いているように思いました。
私が大学に入った年の秋に、
唐組が素晴らしい上演をした演目でもあります。
曙橋のフジテレビ跡地で観ました。霧雨の降る高台で見た
新宿や池袋を臨む夜景は今も忘れません。
まだ唐さんを身近に感じる以前のことです。
今年の秋に唐組が上演するそうですが、これも観られない・・・
というわけで、長い長い今日が始まります。
時差がありますので、自分の1月31日は24+9=33時間ある。
ヘトヘトになるのではないかと思い、先にこれを書いておきました。
昨日の米澤の投稿を読んでもらいたいので、アップは夜にします。
それでは、「イギリス戦記」始まります。
2022年1月29日 Posted in
中野note
1973年『四角いジャングルに歌う」のチラシ(本物!)と
それを意識して撮った2011年唐さんのボクサー写真。
首藤幹夫さんにお世話になりました!
週明けに迫った渡英の準備。
必要なものを揃え、荷造りをするだけでなく、
身辺を整理整頓しています。
家も、ハンディラボも、それからKAATのデスクも。
家族や劇団員やKAATの仲間に対して、立つ鳥跡を濁さず
にしなければ!と動き回りました。
すると、出るわ出るわ。
貴重な資料や写真、台本なんかが溢れ出しました。
あっちこっちのデスクや引き出し、棚にとってあったのを
結集するとなかなかの量になり、今度こそそれらを
キレイに本棚に収納していこうと思います。
状況劇場関係のチラシとか、
今まで色々な人たちとやりとりしてきた手紙、
唐さんが昔、これを読んでみろ!と渡してくださった台本もあります。
トランクに詰め込むのはこの土曜と日曜の作業ですが、
いくつも台本のコピーを持っていくつもりです。
ロンドンでは、きっと日本語が読みたくなるでしょうし、
さすがに日本でのようにハイペースで動くこともないでしょう。
だから、これまでの台本を振り返ったり、
新しい作品を研究できたら良いと思います。
たった11ヶ月の離日なのに、色々な人が声をかけてくれます。
考えてみれば、一年くらい会わないことなんてざらにあるのに、
「行ってきます」「戻りました」というやり取りがある。
その中に、日常より一歩踏み込んだ面白い会話がある。
こういうのも研修の効能なのだと、すでに感じ入っています。
2022年1月27日 Posted in
中野note
「テツヤとアツシのテサグリ研究室 vol.2」は下記アドレスから
アーカイブを聴くことができます。
https://open.spotify.com/episode/1tT9Kb0dW2jJhBFCn8KcCs?si=Bli75NJOTrKwI1wxWGjj6A&nd=1
テツヤ=岡島哲也は忙しい。
話を聴けば、いま本番中のものも含めて、
同時に5〜6の公演を抱えて駆けずり回っているらしい。
しかし、渡英前にどうしても会って話しておかなければならないと
思った私は、リクエストして緊急の配信番組を開いてもらいました。
終わった後もずいぶん話して、やはり会っておいて良かったと
痛感しています。テツヤのおかげで、ロンドンで舞台づくりを
学ぶ際の張りがもう一つ増えました。
去年、テツヤとやった『棲家』のリーディングは
自分にとって嬉しい仕事でした。
プロトシアターという体温のある劇場も良かったし、
龍昇さんと浅野令子さんという二人の役者と出会うことができました。
龍さんはいつも精いっぱい真面目にこちらのオーダーを聞いてくれます。
それでいて、しばしば私の狙いは違う結果が出てくるのが面白い。
天才肌の人で、ご自身では同じように演じている意識らしいのですが
日によってまるで違うことをしたりする。
そういう不思議な人です。
一方で浅野さんは正確無比な役者で、
周到な用意をして、こちらの意見を具体化させた造形を
いつも提示してくれました。老いた女性が寝るときにかぶる
ナイトキャップについて、ずいぶん相談したのが印象的です。
暑い夏のことでした。
ああいう出会いを自分に用意してくれたのがテツヤさんです。
自宅が近いこともあり、よく相談をして、細やかな仕事ができました。
今日も配信の後に二人で、いま切実に思っていること、
なんとか打開したいと思っていること、これからの目標について
かなり率直に話しました。
帰ったらどんな劇をつくろうか。そんなことばっかりです。
二人で話すとテツヤの生真面目さに打たれて、背筋も伸び、
希望が充ちてきます。
2022年1月20日 Posted in
中野note
↑禿と、新井高子さんを囲んで。
昨晩、新井高子さんの出版お祝いをささやかに行いました。
『唐十郎のせりふ 二〇〇〇年代戯曲をひらく』
とにかく気付きや教わることの多い本です。
私たちが唐さんと深く関わりはじめたのが2000年頃、
新井さんが唐さんの芝居に向けて文章を書き始めたのが2004年、
時期が重なっているために、唐組や新宿梁山泊の公演を中心に、
私たちは同じ舞台を観て、台本を読んできました。
『糸女郎』『泥人形』『鉛の兵隊』『津波』『行商人ネモ』
『風のほこり』『夕坂童子』『紙芝居の絵の町で』
『黒手帳にほお紅を』『透明人間』『ジャガーの眼』
『姉とおとうと』・・・などなど。
あんな演目があった。こんな場面があった。
あそこにあんな秀逸なせりふがあった。
あの時に唐さんはこんな面白いことを言った。
そういう話題で、延々話し込みました。
私たちはフリークですから、こうなるともう時間が経つのを忘れます。
唐さんは創作と日常の境目がない人ですから、普段だって、
さすが唐十郎だなあと周囲を唸らせるコメントが目白押し。
新井さんと話していて、ある一コマを思い出しました。
あれは、扇田昭彦さんが『唐十郎の劇世界』で受賞をされた際、
お祝いの二次会での出来事です。実に豪華面々が集まりました。
その中には緑魔子さんもいて、唐さんのリクエストに応えて
『盲導犬』の一節、『銀杏(いちょう)の唄』をうたったのです。
それはもう、一瞬にして1973年に上演された
アートシアター新宿文化の世界でした。
あっという間に世界が拡がり、場を飲み込んでゆく。
誰もが唸り聴き惚れましたが、その歌いおわり、
唐さんが応えて放った掛け声が「純文学!」
新井さんにとって、とても印象深い掛け声だったそうです。
言われて私も完全に思い出しました。
こういう言葉のチョイスこそ、さすが唐さんであると思います。
そういう瞬間々々もどこかに保存したい。
かくも傑作なことばを唐さんが生み出しだのだと残しておきたい。
そう思って始めたこのゼミログですが、自分が忘れてしまっている
お宝がまだまだあるのだと希望を持ちました。
新井高子さんの本、まだ読んでいない方はぜひ!
2022年1月19日 Posted in
中野note
年度末の恒例行事です。講座「芝居の大学」。
KAAT神奈川芸術劇場とYNU横浜国立大学の連携講座で、
オンラインでの実施です。無料で参加できます。
ここ3年間は、
「移動型公共劇場はいかにして可能か」
というお題で、ゲストの皆さんにお話を伺い、議論を進めてきました。
もともと、私がKAATに務めるようになったのは、
神奈川県の意向で、もっと県域全体で文化的なイベントを展開し、
盛り上がるようにしたい、という命題を受けてのことでした。
ご存知のように、これまでテント演劇や野外劇をやってきました。
また、演劇だけでなく、展覧会は映像の上映会をつくったり、
コンサートを開いたりもしてきたわけで、そのような経験を活かすべし
という風に言われたのです。
唐作品を徹底して研究して上演することが自分の目標ですが、
それを行う中で、ずいぶん様々な機会も得、出会いもありました。
訪ねた土地、行った事業も多種多様です。
自分のやってきたことの一部を切り取って拡大させれば、
かなり多くの人を愉しませることができると思ってやってきました。
そんな活動の一環として、この講座はあります。
自分は青テントを、その中に拡がるあの独特の空間を愛していますが、
ああいう仮設劇場の仕組みは、沸騰するような場をつくるための
ある種、合理的なシステムでもあります。
同じものを上演したって演る方も観る側も熱狂するし、ワクワクする。
だから、一歩進んで、
誰もが使いたくなり、訪れたくなる移動型仮設劇場を構想すれば、
神出鬼没の小屋と催しを生み出せると考えました。
神奈川は広く、人口も900万人以上いますが、
ユニークな仮設劇場システムがあれば、出張・出前の公演が可能です。
必ずや盛り上がるに違いない!
話を聴き、知恵を出し合う場です。気軽に参加してください。
応募はメールで!
第6回 2022年1月25日(火)19:00〜21:00
ゲスト講師:
横山義志さん(SPAC-静岡県舞台芸術センター文芸部、東京芸術祭リサーチディレクター)
鈴木伸幸さん(FM小田原株式会社代表取締役&一般社団法人小田原市観光協会副会長)
第7回 2022年2月9日(水)19:00〜21:00
ゲスト講師:
桐山知也さん(演出家)
浅井信好さん(月灯りの移動劇場主宰、名古屋芸術大学舞台芸術領域専任講師)
鈴木励滋さん(生活介護事業所カプカプ所長・演劇ライター)
お問合せ:070-1467-9274(センターフィールドカンパニー合同会社)
主催:KAAT神奈川芸術劇場、横浜国立大学
2022年1月18日 Posted in
中野note
↑山崎さんといえばやはりこのCMを思い出し、"英語"が自分に刺さる
『THE PRICE』という公演を観てきました。
山崎一さんの主宰する「劇壇ガルバ」の公演です。
交流のある演出家・桐山知也さんが演出をしていて、誘って下さったのです。
初めて観聞きする台本でしたが、四人による過酷な会話劇でした。
アーサー・ミラーはジョー・ディマジオと並び
あのマリリン・モンローと夫婦だったというだけでスゲエ!
と思わざるを得ない作家ですが、学生時代にTPTの『橋からの眺め』や
有名な『セールスマンの死』を観た時、どうもピンときませんでした。
しかし今や、自分は『映像の世紀』を何度も観ている。
正確にいうとここ5年間、車をずっと運転する中で、
せっかくだから近現代史を勉強しようと車中で再生して
ひたすら音声を聴いた時期があったのです。
1920年代の終わりに起こった世界恐慌がいかに多くの人々を
失業や自殺に追いやり、続く30年代を暗黒に染めたかを知りました。
それに今の自分には家族、子どもたちがいます。
誰でもそうだと思いますが、特にいい加減な仕事をしていますから
この子たちはちゃんと大きくなれるのだろうかと思う日もある。
そういう体験を掛け合わせて、ミラーを理解できるようになりました。
舞台は、かつて一家が暮らし、
家具を処分しようという段になっている家で展開します。
父と母と兄と弟。
裕福な家庭に育った兄弟が、不況によっていかに将来や人間を歪められ、
仲違いするに至ったのか、克明に描かれるだけでなく、幻想的なところも
あって、亡くなった両親の影が、残された家具や他の登場人物たちに
よって甦ります。
先ほど書いたように、かなり過酷な、罵り合いの劇ですが、
主人公である弟の奥さん役の高田聖子さんが、朗らかで良かった。
あの方が出てくると、兄弟の激しい罵倒も何かコミカルに見える。
雰囲気が中和されて、救われるような思いがしました。
お葬式の最中も、駆け回る子どもたちがいると場がほぐれる感じ。
唐さんにとってアーサー・ミラーは、学生時代に学んだ作家です。
演目はなんと言っても『セールスマンの死』で、滝沢修さんに憧れた。
また、早稲田大学で鈴木忠志さんが演出した時、ウィリー・ローマンを
演じた小野碩さんのボソボソとした長せりふに衝撃を受けたそうです。
横浜国大での教授時代、唐さんは自分の演劇修行のやり直しとでも
いうように、近代戯曲を講義で扱ったことがあります。
ユージン・オニールの『夜への長い旅』や
ルイジ・ピランデッロの『作者を探す六人の登場人物』など。
かなり正統派かつ硬派な演目群でしたが、舞台の隅っこにある小道具に
異様に執着するところなど、さすが唐さんという内容でもありました。
これらについては、またおいおい。
2022年1月15日 Posted in
中野note
↑こんな感じのドレッシングでした
今日は土曜日。
朝に時間があったので、近所の和菓子屋さんに行きました。
ここは普段も行きますが、土日は特別メニューがあるのです。
昼過ぎには売り切れてしまうお餅があって、うちの息子はこれが大好き。
大人をしてけっこう食べ出がありますが、息子は時間をかけて
1日にこれを二つ食べます。餡も旨いが、何より餅が旨い。
すると御店主の奥様から声をかけられました。
ロンドン行き、大変そうね。
・・・どうやらこのブログを見てくださっているらしいのです。
英国にはこんなに旨い餅はないだろうなあ、
そういう感傷に襲われます。
一昨日、昨日とビザ申請センターについて書きました。
あの場所こそ、私がドアを叩こうとしている英国の第一関門です。
すでにかなり分厚い。
そういえば、12/23の本申請の日にも衝撃的なことがあって、
8:15という朝一番の申請枠を私が予約したがゆえにそれは起こりました。
あのオフィスには受付窓口が三つあり、同時間は私だけだったらしい。
目の前の男性職員はテキパキと私の書類を処理してくれていますが、
隣と二つの窓口にいまだお客さんはいません。
すると、オフィス内にゴンゴンと何かを打ちつける音が響きました。
驚いてその音のする方を見れば、隣の女性職員がゆで卵を自分のデスクに
ぶつけて割っているのです。仮にもここは受付窓口。
バックヤードでもなんでもないその場所で、迷いなく打ち付けられる
ゆで卵、その女性の様子に衝撃を受けました。
ひょっと見れば、そのさらに向こうの女性スタッフは
お弁当箱を出している。二人は談笑をしながら、それらを食べ始めました。
目の前では私の書類の処理が進んでおり、少し会話もするのですが、
もう隣が気になって仕方ない。
そのうち、ゆで卵の女性は半分ほどを食べたところで、
市販のドレッシングを丁寧に卵にかけ始めました。
目を凝らすと、そのラベルには「トリュフソース」の文字。
これは!
そうです。『美味しんぼ』ファンならば誰もが知っている
「究極のメニュー」の第一作。山岡士郎による渾身の一品目こそ、
「ゆで卵のトリュフソースがけ」でした。
結果的に、士郎が海原雄山に惨敗してしまったメニューでしたが、
こんなところで、しかも朝食でその片鱗を見ようとは。
知り合いの英国通に話すと、「あー、イギリス人ぽいね」と
言われました。どうもその女性は日本人のようでしたが、
メンタリティは完全に英国仕込みのようなのです。
果たして自分は大丈夫なのか。
ああ、今日も餅が旨い。日本の米の旨さを噛み締めています。
2022年1月15日 Posted in
中野note
・・・まさか三たびここに帰って来ようとは。
朝、5:00に目が覚めました。我ながら早い。
ずっと『鐡假面』の台本をつくってきたので、苦もなく起きてしまう。
ナビに目的地を入れると、40分もかからずに着くとあります。
そう、今日はもともとお昼前に都内での予定があったので、
車で行くと決めていました。
この分だと7:00に家を出ればいいな。
早く現地に行ってしまうと手持ち無沙汰、
そんなことを思って、メールなど打っていましたが、
パッと手元のケータイを覗くと、新橋までかかる時間がグングン伸びている。
どうも妙なところが渋滞し始めている。
こりゃいかんと思って6:30には家を飛び出しました。
変な渋滞でした。乗ったばかりの首都高を一度降りたり、
また乗り直していつもは行かない湾岸線の方にスライドしながら
三度目のビザ申請センターにたどりつきました。
けっこうギリギリになってしまったので、
近所のコインパーキングに滑り込む。15分300円、・・・高い。
建物に殺到し、階段を駆け上がる。
もう3度目なのです。普通の人はたった1回でいいのです。
しかし、必ずアポとってくださいと厳命するこの施設への往訪のうち
2回までもがノーアポの私。ここで1回目の門前払いが生きます。
今や、どう言えば突っ返され、正式に入る時はどうかも熟知しています。
中に入ることは容易でした。
こうなるともう、へりくだり、へりくだり、
こちらは極東のうんこ野郎として、英国の門番たる受付の男性に
困り顔でご相談申し上げました。
郵便を送っていただいたのですが、中にパスポートしかなく、
出国日が記載されているものの、滞在期限がわかりません。
ビザをどこに取りに行ったら良いかのレターがありません。
受付の男性は優しく丁寧に接してくださいました。
彼に呼ばれてやってきた女性も意外に丁寧で、
もともと本国から申請センターにはレターが届いておらず
こうなると直接にメールでレターが中野さんに届く予定であること、
すでに申請センターからも問い合わせのメールを送ってあったことが
明かされました。
待っていてください。そういう結論でした。
たった10分かからないやり取りでした。
一応は安心してセンターを後にしましたが、
それにしても、この10分には膨大なコストがかかっている。
別にメールで届くのであれば、せめてその旨を一筆入れろよ!
これに尽きるのです。
そして、その一筆のイレギュラーを決してしない、
これが大英帝国の壁なのです。
8:15には建物の外に出てコインパーキングに急ぎました。
17分かかってしまったために、精算価格は600円。
支払いを済ませ、早朝の都内に投げ出されて呆然としました。
次の予定は11:00です。
それから私は、車の中で事務をし、丸の内の本屋で買い物をし、
初めて皇居の周りを走って今日の運動としました。
久々に将門塚を覗くと、施設は豪華になっており、
お参りの人が間断なく続いているのに東国の雄の威力を感じました。
ロンドンまで、あと2週間ちょっとです。
2022年1月13日 Posted in
中野note
↑薄っぺらく見えますが、断固として関係ない人を寄せ付けない
オーラを放つ、英国ビザ申請センターの扉。
明日の早朝、新橋に行くことにしました。
12/23に行った英国のビザ申請センターにです。
というのも、今週の初め、年末年始に首を長くして
待ち続けたセンターからの連絡がやっとあったのです。
まずはメールが来て、郵便を送りました、とある。
文面はもちろん英語。読み解いて狂喜しました。
ひょっとしたら書類に不備があって、追加資料を持ってこい
という指示もあり得たのです。それが、コンパクトだけど、
前向きなメールだった。翌日に郵便も届きました。
申請時に丁寧に自分の名前を記入したレターパック(赤)が
我が家のポストにやってきました。
勇んで開いてみると、薄い袋の中に自分の提出したパスポートが
入っていました。たったそれだけ。
何だか拍子抜けするような内容でしたが、パスポートには
新たにシールが貼ってあり、あなたは今年の1/31から英国にいて
良いですよ、という記載が確かにありました。
まずは、今回のビザ取得の参謀役であるIさんに報告しました。
11月に知り合ったIさんは、去年の4月までロンドンで3年間働き、
これからも仕事をするつもりだったけれど、
コロナのために帰国を余儀なくされたという人で、
今は英国に行く人たちのサポートを業務とされています。
最近まで暮らしていたので、とにかく土地や申請作業に明るい。
優秀で、丁寧で、指示が的確。すばらしい好青年なのです!
が、問題が起こりました。
Iさんによると、普通はパスポートと一緒に通知の書面が入っている
らしいのです。そこに、滞在の期限や、渡英後に実際のビザを
入手する場所や方法が書かれているらしい。
ところが、どんなにレターパックの中を覗いてみても、
入っているのは素っ気なくパスポートだけ。
聞けば、Iさんにとって初めての事例と言います。
Iさんの同僚も皆さん事情通ですが、一様に不思議がる感じ。
なんとか問い合わせねば!
が、申請センターというところは、とにかく連絡先を明かしません。
電話番号もメールアドレスも、質問に答えるのが面倒なのか、
どこを見ても載っていない。
「中野さん、申し訳ないのですが、明日にセンターを訪ねてください」
とIさん。ついては、色々と指南を受けました。
英国というところは、
来たかったら英語を読み解いて書類を揃えてこい、
それが合っていたら、オレの気分次第で入れてやらなくもない、
という態度なのです。
Iさんにくれぐれもアドバイスされたのは、
そういう気質の英国スタッフからすれば、
こちらが怒気を見せればすぐにインターホン越しに門前払いする
可能性が高い。そこで、とにかく下手に出るべし。
そして、部屋の中に入ることができたら、腰低くお伺いをたてて、
相手の答えや情報を引き出してください、とのこと。
対応スタッフは、明らかな自分サイドの間違いでも、
それを認めたがらない気質と考えて間違いないそうです。
とにかく心証を悪くしてはいけない!
そういうわけで、明朝、
もう二度と行かなくて済むと思っていた新橋に行きます。
そびえ立つ大英帝国。それを前に、
「あっしはへりくだるウンコでさあ」という『吸血姫』の登場人物、
大久保鷹さんが演じた「中年男」のせりふを噛み締めています。
だいたい、この申請センターは日本には東京と大阪にしかありません。
そして、英国に長期滞在したい者は誰もが、このどちらかを
直接に訪ねなくてはならない。横浜在住の自分はまだしも幸せです。
これが九州や北海道なら、たった15分の問い合わせのためにも
膨大なお金と時間、手間が必要なのです。
きっとそういう皆さんもたくさんいることでしょう。
そのようなわけで、へりくだるウンコ野郎として
明日の朝8:00に三たび、新橋に行ってきます!
2022年1月12日 Posted in
中野note
↑『鐡假面』初出の文芸誌「海」1972年11月号
半世紀前の文芸誌なのにすこぶる保存良し。あと少し一緒に過ごします。
『鐡假面』の台本づくりが佳境を過ぎ、明日終わります。
二幕後半は裁判シーンですが、せりふにどんどん先へ進ませる力が
満ち溢れていて、ここ数日は特に充実して過ごしました。
2007年以来この台本と向き合いましたが、
まずはかつて一緒に劇をつくった劇団員たちの声が聴こえて、
さらにその向こうに、当時の未熟さを越えて、
この劇が本当に語っていることが見えてきました。
秋公演のマイナー作品ですが、痺れます。もういっぺんやりたい!
と、ここで、一気呵成に最後までいきたい気持ちもありますが、
雑になるので寸止めして、明日に1時間ちょっと向き合えば
終わる分量を残しました。丁寧にいきたいので、自重です。
そういえば、大学時代に三島由紀夫さんについて
書かれた文章を読んだ中に、三島さんは1日に2枚までしか原稿を
書かない、という記述があったことを思い出しました。
三島さんの著作は膨大です。
例え休み無しに書いたとして、1日にたった2枚であれだけの分量が
積み上がるものかどうか、疑わしい気もしますが、
言わんとすることはよくわかる。
四方田犬彦さんが三島さんの弟の平岡千之さんと交流した際、
お兄さんがいかに苦労して執筆と向き合っていたかを
聞き出したとも云います。そのような苦労は三島さんのイメージには
合いませんが、その証言は2枚/1日もあながち嘘ではないと
思わせます。
また、別役実さんが同じようなことを書いていたと記憶しています。
別役さんは著作を書き上げる際、あとがきを焦らして書くのだそうです。
本編はもう書き上がっている。だから勝利は見えている。
ここでひととき手を止めて、新たに誕生した物語の余韻をたのしむ。
そういう感覚なのだそうです。
自分はもちろん、お二人のようにオリジナルを書いたわけでは
ありませんが、それでも充実します。
明日の早朝、フレッシュな頭で最後の場面と向き合います。
2022年1月11日 Posted in
中野note
↑漱石は、このロンドン塔の周りをグルグル回ったらしいです。
またしてもやってしまいました。
前回の日曜日のこと。夕方に出かけようと思ったのです。
どうしても気になる本がある。
こういう場合、よく丸善ジュンク堂の検索サイトを利用しますが、
東京のどこにもない、もちろん池袋や丸の内の本店にもない本が、
何故かみなとみらい店だけにあった。
午前中からお昼過ぎまでの予定を捌き、
まだワークショップ開始までには2時間弱ある。
『吸血姫』も残り2回ということで、よくよく準備をしてあるし、
少し運動もしたい。
走るには遠いので、普段はあまり乗らない自転車で出かけました。
経路はめちゃくちゃで、入ったことのない路地にわざと入り、
ウキウキと目的の本を目指します。
20分ほどでクイーンズスクエアに着き、
他にも文庫本など見たりして、しっかりと目的の本を買いました。
そして、もと来た道とは違うルートでこれもご機嫌で帰る。
時間に余裕があったので、家の近くの公園をランニングして、
上気してマンションの一階に滑り込みました。
そこで気づいたのです。カギが、ない。
前にも車のカギを落としたことがありましたが、
今度は家のと、愛車が廃車になった後に利用している
長期レンタカーのキーがセットになったものをやってしまったのです。
しかし、気づいたものの目の前に迫るワークショップ。
当座は本屋に電話し、そこで失くしたわけではないことをはっきり
させるので精一杯で、一旦『吸血姫』に集中。2時間、精一杯やりました。
よし、完璧に次週のクライマックスへの布石を打ち切った。
と、我に返りました。するべきことはひとつ。
先ほどの買い物ルートをもう一度巡らなければ。
22:00手前に自転車に乗り、先ほどのルート、途中で利用した
お寺の公衆トイレ、今日はじめて通った戸部の路地、線路の下を通り抜け、
すでに閉まったクイーンズスクエアに到達しました。
この時点で、最後にグルグル走ったあの公園。これが希望です。
一応、順に回ろうと自分に言い聞かせ、焦らないようにしながら
丁寧に自分の足跡を追いました。が、見つからないまま、
残るは最後の公園きり。一周は自転車で、
一周はランニングで回りましたが、やはり見つからず。
仕方なく警察に行き、遺失物届けを出しました。
悲嘆に暮れた翌朝は陽の出前に起き、『鐡假面』に向き合う。
そして夜が明けるのを待って、またぞろ繰り出しました。
太陽の光はありがたいもので、昨晩よりくまなく見ることができる。
が、探しに探してもどうしても見つかりませんでした。
唐さんの好きな夏目漱石のエピソードをまたも思い出しました。
ロンドンで財布を失くして歩き回る漱石こそ、資本主義の迷子だと。
では、カギを失くすのは何に迷うことになるのだろう。
それくらいのことを思って自分を励ましました。
・・・・・・。
結局、後にレンタカーから電話があり、近所の優しい人に
拾ってもらっていたことが判明。スムーズに受け取りまで済ますことが
できました。ああ、良かった。でも、こんなんでイギリス大丈夫なのか?
自分も去年、けっこうな額が入ったヴィトンの財布を拾って持ち主に
戻しましたが、あの時の行いが報われたように思いました。
2022年1月 8日 Posted in
中野note
メガネの三本目をつくりました。
一本目は普段付けているお手頃価格なものです。
フレームが柔らかくできており、作業や運動にも向いていて
レンズが傷だらけになるとそれだけ交換して使い続けています。
二本目は高価なものです。
これは一昨年末に奮発して買いました。
そういえば、時計だけでなくメガネも貴金属の部類に入るのだと思い、
一念発起して普段は行かない高級店に足を踏み入れました。
さまざまなデザイナーのものがある中、
フランスのとある建築家のものを選びました。
なるほど、メガネ自身だけでなく対応やメガネの選び方への指南、
買った後のケアに至るまで、さすがは高級店と唸りましたが
どうも使いきる勇気が出ません。動くことの少ない日にチョロっと
かけては、やっぱり気を使うのでケースにしまったまま。
そういえば、唐さんから同じような話を聞いたことがあります。
若い頃に奮発して高級な衣類を買ったが、気後して着られない。
衣装棚の中を時折り眺めるだけになってしまった、とそういう話。
愛読書のひとつであるゴーゴリの『外套』に通ずるエピソードです。
今回、わざわざ三本目を買ったのは、
イギリスにはとても二本目を持っていけないと思ったからです。
とにかく、置き引きやスリが多い、お金を持っていそうに
見られてはいけないと周囲に言われていますので、
身支度は出先に失礼にならない程度にして、
できるだけ失くしても良いものでかためていこうと思っています。
また、いつも唐ゼミ☆を手伝ってくれているHさんに、
旅先でメガネを失う恐怖について聞かされたことがあります。
曰く、東南アジアを旅した時、猿にメガネを奪われて難儀したと。
奇跡的に猿が戻ってきたためにレンズが傷だらけになった程度で
済んだが、メガネを奪って一旦離れた猿との距離は完全にアウトだった。
このまま裸眼の超弱視力のまま旅を続ける絶望感が半端なかった。
そう聞いて、私も恐れをなしたのです。
まさか猿に襲われることはないでしょうが、
何かの拍子に踏み潰すことなどはありそうです。
曖昧模糊として市街を彷徨い、拙い英語で視力検査から
入らなければならないことは想像するだに恐ろしい。
そういうわけで、いつものお店、お手頃価格の愛すべき
三本目がいま目の前にあります。
2022年1月 8日 Posted in
中野note
↑『ガラスの少尉』はバリ島に飛行機が墜落する話です。
落ちた先のジャングルを表現するために、植物のレプリカを大阪から
大量に借りました。
昨日は横浜にも雪が降りました。
今朝になってだいぶ路上の氷雪は消えたものの、
まだ所々に残っています。そのために普段はスイスイ進む道が大渋滞。
目的地がもうすぐなのに、ぜんぜん辿り着かない。
雪、といえば思い出すエピソードがいくつかあります。
あれは、2008年に一年間かけて取り組んだ『ガラスの少尉』公演後、
私は車でお借りした品物を返却し、新たな仕入れをして回ったのです。
確か2008年3月のこと。ハイエースに荷物を満載にして横浜を出発しました。
まず、大阪に行き、南河内万歳一座に借りたジャングルのセットを返す。
当時のこの劇団の倉庫は大阪城のたもと、石垣の中のようなところに
あって、その施設の豊かさに驚かされました。
なんて贅沢な空間だろう!
その後、天王寺にある劇団KIOに特別なスピーカー数台を返却。
『ガラスの少尉』はスタッフワークに凝りに凝ったので、
サラウンド効果が必要でした。そのためにお借りしたもの。
ここで一泊。
翌朝に大阪を発ち、今度は新潟県の高田を目指します。
その後に控えていた『下谷万年町物語』に備え、
昨年亡くなった着物屋の佐藤さんのところに、
今度は大量の古着を頂きに行ったのです。
大阪から名古屋の手前まで戻り、恵那峡を抜けて北陸を目指しました。
快晴のもと気持ちの良いドライブで、スムーズに着きました。
そして、荷物を積み込みつつ歓待してもらいたいました。
着物以外にも、舞台の道具になりそうな昭和の家具をもらい、
お風呂に入れると良い芳りがたつヒノキの輪切りまで頂戴しました。
ここで、もともと佐藤さんを紹介してくれた大学院の先輩、
金谷さんのご自宅にもう一泊。至れり尽くせりでした。
が、翌朝になってみると、昨日まで春模様は雪景色に変わっていました。
もう3月だったと高を括っていた私は、ワイパーを上げておく事すら
しなかったのです。
レンタカーだったものですから、何とか車を返さなければならない。
そこで、とにかく出発しました。確か、新潟の人にとってはまったく
大した事ないレベルではあったのだと記憶しています。
発信する時こそお尻が振られましたが、あとはジリジリと低速で運転し続け
妙高高原を越えました。そうするとみるみるうちに雪が減っていくのです。
長野県に入り、飯田についた時には雪はひとつも降っておらず、
ああ、新潟は山一つ隔てて特別に雪深いところなのだと実感しました。
ここまでは雪が降った。ここからは雪が降らない。明確な境界線があって、
その境目にはひとすじ、ふたすじ粉雪が舞い、幻想的でした。
あんなシチュエーションでなければ見られない光景でした。
2022年1月 6日 Posted in
中野note
今日も新幹線の車窓から。車内の混雑はピークを過ぎ、け空いていました。
今日は朝から実家の近所をウロウロし、それから荷造りをして
昼食後に横浜への移動を開始。帰宅したのは夕方でしたが、
ここ数日、混雑のために控えていた初詣もしました。
行き先は近所の神社で、子どもが生まれてから
初宮をしたり、お食い初めの石を提供してもらったり、
先日も七五三でお世話になってきたところです。
夕方に訪ねて行ったときにはちょうど社を閉じるところでしたが、
私たちを見て少しの猶予を頂き、お参り、
恒例のおみくじもできました。
そして、19:30からは今年1回目のワークショップを実施。
さすがにお正月なので人数が減るかなと予想していましたが、
17名の参加をいただき、盛り上がりました。
齢30歳の唐さんが乗りに乗った『吸血姫』二幕終盤が今日のお題です。
この模様は追った明日にレポートします。
それにしても、1月に入りすでに数日が経過しているのが、
渡英へのカウントダウンに感じられます。
それまでにしなければならないことを数えながら、
瑣末なことも含めてそれらが後から後から湧いてくることに
愕然としています。きっと忙しなくやっつけていき、
気づいたら飛行機に違いありません。
ところで、今後のワークショップですが、
『下谷万年町物語』『蛇姫様 わが心の奈蛇』という順で展開させて
いこうと考えています。ロンドンに着いたら確実にアウェイ感満載、
ホームシック確実でしょうから、その郷愁を生かした演目こそ、
『下谷万年町物語』です。
ニューヨークで日暮里のロマンス『秘密の花園』を書き、
おそらくパレスチナで下町の長屋への愛着を描いた『唐版 滝の白糸』
を構想する唐さんの行動様式に則ってみました。
と、思っていたら、
年末に東中野に観に行った『少女仮面』のチラシ挟み込みで、
新宿梁山泊の次回演目が『下谷万年町物語』だと知りました。
これはタイムリー。ワークショップに参加してから
実際の上演を観てもらえたら、かなり愉しめるはずです。
スタートが2/6(日)にできるかどうか、
あるいは、その1週間後の2/13(日)になるのか、
これからできるだけ早急に決断します。
2022年1月 4日 Posted in
中野note
『鉄仮面』原作を読むならば、これ。
ボアゴベの翻訳そのものだと長すぎる!
昨日のラッシュからも実感した通り、
今年は三が日明けてすでに世間が始動している感があります。
自分はいまだ名古屋にいますが、今日から徐々に仕事を始めました。
メールや電話で必要な連絡を回したところ、返事もすぐに返ってきた。
初め、他の人が休日だった場合が憚られましたが、実感として
周囲も仕事解禁という一日でした。
明日からワークショップも再開します。
準備のために『吸血姫』二幕終盤を読むと、関東大震災や満州国に賭けた
国粋主義者たちの夢が渦巻いて、こちらを幻惑します。
でも、結局、愛染病院の面々がヒロイン・さと子に何をしようと
しているのか。それら幻惑をより分け、曇りない目で見ていくことが
肝心です。一度、単純に考えてみる。明日はそういうワークショップ。
http://karazemi.com/perform/cat67/post-18.html
一方、『鐡假面』の台本づくりが一幕終盤の盛り上がりに
差し掛かっています。2007年の上演時とは明らかに別モノに感じる。
まるで初めての出会いのようで、めっぽう面白く読めます。
1972年・・・春『二都物語』と秋『鐡假面』
1973年・・・春『ベンガルの虎』と秋『海の牙 黒髪海峡篇』
1974年・・・春『唐版 風の又三郎』と秋『夜叉綺想』
秋公演の演目はまるでレコードのB面のように人々の記憶にも薄く、
口の端に上ることも多くありませんが、絶好調時の唐さんの
才気が駆け巡っています。
『鐡假面』そのものの物語は、ホステスとして働きながら
義兄弟ならぬ義姉妹の関係を結んだ二人の女の逃亡の物語です。
ろくでなしのヒモである姉の情夫を殺してしまい、姉妹はこの首を
"鉄仮面"と呼んでボストン・バッグに入れ、全国各地を逃げ回っている。
行き着いた東京上野の不忍池で、乞食の群れや公演課職員、
自殺寸前の中年男、紙芝居屋、タタミ屋の青年、復員兵など、
さまざま男たちとの出会いの中で二人の罪が露見していき、
犯罪者であるがゆえに反社会勢力のエースとして台頭していく物語です。
今朝、熟読した『鐡假面』第一幕中盤過ぎには笑いました。
次々と現れる男たちが誰も彼も魅力的です。
今日、新たに登場した「公園課職員」は特にユーモラス。
唐作品の中では私たちの想像しやすい職業の男、
登場時は平々凡々たるキャラクーに見える彼は、
公衆トイレの屋根の上に登った女二人を注意する役回りで
ありながら、すぐに尾崎紅葉の『金色夜叉』について異様な
熱弁を振るい、貫一お宮の心情についてああでもないこうでもないと
モノローグを繰り広げます。その脱線、その強引、
現在ならば客席の笑いを鷲掴みにできるであろうこの場面、
2007年当時はこちらの力量不足からシーンとしていたことが
悔やまれます。
・・・という具合に、
出番の少ないキャラクターがやたらと立っている。
またヒロインが姉妹で構成されているところも愉しめます。
状況劇場時代の作品は、圧倒的プリマとして李さんが屹立していた
ことから、女性ワントップが圧倒的に多い。
けれど『鐡假面』については姉妹がふたりで躍動します。
これは、他に例を見ない魅力です。
あまりに面白いので、これは近々、劇団でも本読みの題材にし、
いずれワークショップでも取り上げること必定です。
2022年1月 3日 Posted in
中野note
いつもならば月曜はワークショップレポートです。
しかし、さすがに昨日はお正月ということで、お休みしました。
今週のWSは5日(水)に振り替えです。
本日は一人で京都に行ってきました。
目的は二つ。一つは広隆寺に行きたいと思いました。
もう一つは、四条烏丸にある「ラ・ヴォーチェ京都」という
レコード・CD店に行くためです。
10時半頃に名古屋を出て京都に向かいました。
新幹線の窓から雪の関ヶ原や米原が見える。
京都駅で降りると、そこからはざくざく歩いてお店に。
あらかじめ電話してあったので、ご店主は温かく迎えてくれました。
前回は出張の帰り、ものの本で紹介されていたこのお店に
初めて伺ったのです。選りすぐりの品物が陳列された棚と
ご店主のお話は、私にとって未知の世界でした。
その時、一角を占める「SYMPOSIUM」というレーベルが目につき、
質問したところ、20世紀前半のレコードを中心に復刻した
このシリーズの豊かさについて、丁寧に教えてくれました。
その日はご店主にオススメをリクエストして、
Albert SpaldingというヴァイオリニストのCDを買いました。
帰って聴いたらこれが良かった。有名な『悪魔のトリル』には
数多くの録音がありますが、以来、1番の気に入りになって
たびたび聴いています。
そのようなわけで、今日はご店主にロンドン滞在中に訪ねるべき
劇場、演奏会場、博物館、レコードショップ、飲食店について、
指南を受けに行ったのです。
ロンドンには300回くらい行った。ヒースローは1,000回くらい
利用しているというご店主のアドバイスは的確で、1ヶ月後に
拡がる世界が愉しみになりました。
今日も何枚かのCDを買いましたが、
新たに英国の「OPAL」というレーベルについて教わりました。
その中から『THE LAST CASTRATO』というディスクを購入。
最後のカストラートと云われるAlessandoro Moreschiの歌曲集です。
カストラートの禁止は1878年、
エジソンが録音技術を発明したのが1877年。
両者の共存が難しいのはこのためですが、
ここに貴重な録音があって、初めて本物のカストラートを聴いています。
女性の高音と男性の持久力や力強さの共存。不思議な歌声です。
今回もこの店でしか手に入らない品物と情報。
それから広隆寺を目指しました。
四条大宮から嵐電に乗り、太秦広隆寺で下車。
約10年ぶりの拝観です。あの時はひたすら弥勒菩薩半跏思惟像を
目当てに来ましたが、今日は他の仏様を愉しむ時間的な余裕も
ありました。特に文殊菩薩を面白いと思いました。
お釈迦様の弟子たち随一の知恵者ゆえに
"文殊の知恵"ということばがあるわけですが、キレ者にしては
親しみやすい丸顔で、本当の知性とはシャープな細面でなく
こういった福々しさに宿るものかと感心しました。
もちろん、弥勒菩薩半跏思惟像の前でもしばらく過ごしました。
ここにも男女の別を超えた表情がある。
それにしても、仏像の保存のために薄暗く暖房もわずかな
寺院内の底冷えは半端なく、警備員さんの苦労が察せられました。
充実の数時間を経て、夕方になると急激に底冷えする京都を
後にして、満員の新幹線に立ちっぱなしで名古屋に引き上げました。
通路もびっしり埋まった自由席の車内が、2022年の始まりを告げています。
2022年1月 1日 Posted in
中野note
あけましておめでとうございます。
元旦の今日は横浜で目覚め、名古屋の実家に移動しました。
写真は新幹線の車窓から。
しかし、自分一人で動くのとは異なり、
家族で、特に5歳と2歳を伴って移動するのには
いちいち行動に時間がかかり、途方に暮れてしまう。
早朝からテンポ良く英語と『鐡假面』研究を片付けたのに、
起き出してきた彼らに引きずられて一向に準備が整わない。
一人がその気になって身支度すると、
もう一人は熱心にブロックを組んでいる。
やっと説得しておもちゃを片付けさせると、
今度は身支度していた方が全裸になって布団に潜り込んでいる。
こんな具合です。
こうなるともう力押し。多少は声を荒げてやっと車で
新横浜に向かうと、今度は駅周辺の駐車場が全てふさがっている。
数日間停めるので、料金に1日料金としての上限があり、
それが複数日に渡って有効である必要があるのですが、
見事にすべてが埋まっており、結局自宅に引き返すことに。
今度は電車で再トライ。
しかし、振り出しに戻ったことに納得できない子どもらは
ソフトクリーム無しにはもう一歩も動けないと騒ぎ出す。
身支度をして4時間後、出発してから1時間半も経つのに
まだ近所のコンビニでソフトクリームを食べる彼らを呆然と
眺めながら、永久に名古屋に着かないのではと思わされました。
これこそ"生活"です。
年末の収穫に書きそびれましたが、作家・黒島伝治の小説が
最近の私を捕らえて離しません。いわゆるプロレタリア文学。
なぜ今頃と思いもしますが、立ち読みした岩波文庫の短編
『二銭銅貨』『電報』にガツンとやられ、即座に購入。
別の本も買って、次々に読んでいます。
以前はこういうものにあまり惹かれませんでした。
自分が"生活"するようになったからかな、とも思います。
唐さんも熱心に子育てをしたと聞いています。
今は成長して立派な演技者になった美仁音さんや佐助くんを
自転車に乗せて、高円寺の商店街を疾走したと云います。
イギリスに行く前に家族旅行をした方がいいよ。
年末にある人からそう言われましたが、彼らと遠出などしたら
イライラしてばかりいそうだし、怒って泣かせそうです。
むしろ、こんな日常がこれまでの自分には欠けていたので、
せいぜいしっかり生活をして、それから渡英しようと思います。
1ヶ月後にはロンドンにいる。ここにきて、
ヒースローで途方に暮れている自分を想像し、ビクビクしています
2021年12月31日 Posted in
中野note
あと3時間弱で2021年が終わろうとしています。
今日は総括の1日として、掃除をし、運動をし、読書をして、
次に研究するべき台本に当たる時間を過ごしました。
今年を思い返してみると、
1月からKAATの仕事に揉まれていた記憶が濃く、
配信番組の作成に3月までを費やしました。
その間、2月上旬には海外研修の2次試験があり、
久々にガチンコの面接試験を受けました。
上の写真は、文化庁での面接直前にトイレで撮影したものです。
当時は企画が目白押しで、特に配信の仕上げ段階でしたから
ひっきりなしにショートメールや着信があり、緊張している暇も
ありませんでした。それが良かったのかも知れません。
3月に無事、合格。
しかし、これは試練の始まりに過ぎず、
その後の私は、突貫で英語を仕込んでくれるコンサルタントに
ついてもらい、1日2.5〜3時間の勉強を課せられることになりました。
ジョギング、ゼミログに加え、新たに加わったルーティンは、
4〜10月にかけての睡眠時間を一気に奪っていくことになります。
また、試験の結果を受けて2021年度末に日本にいないことが決まり、
KAATの仕事は比較的ゆるやかにしようと思っていた矢先、
3月末に突如、劇場の広報業務も担うべしという指令が下りました。
これにもずいぶん追い込まれることに。
4月からは、慣れない広報業務と英語学習に四苦八苦しながら、
唐ゼミ☆公演の準備を始めました。当初は新宿での再演目指して
いたものの、コロナの社会的影響は2020年度よりも一層うつろいやすく、
すべてが未決定のまま時が過ぎていくことの苛立ちを、
夏の盛りまで募らせることになりました。
春から初夏にかけて、KAATの新たな仕事のペースをやっとつかんだ
ところで、立て続けの公演に突入していくことになります。
6〜10月こそ、私にとって過去に例を見ない過密日程でした。
ドリームエナジープロジェクトの『凜と生きる』公演。
『シーボルト父子伝』公演。『棲家』リーディング公演。
そして、自分の本丸である唐ゼミ☆公演『唐版 風の又三郎』が
グルグルと駆け巡る混沌の夏でした。
その間に展開してきた唐ゼミ☆ワークショップは、
『盲導犬』『ガラスの少尉』『続ジョン・シルバー』と続き、
懐かしい演目と再会しながらその価値や面白さを今の自分から検証し、
これまでの唐ゼミ☆を振り返る機会ともなりました。
あれは確か『ガラスの少尉』の時でしたが、
他の公演の稽古があるためにどうにも横浜に戻って来ることができず、
仕方なく池袋のマンガ喫茶からワークショップをしました。
当然、個室。しかし、演目の熱に当てられた自分の声量はいや増しに
高まり、電話でフロントから注意を受けながらのWSとなりました。
ヒヤヒヤしつつも、今となっては面白い。
車の中からWSを実施した回もあります。
辻堂あたりにある神社の駐車場で、電灯の明かりを頼りに行ったのは
夏の盛り。かなり虫に刺されました。
正直にいうと、今年は10月で燃え尽きてしまった感があります。
しかし、消耗した体力を振り絞って、11月からビザの申請に入りました。
これがなかなかの難事業、文字通りの無我夢中で、あっちこっちに
ぶつかりながらようやく申請を終えたのが12/23のことです。
あとは、年明けのKAAT×横浜国大 連携講座の準備をしつつ、
日常的な仕事をコツコツとして、渡英の準備を進めています。
メガネの予備を買っておこうとか、ハードディスクにバックアップを
取ろうとか、ケータイを新品にしていこうとか。そんな具合です。
子どもたちが生まれてから、特に一緒にいるように心がける日々でも
あります。上の子と一度、映画館に行ってみたい。お正月の小さな目標です。
今年は『棲家』を関わったことから、太田省吾さんの戯曲や文献を
重点的に当たりましたが、唐さんの作品については、
『ベンガルの虎』『アリババ』『二都物語』をよく研究しました。
唐さんが文化功労者に選出されたことは、この上ない慶事です。
先日から『鐵假面』の写経をはじめています。
唐ゼミ☆では2007年にこの演目を上演しましたが、なぜか台本データが
残されていないのです。優れた台本なのに、これではWSの題材にできない。
そこで、もう一度台本を作りつつ、研究し直すことにしました。
72〜74年の唐さんについて重点的に考えようと思います。
渡英の日程は、ビザ申請の難しさによって、
当初目論んでいた1/17から1/31にずれ込みました。
かくなる上は、例え毎日の新規感染者数が10万人を超えようと、
イギリスが外国人の入国を制限しない限り、自分は突撃する気でいます。
今日、神社の前を通ったら、明日から自分の本厄が始まるのを知りました。
「暗雲よ来い!」
学生時代、『ジョン・シルバー』を初めて上演した時に唐さんが
私に送ってくださったこのメッセージを、今こそ思い出す時でしょう。
2022年、暗雲よ来い!
今年もありがとうございました!!!
2021年12月30日 Posted in
中野note
年末の収穫の最大級は、新井高子さんの本です。
幻戯書房から12月12日に刊行された
『唐十郎のせりふ 二〇〇〇年代の戯曲をひらく』。
この本を読み始めてすぐ「これは凄い!」と惚れ込んだ私は、
先日のワークショップで即座に参加者にこれを大プッシュしました。
それほど優れた仕事だと思います。もう、マイッタという感じ。
新井高子さんは詩人です。
いつもおてんばな少女の雰囲気を持つ詩人。
しかし、その視線の鋭さはまったくあなどれません。
唐さんの芝居を巧みに捉え、実に正確な分析をされています。
しかも詩情をもはらみ、かつ新井さんご自身の作品にもなっている。
このバランスも素晴らしい。
私がこの本を第一に勧めたいのは、新井さんがご覧になってきた
21世紀の唐戯曲に、見事な「あらすじ」が書かれていることです。
「あらすじ」というと簡単に聞こえるかも知れません。
けれども、唐作品から確かな「あらすじ」を抽出する至難を
私は知っています。そしてまた「あらすじ」を捉え損ねた唐作品上演が
多くあることも、自分はさんざん観てきました。
あの言葉や物語、エピソードの氾濫の中に分け入る
新井さんのメスの鋭さ。劇の骨格を曇りなく捉え、役柄やせりふ、
時によると小道具までもがどう機能しているのか、開陳してみせる。
恐れ入りましたの一言に尽きます。
それでいて理に勝ち過ぎず、詩人ならではのイマジネーション、
詩情に溢れていて、新井さんの登場人物ひとりひとりに対する共感、
慈しみや情愛が、温かみを以って読ませます。
自分はこの本を敢えて一気に読まず、各演目を1日ずつ読み進めました。
それは各演目15〜20ページごとに書き込められた新井さんの筆致に、
劇一本分の量感、充実があったからです。
一晩に芝居を何本も観るのはもったいない。一本一本を丹念に味わいたい。
新井さんの本は、掛け値なしにそう思わせてくれました。
この本が追いかけた芝居の数々は、私が唐さんに接するようになってからの
唐組公演とほぼ重なります。この本を読みながら、自分の観劇体験が
かつて観たよりさらに色鮮やかに再生されるのを感じました。
唐さんは確かにこれだけのものを書き、演出していた。
しかし、こちらの視線はその豊かさの全てを捉えるに及ばなかった。
それが、新井さんのフィルターを経て、こんなに素晴らしいものに
接してきたのだ、と輝きを新たにしました。
この本は、実際の公演を未見の人、唐十郎初体験の人にも、
唐作品の組み立てや面白さがわかるように書かれています。
そして、これから唐作品の上演を司どる現場の人間にとって、
この本は大きな指南書になる。基礎と奥義が同時に込められています。
ビジュアルをどう作り、道具をどう扱い、登場人物をどう捉えるのか。
何より、書きつけられたことばをどのようにせりふとして吐くのか。
「訳がわからない」「支離滅裂」「感じるもの」「アングラ」
そう評されることの多い唐作品に確かな道しるべを示してくれる。
やはり最大級の収穫です。新井さんの続編に期待します!
2021年12月29日 Posted in
中野note
先ほど帰宅しました。KAATの仕事は今日が仕事納め。
神奈川県民ホールで年末恒例『ファンタスティックガラコンサート』
という催しがあり、これにも立ち会いました。
プログラムが良かった。
こういうものは普通、メジャープログラムの羅列になりがちですが、
『ラボエーム』の名場面に並んだプッチーニ『交響的奇想曲』、
R.シュトラウス交響的幻想曲『イタリアより』など、初めて聴きました。
おそらく今後も聴く機会のないであろうレア曲です。
珍しいものを体験することができました。
この年末に得たものとして、新作落語のカリスマ、
11月30日に亡くなった三遊亭円丈師匠の作品に重点的に
触れたことがあります。
新作を聴きつつ、『師匠、御乱心!』という文庫本を
読みましたが、これが異様な吸引力で一気に読ませるものでした。
師・三遊亭圓生が既存の協会を割って出ようとした動きが
人言関係を砕いていく様子が克明に描かれています。
その中で、師とのすれ違いや兄弟弟子たちとの別離、
信奉する三遊亭一門没落の屈辱と反骨を描き、思いの丈を
ぶちまけたドキュメントですが、自分をすり減らし、
身を切って書かれた内容でした。
自分も唐さんという師がいるわけですが、
演出と作者という棲み分けが自分の場合はできる。
けれど、落語家はひとりひとりが完璧な個人商店ですから、
根源的には軋轢が避けれらない。
そんなことも考えました。
当然、YouTubeで師匠のネタを見聞きし、CDも聴きました。
そして「オヤ?」と思いました。
ニュースで円丈師匠の死が伝えられた時、
代表作としてアナウンサーが紹介したのが『グリコ少年』、
そして『悲しみは埼玉に向けて』でした。
後者は、師匠の落語コレクション1stに収められています。
何度も何度もリフレインされて耳に残るせりふに
「19時43分発、準急新栃木行の発車ベルは、まだ鳴っています...」
というのがあります。1980年初演とのこと。
......そうです。唐さんが23歳の時に書いた
『24時53分「塔の下」行きは竹早町の駄菓子屋の前で待っている』
に似ています。偶然かも知れませんが、似ている。
円丈師匠は1944年12月生まれですから、1940年2月生まれの唐さんの
4歳年下であり、学年的には5学年後輩、同じ明治大学演劇科を
師匠は中退されているそうです。
ひょっとしたら影響を受けたかも知れない。
そんなことを考えながら聴くのは愉しいものです。
ちなみに、『24時53分〜』が収録された角川文庫『煉夢術』は
1976年刊行です。
2021年12月28日 Posted in
中野note
年末です。
誰でもそうだと思いますが、自分にもいつも難関や心配事があります。
『唐版 風の又三郎』公演以来、いくつか頭をもたげる中で
最大の不安は、果たしてオレは予定通りイギリスに行けるのだろうか。
ということでした。
別にコロナのことを心配しているのではありません。
現在、英国は1日の感染者数が12万人超だそうですから、
もう笑ってしまうしかありません。
ええい、かかるときはかかれ! そういう感慨でいます。
私を悩ませたのはコロナでなくビザでした。
ビザって何?という状態から始まった私のビザ取得行は、
先週を以って、ひとつのカタがつきました。
あとは、年始を待つばかりです。もうジタバタしたって仕方ない。
書類の修正や再提出を求められたらそれはそれです。
一番厄介なのは、渡英した瞬間にロックアウトされることで、
部屋の中でじっとしているように強制されたら、英語も上達しないし
ロンドンにいる意味がない。けれど、まあそれだって
台本を取り出して研究できるという特権的時間に違いありません。
禿の退団のことは寂しくもありますが、
私だって海外に行くような勝手をやっています。
同級生のトクちゃんが同じように何かに挑戦したい気持ちは
分かります。
進むのも、停滞するのも、退くのも自分次第というキツさを
自分は知っているつもりですが、同時にこれは特権でもあります。
そういう道を歩き始めて、もがいて、ヒリヒリしながら
明らかに充実してきている。
昨日が年内最後の劇団集合ということで禿に会いましたが、
彼女の顔つきを見て良いなと思いました。
それからまた、昨日は新宿梁山泊の『少女仮面』を観に行きました。
東中野駅で降りて歩きながら「満天星」を訪ねること自体が
久々であることに気づきました。ここで『愛の乞食』や『吸血姫』
『風のほこり』を観たことも一緒に思い出しながら観劇しました。
ここで唐ゼミ☆も『黒いチューリップ』『続ジョン・シルバー』を
やらせてもらったのです。特に後者、あの空間を斜めに使うやり方は、
我ながらけっこう良いといまだに思います。
肝心の『少女仮面』。
乙女チックなお婆さんと貝の関係性が良く、
水嶋カンナさんが満州の病院を思い起こして長広舌をするくだり、
これからやってくる甘粕大尉に慮って床についた
生理の血を拭き取る所作がとても良いと思いました。
いつもあのシーンは、ト書きの指定によって汚物カンで床をガリガリ
やるわけですが、本当に血液を拭おうとするアクションにしては、
ガリガリだけでは説得力がありません。そのあたり、
カンナさんは実に上手くやっていました。
我らが鷹さんは、フラリと劇場にやってきてフラリと舞台に出ている、
そういう感じでした。衣装もメイクも極限まで排除、日常性の美学です。
間を操ることにかけてはやはり天才的で、ボクサーがパンチを繰り出す
ごとく、次の一手を読ませません。あれこそ麻子や米澤に見習わせたい。
アフタートークもあって、シモンさんや大久保さん、
義丹さんが披露する李さんのエピソードは、日常の行動のなかに
女ひとり大地に立つ李麗仙を感じさせました。
中でも、近童弍吉さんのお話がとても良かった。
状況劇場末期の新人時代に望んで得られなかった「腹話術師」を
執念でもぎ取ったことに痺れました。
これまで見たことの無かった李さんの秘蔵の写真を何枚も拝見して、
発見もありました。『続ジョン・シルバー』の「小春」や
『腰巻お仙 振袖火事の巻』の『お仙』の造形です。
見ていて、もういっぺんやりたくなりました。
『腰巻お仙 三部作一挙上演』・・・いつかやろうかな。
2021年12月25日 Posted in
中野note
12/12(日)に引き続き、今日も坂本小学校に行きました。
椎野、津内口、子どもたち、私の5人チームで横浜を出発。
首都高横羽線を使ってスイスイと着きました。
途中、上野駅入谷口近くにある中華料理・晴々飯店に寄り、
昼食を済ませてからの登校となりました。
私は前回に引き続き二度目でしたが、
椎野と津内口は体育館をしげしげと眺めながら、
ここで『パノラマ』をやったのだと感慨深そうでした。
子どもたち、真義と稟子にはまだ遊びと掃除の区別がつかず、
嬉々としてちりとりやハタキ、雑巾を持ち出しては、
エントランスロビーの床や窓ガラスをきれいにしました。
2014年1月末、ここで三輪真弘さんの新作を
横浜国大の学生たちが世界初演したのです。
前回に同行した佐々木とは違い、椎野も津内口も当時を
ともにしましたから、いろいろと話しながら、
寒かったことといっしょに、当時の光景をまざまざと思い出しました。
いよいよ坂本小は明日を以って封鎖となり、
これまで地域の人たちがサッカーや太極拳などで利用してきた
サークル活動も場所がえをするそうです。
大そうじも、明日の午前と午後の部を残すのみ。
ほんとうは最終日にも来たかったのですが、
明日はどうしても別件があり、私と坂本小との一区切りとなります。
どこかに唐作品を読み解く上でのヒントはないか。
見過ごしているもの、打ち捨てられて隠れているものはないか。
そんなことを思って、今日はすべての施設をくまなく見て回りました。
帰りに、大そうじ主催者の小林さんの勧めで、
銭湯を改造したカフェにも寄りました。まるで第七病棟のよう。
ロンドンから帰ったら、また唐十郎作品をやろう!
思いを強くした一日でした。
2021年12月25日 Posted in
中野note
米澤剛志が本番中です。
演劇ユニットnoyR(ノイル)の『Beautiful Land 』という公演。
会場は若葉町ウォーフで、日程はこれ!
12/25日(土)14時/19時
12/26日(日)14時
初めはすぐに完売でしたが、現場入りして増席できたため、
数枚のチケットがあるそうです。
https://twitter.com/unitnoyR/status/1452996721206775814
ここ数年、米澤は多くのチャンスを求めて彷徨っています。
一つのきっかけは、2019年にやった名古屋造形大学のイベントで、
この時に佐藤信さんの演出を受けたのが大きかった。
そこから、2020年2月末に座・高円寺の芸場創造アカデミーの
公演『戦争戯曲集』に参加し、世界を拡げることができました。
そこでのつながりから、今年はダンスにも挑戦し、
明日はじまる舞台にもお声がかりを得ることができました。
普段、寡黙でボンヤリしている米澤は、
芸の探求だけは熱心で、フツフツとしたものを感じます。
『唐版 風の又三郎』で「教授」役に取り組みながら、
現場入り前夜、最後まで衣裳・小道具に工夫を凝らし続ける姿に
執念を感じました。
写真は、米澤の実家を訪ねて、卒業アルバムを見せてもらいながら
撮影をしました。米澤と私の実家は近く、同じ愛知県、
彼が豊田市で私は名古屋市です。
2017年3月、
私たちが藤沢市での野外劇『常陸坊海尊』に挑んでいる頃、
米澤のお母さんが亡くなってしまいました。
突然のことで、米澤は通し稽古をして、お母さんのもとに行き、
また稽古のために横浜に戻り、さらにお葬式のために豊田へ。
公演が終わると、私もお線香をあげに行かせてもらいました。
電車を乗り変えながら、当時は大学生の米澤が大変な思いをして
この景色の中を往復したことが想像せられ、口数の少ない米澤が
本気で役者をやっていきたいのだと察せられました。
ウォーフの舞台、私は明日の夜に観に行きます。
クリスマスなので、何か滋養のつくものをプレゼントしようと思います!
2021年12月23日 Posted in
中野note
↑名古屋駅、在来線乗り換えの通路はあの頃と変わりません
昨日に書いた通り、今日はビザ申請という私にとって人生初の難関が
朝イチであったので、4時には起きて、資料を最終チェックしました。
それから、余った時間で年賀状を書いて、ランニングがてら横浜駅まで行き、
東海道線で新橋へ、以前にノーアポで押しかけた甲斐あって、
磐石にセンターに到着。ガッチリと申請を行いました。
やれやれ、という感慨とともに10時過ぎには横浜に戻りましたが、
あ、そうだ、今日は平成の天皇誕生日だったのだと思い出しました。
12/23は思い出深い日です。
この日に早朝からの稼働といえば、高校3年生の同日、
2月生まれの私がまだ17歳だった時の演劇発表が思い出されます。
1998年12月23日。男子校に通っていた私は演劇部に所属し、
高校時代の締めくくりの舞台を行いました。
演目は三島由紀夫さんの『卒塔婆小町』。
福井県の春江町、ハートピア春江というホールに
遠征しての公演でした。高校演劇のコンクールというものは、
1時間の上演+@の仕込み時間ずつ各高校に割り当てられ、
朝から夕方まで発表が入れ替わり立ち替わりします。
朝一番に当たった私たちは、確か9時頃の開演で、
10時半頃には青春の完全燃焼を終えていました。
一応、受験生ということで、
昼頃には名古屋への電車に乗った記憶があります。
他の部員たちは皆、下級生か、すでに進学先が決まっており、
福井のご馳走にありつこうと盛り上がっていましたが、
彼らを尻目に、帰っても大して勉強しないのに、
口惜しく帰途についたのを憶えています。
天皇誕生日に三島さんを上演するって良いですねえ。
そう、顧問の先生と話をした記憶があります。
23年も前の出来事です。
その後、今日は日帰りで名古屋に行ったこともあり、思い出しました。
2021年12月23日 Posted in
中野note
↑突撃した朝に撮った写真。妙に近い。
申請センターの入口がそそり立っている。当時の自分の精神状態です。
明日の早朝、ビザの申請をします。
・・・ここまで来るのにだいぶ時間がかかりました。
現在だって油断ができませんが、『唐版 風の又三郎』公演が終わって以来、
最大の懸案事項に明日、一つのケリがつこうとしています。
私が来月から渡英する研修というのは、
文化庁が毎年、「舞踊」「音楽」「美術」などのジャンルごとに、
数名を海外に派遣させている海外研修制度です。
短ければ2ヶ月間。長い人になると3年の研修が可能です。
自分は1年コース。正確には最大350日なわけですが、
10代半ば〜20代はじめでピアノやヴァイオリン、バレエなんかを
学ぼうとすれば、これはもう2〜3年の留学ということになる。
自分は「演劇」で行くことになりました。
今年の3月に内定が発表された時、最大の不安は「英語」でした。
中学校の頃、関係代名詞の登場とともに英語を見失った私です。
さすがにこれはマズいと思い、然るべき予算投下をして
勉強し始めました。忘れもしない4/19(月)のことです。
半年間、とにかく1日に2時間半〜3時間を捻出せよ、
とコンサルタントさんに言われ、中学英語を必死に勉強しました。
ちょうど浅草での公演が終わる頃にこのコースを卒業し、
何とかZoomで、相手の言っている事の2割が汲み取れるようになり、
事項紹介と返事ができるようになりました。
で、次に問題になったのがビザです。
思えば、面接試験の時、文化庁の職員さんは何度も念を押してきました。
「ビザの取得に文化庁は手を貸せませんから、ご自身で取ってください」
と、まあ、こういう意味の事です。
初め、なぜこんなことを何度も確認するのか私はちんぷんかんぷん。
が、いよいよ本腰入れて渡航日を決めよう、実際の滞在期間を設定しよう、
そう思った10月末になって、ようやくその意味を知ることになった。
まず、ビザをどこで取得すれば良いのか分からない。
英国が発行するビザの種類のうち、どれを目指せば良いのか分からない。
しかも、文化庁から助成をもらって社会人が渡英するのはレアケースなので、
あまり参考になる先例がない、と、こういう具合でした。
仕方がない。とにかくもビザは英国が発行するものなので、
私はある日、皇居のお堀端にある英国大使館にいきなり突撃し、
警備員さんや守衛さんに「ここではないですよ」と断られることから
事を始めました。彼らも私に手を焼きながら、案内のペーパーをくれた。
英国の場合、ビザは新橋の申請センターで申し込むらしい・・・
その足で新橋に向かった私は、「絶対にアポを取ってください」
という意味の張り紙がされたオフィスのチャイムをノーアポで押して、
ここでも職員さんを当惑させる。
わかったのは、ビザ申請というのは、
完全な正解を誰も保証してくれないという事でした。
英国が発行するビザの種類を見て、自分の境遇はこれに近いのではないか
と予測を立てる。その申請に必要な書類を英語のホームページを
読み解きながら揃える。アポを取って提出をする。こういう流れです。
しかし、それで本当に取得できるかどうかは、誰にも分からない。
さらに、新橋の申請センターというのは単なる窓口に過ぎず、
判断は、英国がフィリピンのマニラに置く機関が判断するので、
そもそもダメだとか、この書類が足りないという決定にも、時間がかかる。
まして、自分は就労なのか、就学なのか、よく分からない立場なので、
これがビザ取得の難易度に拍車をかけました。
結局、考えつく限りの知り合いやネットで調べたエージェントを当たって、
やっと適切な指南役を発見し、そこから準備を本格化できたのが11月半ば。
で、その方の指導に従って条件と資料を揃え、
アポを取って正式に申請センターの門を叩くのが、
明朝8:00ということになったのです。帰ってきたぞ、新橋!
(それにしても、10月は無法なことをしました!)
深夜までやっているドンキホーテ横浜西口店で買ったファイルに
ちゃんと資料もひとつひとつ、分類して入れ、メモも貼り付けました。
一発でいけないと間に合わないスケジュール感なので、入魂の申請です。
あと数時間で家を出ます。
2021年12月21日 Posted in
中野note
今日は唐ゼミ☆劇団集合でした。
何人かは舞台の仕事をしたり、身内に体調不良者がいて欠席しましたが、
残るメンバーでハンディラボに集まり、年賀状の準備を始めました。
今年の年賀状製作はちょっと特別で、
縁あって、写真家の成田秀彦さんに撮影していただいた、
『唐版 風の又三郎』浅草公演のリハーサル風景の写真を使わせてもらえる
ことになりました。
成田さんといえば、細江英公さんのもとで修行時代を過ごし、
状況劇場が1971年に初演した『吸血姫』の写真を撮った方です。
写真集『唐組』に残された舞台写真をずっと拝見してきた
私としては、お目にかかれたこと自体がとても嬉しく、
撮影してくださったことはその上の僥倖といえます。
成田さんが半世紀以上愛用しているカメラを用い、
フィルムで、モノクロの写真を撮ってくださいました。
三鷹のアトリエに何人かで伺い、お話しを聴きながら
拡大鏡で写真を選択し、引き伸ばしてもらう作業も初めてで、
大いに愉しみました。
それに、なんといっても面白かったのは、
アトリエ「成田光房」に飾られた写真の数々を拝見できたことです。
駅前に駐車された原付バイクや、アパートに干された洗濯物など、
一見すると何気ない景色の中に光と闇の妙味を発見し、
白と黒のグラデーションをとらえきる技術の粋を解説付きで
見せてもらいました。
成田さんの写真を見、お話を伺うと、
日常目にする景色が違って見えるようになり、大きな発見がありました。
ここ数年、私たちはちゃんと元旦に年賀状がお届けできるようになりました。
当たり前と言えば当たり前ですが、この習慣を今後も継続していきたい。
新年を楽しみにしていてください。
2021年12月18日 Posted in
中野note
仕事の合間に、久々にポオを読んでいます。
エドガー・アラン・ポオ(ポー)のことです。
あの『モルグ街の殺人』『黄金虫』で有名なポオ。
きっかけは、来月の渡英に備えて読むこと進められた
ビギナー向けの英語テキストに、ポオの特集があったことです。
むろん、原文そのままでなく平易にしたものをやっとこさ読んでいます。
すると、久しぶりに他の作品を読んでみたくなり、
『The Philosophy of Composition(詩の哲学、構成の原理など)』
という文章を初めて読みました。
大学一年生の時、
「メディア基礎論」という講義で室井先生がロマン主義について
話をされた際、ポオは全くロマンティックではなく、冷静な計算のもとに
有名な『大鴉』という詩を書いた、という意味のことを仰っていましたが、
その根拠がこの文章にあったのだと、二十数年を経て納得しました。
読むに手頃な100行を目指して書いたが、108行になってしまった、
というポオはちょっと露悪的に過ぎるようにも思いますが、
それでもやっぱり、アンチ・ロマンティックを標榜するポオは愉しい。
唐さんもまたポオが好きで、やはり学生時代に
『アッシャー家の崩壊』について話したのをよく覚えています。
唐さんの話はすごく面白くて、あの独特のテノールで
「アッシャー家!」という時の発語がいかにも唐十郎で、
それだけでニヤニヤした記憶があります。
それから、なんと言っても
『A Descent into the Maelstorom(メエルシュトレエムに呑まれて)』。
海上で恐ろしい渦巻きに飲み込まれてしまうのを、
樽の中に入って凌いだ男の話です。
唐さんはあの話の、一夜にして男の髪の毛が真っ白になってしまった
というエピソードが大好きで、90年代「カンテン堂シリーズ」の
主人公「灰田」は、あの作品からも影響を受けたのだそうです。
それまで、唐さんの主人公といえば「田口」が定番でしたが、
真っ白になった「田口」こそ「灰田」である、と。
イギリス行きを前に、学生時代に戻っていくような感慨でいます。
2021年12月18日 Posted in
中野note
人間、長く生きていると色々な持ちものが貯まりますね。
同じようなボールペンが引き出しの中にうなっていたり、
飲み残しの薬がもう二度と飲めやしない感じで引き出しに眠っていたり。
なぜか缶バッチがいくらもあったります。
キーホルダーやストラップもそうです。
さして自分で買ったわけでもないのに、何かの景品でもらったか、
何故だかペン立ての底の方に隠れている。
最近、間も無く3歳になる娘が上の写真のものを発見しました。
ほおずきのストラップです。確かにこれは自分で買ったもの。
久々にこれを見て、2012年の夏に買ったのを思い出しました。
今ワークショップで取り組んでいる『吸血姫』に、
唐ゼミ☆が挑もうとしていた時のことです。
浅草の恒例行事のひとつである四万六千日、
ほおずき市の時に買ったものでした。
稽古しながら眺めていた記憶があります。
思えば「四万六千日」というまことに便利な行事があることを
私は『下谷万年町物語』以来、浅草に通うようになって知りました。
そこでは、赤や橙の混じったほおずき市がたち、屋台がずらり並んだ
光景の壮観さに驚いたものです。
当時、齢90歳に迫った調子を悪くされていた朝倉摂さんへの
お見舞いを考えていた私は、さっそくご自宅にほおずきを送りました。
ちょっと刺激的な色合いや鉢物がどうかとも思いましたが、
摂さんは下町のご出身なので、馴染みがあって良いと思ったのです。
ほどなくして、喜ばれた摂さんからお礼のハガキが届きました。
「うんと良い芝居をつくってください。わたしも負けないから」
とありました。約60才も年少の私に対し、巨匠のこの闘志。
感激したのを覚えています。
そんなことも、ストラップのおかげで思い出すことができました。
2021年12月16日 Posted in
中野note
リュートにハマっています。
そう。ギターやマンドリンのご先祖様にあたるあの楽器です。
演奏、ではなく聴くの専門です。
最近、中古レコード屋を覗いた際、店内に良い音楽でかかっていました。
とにかく音色が良い。くぐもったところがあって、雰囲気と味がある。
レジカウンターでは「ただいま再生中」としてリュートのレコードが
紹介されています。うちにレコードプレイヤーはないので、
「これのCDはないですか?」と訊いたところ、ベテランの店員さんが
すぐに見つけてくれました。
「Konrad Junghanel(コンラッド・ユングヘーネル)、名手ですよ!」
という助言付き。
以来、ずっと聴いています。
私の世代にとって"リュート"という言葉との出会いは、
ファミコンで親しんだファイナルファンタジーⅢに出てくるアイテム
「ノアのリュート」なのではないかと思います。
物語の進行に不可欠な重要アイテム。だから、リュートという名前は
知っている。しかし、実際の音色は知らない。そういう感じでした。
実は、数年前にも"リュート"との再会はあって。
縁あって知り合いになった現代音楽ユニット"工房・寂"の演奏会が
日本大通りのギャルリー・パリで行われた際、演奏に参加していた
山田岳さんの才気に一聴して痺れました。
帰り路、速攻でタワレコで買ったアルバム『オスティナーティ』の中に、
山田さんが弾くリュートの曲があったのです。
けれど、このCDは古今の楽曲を縦横に並べてあらゆる弦楽器を駆使する
全体の構成が素晴らしく、リュートのみ突出しているわけではありません。
そこへきて、最近はすっかりハマり、ズブズブな毎日を過ごしています。
実は、これにはひとつ気になることがあって。
ずっと前に唐さんにこう言われたことがあるのです。
「バッハの曲で、昔、芝居に使ったことがある。チトチトチトチトって、
繊細で可愛い良い曲なんだ。あれを探して欲しい」
これまで、これだ!というものを見つけきれずにきましたが、
バッハにはリュートの作品もあり、ついにヒットするのではないかと
予感しています。そうでなくても、アコースティック・ギターを
好きな唐さんの劇に合う音楽が、リュート作品の中に発見できそうです。
一度、生演奏を聴いてみたいとも思っています。
2021年12月16日 Posted in
中野note
今日も坂本小学校の話題でいきます。
あの建物は確かに公立の小学校なのですが、
さまざまな意匠がこらされていて、見る者を愉しませてくれます。
アール・デコ調で、掃除をしながらウロウロしていると、
とにかくあらゆるところが丸みを帯びているのを体感できます。
この坂本小に限らず、周辺の小学校の中には、
関東大震災後に建てられたものが多くあるのだそうです。
さまざまな建物が倒壊、そして火災に見舞われた直後に建てられたので、
まず第一に頑強。そして、燃えにくい鉄筋で建てられている。
関東大震災が1923年ですから、約100年経っても
こうして中に立ち入ることができるのは、そのような理由です。
その上に、色々と装飾的な工夫がある。
太平洋戦争というと、私たちには貧しさの印象がありますが、
その手前、大正〜昭和ひと桁にかけて、けっこう世の中が豊かだった。
そういうことがわかる建物です。
至るところにアール・デコの丸みがあって、
当時の余裕を感じると同時に、これはわんぱく盛りの小学生たちへの配慮で
あったかも知れない、とも思います。
そういえば、唐さんはとがったものが苦手です。
横浜国大のゼミナール時代に舞台稽古をしていた時も、
とがったものは避けるよう、言われました。
ご存知のように、唐十郎戯曲には切った張ったがあります。
事故が起きないよう、唐さんは常に緊張しているのだと思いますが、
あのとがったものに対する敏感さは、生来のものかも知れません。
数多くの武勇伝がある一方、危険への配慮は極めて繊細です。
まる、まる、まる。職人技オンパレードの、この坂本小学校。
少年時代の唐さんにとってさぞ居心地よかっただろうな、と思います。
2021年12月14日 Posted in
中野note
一昨日の日曜日。行ってきました、入谷の坂本小学校。
唐さんが小学校時代を過ごし、担任だった滝沢先生の指名による
朗読を経て演技開眼。80年代の名作『黄金バット〜幻想教師出現〜』の
元ネタにもなった坂本小学校の取り壊しが迫っています。
そこで、入谷の記憶を未来に繋ぐ会(入谷コモンズ)の小林一雄さんが
発起人となり、毎週末のに大掃除を行うことになったのです。
私としては、大変に重要な唐十郎スポットである
この小学校を惜しみつつ、堂々と中に入ることができる機会とあって、
劇団員の佐々木あかりとともにすぐに申し込みました。
果たして当日は、晴わたる陽射しが暖かで、
上野駅から新人の佐々木を案内しながら、坂本小を目指しました。
唐さんの幼少期のこと、万年町のことを話しながら歩くと、
小学校時代の唐さんが水たまりに釣り糸を垂れて数時間を過ごしたという
校庭に行き当たります。
「あの三階部分が滝沢先生の住んでいたという理科室か・・・」
唐十郎フォロワーならば自然と沸き起こるマメ知識の数々を
ここぞとばかりに佐々木に伝授!
掃除に集まったのは、建築に関心を持つ方、小学校に感謝するご近所の方、
浅草からやってこられた方、海外からの日本滞在中に立ち寄られた方、
さまざまでしたが、自称紹介を終えたあと、嬉々として掃除を始めました。
掃除してみて体感したのですが、この企画はなかなかに稀有な体験です。
いよいよ取り壊そうとする施設を懸命に掃除する。
これは一見すると理屈に合わない、非合理な行動です。
(実際、小林さんによれば、持ち主である役場には
なかなか理解されなかったそうです。)
が、だからこそ、この行動はとても贅沢で、意味があることのように
感じられました。感謝とか、愛着とか、過去への憧憬とか、祈りとか、
なかなかに清浄な体験です。もはや使う人がいるはずのない床や机、
サッシを磨いていると、実に空間がステキに輝いてゆく。
もちろん、写真を撮影したり、職人さんたちが丹精してつくった
建築様式をじっくりと愉しむ余裕もある会です。
時間も、一回2時間とコンパクト。あっという間です。
このような企画を思いつき、準備し、淡々と片付けを行う小林さんはじめ
入谷コモンズの皆さんには、ほんとうに頭が下がりました。
最終日は12/26(日)です。
可能な限り日程を調整して、もう一度参加したい。
どんな方でも、興味があって申し込みすれば簡単に参加できます。
唐十郎ファンの方には、この機会を逃さないようオススメします!
申し込みはコチラ
↓清掃後、小林一雄さんと。
2021年12月12日 Posted in
中野note
今日は早朝にレンタカーを返しに行き、横浜駅で買い物をしました。その後には息子と娘の通う保育園の学芸会が予定されていました。
特に五歳のさねよしは緊張して早く起きてしまった。
聞けば、朝のせいか声が声がかすれている。
そこで、彼を伴って行き、ウォーミングアップしました。
4㎞ほどを走ったり歩いたりして、身体を温めたら、
よく声も出るようになってきた。
そういうわけで、昼まで彼らの劇を鑑賞。
帰り際、園長先生に「演出はどうでしたか?」と訊かれ、
苦笑するしかありませんでした。
きちんと進行する子もいれば、恥ずかしくて動けない子、
傍若無人で痛快な子、さまざまタレントが揃っており、楽しみました。
午後は事務をして、夕方には渋谷へ。
シアターコクーンで上演している『泥人魚』を観るためです。
もともとがコンパクトにまとめられた台本で2時間ちょっと。
私が23歳の時に唐さんに多くの賞をもたらした劇がどんなだったか、
見つめ直すに良い上演でした。
特に唐組になって以降の唐さんの台本は、
不況下における世話物の要素が強く押し出されます。
ハッタリの効いた登場人物たちが入り乱れ、下町の幻想譚と化す
状況劇場時代の作風は、時代や唐さんの年齢や興味に合わせて変化し
この『泥人魚』も生み出されたように思います。
そこに、お得意の軽演劇的なノリがスパイスのように加わる。
敵役たちに付けられた「踏屋(ふみや)」や
「ガニ(きっと"ガニ股"からとられたに違いない)」という
キャラクター名の面白さを、味わいました。
そうです。今の方が確実に味わえる。
当然ながら、それは2003年から20年近く経って、
自分が変化したからだと思います。
当然ながら自活するようになりましたし、家族もできました。
生活の実感を通して社会を感じるようになり、そういう中で
人の情実に感じ入ることが多くなりました。
だから、諫早湾やギロチン堤防をめぐる当地の人たちの反応、
それぞれの言い分を、ウンウンと頷きながら聴きました。
初志を貫く人、生活のために宗旨替えをする人、それぞれの人たちの
言い分や心苦しさが、判るようになりました。
最後の最後に登場する、漁協関係者のリーダー格「ガンさん」。
"義眼"という設定ゆえに"眼"からとられた名前でしょうが、
最後にヒロインに転向を迫るなら、登場しなに「面舵いっぱーい!」
などと格好つけなけりゃいいのに、と思いました。
が、それが人間というものだよ、と唐さんに教わった気がしました。
公演はまだ始まったばかり、12/29の年末までやっています。
2021年12月11日 Posted in
中野note
今日は早朝から都内に行き、
それから秦野市に行って夕方近くまでを過ごしました。
行き。お昼前の東名を襲った超渋滞には閉口しました。
10㎞に140分かかると宣言されると、こちらは方針を改めざるを得ず。
横浜青葉でいったん高速道路を降り、
クネクネと東名に絡みつくように下道を走りました。
そして綾瀬から再び東名に復帰し、秦野を目指したのです。
きっと事故だったのだろうと思いますが、
コロナが流行してからは無かった車の多さに、
世の中が平常に近づいてきているのを感じました。
最近は、久々に運転する人がたくさんいて、
各地で事故がたくさん起きている気さえします。
秦野市で用事を終えると、欲張らず、サッと引き上げてきました。
『実朝出帆』以来、あの街の豊かさを気に入っている私は、
いつも豆腐や野菜を買うことに精を出してきました。
が、夕方に差し掛かれば、再び海老名あたりの激混みが目に見えている。
だから諦めました。おかげで、50分ちょっとで横浜に
帰ってくることができた。
というのも、今日はKAATで安藤洋子さんが踊りがあったのです。
絶対に遅刻してはならない。見逃したくないない舞台です。
安藤さんとは、2018年からご一緒してきました。
神奈川県の仕事で、シニア向けのダンス企画を立ち上げたのです。
コンテンポラリーダンスに疎い自分の前にいきなり現れたホンモノが
安藤さんで、そのことは僥倖でした。
実際、安藤さんの大きさを、自分は一緒にいながら認識していったのです。
例えば、自分の家の近所にあるイタリア料理屋のシェフはダンスが
好きで、自身も学生時代は舞踏をされていた。
そこに安藤さんを連れて行くと、
昔パリでフランクフルトバレエ団を観ました!と
すごく喜んでくれました。さすがは世界的ダンサー!
何より、"踊る"ということを、自分は安藤さんを通じて識りました。
今日もそうでしたが、安藤さんの動きは大きい。
それは、決して大きくない身体の、すべての部分を総動員することに
よって得られる大きさです。まるで多関節であるかのように
可動域をフル活用して動くので、滑らかで、動くべきところは動き、
止まっているべきパーツはピタリと静止している。
踊れる身体ってこういうものかといつも思いますし、
安藤さんが動くと"踊り"になり、"踊り"は日常のすぐそばにあるものだと
実感します。
それに、安藤さんは地に足がついている感じがします。
一緒にいると、世界的アーティストらしい集中力に圧倒されることが
ありますが、浮世離れした感じは無くて、安心します。
だから踊りも、花や妖精や天使の踊りではなく、人間の踊り。
人間の営みの傑作という感じがします。
安藤さんとの出会いは、KAATの仕事を通じて得たものの筆頭です。
今日は最高だったけれど、明日にもう一度、安藤さんは踊ります。
明日は明日の舞台がある。そういう当たり前のことを感じさせて
くれるのも、安藤さんの絶大な魅力です。
明日には明日の霊感を、安藤さんは帯びるはずです。
明日、私は別件があって行かれません。今日の舞台を観た自分が、
明日の観客をうらやましく感じてしまう。安藤さんの魅力です。
2021年12月10日 Posted in
中野note
先日、ある講座に参加し「屠蘇散」というのを頂きました。
「とそさん」と読み、あのお正月やひな祭りなんかに嗜む「おとそ」と
いうのは、本来的にこれであるらしい。
中を見れば、何やら謎めいた生薬が紅茶のティーパッグのように
詰められて入っている。今度の年末年始に使ってください、
ということのよう。説明書きによれば、
大晦日にこのティーバッグをお酒かみりんを入れたものに沈め、
一日かけて成分が溶け出すのを待つ。
明けて元旦にこれを飲むと身体に良い、とあります。
「屠蘇」の「屠」は「屠殺」の「屠」。
なかなか迫力のある字を用いたものだと思ってきましたが、
屠(ほふ)られるのは邪気であって、私たちには、実に良い活力が蘇る。
こういうことのようです。
「みりん」を飲む、という行為には何か憧れがありますね。
子どもの頃、漫画『美味しんぼ』で、肉体労働者たちが
昔ながらの製法でつくられた「みりん」を夏場によく冷やして呑む
場面があり、なんとなく旨そうだと思いました。
また、好きな落語の演目に『青菜』というのがあり、
私はこれを小田原出身、柳家三三さんの独演会で聴き惚れて
さまざまなバージョンをCDで愉しむようなりましたが、
ここにも「みりん」を飲むくだりが出てきます。
みりんを焼酎で割ったものを、関西では「柳蔭(やなぎかげ)」
関東では「直し」という。これを植木屋さんがお金持ちの旦那に
ご馳走になる場面。これも実に旨そうです。
が、家にある料理用のみりんを見ても、これを直接飲もうという
気にはちょっとなれません。一升瓶なんかで売っている本格派
ならば違ってくるかも知れませんが。
私は酒が飲めませんから、これからなるべくみりんを求めて、
どうしても良いものが手に入らなければ、日本酒で、
大晦日にやってみようと思います。
2021年12月 8日 Posted in
中野note
上野駅の北、高速道路の入谷出口そばに坂本小学校があります。ここは、唐さんが卒業した小学校で、現在は廃校になり、
地域の人々の集会施設になっています。
幼少期の唐さんはたいそう内向的で無口な少年だったそうですが、
小学校の頃の担任・滝沢先生に促された朗読により、
芸能への大いなる自信を得たそうです。
数年前に唐組が上演した『黄金バット』こそ、
その滝沢先生を主人公にした演目です。
2013年頃、私たちは入谷交差点に赤々と目立つ、
焼き鳥たけうちに通うようになりました。
音楽を中心とした芸事に圧倒的な理解と人のつながりを持ち、
自らもギター上手のマスターの紹介で、たくさんの音楽家と知り合い、
イベント「パノラマプロジェクト」も行うことができました。
今や飛ぶ鳥を落とす勢いのピアニスト・川口成彦さんと知り合ったのも
この焼き鳥屋さんです。私と椎野が結婚した時、気の善い彼は
椎野のリクエストに応えて『英雄ポロネーズ』を弾いてくれました。
彼が後にショパンのピリオド・コンクールで第二位を獲ることを
思えば、かなり贅沢な話です。
マスターの竹内さんは、最近では吉原の近くでカフェバーを展開し、
相変わらず多くの人を集めています。さすが敏腕マスター。
一方で、件の坂本小学校は、いよいよ取り壊しを免れ得ない時期が
迫っているそうです。関東大震災の後に建てられたために極めて
頑強な構造を持ち、内装にはアールデコ調の意匠も見られる
貴重な建て物とも思われますが、やむを得ません。
お誘いを受けて、今週末は大掃除に加わる予定です。
久々に中に入れるチャンスと思い、参加を希望しました。
唐さんの学び舎を、目に焼き付けて来ようと思います。
2021年12月 8日 Posted in
中野note
先日の移動時に、
YouTubeに上がっていた松本清張のドキュメントを観ました。
これまで、代表作の数冊を読み、映画を観たことがある程度だった
自分は、この作家が半生においてかなり苦労したこと、デビューが
41歳とかなり遅い段階からのスタートだったこと。
それでいて、あっという間に流行作家となり、82歳で亡くなるまでに
膨大な執筆をしたことを知りました。
次いで、懐かしい映画を観ました。
自分が『砂の器』を読み、また映画を観たのは中学生の頃でした。
当時、売れに売れていた松本人志さんの『遺書』という本に、
「〜は『砂の器』のようなものなのである」という一文があり、
親にその作品は何かと訊いたところ、読んだり観たりすることを
勧められたのです。確かそんなきっかけでした。
あるいは、1960年代と21世紀になってからと、
『ゼロの焦点』の映画を2パターンで観たり。
唐さんの作品に取り組みながら、参考にした作品もあります。
文庫本に収められている『黒地の絵』という中編です。
『蛇姫様 わが心の奈蛇』に挑んだ時、
物語の重要な背景である朝鮮戦争時代の小倉、門司の様子を実感を
持って理解するのに一番役立ったのが、この本でした。
朝鮮半島で戦死した米兵たちの亡骸が門司港まで運ばれ、
そこで遺族たちのために整形される。
唐さんの『蛇姫様〜』は、その遺体輸送船に乗って日本にやってきた
半島からの青年たちの過酷を描いた作品です。
(というとシリアスそうですが、かなりコミカルな劇です!)
こういう思考の流れで、そのうち『蛇姫様 わが心の奈蛇』も
ワークショップで取り上げてみたくなりました。
ひょっとしたらロンドンからかも知れませんが。
2021年12月 5日 Posted in
中野note
「封筒のこの部分に赤字で"ワクチンパスポート"と書いてください」
そう、実際に赤字で書きながら教えてくれました。優しい!
来月末の渡英に備え、先日、
ワクチンパスポートを取りに区役所に行きました。
入り口近くに、ワクチンに関してよろず相談を受ける当別窓口が
設置されていて、ものすごく丁寧に説明してくれる。
「返信用封筒には、ここに自分の名前を書き、切手は84円で・・・」
と封筒の絵に書き込みを入れながらの説明。まるで手紙の書き方、
作り方教室のいった趣きです。
聞けば、現在、ワクチンパスポートを必要とするのは、
第一にこのあたりにお住まいの外国人の皆さんなんだそうです。
ずっと日本にいて、帰国する必要がある。
その際にこのパスポートが必要だ。そうして相談に来るらしいのです。
不慣れな人が多いので、いきおい説明が懇切丁寧になって、
それが板についてしまったと、窓口の女性は笑っていました。
かなりの厚遇で、これなら例え日本語が苦手の人でも大丈夫な感じです。
唐さんがイギリスに行ったことがあるかどうか、よくわかりません。
韓国、バングラデシュ、パレスチナ、ブラジル、台湾は
海外公演で行かれており、アメリカには80年代初頭に滞在されて、
『秘密の花園』をニューヨークのホテルに籠って書かれたのだそうです。
フランスに行かれたことがあるのは、『佐川君からの手紙』を読めば明白。
海外に行くと、
いつも「早く東京に帰ってヤキトリ屋でショーチュウを一杯やりてえ」、
そういう気持ちになるそうなのです。
言葉は通じないし、背の高い人たちが苦手なのだと仰っていました。
唐さんの海外公演というのは大変な力技で、
例えばバングラデシュや台湾遠征などのように、
初期の小ぶりな紅テントを持っていくときには、資材は現地調達、
屋根幕だけ持って行き、しかも飛行機に乗るときには手荷物。
劇団員3人で着るコートなのだと言い張って押し通したそうです。
3人で着るコート・・・。
慣れぬ現地語で、よく押し通したものだと感心します。
自分は初めてビザ取得に関する苦労の洗礼を浴びてきましたが、
ひとつひとつ詰めて、ようやく何とかなりそうです。
2021年12月 4日 Posted in
中野note
「建築ジャーナル」という雑誌に寄稿しました。
12/1に発売した2021年12月号です。
今号の特集テーマは「パンデミックの都市論」というもので、
編集をされている方がたまたま浅草で行った私たちの芝居を観て、
オファーをかけてくれたのです。
10/17(日)の千秋楽後に依頼のメールが入り、
締め切りが10月末とかなりタイトな日程でしたが、
ご指名が嬉しくて書きました。
テーマは壮大で、とても自分の手に負える感じがしませんでしたが、
「都市」という規模からすればかなりマイナーな「演劇づくり」が、
しかし確実にどこかで進行しており、それなりに七転八倒したり、
上手くいけば嬉々としていることを伝えたかったのです。
「コロナを駈ける又三郎」と題して、2020年初頭から先月まで、
約2年間にわたる取り組みを、時々に感じていたこととともに
振り返りました。
書きながら、2020年3月頃の劇団の集まりで集合を続けるべきか
どうか揉めていたことや、人の気分が感染者数の上下に応じて、
だいたい半月程度のタームでコロコロと変わってきたことが
思い出されました。
2ヵ年にわたる『唐版 風の又三郎』が一度も休演することなく
達成できたのは僥倖です。いつでも違う結果になった可能性があり、
常に薄氷を踏む思いでしたが、一方で得たものもありました。
特にZoomの普及によって得たオンラインの台本読みワークショップは、
今の私と劇団をかなり支えてくれています。
海外では猛威を奮う一方、日本国内では感染者数が
抑えられているという不思議が続いています。
来月の末にイギリスに行く準備を不慣れながら進めており、
とにかくロックアウトにさえならなければ、
感染のリスクがあっても大いに行く価値ありと思っています。
Zoomのおかげで劇団集合も維持できそうです。
「建築ジャーナル」には、指定の文字数をかなり超えて
しまったのを、好意で全て掲載いただき、公演の様子のみならず、
稽古から劇場設営の写真もふんだんに載せてもらいました。
立派な雑誌なのに、990円と手頃です。ぜひ読んでみてください。
2021年12月 2日 Posted in
中野note
目下、ワークショップで取り組んでいる『吸血姫』は私を興奮させます。
思い起こせば2000年、唐組が『夜壺』や『鯨リチャード』を初演し、
あの第七病棟が『雨の塔』を上演した年の暮れに、
新宿梁山泊のアトリエで、この『吸血姫』が復活しました。
当時は台本を読んだことさえなかったけれど、
初めて観た唐さんの三幕もの。一幕終わりの関東大震災の群れ、
二幕のお風呂の蓋わたり、三幕終盤で行われるヒロインと人形の
目まぐるしい回転に、目眩がしまいた。
当時の自分にはとても細部を捉え切ることはできなかったけれど、
とにかく怒涛の展開に、若き日の唐さんの沸騰を感じました。
アトリエ・満天星は小空間です。
しかし、果てしなく拡がりのある世界をそこに観ました。
その後、2012年秋には唐ゼミ☆でもやりました。
思い出深いの長野公演です。初日では終盤のたたみ掛けが上手くいかなくて、
深夜に工夫のしどころを考え抜きました。
長野の夜は冷え込みます。
寒いテントの番をして、スケボー少年たちが遊ぶゴーゴーという音を
地面づたいに聞きながら修正点を割り出し、その晩は眠れませんでした。
上演すれば2時間半にわたる長編です。
『吸血姫』は読み物としても実に幻想文学的で、
この前に扱った冒頭シーンは看護婦「高石かつえ」の見る悪夢として
卓越しています。
いち看護婦である高石が芸能界に羽ばたこうとした矢先、
足元をすくわれる。過去の男性との過ち、こっそりと産んだ子供。
しかし、それらの過去が、実際にあったことなのかどうなのかは
当の高石本人にさえよくわかりません。
「中年男」というキャラクターの高石への迫り方はほとんど難癖で、
身に覚えのない過去をまくしたて、やがて本人をその気にさせてしまう。
かなり脅迫的です。論理はめちゃくちゃなのですが、
当の高石としては奇妙に後ろ暗く、やがてその気にさせられてしまう。
そして、ふと気づくと、高石の前には中年男の着たコートのみが
電話ボックスにぶら下がるばかりで、ついさっきまでその場にいた
男の姿は無し、という仕掛け。
ああ、『少女仮面』の甘粕大尉だなと思います。
こういう時、唐さんは前に上手くいったアイディアを援用します。
気に入った仕掛けは何度も使い、繰り返しの中に新しいトピックを
盛り込んでいく。こうした積み重ねが唐さん流で、実に堅実です。
突拍子もないようでいて、地に足がついている。
工夫を凝らす人間・唐十郎の面白さが、『吸血姫』トップシーンに
溢れています。
2021年11月27日 Posted in
中野note
この場面は撮影OKでした!
今日は鼓童を観てきました。
渋谷のオーチャードホールです。
齋藤もついにこの大きなホールの舞台裏を司るようになった
のだと思うと、感慨深いものがあります。
ロビーのそこここには以降のポスターが貼り出されていて、
いずれもバレエとか、年末のジルベスターコンサート、
年始のニューイヤーコンサートの類です。
これらの高級系はちょっと私たちには縁遠い。
実にヒューマニティー溢れる鼓童さんから
このホールに入っていけたところに齋藤の幸運を感じます。
開幕一番、舞台情報から大量の提灯が降りてきて、
さすが40周年アニバーサリーと思うと同時に、
ははあ、これが並べるのに苦労していると齋藤から聞いていた
仕掛けだと、得心がいきました。一点一点に応援されている皆さんの
気持ちがこもった提灯です。あだやおろそかに扱えません。
齋藤はきっと緊張しながら、真心をこめて作業にあたったに
違いありません。甲斐あって、とってもキレイで壮観でした。
提灯といえば、
私たちが初めて浅草でお世話になった2009年『下谷万年町物語』の
時にも、浅草寺界隈のさまざまなお店が提灯を出してお祝いして
くださいました。あの時、私たちは初めて、提灯を出して応援する
という風習自体を学ばせてもらったのです。
世の中にある心の尽し方というものを、そうしてひとつひとつ
教わってきたように思います。
鼓童さんのパフォーマンスは相変わらず圧巻で、
時にコミカルだったり可愛らしかったりもしながら、
ガチンコ勝負の2時間でした。
あの肉体を見ていると、いつもマンガ『バキ』を思い出す。
範馬勇次郎の背中に浮かぶ鬼は、あながち嘘ではないのだと
思い知らされます。そして、クライマックスのラッシュ、ラッシュ。
あの無呼吸連打には、いつもながら溜まっていく乳酸が透けて見える
ようです。観客全体がアレに巻き込まれて呼吸できなくなり、
パフォーマーが打ち込み切ったあとに、会場全体が一気に酸素吸入する
快感が訪れます。
終演後には、邪気を払うような清々しさが劇場を覆いました。
二度伺った佐渡を思い出します。仕事のあい間に車で小佐渡を駆け回った
充実の数日間。劇団員や家族に見せたい景色です。
2021年11月27日 Posted in
中野note
2012年秋の『吸血姫』唐ゼミ☆上演です。写真は伏見行介さん。
土岐泰章がいます!
明後日には『吸血姫』ワークショップが始まります。
そう。この前の日曜を以って『少女仮面』を終えたのです。
けっこう駆け足に『少女仮面』を終えたのは、
大長編である『吸血姫』に時間を割くためです。
シミュレーションしてみた結果、やはり8週間はかかる。
尻すぼみにロンドンに行きたくないので、ちょっと急ぎました。
それにしても、『少女仮面』のエンディングは、やはり苦かった。
テント上演を想定していないからかも知れませんが、
最後にどうにも突き抜けません。
「春日野八千代」を名乗った初老の女が、今後もそれを貫くのか、
それとも、ここで宝塚のスターたる衣裳を投げ捨ててしまうのか、
その終幕からは判然としません。
上演にあたる演出家や現場に委ねられている感じなのですが、
貫くにせよ、退くにせよ、ヒロインの心はどうにもギリギリで、
一緒に喫茶〈肉体〉にしがみついてきた「ボーイ主任」とともに、
崖っぷちという感じです。たいへんに辛い。
考えてみれば、『少女仮面』は初めて、
自分が実際に上演したことのない作品を取り上げました。
自分が未上演の理由として、ひとつには他団体による上演の多さが
挙げられますが、このエンディングの苦さも、自分にはハードルです。
やはり、劇には希望を持ちたい。
唐さんの劇は、特にテントを開発して以降の劇は、
例えどんなに主人公たちが追い詰められようと、
あらゆる障害を蹴飛ばして明るい。そこが魅力です。
かなりヤケクソな感じがする時もありますが、
不幸も極まるとこれを突き抜けてしまい、どうでも良くなる。
そういう仕掛けです。
一方、同じ少女をテーマに、集大成的な痛快さに至るのが
『吸血姫』だと思います。不幸の総量はこちらの方が膨大なのですが、
エネルギーが圧倒的です。これこそ、唐さんが60年代後半に
追いかけ続けた「少女もの」の集大成に違いありません。
『吸血姫』WS。充実の年末年始を約束します。
2021年11月26日 Posted in
中野note
今頃になって、"風喰い"という言葉の意味を知りました。
『唐版 風の又三郎』初演のポスターの右サイドにはキャッチが
載っていて、それにはこうあります。
風の又三郎、風喰いの地より出でて魔都へと吹きぬける!
南は九州福岡筑前より坂東は夢の島魔都を射る。
"風喰い"・・・、てっきり唐さんの造語だと思っていたのですが、
そうではありませんでした。
"風喰い"とは九州の言葉で、
まるで風を喰らうように各地を渡り歩く者、
すなわち"芸人"のことらしいのです。
唐さんは夢野久作の『犬神博士』の一節からそれを知り、
であるならば、宮沢賢治の代表的登場人物「風の又三郎」こそ、
典型的な"風喰い"だと、連蔵したとのこと。
ここから、転校生とはすべからく芸人である、"風喰い"である。
とこういう風に考える。いかにも唐さんらしい論法です。
今日は、決して忘れないようにここに記しました。
公演が終了した後に、唐さんの思いのたけを知ることがあります。
これを知っていたら上演がどう変わったか、
まだ整理がつきませんが、またひとつ、接近しました。
ともかく、"風喰いの地"とは九州のこと。
これで意味が通じました。ただロマンチックな言葉を書いている
だけではなかったのです。
今日の勉強おわり! 今夜のゼミログは短めで締めます!!!
2021年11月25日 Posted in
中野note
呉茂一さんの文庫本を読んでいます。『世界の神話入門』。
先日、関内の有隣堂に平積みされているのを発見しました。
昔に絶版になっていたのを文庫化して、最近に出たものらしい。
最近、実務で煮詰まっているので、一息つくために買いました。
小さい頃からプラネタリウムと『聖闘士星矢』、
『ファイナルファンタジー』に親しんできた私は神話が説話が好きで、
折に触れて世界各地のものに触れてきました。
2020年2月に残念ながら亡くなった横浜ボートシアターの
遠藤啄郎さんは、面白い先輩演劇人であるというだけでなく
この趣味を共有し、未知の話を披露してくださる方でした。
それまで疎かったアジアや中東、アフリカの神話について、
遠藤さんは教えてくれたのです。
唐さんはといえば、ホメーロスが好きです。
かつて、文芸誌のアンケートで好きな作家を訊かれ、
『イリアス』『オデュッセイア』のホメーロスと
『雨月物語』の上田秋成が自分のあんちょこだと答えています。
現在の岩波文庫は松田千秋さんによる散文訳ですが、
昔は呉茂一さんの韻文訳で、唐さんが親しんだのはこちらでしょう。
私も韻文の方が、スピーディーに読めるので好きです。
タイトルに「入門」とあるこの本、なかなかの内容です。
殊に、呉先生が専門のギリシャだけでなく、日本の神話や説話を
たくさん例にあげて両者を対比しているのが面白い。
読んでいると、唐さんが2004年秋に上演した『眠りオルゴール』で
言っていた「私、『トロイ』という映画を見ました・・・」という
ユーモラスなせりふまでもが甦ってきます。
2021年11月23日 Posted in
中野note
今日は劇団集合でした。
以前は直接に集まるのが普通でしたが、
今は話し合いや本読みなど、Zoomで事足りる場合はリモートで、
物を直接に扱ったり、会議の重要性によっては直接に、
そういう具合に集合の仕方を分けています。
今日は久々の集合日。
前回の『唐版 風の又三郎』でご支援を頂いた皆様に、
オリジナルの御礼状を書こうということで集まりました。
劇場の前に立てていた御茶ノ水地図看板をハガキに
仕立て直したものに、コメントを寄せて発送します。
あとは、最近の我が家の整理整頓の中で発掘した
『黒いチューリップ/盲導犬』の上演台本を配りました。
2005年10月に関わった新国立劇場での公演に使ったものです。
多めに擦ったのを公演終了着にもらい受け、引っ越しの時も
一緒に移動してきましたが、さすがに大量すぎるので
みんなに配ろうと思いました。
特に『黒いチューリップ』の台本は貴重品です。
『盲導犬』は文庫本や作品集に収められていますが、
『黒い〜』は文芸誌に載ったきりなのを私が古本屋で発見して、
当時の劇団員で手分けして文字起こししながら作ったものがこれです。
血と暴力、愛憎うずまく物語でなく、
どこかのどかで可愛らしいのがこの台本の魅力です。
そういうおもしろ味は現在の方がわかるし、
緩急のつけどころを体得した今の状態で上演したらどうな風になるだろうと、
久々に台本を手に取りながら考えました。
いずれワークショップ、劇団の本読みでの取り上げ、復習してみたいこの台本。
ニコニコと劇中歌を聴いていた教授時代の唐さんも一緒に思い出されます。
2021年11月20日 Posted in
中野note
↑『状況劇場劇中歌集』。もとは『音版唐組』というタイトルの
カセットテープでPARCOから出ていたCDです。
劇団員たちと『二都物語』を研究し始めました。
私が作った台本をもとに皆で本読みをする。
文字校正をしたり、単行本や全集など版の違いも確かめながら
上演台本データを完成させる。何より内容を追究し、理解する。
劇団唐ゼミ☆のルーティンです。
かなり昔、まだ学生だった頃、
唐さんに『二都物語』の上演を希望し、却下されましたことがあります。
確か2004年のお正月、唐さんのご自宅にお年始に伺った時のことです。
唐ゼミ☆が上演する演目は、
1回目の『24時53分「塔の下」行きは竹早町の駄菓子屋の前で待っている』
2回目の『腰巻お仙 義理人情いろはにほへと篇』を唐さんが決定されて以降、
私は唐さんに申し入れをし、唐さんがそれを許可することで決まってきました。
基本的にはOKしてくださる唐さんですが、時にはそうでないこともある。
例えば、『腰巻お仙 振袖火事の巻』をお願いした時も断られました。
「何を言い出すのかと思っちゃった。あの芝居は、南下興行の帰りの
東京に帰ってくる巡業の時に、客から『つまらなくなったぞ!』と
掛け声をかけられたんだ。」そう、唐さんは言われました。
大きな傷心が唐さんの仰りようから伝わってきたので、
私はその場では諦めながら、いずれ必ず上演しようと誓いました。
あの面白さを復活させて、痛快な作品であることを証明しよう。
そのように、かえって使命感を感じたものです。
一方、『二都物語』の却下の仕方は、それとは全く違いました。
こちらに気を遣われながら断り「あれは李のものだから」と言われた。
その時、やはり『二都物語』は別格だと痛感しました。
確かに筆を動かしたのは唐さんです。
しかし、『二都物語』は飛び抜けて、当時の李(礼仙)さんの
パーソナリティに立脚した演目です。
あの時、唐さんにお願いするために、
私と椎野は『ジャスミンの唄』を練習して唐さんのお宅に伺いました。
椎野がうたう唄を聴いていた時の、あの唐さんの複雑な表情を
私は忘れられません。
最近、『四角いジャングル』がCD化されたつながりで、
私は2011年に復活したCD『状況劇場劇中歌集』をよく聴いています。
『ジャスミンの唄』はとりわけ聴きます。
「♪ああ おまえを見たら 誰が忘れよう」という部分、
何度聴いても胸をしめつけられるような思いがします。
2021年11月20日 Posted in
中野note
↑結婚祝いに、昔アルバイトをしていたコンビニ・スリーエフの
元店長さんがこれをプレゼントしてくれました。宝物です。
ビザの申請と取得に苦労しています。
公演が終わって以来、頭のなかはそのことばっかり。
目的となるお屋敷は目の前にある。
しかし、入り口がよくわからない。
周りをグルグルしながら、扉となく壁となく、
ガンガン叩いている。まるでそんな感じです。
以前、スタンダップコメディアンの清水宏さんと
ダンサーの安藤洋子さんと食事したことがあります。
その時、お二人は海外で仕事する苦労について喋り、
お互いを大いに称え合っていました。
自分は一緒にいて、その時はなんとなしにカッコいいなと
思うばかりで、あまり実感が湧きませんでした。
今になって、こういうことか!と思う。
世間で言われる「ビザは大変だ!」という言葉の意味が、
今や身に沁みます。
唐さんだって苦労しています。
状況劇場がこの難題にぶつかったのは、
1969年の南下興行で行った沖縄公演(当時は返還前)と、
1973年のバングラデシュ公演。
両方とも、プリマである李礼仙さんが止められてしまう。
69年の『腰巻お仙 義理人情いろはにほへと篇』では、
ヒロインを唐さんが代行。かなりヘンテコなものだったらしい。
73年の時には、新人劇団員の男性がヒロインを押し付けられ、
さんざんに苦労する様子が、エッセイ『風にテント 胸には拳銃』に
レポートされています。
両エピソードとも、当時は必死の大問題だったでしょうが、
今から読むとかなり面白い。
現在の自分は、そんな風にあとで笑い話になるだろうことを励みに
さまざまな場所を場所をウロウロしています。
ちょっとずつ突破口も見えてきました。
近所のよく行くインド料理屋の店員さんとか、
その苦労を実感して、心から讃えたくなります。
2021年11月18日 Posted in
中野note
今日は音楽会に出かけました。
演奏家はヴァイオリン奏者のイザベル・ファウスト。
お目当ては、バッハの無伴奏パルティータ第2番。
いわゆる「シャコンヌ」が入った名曲です。
唐さんの台本には、時おりクラシック音楽の指定があります。
代表例は『秘密の花園(82)』のブラームス。
弦楽六重奏曲第1番の第2楽章がクライマックスで鳴り響きます。
他にも、ワーグナーの歌劇『ローエングリン』前奏曲。
『腰巻お仙 義理人情いろはにほへと篇』2幕の床屋で、
バックミュージックに指定されています。
下町の床屋に聖杯伝説にまつわる壮大な前奏曲!
これは完全に、唐さん一流のギャグとしての使われ方です。
などなど。
今夜、聴きに行ったバッハの「シャコンヌ」は、
『続ジョン・シルバー』の1幕1場に指定されています。
さおだけ屋をボーカルとする町内会メンバー有志の
グループサウンズ「ヤングホルモンズ」が結成されると、
舞台である高級喫茶店は下卑た宴会場と化してしまう。
これを嫌ったボーイ主任は、これみよがしにレコードを取り出し、
このバッハの「シャコンヌ」をかける。
これは実に、ギャグとシリアスがないまぜになった使われ方で、
バッハ=高級とするボーイ主任の安直さ、俗っぽさが、
どこか健気で、チャーミングですらあります。
これ以降、ヤングホルモンズとバッハの小競り合いは何度かに及ぶ。
場の最後に至ってこの対決が極まると、
「♪よいこらさあ」で有名な「ジョン・シルバーの歌』が乱入し、
先ほどまでの対決を粉砕してしまう。そういう趣向です。
ちなみに、私が『続ジョン・シルバー』使った演奏は、
旧東ドイツで活躍したカール・ズスケさんによるものです。
有名な演奏はいくつもありますが、大方がロマンティックすぎる。
禁欲的な演奏の方が役者とせりふを引き立つと考えました。
(立派な演奏をしたズスケさんには申し訳ありません!)
今日の演奏は繊細さと陰影の極み。
私にとって人生初の生シャコンヌは素晴らしい体験でしたが、
もちろんヤングホルモンズとの対決には極めて不向き、
『続ジョン・シルバー』には使えません!
2021年11月18日 Posted in
中野note
断りきれずに学課の忘年会の幹事をする大里先生。
わざと銭ゲバ風なこの写真。露悪的に振る舞って勢いをつけないと
貧乏な学生たちから会費を集められなかったのだと思います。
もう日付を跨いでしまいましたが、11/17は大里先生の命日です。
横浜国大の先生だった大里俊晴さんは2009年11月17日に亡くなりました。
あの日は、室井先生とスタートさせた横浜国立大学を含む7大学の
連携サテライト「北仲スクール」のオープニングパーティーで、
私は例によって、宴会隊長をしていました。
乾杯を終えて座が流れ始めると、スタッフ何人かで台所スペースに
溜まって「ほんとはこんなことしてる場合じゃないよな・・・」と
大里先生の話をした記憶があります。
北中スクールは希望に燃えていましたが、
私たちにとってもっとも親しみやすい先生だった大里さんの死は、
大きな喪失でした。
自分にとって、
唐さんは謎めいた吸引力を持つ巨大な先生。
室井さんは、唐さんを目指す自分の専属コーチ。
大里さんは、いつも友人のように接してくれる先生でした。
大学1年生の時から、
私は古本・中古レコード屋状態の研究室に遊びに行っては、
大里先生と話をしました。
そう。大里先生には話を聴きに行くのでなく、話をしに行く感じ。
他の先生たちに比べて格段にフランクなのです。
先生の好きなまるごとバナナを生協で買って、遊びに行くような感覚でした。
シャイで、頼み事を断りきれない先生は、
常にレポートの提出期限きっかりに、逃げるように研究室を後にしました。
理由は簡単。遅れてきた学生に泣きつかれた場合、
それを退けるのにかなり苦労するからです。
そんな大里先生を研究室を訪ねては、
見るべき映画や読むべき本を、私はたくさん指南してもらいました。
昨日から自宅の本棚を整理していると、
何冊かダブっている本があって笑ってしまいます。
膨大な資料に埋もれた大里先生はいつも整理が追いつかず、
講義や執筆の準備にかかると、すでに持っているはずの本を即座に
買ってしまうのです。筋金入りの先生はトリプルも珍しくなく、
その境地にはかないません。
純情な先生を想って、音楽かけながら本を整理しています。
大里先生を真似て、今日は夜行性です。
2021年11月17日 Posted in
中野note
『黒いチューリップ』の掲載された「海」は懐かしく、
現在より情報の乏しかった学生時代にやっと手に入れて台本を作りました。
いつか書籍に入って欲しい台本の筆頭です。
現在、11/17(水)AM2:36。
16日の夕方に届いた本棚を整理し始め、ようやくひと段落つきました。
もちろん、ずっとかかりっきりだったわけではなく、
食事や風呂や、飛びかかってくる子どもの相手、
新たな本棚を導入するために生じた旧の家具の解体など
そんなことをしながら現在に至りました。
これは、かなり愉しい作業です。
特に本棚の一番良いところに唐さんのコーナーがデンとしています。
単行本のみならず、今回は特に戯曲が初掲載された文芸誌や演劇誌を
並べたくて整理整頓を開始しました。
これで、気になるたびに行っていた段ボールをひっくり返す作業とも
おさらばです。簡単にアクセスできるために、探すのを面倒がって
もう一冊買ってしまおう、などという営みからもこれで開放されます。
思えば2017年あたりから、私の段ボール積み上げ生活は始まりました。
6ヶ月を過ぎたサネヨシが棚という棚を荒らすようになり、
KAATでの仕事が始まった頃から、劇団をどのように続けていって良いか、
ちょっとわからなくなっていたのです。
室井先生のおかげで引っ張りに引っ張ってきた元唐十郎研究室から
徹底した引っ越しを計画したのも同時期でした。
新たな本を買う、唐さん関連の本が手に入る→唐研の本棚に突っ込む、
という流れを十数年にわたって実践してきましたから、その量は膨大で
めまいがしました。
それが、Handi Laboとの出会いから第一段階の落ち着きを見せ、
2019年には再びテント公演ができるようになりました。
2020年の始まりとともにやってきた新型コロナは今も厳しいけれど、
リモート環境が整備されたおかげで、オンラインWSも盛んになり、
来年イギリスに行っても、遠隔で行う劇団メンバーとの唐作品探求を、
着実に継続できそうです。
自前の唐さん関連書籍の中には、これまで実家の本棚に溜めて
しまっているものもあります。今度帰省して、これは送り返したい。
自分で買っただけでなく、これまでに多くのファンの方から
頂いてきたもの、チラシやチケットといったものもあります。
今後はこのゼミログで紹介していきたいと思います。
2021年11月13日 Posted in
中野note
最近、家の本とCDを整理しています。
息子・サネヨシが生まれてから、我が家の本棚の前にはバリケードが
敷かれるようになりました。理由は単純、乳児や幼児というものは
こちらが大事にしているものに限ってこれを嗅ぎつけ、
荒らしていくからです。
サネヨシが人間らしくなってきた矢先、
うちには娘のリンコもやってきて、兄も増してお猿さんな妹のために、
バリケードはより屈強になりました。
しかし、このままでは、あまりに資料にアクセスしずらい。
数ヶ月後に渡英する身としては、
LINE電話で椎野に資料を当たってもらう光景が容易に想像できます。
これは、なんとか整理をつけていかなければ!
リンコの背の高さ、身体能力を考えると、
とにかく空中戦で勝負するしかない。
というわけで、近日中に新たな本棚が届きます。
高い部分に、唐さんの関連書籍を文芸誌も含めてズラリ並べるのが目標です。
と、思って整理していたら、上記のCDが出てきました。懐かしい。
安保由夫さんが私たちのために仕立ててくださったものです。
中には、『夜叉綺想』に挑んだ際に必要だった劇中歌のデモが
入っている。安保さんが伴奏のお手本を示したり、
特別に弾き語りしてくださったものです。
文字を見ていると、ああ、安保さんだなと思います。
震えるように立っている。そういう繊細な印象が私にはあります。
字もそう。唄声もそう。
こういった一点ものは、本棚のとりわけ高いところに置く予定です。
2021年11月12日 Posted in
中野note
昨晩、大好きなヴィソツキイについて書いたところ、さる方から連絡をもらいました。
唐さんと若い頃からのお仲間なのですが、
やはり筋金入りのヴィソツキイ好きらしいのです。
今や私のようなファンはCDを買い求めることができますが、
かつては秘蔵のカセットテープがファンの手から手へ。
そういう感じだったのだとも伺いました。
レコードは一枚も出せなかったけれど、誰も彼をが彼を知り、
彼の唄を知っている。発禁であることをスパイスにしてしまうパワー。
ソ連といえば、自分はミハイル・ブルガーコフも大好きで、
代表作の『巨匠とマルガリータ』はもちろん、
『運命の卵』『犬の心臓』など、何度も読んできました。
数年前に新書で出た『劇場』もニヤニヤしながら読みました。
こうして発禁ものに触れていると、
まさに「書かれた原稿は燃えない」ということを実感します。
唐さんの発禁ものといえばキングレコードから出た『愛の床屋』です。
回収となったものの、ほどなくして出た『四角いジャングルで唄う』には
ちゃっかり収められていて、特にお咎めも無し。
セットリストの一部ならOKという緩さが面白いところです。
唐さんは、あのつるりとしたお顔立ちや伸びやかなテノールが
魅力的ですが、特に若い頃のご本人には、深く刻まれた皺や
いがらっぽい声についてのあこがれがあったそうです。
ボソボソと喋っているのに、ノイズ混じりの声が多彩なニュアンスを持つ。
そういう風になりたかった、と。
唐さんにとって、韓国の親友・金芝河さんの声には
そういう魅力があったと伺いました。野太く、深く灼けた声。
私自身の声もつるりとしているので、大いに共感します。
2021年11月11日 Posted in
中野note
ずっとウラジミール・ヴィソツキイを聴いています。
特に『オオカミ狩り』という唄が好きです。
タバコで焼けた声で叩きつけるように
訴えるべきことを訴えるために唄っている。
彼の唄を聴いていると、これぞ役者の唄い方という感じがします。
以前に静岡芸術劇場にもやってきていたタガンカ劇場。
演出家のユーリー・リュビーモフが率いるこの一座で、
かつてヴィソツキイはハムレットを演じました。
ギターを手に弾き語り、レコードは一枚も出せなかったけど、
ソ連の誰もが彼の唄を知っていた。そういう人でした。
なぜ彼を思い出したかというと、
ワークショップで『少女仮面』に取り組んでいるからです。
第二場「開眼」のくだりで、「マリナ・ヴラディ」というフランスの
大女優の名前が出てきます。
そこから、劇にはぜんぜん関係ないヴィソツキイを思い出してしまった。
彼がマリナ・ヴラディの3番目の夫だからです。
そしてこの唄を聴けば、大女優が惚れ込むのにも納得してしまう。
燃えたぎる魂を持ち、それをダイレクトに伝える手段が結びついている。
まさに選ばれし者。それが命を削って唄っている。
ウィキペディアによると、ロシアの国営テレビが調査した
「ロシアの英雄」投票で第4位に輝いたそうです。ちなみに、
1位 ニコライ2世 2位 スターリン 3位 レーニン だそうです。
なんという支離滅裂な並び!
皇帝・独裁者・革命家・詩人にして役者が一堂に会する......深淵です。
それはさておき。
今日は劇団集合でした。オンラインでの会合。
公演をやっていると、どうしても近視眼的になります。
やっと片付けを終えるところまでのことしか考えられなくなる。
今回は毎週日曜に行うワークショップのことだけは先に
決めていましたが、肝心の劇団活動をルーティンについては
どうしてもなおざりになっていました。
そこで、これではいけないと思い先週から集合を再開しました。
近況を報告したり、未上演の演目を研究したり。
という地道な日常を回復させていきます。
来年は自分がイギリスに行くので公演が組めないけれど、
帰ってきた後のことを構想し始めています。
2021年11月11日 Posted in
中野note
↑映画『新宿泥棒日記』の中、『アリババ』の劇中歌を弾き語る唐さん。
『ジョン・シルバー』や『アリババ』を初演した頃の唐さんは、
野心に燃えていました。
以前にこのゼミログに書いたこともありますが、
例えば、当時、気鋭の映画監督として問題作を連発していた大島渚監督に
接近するために、監督が現れるというゴールデン街のお店で待ち受け、
友人・足立正生さんとわざと大ゲンカを演じて見せて、
その目にとまろうとしたそうです。
果たして、『新宿泥棒日記』が成るわけですから、
この目論見は成功しました。あの映画の中には唐さんがギターの
弾き語りをする場面がありますが、あれは『アリババ』の劇中歌。
そんな唐さんにも、会いたいけれど会えなかった、
あと少しというところで接触の予感がありながら、
ついに仕留めきれなかった人物がいます。
三島由紀夫さん。
唐さんとしては会いたかったらしいのです。
親交のあった澁澤龍彦さんや土方巽さんらが三島さんと
親しかったこともあり、会える予感が充分あったそうなのです。
けれど、会えなかった。
唐さんの感触では、状況劇場の芝居の情報は三島さんに届いていて、
『ジョン・シルバー』『アリババ』というタイトルに、
三島さんが大いに関心を持っていたと、先のお二人から伺ったそうです。
もう少しで会えるところだった。私はそう唐さんから教わりました。
そういえば、三島さんの初期戯曲『愛の不安』という台本は
『アリババ』にそっくりな物語です。
若い男女がいて、彼らが海辺の倉庫にしけこんでいると、
将来に彼らが堕胎することになる子どもが船員服を着て現れ、
恨み言を言います。発表は1949年。面白い一致です。
2021年11月10日 Posted in
中野note
↑ヤフオクにこの『アリババ』舞台写真が出品されている。価格は9,000円。
ポスターとか写真の類には、手を出さないようにしています。
高くって!
目下、研究中の『アリババ』。
唐さんの初期には謎めいた演目がいくつかあって、
正確に作品番号を振るのは難しい。
街頭劇『ミシンとコウモリ傘の別離』
『渦巻きは壁の中をゆく』『腰巻お仙 百個の恥丘』
『月笛葬法』など、謎めいた演目がいくつかあります。
まさに試行錯誤の段階と云えます。
20代半ばの唐さんが初めて手応えを感じた作品はといえば、
『ジョン・シルバー』がそうだったのではないかと、自分は考えています。
自分が生まれ育った戦後や下町と行ったバックグラウンドと、
遠くにあって憧れていた文学上の人物が交差する。
完全なオリジナルではなくて、組み合わせに唐さんの妙がある。
その後、原作や元のキャラクターがいる作品名を、
唐さんはいくつも生み出します。
先月まで私たちが取り組んでいた『唐版 風の又三郎』も勿論同じ。
そんな唐さんが『ジョン・シルバー』の次に書いたのが、
『アリババ』でした。原作は『アリババと四十人の盗賊』。
唐さんは主人公「アリババ」を、父親になりきれぬ一人の男として
描き出しました。このあたり、生活に染まらずにあくまで冒険に固執する
「シルバー」と酷似しています。
ははあ、そういう事だったんだな、と、
今回初めて重点的に研究してみて、かなり腑に落ちました。
同時に、この台本には、すでに『腰巻お仙』シリーズや
『少女仮面』をも射程に収めた伏線が張られています。
上演時間60分ほどのコンパクトな劇ですが、
内容がギュッと詰め込まれています。
サイズから云っても、堕胎して捨てた子の復習を恐れる若夫婦
という内容からしても、興行にかけにくいのは明らかですが、
こういうものを探究できるような場をつくれないかな、と思います。
これから誤字脱字チェックや、劇団員との本読みの素材にします。
その上に、果たして発表の場を組むことができるのか。自分への宿題です。
2021年11月 5日 Posted in
中野note
昨日のテツヤさんとの配信番組を通じて、
子どもの頃にみた舞台を思い出しました。
名古屋の教員だった母が入会した「おやこ劇場」。
母親に連れられて多くの舞台に接したはずですが、覚えているのは二つ。
劇団うりんこの『ファウスト』とマルセ太郎の『泥の河』。
とりわけマルセさんの舞台は突出していました。
原作は宮本輝さんで、映画化したのは小栗康平監督。
けれど、そういう背景を私は後から知りました。
演じたのが「マルセ太郎」であることすら、当時はわかろうはずもなく。
確か、前段でマルセさんは少しお話しをされました。
何か芸をしろと言われて、咄嗟に「ツバメ」の模写をしたと云う話。
それが、ご自身の芸人として原点を語ったものかどうかは
覚えていませんが、片足立ちにピンと四肢を伸ばしてツバメの形を
マルセさんがつくったこと。それが客席にウケて、
会場がほぐれていった様子を記憶しています。
それから、いつの間にか「スクリーンのない映画館」に
入ってゆき『泥の河』の世界に。
主人公は食堂を営む一家の息子。
ある日、転校生がやってきて友人になります。
そこから一気に私の記憶は飛んで、お祭りの日の描写になる。
主人公のお母さんから二人分の小遣いをもらった少年たちが
勢いこんでお祭りに出かける。
が、いざ夜店の前に立つとポケットは空っぽ。
友だちに預けたはずの小遣いは、彼のズボンのポケットに空いた穴から
こぼれて落ちてしまっていました。
バツの悪さに、友だちはサワガニに火をつける遊びを主人公に披露します。
火をつけるとキレイな炎をあげながらカニは死ぬ。
必死に主人公に罪滅ぼししようとする友だち。
それから、友だちに連れられて彼の住まいである船に連れられて行くと、
商売を終えたばかりの友達のお母さんを主人公は見てしまう。
マルセさんは、映画を観ながらご自身がいかにこのシーンを恐れたか、
観客に語りました。寝乱れた女性が出てくるのを想像して、
どうにも耐えがたかった。。そんな描写は頼むからやめてくれと思った。
そう言われました。
でも、友だちのお母さんは凜として、髪に乱れひとつ無かった、と。
そのお母さん役は、加賀まりこという女優さんが演じたと、
教えてくれました。
翌日、すでに件の河に友だちの暮らす船は無く、
どこかへ行ってしまったというエンディングが披露されて、
マルセさんのひとり舞台は幕を閉じました。
細かな設定はよくは分からなかったけれど、
世の中には様々な境遇があって、人がしくじってしまった時のバツの悪さや
見てはならないものを見てしまった時の気後れが自分にも刻み込まれ、
だいぶ落ち込んだり、心を傷つけられたように思います。
だけど、圧倒的な吸引力で自分はあの舞台を観てしまった。
そんな思い出です。
・・・今日はあえて、裏を取らずに記憶だけで書いてみました。
原作や映画に当たれば、自分の記述の中に簡単に
誤りが見出されるようにも思います。
でも、当時10歳に満たなかった自分はこんな風に受け取りました。
人間には、無意識に記憶を改竄するクセもあります。
あるいは上記の描写も、後から補正されたものかもしれません。
が、まあ、とにかく。サワガニのくだりの痛々しさを、
30年以上経った今も自分ははっきりと覚えています。
気になって、YouTubeに「マルセ太郎」で検索してみましたが、
『泥の河』の動画はヒットせず、ちょっと安心しました。
DVDとか手に入ったら絶対に観てしまうだろうけれど、
小学校低学年の記憶のまま取っておきたい願望も強くあります。
テツヤさんからの宿題は「子ども向けの舞台を構想してみないか?」
『泥の河』に震撼してすっかりおじさんになった自分は、
これから何をつくったら良いか、一旦、迷子になっています。
2021年11月 5日 Posted in
中野note
↑最初に覚えている舞台は、マルセ太郎さんものものです。
今日は木曜日。
しかし、昨日が祝日だったために何か調子が狂いますね。
やるべきことはいいくつもありますが、
初夏から先月にかけて散乱した資料を整理すべく、本棚を注文しました。
新たなものが来たら、唐さんの戯曲を中心に資料をズラリ並べる予定です。
特にワークショップを始めてから、
押し入れの段ボールをひっくり返して関連資料を探す機会が増えました。
作品が影響を受けた小説を探す時なんか、タイムアップを悟って
本屋で新たなものを買って解決してしまうことも数度。
これではいけないと思いました。
かつて大学時代に教わった、今は亡き大里先生がまさにこんな感じで、
だから、先生の周りには同じ本が3冊もあることがざらでした。
今やその気持ちがよくわかる。しかし、11月中に整えよう。
そう思って、朝や夜、仕事の合間の時間に整頓を始めています。
また、夜には毎月恒例となったテツヤとの配信をしました。
どんな手続きを経てロンドン研修の申請をしたのか、
そんな話もしましたが、なんと云ってもメインは、
帰国後につくる舞台について。
テツヤから、子ども用の舞台はどうだろうという振りがあり、
小学校低学年の時に名古屋で観たマルセ太郎さんの舞台の話をしました。
マルセさんのヒット作「スクリーンのない映画館」の『泥の河』を、
私は小学2年の時に名古屋港駅近くのホールで観て、
脳天をブチ抜かれました。
今からすれば、よくまあ、
主催者はあの内容を子ども向け鑑賞会にかけたものだと思いますが、
今も、いくつかのシーンをはっきり覚えていて、
それが「マルセ太郎」というヴォードヴィリアンによるものだと
認識したのは、大学に入ってからのことでした。
この話は長くなるので、また明日に続けましょう。
2021年11月 4日 Posted in
中野note
『下谷万年町物語』一幕より三人のオカマ。尻からサフランが咲く。
あんな下品な劇。
唐さんの作品を上演していると、そう言われることがあります。
自分としては、唐さんには品があり、作品もまたキレイだと思うのですが、
例えば、『下谷万年町物語』を上演している時にそう言われました。
あの芝居、私にとってはキレイの塊みたいに感じる。
上野や浅草への懐かしさに溢れていて、何より、
物語を通して出会う仲間たちと劇や劇団をつくろうとして立ち行かない、
その有り様に、強烈に青春の希望と挫折を感じさせる。
誰にもよくある話。
そして、全体にセピア色で、胸が痛くて、甘やかな話。
けれど、観る人によっては劇の冒頭に出てくる場面で、もうアレルギー。
舞台全面に設られた池から三人のオカマが尻を突き出す。
その突き出された尻には、ご丁寧に一本一本サフランが突き刺さっている。
これだけでもうダメ。
この芝居に取り組んでいた時、実家通いの出演者に
「親御さんは観にきたの?」と訊くと、言いづらそうに
「母はきたのですが、一幕で帰りました」と。
どうも、冒頭の尻とサフランが受け容れがたく、お帰りになったらしい。
それは、ごめんなさい。面白い芝居を懸命にやっている。
劇を見て役者業の味方になってもらいたかったけれど、
どうやら逆効果だったらしい。
こんなことを思い出したのは、
目下研究中の『アリババ』のワンシーンの影響。
唐十郎フリークの私にも、どうしても受け容れられない場面
と云うのが、ないわけではない。
それは、洗面器に入った液体を飲む、という場面。
『アリババ』の序盤にはそんな場面があって、
貧乏な若夫婦のもとに謎めいた老人がやってきて、
背中に背負った赤ん坊をアピールする。
ふと気づけば、老人の姿はなく、残されているのは洗面器ばかり。
しかも、その中には赤い水が並々とあり。
「赤ん坊のオシッコかな。かいでごらん」と旦那が妻いに言う。
けれど、妻は「甘いにおいがする」と言って、一息にこれを
飲んでしまう・・・
これですね。サフラン尻にはゲラゲラ笑いの私ですが、
かなり抵抗を感じる。なんだかバッチイなあ。
そう思って、どこか怖気がする。
そういえば、私が初めて観た紅テント、
初めて観た唐さんの芝居は1999年春公演の唐組『眠り草』ですが、
あの中にも一幕に洗面器の水をが出てきた。
しかも、主人公の青年が手を洗ったその水を、
ヒロインが飲み干してしまう、という場面。
稲荷卓央さん、飯塚燈子さんが演じた光景を私はまざまざと
覚えていて、やっぱり、すごい抵抗感だったことも、
『アリババ』読みながらまざまざと思い出しました。
すみません、唐さん。
かなりかなり共感して追いかけているのですが、
これだけは克服できていません。風呂に入ると、ビクリとします。
2021年11月 2日 Posted in
中野note
↑私たちの原点『唐十郎全作品集 第一巻』。いつでもここに帰ります。
今日の早朝になって佐々木から連絡が来ました。
どうやら、昨日上げるはずだったワークショップレポートに苦慮しているらしい。
訊けば、九州に向かっているらしいのです。なぜ?
劇団員には、それぞれ独自に継続している仕事があります。
例えば、劇場の床面の木材の張り替えとか。これは斎藤がもらってくる仕事。
他にも、あるバレエスタジオを公演を行う時に、朝にリノリウムを設えに行き、
夜、終演後にこれを片付けに行く。これは椎野の引き。
他にも様々ありますが、その中に、学校周りをしている劇団に出演する
というものがある。
これは確か、元劇団員の熊野がかつて唐組にいた気田睦さん
(私たちの『唐版 風の又三郎』初演で「大学生」を演じ、
竹ざお捌きがスゴかった。さすが気田さん!)
から引き継いだ仕事で、熊野の在団当時から米澤にも引き継がれ、
今や、佐々木がこの仕事を受け取っているのだそうです。
拠点のある厚木で演目を準備したら、あとは各地を巡る。
唐ゼミ☆にも地方公演の経験がありますが、最後に行った
2015年の東北野外劇ツアー以来、だいぶご無沙汰しています。
やはり各地を公演して回りながら役者業で収入を得るというのは、
演劇人の夢です。旅から旅をして、各地の人たちと出会いと別れを
繰り返す。現場の目まぐるしさと云ったら無いでしょうが、
やはりステキに違いない。
佐々木のワークショップレポートは今日中には上がるらしい。
移動時間の中で彼女がパソコンなりケータイにしがみついている光景が
容易に想像できます。
・・・というように、
今、劇団員たちはそれぞれの仕事に当たっています。
何人かは昨日、長野に行ったらしい。
米澤は年末に控えた稽古をしているらしい。
次の集合は11/5(金)なので、その時にまとめて聞きます。
私はといえば、年明けの渡英に向けて、
いよいよビザの申請とか、航空チケットを手配しなければならない。
けれども、公演中にお世話になった方へのお礼や、忙殺されていて
対応できなかった用事に対応し直す作業に追われています。
昨日は、あっ、11月だ!と思って
初期の唐十郎戯曲『アリババ』の研究を始めました。
唐さんはいつも、11月に春公演の芝居の執筆に当たっていました。
だから真似をして、公演準備で乱れたルーティンを回復させるためもあり
早朝から台本に向き合う。
堕胎した子どもたちに対する想いが、若夫婦を苛む話です。
劇の冒頭シーンに打ち込んでいたら、我が家の5歳と2歳が起き出してきて
暴れはじめ、笑ってしまいました。
芝居と現実がだいぶ違いますが、そこは想像力で補おう。
がんばれ、佐々木!
2021年10月31日 Posted in
30_延長戦 唐版 風の又三郎 Posted in
中野note Posted in
公演記録
先ほどまで『少女仮面』WSをしていました。
レポートは明日、アシスタントの佐々木がしてくれます。
皆さんと台本を読んだ興奮もあり、気持ちを切り替えてこれを書いています。
10/17(日)の千秋楽を終えてから今日で2週間が経ちます。
ハンディラボでの片付けを終えてホッとしながらも、
私たちは緊張感を持って過ごしてきました。
日付が変わったところで、コロナ的にも一区切り。
そのような感慨で今を迎えています。
最後のカーテンコール。「エリカ」を演じた禿恵です。
☆禿恵(とく めぐみ)
禿とは大学入学と同時に会いました。同じ学課の同級生。
彼女の姓の頭文字は「と」、私は中野だから「な」。
隣り合わせの学籍番号を持つ私たちは同じクラスに配属されました。
初対面の時、彼女の髪の毛はオレンジ色。
興味の対象が違うことは明らか、ひと目で話の通じない相手だと判りました。
こちらは名古屋から来た演劇青年、唐さんに教わることだけを目標に
入学したのです。これからたくさんの舞台を観る、戯曲を読む、
何とかして芝居づくりにたどりつく。そのことだけを考えていました。
私たちが関わったのはそれから約一年後。
こちらが先行して入っていた演劇サークルに、なぜか禿と椎野が入ってきた。
彼女たちはそこでは裏方をしていましたが、そのあと数ヶ月後、
いくつかの理由があって私たち三人揃ってサークルをやめることになった。
そして唐さんに鍵を借り、木曜日の他は教授のいない唐十郎研究室に
入り浸るようになった。何をすれば良いか分からなかったけれど、
集まって話をするようになりました。
大学3年生になった時、私たちは正式な唐十郎ゼミナール生となり、
お題を課せられます。唐さんの選ぶ『腰巻お仙 義理人情いろはにほへと篇』
を上演するべし。当時はちんぷんかんぷんでしたが、私も役をやるように
言われ、禿と椎野はダブルキャストで「お仙」を演じました。
先陣を切ったのは禿。
第三幕を稽古していた時に、禿が異様な集中を見せ始めた。
唐さん得意の長ぜりふを最初にものにしたのは彼女でした。
大学3年といえば、人並みに将来に迷う時期です。
劇全体は滅茶苦茶だったけど、あの長ぜりふからエンディングに至る
感触が、私をほんとうの意味で劇の道に、唐作品へと惹きつけました。
以来、禿には回り道をさせてしまいました。
当時の禿には美容師になりたい夢もあり、椎野が主役になっていく。
『盲導犬』で再び主演もしたけれど、対抗馬のクセの強い役ばかりをやって、
禿はともすれば、面白い人になり過ぎてしまった。
『黒いチューリップ』の「ノブコ」、『鐵假面』の「暁テル子」
『木馬の鼻』の「群馬(ぐんま)」はストレートに似合いで、
変わったところでは、『下谷万年町物語』の「軽喜座の座長」や
野外劇版の『青頭巾』で演じた「カラス」が印象深い。
それから、これは実際に演じたわけではないのだけれど、
『お化け煙突物語』の稽古中にやってみせた「蜂丸」のせりふ
「夏が来れば、思い出すだろ?」には抱腹絶倒しました。
別に何ということはないせりふにも関わらず、
出身である福井県と禿独特のイントネーションのブレンド、声色が
ひねこびて恨みがましい役柄と相まって、今も耳にこびりついて離れません。
禿は、平地と見える場所にお宝を掘りだし、
何でも無さそうなせりふを、独自の感性でコミカルにする名人になった。
それが、椎野の妊娠とともに『腰巻お仙 振袖火事の巻』から真ん中に戻ってくる。
禿が一番に覚醒した『腰巻お仙』シリーズでのヒロイン復帰。
年齢的にはかなり強引なセーラー服姿は計算通り面白く、
禿がトップに出るおかげで、唐ゼミ☆公演に笑いの要素が増えていく。
『ジョン・シルバー三部作』の「小春」も、禿が演じると妙な面白さにつながる。
失踪した夫を追いかけ回す姿は椎野がやれば剛速球の狂気になり、
禿がやれば可笑しさと哀しみが共存して、その粘着性が際立つ。
この『三部作』は思い出深い。我ながら、さらに派手な構えでやれば、
もっと禿が評価されるはずだと思う。それだけの仕事を彼女はしました。
『唐版 風の又三郎』初演を終えた時、自分は禿に不満でした。
千秋楽を終えた帰りの車を運転しながら「お前はもっとできるだろう」
そう言って、後部座席でくたびれていた禿とケンカしました。
今回の延長戦は褒めてやりたい。
どこか苦手としてきたヒロイック・パートと充分に渡り合いつつ、
自分が大好きなシーンを生み出してくれた。それは二幕。
フンドシ姿の帝國探偵社チームと罵り合う場面、禿が完全に遊んでいるように見えた。
「感じろ、感じろと言ったって〜」のくだりで、緩急自在、
書かれたせりふであることを感じさせない喋り方をした。
雄也くんの肩にもたれかかりながら、脚をヒラヒラさせる動きも良かった。
自分はああいう瞬間をつくりたかったんだと思います。
実は二枚目なシーンは、学生時代からそう変わりません。
当時から役者を追い込んでいけば、これぞ唐十郎という名ぜりふに導かれて
天を突き刺すような叫びが生まれました。
他方、観客と劇をもてあそぶような瞬間は、経験を経てしか手に入らない。
真剣さと余裕と遊び心と。絶妙なバランスが愉しさを導き出す。
清潔な愉しさ。ことばがや仕草がその場で生まれているような即興性。
毎回が違って、演者みんなが本当の意味で適当。それでいて、
数分後にはドライブがかかり、物語の求心力が確実に発揮される。
テント幕の隙間から観ていて、掛け値なしに面白かった。
ああいう瞬間を宝物にして欲しいと思う。
不器用な性格から回り道も多いけれど、自分の備えている地力を信じ、
周囲の期待を力に変えて欲しい。私は同級生に恵まれたと、心から思います。
2021年10月31日 Posted in
中野note
今日も川崎に行きました。
世界的太鼓演奏家集団「鼓童」の創立40周年記念演奏会です。
オーケストラと和太鼓を融合させた交響曲『いのち』の世界初演でした。
100人超の奏者による初演は、
まさに多くの方々の人生のハイライトを実感させます。
3年以上前から仕込まれてきたプロジェクトが結実し、今、多くの生が
火花を散らして結集している。そういう場に立ち会いました。
鼓童さんとはKAATの仕事で知り合い、本境地である佐渡にも伺いました。
来月に渋谷のオーチャードホールで行われる創立40周年記念公演には
唐ゼミ☆の齋藤がスタッフで参加します。
たった4日間の間に、『巴』『鼓』『童』の3演目もある。
果たして齋藤は大丈夫なのか!?
11/25(木)-28(日)@渋谷オーチャードホール。
齋藤の大劇場での仕事を、観に行ってやってください。
さて、今日のカーテンコールは鳳恵弥さんと丸山正吾くん。
去年から『唐版 風の又三郎』に出演し、ずっと一緒に走ってくれた二人です。
☆鳳恵弥(おおとり えみ)
鳳さんにお願いしたスケバン姉妹の姉「桃子」は、
過去に私が観てきた『唐版 風の又三郎』を受けて、必ず変革したいと
思ってきた役でした。別に奇抜なことをしようというのでなく、
台本を読んでいけば、自然と複雑で魅力的なキャラクターになる。
そういう理想形を思い描iいてきました。
他にも、帝國探偵社の「三腐人」がそうでしたが、
私は、自分が台本に役に立てると思うと、その演目を上演したくなります。
逆に、誰かの上演を観て「あ、完璧だ!」と思ったら、自分は必要ない。
この「桃子」には期するものがあって、鳳さんはそこを一緒に闘ってくれました。
鳳さんと初めて会ったのは、確か浅草花やしき裏だったと思います。
今回も大いに協力してくれた友人、公演場所世話役の関口忠相くんの停めた
車から鳳さんが降りてきた姿を、覚えている。
あれは2011年初夏。唐ゼミ☆は『海の牙 黒神海峡篇』に取り組んでいました。
スラリとした容姿にして、鳳さんは下町の女性です。
東京都北区、大衆演劇のメッカである篠原演芸場の近くで生まれ育ち、
北区つかこうへい劇団で役者修行をしたと、その時に聞きました。
そうです。「俳優修行」でなく「役者修行」なのです。
鳳さんの心はいつも演技と集団作業に熱く、「役者」や「劇団」という響きが
似合います。今や絶滅危惧種とも言えるこういうノリで、私たちと鳳さんは
つながってきました。
「桃子」を、もっと物語のメインストリートに置きたい。
『唐版 風の又三郎』立ち上げからで鳳さんと共有した目標は、
すでに去年の段階で達成されていました。
前半、賑やかし役にも見えたこの役は、二幕後半から飛躍する。
間違って傷つけてしまった主人公の青年・織部に対し
過剰な義侠心を発揮した結果(このあたりが鳳さんの真骨頂!)、
織部を真ん中に置いて、ヒロイン・エリカと三角関係を描き出します。
また、林麻子が演じた妹分の「梅子」との別れは、人間の孤独をあぶり出す。
叶姉妹とか阿佐ヶ谷姉妹のように、この二人もまた架空の姉妹。
だからこそ、結びつきと強さ、孤独、そういうものを表現してきました。
今回、またひとつ上手くいったと思ったのは、特に前半部分です。
鳳さんは何事もガチンコでやる。それが彼女の面白さですが、
もっと余裕を持って、ともすれば「ごっこ」で見せた方が、
お客さんに楽しく、伝わりやすいことがある。
吉本や松竹の喜劇を観ていて思うのですが、
時には必死でやりすぎない方が良い時がある。
登場したて。注射にまつわる絡みや、三幕冒頭の追いかけっこがそうでした。
余裕を持ってフワリとやる。一瞬のちのシリアスなせりふは
いきなりド直球のリアリズムでやる。そのメリハリと強度。
3幕エピローグ前を締めるのも鳳さんの役割。
鳳さん、麻子、ワダさんの波状攻撃を、いつも安心して観ていました。
6〜8月にかけて一緒に『シーボルト父子伝』をやり、
そのあと一旦わかれて別々の舞台。さらに合流して『唐版 風の又三郎』。
自分は少し落ち着いて、渡英などに備えているけれど、
その後の鳳さんはすでに別の舞台に取り組んでいます。
ずっとトライアスロン!
恐るべき体力と真剣さですが、時々フワリとしてください!!!
☆丸山正吾(まるやま しょうご)
今回も丸山正吾は評判を取りました。
ヒロイン「エリカ」への想いあふれる「夜の男」に扮し、
持ち前の運動能力と、自ら"鋼鉄の喉"を自認する発声を以って活躍しました。
正吾くんと初めて会ったのは、今から10年以上も前、
望月六郎さんが主催する劇団ドガドガプラスの舞台ででした。
それが2008年『舞姫』だったか、2009年『肉体だもん』や『人形の家』
だったかは定かでありませんが、いずれにせよ、彼は「武富士ダンサーズ」
の真ん中で踊り狂っていました。当時の芸名は「丸山蛍(まるやま けい)」。
終演後の飲み屋で最初に彼と話した時には、
自分はまさか、将来の唐ゼミ☆で彼とともに舞台をつくることになるとは
想像もできなかった。
彼の話はパッションに溢れて、熱心に演技を考えていたけれど、
自身がどうして向上したら良いか、出口を見出せていない感じがしました。
例えば、彼は腕を磨くために、有名な危険スポット、朽ち果てた吊り橋を
役者の先輩と訪ねた話をしてくれた。そういうところを渡り切る体験が
演技開眼に必要だと思ったらしい。
ところが、数年経つうち彼はこう言い出した。
「やっぱり腕を上げるためには、台本を読み、発声と身体を鍛えることですね」
自分もやはり、技術・体力→精神性で物事を考えますから、
この頃から、正吾くんとはともに語り合う仲間になった。
唐さんに書き下ろしてもらった『木馬の鼻』に始まり、
そのトラック演劇巡業、『青頭巾』『君の罠』『あれからのジョン・シルバー』
『ジョン・シルバー三部作』、そして『唐版 風の又三郎』と
彼は唐ゼミ☆の大きな支えになっていった。
同時に、いつからか大手のサンミュージックプロダクションに所属して
活躍の場を拡げた彼は、年間に驚異の公演数をこなすようにもなった。
根が実直な正吾くんのこと、そのどれもに全力以上で臨んでいるはずです。
それが証拠に、彼は幾多の現場で得たものを、唐ゼミ☆に活かすようになった。
例えば、2018年1月にやった『あれからのジョン・シルバー』冒頭、
「花形」役の足の引きずり方。所作のかたち良く、地面との摩擦音も印象的、
観る者の心を掴みつつ、キャラクターを一発で説明してしまう。
こちらが伝えた本読みに裏付けられ、経験に基づいた、彼独特のアイディア。
今回も、「エリカ」へのストーキングにおいて、
「高田三郎」や「織部」への嫉妬において、かつて良い仲だった「教授」への
カミングアウトにおいて、彼が見せた過剰な表現は、大いに私を愉しませてくれた。
時折り、変態になりすぎてしまった時に、「夜の男」が常識人である要素を
盛り込むチャンスを伝えると、たちどころにそれを差し込んでくる。その的確さ。
今となれば、台本を読み、一つ一つの所作について考え抜き、
道具の捌きも工夫した後に必要なのは、危険な吊り橋に彼を向かわせた
愚直さと破天荒さなのだとも思います。それが最後の一押しとなり、
人の心を掴む。
読売巨人軍V9の監督であり、現役時代は打撃の神様と言われた
川上哲治さんは、打撃を極めるために出征を志願したと云います。
文字通り刃の下をくぐる緊張感が、奥義開眼へと道だと信じた。
結果的に従軍体験が戦後のバッティングに与えた影響は無かったそうですが、
しかし、その切迫感に真実が宿るとも思う。
丸ちゃんには、技術を考え、身体能力を向上させ、また冒険(探検?)もして欲しい。
自分もロンドンに行って、必ず腕を上げて帰ってきます。
2021年10月29日 Posted in
中野note
今日は横浜市磯子区にある杉田劇場に行きました。
ここは幼少期の美空ひばりさんがステージに立った劇場として有名です。
美空ひばりさんといえば、
今回、私たちの劇を久々に三枝健起監督が観にきて下さいました。
三枝さんは唐さんの盟友の一人で、お二人は1984年の『安寿子の靴』を
皮切りに5本のドラマを創られた。唐さんが作詞し、中島みゆきさんが
作曲して歌った主題歌を、CDでも聴くことができます。
ある時、健起さんが教えてくれました。
幼少期のひばりさんが「のど自慢」に出たとき、
あまりの歌の上手さに「子どもらしくない」と言って辛い点を付けたのは、
あれはウチの親父なんだ、と。杉田劇場でそんなことを思い出しました。
『唐版 風の又三郎』を観てくださった健起さんは、時世柄スッと帰られた。
他のお客さんを送り出しながら健起さんの背中越しに御礼をお伝えすると、
「良かったよ」と言うように、親指を一本たてて去っていかれた。
健起さんはそういう仕草がサマになる。嬉しかったなあ。
今日のカーテンコールは、丸山雄也くんと劇団員の米澤剛志です。
今回の座組には丸山姓が二人いて(もう一人は丸山正吾くん)、
だから、主人公「織部(おりべ)」を演じた彼のことを、
私は雄也くんと呼んできました。
雄也くんはすでに紹介した小川哲也くん、松本一歩くんと同じ劇団
「平泳ぎ本店」に所属しており、私はこの劇団の公演を観に行くことで、
彼のことを知りました。その時、確かなせりふも印象に残りましたが、
何より素晴らしかったのは、その動きのキレ。
扉を閉めて部屋に入ってくる、それだけの動きが、
実に見事な見せ物になっている。面白い俳優だと思いました。
以来、劇団員の林麻子が「平泳ぎ本店」の公演に参加したり、
雄也くんが若葉町ウォーフで行われる公演に関わっていたりしていて、
交流を重ねてきました。いつでも礼儀正しく、丁寧で、
現代にこんな好青年がいるのかと思った。
そして今回、ずっと出演してもらいたかった彼を、
物語の真ん中にいる「織部」に据えると決めました。
織部は『唐版 風の又三郎』の主人公、つまりお客さんの窓口です。
観客は、織部の視線を通して他の登場人物や物語を体験します。
だから必要なのは、観る人たちが自分を託せる容姿とリードの確かさです。
あまりに個性的な体格だったり、エキセントリックな感情表現をすると
窓口にはなりにくい。役割としては、歌謡ショーの司会者の感じ。
その点、彼は冷静で、実に正確に自分が置かれている状況を伝え、
次々に現れる過剰な登場人物たちを受けていく。
一方で、織部には自身の感情を露わにするべき時もあり、
例えば、精神病院から抜け出してきたことが知れるシーン、
エリカが死んだと思って悶々とする場面では、
大いにエモーショナルになって攻め抜こうと、私は背中を押す。
雄也くんは、大半を受けつつ、少ない攻めどころでは一気に
タガを外して、期待に応えてくれました。
普段も節度を心得た男で、こちらが他件に忙殺されている時には
堪えて質問したりして来ないような気遣いもありつつ、実は粘り腰。
千秋楽に至るまで私の隙を伺っては、前夜に自分で考えたこと、
工夫のしどころについて相談し続けました。
ああ、役者だなあと思います。
終幕、すっかり仲良くなったはずの織部とエリカが、
突如として反目する場面があります。
そこから、夜の男との決闘になだれ込む。
この少し強引な流れに対し、雄也くんと私はどうにか自然に
見えるよう調整を続けました。
そして、一応の解決を見たものの、正直を言えば、
もっと優れたアイディアや解決方法があるのではないかと
いまだに気になっていますし、きっと、彼も同じだと思う。
雄也くん、これは次回以降の宿題で!
ご存知、劇団員の米澤です。大役「教授」を演じました。
去年・今年と、『唐版 風の又三郎』は米澤にとって挑戦と飛躍の演目でした。
何しろ、長い長い芝居の中で、長い長い圧倒的な饒舌が課せられている。
普段の米澤は寡黙です。自己を主張することが全くない。
その変わり、何をし、何を考えているかもわからない。
彼が劇団に関わり始めた2015年からそうでした。
唐ゼミ☆が『青頭巾』の東北ツアーに挑んでいたころ、
米澤はまだ大学2年で、学生らによる前座パフォーマンスの一員として
参加していました。即席でつけた芸名は「コメ兄弟」。
「一人でも"兄弟"。"劇団ひとり"みたいなもんだ」と付けたこちらのノリが
気に入ったのか、いなかったのかの意思表示はまったくなく、
ただ、淡々とオリジナルの芸を披露していました。
米澤が台頭したのは唐ゼミ☆が新宿中央公園にデビューした『君の罠』公演。
望月六郎さんが書き下ろしてくださった台本に登場する、
自転車にまたがって登場する主人公のおじいさん役。
せりふにも身体の裁きにも、強い土台を感じさせました。
以来、悪役の手下ポジションを数多く演じて、今回は親玉になった。
面白いのは、手下たちを従えながら、日常では米澤が年少であることです。
加えて、生来の気質から、皆をリードするという風ではまったくない。
ただ、他の仕事に追われて私が稽古に遅れる時には、
シーンに応じて、禿か米澤が仕切ってくれていた。
"米澤の仕切り"というのが気になりますが、
当然、私にはそれを見ることができません。
米澤は自分のもとで唐作品に取り組みつつ、別の世界を持っています。
佐藤信さん演出の芝居に参加し、清水宏さんのもとでスタンダップコメディ
にも挑戦、竹屋啓子さんのスタジオでダンスに挑んでいたりもする。
誰にも知らせない日常で、様々な芸能を見聞きしながら芸について
研究を重ねている様子。
細身ながら恐るべき体力の持ち主で、現場入りの前夜でさえ、
過酷な全体作業の後に自分の衣裳や小道具に改良を加え続ける米澤。
今、彼に望むことは一つで、お腹が空いてカネがない時には連絡して欲しい。
これくらいです。
2021年10月28日 Posted in
中野note
今日はKAATの仕事で川崎に行ってきました。
川崎駅に行くと、H&Bシアターで稽古した時のことを思い出します。
去年9月末に『唐版 風の又三郎』を集中稽古をした時、
初めて通しで唐ゼミ☆版の上演が目の前に現れた時のこと。
今年の8月お盆明け、2021年版の座組みで初顔合わせのこと。
いずれも、この場所を通って、劇とコロナに緊張しながら通いました。
今日のカーテンコール、佐藤昼寝くんとワダ タワーさんです。
☆佐藤昼寝(さとう ひるね)
どこか不敵な昼寝くんには、帝國探偵社に勤める三腐人の
食わせ者「淫腐(いんぷ)」を託しました。
昼寝くんとの出会いは、年明けに劇団員の林麻子が参加した
「中野坂上デーモンズ」の公演に依ります。
昼寝くんは松森モヘーさんが代表を務める劇団のメンバーであり、
自らのユニット「昼寝企画」を行う主宰者でもあります。
8月に稽古が始まった時、昼寝くんはまだ別の公演に出演していました。
だから、少し遅れての合流になった。
感染予防対策として少人数性を敷いた稽古場にやってきた昼寝くんは、
初め、所在なげで苦しそうでした。
それはそうです。他のメンバーはすでに多くの時間を本読みに積み上げ、
作品や役柄の内容や前段、せりふの機微に通じている。
一方、昼寝くんは無防備な状態。意味のわからないせりふや所作は
役者に負担をかけます。辛そうでした。
そこで私は、とにかく昼寝くんの参加する稽古では、
彼への説明を優先することにしました。そうした方が、
他のメンバーの確認にも、公演直前への追い上げにつながる。
役柄やせりふについて彼に説明を尽くすと、
次の稽古には必ず自分のものにしてきました。
序盤の足踏みを経て、多摩川近くの稽古場で昼寝くんは飛躍します。
特に難しい三幕。
劇の裏側で二幕のあとに教授との間に何があったかを
伝えたところ、急激に淫腐は色っぽくなり、
的確に他の二腐人や、教授さえもマウントしはじめた。
浅草入りしてからは、不思議な身体能力を発揮して、
三腐人のテーマソング『禿鷹にきいてごらん』では、
妙なジャンプやパントマイムを披露し、楽しませてくれました。
明らかに個性的な松本くんと佐野さんの間にいて、
じわじわとした面白さを漂わせる。
しかし、不敵な昼寝くんは繊細でもあり、デーモンズの松森モヘーさんが
観にこられた日の終演後には、座長の感想をずっと気にしていました。
緊張感のある相手が身近にいて、常に昼寝くんを駆り立てている。
劇団というものの良さを改めて実感しました。
☆ワダ タワー
唐ゼミ☆にワダ タワーが帰ってきました。
主人公の「織部」を溺愛してやまない精神科の医者「宮沢先生」役です。
ワダさんと初めて会ったのは、友人である清末浩平くんの劇団
「サーカス劇場」の公演の時でした、木場の公園で上演された
第五福竜丸をテーマにした芝居『幽霊船』には大男が3人出ていて
強烈な印象を受けました。
宮崎敏行さんと、後に仲間となる八重柏泰士くん、ワダ タワーさんです。
以来、紆余曲折がありましたが、
八重柏くんとワダさんが唐ゼミ☆に加わってくれた。
ワダさんで印象に残っているのは、『腰巻お仙 振袖火事の巻』で
客席上空から登場するために30分以上を青テントの天井裏で
緊張していた姿と、やなぎみわさんに書いてもらった『パノラマ』で
画家を演じている姿です。そう。ワダさんは武蔵野美術大学を出ていて
イラストが得意。今回も、ご支援頂いた方の名前を記載する
「御茶ノ水地図」の『唐版 風の又三郎』から4人のキャラクターを
描いてくれました。
2018年以来、久々に会ったワダさんは、演者として余裕を得ていました。
劇団をやめてから、自主企画とかミュージカルとか、色々やった経験が
生きていて、本読みの際にエンリコ・マシアスの『わかっているよ』を
口ずさんだ時は、上手くなったなと思いました。
そして、優しさの塊のようなワダさんには、ゆきすぎた愛情を持つ
宮沢先生を任せることにしました。この役の特徴は、とにかく各幕で
変装をすること。芝居の最後の方にヒロイン・エリカが「変装のまち」
というせりふを口にしますが、それを地でいくがワダさんの役でした。
1幕では風向計を使って正体がバレないよう織部と話す。
2幕では伝説の軍人に扮する。3幕でやっと、本来の宮沢先生の姿で出てくる。
しかし、ワダさんは195cm。変装を帳消しにする身長の悪目立ちが
可笑しくて仕方ありませんでした。
2幕に登場する伝説の航空兵・樫村三空曹も楽しみましたが、
一番良かったのは3幕でした。
エリカが死んだと思って意気消沈する織部を、宮沢先生が励ます。
あの励ましゆえに織部は急成長し、スリッパ片手に帝國探偵社の面々や
現役の自衛官たちとも渡り合います。照れくさがるワダさんの
実直さを前面に出し、まるで学園ドラマのようなベタを目指して稽古しました。
三幕のエピローグ手前のシーンを締めるせりふの発声も正確で、
場面を引き締めつつ、ラストの二人の道行へとつなげてくれた。
テントたてを手伝いにきた重村と熊野がいて、ワダさんがいると、
まるで新宿中央公園に初めて公演した時のようでした。
ワダさん、またいつでも帰ってこい!
2021年10月28日 Posted in
中野note
今日は朝から都内に行き、昼過ぎからはKAATで働きました。
公演のためにうっちゃっておかざるを得なかった仕事を
急ピッチで片付けつつ、年明けに渡英するための準備もしています。
さらに、一年なんてあっという間ですから、その先のことも考えないと。
同時に、昨日、ワークショップのレポートをしましたが、
一日仕事をしながら『少女仮面』に重要人物「ボーイ主任」の
両方の人差し指にはなぜ包帯が巻かれているのか、考えています。
以前から閃くものがあり、仕事の合間に調べ物をして裏付けを得る。
あとは、もう一度台本に帰って整合性が取れれば、答えに辿り着く。
イギリスでこんな風に気になった時、周りに資料がありません。
ムズムズするだろうから、本棚を整理して周囲にフォローしてもらえる
体制をつくっていかないと。
さて、昨日は一旦お休みしましたが、カーテンコールの続き!
☆佐野眞一(さの しんいち)
元航空自衛官で、今は帝國探偵社に勤める「珍腐(ちんぷ)」を
佐野さんに託しました。
佐野さんは、唐ゼミ☆の役者募集を見て駈けつけてくれました。
誰の知り合いでもなく、テント演劇を、唐さんの芝居をやってみたい。
その一心で参加してくれた。
初め、応募してきた佐野さんの年齢を聞いて、私は気後れしました。
しかし、よく考えてみると、『下谷万年町物語』の時には幅広い年齢の
メンバーがいて、中にはさいたまゴールドシアターのメンバーもいた。
劇団員にはケアしながら迎えようと言って、
佐野さんがハンディラボに来てくれるのを楽しみに待ちました。
実際に会ってみたご本人は予想を超えて軽快でした。
流山児祥さんが主催するシニア劇団「シアターRAKU」のメンバーである
佐野さんは、饒舌で、フランクで、興味を隠さない人でした。
桐朋学園で芝居を学んだあと役者をやり、一時仕事で中断していたものの、
ある時期に復活した。そんな話をしてくれました。
稽古が始まると、佐野さんには時代考証的な質問をよくしました。
例えば、「フェザーシングルのCMはどれくらいメジャーだったのか」とか。
知識でなくて、当時の体感、実感。
佐野さんに聞くのが一番で、全体の知恵袋という感じでした。
稽古の合い間には、千田是也さんに直に接した話なんかしてくれる。
こちらは変わりに、唐さんの台本の読み方を伝える。
そんなやりとりをしました。
人柄も、役者体も、座組みの一員としても、
徹底して佐野さんは軽快でした。
特に川崎で行った集中稽古の頃から、
全体で稽古する中で物語やせりふを自分のものにした感があり、
どんどん面白くなっていった。
どこか、イタリア軽演劇の役者風に、
せりふを言いこなしながら飛んだり跳ねたりする。
休憩時間に腰が痛いと言いながら、動きまくり、声も出る。
お客さんに伝わりやすくするためにもうちょっと抑えましょう、
自分からはそんなことをアドバイスしていましたが、
後から考えてみれば、これは恐るべきこと。
もっと声出しましょう、でなく、
小さくしましょう、大人しくしましょう、と言っていましたから。
テントを立て始めてからは、いつも早めに現場にやってきて大活躍。
その気働きは一流で、「誰かその道具を取ってくれ」と言われた時の
一歩目が異様に速い。
マスクを外せば二枚目で、散乱しがちな男子楽屋の中で、
佐野さんの化粧前だけはいつも整然として、
メイク道具にオシャレな布がかけてある。
何人かのお客さんから「珍腐おもしろい」と言われましたが、
そりゃそうだ。だって、佐野さんなんだから。
「乱腐(らんぷ)」を演じた松本くんとは、2017年春に知り合いました。
その頃、私はKAATでの仕事を始めたばかり、
有能なアシスタントを探していました。
すでに知り合いだった劇団員の津内口から紹介されて、
あの頃はまだ細かった松本くんに出会いました。
確か、二人で藤沢まで行き、白旗神社で買いたてのラフェスタの
安全祈願をしながら話をしました。結果的に松本くんと一緒に
働くことにはなかったけれど、「平泳ぎ本店」という風変わりな劇団名、
松本一歩という実直な役者が、自分にインプットされました。
以来、徐々に「平泳ぎ本店」メンバーとも知り合いました。
身体能力に優れ、発声も鍛えられている。明らかに頭も良い。
そんな劇団員の中に小川哲也くんや丸山雄也くんもいました。
神奈川県が主催する演劇コンクールを紹介したところ、
彼らは優勝する。圧倒的な得票数でした。
実は、特に松本一歩くんには、去年から出演してもらいたかったのです。
初めて取り組んだ『唐版 風の又三郎』に誘ったところ、
スケジュールの都合で無理だった。
すると、彼は気にして、テントたてを手伝いに来てくれた。
松本くんには、そういう義理堅いところのあります。
一方で、この頃から彼の体格は激変していました。
明らかに巨大になっている。際限なくマッチョになっている。
松本くんに?マークが点き、謎めいた人だと思うようになったのは、
この頃からでした。
今回、初めて役者と演出として付き合いましたが、
彼には、ある種の狂気が宿っていると確信しています。
松本くんは過剰な男で、持ち前の正義感も、身体の鍛え方も、
稽古への取り組みも、どこか行き過ぎていて、
まるで唐十郎作品の登場人物のようでした。
それに、独特のリズムを持っている。
これはありがたい。すぐにそう思いました。
端的に言って、私は自分が稽古で敷くレールを乗りながら、
そのレールをはみ出してしまう役者を常に求めています。
私は演出家として役者に、
唐作品のせりふ・ト書きの細部に宿る意味を徹底して伝える。
物語の構造を伝え、全体から見た役柄やせりふの役割を伝える。
それら全てを理解し、乗りこなし、なお、役者には自由であって欲しい。
松本くんは実にそういう人で、
伝えるべきことをしっかり観客に伝えられる冷静さを持ちながら、
自分の生理や感覚を見事に貫く。
従来、松本くんの演じた「乱腐」を含む「三腐人」は、
月並みな変態キャラクターとして処理されがちです。
そこで、自分は何としても、彼らが誇り高い元自衛官であり、
強すぎる愛国心と職業意識のための男色であるという基本設定を伝えたかった。
松本くんは、私の願いを充分に叶えてくれました。
しかも、彼にしかできない、彼独特のやり方で。
まるで、個と組織、自分と全体を矛盾なく両立させる、
ヨーロッパの一流フットボール選手のようでした。
2021年10月26日 Posted in
ワークショップ Posted in
中野WS『少女仮面』 Posted in
中野note
↑2003年末の唐さんと私。当時は『鉛の心臓』に取り組んでいました
今日のゼミログ、カーテンコールは一旦お休み、
一昨日から始まった『少女仮面』ワークショップをレポートをします。
が、その前におめでたいことが!
師である唐さんが文化功労者になりました!!!
シャイな唐さんはきっと照れていると想像しますが、
私はすごく嬉しい。おめでとうございます!!!
唐さんと賞といえば、2003年の演劇賞ラッシュが印象深いです。
今度、シアターコクーンで金守珍さんが演出する『泥人魚』は
その年の演劇賞を総ナメにしました。
2003年末から2004年のお正月にかけ、
続々と受賞の報が届くたび、唐さんを囲んでお祝いしたものですが、
皆の真ん中でご機嫌な唐さんはビールの王冠を集めて喜ぶ子どものよう。
持ち前のチャームを全開にされて、とても幸せな時間でした。
そういえば、一昨日からWSで取り組んでいる『少女仮面』こそ、
唐さんに岸田國士戯曲賞をもたらした作品です。
いまや半世紀を超える唐十郎のキャリアの中で、それが賞のはじまり。
ワークショップではまず、執筆や初演の時の様子から話を始めました。
新たな戯曲に向き合う時はいつもこうです。
さまざまな資料や証言を読み解いて総合すると、
・1969年4月-6月にかけて鈴木忠志さんから執筆依頼があった
・同年7月中旬までには書き上げている
・執筆にかかった時間はなんと二日間!
・執筆の最中は、劇中にかかるメリー・ホプキンの『悲しき天使』
レコードを、劇団員である十貫寺梅軒さんが延々リピートし続けた
・早稲田小劇場の中心俳優として台頭していた白石加代子さんへの
宛て書きにより、唐十郎流の「春日野八千代」が誕生した
・舞台は地下喫茶店〈肉体〉。早稲田小劇場は喫茶店〈モンシュリ〉の2階
・内容的には、前年に唐さんが上演した『続ジョン・シルバー』に酷似
・1969年10月14日には初日を迎えている
と、こんな具合です。
『少女仮面』初回なのでだいぶ私の説明が長く続きましたが、
それから、冒頭シーンの読みに入りました。
「すてたパンツに聞いてごらん」というパンチの効いた
せりふで有名な、少女と老婆の場面です。
あの場面は、端的に言って、これから芸能界に羽ばたくための
オーディションを受けようという少女と、少女に自らの願望を託す
PTAとのやり取りなんですね。
少女「貝」が持ち前の純粋さで、
例え宝塚スターといえども、実は恋愛願望もあれば肉欲もある
人間であることを見破ると、老婆はそれをはぐらかす。
しかし、現実をはぐらかしたまま、生き馬の目を抜く芸能界で
少女に間違いがあってはいけないから、スターの裏側を
忠告しようともする。貝をスターにしたいと願う一方で、
なんとも切実な老婆の親心。
で、有名な劇中歌『時はゆくゆく』に入ります。
まったく『少女仮面』の劇中歌はいずれも小室等さんの才能全開で、
すべてが愉しい傑作ぞろい。
しかし、歌い飛ばすことなかれ。
『時はゆくゆく』には、本当は自分が若返ってスターになりたいという
老婆の乙女チックな願望や、老婆と貝の間の世代に位置する、
老婆の息子=貝のお父さんが描かれてる。そういう話をしました。
ニーチェを茶化した「ツァラツストラ」とは、
傷痍軍人となって帰ってきた貝の父親ではないのか。
そこには、ジョン・シルバーの影響があるのではないか。
若さを失った老婆と、片足を失った息子は、
だから「何よりも肉体を」求めるのではないか。
一方で少女の貝は、若かりし「肉体」を謳歌している真っ最中。
「何よりも肉体を!」という叫ぶ老婆と少女のニュアンスの違いこそ、
役者と演出家の勝負のかけどころです。
続いて、場面は喫茶〈肉体〉の内部へ。
この店に君臨するボーイ主任を中心に登場人物が入り乱れます。
腹話術師と人形、そして、ボーイたち。
彼らに対するボーイ主任の態度には、一貫した共通点がある。
生身よりもモノ優先。生理的なものを嫌悪する潔癖症と、
「宝塚スター」の非人間性のつながりについて話をしました。
2番目の劇中歌『あの人に会ったら』にも触れて、一昨日は終了。
あの歌も一聴するとコミカルですが、初老の女性の哀しみを
切実に描写しきっている。執筆時の唐さんが29歳であることを
想像すると、よくあんな心情を思い描けたものだと思います。
あと、ありがたいことに増えてきた受講の皆さんの多さに
こちらの進行が追いつかず、終わったあとはかなり反省しました。
皆さんに唐さんの言葉を声に出す面白さを少しでも味わってもらうべく、
来週からやり方を工夫します。
2021年10月25日 Posted in
中野note
↑『少女仮面』を読み解く際に必要な第一級の資料がこれです。
『別冊新評 鈴木忠志の世界』。唐さんの寄稿に執筆にまつわる重要な記述あり。
昨晩は唐ゼミ☆ワークショップでした。
公演で一週お休みにしていましたが、再開して『少女仮面』に取り組んでいます。
初めて、自分がまだ実際の舞台をつくったことのない作品への挑戦です。
さて、今日のカーテンコールは、小川哲也くんと劇団員の津内口淑香。
舞台でカップルを演じた二人です。
☆小川哲也(おがわ てつや)
小川くんとは神奈川芸術劇場で働き始めた2017年に知り合いました。
確か、松本一歩くんの紹介だったと思います。
もともとは文学座の研修所を卒業して、
その時の仲間たちとともに「平泳ぎ本店」という劇団を立ち上げました。
後に紹介する松本一歩くんがリーダーで、丸山雄也くんも劇団員。
その後、2018年3月に秦野市で行った野外劇『実朝出帆』に出演してくれました。
あらかたメインキャストが揃ったところで、後発で加わったのが小川くんでした。
少し軽めの役だったけれど、稽古の過程で小川くんの声と身ごなしに接して、
いつか、初めから念頭に入れてキャスティングしたいと思わされた。
今回はそれが叶っての出演、物語の引き金となる「高田三郎」を託しました。
宮沢賢治のオリジナル『風の又三郎』の主人公の名を、
唐さんは自衛隊機乗り逃げの青年に結びつけました。
幕が進むごとに、謎めいた存在のベールが解かれ、
尻上がりに出番とせりふの量を上げていくこの役を小川くんと造形しました。
小川くんとは稽古の途中で、
この高田がヒロイン・エリカに気持ちを寄せていたのか、いなかったのか、
折に触れて話し合いをしました。傍に死の少年(後に死の花嫁)を置く
高田の心中は謎めいている。けれども、高田は確かに、
エリカへの想いがあったのではないか。
生きているのか死んでいるのか分からず、
超然としているような高田は、実は今も自衛隊の先輩たちの圧力に囚われ、
同輩たちの視線を気にしてもいて、世間体に揉まれている。
登場人物が人間関係に揉まれるほど芝居は面白くなる。
この鉄則を小川くんに伝えました。
それに、序盤からの伏線ががあってこそ、
三幕でエリカと二人きりになった場面のクドキが生きる。
小川くんとは、こういう作戦でいこうと話し合いながら稽古しました。
本番が近くなると、一徹に見えた小川くんが、
意外にもはユーモラスな人だということがわかってきました。
高田三郎ならでは長広舌の中に、お婆さんの語りが紛れている。
それを彼は忠実に写実し始めた。お婆さんの入れ歯の外れたような喋り方。
真面目なのか、ふざけているのか、いまだに分かりません。
客席がウケてもウケなくても、彼は正確にこれを続けました。
あの光景を思い返すと、後から笑いが込み上げてくる。
爆笑ではなく、クスクスとした笑い。小川くんは謎めいている。
本番前の栄養補給をつぶさに観察していると、どうも餡子が好物のようでもある。
メンバーの中で、彼が浅草をもっとも満喫したのではないでしょうか。
☆津内口淑香(つないぐち よしか)
劇団員の津内口は、先の小川くん扮する高田三郎と常に一緒にいる
「死の少年(死の花嫁)」を演じました。
花やしき裏にいると、津内口が大学に入ったばかりの頃を思い出します。
2010年初夏、唐ゼミ☆は浅草第二弾『蛇姫様 わが心の奈蛇』全三幕を
出し物に、長さ暑さと闘っていた。劇団員はみな出ずっぱり
大学一年生になったばかりの彼女は、受付を手伝ってくれました。
それから、唐組の久保井研さんが指導にあたる横浜国大の講座で、
『赤い靴』という唐作品を稽古する津内口を見ました。
すぐさま、私たちは「天才・津内口」ともてはやすようになった。
役柄に対する彼女のデッサンは実に正確で、余計なことをしない。
二十歳にもならない俳優志望には稀有なこと。私たちは唸りました。
何度か同じ授業で活躍し、唐ゼミ☆に入って劇団を支えるようになった津内口。
デザインもでき、実務の才もある津内口の貢献は大きいけれど、
唐ゼミ☆には、椎野がいて、禿がいます。
彼女を役者として活かしきれていないという想いが私にはありました。
突破口となったのは『ジョン・シルバー三部作』。
『続ジョン・シルバー』の少女「田口みのみ」も良かったけれど、
あ、発見した!と思ったのは『あれからのジョン・シルバー』でした。
あの舞台、主人公の青年・花形の亡き姉「春子」を演じた津内口の
まがまがしさといったら無かった。色白で細面で、ふるえるような発声でも
正確にせりふを伝える津内口から、ゴシックロマンの感じがしました。
当然、『唐版 風の又三郎』では「死の花嫁」。
しかし、実は今回のキャスティングには初期段階で迷いがありました。
初演の唐さんすら女優を登用したこの役は、
ほんとうは少年のような男優が演じるべきではないのか。
その可能性がこびりついて離れません。
こういう時の判断は難しい。
考えを巡らせていると、ひたすら台本に向かい合っているつもりが、
これまでの上演にどこかで反骨している自分に気づきます。
考えに考えて、最終的に二幕のエリカのせりふ「女と女が向き合うと〜」
というフレーズを余さず成立させるのはやはり女優だと決断しました。
となれば、津内口の登用に迷いなし。
青テントがたち、音響スタッフの平井さんが
現場にやってくるようになると音の質が格段に高まります。
とりわけ効果音は彼の真骨頂で、プロの腕前を見せつけられる。
三幕の舞台稽古中、棺桶の中からウエディングドレス姿の津内口
が現れるシーン、あれはマジで怖かった。私はビビリなので、
花やしきのスリーラーカーには決して乗りません。
あの大きな目も、いつも困ったような眉毛も怖さの原因だと思います。
気苦労が多い津内口には、いつも朗らかでいて欲しい。
が、舞台の上ではあの独特の不吉さを全開にして、
さらに呪われし女を極めてもらいたいと思います
2021年10月24日 Posted in
中野note
渋谷でこんな看板を発見しました。「帝国興信所」。
「テイタン」を追いかけ続けた私には、いかにも気になる存在です。
今日のカーテンコールは4組目。
屈強な男子2人をご紹介。鷲見武くんと井手晋之介くんです。
☆鷲見武(すみ たけし)
鷲見くんは唐ゼミ☆のカジュアルメンバーの一人です。
劇団員ではないものの、断続的にずっと参加してくれる気心の知れた存在。
ハンディラボと自宅が近く、普段の集合の折に訪ねてくれることもあります。
初めて参加してくれたのは、2010年秋『下谷万年町物語』の再演。
同じ浅草で仕込みをしながら、鷲見くんとあの頃を振り返りました。
舞台装置がヘビーな割に作業人数が少なく、ただでさえ大変なのに
大雨にたたられて地獄と化したバラシの思い出。
劇団ひまわり育ちの鷲見くんは、当時から発声がしっかりしており、
バレエの基礎まで身につけてクルクル回ることができました。
いまだに服装もオシャレだし、作業もできるし、
けっこう二枚目な男として私たちは知り合った。
それがいつの間にか、鷲見くんには笑いの神が降りるようになった。
一緒に東北をツアーした時には『青頭巾』の「和尚」役。
海辺での公演では出番直前まで海中に潜んだ結果、
警備員に心配された拍子に小道具の高級コンブが流れてしまい、
出番になってもなかなか現れない。
などなど。
今回は、1幕冒頭の小学生たち、葬列を率いる雨三郎、
航空兵や自衛官のリーダーを頼み、柔和なキャラクターで
皆をまとめてくれました。実に確実な仕事です。
が、やっぱり最終日に奇跡を起こしていまう。
劇がシリアスに盛り上がり切った場面で、
鷲見くんが掴んでヒロインに迫るはずのソーセージを
遥か彼方に飛ばしてしまい、爆笑をさらいました。
鷲見くん自身は、自分が大事な場面を壊してしまった。
そう反省していましたが、そんなことはない。
舞台も客席も、その場にいた全員が大笑いした後で、
即座に何人かのキャストが超集中してシリアスな劇に戻すよう
ドライブをかけた姿こそ、自分の考える芝居の理想です。
その場に起こることをすべて丸呑みに肯定する。
それでいて、劇・物語・せりふの力を貫く。
鷲見くんのおかげで、私たちは最終日にそういう体験ができた。
鷲見くんの出演中、私の気に入りの場面は3幕。
今日、後に紹介する井手くん扮する自衛官が主人公・織部を殴った時、
井手くんをたしなめる。
そのやり方は、役柄が課せられた世間体への配慮の上に、
鷲見くん独特の気遣いや優しさがあって、稽古からおもしろく観ました。
今回、足を怪我しているところを押して出演してくれた鷲見くん。
これまでと同じように粘り強く台本を読み込み、
舞台の内外で自分の役割を心得ている彼が
小隊のリーダーでいてくれたことは、ほんとうにありがたかった。
いつの間にか動画の編集などもこなすようになり、
最近は自らのユニットまで立ち上げた鷲見くん。
またいつでも、ハンディラボに来てください。
☆井手晋之介(いで しんのすけ)
フィジカル強めのメンバーを切望した今回の配役にあって、
終盤に加わった最終兵器が井手くんでした。
荒牧くんと同じように、『シーボルト父子伝』の現場をともにし、
IKKANさん率いるオフィス怪人社の若手役者である彼は、
体格の良い三人衆の中でもとりわけガタイが良く、
しかも踊れる役者として、存分に活躍してくれました。
劇冒頭で小学生に扮し、やってきた又三郎に
狂喜してテーマソングを合唱するシーンでは、
井手くんの身体能力とリズム感が冴え渡りました。
とにかく自在に踊ってみせる。しかも動きが毎日変わる。
ただ劇中歌を歌いながらそのリズムにのっているわけでなく
例えば、「あのこの胸に このこの胸に」という歌詞の
「あのこ」や「このこ」が誰を指しているかをよく理解し、
お客さんに対して噛み砕きながら、日々の本番を楽しませてくれる。
てっきりダンスをやってきたのだと思って
最終日近くになって訊いたら、習ったことはなく、
我流でふさわしいと思う動きをしているとも言う。これには驚いた。
やはり荒牧くんと同じように殺陣もでき、
大きな身体であれだけ動くことのできる井手くんは恵まれていると思う。
専門的にダンスを学べば、かなり良いところにいくと期待してしまう。
持ち前のキレを生かし、
2幕で自衛官たちがヒロインを茶化して『エリカの花散るとき』を
大合唱するところ、3幕で織部が電話ボックスを占有しているために
苛立つシーンなども、楽しませてもらいました。
せりふとしては、高田三郎三曹を糾弾するときの舌鋒の鋭さ。
あれが良かった。人を責める時に最大級のパワーを発揮する奴。
割と身の回りにいる厄介な存在を、巧みに実践してくれました。
おまけに、舞台裏では道具の転換や仕掛けを担う戦力として、
大活躍してくれました。
『シーボルト父子伝』の時には、とにかく劇を仕上げるために
時間がなく、あまり個人的な話をする時間が無かったけれど、
唐ゼミ☆に参加してくれたことで個人的な話をすることも
できました。
昨日に紹介した荒牧くんと併せて、鷲見くん、井手くんの3人。
実に豪華なメンバーでした。ここに彼らがいてくれたおかげで、
芝居のレベルが決定づけられたと確信しています。
2021年10月24日 Posted in
中野note
今日は三ノ輪に行き、上野にも寄りました。
公演直前に寿命を迎えてしまった車の、廃車手続きのためです。
サネヨシと二人で行き、せっかく台東区まで来たのだからと、
上野公園のクジラを見ました。
ちょうど銀杏に匂いも強烈にする。
明日から始まるワークショップで『少女仮面』に取り組み
その次には『吸血姫』に進みます。
『吸血姫』には、上野の森の銀杏について語るくだりがあり、
良い体験をしました。
さて、今日のカーテンコールは劇団員のちろと荒牧咲哉くんです。
☆ちろ
昨日、紹介した渡辺くんの「大学生」と常にペアで行動する
「老婆」と、三幕では日替わりで「尼」のリーダーを演じました。
特に、去年から取り組んできた「老婆」が課題でした。
彼女は重要な役割を劇の前半で担います。
乗り逃げにより死んでしまった高田三郎の
残した遺族として生活に困窮していたところ、青年に化けたエリカと
生活保護をもらいに行く旅に出ることになった。
これが物語全体の始まりでもある。
ところが、やっと帝國探偵社に辿り着き、
「教授」と青年の会話を聞くにつけ、生活保護の取得が望み薄だと知る。
どうもこの青年に自分は騙されているのではないか。
疑いが芽生え、「又三郎」と呼ばれる青年が実は女であることを
老婆が暴露すると、物語は一気に加速します。
老婆役なのに、フィジカルが求められます。
初めは哀れっぽく大学生とともにいるのですが、
孫の背に飛び乗るアクションや、暴露のタンカ口上も求められる。
ちろさんは、ある程度年齢がいってから、
不調の時期の唐ゼミ☆を観て入団してきました。
それまで、角替和枝さんのもとで役者に取り組んできたのだそうです。
2017-2018年、テント公演もできず、
自分たちに何ができ、これからどうすれば良いのか
試行錯誤していた時期に味方に加わったちろさんと佐々木あかりは、
当時の私や劇団員を大いに励ましてくれました。
そして今回。
唐ゼミ☆が重視するせりふの意味を汲み取るやり方を覚え、
昨年より格段に大きくなった声量と決めぜりふのアタックの強さで、
劇を支えた。
終幕、「犬」になり、渡辺くんと一緒に丸山正吾に鞭でしばかれる
ところは笑ってしまう。女性なのにお客に引かれず、笑いを呼ぶ。
自分たちを「チクショー」というせりふで笑いもとった。
頭と身体が、唐十郎のせりふを乗りこなせるようになってきた証拠です。
☆荒牧咲哉(あらまき さくや)
荒牧くんには、色々と活躍してもらいました。
冒頭の「小学生」にはじまり、葬列の「霧三郎」、
二幕の航空兵、そして三幕では、御茶ノ水に駈け込んでくる自衛隊員。
荒牧くんとは、今年の初夏に外部演出した『シーボルト父子伝』で
知り合いました。俳優・声優・お笑いの演者であり構成作家でもある
IKKANさん率いるオフィス怪人社の俳優部に所属して数ヶ月という
若手俳優です。
もともと「忍者ショー」をやっていたとも云います。
そのために、声も表情も優しい荒牧くんは、鍛え上げられた身体を持ち、
当然ながらアクションや殺陣ができる。
見た目は小柄なのですが、身鍛え上げられている身体がぶ厚い。
Tシャツの下に異様なパワーを感じる。
そのアンバランスな様子が、彼の魅力です。
『シーボルト父子伝』が上演された築地で劇を支えてもらいながら、
延長戦はフィジカルが強いメンバーでいきたいと切望していた私は、
引き続き荒牧くんのパワーとキレを借りることができました。
遅れて稽古に合流した荒牧くんには、合い間に、
努めて『唐版 風の又三郎』の構造やせりふの意味、
唐さんがどういう作家で、どんな芝居をつくってきたかを話しました。
そうすることで、全体に理解を促すことになるとも思いましたし、
本番が近づけば近づくほど、舞台に立つことを愉しめるようになるだろう
と考えました。
とにかくシーンを完成させてしまわなければ、という焦りもありましたが、
急がば回れ。それに、荒牧くんには、木刀や模擬刀を扱うように、
役割やせりふを使いこなしてもらいたかった。
冒頭の小学生では、調子に乗った優等生の喋りとスピードを両立させる。
葬列の霧三郎では、笑顔のご近所さんがいかに酷薄であるかを体現する。
色々なオーダーをこちらは出し、彼は応えてくれました。
航空兵も自衛官では、こちらが求める圧倒的なコンビネーションと
スピードを、持ち前の運動神経で安易とこなす。
それでいて、苦労したのは2幕の係累血統調査のくだり。
乗り逃げの高田三郎三曹を糾弾するせりふを滔々と述べたてるシーンでは、
自分の立場から意味を伝え、苦しむ相手の反応を捉えながら喋る必要がある。
この場面については、最後の最後まで工夫と挑戦を続けました。
表立ったミスではないものの、時には息が続かない日もある。
本番の緊張の中で冷静さを保ち、せりふの最後にまで呼吸を維持し、
せりふが相手に及ぼす影響を見届けるべく残心までをも全うする。
毎回が挑みかかるような本番で、公演前後は課題出しと工夫の連続でした。
そうして渡り合っている姿を端で見ていて、誘って良かったと心から思います。
2021年10月22日 Posted in
中野note
今日はKAATの仕事で久々に秦野市に行きました。
『実朝出帆』を上演した東田原の広場にも少し寄り、お参りしてきました。
今は、海老名のサービスエリアでこれを書いています。
本日のカーテンコールはこの二人。
劇団員の林麻子と渡辺宏明くん、いきましょう!
☆林麻子(はやし あさこ)
劇団員の林麻子です。
アサコは今回の延長戦にあたり、完全にコメディエンヌ開眼しました。
それも、私の指示や指導によるのではなく、
彼女独自の研究によってこの道を切り開いてみせた。
これは演出としても、劇団主催者としてとても嬉しいことでした。
とにかく、彼女の演じたスケバンの「梅子」は、
ちょっとした所作やせりふが、どこか可笑しい。
しかも、いかにもコミカルというやり方を彼女はしない。
あくまで唐ゼミ☆劇団員らしく、台本の設定に立ちながら、
せりふを活かして可笑しみに持っていく。
それでいて、鳳さんの演じた姉貴分の「桃子」にすがる時
行き場も展望もないスケバンの寂しさが伝わってくる。
可笑しくて、とても可哀想。
梅子は、男たちに傷つけられ、桃子にも捨てられる役です。
その度になげき、悲嘆の声をあげる。
その声の音程がこちらの要求通りいつもピタリとくるので、
「ああ、アサコはピアノ科なのだ」といつも実感します。
また、必死にギリギリ演じるところと、
商業演劇的に、余裕を持って自分の状態を表しながら伝えるところと、
そのあたりの見せ方、切り分けのバランスも心得てきた。
そろそろガチンコの、悲壮かつ二枚目な役どころに挑ませ、
観る人の激情に訴え、人間の真に迫る役柄をやるべき時と考えています。
衣裳と三腐人の歌の振り付けも彼女の仕事。
歌詞と役者の個性を活かそうとする振り付け。
他人の衣裳にも自らのプライドを賭け、
本番前日にも睡眠時間を削ってズボンの裾上げを続ける。
なかなかのセンスと体力。
2012年にシアターコクーンで上演された『下谷万年町物語』を観て、
翌年の唐ゼミ☆『夜叉綺想』に飛び込んできたアサコ。
久々の花やしきが彼女にはどう見えていたのか、
今度、聞いてみたいところです。
☆渡辺宏明(わたなべ ひろあき)
渡辺くんは久しぶりに参加してくれました。
2014年に新宿中央公園で上演した望月六郎作『君の罠』以来です。
渡辺くんは、Bobjack Theaterのメンバーで、
唐ゼミ☆常連の丸山正吾くんもこの劇団に所属しています。
それがご縁で、前回も参加してくれた。
5年以上を隔てて再会したことにより、自分は
日々の積み重ねが人間の基礎的な能力そのものを向上させるのだと
思い知りました。とにかく、声がデカくなっている。
こんなに基本的なパワーアップを果たすなんて。驚きました。
渡辺くんの演じた「大学生」は、軍人家系の末弟という設定です。
だから、戦後に何年経とうが、常に学ランを着て竹やりを持ち、
空腹の限界に挑戦し続けている。
本来はジャガイモのような坊主頭の青年が演じるべきところですが、
渡辺くんの「大学生」にはどこか色気があって、それが面白かった。
それでいて、急激に燃焼して儚く消えるような青春の痛ましさが
ありました。健気で、だけど、絶対に幸せになれそうにない感じ。
他にも、『唐版 風の又三郎』における渡辺くんの献身はものすごく、
出番の少ない2・3幕に多くの役割を買って出てくれました。
ある時は航空兵、ある時は佐々木あかりに連れられた甦る死体、
他にも、往来をいくホスト風の男、自衛官の一人もやってくれ、
どこでも声を張り続けてくれた。あらゆる場面に登場しては、
ダレそうになる舞台進行のテンポアップに貢献。
テントの内外をウロウロしながら劇の進行にヤキモキする自分を
いつも安心させてくれました。
丸山正吾が演じる「夜の男」に連れられ、「犬」となって現れる終幕。
あれだけの暴力性を丸山正吾から引き出したのは、
渡辺くんのフィジカルと二人の信頼関係に他なりません。
フィジカルの強い役者が好きで、しかもせっかちな自分の好みを
よく体現してくれました。「年齢とともに体力が落ちてきています」
そう渡辺くんは終演後の楽屋で言っていたけれど、そんなことはない。
一度に解放するエネルギーの量が格段に増えたからだと、
こちらはにらんでいます。
初めて唐さんの芝居に、しかも『唐版 風の又三郎』に出てもらえて
ほんとうに良かった。
2021年10月22日 Posted in
中野note
今日は劇団員のみで集合しました。
解体されたセットや衣裳類なんかも含め、
産廃業者さんに引き取りにきてもらいました。
そして、それぞれが立て替えていた買い物の精算を行います。
一つの公演を完全に終えるというのには、なかなか時間がかかります。
細かなレンタル品とか、助成金の報告書とか、数ヶ月かかるものもある。
でも、これで一区切りです。
自分自身は、これから渡英に向けた準備を本格化させますが、
新しいファイルを買いました。今回の『唐版 風の又三郎』から導入して
気に入った革張りのファイルに新たに研究する台本を入れます。
公演が終わると、また新たなことを。
私たこうして、いつも頭のどこかに台本を置いて生活しています。
生活する中で、ふとした拍子にある場面を読み解く。これが愉しい。
さて、今日から『唐版 風の又三郎』に出演してくれたメンバーのことを書きます。
順番はカーテンコールに登場した順番です。
本番ではダーッとやりましたが、このゼミログではゆっくりいきましょう。
☆赤松怜音(あかまつ れお)
劇団員の齋藤と林麻子が参加したKAAT公演『NIPPON・CHA!CHA!CHA!』
に出演していた縁で唐ゼミ☆にも出てくれました。
合流は8月頭。その時点で他メンバーはかなり本読みを重ねていましたから、
初め、作品理解にはかなりの開きがあったと思います。
が、赤松さんは熱心に稽古に通い、
もともとスケジュールしていなかった日も、
時間が空けば練習に駆けつけてくれました。
その物腰から、台本に心から興味を持ってくれていることがわかり、
こちらも力を入れて一から説明するようにしました。
台本への理解って、手間暇惜しまず全ての人に行き渡らせておくと、
最後の方で絶大な力を発揮します。また、赤松さんや、あとで紹介する
後発組の佐藤昼寝くんと一緒に、先発組が基本的なことをおさらいして
いたようにも思います。そんな風に、遅れてきたキーパーソンの一人として
絶大に全体を押し上げてくれた。
冒頭の小学生が印象的です。
いかつい同級生たちに囲まれて、ひとり可愛らしい。
歌を歌いながら登場する又三郎の幻や、それから、尼さんなど、
こちらが意図するシャレをよく含んで、大いに遊んでくれました。
清潔感や品があって、ユーモアがあるようにしたい。
さらに時々、下品にもしたい。そういう欲張りなこちらのオーダーを
よく理解して体現してくれました。
あと、なんといっても応援団がすごい。
今回、コロナに困窮して募ったご支援に、赤松さんのお知り合いが
どしどし応じてくださったのです。あまりの人気!
私たちも驚きましたが、本人も驚いている!
この、本人も驚くところが人気の秘密でもあると思います。
このあたり、驚異の人でもあります。
☆佐々木あかり(ささき あかり)
佐々木が劇団に来てから2年ちょっとが過ぎました。
その間、過酷な過酷な『ジョン・シルバー三部作』をいきなり体験し、
その後は、ずっと『唐版 風の又三郎』に一緒に取り組んできました。
一幕の冒頭に出てくる葬列の先頭を担ったり、
赤松さんと一緒に幻の又三郎として歌いながら登場したり。
なんといっても佐々木のメインは三幕の冒頭に出てくるいじわる看護婦で、
これには時間をかけました。
今回、彼女は稽古場での音響係も担ったので、毎日、自然と現場にいる。
だから、日々、あの台本にして2ページのシーンを稽古しました。
姿勢や、意味を読み取りながら力点をつけるやり方、
自分の声を発見して、どうすれば役と佐々木自身が一致するのか
一緒に探しました。すると、だんだん落ち着いて、正確にせりふが
言えるようになってきた。立ち姿も安定。
しかし、一方でなんだかつまらなくなってきた。
彼女はもともと、せりふとなると不思議な喋り方をします。
変な風に高音に抜ける節回しがある。
初めは素人っぽくて嫌だったんですが、佐々木が上手くなってみると
あれが恋しいようにも感じられました。
だいたい、あんな喋り方は誰もできない。
そこで、揺り戻しをかけました。
全体には意味の正確さ、発声の確かさを押し進めておいて、
決めぜりふでは、あの佐々木にしかない独特の発声と節回し。
我ながら、こういうところが唐さんに学んだ役者との付き合いだな
と思いますし、佐々木に時間をかけられたことが、延長戦をやった
大きな大きな効能でした。
2021年10月21日 Posted in
中野note
昨日からハンディラボに帰ってきました。
そして、今日が一区切りという日です。
ここ一年半、『唐版 風の又三郎』で使ってきた舞台美術や小道具、
衣裳を整理する。特にこの一年間、例の飛行機のパーツはハンディラボの
中でも大きな存在感を持ってきたけれど、今日でお別れ。
晴れわたり、温かさを回復した今日の集合は11:30でした。
さすがにゆっくりにして、よく寝られたかという話題から、朝礼が始まる。
中には次の現場に向かって突撃しているメンバーもいるけれど、
劇団員を含めた座ぐみの約3分の2が集まって、
作業をスタートさせました。まずは、ラジオ体操から。
上体そらしなど、方々から呻き声が出て笑ってしまうけれど、
昨晩は寝たし、陽気も良いし、皆の表情に余裕があります。
ここから、ハンディラボいっぱいに拡げた荷物を解体、
整理しながら収納、廃棄していきました。
数ヶ月前、ともすれば初対面同士だったメンバーは
今やすっかりお互いのことを知り、チームとしての役割を心得ています。
稽古中は緊張しているし、また作品への理解と
自分の演技の組み立てに必死で、話をする暇も無かったですが、
特に浅草入り前からは、テント芝居に必要な再現ない作業、
現場で日々行われていた公演準備と後片付けが、
これだけのチームワークを生み出しました。
千秋楽、劇場後方から見守った舞台上の展開、
せりふの取り交わし合いやアクションの数々、
エンディングに突入する際の一糸乱れぬ役割分担と統率は、
こういうところからやってきたと思います。
皆、それぞれの技と世界を持っていて、フィジカルに強く、
作品理解に欠かせないインテリジェンスに恵まれたメンバーでした。
せりふや物語に則った上で皆が独自に演技を組み立て始めるのを
見守るのは嬉しいものです。あ、伝わっているなと思いました。
明日から、出演メンバーについて書いていこうと思います。
劇団員まで含めて、時間をかけて書きます。
と、同時に、日曜日にはワークショップが迫っています。
まずは『少女仮面』から始めていきます。
これは初めて、自分がまだ上演したことのない作品に取り組む
という挑戦です。急いで準備しなければと、ちょっと焦っています。
2021年10月20日 Posted in
中野note
4日振りに家で寝た。
昨晩、帰宅すると2歳半の娘がステッチブックを持って駈けてきて
最近になって描けるようになった抽象画を見てくれとアピール。
応ずる体力を振り絞るも、至難。
そういえば、この娘は唐さんと同じ誕生日に生まれてきた。
ちょうど79年年下の後輩。
唐さん、公演が無事に終わりましたよ。
ここまでこぎつけましたよ。
あとは搬出をして、お客さんも皆も健康維持できれば、公演達成!
ボストンバッグから溜まった衣類を取り出して洗濯に。
こういうのは勢いでやってしまわないと。
疲れが目の前にビジュアル化して、さらに疲れる。
だから、ガッとやる。
早朝。
どんなに疲れていても、習慣的に朝早く起きる。
そして、すでに皆は連動して動き始めている。
冷たい雨。予報されていたこととはいえ、やはり冷たい。
多くのメンバーは9:00を目指して花やしきを目指す。
禿は7:00にうちに車を借りにきて、齋藤と津内口を乗せ、
川崎のレンタカーに彼らを運ぶ。そこでトラックを調達し、2台で浅草へ。
私は、横浜駅のレンタカーまで歩いて行き、大型の車を借りた。
午後に花やしきを出た時、多くのメンバーをこの車でに乗せて、
ハンディラボまで運ぶ。公共交通機関は疲れるし、感染予防にもなる。
積んで、降ろして、作業が過酷な分、ここをスムーズにするのが一日の肝。
9:00。朝礼の後。
齋藤のトラック、運送会社さんが運転してきてくれたトラック、
2台のトラックを連ねて、荷積が始まる。
この頃には雨が上がっていて、希望を持つ。
何人か、唐組から来て下さった助っ人の力も借りて、着々と積み込んでいく。
今回、初めての出演ですべてが真新しかったメンバーも、
搬入時の経験から要領を得ており、早い。
テント資材やセットなどを積んでいく平トラック。
衣装や機材などを積んでいく箱トラック。
それぞれに分かれて荷物をあげていく。
箱トラックは女性陣がメインで積み込みを行なっているが、
丸山雄也と佐藤昼寝がここに加わっているのが面白い。
雄也くんは小柄で可愛いし、昼寝くんは淫腐が板につきすぎて、
何だかフェミニンになっている。二人とも、女性班に紛れてハマっている。
私はといえば、楽屋に借りた建物にある流しを掃除した。
100円均一でメラミンスポンジ(劇落ちくん)を買ってきて、磨き上げる。
その後、あいさつ周り。
花やしき近隣の皆さんや、浅草で応援してくださった皆さんに
御礼を言って回る。思えば8月末。この場所で公演が始まり、
こうして終わることなど、影も形もなかった。
今では急速に低下した感染状況は猛威をふるって、とてもこんな風に
収まるだなんて想像もつかなかった。
そういう状況下で、浅草の皆さんは私たちを受け容れて下さった。
しかも、すべての手続きを、チラシの完成やチケット販売や、
各所での許可取得に追いまくられる私を慮って、超スピードで
サポートして下さった。
突如ふって湧き、皆さんの日常に割り込んできた案件。
こちらは自分たちのことばかりに追い込まれてしまって、
きっとおかしな目つきにもなっていたと思う。
それを、嫌な顔ひとつせずに対応して下さった。
急場を救って下さったことへの御礼を、心から言って回った。
中には、かえってお土産を頂いてしまった方々もいて、
言葉が出なくなってしまう。『こち亀』は決してフィクションではない。
13:00過ぎに現場に戻ると、積み込みを終えた皆がお弁当を食べていた。
聞けば、すでに地面の危険物チェックも終わったとのこと。
ここは駐車場だから、釘やハリガネや、とにかく金物が大敵。
だから、皆が一列に並んで、ローラー作戦でこれらをくまなく拾う。
結局、現場ではほとんど雨が降らずにいてくれて、僥倖。
仕切る齋藤が「過去最高のスピード」と喜びながら、皆で出発。
さようなら、浅草。言問通りを首都高入谷口に向かいながら、
地方巡業並みの寂しさに囚われる。
車内の暖房をフルパワーにして、ハンディラボを目指す。
道が混んでいるので小一時間。皆、仮眠をとり、ボンヤリしている。
14:30過ぎにハンディに着いた。
2週間前にここを出てから、ずいぶん色んなことがあった。
が、感慨も底そこに積み下ろし作業開始。
今日は倉庫スペースを唐ゼミ☆が独占させてもらい、
全面を使って一気に展開していく。
箱トラックから降ろし、次に平トラック。
休憩を入れながら、4時間働き続けて、すべての荷物を降ろした。
浜川崎のレンタカーにトラックを返却し、
それから皆を大型車で、日吉や武蔵小杉に送った。
明日はセットや小道具、ゴミを廃棄する。
『唐版 風の又三郎』とのお別れが迫っている。
2021年10月19日 Posted in
中野note
楽日から一夜明け、太陽光が降り注ぎはじめた。
最後のテント番はひどく寒かったけれど、
6:00を過ぎると急激に暖かくなり、救われたように感じる。
コロナ感染はもちろん、風邪をひいてはいけない。
それが今回の公演の最後のミッション。
みんなも心配だけれど、座長の自分がかかったら洒落にならない。
夜中のうちに方々、連絡をする。
劇中歌作曲の安保由夫さんの奥様と、
編曲&2・3幕で禿が肉を食べた後に歌う『燃えるカゲロウ』を
作曲してくださったサトウユウスケさんに公演の完遂を報告。
初演の『唐版 風の又三郎』時にバリバリの状況劇団員だった
安保さんが今回の上演を観たら何と言うだろう。
ユウスケさんは大学時代からの仲でひとつ上の先輩。
本当に良い先達に恵まれた。
今回、テーマソングにはエレキギターを使われている。
去年、何人か、公演を観た関係者に「あれは合わないね」と言われた。
唐さんの作品はアコースティック演奏が基本で、
ロックっぽいうエレキは似合わない、と。
でも、エレキギターを導入したのには訳がある。
それは自分が20代前半の時、初めて状況劇場の記録音声を聴いた時、
まさしくエレキギターが使われていて、憧れたから。
そう。唐さんも使っていたのだ。
これには不思議な話があって。
近年、状況劇場時代の公演の音声が次々とYouTubeに上がるようになった。
(法的には明らかに問題がある一方、貴重な資料であることも確かで、
是非についてここでは触れない。)
大事なのは、音楽の話。
ネット上にアップされている『唐版 風の又三郎』では、
伴奏にエレキギターが使われていない。
一方、私がさる筋から譲られて聴いた音声資料にはエレキが入っている。
どういうことかというと、ネット上のは京都公演。
私が持っているのは、それより後の東京公演の記録なのだ。
それは、長い長いオープニングシーンからも判断できる。
東京公演の特筆すべき会場は夢の島。ということは背後が海。
だから、劇冒頭に男装したエリカがやってくる場面は、延々としている。
私はこれを面白いと思う。
唐さんはこうして、地方から巡業をスタートさせながら
東京にたどり着くまでの間にも、貪欲に芝居を練り上げていたのだ。
上記の記録からもわかるように、劇中歌の伴奏が増強されたわけだし、
これは安保さんに伺ったことだが、役者同士の掛け合いも格段に
テンポアップして、上演時間が1時間近く縮まったらしい。
それが本当なら、1974.4.10の大初日、福岡公演の上演時間は
いかほどだったのか。
ともかくも、今回、サトウユウスケさんのご友人、
佐鳥研斗さんにエレキギターを演奏してもらって本当に良かった。
最終的には、初演に使っているか使っていないかが問題ではなく、
自分がカッコ良いと思ったからお願いした。そして大満足している。
それが一番。
閑話休題。私たちのバラシの話。
まず、8:30過ぎには近所に泊まったメンバーが元気よくやってきて、
さらに家に帰ったメンバーも合流。またしても助っ人さんたちに
加わってもらい、9:00に朝礼・ラジオ体操。
一気に劇場や楽屋の壁幕を取り払うと、全体が太陽光を浴びる。
今日の強差しは強く、たちどころに場を温め、乾かしていく。爽快。
午前中には、舞台客席をバラし、また楽屋の中を片付ける。
花やしきさんにお借りした一部屋に、今回はずいぶん助けれたけれど、
この部屋をキレイにお返しするべく、掃除していく。
面白かったのは飛行機の解体。
全体が丸みを帯びているために、地上置きすると仕事がしにくい。
そこで、齋藤のアイディアで、エンディング時と同じように
ユニック車で少し浮かせて解体を進める。
それがまるで、アンコウの吊るし切りのよう。笑ってしまう。
午後にはテントの解体に入る。
何人か、上空に昇ったスタッフが幕を剥いでいき、
彼らによって幕が降りると、地上で待ち構えるメンバーがすぐに
それらを畳む。
鉄骨の解体に入ってもそれは同じで、
上空での解体→受け渡し→地上での整理という流れにより、
劇場が消えていく。
陽がずいぶん短くなったものだと感じつつ、
やや暗くなり始めた17:00頃にメインの躯体をばらし始める。
まだユニック車が使えるので、もっとも重い屋根部分の鉄骨を
楽に下すことができた。もう一息の緊張で、全てのものが地上に
並べられ、明日の荷積みを待つことになった。
その間、私はといえば、保健所に行ったり、
近所でお世話になった人たちのもとに伺って、公演の報告をした。
18:00前には解散して、ユニック車両を川崎のレンタカーに返却。
この車のおかげで、私たちのヒコーキは飛ぶことができた。
お世話になりました。
2021年10月18日 Posted in
中野note
千秋楽が終わった。
今晩もテント番の自分は、曙湯に長いこと浸かり、
終演後に片づけをしていたメンバーと入れ替わりで、
客席部分で寝ることになった。
昨日まで寝ていた楽屋は衣裳のケアで扇風機がうなっており、
メインのテントにいる。一回寝てしまって、あまりの寒さに
起きて防寒具など着込み、寝袋にカイロも放り込んで
天井を眺めていると、2004年に私たちのもとにやってきた
この青テントの幕が、いまだによく保っているものだと思う。
半日後には解体されるこのテントを次にやるのは、いつだろう。
さて、千秋楽の朝に時間が戻る。
あ、秋がきてしまった!と飛び起きた。
寒い。早朝の雨が冷たい。一通り見回りをして、
天井に水が溜まっているところを突き上げたけれど、
降りが強くて雨漏りや床の浸水はどうしようもない。
ありがたいことに今日も満員だけれど、お客さんが濡れずに
観られるか心配になる。予報では開場時間には雨がやむとある。
けれど、果たして上手くいくものか。
今日は9:30からオンラインでの英語のカウンセリング。
受付テントでテストなど受けていると、10:30集合を目指して皆が
集まってきた。朝礼・ラジオ体操。
雨が強い。数日前まで半袖Tシャツ1枚で暑がっていた私たちは
今やヒートテックを着て、ふるえながら掃除をし、舞台を復旧した。
ほとんどのセットは去年につくったから、
舞台装置たちも今日で一年ちょっとの役割を終える。
アイロンや扇風機を駆使し、乾きにくい衣裳を力技で乾かした。
皆の準備は素早く、12:00前に稽古を開始できる。
整えた方が良い点。丁寧に立てると効果的な言葉。
オープニングの走り込みの調整など、数点を伝えて役者に託した。
織部役の丸山雄也は、三幕で工夫しようと思っているところを
相談にくる。なるほどその工夫は有効だが、相手役の禿の出方を
変えるとより効果を発揮する。三人で話し合う。
雨がひっきりなしな中、
浅草十和田のおかみさんから差し入れのお弁当を頂いた。
できたての天丼は温かで、雨に濡れないようビニールで
ひとつひとつ包まれている。
こんな風に丁寧にお客さんを迎えよう、と思う。
13:30に歌練習が始まる。もう禿は一曲しか歌わない。
それで勘を掴んだら、あとは全ての声帯を本番のみに使う。
一方、三腐人のリーダー・松本一歩は、喉の不調にも関わらず
全力すぎるほど全力でやって、客席で見守る他メンバーが
笑い転げている。皆それぞれに勝負をかけている。
そういえば、米澤が昨日の本番前にこんなことを言ってきた。
「身体に踏ん張りが効きません。
せりふにこれまでのスピードが出ないかも知れません」
普段、生真面目で控え目な米澤らしい。
「理想のスピードを自分でわかっているはずだから、
常に挑んでくれ。オレに何も言う必要はないよ」と伝える。
役者は一瞬々々を勝負してくれたらいい。
勝ったり負けたりしてくれていい。ただし何が勝ちか。
せりふや所作、道具の扱いを通じて何を伝え、どうウケるべきか。
はっきりとした基準を事前につくる。稽古はそういうものだと思う。
14:30頃に雨がやんだ。天気予報すばらしい。
15:00になってたくさんのお客さんが集まってきた。
中には、高齢で杖をついている方、脚の悪い方がいたので、
スタッフたちがケアする。今回の観客導線は負担をかけがちなので、
マンパワーで最善を尽くす。
15:30ピッタリにスタート。
開演の拍手が冒頭3人の登場の拍手につながる。
すぐさま教室の場面に。役者たちは力を惜しまずに振り切っている。
台本も劇場もお客さんも、いまや完全に役者たちのもの。
1幕が終わり拍手。
休憩時間にトイレの誘導をしていると、「寒いですねえ」とお客さん。
2幕が始まってすぐ、スタッフがホッカイロを買いに走る。
制作陣が、お客さんと役者たちにできる最後のサポート。
2回目の休憩時、椎野と自分でお客さんにカイロを渡した。
ビニール手袋をして、一人一人に手渡し。
禿と椎野と三人で唐研究室に入って20年後。
禿はステージで死闘。椎野と自分は客席で楽しくカイロを撒いている。
3幕。
人により声は枯れているけれど、細かな勝負に正面からぶつかる。
禿の高音域も活きている。皆が舞台で熱演し、引っ込んでくると
確かな作業をする。次のシーンに向けて、道具をセットし、
配線して、仕掛けを動かす。エンディングまでいくために、
どれひとつ欠けてはならない全てを、皆が支えている。
終幕近く。
観客のご家族やご友人が道路で待っており、残り時間を尋ねられた。
お答えしながら、結果的に屋台崩しを後ろから観た。
ステージ上にいる二人の物語を完成させるために、
20数人が連動して動き、拍手を浴びながらカーテンコールの舞台に
すっ飛んでいく。動きに無駄なく、冷静で、懸命で、嬉しくなった。
お客さんを送り出し終わり。
今日はそれぞれが気に入りの衣裳を着たままにして、写真を撮った。
それが冒頭の写真。
それから、洗濯や、片付けをして全員集合。
夜なので小さな声で話をし、解散した。
コアメンバーは近くの格安ホテルをとって、照明や音響のバラし。
皆でカップ麺を買ったので、近くのローソンのお湯を空にしてしまう。
フーフー言いながら、コロナ禍なので無言で食べて、作業。
夜バラし班も解散。
2021年10月16日 Posted in
中野note
↑開演40分前。ハヤカワ文庫の『唐版 風の又三郎』を熟読する米澤。
出番前、最後のランスルー。
昨晩からテント番だったが、
天気予報がはずれ、早朝から小雨が降りはじめた。
そこで、こちらはテントの周囲をグルグル。
大道具なんかがとび出して濡れていないか、
雨漏りしていないか、チェックする。
テントの中に入って明かりをつけると、
大きめの扇風機3台がフル稼働して洗濯物を煽っている。
湿度が高くなると乾きが悪くなって困るな、
そんなことを考えていたら日が照ってきた。
その後、今日は一日、晴れと曇りがいったりきたりしながら、
最終的には最終幕の途中から雨が降った。
これは結果的にエンディングへの彩りになって、恵みの雨だった。
一日の動きはこんな感じだった。
10:00 集合、朝礼、ラジオ体操
10:10 舞台復旧・客席拡張によるディスタンス確保
12:00 稽古
13:30 劇中歌練習
15:10 開場
15:30 開演
19:00 終演
20:00 片づけを終えて解散
5日目ともなれば一連の流れはスムーズ。
自分を含めた受付や誘導スタッフも、お客さんが間延びしないよう
開演前や休憩中、終演後の進行を少しずつ工夫してきたのが、
今日で完成したと実感した。(明日には終わってしまうけれど・・・)
それにしても、ここ浅草花やしき裏に久々に来てみて、
自分の意識が以前と変わったように思った。
それは周囲のノイズに関わること。
以前の唐ゼミ☆は花やしき終園の18:00以降に公演していた。
長編なら18:00。短い内容であれば、18:30や19:00に開演する。
けれど、花やしきには夜間貸切営業というシステムがあって、
イベントや企業の納涼会なんかで特別に園内が動く時がある。
そんな時には21:00まで稼働しているために、アトラクションの音がする。
私たちはそれを気にして本番をやっていた。
しかし、今は違う。
コロナの影響でたまたま今回は15:30に開演になり、
劇の大半が、花やしき絶賛稼働中になった。
けれど、私たちはあまり外のノイズを気にしない。
だってテント演劇なんだもん。
そんな風に大らかに捉えられるようになった。
いくつか原因が考えられる。
(1)
自分がKAATで働いていることは影響しているように思う。
あんな風に立派な劇場で働いていると、劇場空間があまりに
整然としていて、ノイズまじりの空間を改めて見直している。
(2)
せりふや物語の吸引力を、すごく信じられるようになった。
稽古や本番を通じて、私たちは何度もこの劇を体験しているけれど
お客さんは初めて。だから、役者やストーリーを追いかける
エネルギーは半端ない。
一方、こちらはストーリーテリングにひたすら磨きをかけ続けた
数年間だったし、役者たちがよく全体を理解して発語し、
人間関係を体現できるようになったから、自信あり。
(3)
『唐版 風の又三郎』だから。
登場人物も仕掛けもスペクタクルもセンチメンタルもたっぷり、
かつ、目まぐるしいので、テントの中は大騒ぎ。
周囲が多少うるさくても、ぜんぜん対抗できてしまう。
・・・というわけで、
ああ、オレたち変わったなあ、
ちょっとは上手くなっているなあ、
そんな話を劇団員と先ほどしながら解散した。
本番を思い起こすと、2幕中盤から劇は特に求心力を増す。
と同時に、午後5時半を過ぎると花やしきは急激に静かになっていき、
終幕には静けさに包まれて、主人公たちを支えてくれる。
この時間の経過を自分はとても気に入っている。
白状すると、決してここまでは計算していなかった。
けれど、浅草と花やしきがくれた最大のプレゼントだと思う。
人間にできる工夫を積み重ねて、最後に偶然の贈り物があると
その公演は上手くいく。それが20年近く唐ゼミ☆をやってきた実感。
明日、残り1回の公演。今夜もテント番。
↑本番前、道具が並ぶ
↑風を送る仕掛けも動かす、小川哲也と丸山正吾
↑棺桶を担ぐ直前。佐藤昼寝と松本一歩。
↑1幕終盤のふたり。鳳恵弥と林麻子。
彼らの乱入により、主人公たちは現実を突きつけられる。
↑今回、受付係の椎野。舞台と外まわりを同時に見るのは愉しい。
2021年10月16日 Posted in
中野note
公演4日目。
早朝、高田三郎を演じている小川哲也くんが昨晩のテント番を
買って出てくれたのだが、少し心配。
連続の晴れ日、風も落ち着いているため
ある程度は安心だけれど、寒さや虫、周囲の騒音のために
彼がコンディションを落とすこともありうる。
しかし、9:30に私が先乗りしてみると、
彼は落ち着いてテントの幕を開けて換気しつつ、
ゆったりイスに腰掛けていた。泰然とした彼は初めてのテント番に対し
「けっこう快適でした」と言っている。なかなかのタフネス。
一方、公演も折り返し地点ということで、
声を枯らし始めた役者も何人かいる。
別動して声帯の病院に行かせた。
私たちの公演期間は短い。
必然、一回一回の公演に特に気の抜けない度合いは高まる。
"温存"などと考えられない。
今日出し切ってみて、終演後にやっと明日のことを考える。
そういう自転車操業生活になる。毎日ヒリヒリしている。
今日は30分遅らせた10:30集合で、
朝礼・ラジオ体操をして皆、キビキビと動き始めた。
それぞれの作業にも、役割分担にも慣れたもので、準備が速い。
12:00頃には稽古。
本番をしていると、お客さんの視線を通して改善点が見えてくる。
そういうポイントを工夫していく。
あと、非常に静かなシーンでは、テント周囲の側溝の上を役者たちが
行き来する音が気になった。そこで、側溝をガタを防ぐためにゴム板を
挟み込む。消音。これでまた一つ、劇が良くなる。
こういう手仕事による工夫を際限なく積み上げて、
私たちの芝居は成り立っている。
15:00が迫るとお客さんが集まりだし、15:30に開演した。
今日も満席。反応よく、よく笑いが起きる。
『唐版 風の又三郎』には作品のファンがいると感じる。
役者のファンのみならず、作品のファンもよく細部の
くだらなさを嗅ぎ分けて、テント内はにぎやか。
カーテンコール含め19:00に終演。
役者たちは感染予防ですぐに楽屋に引っ込むけれど、
私は送り出しスタッフの特権で少し声をかけられる。
お客さんが熱い。この劇は役者たちが体を張って台本に向きあえば、
必ずゴールまで連れていってくれる。背後に唐さんのパワーを感じる。
2021年10月15日 Posted in
中野note
↑寝袋や旗、太陽がすべてを乾かす
やっと晴れた。
今日もテント番をして過ごしたが、昨夜はかなり早く寝てしまった。
それもこれも雨と、雨から来る寒さのためだ。
ぐっと気温が落ちて、あ、秋がやってきたな、という実感。
早朝に起き出して衣裳をケアする。
すでに乾いているものは横にはじき、まだ濡れているものを
扇風機の風にあてる。素材とかたちによって乾き方がまるで違う。
それを人力で補う。
朝になって、快晴がやってきた。
その分、抜けるような寒さだったけれど、
9:00を過ぎると暖かくなり出し、皆が徐々に集まり始めた。
10:00に集合して朝礼。
その少し前に、晴れた!といって何人かが拍手しているのを見て
笑ってしまった。テント演劇をやっていると子どもみたいになる。
近代人として退行するけれど動物として研ぎ澄まされる。
海や山に住む人のように天気や自然の変化に敏感になる。
ここからは一気呵成にテントの周囲にものを広げて、
道具や衣裳、皆が使っている普段の服や靴などを乾かし始める。
昨晩、泥っぽくなった劇場内は砂っぽくなる。これを掃除する。
Tシャツ姿になり「暑い!暑い!」と言い始める。
この辺の場当たりも動物っぽい。
12:00頃から何点か修正の稽古をする。
その後、少しできた時間を利用して、何人かのキャストと
役の衣裳を着て花やしきに遊びに行き、写真を撮った。
↑メリーゴーラウンドの最高速度は意外と速い
これまでお世話になってきた公演では、いつも閉園後に私たちの公演が
始まった。けれど、今回はコロナの影響で園の営業中にお客さんが
やってくる。子どもだけでなく、大人になって体験する花やしきは
格別に面白い。今回もご好意で唐ゼミ☆チケットを持っていると
入園無料のサービスが受けられます。ぜひ!
ここからルーティンに入る。
昼食を食べ、衣裳を着て、メイクする。
13:30から歌練習をして、14:00に舞台と客席を完成させる。
14:30を過ぎるとウォーミングアップしていた役者たちも楽屋に引っ込んで、
本格的にお客さんが集まり始める。
↑出番直前
15:00過ぎにお声がけして15:10から開場。満員で開演。
今日も観客の皆さんが温かく、笑いが起こって役者たちが嬉しそう。
嬉しいと劇がハネる。一方で、何人かが声を枯らし始める。
千秋楽まで保つだろうか。心配が頭をよぎるけれど、
明日のことは終演後。今は今日のことだけ考えるよう、声をかける。
お客さんは一度きり。いつも今に賭けるしかない。
↑花道から飛び出す者。これから劇場に飛び込む者。
今日は晴れた分、花やしきが賑やかだったけれど、
2幕の途中から閉園時間が近づき、テントは夕闇と静けさに包まれる。
劇は反比例するように盛り上がっていく。
↑常時換気の隙間から見た舞台
エンディング。今日も無事に飛行機が飛んで終幕。
終わった後のお客さんの送り出し、セットや客席の片付けも早くなった。
全体に疲労が濃いので、早めの解散を心掛け、明日の集合を10:30にした。
↓すぐに片付けが終わった
2021年10月13日 Posted in
中野note
↑2幕は盛り上がる。雨音がうるさくても平気
今日は本番2日目。
私(中野)の朝はテント番から始まった。
思えば、去年、新宿中央公園で過ごした2週間は一度も雨が降らず。
(かなり奇跡!)
だから、雨の中で過ごすテントの中はかなり久しぶり。
木材の棒を持って天井に貯まる水を突き上げていると、
初めてテントをたてた21歳の頃を思い出す。
あの頃は大学の講義棟の裏にあるドロドロの土の上で、
唐さんに借りた初期の紅テントをたてていた。
70人入ればいっぱいのかなり小さなテントだったが、
こちらに建てる腕がなくて、とにかく水が貯まる。
テント番の勘どころもつかんでいなかったために、
本当に寝ずの番をして、10分に1回は築き上げる。
そういう感じ。
・・・話を戻せば、今日は雨の中の公演だった。
↑屋根の水たまりをチェック
皆で10:00に集まり、朝礼。
雨のために多くの物資をメインテント内に結集させているので、
ラジオ体操はできず。さながら避難所の様相で、
狭い空間を行き来して舞台・客席を再構成していく。
雨漏りや客席の防水、電源系統の確認を終えたら、
もう12:00になっており、急いで稽古。数カ所を手直し。
初日の観客の反応も受けて、今日をどう展開しようか。
皆で作戦を練る。
↑劇場入口に置く盛り塩の準備も欠かせない
短時間で昼食や、メイクに入り、ここからルーティンを取り戻す。
劇中歌の練習をしながら、受付スタッフで集まって、
お客さんを誘導するやり方を練り直した。
今回はトピックが多い。
感染症対策として、消毒・検温・ご自身でのもぎりをお願いしている。
また喫煙所やトイレは花やしきさんのものを使わせて頂いている。
それらを円滑にご案内するために、2日目は配置換えをした。
そうそう。
昨日の花やしきは休園日だったけれど、今日から千秋楽まで営業中。
この場所でずっとお世話になって、お昼の時間に公演するのは初めて。
公演チケットで入園無料になるので、ぜひ花やしき園内も
愉しんで頂きたい。大人の視線で改めて見て、かなり面白いものが沢山ある。
↑開演3分前のスタンバイ
15:30に劇が始まると、
落ち着いて、スピーディな2日目が始まった。
昨日のお客さんにも助けられて、キャストたちは緩急がつくようになり。
力を抜いて早く運ぶところ、喜色満面でたっぷり魅せる場面の
メリハリがついた。2幕終盤ではかなり雨音が強くなったけれど、
こちらの劇も盛り上がるので、気にならなかったはず。
↑彼らも出番を待つ
終演後には雨も落ち着いて、お客さんも私たちも、
霧の中を帰っていくような感じで、『ビニールの城』を思い出した。
霧立つ浅草。
初日からかなり気候が変わった。
熱心に観てくださったみなさん、もちろん私たちも、
体調を崩さないことを祈ってハラハラしている。
コロナの影響は大きいけれど、演劇ってこういういうものだと痛感。
ほんとうに一回一回。
油断してこれを書いていたら、なんとまた降り出した。
今日もテント番。
2021年10月13日 Posted in
中野note
今日は公演初日。
昨日のマスコミ公開リハーサルを受けて、
いくつかのスポーツ新聞誌面でその様子が紹介さたた。
出掛けにコンビニに行き、これら新聞を買い集める。
横浜から浅草まで車で1時間ほど。
前はもっと時間がかかっていたけれど、コロナの影響からか、
朝の渋滞は緩和されている。
9:30過ぎに現場に着くと、
すでに集まった何人かがテキパキと働いている。
今日は雨。この浅草に来て何度かパラパラきたけれど、
本格的な雨は今日が初めて。そこにお客さんをお迎えするので、
雨漏りの心配がそこここにあり、必死で対応する。
10:00に朝礼・ラジオ体操をした後も、この作業は続く。
客席の安全を確保したら、今度は舞台袖のスペースに屋根を取り付ける。
少しの天幕、少しのひさしがあれば、役者たちが濡れるのをかなり
防ぐことができる。ほんの小雨だと人は平気と思いがちだけれど、
体を冷やした影響は数日経って出る。
週末あたりに熱を出そうものなら今回は大変なことになる。
そう言い合いながら、作業中もこまめに合羽を着て、
タオルで体を拭きながら対策する。
この間に、昨晩のリハーサルでクタクタになった衣装が元通りになる。
客席の一角はクリーニング屋さんのよう。
12:00から急いで稽古。
いくつか改善点を伝え、実際に返し稽古するところもある。
浅草十和田のおかみさんから提供されたお弁当を食べて、メイクに入る。
その間、受付など観客の誘導方法を確認。
14:30を過ぎると早くも何人かがやってきて、いよいよ始まることを実感。
15:00から声をかけ、消毒・検温をして15:10から開場。
もぎりや傘立て、トイレの案内など、今回はやることが盛り沢山で。
段取りがうまく回らないところがあり。いかにも初日。
余裕のある客席にお客さんが収まると、ホッとして開演。
早々に拍手や笑いが起きて安心する。しかし、力が入り過ぎたり、
客席の反応を待ちすぎてスピードが出ないところがある。
しかし、一幕を凌ぎ、仕掛けの多い二幕に入ると安心。
今日は花やしきが休園なので、実に静かな中で本番は進行し、
エンディングを迎えた。
終わってみると19:00近くになっており、
お客さんを送り出した後は、小雨の中を散らかった道具を片付け、
衣裳をケアして、20:00過ぎに解散。
さらに何人かは残って、明日にさらに強くなる雨に備える。
テントの屋根の上をいく水の流れを調整。
どこかが溜まったりしないよう工夫して、初日が終了。
2021年10月11日 Posted in
中野note
いよいよ、最終リハーサルの日がやってきました。
この場所で初めて、本番通り上演する。
いくつかマスコミの取材も入っています。
私は昨晩からテント番でしたから、
早朝から劇全体の進行に不足がないか考えを巡らせたり、
英語の勉強をしながら皆を待ち受けました。
8:00頃に齋藤と津内口がやってきて仕事を始めました。
おかげで、今回の公演に対する支援者の皆さんの名前が入った看板を
立てることができました。
去年は第1幕の舞台である「月光町地図」にしましたが、
今年は3幕が展開する「御茶ノ水地図」を仕立てました。
多くの方々に支えられて、この公演は成り立っています。
それから、9:00を過ぎると徐々にメンバーが集まってきました。
10:00になると朝礼・ラジオ体操をして昨日の続きで
エンディングの詰めをやりました。
昨晩に上手くいかなかったところのリベンジです。
これが11:00にはうまくいき、
さらに本番に向けた会場づくりをして、
皆で浅草寺にお参りに行きました。
これは『下谷万年町物語』を上演して以来の恒例行事。
中にはおみくじを引くメンバーもいます
浅草寺のおみくじは結構シビアで、容赦なく「凶」が出ます。
量も多い。中には、二本目に挑む者もいて「運は力で手に入れる」を
地で行く感じです。そうやって、無事に全幕が進行するよう願掛けながら、
これから本番に向かう高鳴りを味わいました。
12:00から休憩やお昼ご飯をとりつつメイク開始。
13:30からは劇中歌を練習して、14:00から装置・小道具のプリセット。
一旦おとなしくして、15:00に集合したら、あとは本番。
スタートと休憩時間中の転換がやや押しましたが、
滞りなく済みました。一箇所、緞帳幕が外れてしまったので、
これは修復するとして。
終演後は囲み取材を受け、その成果はSNSで発信します。
同時に、3時間半かけてドロドロになっていった衣裳をケアします。
いつも血糊落としや汗まみれの衣裳の洗濯に膨大な手間と時間を取られて
きたので、今回から二層式洗濯機を導入し、これがハマりました。
劇団員女子の負担をかなり減らすことができた。
あとは、修正点を伝えて、明日の予定を示し合わせ、21:00に解散。
私は車で話をしながら帰りました。
明日は初日。予報にある雨は弱め、今日が暑すぎたので、
気温は低めでありますように。
2021年10月10日 Posted in
中野note
↑特に技術的レベルの高い俳優たちがテイタンの門を滑らせる
現場入り7日目の今日は7:30に家を出た。米澤と齋藤、津内口をピックアップし、
浜川崎にある馴染みのレンタカーに。
そこでユニック車を借り、今度はハンディラボへ、
エンディングの大仕掛けである
飛行機の部材を積んで浅草に向かった。
↑音響の平井さんが機材をチェックしている
現場に到着すると10:00になっており、小雨が降っていた。
それから皆の合流を待って今日の作業に取り掛かる。
スタートは11:00。
明日のゲネプロに向けて、やることは山ほどある。
客席を平らにして、より良い観劇環境をつくる。
オペレーション室の壁に暗幕を張り巡らせて光の漏れを防ぎ、
テント劇場周辺の整理をする。
さらに、当日パンフレットへのチラシ折り込み作業を皆でする。
こうなると、いよいよ本番が迫っていると実感する。
劇の中だけでなく、お客さんをお迎えする準備が始まり、
場がキレイになってきた。
ステージ上では、ワダタワーさんを中心に、松本一歩君らが
セットの転換がスムーズに運ぶよう、潤滑剤を塗っている。
役者も演技するが装置の演技する。お互いの息を合わせる作業。
↑役者としての出番を終えたあとも、大きな仕事がある
そして夕方からはいよいよ本丸。
エンディングのヒコーキ飛ばしにチャレンジした。
去年も苦労したが、今年には今年の難しさがある。
限られた敷地の中でいかに目標を達成するか、試行錯誤。
こうなると、アッという間に時間が過ぎていく。
段取りを組み、トライし、うまく行かない場所を割り出し、
対策して、もう一度。
一度、試すと5分強のシーン。
リカバリーには20分ほどかかるために、そう何度も繰り返せない。
システムの問題なのか。強引にマンパワーで凌ぐのか。
本番という極限状態で、上手くいく想定の人間技に賭けるのは危険ではないのか。
ここまではシステム、ここまでは修練、ここからは少しの幸運を祈る。
そんな練習を何度かして、少しタイムオーバーしながら解散しました。
実に20:40。明朝に宿題を残しつつ。いよいよ明日は最終リハ。
↓ちょっと離れた駐車場の看板明かりもコントロール
2021年10月 9日 Posted in
中野note
↑稽古中の舞台袖
今日は2・3幕の場当たり。気温的に昨日までよりずいぶんマシだったけれど、
やはり昼間のテント内部は暑い。
来週の本番はどうなるだろうと、考えてしまいます。
いつもより拡張をして、常態的な開放もするけれど、
やっぱり人が集まると熱気が発生します。
天気予報を見れば、来週は雨がちで涼しくなるともある。
どうなるんだろうと思いつつ、備えをつくり、
あとは即興で凌ぐいこうと覚悟を決めています。
↑照明を調整。限られた機材と空間、演者とスタッフが歩み寄って完成させます。
10:00に集合し、朝礼とラジオ体操を経てセットを2幕に転換し、
皆で11:00から2幕に入って行きました。
明かり合わせ、稽古自体は順調で、スイスイと進む。
芝居は幕の進行につれてどんどん盛り上がっていき、
ステージ上の登場人物も入り乱れます。
止めては立ち位置や動きを直し、直しては先に進む作業を繰り返し
13:30には2幕を終了。
30分間の昼食をとって、場面転換の練習から、さらに3幕へ。
唐さんの芝居に暴力的なイメージや血が飛び散る印象を持つ人は
特に昔からのファンの皆さんには多くいると思います。
自分は、それだけでない、大きな構成の妙や、
シーンや場面を超えてせりふに張り巡らされた伏線の魅力を伝え、
爆発させたいと常に思ってきました。
が、しかし・・・
2幕の後半から3幕にかけては、もう唐さんのイメージそのものの
場面が沸騰します。私たちは期待通りに期待に応え、時に期待を超える
瞬間を生み出すために粘り続けています。
ああ、これこそが唐さんだ! 若き日のノリにノった唐さんだ!
そういう後方支援に煽られて、現場は速度を上げています。
↑こういう仕事が舞台上の仕掛けを支えています。
エンディング寸前までいって、18:00に全体の稽古を終えました。
そこからステージ・客席の細部を総出で詰めて、一旦解散。
何人かで残って特出しの稽古に入りました。
明日はいよいよ、クライマックスの大仕掛けを完成させます。
↑勢いで押し切りがちなエンディングの前段も、細かく止めて手直し。
そうしてこそ、最後の飛躍が高くなる。
2021年10月 8日 Posted in
中野note
今日は禿恵の誕生日でした。
劇団をともにして約20年。
ある時から、椎野が「10.9(トク)1日前」と言い出して
すっかり覚えてしまいました。
彼女の誕生日は芸術の秋のど真ん中にあるので、
公演準備・本番中にかなりの確率で当たります。
だから、お祝いした回数も多い。
余談ですが、ミスタープロ野球である長嶋茂雄さんは、
一度も誕生日にホームランを打ったことがないと語りました。
それはそう。ミスターのバースデーは2.20。まだ開幕前なのです。
その意味で、禿はラッキーです。
今日の大テーマは場当たり。
初めて照明を入れて明かり合わせをするのが本来の「場当たり」ですが、
私たち唐ゼミ☆では、止めながら通し稽古をする日と位置付けています。
照明だけでなく、道具の運びや演技の細部まで、
本物の舞台空間で一気に詰めてしまいます。
これによって、相当にブラッシュアップできる。
だから、私はこの稽古が好きです。
今朝は保健所や消防の検査もあり、
(テント演劇にとって極めて大切な手続きです)
その間はメンバーを温存しました。
私と椎野がこれに対応し、皆が集まったが11:30。
そこから準備をして12:30に稽古をスタートしました。
川崎で通し稽古を行って以来、久々に皆がせりふを言うわけです。
空間が拡がったからといって、声を張り上げてはならない。
むしろ、よく聞き耳を立てること。聞くための余力を残した発声を
すること。これを厳命しました。
そうすることで、空間の鳴らせ方、響かせ方がわかってくる。
これを掴めば、テントをそれぞれの力とことばで充たすことができます。
現地のサイズ、現地の事情に併せて、
稽古場で積み上げてきたものを変化させながら稽古しました。
ここら辺は、流しの料理人的手腕が問われるし、面白いところです。
良いアイディアに恵まれると、パッと現場全体が明るくなります。
それにしても暑かった。
昼のテントは日光を増幅させて、まさしく夏のようでした。
夕方になって涼しくなり、禿と雄也を残して、特出しの稽古もしました。
もう一息なのです。少しでも多くの魅力が役者と役柄から引き出したい。
もちろん。ここで喉にダメージを与えてしまうと一発アウトなので、
ヒートアップしがちだけれど、冷静さを失わないように。
明日は2・3幕です。きっと長い1日になります。
2021年10月 7日 Posted in
中野note
4日目にして、曇り空になりました。
今までが暑すぎたので、ずっと野外にいる私たちにはちょうど良い。
今日はこれまでよりも1時間遅く、10:00に集合。
朝礼をしラジオ体操をして作業を開始しました。
これまでに外径は完成しているので、細部を詰める作業です。
言うなれば、人が使いやすいように角を取り、丸みを帯びさせる作業。
何でもそうですが、真新しい空間というのは活動しずらいものです。
間隔を少し広げる。少し出っ張りを削る。ちょっとした取っ手をつける。
そういう細かな工夫の積み重ねののちに、勝手の良い空間が出来上がります。
午前中いっぱいをかけて「わたしたちの劇場」と呼べる空間が現れました。
大方、客席もできた。
そうそう、客席を実際につくってみたら、
しっかりとディスタンスを確保しても想定より多くの客席を確保できました。
そこで昨日から、新たな席も売り出しています。
千秋楽があっという間に売れていき、ありがたいことです。
https://www.confetti-web.com/detail.php?tid=63051&
お昼過ぎからは、劇の冒頭から次々に現れる仕掛けをクリアする
テクニカルリハーサルをしました。
帝國探偵社の中にある謎の教室が現れるシーンや、
それがあっという間に閉まって路地になるところ。
広くはない舞台を重厚な棺桶が行き来するところなど、
本格的な稽古を始める前に、あらかじめ大道具・中道具が
行き来する場面を当たっていく。こうすることでようやく、
わたしたちは演技への集中を確保することができる。
途中には、サウンドチェックも行い、
明日に始まる本格的な舞台稽古に備えました。
夕方になって雨がパラつきましたが、幸い大したことにはならず。
時間をかけ、3幕のエンディングを残して今日は終わりました。
ラストシーンは大仕掛け過ぎるので、丸ごと日曜日を費やす予定です。
2021年10月 7日 Posted in
中野note
浅草に来て3日目。
昨日で昼過ぎまでに劇場の外枠が完成し、
夕方手前から着手し始めた舞台や客席づくりを
さらに完成させていくのが、今日の工程でした。
朝9:00に入って朝礼とラジオ体操をし、
作業の振り分けをして各班に分かれて仕事をしていきます。
こうなると誰もが一心不乱になってしまうので、
食事以外の休憩時間も、全体に号令がかかってとることになります。
こういう時、「自分は休憩時間はいいですから」と言って
仕事を続けるのは厳禁です。誰かが作業を続けると、
他の誰かも休憩しずらくなる。
10月にしては毎日、気温がやたらに高く熱中症に気をつける必要もある。
増して、今はコロナ禍、感染者数の増減によって人の心は目まぐるしく
変わるけれど、私たちは油断できない。
午後からは舞台美術、照明や音響なども詰めていきました。
こうなると、いよいよ演劇をつくるのだと実感します。
現場入りしてからは完全に肉体労働化します。
皆が、自分は役者であることを一時、忘れるくらいに。
3日目ともなれば、初めは浅草やテントという真新しさの興奮で
紛れていた疲れに、追いつかれる頃でもある。
明日の集合は、ちょっと遅くして10:00にしました。
明日は、『唐版 風の又三郎』に頻出する数々の仕掛けをクリアする日。
テクニカルリハーサルというやつです。
明後日になれば、場当たりと言って、照明合わせをしながら10日ぶりに
せりふを言うことになる。つまり明日は、肉体労働から役者業に
ブリッジする日ということになります。
先週の稽古場最終リハーサルから、喉は休まったか。
体が作業に染まる一方、頭は劇に向かって動き続けたか。問われます。
一方で、チームワークやアンサンブルは、作業をともにすると
圧倒的に増すのがテント演劇の効能です。パフォーマンスにも、
それらはちゃんと現れる。
皆を急激に役者に戻す。明日の私の仕事です。
2021年10月 5日 Posted in
30_延長戦 唐版 風の又三郎 Posted in
中野note
夜中も暑かった。
劇団員が気をつかって寝袋2枚敷きのふっかふかにしてくれたのだが、
これらは去年、11月の新宿の寒さにビビって奮発したmont-bellブランド。
氷点下2度までいけるやつなのです。
今年はなぜか、10月なのに30℃近くまでいく。
当然、夜中でも気温は2ケタ。
そのようなわけで、掛け布団を蹴飛ばして寝ました。
朝も、火曜は花やしきが定休なので静か。
8:00を過ぎると、続々と劇団員と助っ人さんたちが集まってきて。
9:00から朝礼とラジオ体操をして作業開始。
昨日に立てた劇場の核となる躯体を拡張して全体の構えをつくり、
ステージと客席の概形を夜までに完成しようと齋藤が号令をかけました。
私はといえば、書類を作って提出に回ったり、
挨拶回りをしたり、取材を受ける。
何人か来客もありました。
久々に浅草に帰ってきた私たちのことを思いやって、
激励に来てくださった方々と旧交を温めました。
花やしきで最後にやったテント公演は2014年初夏の『木馬の鼻』。
園内の花やしき座で劇場公演したのが2015年3月の『青頭巾』。
『木馬の鼻』は、花やしきを公演地に定めて継続している私たちを
見守ってきた唐さんが、遊園地で働く青年とメリーゴーラウンドの
木馬を主人公にして書き下ろして下さった演目です。
『青頭巾』は状況劇場後期の作品ですが、
これはずばり、花やしきに集まるテキ屋たちを描いた作品です。
これほどさように花やしきに入れ込んできた歴史が、
フラッシュバックしながら、『唐版 風の又三郎』を見据えています。
日が暮れて、いよいよ劇場らしくなってきました。
去年から、感染予防対策により私たちは劇場を大きめに立てます。
お客さん同士には距離をとってもらいながら、でもやっぱり、
いつもにも増して熱狂の舞台をやります。
この空間の隅々までを、ことばと肉体で埋め尽くします。
2021年10月 3日 Posted in
中野note
今日は浅草入り前日。
ハンディラボに4トントラックを入れ、
荷台にテント資材やセットを積み上げました。
局地戦なので倉庫番の様相にもなりますが、皆、元気で働いています。
嬉しかったのは、
今年の初めに劇団を去った重村と熊野が助っ人に来てくれたことです。
重村は唐組に移籍して変わらずに唐さんを追いかけています。
久々に会った熊野は映像の仕事に取り組んでいるとのこと。
元気そうで、古巣を支えに来てくれました。
一方、私はといえば、
ハンディラボを後にして一人浅草へと向かいました。
明日の早朝に現場入りする前に、然るべき方にご挨拶しておきたかった。
緊急事態宣言が明けて、浅草は活況を取り戻していました。
外国人旅行客がいないことを除けば、私には浅草のあの人いきれが
戻ってきたように感じられました。
思えば、2009年に初めて現場入りした時にも浅草は賑わっていました。
人・人・人。しかもそれぞれが圧倒的にキャラ立っている。
横浜市内での公園や墨田区のスカイツリー予定地、池袋の西口公園。
それまでにも私には様々な公演地での経験がありましたが、
浅草の人々の、こちらに話しかけてくる頻度といったらありませんでした。
この劇団は何者なのか。ここで何をしようとしているのか。
とにかく話しかけられるのです。極論すれば、この街の人たちは、
浅草寺だって花やしきだって自分の土地だと思っている。
そんな雰囲気を感じました。
だからテキ屋さんにも、人力車夫さんにも、近所の商店主さんとも、
道ゆくおじさん・おばさんとも、とにかくお話ししました。
リハーサルが始まってからは、大所帯で大騒ぎしている私たちが
ご迷惑をおかけしてしまったこともありました。
本番に向けて現場のボルテージは上がる。
しかし、すぐ隣には皆さんの生活やご商売があるわけですから、
うるさかったに違いありません。
でも、毎日顔を合わせていると、評判を読んで観客が増えていくことや、
大学の先輩であるサトウユウスケさんにつくってもらった
エンディングの曲を褒められたりもしました。
「芝居が終わるときにかかる音楽がいいねえ」って。
早朝、今は無くなってしまった観音湯に行くと
必ず会うご近所さんもいて、だんだん親しくなっていく。
私はそうして、『こち亀』や『寅さん』の中で行われているやりとりが、
この世に実在することを知ったのです。
今回、直前で新宿から浅草に切り替わったことで準備は突貫、
ここ1ヶ月はほんとうに目まぐるしく過ぎました。
そんな中でも、私たちのことを覚えていて下さった方が何人もいました。
明日からの浅草での生活が始まります。
テントには夜間警備が必要なので、
なるべく多く引き受けて、あの場所での暮らしを愉しもうと思います。
幸い気候も良く、去年に買った寝袋もあるので、安心です。
当然、芝居には自信あり。明日からは現地レポートを始めます。
2021年10月 2日 Posted in
中野note
↑09年『下谷万年町物語』二幕の終わり
今日はハンディラボに集合し、荷造りをしました。明日にこれら荷物を積み込んだら、明後日の朝には浅草入り。
さて、昨日に続く2009年『下谷万年町物語』の話。
舞台となる瓢箪池は今では場外馬券売場(WINS)のあたりに
あったということでした。
その近くにある空き地といえば、浅草寺の裏手か花やしきの駐車場。
ご相談したお蕎麦屋「十和田」の女将さんは花やしきを紹介して
下さいました。すぐに花やしきの社員さんを呼んで、話をして下さった。
その時、自分が何より嬉しかったのは、
「この子たちは劇場じゃなくて、テントじゃなきゃダメなんだ」
と熱心に言って下さったことでした。
私たちのテント芝居に賭ける思い、使命感はあまり理解されません。
それはそうです。演劇をやりたければ劇場でやればいいじゃないか。
至極もっとな感覚です。それまでも、別に邪険にするわけでなく、
親切心から、公演場所を探しているといえば、「良い劇場がありますよ」
と何度も言われてきました。
どだい、世の中に「テント芝居」があるということを知る人は
圧倒的に少ないというのが実感です。
ところが、女将さんはたちどころに理解して下さった。
そして、一緒になって花やしきの方々を説得してくれました。
聞けば、かつて第七病棟が常盤座で公演した『ビニールの城』や
下町唐座が上演した『さすらいのジェニー』を、女将さんは
よく覚えていたのだそうです。
程なく花やしきの皆さんは私たちの企画を受け入れてくださり、
テント演劇が周辺の民家に及ぼす騒音にまで心を砕き、
一緒にご近所を一軒々々廻って下さいました。
また並行して驚いたのは、社長さんの対応でした。
チラシにコメントをお願いしたところ、台本を持ってきて下さい
と言われます。知っての通り、唐さんの台本は演劇人が読むにも
難解です。そこで、私がかいつまんで粗筋をお伝えしようとしたところ、
「いや、台本を」と。ピンときてすぐにお届けすると、
社長さんは最初から最後まで読んで、メッセージを寄せられました。
「やはり難しいね」とおっしゃっていましたが、
そこには企業人トップの迫力、緊張感がありました。
私たちのためにわざわざ台本に向かい合って下さる。
こちらの活動に興味を示し、正対してこられる相手に対し、
安易なアイディアを提案した自分を恥じました。
こうして浅草・花やしきという会場を整えながら、
芝居の中身もまた完成してゆきました。
数ヶ月かけて、桜木町のバー「はる美」で募り続けた役者は、
劇団員と併せて60名を超え、テントも柱を買い足して天井高く改造しました。
同時に、台東区の助成金申請や開国博Y150から請け負ったイベントの仕事、
建築会館でのシンポジウムで上演した『恋と蒲団』など資金集めもしました。
もちろん、着物屋の佐藤さんが衣裳を送り続けてくださった。
歌舞伎の皆さんを真似て、お練りもやりました。
(他のイベントに衣裳を着てちゃっかり便乗)
全てを結集させながら、唐ゼミ☆は浅草の地に突入していったのです。
2021年10月 1日 Posted in
中野note
↑2009年10月『下谷万年町物語』開場! 浅草花やしきにて。
10月です。いよいよ週明けに浅草に入ります!
実に、6年ぶりの浅草公演。
今日は台風。
集合を休みにしましたから、皆それぞれに準備をしたはずです。
道具や衣裳・メイクの素材、テント劇場の設営への装備、
医者や散髪といった体のケア。さまざまです。
私は、来週から浅草と『唐版 風の又三郎』にどっぷり浸かるべく、
他の仕事をしました。済ませられることは、済ませておかないと。
いよいよ浅草だと思うと、胸が高鳴ります。
昨日、このゼミログに書いた着物屋の佐藤さんのこともあり、
唐ゼミ☆が浅草でデビューした時のことを思い出しました。
そこで、今日から3日間、浅草で初めて公演した時のことをお話ししましょう。
事の起こりは『下谷万年町物語』から始まりました。
20代半ば過ぎ、学生時代から劇団を支えてきた仲間の何人かが去り、
途方に暮れていた私は、一発逆転を果たすべく、この演目の上演を
決意しました。絶対に再演不可能と言われた大作です。
『下谷〜』の上演には池が必要であり、長大な長屋のセットが必要であり、
何より、登場人物表に「万年町の娼夫85人」と書かれただけの出演者を
充たす役者たちが必要でした。
2008年春。当時の私たちは、実に1年半をかけてこの準備に乗り出します。
公演場所も特別なものにしたい。そう思った私は、浅草に注目します。
唐さんが幼少〜青年期を過ごした上野・浅草が物語の舞台です。
特に、かつて浅草六区にあったという瓢箪池は重要なポイント。
そうだ!瓢箪池があった場所で公演しよう。
物語の始まりが、そもそも今は無くなってしまった瓢箪池を忍ぶ
一人の中年男の長ぜりふから始まります。ならば、私たちはその場所に
立ってこの芝居を始めたかった。
絶対に浅草で公演したいと思い定めて相談に行ったのは、
すしや通りにあるお蕎麦屋「十和田」の女将さんでした。
遡ることその2年前、2006年に墨田区で公演した際
(演目は『お化け煙突物語』『ユニコン物語〜溶ける魚篇』)
私たちは浅草にポスターを貼りに行きました。
その時に、女将さんと知り合った。
以来、年末年始や春・夏休みの繁忙期など、
私たちは浅草でアルバイトをさせてもらい、ご馳走にもなっていました。
どうにか浅草で公演できないか。テント劇場を立てられる場所はないものか。
襟を正してご相談にいったことが、全ての事の始まりでした。
2021年9月30日 Posted in
中野note
気持ちの整理がつかないので今日は長くなります。どうかご容赦を。
佐藤さんが亡くなりました。
佐藤さんは演劇人でも芸能人でもない、一般の方です。
けれども、私たちの舞台を縁の下で常に支え続けて下さった方でした。
佐藤さんは着物屋さんで、お家は上越の高田にあります。
20代の中頃、私は佐藤さんと大学院の先輩からのご紹介で知り合い、
以来、佐藤さんは劇団の味方になって下さいました。
佐藤さんのご商売というのは、実に広範囲に渡るものです。
ハイエースに商品を満載にして、各地を走り回ります。
上越を起点に、西は瀬戸内、東は東北まで行っておられるようでした。
しかも、それら全てを一人で。
「単騎、千里を走る」という言葉があります。
もともとは、三国志に出てくる関羽将軍を表す言葉です。
主君・劉備の妻子を連れてたった一騎で千里行を果たした関羽は、
転じて、移動=商売の神様となりました。
佐藤さんはまさに、この「単騎〜」を地でいく方でした。
恐るべき移動距離と強行軍。
でも、いつ会っても佐藤さんはへっちゃらという感じでした。
横浜に来た時には、よくトンカツをご馳走になりました。
各地に顧客がいて、よく着物を引き取るのだと伺いました。
お客様たちにとって、着物は処分しづらいものなのだそうです。
親の代から受け継いだ着物を、おいそれと捨てられない。
そこで佐藤さんは着物を引き取り、新たな着物を売る。
けれども、引き取った着物はといえば、やはり処分するしかない。
それで佐藤さんは、それらを私たちに譲ってくださるようになったのです。
劇団ならば役に立てるだろうという佐藤さんの読みは当たりました。
私たちはこの頂き物を駆使して、多くの舞台をつくってきました。
その最たる例は『下谷万年町物語』。
私たちが初めて浅草花やしきにデビューしたあの公演です。
『下谷〜』の舞台には多くの男娼が登場する。
一人一人が煌びやかな着物をまとって女装する。
それらのほとんどが、佐藤さんから送られてくる品物に依っていました。
時代が経ったものとはいえ、明らかに高価そうなもの、
全く古びていないものも多くありました。
演歌歌手が着るような豪華な打ち掛けも舞台で大活躍しました。
たまに芝居を観ては
「あいかわらず変なことをやっていますね。私にはちっともわからない」
と笑って、すぐに車に乗って帰って行かれました。
それがちっとも嫌な感じでなく、思わずこちらも笑ってしまう方でした。
いつの頃からか、佐藤さんは大病されて、もう死にます、もう死にます、
とおっしゃるようになりました。それを、とても明るくおっしゃる。
私たちの佐藤さんへの想い、感じていた恩義は強く、
いつだったか手術を乗り越えてご商売を復活された時には、
船橋まで駆けつけました。
久々に再開した椎野と私は、ちょっと泣いてしまった。
そして、まるで片見分けのように、椎野に不相応な贈り物を下さいました。
しかし、そこから佐藤さんは元気になりました。
「新薬がどんどん生まれているから」と佐藤さんはおっしゃっていました。
その頃から、佐藤さんと電話するたび、
「まだ生きております」「死ぬ死ぬ詐欺の佐藤です」が枕詞になった。
だから、私たちは佐藤さんはいつまでもいてくださるものだと思うようになりました。
相変わらずいきなり届く巨大な段ボールに「あ、また佐藤さんだ!」と。
迂闊でした。
いつの間にか佐藤さんは、8月に亡くなっておられたのだそうです。
それを今日知って、呆然としています。
最後に佐藤さんから荷物が届き、LINEでメッセージが寄せられたのは4月でした。
いつも通り巨大な荷物。LINEメッセージには冒頭に上げた写真が添えられ、
「数年に一度の景色です」とありました。
今年、佐藤さんが過ごした春が絶景でほんとうに良かったと思います。
もう着物がたくさん出てくる舞台ができないなあ。
今、そう思いながら、この気持ちをどうして良いのか分からないでいます。
今日はやっぱり気持ちの整理がつかず長くなってしまいました。
ご冥福をお祈りします。佐藤さん、ありがとうございました。
2009年10月『下谷万年町物語』より
2021年9月29日 Posted in
中野note
集中稽古を乗り越えました。
公演初日まであと2週間ありますが、私たちは今日までが佳境。
通常の劇団であれば、初日の数日前に劇場入りします。
ということは、だいたい1週間前に稽古場でのリハーサルが終わる。
けれども、私たちはテント劇団。
現場入りしたら劇場を立てるところから始めます。
当然、準備の日数が多くかかる。
持っていく荷物も多くて、この規模の公演にしては、
4トントラック2台と+αという所帯はやはり多めです。
引っ越しをする感覚です。
そのようなわけで最近は通し稽古と修正を繰り返しました。
そして、稽古場とお別れです。
稽古前後の休憩時間に皆が相談している様子を聞いていると、
『唐版 風の又三郎』の世界が皆に浸透してきているのを感じます。
すでにこの演目を経験済みの劇団員はもとより、
今回が初参加のメンバーも、読み解いてきた劇の内容に基づいて
演技に適切な工夫をするようになってきている。
こうなると閉めたものです。
皆が台本内の意味や価値観に則りながら、
オリジナルな演技を開発するようになる。
せりふや段取りを乗りこなすようになれば、
舞台はいよいよ役者のものです。
明日から、稽古はお休みです。
体と喉を休ませつつ、道具や衣裳を完璧にし
何より、頭を働かせ続ける。
飛躍のための準備をして、週明けから浅草に入ります。
接近中の台風の被害がありませんように。
2021年9月28日 Posted in
中野note
稽古が進むにつれ、私たちは作品世界に没入します。
集中力はいや増し、自然と目に飛び込む世界も劇の世界に。
今日のゼミログは短め。
『唐版 風の又三郎』に浸り切る私が、最近目にした光景をご紹介します。
(1)エリカ
ヒロインの名前。神保町で見かけた喫茶店です。
(2)ベニス
2幕冒頭は『ベニスの商人』のパロディから始まる。
保土ヶ谷駅周辺の床屋です。
(3)シェモア
主人公・織部(オリベ)の主治医・宮沢先生の愛唱歌。
エンリコ・マシアスの『わかっているよ』より。
https://www.youtube.com/watch?v=R9QsE9RioXk
天王町駅周辺の美容院です。
2021年9月26日 Posted in
中野note
7月に唐ゼミ☆劇団員の米澤剛志と参加したイベントの
メイキング映像が公開されました。
佐藤信さん構成・演出のもと、米澤が活躍しています。
見てやってください!
今日は稽古休みでした。といっても、創作の準備は止まらず(止めたら公演に間に合わない!)、
休むことなく各地を転戦して資材や機材の調達に走り回りました。
まず、早朝から東京の中央線沿線に向かい、
その後に山梨県に行き、さらに中野に戻り、
それから新宿に行って関係筋にチラシをお渡しし、
一旦、横浜に戻って少しKAATの仕事。
それからもう一度、東京の江東区に行きました。
やれやれ。我ながらここ数年で運転体力がついたものだと思います。
道中に時間はたっぷりありましたから、
今までにしてきた稽古を思い返して、何が足りないかを考えました。
稽古場や座組のメンバーから少し距離をとって思い返すと、
もうひとつ工夫のしどころが見えてきました。
そういえば。
唐さんに教わっていた学生時代もそうでした。
私は深夜のコンビニエンスストアでアルバイトをしていましたから、
そこでずんぶん作戦を練ることができました。
お客さんが来ない時間帯など、さほどやることはないけれど
強制的に目覚めていなければならないわけですから、
考えごとにはもってこいでした。
思いついたこと、改善点をひたすらゴミになったレシートの裏に書いて
貯めておき、帰宅してそれらを整理していました。
いま思えば、実に贅沢な時間です。
今日は、そんなことも思い出しながら充実しました。
明日、初めて全幕を通します。
その後は、19:30から唐ゼミ☆ワークショップもやる!
お題は『唐版 風の又三郎』第2幕。
公演を10倍たのしんでもらうための企画です。
2021年9月24日 Posted in
中野note
↑前回ご支援いただいた皆さんには、1幕 代々木月光町に
住んで頂きました。
今回は『唐版 風の又三郎』第3幕の御茶ノ水地図を造ります。
住人、求ム!
(1)ご支援のお願い
『四角いジャングルで唄う』CDの発売から一夜明け、
みなさんへのご案内を急いでお送りしています。
会場変更が影響し、チラシの完成がようやく先週末でしたから、
急いで封筒やお手紙を用意して、今まで唐ゼミ☆を応援し続けて
下さっている皆様に郵便を出します。
中には、すでにチケットを買って下さった方もいますが、
チラシを手に取って頂きたいので、お送りしています。
またその中に、ご支援のお願いもさせて頂いています。
もともと今回の再演は、去年の公演を観ることができなかった方々に
どうしてもこの劇を届けたいと願って企画しました。
『唐版 風の又三郎』は100本ある唐さんの劇の中でも抜きん出た傑作です。
そしていまや、私たちにとっての自信作でもある。
もっと多くの人に観てもらいたいとの一念でした。
同時に、私たちは一年もたてば、コロナはもっと収まると思っていました。
結果はご存知の通りです。ワクチンも普及し、ここ数日は感染も
落ち着いてきていますが、夏のデルタ株は猛威を奮いました。
結果的に、私たちはいま、去年以上の厳戒態勢で稽古に取り組み、
本番に臨もうとしています。
来て下さったお客さんを決して帰さないというのがテント演劇の
不文律でしたが、今、それはままなりません。
私たちにできることは、劇を磨き上げ、定数ながら観て下さるお客さんに
去年以上のドラマを撃ち込む一心です。
正直に言えばお金はかかり、身入りは少ない。
けれども、一年に一度は自分たちの公演を持ちたい、
まして、私の渡英が来年に決定している以上、どうにか唐ゼミ☆の
創作と表現を維持したい。そう思ってきました。
2年連続のお願いで大変恐縮ですが、どうか宜しくお願いします!
(2)稽古の進捗
今日は思いきって、2・3幕を通しました。
2幕が46分、3幕が65分。この段階で申し分ないタイムでした。
そして、その後に修正稽古。
これまでは少人数制の稽古を行ってきましたから、
そのシーンで主軸となる登場人物を重点的に組み立ててきました。
が、ここからは、周りで物語が進むのをサポートしていく
メンバーに注力しています。舞台中央で起こっていることを、
それぞれがどう引き受けるのか。
これをやると一気に舞台がハネます。
人物同士が絡まり合って、それぞれの欲望が渦巻く。
こうなればばしめたものです。
明日はそんな修正にさらに注力します。
全幕を上書きしていく。舞台を人間関係のるつぼに。
怒涛の1日になりそうです。
2021年9月22日 Posted in
中野note
今日のトピックは3つです。
(1)『唐十郎 四角いジャングルで唄う』復刻CDの発売!
ついに!ついに!
発売になりました。奇跡の復刻です。
もちろん、Amazonでも。
美しく再生した唐十郎、四谷シモン、李礼仙の歌声、
大久保鷹、不破万作によるコミカルな司会をお楽しみください。
私(中野)がライナーノートを書いています!
(2)稽古の進捗
今日は、2幕中盤から3幕を稽古しました。
全員体制でこの箇所に臨むのは初めて。
広い稽古場で距離や換気をとりつつ、これまで積み上げてきた
ピースを急速に組み上げました。
3幕クライマックスの決闘には特に力が入ります。
その瞬間瞬間に、それぞれの役柄がステージの中心で起こる出来事を
どう受け止めているか。ひとつひとつ検証すると、
世界が生きてきます。時間をかけてやりました。
そして折に触れて稽古を止め、
この芝居がどんな劇かを皆に話します。
自分が出ていない場面がどう自分に関わり、
唐さんが仕込んだテーマがそれぞれのせりふに散らばっているか。
絶対に全員に知って望んで欲しいのです。
まるでDNAのように、身体全体の情報をすべて把握していて、
それでいて、頭になったり、脚になったりしている。
この座組にはそういう風であって欲しい。
これが、「劇団」による表現だと確信しています。
座組の中にはもちろん、他の劇団所属やフリーの俳優もいます。
けれども、9月末までの集中稽古で完全に劇団化させます。
(3)唐ゼミ☆ワークショップは『唐版 風の又三郎』特集!『唐版 風の又三郎』を一回一幕に分けて本読み中です。
これを受けると、みなさん大好きなこの演目がどんな物語か、
登場人物はどんなキャラクターかを予習したり、
見どころを知ることができます。
受講生の皆さんで台本を読みながら進めていくWSなので、
役者の気分も味わいながら、観劇がよりたのしめるようサポートします。
唐さんにまつわるエピソードも満載です。
http://karazemi.com/perform/cat24/post-18.html
9/26(日)19:30〜21:30 第2幕
10/4(日)19:30〜21:30 第3幕
※途中参加の方用に、第1幕の内容も補いながら進めます。
2021年9月21日 Posted in
中野note
大鶴美仁音さんが横浜にやってきたので、
午前中に会いに行きました。
私が唐さんに出会った大学生の頃、彼女はまだ小学生。
それが今や、女優として活躍し、唐組を支えるスタッフの一人でもあり、
宣伝や舞台の美術も手がけています。
短時間でしたが、お互いが取り組んでいる台本や劇団運営など、
すっかり大人の話をしました。私たちは互いに唐さんの世界に惚れ込んでいて、
どうやったらそれを多くの人に、世代を超えた人に伝えられるか、
こればかり考えています。面白かった。
美仁音のおかげで、午後の稽古に向けて弾みがつきました。
それに今日はチケットの売り出し日。
みんなで大騒ぎしてSNS発信しながら発売をスタートさせました。
なにせ、今回はコロナの影響から会場の変更があり、
ようやく1ヶ月前になってチラシを入稿することができたのです。
売り出しまでの日々もバタバタで、ちゃんと興味を持って下さっている人に
情報を届けるのに、今も必死です。
劇の中身だけでなく、
今回は宣伝やチケット販売方法の点でも、
私たちはチャレンジをすることにしました。
それにしても、まさか今年の方がコロナが猛威を振るうだなんて。
想像だにしなかった状況下の中で、今まで行っていた受付での
チケット販売をやめて、プレイガイドにお願いすることにしたのです。
本当にしなければならないと思うことを研ぎ澄ませる時勢です。
テント演劇は、一同でお客さんをお迎えし、
前後に人間らしい交流もあって、それが贅沢なのだと自負しています。
けれども、今回は、他の全てを封じてステージから客席に劇を届ける。
こういうシンプルな一点に賭けたいと思っています。
そのために、とにかく劇を磨くしかねえ。
午後からは稽古をして、夜まで過ごしました。
課題は2幕の中盤以降でしたが、舞台上で起こる仕掛けと演技を
同時に完成させていきます。
3幕に至ってクライマックスが迫ると、どんどん登場人物が増えていく。
物語の進行上、同時間に舞台のあちこちで
起こっているやりとりをひとつひとつ詰めていきました。
そうしていううちに、お互いが何をしているのかを知り、
唐さんの描く巨大な世界の片鱗が見えてきました。
まずは、自分たちが臨もうとしている劇の全貌を実感する段階です。
明日は1幕の通し稽古。
2021年9月20日 Posted in
中野note
今日は言いたいことが山ほどあります。
チラシが完成しました!
昨日、印刷されたばかりのチラシが届きました。
私は大喜びでダンボールを開け、これを手に取りました。
去年からのバリエーションにして、今回も自信作です。
コロナにより、チラシの配布は困難になりました。
公演会場の最終決定もコロナによって紆余曲折しました。
演劇人の中には、もうネット上での宣伝に特化しようという人もいます。
けれど、やはりオレたちの表現はチラシから始まるのです!
初演を経て、多くの方々に応援のコメントも頂きました。
これを旗印にして、これから約1ヶ月を走り切ります。
稽古場でみんなに配ったら、やっぱり嬉しそうでした。
これから応援してくださっている皆さんにもお届けしていきます。
楽しみにしていてください。
明日からチケット発売です!
9/21(火)10:00〜売り出しです。
今回は感染予防対策を徹底するべく、カンフェティに絞りました。
劇を観ていただく以外の直接やりとりを、可能な限り減らそうと考えてのことです。
9月末までは早割もあります。
特に土日は争奪戦が予想されますので、お早めにお求めください!
安保由夫さんの御命日
もう残り1時間になってしまいましたが、
今日9/20は安保由夫さんが亡くなった日です。
安保さんは、素晴らしい俳優・歌手・作曲家であるだけでなく、
私たちにとっての生き辞引きであり、いつも励ましを下さる方でした。
他の唐十郎ファミリーの先輩方とは少し違い、
物静かな中に決然と秘められた意志を、私は安保さんから受け取ってきました。
これだ!という劇をつくることができた時に、安保さんに褒められました。
芝居や劇団を続けていくことに心が折れそうな時に、励ましてもらいました。
そして毎日、『唐版 風の又三郎』の劇中歌を通して、
私たちは駆り立てられています。
今はまだハンディラボ。もう少し仕事をしたら、
車の中で安保さんご自身が歌うのを聴きながら帰ろうと思います。
2021年9月18日 Posted in
中野note
今、車の中にいます。
中華街の路上で、できあがるお弁当を待っているところ。
テント演劇には各種さまざまな申請書類が付き物で、
これにけっこう骨が折れます。
今晩中に目処をつけておかなければこの先が危うい。
そう思った私は助っ人を呼んで作業することにしました。
だから、劇団員にちょっとだけ豪華なお弁当を用意しようと
思ったのです。静かに腹ごしらえをして、手続きを突破するべし。
今日の唐ゼミ☆は稽古休みでした。
と言っても、みんな衣裳や小道具の工夫をしたり、
身体のケアをしているに違いない。
来週になれば怒涛の集中稽古が始まってしまいます。
これまで、部分々々を積み上げてきた稽古を、
一気に合体させて各幕から劇全体へと発展させます。
そのために、呼吸を整える日が今日なのです。
一方、私は明日に、6月から延期になった
ドリームエナジープロジェクトの本番を迎えます。
今日は劇場入り。早朝から杉田劇場に入って、
仕込みからリハーサルを行いました。
この仕事は、ダウン症や自閉症の青年たちによる劇の演出です。
劇の内容はすごくハートフルなので、時に
「唐さんの劇をやっている人がなぜ?」
と言われるのですが、圧倒的個性派が勢揃いしている面白さがあり、
何か共通するのではないかという直感で劇をつくっています。
それに彼らは役者としては自然体そのもので、
心から腑に落ちないと動かないところがいい。
興味が持てない時にはびくともしないこともある。
だから、物語の伝え方や稽古の進行がある意味ほんとうに
合理的でないと揺さぶることができない。
なかなかの演出修行です。
公演は明日、13:30と17:00から2公演のみ!
あ、弁当が来た!!!
書類づくりを倒したら、最後のひと工夫を考えて明日に臨みます。
2021年9月18日 Posted in
中野note
昨晩のブログに書きそびれましたが、
昨日はずっとお借りしてきた、かに座での稽古最終日でした。
それで、前夜に書いたように、こちらも最終シーンを稽古していたわけです。
少人数で日常の話なんかも交えながら稽古をしていると、
禿と雄也くん("丸山"さんが今回は二人いるので)の役やせりふに
対する考えから、昨年の上演では至らない点があったことに
気付かされました。
ちょっとしたカッコ書きに注目してみたところ、
ボロボロに傷つけられた主人公たちが互いを励まし合う最後、
ほんの少しだけ元気づくタイミングにズレがあることがわかりました。
ふた言くらいの工夫なのですが、これでまた一段と、
書かれていることと役者の動きがフィットしました。
こうして、わずかな手直しを重ねます。
・・・というようなことをして、かに座を引き上げました。
ここ数年、いつもお世話になってきたこの場所ですが、
自分は来年、日本にいないので、次にここに来るのは
いつになるだろうと思いながら掃除と荷出しをしました。
これが昨日のこと。
今日は、ハンディラボで作業でした。
去年の公演から役者が入れ替わった役に当てて衣裳を新調したり、
美術をパワーアップさせる作業が急ピッチを行なっています。
『唐版 風の又三郎』の1・2幕は帝國探偵社、
3幕は御茶ノ水の街が舞台となります。大きく分けて2種類の空間。
それをこのハンディラボの中に同時に立てて、あっちこっちと
ビルドアップしていく。作業はここ数日がヤマです。
週明けから、広めの稽古場に移って、集中稽古をします。
蜜を避けられる空間に最小限のセットを立てて、
いよいよ劇全体を組み上げていきます。
これまでバラバラにシーンを組み立ててきた役者たちにとっても、
自分たちがつくっているものの全貌を知ることになります。
2021年9月16日 Posted in
中野note
チラシ完成間近。今度は浅草で飛びます!
今日はもうヘトヘトです。
朝から晩まで色々なことがありました。
早朝はKAATの仕事や英語の勉強をして、
昼近くに台東区に行ってご挨拶まわりをする。
午後は横浜に戻って人から、頼まれた用事をするためにBanKARTに行き、
それからもちろん、稽古をしました。
主人公ふたりが繰り広げる終盤の芝居を煮詰める。
合い間に、今週末に本番を迎えるドリームエナジープロジェクトの
準備もしました。
それらを経て、クライマックスは夜のミーティング。
来年に研修をするロンドンの劇場の皆さんと顔合わせを行いました。
素晴らしい人たちです!
何より嬉しかったのは、
唐ゼミ☆の面々がハンディラボに残っていてくれたことです。
通訳のアシスタントをしてくれたり。
からかい半分、心配半分。何となしに気にかけていてくれました。
そして、その間も徐々に完成していく
『唐版 風の又三郎』のリニューアルセット。
色んなことを同時にやるのはキツいけど、
色んなことを同時にやっている面白さが炸裂した1日でした。
そういえば今日は木曜日。
学生時代。毎週木曜は唐さんが大学に来て、通し稽古を見せる日でした。
前日は夜中まで稽古。当日はたくさんの緊張。
もう唐さんをお送りした後はヘトヘトでした。そんなことも思い出しました。
2021年9月15日 Posted in
中野note
今日も朝から稽古。ターゲットは3幕終盤です。
この芝居自体のクライマックスでもあるこの場面は、
全体を通してもっとも多くの登場人物が入り乱れる場面です。
帝國探偵社と自衛隊員たちが一致団結してエリカと織部と
向き合う対峙の果てに、高田三郎の家族を引き連れた夜の男が登場。
いまや高田のエキスを体にとり込んだ織部に決闘を持ちかけます。
そこからはサシでの決闘。人情沙汰。物語は加速度的に悲惨の度を
高めていく、という具合です。舞台上に、15人くらいいる。
けれど、今は緊急事態宣言下。
そのために例え本来は舞台上にいるべきメンバーであっても、
せりふや段取りのないメンバーには我慢してもらいました。
必要最小限の役者たちを揃えて、段取りの確認から入りました。
で、稽古が進むうち、もっとも盛り上がるのはやはり決闘周辺です。
『唐版 風の又三郎』の決闘は、気合い充分にしてどこか情けない。
このあたりのバランスが絶妙なのです。
思えば、唐さんの劇、特に70年代の芝居には、
クライマックスにおいて執拗に決闘シーンが展開します。
唐さんは決闘好き。
そういえば私の学生時代、唐さんはマカロニウエスタンの面白さを
力説されることがありました。
当時の私はサウンドトラックマニアで、いつも映画音楽を聴いていました。
必然、マカロニ〜も聴く。すると、これが実に粒揃いで、
唐さんの前でCDをかけて紹介したこともあります。
自然に話が盛り上がって、唐さんが学生時代に観ていた映画の話になる。
そんなことも思い出しながら稽古しました。
それぞれの登場人物がその時々で何を考え、受け止めているか。
人の数だけ時間がかかりますが、丁寧にやるだけ仕上がりは上々です。
2021年9月14日 Posted in
中野note
鳳恵弥さん(真ん中)が稽古場にやってきました。
鳳さんと会うのは8月上旬の『シーボルト父子伝』以来。
この間、お互いに一つずつ舞台を終えてきました。
築地の本番がだいぶ前のようだ、そんな話をしました。
これで桃子・梅子のスケバン姉妹が揃いました。
手前の背中が、妹分役の林麻子です。
私たちはい、ずれも去年の公演でともに『唐版 風の又三郎』を
立ち上げました。だから台本については熟知しています。
けれども、基本的なことを確認しあいながら、一幕からつくり直しました。
この姉妹のおもろしさは、コントのようなキャラクターの濃さ。
それでいて、軽妙なやり取りの中に彼女らの真実の叫びが
かいま見えるところに妙味があります。
まずは軽みが大切なので、あまりマッチョに演じすぎることなく、
遊んでいるような余裕の中で登場し、突如、真率なせりふを吐く。
そう心がけました。
私たちにとって難しいのはこの「遊んでいるような余裕」ですね。
自分で言うのも何ですが、根が真剣なので、真面目にやり過ぎる。
だから、脱力、脱力。けれども、せりふは明晰に。
真剣なのかふざけているのか、簡単には分からない。
こういう境地に立つことが今の目標です。
途中からは高田三郎役の小川哲也もやってきて、彼の長ぜりふも稽古しました。
唐作品といえば、その魅力はやはりあの圧倒的なせりふの長さです。
彼は初体験ですから、思い切り洗礼を浴びています。
ひとり語りの中に登場する複数の人物を演じ分けながら喋る時、
身体を捌くと楽になる。強制的に、キャラクターが入れ替わる。
そういう身ごなしを一緒に探しました。
スケバンをやっては高田。高田をやってはスケバン。
そうそう。
稽古が終わる頃に私のケータイが鳴り、
『四角いジャングル』復刻CDが完成したとの報が入りました。
発売は9/22ですが、ライナーノートを書いた私に
先に渡してくださるという。早速、受け取りに行きました。
たまたまですが、担当の方がかなりご近所さんなのです。
カーステレオで聴いてみて、音のキレイさに惚れ惚れしました。
これまで、レコードのスクラッチノイズとともに聴き慣れてきた
唐さんたちの歌声も素敵なのですが、やはりキレイなのはいい!
それに、鷹さんやシモンさんの物腰に、
真剣さと遊びの絶妙なブレンドを見る思いがしました。
明日の稽古の休憩中に、みんなにも聴かせてやろうと思います。
レコード初版についていたオマケのリサイタル台本も見事に復刻!
担当者の執念を感じる仕事です↓
2021年9月11日 Posted in
中野note
来月、『唐版 風の又三郎』を上演します!
10/12(火)-17(日)に浅草で行います。全日15:30から開演。
当初は会場として新宿中央公園を予定していましたが、
最近のCovid-19の感染拡大を受けて、浅草花やしき駐車場に
会場を変更することになりました。
詳しい経緯については、こちらをご覧ください。
ここに至るまで、新宿と浅草、
両方にいらっしゃる多くの方々にご尽力を頂いてきました。
感謝に尽きません。これから公演の成果を以って、
私たちにできる御礼をしていきたいと思っています。
そして、観客の皆さんはたのしみにしていてください!
自分は来年1年間、イギリスで演劇づくりと劇場運営の研修をします。
次にテントが公演できるのがいつになるとも知れません。
ですから、大学入学以来積み重ねてきたありったけをブチ込みます!
ところで、今日は私の稽古はお休みでした。
「私の」稽古はお休みで、役者たちの自主稽古の日。
気になって写真を送ってもらいましたが、これがその様子。
いつもより楽しそうではありませんか!
元劇団員のワダ タワーが久々に帰ってきました↓
2021年9月10日 Posted in
中野note
本読み(読み合わせ)を大事にしています。
以前は本読みに時間をかけませんでした。
あれは稽古を始める時の儀式であって、サッと読んだらすぐに立ち稽古。
台本は身体で読むものだ。だから本読みに時間をかけない。
蜷川さんはそういう主義だと聞いたことがありました。
唐さんも数日という感じ。だから尚のこと本読みを手短にしていました。
20代の頃の自分にとって、
本読みは理屈っぽく、稽古場での時間稼ぎのようにも感じました。
いわば机上の空論。唐さんたち肉体派の世代が否定した、
それより前の時代の演劇人たちの悪しき風習のように思えたのです。
が、30代に差し掛かる頃から、この考えが変化します。
稽古のはじめに膨大な本読みの時間を必要とするようになりました。
理由は単純で、台本を読めるようになったからです。
内容を汲み取れるようになり、全体に張り巡らされた伏線、
構成の妙にも敏感になると、多くの時間が必要になりました。
本読みを重ねず浅い理解のまま立ち稽古に突入すれば、
俳優はあまりに多くの情報を身体を動かしながら処理しなければ
ならなくなります。
動きを考え、小道具をさばき、その上でせりふの意味を理解する。
過酷な作業です。体にかなりの負荷がかかます。
いきおい稽古場は凄惨になります。
昔ながらの稽古場、怒声に満ちた稽古場は
いきなり立ち稽古に突撃することにより生まれるとさえ、
今の自分は考えています。
同時に、そんなことは全くの無駄であるとも。
まず自分が本をよく読み、
自分が起点となって皆と本読みをしながらさらに理解を深め、
今度は説明を尽くす。それぞれの役者のピンとくるポイントは
おのおの違います。
だからこそ、様々なアプローチで相手に迫りながら理解を促す。
そうして出来た「頭での理解」を「体での理解」に変えていくのが
立ち稽古。そして、立ち稽古も上手く後半に進めば、
その「体での理解」が体全体で発する表現に変わっていきます。
だからこそ、本読みが大事なのです。
現在の稽古は立ち稽古が中心ですが、時折、本読みに立ち戻ります。
今日の稽古がまさにそうでした。
皆でもう一度台本を開いて、せりふとト書きの細部までをも確認し直し、
役柄と物語が何を伝えようとしているか、
それを受けた俳優が何が伝えたいかをとらえ、もう一度立ち稽古に戻る。
まるで、大工さんや左官屋さんが設計図を確認するような作業です。
遠回りのようでいてこれがやっぱり近道なのだと、自分は確信しています。
今回のメンバーの中には何人か、本読みが少なかった人がいます。
こういう役者たちをいかに丁寧にケアできるかが、
終盤の伸びしろを決めるはずです。
自分の逸る心を、押さば引け、急がば回れと抑えつつ稽古を続けています。
2021年9月 9日 Posted in
中野note
↑「擬宝珠(ぎぼし)」
つまりてっぺんにある金色の丸い部分を舐めたいらしい。
今朝、久々に浅草に行きました。
かつてお世話になった花やしき周辺にも行き、
街の変わらないこと、変わったことに、
安心したり、驚いたりしました。
あ、織部の冒頭のせりふ。
精神病院から久々に月光町に帰ってきた時の感慨は、
こんな風かなと、思ったりして。
最後に花やしきさんにお世話になったのは、2015年のことです。
あれから5年以上経っている。
その間、私は落語を好きになりました。
浅草に来て思うのは、「擬宝珠(ぎぼし)」という演目。
この噺、大店の若旦那が主人公という典型的な落語なのですが、
相当変わっています。というのも、その若旦那の趣味が、
擬宝珠を舐めることなのです。
例え経済力があっても、この趣味を充すのは大変です。
お堂や塔の上によじ登って、舐める必要がある。
昔の人は、よくこんな性向を思いついたものだと感心させられます。
パラリンピック盛り上がって、「多様性」と言っていますが、
人間に対して寛容な発想だと唸らされます。
噺の上で大事なのは、擬宝珠を異常に好きということの他は
リアリズムで展開することです。大技のウソを考えたら、
あとはひたすら日常的な価値観に基づいて登場人物たちが
動いていく。だから、わけわからなくならない。
唐さんの世界には、大いにこういうところがありますね。
一点だけかなり変態。あとは意外にも社会性あり。
若い頃の唐さんは、浅草の軽演劇人から多くを学びました。
『特権的肉体論』にはそういったエピソードも出てくる。
かなりくだらない洒落れ、変態的着想が、時に前衛に結びつく。
そういうことだと思います。
今日の稽古は3幕、結婚式の帰り。
休憩中に細部を相談する高田三郎役の小川くんと花嫁役の津内口↓
2021年9月 8日 Posted in
中野note
↑久々に会ったら、彼は金髪になっていました(真ん中)
稽古場に丸山正吾がやってきました。
去年から「夜の男」を演じている、頼れる役者です。
彼がいると、稽古場に勢いが出る。
持ち前の身体のキレを活かし、
常にスピーディーでありたいと願うこちらの希望を汲み取ってくれます。
といっても、速いだけではダメで。
せりふが雑にならないよう、こちらから細かく提案をして、
話し合いをして、手直しをする稽古です。
「夜の男」は、名前こそ突飛な印象を受けますが、
その実、感情移入しやすいキャラクターです。
社会人として共感を呼ぶところがある。
まず、実に真面目です。
職務に忠実であり、上下関係にも厳しい。
自分の欲望に蓋をし、周囲から求められている期待に応える。
義理堅い男です。人の人との間に入ることのできる気遣いの人。
仕事に誇りを持った熱い男です。
だからこそ、報われなさが極まった時に、
ひた隠しにしてきた本当の心があふれ、とめどもなくなる。
こういう男が一旦爆発すると手がつけられません。
彼こそ、『唐版 風の又三郎』全幕を通じて、
もっとも悲惨な転落を見せる男です。
前回の上演でやったこと、
前回の上演へはやりきれなかったことを確認しながら、
ひとつひとつ稽古しました。周りも盛り上がる。
そして"転落"といえば、やはり先日にWSを終えた『続ジョン・シルバー』。
あれは、一見すると楽しげな演目ですが、
唐さんが24-25歳で書いた『ジョン・シルバー』からたったの数年で
登場人物たちがここまで転落するか!という芝居です。
小春も、ヤングホルモンズも、緑のおばさんも、当たり屋一家も、
皆が生活の重さと不幸に揉まれて、右往左往している。
その右往左往が面白さにもつながりますが、
のせられて笑っていると、巨大な哀しみがやってくる。
中でも、前作でカッコつけていた紳士は激しく転落します。
好きな女には振り向いてもらえず、
バカにしていた連中には足蹴ににされ、
かどわかした女の子が開き直った迫力に、最後にはタジタジとなる。
可笑しくてやがて哀しき道化かな。
渥美清の名言を地でいく演目といえます。
そういうことを確認してやりきれなくなってしまった私は、
今週末に『あれからのジョン・シルバー』をやろうと思いました。
あの演目までいけば、ラストには不思議な爽快感が待っています。
やっぱり希望を語らないと! そう思っています。
2021年9月 7日 Posted in
中野note
今日は朝からお昼過ぎにかけての稽古でした。
2幕から3幕、主に宮沢先生と織部に関わる場面を仕込む。
この二人のシーンに関して、事前のZoom本読みが不足していたので、
直接に読み合わせを重ね、補いながら稽古しました。
総じてペースはゆっくり。説明も多め。繰り返し重視の稽古。
宮沢先生は出番こそ短いものの、
どの幕にも必ず出てきて、要所を締める役割を果たします。
織部の道しるべであり、一方で、この人の愛情が行き過ぎたために
織部は破滅していくのではないかとも思われます。
が、あらゆる創作物において、"破滅"こそ物語の原動力。
このおじさんがこんな風であってくれたからこそ、
すべてが始まることができたともいえます。
あと、面白いのは、この人は徹底的に変装する。
いつもコスチュームを変えて現れます。
終幕にヒロインの口から「変装の街」という言葉が出ますが、
宮沢先生こそ、この言葉をもっとも体現するキャラクターです。
短時間の登場の割にアップダウンが大きく、
演ずる役者は激しく消耗しますが、
短い時間なのだから頑張ってもらいましょう。
ただし、はじめのうちは身体で相手役とのやりとりを理解するために、
せりふをゆっくりと言うのがが良い。ゆっくりと、
せりふを言う自分も、それを受け取る相手役の人も、
何を言っているか、何を言われているか、
心から理解していければ、必ず本番で実を結びます。
・・・この時点で長くなってしまいました。
タイトルにある通り『続ジョン・シルバー』WSの話もしたかったのですが、
それは明日に回しましょう。
どうも、自分が歳をとればとるほど、
若い頃には笑って接していた『続ジョン・シルバー』が哀しい。
それはどうしてか? そういうことを明日に話します。
ただ一つ。
何だか物哀しいままだとイヤなので、
来週はオマケとして『あれからのジョン・シルバー』について
WSすることにしました。一回こっきりでやりますが、
あの作品までいけば、気分が明るくなるはず。
『特権的肉体論』についても、お話ししてみようと構想しています。
2021年9月 4日 Posted in
中野note
今、車の中にいます。場所は東京都江東区。所用でここにやって来たのですが、
思い立って車中でゼミログを書くことにしました。
というのも、あと30分ちょっと経って22時を過ぎれば、
高速道路の料金が1,000円下がるのです。
オリ・パラリンピック期間、こんな時間つぶしを何度もしました。
それも、あと1日で終わりです。
今日、唐ゼミ☆の稽古はありませんでした。
こんな日は、皆の喉の回復具合が気になります。
日常、無口なメンバーが多いし、雨の湿気は良いのではにかとも思います。
またフルパワーでせりふを言いながら、体全体で役を探る日々が始まります。
少しでも回復して欲しいものです。
こんな日、私はさまざまなことをします。
まずは、ドリームエナジープロジェクトの稽古。
ダウン症や自閉症の青年たちと久々の稽古を行いましたが
はっきりと手応えを感じました。
9/19(日)の本番に向けて前よりも細部が堂々としている。
せりふや段取りの身が詰まっている。
彼らがコツコツと自己練習してきたことが伝わってきます。
コンディションにばらつきがある子もいるけれど、
稽古開始からこちらがガッと盛り上げにいくと、
即座に反応してノッてきます。ノッたらもう、彼らの世界。
自分は、笑ったり、合いの手を入れたり、
掛け声で煽ったり、ツッコミを入れながら見ています。
かなり充実しました。これが午前中。
午後にはKAATに行き、
長塚圭史さんの『近松心中物語』初日に立ち会いました。
言わずと知れた蜷川(幸雄)さんの代表作を、新たな手法でやっています。
自分は高校時代、名古屋の御園座で旧演出を見ました。
あの、客席にまで大雪が降ってくる趣向の上演です。
両者のアプローチはかなり違いますが、
時代も俳優の違いも超えて、やっぱり同じせりふで笑いが起こる。
秋元松代さんのことばは強いなと思いました。
感動するせりふだけでなく、笑いが時代を超えている。
厳格さで知られた秋元さんですが、ユーモア溢れる人だったろうな。
『常陸坊海尊』を藤沢の白旗神社でやった時もそう思いましたが、
今日も、思わず吹き出す客席を見ながら、そう確信しました。
あとは、打ち合わせをしたり、資料を買いに本屋に行ったり。
青山に、「芝居の大学」をご一緒している藤原徹平さんの作品を
見に行ったりもしました。これも「劇場」をテーマにしていて、
コロナでなければ人を大勢集める構想だったそうです。
ストリートをシアターに。
むかし、路地で唐さんたちがやったというコンサート
「ボタンヌ袋小路」を思い出しました。
もうすぐ22:00です。何か聴きながら、横浜に帰ります。
2021年9月 3日 Posted in
中野note
小学校の頃、「親」という漢字を習いましたね。
当時の先生は私たちにこう説明しました。
「木の上に立って子どもを見守る、これが親なんだ」
そんなものかなと思って話半分に聴いていましたが、
最近はだんだんこの気持ちがわかるようになりました。
一緒に散歩に出かけると、
こちらはわざと物陰に隠れたりして、
子どもがどう振る舞うか見たりします。
もちろん、車や自転車が接近すれば駈けて行って手を引くわけですが、
自分でどの程度行動できるようになったか見てみたい。
そういうことを、子を持つ親なら誰しもするはずです。
私の知る限り、こういう存在の最上級形は、
かの名作マンガ『美味しんぼ』に出てくる海原雄山に他なりません。
私は小学生の時分にアニメを通じてあの作品に入門したクチですが、
あの邪悪ともとれる高笑いの裏に、息子への行き過ぎた愛情を
嗅ぎ取るのに時間はかかりませんでした。
息子・山岡士郎が行く飲食店という飲食店に、父・雄山は現れる。
しかも東京だけではなく、出張先にまで。
和食屋のカウンターで主人公たちが舌鼓を打っていると、
奥の座敷のふすまがカラリと開いて、例の高笑い。
まるで士郎にGPSが付いているのかと思えるほどの探知能力です。
目下取り組んでいる『唐版 風の又三郎』には、
似たようなキャラクターが登場します。この人を「宮沢先生」という。
要は精神科医なのですが、これが患者に愛情を注ぎすぎるのです。
一時退院させた青年を溺愛するあまり、
わざわざ変装をして街に出た彼に接近し、
一人前になるため恋愛をするべし、と諭したりする。
毎日接していた相手に見破られぬ変装や声色の変化が
どれほどのものであるべきか、そんな話をしながら、
今日は宮沢先生と青年・織部のファーストシーンを稽古しました。
もちろん。稽古終わりには恒例となった佐々木あかりのパートも練習。
とにかく毎日やらないと。
2021年9月 2日 Posted in
中野note
↑稽古を止めては内容について話す。脱線しすぎて皆が疲れないように。
今日、稽古場に着くと、米澤が事前練習を進行していました。
米澤は口数の少ない、どこかボンヤリしたところのある青年でしたが、
佐藤信さんとの仕事や去年の『唐版 風の又三郎』の「教授」役を経て、
こうして仕切りができるようになってきました。
まだ20代半ばなので基本的に年長者の方が多いのですが、
一役者としてだけではなく、そうして稽古場を支えています。
昨日、ほとほと難役だと痛感させられた三腐人でしたが、
今日も彼らと試行錯誤をしました。
1幕の出番の完成には遠い現状ですが、全体を押し上げるために
2幕に進む。あの『ヴェニスの商人』のパロディから始まる
誠に珍妙な場面です。
しかし、シーンは一転、シリアスな様相を帯びる。
唐さんの作品にずっと取り組んでいると、例え初見であっても、
そろそろ物語の本筋に帰ってくるぞ。そういう予知能力が身に付きます。
そういう場面は、登場人物たちがふざけているときに突然やってきます。
ある一つのせりふ、ある一つの小道具。
こういったものが現れると、突如として話はメインストーリーが
渦を巻き、圧倒的に2枚目なせりふとともに、異様な求心力を帯びはじめます。
そういうシーンをやるのも観るのも体力を使いますが、
これは実に爽快な、健康的な疲れです。
唐十郎作品の醍醐味。まさにそういう感じがします。
ふざけている中に切実な思いがあり、突然に心を射抜かれます。
今日は三腐人メンバーとよく話をしながら稽古しました。
松本さん、佐野さん、昼寝さん(面白い芸名!)とは、
役柄や物語の設定についてだけでなく、出自や最近あったこと、
コロナ対策やワクチンについてなど、縦横に折り込んで稽古しました。
よく換気をするため、休憩を多めにしています。
そういう時に、日常の話をしたりする。
今日の場面、昨日の1幕よりはかなり上手くいきました。
せりふ覚えも大変そうでしたが、何度も台本に立ち返って、
内容の理解を深めるのとせりふを頭に入れるのを同時進行してもらいました。
とにかく覚える、頭に叩き込むより、この方が身体を削らずに済みます。
自衛隊の教官や先輩たるメンバーが、
高田三郎の乗り逃げをどう捉えているのか。
このあたりを重点的に話しながら、会話を成立させていきます。
あっ、今この役者は内容が腑に落ちたな!
せりふや所作が迷いなく活き活きしてきた!
無駄に力が入っていないから大声でもやりやすそうだ!
途中にこういう瞬間を探り当てると、こちらも嬉しくなって稽古場がハネます。
そこまでの紆余曲折が一気に報いられて充実します。
合間には、佐々木あかりを音響係から役者にして、幕間の場面をあたる。
せりふの言いにくそうな部分について、細部に原因を探り、
仮説を立てて実地にやってみることの繰り返しです。
何か、自分が日々とりくんでいる英語の勉強みたいだなと思います。
出来ない人の気持ちが痛いほどわかるので、自分事として粘っていきます。
2021年9月 1日 Posted in
中野note
左から、松本一歩さん、佐野眞一さん、佐藤昼寝さんの3人が、
それぞれ乱腐(らんぷ)淫腐(いんぷ)珍腐(ちんぷ)を演じています。
今日は三腐人の場面を稽古。
この役はどうにも曲者で、今後の道のりの険しさを痛感しました。
何回も繰り返し稽古しましたが、喉への負担も大きく、
こまめに休憩してはチャレンジの繰り返し。
けれども、即時解決は難しく、問題提起的な稽古に切り替えました。
なんといってもこの役は演じ手にとって難解なのです。
思えば、初めて『唐版 風の又三郎』を読んだ大学一年生の時、
私の頭を真っ白にしたのがこの三人衆でした。
名前からして、どんな人たちなのか、そも人間であるかどうかわからない。
必然、せりふやト書きから彼らの内面をまったく想像できず、歯が立ちません。
さらに、そんな彼らが割と序盤に登場するものですから、
読み進めるのに苦心したのをよく覚えています。
ところが2019年の年末に、
久しぶりにこの演目の上演可能性を探った時、
革命的に目を見開かされたのもこの役でした。
さすがに20年も唐さんの作品に取り組んできたおかげで、
彼ら3人の人間味を感じられるようになったのです。
どうして彼らは自らを腐っていると言うのか。
なぜ帝國探偵社にいて、どういう職場なのか。
前職への執着やそれぞれの性的嗜好まで、
唐さんが仕込んだヒントをキャッチできるようになっていました。。
けれども、私が頭で理解しているのと、
役者が実際に体現できることの間には、大きな隔たりがあります。
この役を演じる役者たちは、必ず苦労するのです。
その突飛なキャラクター名、傍若無人なせりふの数々が、
役者から冷静さを奪い、盲滅法な動きやせりふへと突進させてしまう。
今日は稽古の進行役として、改めて難しさを痛感させられました。
と同時に、これからの苦労に対して覚悟も決まりました。
前回にレポートした佐々木あかりとともに、
時間をかけてコツコツ染み込ませていくのが最短距離です。
回数を恐れない根気がとにかく必要です。
ちょっと稽古スケジュールを工夫する必要を感じています。
全体の進行を管理している、禿恵に相談しなければ!
2021年8月31日 Posted in
中野note
↑稽古場で岩波文庫を朗読する丸山雄也と、禿恵
夏休み最後の一日です。
いつか書いた通り、昔だったら読書感想文や工作に
ヒーヒー言っていました。自由研究をでっち上げたりもして。
しかし、現在はかなり事情が違いますね。
中には休みが延長される学校も多くあるとのこと。
私も人の親となり、今はまだ保育園生で助かっていますが、
小学生の子どもを持つ親御さんの苦労がだんだん分かってきました。
さて、ここ数日の稽古のレポートです。
ここ何日か、唐ゼミ☆初参加の丸山雄也くんとの稽古を行っています。
彼には主人公の織部を託して、会話や、耳を切られるところや、
この役柄の素性が明らかになるところを重点的にやっています。
10ページのパートに3時間かける稽古です。
これも以前に書いたように、大勢の役柄を背負った稽古では
できない稽古です。まさに怪我の功名。
少人数しか集まれなければ、徹底してそれを活かす稽古をする、
役柄やせりふ、所作を、アップで見て、引きで味わって、
少しでもおかしいと思ったところを妥協せずに修正していく。
その修正の仕方も、絶対に乱暴にならず、検証を徹底しながら行う。
敏感で、思い込みが激しくて、
けれども、調子に乗って押し出すときは押し出す。コミカルにもなる。
稽古場で、時にはたくさんの雑談を混えながら、
そういう会話を達成していこうと腐心しています。
そうそう。
同時に佐々木あかりも鍛え始めました。
彼女は今回、練習中の音響係を買ってでて、
日々、稽古場に通っています。
まずは、俳優の内側から音楽を出す方法について教え、
せりふにぴたりとつけながら、役者のモーションから次に出てくる
発声の大きさを予期しながらボリュームコントロールするやり方を
手ほどきします。あとは、歌の伴奏はすごく重要で、
歌って自分の声が自身に響く役者に伴奏を届けつつ、
しかも客席に対して歌詞を通す音量へのアンテナを研ぎ澄ませるよう、
試行錯誤します。もうこれは、自動車教習所の教官にのように、
オペレーション操作を隣から手を突っ込んでやってみせながら伝授します。
そして、もちろん彼女のせりふの練習。
『唐版 風の又三郎』では佐々木の出番は多くありませんが、
短時間での出演で的確にせりふを通しつつ、しかも印象に残る
パフォーマンスを掴み取りたい。こういう作業に血道を上げられるのが、
同じ劇にもう一度挑むことの圧倒的な良さです。
佐々木が上手くなれば、劇全体がかなりレベルアップすると睨んでいます。
音響係で稽古場で毎日来るので、丁度いい。
毎日彼女の時間をつくって練習し続けるつもりです。
上手くいかなかった箇所を改善するアイディアを閃くと、
帰り道にも足を止めて話す↓
2021年8月29日 Posted in
中野note
今日は稽古休み。
そこで、公演に備えて文章を書いたり、
音響用の台本を作ったりしました。
ひとつの公演を達成するには膨大な仕事量があって、
我ら劇団員たちは分担してコツコツとこれを積み上げていきます。
ある人は衣裳を詰め、ある人は美術を詰め、ある人はご案内を作り、
ホームページの更新に備える。
関わっているキャスト・スタッフへの先々に関する連絡や、
今だと感染症対策なども山積みで、気が遠くなるような心持ちにもなりますが、
ひとつひとつ倒していこうと、全体で押し上げています。
私的には、KAATの仕事もしていて、
今日は一日劇場に詰めて働き、その中で、合い間に劇を観ました。
ちょうど、昨日8/27から、
『湊横濱荒狗挽歌(みなとよこはまあらぶるいぬのさけび)』
という劇が開幕して、大久保鷹さんが出演しています。
折に触れて、いつも私たちにさまざまな指南をくれる鷹さん。
今回は台本がなかなか仕上がらず、苦労されているとも聞いていたので
ずっと鷹さんのことが気になってきました。
私は二日目の昼の上演を観たわけですが、
鷹さんはほころびや不安を一切感じさせず、
荒ぶる自分を押さえて、物語の全体や他に登場人物たちを
俯瞰で見ているという役割を果たされていました。
先日、電話でご本人と話したら、
「出番もせりふもなるべく少なくしてくれるよう頼んだんだ」
などと、冗談とも本気ともわからないことを仰っていましたが、
実際の出番は多く、せりふも各所にあって、要所を締めていました。
大久保さんは、舞台姿の激しさとは裏腹に、
普段はかなり穏やかで、優しい人です。
それでいて、背後にはやっぱり巨大な激情を感じさせます。
今回は、謎と凄みを感じさせて露わにしない、そういう佇まいで、
全体を支えていました。
観終わると、唐さんの『愛の乞食』を思い出しました。
ヤクザたちとつるんで生きてきた警察官がいて、その息子が主人公です。
彼自身は、汚れた父親のようではなく、真っ当な警察官たろうとする。
しかし、結局は品行方正な警官に収まっていることができず、
アウトローへの道を突き進んでいく。そういう物語です。
タイトルに、狗(イヌ)の叫びとありますからね。
本来は社会正義に従順であり、時に権力のイヌとも蔑まれる警察官の
青年が、ついに我慢できずに叫んでしまう。
その過程が見ものです。
本当は楽屋見舞いなんかをしたいけれど、
感染予防対策のために人と人との接触は極限まで減らさなければならない
状況です。ですから、近くても遠くにいる大久保さんに、
精一杯エールを送っています。
2021年8月27日 Posted in
中野note
鍼を打ちました。人生で3回目です。
劇団員の禿恵に教わった治療院で、初めは怖かったのですが、
好奇心もあるし、何しろ体が痛くて仕方がない時、
ここぞというところで利用するようになりました。
家から自転車で約15分のところに鍼の名人はいます。
初めて打たれた時は感動的でした。
さりげない触診でたちどころに患部を探り当て、ピンポイントで打つ。
ズンとした重だるい感覚ののちに、鍼を通じて電気を流します。
もうダイレクトにビリビリきますので、体がビクビクと反応。
程なくしてスッと鍼を抜くと、見事に痛みが消えるのです。
今回、少しの電流にもビクンと反応する私に、
「疲れているんだねえ」とその名人は言っていました。
聞けば、ぜんそくや嗅覚異常なんかも鍼で治せるのだそうです。
さらに、逆子までいけるという。
これには驚きました。一体どうやって!?
直接に話を聞いた私自身も半信半疑なのですが、
ある部分に鍼を打つと、グルンとお腹の子どもが回転して
良い感じになるのだ。そう先生はおっしゃっていました。
・・・。
ともかくもその方は腕利きで、
私たち仲間うちの何人かはお世話になっており、
密かに「ゴッドハンド」と呼んでいます。
で、そのゴッドハンドが言うには、腰の痛みをなんとかするためには
腰にアプローチするだけではダメで、足の付け根や脛のあたりも
改善する必要があるそうです。
実際、今日の私はそれでずいぶん楽になりました。
その後、体も気分も軽くなり、稽古場へ。
目下、感染予防のために少人数制の稽古をしている私たちですが、
今日は禿と、新たに参加してくれている小川さんと、
3人の稽古をしました。小川さん、実に秦野市でやった『実朝出帆』
以来のお久しぶりで、高田三郎役をやっています。
彼の魅力は低音にあって、それこそ響き渡るような声をしていますが、
今日はやや滑舌に難あり、さらに禿も独特の訛りが混ざるので、
せりふの応酬をしては稽古を止め、頭を突き合わせてどこに問題があるか、
検証をしました。
こういうことは、大人数の稽古ではできません。
大勢を待たせることになってしまうのではばかられるからです。
大変な時世ではありますが、こういう緻密なやりとりができるのも、
人数を絞っている効能と言えます。
その上で、あるせりふが上手くいっていない時には、
当該部分だけでなく、その文章の始まりとか、2行くらい前とか、
前段の遠因に目を向けなければならない。そういう話をしました。
まさに午前中に見た鍼の先生の手腕です。
さすがゴッドハンド。良いこと言うなあと感心しながら、
前より身も軽く稽古しました。来週にもう一回行って、
完全に腰痛を克服しようと思います。
2021年8月26日 Posted in
中野note
川崎H&Bシアターを後にして、劇団かに座の稽古場にやってきました。横浜駅の近くにあるという、実に恵まれた環境です。
かに座さんは実に由緒正しき老舗の劇団で、
稽古場にはこれまで積み重ねてこられた公演ポスターが
壁せましと貼ってあります。
ゆうに100回を越える公演回数。
やっと30回強の私たちにとっては、羨ましいキャリアです。
今日は、新たに加わったメンバーのうち、
渡辺宏明さんを紹介します。
去年は元唐組の気田睦さんが演じ、礎を築いてもらった
「大学生」役を引き継いでもらうことになりました。
物語のキーパーソンである自衛隊機乗り逃げの高田三郎三曹の弟にして、
軍人家系の末弟たるこの役は、いつも学ランをビシッと着て、
常に竹ざおを振り回しているという気合の入った役どころです。
この劇が初演された1970年代の初頭、
このような奇矯な振る舞いで世間を賑わせた青年が実際に九州にいて、
それをつげ義春さんが漫画に取り上げたのを、さらに唐さんが応用して
劇作に活かしたというのが、真剣かつ愉快なこのキャラクターが誕生した経緯です。
渡辺さんとはもともと、
望月六郎さんの主催する劇団ドガドガ+の公演に出演していたのを
きっかけに出会いました。それが始まりで、私たちが2014年に望月さんに
書き下ろしてもらった劇『君の罠』に出てもらいました。
新宿中央公園にデビューできた、あれが最初の公演です。
あの時は、横浜で行われる稽古が遅くなるとうちに泊まりにきてくれて、
得意の料理も披露してくれました。
渡辺さんは当時、高級イタリアンレストランで働いており、
自前の立派な包丁も所持するほどの腕利きだったのです。
その後は、ずっと所属している
Bobjack Theater(ボブジャックシアター)で活躍しながら、
最近では声優の学校にも通って芸域を拡げてきたとのこと。
5年以上経って再会したら、
明かに声がデカくなっており、せりふも明晰になっている。
これらは一朝一夕にどうにかなるものではないので、
ずっと粘り強く鍛え上げてきたのを感じます。
今日も大いに修練の成果を活かし、思い切り竹ザオを振り回しています。
川崎での連続稽古で他メンバーの喉はまだ疲れ気味ですが、
渡辺さんのフィジカルの強さが、全体に活力を与えています。
2021年8月25日 Posted in
中野note
↑こんなの読んでます。中学三年生の英語をマスターするべく。
先週末より連日、根を詰めて稽古しました。
今日は稽古休み。メンバーのなかには喉に負担がかかった人もいるので、
しっかり休んで欲しいと思います。
近年、特に思うようになったことなのですが、
喉への負担というのは、必ずしも大きな声を出したり、
長く喋り続けることに比例しないというのが、私の実感です。
それよりも、しゃべっている内容を理解していない時の方が
どうも負荷がかかりやすい。
無駄に力が入ってしまって、声が枯れる。
だから、稽古というのは、
声が枯れる前にせりふの内容を理解できるかどうかにかかっていると
思います。俳優って、身体を張りながら全身で理解するものです。
でも、理解する前に壊れてしまっては、元も子もない。
そこで、その人の耐久力を注意深く見ながら、
腑に落ちるやり方を一緒になって探します。
俳優を痛めるわけにいかないので、もう必死です。
特に新規メンバーに対してはよく説明を尽くして、サポートに徹します。
こちらは一編やっているもんだから、どこかで簡単に考えていないか、
初めて経験する人にとってのハードルに無頓着になっていないか。
気をつけていないといけません。
ところで。
こんな風に稽古休みの日には、
他の仕事やイギリス行きの準備にも力を入れています。
例えば、今日はKAATの仕事で福祉施設を訪ねました。
こういうのは実にありがたい経験で、
また一つ、新たな施設に伺うことができました。
本当に、行く場所々々によってその様子は千差万別で
今日も目を見開かされる思いがしました。
そして、英語の勉強。
これは、本当に真面目に4月から取り組んでいるのですが、
最近ちょっとショックな出来事がありました。
英語力を測るためにエストを受けたところ、
真面目に勉強し始めた3ヶ月前よりも得点が下がってしまったのです。
お世話になっているカウンセラーさんには、
「成長のいち過程ですよ」と慰められましたが、完全にヘコみました。
ちゃんと勉強しているのに。こんなに英語やったこと無いのに。
何故だ!?
実は、近くイギリスの劇場の人たちとのZoom会議を控えていて、
完全にビビっています。こんなんで、どうやって彼らと会話したら良いのか。
だからこそ、今の私は稽古では優しい。
わからない人の立場に立って、丁寧にやる。
やっぱり、人間にとって大切なのは愛と真心だと思います。
2021年8月24日 Posted in
中野note
10月中旬に『唐版 風の又三郎』を再演します!
劇団唐ゼミ☆
第30回特別公演 延長戦
『唐版 風の又三郎』
2021年10月中旬に上演!!
新宿中央公園にて。
去年はこの超大作をなんとか上演に持ち込むので必死でしたが、
もっと役者たちがやりたい放題、飛んだり跳ねたり
躍動する上演にしたいと思いました
3幕3時間コースの長編。
おまけに仕掛けも満載なのですが、
ペース配分などしない突撃型のメンバーに鍛え上げるつもりです。
先週末から稽古を本格化させようと、
ここ数日、川崎に通って来ました。
去年に引き続き、川崎駅東口にあるH&Bシアターという劇場に
お世話になったのです。
この劇場はなかなか快適な空間です。
こうして稽古場使いもできて、至るところに窓やドアがあって、
前室的な控えの間も充実しており、何しろ広い。
思えば、去年の秋に初めて全員が揃って、
『唐版 風の又三郎』の通し稽古をしたのもここでした。
初めて全幕が通った時の興奮は今も忘れません。
圧倒的なスピード感を維持すれば
これまでカットされることの多かったこの劇の魅力を
余すことなく、ノーカット上演できると思ってきましたが、
目の前でそれが証明された瞬間でした。
今年は当然、それの上をいきます。
もっと私たちは自由でなければ!
ここに揃ったメンバーのひとりひとりが
せりふや段取りを縦横に乗りこなし、遊んでみせるまでに
高めていこうと思います。
まるで夏合宿のような数日間が終わり、今日で川崎をあとにします。
2021年8月21日 Posted in
中野note
明日は横浜市長選挙。
日曜が立て込む私は期日前に行かなければと思ってきましたが、
気づけば前日になってしまいました。
そこで今朝、急いで稽古の前に行ってきました。
私は投票デビューに少し時間がかかりました。
20歳の時、まだ住民票が実家の名古屋にあったからです。
それが、大学院生になったのをきっかけに横浜に移すことにして、
それからは選挙に行くようになりました。
私は、選挙会場のあの雰囲気が好きです。
老若男女、ほんとうに色々な人たちが集まってきていて、
親にくっついてきた子どもたちが騒いでいるのも良い光景です。
役所の人たちは実にテキパキと働いていて、無駄がありません。
何より好きなのは、あの選挙立ち会い人という人たちの存在です。
地元を支えてきただろう方々がどこか誇らしげに座り、
投票の進行に間違いがないかを見守っている姿は、
なかなかステキな景色です。
自分の母方の祖父は町内会長や民生委員をしていました。
ですから、あの席に座っている人たちにどこか重なる部分があります。
祖父は何彼となく世話焼きで、いつも町内のお祭りや、
お正月の初詣の準備などをしている人でした。
唐さんの処女作である
『24時53分塔の下ゆきは竹早町の駄菓子屋の前で待っている』には
まさにそういう老人コンビが登場します。
町内で火事が起こった際の消火活動を表彰され、
ずっと誇りにしている老人たち。
有名な「なんてじめじめした陽気だ」というせりふを言うふたりには、
そういう生活感、バックグラウンドがあります。
『唐版 風の又三郎』に登場する「教授」も実は民生委員です。
敵役のイメージが強いのですが、細部を良く見てみると、
あれでけっこう町内の人たちに慕われているようでもあります。
今回の米澤には、そういう生活の実感も体現して欲しいと思っています。
2021年8月21日 Posted in
中野note
昨日は、自分の小学生時代。
夏休みの終わりと二学期の始まりが憂鬱だった話をしました。
一方、賢治の『風の又三郎』冒頭はいかにも嬉々として始まりますね。
二学期になるのを、先生も生徒もみんな待ちわびていた、
そんな雰囲気からスタートします。
考えてみれば、賢治の頃の小学生たちは、
みんな"義務"ではなく、"権利"として登校していたんですね。
学制が敷かれたばかりの当時、
子どもが学校で勉強することはまだまだ特別なことでした。
農村部の親にとって子どもは立派な労働力でしたから、
なかなか学校にやりたがらないPTAを説き伏せるのは、
小学校教師たる賢治にとってかなりの難事業だったと言います。
現実には、この説得は壁にぶつかってばかりだったようですし、
結果的に思う通りにならない事例が山積みだったそうです。
だからこそ、賢治の作ったお話の中での"教室"の景色は輝いています。
『唐版 風の又三郎』のトップは、
当然ながらこのパロディから始まります。
だから、私は現場に対して、かなりかなり嬉しくやって欲しい、
とお願いします。先生も、生徒も、待ちに待った待望の
授業開始であって欲しい。芝居全体の始まりでもあるので、
ついでに開幕の嬉しさも乗っけて欲しい。
こんなオーダーを、何度も何度もします。
台本にしてたった数ページの間にかなりの数のイベントが
目白押しのこの幕開けは、数ある唐作品の中でも
屈指の名場面です。
だからこそ、とにかく2学期と今から始まる劇を謳歌して
めいっぱい突撃したいところです。
2021年8月19日 Posted in
中野note
8月が下旬に差し掛かろうとしています。
今年は雨続きでお盆の周辺がにわかに涼しくなり、
夏らしからぬ夏でしたが、昨日からまた暑くなって、
晩夏の気配が漂い始めました。
昨晩、宮沢賢治をテーマにした雑誌に載った
唐さんのインタビューの話をしましたが、
同誌には他にも『風の又三郎』についての記事が盛り沢山で、
なんだか、自分が小学生だった時のことを思い出しました。
私は夏休み終盤に宿題をため込むタイプでした。
だから約30年前の今頃は実に億劫な毎日を過ごしていた記憶があります。
もうすぐ追い込まれることは完全にわかっている。
けれども、まだやる気にはなれない。
だから喉元に小骨が引っかかったような感じで、逃避して遊んでいる。
そんな感じでした。まったく手付かずというわけでもなかったのですが、
工作とか、読書感想文とか、得てして大物が手付かずでした。
それでもう大詰めも大詰めになると、
宿題によって、9/1ぴったりに提出のもの、
少しばかりゴマカシが効いてその翌日まで期限を伸ばせるもの、
などと細分化し、始末に躍起になるような子でした。
我ながらセコいなと思うのは。
そうした帳尻合わせを当時からしていたことです。
7月のうちに全ての宿題を終わらせる聖なる子どもでもなく、
宿題そのものをやらずに踏み倒してしまう豪快児でもない。
まあ、ロンドンに行く間際になってせっせと英語を詰め込んでいる
現状を見れば、三つ子の魂百までとはよく言ったものだと思います。
ともかくも、自分にとって8月末〜9月頭はなかなか難しい時期でした。
2021年8月19日 Posted in
中野note
↑最近発見して、面白く読みました。
新資料と言って、単に私が発見しそびれていただけなんですが、
新たなものを発見しました。
これは、『唐版 風の又三郎』が初演された1974年から約十年が経った
1985年の刊行物なのですが、唐さんのインタビューが載っています。
宮沢賢治の地元である岩手県の方が編まれた刊行物です。
四谷シモンさんが復活したことで有名な『あるタップダンサーの物語』
のツアーが盛岡を訪れた際に、取材を受けたようです。
この時点では、数年前に『グスコーブドリの伝記』をもとにした
『黄金バット〜幻想教師出現〜』を上演したばかりでもありますから、
唐さんが嬉々として「ブドリ」について語り、
もちろん「又三郎」についてもおしゃべりしています。
さらに、こういうのはあまり聞いたことがなかったんですが、
『飢餓陣営』とか『ポラーノの広場』、果ては『春と修羅』にまで言及。
語り口は平明で分かりやすく、それでいて、
賢治がいかに色々な題材を咀嚼する体力に満ちていたか、
という話題を展開されています。
要するに、賢治というと青白い青年の感じがするけれど、
そうではなくて、あれだけの作品をものにしていくためには、
それぞれのテーマを喰らい尽くしていく歯の力が凄かったはずだ、
こういうのがいかにも唐さん流です。
自分はこれを呼んで、なぜ状況劇場の初演時のポスターに
「風喰らい」というワードがあるのかようやく認識しました。
ところで、同じ賢治ものであるにも関わらず、
唐さんもインタビュアーも、『夜叉綺想』と『セロ弾きのゴーシュ』
には一切触れていません。
ちょっとくらい水を向けてくれても良かったのに。
自分にとっては思い入れのある作品なので、
いずれワークショップで取り上げてみたくなりました。
きっと数ヶ月かかる大長編になります。
2021年8月17日 Posted in
中野note
↑たった二日間で終わってしまった『棲家』公演。
今度は実際の舞台を上演しよう。そう言い合って一旦、お別れしました。
『棲家』のリーディング公演から一夜あけ、
今日は『続ジョン・シルバー』のワークショップを行いました。
(詳しい内容は、明日このゼミログで佐々木が書いてくれる)
面白かったのは、やっぱりここでもやたらとバッハが鳴っていたことです。
オルガン曲のトッカータとフーガBWV540と、
有名なヴァイオリンの無伴奏バルティータ No.2より。いわゆるシャコンヌ。
昨日までは太田省吾さんの指定でしたが、今日は唐さんからのオーダーです。
オルガン曲は、ヒロイン・小春がスポーツカーのカーステレオで
爆音で鳴らしながら疾走する曲。
「ジュールス・ダッシンの映画『死んでもいい』のエンディングのように」
と、律儀にも元ネタがト書きに書いてあります。
一方、舞台となる喫茶店に妙な庶民連中が集まってくると、
小春を囲うボーイは店の格調を取り戻すために、
シャコンヌのレコードをかける。
いわば、塩を撒いてお浄めをする、といった風情でバッハが使われます。
やはり、ここでもバッハ。
ところで、こういう風に、
有名作曲家の手による曲であるがゆえに演奏パターンが際限なくあって、
その中から劇の進行やせりふとの組み合わせに合うものを選ぶように
なったのは、『続ジョン・シルバー』初演が最初でした。
特に、先ほど挙げた『トッカータとフーガ BWV540』。
この曲は、誰もが聴いてわかる超有名曲ではありませんし、
本来、10分以上ある曲の中ほどの部分が映画に使われており、
まずはタイトルを探り当てるのが大変でした。
どうしたら良いか分からなかった私は、
とりあえず横浜駅に当時あった新星堂クラシック館の店員さんに
動画の音声を聴いてもらって、曲名を訊ねました。
店員さんは、実に丁寧に相談に乗ってくださって、
何度もメロディを聴いてしばらく思案した後、見事に曲名を導き出しました。
これには、さすが専門家だと感嘆しました。
そして今度は、クラシックが専門の茂木一衛先生のところに行って、
東京文化会館の二階にある資料室のことを教わりました。
あそこでは、図書館のように膨大なディスクを聴くことができる。
さっそく駆け出していって、何十種類聴いたか。この時、
私は映画で使用されたのが破格のスピードであることを実感しました。
数あるCDの中で最もスピーディーな録音の、明らかに1.5倍は速い。
こうすれば作品に合うと判断した、
ジュールス・ダッシン監督のセンスに改めて脱帽しましたし、
メロディラインからこれを見破った新星堂の店員さんのことを、
さらにエラい!と思いました。
もともとの映画では、オルガンと奏者を調達して、
超スピードで弾いてもらって音源をつくったに違いありません。
もちろん、私たちにはそんな資力も設備もありませんから、
もっとも近い速さのものを選んで、加工して使いました。
一瞬にして通り過ぎるヒロイン・小春の爆走にも、
それだけの冒険を孕むところが、演劇づくりの醍醐味です。
2021年8月14日 Posted in
中野note
↑右から2番目が五十嵐あさかさん。
『棲家』のリーディング公演が初日をあけました。
たった二日間の公演ですから、明日が千秋楽。
あっという間の催しです。
スタート時にちょっとしたトラブルもありましたが、
お客さんに恵まれて、龍さんや浅野さんと狙ってきた笑いをとりました。
悲喜劇の入り混じる、生活感に満ちた笑いがとれたら冥利と思って
仕込んできましたから、一緒に観ていて嬉しくなりました。
この台本をテツヤと自分に勧めて下さった龍さん、
的確な対応で今回の演出プランを支えて下さった浅野さん、
そして誰よりも、常に温厚ながら徹底した仕事師であるテツヤに
感謝し、明日の公演を終える前から、これはぜひ実際の舞台での上演に
持ち込みたいと、心から思っています。
そうそう。それに、今日だけはチェロの生演奏付きという特別な回でした。
プロデューサーのテツヤの計らいで、チェリストの五十嵐あさかさんが
入ってくださったのです。
バッハの2曲、
BWV156「我が片足は墓穴に入りぬ」の序曲
もともとはオルガン曲であるBWV639「我、汝に呼ばわる」
をチェロの無伴奏版にアレンジして弾いてくれました。
まるでオペラやリートの伴奏のように、
単独で演奏する時にはボリューム上げて歌い、
せりふのやり取りがある時には、控えめに、
巧みに音量をコントロールしてもらいながらのリーディングに、
とても贅沢な思いを味わいました。
五十嵐さんにお目にかかるのは昨日のリハーサル時が
初めてでしたが、休憩中に話をしていると妙に趣味があって、
いつも聴いているジョルディ・サヴァールやアンナー・ビルスマ のことを
五十嵐さんも好きなのだと分かりました。
考えてみれば、サヴァールやビルスマの名前を出して通じる人自体、
自分には初めてでしたから、仲間を得たようで狂喜しました。
といっても、向こうは専門家ですから、その味わい方はケタ違い。
ビルスマの録音を参考に五十嵐さんがどんな風に勉強しているかを
伺って、こちらは感心するばかりでした。
ご本人としては、ドビュッシーが好きなのだそうです。
いずれ、五十嵐さんのドビュッシーのチェロソナタを聴いてみたい。
下は、今日サインをもらった五十嵐さんのCDです。
世間にはダウンロード音源として出回っていますが、
ご本人に問い合わせれば、ディスクを購入できるそうです。
2021年8月13日 Posted in
中野note
会場であるプロト・シアターの前で。主演の一人、龍昇さん。
現在、『棲家』の最終リハーサルが終わったところです。
明日からリーディング公演を8/14(土)15(日)の二日間だけ行います。
キャストが2人、初日だけ入るチェリストが1人、スタッフが4人
合計7人所帯という極小のカンパニーです。
もともとは、若葉町ウォーフで月一回のトーク配信を行っている
テツヤとお喋りしながら、この企画はスタートしました。
あれは確か5月の頭の回。
コロナによる私たちの活動の衰退を憂慮したテツヤが、
新企画を立ち上げたいと言い出しました。
少人数で、荷物の軽い公演をいくつも仕込んで、
時間をかけて育てていきたい。
ついては、候補のなっている演目がいくつかあって・・・。
いくつもの候補の中から、私は最初に『棲家』に興味を持ちました。
一読して、他と比べることもなくこれがやりたいと希望しました。
太田省吾さんは代表作である『水の駅』のインパクトが強すぎて、
自分自身も台本作家であるという記憶が薄かったのですが、
基本的にはせりふのある劇を書く劇作家です。
読んでみれば、下ネタあり、ユーモアありという内容で、
あの難しいことを常に考えていそうな表情のなかに、
これまで抱いていた印象とは違う人間性を感じたように思いました。
きっと、大いにシャレのわかる方なのです。
加えて、何度か読み、上演記録を調べてみると、
初演以来この台本には、太田さんが託した設定が活かされてこなかった
要素があると感じました。それならば、自分がお役に立てる、と。
基本的にはzoomで進めてきた稽古でしたが、
キャリアの長い龍昇さん、新国立劇場研修所一期卒業の浅野令子さんとの創作、
特に直接会っての稽古は滅法おもしろく、お二人の演技を持ち帰っては、
夜中に家でプランを試行錯誤してきました。
考えてみれば、特に浅野さんとは、
私たち唐ゼミ☆が新国立劇場で公演した時に、すれ違っていたはずです。
お互いに二十代の前半で、浅野さんたちが学び舎にしていた芸能花伝舎の
夏休み中を、私たちの座組は稽古場として使わせてもらったのです。
そんな話もしながら、ゆっくりと準備してきました。
リーディングの向こうに、実際の演劇公演もやってみたい。
そんな風に、慎しくも希望の詰まった公演です。
https://stage.corich.jp/stage/113167
2021年8月12日 Posted in
中野note
↑合田佐和子さんのジャケット
嬉しいニュースです。
1973年に行われた伝説のリサイタル
『唐十郎 四角いジャングルで唄う』の記録がCDとして復活!
もともとはレコードで出ていたものです。
初版された時には付録でイベントの進行台本までついていて、
唐さんや紅テントのファンはこぞってこれを手に入れました。
さすが充実の内容ですから、中古商品にはプレミアが、
ヤフオクなどでも高額で取り引きされてきました。
私たちは学生時代、このレコードを持っているファンの方に
MDにしてもらい、何度も何度も聴いてきました。
それが、2021年9月22日にCDとして復刻します。
しかも付録まで再現するそう。
今回、自分はこの復刻版のライナーノートを書きました。
依頼をしてもらった時、こんなに嬉しいことはありませんでした。
『シーボルト父子伝』や、今も稽古している『棲家』の
準備で忙しかったけれど、夜中に全精力を傾けて書き、
何度も書き直しました。
とにかくリスナーが聴きやすくなるよう努めましたが、
久々に繰り返しこのリサイタルを聴きながら、
自分があまりに多くのことをここから受け取ってきたことに
気づかされました。
すでにトレーラーが出ています。
さらに、付随したニュース記事も。
いつも唐さんについて熱っぽく書いてくださる
SPICEの安藤光夫さんが、いつにも増して
熱烈かつ博識な世界を展開されています。
自分のことにも触れてくださっています。
ちなみに、2001年に唐組が初演した『闇の左手』には
このレコードジャケットのビジュアルが使われました。
あの時の自分は大学3年生で、唐十郎ゼミナールに入ったばかり。
ようやく唐さんの周囲にいる緊張にも慣れてきた頃で、
紅テントに通って、何度も何度もあの演目を見ました。
あの時の唐さんの役柄は神経魔術師(ニューロマンサー)。
ですから、この姿の唐さんを見ると、
ついつい人の心に精通し、精神を弄ぶあの役柄を思い出します。
長ぜりふで叶姉妹について語っていた唐さんの声まで
聴こえてきます。
2021年8月11日 Posted in
中野note
『シーボルト父子伝』が終わりました。
6日で12ステージという過酷な公演回数でしたが、
皆で完走しました。
キャスティングやオーディションからあっという間の本番。
ようやく親しくなりかけたところでの千秋楽は
名残り惜しかったですが、時節柄、私たちに許された
短い挨拶だけをして築地から帰ってきました。
気づけば、オリンピックも終わっている。
今回の五輪で、自国開催というのは要するに全く試合が見られない
のだと気がつきました。選手の皆さんが頑張っている時には、
自分も働いています。近くて、遠かった。
わずかに、街中に敷かれた警備体制や、
築地本願寺の宿泊スペースに大阪からきた警察の人たちが
いるのを感じることで、オリンピック気分を味わいました。
競技、観たかったな。パラではなんとか!
そして今日からは、
週末に控えた『棲家』リーディング公演の準備に勤しんでいます。
出演者は龍昇さんと浅野令子さんの2名のみ。
昨日までとは打って変わって、超コンパクトな座組です。
私たちは6月に一度会い、
それからはずっとzoomで稽古してきましたから、
久々に顔を合わせるのは嬉しく、オンラインでは伝わりきらない
所作やせりふのニュアンスを一気呵成に詰めていきます。
この台本には曲の指定があって、バッハの第156カンタータ
『わが片足は墓穴に入りぬ』の序曲をアレンジした
いわゆる『アリオーソ』のチェロ版を、太田省吾さんはご所望です。
そこで、自分はせっかくだからとこの曲に興味を持って、
チェロ版各種に加え、もともとのカンタータを演奏した
古楽オケ版、変わったところではヴァイオリン版を聴いています。
それから一曲だけ、台本の指定にはないバッハの曲を使おうと
思っています。
ともかくも、すでにすっかり『アリオーソ』漬け。
明後日には劇場入りです!
2021年8月 8日 Posted in
中野note
↑終演後に鳳さんと本願寺の前で。
『シーボルト父子伝』が後半戦に突入しました。
若いメンバーが多い座組みで熱っぽく、上演を重ねるごとに
練り上がっていく彼らを観ているのは痛快ですが、
時世が時世ですから、日々、薄氷を踏む思いでもあります。
今、中止に追い込まれた公演、出演を断念せざるを得ないキャストが
たくさんいると聞いています。
シーボルト事件で有名なフィリップ・シーボルトの二人の息子たちと
明治期の日本、二つの青春を重ねるように描いた本作に、
初々しい俳優たちがマッチしていますが、常に危うさもある。
病気やケガにならないように、優秀なスタッフの面々が
そこを支えてくれています。
一方で、来週には、太田省吾さんの台本『棲家』のリーディング公演を
控えていますので、こちらの準備も進めています。
『シーボルト〜』の青春とはうって変わり、
『棲家』は、昭和を生きたある男性の晩年を描いたもの。
白秋よりもさらに進んで、玄冬に至った男の晩年。そういう感じです。
この台本には、音楽に指定があって、
ト書きには、『アリオーソ(バッハ作曲チェロ演奏)』とはっきり書いてある。
ですから、この劇の準備をする時には、ずっとこの曲を聴いています。
ただし、途中のト書きにも、
「ここで流れる」と指定があるので、けっこう演出家泣かせでもあります。
作者である太田さんに、ほとんど先に仕事をされてしまっている。
そんな気にもなってきます。
悔しいので、様々なバージョンを揃えることにしました。
この曲はもともと、バッハのカンタータ156番の序曲を、
チェロ用にアレンジしたものです。
ということは、おおもとのオケバージョンがあるわけで、
古楽界の巨匠たち、エリオット・ガーディナーや
シギルヴァルト・クイケンのものを揃えました。
また、同じチェロでも、カンタービレ多めで味付けの濃いもの、
少なめでさっぱりしたもの。状況によって使い分けようと思っています。
珍しいところでは、いかにも優雅なヴァイオリン・バージョンもある。
太田さんに指定されっぱなしだと仕事にならない。
かといって、唐さんという巨大な"作者"の教えを受けて育った自分は、
やはり作家が大切。だからこういう感じの動きになるわけです。
ちなみに、このバッハの第156カンタータのタイトルは、
「わが片足は墓にありて」というもので、
太田さん、ちょっと分かりやす過ぎるぜ!
そんな対話を繰り広げながら、夜な夜な台本と向き合っています。
https://stage.corich.jp/stage_main/92459
2021年8月 7日 Posted in
中野note
↑最近よく聴いているCD
唐さんと、よく音楽の話をしてきました。
私たちは常に、劇で使う良い曲はないものか。
そう思って生活しているとことがあるのです。
例えば、かつて高円寺に「さわやか」という焼き鳥屋さんがあって、
ここで唐さんと飲んでいると、店内に流れている有線に
反応されることがよくありました。「この曲、いいねえ!」って。
すると、私や唐組の人たちは、
急いでその曲のサビの部分を覚えておいて、後で曲名を調べる。
こんな風にして、例えば杉良太郎さんの曲のイントロが、
紅テントで鳴り響く。そんな結果につながったこともありました。
アンテナは常に張られているのです。
興味を持つジャンルは多岐にわたり、
フォーク、ワールドミュージック、歌謡曲、ポップス、
ロック、プログレ、サウンドトラック、ジャズ、クラシック、
なんでもあり。
私自身、今日も築地で『シーボルト父子伝』を行っていますが、
この間、自分は車での移動中にはずっと、
メンデルスゾーンの弦楽四重奏 第二番を聴いています。
実際に劇に使っているわけではないのですが、
自分の中では、この曲を頼りに劇を構想してきたところがあります。
メンデルスゾーンは1809-47年を生きた人なので、
シーボルト父子の人生や江戸末期と時期が重なるところもあり、
劇を考える時のヒントにしてきました。
音楽を通すと、歴史上の人物たちが実際に生きていた、
そういう実感を得ることができるのです。
「劇を構想するとき、ある音楽を頼りにする」
学生時代に聴いた多くの唐さんの言葉の中で、
特に印象に残ったフレーズのひとつです。
ちなみに、メンデルゾーンのこの曲は、
2014年に台東区入谷で行った『パノラマ』公演をきっかけに
知りました。あの催しの拠点だった焼き鳥たけうちには、
(またしても、焼き鳥屋さん!)
近くに東京芸大や上野学園があるおかげで、
多くの音楽関係者が集まります。
そこで知り合った音楽家の一人、
東京都交響楽団に所属されているヴィオラ奏者の村田恵子さんに
誘われて聴きに行ったエピス・カルテットのコンサートで、
私はこの曲を初めて聴き、大好きになりました。
今では録音をいくつも持っていて、
マノン・カルテットという弦楽四重奏団が特に気に入っています。
終楽章の最後、冒頭の主題が再現されるところはいつ聴いてもグッとくる。
いま上演中の劇も最後はこんな風になればいい!
そう思ってつくってきました。
嬉しいことに満席も出ていますが、9日(祝月)まで公演していて、
回によって、ご覧いただくことができます。
https://twitter.com/butai_koto/status/1423589410902208512?s=19
2021年8月 5日 Posted in
中野note
↑自分がいる客席の隅から前説の様子を撮影。
観客の皆さんもここだけは写真を撮れます。
築地ブディストホールで上演している舞台『シーボルト父子伝』が
初日を迎えました。かなりタイトなスケジュールをやりくりして、
今日は昼と夜の二回公演に漕ぎ着けた。
キャスト・スタッフの献身とハードワークによって、まずは一つクリア。
何しろ、劇場入りから三日目にして早速の2ステージですし、
Covid-19が猛威を奮っていますから、少しでも早く帰宅して、
少しでも早く寝てほしい。
でも、やはり色々と不安があるようで、終演後は
「自分にうまくいっていないところはないか?」
「あそこの部分を自分は失敗したと思うが、それについてどう思うか?」
多くのメンバーが次々に話しかけてきます。
基本的に、こちらから指摘して気になるところ以外、
上手くいっていますよ、というのと、
自分で失敗したと判っていれば次に修正できるので安心している。
と応えます。
ひとつ本番をやれば、上手くいったり、いかなかったりして、
特に上手くいかなかったところには落ち込みもするだろうけれど、
そういう小さな痛みを乗り越えて、次のステージに臨んでいって欲しい。
公演回数、まだ結構ありますから。
リベンジや向上の機会にして欲しい。
一方で、こちらから気づくことを何人かの俳優やスタッフに伝えながら、
劇場が閉まるまでの少しの間、しみじみ話すのは良いものです。
これまで一月ちょっと、
ひたすら初日を迎えるためだけに時間を使ってきたので、
自分が何者であるか、相手がどんな経緯やキャリアで
この公演に参加しているか、会話の端々に初めて聞くことが多くあり、
改めて人には面白い背景があるものだと痛感しています。
初日にしてお互いにやっと初対面している。
そういう感じです。
特に新型コロナウィルスが登場して以来、
社会にはこんな人間関係が溢れているのだろうな、とも思います。
この公演はダブルキャストなので、
配役のうちの9つの役の人たちが(けっこうな数だ!)、
明日これから初日を迎えます。
疲労を押して2日目に臨むメンバーと、緊張して初日を迎えるメンバー、
いろいろなコンディションが渦巻く初日になるでしょうが、
今日が終わる頃にはまたひとつの目標をクリアしているはずです。
2021年8月 3日 Posted in
中野note
↑築地本願寺。かつて中根公夫さんが蜷川幸雄さんと野外劇版の
『オイディプス王』を上演した場所です。
築地本願寺の境内にある劇場ブディストホールに通っています。
佐々木あかりも出ている『シーボルト父子伝』公演のためです。
昨日現場入りをして、先ほどまでリハーサルをしていました。
そして、明日が初日。
この公演はダブルキャストで組まれていて、
明後日が初日の愛組には、劇団員の佐々木あかりも出ています。
内容としては、
日本史の授業で習ったシーボルト事件の当事者、
フィリップ・シーボルトの二人の息子、
アレキサンデルとハインリヒが明治期の日本で活躍する話です。
必然、いわゆる維新志士と呼ばれる有名人も何人か登場して、
史実に即しながら、それにおさまらないエンターテインメントを
狙おうという劇です。
去年、テレビドラマや映画の監督として有名な木村ひさしさんが
演出したものを引き継いで、自分が手掛けることになりました。
基本的には木村演出がベースなのですが、
キャラクターをさらに立てつつ、登場人物同士の絡み合いを激しくして、
味付けを濃くするように心がけました。
それでいて、自分はせっかちなので、
スピーディーかつ筋肉質な上演を目指しました。
映像の世界を中心に活躍されている方がいたり、
吉本に所属されている方がいたり、いつもは2.5次元の舞台に立つ方もいます。
まだキャリアの入り口に立ったばかりの若手も含めて、
なかなかに多士済々のチームを預かってきましたが、
ようやくお互いに慣れてきた頃に、初日を迎えることになりました。
個人的には、小中学生の皆さんが、
夏休みの自由研究か何かで何かで観に来てくれたら嬉しい仕上がりです。
主人公がいて、仲間がいて、家族がいて、敵役がいる。
ストーリーテリングの基本に忠実につくろうと心がけたので、
お話しはわかりやすく、歴史上の人物たちは人間味を持って、
そういう造形を実現することができました。
音楽は爆風スランプのパッパラー河合さん、
衣装は、野猿のボーカルもされていた神波憲人さん、
アクション(殺陣)を難波一宏さんが担当してくださっています。
稽古の合い間に、こういった方々と話をするのは愉しく。
さりげないところに一線で活躍する方々の技術と心配りを発見して、
幸せに感じています。
劇のさらなる改善のために、明日までもうちょっと粘りたいと思います。
2021年8月 1日 Posted in
中野note
↑本番中に写真を撮る余裕はまったく無く、片付けの様子。
公式写真が愉しみ!
いやあ、昨日は大変でした!
暑い暑いと言いながらのリハーサル。
「晴れて良かったねえ!」
「暑すぎるけど、雨よりは良いよね!」
なんて言っていましたが、開場時間が迫ったところから暗雲が垂れ込め
ゴロゴロと鳴り出しました。
そして、やっぱり降り始めた。
集まってくださっていたお客さんには一旦建物の中に入って頂き、
開演時間を30分押すことにしました。
そして、雨が止んだと見るや、舞台スタッフも、大学の職員さん、学生さんたちも
一斉にタオルを持って濡れた客席や舞台を拭きました。
このあたり、人や資材の豊かなこと。
これこそ、大学の特権だと改めて実感しました。
ワンナイトイベントのために集まった面々が急速にチームになっていくのを感じました。
そして、19:00に開演。
松明からかがり火を点火し、渡辺梓さんと米澤がプラトンの対話編を語り出し。
それが一区切りつくと、佐藤信さんと山本理顕さんがトークを繰り広げます。
信さんの構成によって、台本のある無しが、あえて曖昧になる趣向です。
対話が深まっていくと、再び雨が降り始めました。
ポツポツの雨。途中で傘をさしてくださいと呼びかけたりして。
そんな状況でも、途中で帰る人はおらず、最後の山本理顕学長のメッセージと、
名古屋造形大学が小牧市とお別れする花火に立ち会ってくださいました。
寒すぎた2018年の公演から3年経って、
今回もやはりすんなりとはいかない催しでしたが、かえって充実しました。
この様子は、映像製作を専門とする学科の皆さんによってカッコよくまとめられるそうです。
また、お知らせします。
今朝は、一度東京に行き、それから横浜に戻って、
ハンディラボで、週明けに劇場入りする『シーボルト父子伝』の詰めと、
劇団公演の準備もしています。
下の写真は、作業中の舞台美術家カマダトモコさんと。
2021年7月30日 Posted in
中野note
ここ10日間で、PCR検査を3度もしました。
劇場の仕事で、『シーボルト父子伝』の稽古場で、
それから、今、新幹線で向かっている名古屋造形大学の野外イベントのために。
結果は常に陰性。良かった。
一方で、それぞれのチームで関わっているメンバーのうち、
一人でも陽性者が出たときのことを考えてしまいます。
他の現場にドミノ倒しに影響するだろうな、とか。
当事者のことを思えば、かなりいたたまれないだろうな、とか。
そのようことも考えながら、
『シーボルト父子伝』は何度かの通し稽古を経て、
返し稽古を繰り返す段階に入りました。
誰かが発熱していつ稽古が中止するとも知れないので、
無理を押して、早めの通し稽古を重ねたのです。
あとは、各ピースで至らないところを丁寧にブラッシュアップして、
同時にメンバーのコンディション調整もして、
再び全体が結集するときのために、せっせと細部を整えています。
こうなると、稽古は愉しいものです。
約1ヶ月前に出会って、駆け足できました。
こういうご時世ですし、他の仕事もありますから、
話しをする時間も無くサバサバやってきたのです。
が、少し落ち着いて稽古できたここ数日は、
多少はおしゃべりもして、皆さんのパーソナリティも見えて、
充実しました。来週から現場入りです。
そして、今向かってる名古屋造形大学で、今晩はイベントをします。
天候だけが心配だったのですが、晴天に恵まれそう。
ワンナイトイベントなので、こうなるともう楽しいばかりです。
米澤も出ます。
大学の最寄駅である春日井駅の二つ手前、
大曽根という駅に寄って、小学生の頃から通っているラーメン屋で
これから両親と落ち合います。30分間の帰省です。
8月になれば『シーボルト父子伝』公演と『棲家』リーディングがあり、
帰省は息子と娘、椎野の仕事です。
2021年7月28日 Posted in
中野note
昨晩、川西町公演のことを書いたら、様々な記憶が噴き出してきました。
エメロンシャンプーのCMのパロディから劇がスタートするので、
横浜駅近くにある岡野公園で映像の撮影を行ったこととか。
トップシーンで手頃な飛行機の模型が必要だったのですが、
またまた川西町公演の時にお世話になった玉庭の宿舎に
もってこいのものを発見し、お願いしてツアー中ずっと拝借していたとか。
あとは、とにかくあの公演はスタッフワークのオンパレードなので、
最後の最後、12月の横浜公演に至るまで、私たちは寒空の下、
屋外にたてた掘建て小屋のような作業場で作業していたことだとか。
先日、ワークショップをしていたら、
参加してくださっている方の何人かが、YouTubeに上がっている
横浜公演のエンディングを観たと言ってくれました。
https://www.youtube.com/watch?v=653f-BCh6DM
「あれはすごいですね」と言ってくださるのですが、
自分には正直に言って、何か苦さのようなものがあの演目にはあります。
あの公演に挑んだ前年には様々なことがあったのです。
2007年の『鐵假面』公演を以って、何人かの劇団員が抜けました。
唐ゼミは学生時代からの延長で来ていますから、
卒業後に何年か経った時、必ず起きる別れが、
起こるべくして起きたのです。
けれどやっぱり、一人一人のことが痛恨事でした。
そういう事態があったので、私は二つの演目を目標にしました。
一つは、唐戯曲の中で唯一まともに上演されてこなかった『ガラスの少尉』。
もう一つは、あまりにも巨大すぎる演目『下谷万年町物語』。
相当にジタバタしていました。
その上で、後に上演した『下谷万年町物語』はともかくとして、
『ガラスの少尉』はかなり不思議な演目でした。
もとがラジオドラマなので、場面の行き来がやたらと多い。
それに圧倒的にモノローグなのです。
結果的に、ストーリーの進行はリニア、
スタッフワークは表現主義という、かなりいびつな作品が生まれました。
よろこんでくれた人も多かったのですが、
同時に、役者たちにはかなりフラストレーションが溜まったと思います。
芝居はやっぱり役者のもの。
ダイヤローグして、対決して、死力の限りを尽くして凌ぎを削り合う。
その熱は、道具や仕掛けによるスペクタクルを超えるのです。
一人一人の完全燃焼には宇宙的広がりがある!
(まるで小さい頃にハマった『聖闘士星矢』みたい!)
今後、大空間で公演をすることがあれば、
自分はまたスペクタクルも大いに活用すると思います。
けれど、劇の基本はまず役者。
『ガラスの少尉』はその点で、燃え盛るには難しい演目だったと思います。
いくらかの痛みとともに、そういう基本の基本を自分は思い知りました。
あれから10年以上です。
現在、自分の中にはいつも『唐版 風の又三郎』がありますが、
あの物語の中でずっと空を飛んでいる幻のヒコーキは、
前年に書かれた『ギヤマンのオルゴール(『ガラスの少尉』の原型)』
の墜落する飛行機と、何かつながっているような気がしています。
自衛隊機とジャンボ旅客機、ずいぶん大きさは違いますが、
空に舞い上がる浮遊感、急降下する際の転落の疾走感は、
やはり唐さんの中で繋がっていると、自分には感じられてなりません。
2021年7月28日 Posted in
中野note
↑数少ない写真の中から。田んぼの中にあるフレンドリープラザ。
地元の方々の作ってくださる食事に、私たちがどれだけ元気になったか。
椎野は今でも時折遊びに行き、物産展などで関東に出てこられる際は
訪ねて行くなど、交流が続いています。
一昨日、日曜の夜は『ガラスの少尉』WSの最終回でした。
7月いっぱいをかけて皆さんと研究しながら味わってきたこの作品の
エンディングを迎えたのです。
6月まで取り上げていた『海の牙 黒髪海峡篇』は
文字通り大団円を迎える終幕でしたが、同じ1973年に書かれた
『ガラスの少尉』は正反対の趣きです。
何しろこの劇、一切がジャンボジェット機の内部を舞台に展開します。
高度経済成長の日本からバリ島に旅行に出かけた人々、
その中にいる一人の少女と中年男が
ジャンボジェットの墜落の中で、
戦時中の悪夢を走馬灯のように追体験する、という構成です。
舞台は、ジェットの中、東京の往来、ガラス工場、喫茶店、
アパートの一室、バリ島と、様々な場を往き来します。
こんな風変わりな構成なのも、
本作がもともとラジオドラマとして仕立てられたからに他なりません。
そして、演劇の公演より遥かに多くの人が聴取者である
ラジオドラマだからこそ、唐作品の中でも屈指の分かりやすさで、
この物語は進行します。ですから今回は、いつもWSの約2倍の速度、
全4回でこの演目を踏破することが出来ました。
唐ゼミ☆では、2008年に公演した演目です。
川崎や京都、横浜など、期間をおきながら様々な場所で公演を行いました。
川崎では、川崎市市民ミュージアムの中庭。
名物トーマス転炉の横での上演は、屋台くずしの際に
館内の照明施設まで動員して頂き、かなり華麗なエンディングを
実現することが出来ました。
京都では、四条河原町にある立成小学校の校庭が舞台。
横浜では、今は取り壊されてしまった日本郵船の倉庫の中を
バリ島のジャングル化して上演しました。
どれもこれも思い出深い。
さらに思い出深いのは、山形県にある川西町での公演です。
井上ひさしさんが幼少期を過ごしたこの町には、
川西町フレンドリープラザという施設があり、
図書館や立派な劇場を備えています。
近くには小松駅という駅があり、
この地域名が「こまつ座」の由来とも云います。
このプラザの駐車場で、私たちは青テントを建てて公演を行いました。
『ガラスの少尉』の終盤はなかなか怖ろしい内容です。
バリ島に駐屯した日本人兵士たちに抵抗する地元の
少年少女たちは、日本軍の飛行機の窓ガラスを破壊して回ります。
これを取り締まるため、兵士たちは子どもたちを襲う。
しかし、ヒロインの少女ガランスが歌う主題歌とともに、
首だけとなった少年少女が宙を飛び、日本軍へのさらなる復讐を
果たすのです。
この首が舞うシーン。私たちとしては相当に凝って、
首をつくり、フライングの仕掛けをつくったのですが、
これが大勢で観に来てくれた地元高校生たちの中にいた
一人の少女の琴線に触れてしまったのです。
終演後、怖かったと言って泣かれてしまいました。
それもただ泣いたのではなくて、テントから飛び出しきた少女が
地面に片手をついて、もう片方の手で地面を叩きながら号泣しているのです。
彼女の友人たちは笑ったり、不思議なものを観たと感慨深そうでしたが、
私は申し訳なく謝りつつ、この世代な多感さと、川西町に育った
彼女らの純朴さに感動しました。
その光景を唐さんに電話して伝えると、
「少女が地面に拳を突き立てながら泣いたのか!」と驚き、
唐さんも声を上げて感慨深そうでした。
唐さんのことですから、頭の中でものすごい光景を妄想していそうで、
今度は私の方が、空恐ろしいような思いをしました。
2021年7月25日 Posted in
中野note
↑7/30(金)のイベントの記事が中日新聞に載りました
名古屋出身の自分にとっては、小さい頃から親しんできた新聞
若葉町ウォーフによく行っています。
もともとは2017年にあの劇場ができて、
佐藤信さんが横浜にやってくるようになった時から、
自分はその恩恵を受けてきました。
『あれからのジョン・シルバー』をやらせてもらい、
唐ゼミ☆は活動をつなぐことが出来たし、信さんからは、
折に触れて劇や表現についての話をする中で、
唐さんに関する様々なエピソードを伺う機会もあります。
そして、ひょんなことから一緒に仕事もするようになりました。
きっかけは、の山本理顕さんから相談を受けたことでした。
理顕さんは高名な建築家で、もと横浜国大の教授でもあります。
今は名古屋市の北、小牧市にある名古屋造形大学の学長をされていて、
大学が名古屋市内に移転するにあたり、建物のデザインと
先ぶれて行うイベントを手掛けてこられたのです。
レクチャーやシンポジウムの枠に収まらないイベントがしたい。
そんな希望から、佐藤信さんをお誘いすることになりました。
それぞれの拠点が近いことから、頻繁な行き来が始まりました。
その中で、三間四方の野外舞台を用いた朗読と対話を行う、
風変わりな催しが構想されました。プラトンの対話編『政治家』を
演者二人が読み、信さんと理顕さんが対話する。
初演は2018年12月に金山駅近くの東別院境内で行われ、
かがり火の燃える中で、美しい野外公演が誕生しました。
他では観られない
イベントになったことに自分も興奮しましたが、寒かった。
今回は真夏です。
いよいよ半年後に閉鎖される現在の名古屋造形大学のキャンパスで、
ボリュームアップした『世界・都市・三間四方』を展開します。
2018年から唐ゼミ☆の米澤剛志も参加していて、
米澤にとっては信さんとの出会いが、座高円寺や先日のダンス公演への
出演に結びついてきました。信さんとの仕事は役者としての道場であり、
稽古の中で取り交わされる会話は、人としての興味の拡がりに結びつきます。
今回は、女優の渡辺梓さんも参加してくださり、豪華です。
自分にとっても大切な機会です。
7/30(金)18:30から、一発勝負のイベントです。
https://www.nzu.ac.jp/news/art_management/
野外イベントですから、どうか雨が降りませんように!
2021年7月23日 Posted in
中野note
↑劇団員の佐々木あかりが去年の初演に引き続き、出演します。
この演目。自分は初めて、彼女は2度目なので、
内容について彼女に質問したりします。
いつもの劇団とは立場が逆で、それが結構おもしろい。
最近、さすがにヘトヘトです。
劇団が秋に行う公演の準備があり、KAATの仕事があり、
さらにいくつかの企画の稽古があり、台本をとっかえひっかえしては
あっちこっちの稽古場に行っています。
ここ数日、一番佳境なのが、
木村ひさし監督の演出を引き継いで再演を目指している
『シーボルト父子伝』。8月頭に初日です。
ようやく通し稽古を重ねる段階にたどり着いたのですが、
多くの役がダブルキャストを組んで2班ある上に、
コロナ対策のために稽古場は最小限の人数。
これで全体を前進させるのが、至難です。
とにかく時間がない。
人によっては大変です。
上手くいっていないシーンがあると痛いほど分かりながら、
キャストの皆さんにこれを堪えてもらいつつ、
全体の進行を優先せざるを得ない。
そして、通し稽古の前後で、目下もっとも気になるところから
コツコツと底上げしていく日々。
近いうち、必ず解決しにいくからね!
そういう心持ちで、台本やメンバーと向き合っています。
あと数日で視界が開ける予感があります。
つい一月前に知り合ったメンバーだけれど、
チーム感も出てきている。なんとか突破したいと思います。
他に、太田省吾さんの『棲家』のリーディング公演、
名古屋造形大学で7/30(金)に行う佐藤信さんの『世界・都市・三間四方』、
ドリームエナジープロジェクトの延期公演の準備もしています。
英語の勉強も毎日しないと来年に地獄を見ることがわかっているので、
朦朧とする頭で、イヤホンをはめて、文章を流し込んでいます。
あとは、ご用命があったので、
特にここ数日は集中して文章を書きました。
これはいずれ陽の目を見ることになるので、
タイミングが来たら発表します。
自分にとってこの上なく嬉しく、責任重大な仕事です。
以前より、書くことに慣れました。
一昨年前、毎日このゼミログを更新するという誓いを立てて、
本当に良かったと思っています。
あとは、最近すこし距離が減っているランニングもきちっとできれば、
自分の日常は悔いのないものになります。
2021年7月21日 Posted in
中野note
↑『黒いチューリップ』二幕。下記の歌を歌唱中。
昨日に続き、今度は唐さんによくリクエストされた劇中歌を紹介します。
その歌のタイトルは『毀(こわ)れた橋』。
今、こうして思い出しても変わったタイトルだと思いますが、
これは恋愛の歌です。
この歌がうたわれるのは、
1983年にパルコ劇場で初演された『黒いチューリップ』。
その二年前、1981年に同じ劇場の柿落としとして公演された
『下屋万年町物語』の好評を受けて上演された劇です。
初演の演出は蜷川幸雄さん。
2004年の春に唐ゼミで『盲導犬』に挑戦して手応えを得た後、
秋の演目について唐さんと話し合っていた時、
私は、タイトルだけ知っていた『黒いチューリップ』がどんな物語なのか
質問しました。すると唐さんは「あれは良い!」「よく目を付けた!」
仰り、自分がまだ未読にも関わらず、上演を決めてしまったのです。
今から考えたら、ちょっといい加減な話でもありますが、
それほど唐さんが勧めるのであれば面白いに違いないと思って台本を探し、
それから文芸誌「海」に掲載されたものを手に入れました。
蜷川演出を前提に書かれただけあり、
多くの人たちが出演するこの劇を上演するのは大変でしたが、
確かに面白い演目でした。何より、"引きこもりの姉"というテーマが現代的。
その姉ノブコを巡って、なんとか彼女を世間に引っ張り出そうと、
主人公である妹のケイコは奔走します。
そして、引きこもりに至った原因を探るべく、姉の元恋人に会いに行く。
実は当のケイコもその人のことが好きなのですが、
彼のことを想って次の歌をうたうのです。
♪毀れた橋
ただ、渡り合うのは あたしにゃ合わない
そっと、咲くのも陰で慕うのも、
だから ここは毀れた橋
ただ、見つめあうのも あたしにゃ合わない
だって、ここは毀れた橋
ただ、睦みあうのもあたしにゃ合わない
橋は、こうして、こわれているから
ああ! まるで裏切りから始まった恋みたい!
(ムニャ ムニャ)
誰なの、こうして毀れた橋を渡らせるのは、そこに、あたしの恋があるのか!
あたしにゃ、恋が分らない、いつも、取るか取られるかだ、それでも恋!?
だって、春太さんに会った時だってーー。
相手は姉の恋人なので、叶うはずもない恋。
だから「毀れた橋」です。
それに、水や池を使うのが得意な蜷川演出に合わせて舞台の床は毀れており、
池のように大きな水たまりができている。だから、具体的にも「毀れた橋」。
一方で、歌詞を見ればわかるように、
この歌には悲壮感はなく、かなりコミカルでした。
だから楽しい。宴会でうたうと盛り上がる。
「椎野ちゃんは、のどかなのが良いよね!」と唐さんは仰っていました。
この歌と、歌に対する唐さんの評価は、
当時は青くて、どちらかといえば悲劇に憧れる傾向のあった自分の目を
開いてくださったように思います。
楽しいことは良いことだ。くだらないことも良いことだ。
そして、世の中には喜劇と悲劇が背中合わせにあることを、
この歌がうたわれるのを何度も何度もよろこびながら、
唐さんは私たちに教えてくださったのだと思います。
2021年7月21日 Posted in
中野note
↑写真は、1962年公開の映画『死んでもいい(原題:Phaedra)』の
ポスターです。ラストシーン、許されぬ恋人=継母フェードラの名を
叫びながら車で疾走するアンソニー・パーキンスの演技は、
唐さんに大きな影響を与えました。
今回、ご紹介するせりふもそのひとつです。
今日は学生時代、唐さんによくリクエストされたせりふを紹介します。
私たちにとって最も印象深いのは、
唐十郎ゼミナールに入って初めて唐さんから出されたお題、
『腰巻お仙 義理人情いろはにほへと篇』三幕に出てくるこのせりふでした。
少年 (ガキに)じゃ、五ヶ月、僕行くよ。ガキ もう行くの? どこに?
少年 (立ち上り)海辺を一走りさ(忠太郎に)君、一緒に乗らない?
僕の車は湘南海岸から千葉の九十九里まで十五分でかけ抜けるぜ。
走っているうちに風というものがとっても固いものだというのが
よく分かるよ。それと、あのスピードの中で海鳴りというのは
てんで卑猥なものだと気がつくぜ。でも僕は、まるで海を
ひきちぎるようにとばすんだ。このまま、目をつむって、
海へ突っこんでしまいたい。どこかの防壁にでも衝突してしまいたいと
フト思うそんな時、僕は母さんのことなんか一つも考えやしない。
そんな名まえなんかくそくらえだ。さ、君、行こうよ。
これは、主人公の青年・忠太郎を前に、ライバルの美少年が放つせりふです。
忠太郎といえば、かの長谷川伸の名作『瞼の母』の主人公、
番場の忠太郎をもじって付けられた名前です。
母を求めてやまない忠太郎を前に、この美少年は母のことを罵ります。
そして、忠太郎に母への執着を捨てて、もっと破滅的に生きようと誘う。
この場面の稽古を重ね、初めて唐さんの前でリハーサルをした時、
唐さんは涙を流しました。私たちはかなり未熟でしたが、
唐さんは約35年ぶりにことせりふに対峙して、泣かれたのです。
以来、何か機会のあるたびに、「あのせりふを言ってよ!」と
声がかかりました。この役は椎野と禿のダブルキャストだったので、
ある時は椎野が、ある時は禿がこのせりふを言いました。
最初の頃でしたから、特に緊張していました。
現在、自分が時間や経験を重ねてみると、
このせりふに、大学生三年生だった当時とは、だいぶ違った印象を受けます。
車をかっ飛ばす描写が伝えるスピード感は変わらないのですが、
「少年」が単に"母"が嫌いなのではなく、むしろ"母"に執着して、
それを無理やりにでも振り切ろうとしているのが感じられるのです。
あまりのスピードにより、風は固く、海鳴りが卑猥に聞こえる。
海に突っ込んでしまいたいというほどの速さです。
(15分で湘南海岸〜千葉を移動することは絶対にできません!)
その後にくる、
母さんのことなんかひとつも考えやしない。
そんな名まえなんかくそくらえだ。
というせりふなど、強がりとしか思えない!
"愛憎"というやつです。憎しみの前提に、明らかに愛がある。
本当は母が好きで好きで仕方がないのに、無理やりに振り切ろう。
そういう露悪的な感じがするのです。
現在だったら、そんなことまで洞察してせりふを言うと思いますが、
当時はとにかく、ワーッと言って力押しするのみでした。
思い出すと、今でもかなり緊張する。そんなせりふです。
2021年7月17日 Posted in
中野note
↑2001.12『腰巻お仙 義理人情いろはにほへと篇』三幕。
自分が手掛けたひとつ目の名せりふが、
この後にやってこようという場面です。
昨日書いたような大学一年生を経て、
二年になると唐十郎ゼミナールがスタートし、
ただしメインの参加者は当時の三年生の先輩たちなので、
私はこれを手伝うようになりました。
そして、自分が三年生になると、
『腰巻お仙 義理人情いろはにほへと篇』を皮切りに、
本格的に唐さんの戯曲の世界に入っていきました。
当時は、現在では考えられないスケジュールを生きていました。
とにかく時間だけはあったので、何ヶ月も稽古をして、本番は数日。
中には、稽古をして、本番を二日間やって、さらに一月稽古をして、
その上で二日間の公演をしたこともあります。
セオリーも何もなかったものですから、
どうやって芝居を向上させれば良いか分からずに、
めくらめっぽう時間を費やしていました。
それが、当時の我々に許された特権だったようにも思います。
そのうち、初期の紅テントを借りて公演するようにもなり、
現在に至る唐さんとの関係の基礎が出来上がりました。
同時に、演劇青年でもなんでもなかった禿と椎野が主演をし、
彼らを頼みにするようにもなっていました。
こうなると、今まで見上げていた、
唐さんによる役者たちへのリクエストが、
こちらにもやってくるようになったのです。
「あのせりふを言ってみてよ」
「あの劇中歌を歌ってみてよ」
唐組公演終了後に行われるテントの中での宴会で、
稽古場に関係者が集まって行われる飲み会や忘新年会で、
唐さんは事もなげに言われるのですが、
時には演劇界の大先輩方を前にせりふを言い、歌をうたうのです。
唐さんのところに行く時、私たちは常に緊張していました。
特に唐ゼミの公演直前ともなれば、
唐さんには、通し稽古に立ち会った際に気に入った場面や歌を
いくらもあります。だから、私たちは時に、
リクエストされそうなせりふや劇中歌を練習してから都内に向かいました。
ある時は、コンパクトに進行するために、
実際の芝居にはない、劇中歌→せりふ→もう一つの劇中歌
という進行まで編み出したことまであります。
そんな風に、楽しみ半分、緊張半分の時を過ごして、
私たちは夜遅くの電車に乗り、横浜に引き揚げていました。
車中ではどっと疲れて、やれやれという感じ。
もう、いち観客として面白がってだけ芝居に接する時期を
私たちは過ぎていました。
2021年7月16日 Posted in
中野note
↑車座で宴会やっている写真を探したらこんなものが出てきた。
2011.11に赤レンガ倉庫でやった21世紀リサイタルの打ち上げ
ムシロを敷いて、もちろんこれも手作り!
大学に入学するとすぐに、唐さんの授業を受けました。
そして、研究室を訪ねた。たいそう緊張しましたが、
自分は唐さんに教えを乞うために大学に進んだのです。
意を決してドアを叩きました。
しかし、ありったけの知識を振り絞っても
唐さんとの会話は10分ほどしか保ちません。
自分は緊張しすぎており、早々に引き上げることになりました。
けれども、以降の唐さんは自分を気遣ってくださるようになり、
テントの片付けを手伝いに来ないかと誘ってくださいました。
確か1999年6月だったと記憶しています。
日曜まで公演した紅テントをバラすのですから、月曜日のこと。
この日、私は初めて大学をサボりました。
授業よりも、大学に入ったおおもとの目標を優先するのは当然でしたが、
やはり勇気が要りました。自分は詩に疎いだけでなく、授業をサボることに
後ろめたさを感じる、普通の青年でした。
手伝いに行って、いろいろなことを劇団員の人たちに教わり、
見様見真似で働きました。ハングリーで、優しい方たちでした。
こんなことががあって、
唐さんは春公演全体の打ち上げにも誘って下さいました。
それで、下井草にお邪魔することになったのです。
唐組の打ち上げにお邪魔して驚いたのは、
すべてが手作りだということでした。
食べるものも炊き出しのように作ってあり、
自分たちでセッティングをして、みんなで宴会を張っていました。
居酒屋を利用する大学サークルの新歓コンパとは違うのです。
何より驚いたのは、宴会中の余興でした。
芝居の名シーンを再現してみせたり、
得意な人がギター伴奏をして劇中歌や好きな歌謡曲を歌い始める。
「あのせりふを言ってみて!」
そう唐さんがリクエストすると、
劇団員の人たちはたちどころにパフォーマンスしてみせる。
そして、そこで繰り広げられるせりふや歌詞を味わっていました。
稽古や本番はお客さんのために行うものが、
劇団の皆さんは全員、唐さんの言葉に惚れ込んで入団してきたのです。
その場は、そうした言葉の数々を繰り出しては、
自分たちのために味わい、楽しむ。そういう雰囲気でした。
なぜこの言葉が面白いか、口々に、時にはふざけたりもしながら
話が盛り上がっていました。
世の中にはこんな人たちがいる。
言葉に魅入られて、人生を賭けている人たちがいる。
何より、彼らを駆り立てる魔力が、研ぎ澄まされたせりふにはある。
そのようなことに気づかされた、それが最初でした。
鈍感だった自分は、こうして唐さんの世界に入門していったのです。
2021年7月14日 Posted in
中野note
↑せりふをリクエストされた米澤は、『唐版 風の又三郎』二幕の
テイタン学芸会『ベニスの商人』の一節をそらんじたそうです。
先日、下井草に行った話をしました。
そこで、米澤が参加したダンスの振り付けをしてくださった
岡由里子さんから、公演終了の連絡をもらいました。
そこには、米澤へのねぎらいとともに、
公演のための集まりの際に米澤が、
スタジオを主催する竹屋啓子さんから
「何か唐ゼミのせりふを言ってみて」とリクエストされた
エピソードが書かれていました。
そういえば、竹屋さんはせりふに込められた詩情に敏感な方で、
僕らが数年前に若葉町ウォーフで稽古していた時も、
事務室に漏れてくるせりふを聴きながら
「やっぱりステキなせりふねえ」と言われた記憶があります。
自分は、こういう意見を聴くとハッとします。
唐さんの門下でありながら、実は自分は、詩的なセンスに
欠けるところがあると思っています。
芸術とか詩って、自分とは縁遠いなあと思って育ちましたし、
文学性や詩的な繊細さって、ストレートに表現するに恥ずかしさが
伴います。だから、竹屋さんのように心から言葉を味わっている
姿に接すると、憧れのような感覚を持ちます。
思えば、自分の言葉に対する感覚というものは、
もともとビンビンきていたのではなく、
唐さんとの出会いによって開発されてきたのだと思います。
大学に入ったばかりの頃に出会った唐さん周りの人たちは、
まさに言葉に賭けているように私の目に映りました。
貧乏しても、過酷でも、ひとつのせりふに全霊で突撃していく姿。
私は、そういう人たちを見て言葉やせりふの力を痛感してきたのです。
つまり、もともと備わっていた自分の感性で詩情を捉えたのではなく、
そういうものに魅入られた人たちを通じて、その価値を知ったのです。
言葉が、せりふが、一番のごちそう。
米澤のエピソードを聴いて、自分自身の学生時代を思い出しました。
ちょっと長くなったので、続きはまた明後日。
2021年7月12日 Posted in
中野note
↑2008年唐ゼミ☆上演時のセット。ジェット機の中なので、
ドーム上の天井を客席上部にも設置。仕掛け満載でした。
ワークショップの『ガラスの少尉』はどんどん進みます。
いつもは1回2時間(休憩あり)の本読みで、
15ページ進むことを目標にしています。
こうすると、だいたい2つのシーンをクリアするほどのペースになる。
けれども、今回の演目に限ってはかなり急ピッチで進んでいきます。
別に急いでいるわけではなくて、自然にそうなる。
とにかく話がトントン拍子に進んで明快なのです。
物語を簡単に紹介すると。
ガラス工場で働く女の子が、シャンプーのCMに出演する
インタビュアの中年男に呼び止められる。
これが縁で二人は接近し、やがて、かつて南方戦線における
飛行機乗りだった中年男が、バリ島で少女を銃殺したことがわかると、
徐々に日本とバリにいる二人の女の子の存在が重なり、
中年男を翻弄するという物語。
主人公が絞れており、不思議さはあるものの、明快なストーリー。
一方、舞台はラジオドラマの特性を生かして目まぐるしく変わります。
飛行機の中、街の往来、ガラス工場、喫茶店、アパートの一室、
そしてバリ。こんな具合です。
この、場面の移り変わりには難渋する人もいますが、
それぞれの空間が把握できてしまえば、難しくありません。
特に前半部分は、
もともとが『ギヤマンのオルゴール』というNHKラジオドラマですから、
かなりわかりやすく書かれているようにも思います。
やっぱり、相手にする観客(視聴者)の数の違いでしょうか。
芝居は、どんなに多くても数万人というところですが、
NHKラジオともなれば、相手にする人数の桁が違います。
だから、唐さんは、持ち前の不思議さを発揮させつつも、
平易に書かれています。中には、ラジオという設定を遊ぶくだりも
入れながら、愉しんで書いたことが伝わってきます。
一方で、2008年にこの芝居を上演した時に自分には、
多くの焦りがありました。当時は27歳。
学生時代からともに物づくりしてきた仲間たちが劇団を去り、
気づけば自分は、唐さんが紅テントを発明した年齢になっている。
何事か、突破したいと考えて選んだ演目でした。
どこかの学生劇団が上演を試みたことはあるものの、
誰もやっていないものに挑むこと。これが自分にとって重要でした。
表現主義系の舞台上演の数々を研究して、美術や仕掛けに凝りました。
もう、そればっかり考えていた。ですから、この『ガラスの少尉』は
劇団の上演歴の中でも異色の作品です。
けれども、そうやって凝りに凝った上で、
芝居の魅力とはもっと違うところにあるのだと思い至りました。
ですから、ワークショップを進めながら、ちょっと苦い思い出も過ぎります。
やっぱり単純に舞台は役者のもの!
そういうことを痛感しました。熱演に勝るものなし!
次回からは後半に入ります。
すると、ここは唐さんが戯曲として書き加えた箇所ですから、
芝居らしいコクが出てくる。7月いっぱい『ガラスの少尉』と過ごして、
エンディングまで持っていくつもりです。
来月からの演目は、ただいま思案中!
2021年7月10日 Posted in
中野note
写真は会場の前で、共演した女優のナオ フクモトさんと!
下井草に行ってきました。
この町には特別な思い入れがあって、
私が大学に入った頃、唐組の事務所はここにあったのです。
線路側のマンションの一階にあって、
ひっきりなしに通り過ぎる電車の音でうるさかったけれど、
その分、唐組の人たちが発する本読みや飲み会の声も
吸収されただろうと推察します。
いつからここが拠点だったのかは分からないけれど、
2004年秋に唐十郎アトリエができるまで、
唐さんも下井草に通っていたといいます。
大学入学当時の私はケータイを持っていませんし、
東京の交通網にも不慣れでした。お金もなかった。
だから、唐さんに呼ばれると、
横浜駅から東横線に乗って渋谷、JRに乗り換えて新宿、
しばらく歩いて西武新宿線に乗り下井草を目指していました。
昼過ぎに始まる唐組の飲み会が深夜に迫ると、
終電が気になったものです。
横浜国大に来られる唐さんをサポートされていた
劇団員の辻さんが不安そうな自分を逃してくれましたが、
ある時には酔っ払った唐さんが玄関先まで見送ってくださり、
そのまま一緒に目の前の道路に寝っ転がりました。
唐さんとは、その後さまざまな場所で路上に寝て空を見上げましたが、
あれが記念すべき最初でした。
それはさておき。
今回、下井草に行ったのは、竹屋啓子さんのダンススタジオを
訪ねるためです。そこで、米澤の参加している公演がありました。
私たちが『あれからのジョン・シルバー』に初挑戦したのは
できたばかりの若葉町ウォーフでしたが、その時に劇場スタッフとして
唐ゼミ☆を迎え入れてくれた岡由里子さんが振付をする作品に、
米澤も参加したのです。
私はてっきり、ダンサーの方々に混ざって詩を誦じたり、
朗読でもするのかと思っていましたが、米澤は4作品発表される
公演のしょっぱなで踊っていました。
後に次々に登場するダンサーの皆さんの動きとは
比べれるべくもありませんでしたが、岡さんがゆっくりと歩くやり方を
仕込んでくださったことは明白でした。
それに、米澤特有の無表情を、上手く救い上げてもらっていました。
コロナの始まりの頃に出演した座・高円寺での『戦争戯曲集』公演で、
何人かの熱い仲間に恵まれていたことも実感しました。
2021年7月 9日 Posted in
中野note
↑ここは大井のパーキング
よく高速道路を利用します。
首都高横羽線、第三京浜、横浜新道。
横浜に住む自分にはこのあたりがお馴染みです。
特に横羽線を使って行き来する時には、
大井や平和島の休憩所で休むことがあります。
夜遅くなってしまった帰り道にあまりに眠くて、
15分くらい休むと、すっきりして、
安全に最後の追い込みをかけることができる。
ところが、こういったパーキングには突然の恐怖が潜んでいます。
やれやれと思って駐車場にたどり着き、
空いているスペースを見つけ、
狙いを定めてハザードを点灯させ、ギアをバックに入れる。
サイドミラーを見ながら慎重に車を下げていきます。
両脇の車との距離も充分にとれ、自分の車がすっぽりと挟まれる格好に収まる。
あとはもうハンドルをまっすぐにして下げるだけ。
後輪が車止めに触れるあの感覚まで数十センチ。
そうなった時、隣の車が発進したりするのです。
あれは、怖い。
何が怖いと言って、こっちがブレーキを踏んでいるにも関わらず
隣の車が前進することで、自分が果てしなく後方に引き摺り込まれていく、
あの感覚。ブレーキ効かない!このままでは後ろの壁にメリ込んでしまう!
冷静になると、
なんだ、隣の車が発進しただけとわかりホッとしますが、
あれは何度経験してもヒヤッとする。
そして、唐さんのせりふを思い出します。
『盲導犬』の序盤で主人公の影破里夫が謎めいた女たちから食らう、
呪わしいせりふ。
いつか足をひっぱってやるからな。江の島の沖にでた防空頭巾の女のように、
いつか泳いでいるおまえの足をひっぱってやるからな。
突如として現れる女性たち。
理不尽なせりふ。この上ないまがまがしさ!
どんなに安全運転していようが、あれだけは起きる時には起きる。
せめて、自分が先に駐車していた場合には、
隣の車のバックが落ち着くまでこちらは発進しないでいようと、
いつも思っています。
あれは、何度経験しても怖い。
2021年7月 7日 Posted in
中野note
『海の牙 黒髪海峡篇』に出てくるチョゴリの女たち。笹を持っている。
今日は七夕ですね。
ちょっと前にワークショップで取り上げていた
『海の牙 黒髪海峡篇』には「七夕」に触れるシーンがあります。
チョゴリの女たち 〽命の主の旦那さま 今夜は七夕
いつかの髪をかえして下さい
恐ろしい闇につつまれて
今夜はケン牛もまいりません
いつかの髪をかえしてください
それがあれば せめて 黒雲を振り払ってみせましょうに
朝鮮半島で結ばれながら、日本に帰る夫に捨てられてしまった
女性たちの歌です。捨てられる時に、髪の毛まで切られてしまった
という設定が、さらに無残でした。
どっぷり闇の中にいる様子が伝わってくる歌詞。
3人の女性が七夕の笹を持って連れ立ち、
泣きながら歌って舞台に現れると、とたんに客席に暗雲がたれこみます。
かなり暗い雰囲気になる。
しかし、このすぐ後にはちょっとした仕掛けがあって。
ヒロインの瀬良皿子に強引に自分たちのチョゴリを着せてしまうと、
彼女たちは皿子の背中にぴったりとくっついて離れず、
その影でじとじとと泣き続けます。
こうなってしまうと暗さを突き抜けてかなりコミカル!
唐さんは、やはりこういう設定が圧倒的に上手い。
人生の不運は寄りで見ると悲劇、引きで見ると喜劇になる事が
よくありますが、シリアスとコミカルが相反せず、
同時にやってくることを自分に教えて下さったのは、紛れもなく唐さんです。
7月7日には、そんなことを思い出します。
2021年7月 6日 Posted in
中野note
↑シャーロック・ホームズ。久々に読み返したい。
最近、さすがに混乱しています。
東京で行われている『シーボルト父子伝』の稽古に通い、
8月中旬のリーディング公演『棲家』の稽古も始まり、
6月の公演が9月に延期になったドリームエナジープロジェクトの
準備もしなければならない。
7月末には名古屋造形大学で、佐藤信さんの構成・演出による
『世界・舞台・三間四方』も予定されており、これの助手をしています。
信さんと渡辺梓さん、米澤との稽古が若葉町ウォーフであります。
当然ながら、『唐版 風の又三郎』の稽古は常態的に進行しており、
唐ゼミ☆ワークショップのお題である『ガラスの少尉』にも取り組む。
自分の人生の中で、カバンに入っている台本の数が最高数を迎えています。
こうなると、どの物語のことも並行して考えている状態をベースにしつつ、
それぞれの稽古の前日に、翌日のお題について思案するという生活に。
そんな中でもジョギングもしたいし、英語学習もしたい。
最近は諦めてはいるものの、やっぱり本も多少は読みたい。
当然、KAATの仕事もある。
そういうわけで、ひとつのことが予定通りに行かなくなると
ドミノ倒しに予定が乱れ、予定が乱れたことで焦りから途端に頭が悪くなり、
すぐに追い込まれてしまいます。もう、できることまで滞ってしまう。
こういう時、思い出すのは初期『ジョジョの奇妙な冒険』
呼吸法による「波紋」で闘っていたあの状態です。
どんなに疲れ、傷つき、ピンチに陥っても
安定した呼吸を保つ主人公たちの能力が羨ましい。
そして、同じような理由で急に尊敬が甦ったのは、
中学生の頃にたくさん読んだ『シャーロック・ホームズ』シリーズです。
あの中には、犯人への罠を仕込み終えたホームズが、
事が起こる時刻まで、目の前の事件や犯人には関わりのない趣味に
没頭する様子が描かれています。
ある時は科学の実験、ある時はヴァイオリンの練習。
相棒のワトソン君はこれからやってくる対決に緊張して気もそぞろなのですが、
ホームズは神がかった集中力を発揮します。
今、ああいう能力が自分にも欲しい。
自分の意志ではどうにもならないことは考えないという切り替え。
目の前のもの以外を排除しきるメンタルの強さ。
それらに支えられた、凄まじい没頭。
あっちこっちが気になって散漫な自分は、今この時も、
あっ、オレ、ロンドンに行ったらベイカー街を訪ねてみたいなあ!
などと余計なことを考えてしまいます。
明日はテツヤとの配信もある。
https://www.youtube.com/watch?v=YpFIJ3-mZxM
明日と明後日の稽古の準備をしたら、早く寝なければ!
2021年7月 3日 Posted in
中野note
↑唐ゼミ☆で上演した『ガラスの少尉』冒頭。
いきなり飛行機の中から始まります。舞台の天井を丸くしました。
今週のスケジュールはタイトです。
水曜に『海の牙 黒髪海峡篇』は大団円を迎えて完全燃焼したあと、
昨日に『特権的肉体論』と『少女仮面』冒頭を大学の講座で行い、
明日には唐ゼミ☆ワークショップで、珍品『ガラスの少尉』が
始まります。
「珍品」と書いたのは、これが普通の台本ではないからです。
もともとは、NHKのラジオドラマ『ギヤマンのオルゴール』として
書かれ、実際に放送されました。
すまけいさん、常田富士男さんという名優二人が共演し、
すでに状況劇場の作曲家として台頭した安保由夫さんが曲を付けた
主題歌を唐さんが歌うという座組みです。
これ自体は40分ほどの作品なのですが、
唐さんはこれを舞台に仕立てられるよう、後半を書き足した。
ですから、後半は場面転換が少なく、あったとしても舞台での
上演を想定したものなのですが、前半はラジオドラマであるゆえに、
あっちこっち、場所も時間も展開してゆく。
だから、ラジオ版では、
ガラス工場で働くヒロイン・ミノミと工場の主任さんとの
やり取りにこんなせりふがある。
主任 二人はこうして歩いているよ。今、廊下を曲がったよ。
ミノミ ええ。
主任 事務所の前を通ったよ。
ミノミ ええ。
主任 ラジオって便利だね。さあ、玄関が見えてきた!
さすがに、戯曲になる時にははカットされていますが、
唐さんはこんな風に遊んでいました。
唐ゼミ☆で上演した際には、もちろん前半に四苦八苦しましたが、
現場、特にスタッフワークの腕の見せどころでもあります。
それに、ラジオドラマという枠組みにより、舞台よりさらに唐さんの
想像力が解き放たれていることが、他には無いこの作品の魅力です。
今回はワークショップ。
いわゆるリーディングでもありますから、このあたりはかなり愉しめます。
明日から!
2021年7月 2日 Posted in
中野note
↑思潮社版の復刻本。1983年に再刊されたものですが、
私たちがゼミ生となった2001年にはギリギリこれを新刊で買うことが
できました。大学生協にありったけ買ってもらって、ゼミナールでの
課題図書に。『腰巻お仙 義理人情いろはにほへと篇』を上演しました。
今日は、学習院大学での講座のゲストに呼ばれて、講座を行いました。
連続して日本の演技論を勉強しようというシリーズとのことですが、
今回のお題は唐さんの『特権的肉体論』、そこで私に白羽の矢が立ちました。
おおもとの『特権的肉体論』は、
唐さんが1968年に初めて出した著作、
思潮社の『腰巻お仙』に収められた文章群です。
大小さまざま、10の文章から成り立っていて、
『腰巻お仙』の「忘却篇」と「義理人情いろはにほへと篇」
の横に添えられている。
素直に読んでみれば、
これは体系だった演劇論、演技論、俳優論、芸術論であるより、
デビューしたての唐さんがその時々の発注に応じて、
自分の思うところを述べていった所感やエッセイです。
けれども、この「特権的肉体」という言葉のインパクトは絶大で、
「紅テント」と並んで、唐さんの代名詞になりました。
今回、これを機会に久々に読み直して「おっ!」と思ったのは、
俳優「サラヴィーダ」について触れたくだりです。
唐さんの代表作のひとつである『少女仮面』には、
颯爽と登場したヒロイン・春日野八千代が「サラヴィーダは知っている!」
という言葉に続けて、とうとうと長ぜりふを繰り出すのですが、
この名前については、同作品中には、「海でルンバを踊るブレヒト役者のこと」
という述懐があるのみで、ネットサーフィンしてみても一向に誰のことなのか
よくわからずにきました。
ところが、『特権的肉体論』の一節「石川淳へ」には、
しかし、ブレヒト的などというものは、チャールス・ロートンと
『8 1/2』のサラヴィーダだけで結構だ。
という一文が、ちゃんとあるではありませんか。
これを発見し、すぐさま『8 1/2』を検索条件に加えてみましたが、
どうもヒットしない。しかしまあ、フェリーニの映画を観れば
ヒントがありそうだということがわかったので、
時間を見つけて約20年ぶりのあの名作を観てみたいと思いました。
こんな些事を積み重ねていくことこそ、唐さんへの探究です。
学生さんたちの反応はもちろん、この一事をとってみても、
今回の講座を引き受けた甲斐がありました。感謝!
2021年6月30日 Posted in
中野note
↑とあるコインパーキングに停めた車の中からWSを展開!
昨日のゼミログの宣言通り、
『海の牙 黒髪海峡篇』ワークショップが終幕を迎えました。
今日は今朝からずっと出張で、
小田原や箱根へ行っていましたので、
ちゃんとWS開始時間までに帰って来られるか不安だったのですが、
やはりハンディラボには間に合わず、
藤沢のとあるコインパーキングに煌々とした電灯を発見して、
これは自分の顔明かりに良いと駆け込みました。
その時、実に19:25。
ちょっと手前で明るい場所を探して手間取りましたが、
間に合った。間に合った。
そこでパソコンを立ち上げ、ケータイを接続してテザリングを起動。
ポケットの中で絡み付いたイヤホンをほぐしつつPCにさして、
Zoomを立ち上げること19:30ジャスト。
まったく便利な世の中になったものだと思います。
連続でこのワークショップに参加して来られた皆さんと、
この台本の最終回に突入しました。
たっぷり2時間ちょっと。
昨日にお話しした大団円に向けて夢中になりました。
最後は思いのほか熱くなるエンディングに、
良いゴールを迎えることができました。
今日のゼミログのタイトルは、
今回のワークショップで発見した劇中の素晴らしいせりふです。
ヒロイン・瀬良皿子がヨーロッパの白人女性が持つブロンドの
髪の毛に興味を持つと、敵役である按摩はすかさずこう言う。
「西洋のことなんか知るもんか!」
この芝居のテーマはアジアです。
そしてまた、寺山修司さんや鈴木忠志さんが欧米の演劇祭で
評価されるのを尻目に、アジア各所への遠征に執心した唐さんの、
心からの叫びと受け取りました。
改めてこんな魅力的なせりふがあったことも発見しつつ、
この演目はこれにて終了。次回から珍品『ガラスの少尉』に挑みます!
2021年6月28日 Posted in
中野note
ここ3ヶ月取り組んできた唐ゼミ☆ワークショップ
『海の牙 黒髪海峡篇』が、明日で大団円を迎えようとしています。
今、思わず「大団円」と書きましたが、
この言葉がこれほど相応しい演目はありません。
それは、この劇のテーマが「完璧な円を目指すこと」にあるからです。
この劇には、アジア各地にまつわる様々な要素が入り乱れます。
『ドグラマグラ』の夢野久作の出身地である九州
海運交易の過程で名和氏が拠点の一つとした台湾
主人公・呉一郎にとって祖先の地である中国
一郎のライバルである名和四郎の出身地である朝鮮半島
ヒロイン・瀬良皿子→シェエラザード→『千夜一夜物語』の舞台である中東
などなど。
この劇の初演年は1973年ですから、
前年に進出した韓国、同年の春に行ったバングラデッシュ公演、
翌年に控えているパレスチナ遠征への視線が唐さんの中で絡み合い、
スパークしているのを感じます。
さらに、李さんが亡くなったことを伝える報道の中で
これまでは知らなかった事情がわかってきました。
当時の状況劇場が海外公演を重ねていく際に起こる
ビザ申請の中で、否応なく李さんの「国籍」「帰化」
という問題に直面していたそうです。
ですから、唐さんはほんとうに切実に、真剣に、
社会システムを取り巻く不条理に憤り、
国境や民族を超えた融和を模索していたのだと思います。
なぜ、私たちは同じ人間同士、仲良くできないかのか!
それが、端的に「完全な円」という言葉に集約されていると
自分は考えます。唐さん、若いな!熱いな!
思わずそういう風に感じてしまう。
そして、自分がこの作品を偏愛するのは、
普通だったら、そういうテーマを描く芝居は面映かったり、
役者にとっても言うに恥ずかしいせりふがあったりするものですが、
唐さんの場合は発想が突飛すぎてぜんぜんそういう気配がない!笑
気後れせず、恥ずかし気もなく社会正義を語れるのは
唐さんのおかげだと、心から思います。
明日の大団円に興味がある人は、ぜひ聴講してください!
http://karazemi.com/perform/cat24/post-18.html
次回からのワークショップは、曜日を日曜日に引っ越して、
同じ1973年に生まれた『ガラスの少尉』を特集します。
2021年6月26日 Posted in
中野note
↑これをやっと手に入れた時は狂気しました。現在は復刻CDあり。
李さんが亡くなりました。
唐さんを中心に、李さん、麿さん、大久保さん、シモンさんという5人を
状況劇場の第一世代として仰ぎ見てきました。
大久保さんを除いて、他の方々は唐さんを「唐は〜」という具合に敬称をつけません。
大久保さんだけは大学の後輩なので、こんな感じなのでしょう。
(学生時代の学年差は上下関係に大きく影響する!)、
お互いをそんな風に呼び合っている姿は同志的な結び付きの強さを
感じさせて、憧れでもあります。
李さんご本人と接することができたのは、
ここ10年以内のことで、お話しできたのも限られた機会だったけれど、
記録に残る歌やせりふの録音は、学生時代から膨大に聴いてきました。
やっと手に入れたカセットテープから『二都物語』の主題歌を聴いた時の驚き。
「石榴が割れて〜」と始まるAメロは、男性かと思うほどの低音だけれど、
やがて数行の歌詞のうちに果てしなく世界は盛り上がり、
終結部の「夜はどんな味がするの?」のという箇所では
女声の中でもとりわけ高音にゆきつきます。
それはそれはすごい音域の広さ。とにかく驚きました。
そしてまた、映像で見る李さんの身体能力の高さ。
芸能を志した時からたゆまず鍛え上げてきたダンスの精華がここにはあって、
動き回り、手足を動かす、身体いっぱいのダイナミズムが、
クルクル変わる表情の豊かさに結びついていて、
また、よく考えられた衣裳が、その運動を活かすように計算されている。
すごいな!と唸ってきました。
80年代の初頭にロックフェラー財団の招きで唐さんと李さんが
ニューヨークに滞在した時、唐さんはホテルに立てこもって『秘密の花園』を執筆、
李さんは毎日ダンスの稽古に行き、ブロードウェイの舞台を観て歩いたそうです。
お二人のキャラクターの違いをたたえる、自分の好きなエピソードです。
李さんの舞台に接した機会は何度かありましたが、
唐さんの作品に立たれたのは、2015年に金守珍さんがスズナリで演出した
『少女仮面』。ただ一回のみでした。正確には、
思わず同じ公演を2回観に行きました。
印象深いのは、1場最後の「春日野八千代」の登場シーン。
満を持して現れた李さんの、ゆっくり進まれることと言ったら。
驚くべきは、これが台本に、ト書きに書かれた通りの動きであることでです。
永遠の処女春日野はどこかを病んでいるふうに
吐気を催す程ゆっくり歩いてくる。
この「吐気を催す程ゆっくり」という指定を、全身で体現されていました。
突飛そうに見えて、ひたすら一徹に取り組む姿。
いつだったか唐さんが「李は真面目。あれほど真っ直ぐな役者はいない」
とおっしゃられていた真髄を見た気がしました。
もちろん他にも、3場の初めの少女・貝との稽古風景や、
水飲み男との掛け合い、満洲での天粕大尉とのすれ違いなど、
受けた印象は山ほどありますが、やはり冒頭は鮮烈でした。
たった一演目、たった一役だったけれど、
唐さんの世界に生きる李さんに接することができて、本当に良かった。
ギリギリ間に合って、本当に良かったと心から思っています。
2021年6月25日 Posted in
中野note
↑校舎は自然に囲まれて、創作のための砦のような感じでした
今日は名古屋に出張でした。
2018年12月に名古屋造形大学の依頼で行った
野外舞台『世界・都市・三間四方』のリニューアル公演を、
7/30に行うことになったためです。
この時、私は、構成・演出・舞台監督・出演までこなす
佐藤信さんの助手をしました。
この仕事のおおもとは、かつて横浜国大の先生であり、
現在は名古屋造形大の学長をされている建築家
山本理顕先生の発案によります。
同大学は、間も無く名古屋市の北にある小牧市から校舎移転する。
ついては、都市の中で大学の役割を考え、移転を告知するための
イベントを行っている。その一つを、一緒に思案してくれないか、
という相談でした。
それが、佐藤信さんにゲストをお願いし、
せっかく信さんならば、と催しが野外舞台化していったことから、
他にはないイベントになっていった。
面白いのは、取り上げる題材が、
古代ギリシャの哲学者プラトンであることです。
ハンナ・アレントを愛好する理顕先生は、
彼女が現代政治にはびこる悪しき権力構造の源を象徴するものとして
言及しているプラトンの対話編『ポリティコス(政治家)』
を取り上げました。
これを題材に野外舞台をやってみよう!
そういう流れになったのです。
初演は、名古屋市内にある東別院の境内にて行われました。
プラトンを題材に野外舞台を行う。
自分は、久々に室井先生と過ごしていた時のことを思い出しました。
こんな酔狂なイベント、採算に関わる劇場や企業では、
絶対に無理な組み立てです。
だからこそ、大学がやる意味がある。
室井先生に守られ、けしかけられながら、
大学だからこそできる企画、
大学でしかできない企画を追究した結果、
トラック演劇、野外劇も、「大唐十郎展」だって行うことができた。
この企画もまた、そういう感じがしたのです。
果たして、プラトンの訳文の難解さは、
信さんの手腕によってナンセンスでコミカルな軽演劇になっています。
ちょうど、難解そうに見えるベケットの劇が
演じられる役者によって笑えてしまう。あんな感じ。
本当に知的なものは、知的を通り越してユーモアにいきつくことを、
自分は唐さんからも教わりました。
『特権的肉体論』に出てくる軽演劇役者ミトキンに哲学者の姿を発見する。
そういうセンスが、自分の中に活きています。
本番は7/30(土)の夜。
チラシができたら、またお知らせします。
2021年6月23日 Posted in
中野note
2005.3に近畿大学で上演した『少女都市からの呼び声』
昨日は、私の家に幼虫としてやって来て、
巣立っていったカブトムシの話をしました。
虫と唐さんといえば、「鳥の目、虫の目」という言葉が有名ですね。
「蜷川くんは鳥の目、僕は虫の目」というのが唐さんの自認するところ。
つまり、蜷川さんの作品づくりは俯瞰で見た世界という感じがするけれど、
自分は触覚や嗅覚を大事にしている、ということです。
体当たりの感覚や実感、そういうものは、
役者でもある唐さんの必殺技だと思う。
いつだったか、テレビの取材に、
「自分は尺取り虫みたいなもの」と答えられていたこともありました。
地べたを這いずりまわる感覚に、テントを担いで興業している自分は
支えられているとおっしゃりたかったのすが、例によってインタビュアーは
キョトンとしていました。
自分にとって、唐さんと虫にまつわる事柄で印象深いのは、
今年の初めに唐組が上演した『少女都市からの呼び声』です。
あの作品のすごく重要なところに、虫が出てくる。
シーンとしては、
この世に生まれてくることができなかったヒロインの雪子が、
現世からやって来た兄・田口と入れ替わって現実の世界に行くために、
田口の指を欲しがるシーンです。
妹のために兄は流血も辞さず、生きている指を授けようとします。
二人がそう決意すると、ここからはまるで
ヤクザ映画における指ヅメのシーンが展開します。しかも、三本!
そして、この場面。痛みと緊張が極に達した時に、虫は登場する。
指を切断する行為の最中に、雪子は周りを這い回る虫が気になってしまい、
これを退治しようとする。兄の田口はたまりかね、自分の指を半端に切っておいて
虫を追いかけるのはやめて!と訴えます。
コミカルなシーン。
しかし、唐ゼミ☆でこの演目を上演した20代前半の私は、
この場面をうまくつくることができませんでした。
人生経験が足りなかったのだと思います。
例えば、お葬式の最中にも、吹き出してしまうことはあるし、
爆笑を誘う芸人さんの中に悲哀が溢れることもある。
そういうこと。人生の悲喜劇が隣合わせにあることを、
当時の自分は実感していなかったのです。
この場面をうまくやれば、
笑って、泣いてという喜怒哀楽が入り乱れて、
双方が双方を引き立てる素晴らしいシーンになります。
今では、そういう感覚と技量を持っているつもりですが、
当時の自分はいかにも鈍感で、悲劇なら悲劇、喜劇なら喜劇、
そういう感じでした。
青かったなあという苦味とともに、唐さんと虫のことを思い出します。
2021年6月22日 Posted in
中野note
1匹のカブトムシが、脅威となっています。
ことの起こりは2ヶ月ほど前。
息子を連れて近所のホームセンターに行ったところ、
カブトムシの幼虫をプレゼントされてしまったのです。
店員さんは開店時間にやってきた私たちに「先着10名様までですよ!」
と言う。当然、息子はその気になる。しかし、幼虫をもらうことは、
飼育用のケースと土を買うということに直結する。
これらはもちろん有料だし、さすがの商売上手。
それで、コツコツと飼い始めたのですが、
先日、見事に成虫になった。角があるので、
オスだということも初めてわかりました。
ところが、これが曲者だった。
カブトムシというものの腕力を、私たち家族はナメていました。
彼は自慢のツノで虫カゴの蓋を押し上げ、脱出をはかったのです。
自分以外の全員が寝静まった家の中に、
ブンブンという音、ゴンゴンと壁にぶつかる打撃音が響くのに、
初めは何の事か分からずにビビりました。
マジで、心霊現象かと思った。
その時は、さんざん暴れた末に靴の中に隠れていた彼を発見し、
こわごわ捕獲して、夜中のうちに元いた場所に戻しました。
しかし、朝になってみると、彼は再び天井を突き破って姿を消しました。
脱出口があったとすれば、新聞受けに新聞が突っ込まれている傍の、
わずか数センチの隙間のみ。彼がまだ家の中にいるのかどうか。
ひょっとしたらすでに死んでしまって、
どこかの隙間に転がっているのではないか。
そんなことを考えながら、最後に姿を見てから30時間が経とうとしています。
ところで、虫と唐さんといえば〜、という話題にいこうと思いましたが、
すでに長すぎているので、それは後日に改めて。
2021年6月19日 Posted in
中野note
先日、午前中に日本橋に行く用事がありました。
そして、11:30頃にひと段落ついた。
次の予定は横浜で15:00。さて、お昼をどこで食べよう。
馴染みのない日本橋ですが、せっかくだから、すし、そば、天ぷらなど、
江戸前のものが頭をよぎりました。が、自分にはこんな機会に
行かなければならない場所があったことを思い出したのです。
そう。「丘」です。
一年ほど前に御徒町を訪れた時、
私は喫茶店「丘」がいまだに健在であるのを発見しました。
↑桃の右に「丘」の文字あり。
初期状況劇場のポスターに広告を連ねる喫茶店こそ、まさに「丘」。
横尾忠則さんデザインの隅を飾りながら、縦に伸びたロゴタイプが印象的。
上野に実家がある唐さんは、きっとこの喫茶店の常連だったのでしょう。
そこで、芝居の構想を練り、将来を語り合ったに違いない。
それが半世紀以上の時間を経て、いまだに健在だなんて。
私は狂喜しました。そして、その時はすでに閉店後だったこの店に、
必ずや入ってみなければと思い続けてきました。
目標を達成するチャンスが、私に訪れたのです。
御徒町に急行して近くの路上パーキングに車を停め、店に向かいました。
「丘」とは、1階にある入り口を降り、地下2フロアに連なる店であることも
初めて知りました。
ひょっとして『少女仮面』の舞台「喫茶肉体」のモデルはここかもしれない。
「丘」→「恥丘」→「女性」→「少女」→『少女仮面』などと、
唐十郎門下であればごく自然に湧き上がる連想とともに、階段を降りました。
地下1階にゆくと想像よりもずっと店内は広く、ゆったり
これまで人気を保ち続けてきた理由が実感できました。
この雰囲気、この値段、喫煙が可能なことも、人気の原因に違いありません。
年輩のお客さんもいましたが、何人もの若者たちの姿も見えました。
「丘」は、まさに今を生きている喫茶店なのです。
自分は、大盛りのナポリタンとコーヒーを頂きました。
「明治大学時代は、よくキッチャ店でナポリタンとコーヒーのランチをした」
と唐さんに聞いたことがあるためです。
お客さんの少ないその時間は地下1階のみでの営業でしたが、
トイレが地下2階にあったので、立派なシャンデリアも覗き見ることができた。
トイレの洗面台には、他店からお祝いに贈られた鏡があり、
『蛇姫様 わが心の奈蛇』2幕で重要な役割を果たす小道具の鏡を思い出しました。
などなど。
・・・これでまた一つ、唐さんに迫ることができました。
2010年に上演された唐組『ふたりの女/姉とおとうと』二本立て公演チラシには、
若き日の唐さんの姿があります。確か、この写真は「丘」で撮影されたもの。
そんなわけで、自分もこんな感じです。
2021年6月16日 Posted in
中野note
先日、自分のFacebookに書いたのですが、
今度ロンドンに行くことになりました。
期間は約1年間。文化庁の海外研修制度に受かったためです。
3月に内定が出て、5月には決定通知をもらっていたのですが、
いつになったら人に言って良いのかずっと分からずに来ました。
ところが先日、文化庁のホームページに採択者の名簿が載っていたので、
あ、これで言って良いんだ!と思いました。
そのようなわけで、4月中旬から英語を勉強しています。
内容は中学英語。中学生から勉強しなおしていると、
かつての自分がどこで心折れたのかよく分かりました。
何しろ、2ヶ月前はthirstyという単語を知らなかったですからね。
よく大学に入れたものだと思います。
よほど唐さんに縁があったのだ!
そう思うことにしました。
向こうに行ったら、作品づくりも、プロデュースも、
それから劇場運営も、演劇や劇場に関わる全てを学びたいと
燃えています。
他にも、もちろんシェイクスピアとか、
彼と同時代のエリザベス朝の芝居書きたち。
シリル・ターナーとか、クリストファー・マーロウとか
大いに調べたい。さらに、自分はクラシックの古楽も好きなので、
ヘンリー・パーセルや、その師匠であるマシュー・ロックの
楽曲の生演奏が聴けるのではないかと期待しています。
唐さんとロンドンといえば、
ちょうど自分が大学に入ったばかりの頃、
『恋におちたシェイクスピア』という映画があって、
唐さんはあの内容に励まされたとおっしゃっていました。
映画の冒頭に、ロンドン市民が糞尿を窓から道に投げ捨てる場面があります。
当時の大都市でありながら、想像を絶する衛生環境。
当然ながら流行するペストは猛威をふるい、劇場は興業の停止を余儀なくされる。
すると、一座を率いるシェイクスピアは、旅公演をしたりして凌ぐわけです。
話題を呼ぶべく新作を書き、オーディションもする。
そういう芝居人としての生々しさが、唐さんを励ましたのだと思います。
翌2000年の秋に上演した『鯨リチャード』のトップシーンで、
唐さんは『恋のおちた〜』のサウンドトラックから一曲を使いました。
ロミオがジュリエットを忍んでやってくる場面でかかっていた曲を、
主人公・田口が鯨カツ屋の主人を訪ねる際にかけてみせた。
二つのシーンを比べてみると、実に唐さんらしいユーモアだと思います。
2021年6月15日 Posted in
中野note
↑映画『海ほおずき』のビジュアル。この作品を観れば、
90年代唐作品の重要登場人物「灰田」誕生の経緯を知ることができます。
久々に小説を読みました。
ほんの短いものですが、読むことができました。
エドガー・アラン・ポーの『赤い死の舞踏会』という作品です。
一昨日、NPO法人ドリームエナジープロジェクトの特別リハーサルが
終わりました。最後の追い込み稽古を延期騒動で失ったことは
作品創作的に痛かったのですが、それでも、本番直前の稽古に
演者・スタッフのみんなが応えてくれました。
客席にわずかにお迎えすることができた関係者のリアクションに
助けれて、まさに本番通り、約2時間弱をやりきりました。
そのために日曜の晩はけっこうくたびれていたのですが、
昨日、月曜日の朝には『唐版 風の又三郎』の本読みをzoomでやり、
徐々に持ち直しました。新しく座組みに加わるメンバーを中心に
劇の世界を追いかけていると、エンジンがかかります。
近く、『シーボルト父子伝』という公演の稽古も始まるし、
太田省吾さん作の二人芝居『棲家』公演のための準備も本格化します。
こうなると、資料ばかり読むことになるのでちょっと苦しい。
何だか心に余裕が無い。そこで本屋に寄ったところ、
吉田健一訳の文庫新刊、未読のポーのアンソロジーを発見して、
これなら短時間で気になるものだけ読めると思いました。
表題の『赤い死の舞踏会』という作品はペストを扱っていますから、
コロナ禍で流行っている、感染症を扱った作品のリバイバルです。
個人的には、カミュの『ペスト』より、
『オイディプス王』と『デカメロン』がパンデミック文学の双璧です。
それで、表題作をものを中心にいくつか読み終えました。
自分はやはり物語やお話が好きで、爽快な気分になります。
一方、久しぶりにポーを読んで、いつだったか、
唐さんと短編『うずまき』について話したことも思い出しました。
唐さんは「うずまき」という訳題以上に
「メイルストロム」という言葉が好きなのですが
あの物語は、船がうずまきに巻き込まれて難破する際、
樽の中に身を潜めて九死に一生を得た男を描いています。
男は命を取り留めたものの、樽の中で過ごした数時間の恐怖に
髪の毛が真っ白になってしまう。
唐さんの主人公には「田口」という姓の青年が頻出しますが、
90年代になると、これが「灰田」というキャラクターに変化します。
「灰田は、薬物でが真っ白になってしまった田口なんだ」
そう唐さんは力説していました。さらに、ポー「うずまき」にも
影響を受けたと。
自分が初めて観た唐さんの芝居は『眠り草』という演目でした。
今から思えば、すでに唐さんの中でも「灰田」ブームは終焉して
主人公はもとの「田口」に戻っていましたが、どこかに名残りも
あったように記憶しています。
2021年6月12日 Posted in
中野note
↑本日はかながわアートホールでの稽古
3月下旬から、ずっと毎週日曜日は磯子区の区民センターに通ってきました。
明日、6/13(日)にかながわアートホールにて、
ダウン症や自閉症の青少年たちが様々なアートや表現に挑戦する
NPO法人ドリームエナジープロジェクトが、舞台公演を企画したからです。
理事長の内海さんの台本執筆から始まって、
ダンスや楽器演奏や手話やスピーチ、1時間に満たない舞台に
ありったけを注ぎ込みました。同じNPOに所属するメンバーの中には、
コロナ禍での健康不安により、行動を制限さざるを得ないメンバーもいます。
現場には来られない彼らにも活躍の場を用意したいと、知恵を絞りました。
順調に先々週まで追い込んできました。
稽古のプロセスには様々なことがあったけれど、
やっぱりものづくりはものづくり。
いつものように全体を構成し、細部にこだわり、もう一度全体を整える。
そういう作業を繰り返してきました。
彼らに通じる言葉や声のかけ方を何度も考えました。
どうしたらこちらのオーダーが伝わるか、伝わった後、
定着するのにどれくらい時間がかかるか。
それを、どのくらいで忘れてしまうか。
そんなことを繰り返しながら、気づけばこちらにも欲が出るし、
いつもと同じ舞台づくりになっていきました。
ところが、10日ほど前に急ブレーキがかかった。
メンバーの中に体調不良によって出演できない人が出てしまい、
私たちは追い込まれました。
そして出した結論は、
今回の公演を中止すること。必ず延期の道を探ること。
さらに、元気いっぱいでウズウズしているメンバーのために、
本番通りのホールで、本番通りの音響と照明と衣装と段取りで、
再現度100%のリハーサルを実施すること。
そういうわけで、今日は劇場入りと仕込み、場当たりとゲネプロ。
代役を投入しながらまったく予定通りの作業に明け暮れました。
もともと、彼らにはシミュレーションという概念がありません。
一回一回、すべての練習に全力を尽くすし、
集中が切れれば本番だろうと何だろうと容赦無く散漫になる。
衝動にまっすぐであることが彼らの美点です。
だから、不在のメンバーを大事にしつつ、
目の前のメンバーの勢いを絶対に活かしきろうと決めました。
それに、自分がどれだけ関われるか分からない延期公演に備えて、
皆の身体に、できるだけの公演ビジョンを引き渡しておきたい。
そのようなわけで、明日はお客さんこそお迎えできないものの、
100%本番。けっこう緊張して、今もジタバタしています。
2021年6月11日 Posted in
中野note
↑新潟に行った禿が撮影して送ってくれました!
新潟の早津さんが『少女仮面』をやると知ったのは、
2021年の正月のことでした。
しかもテントで。しかも、シニアたちを集めて。
新潟市の中心で「鳥の歌」という居酒屋さんを営む早津博美さんは、
私たちの恩人の一人です。
唐ゼミ☆が2006年秋に『ユニコン物語 溶ける魚篇』で地方公演を
画策した時、シネウインドの田村さんと早津さんが、
私たちを支えて下さった。
お金があるとはいえない今にも増してさらにお金がなく、
冒険心ばかりはやっていた私たちを受け入れてくれた方々です。
早津さんは、常に周囲への優しさと、芝居への情熱を温めている人です。
ちょっと強面そうな感じもあるけれど、大きくて、寛くて、あったかい。
いつも私たちを気にかけてくれていて、青テントに駆けつけてくれる。
長野でやっている時も、東京でやっている時も。
そんな早津さんが『少女仮面』に挑むと聞いて、
これは駆けつけなければならない!と思いました。
コロナ禍で、シニアを集めてテント演劇をやるという蛮勇に、
はちきれんばかりのチャレンジを感じました。
でも、私は横浜を離れられずにいます。
明後日に公演をやるはずだったドリームエナジープロジェクトの公演が
出演者の体調不良により中止になり、けれども、代役を立てて、
せめて完璧なリハーサルをしようと皆で決めたためです。
そのために、新潟行きの唯一のチャンスだった昨日も、対策に追われました。
けれど、自分の名代で禿が新潟に行ってくれた。
さっき、観劇後に電話をくれた禿は、すごく胸を熱くしていました。
来て良かったと、何度も言っていました。
明日は、早津さんの千秋楽です。
自分にとっては、かながわアートホールでの最終リハーサル。
新潟で早津さんが芝居の狼煙を上げているのを感じ、疲れを忘れます。
こちらも自分の持ち場で精いっぱいやろうと思います。
2021年6月 9日 Posted in
中野note
この本『劇的痙攣(岩波書店)』に土方さんへの弔辞が収められています
これから始まるワークショップを前に、今は軽く精神統一。
そして、私の好きな、唐さんと土方巽さんのエピソードを一つ披露します。
土方巽さんがお亡くなりになった時、
唐さんは弔辞を読む際、最後に「魔王土方へ」と言葉を添えました。
魔王・・・。土方さんには、そう呼ばせる複雑な内面があったそうです。
前にこのゼミログに書いたように、
味噌汁の具への問いかけにも、答える人にアーティストたることを
求める威圧と緊張。
金粉ショーダンスのアルバイトを終えた唐さんたちに、
ミシンを質に入れてでもお酒を用意して労おうとする優しさ。
こんな具合です。
小説家志望でありながら暗黒舞踏の始祖となった土方さんの内面には
計り知れないところがあったそうです。
嫉妬心も、その一つ。
唐さんによれば、別荘にして倉庫、稽古場でもある「乞食城」を落成した時、
様々なお客さんを招いて大宴会を張ったそうです。
すると、そこにお招きしていた土方さんが怒り始めた。
どうやら、唐さんが澁澤龍彦さんとばかり親しく話していたのが
気に入らなかったらしい。お酒のまわった宴席でのこと、
土方さんは「オレと渋澤とどっちが大事なんだ?」と唐さんに
すごんだのだそうです。
そこで唐さんはどうしたか。唐さんは瞬時に、
「あんたに決まってるだろ!」と言って土方さんを殴ったのだそうです。
・・・恐るべき咄嗟の判断。
これでは、土方さんは怒れない。
座が白けることもない。さすがだと思います。
言わずもがな、唐さんは自分にとって親分ですが、
唐さんご自身は多くの先輩に可愛がられ、多くの才能から学んで自分の滋養にした
いわば時代の弟分でもあります。
先ほど挙げた土方さんや渋澤さん。
寺山修司さんや若松孝二さん、大島渚さんもそう。
挙げれば数えきれない人たちとの交流が唐さんを唐十郎たらしめた。
「あんたに決まってるだろ!」と言いながら殴る。
その瞬時の判断、動物的な反射神経には、ちょっとかなわないなと脱帽します。
2021年6月 8日 Posted in
中野note
昨今、催し物にはpcr検査が付き物。
今週末に想定している公演に備えるため、
検査センターに行って来ました。
横浜では、ネットで調べたところ黄金町にあるらしい。
オープン時間は9:00-19:00。
ならば、朝イチで駆けつけてやろうと8:00に家を出ました。
ケータイのナビに住所を打ち込んで車を運転していると、
意外にもかなりのディープゾーンに。
初めは近づくにつれ、ナビに住所を打ち間違えたのかと思いました。
しかし、何度試しても、繰り返し同じ場所に行けと指示。
車を駐車場に停めてウロウロしていると、
確かにありました。こじんまりとした検査場。
1階が検査場。2-3階はトランクルーム。
4階以降は風俗店が割拠しているというインパクトが絶大。
何か、人間の本能を見たように思いました。
そうか。検査に来る人たちというのは、何かにつけ心配だから来るわけで、
きっとそういう人々が集うために会場を提供してやろうという
大家さんは貴徳だということなのでしょう。
それにしても、ハッと思い出したのですが、
今はセンターが入っているこの一階。かつてはバーがありました。
なぜそんなことを覚えているのかというと、
そのお店のマスターが、2014年に横浜橋商店街前の公園で
野外劇版『木馬の鼻』に挑んでいた私たちに声をかけてくれたからに他なりません。
その人は、近所で設営やリハーサルに励んでいた私たちに声をかけてくれ、
宣伝への協力を申し出てくれたのです。私がお渡しした何枚ものチラシ。
後日、気になってお店の前を通ると、木馬の顔面を一面にあしらったA4の
チラシが5枚連なって店の入り口のガラス戸を埋めていました。
近くから、遠くから、その景色を眺めて、
活力ある街に自分たちの旗印があることを誇らしく思ったものです。
公演が終わって撤収するときにもお礼を言いに行きましたが、
マスターはチラシをそのままにしておいてくれました。
その後、近くを通るたびに自分のチラシを確認して来ましたが、
いつの間にかあのお店は無くなり、こうして検査場にお世話になることに。
一昨日の墨田区の皆さんでもそうでしたが、
こういう街の人たちの応援に、世間から見ればマイナーな表現に人生を賭けている
私たちは、どれだけ励まされてきたでしょう。
またあのマスターに会うことがあれば、いつでも、でっかい声でお礼を言いたい。
そして、私は陰性でした!
2021年6月 6日 Posted in
中野note
昨晩に『お化け煙突物語』の話をして、いろいろな記憶が蘇ってきました。
2005年10月に行った新国立劇場での公演を終えて、
もっと意識的にテント演劇という表現に取り組もうと思ったこと。
そのために、地元である横浜ではなく、東京23区内での公演を自分たちに
課したこと。自分たちには新宿花園神社のような名物会場がないので、
むしろ徹底して作品の内容とリンクする会場にこだわりたいと考えたこと。
そんな思いでした。
『お化け煙突物語』の舞台は、足立区、台東区、墨田区といった辺り。
そのために、唐ゼミ☆メンバーは二人一組のペアに分かれて、
方々を歩き回り、テントが立つだけのスペースが確保できて、
お客さんを集められるだけの交通の便の良い場所を求めました。
鉄道やトロッコが出てくるので、できれば線路が近くにあるところがいい。
そんな風にも考えながら、ひたすらロケハンして情報収集しました。
で、いくつかの場所が出てきたのですが、そこで、さっそく手づまりに。
空き地はあれども、その土地の持ち主が誰かがわからない。
例え持ち主が分かっても、正面切って問い合わせたところで、
「そういうことには貸していない」という至極あたり前の回答を得られたのみ。
世の中に、テント演劇は想定されていない。それはそうです。
今となっては当然と思われるそ社会常識を、当時、痛感しました。
そこで思ったのは、めくらめっぽうなロケハンも良いけれど、
知り合いを辿ろう!ということでした。コネクションが大事、
こういう当たり前のことも、当時は知らなかったのです。
そこからは、人から人を渡り歩きました。
まずは唐さんにご相談すると、お友達の画家・宇野マサシさんを
紹介してくださいました。そして宇野さんに電話すると、
吾妻橋の近くに、今度ギャラリーアビアントという画廊が移転オープン
するから、そこへいらっしゃいと言われる。
劇団の経歴を書いた履歴書やビジュアルな資料をファイリングして
30部用意し、訪れる人たちにそれを説明とともに渡して行きました。
今から考えても、オーナーの磯貝さんがこんな変な目的のために
やってきた初対面の私を、よく受け容れて下さったと思います。
ギャラリーにとって晴れの記念日に、なんだか思い詰めた私がいて、
さぞ邪魔だったろうと想像すると、感謝するばかりです。
結果的に、そこで出会った高野さんという方が、
ちょうど新東京タワーの準備をされている墨田区役所の課長さんで
「後日訪ねていらっしゃい」と言っていただき、厚かましくも
言われた通りにすると、本当に親身になって一緒に場所を探してくださいました。
当時、部長だった小川さん。小川さんの所属されている向島学会の方々。
本当に多くの方々に応援してもらって、あの場所でも公演が成立しました。
東武鉄道までついて来てくださったり、そういう打ち合わせの合間に
「スパイスカフェ」というご当地大人気のカレー屋さんに連れて行って
下さったりもしました。まさしく僥倖でした。
自分が大人になってみて、それがいかに稀有なことだったのかを痛感します。
同時に、数年を経た後に疎遠になってしまっている申し訳なさが疼きます。
あれから15年。皆さん、お元気にされているでしょうか。
改めて、感謝の想いが募ります。
2021年6月 5日 Posted in
中野note
↑すれ違いざま。とっさに撮影した乗客のいないバス。
雨の日には、日課の散歩がままならなくなります。
地下街に行ったりして、できるだけルーティンを守ろうとしますが、
やはり晴れの日に動くのとは訳が違います。
だいたい、何かと時間が取られすぎる。
そういう日は、一日のうちにやりくりをして、
なんとか目標とする運動量をこなそうとします。
先日は、仕事が終わる頃には雨も上がっていたので、
目下勉強中の英語(中学2年レベル)をイヤホンで誦じながら走りました。
すると、交差点に止まっていたのは、誰も乗っていないバス。
緊急事態宣言の出ている東京ほどではありませんが、
神奈川-横浜もまた夜遅くの人出はまばらです。
その影響からか、見事に乗っているのは運転手さんだけでした。
ああいう時、自分だったら大声で唄なんか歌うかな。
などと思いながらすれ違いましたが、同時に、
かつて私たちが2006年の春に行った公演
『お化け煙突物語』を思い出しました。
あれは、下町の「お化け煙突」、
つまり、本当は四本あるけれど、見る時間や角度によって
1〜4本までさまざまな本数に見える煙突をモチーフにした演目でした。
昭和の東京墨田区の名物だったので、
マンガ『こち亀』なんかにもあの煙突にちなんだエピソードが出てくる。
そこで私たちは、まだまだ公演場所探しに不慣れな時期でしたが
下町を何度もロケハンし、細い細いツテをだとって、
なんとか東武東上線の業平橋駅のわきにあった
あのコンクリートの空き地にたどり着いたのです。
本当に沢山の人の温情によって行き着いた場所でした。
程なく、そこで公演していると、線路側から数十メートルのこと。
エンディングにテントが割れる時には何本もの電車が行き交いました。
そして、夜9時頃のあの路線に、乗客の姿は数えるほどでした。
多くのお客さんは、ラストに電車が見えることに喜んでくれました。
が、唐さんは少し違って「あのガランとした、幽霊電車みたいな景色がいいね」
と褒めてくれました。やっぱり眼のつけどころが唐十郎だ。
そう思った記憶があります。
あの場所。今は東京スカイツリーが建ち、駅名も変わりました。
一瞬、私たちの劇場だったあの場所こそ、あの演目にとっての最高の会場でした。
2021年6月 4日 Posted in
中野note
↑いつもこいつを胸ポケットに
風邪の症状もなく、熱も出ていないのに、咳が出るようになりました。
GW明けくらいからです。
しゃべっていると咳き込む。
ものを食べようとすると咳き込む。
工作スペースなどにいると咳き込む。
タバコを吸う人に近づくと、その時にタバコを吸っていなくても咳き込む。
こんな具合です。なかなかの敏感ぶり。
それにしても咳を何度もすると疲れる。
それに、ワークショップや稽古など、人前で喋らなければならない時に、
中断や聞き苦しさが気になる。
時折あらわれるぜんそくのこの症状をいつもは漢方で押さえていたのですが、
あんまり続くので、泣く泣く病院に行きました。
というのも、これまで同じような状況は何度もあったのですが、
処方されるステロイドを、症状が良くなってからも飲み続けなければ
ならないのが、辛いのです。
悪い時に喜んで飲みます。劇的に改善しますから。
しかし、健康な時にもやると、声が枯れたり手が震えたり、
副作用の方が気になって仕方がない。
そう伝えても、これまでの病院は「飲み続けないとダメですよ」
の一点張り。それで行きづらくなってしまったところが、二軒あります。
今回は一念発起して、新たなところを開拓し、
のっけからこの悩みを打ち明けました。すると、
「では特効薬でいきますから、治ったらやめて良い」と。
これには救われました。
今では咳もだいぶ収まり、あと1週間程度続ければ、卒業して漢方生活です。
これでようやく、ワークショップなどもマシになります。
咳しそうになる→ミュート→ゴホゴホ という作業ともおさらばです。
ところで、ぜんそくと唐十郎作品といえば、『少女都市からの呼び声』。
フランケ醜態博士は若かりし日、従軍して満洲行軍に加わりつつも、
持病のぜんそくゆえにその一段から置き去りにされます。
その直後に全滅していった仲間たちへの思い。
おそらく、厳しい雪や凍傷によっておきた身体障害が、
"永遠"を目指す彼の性向を決定づけます。
そのキッカケもぜんそく。あの役には、取り残された者の哀しみが
溢れていて、他人事とは思えない自分は、主人公である田口や雪子より、
どうしてもフランケに思い入れてしまいます。
2021年6月 2日 Posted in
中野note
ついに現れました。難題です。
これ、まったくわかりません!
60年代終盤の唐さんの傑作にして
『ジョン・シルバー』シリーズのスピンオフ、
『愛の乞食』の導入部に現れる、この「チャン・ホー・ヒェン」
というせりふの意味。
だいたいの意味は判るのです。
文脈からすれば、「わかった」とか「了解」とか。
おそらく中国語であろうとも思われますが、
満洲がらみの芝居ですから、厳密にいうと地方の言葉かも知れない。
そんなことを考えながら、ここ数日悶々としています。
先日、さる先輩演劇人に「中野くんだったら判ると思って!」
と尋ねられたのですが、現状まったく歯が立たずにいます。
先日このゼミログで、
だいたいのことが応えられてきていると記しましたが、
手も足も出ないやつがついに来てしまいました。
しかも悪いことに、唐ゼミ☆は新人公演とはいえ、
この『愛の乞食』を上演したことがあるのにです。
何気ない場面で勢いに乗って吐かれるせりふなので、
安易にやり過ごしてしまった。そういうことなのです。
ああ、恥ずかしい。
こうなると、断然突き止めずにはいられません。
これから、中国語に詳しい人に接したら
片っ端から訊いていこうと思います。
あるいは、初演メンバーに訊いてみるしかないかも知れない。
もしこれを読んだ方の中で、
このことばの意味が判る方がいらっしゃったら、ぜひご一報ください。
そういう願いも込めてここに書きましたので、宜しくお願いします!
2021年6月 1日 Posted in
中野note
昨日は本拠地Handi Laboに行きました。
2週間前に行った映像チェックの続編を行ったのです。
『唐版 風の又三郎』の2幕中盤以降をくまなく見て、
伝わりきらなかった細部を発見しては一時停止、
それらをどのように改善すべきか話し合いました。
衣裳やカツラなども、人によっては実際のものを着てみて、
いかにブラッシュアップさせるか、作戦を練る。
また、特に後半部分においては、
だんだんと疲労が蓄積し、フットワークや俊敏性が
落ちてきているのが顕著です。
これは、実際に舞台を見ていると気づきにくい。
物語や登場人物の変遷に支えられ、
場に充満する空気自体は盛り上がっていきますから、
どうしてもカモフラージュされがちなのですが、
こうして後から冷静に振り返るとよく分かります。
やっぱり役者たるもの、
有り余るエネルギーを無駄にぶん回すようでなくては、
舞台のよろこびには到達しません。
満身創痍の状態と思いきや、
「エッ、そんなにやるの!」「そこまでやらなくてもいいのに・・」
と言われるほど獅子奮迅の熱演。エネルギーの過剰蕩尽。
人はこれが見たいわけです。
これを凌ぐには、
長期の体力づくりを課さなければならないな。
そう痛感しました。
知恵と工夫によって改善できるもの。
長期的な計画のもとに初めて実現できる肉体改造。
これからこの両方を詰めていきたいと思います。
なかなか良い時間でした。
すでに自家薬籠中にした演目だからこそ、
もっともっと!という気にさせられる。強欲にやります。
2021年5月29日 Posted in
中野note
『ビニールの城』観劇後の余韻が尾を引いています。
自分の中で『秘密の花園』と『ビニールの城』こそ、
唐十郎の恋愛劇の真骨頂だと思っています。
もちろん、他の作品でも少なからず男女関係が描かれますが、
その純度において、壊れやすい繊細さにおいて、
やっぱりこの二つだと思う。
来週末にもう何回か唐組東京公演が残っていますが、
やはり二幕、ビニールの幕越しに主人公二人が
互いを求め合いながらもついにすれ違ってしまう場面こそ、
全編の白眉であるだけでなく、唐さんが描いてきた
あらゆる同種のシーンの、最高の仕上がりです。
と、ここまで書いてきて、前に唐さんから聞いた
かつての恋愛話を思い出しました。
10代の頃の唐さんはとにかく内気、
後にあれだけのことばが吹き出すことなど想像もできないほど、
寡黙な少年だったそうです。
しかし、一方で、心の内にはいつも様々な妄想が駆け巡っていたようで、
ある時、近所に住んでいた年上の女性を好きになってしまったのだそうです。
しばらく悶々とした後、ついに一念発起した大靍義英少年は、
なけなしの勇気を振り絞って告白を決行。想いを伝えました。
ところが、返ってきた答えはNO。
「よっちゃんには、あたしなんかよりきっと善い人が現れるよ」
そう言われたそうです。
「あの時は刺し違えてやろうかと思った」と唐さんはそのうらみを語りました。
このあたりの唐さんのセンスは、名作短編小説『恋とアマリリス』に明らかです。
ちなみに「善い人」といえば、思い出すのは『盲導犬』。
ヒロイン銀杏の父親が青年タダハルを評して蔑んだことばがこれなのですが、
あれには、唐さんの個人的なショックが尾を引いているに違いありません。
2021年5月28日 Posted in
中野note
堀切直人さんの本の表紙にもなった、この場面です。
先日、打ち合わせをするために若葉町ウォーフに向かったところ、
シネマ ジャック&ベティの前でばったりとお世話になってきた方に
会いました。聞けば、定年退職後の悠々自適につき、
『戦場のメリークリスマス』をご覧になったとのこと。
すごく羨ましく思いました。
『戦場のメリークリスマス』といえば、
一定年齢以上の人なら誰もが知る音楽、誰もが知るラストシーン。
大変なメジャー作品ですが、考えてみれば、観るのはいつも
DVDかYouTube、金曜ロードショーと相場が決まっていました。
あの終幕、ビートたけしのジャガイモのような笑顔を大画面・大音響で
観たら、さぞ良いだろうと想像しました。
だいたい、映画館で映画を最後に観てから、
すでにかなりの時間が経っています。
それは『いつくしみふかき』というとても良い映画でしたが、
あれは去年に『唐版 風の又三郎』を稽古していた時のこと。
つまり、今年に入ってまだ一度も映画館に行っていないのです。
かつては、週に3日は映画館に行っていた時もあったというのに。
それが現在では、DVDすら観なくなっている。
そんな風に急に渇望して、せめて雰囲気だけでも味わおうと、
仕事で日本の近代史を確認する必要もあったので、
久々に岡本喜八監督版の『日本の一番長い日』を見直しました。
これはもう、20年ぶりくらいの再開です。
大人になってみると、
硬直した閣僚たちの鍔迫り合いが実によくわかって、
当然ながら学生時代より面白く観ました。
社会生活においては"立場"で人が動かざるを得ないことが、
実感としてあるのです。
しかし、最後の最後、エンドクレジットが流れた時、
その音楽を聴いてひっくり返りました。
この曲は、2003年に初演された唐組の名作『泥人魚』で
使われていた曲ではないですか。
しかも、それまでボケ老人役だった唐さんが、
天草四郎に扮して登場するというシーン。
こうなると、すでに近代日本の重大事は吹き飛び、
唐さんの嬉々とした笑顔が浮かぶのみでした。
2021年5月26日 Posted in
中野note
↑たまには過ごすエレガントなひととき。
先日、鎌倉文学館に行ってきました。
トンネルを抜けた先にある謎めいた洋館。
今は、バラの咲き誇るお庭。
同じ場所を目指す着物姿の妙齢の女性たちを横目に見ながら、
なんとなく場違いなようにも思いましたが、
企画展「作家のきもち」には、そんな気おくれを吹き飛ばす異様な
吸引力がありました。
これは、普段は作家の草稿などを展示している流れの中では
なかなかに思い切った展示で、むしろ作家がプライベートに
書いた(時に書き散らした)ハガキや手紙の中に、その時々の
真情を推し量ろうという企画でした。
20歳の三島由紀夫さんが上昇志向をむき出しにした
いささか俗人的な熱血漢ぶりをあらわにしていたり、
大家である夏目漱石が、無作法な編集者に手を焼く新進作家に
きめ細やかかつ実際的なアドバイスをしたり。
最悪の初対面ののちに盟友的な交流を結んだ
萩原朔太郎が室生犀星に、書簡の中で謎めいた言辞を送ったり。
私が想定していた滞在時間1時間ではとても足りない充実の内容でした。
写真は、バラの花咲く庭園から文学館を撮影したもの。
この建物、古くは加賀百万石の前田家が近代になって構えた邸宅、
昭和になってからは、政界の團十郎こと佐藤栄作元首相が
別宅とした場所でもあったそうです。
聞けば、この最上階でのテラスで、そこから臨む由比ヶ浜の眺望に
向かって、佐藤さんは演説の練習をしていたとか。
佐藤さんが自らのなまりを気にされていたことは有名ですが、
確か彼のイントネーション指南は、若かりじ日の浅利慶太さんが行って
いたと聞きました。ということは、あのテラスには浅利さんもいたように
思えてなりません。
だとすれば、きっとこの場所で浅利さんはアヌイやシロドゥにも
思いを馳せていたに違いない。ジロドゥの『間奏曲』が似合いそう。
そんなことを考えながら、私も少し別世界を味わいました。
2021年5月26日 Posted in
中野note
やっと新宿花園神社に行ってきました。
ずいぶん前に観た印象でしたが、
たった唐組での上演は一年半前だったと聞き、驚きました。
コロナ以前の遠く感じることよ。隔世の感とはまさにこのこと。
『ビニールの城』を観て、
自分は多少なりともマシな人間になったなと思いました。
なんというか、人の痛みがわかるようになった。
そういうことを、この芝居から教わりました。
いつだったか、さほど多くはない石橋蓮司さんとの会話の中で、
"孤独"を描くことの重要性を伺ったことがあります。
それが蓮司さんの大テーマだと、その時教わりました。
なるほど、この『ビニールの城』は徹底して孤独の人たちの
ドラマであり、今回の上演からは特にそれが切実に伝わってきました。
特に突出して胸に迫ったのは、稲荷さんが二幕で語る、
八王子で自ら命を絶った中学生の遺書のくだり。
彼は、ガリガリに削った鉛筆で駅の白線に遺書を書いた。
一番辛かったのは、友が来なかったことだ、と。
このエピソードが、全体に他人を渇望する登場人物たちの入り乱れる
『ビニールの城』原動力になっていると思いました。
キチガイ朝顔と呼ばれ、人形とも距離を置く主人公・朝顔。
朝顔に迫りながら、ついに拒絶されてしまうモモ。
モモが求める全てを受け容れて尚、結局はフラれてしまう夕顔。
この3人を中心に、人々はお互いを求め合いながらも
決して噛み合わず、思いは明後日の方向に向かうばかりです。
そんな中でも、朝顔による人形・夕顔へのあまりの献身ぶりに、
世界中の人形たちが朝顔を支持しはじめる水槽の場面や、
「君は霧の晴れた方へ行け」と言って自らは霧の中に消える人間・夕顔。
リカがモモにヌードモデルの仕事を全うするよう諭しておきながら、
結局はたまりかねてカメラマンたちを蹴散らしてしまう場面など、
ステキなシーンが満載でした。
そうそう。『少女都市からの呼び声』で見事なヒロインをつくり上げた
美仁音が、今回は基本的には裏方に接して、ほんの少しだけコミカルな
役回りを演じています。こういうのが"劇団"の厚みだと痛感。
献身や自己犠牲の痛ましさ、美しさに溢れた公演です。
コロナの影響で満席ではなかったけれど、
身を切るような公演に反応した拍手が、テント幕の内側を充します。
もちろん自分も、熱心に拍手して。
観終わって新宿の街を歩くと、21時を少し過ぎたばかりになのに
店はおろか人通りもまばらでした。
横浜と東京でこれだけ違う。
緊急事態宣言の不思議も大いに体感して帰ってきました。
2021年5月22日 Posted in
中野note
↑よく見ると、たしかにツンツンつついています。
何が辛いと言って、まだ紅テントに行けていないのです。
これは辛い! 以前なら考えられないことなのです。
ここ数年はいろいろと立て込んでしまい、
必ずしも初日に駆けつけられるとは限らなくなりました。
これも私の年齢のせいか。仕事や用事がやたらに多い。
悔しいのは、会うひと会うひとに「唐組みてきたよ!」と
言われることです。チクショウ!
今日もすわ駆けつけてやる!と思っていたのに、
結局、次から次へと湧き出る予定、とその遅延によって
新宿行きを断念せざるを得ませんでした。
当然、明日も狙っていきます。
朝の予定、昼過ぎの予定が順調にクリアできることを願うばかり。
妄想ばかりが膨らむので自分勝手な前夜祭として
書かせてもらいますが、今回の『ビニールの城』、
とっても良いと思います。
だって、私たちはここしばらく、パーテーションばっかりに
囲まれて生きているではないですか。
他人との距離感にひどく敏感になっているではないですか。
唐組としては数年ぶりの再演にあたる今回の演目ですが、
今年の春公演が『ビニールの城』だと聞いた時、
あ、いいな!と思いました。世界中がビニールの内側に
引きこもり状態ですから、切実な上演になる。そう確信しました。
マメ知識を二つ。
唐さんはこの台本を、ジャック・デリダの『染筆とエクリチュール』に
触発されて書いたのだそうです。難解のイメージが強いデリダですが、
要するに、膜を先の尖ったものでツンツンすることについて書いた本です。
さすが唐さん!
もう一つ。
この芝居の初演を行ったのは言わずもがな、
石橋蓮司さんや緑魔子さんが主演の劇団第七病棟ですが、
そのエンディング、ヒロインが水の底から引き上げられた
ビニールの城に閉じ込められていく場面でかかった曲は、
ワーグナーの楽劇『トリスタンとイゾルデ』の前奏曲でした。
聞くところによれば、その曲はたまたまラジオで流れた音源を
エアチェックしたものを使用したそうなのですが、
その演奏は数多ある同曲の演奏とは一線を画するそうなのです。
何か、他の録音には入っていない音が入っており(奏者のミスなのか?)、
それが舞台でのスペクタクルな仕掛けのキッカケをとるに
もってこいのハマり具合だったそうなのです。
その話を初めて第七病棟の方から伺った時、
私にはピンとこなかったのですが、あれから約10年経ち、
同曲のさまざまな録音を聴きまくってきた自分としては、
誰の指揮によるどこの楽団のいつの演奏なのか、
突きとめてみたい欲望にかられています。
・・・・。
こんなトリビアなネタを胸の中でグルグルさせながら、
紅テントに駆けつけようとしています。
2021年5月21日 Posted in
中野note
↑冒頭二人の会話が噛み合うことなど、想像もできません
最近、1980年代に書かれた劇を研究しています。
きっかけは、毎月第一月曜の早朝に若葉町ウォーフで行っている
テツヤさんとの配信。
あの番組でテツヤさんから、おもしろい台本を紹介されたのです。
自分の中にはいつも唐十郎作品の数々が渦巻いているけれど、
「他の作品もやるの(できるの)?」と訊かれれば、
これはもう売られたケンカと同じこと。
それに、自分は唐十郎作品はすべての道に通じると確信して
ここまできたので、「もちろん!」と応えて勉強の日々が始まりました。
やり方はいつも唐さんの劇に取り組む方法と全く同じで、
まずは上演台本を作る。雑誌・単行本・全集など。
とにかく活字化されたすべての版を当たって舐めるように
それぞれの差を検証。そこに作者の試行錯誤の痕跡を嗅ぎ取ろう
というところから他流試合が始まりました。
ありがたいことに、劇団員もちょっと手伝ってくれたり。
その過程でヤフオクを眺めていたところ、凄まじい出物に遭遇しました。
1980年代の雑誌「新劇」合計61冊、この紛れもない貴重品が、
送料含めてなんと5,000円ちょっとで落札。
届いてみて、全てをつぶさに眺めながら、これが一冊100円以下か、
そう思うと申し訳ない気持ちになります。
今回のメインターゲットは唐さんだけではありませんでしたが、
例えば唐十郎に関して、『住み込みの女』『あるタップダンサーの物語』
『ご注意あそばせ』という単行本未掲載戯曲、それに『ジャガーの眼』
がありました。単行本になっている『ジャガーの眼』だって、
いずれ違いがあるかどうか根を詰めて研究せねばならない!
そう思わずにはいられません。
他にも、雑誌特有の時事ネタに面白そうなものがたくさん。
特に、パトリス・シェローと唐さんを含む座談などは、
そんな組み合わせがあり得るのか!と表紙を見ただけで仰天しました。
おそらく、肩に力が入りまくっていたであろう唐さんと、
バイロイトでの『ニーベルンゲンリング』を経たシェローが
どんな会話を繰り広げたのか。その噛み合わなさに期待が膨らみます。
ありがたく一冊100円以下でオレの手元にやってきたこれら、
これから一冊一冊を巡って現在に役立てたいと決意しています。
2021年5月19日 Posted in
中野note
↑モニターでなく、スクリーン&プロジェクターでチェックします。
『唐版 風の又三郎』に再び挑むために、準備を進めています。
去年の段階では、
来年には日常が回復するだろうという見通しもありましたが、
残念ながら演劇の公演は、今もいつ中止になるともしれない状態にあります。
ワクチンの普及が待たれるのは当然としても、
変異株の存在がある以上、そのワクチンが絶対とも言えず、
さらに私たちは経験則や慣れによって、
初めての緊急事態宣言時のような徹底した自粛は事実上もう不可能ですから、
いつ感染拡大→公演が危うい、というのはかえって読みづらくなりました。
公演を組むことは、つくづくギャンブルです。
約100年前に人類がスペイン風邪の克服に要した時間、
3年という期間は、科学や医療が進化した現在でも、
あまり変わりがないのかと思ったりましす。
が、だからこそ愚直な準備が重要と考えて日々を過ごしています。
公演直前や公演中にいつストップがかかるとも知れないけれど、
とにかく前進しないことには始まらない。
そんなことを考えながら、数日前、
劇団の倉庫件ミーティングスペースであるHandilaboで
去年の公演の映像チェックをして、改良点を洗い出しました。
セットや衣裳の工夫のしどころ、
特に配色などはかなり改善のアイディアを得ました。
役やせりふの捉え方に対しても、具体的に映像を止めながら検証する。
実際の舞台を映像をもとに確かめることに、迷いがないわけではありません。
舞台は生モノですし「離見の見」という言葉もある。
映像には記録できない妙味や、俳優が演じながら自分を客観的に
感じ取る能力が衰えてしまうのではないかとも思いますが、
数年前から、時折この方法も使うようにしています。
結論としては、そういうテクノロジーがある以上、
ケースバイケースで導入することもありというのが私の考えです。
スポーツ選手はずっと前から、自らのフォームを映像で記録しながら
それを擦り切れるほどに見て検証してきました。
また音楽家の中には、過去に数多くあるレコードやCDを皆で聴き、
その上で討議を重ねながら自分たちのスタイルを打ち立てる人々もいます。
特に後者は、初めてそんなやり方があると知った時には驚きました。
50人規模くらいの小編成オーケストラで、そんなことをしているらしいのです。
その場に止まらず、現状を打破するためならば方法を選ばない。
このエピソードにはそんな気迫を感じます。
私も、5月中にもう一編、これをやろうと計画しています。
2021年5月18日 Posted in
中野note
↑私の住む保土ヶ谷区には謎めいた公園がある。そこの草むら。
またしても、ワークショップで取り組んでいる
『海の牙-黒髪海峡篇』に気になってしまうエピソードがありました。
それは、ヒロイン・瀬良皿子(せら さらこ)が、
自らの仕事がうまくいっていないことをこぼすくだり。
彼女はパンマ→パンパンの按摩→つまり娼婦なのですが、
変な客にオーダーされて困っている、そういう話をします。
というのも、電話で呼ばれて待ち合わせの場所に行くと、
声はするのに男は姿を現さない。
そして、その声の出元が移動するというのです。
あまりに照れ屋なのか、引っ込み思案なのか、
それとも単にからかわれているのか、そういうことを愚痴こぼす。
この場面に来ると、私の胸にあるエピソードが去来します。
またしても、前に唐さんに直接聞いた話。
唐さんは中学生の頃、好きな女の子がいたそうです。
中学時代の唐さんといえば、いまだ本名の大靍義英(おおつる よしひで)少年、
これぞ内気の最たるもので、口数の少ない内向的な男子だったそうです。
それなのに、内に想いを秘めた当の相手から、呼び出しがかかった。
勢い込んで唐さんはその場所、校舎裏の原っぱに駆けつける。
「おおつるでございまーす!」
上気した唐さんは、後年、大いなる武器とするテノールで乗り込んだそうです。
が、草ふかいその場所に相手の姿はない。しかし、気配はするそうなのです。
そしてその方向に唐さんが進もうとすると、ササっと何者かが、
草むらから草むらを移動して、何度もトライしたけれどついに追いつかなかった・・・。
そう唐さんはおっしゃっていました。
・・・・・・。
どこまでが現実か分からない話ですが、唐さんの目は真剣でした。
「あれはキツネの仕業だったのではないか」とも。
完全に妄想か、現実だったとしても同級生にからかわれたのではないか、
私にはそんな考えもよぎりましたが、唐さんの夢を壊すようで、
それはついに言い出せませんでした。
だから、きっと瀬良皿子のあのせりふは、作者の実体験なのです。
2021年5月15日 Posted in
中野note
↑司会は絵本作家の保科琢音さん
今日は地元の子育て世代が集まる会で、
子育てに邁進する父親として話をしてきました。
前に長男が通っていた保育所の理事長さんにぜひにと言われたので、
なんでもやってみようという心意気で挑戦しました。
最近も、熱心に台本を読んでいる最中に
ヨーグルトドリンクをこぼしてきた2歳の娘に思わずガチで怒ってしまい、
かなりヘコんでいたのですが、とにかくそういう自分を偽らないようには
気をつけました。
自分の子どもが生まれて実感したことといえば、
あ、自分はそのうちに死ぬんだな、ということでした。
ルーキーがくれば、去る者もいる。
こうやって世代は交代していくことを実感すると、
かえって身軽になったようにも思いました。
唐さんはといえば、テント公演で方々を巡って留守にする他は
それはそれは熱心に子育てをされたそうです。
今年の初めに唐組が下北沢で上演した『少女都市からの呼び声』では、
ヒロインの雪子と兄の田口が、健康保険について語るくだりがあります。
あの台本のもとになった『少女都市』が書かれたのは、
おそらく1968〜69年頃。ちょうど大鶴義丹さんが生まれて
間もなくの頃です。ああいうせりふを聞くと、唐さんの時々の興味が
伝わってきて、それが妙に地に足がついているので、
切実だったり可笑しかったりして、笑ってしみじみとします。
私たち唐ゼミ☆が学生時代に上演したことのある
唐組の90年代作品『動物園が消える日』では、
『愛の戦士レインボーマン』のテーマソングが登場します。
さらに、同じアニメに出てくるキャラクターを用いて、
唐さんは『ダイバダッタ』という小説まで書いている。
きっと子育てをしながら付き合って観たテレビ番組は、
時に唐さんの創作家として本能を刺激したはずです。
何にせよ創作のネタにする。芸のこやしになっている。
子煩悩な唐さんを、私も見習いたいと思います。
2021年5月14日 Posted in
中野note
↑きっとこんな感じ
『海の牙-黒髪海峡篇』ワークショップ。
一昨日にやった場面の中に、あるエピソードから思い出す話があります。
唐さんに教わった恐ろしい話です。
まず、芝居の場面とはこれ。
一幕中盤。
主人公の青年・呉一郎(くれ いちろう)は
パンパンアンマの瀬良皿子(せら さらこ)が好き。
一方、按摩学校の先生は、呉一郎がホモちっくに好き。
こういう三角関係が展開します。
手に大きな怪我をした呉一郎を思いやる按摩は、
自らの盲目にもめげず、薬を買いに走ります。
ところが、彼が赤チンを持って帰ってきてみると、
なんだか瀬良皿子と呉がいい感じの雰囲気になっている。
こうなると、嫉妬の炎に焼かれた按摩は可愛さあまって憎さ百倍、
呉の手の傷口にさらにハサミを突っ込んで、グリグリやります。
おー、痛そう。
ところで、手の甲に似たような攻撃を仕掛けた人の話を、
私は唐さんから聴いたことがあります。
唐さんがまだ駆け出しの頃、金粉ショーダンサーとして
アルバイトをしていると、その元締めである土方巽先生に
お呼ばれし、よく御馳走になっていたそうです。
当時、状況劇場にいた麿赤兒(その頃は「児」)さんは舞踏家として、
土方門下でもありますから、時には3人で朝食をとる。
すると、土方先生は唐さんと麿さんにこんな質問をしたそうです。
「おい。味噌汁の中に何が見える?」
どんな時にも詩的なイマジネーションとともにあろうとする
土方先生に対し、麿さんが「豆腐が見えますね」と答えたところ、
すぐさま土方さんの箸が麿さんの手の甲に突き刺さったそうです。
それはもう、恐るべき早技であったらしい。
それは見た唐さんは、内心ドキドキしながら持ち前の機転を効かせ、
「虎が見えます」と応じたそうです。土方先生に「よし!」と認められ、
胸を撫で下ろして食事にありついたと言います。
唐さんは事無きを得ましたが、麿さんはかなり痛そうです。
これは私の想像ですが、そういう時の土方先生は全力で、
迷いなく刺す方だったのではないかと思えてなりません。
唐さんとの会話は、緊張感を伴います。
どんなに親しくなったとしてで、そこは真剣勝負。
やはり神経を研ぎ澄ませて言葉の一つ一つをくりださなければ
唐さんの前にいられないようなところがあります。
だから、土方先生と唐さん、麿さんの間にあっただろう緊張感を
私は切実に想像します。唐さんに接するたびに私が感じてきた
スリルと愉しさは、実は唐さんご自身がくぐり抜けてこられた
ものだと思えてなりません。
手の甲に箸、返す返すも痛そうです。
2021年5月12日 Posted in
中野note
↑この方が名和四郎の先祖。名和長年さんです。
先日、睡眠の効能について語った際、『独眼竜政宗』について触れました。
歴代NHK大河ドラマの中でも最高の視聴率を誇った名作です。
ちなみに、主演の渡辺謙さんは演劇集団円にいた頃、
唐さんと蜷川さんが組んで上演したPARCO劇場のこけら落とし公演
『下谷万年町物語』の主役に抜擢され、数年後にはこのドラマの主役を
射止めました。
このドラマは、私が初めて観たと記憶に残る大河です。
それからは『武田信玄』『春日局』という順に、しばらく熱心に観ました。
大人になってから振り返ると、東北の藤原三代を描いた『炎立つ』や
『翔ぶが如く』など、現在に観たら相当に面白いと思うのですが、
まだ小学生の自分には歯が立たない内容のものもありました。
が、それらの中にあって、何故か圧倒的に自分の胸に迫ったのは
足利尊氏の生涯を描いた『太平記』でした。
第一話の充実は特に記憶に濃く、
フランキー堺さんと緒形拳さんの陰湿な舌戦、
北条高時が主催する闘犬の会の途中、万座の席で犬に引きずり回されて
恥辱を受け、ボロボロになって帰途につく尊氏(当時は高氏)の姿は、
まさに青春の挫折という感じがして、魅力的でした。
あのドラマでは、当時の片岡孝夫さん(現在の仁左衛門さん)演じる
後醍醐天皇が素晴らしいカリスマ性を放っていますが、
その後醍醐帝の隠岐配流時代、彼を支えた者の一人が、
他ならぬ名和長年でした。俳優として、小松方正さんが演じています。
どちらかというと、天皇への忠誠心というより、
海運の達人としての商才による損得勘定を押し出して帝を支えているような
雰囲気でしたが、彼がアジア各地と交易する一族の歴史の中で生まれたのが
『海の牙-黒髪海峡篇』に登場する名和四郎だと思うと、感慨深い。
1300年前という昔、東アジア界隈を得意の海運術によって
スイスイと行き来していた、驚くべき人物でもあります。
今日もこれから行う唐ゼミ☆ワークショップでは、
この後、チマチョゴリを着た女が、名和四郎について
語る場面がやってきます。それを聞きながら想像するのは、
いつも小松方正さん。
名和長年という存在が登場する映画やドラマは、
他にちょっと想像がつかないので、あの人の子孫か!
と想像しながら本読みをします。
2021年5月10日 Posted in
中野note
↑開演前の駿府城公園
ちょっと前の報告になりますが、再びSPACに行ってきました。
4月末の『おちょこの傘持つメリーポピンズ』に引きつづき、
観に行ったのは『アンティゴネ』。久々にギリシャ悲劇を観ました。
すでにアビニョンとニューヨークで絶賛されてきた公演です。
三途の川をモチーフにしたセットで繰り広げられた野外劇でしたが、
主人公アンティゴネの妹で「イスメネ」という役に強く惹かれました。
アンティゴネはまさにギリシャ悲劇の英雄です。
国法に逆らって信念を貫くことに迷いなく突き進む。
敵役の伯父・クレオンは為政者としての風格を備えている。
心情的にアンティゴネの行動を理解しても、
国政を預かるものとして立場から決して彼女に譲ることがない。
そこへいくと、イスメネは人間的です。
姉の行動が人間として恥ずべきことではないと充分に理解しながら、
やはり法を犯す恐ろしさにすくむ。姉に行動を慎むよう諭す。
一方で、いざ姉が事を成し、王によって彼女が
裁かれようとする土壇場になると、一転、自分も共犯だと名乗り出る。
アンティゴネより、クレオンより、弱さや迷いに満ちて人間的。
それに、ここぞというところで圧倒的に飛躍がある。
その無力感が犠牲的精神につながり、魅力的です。
宮城聰さんの美学的ステージとともにイスメネの発見があって、
大いに愉しみました。
終演後は、先日の『おちょこの傘持つメリーポピンズ』で
舞台監督の大役を果たした小川哲郎さんと再会。
舞台監督は、裏方のすべてを差配する重責です。
SPACのような一流のカンパニーでそれを担うのは
並大抵の苦労ではないはずです。
出会った頃は、ミュージシャンでもあり、
長野のライブハウスの支配人だった彼が、
舞台の世界に転じてたった数年でここまで活躍している。
日々、彼が過ごしている過酷を想像します。
久々に接して、相変わらず優しくて謙虚だけれど、
数年で急激に叩き上げてきた厚みが感じられました。
持って生まれたもので他を圧倒するヒーローも凄いけれど、
急激に変化できる人にはそれとは別の魅力があります。
人は変わる。強烈なドラマに接して帰ってきました。
↓終演後に、立派になった小川哲郎さんと(もう"哲郎君"とは言えない!)
2021年5月 8日 Posted in
中野note
やった!声が治ってきた!
もとの通り、エネルギーも湧き上がってきた。
内心、かなりヘコんでいたのですが、なんとか攻勢に転ずることが
できそうです。こうなると、何をやっても愉しい。
やはり、声はチカラなのです。
回復の理由は簡単で、この数日つとめてよく眠るようにしました。
と言っても、自分は連続で寝続けられるのは5時間が限界で、
だから、頑張って二度寝をしました。
自分はショートスリーパーです。
高校生までは異様に長い時間寝てばかりいたのですが、
大学に入って、深夜のアルバイトを始めた頃から、
一転、だんだん睡眠をとらないようになっていきました。
これには、眠るのは恥ずかしいことだ、という思い込みも
一役買っているように思えます。
何を愚かなことを、と言われるかも知れませんが、
例えば、昔ながらのお酒好きには、
食べずに呑み続けるというタイプの人がいます。
その中に、人前で食べるのは恥ずかしいことだ、
という美学も、確かに息づいているように思う。
実際、宴席では唐さんもあまり召し上がりません。
そういえば、私が幼い頃に放映していた渡辺謙さん主演の大河ドラマ
『独眼竜政宗』では、これから初陣に向かう梵天丸(後の伊達政宗)に
大滝秀治さん扮する和尚がこう諭すシーンがありました。
「人前で横になってはいかん。寝姿を見せるのは女子の前だけにせよ」
健康には悪いですが、これは一つの真理だと思います。
一軍の将たるものが寝そべって疲労を露わにしていては、士気に関わる。
ところが、やっぱり人は寝なければならないのです。
唐さんと親しかった故中村勘三郎さんは、
朝ゴルフをして、昼は舞台出演、夜の回の合い間に次の稽古をして、
夜の舞台、そこから飲みに行く、という生活を送っていたそうです。
さすが怪物だ!と唸っていたものですが、残念ながら57歳という若さで
亡くなってしまわれた。もっともっと寝ていたら、さらに長生きされて
さらに大活躍されただろうと、惜しまれてなりません。
と、そこへ来て、数年前に睡眠の帝王とも言いたくなる人の
エピソードを知りました。
近年のサッカー日本代表のキャプテンといえば長谷部誠さんですが、
彼のベストセラー『心を整える』によれば、長谷部さんは健康管理のために
だらしなく寝落ちすることが決してないのだそうです。
風呂に入り、きちんと着衣し、部屋を暗くし、
アロマまで焚いて、寝るべくして寝る。
しかしも10時間は寝るのだそうです。30歳を過ぎて、恐るべき体力。
もう徹しているわけです。これには恐れ入りました。
今日だって気を抜けば、私はこれから、
ズルズルと床で寝てしまいそうだからです。
これを書き終えてからが重要です。気を抜かず、布団まで行って寝る。
よし。6時間は寝るぞ! そう気合いを維持して、これから30分以内に寝ます。
2021年5月 7日 Posted in
中野note
↑ラーメン×2、焼きそば・ニラレバ定食×1ずつの結果がこれ
私の住むマンションの一階には中華料理屋があって、よく出前を取ります。
ここのお店とは15年くらいの縁で、初め、自分はもっと離れた
場所に住んで、横浜駅までの道すがらに寄っていました。
それが、後にお店の上にある部屋に住むことになり、
当時「上に引っ越してきました」と伝えに行ったら、ママは笑っていました。
今では、うちの息子と、この中華料理屋さんのお孫さんは同級生。
Uber eatsが無い頃から、私たちは困ればすぐに電話をして、
早ければ10分後には、好物の春巻きや焼きそばなんかが届く。
そういう生活を送ってきました。
すると必然、上の写真のような事態が出来する。
私は、自分は勝負弱い方だと思っています。
こういう状態になると、得てして悲劇が起きるものだという方向に、
何故か吸い寄せられる傾向にある。
食器を持って階段を降りることくらい、普段は何でもありませんが、
そういう時に限って、当たり前にできるはずのことがグラつき、
惨事が起きる。
ある年齢になって、そういう性質を自覚してからは、
かなり気合を入れて、侮らないように、油断しないように、
率先して緊張し、用心するようになったので、失敗は少なくなりました。
それには、もう一つ。
そういう自分を自覚するに影響を受けた小説があって、
ドストエフスキーの『白痴』の主人公、レフ・ムイシュキン公爵が、
まさにそういう人なんですね。
あの長編のかなり終盤に、彼がパーティーに参加するくだりがある。
その会場には、大変に高価な壺が飾られていて、公爵のことをよく知る
何人かは壺と彼の組み合わせに不吉な予感を覚えるのですが、
本人は笑って取り合わない。しかし、やがて宴もたけなわ、
当初の心配など皆もすっかり忘れてしまった時に、
その微かな不安は「ガッシャーン!」と的中する。
初めて読んだ時、オレと一緒じゃないか!と思いました。
こういうの、私はかなり高確率で割りがち。身につまされた。
唐さんも『白痴』や「ムイシュキン公爵」という主人公が好きで、
折に触れて、二人であの小説のどこが面白いかという話をしてきました。
唐さんには、自分には計り知れない共感があるように思えますが、
自分にはあの場面がグッときます。
そんなことも思い出しつつ、気をつけて、気をつけて、階段を踏みしめます。
2021年5月 5日 Posted in
中野note
↑気管支用の漢方。高級品ですが、喉が弱った今は惜しげもなく1日3回。
背に腹は変えられん!
声がかれています。
この症状は先週の半ばより始まりました。
なんだか高音が出づらいな、と思ったら、
1日の終わりに裏返ったり、かすれるようになりました。
とは言っても、ほとんど喋るのが仕事なので、
稽古もあるし打ち合わせもある、レクチャーも含めて、
ここぞというところで場を盛り上げるためには、高音を張るしかない。
それでいて睡眠時間が短いものだから、徐々に弱って現在に至ります。
仕方がないので、会う人によっては
「今、オレは声が枯れている。元気がないわけではないが、ごめんなさい!」
と言って、低音でやりくりすることにしました。
イメージ的には、中尾彬さんのような声で過ごし、高音域の回復を待つ。
これには、一つの効能があって、盛り上がりはしないけれど、
言葉は聞き取りやすくなっているはず。
日本語は母音が多い。
母音は身体全体を使って響く低音によって成り立つ。
だから、言葉は明晰なはず。そう言い聞かせて自分を慰めています。
ドラゴンボールのように気功波の類を打てない人間にとって、
もっとも単純にして威力のある飛び道具は声です。
これが大きければ、遠くの相手にも自分のパワーを届けることができる。
が、今はそれが使えない。ここしばらく、分の悪い闘いが続きそうだな。
そう覚悟しながら過ごしています。
こうなると、本番を前にナーバスになっている役者たちの気持ちが
よくわかります。声は出ない。しかし、目前に迫っている舞台は、
ことば、ことば、圧倒的にことば。身につまされます。
困ったら低めに集めろ、というのが常道ですが、
彼らがいつもしているしんどい勝負が否応なく理解せられ、骨身に染みます。
こういうのは、意識してしまうと体が硬くなって回復も遅れそうなので、
なるべく気にしないことですが、やはり気にならざるを得ない。辛いところです。
そしてもう、絶対的に寝なければ。睡眠時間を確保しなければなりません。
人と会うとついつい喋っていますから、
しばらくは、できる限り孤独を選んで過ごそうと思います。
今からワークショップですが、今日はなるべく皆さんに喋ってもらおう!
2021年5月 4日 Posted in
中野note
↑配信後に。初めて記念撮影しました。
月初めの月曜の朝は、いつもテツヤとのおしゃべりから始まります。
我が家からもっとも近い劇場、若葉町ウォーフに7:50に行けば、
準備万端、テツヤが準備をしてくれています。
元俳優であり、今は舞台監督やプロデューサーであり、
時々は演出もする岡島哲也さんは、いつもその本領を発揮して
準備に抜かりがありません。
一度だけ、上手く設備が昨日せずに時間通りスタートできなかったことも
あったけれど、だいぶ落ち込んだであろうテツヤさんは、
かなり入念な増強をして、強固なシステムを築いてくれました。
こういう時、「二度とこのような失敗は繰り返さないぞ」という気迫に
満ちていながら、表面上はいつもと変わらぬ穏やかさを崩さない
テツヤさんを、信頼できる人だと思ってやみません。
去年の夏から始まったこの配信おしゃべり。
たまたま近所のファミリーレストランで、
こちらは舞台美術の打ち合わせ、あちらは奥さんとのデートが重なり
企画が持ち上がりました。
お互い忙しいだろうけれど、
きっと早朝にすればこのルーティンを守れるだろうと、
朝8:00からという時間を設定しました。
これは実に上手くいっていて、
昨日などは、散歩がてら45分ほど歩いてウォーフに行き、
1時間を過ごして、さらに行きと同じ時間を歩いて自宅に戻り、
zoomでの劇団会議に臨むという充実ぶりでした。
話題は毎回とりとめもないけれど、
ある時、テツヤさんが取り組んでいる一人芝居の題材であり、
自分は唐さんの影響により愛してやまないN.ゴーゴリの『外套』の話を
しました。考えてみれば、『外套』について自然に話せる相手がいて、
しかも自然にそのシチュエーションが訪れることは、
かなり希少だと思いました。そういう話、時にはしたいじゃないですか。
その時、後藤明生さんによるゴーゴリ論と翻訳による『外套』が
収録されたカッコいい本を紹介してもらって、これはすぐに買いました。
昨日は、短くて、少人数で上演できて、おもしろい台本に取り組もうよ、
という話をしました。上演どうこうではなくて、まずは読んでみよう
という台本を何本か提案してくださり、それらがどれも未読どころか、
知りもしなかった台本であるだけに、大いに興味を持ちました。
自分も、唐さんの『アリババ』や、三島由紀夫さんの『愛の不安』を
紹介しました。我ながら、なかなかの変わりダネだと思います。
繰り返しますが、そういう話をまたにはしたい!
やめられない、とても貴重なありがたい時間だと、心から思います。
2021年5月 2日 Posted in
中野note
↑野外劇は特に前向き。2017年冬に藤沢の白旗神社で公演した『常陸坊海尊』
一昨日のゼミログで、
『おちょこの傘持つメリーポピンズ』を観に行った話をしました。
その時、SPACの皆さんの、ひたすら前を向いてせりふを喋る
朗唱方が、実に効果を上げていた。
このカンパニーはギリシャ悲劇もシェイクスピアのやりますから、
得意手でもあったと思うのですが、この「前を向いてせりふをいう」
ということについて、最近、自分でも考えたことを思い出しました。
あれは去年のこと。
『唐版 風の又三郎』を稽古していた時、
唐ゼミ☆初参加の福田周平さんに「なぜ、前を向くのですか?」
と訊かれた時、歌舞伎や能や、それこそギリシャ悲劇なんかを
持ち出しながら、演劇の歴史においてはお互いを向いて話すことの方が
歴史が浅く、かえって、前を向いてしゃべることがスタンダードだと
説明しました。舞台というのは、二人が並んで前向きに喋っていると、
不思議と会話しているように見えるものだ、とも実例を上げて説明した。
このやりとりが面白かったので、私はこれをFacebookに上げました。
すると、たまたま数日後に訪ねた若葉町ウォーフにて、
佐藤信さんともこの話題になった。
そこで至った最終結論としては、
「劇とはもともと前を向いてせりふを言うものだ」ということでした。
そもそも、劇のせりふとは誰かが一人で書いているものです。
必然、どんなにキャラクターを描き分けてみたところで、
やっぱり一個の人間が、ああだ、こうだと言っている。
程度の差こそあれ、
どんなに隔絶したキャラクター同士のぶつかり合いといっても
極限すれば、すべて作者によるモノローグともいえる。
要は、都合よく書かれた話し言葉の羅列。
それがせりふであり、台本でもあるわけです。
だから単刀直入。
前向きで良い。むしろ、前向きが良い。
そういう話をしました。
自分には野外劇の経験もありますが、
そういう時ほど、この「前を向いてしゃべる」を多用します。
上記したような論理的な結論としてではなくて、なんというか、
稽古していくといちばん効果的な方法に本能的に辿り着き、
自然と前を向いて朗々と、という具合になる。
人間は大して進化していません。希望を持ってそう言いたい。
もっとも基礎的な事柄が最終奥義でもある。そういうことです。
2021年5月 1日 Posted in
中野note
↑終演後に宮城聰さんと。
4/29(祝木)に静岡県に行ってきました。
ふじのくにせかい演劇祭で上演されるSPACの
『おちょこの傘持つメリーポピンズ』初日に立ち会うためです。
学生時代から、時間とお金の許す限り、
唐十郎作品の上演には駆けつけてきました。
まして今回の演目は、まだ実際に演じられるのを観たことがない
『おちょこの傘持つメリーポピンズ』。
これは絶対に見逃してはならない!と、西へ。
ゴールデンウィーク渋滞の心配をよそに、
どこにも渋滞がなく、たどり着くこと2時間10分。
途中からは他のお客さんを案内する観光バスの後ろにくっつき、
舞台芸術公園に行き着きました。
もうとにかく大雨でしたから、
新調した合羽と、善光寺の傘帽子を装着しました。
そうだ! この帽子は唐ゼミ☆長野公演で買ったもの、
その時の恩人である元ネオンホール支配人・小川哲郎さんが、
今日の舞台監督。公園内の茶畑の横を通り過ぎながら興奮し、
さらに強さを増す雨を受けながら「頑張れ!テツロウ!」と
思いました。
舞台が始まった瞬間、この時とばかりザーッと雨量が増して、
客席は笑いに包まれました。もう笑ってしまうしかない。
一方で、雨の音に負けじと、SPACの鍛え上げられた役者たちが
せりふ届けよ!とばかりに気を吐きました。
こっちも一生懸命に聴く。
そこから2時間。良い芝居でした。
雨だったから良かった、とか、これぞ野外劇の醍醐味だ!
という気合いやイベント性を超えて、すごくクリアに物語と情感が
伝わってきました。当たり前といえば当たり前ですが、
この当たり前の実現がなかなか難しい。稀有なことです。
森進一に捨てられた女性「カナ」と、
彼女の運命に心を痛めて芸能界を去った元マネージャー「檜垣」、
さらに彼女を慕う、傘職人「おちょこ」の物語です。
現在だと、世間は捨てられた「カナ」の味方をして、
あるいは捨てた男を糾弾する風潮にありますが、
当時は圧倒的に黙殺されてしまった彼女の素性が明らかになり、
やがてもう一度、カナは保健所員たちの手によってバイ菌扱い。
連れていかれます。
社会の隅にいる人が、その隅っこからも弾き出されるという、
なんともいたたまれない話でした。
でも、唐さんの芝居を貫く明るさ・バカバカしさと、
SPACキャスト陣の躍動感が、マイナーな物語を包み込んでいました。
演出の宮城聰さんは、感染予防のため、
まるでラシーヌ劇のように前を向いた発語を心がけたそうなのですが、
この方法が、圧倒的に唐さんのせりふと合っていました。
広いステージのセンターにいる登場人物たちを
階段席から見下ろすという劇場機構も相まって、凄く効果を上げていた。
ことば、ことば、ことば、ですから。
ああ、唐さんの劇は、四畳半のギリシャ悲劇なのだと思いました。
単純明快、原初の演劇の威力を体感できる舞台でした。
2021年4月30日 Posted in
中野note
↑ちょっと前まで手に入ったが、今や絶版。
古本はそう高価ではないので、Amazonでぜひどうぞ。
昨日に林麻子が報告したように、前回の『海の牙-黒髪海峡篇』ワークショップでは、
ついに梅原北明(うめはら ほくめい)が登場しました。
この劇では、全編を通じて敵役となるキャラクターは二人おり、
一人は按摩のリーダー、そして、もう一人は梅原北明なのです。
彼は実在の人物で、戦前に活躍したエログロナンセンス系出版物の
大家として名をなした人物です。有名なのはボッカッチョの傑作
『デカメロン』の日本語訳出版。
ペストが猖獗を極めた14世紀。
人混みによる伝染を恐れて郊外に逃れた10人の青年たちが、
十日間にわたって自らが持つエピソードを話し合うという物語です。
その中に、猥談が多い。
梅原さんは大胆にもこれを翻訳して裁判沙汰になり、名を挙げました。
そして、彼の人生を『好色の魂』という小説に仕立てたのが野坂昭如。
野坂さんの作中では「貝原北辰」という名前で登場します。
唐さんの劇中では、梅原登場から程なくして、
延々と長ぜりふを披露するくだりがあります。
それが実に、この『好色の魂』の書き写し。
しかし、現代っ子が行うコピー&ペーストとは違うところは、
唐さんが初版本を開いて、丁寧に書き写したであろうことです。
決して安易なクリックではない。
自然と、唐さんは細部を自分流に書き換え、
もとから唐さんの書いたせりふのように昇華されています。
唐さんは他にも、1978年に上演した『ユニコン物語-台東区篇』でも
三上寛さんの名曲『ナカナカ』を自家薬籠中のものにして
後世に語り継がれるトップシーンを生み出しました。
そういえば、『盲導犬』も澁澤龍彦さんの『犬狼都市(キュノポリス)』
の本歌取りであるし、さらには、ずばり『唐版 犬狼都市』まで書いている。
それぞれの作者との人間的交流も背後に感じさせる唐十郎流コピー&ペースト。
もとになったものとの細部の違いに注目すると、
それらに影響されながら芝居を書き進める執筆当時の唐さんの
嬉々としたウキウキ感が伝わってきます。
2021年4月28日 Posted in
中野note
↑見れば見るほど、驚くべきビジュアル
ワークショップ前です。
当然、頭の中は『海の牙-黒髪海峡篇』。
ちなみに、私のルーティンを明かすと、
ワークショップの準備というのは、前日の夜か、
遅くとも当日の朝に当たる部分を読んで、移動や仕事の最中に色々と
思い出したり、閃いたりする。紹介したい資料は合い間に揃える。
そして、直前にもう一読。
こんな感じです。
しかし、当日の朝に台本と向き合っていると、
異様に早く起きた息子や娘が乱入してくることがあります。
そして、録画してある『おしりたんてい』や『おさるのジョージ』を
見始める。彼らはこれが大好きです。
これらはかなり良くできていて、
特に前者は、NHKが下ネタを攻めながらギリギリの品位を保つという
技が駆使された作品です。やっぱり子どもは「うんこちんちん」が
大好き。そして大人も大好き。
一方、丸裸のおさる、ジョージは悪戯ばかり。
私が小学生の頃に何度観たか知れないアニメ『タッチ』で主題歌を
歌っていた岩崎良美さんが、メインテーマとナレーションで近年の境地を
見せてくれます。
が、休みの日など、さすがにルーティンで観続けている子どもたちには
閉口します。よくもまあ、あんなに同じ話を観続けられるもの。
とは言いながら、私も子どもの頃はよく観ました。
そして思い出すに『海の牙〜』に必要な「邪眼」や「イビルアイ」という
言葉に馴染みがあるのも、マンガやアニメ、ゲームのおかげと思うのです。
往年のアニメ『幽遊白書』に出てくる「邪眼の力をナメるなよ」という
せりふ、よく覚えています。RPG『ファイナルファンタジー』でモンスター
から喰らった「イビルアイ」には、苦しめられました。
そんな記憶が今日のワークショップにも生きていると考えると、
「おしりたんてい」や「ジョージ」が持つ可能性についても、
計り知れないなと思います。
もうすぐ、ワークショップのスタートです。
2021年4月27日 Posted in
中野note
↑若葉町ウォーフでの『あれからのジョン・シルバー』冒頭。
そのようなわけで、石鹸箱の残り湯にかなりビックリしています。
先日、『海の牙-黒髪海峡篇』における「視線」の重要性について書きました。
主人公・呉一郎とヒロイン・瀬良皿子の出会いは、
大車輪のさなかに起きた、まさに一瞥の交わし合いにある。
それを力強く裏付けるのは、
瀬良皿子⇨シェエラザード⇨『アラビアンナイト 』の語り姫
つまり、眼以外を衣類で覆った中東の女性の視線の鋭さに他ならない。
そういう話でした。
これに気がついたのは、
当時、室井先生とした何気ない会話に助けられたとも書きました。
自分は国際経験に乏しいので、こういう感覚にはうといのです。
だから、人に実感をともなった話をされないと、ちょっと到達できない。
同じような話で、自分は佐藤信さんに助けられたことがあります。
2017年度。息子が生まれたばかり、神奈川芸術劇場で働き始めたばかりで
右往左往していた自分は、唐ゼミ☆公演を若葉町ウォーフでやろうと
考えました。あそこは単なる小空間ではなく、他ならぬ佐藤信さんの
小屋なのです。せっかく近所に信さんがやって来たのだから、
何か面白いことがあるかも知れないと、希望を持ちました。
結果的に、公演を2ヶ月後に控えた2017年11月。
信さんと話していた時に、その効果は現れました。
別にお願いした講座の中で、
演目『あれからのジョン・シルバー』冒頭について、
信さんはこんなエピソードを話してくださったのです。
「銭湯に持っていった石鹸箱。翌日、その箱のフタを開けると、
中に残り湯が入っている。それを見ただけで、唐さんはビックリする。
とにかくビックリしてそこに"海"を感じる。唐さんはそういう人だよね」
これを聴いた時、自分は衝撃を受けました。スゴいと思った。
『あれからのジョン・シルバー』は、シリーズの終盤、
勢いよく始まった序章からすると、かなり情けなく最終章を迎える話です。
「海賊ジョン・シルバー」になる!という志はどこへやら、
生活苦に追われた登場人物たちは誰も彼もがショボく、
しがない商売でやっと凌いでいる。そんな感じに読めるのです。
だから私は、劇の冒頭にある石鹸箱のくだりも、
ああ、もはや"海"は、石鹸箱の中の残り湯くらいのもんでしかない、
まるで"海"の残骸みたいだな、そう思っていました。
そこへ来て、信さんの何気ない一言。眼からウロコが落ちました。
そうです。相手は唐さんなのです。
唐さんは、決して生活に押されて想像力を減退させたのではなく、
生活のディテール、ここにある石鹸箱の残り湯にも、
平然の大海の荒波を思い描く人なのです。
ぬかった、と思いました。
つい凡庸な想像力に堕して、シニカルに読んでいた自分を恥じました。
「これだけしか"海"がない」のではなく、
「ここにだって"海"はある!」という唐さんの強気と無邪気を、
オレは完全に見落としていた!
信さんの一言で、モノクロが総天然色になるくらいに、
『あれからのジョン・シルバー』観が塗り変わりました。
あの年、テント公演をできないのは残念だったけど、
信さんの一言だけで、ウォーフにお世話になった甲斐がありました。
そういうヒントに出会えた時、作品は上手くいく。
そういう偶然を引き寄せられない公演は底々の出来栄え。そういうもんです。
2021年4月24日 Posted in
中野note
↑今日は一家で横須賀美術館に行くことができました。
といっても、これは仕事の一環です。
6/13(日)に藤沢市のNPOドリームエナジープロジェクトが開催する
音楽と劇のライブに関わっていますが、
演劇公演『凜と生きる』の舞台美術の参考に、ロケハンをしに行ったのです。
メインは私と内海理事長の写真撮影なのですが、
内海さんは私が外で仕事ばかりしている事情を察してか、
「ご家族もどうぞ」と言ってくださった。
私とて人の親。普段、外で劇団だと劇場だと講座だのと
落ち着きのない生活を送っていますが、やはりどこかで、
子どもと出掛けるという定番行事もしなければ、と思っていたのです。
というわけで、渡りに船、とばかりに出かけました。
先週に劇団員の菊池が引っ越した三浦市に赴き、
それから浦賀を経て観音崎、馬堀海岸を通って帰ってきました。
写真は、観音崎にある横須賀美術館です。
思えば、この場所に初めて連れてきてくれたのは、
大学時代にアルバイトをしていたコンビニの店長でした。
店長は岡野さんと云って、自分より5歳ほど年上なだけですが、
出会った時から人格的に成熟しており、深夜のアルバイトを終えた早朝、
非番の日の夜中などに、車でさまざま場所に連れて行ってくれたのです。
当時から良い場所だと思ってきましたが、
そのうちに多少なりとも、美術や建築にも関心を持つようになりました。
すると、この美術館は山本理顕さんのデザインによるものだと、
意識されるようになりました。
理顕さんとは、縁あって数年までに仕事をしたことがあります。
2018年12月、名古屋の東別院で野外イベントを行う。
メインは山本理顕さんと佐藤信さん。自分は、世話役の一人でした。
山本理顕さんは横浜国大の教授でもありました。
佐藤信さんは、唐さんの幼少期からの盟友にしてライバル、
若葉町ウォーフのオーナーでもあります。
話題は尽きることはありませんでしたが、
理顕さんには一も二もなく、自分がいかに横須賀美術館を好きか、
すぐにお伝えしました。今日は、そこに子どもたちを連れてくることができた。
ちなみに、劇団員の米澤は、その名古屋でのイベントに登用されて、
初めて佐藤信さんと仕事ができたのです。
米澤にとって、大きな成功体験になった仕事でした。
2021年4月23日 Posted in
中野note
↑今日、この掲示にショックを受けました。
これは、横浜駅の近くにあるコインパーキングの料金所に
しれっと貼られていた掲示です。
これを見たとき「そりゃ無いぜ・・」と思わずつぶやいてしまいました。
本当にしれっと、事も無げに貼られていたこの通告。
そして同時に「♪さんざ遊んでころがして〜」という歌詞が去来しました。
戦後すぐ、昭和24年に歌われて大ヒットした『トンコ節』の一節。
この歌詞を唐さんはかなり好きらしく、いくつかの台本に出てきます。
代表的なのは『盲導犬』で、ヒロイン・銀杏が口ずさむ。
かつての恋人・タダハルと再開して思いをとげようとするも、
煮えきらない反応を見せるタダハルに、自分は弄ばれたのだと
被害者ぶってこの歌詞を銀杏が歌う。あれです。
話を戻すと、この駐車場は半年ほど前、
横浜駅西口から少し離れた場所にオープンしました。
ちょっと距離はありますが、渡り廊下で連結していますし、
何より990円という値段が圧倒的に魅力的でした。
それまでは、いかに安くとも、
駅周辺だと1,400円というのが最低価格でしたから、
3ケタのインパクトは強かった。
発見した時はホクホクして、以来、たびたび使うようになりました。
すると、多くの人も吸い寄せられるのでしょう。
使うたびに混み合うようになってきましたが、
さもありなんと思って愛用してきたのです。
ところが、本日に上の写真の掲示が。
上手い手です。990円でインパクトを持たせ、
皆さんがそろそろ自分に馴染んだタイミングで、冷徹な値上げ。
いきなり1,200円だそうです。けれども、やっぱり1,400円よりは
安いから、使い続けざるを得ない。
悔しいけど、やっぱりまた来るだろうな。そう思います。
まさに「♪さんざ遊んでころがして〜」なのです。
と同時に「ああ、オレは何でもかんでも唐さんの言葉が出てくるな」
とも思いました。もう完全に日常化してしまっているので、
さして考えなくも反射的に口をついて出てくる。
いわば、唐十郎語のネイディブ・スピーカーです。
こんなことを言うのは、最近、
必要に迫られて英語を勉強しているからです。
自分は英語にすごく苦手意識があって、
中学1年の初夏頃からそう思うようになり、敬遠すること四半世紀。
先頃、久々に勉強し直そうと決意したところ、
doesの読み方が分からずに衝撃を受けました。
また、ちょっと勉強し始めて確信したのは、自分は中学英語を
マスターできれば御の字だということです。
それで、だいたいは事足りるであろうと思いました。
しかし、とにかくそれらが、条件反射的にパッと出なければならない。
「彼女の目は青い」。この英語訳が間違いなく
目視して2秒以内に出てくるのが、現在の目標です。
それに比べて、唐十郎語のなんと親しみ、自分の身についていることよ。
我ながら20数年間の積み重ねは伊達ではないなと、苦笑しています。
2021年4月21日 Posted in
中野note
↑これが龍眼肉(スゴい名前!)の花。ハチミツとれるらしいので、
探して舐めてみたいです。
今日は『海の牙-黒髪海峡篇』のワークショップでした。
昨日のゼミログに書いたような事情で、
最近の私の頭の中を1973年が支配しています。
正確にいうと、その時代に唐さんが何を見ただろうと考え、
感じ取りたい。そういう想像が渦を巻くのです。
『ベンガルの虎』は映画『ビルマの竪琴』のパロディから始まります。
引き揚げていく旧日本軍の男たちによって『はにゅうの宿』が合唱され、
名ぜりふ「水島、いっしょに日本へ帰ろう!」が連呼されます。
あの映画には、主人公の水島上等兵が日本に帰らず、
ビルマに残ることを決意する場面があります。
文字通り死屍累々、そこここに野ざらしになって転がる同胞の遺体を
目の当たりにし、彼は後の人生を弔いに捧げようと決意する。
実際のその土地がどうだったか。
ネットで画像検索すると多くの写真が出てきます。
戦闘によってではなく、飢餓と病気の果てに無念の塊となって
転がる人々。まさに「白骨街道」と呼ばれるにふさわしい光景です。
そこにとどまった水島の実感を、唐さんはこんなせりふに託しています。
「昭和三十二年九月十日、晴れ。おまえは見たことがないだろう?
竜眼肉の花を。ベンガル湾の陽光を。
余りに明るすぎて目の前が暗いこの白骨街道。
ここでは、真昼だというのに黒い大きなこうもり傘が丘を包んでいる。
俺が一歩ふみこむと、そのこうもり傘は大きくひらいてこなごなになる。
分るかいカンナ。それは死体にむらがるカラスの群れ。
夜の街道にぶったおれて俺は昨日夢を見た。
俺の顔にしなだれかかるおまえの黒髪すだれ。
気がつくと月もない夜だった。この暗闇の中で、今、俺は白骨を枕にしている。」
じりじりと照りつける太陽のもとで、骨はいよいよ白く、
夜になれば闇の中にぼんやりと浮かぶ光景が描写されています。
最近、、よく読んでいる白川静さんの『字統』によれば、
「白」という文字はシャレコウベのかたちに由来し、
「道」という漢字は、古代王朝「殷」に暮らす人々が異民族の首を
街道の脇に並べて魔除けとしたところに基づいているのだそうです。
とすれば、「白骨街道」こそ道の中の道であり、
そこに散らばる白が、さらに鮮やかさを増すように思います。
唐さんはきっと持ち前の古代人的な感覚をして、
そういうイメージを捉えたに違いない。
二幕終盤、競輪選手となった水島上等兵が進む白骨街道の、
あの異様なまでの直線、真っ直ぐさに、道の中の道という迫力を感じます。
2021年4月20日 Posted in
中野note
↑てのひらに目玉。これこそがインスピレーションの源に違いない。
目下、劇団で研究している『ベンガルの虎』。
毎週水曜の夜にワークショップで取り組んでいる『海の牙 黒髪海峡篇』
どちらも1973年に状況劇場が初演した演目です。
そして、その二つをつなぐアイテムが上に挙げたお守り「ファーティマの手」。
『海の牙〜』という演目は、恐ろしく強い眼力を持つ女「瀬良皿子」と、
彼女の強烈な一瞥によって鉄棒ワザの「大車輪」を失敗し、
右手を負傷してしまった青年「呉一郎」を主人公とする物語です。
「瀬良皿子(せらさらこ)」とは、『アラビアンナイト 』『千夜一夜物語』
に登場する語り部の姫「シェエラザード」の名前を文字ったキャラクターで、
中東に由来するがゆえに、鋭い眼光を持つという特徴づけがなされている。
中東は乾燥を防ぐために肌の露出を嫌います。
そしてまた、特に女性の場合は、できるだけ身体を覆うことが、
倫理的な防御にもなっている。
その分、中東を露出度満点の女性たちが旅をすればトラブルは必定です。
で、結果的に、露出を避けられない眼ばかりが目立つことになる。
顔の造形として彫りが深い上に、さらにその部分だけ露わになることで、
眼力はより研ぎ澄まされる。唐ゼミ☆でこの演目を準備していた時、
中東の人々の視線の強さについて、室井先生から実体験を聴いた記憶があります。
話を冒頭に挙げた「ファーティマの手」に戻すと、
「ファーティマ」とは預言者・マホメットの娘さんの名前で、
イスラム教における聖女なのだそうです。
イスラム教では、視られることをひどくおそれます。
「視姦」「邪眼」「イビルアイ」という言葉がありますが、
視られること=犯されること、という意味合いすらあるらしい。
そういう時、そんな邪悪なる視線をはじき返すための身に付けるのが、
この「ファーティマの手」。このお守りの真ん中にある聖女の眼が、
邪悪な力を相殺する。そんな聖なる力を帯びた瞳が手のレリーフに収められている。
「眼」と「手」。『海の牙〜』を構成する二大要素です。
ムスリムの人が行き交う地域では、
この「ファーティマの手」はかなりメジャーなお土産ものでもあるそうです。
何かの偶然でこのお守りの存在を知った時、
あ、唐さんはこれを見たな!と思いました。
そして、唐さんとイスラム教圏との接触を類推した時、
『ベンガルの虎』バングラデシュ公演が気に掛かる。
調べてみれば、やはりバングラデシュはイスラム教圏でした。
状況劇場のバングラデシュ行を記した文章のどこを見ても
この「ファーティマの手」は一切登場しません。けれども、
唐さんは必ずや現地でこれを見たはずだと私は考えています。
大作『ベンガルの虎』を手掛けながら、次なる作品も視界に捉えている。
作家としての着想が沸騰している、若き日の唐さんを想像します。
2021年4月19日 Posted in
中野note
↑初演時のポスター画像を得たくてネットサーフィンしたら、これ!
すごい迫力だ!
月曜の朝は劇団集合。
秋の公演へ向けた準備の進行、
ワークショップや劇団員募集の進捗について確認します。
必要とあらば議論や、めいめいの近況報告をして、45分程度。
あとは、台本を読みます。
2月頃から『ベンガルの虎』をずっと読んできましたが、
それが今日、三幕終盤までいきました。
手元の台本にして208ページ。なかなの長編なので、
約3ヶ月を要しました。
ちょっと分かりにくいところもあったので、
来週もエンディングをやり直すことにしました。
自分にとっては、劇団員たちの反応を見ながら、
彼らが納得して腑に落ちるように話せるかどうかの試行錯誤です。
『ベンガルの虎』の面白さは、
究極的にヒロイン・水島カンナの怪しさにあります。
それは別に、キャバレーのホステスだからアヤシイ女だ、というのではなくて、
存在自体が怪しい。ちゃんと生きているのか怪しい。
ちゃんと生まれてきた人間なのかが怪しい。そういうレベルの怪しさです。
だって、いわゆる「からゆきさん」として東南アジアに売られた女が、
現地の男と駆け落ちして妊娠したという設定になっている。
そのカップルが心中をはかって崖から飛び降り、女は木の枝に
引っかかって生き延びた。そのショックで産み落とされた女が、
水嶋カンナということになっている。
それが、行李に詰められて船で九州に運ばれ、九州から陸路で東京に運ばれた。
私も人の親ですでの、そんな環境で赤ん坊が生き延びられるわけがないことは
よく分かっています。
そんな水嶋カンナは、自分はお婆ちゃんに育てられたと、
台東区入谷町三で育ったのだと、言い張る。
しかし、それを証拠だてるものは、とっくに有効期限の切れた定期しかない。
だから、この『ベンガルの虎』は、この世界に生まれてこられなかった女が、
なんとかこの世にしがみついて、生きていようとする話です。
直近の年末年始、私は台本づくりをしながらそのような仮説を立て、
この本読みをしながら検証を重ねました。結果、やはり見立て通りでした。
そのようなわけで、ヒロイン・水嶋カンナの周りには、
いつでも"死"が口を開けています。すぐに亡者たちが彼女を迎えにくる。
三幕の舞台である「入谷朝顔市」のにぎにぎしさも、
朝顔の鉢がズラリ並んでいるのを見立てて「♪夕べに吊った 母の首」と
劇中歌が歌うように、首吊って亡くなった人が群れなす世界に他なりません。
唐さんは上演に際して、この芝居に「白骨街道魔伝」という副題を付けています。
文字通り死屍累々のバングラデシュにあって旧日本兵の骨という骨が入り乱れ、
灼熱の太陽が照りつける景色を思い浮かべると、この劇の底に流れる死の臭気が
理解できるように思います。
来週、もう一度エンディングにトライ!
2021年4月17日 Posted in
中野note
↑冷蔵庫を寝かせるしかなく、心配でいっぱい!
今朝は早朝から、米澤と八王子に出かけました。
新人劇団員である菊池の引っ越しを手伝うためです。
彼はこの3月に高校を卒業しました。
長野県の出身で、10代半ばで親元を離れて八王子で暮らしてきたのですが、
年明けに唐ゼミ☆に入団し、拠点を神奈川に移そうと考えたらしいのです。
劇団の仲間が引っ越すとなれば当然協力し合うもの。
加えて、彼がこれまでにどんな街で暮らし、これからを
どのような環境で過ごそうとしているのか気になり、
後輩ができて嬉しそうな米澤と連れ立って横浜を出発しました。
保土ヶ谷バイパスから東名に乗り換え、
海老名を過ぎたところで圏央道を北上。
勝手知ったる神奈川県ですから、道には慣れています。
しかし、八王子に迫るにつれて霧がかかり、雨が降ってきた。
少しだけ道を間違えながら、8:30過ぎに八王子にたどり着くと、
菊池と、長野から出てこられたお母さんが待っていました。
菊池が若いので、お母さんも当然若い。
これまでに多くの劇団員の親御さんに接してきましたが、
私から見てちょっと年上のお姉さん、という感じです。
新人と自分の年齢差が離れるようになったことを実感しました。
菊池のリクエストに応じて彼の家財道具をかなり無理やりに詰め込み、
すぐに出発しました。向かう先は神奈川県の三浦市。横須賀のさらに先です。
そこに、アーティストの創作活動を応援しようというスペースが
あるらしいのです。移動すること1時間45分・・・
↑驚くべきことに、こんな風景から徒歩10分以内に菊池の新居はある
到着してみて驚いたのですが、そこは三浦半島のまさに突端、
マグロの小売で有名なおさかなセンターのあたりなのです。
そこここに観光客相手にマグロを食べさせる料理屋が並んでいる。
そんな商店街の一角を、菊池は新たな住処に選んだのです。
初めてこの場所に来たというお母さんも、驚いていました。
ここ数ヶ月、生真面目で大人しい青年だと思っていた菊池の印象は
だいぶ変わりました。家財道具と私の車の寸法を全く測らなかった大胆さ。
そのために、かなり強引に荷物を積み込みました。
何より、長野→八王子→三崎の突端という突き抜け方が半端ない。
ところで、これは名刺交換して判った偶然なのですが、
菊池が暮らすことになった住居の管理人さんは、
三浦市を拠点にインテリアや内装のデザイン・施工をされている方で、
唐ゼミ☆が御厄介になっている Handi House Project の坂田代表とも
よく仕事をしていて、Handi Labo もよく訪れるらしいのです。
↑右から2番目の方
それを知って、急に自分までこの土地に親しみを感じました。
これから、疲れ果てた菊池を送って私が三崎まで足をのばすことも
ありそうですが、リモートが進む世の中、彼は若い感性で
新たな日常の最先端をいっているのかも知れません。
ゆけ!ゆけ!菊池!!!
2021年4月16日 Posted in
中野note
↑待合室はゆったり。
今日、生まれて初めて胃カメラをやりました。「お前も人の親になったのだから」と両親に迫られたのです。
何事も経験だと思って時間を取りました。
そういえば、5年前に親知らずを抜いた時も、
面白半分みたいなところがありました。
料金を見て高いなと思いましたが、行ってみて納得しました。
院内には、色々と優雅な設えが用意されている。
スタッフの人たちもやたらと丁寧。これはお金かかるわ!
そんな風に物見遊山を決めこんでいましたが、
そうも言っていられなくなりました。
自分は車でやってきたのです。これは確信犯で、
運転するためには麻酔を使えないことはわかっていたのです。
けれども、午後からの仕事で必要なんだから仕方がない。
どうせ大したこと無いだろう。そう、高を括っていました。
が、スタッフの皆さんのリアクションを見てビビりました。
最近は、麻酔を使わない人は絶無に近いらしいのです。
この反応を見て、途端に事の重大さに気付きました。
しかし、時すでに遅し。
果たして、胃カメラはグイグイと攻め込んできました。
そこから先は、一定世代より上の方々がご存知の通りです。
まだ実家に暮らしていた頃、父や母が、
「明日は人間ドッグだ・・・」と嫌そうにしていた理由が実感できました。
しかも、以前はもっと太い管でやっていたらしいのです。
偉大なり。全ての昭和世代!
↑廊下にはオシャレ居酒屋のような意匠が。
ところで、以前にこのゼミログに書いたのですが、
検査前夜の唐さんと一緒にいたことがあります。
あれは大阪で、近畿大学の学生さんたちの発表公演を観た後でした。
ホテルの部屋で話していると、「東京に戻ったら検査だ」と唐さん。
数日後、唐さんに誘われてアトリエに遊びに行くと、
検査の結果が良好だった師はすこぶるご機嫌で、
担当の先生に見せられた自分の腸内写真を、
「鮮やかなピンク。まるでイソギンチャクの宮殿のようだった!」
と仰いました。
腸美人であることに自信満々の唐さんに接して、
笑いながら、さすがは唐十郎の表現だと思ったことをよく覚えています。
↑よく見れば、待合室の隅には寒川神社のお札。しかも二箇所。
2021年4月14日 Posted in
中野note
↑唐さんがシェイクスピアと対談している本はこれです!
冬樹社から出ていた『乞食稼業』
最近、若葉町ウォーフで佐藤信さんと話していたら、
信さんの元生徒である梅山いつきさんが出した
『佐藤信と「運動」の演劇:黒テントとともに歩んだ50年』の巻末を眺めながら、
「この年表が便利なんだよね」とおっしゃっていました。
なるほど。本人というのは意外とご自身の業績について覚えていないもので
自ら育てた研究者に助けられていると言うのです。
そういえば、自分も様々な方からこんな質問が寄せられることがあります。
「唐さんの劇中歌の音源は、何てタイトルのCDに収録されていたっけ?」
「唐さんとシェイクスピアの対談(!?)が載っている本、何だっけ?」
「唐さんが海にいたテレビ番組、アレなんだっけ?」
「〇〇〇〇って感じのせりふがある劇、何だっけ?」
こんな風な質問が、最近は2週間に一度ほどのペースで来る。
今のところ、なんとか100点満点で回答しています。
思い出すのにひと晩くらいかかることもありますが、
周囲の力も借りて、どうにか思い出すことができている。
正直言って、唐さんのすべての戯曲、すべての著作を読んでいるわけでは
ありませんが、それでも何とかなっています。
過去にはこんなこともありました。
ある時、ご自宅にお邪魔して唐さんと話していた時に、
今や活躍中の若手俳優となった息子の佐助君が(確か10代半ば)、
父である唐さんに昔の仕事について質問をした。
すると唐さんは「中野に訊いてくれ」と。
その時は笑って聞いていましたが、自分はできる限り、
唐さんのことをちゃんと覚えていようと思いました。
芸能界には吉田豪さんという人がいて、
対芸能人のプロインタビュアーであるとともに「タレント本のプロ書評家」を
自認していらっしゃる。「本人よりも本人に詳しい」という触れ込みです。
このキャッチは、ひとつの理想ですね。
唐さんについていえば、なんといっても安保由夫さんが知恵袋でした。
安保さんにとって、1970年代以降の唐さんは実体験ですし、
何より、バー「ナジャ 」のマスターであることで、お客さんと話題にする。
定期的に過去を呼び起こす作業がなされていたのでしょう。
安保さんの記憶は正確でした。
話した回数、アウトプットの頻度、記憶が衰えないために最も有効な手段です。
もっとも、人は記憶を改竄する動物でもありますから、
自戒を込めて、話を盛り過ぎてしまわないように、私はこのゼミログを書いています。
さあ、今日もこれからワークショップ!
2021年4月13日 Posted in
中野note
↑春。近所の川には5月に備えて鯉のぼりが連なる。
まるでメザシかシシャモのようでもある。
前回のワークショップから早くも一種間が経ち、
明日は第2回目の『海の牙 黒髪海峡篇』です。
これは全く愛すべき台本、冒頭にとにかく力があります。
カツラ屋を舞台に幕開けしたと思ったら、
瞬間、絡みついた髪の毛が解けずに苛立ったカツラ屋の主人が
女房の名を叫びながら癲癇の発作を起こす。
すると、当の女房が登場し、発作を起こす旦那を静めるため
倒れた彼の頭に足をのせる。と、実際に旦那は落ち着きを取り戻す。
問題はここからで、脇にいた番頭は、この夫婦の行為に羨みに満ちた
視線を向ける。どうもこの女房と番頭はアヤシイ。
実際、倒れた旦那を残して、二人は店の奥へと姿を消す。
何やら奥で不倫な行為が行われている気配が漂うと、
やおら、勢いに乗った按摩の群れが舞台袖から列をなして現れ、
「どなたか、つかまらしておくんなさあい!」と叫びながら、去る。
ここまでが2ページとちょっと。
どうですか? この恐るべき情報量とハイテンション!
ところが、ここからは比較的ダラダラとした会話劇に突入します。
ペアを変えながら、それは結構な長さで続く。
・・・要はこの台本、明らかに突貫で書き上げられたのです。
1973年が明けると、2月『四角いジャングルで歌う』、
3〜6月『ベンガルの虎』のバングラデシュ公演と国内公演、
並走して5月櫻社『盲導犬』と6月ラジオドラマ『ギヤマンのオルゴール』の本番、
夏には8月テレビドラマ『追跡-汚れた天使』のお蔵入りと、その処遇への反対運動。
とこんな具合で、とにかく忙しかったわけです。
充分な執筆時間などあろうはずもなく。
が、そんな状況でも9月発売の「文芸誌『海』10月号」には
しっかり『海の牙 黒髪海峡篇』の戯曲が掲載されているわけですから、
唐さんの超絶速技。
必然、30代前半、唐さん絶好調時の勢いに満ちつつも、
どこか暴発しっぱなし、構成的にはどこに向かうのかわからない作品が生まれます。
これが、その頃の秋公演の演目に漂う共通の特徴です。
反対に春公演は、テントのオフシーズン、11〜12月にかけて
よく準備されて書き始められた演目が多い。構成がしっかりしています。
平たく云うと、春公演の演目は、エンディングを決めて書いた感じがする。
一方で、秋公演の演目は、最後にどうなるかわからないけど
とにかく書き始めてしまった感じに満ちている。
私は個人的に、秋公演演目が好きですねえ。
だから、ずっと唐ゼミ☆は『鐵假面』『夜叉綺想』などをやってきました。
こう云った演目に共通するカオスに、物語の筋を通す作業の面白さ。
一方で、お客にウケるのは春公演の演目です。なんと云っても見やすい。
薄々感づいていましたが、この前に『唐版 風の又三郎』をやって、
心からそう思いました。
劇団主催としては、コロナ厳しき折でもありますし、
興業は当てなければなりません。秋公演的な演目はしばらく断念かな、
と思います。でもやっぱり、特に唐さんを好きな人には秋公演演目の
入り組んだ魅力も伝え、共有したい!
そう思いながら、明日のワークショップの準備をしています。
2021年4月11日 Posted in
中野note
↑1981年2月初演、『下谷万年町物語』冒頭の唐さん。
1973年5月の『盲導犬』でも、似たようなことがあったに違いない。
一昨日、唐さんが他劇団の公演である自作の『盲導犬』に
出演していた話をしました。例の、立ち上がってト書きを読む男の話。
状況劇場の『ベンガルの虎 白骨街道魔伝』の本番中でありながら
これに通いすぎてしまったために、自身の劇団員から怒られてしまった
という唐さん。
しかし、一方で気になるのは、
よく考えてみれば、いかに出演する気マンマンの唐さんとはいえ、
すべての公演日程に立ち会うことは出来なかったであろうということです。
果たして、その日は誰がこの役を担ったのか。気になります。
ここから先は私の推測です。
・・・ひょっとして、蜷川さんがやったかもしれない。
当時の蜷川さんはレッキとした俳優ですから、
それは全然おかしなことではありません。
実際には、誰なんだろう?
そして、そんな風にスタンドインがいるとすれば、
さらに想像できるのは、その人が出番を待ち構えているところに
やおら唐さんがやってきて、その出番を奪ったであろうということです。
実際、私が『盲導犬』初演時の本番についてそんな風に想像を
たくましくするのには理由がある。
唐十郎×蜷川幸雄の第三作にあたる『下谷万年町物語』の初演時に、
そんなことが炸裂していたらしいのです。
つまり、冒頭と最後にだけ登場する「大人の文ちゃん」役。
まさに唐さん本人と言って過言でない、
ほとんどモノローグで構成されるこの役柄は、
初演の時にトリプルキャストが組まれていた。
必然、この日のこの回は〇〇さんの出演、という風に決まっていたわけですが、
にも関わらず、唐さんは他の人の担当回に乗り込んでは、
美味しいところをさらうこと、度々だったらしいのです。
(実際の被害者は、小林勝也さんと鵜沢秀行さん)
そのようなわけで、『盲導犬』でも、
必ずやそんなことがあったに違いないと私は考えます。
唐さんが登場すれば、お客さんも大いに盛り上がったでしょうが、
きっと、誰かが割りを食っていたはずです。
2021年4月 9日 Posted in
中野note
『海の牙-黒髪海峡篇』のワークショップが始まりました。
初回は、作品の前段について、どうしても私の話が長くなってしまうのですが、
大学の講義のような序盤を、皆さん、よく聴いてくれました。
それにしても、この作品を執筆した当時の
唐さんのハードスケジュールを思うと、めまいがします。
1973年。
2月には『四角いジャングルで歌う』リサイタルを後楽園で行い、
3月にバングラデッシュに海外遠征をする。
4月からは国内で『ベンガルの虎 白骨街道魔伝』を公演。
同時に、5月にはアートシアター新宿文化で、
蜷川さんや蓮司さんによる『盲導犬』が走っている。
関西テレビ制作によるドラマ「追跡」シリーズ、
(中村敦夫さんと常田富士男さんが主演の事件記者ドラマ)
唐さんが監督した『汚れた天使』がお蔵入りになったのもこの年の初夏です。
そんな中で、唐さんは『海の牙-黒髪海峡篇』を書いた。
エネルギーがありあまっていた唐さんが、容易に想像できます。
そういえば、先月までワークショップの題材にしていた
『盲導犬』には、唐さんの出演シーンがあります。
正確には、唐さんでなければならない、と指定されているわけではありませんが、
芝居が7割ほどすぎたところ、佳境に差し掛かる直前に、
客席からいきなり立ってト書きをしゃべる男、が登場します。
・・・明らかに、唐さん。
これは、私たち唐十郎ゼミナールが『盲導犬』に取り組んでいた頃に
ご本人から伺ったことなのですが、初演当時、唐さんは新宿文化に
通いすぎて、劇団員に怒られたらしい。
唐さんから聴いた当初は、あまりピンときていなかったのですが、
こうして整理してみると、そりゃそうでしょう、という気がします
だって、『ベンガルの虎 白骨街道魔伝』の公演中ですからね。
ちなみに、ワークショップの途中で、私は
「きっと唐さんのことだから、『ベンガル〜』の終演後にすら、
唐さんはアートシアターに駆けつけたかも知れませんねえ。
同じ新宿で、花園神社の目と鼻の先ですから」
と言ったのですが、あれは、完全に間違いです。
よくよく考えてみたら、
1968年の『由比正雪』以降、唐さんたちは花園神社を離れているわけですから。
しかし、例えばこれは私の想像ですが、上野不忍池で公演した後、
ご自宅は阿佐ヶ谷ですから、ひょっとしたら新宿に寄ったかも知れない??
アートシアターは映画館ですから、ロードショーが終わった後に
仕込みをして、受付をして、芝居が始まっていた。
開演が遅いこと、劇がかなり進行してからあのト書きのシーンがくることを
考えれば、あるいは、それを強行したかも知れない。
(『ベンガルの虎 白骨街道魔伝』も、3幕3時間コースの超大作で
終演は22時頃になったと思いますが・・・)
劇団員に怒られた、という言葉から、
そんなことも当時の唐さんならやりかねないなと思いながら、
『海の牙-黒髪海峡篇』の執筆時を想像しています。
2021年4月 6日 Posted in
中野note
↑初めて、長野市の「ごんどう広場」で公演した時のカーテンコール。
センターにいる小川哲郎支配人はじめ、長野の皆さんのパワーのおかげ!
昨晩、久々に小川哲郎さんから連絡をもらいました。
唐ゼミ☆メンバーが「哲郎さん」「哲郎くん」「オガテツ」と呼んで
慕っている彼は、長野の人です。
出会った時、自らも表現者であり、バンドをやりながら
長野市のステキなライブハウス「ネオンホール」の支配人をしていた
オガテツは、唐ゼミ☆を長野に呼んでくれたのです。
テント公演を誘致するのはほんとうに大変な作業なのですが、
彼は仲間を募り、善光寺のふもと、権藤商店街にある
イトーヨーカドーの駐輪場を確保して、私たちを迎えてくれました。
長野の美しい街並み、素朴で滋味に溢れた皆さんの対応や
食事に恵まれて、公演準備も本番も、これ以上なく幸せな体験でした。
善光寺とともにある日常は、毎日が観光気分で、
水が良いために、滞在期間中に体内の水分がキレイになり、
髪にもツヤが出るのだと女子劇団員はよろこびました。
そのオガテツは、今は拠点を静岡に変えて、
SPAC(静岡舞台芸術センター)のスタッフとして働いています。
そこで、宮城聰さん演出の唐十郎作品、
『おちょこの傘持つメリー・ポピンズ』の稽古にいよいよ入るのだと、
わざわざ連絡をくれたのです。
『おちょこ〜』は私にとって、何度か読んだきりで
あまり詳しくない演目なのですが、あの十貫寺梅軒さんが
タイトルロールを張った芝居です。
現在では国際的に活躍されている宮城さんは、
近作であるSPACNO『二人の女』だけでなく、
「冥風過劇団」時代には、『あれからのジョン・シルバー』を
手掛けられたこともあったそうです。(それを観たかった!)
オガテツがスタッフの一人として支える舞台が
果たしてどんな上演になるのか。頑張れ、オガテツ!
2021年4月 6日 Posted in
中野note
↑写真は、近所で散歩中に発見した看板。
トップシーンで「あんまの群れ」がステージを襲来して度肝を抜く演目、
それが『海の牙-黒髪海峡篇』。
明日から始まるワークショップの準備をしています。
2011年をかけて一年間とり組み続けた演目なので自信があるのですが、
実際に久々に読んでみると、ことばや設定を
かなり忘れてしまっていることに気付きました。
これはマズい。
そこで、せっせと調べ物をし、改めて読み直しています。
すると、なんだか初めて出会うみたいに面白い。
『下谷万年町物語』をやり切った後に、これをやると決めて、
夢野久作の『ドグラ・マグラ』を読んだな、とか。
ヒロインの名前が「瀬良皿子」なので、
リムスキー=コルサコフの『シェエラザード』をやたら聴いていたな、とか。
もちろん、2011年に取り組んでいた演目ですから、
東日本大震災とその後の対応への記憶が圧倒的に濃いのですが、
10年前の自分と劇団も思い出しながら読んでいます。
さらに、この10年を過ごしながら、
いつも頭や体のどこかには、この劇があったことに気づかされました。
(本気で上演した演目は、どれもそうだと思います)
東京、九州、朝鮮半島、東南アジア、
それぞれの土地をめぐりながら、30代前半の唐さんが考えたこと、
燃えるような義侠心が、この台本には込められているように思います。
秋公演の題材ですから、長大な春公演の演目に比べ、
初演時の公演回数が少なく、どちらかといえば日陰の身のような
境遇にありますが、これは、なかなかどうして、スゴいですよ。
現在も大活躍されている小林薫さんが、
役者として圧倒的に躍進したのも、この演目の「名和四郎」という役を
得たからだと云います。6月までかけてじっくりとやります。
終わったときには、まるで大河ドラマを自分が生き抜いたような
達成感が訪れるはず! 自分も相当たのしみにやります!
2021年4月 5日 Posted in
中野note
今日は嬉しいことがありました。
恒例となっている若葉町ウォーフでのトーク配信。
毎月第一月曜日AM8:00から、「テツヤとアツシの朝から呑んじゃってる」
と題して、8:45まで語り明かす。
若葉町ウォーフの運営者の一人にして、
プロデューサー、舞台監督、時に作・演出までをも手掛ける
岡島哲也さんことテツヤとの早朝雑談も、今回で8回目。
https://www.youtube.com/watch?v=UUH-BVYiPTs
そこで、嬉しいニュースを聞かされたのです。
ことの発端は前回、第7回の番組。
かつての横浜国大で、唐十郎教授と私がどんな関係だったのかを
お話ししたのですが、同じ大学つながりという連想で話題は
山崎豊子さん原作のドラマ『白い巨塔』におよび、
田宮二郎版で東貞蔵教授を演じた中村伸郎さんに及んだのです。
私は『白い巨塔』のパロディとして、
中村伸郎さんが東北大学教授を騙るサギ師を演じた伊丹十三監督の
『タンポポ』を何度も観ています。
場面が津川雅彦さんから中村伸郎さんに移る時のあの強引なカメラワーク、
視線の交わし合いが大好きなのです。
そこから、如月小春さんによる評伝やご自身による名エッセイ
『おれのことなら放つといて』(タイトルがいい!)を読み、
三島由紀夫さんとの仕事や、渋谷ジャン・ジャンでのイヨネスコの『授業』、
坂本頼光さんが現在も行っているモノマネの話題でも盛り上がりました。
伸郎さんが、あの小柄な身体で、時に壮大な古典劇のような三島さんの
劇を支えた演劇がどんなだったか、時に別の公演への出演を終えてから渋谷に
駆けつけ、11年間にわたって毎週金曜の夜遅くに開演させ続けた
『授業』がどんな具合であったのか、残念ながら1981年に生まれた自分には
実演に接すること叶わず、ただ『授業』の録音を聴いて舞台姿を想像するのみです。
・・・という話をしていたところ。
なんと前回の放送のことを、中村伸郎さんの御息女で、女優のまり子さんが
気にかけて下さったのだと、テツヤが教えてくれたのです。
これは嬉しかった。
別に会おうというわけでも、これから連絡を取ろうというわけでもないのですが、
私は10代の頃から、そのようにして活字や映像や、とにかくのメディアの向こうに
いた人たちを追いかけているうちに、ご本人や、ご本人の関係者に
お目にかかることができたことが何度もありました。
唐さんにもそうして突撃しましたし、朝倉摂さんや中根公夫さんや
吉井澄雄さん、先日にお話しした栗本先生にもそうやってお話を
伺うことができたのです。
なにか、この人はスゴいぞ!と関心を持っているうちに、
その思いが伝わるというのは、嬉しいものです。
そういうわけで、今日は久々に『授業』を聴きながら寝ることにしましょう。
2021年4月 3日 Posted in
中野note
↑この映画の内容は、残念ながらあまり関係ありませんでした
経済人類学者の栗本慎一郎先生から
"潜入"について教わったことがあります。
英語でいうと "Duel Inn"
考古学者を例にすると分かりやすいのですが、
彼らは遺跡があると見込んだ大地を掘って、
その中から出てきた出土品、骨や、建築物などを集めます。
これを重ねていき、それらの量がある一定レベルに達すると、
かつてそこで営まれていた生活の様子が、
まるで実際に体験しているように感じられる。
この時、出土品などヒントになるパーツを、"諸細目"といいます。
で、"諸細目"が一定量に達して全体が一気に体感できるようになった
状態を"潜入"という。
私が日々、せっせと唐さんの台本を書き写すようになったのは、
三田佳子さんの影響です。唐さんと親交のある三田さんのエッセイを
読んでいたら、自分は台本をすべて書き写す、という一節があり
すばらしいことだと思いました。ご自身のせりふだけでなく、
全編を書き写すというのがポイントです。見事に徹底している。
さすがは三田さんです。
以来、それまでは劇団員で分担して行っていた
台本のワード打ちを自分ひとりでやってみたら、時間はかかるものの
面白いし、何より得るものが大きかった。以来、現在に至るまで、
これ!と思った台本には全てそうしてぶつかっていくようになりました。
栗本先生の謦咳に触れるようになったのはその後のことで、
これは大学で働いていた時に室井先生が、連続講座のゲストに
栗本先生を招いて下さったのがきっかけです。
"諸細目""潜入"自分には先生のおっしゃることがいちいち腑に落ちました。
その後、私は読むべき資料がない時、
手持ち無沙汰に白川静さんの本をよく読むようになりましたが、
古代文字をトレースし続け、古代人と古代社会に思いをはせ続けた
白川さんこそ、"潜入"界の王様だと思いました。
古代文字をまるっきりトレースしながら、
ちょっとした膨らみに、腹に、文字の細い太いに、
古代人の祈りや生活の様子を嗅ぎ取る。その感覚こそ、
芝居をやる者にとってもっとも必要な資質だと思います。
来週から始まる唐ゼミ☆ワークショップ『海の牙 -黒髪海峡篇』では、
まず、作品が執筆する前に状況劇場が行った『ベンガルの虎』
バングラデシュ公演時の唐さんに"潜入"します。
そこで唐さんはあるものを見て、筆を走らせる着想を得たに違いない。
そんな話からスタートしていきましょう!
http://karazemi.com/perform/cat67/post-18.html
2021年4月 2日 Posted in
中野note
↑近所の黒犬
昨日に佐々木がレポートしたように、
『盲導犬』のワークショップが終わりました。
2ヶ月間、全9回、コツコツと積み上げること、合計18時間。
最初から最後まで通しで本読みをすると、
まるで長旅を経たような達成感に包まれます。
参加の皆さんと一緒に大きなドラマに触れることができました。
おかげで、ちょっとボンヤリした充実感とともに、昨日一日を過ごせました。
大学2年生の時、伊勢佐木モールの古本屋で角川の文庫本を買いました。
初めて『盲導犬』を読んで、それから、
22歳の時に、唐さんに「上演させてください!」とお願いしました。
「不服従の犬」「永遠に飢えたる者」=「ファキイル」
だなんて、なんてカッコいい台本なんだろうと、思っていました。
影破里夫のせりふ、「不服従」というキーワード、
ハングリーで良いじゃないか!なんて男らしい芝居なんだ!と
しかし、実際の上演を経て、私の作品イメージはガラリと変わりました。
『盲導犬』の真の主人公は「銀杏(いちょう)」なのです。
女である「銀杏」と、犬である「ファキイル」が重なっていく物語なのです。
男が身勝手に託してしまう「不服従」や「反体制」を越えて、
もっと身勝手に、気まぐれに、体制を振り回し、揺さぶるのが、
「女」と「犬」だと、唐さんは、政治運動に挫折した青年たちを描いた
芝居をやっていた初演時の演出家、蜷川幸雄さんを挑発したのだと思います。
「女」と「犬」をどこまで自由に捉えられるか、
人はついつい自分の尺度で他人を計ったしまいますが、
世の中には、恐ろしくて、謎めいて、言うことを聞く時もあれば、
聞かない時もある。そして、その聞く時と聞かない時にまったく規則が見出せない。
そういう、驚異(脅威でもある)の"他人"がいることを予感させてくれたのが
この『盲導犬』でした。
唐ゼミ☆初演時、世界には"他人"がいることを唐さんに教わった、
思い出深い台本。『盲導犬』を読むと、なんだか目眩がします。
2021年3月27日 Posted in
中野note
『ダイの大冒険』が気になっています。
ゲーム『ドラゴンクエスト』の世界観にインスパイアされて生まれ、
かつて「少年ジャンプ」で連載されていたこのマンガ。
それが、20数年の時を経て新たにアニメ化されているらしい。
知ったのは、都内のコンビニエンスストアででした。
よく行く仕事先の近くのセブンイレブンに寄ったところ、
懐かしき「ビックリマン」と「ダイの大冒険」を掛け合わせた
お菓子が売っていました。
何となく買ってみると、何と1個100円。
かつて30円だったあのお菓子は、いまや3倍以上の価格になっていました。
さして期待もせず開けてみると、上の「No.1 ダイ」が出てしまった。
「・・・終わった」と思いました。
こうなると、初めてやったパチンコに当たってしまったようなもの。
その訪ね先に行くたびに買うのがルーティンになり、
子どもの頃は決して出来なかった軽い大人買いもしてしまい、
こんなことになりました。
・・・というように、私は普通の子どもでした。
『ドラゴンクエスト』も『ファイナルファンタジー』もⅢから
目覚めて、小学校低学年から中学にかけてこれにのめり込んだために
ずいぶん視力を落としました。
近所の公園で、ゲームに出てくる呪文の名を大声で叫びながら
ドッジボールを投げつけていた記憶もあります。
高校時代に演劇を始めてからは、本を読む方が愉しくなり、
私が熱を上げる対象は入れ替わっていきました。
90年前後に、唐さんは『電子城』『電子城Ⅱ』を書き、
不思議なやり方で電脳空間に飛び込んでいく若者たちを描きました。
当時の雑誌『ユリイカ』にはドラクエの生みの親・堀井雄二さんと
唐さんの対談があり、堀井さんは「クエスト」的な手法において、
唐さんの影響を受けたと語っています。
その結果生まれたドラクエをもとに2作品をものにした唐さん。
執筆にあたり、唐さんは一応、
ファミコンとソフトを買ってゲームの序盤を実際にやってみたそうです。
その姿を想像すると、かなり可笑しい気がします。
モンスターを倒すとゴールド(お金)に化ける、
これは経済にとってどういう意味を持つのだろうと疑問に思った。
そう唐さんはおっしゃっていました。さすがは唐さんです。
2021年3月26日 Posted in
中野note
↑追い詰められた人間が暴発する瞬間。かつて読んだマンガの
この場面を思い出します。
先日、講座で久々に『蛇姫様 我が心の奈蛇』を読んだ話をしました。
改めて、上演した時に一番好きだったシーンを思い出しました。
三幕の終盤、「バテレン」が颯爽と登場し、
多羅尾伴内よろしく謎解きをする場面。
悪役である伝次(実は李東順)、青色申告、藪野文化は
追いつめられ、ついにその正体を暴かれようとします。
それは、こんなせりふのやり取り・・・
バテレン 伝次が伝次でないならば、床屋の藪野は何者だ。
あたしはそれから、風呂屋跡の横に建った、あの床屋に行ってみた。
しかしあけび、お前が働いていた床屋は、もうどこにもありゃしなかった。
そこには只、竹藪があるばかり。区役所に行って調べてみれば、
床屋の藪野の一族は、去年の暮れに死に絶えて、
そのヨイヨイのぶらさげている骨壺が、藪野の御霊さ。
その一族は、その一族は、よく聞けよ、蛇年なのをいいことに、
空き家の床屋に居座っていただけなんだ!
そうだろ、内縁、お前の見たことを言ってやれ!
内縁 (尻ごみして)こわいよお!
バテレン 尻ごみせずに言ってやれ、こいつらは、一体何者なのか!?
伝次と名乗る男 (緊張のタガがはずれて、急に踊り出す)
♪ワーイ ワーイ もういっぱい
渡辺のジュースの素だよ もういっぱい
俺たちゃ昔、死人に触った。世に出ることの商いが、死人に触ることだった・・・
私はここがとにかく好きなのです。人間のリアリティが溢れている。
まず第一に、深刻味がいや増す只中に
「蛇年なのをいいことに」というギャグを入れていること。
一族が死に絶えた家屋に勝手に入りこんでいる男たちが
何故そんなことをできたか、と言えば、「蛇年」だから。
まったく理由になっていませんが、唐さんのシャレが効いています。
しかし、演じる側となると、これだけ勢いのあるせりふに
突如として配されたギャグを活かすのは、とっても大変。
ここで笑いを取れたら、その役者の腕はかなり確かです。
そして何より、バテレンに追いつめられた男たちの反応。
伝次(を騙る男)の激しい緊張は極限をむかえ、思わず、
ワタナベのジュースの素のCMソングを歌ってしまうのです。
一見、荒唐無稽のように見えますが、
激しい緊張にさらされ過ぎた人が行き着く先、
突如として幼児性が炸裂してしまう姿に、思わず納得せざるを得ません。
かくて、子どもの頃に見たCMソングの直後に、
もっともシリアスなせりふがやってきます。
この行き来こそ、人間のダイナミズムにしてリアリズム!
長い長い『蛇姫様 我が心の奈蛇』を通じて、
私がもっとも好きな、人間の核心にダイレクトに迫るシーンです。
2021年3月24日 Posted in
中野note
↑唐ゼミ☆ワークショップ、参加者も増えて盛り上がっています。
ちょっとした仲間意識も芽生えつつあります。
いつもは毎週月曜の朝に行う唐ゼミ☆劇団員集合。
近況を報告し合い、議題によっては話し合いをし、本読みをして作品を検討する会。
月曜、私には結果的に無くなってしまった出張の可能性があったので、
劇団員に呼びかけて、今週だけは水曜日にしてもらいました。
締め切り間際となった新人劇団員募集に、10代の人から問い合わせがあった。
かなり若いけれど、どうしよう?
SPACの『おちょこの傘持つメリー・ポピンズ』
唐組の『ビニールの城』
新宿梁山泊の『ベンガルの虎』
立て続けになるけど、どんな日程で観にいこうか?
そんな話をしました。
その後の本読みでは、目下『ベンガルの虎』に取り組んでいますが、
今日は激しく私の胸を打つせりふに出会いました。
場面は2幕。競輪場の車券売り場で、
ヒロイン「水島カンナ」と名物車券売り嬢の「お市」は
売り場の穴越しにつかみあったまま引っ張り合いになります。
戦争で息子を亡くした「お市」は入谷町内の子どもという子どもを
産まれる時に引き揚げた、すご腕の産婆でもある。
その二人が、ヒートアップする引っ張り合いのさなかにこんな問答をします。
お市 あたしにひっぱり出されるのさ。この穴を通ってな。
カンナ この婆さん、ムチャクチャ云いよんねん。あたしがこの穴をぬけられると思ってんの?
お市 人間はみな、この位の穴から出てきたんじゃ。
カンナ だって、あたし大人よ。
お市 どうしてそんなに大きくなったんだ、このメスネコが!
カンナ 人間はみな、大きくなってゆくのよ。
お市 いかんっ。
カンナ いかんと云ってもいかんのじゃ。
お市 たのむ。わしにひきずり出されてくれ。わしは産婆じゃ。
どうですか?
私はこういうせりふに感じ入ってしまうのです。
「人間は皆、この位の穴から出てきたんじゃ」
こういうせりふには、思わずうんうんと納得してしまう。
それに、「大きくなってはいかんっ」という。
大きくならないで欲しい。可愛いままでいて欲しい。
というのは、子を持つ親、誰にも共通する思いでもある。
ましてお市は、大きくなったがゆえに戦争で息子さんを亡くしているのです。
圧倒的な母性。母としての哀しみ。それらを含みながら
あくまでバカバカしくもコミカルなこのやり取り。
ここには悲喜こもごも同時多発の感情爆発があり、私はわしづかみにされました。
惜しむらくは、残念ながら2月に予定されて中止になってしまった
流山児事務所の『ベンガルの虎』。あの公演の「お市」役には
大久保(鷹)さんがキャスティングされていたらしいのです。
鷹さんこそ、支離滅裂に見えて、こういう一言一言の機微を心得た俳優です。
大久保さんが支離滅裂に見えるとすれば、機微を心得すぎているために、
一つのせりふ、一つの場面に再現なくのめり込み、
極度の部分肥大が起こってしまうからだというのが、私の説です。
ともかくも、私は心打たれました。
こういうシーンを皆で稽古すると、いきおい燃えるのが性分であり活力の源です。
唐さんに会えて、オレはやっぱり良かったなあ!
今日はこれからワークショップ。同じ1973年に初演された『盲導犬』の終盤です。
と、同時に、3/24といえば唐ゼミ☆立ち上げの大功労者である室井先生の誕生日。
最近ぜんぜん会っていないのですが、なんだか元気だと聞いています。
先生、おめでとうございます!
2021年3月22日 Posted in
中野note
↑Sさんが送ってくださる着物に、唐ゼミ☆の舞台は支えられています。
昨日はとんかつ屋に行きました。
職場のひとつである神奈川芸術劇場で、以前からの知り合いが働き始めました。
しかし、いざ同僚になってみると近くにいすぎてあまり話さないもの、
そこで、歓迎会も兼ねて昼食に誘い、行き帰りの道で話そうと思ったのです。
横浜の馬車道周辺は、自分がもっともよく食事する場所の一つです。
2009〜2011年まで室井先生と働いた北仲スクールは、
みなとみらい線馬車道駅出口の目の前にありました。
ですから、よく食事をし、買い物をするようになった。
その中で、お世話になっている方に紹介されて
通い始めたお店が「丸和」というとんかつ屋です。
この界隈、実にとんかつ激戦区で、今ざっと思い返してみただけでも
近接した地域に6軒はあります。世間的には、勝烈庵本店が圧倒的に有名。
しかし、唐ゼミ☆がいつもお世話になっている新潟のSさんは、
「ここが美味しい」と言って御馳走してくださったのです。
以来、すっかり好きになって通うようになりました。
新潟の方に横浜のお店を教わるのも可笑しな話ですが、
高田で着物のお店を営んでいるSさんの商圏は広いのです。
商品が満載のハイエースを一人で運転して、西は兵庫あたりから
東は東北までを商いのエリアにして走り回っているそうです。
単騎千里を走ると言われた関羽将軍は中華街で商売の神様となって
いますが、まさしくSさんのフットワークは千里を軽々と走らんとするもの。
ですから、各地の銘店にも通じ、熱く丸和さんを紹介してくれました。
ところで、このSさんこそ、唐ゼミ☆衣裳製作における生命線なのです。
『下谷万年町物語』や『蛇姫様-我が心の奈蛇』を凌いで来られたのは
ひとえにこの方が送ってくださる古着(といっても超豪華!)に
支えられてのことです。Sさんはいつも、そんな風に私たちを応援してくれる。
今回も満足のいく食事でした。案内した相手も気に入ってくれた。
通い始めた当初は強面だった大将が今では親しく声をかけてくれるのも楽しい。
劇場に帰り、エネルギー満タンで午後はよく働きました。
ところが、ここに不測の事態が。劇場の上司と早めに仕事を終えたところ、
彼が夕食を食べたいと言い出しました。それ自体は大したことでは無いのですが、
「とんかつ食べたい!」とのリクエスト。
こういう時、私は抗いません。
お酒はからっきしですが食べるのは得意。面白いじゃないかとすぐに覚悟を決めます。
しかし、さすがに昼夜おなじ店に行くのは恥ずかしく、他の店にしておきました。
2021年3月22日 Posted in
中野note
↑2010年の唐ゼミ☆公演より
昨晩は「唐戯曲を読む!」講座にお呼ばれし、
1977年初演の大長編『蛇姫様-我が心の奈蛇』を読み解きました。
2時間の講座1回で語り尽くせ、
というお題でしたから、無理を承知で物語を必要最小限まで刈り込み
ストーリー展開の要所を押さえながら参加者の皆さんに読んでもらいました。
冒頭のト書きが物語の前日談を集約しているのは『唐版 風の又三郎』と同じです。
カロンの、つまり死の河をわたってくる船の描写こそ、
朝鮮戦争で死んだアメリカ兵の死体輸送船に混じって日本に密航した
少年・少女たちの決死行を描き出しています。
彼らこそ、ヒロインあけびの母や父の、若かりし日の姿。
船の中、極限状態での輪姦により生まれたヒロイン・あけびは、
母シノが亡くなった後、生前のシノの言葉と、彼女が残した日記を頼りに
自らの父を、出生のいきさつを探るために東京にやってきます。
そこでスリ稼業に手を染め、同じく新参のスリである青年・小林と、
その弟分・タチションに出会う。
癲癇持ちの上に右腕に怪しげな黒アザを持つ女・あけびを「姫」と仰ぐ
小林とタチション。この3人のトライアングルが完成する1幕中盤から、
2幕を経て、3幕終盤、出自に直面するあけびは慄然とします。
が、そのような出自だからこそ、小林・タチションの2人は
ますますあけびを「蛇姫様」と信じる心を強くします。
あけび→蛇姫様→憧れの女性→ナジャ→奈蛇
という連想が完成し、タイトルの意味が明らかになる終幕。
唐ゼミ☆で上演してから10年ぶりに読みましたが、やはり面白かった。
『腰巻お仙 義理人情いろはにほへと篇』の設定を大いにバリエーションさせながら、
そこに、ヒット作3本の美味しいところを下記のように掛け合わせた、
かなりお得な劇でもあります。
『二都物語』→朝鮮半島から渡ってきた人々の物語
『ベンガルの虎』→母とヒロインの因果関係、亡き母の特徴的な登場
『唐版 風の又三郎』→ヒロインと青年主人公の共同幻想の育み方
かなり凄惨かつ酸鼻極まりない内容ですが、
「お姫さまごっこ」に興ずる主人公たち、
「探偵ごっこ」に躍動する悪役たちの幼児性が炸裂し、
コミカルな要素に溢れたエンターテインメント作品でもあります。
久々に読み返して興奮しました。当然、もう一度やってみたいと思っています!
2021年3月20日 Posted in
中野note
2011年のコンサート冒頭では、唐さんがボクサーの扮装で私はセコンド役でした。
これができたのも、受験が上手くいったおかげです。
今日(3月20日)は私にとって思い出深い日です。
高校三年生の終わり、横浜国大への合格発表を受け取った日でした。
唐さんが横浜国立大学の教授に就任したのが1997年10月。
その情報を私がキャッチしたのが1998年の初夏だったと記憶しています。
現在、YouTubeにはその頃のBS深夜番組が上がっています。
https://www.youtube.com/watch?v=EkJuulmYkUs
扇田昭彦さんが司会を務め、80年代に上演された劇と
その公演に関わる演劇人をテーマに、トークと芝居を放送する番組でした。
私はこれを観て、横浜国大に行けば唐さんに会えること知ったのです。
高校三年生は、私にとって最も台本をよく読んだ時期でした。
受験勉強が嫌な私は、そこからの逃避として台本を読みました。
ギリシャ悲劇も、シェイクスピアも、チェーホフもイプセンも、
近松も南北も、片っ端から1〜2日に一本ずつ読みました。
当時の読み方は浅く、今では内容を忘れてしまったものが大半ですが、
私には現在も、その時の猛勉強により毎日を凌いでいるという実感があります。
国立大学の試験は2/25頃と3/10頃に二度チャンスがあり、
後ろの方は受かりやすいと聞いていました。
受験生の側でも、一年間がんばってきてこの頃には息切れをしてしまう。
先に決まった私立でいいやという気になり、手薄だという噂がありました。
それに、自分が受けた学課の後期試験は面接だけでしたから、
唐さんに学びたいという意志がすべてで、あとはジタバタしても仕方がない。
かえって気楽なものでした。
果たして、3/13に試験を受け、3/20の結果発表を待ちました。
発表当日は、愛知芸術文化センターで蜷川さんの『リチャード3世』公演を
観劇する予定でしたから、父には、結果が封書で届いたらすぐに空けて良いと
伝えました。私の帰宅までとても我慢していられないだろうと思ったのです。
その変わり、合格していたら家中の電気を点けてくれるよう頼みました。
劇冒頭から馬が降ってくる『リチャード3世』に満足して家に帰りながら、
さすがに最後の角を曲がる時はドキドキしました。
煌々と光る実家を見た時の嬉しさを、3月20日になると思い出します。
22年前、こうして私は唐さんのもとで学ぶ切符を手に入れることができました。
2021年3月19日 Posted in
中野note
↑このリングは大日本プロレスからレンタルしました。
一昨日のワークショップで、
2011年11月にやった『唐十郎21世紀リサイタル』を
振り返る機会がありました。
あの催しでは、石橋蓮司さんも飛び入りで歌って下さったのですが、
その歌こそ、目下WSで取り組んでいる『盲導犬』の主題歌のひとつ
『ファキイルの唄』なのです。
一夜限りのイベントで、観客数は500名弱だったと記憶していますが、
WS参加者の中に当日立ち会って下さった方がいて感激しました。
10年前のイベントを目撃してくださったというのは
ありがたく、嬉しいものです。
また、別の参加者からはこんな質問が寄せられました。
「どうしてステージがリングなんですか?」
良い質問ですね。これを聞いて、私はハッとしました。
唐さんのコンサートといえばリング、というのが定番ですが、
私は唐作品や唐さんの面白さをまだ知らない人に届けたくて
WSをやっています。こういうところを、当たり前にしてしまっていたら
いかん、と思ったわけです。
質問してくださった方のおかげで皆さんに丁寧に説明できましたが、
この2011年のイベントは、唐さん一党が1973年に後楽園ホールで開いた
劇中歌コンサート『四角いジャングルで唄う』に由来しています。
当時、唐さんは大好きなボクシングリングを自らのステージとしました。
ちなみに、梶原一騎原作の劇画『四角ジャングル』は1978年スタート。
ですから、唐さんの方が5年早い。
当然、今回もリングを調達しなくては、と10年前の私は決意しました。
そこで、格闘技観戦に不慣れだった私は、そのちょっと前に友人が
連れて行ってくれた大日本プロレス興行に影響を受けたのです。
ホームページを見たところ、リングの貸し出しをやっている。
しかも、決して値段が高くない。
格闘技観戦の経験が皆無の私は、早速これに飛び付きましたが、
当日になって、自分の浅はかさを痛感させられることになりました。
そうです。そもそも、ボクシングとプロレスのリングでは、
立った時の跳ね具合がまるで違うのです。
(そんなことも知らなかった!)
気づいた私は、即座に、組み立てに来てくださった若手レスラーの
皆さんに、極限までリングを硬めに締め上げてもらいました。
しかし、プロレスのリングである以上、限界があります。
これに気づいてからは皆さんをお迎えするのにハラハラし通しでしたが
唐さんも、小室等さんも、他の出演者の皆さんも「柔らかいな」と
不安をのぞかせながらも、巧みにバランスをとって対応してくださいました。
中でも、これを使いこなしたのが十貫寺梅軒さんで、
若き日の野田秀樹さんも影響されたというあの圧倒的身体能力で
プロレスリングを使いこなし、リアクションのたびにボヨンボヨン
跳び跳ねて梅軒節を炸裂させました。
上手くいって良かった。
コンサート終盤。
会場入り口にはバラシの備えたレスラーの皆さんの姿がありました。
ちょうど、アンコールの『ジョン・シルバーの唄』がリフレインされ、
その場にいる全員が「♪よいこらさあ〜」と歌っていました。
あとでスタッフに聞いたところ、
それを見ていたレスラーの皆さんはすっかりこの唄を気に入り、
「これ、オレらの試合にも使いたい」と言っていたのだそうです。
唐さんの劇中歌がレスラーたちをも魅了するとは!
演劇好きに認められるのとはまた違った、格別の嬉しさがありました。
2021年3月17日 Posted in
中野note
昨日は新宿中央公園に行ってきました。
去年の『唐版 風の又三郎』を終えてから何度か訪れていますが、
当時から行われていた工事があらかた完了し、
かつての、夜になれば少し怖いような公園がますます居心地の良い
空間に生まれ変わっていました。
白糸の滝の裏の池に、カメも帰ってきていた。
そして昨日の夕方からは、Handi Laboで『芝居の大学』。
今年度の最終回に、唐ゼミ☆の大家さんである坂田裕貴さんに、
講座のテーマ「移動型公共劇場」の実現に向けて
かなり開放感のあるアイディアを授けられました。
ずっと一緒にいるけれど、改めてHandi House Project はカッコいい。
ミッションに対して労を惜しまず、手仕事の愉しさを知り尽くしている点に、
ホンモノを感じます。それは、唐ゼミ☆が目指すところでもあります。
坂田さんのグルーブ感はサイコーで、歳下の、尊敬する友人です。
そして目下、今晩の唐ゼミ☆ワークショップ『盲導犬』と
週末に控えたオンライン講座「唐戯曲を読む!」に向けて
『蛇姫様-我が心の奈蛇』の準備中。
『盲導犬』は2月から10数人でコツコツと進め、
いよいよ最も重要なシーンに突き進もうとしています。
人間の女性に犬の胴輪をはめるという、かなり露骨な場面ですが
それだからこそ、この芝居を通じて唐さんが言いたいことを結晶させた
重要な場面です。私自身も台本の流れに乗っていけば、必ず面白くなる。
一方、『蛇姫様-我が心の奈蛇』は大変です。
上演3時間超の芝居を、実質1時間で語り切ろうという野心的講座。
参加の皆さんに実際に読んでもらいながら、
まるで実際に上演したかのような1時間にしたいので、
当たるシーンを極限まで切り詰める作業をしています。
しかし、この劇は副次的に面白い場面の誘惑がすごい。
こっちのシーンも読めよ、と様々なせりふやト書きが誘ってきますが、
断固としてこれを退ける!
自分も、ついつい余談やエピソードトークにかまけてしまわぬよう、
厳に戒めたいと思います。
久々に読み、資料にも当たっていると、
今だったこうやるのに!という想いとアイディアが溢れてきます。
愉しくも困難な準備です。
2021年3月15日 Posted in
中野note
明日(3/16)は2020年度「芝居の大学」の最終回です。
ゲストは Handi House Project の坂田裕貴さん。
異端の建築家集団を率いる代表であり、
私たち唐ゼミ☆が間借りしている倉庫&事務所の大家さんでもあります。
唐ゼミ☆が長く居ついた横浜国大を撤退し、
現在の拠点である Handi Labo に移ってきてから丸2年が経とうとしています。
思えば、大学を立ち退かなければならないことが決まりながらも
行き先の決まらなかった半年は、ずっと憂鬱でした、
当時もKAATの仕事で神奈川県内をウロウロしていましたので、
いっそ町村部に倉庫を借りようかとも思いました。
とはいえ、けっこう家賃は高いのです。それに往復で2時間以上もかかる。
時間もそうですが、通う交通費だってバカにならない。
ちょっと音響機材や衣裳を取りに行く。
これができなくなってしまうのも難点でした。
当時は、倉庫やガレージ、空き地を見るたび、
どうしてこれが誰かのもので、オレのものじゃないんだろう、と。
そんなことばかり考えていました。
そこへ、引越し期限まで約1ヶ月と迫った時に、
細い縁をたどってこの場所にたどり着いたのです。
あれから2年。
当初は慣れなかった鶴見区駒丘までの距離も今ではすっかり馴染み、
スペースをシェアする人たちに顔見知りが増えて、
特にコロナ禍になってからは、ここに入り浸っています。
ああ、自分たちの場所だ。そういう実感が湧くようになりました。
そして坂田さんは、いつもHandi Labo にいる親しき隣人になった。
しかし、いまだ坂田さんは謎めいた人でもあります。
これまで、どういう経緯で Handi House Project が立ち上がったのか、
現在はどんな業態で活動しているのか、構えて訊いたことがありませんでした。
廃材を利用したオブジェづくり、
子ども向け日曜大工のワークショップ、
海外の会社から取り寄せている日本ではまだ新しい塗料の代理店業など、
坂田さんの断片的な事業に触れたことはありつつも、
"この人は何者なんだろう?"という根本的な疑問がいつもあります。
それらがついに明日、解かれることに。
今日は明日の講座に向けて、事前の打ち合わせを行いました。
つい話し込んでしまって、4時間以上しゃべり続けました。
どれもこれも、面白いネタばかり。と同時に、かなり反骨の人でもあるようです。
明日は大いに語ってもらい、
今後に私たち唐ゼミ☆と共同作業ができないか、
そんなことも探りたいと思います。
今から申し込んで頂いても、講座を受けることができます。
無料の、オンラインの講座です。良かったらぜひ!
https://www.kaat.jp/d/shibaino_daigaku202102
2021年3月12日 Posted in
中野note
↑かつら屋の前を往くアンマの群れ
昨日は東日本大震災から10年でした。
自分はテレビを見ない生活を送っていますが、
お昼ご飯に立ち寄ったお蕎麦屋さんのテレビで特集が流れており、
あれから10年ということを強く実感しました。
あの日は、馬車道にあった横浜国大のサテライトスクールで
働いていました。揺れるのを感じて外に出ると、ランドマークタワーが
ブルンブルン動いている。それから、みるみる内に目の前の道が混み始め、
街中のあらゆる道路が夜まで渋滞し続けました。
丁度あの日も稽古していたのが、4月からのワークショップで
取り上げようとしている『海の牙 黒髪海峡篇』でした。
あの芝居には盲人たちの群れが出てきます。「アンマ」の集団。
それと、ヒロイン「瀬良皿子(せら さらこ)」の営む娼婦家業
=「パンマ」が対になっている。
ちなみに、この「瀬良皿子(せら さらこ)」という風変わりな名前は、
『アラビアンナイト 』=『千夜一夜物語』の語り部である
「シェエラザード」を文字ったもので、『白鯨』の「エイハブ船長」を
『盲導犬』の「影破里夫(えい はりお)」にしてしまう唐さんの
センスに共通するものを感じます。かなりの豪腕ぶりです。
この両作品はともに1973年に初演され、同じ角川文庫に仲良く
収録されています。
あの日、稽古が予定されていたものの、
当時の稽古場だった横浜国大の元唐十郎研究室に集まれないメンバーが
何人もいました。昼間に東京でアルバイトをしていた団員はひたすら
歩いて横浜に引き上げるしかなく、往生しており、
かろうじて集まれたメンバーは、本棚が倒れて本や書類、CDが散乱する
のを片付け続けました。
そして、ある程度整理がついた後、
かろうじて「ちょっとでも前進しよう」と言い合い、劇中歌をさらって
その日の稽古としました。
♪いたずら男が「ダン」とやりゃ
尻をモジモジ彼女が「トン」
「ダン」と「トン」の調子が合って
眉にシワよせ 目元ほんのり ダダダンダン
舌を鳴らしてトンタンタン
ウブな男女がモジモジまさぐり合うと、
「ダン」と「トン」というアクションの音が合体し、
フランス革命の闘士であるかの「ジョルジュ・ダントン」が
現れるという、ずいぶんふざけた歌詞の歌でした。
あの日、いい知れぬ不安を払拭するためにも、
こんなおふざけソングを大声で合唱しながら空元気を出して
それぞれの家路についたのを、まざまざと思い出します。
4〜6月のワークショップのお題は『海の牙-黒髪海峡篇』。
そのようなわけで、私がまともにこの作品に向き合うのも約10年ぶりです。
2021年3月10日 Posted in
中野note
↑役にピッタリの、この着物を探してくれました
ワークショップ前です。
つい先ほど、数年ぶりに旧友に会いました。
お腹がすいたので中華料理屋に入ったら、偶然にも彼女がいたのです。
最後に会ってから5年以上が経っていましたが、
向こうにはまったく変わりがなかったので、
目があった瞬間にすぐに彼女だとわかりました。
向こうもすぐに気づいて
「あっ、先生!」
初めてあった時から、彼女はずっと私のことを「先生」と呼ぶのです。
彼女が食べていたのと同じ海鮮やきそばを私も頼み、
出来上がりを待つ間に駆け足で話をしました。
「先生もまったく変わらないけれど、ただ一点、白髪が増えたね」と。
白髪、我ながら最近は特に急増している気がします。
この方と初めて会ったのは、2009年に上演した
『下谷万年町物語』の出演者を募っていた時のことで、
ご本人は舞台に出る気などまったく無いのに、
出演を希望した知り合いに面談の場所に連れて来られてしまった、
という出会いでした。
ところが、彼女は着付けやヘアメイク、結髪の達人であり、
結局はものすごくお世話になることになりました。
人生の大先輩で、雅やかなお生まれの方です。
戦後すぐ、世の中に貧しさが溢れている時にも振り袖を着て
駆けまわってっていたという彼女は、身のうちに和の教養と
気品を備えている人で、その上けっこう剛腕、
小柄なのにギュッとパワフルでとにかく好奇心の旺盛です。
私たちは、『下谷万年町物語』でさんざんお世話になり、
さらに、KAATで公演した『唐版 滝の白糸』では、
あの真っ青な着物の選定から着付けから、禿がかなり支えてもらいました。
腕もキャリアもある方です。
少ない御礼でものすごく貢献してくださる彼女に
せめても御礼をしたいと、何度か食事をご一緒しました。
その度に、いつもこんなことを言われた。
「先生。子どもは生まなければなりませんよ。
子どもを育てることで、人は"赦す"ということを学ぶのです」
「自分を育てるので手一杯です」と応えて誤魔化していた私も、
気づけば二人の親になりました。
折に触れて、お手紙や年賀状のやり取りをしていましたが、
久々にお話しするのは楽しく、向こうがあまりに変わっていないので、
こちらはついニヤニヤしてしまう。
「また、電話し合おう!」そう言って別れました。
車で20分くらいのところにお住まいですから、
一度、子どもたちを連れて行ってみよう。そう思います。
2021年3月 9日 Posted in
中野note
今日は朝から横須賀に行って来ました。
写真は「汐入」という駅のホーム。
横須賀と唐作品といえば、
ちょっと前にワークショップを展開していた
『唐版 滝の白糸』が思い浮かびます。
謎めいたゴーストタウンを舞台に物語がスタートする10年前、
青年「アリダ」が誘拐犯「銀メガネ」にさらわれて
渡り歩いた場所こそ、この横須賀の港湾部でした。
銀メガネ そうとも、俺だよ。
一緒にエメラルド・ボアを見に行ったっけ、
帰りに横須賀のドックもぶらついた。
という銀メガネのせりふの一節により、それは語られます。
下町(唐さんの場合は十中八九、台東区界隈)で誘拐され、
「エメラルド・ボア(南米に生息するヘビ)」を見に行き、
帰りに横須賀のドックに寄ったらしい。
この"帰り"という部分が私には難題でした。
唐さんにとって"動物園"といえば、
圧倒的に上野動物園でしょうが、台東区を出発点にした二人が
上野動物園に寄り、そこから横須賀を目指したとすれば、
それは"帰りに寄った"とは言い難い。
地理関係的に、東京から見て横須賀のさらに向こう側、
三浦半島の突端にエメラルド・ボアが見られる場所がなければ
ならないのですが、三浦市にそんな施設は見当たらない。
あるのは京急油壺マリンパーク。
ところがあれは、イルカショーなんかも観られる水族館なのです。
ちなみに「エメラルド・ボア」は、
いつかこのゼミログにも書いたように、
静岡県の日本平動物園と名古屋の東山動物園にいます。
横須賀市に来るたびに気になります。
果たして少年アリダと銀メガネはどこでエメラルドボアを見、
"帰りに"横須賀に寄ってスクリューを眺めることができたのか。
唐作品はもっと自由に読むものだ、という意見がある一方、
こんなことが気になり続けて、ここ10年を過ごしています。
2021年3月 8日 Posted in
中野note
↑久々に会う松本さんはやたらマッチョになっており、ビビりました。
今日はハンディラボで掃除と打合せを行いました。
劇団員の募集。『唐版 風の又三郎』再演チラシの構想。
やることは山ほどあります。
最近、知り合いを通じて劇団に寄付して頂いていた衣裳の整理も行いました。
昨日、このゼミログを初担当した菊池は、初対面の相手も多く
少し緊張気味でした。
と、そこへ、今日は松本さんがやってきました。
劇団「平泳ぎ本店」の松本一歩さん。
彼とは4年前からの知り合いですが、
自らがユニークな俳優であるだけでなく、実に有能な人物です。
若葉町ウォーフの企画にも関わっているし、
劇団を率いて数年前にKAATで行われた「かもめ短編演劇祭」の
チャンピオンにもなりました。
「平泳ぎ〜」に所属する小川哲也さんは、
3年前に私は秦野市で行った野外劇『実朝出帆』にも出演してくれたし、
唐ゼミ☆の林麻子が下北沢で行われた彼らの劇団公演に参加したことも。
なにかとウマが合う相手というわけです。
そんな松本さんが現在、「唐戯曲を読む!」という
ワークショップを組織して、3週間に一度のzoom開催をしている。
https://note.com/1st_x_ep/n/ncd138073109a
そこに私もゲストで呼ばれて、3/21(日)に
『蛇姫様-わが心の奈蛇』をお題に2時間を担当することになったわけです。
1977年春に初演された『蛇姫様〜』。
この作品がどのような衝動も以って書かれ、どのような内容に結実したか、
2時間で紹介するつもりです。
いつも唐ゼミ☆ワークショップでやっているように、
こちらの説明はそこそこにして、皆さんに声を出して読んでもらい、
要所を当たっていくことで、この大長編の世界を凝縮して体験するのが狙いです。
松本さんとのお話によれば、
皆さん唐作品を語りたくて仕方ないメンバーが揃っているらしい。
これは楽しみですね。講義のように喋るだけでなく、
私にも新発見がありそうなzoom講座。
『蛇姫様-わが心の奈蛇』を体験し、語り合いたい人はぜひお申し込みを!
2021年3月 6日 Posted in
中野note
気に入っている Annor Bylsma の Brahms String Sextets
今日と明日はずっと車の中で過ごしています。
場所は神奈川県の中央部にある綾瀬市。
神奈川芸術劇場の仕事で、綾瀬市でシニア劇団を立ち上げて2年。
この場合は自分で作品をつくるわけではなく、プロデューサーをしています。
今年度は、山の手事情社の倉品淳子さんにリーダーをお願いして、
倉品さんの構成・演出によるオンライン公演が、
明日(3/7)の14:30からある。
zoomによる公演なので、劇団メンバーはそれぞれの自宅や、
自宅が無理な人は個別に用意したスタジオから参加するわけですが、
中にはパソコンやインターネットが苦手な人もいる。
そこで、同じく機材類が苦手で皆さんの気持ちがよくわかる私は、
日がな綾瀬市内にいて、トラブルがあれば飛んでいくのが役割というわけです。
これはなかなか面白い仕事で、ちょっと水道屋さんのようでもあり、
緊張感とのどかさが混在しています。
景色はゆったり、が、電話が鳴れば15分以内に駆けつける。
練習に立ち会いながら、何件か、呼び出しに対応しました。
車にいる時間が長くなるなと思ったので、
おともに、いつもにも増してCDを持ちこみました。
いくつも聴いてゆく中で、懐かしく、やっぱり良い曲だなと思ったのが、
タイトルに書いた『ブラームス弦楽六重奏 第1番』。
この曲の第2楽章は、唐さんが『秘密の花園』の各終幕で使った、
あの曲なのです。椎野に聴かせると
「あたしには飯塚さんの『あんたー!』というせりふが聴こえてきちゃう」
と言っています。
唐組が2年連続で『秘密の花園』を上演した1999年秋。
私たちは大学に入学したてで、右も左も分からずにあの上演に接したのでした。
右も左も分からなかったけれど、目の前で身を切るような切なさが
炸裂しているのは明らかでした。
後から考えてみれば、唐さんは1980年に観た『NINAGAWAマクベス』で
使われていたこの曲を気に入り、自作に援用されたわけですが、
この組み合わせの支配力は絶大です。
台本を読むと、くだくだしく曲名は明らかにされずに、
ただ、「音楽。ブラームス。」と書かれています。
2021年3月 3日 Posted in
中野note
↑2004年の唐ゼミ☆『盲導犬』より
師走は大したことないのですが、年度末は忙しい。
少しずつ働くようになった20代の半ばから、そう思うようになりました。
私の誕生日は2/14なのですが、ここ十数年、誕生日はいつも苦しい。
せわしなくて余裕がありません。
ただし、去年だけは別でした。
2下旬から、コロナで年度末に用意していたあらゆるイベントが
流れていきました。心に穴が空いたようでした。
しんどいけれど、やることが無くなれば無くなったで寂しいもの。
そうそう。
そのおかげで、室井先生の退官イベントにきっちり注力できたのは、
実に幸せでした。前夜、久々に大学内で徹夜したことにも、
懐かしい感覚に包まれたりして。
一年が経ち、コロナはまだ克服できていませんが、
年度末の混み具合は絶好調です。
3/2(火)はKAATと横浜国大の連携講座「芝居の大学」
本日、3/3(水)唐ゼミ☆ワークショップ『盲導犬』でした。
どれも本息でやっているのでずっとドキドキしていますが、
それにしても、人間、やってやれないことはない。
慣れれば慣れるものだと実感しています。
劇団員たちの協力もあり、よく集中してそれぞれに臨んでいます。
あと少し走りきりつつ、もう春ですから、今年のテント公演に対する動きを
本格化させます。緊急事態宣言は延びそうですが、頭の中がはち切れんばかりです。
2021年3月 1日 Posted in
中野note
(2003年6月『少女都市からの呼び声』を上演したときの紅テント)
3月ですね。あっという間に年度末です。
いつも年度末は追い込まれてばかりで時間があっという間に過ぎる印象です。
新しい月が始まると、第一月曜日の朝には若葉町ウォーフで
テツヤ(プロデューサー・舞台監督の岡島哲也さん)と二人で番組を
配信するのが習慣です。もう半年もやっている。
その中で、ひょんなことから、中村伸郎さんの話になりました。
文学座出身の名優です。三島由紀夫さんと同時代的に劇をつくる中で、
三島さんの書いた『喜びの琴』上演の可否をめぐり文学座を脱退、
後年、渋谷のジャンジャンで毎週金曜の夜に上演し続けた
イヨネスコの『授業』はつとに有名です。
私は音声で聴いたことがあります。
私が中村さんを知ったのは、『白い巨塔』と『タンポポ』を観たからで、
あの独特の声で、名門医大教授と東北大学教授を騙る詐欺師を演じていました。
晩年の如月小春さんが書いた評伝を読み、中村さんの物真似を
今だにやられている坂本頼光さんも面白く追いかけています。
ところで、同じ『白い巨塔』でも、
2003年にリメイクされた唐沢寿明さんのバージョンでは、
病棟をエレベーターで移動する教授を、助教授以下
研究室の門弟たちが階段を駆け上がる姿が印象的でした。
彼らは勢いよく階段を上り、息が上がるのをおさえて
エレベーターの扉の前に整列する。すると扉が開いて教授が現れる。
現在であればコンプライアンス上、確実に批判される人間関係です。
しかし、それに似たようなことを、私たち唐十郎ゼミナールもまた
遊びでやっていたことを思い出した。
唐十郎研究室は、唐さんの趣味に合わせて絨毯敷きでした。
靴を脱いで研究室に入った唐さんは座椅子に腰掛け、
地区センターの畳敷きの集会室にあるような低い長机で
お茶を飲んだり、お弁当をされたりしていました。
お気に入りと座椅子とお気に入りの茶碗。
高価な品を求めるわけではありませんが、モノに愛着するのが唐さんです。
私たちの公演直前、ゼミナールの時間ともなれば、
そこから講義棟の裏手に立てたテントに移動して、通し稽古を観ます。
テントの中は、もちろん桟敷席。
そこで私たちは、座椅子を移動することにしました。
私は唐さんを案内して一緒にエレベーターに乗る。
すると仲間の一人が、座椅子を担いで階段を駆けおり、
テントに到着する頃にはそれがセットされていました。
別に唐さんに「そうせよ」と言われたわけではありませんが、
通し稽古を前に緊張する唐さんのオーラには、そうさせる迫力が
ありました。と同時に、私たちの中には、どこかに遊び心もありました。
公演に向けて私たちは緊張し、唐さんも緊張していました。
きっと唐さんは、同じ座椅子であることなど、気付きもしなかったと思います笑
2021年2月27日 Posted in
中野note
↑就職を決めて、その次の公演に出演した石井永二。現在は敏腕ディレクター。
2002年の春、唐十郎ゼミナール生だった石井君と私は、
夜中にウロウロしていました。
今ではテレビマンユニオンのディレクターとなった石井永二は、
歌を歌わせれば唐さんも一目置く存在でした。
当時の彼はまさに就職活動の只中で、目前の『ジョン・シルバー』に
参加することができない。
そこで、私は彼に『ジョン・シルバーの唄』をソロで歌ってもらい、
その録音を舞台でかけることにしたのです。歌声のみによる出演。
劇中には、何度もソロの『ジョン・シルバーの唄』が響きます。
どこからともなくシルバーが還ってきた。そういう気配が漂うたびに、
歌声が遠くから近づいてくるのです。
当時の私たちには音響加工技術などほとんどありませんでしたから、
良い空間を求めてさまよいました。
高架下かトンネルの中か、自然と音が響く空間で、
実際に歌をうたいながら近づいてくれば良い音が録音できる。
その際、石井は足を床に引きずりながらレコーダーに接近。
さらに、原付のヘルメットを床に打ち付ければ、
シルバーの片足の棒が床を踏み鳴らすのを「コツッ!コツッ!」と表現できる。
こんなプランが私たちの頭にあり、実際に道具も揃えました。
あとは、適切な場所が無いものか・・・
場所を求め、相鉄沿線を走る国道16号線を黄金町に向かって進んだところ、
関東学院の附属高校の手前くらいに、やはり倒れている人を発見したのです。
歩道に横たわり、膝から下が、車道にヌッと出ていました。
石井と私はたいそう驚き、やはり恐る恐る接近。
酔っぱらったおじいさんでしたが、声をかけて、
とにかく歩道に完全に身体が入り切るところまで後退させました。
あのまま私たちが何もせずにいたら、
おのお爺さんの脚は、車かバイクかに惹かれていたに違いありません。
「やれやれ。危うくシルバーみたいになるところだった」
そう思いながら、尚もウロウロし続けました。
結局、黄金町方面に相応しい空間はなく、
音源は相鉄線上星川駅近くのトンネルで録音することになりました。
夜中の2時くらいでしたが、時おり上手くいきかけたテイクを
車の音に邪魔されて何度も録り直し、現在も使っている音源が完成しました。
駅を降りて、高名な大野一雄先生の舞踏研究所に向かったところにある
あのトンネル。通り過ぎるたびに、良いトンネルだなあと惚れ惚れしています。
2021年2月26日 Posted in
中野note
↑現地近くにある昼間の看板
先日の夜、車を運転していたら道に倒れている人を発見しました。
あれはハンディラボからの帰り途。22:00過ぎでした。
横浜国大近くにある交通裁判所に入り、数百メートル行ったところで
車のライトに横たわる頭部が見えたのです。
反射的にハンドルをきり、まずはそれを避けました。
車を停めて、恐る恐る近くに行ってみました。
30代くらいの男性が倒れている。頭から1メートルほど離れたところに、
メガネも転っている。
こちらが声をかけると、やや動きました。起き上がる気配もある。
上半身がムックリと反応しました。さらに声をかけてメガネを拾い、
彼が伸ばす手のひらにそれを収めました。
メガネをつけて壁に寄りかかりながらやっと立った彼は
横浜駅で酒を呑み、タクシーに乗って住まいのある相模原に
帰るところで、運転手さんに打ち捨てられたようでした。
しかもまずいことに、ケータイはそのまま車中にあるらしい。
私は自分の車の中にストックしていたペットボトルの水を渡し、
タクシー会社に電話しました。しかし、緊急事態宣言の影響で、
ほとんど稼働していないらしいのです。
「家まで送ってくれ!」という彼の願いを断固として固辞し、
しばらく話した後、私は彼に最寄りの交番の場所を教えて、
仕方なくその場を立ち去ることにしました。
正直、車にへばりついてきたら嫌だな、とも心配しましたが、
それはなく。走り出してバックミラーを覗くと、
彼はスタスタと交番に向かって進み始めていました。
水を飲みながら話したことで回復し、
再び独りになって本気を出せば、なんとかなるようでした。
その時、私の脳裏には、まだ21歳の頃の記憶が甦ったのです。
初めて『ジョン・シルバー』をつくっていた時、
仲間だった石井君と倒れている爺さんを救ったのです。
その話は、また明日。
2021年2月22日 Posted in
中野note
↑浅草花やしきでのお客さん誘導
今日は劇団集合でした。
と言っても直接集合はせず、Zoomを使ってそれぞれの自宅から
劇団活動の進捗を報告し合います。
面白かったのは、禿が報告した
「とくめぐみの俳優ワークショップ」についてでした。
現在、2/14の初回を終えて、2/28の第二回に備えているところなのです。
参加して下さっている方の大半が、私のWSのお客さんでもあるとのこと。
ですから、皆さん、Zoomでの集まりに参加し慣れているらしいのです。
一方、禿は新米のZoom講師。つまり、お客さんの方がずっと洗練されている。
それを聞いて去来したのは、浅草花やしきで公演していた頃のことでした。
2009年秋の『下谷万年町物語』から、2014年の『木馬の鼻』まで、
私たちは花やしきにお世話になりました。
あの時期、それまでの劇団活動の中で私たちは最も安定して活動していました。
花やしきさん、浅草や台東区の皆さんが温かく受け入れて下さっていたおかげでした。
その時期、公演前日に恒例となっていたのが、
管轄である日本堤消防署の署員さんたちによる消防検査と避難訓練でした。
私たちは、何度も消火器の使い方を学び、火災発生から消防車の要請、
観客・出演者の避難までの行程を訓練しました。
正直を言えば、もう分かっているよ、という気持ちもありましたが、
唐ゼミ☆公演に初参加のメンバーもいるし、何より私たちは演技者ですから、
火災発生の驚き、炎を前にした戸惑い、避難誘導の際の慌てふためきまで、
本意気で臨んでいました。
すると、数年経つうちに変化が訪れた。
いつの間にか、訓練の指揮をとるのが、常にその年の新人消防署員になったのです。
ベテラン署員はそれを見守り、新人署員が訓練中に指導を受けたりしている。
そうです。唐ゼミ☆の避難訓練は、新人消防署員が避難訓練の指導を行うための
訓練の場となったのです。
察した私たちは内心ニヤニヤするところもありましたが、
それを覆い隠すように、さらなる本意気で毎回に臨むようになっていました。
訓練終わりに、少し打ち解けて話す余裕も出てきました。
「テントたてるの、だんだん上手くなっているね」というベテラン署員さんの
褒め言葉。嬉しかったなあ。
2021年2月20日 Posted in
中野note
↑寡黙な役どころ。眼光の鋭さを買って、彼女を配役しました。
唐十郎ゼミナール時代から、
唐さんが自ら演技指導をするのは珍しいことでした。
基本的には、通し稽古を見て、みんなに感想を伝えて、
その後に、私にだけもっと詳しく感想を伝えて、
飲み会をして、酔っぱらったところで、
気に入ったところと気に入らないところ、
両方をさっきまでより激しく表明する。
これが唐ゼミのやり方でした。
ですから、唐さん自ら模範を示した事例は珍しく、
それだけにひとつひとつが印象に残っています。
もっとも初期に印象に残っているのは、
大学3年の時、『腰巻お仙 義理人情いろはにほへと篇』に取り組む
私たちに送った「堕胎児」役への演技指導でした。
軽やかな音楽に乗せて、
「2ヶ月」「3ヶ月」「4ヶ月」「5ヶ月」と「堕胎児」たちが
行進しながら入場してくる。
唐さんは両手を広げてカニさん歩きをしたら良いのでは、
と手ずから実演してくださいました。
かつて鳴らした金粉ショーダンサー時代を彷彿とさせる独特のリズム。
この時の唐さんは掛け値なしに面白く、私たちは爆笑しました。
が、問題なのは、誰にもこれが再現できないことです。
唐さんだと面白いのに、他の誰がやってもせいぜい三割の笑い。
何とかしたいと繰り返すと、ますます面白さから遠ざかる。
どうしたら良いか分からず、稽古場は迷子になってしまいました。
昨日、井出情児さんの話をしましたが、
かつて井出さんが「少年」役を演じた『続ジョン・シルバー』に
私たちが挑んだ時、この役に対する唐さんの思い入れには
格別のものがありました。
実に特殊な役なのです。芝居の進行中、少年はずっと寡黙を貫く。
本当に一言も喋らないのです。ところが、最後の最後になって、
たった二言だけ決定的なせりふを吐く。
まるで堪えてきたものが堰を切ったように。
少年 あのーー
ボーイ (マスクの顔を上げる)う?
少年の足からは血が床に滴たる。
少年 慰謝料をください。少なくていいのです。せめて、親子そろって
ヘルス・センターにゆくぐらいの慰謝料をくださいっ!
唐さんは、一言目の「あのーー」に最弱音を求めました。
その後、「慰謝料をください。」で一度ボリュームを上げ、
「少なくて〜は再び最弱音に。その後、徐々にクレッシェンドし、
最後には最大音量に至りつつ、キレの良いシャウトを求めました。
「慰謝料をくださいっ!」と言い切った後、
空間全体に残響が、余韻が残る。そういう言い方です。
当時、新人だった佐藤千尋が四苦八苦していましたが、
少しずつ唐さんの要求するレベルに近づくと、
これまで重ねてきた少年の忍従と、
家族でヘルス・センターに行くことを最大級の目標にしながら
自動車に飛び込み続けてきた悲哀、切望が溢れ、
皆がその指導に息を飲みました。
芝居の最後の最後、疲労が蔓延した稽古場に唐さんが最後の鞭をくれる。
稽古場のボルテージが一気に湧き上がる。そういう指導でした。
2021年2月19日 Posted in
中野note
↑一番右が若かりし日の井出情児さん
2/16(火)にNHK『アナザーストーリーズ』を観ました。
現在はYouTube全盛ですから、テレビの前に座って家族で放映を待つ。
そういう体験を久しぶりにしました。
私と椎野は背筋を伸ばして観る。2歳の娘は寝ている。
4歳半の息子は起きていて、彼には難しい内容に不満そうでウロウロ。
たびたび椎野にちょっかいを出していましたが、
「お母さんは大事なものを観ているから」と真剣に伝えると、
大人しくなりました。
初めて観る写真や映像もありましたし、
久しぶりにお目にかかる方々もいました。
とりわけ「あっ!」と思ったのは井出情児さん。
一度だけお目にかかってから、もう10年近く経っているのに気付きました。
室井先生のもとで働いていた頃、
大久保鷹さんにロングインタビューをする講座を行って、
せっかくだから冊子にしようということになりました。
写真集『唐組』を見れば貴重な写真がいくつもあるけれど、
これのオリジナルをどうしても掲載したい。
そこで、私たちにとっては"伝説の写真家"井出さんにご連絡をして
ご自宅を訪ねることになったのです。
井出さんの写真はどれも当時の様子を伝えて饒舌ですが、
とりわけ、バングラディッシュとパレスチナへの海外公演の模様は
その白眉だと思います。
私は、折に触れて古本屋のサイトを眺めては、
当時のルポルタージュが載ったアサヒグラフを買い求めてきました。
唐さんの書いた紀行文は単行本で読めるけれど、
やはり写真は、あの巨大な雑誌を手にして初めて、
その真価に触れることができます。
拳銃を構える姿。ロケットランチャーを担ぐ様子。
ずいぶん物騒な写真も数多くありますが、唐さんが行った
大冒険の気迫と、どこか、早く下町の焼き鳥屋に帰りたいという
様子までもが伝わってきて、眺めて飽きることがありません。
劇団員の中に写真家を擁した唐さんの慧眼、
その期待に応えて、数多くの記録を残した井出さん、
そのおかげで、私たちはその臨場感を追体験することができる。
『続ジョン・シルバー』では、
当たり屋一家の少年という重要な役どころを演じた井出さん。
その舞台姿にも、生で接したかったと思う先輩演劇人です。
2021年2月17日 Posted in
中野note
↑唐さんが用意してくださったのは、こんな感じの1リットルでした。
一昨晩に米澤が書いたように、私は酒が飲めません。
アルコールに対してもっとも私が努力していたのは、20 代前半でした。
ちょっと舐めてみたドイツワインは美味しい気がしました。
カルーアミルクも悪くなかった。
けれど、アルコールが少しでも入ると、
まずは顔が赤くなってむくみ、その後に蝋燭みたいな白さになる。
翌日のダメージも相当にひどい。
酒屋さんに行けばあれだけの銘柄がありますから、
興味津々なのですが、身体がついていきません。
横浜国大で働いていた20代後半、よくイベントに協賛でビールやワインを
提供して下さったアサヒビールの営業担当の方のお誘いで、
学生たちを足柄のビール工場に連れて行きました。
その時に行われたパッチテストで、アルコール分解酵素ゼロと出た。
科学的に下戸が確定した瞬間でした。
そうだ!
目下、唯一私がお酒を嗜むのは、安保さんのお店、新宿三丁目のナジャです。
カウンターに座ると、薄い薄いウィスキーの水割りを頂いて、
これは香りもよく、不思議と翌日も爽快です。
あれは、ウィスキーそのものも、水も良いのだと思います。
ナジャは特別です。
言うまでもなく唐さんはお酒が大好きで、
唐組の宴会だけでなく、唐さんが個人的に行く焼き鳥屋さんにも、
家飲みにも誘われお相伴に預かってきましたが、自分はほとんど
炭酸水のチューハイをチビチビやって2時間を過ごす感じ。
ある時、ご自宅にお呼ばれしたところ、唐さんが嬉しそうに
「中野にはこれを買っておいたよ」とグレープフルーツジュースを
差し出して下さったことに、ありがたさと申し訳なさでいっぱいになりました。
その後、私は運転手を買って出るようになりました。
二十歳過ぎの頃は車にまるで興味がなく、運転に苦手意識もありましたが、
その後は運転手の楽しさに目覚めました。
唐さんを頂点として、飲み会後の多くの人を家までお送りしてきましたが、
ああいうシチュエーションでする話が好きなのです。
向こうは酔っ払ってあまり憶えていないかも知れませんが、
自分の中には様々な話が降り積もっていて、それらをヒントに難題を凌ぐことすらある。
劇団員に対しては、大いに飲み会を開催できた方が良いかなと思いますが、
自分がザルだったら付き合わされる皆も大変だし、第一お金が大変だし、
悪くないかなと思います。
食事だったらいくらでも付き合うので、お腹が空いたら呼んで欲しいものです。
今日はこれから、『盲導犬』のワークショップ!
2021年2月14日 Posted in
中野note
ソウルにあるヨンソンの実家に無理やり電話した私のオーダーを受けた彼は、
「わかったよ」と言いました。それから彼は、私がメールで送った
日本語版の『盲導犬』データに目を通しながら来日し、
卒論そっちのけのカンヅメ生活による共同翻訳をしました。
私が唐さんのことばの意味を伝え、彼がそれをハングルに置き換える。
とりわけ印象深いのは「影破里夫」が「フーテン青年」に暴力的に迫り、
自らのフンドシをチラつかせるシーンです。
たまりかねたフーテンは、「そんなもの隠しとけ、酒屋のたぬき!」と罵る。
「そんなもの隠しとけ、酒屋のたぬき!」
これは難しい。「そんなもの隠しとけ、」はいけるのですが、
「酒屋のたぬき!」がどうしても難しい。
これをどう翻訳したら韓国人に伝わるのか二人で考え抜きました。
まず、ヨンソンは居酒屋の前にある瓢箪を持ったたぬきを知らなかったので、
当時、私がアルバイトをしていた浅草で見かけたそれを写真に収めました。
「なぜ、日本の居酒屋の前にはこんなものが飾ってあるのか?」
とヨンソンは質問してきましたが、私には
「わからないけど、とにかくずっとあるんだよ!」
としか言いようがない。とにかく二人で思案しました。
結果、たどり着いた結論は、日本語に訳すと、
「そんなもの隠しとけ、このおすもうさんが!」
と、なりました。
「韓国人にフンドシを伝えるなら、これしかないよ・・・」
というヨンソンの判断には、実に正確なものがありました。
ちなみに彼は、相撲が大好きでもあった。
こんな作業を重ねながら、ハングル版の『盲導犬(メンドギョン)』は完成。
私は対訳台本にを用意し、ハングルにはカタカナを振って稽古に臨みました。
韓国語を解さない私には、ヨンソン訳の威力を見極める力はありません。
が、当のヨンソン自体は、自らの仕事にものすごい達成感を覚えたらしく、
最後まで、細部の練り直しを行いつつ、大切に台本を抱えていました。
後日、私が彼の卒業論文や卒論発表をサポートしたのは言うまでもありません。
朴淵成によって、私の韓国人観は現在も前向きなものであり続けています。
2021年2月13日 Posted in
中野note
一番右がヨンソン。現在は40歳のはず。
今日は朴淵成の誕生日。
読み方は、パクヨンソン。
別に有名な人ではなくて、
自分に初めて出来た韓国人の友人です。
ヨンソンとは、2006年に全州大学演劇科のメンバーを
招聘した時に知り合いました。横浜国大に在学していた留学生で、
日本のオタク文化に異様に精通した彼は日本語が堪能で、
優秀なヤツでした。
同じ1981年生まれ。誕生日は1日違い。
自分より1日先輩の彼との共同作業の密度が頂点に達したのは、
先日にご紹介した韓国語版『盲導犬(メンドギョン)』の翻訳作業でした。
全州大学の学生たちと韓国語で唐さんの劇を上演できないかという
企画が持ち上がったのです。
その時、真っ先に思いついたのは『泥人魚』でした。
すでに韓国語版がある唯一の唐作品だったのです。
しかし、これは唐さんのお許しを得られませんでした。
当時の唐さんにとって『泥人魚』は唐組作品の中でも特別な評価を得た
金字塔でしたから、例え学生たちが大学内で発表する公演とはいえ、
他の上演を許すことができなかったのです。
ならば、ということで、私は短期間のうちに『盲導犬』を翻訳しようと考えた。
時間もないし、かなり力技ではありますが、やるしかないと思い定めました。
創作は2008年1月末に始まる予定だったのですが、
この状況に追い込まれたのが2007年12月。
その頃、ヨンソンは全ての卒業単位をすでに取得していたために
ソウルの実家に長期帰省していて、あとは年明けの卒論提出に合わせて
年末に来日することになっていました。
その彼に、この事実を早く伝えなければならない。来日を待っていては、
到底間に合わないと思いました。
そこで、私はヨンソンの実家に電話。
当然、ハングルしか話せないお母さんが電話口に出ましたが、
チョヌン・ナカノアツシ・イムニダ!
ヨンソンズ・イルボネ・フレンド!
の二言を再三に渡って連呼し、つないでもらいました。
・・・・あ、これは長くなりそう。明日に続きます。
ここ10年以上ずっと会っていないヨンソン。
お誕生日おめでとう!!!
2021年2月12日 Posted in
中野note
↑『由比正雪』こそ珍しい時代劇。一応、唐さんの時代劇です。
ワークショップで取り上げている『盲導犬』ですが、
この台本の誕生には、蜷川さんの窮状がきっかけとなったようです。
1969年に創立した「現代人劇場」は、
『真情あふるる軽薄さ』を皮切りに清水邦夫作品を上演していきます。
が、1972年に行き詰まりを迎える。
当時の蜷川さんたちは政治運動と連動した演劇活動を
繰り広げていましたから、「あさま山荘事件」の衝撃は大きかったはずです。
誠実な闘争の結果が凄惨な事件を生んだわけですから、
他人事ではなかったと推測できます。
そんな時、唐さんはヒット作の『二都物語』を上演していた。
上野不忍池を背景に行われた冒頭場面は、伝説のワンシーンです。
机を背負った大久保(鷹)さんが池を泳ぎ、舞台上に駆け上がって
職業安定所をひらく。
その様子を観られる映像がYouTubeに上がっていたのに、あれは
どこにいったんだろう?
ともかく、ご自身の劇団運営にうちひしがれて
『二都物語』に接した蜷川さんは、大いに打ちのめされ、
公演後に、唐さんに演出助手にして欲しいと申し出たんだそうです。
それがどこまで本気だったかは当人同士にしかわかりませんが、
それを受けた唐さんは、蜷川さんに芝居を書くことを約束。
結果、『盲導犬』がこの世に生まれることに。
しかもその際、唐さんが執筆を約束した際に言ったのは、
「現代劇がいい? 時代劇がいい?」という問いだったそうです。
こう訊かれた蜷川さんは、さすが作家はカッコイイこと言うなあ
と思ったそうですが、私には、唐さんは唐さんで、ずいぶんと
強く出たものだと思います。ハッタリというか、何というか(笑)
と言うのも、唐さんがそれまでに書いた時代劇は『由比正雪』ただ一本。
しかも、読んでみると、果たしてこれを時代劇と言って良いものか、
という現代劇っぷり。一応、講談の『慶安太平記』でも
お馴染みの丸橋忠弥なんかが出てきて活躍しますが、
確かに着物を来てはいるものの、不思議な出来栄えの芝居です。
(興味があれば、大島渚監督『新宿泥棒日記』を観よ!)
蜷川さんが「時代劇!」と応じた場合はどんな劇になったのか、
大いに気になります。
ちなみに、唐さんはこの他に、後年、ただ一本だけ時代劇を書いています。
実に不思議な時代劇。それはまた別の機会に話しましょう。
2021年2月10日 Posted in
中野note
マイクスタンドの接続部品。失くすと、必要な時に大ダメージを受けます。
今日は唐ゼミ☆ワークショップでした。
『盲導犬』を読む、の第2回。
影破里夫(えい はりお)が『♪ファキイルの唄』を歌い、
ヒロインの奥尻銀杏(おくしり いちょう)が登場する、
序盤の重要どころです、詳細は明日、佐々木によるレポートで!
明日は、昨日に椎野が書いたように、唐さんと私の娘の誕生日です。
年齢差79歳。
やっと2歳になる娘はイヤイヤ期で、
何もかもに反抗的です。風呂から出て服を着るまでに1時間はかかる。
女性なので全裸の写真は控えますが、その姿で、
私の機材ケーブル類が入っている袋に襲いかかってきます。
最近の彼女のお気に入りは、上の写真にあげたスタンドマイクの部品で、
私が決して失くさないようにここに入れているにも関わらず、
わざわざジッパーを空けて奪い去ったりします。
どこかで見たことある景色だと思ったら、これでした。
そう。『ロード・オブ・ザ・リング』で執拗に魔の指輪を狙う
怪物・スメアゴル。
『ロード〜』は唐さんも好きで、
封切り時にお互いが映画館で観て、その感想を話し合ったりしました。
唐さんは特に第二弾『二つの塔』がお気に入りで、
そのエピソードを援用して、2006年秋、
私たちのために改訂してくださった『ユニコン物語 溶ける角篇』に
映画の登場人物「グリマ」が現れるシーンを書き加えてくださいました。
(かなり強引ではありましたが)
子どもが生まれるということは、
ひょっとして自分が演劇や創作活動から遠ざかってしまうのではないか
という不安にかられる一大事ですが、娘の場合は、生まれた日付だけで、
もっと芝居をしようという天啓を感じました。
そうです。もっと、芝居をやりましょう!
2021年2月 8日 Posted in
中野note
唐さんは本歌取りの名人。
他人のアイディアを見事に自家薬籠中のものとし、
唐十郎流に生まれ変わらせます。
目下、ワークショップで取り組んでいる『盲導犬』も、
それまでに唐さんが見聞きしたものをうまく取り込んでいます。
これは前回のワークショップで話したのですが、
例えば、コインロッカーという舞台装置。
初演が行われたアートシアター新宿文化はそもそも映画館ですから、
奥行きが4メートルという超手狭なステージです。
そこに、転換なしのセットとして、新宿駅のコインロッカーが構想された。
これは、明らかに1969年に初演された『真情あふるる軽薄さ』の
ラストシーンに想を得たものです。
階段だけのセットで繰り広げられる同演目の終幕、
集団意識に染まらない反骨の若者を打ち据えるために、
場内には機動隊員が乱入します。(もちろん、役者が演じた偽者)
すると、「振り落とし」といって舞台背景の大幕が落ち、
ジェラルミンの盾がズラッと並んだ壁面が現れます。
細部を見るまでもなく、それはどこか手仕事の雰囲気の残る
荒っぽい表面なのですが、それがきっと、
かえって迫力に結びついたことでしょう。
一面に、シルバーの長方形が連なった壁面が
ギラリと光る光景が繰り広げられます。
そしてこの景色が、4年後の『盲導犬』に結実します。
そういえば、1979年初演の『近松心中物語』の池や遊郭をヒントに、
唐さんは『下谷万年町物語』の瓢箪池と長屋の連なりを描きます。
蜷川さんから受け取ったものを増幅して蜷川さんにお返しする。
これぞ演出家に対するあて書き。実に美しい関係です。
2021年2月 6日 Posted in
中野note
↑韓国 全州大学でのホールにて。
昨日のゼミログで紹介したぬいぐるみ犬「リン・チン・チン」ですが、
あいつにはだいぶ活躍してもらいました。
2004年の唐ゼミ☆初演時には、一通り公演を終えた後、
初夏の砂っぽいテント公演で汚れた体を、
風呂に入れて洗ってやりました。
その後、新国立劇場もこのぬいぐるみ犬で乗り切り、
しばらく唐十郎研究室の隅にずっといました。
そして、海を渡ることに。
今回の『盲導犬』ワークショップで思い出したのですが、
自分が一番最後に『盲導犬』を上演したのは、2008年2月のことでした。
縁あって、韓国の全州大学のメンバーと、オリジナルで翻訳した
韓国語版『盲導犬』を上演することになったのです。
『メンドギョン』。カタカナで書くとこう発音します。
当時、劇団員だった安達俊信と土岐泰章、
椎野と禿の5人で現地に2週間ほど滞在したと記憶しています。
土岐などは語学に対する感覚が優れていて、
ハングルのせりふを覚えて犬屋の役でステージに上がり、
全州大学の優れた学生たちと共演しました。
彼らは実によく訓練された俳優たちで、
特に男性には20歳すぎに徴兵があるために年齢差や体格にバラエティが
あり、演出しごたえがありました。
そして、土岐は地元の新聞にも載ったのです。
公演を終えたあと、「リン・チン・チン」を
彼らにプレゼントすることになりました。
これはなかなか、数奇な運命と云えます。
2021年2月 6日 Posted in
中野note
↑私たちの場合はぬいぐるみ。唐さんは「リン・チン・チン」と呼んで
面白がっていました。
ワークショップが始まったおかげで頭の中が『盲導犬』になっています。
自然と唐さんとした様々な話も思い出します。
唐さんによれば、『盲導犬』初演時、
蜷川演出によるアートシアター新宿文化公演では、
冒頭からほんものの犬が登場したそうです。
シェパードを5匹。
そういった施設から借りて、毎日返していたと。
その効果は絶大で、劇の冒頭から300席キャパの劇場の通路をつたって
犬が歩いてくると、プンとした匂いや毛並みもたなびいて、
異様な迫力を帯びたと云います。
同じく現場をやっている身としては、
その犬たちを借り受けるためにどれだけのコストを払ったろうと想像します。
お金もさることながら、手間として。
終演23時を過ぎるような状態で、果たしてどこの施設が貸し出しを
許可してくれたのか。そんなことが気に掛かる。
手間隙と芸術性が紙一重というのが、現場をやるものの実感です。
ところで、この劇にはもう1匹のイヌが登場します。
劇の中盤、フーテンが犬屋からかっぱらってくる小型犬です。
唐さんによれば、この子犬はたいへんに印書深かったそうです。
(この芝居には、客席から立ち上がった作者がト書きを読むというくだりが
あり、そのために唐さんは足繁く公演に通っていたそうなのです)
そこで目撃したのは、登場前、舞台袖で緊張して嘔吐を繰り返す子犬。
これからステージに出るという緊張に小さなからだが耐えられず、
か細い声を上げながら、キャンキャンと吐き続けていたそうなのです。
あれは可哀想だった、とおっしゃっていました。
そこで、私たちの公演では、冒頭の写真に挙げたぬいぐるみを使用。
それにしても、冒頭の立派なシェパードより、
なぜだかその小型犬の姿の方をよく覚えているところに、
取り残されたもの、マイナーなものを好む唐さんらしさが
あると思っています。
2021年2月 2日 Posted in
中野note
↑2004年初夏 唐十郎ゼミナール公演 開演前!@駒場小空間
毎週水曜日の夜に行っている唐ゼミ☆ワークショップ。
年末〜1月までの2ヶ月間は、唐さんの劇作にとって『盲導犬』の
第二弾といえる『唐版 滝の白糸』に取り組んできましたが、
明日から先祖返りして『盲導犬』の世界に入ります。
『盲導犬』は、やはり蜷川(幸雄)さんや
アートシアター新宿文化という空間を強烈に意識した作品であり、
今は論客として知られる田原総一朗さんが監督した映画
『あらかじめ失われた恋人たちよ』に多くのヒントを得ています。
そういった背景の導入から入って、
「女性」や「犬」がという存在、不思議さについて
考え、感じていくワークショップにしたい。
これを書きながら思い出しましたが、
唐さんが教授だった2002年の春にゼミナールの課題として
私がこの『盲導犬』を希望したのは、
その一年前、2003年に『少女都市からの呼び声』を
新宿三丁目のパンプルムスという小劇場で上演したことと
関係がありました。
開演前に唐さんと喫茶店でアイスコーヒーを飲みながら、
約30年前、この街で同じように、
唐さんや蜷川さんや石橋蓮司さんが映画館の了りを待って
アートシアターに乗り込み、初演した『盲導犬』。
その世界はどんなだっただろう。そう思ったのです。
『盲導犬』と向き合うのは自分も15年振りなので、
新たに研究し直しながら、皆さんと一緒に出会っていきたいと思います。
2021年2月 1日 Posted in
中野note
↑学生時代に一度は手にとるこの本の話題
今日は朝から若葉町ウォーフでの配信に参加し、
その後、劇団集合でした。
皆で『ベンガルの虎』を読んでいます。
『ベンガルの虎』といえば、
流山児事務所の公演が近々に予定されていましたが、
緊急事態宣言の影響で中止になってしまいました。
大久保(鷹)さんも出るはずだったのに。
延期公演をぜひやって欲しい。そう思います。
ところで、今日の夕方に親しい先輩演劇人から
電話があって、自然と小説の話をしました。
彼女は、芥川賞の最新作なども読んでいるらしい。
そして流れで、カミュの『異邦人』の話題に。
きょう、ママンが死んだ。で始まるアレです。
唐さんの大学時代、
サルトルとカミュの対決に痺れていた同級生たちは
何かにつけて自らの行動の理由を問われると「太陽のせい」
と答えたそうです。
私と出会った頃の唐さんはそれを、
青春独特のアホなロマンチズム、とおっしゃっていました。
これは決してバカにした言葉ではなくて
自分もそうだった、という好意や懐かしさが感じられました。
ところで、2000年を過ぎたある時、
唐さんと話していたら、やはり『異邦人』の話になりました。
唐さんは、最近になって久々に読み直したところ、
ついに主人公が犯した殺人の動機を発見したというのです。
「あれ? 太陽が眩しかったからではないのですか?」
と訊くと、唐さんはそうではないという。
小説の冒頭で、
主人公・ムルソーが住むアパートの住人の描写がある。
可愛がっていた犬が死んで、
老いた飼い主の男が一晩中泣き続けた、という。
あの泣き声をずっと聞かされ続けたのが殺人の動機である、
と唐さんはおっしゃっていました。
・・・何か、判るような気がします。
不条理じゃないね。そうもおっしゃっていました。
2021年1月31日 Posted in
中野note
↑2006年春の青テント。購入から2年です。
今日、友人が横浜を訪ねてきてくれて話をしました。
その中で、かつて唐さんと私がしたやり取りを彼が覚えてくれていて、
久々に思い出しました。
唐十郎ゼミナール時代、
大学の原っぱに状況劇場が使っていた紅テントをたてていた私たちは
2004年2月に自前のテントを手に入れました。
これは、ひとえに室井先生のご尽力の賜物で、まさに僥倖でした。
ちなみに、その時に新米で設計してくれた方は今も同じ会社にいて、
時々、申請手続きの相談に乗ってくださることも含め、ちょっと奇跡的。
その方は"いまだに使っているんだ!?"と嬉しそうにして下さる。
で、この数ヶ月前、
私は唐さんに、色は何色がよろしいでしょうか?と伺った。
すると、唐さんは即座に「青・・・、青春の青!」とおっしゃった。
正直に言って、当時の私は温かで明るい色、オレンジ色がいいなあ、
などと思っていましたから、これは意外でした。
それを視てとったのか、唐さんは「青は照明が映える」と決断を下された。
そのようなわけで、いつでも唐ゼミ☆は「青春の青」です。
初めて大学を飛び出して街中の公演にテントをたてた時、
まるでホームレスの親玉みたいだと我ながら思いましたが、
それも、まさに青春の誤解にして輝きです。
もう15年以上、愛着を持って使っています。
今も"青春"の青テント!
2021年1月29日 Posted in
中野note
↑唐ゼミ☆公演より主人公の3人
友人である演劇カンパニー「平泳ぎ本店」の松本一歩さんが
声をかけてくださり、彼が制作を行っている台本読解ワークショップの
ゲスト講師を務めることになりました。
題して「唐戯曲を読む!」
ナビゲーター:日比野啓(成蹊大学教授、演劇研究者)
川口典成(ドナルカ・パッカーン主宰、演出家)
せっかく誘ってくださった期待に応えて全力でやります。
私に出されたお題は『蛇姫様-わが心の奈蛇』。
過去に唐ゼミ☆でも上演して手応えのあった台本です。
ヒロイン「あけび」が営むのはスリ家業。
同じスリ仲間の青年「山手線」と弟分「タチション」に
「姫!姫!」ともてはやされ、調子に乗って「わらわは蛇姫様じゃ」と言う。
出自に因縁のある「あけび」の腕には大きなアザがあり、
それを「カッコ良い蛇のウロコ」と言い張るのですが、
これがなんとも健気で、可愛らしい。
大好きな戯曲をあててもらい大いにやる気ですが、
一方で問題なのは、あの大長編をどうやって2時間にまとめるか。
私の目標として、ワークショップをやるからには台本の世界を
生ききったような余韻が欲しい。
皆さんの頭の中に理想的な"脳内公演"が現れるようにしたい。
(唐ゼミ☆の稽古やワークショップはいつもそこを目指します)
一本観た!そんな充実感を覚えて頂くようにしますので、
興味のある方はぜひいらしてください。
ちなみに、私の回の他にもゲスト回があって、
先日は元唐組の赤松由美さんが登場し、
今後はタニノクロウさんも講師を務められるそうです。
私自身も気になる!
2021年1月26日 Posted in
中野note
↑新人劇団員募集史上、もっとも優れていたのはこの人。
『下谷万年町物語』で熱演する水野香苗。
本日は昼間にめいっぱい働いて、
夕方には急いでハンディラボに駆けつけました。
年明けから始めた劇団員募集に応募してくれた青年を迎えるためです。
劇団に限らず、集団には代謝が必要です。
好むと好まざると去っていく人はいるし、
長く一緒にいると人間関係は停滞してくる。
ルーキーの存在は、彼自身にとっての挑戦であると同時に、
すでにいる既存のメンバーをも活性化させて集団を勇気づけます。
唐さんが好きで仕方ないとか、テントをやってみたいとか、
役者から裏方まで興味があるとか、これはもう同志に違いありませんから、
もし入団したら惜しみなく色々なことを伝えたいと思います。
ウェルカム!
ゼミナールから始まった唐ゼミ☆も20年ですから、
さまざまな人たちが通り過ぎていきました。
中でも、知り合いの紹介で、といった理由でなく、
今回のようにまともに新人募集の門戸をくぐってきた中で
特に印象深かったのは、今では土岐泰章のお嫁さんとなった
水野香苗でした。
彼女は確か、2006年の夏にやってきて、
当日に即興で開いた歓迎会ですぐさま泥酔してゴロゴロし始め、
その脚に私は蹴飛ばされました。
これが実に幸先の良いスタートで、
親しみやすく働き者の性格と圧倒的な体力を武器にいくつかの演目で
脇役を面白く務めたあと、大作『下谷万年町物語』では満を持して
「子どもの文ちゃん」を演じました。
稽古のさなか、並いるメンバーがインフルエンザに倒れるなかで、
日々、池に飛び込みながらもついにウィルスを寄せ付けなかった彼女は、
全身の躍動感、健気な少年性と的確なせりふ術により、
考え得る限り最高の「文ちゃん」でした。
あの夏に水野が果たした鮮烈な劇団デビューは、
すでに後の大器を予感させていて、思い出すたびに清々しい気持ちになります。
劇団唐ゼミ☆、興味のある方はご一報ください!
2021年1月25日 Posted in
中野note
『少女都市からの呼び声』を観て、
雪子を演じた美仁音は良い女優さんになったと思いました。
福本雄樹君という優れた相手役にも恵まれて、心からそう思いました。
私が唐さんに出会って22年経ちますから、
彼女とは小学校中学年くらいの頃からの知り合いです。
小さい頃からバレエで鍛えたために身体がしなやかで強く、
気さくでユーモラスな人です。
父親である唐さんの作品に対しては真面目すぎるほど真面目、
それでいて、真剣に演じるべきところと、くだけてコミカルに
演じるところの切り分けは、デビューした頃から見事でした。
シリアスと笑いとは一色に染まることなく
すぐ隣にあって、それが交互に入れ替わることで、
時に笑いが哀しみを帯び、深刻さが喜劇を呼ぶという奥義を
あらかじめ体得しているかのよう。この辺はやはり血のなせる技で、
自分などはそういう感覚を得るために10年はかかったと思います。
話は変わりますが、
唐組が1993年代に初演した『桃太郎の母』という芝居があります。
留学した台湾で事件に巻き込まれ、亡くなってしまった女学生が
お母さんに残したダイングメッセージを、探偵・灰田(はいだ)が
解き明かす物語です。
私がこの芝居を初めて観たのは、2011年の冬。
久保井研さん演出により横浜国大の学生たちが演じた公演でした。
その時、劇の内容に感激すると同時に、私にはピンとくるものがありました。
すぐに気になって美仁音に訊いたところ、彼女は1991年生まれだそうでした。
きっと唐さんは、
まだ乳飲み子の彼女をお世話しながら『桃太郎の母』を書いたはずです。
『腰巻お仙』シリーズに代表されるように、少年が母を求める物語を
書いてきた唐さんが、初めて、女の子がお母さんを想う作品を
描いたのだと確信しました。
「娘が生まれて卑猥語が書きにくくなった」
なんて言っていた唐さんですが、『桃太郎〜』には、
女の子の父となった感慨が溢れているように感じます。
インスピレーションの源に違いない美仁音に、
いつか『桃太郎の母』のヒロインを演じてもらいたいと期待します。
2021年1月24日 Posted in
中野note
↑唐ゼミ☆では"新人劇団員"という扱い。そのうち戦力になります。
今日、移動の合い間にYouTubeでワイドショーを見ていたら、
歌舞伎俳優の不倫報道について、「そんなものは芸の肥やし」という
発言がありました。いわゆる「飲む」「打つ」「買う」というのも
伝統的な俳優修行の一貫であるそうです。
今日めでたく千秋楽を迎えた唐組の『少女都市からの呼び声』。
あの演目には、序盤に主人公の田口とヒロインの雪子が
「健康保険」をことをやたらと気にして会話する場面があります。
『少女都市からの呼び声』は、
もともと状況劇場が1969年に初演した『少女都市』を
唐さんが80年代に劇団の新人公演用に改作したもので、
当の『少女都市』にも、この「健康保険」に関するやりとりは
バッチリ出てきます。
これは私の想像ですが、
唐さんがそんな風に生活感のあることをせりふに書き込めたのは、
ご自身が父親になったからに違いないと睨んでいます。
大鶴義丹さんが生まれたのは、1968年4月24日だそうですから、
色々と気になる状況だっただろうと推察します。
幼い義丹さんと一緒にご覧になったであろう
『愛の戦士レインボーマン(1972-73年放送)』など、
主題歌やストーリーが、90年代に書かれた秀作
『動物園が消える日』に結実したりもしています。
「飲む」「打つ」「買う」だけでなく
「子育て」もまた芸の肥やしになるということです。
唐さんを端から見ていると、
取り立てて派手な事柄出なくとも、生活のすべてを芸の肥やしに
している感じがします。それでいて全く貧乏くさくないところが、
見習うべきハイセンスです。
今日は少し、雨の中を子どもたちと出かける時間がありました。
生活と創作は渾然一体となって、自分の前に開かれています。
2021年1月23日 Posted in
中野note
↑これまでで、最も寒かった印象のあるこの場面
今夜は雪が降るかもしれないとのことです。
唐組『少女都市からの呼び声』の余韻に浸りながら、
私たちが唯一、雪の中でテント公演した日のことを思い出しました。
あれは2005年3月4日の大阪。
場所は近畿大学の校内に青テントをたてて、
私たちも『少女都市からの呼び声』を上演したのです。
ちょうどあの時期、2004年度末を以って
横浜国立大学を定年退官された唐さんは、
翌年度から近畿大学特任教授に就任される端境期にありました。
そこで、近畿大学の西堂行人先生や松本修先生は学生さん達を率いて
「近畿大学芸術フェスティバル 唐十郎-日本のシェイクスピア-」を
開催されたのです。
演目的には、『唐版 風の又三郎』『愛の乞食』『少女仮面』、
私たちの『少女都市からの呼び声』が連続するという濃密なものでした。
(確か、さらに近畿大学OBの皆さんによる『腰巻お仙 振袖火事の巻』が
上演されるとチラシにクレジットされていましたが、これは、取りやめに
なってしまったはずです。実現したら、すごく面白いことになったはず!)
当時の私たちは、1月の末に唐さんの最終講義を終えて、
翌年の秋に新国立劇場での『盲導犬』と『黒いチューリップ』の日替わり公演に
備えながら過ごしていました。
そこで、唐さんが教授時代の最後に、2003年に公演して
あまり上手くいかなかった『少女都市からの呼び声』を再演することにしたのです。
公演前日=3月3日は「ひな祭り」なので「少女」の話をやろう。
そんな話をした記憶もあります。
横浜国大で行った最後の通し稽古の時、唐さんからは
「キャンパス演劇の王者として他に負けぬように」とエールも受けました。
結果的には、明らかに傑作であるはずのあの劇に対して
自分自身が演出することへの苦手意識が抜け切れない公演では
ありましたが、寒々とした気候から客席をストーブで囲み、
エンディングに雪が降ったことは、私たちを興奮させました。
終盤、オムツ姿のフランケ醜態博士に扮した名優・杉山雄樹が
舞台袖にスタンバイしながらガタガタ震えていたことをよく憶えています。
2021年1月23日 Posted in
中野note
↑何か写真をちょうだいと重村にリクエストしたら、これを送ってくれました。
ヒロインを見事に演じた美仁音とのツーショット。
昨日、『少女都市からの呼び声』を観てきました。
テントでなく、劇場で唐組の設えた舞台装置を観ていると、
それがなんとも可愛らしく、物語の内容と相まって
いかにも "おとぎ話" という感じがしました。
今回の上演、これぞ「決定版!」と言いたくなる仕上がりでした。
この世に生まれてくることが叶わなかった少女を描いた物語が求める
繊細さ、慎ましさが行き届いていて、それゆえに寂しい。
寂しすぎる観劇後の感覚が頭にこびりついて、今も離れません。
まだ大学生だった頃、
唐さんはこの物語のヒロイン「雪子」について語る際、
テネシー・ウィリアムズの代表作『ガラスの動物園』に登場する少女
「ローラ」のことを話してくれました。
片足が不自由であるために、外を出歩くのを好まないローラ。
引っ込み思案で、自室にガラス製の動物を集めて動物園をつくりながら、
その中にあるユニコーンに愛着を寄せるローラ。
もしも唐さんご自身が『ガラスの動物園』を演出するとしたら、
ローラに不自由な片足を補助するための金具をつけて、
それが少し錆びいているために、舞台に現われる時には
小さな摩擦音をキシキシとたてるような芝居にしたい、
そうおっしゃっていました。
そして、『少女都市からの呼び声』の主人公は、
そういう少女であって欲しい、とも。
今回の雪子は、まさにそういう雪子でした。
テントとなればもっと荒事に寄ったでしょうが、
街場の雑居ビルの一室で、ひっそりと愛でるように観る上演こそ、
儚いこの劇に相応しいように思います。
帰り途の寒さまでもが劇の世界の続きのようで、
なんだかありがたく感じられました。
重村も頂いた役が持つ戦後の記憶をよく体現して、頑張っています。
2021年1月21日 Posted in
中野note
↑唐ゼミ☆では、2003年と2005年に上演した作品です。かなり初期。
今晩は唐ゼミ☆ワークショップでした。
12月から進めてきた『唐版 滝の白糸』も終盤に差し掛かり、
ついに小人プロレスラーたちが登場。
その模様は、明日に佐々木あかりがレポートします。
今日は同時に、重村大介が出演している
唐組『少女都市からの呼び声』の初日が行われました。
思えば、1999年4月に大学に入学して初めて受けた唐さんの講義の題材は
この『少女都市からの呼び声』でした。
当時は、新宿梁山泊が同じ演目のニューヨーク公演を達成した後で、
唐さんはそれを大いによろこんで200人からの大教室に集まる学生たちに
台本を配り、その映像を見せながら戯曲分析を行いました。
まだ18歳だった自分は「フランケ醜態博士」という役名を
目にしただけで面食らい、彼をどう捉えて良いのか全く掴めませんでしたが、
あれから20年経った現在ともなれば、この異形の役名を持つ
キャラクターの心情をこそ、むしろよくわかるようになりました。
満州を行軍する日本軍の下級兵士たる彼。
持病の喘息ゆえに、雪中行軍についてゆくことができず、
それ故に命拾いした彼。そして復員した彼が「醜態」であるという意味。
彼はなぜ、「雪子」というヒロインを、
主人公・田口の双子でありながら、この世に生まれてこられなかった
少女をこそ求めるのか。そういった心情が胸に迫るようになりました。
若い頃は、いわゆる「悪役」「敵役」だと思っていた役柄の側に、
理があると思うようになったのです。
唐組の皆さんがどのようにそれぞれの役と物語を造形されているのかを
愉しみに、私は明日の公演を目撃しに出かけます!
2021年1月19日 Posted in
中野note
テアトロの表紙に唐ゼミ☆の青テントを掲載して頂きました。
去年の11月、新宿中央公園での公演時に、写真家の宮内勝さんが
撮って下さった写真です。
このコロナ禍で新宿で公演するために、
数多くの方々に応援とご協力を頂きました。
お一人お一人に配って歩きたいような気持ちです。
そしてまた、儚くも消えてしまうテント空間の中で、
記憶に残る激烈な公演を展開したいと強く望みます。
思い返せば、今現在に押し寄せている第三波は、
私たちが新宿でヒコーキを飛ばしていたあの週末から始まりました。
11/20(金)。公演の合い間に都庁を見上げて、
あの中で小池都知事が会見しているんだなと思った記憶があります。
場合によっては、土日に公演をストップしなければならない危惧すら
ありましたが、私たちは無事に芝居をやり切ることができました。
11月の寒さと、お客さんの帰宅時間が遅くなり過ぎることを怖れて、
テント公演としては異例の昼間の公演にして、
照明も担当している齋藤は四苦八苦していましたが、
第三幕からは陽も落ち、理想のエンディングを実現できました。
このテアトロの写真がいつものテント公演と違うのは、
そのように昼間に本番を迎えたためですが、
それも、この時期ならではの記録だという感慨があります。
次にテントを立てる日がいつになるのか、
先が見えない様相ですが、虎視淡々と狙っていきたい。
夜でも、昼でも、その時々の状況とともにテント公演はあります。
2021年1月18日 Posted in
中野note
↑いつか行きたかった武者小路実篤記念館は休館でした。残念!
本日は、非常勤講師として通った桐朋学園の講座の最終日でした。
週に一度、第三京浜から環状8号を進み、
千歳温水プールを左折して仙川に向かう生活も、これで一区切り。
アリストテレスの『詩学』から、
ワーグナーやリヒャルト・シュトラウスのオペラ、
宮崎駿のアニメも題材にテキストを読む手ほどきをしましたが、
唐さんの作品からは、『少女仮面』『唐版 風の又三郎』を経て、
『ジョン・シルバー』を読み込んでいきました。
こう並べたところで、
最終的に『ジョン・シルバー』がしっくりくる感じでした。
24歳の唐さんが書いた台本は、自分がいまだ何者でもない焦りや
将来への野心、自分と対話する時間だけが膨大にある若者の孤独と不安に
充ちていて、時代を超えて共感を呼ぶものだと実感しました。
彼らに、今は大家として名を馳せる唐さんにも
そんな時代があったことを知って欲しかった。
作家が隔絶した存在でなく、身近な隣人になる体験を味わって欲しかった。
そうすると、時にせりふに慰められ、物語に鼓舞される瞬間が訪れ、
これからの生き甲斐につながると思いました。
彼らは演劇科の学生ですから、
いつも多くの台本や演出家の先生に揉まれています。
まるで人付き合いをするように、これから関わる作家や作品に
向き合うようになってくれたら、この上なく嬉しい。
最後に皆に感謝を伝えた後、何か質問はないかと訊いたら、
これから演出にも挑戦したいという熱心な生徒が、
「不条理演劇をどう捉えれば良いのか?」という質問を寄せてくれました。
私が答えたのは、「不条理演劇」というレッテルを貼って
思考停止してはいけない、ということです。
極限すると、根本的に「不条理演劇」などというものは無い(笑)
ベケットだって、別役さんだって、もちろん唐さんだって、
私にとっては共感の対象ですから。
「なんてじめじめした陽気だろう」と老人二人が連呼し続ける場面だって、
かつて大久保鷹さんが私に教えてくださったように、
高温多湿の日本への讃歌に違いない。
(今週、唐組が上演する『少女都市からの呼び声』にも出てきます!)
そういうセンスで、これから向き合う難解そうなテキストにも
果敢に挑んでいって欲しい。
それにしても、
一人一人の顔を思い浮かべながら成績をつけるのは大変で、
たくさんのレポートを稽古場に並べて苦慮していた唐さんの気持ちが
よくわかりました。
2021年1月16日 Posted in
中野WS『唐版 滝の白糸』 Posted in
中野note
↑佐々木あかりの劇団員デビュー。『唐版 風の又三郎』三幕冒頭の看護婦
いやあ、参りました。
一昨日のワークショップでのことです。
昨日、このゼミログで劇団員の佐々木あかりが書いた通り、
私は彼女をワークショップに参加させました。
一昨日はたまたま男性ばかりの参加。
女性参加者も一人はいらっしゃったんですが、
その方は少し遅刻して入られた。
そこで、佐々木に入るように言いました。
目下取り組んでいる『唐版 滝の白糸』という演目の中で
紅一点のヒロイン・お甲(こう)が登場して2度目に当たる回でしたが、
このお甲を男性がやったのでは感じが出ない。
そこで、佐々木に振ったわけです。
佐々木は、21歳の若者です。
劇団に入ってちょうど一年が経ったところ。
2019年、彼女がまだ桐朋学園の演劇科に在籍していた頃、
唐ゼミ☆の募集に応じて『ジョン・シルバー三部作一挙上演』に
出てくれた。それが面白かったらしく、学校を卒業して
劇団員になりました。
ですから、前回の『唐版 風の又三郎』が団員として過ごした
初めての公演だったわけです。
で、彼女がせりふを読み始めると、内心、私は焦りました。
何箇所か、漢字の読み方におぼつかないところがある。
あと、現代っ子の故からか、それともいきなり振られて緊張しているからか、
イントネーションがちょっと変だ。
(ところで、今の20代は「えもん掛け」「物干し台」と言っても通じません。
「『ハンガー』のことだよ」「『ベランダ』や『バルコニー』のことだよ」と、
写真を見せながら説明する必要がある。
人間って、不思議と実感していないことばを発語すると、実感している人に
とっては変な響きを帯びる。古いことば、硬い物言いもそうですが、
こういった言い慣れなさや実感の無さを克服するのも、俳優の仕事です)
そういうわけで、
台本を読み込むという以前に、漢字の読みなどですから、
これは地道な予習が足りないなと思い、急に振った自分を恨みました。
白状すれば、そこにはつまらない自意識もあり、
そういう佐々木を看過すれば、WSに参加されている皆さんに
「ははん。劇団員なのに唐ゼミ☆はこの程度か!」
と思われるのではないかとも思いました。だから、正さないわけにいかない。
ところが、佐々木も緊張しているから、平常時よりさらに修正が効かない。
すると、こっちも時間を割かざるを得なくなり、
せっかく1,000円を払って参加してくださっている参加者の皆さんを前に
劇団員ばかりがせりふを言って、それを修正している事態になってしまった。
さらに慌てました。
焦っているのがバレてはいけないし、お客さんの前だから、
劇団の稽古みたいに「おい、お前なあ」と口汚くなってもいけない。
「あかりちゃんねえ・・」とかえってソフトに言いたくもありますが、
客人の前でだらしないから、「佐々木さんねえ・・」と私も堅くなる。
私たちは、不自然の渦に飲み込まれて必死になりました。
・・・ところが、終わってみたら、
皆さんにはどうもこれが面白かったらしい。
お客さん相手のワークショップとしては失敗だったはずなのに、
そのあたりも含めて面白かったらしいのです。
ことに、たまりかねた私が、ちょっとキツい口調になりながらも、
お客さんの前なので、無理にオブラートに包もうとしているところまでを
含めて、皆さんは楽しかったようでした。
よく考えてみると、ワークショップで伝えたかったことって、
まさにこういうことなんですね。
私と佐々木あかりの会話は、立ち会っているお客さんに影響されます。
「銀メガネ」による「お甲さん」への対し方は、
「アリダくん」に影響されるし、「アリダくん」への意識なしに成り立たない。
と、こういうところを捉えながら会話のアヤをつくりたかった。
その上で、そういう心の揺らぎが観客に見て取れるように演じると、
単なる会話がとっても面白くなる。
図らずも、私は課題を体現してしまいました。
バレないようにしたつもりが、完全に、すべてバレていた。
「泰然自若」からは程遠い自分の感じ、
度胸の無さや、目下の者に対する日頃のぞんざいさ、
世間体を気にして右往左往する感じまでもが露見してしまったわけですが、
皆さんの優しさに救われました。
申し訳なく、情けなくもありますが、
何だか評判が良いし、佐々木を育てたいので、来週以降も参加させようと思います。
(漢字の読みだけは、予習して来いよ!)
それにしても、例え大勢の人の前でも焦らず、
さりげなく人をフォローできるようになりたいと改めて思いました。
「教えることは学ぶこと」
ここ数日、たまたま読んでいた二代目神田山陽の伝記の一節が痛感せられます。
参加の皆様と、佐々木あかりにも、ただただ感謝です。
2021年1月12日 Posted in
中野note
↑滝沢修さん(一番左)のウィリー・ローマン
今日まで、KAAT神奈川芸術劇場では、
アーサー・ミラーの名作『セールスマンの死』が上演されていました。
長塚圭史さんによる演出作の再演です。主演は風間杜夫さん。
『セールスマンの死』は唐さんの好きな演目の一つで、
明治大学の学生だった頃にご覧になったのが初めだそうです。
よく、滝沢修さんが演じた主人公「ウィリー・ローマン」が良かったと
おっしゃていました。(ということは劇団民藝の上演)
唐さんや状況劇場、紅テントは新劇へのアンチだと思われがちですが、
若い頃の唐さんは新劇をよく観ており、滝沢修さんのことは、
「滝沢先生」と呼び、学生時代にはなんと、終演後の
当日パンフレットにサインまでもらったことがあったと伺いました。
後に"唐十郎"として台頭したあと、何かの集まりでご挨拶したら、
滝沢先生はまったく覚えていなかった、とも。
一方で、学生時代、
同じ学生演劇人として新劇団自由劇場(後の「早稲田小劇場」)が
上演した同演目にも衝撃を受けたそうです。
鈴木忠志さん演出で、ウィリー・ローマンに扮したのは小野碩さん。
若くして亡くなった小野さんですが、
その演技は青年でありながら老生しており、
ボソボソと喋るモノローグが異様な吸引力を持っていたとのこと。
大声やシャウトがイメージされがちなテント演劇ですが、
実際の唐さんはたいへんに弱音(じゃくおん)を重視します。
この価値観が育まれた理由の一つに、若き日に観た『セールスマンの死』の
小野碩さんが一役買っている事は間違いありません。
2021年1月11日 Posted in
中野note
↑最近、初めて知った清川虹子さんの著作。
取り寄せた古本ですが、サイン本でした!
本日は劇団集合でした。
緊急事態宣言下ということもあり、
Covid-19の動向を占いながら、2021年の公演や活動がどうあるべきか
話し合いました。
ところで、最近、冒頭にあげた本を読みました。
私は芸談を読むのが好きで、特に、仕事が立て込んで
あまり難しい本や、継続的な集中を必要とする長編に頭が耐えきれない時には、
ひたすらこういうものを読んで愉しんでいます。
『人間コク宝』で有名な吉田豪さんは、
芸能人のエッセイについてプロの書評家と称されていますが、
私も、唐さんに関する限りは、1行でも記述があるものには
通暁していたいと思ってきました。
年末年始、なんの気なしにネットサーフィンしていた時
"唐十郎"でヤフオクを検索をかけたところ、
この本の紹介に"唐十郎についての記載あり"とありました。
そこで早速とり寄せたわけです。
清川虹子さんと唐さんの絡みで言えば、
先日、主人公「山手線(やまてせん)」の読み方でご紹介した
1970年代後半の傑作『蛇姫様-わが心の奈蛇』に、
清川さんが出演されたことが有名です。
この本には、唐さんがどのようにして清川さんにオファーを出されたのか、
経緯が記されており、台風に見舞われた福岡県田川市のボタ山での体験が
印象深く書かれています。
ボタ山といえば地盤がユルユルですから、
倒れそうなテントを観客が一緒に支えてくれたとか、
そんな荒天にも負けずに詰めかけた観客の期待に応えて、
夜中に追加公演を行ったことも熱っぽく書かれています。
・・・・。
こんな具合に、自粛を余儀なくされて身動きができない時にも、
唐ゼミ☆的前進を心がけ、私たちは過ごしています。
2021年1月10日 Posted in
中野note
↑2010年の『蛇姫様-わが心の奈蛇』公演より、二人のスリが出会う場面
昨晩は、「ジョン・シルバー」が芝居の中で、
山手線のホームを皮切りに海を目指す旅に出かけた話をしました。
(妻・小春の妄想ではありますが)
「山手線」と云えば、
他の芝居でも気になることがあって、
それは、1977年春に紅テントで初演された
『蛇姫様-わが心の奈蛇』について。
唐ゼミ☆でも2010年初夏に上演したあの演目、
主人公の青年の名前が、ずばり「山手線」なのです。
一見すると変な名前ですが、あれは、ヒロインと主人公の青年が
スリ稼業に勤しむ物語です。
スリの皆さんの間には、
往来でふところを狙う者、電車の中をフィールドとする者、
そんな具合に縄張りに応じていくつかジャンルがあるらしく、
青年「山手線」は、もちろん電車の中が活躍の場。
いわば、コードネームというわけです。
問題はこの読み方で、唐さんとしては、
この主人公を「やまてせん」と発声して欲しいとのこと。
私が普段慣れ親しんでいるのは「やまのてせん」なのですが、
この場合は「の」を入れず、「やまてせん」らしい。
気になって調べてみると、
「山手線」は開業の1885年(明治18年)以来、
今と同じように「やまのてせん」と呼ばれてきたのですが、
1945年(昭和20年)から71年(昭和46年)までは「やまてせん」
が正式だったらしいのです。
ちなみにこれは、戦後、GHQに路線名を
「YAMATE LOOPLINE」と申告したのをきっかけに
正式になったらしく、その理由は、
こっちの方が正式だとその機会に定めたとか、
あるいは担当者が間違えたとか、諸説あるようです。
(間違えたなんてあり得るのか!)
いずれにせよ、
私も大好きな『蛇姫様』の主人公は「やまてせん」です。
あれは、朝鮮戦争の記憶を負ったヒロインが活躍し、
その過去が物語を解くキーになる台本です。
相手となる青年の呼び名からも、唐さんが
ある年代を想定して書かれたことが伝わってきます。
2021年1月 8日 Posted in
中野note
↑引用のせりふの場面(2004.4.25)。
唐さんから「山手線」ということばを際立たせるべし、
と指導されたことも。
電車と唐さんにまつわるエピソードの第5弾です。
私の大好きな初期作品『ジョン・シルバー』の中で、
女房・小春が夫・シルバーの家出を語る際、
山手線が重要な役割を果たします。
それは、こんなせりふによく表れている。
小春 山手線の長い灰色のホームを先へ先へ、
ずっとむこうへむこうへ、つんのめるようにして行っちゃった。
正確には、小春はシルバーの家出を見たわけではありません。
(目の前で出奔されたら、普通、止めますから)
ですから、これは小春の妄想です。
彼女は、シルバーと山手線を利用するたび、
シルバーが海の方(上野を起点として品川の方角、つまり南)を
見つめていたのが気になって仕方なかった。
だからこそ、きっとこうであったに違いないと決めつけて、
先ほどのせりふを叫ぶ。
芝居本編の中で、小春が九十九里浜にシルバーを
探しにくるくだりがありますから、南方に海ありという
位置関係を裏付ける証拠になります。
ところが、私たちが学生時代にこの『ジョン・シルバー』を上演した際、
これにツッコミを入れた人がいた。
当時の唐十郎教授の同僚で、数学者の根上生也先生です。
根上先生は芝居を観た後、実に数学者らしい正確さで
「唐さん、海を目指すなら山手線でなく京浜東北線ですよ」と仰った。
その後、すっかり酔っぱらった唐さんは帰り道に
「あいつは文学がわかっていない!」と叫ぶ始末。
それでいて、教授時代の唐さんは私たちが公演する時には
いつも、「根上さん、来ないかな?」と気にしていました。
そんな指摘をして勝ち誇る根上先生の幼なごころは
結局は唐さんご自身の世界と一脈通じるところがあり、
ちょっと好きなようでもあったのです。
あるいは、十代のころ、
お父様から医者になることを嘱望されながら、
理数系への苦手意識からそれを断念した唐さんにとって、
"数学者"という存在に、畏敬の念や面白さがあったのかも知れません。
学課の忘年会の時など、親しげに喋ったり、
それでいてやっぱり子供っぽい意地を張り合ったり、
私から見て、お二人はとても仲良く感じられました。
2021年1月 5日 Posted in
中野note
↑『ジョン・シルバー』のエピグラフを語るためにステージに立つ唐さん
(2004年4月25日(日)の唐ゼミ☆青テント公演より)
「電車と唐さん」というか、
今日は「鉄道と唐さん」でいきましょう。
唐さんの母方の姓は「田口」であったそうです。
ですから、唐十郎作品の主人公の青年は「田口」であることが多い。
その田口方のおじさんは、名前を「耕三(こうぞう)」といって、
戦争中は満州に渡り、後に国鉄職員となって田町駅の助役を
されていたそうです。
唐さんにとってこの耕三さんは親族の中でも特別な存在だったようで、
唐さんが20代の半ばで書いた『ジョン・シルバー』には、
こんなエピグラフが出てきます。
おじさん
ぼくの血を待つ間もなく死んでいった一鉄道員の―
あの朝は雨でしたね
2リットルの血をにぎりながら病院の階段をかけ上っていった時
ぼくは、あなたがもうあのベッドにはいないのを知っていたんだぜ
ベンチャーズの好きだったおじさん
あの夜更け
病院を抜け出して、遠い町のどさ廻りの一座にあなたは加わっていた、という
ここから浮かび上がってくるのは、
かつての希望や野心については黙して語らず、
淡々と働いて死んでいったおじさんの姿です。
おじさんは、ほんとうは役者になりたかった。
翻って振り返るに、彼がベンチャーズに差し向ける視線には、
単なるファンやテレビ視聴者を越えた、
もう一つ別の熱っぽさがあったように思えます。
実際の耕三おじさんがどんな方だったかを別にして、
駆け出しの唐さんが身近な存在をこのように書き上げ、
このまま役者として大成せずに同じようになってしまうかも知れない
自分の不安、同時に、夢破れた人間への愛着を示していることは、
私にはすごく重要に思える。
私たちが初めて『ジョン・シルバー』に挑戦した20代初めの頃、
わけも分からずにこのくだりを上演していましたが、
同じような年齢で、すでに唐さんには、
黙々と働いて生活している人間への共感や慈しみがあったわけです。
「若い頃の方が意識が老いていたなあ」
いつだったか、唐さんがそう私に話してくださったことがありましたが、
鉄道員だったおじさんを偲んで書かれたこのエピグラフを思い出す時、
若くしてすでに"人間"を識っていた唐さんに驚かされます。
2021年1月 4日 Posted in
中野note
↑2013年にKAATの大スタジオで上演した『唐版 滝の白糸』より
今日は仕事はじめ。
私の2021年が本格始動しました。
三が日を過ぎた瞬間にいきなりスタートというのは、
実にメリハリの効いた潔さ、かえって清々しさを感じます。
今朝は人気の無い伊勢佐木モールをランニングして
8:00から恒例となったテツヤとの配信、
お昼には車の少ない環八を通ってスイスイと桐朋学園に行き
『ジョン・シルバー』の抜粋を稽古。
夕方には神奈川芸術劇場にも行って、夜まで目一杯働きました。
何しろ、明日からはいきなり、
プロデュースしているいくつもの企画の創作が佳境を迎えるのです。
世間では、数日後に緊急事態宣言発令は確実との見方が強く、
それがいつになるかという予想に溢れていますが、
ストップと言われるまでに可能な限り事を進めておきたい。
そう思って動いています。
上記のことをしながら、合い間で、
『ベンガルの虎』の台本が完成しつつあります。
11月末から研究を始め、単行本を模写。
唐ゼミ☆メンバーが暮れに文字校正をしてくれました。
もうちょっとでこれが完成すると、書き込みをしながら
少しずつ読み進めていく段階がやってきます。
こう、目の前に具体的な台本が立ち上がると生活の軸がシャンとして、
他の何事をするにも一本筋が通ってやりやすくなります。
正直、年末年始ですっかり仕事脳が鈍ってしまい、
今日は失敗続きだったのですが、とにかく力押しで前進して早く復調したい。
明後日には、水曜の夜に移動した唐ゼミ☆ワークショップもスタートします。
12月に積み上げた『唐版 滝の白糸』の前半を経て、
いよいよタンスからヒロイン・お甲が登場します!
2021年1月 1日 Posted in
中野note
あけましておめでとうございます。
現在、元旦の午後7時。
いつもだったら唐さんのお宅に伺ったり、
どこかに出掛けていたのですが、さすがに今年は自宅にいます。
目の前には、上等のせんべいを食べながらアニメを観る
さねよしがいて、私は年末に『ベンガルの虎』の資料として取り寄せた
『ドキュメント日本人6 アウトロウ』を読んでいます。
元旦と唐さんの思い出といえば、
まだ学生時代、正月らしい正月を過ごすには貧しい自分のために、
唐さんがおせち料理やお鮨を用意して、もてなして下さったことです。
中でも、ニシンの昆布巻きは特に印象深い。
丁寧に処理した肉厚の身欠きニシンを昆布とかんぴょうで巻き付けて
煮含めるところまで、唐さんが丹精した自慢の逸品です。
唐さんの手による、これぞ東京下町の真骨頂たる甘辛さ。
私が昆布巻きを初めて美味しいと思った、これが最初の体験でした。
(実家の母には申し訳ない話ですが)
あと、特に面白かったのは、
ある年、唐組の稲荷さんや鳥山さん、
新宿梁山泊の金さんらと昼過ぎから唐さんを囲んだ後、
そろそろ夜も遅いので引き上げようとしたところ、
唐さんから「中野は一人だろうから泊まっていけ!」
と言われた時のことです。
二人っきりになるとすぐさま、それまでテーブルにありながら
見向きもしなかったチーズケーキを唐さんは鷲掴みにして、
ムシャムシャと食べ始めた。「オレはこういうのも好きなんだ!」
そう吠えながら・・・。
普段から、宴席での唐さんは基本的にものを食べません。
つまみを少し召し上がる程度。
まして甘いものに手を出すなどあり得ないことで、
お誕生ケーキにセレモニーとして手を付けるほかは、
皆無といって過言でない。(お酒飲みに共通する美学ですね)
その時は、本当はチーズケーキが気になっていたことが、
可笑しくて仕方ありませんでしたが、それにしても、
ケーキを鷲掴みにしたあの獰猛さは凄かった。
硬派に見えて柔らかく、
超真剣と思いきや完全にふざけている、
闇に充ち充ちていると同時にバカバカしいくらい朗らか。
2021年もそういう唐さんの世界を追いかけて、唐ゼミ☆やります!
2020年12月31日 Posted in
中野note
↑客席を想定する実験
7月は、翌8月に本格化する稽古に向けての最後の準備。
広くはない稽古場で感染予防するため、熊野が作戦を練りました。
日々の稽古に必要な人数を最小限に絞る。
集まるメンバーから逆算して、その日に当たる場面を選定する。
物語の進行に合わせて進む通常の稽古とは異なり、
映像作品をつくるようなスケジュールが組まれました。
サトウユウスケさんの迅速な働きにより、
安保さんの名曲の数々を現在に復活させた劇中歌伴奏も完成。
この頃、それまで決まっていた何人かが、
コロナの情勢やこちらの本番スケジュールの変更から、
出演を取りやめざるを得ず、いくらかの配役を欠いて8月の本稽古がスタート。
↑本読みの仕上げ
1週間にわたってメンバー全員で本読みをし、それから立ち稽古に。
この頃には、禿が四つ折りのチラシ(渾身の自信作!)が完成。
↑ありったけを込めたチラシの完成
立ち稽古の間、出番の無いメンバーは
中継されている稽古場での映像をzoomで視聴。
後から聞けば、zoom越しの参加は全体の進行具合がわからず、
緊張の維持も難しいためにずいぶん大変だったそうです。
この頃、元唐組の気田さんと元劇団員の東が加わり、心強いことこの上なし。
↑三腐人の稽古。東が合流する直前につき、米澤が代役
熊野の巧みな差配で、9月半ばには一通りの場面が組み上がりました。
この時点では皆が皆、明らかに全体をよく把握できずにいましたが、
8月からの積み上げが、10月末に一気に花開くことになります。
と、ここで一旦稽古を休止して、
鎌田朋子さんのデザインによるセットづくりが本格化。
ハンディラボに組み上がったセットに皆が集まり、
立ち位置を確認した日の嬉しさはひとしお。
↑初めて組んでみたセット
稽古を休止していた約一月は、その後に調子が上向いていく仕込みの期間。
大・小道具や衣裳を詰めながら、数人を集めて上手くいっていない場面を練習しました。
小林・宮本・小山・気田チームを個別に当たった日に、この芝居はいけると思った。
演劇や唐さんの劇に慣れていたいメンバーが力を付けたことで、
高く飛ぶ準備が整った気がしました。丸山正吾が合流したのもこの頃。
↑部分稽古が、全体浮上へのキモ
10月末から、いよいよ川崎のH&Bシアターと若葉町ウォーフでの集中稽古。
個食と換気を徹底し、皆で稽古した時間に、私たちは改めて
つくってきた物語の大きさを知りました。
初めて通し稽古を終えた日、3ヶ月前には複雑極まりなく見えた台本が
思いのほかシンプルに感じ、名作ってこういうことだ!と言い合いました。
↑充実のH&Bシアター稽古。米澤はすでに金髪
11月に入ってからは、
誰かが風邪をひけば一発アウトの間合いに入った緊張と、
公演直前の膨大な作業量に揉まれました。
そして、奇跡的な温かさと晴天に恵まれて、本番に突入。
↑完成した劇場で、いよいよお客さんを迎える直前
劇団唐ゼミ☆として、ここ数年の停滞を振り払い、
最高の公演場所で、以前より高く飛べたと実感できた6日間でした。
千秋楽には、実に6年ぶりに唐さんにも駆けつけて頂き、
ここ数年の試行錯誤をすべてお伝えするつもりで本番にぶつけました。
↑全員での写真撮影。唐さんだけでなく、室井先生もいる!
公演準備や本番をしながら、
今回の公演は現場で観てくださるだけでなく、
それ以上の皆さんに向けてやろうと思ってきました。
劇団を支援してくださった方々、新宿区の皆さんはじめ、
様々な応援が結集して実現した公演です。
ここに、芝居の原点があって、唐十郎世界の頂点もあって、
コロナのしんどさを忘れて、一心不乱に燃え盛る連中もいると伝えたかった。
その思いは公演終了後も変わらず、
疲れや、コロナ第3波による不安もあるけれど。
今回集まったメンバーひとりひとりの勇姿、全員でつくった劇の大きさ、高さは、
ほんとうに凄くm他には無い。だから、もっともっと沢山の人に
知ってもらうべきだと思って、現在に至ります。
↑カーテンコールを練習中。
最後に、忘れられない一日を。
自分が2020年で最も印象深かったのは11/15(日)です。
テントを立て、すべての幕を場当たりを終えたゲネプロの前日、
私たちは体力温存のためにあえて余裕を持ったタイムスケジュールを組んで、
全員で飛行機を飛ばし、カーテンコールだけを練習しました。
あの豊かな時間。達成感と明日から始まる勝負への興奮。
私は今が永遠に続けば良いと心から思いました。
"永遠"は難しいけれど、少しの継続はできる。
2021年はそのために生きます。
↑初めて飛んだヒコーキ
↑最後のダメ押しで作っていたヒコーキ。まさにこれを高く飛ばすための公演!
2020年12月29日 Posted in
中野note
↑すべては唐さんからはじまる
気づけば今年もあと3日。自分がこのゼミログを書くのも2回を残すのみです。
そこで、前後半に分けて今年の総括をすることにします。
思えば、混迷と充実が入り混じった年でした。
2019年末から『唐版 風の又三郎』に挑戦しようと思い定めて始まった今年。
↑この頃はまだCovid-19を知らなかった
1月からバー「はる美」でのワークショップや
重村を中心としたファンミーティングがスタートを切るまでは良かったのですが、
2月中旬より世間の雲行きが怪しくなり、
3月終わりには、劇団集合をするすら危ぶまれるようになりました。
↑数回だけ実現したバーテン重村と新木
実態をつかめないウィルスの危険性と、
相互監視社会のようなギスギス感とが混じり合い、
どちらにどれほど気を付ければ良いのか、議論することたびたび。
当初は9月に公演したかったのですがそれも定まらず。
↑雨の中、予定を合わせて夜中に新宿中央公園を視察
4月には集合を停止しようと決め、同時に急速にzoomに親しむようになりました。
zoomによる劇団メンバーとの本読み、
オンラインに切り替えて遠方の参加者をも巻き込んだワークショップと、
ゼミログを書くことが、私たちの支えでした。
自粛を余儀なくされた日々が、
久々に足を止めて考えを巡らせる機会を与えてくれました。
↑zoomに慣れてきた頃
↑一人でのワークショップが難しかった私を、熊野がサポート
こんなにもユニークで、人間の根っこを掴んでいて、
下らないこともバカバカしさも含みながら、美しい世界がある。
唐さんの劇世界も、ご本人も、まったくそうなのです。
唐さんに出会って以来、ずっと蓄積してきた財産が
自分の内側にあることを確認する日々でした。
↑大久保鷹さんに、パレスチナ公演について聴く
5-6月と、そんな状況にも関わらず、
劇団員たちの努力で多くの共演者が集まってきました。
準備の時間を長く取り、ほんとうによく本読みをしました。
そんな中で11月に本番を迎えるビジョンも定まってきました。
↑後に大きな力となる竹林君(左)と福田君。初対面の頃。
ソーシャルディスタンスを確保し、マスクを付けながら、
ハンディラボで行った車座での本読みはひどく暑かったけれど、
全員が自分の役柄だけでなく、
『唐版 風の又三郎』全体を浸透させる貴重な時間でした。
良い座組みだと確信しました。
↑ハンディラボでディスタンスを保つ唐ゼミ☆メンバー
・・・7月以降のことは、大晦日に続きます。
2020年12月26日 Posted in
中野note
↑『ドキュメント日本人6 アウトロウ(學藝書林)』より目次
今日はタイトルの通り新たな発見があったので、
「電車と唐さんシリーズ」をお休みし、そのレポートをします。
去る12/23に、私は『ベンガルの虎』をパソコンで打ち終えました。
あとは、劇団員に誤字脱字をチェックしてもらえば、
ひとまず第一稿の完成です。
資料も同時に集めています。
年末年始にできる時間に目を通すためです。
そこで、新たな発見があった。
『ベンガルの虎』の最終ページには、
執筆時の唐さんが紐解いた資料名が記載されています。
『ビルマの竪琴』『ランボオ詩集』『村岡伊平治伝』
『ドキュメント日本人』こんな具合です。
私は最後の『ドキュメント日本人』が未読でしたので、
早速にこれを取り寄せました。
これはテーマごとに歴史に名を残した日本人を特集した全10巻シリーズで
第6巻「アウトロウ」に出てくる「村岡伊平治」の記述を
唐さんは参照したようです。
で、届いたばかりの本をつと見ると、
目次に並ぶ別の人物に見覚えがある。・・・梅原北明。
唐ゼミ☆が2011年に取り組んだ『海の牙〜黒髪海峡篇』に
登場する梅原北明も、ここに取り上げられていたのです。
しかも、『海の牙〜』初演は、『ベンガルの虎』の直後である1973年の秋。
以前、宮沢賢治の短編を編んだ一冊の岩波文庫から、
唐さんが三作もの台本を生み出した話をしました。
ここでも、唐さんの効率の良さは健在で、
一冊の本から連続して二つの戯曲をものにしていたことが判りました。
取材に行くといえばかなりの高確率で素材を見つける名人・唐さんは、
一冊を買えば、その滋養を余すところ無く絞り取る。
実に地に足のついた庶民の精神が、唐さんの創作には溢れています。
2020年12月25日 Posted in
中野note
↑その頃の唐さん。
ご自身で作った講義ノート(何故か連なっている)とともに
今日も「電車と唐さん」についてワンエピソードを。
予め打ち明けておきますが、今日の話は伝聞です。
私自身が見たのではなく、都内に住む私の友人が
電車の中で唐さんを見た、という話です。
2005年頃のこと。
友人が中央線に乗っていると、目の前に見知った人がいる。
「あ、唐さんだ。中野の先生だ」友人はそう思ったのだそうです。
聞けば、友人と唐さんが向い合わせに座っていたのは、
車両の端っこの、あの三人がけの椅子だったと云います。
友人が気になってチラチラと唐さんを見ていると、
それまでシャンと背筋を伸ばして座っていた唐さんが、
電車が走行中にも関わらず立ち上がり、ツカツカと歩み始めた。
そして、同じ車両のほとんど反対側に立っていたお婆さんに話しかけ、
自分が座っていた席へと案内し始めた。
車両の端と端ですから、それは結構な距離で、
二人はひどく目立ったと云います。
乗客の何人かが「あ、唐十郎だ」と思ったはずだ。
そう友人は言っていました。
私には、そんな度を超えた生真面目さや、
使命感をまとった唐さんの姿が容易に想像できます。
なかなかの距離に当のお婆さんも戸惑ったでしょうが、
唐さんの勢いに押され、まるで歌舞伎役者が花道をゆくように、
二人は中央線の通路を道行きしたに違いない。
かくて、暴れん坊で知られた唐さんは、時に正義の人ともなります。
いずれにせよ、常に隙なく芝居がかって余りあるところが、
我が師が唐十郎たる所以なのです。
2020年12月24日 Posted in
中野note
一昨日、久々にホームで電車を待っていて思い出したのですが、
唐さんはかくて20代の私に、電車を待つ時も決して油断しては
ならないことを教えて下さったことがあります。
曰く、線路からは慎重に距離をとり、両足は力強く踏ん張る。
これが唐さん流のスタイルです。こう言われてみると、
なるほど、唐さんは常にこれを実践していることが
わかってきました。
世の中には怖ろしい人間がいる。
そんな輩に、いつ背中を押され、
線路に転落させられるとも限らない。
だからこそ、いつでも身構えていなければならない。
私が唐さんと一緒に電車移動する機会はそう多くありませんが、
決して油断するな、そう唐さんは仰いました。
何日か前に書いたように、
唐さんはドトールコーヒーに集まるお客たちの懐に、
常にジャックナイフの気配を感じる人です。
若者たち一人一人の懐に危険を感じながら、
それでいて、その緊張感を存分に愉しむような人でもある。
大胆な行動で知られる唐さんの超慎重さを、
銀座線のホームで思い出しました。
2020年12月23日 Posted in
中野note
今日、久しぶりに電車に乗りました。数年来、車での移動が増えて、電車での移動が激減しました。
それに伴い、本を読む量が減り、音楽や語り物を聴く頻度はうんと増加。
たまたまこのような境遇であることは、
コロナが猛威を振るう状況ではありがたいことです。
そのようなわけで、車中はウキウキと読書。
唐さんの著作『風にテント 胸には拳銃』という
『唐版 風の又三郎』パレスチナ公演、
『ベンガルの虎』バングラデシュ公演のルポルタージュを
久々に読み返しました。
唐さんの描写は、極めて非日常的です。
非日常的な地域に遠征している最中の描写なので、
そんな非日常性も当たり前といえば当たり前ですが、
それにしても激しい。ちょっと紹介すると、
バングラデシュの女は雌虎だ。
昔より伝わりし、追いはぎの国の女だもの、
男に追いはぎをさせている黒幕は女に決まっている。
・・・こんな具合です。
さしもの唐さんとはいえ、
これはちょっとカマし過ぎなのではないかと思いながら
数々の描写を愉しみました。
常に妄想にかられているように見える唐さんは、
同時にかなりリアリストであると、私は思っています。
妄想や詩的なものに酔っていない冷静さを、唐さんに感じます。
一方で、見えないものを見えると嘯いているわけでも、
意図して作り話を捏造しているわけでも、もちろん無い。
唐さんの云うことをどこまで信じ、また疑うのか。
そのあたりのバランスは大変おもしろいことだと
電車に乗りながら考えました。
そのあたりも絡めながら、これから数日、
電車と唐さんについて思い出すことを書いてみたいと思います。
2020年12月21日 Posted in
中野note
↑「〜溶ける角」というサブタイトルの通り、
ラストシーンには氷でできた角を付けた自転車が登場する。
唐十郎ゼミナールがスタートして数年が立った頃、
執筆中の唐さんから、よく電話がかかってくるようになりました。
今、書いているトピックについて調べものをして欲しい。
そういう依頼でした。
こういう時は即座に
すべての予定を繰り合わせてこれに応えます。
せっかくインスピレーションにかられている唐さんの
霊感が逃げてしまっては、弟子として最悪です。
せっかちな私には、さらにせっかちな唐さんの気持ちがよく分かります。
何より、電話口からは着想にかられた唐さんの興奮が伝わってくる。
急がなければ!
すぐに書籍に当たり、あるいはネットサーフィンをして、
コピーやプリントアウトをファックスする。
こうした作業は、いつもスリルに充ちて、
唐さんの創作に関わっているといううれしさも手伝って充実したものでした。
中でも特に面白かったのは、、唐さんが私たちのために
『ユニコン物語 台東区篇』を書き換えて下さった時のことでした。
そうです。私のみならず、唐ゼミ☆劇団員にとって
最も思い出深い唐さんの執筆作業は書下ろし作品『木馬の鼻』に
違いありませんが、その前、2006年の夏に、
私たちは『ユニコン〜』を改訂してもらっていたのです。
この作品は、新生児が看護婦によって交換されてしまう出来事、
いわゆる「嬰児取り替え事件」が重大なモチーフになっていますが、
当の赤ん坊だった二人を結びつけるカギこそ、
彼らの血液型、日本人にとって最もレアなAB型のRHマイナス、
だったのです。
当時、これがいかにレアな血液型であるかついて、
唐さんは私に尋ねられました。
初めて自分たちが上演するための調べものでしたから、
嬉々として、2万人に1人という数字をお伝えしました。
唐さんとしては、もっともっと希少であって欲しかったという
反応でしたが、「まあ、いいか」と書き進めて頂き、
『ユニコン物語 溶ける角篇』が生まれました。
そうそう。私たちが上演したバージョンには、
当時、封切られたばかりで唐さんと私がお互いに観ていた
映画『ナルニア国物語』のエピソードも盛り込まれています。
・・・このシリーズ、
今日で10回目なので、一区切りつけようと思います。
第一期として、今回はこれくらいで。
続きはいずれ、第二期としてお話ししましょう!
2020年12月19日 Posted in
中野note
ここ半月ほど、唐さんの執筆風景について
私の知っていることをお話ししてきましたが、
続けながら、これが実に、
汲めども尽きせぬ話題であることが分かってきました。
細かなことを挙げればキリがなく、また、
それらエピソードのひとつひとつが私にとっては面白い。
唐さんの着眼や執筆時の様子は決まって、いつもスリリングです。
話題はちょっと飛びますが、
昨晩に帰宅したところ、ここ数日待ちかねていた
1973年4月27日号のアサヒグラフが届いていました。
同じ年、状況劇場が敢行した『ベンガルの虎』バングラデシュ公演の
ルポルタージュを収めたものです。
まだメセナや助成金制度が確立していなかった時代の話です。
唐さんは、ご自身が劇団から捻出した資金と、
このような原稿書きの腕で海外遠征を成立させていたと伺いました。
30歳過ぎの唐さんが書いた文章は、
いかにも武張っていて、一党を引き連れて
慣れぬ土地に分け入っていく座長の緊張と興奮を伝えています。
明日のワークショップで取り上げる『唐版 滝の白糸』もそうですが、
1973〜1974年の唐さんの多作ぶりには天を仰ぐほかはありません。
『盲導犬』『ベンガルの虎』『海の牙』
『唐版 風の又三郎』『唐版 滝の白糸』『夜叉綺想』
テレビドラマ『追跡 汚れた天使』→お蔵入り
ラジオドラマ『ギヤマンのオルゴール』→戯曲として『ガラスの少尉』
これら綺羅星のような作品群の中で、
私にとって残されたただ一つの未知の戯曲こそ『ベンガルの虎』。
いつの頃からか付いたサブタイトル『白骨街道魔伝』に
象徴されるように、東南アジアの闇と湿度が迫ってくる台本。
主な舞台となる台東区入谷町、終幕で繰り広げられる朝顔市の
軽妙さとのバランスも冴え渡っています。
これが年末年始を引き籠もって過ごす際の愉しみになりそうです。
2020年12月18日 Posted in
中野note
↑学生時代に上演した『動物園が消える日』
小道具にはキャベツを使うと良い、と唐教授よりアドバイスを頂きました。
今日は短めにいきましょう!
誰もが身近な「使い捨てコンタクトレンズ」を劇作のヒントにする一方、
残念ながら、福井県行きは劇に結実しなかった唐さんですが、
『泥人魚』に活きた「まだらぼけ」と同時に、
大阪で発見されたネタがあったのを思い出しました。
確か、同じ時に「キャベツ焼き」のことを嬉々として語っていた。
大阪の路上にある屋台で見かけるアレです。
「『まだらぼけに効く薬あります』も変だったけど、
キャベツだけのお好み焼き、あれも変だよね。しかも、100円なんだって!」
と唐さんは嬉しそうにおっしゃていました。
この場合の"変"という言葉は、もちろん褒め言葉です。
「使い捨てコンタクト」にあるセンチメントも、
諫早のギロチン堤防や福井の原発のような社会性も、
「キャベツ焼き」には欠けているけれど、
唐さんのアンテナに反応する感じが、なんとなく共感できます。
ちょっとナンセンスな感じに、かえって惹かれる。
「キャベツだけのお好み焼き」を題材にした劇、
これはこれで観てみたいではありませんか。
きっと『恋と蒲団』や『姉とおとうと』のような、
小気味の良いスマッシュヒットが生まれるに違いありません。
2020年12月17日 Posted in
中野note
↑友人からお歳暮を頂きました。福井県の名物へしこ!
一昨日に『紙芝居の絵の町で』の話をしました。
唐さんの執筆を思う時に改めて驚くのは、
取材に赴いた先で確実に着想を得る、その打率の高さでした。
唐さんはいつも小さな創作ノートにメモされていましたが、
それはさすがに覗いたことはありません。
ご本人がその小ノートをヒラヒラさせていたこともありましたが、
なんだか、見てはいけない世界のように感じるのです。
実際、『紙芝居の〜』の時には、
一日都内を歩き回っただけで、
例の使い捨てコンタクトレンズを発見されたのです。
確実に獲物を仕留める手練のハンターのようでした。
しかし、そんな唐さんも珍しく難渋されたことがあります。
伊藤静雄の件でお話しした、『泥人魚』を執筆された時。
あの時には、都内どころか結構な遠方まで出かけられた結果、
空振りだったと帰って来られました。
確か、あの時は福井県に行かれたという記憶があります。
構想段階では寡黙になり、多くを語らない唐さんです。
他人に喋れば、インスピレーションが逃げてしまう、
常々そうもおっしゃっていましたから、詳しいことを
伺うのは憚られましたが、どうやら、原発について
アンテナを張っていらっしゃった。
その後、気を取り直した唐さんは諫早に向かわれ、
見事、圧倒的な評価を得た『泥人魚』をものにされました。
廻り道の甲斐があったとも言えます。
そんな風に、たまにする空振りがかなり印象に残るほど
命中率が高い唐さんに改めて恐れ入りますが、
一方で、先の福井行きが上手く作品に結実していたらと想像すると、
現在の原発を巡る状況を思って、ドキドキしてきます。
2020年12月15日 Posted in
中野note
↑使い捨てコンタクトレンズ
唐さんにかかると、ありふれたものが劇の題材に。
常に張り詰めた空気を漂わせていた執筆中の唐さんですが、
着想〜取材〜執筆〜脱稿までのスピード感には怖るべきものが
ありました。とにかく速い。
前にも書いたことがありますが、
『少女仮面』に要した時間は2日間、
『唐版 風の又三郎』のような長編を書き上げるのに3週間、
いずれも驚異の速技という他はありません。
現在『ベンガルの虎』をせっせと書き写している私ですが、
2幕までを書き写すのみで3週間弱かかっています。
人が喋る時に自らの思考を意識しないように、
唐さんの腕がほとんど自動筆記で動いていかなければ無理な
スピードと想像します。その走りっぷりは、
上演する側に立ってみた人なら誰しも、体感したことがあるはずです。
そんな具合に、とにかく尋常ではない速さをたたえた唐さんの執筆ですが、
その取材もまた、異様な打率を誇っていました。
もちろん、ご本人にはご本人の産みの苦しみがあったと想像する一方で、
唐さんが取材に動けば、必ず何かを掴んでくるという印象が拭えません。
特に印象深いのは、
2006年春に唐組が上演した『紙芝居の絵の町で』のケースで
2005年暮れの一日、都内(近場!)に取材に出掛けた唐さんは、
「使い捨てコンタクトレンズ」という格好の素材を発見しました。
私たちの身の回りに溢れたあの使い捨ての一枚にも、
その日、一日のかけがえのない記憶が宿っている。
そういう着想を唐さんから伺った時、それが日常的であるが故に
かえって天才を痛感させられました。
実現した舞台では、巨大なビンに満々と水をはり、
過去のレンズを延々と保存した男が登場します。
このビンのビジュアルがすごい。
舞台上の久保井さんの口から「Johnson & Johnson」
というメーカー名が発語されると、紅テントの雰囲気との違和感から
盛大に笑いが起こりました。そのあたりのセンスも凄かった。
私はその時、これはきっと、
80年代の傑作『ジャガーの眼』の現代版なのだと感じました。
あれは、恋人を失った女が、「ジャガーの眼」と呼ばれる恋人の角膜を
移植された別の男を追う物語です。
人の身体の一部に、
それを生きた人の記憶が宿っているという卓抜なアイディア。
寺山修司さんの『臓器交換序説』を自分なりにアレンジしてしまう手腕。
使い捨てコンタクトレンズという、より現代的で
さらに刹那的な物の中に同じ思いを抱く唐さんは、
やっぱり掛け値なしに素敵な作家だと、
そう思わずにいられませんでした。
取材にかかった、都内で一日という剛腕とともに、
『紙芝居の絵の町で』は私のなかに記憶されています。
2020年12月14日 Posted in
中野note
↑私が頂いた『木馬の鼻』原稿より。唐さんの肉筆は繊細。
唐さんの執筆は書斎で行われます。
執筆時期には飲酒を控え、朝5時台に書斎に入り、
長ければお昼くらいまで原稿に向かうのだと唐さんは仰っていました。
道具はブルーブラックの万年筆。
私が出会ってからの唐さんが新作を書かれるのは、
唐組の秋公演が終わった11月から年末にかけて。
年末に劇団員が帰省する時までに新作を渡したい。
そう唐さんは仰っていました。
台本こそ、劇団員の指針となる地図。
団員たちが常に目標を持っていられるよう、
そこには、座長としての配慮や願いがあったように思います。
唐さんに限ったことでは無いと思いますが、
劇作家は、そうして原稿を現場に"託す"のです。
ところで、専ら書斎をベースとする唐さんが、
家の外に出掛けられて執筆されていたことがあります。
その時は、朝からわざわざ自転車に乗り、
ご自宅から少し離れたところにある駅前のドトールコーヒーに
通われていたそうです。
唐さん曰く、
早朝に忙しなく行き来するお客たちがコーヒーをすすり、
会話している内容に聞き耳を立てていると、
インスピレーションが湧いてくるのだそうです。
完全にサイレントの空間より、
少し騒音があった方が捗るのは私にもわかる気がします、
が、それにしてもドトールとは。
懐にジャックナイフを忍ばせているような連中ばかりがいる。
そう唐さんは仰っていました。
・・・絶対にそんなことは無いと思いますが、
ドトールに集まる若いお客たちが唐さんにはそう見えたのだそうです。
刃の下を潜るような緊張の中、
張り詰めた唐さんが必死に執筆されているのを想像する時、
その度はずれな真剣さと、街場に分け入ってその空気を
吸収しようとする貪欲さに打たれつつも、
ちょっと可笑しくなってしまいます。
2020年12月12日 Posted in
中野note
↑2019年 唐ゼミ☆上演時に「小男」を演じた重村大介は健忘派
閑話休題を挟んで続けている「祠(ほこら)の時間」。
つまり、唐さんが執筆をされている時の様子を綴ったこのシリーズですが、
④で取り上げた『ジョン・シルバー』の小男を再発見した唐さんの
よろこびようは、今でもはっきり覚えています。
ほんとうに、心から嬉しそうでした。
ちなみに『ジョン・シルバー』という演目は、
1965年に初演されてから数年の間に再演されています。
後年、紅テントを発明してからの状況劇場が
ほとんど再演をせず、何より唐さんご自身が果敢に新作を
送り出し続けていったことを考えれば、再演という営み自体に
1967年以前の試行錯誤を読み取ることができます。
その中で、まずこの役を演じたのは『日本むかし話』の
ナレーションで有名な常田富士男さんでした。
常田さんと唐さんとは、唐さんが明治大学を卒業した直後に入団した
青年芸術劇場(青芸)以来の友情があったようで、
後に、唐さんが脚本・監督をしてお蔵入りなったドラマ
『追跡・汚れた天使(1973)』の主演として、二人は相まみえます。
常田さん独特の語り口を持ってすれば、
戦後の暮らしの中で次々と家族を喪い、
ついに孤独の身となって父母との思い出の品々に固執をする「小男」が、
深い情感をもって演じられたに違いありません。
いわば偏執派。戦争直後を体験した人々に共通する
哀しみを盛り込んだ小男が想像できます。
一方、再演時には同じ役柄を唐さんが御自分で演じられました。
こちらは健忘症を全面に押し出した演技だったと、
ご自身でおっしゃっていました。
リヤカーや虫取りあみ、一升瓶に犬の血のついた石まで、
様々な品々を後生大事に持っているのだけど、
何故それらを抱えて生きているのか、
当の小男はすっかり忘れてしまっています。
芝居の進行の中で次々とそれらが思い出される時、
その過剰さはコミカルですらあります。
自分はエキセントリックに演じたが、常田君には敵わなかったと、
唐さんは謙遜気味に仰いました。
ちなみに、この「小男」にはモデルがいます。
『特権的肉体論』の中に出てくる「ドルイ氏」がそれ。
唐さんが敬愛するMr.シュルレアリスム、アンドレ・ブルトンの主著
『ナジャ』に登場する健忘と偏執の固まりのような人物です。
「ドルイ氏」は物忘れがひどく、
自分が宿泊するホテルの部屋番号を常に忘れてしまう。
そこでフロント係に依頼し、帰るたびに番号を教わる習慣を持っています。
ある日、帰ってきたドルイ氏にいつものように番号を教えたホテルマンは、
直後に傷だらけのドルイ氏が入り口からフロントに進み、
番号を質問するのに驚きます。
聞けば、ドルイ氏は部屋に帰るなり窓から外に落下し、
またしても部屋の番号を忘れてしまった、というエピソードです。
・・・こういう背景があって、『泥人魚』の中の登場人物、
まだらぼけの詩人・伊藤静雄は生まれました。
舞台上で披露されるあの健忘は演技者・唐十郎の真骨頂でしたが、
同時に、遠く故郷の諫早の海を懐かしんで遠くを見つめ、
目を潤ませる唐さんの姿は、役者としてのキャリアと想像力の深さを
感じさせるものでした。私が俳優としての唐さんを、特に大好きな場面です。
2020年12月10日 Posted in
中野note
今朝、台所に食器を片付けて振り返ったところ、
台本が目に飛び込んできました。
すべて白いので判りにくいですが、確かに炊飯器と電子レンジの間に
『唐版 風の又三郎』の台本が挟まっている。
これはきっと、椎野が家事の傍らに読んでいるのでしょう。
1歳と4歳の子どもがいて、彼女が11月の公演で現場に来られたのは
最終リハーサルと千秋楽のみでした。
きっと本番を観て、改めて台本を追いかけたくなったものと思われます。
現在は、何とか再演できないかと画策していることもあり、
『唐版 風の又三郎』は私たちにとって、いまだ未来に繋がる台本です。
それは、読み甲斐がある。
ところで、キッチンに置かれた台本を見て、
私は学生時代に唐さんから伺ったあるエピソードを思い出しました。
唐さんから伺った詩人・金子光晴さんのお話し。
『こがね蟲』『ねむれ巴里』『どくろ杯』で知られる
金子光晴の存在を、私は唐さんから教わりました。
唐さんご自身、学生時代からその詩作に親しんできたそうですが、
紅テント興業を始めて数年、ついに詩人が唐さんの芝居に訪れたのだそうです。
演目は『吸血姫』。(ということは、1971年の状況劇場春公演)
終演後、唐さんは金子さんのところに飛んで行き、
敬意とともに秘めていた質問をぶつけた。
「詩人は、どこで詩を書くのでしょうか?」
すると金子さんは、「台所のまな板の上」と回答されたのだそうです。
その答えに、30歳を過ぎたばかりの唐さんはたいそう感動した。
そう仰っていました。
......自分にも唐さんの感動がわかる気がします。
唐さんが金子さんに寄せた感動はそのまま、
私が常に唐さんに対して持つ感慨に共通するものがあるからです。
唐さんは驚異の人ですが、一方で地に足のついた感じがあります。
私にはそれがいつも、人としての安心感につながっていました。
折に触れ、唐さんがする商店街やスーパーでの買い物にお伴してきました。
そういえば、100円均一を唐さんは大好きで、
そこで買った不思議な文房具をプレゼントして下さったこともあります。
カニの脚を模したボールペンとか。
着想はかなり豪快な方ではありますが、こういった慎ましさにある安心感。
劇作の際にも、生活への眼差しは輝きます。
例えば、80年代の傑作『ジャガーの眼』2幕の最後に
ドクター弁のあやつる掃除機が大活躍するシーンがありますが、
日々、掃除機とともにある暮らしの中で、
唐さん以外の誰があんなアイディアを閃くでしょう。
バカバカしくて感動的。けれど、誰にも身近にある
ありふれた掃除機が発想の源なのです。
私自身も日々、子どもたちが朝ごはんを食べている横で、
ウンウン唸りながら台本を読んでいます。
2020年12月 8日 Posted in
中野note
↑唐ゼミが2002年に上演した『ジョン・シルバー』の「小男」
『糸女郎』が初演された2002年春。
唐組公演のツアーは4月に岡山、大阪を経て、
5月GWに新宿花園神社にやってくる行程でした。
そのさなか、岡山公演と大阪公演の間に、
唐さんは関東に帰ってきました。
年度が明け、すでに始まっていた大学の講義を行うためです。
このあたり、唐さんは実に律儀に教授職をまっとうされていました。
一方、私たちは、すでに春休み中から、
ずっと『ジョン・シルバー』の稽古をしていました。
この時、私は初めて主体的に唐さんの作品に取り組んでいたのです。
前年に上演した『腰巻お仙〜義理人情いろはにほへと篇』は、
あくまで唐さんご自身が指定した台本でした。
その感触にピンときた私は、
「次回は『ジョン・シルバー』を!」と唐さんに希望したのです。
現在に比べ、まだまだ戯曲やせりふの内容を理解していたとは
言い難かった当時ですが、それでも、あの一度聴いたら忘れられない
『ジョン・シルバーの唄』と、シルバーが帰ってくるかに見せかけて、
実は情けない「小男」が現われるトンチンカンな終盤を面白いと思いました。
当時はまだ下井草にあった唐組の事務所兼稽古場を訪ね
私たちは配役を決めるためのオーディションにも臨みました。
冒頭の「裸足男」や「小男」について、複数の学生が演じるのを希望し、
彼らがワンシーン演じてみせるのを見て、唐さんと私で配役を決めました。
それらが全て2001年度末に行われ、春休みは稽古。
4月、緊張しながら唐さんを迎えました。
この頃までに、二幕の途中まで稽古は進んでいました。
できているところまで唐さんに通し稽古を見せます。
結果、唐さんは二幕に出てくる「小男」に反応されました。
良い反応。今となっては、彼が戦災孤児であることは明白ですが、
当時はそんなことも解らずにせりふを言っていました。
往時の劇団員だった前田裕己が「小男」を勝ち取り、
引き連れているリヤカーや昆虫採集用のアミを見ては
その小道具の由来を思い出し、長せりふを捲し立てました。
「小男」は忘れっぽい。それでいて、自身の体のそこここに
保管している小道具を見つめては、延々と思い出を語る。
健忘と偏執が激しく入り乱れる彼に唐さんは大層ご機嫌になり、
何やらご自身の創作へのヒントを得たようでした。
あれこそ「まだらぼけ」だよな!
どうやら唐さんは、つい先日までいた大阪の商店街で、
「まだらぼけに効く薬あります」と謳う薬屋さんに
強く惹かれていたらしいのです。
そこへきて、ご自身が20代の頃に生み出した
「小男=まだらぼけ」を発見した。実に愉快そうでした。
それから数ヶ月後に、唐さんは『泥人魚』を執筆。
「小男」と「まだらぼけ」は翌年に、唐さん演じる
「伊藤静雄」となって結実しました。
↓唐ゼミ☆となり、2019年に上演した『ジョン・シルバー』の「小男」
2020年12月 7日 Posted in
中野note
一昨日は、唐十郎ゼミナールが上演した『腰巻お仙〜義理人情いろはにほへと篇』が、
翌年に上演された唐組春公演『糸女郎』の着想に
活かされた話をしました。今日はその続きです。
2000年を過ぎて生まれた唐さんの代表作に『泥人魚』があります。
2003年春に初演され、好評を受けて11月には3日間の追加公演も
組まれました。追加は異例のことでしたから、このあたり、
機を見るに敏な唐さんの興行師的才覚を感じることができます。
その威力も相まって、年末には演劇賞受賞の打診が次々と
唐さんのもとに寄せられました。
年明けは、各演劇賞の授賞式を渡り歩いていた唐さん。
戯曲は初演前に早くも雑誌『新潮』に掲載され、
公演後、演劇賞の受賞ラッシュを経て単行本にもなりました。
現在でも、割りに手軽に中古本を読むことができます。
その『泥人魚』に出てくる「伊藤静雄」という役がある。
唐さんご自身が演じられた役柄です。
諫早出身の詩人「伊東静雄」の「東」の字を「藤」にしたのは
唐さんの作戦で、どこかニセモノの感じが漂う詩人です。
彼の特徴はずばり「まだらぼけ」。
ボケているかと思いきや、急にダンディを決め込む。
普段はドテラを来てオムツは汚物まみれ。
しかし、時計が20時の鐘を打つ時、突如として
タキシード姿の詩人として覚醒するという設定です。
ボケ時々ダンディ。まだらにボケているから「まだらぼけ」。
この場面は唐さんの面目躍如であり、
いつも客席は大ウケでしたが、
ここにも私たちの上演した劇『ジョン・シルバー』が
一役買うことができました。
時は、一昨日に書いた『糸女郎』初演の頃に遡ります。
つまり2002年春。この頃に唐さんの目にとまった二つのモチーフが、
一年後の「伊藤静雄」に繋がることになる。
続きは、また明日!
2020年12月 5日 Posted in
中野note
『唐版 風の又三郎』と同じく、あの頃も白の上下。
黒澤明の『野良犬』による唐さんへの影響が色濃い。
唐十郎ゼミナールが始まったばかりの頃。
唐さんが執筆をされる11〜12月にかけての「祠(ほこら)の時間」に、
自分たちがわずかなりとも影響をもたらしていると思えたことは
私の密かなよろこびであり、誇りでした。
2001年4月。私が晴れて大学3年生となり、
正式に唐十郎ゼミナール生となる資格を得た時、
初めて教授から下されたお題は
『腰巻お仙〜義理人情いろはにほへと篇』という台本でした。
これは、1967年8月、唐さん率いる状況劇場が
初めて紅テントという上演システムを開発して花園神社に
進出した時にかけた演目です。
何か、唐さんに感じるものがあったのか、
それとも、単に初演以来、再演の機会のなかったこの作品を
振り返ってみたかったのかはわかりませんが、
そのような記念碑的戯曲に私たちは挑むことになったのです。
あの年の夏、室井先生が横浜トリエンナーレに出品した
「巨大バッタ」で燃焼していた私たちは、その勢いを駆って
秋に稽古を本格化させ、12月の公演に臨みました。
上演の結果について、だいぶ手加減をして頂いた上で
唐さんはかろうじて褒めて下さった、
そのような苦さを孕んだものでしたが、
3幕で禿恵の分する「美少年」役が放った
「海辺をひとっ走りさ・・・」というせりふだけは、
せりふに溢れる推進力と、それに呼応して覚醒した感のあった
禿の活躍で、一定の成果を得たように思います。
ともかくも、強烈に"母"を題材にしたこの作品によって
私の唐十郎遍歴がスタートした時、唐さんが翌2001年の唐組春公演
にむけて執筆されていたのが、「代理母」という制度を取り上げて
同じ"母"をテーマにした『糸女郎』という演目でした。
あの芝居の終幕近く、ヒロインはこのようなせりふを云います。
「わたしは、ちりぬるをあわかですから。」
観客のほとんどに対して唐突の感を否めないこのせりふを聴いた時、
その前段で「いろはにほへと篇」を上演していた私は、
密かなうれしさに充たされました。
藤井(由紀)さんがヒロインとして台頭、大活躍したこの芝居の観劇後、
私は胸を張って帰途についたものです。
〜つづく〜
2020年12月 4日 Posted in
中野note
教授時代。2004.4.25。海辺で行った『ジョン・シルバー』公演
千秋楽の冒頭に立つ唐さん。
昨晩、『ベンガルの虎』を読んでいると書きました。
私は冬が近づくと、特に集中して台本を読みたくなります。
それには、私が師事し始めて以降の唐さんが、
よく11月に新作を執筆されていたことが影響しているように思います。
唐さんはこの時期をいつも、
「祠(ほこら)の時間」と呼ばれていました。
つまり、自分の内に篭って気を練り、
これからの指針を立てる時間にしようと云うわけです。
つまるところ、翌年の春に公演する作品を書き、公演を構想すべし。
学生時代から、私たちの秋公演本番は、
だいたい10月末から11月上旬に集中していました。
9月末から10月にかけて唐組紅テントが公演を終えると、
バトンを受け取るようなタイミングで私たちは公演してきました。
学生時分は全日、教授職を退かれてからも、
初日・中日・楽日という具合に唐さんは公演に立ち会って
くださいましたが、この時期の唐さんはいつもより緊張感があり、
あの大きな瞳が、ちょっとギラギラして感じられました。
あ、執筆をされているな、と私は思ったものです。
そういう時期は、いつも饒舌な唐さんが、しばしば宙空を見つめながら
「今は黙っているべきだ」というオーラを漂わせていました。
それから少しすると、「1幕」とか、
あるまとまった部分まで書き進めて感触を得ると、
今書いている芝居のモチーフや面白い場面について
お話をしてくださったものです。
唐さんが繰り広げる執筆中の芝居の話はすこぶる面白い。
しかしどこかで、唐さんはこちらの反応を伺いながら、
台本の出来をさぐっていたようにも感じられました。
そういうわけで、伺いながらやっぱり緊張したものです。
年末までに新作を書かなければならない、
いつも唐さんはそうおっしゃっていました。 〜つづく〜
2020年12月 4日 Posted in
中野note
公演が終わって間も無く2週間が経とうとしています。
あと3日で年季明け。新型コロナウィルスによる緊張感は
今も私たちに付き纏っており、今日のように急激に冷え込もうとも、
怖くて熱も出せません。
ところで、『唐版 風の又三郎』の全編は、
今も自分の頭と身体にこびりついており、
あ、2幕のあの部分はこう云うやり方もあったな、
などと改善案が浮かぶと、俳優たちを集めて試してみたくなります。
一方で、いつまでも『唐版 風の又三郎』ばかりをくゆらせているのも、
なんだか進歩がない気がしてきます。
通暁している演目に遊ぶのは愉しい。
けれども、未知の荒野に踏み出し、頭を抱えつつも
新たな作品を自分のものにしていかなければ。
そういう強迫観念にかられます。
そこで、『ベンガルの虎』に取り組んでみることにしました。
何しろこの作品は、70年代初頭の唐さんがホップ・ステップ・ジャンプで
生み出した成功作群の一角を担う傑作と云われています。
ホップ・・・・『二都物語』1972年春公演
ステップ・・・『ベンガルの虎』1973年春公演
ジャンプ・・・『唐版 風の又三郎』1974年春公演
と云う具合です。
『唐版 風の又三郎』は当然いつでもいける。
『二都物語』は明日から稽古しろと言われてもいける。
ところが『ベンガルの虎』はといえば、恥ずかしながら
これまでノーマークでやってきていました。
そこで、早朝に起き出しては、余儀に研究してみることにしました。
これはもう上演する・しないではなく、長年やってきたように、
一作一作のせりふやト書きを吟味し、理想の脳内劇場上演を
構想してみるのです。
方法は至ってシンプル。
台本を端から端まで、少しずつパソコンで打ち込み、
せりふやト書きを書き写していく、それだけです。
分量が多いので、全編を制覇するのに3週間ほど
かかりそうです。年内には終わりそう。
こんな風にして私のパソコンには、
大量の台本データが入っていますが、
コツコツと写してきた結果です。
現在、『ベンガルの虎』は1幕の半ばを過ぎたところです。
が、主人公の水島カンナが謎めき過ぎているし、
その他おおぜいの登場人物たちも、その行動原理がよくわからず。
今のところ、まったく歯が立っていません。
最後までいけば判るのかどうか分かりませんが、
ともあれ、こうしてひとつひとつ、
精通している演目を増やしたいと考えています。
2020年12月 1日 Posted in
中野note
本日は劇団集合でした。大きな公演を終えた後の劇団集合。
皆、それぞれにたて替えて買い物していたレシートを持ち寄って
精算を行いました。
いつの公演もそれぞれに力を入れてやってきたつもりでしたが、
それでもやっぱり、今回の公演は私たちにとって特別な大事業でした。
私としては、一年間もの時間をかけて準備した公演は、
2009年に上演した『下谷万年町物語』が思い出深い。
19歳の熊野が唐ゼミ☆に参加して、ほんの少しの出番にも関わらず
光るものを見せたのも、この公演でした。
熊野にはもちろん、個の演技者としての能力と野心がありますが、
同時に視野の広さという美点があります。
今回、織部という大役を担いながら私が不在の時の稽古場を
切り盛りしていたのは、紛れもなく彼でした。
自分とはまた違った統率力で皆を引っ張るのだけれど、
熊野の演じるべき織部はほとんどの登場人物より弱々しい。
そのアンバランスさには苦労していて、ようやく帳尻が合ったのは
本番直前だったように思います。
そもそも、今回の公演の演目に『唐版 風の又三郎』を構想したのは、
実は『ジョン・シルバー三部作』を終えた後に行った劇団集合での、
熊野の希望が強く影響していました。
彼は率直に、もっと打って出たいと言った。
そんな熊野の切実な意見に、私と劇団全体は大きく触発されました。
演目が、かくもストレートに唐さんの代表作かつ有名作になったのも、
なんとか新宿での公演を実現しようと、区や街の皆さん、
以前から公演場所捜しに力を貸してくれている友人・関口忠相君を
改めて「公演場所世話役」として頼って協力を仰いだのも、
もとは彼が発端でした。
そうだ!
このゼミログを毎日書くようになったのも、
ワークショップを始めて様々な人と出会うことができたのも、
去年の10月末に熊野が身をよじるようにして自身の渇望を
こちらにぶつけて来なければ、起こらなかったことでした。
Facebookを始めて、
唐ゼミ☆をやりながら、横浜国大で学び働きながら協力してきた人たちと、
ここ数年、KAATで働きながら知り合った多くの皆さんに
劇団と劇場、どの仕事も自分は本気でぶつかっていることを知ってもらおうと
思ったのも、彼がきっかけだったように思います。
自分より年少の劇団員とした約束には、抗い難いパワーがあります。
時には疲れて眠い日もあったけれど、
多くの文章を書きながら、その時々で多くの人たちとの切り結んできた作業を
振り返ることで、自分はかなり充実しました。
こう、『唐版 風の又三郎』上演に向かって、
唐ゼミ☆だからこそ可能な表現に向かって、
KAATで一つ一つ取り組んでいる仕事に対しても、
これまで以上に勇気が湧いてきました。
まだまだ振り返りたい人との出会い、
多くの人に伝えたい唐さんと唐十郎作品の面白さ、
追究を怠らない限り訪れるだろう発見や気づきが、
自分の日常には溢れています。
きっかけをくれた熊野に感謝しつつ、これからも更新も続けていこうと思います。
今更ですが、近々、Twitterも始めるつもりです。
2020年11月30日 Posted in
中野note
今回、私たちが上演した『唐版 風の又三郎』は、
概ね好評を以って観客の皆さんに受け入れられました。
少しは厳しいご意見もありましたが、
『唐版 風の又三郎』という演目自体に大変な威力があること、
役者たちがよく台本を体現し、中にはこれを使いこなす者もいたこと、
コロナ禍での上演というリスクを孕んだ公演にいつも以上の緊張感や、
観客の皆さんとの連帯意識を共有できたことが大きかったと考えています。
目下、
今回観に来られなかった方にぜひこの劇を見届けて欲しい、
上演終了後にもう一回観たいという方のリクエストに応えたい、
という二つの思いが、私を再演へと駆り立てています。
近いうち、何とかならないものか!
ところで、私たちは今回、
同じ演目を上演した他のバージョンと見比べられるという経験を、
ほとんど初めて味わいました。
これまで、せっかく「唐ゼミ☆」なのだから私たちしか上演しないものをと、
どちらかといえばマイナーな作品を手掛けることが多かったので、
これは新鮮な体験です。
唐さんの作品の中では『少女仮面』の上演頻度がダントツに高く、
ずいぶん差が開きますが、『唐版 風の又三郎』もまた圧倒的人気作です。
かくいう私も、金守珍さんや松本修さんの演出する本作に触れて
ここまで来ました。当然、影響を受けます。
また、今回は、特に主演をした禿恵が、
状況劇場が初演した時の李礼仙さんを彷彿とさせると
何人もの方におっしゃって頂きましたが、
これは私たちには確認のしようがありません。
一方で、とかく存在感や個性の以って語られやすい状況劇場の
俳優陣ですが、特に李さんは、圧倒的な量のダンスレッスンや
稽古を自らに課し、しかもテキスト重視主義だと伺っています。
(数年前にスズナリで観た『少女仮面』の「春日野」は、
これまでになくト書きに忠実で驚きました)
生真面目に追いかけていると、何だか似てくるのか。
それに、何人かの関係者に云わせれば、
とにかく状況劇場のメンバーは日々、劇団集合を重ね、
稽古を行っていたと。それこそ、公演があろうがなかろうが、
年末年始以外はとにかく"集合!""稽古!"であったようです。
どうやって食べていたのかは謎ですが、
そこで培われた阿吽の呼吸、鋼鉄のアンサンブルを
残された映像や音声の資料から感じることができます。
異様に練習しないと、あんなことはできない!
いずれにせよ、時代が違う私たちは
ありがちなアングラ風やテント芝居の上演様式、
唐さんの劇はこのようなもの、と云う思い込みを超えて、
目を皿のようにして台本の細部まで検討し尽くすことで唐十郎に
肉薄したい。さらに今回の公演で、見較べてもらうことは
なかなか面白いと気づいたので以降はメジャー演目も取り上げたい。
そう思っています。
2020年11月30日 Posted in
中野note
↑『唐版 滝の白糸』はこの雑誌に掲載されたのが初出でした(1974.9.10)。
今日は日曜日でしたが、
ワークショップの無い夜を久々に過ごしました。
ここ半年間は、ずっとハンディラボでZOOMをしてきましたから、
ちょっと不思議な感じがします。
初め、このワークショップは『唐版 風の又三郎』の出演者を
募集するために開始しました。
この大作には実にさまざまな登場人物が必要で、
現在の劇団員の数では特に男性役が足りませんでしたので、
稽古のさわりをここで体験し、作品の内容も伝えた上で、
出演を希望してくれる人がいたら良いと思ったのです。
と同時に、私たち劇団や唐さんのファンの期待にも応えたいと
思いました。コロナが流行する以前、私たちの劇団公演ではいつも、
芝居がはねた後にテントの中でお客さんお話をしてきました。
すると、中には唐さんの著作をたくさん所有し、何年にもわたって
本当によく読み込んでいる猛者が何人もいることが分りました。
そういう方たちと、あるいは全くの初心者でも、
とにかく唐さんの作品に興味を持つ皆さんに、
こういう読み方、愉しみ方がありますよ、
というご提案がしてみたかったのです。
実際、ワークショップの内容は、
読み解き甲斐があると私が感じた戯曲の一部分を俎上に上げて、
とにかく皆さんと一緒に声を出して読み込むというものです。
その方法自体、劇団で行う本読み、大学で展開している講座と
ほとんど一緒です。
戯曲を理解し、面白さを味わうにはこれが一番ですし、
実際に舞台に立つのであれば読んだ内容を体現するところまで
いかなければなりませんが、ここではとにかく読み手の頭の中に、
題材にした作品の理想的な上演がイメージできれば良いと考えています。
これは、ともすれば私たちの上演を観るハードルを上げてしまう
ことにもなりますが、自分たちに負荷をかける意味でもやっています。
再来週から始めるのは『唐版 滝の白糸』、
かつては沢田研二さんが主演で初演された1幕ものです。
ここから2ヶ月間ほどかけて、頭から読んでいってみたいと計画しています。
2020年11月28日 Posted in
中野note
今日はKAATで劇団員の米澤に会いました。
彼には、劇場で行っている事業についてアルバイトを頼んでいたので、
せっかくなので今回の公演について振り返ったり、
これからのことについて話したのです。
米澤は、自分と同じ愛知県の出身で、
彼がまだ大学1年生の時、『青頭巾』という作品を
野外劇に仕立てて東北巡回ツアーを行ったのに参加したのを
きっかけに劇団に入りました。
初めは、大道芸人役の重村の助手として舞台に上がりましたが、
2014年秋に新宿中央公園で公演した望月六郎さんの新作『君の罠』で
大きな役を任せると、持ち前の大音声を発揮してこれを乗り切りました。
以来、唐ゼミ☆の大きな戦力として頼りにしてきましたが、
番外として、藤沢市で行った秋元松代さんの『常陸坊海尊』や、
秦野市で行った山﨑正和さんの『実朝出帆』でも、
コミカルな役を演じて気を吐きました。
他にも、得意の映像編集技術を生かして、神奈川県内の町村部を
巡ってオリジナル・スタンダップコメディを創作した際は、
PVを作ったり。それに刺激を受けて自らもスタンダップコメディを
始めたり、建築家の山本理顕さんと佐藤信さんが協同して行った
名古屋の東別院での野外イベントの際は、
プラトンの極めて難解な対話編を朗々と読み上げて結果を出し、
それが、座・高円寺で行われたエドワード・ボンドの『戦争戯曲集』公演
への出演に繋がりました。
今回の「教授」はかなり大役で、
座組み男役の中で下から2番目の若さであるにも関わらず、
とにかく年長で偉そうにしていなければならない役を演じて、
大いにせりふを言い、笑いも取りました。
なんと云っても、初演は唐さんが演じられた役ですから、
千秋楽は大いに緊張したことと思いますが、
唐さんの観賞に堪えて初めて「唐ゼミ」ですから、
私としても手応えを感じています。
聞けば、今後に向けて個人的に構想し、走り出しているようですが、
栄養と休養を充分にとり、あと1週間を無事で過ごして
米澤の『唐版 風の又三郎』を完走してもらいたいものです。
2020年11月27日 Posted in
中野note
↑ぜんそく対策として、心肺機能を上げるようにしています。
年が明ければ40歳。
ああ、自分はおじさんなのだと実感しています。
さらに加えれば、おじさんにはおじさんの、
じわじわとした体力があることも実感しています。
実際、最近は随分と働き続けられるようになりました。
先日、公演明けにバラシを抜け出して桐朋学園に教えに行ったところ、
学生たちは皆、くたびれ果てていました。
私が『唐版 風の又三郎』に躍起になっている時、
彼らは彼らで、大学の中間発表のために奔走していたのです。
ペーター・ゲスナー先生が演出をして、
福田善之さんの『袴垂はどこだ』を上演したと云います。
なかなか興味深い企画。
4割の学生が欠席し、出席した人たちがつい眠そうにしているのを見て、
自分の学生時代を思い出しました。
横浜国大の丘の上に、『さすらいのジェニー』で唐組が使っていた
紅テントを立てて公演をする。短い公演期間が終わると、
夜から片付けにかかる。夜明けを迎える頃に倉庫への仕舞い込みが
終わると、ガストで雑炊なんかを食べました。
その後、家に帰るのですが、何日かすると決まって風邪をひく。
一番ひどかったのは、もう学生ではなくなっていた2007年の夏で、
暑かった『鐵假面』公演を終えた後に風邪をひき、
それが持病の喘息を併発させて、これがぜんぜん治らない。
ついに発作が止まず、横になると苦しくて眠れないので、
壁にもたれてようやくウトウトするのが関の山の1週間が過ぎた頃、
何度目かの病院に行ったところ、縦隔機種(じゅうかくきしゅ)だと
診断されました。要は、肺に穴が空く、気胸の一種です。
この時は、唯一の対処法である「安静にする」をひたすら続けて
回復を待つより仕方ありませんでしたが、とにかく公演後こそ
緊張を解いてはならない。油断は禁物なのだと痛感させられました。
ちなみに、喘息はたいそう苦しく、
なぜ自分はテント演劇などと云う気管支に負担が
かかる表現を選んでしまったのだろうと、自らの選択を恨んだこともありましたが、
そんな時の心の支えは、かの革命家チェ・ゲバラでした。
どうやら、彼もまた喘息持ちだと、ものの本で読んだ時、
私は心から励まされたものです。南米のジャングルに潜んで行うゲリラ戦より、
テント演劇の方が環境的には明らかにマシに決まっている。
だから、がんばろう、喘息持ち。
現在では対処法を色々と心得、
ましてコロナ禍の今回は風邪をひかずに切り抜けられそうです。
2020年11月26日 Posted in
中野note
片付けも終わった、本日の早朝。
やはり5:30には起きてしまう。
そこで、劇団として次にするべきことを考えました。
(1)今回の公演への御礼やご報告
お世話になった人たちの顔を思い浮かべています。
とりわけ、ご支援の募集に応えて下さった方々にどのように御礼をするか、
思案しています。少しお待ちください。
また、助成や後援をして下さったところにも、
報告書を完成させて早めにお届けしないと。
(2)『唐版 風の又三郎』再演の準備
年度が明けたら、又やりたいと思っています。
今回、Covid-19の影響で初めから観に来られないとおっしゃっていた方。
満席ゆえにお断りせざるを得なかった方。
また観たいとリクエストしてくださった方。
他にも様々いらっしゃいました。
私も、正直に云って『唐版 風の又三郎』は回数をやり足りないし、
もっと上質なものになるはずだと思っています。
第三波の到来がいよいよ確実になり、数ヶ月先のことが不透明な
昨今ですが、迅速に動いていきたい。
(3)劇団員の募集
これ! 絶対にやりたい。
今回の公演に接して唐ゼミ☆に興味を持ってくれた人が
今度は自分がつくる側になってくれたら貴重な戦力です。
今いるメンバーも覿面に活気づく。
募集の準備をしよう!
(4)ワークショップへの構想
当座、『唐版 滝の白糸』に取り組もうと思いますが、
公演を観て下さった方に、『唐版 風の又三郎』おさらいをやったら
喜んでもらえそうな気もしています。
『盲導犬』『海の牙』『蛇姫様』『夜叉綺想』なんかもいいですね。
憧れの『二都物語』や『ベンガルの虎』も熱い!
レギュラーとして定着して下さっている皆さんに、
リクエストをとってみたいとも考えています。
(5)新たな台本の研究
唐さんの台本は数えてみたところ約100本あり、
私が今すぐにでも稽古ができるレパートリーは20本ほどです。
まだ、80本もある!
例えば、過去に上演した『鐵假面』などは、
上演当時の私の青さから、核心を捉えたとはとても云えないレベルです。
かつて上演した作品も勉強してみなければなりません。
『黒いチューリップ』なんかもそう。
・・・とまあ、こう云う具合に進めたいことが満載です。
それにしても、昔、駆け出しの頃は公演が終わると、
何だか気が抜けて、決まって風邪をひいていました。
それが現在は、次から次へとやるべきことがあることが、
緊張と健康を生んでいます。
我ながら妙な体力がついたものだと、喜んでいます。
2020年11月26日 Posted in
中野note
今日は、昨晩に引き続きハンディラボでの後片付けをしました。
朝からやっと雨が降って、気温も落ちて、
もうすぐ冬を迎えるのだという天候になりましたが、
もちろん、一同に不満はありません。
ただし、今回は、
ここからあと11日間は風邪をひかない状態で過ごさなくては
ならないので、いつもより緊張を残した状態で、
私たちはコツコツと、ハンディラボの工房スペースに積み上がった
道具を整理し、収納して行きました。
中には方々からお借りしていたものもあって、
新たに2トントラックをレンタルしたり、
小ぶりなものであれば私の車で、各地に返却して回りました。
気田さん、佐々木(覚)さん、宮本君、小山君も
駆けつけてくれて、大いに助けられ、
皆は作業をしながら。しみじみと話もしていました。
再演をしたいので、作り上げてしまった膨大なセットを
どう仕舞い込むのか難儀しましたが、齋藤の手腕で押し込みました。
夕方18時は一通り区切りがつき、
産廃業者さんにゴミを引き取りに来てもらう作業を残して、解散。
私自身は、お世話になった寝袋を持って帰って来ました。
mont-bellの店員さんが言っていたように、洗濯機で洗って、
次回につなげようと思います。
今日はさすがに、公演を振り返る体力を残していません。
それは、明日以降で。
ご支援、ご協力、ご観劇、
共演やスタッフワークを通じて公演に関わって下さった皆さん、
ほんとうにありがとうございました。
一年前から躍起になって『唐版 風の又三郎』上演のために奔走してきた
劇団メンバーも、おつかれさまでした。
ここ数年、唐ゼミ☆は主に私を取り巻く様々な状況の変化により
停滞を余儀なくされてきましたが、皆さんのおかげで再生できたと
実感しています。コロナはキツかったけれど、あと10日間とちょっとで、
それも乗り越えられそうです。
そのためにも、今日はもう寝ましょう!
2020年11月24日 Posted in
30_唐版 風の又三郎 Posted in
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公演記録
新宿中央公園を後にする日がやってきました。
トラックやハイエースを結集させて皆が荷積みや掃除をする一方、
私自身はお世話になったさまざまな方々を訪ねて、歩き回りました。
新宿区の皆さんや公演管理事務所の皆さん、警備員さん、
歌舞伎町タウン・マネージメントや歌舞伎町商店街振興組合
近所の交番や熊野神社さん、ハイアットリージェンシーさん、
ラジオ体操の役員さん、本番中に静かにするよう取締りを
勝って出てくれた方まで。
本当にお世話になりました。
今日からようやく11月らしい気候に。
曇天で、時には小雨も降りましたが、ここまで続いた幸運を思えば
何でもありません。
午後2時半には積み込みを終えて、落ち葉を拾い集め、
皆で整列しながら前進して地面をくまなくチェック。
16日間を完全燃焼した新宿中央公園を後にしました。
その後、かなり久しぶりの感のあるハンディラボに帰ってきました。
広いこの倉庫の作業スペースを埋め尽くす機材、資材、道具、衣装の数々。
改めて見ると途方に暮れるようなの物量が、
あの劇場空間と舞台を構成していました。
午後10時までかかって作業し、残りは明日に持ち越すことに。
いよいよ明日で一区切りつきます。
翌日は10:30に会おうと約束して、皆、帰宅して行きました。
2020年11月23日 Posted in
30_唐版 風の又三郎 Posted in
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公演記録
今日はバラシでした。
千秋楽から一夜明け、一気呵成に舞台と劇場を解体。
組み上げる大変さに比べて、片付けの何と速いことか。
資材を仕分けながら、
ああ、この座組みも解散なのだという感慨が湧いてきました。
春に集まったメンバーでZOOM本読みを重ねました。
最終的に加わった気田睦さんとヒガシナオキの合流により座組みは完成。
よく稽古をし、よく作業をし、
みんなでお客さんを誘導して、総力戦で公演を築きました。
良いメンバー、申し分ない贅沢なメンバーでした。
ここで、劇団外から参加してくれた面々について、
改めて感謝とともにご紹介したいと思います。
【福田周平 珍腐 役(真ん中)】
劇団員の熊野が共演した縁で参加してくれました。
帝國探偵社のトリオの中で、もっとも生真面目で、
それが故に可笑しさのある珍腐を、生真面目に演じてくれました。
「唐作品はどうして前を向いて喋るんですか?」
という根源的な質問に応えてした
コインパーキングでの稽古が忘れられない。
福田君には「王様は裸だ!」と言ってのけるような大胆さがあって、
けっこう追い込まれた私は全身全霊でこの問いに答えることになりました。
2幕の「ゴツン!」といういささか無茶なせりふを実に巧みに言うのを、
私はいつも楽しみで舞台を観ていました。
【宮本悠我 電話できなかった自衛官(真ん中)】
横浜の劇団虹の素に所属する俳優です。まだ10代。
けれども実力は確かでパッションに溢れています。
3幕、熊野に絡んで職務への熱意を見せるシーンに
彼を送り出せることは、とても贅沢なことでした。
大道具の仕事もプロで、演じながら、
さりげなく舞台の仕掛けを起動させたりもしてくれました。
【小山祥平 喪章を付けた男(一番左)】
現役横浜国大生。後輩です。普段は映像製作をしている。
彼はノリがよくて、本領では無い演劇にいつも興味を持って
参加してくれます。おばあちゃん子であり、高齢者施設で
アルバイトしているからか、写真のシーンで老婆をあしらう
笑顔が堂に入っていました。2幕で高田を糾弾するせりふがどんどん
上手くなったけれど、俳優を目指しているわけでは無い彼の今後に
あの能力は役に立つ日が来るのだろうか。
【小林敏和 自衛官のリーダー(一番左)】
3幕でソーセージ片手に禿を追い詰める自衛官を演じた彼は、
本来ダンサーであり、映像の役者でもある。
さすが身体の仕上がりが違う偉丈夫であり、当然、動きがキレる。
唐十郎という存在に圧倒的な関心を持って、年明けにバーはる美を
訪ねてくれた。唐さんのせりふや複雑な段取りに四苦八苦したことも
あったけれど、興味を持てばニューヨークのハーレムにも乗り込む
突撃力で、せりふもものにしていった。
休憩時間、『特権的肉体論』についてトシトシと話していると
こちらまで学生時代のように熱くなってくる。
【ヒガシナオキ 淫腐(左から2番目)】
劇団を上手く辞めるのは難しく、戻ってくるのはさらに難しい。
それを体現してくれた人間性に、私は感謝と敬意を持っています。
社会人も経験し、しぶとく演劇を続けている彼は、
大人になった責任感や有能さ、演技と、あまり変わらないなあ
と感じられる表情を次々と見せてくれました。
ナイーブだった彼が、嬉々としてわざと贅肉を付けた身体を晒している
のを見ると、真の"プライド"とはこういうものだと納得する。
男の顔になったな。
【佐々木覚 高田三郎(右)】
『ジョン・シルバー』シリーズに引き続き、今回も参加してくれた
劇団820製作所の主演俳優。
普段は穏やかな佐々木君の表情、その彫りの深さにはどこか陰りがある。
だから、"死の青年"たる高田役をお願いした。
皆がこぞって自分について喋り、どんな奴だろうとお客さんに期待されて
出ていく愉しさを味わってもらえたと思う。
3幕でエリカが高田に後ろ髪ひかれるシーンを本番中も何度も稽古して、
これまでにない説得力を示してくれた。くれぐれも、普段は優しい人です。
【竹林佑介 宮沢先生(右)】
福田君と同じく、熊野と共演した縁で参加してくれました。
俳優らしい俳優。こちらのオーダーを受けて、作品のテーマの一つである
"変装"を次々に重ねるこの役をものにしてくれた。
演じわけにより優れてキャラクターを作るだけなく、
時には竹林君自身の声でせりふを自分のことばにして伝える術を一緒に探しました。
フィジカルが強く頼り甲斐があって、休憩時間には
内田光子さんのCDを聴くのに付き合ってくれた。どうもありがとう。
【丸山正吾 夜の男(真ん中)】
レギュラーメンバーとも云える役者です。みんなが彼を慕っている。
"変態"でなく"変態にならざるを得なかった"夜の男を一緒に追究しました。
2幕で伝説の男・樫村にビビりながら歯向かうところ、楽しみにしていました。
俳優がいかにも、このせりふを自分は好きなんだ、
この所作や場面を自分は好きなんだ、と全身で訴えながら演じる時に、
やっぱりお客さんも嬉しくなる。そういう役者です。
【気田睦 大学生(左)】
気田さんが「大学生」を受けて下さったことは、
今回の公演に起こった僥倖のひとつでした。
軍人家庭の末弟たる誇りと、厳格すぎる故の哀しさを生きてくれました。
他の共演者に送り続けてくれたエールや、
ダブルキャストによる稽古不足の不安に慄く新木とちろを辛抱強く
受け止めて下さった大きさに深謝します。どこかでこの恩を返さないと。
気田さんの小道具の捌き、リズムの作り方を、劇団員も見習って欲しい。
【鳳恵弥 桃子】
これまで桃子役に与えられてきた評価をどうしても覆したくて、
鳳さんの力を借りました。この役は夜の男に鉄槌を喰らわす重責だけでなく、
しっかりと織部に絡むんです。状況劇場作品はどうしてもヒロイン偏重で、
他の女性役に分量が裂かれない傾向にある。
けれど唐さんは、高田やエリカを中心とした三角関係の他に、
織部を中心とした三角関係も成立させたくてこの役を造形した、
それを体現しようと、鳳さんと一緒に目標を立てました。
3幕への振りとして、2幕までをちょっとコミカルにし過ぎた嫌いも
あるけれど、彼女の思い切りの良さに支えられました。
・・・とこう書いていると、だんだん感傷的になってしまう。
どうかまた一緒に仕事をしましょう!
最後に、千秋楽の直前にみんなで撮った写真を紹介します。
2020年11月22日 Posted in
30_唐版 風の又三郎 Posted in
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公演記録
今日も晴れました。そして昨日より温か。
朝、皆を集めて、終演後の段取りを打ち合わせました。
今日は唐さんが来て下さる予定になっていました。
唐さんに私たちの芝居をご覧いただくのは、
実に2014年1月以来のことです。
5年の間、どんな風に私たちが台本と向き合い、
そこに響く唐さんの声に耳を澄ませつづけて来たのか、
その成果を観ていただきたいと思いました。
唐さんが思い、書きつけたことを、
自分たちが汲み取れているかどうか、
それを舞台の力に昇華させて、役者たちが体現できているかどうか。
5日目の本番を受けた私からにアドバイスはほんの数点でしたが、
皆、いつもより念入りにアップしていました。
古参メンバーの、久しぶりに唐さんをお迎えする緊張。
最近入ったメンバーの、初めて唐さんに会えるという嬉しさ。
それぞれの高揚が相まって、千秋楽直前をして稽古に精を出しました。
日曜なのでお客さんの集まりも早めで、
何としても定時に芝居を発進させたい私たちには大助かりでした。
そして14:00きっかりに開演。
皆よく声が出て、身体がキレていました。
思い切りは良いけれど、怪我や事故に結びつくような危なげはない。
積み上げて来たものが生きたラストステージでした。
カーテンコールをして、唐さんも登壇をして、
コロナ禍を切り抜けた千秋楽に駆けつけて下さった記者さんたちに
取材も受けました。そして、唐さんや室井先生を中心にして、記念撮影。
欲張りな一日でしたが、これをやり切りました。
そして今、再演について考えています。
観に来られなかった方、定数制限によりお断りせざるを得なかった方、
もう一度観たいとリクエストして下さる方の期待に応えたいと思っています。
何より、『唐版 風の又三郎』のもっと先の可能性を考え抜きたい。
もちろん、同時に、まだやったことのない別の演目も追究したい思いも
溢れて止まりません。。
今日は欲張りです。次から次へと、もっともっとという気持ちが湧いてきます。
先ほど、唐さんに接したからかも知れません。
唐さんに会うと、何故だか疲れを忘れて、夢ばかり膨らんでしまいます。
2020年11月21日 Posted in
30_唐版 風の又三郎 Posted in
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公演記録
5日目の公演が終わりました。
今日は1幕を終えたところから急に冷え込みました。
考えてみれば11月下旬。これまでが恵まれ過ぎだったとも云えます。
すぐさまホッカイロをお客さんに配る。
ずっとストックして使わずにきたのが、ここでやっと活躍することに。
今日、現場に遅く入った禿は、
昨日から喉の調子が悪く、医者に行ってきたようでした。
全体にはいよいよお互いの連携が高まり、場にも慣れて芝居は登り調子。
しかし、如何せん声や喉は消耗品、どんなにケアしていても
あれほどまでに喋り、叫んでいれば、どうしても負担がかかる。
昨日の劇中歌練習からすでに不調は明らかでしたが、
何とか4日目の公演を乗り切り、
今日は禿を別動させることにしました。
残すところあと二日間、なんとか保ってくれよと
祈るような気持ちでいましたが、
お昼にやってきた彼女は「いけなくは無い」という表情をしていました。
話は少しズレますが、ここにきてようやく
私たちはこの新宿中央公園での公演に慣れてきました。
単に芝居を通すだけでなく、それが「公演」であるためには、
劇の他に様々な要素を整える必要があります。
受付の仕方や、お客さんの案内の方法、本番中に広場に集まってくる
皆さんに静かにして下さるようお願いするやり方まで。
初日以来、さまざまな局面で発生する摩擦をちょっとずつ、
少しずつ解消しながら、やりくりしてきました。
それが今日の本番開始直前、「あ、これでこの場所での公演が完成したな」
と実感できた。それほどまでに、本日の開演準備はスムーズに運びました。
それから、いつもの前説に立つ寸前、私は女子楽屋に禿を訪ねて、
今日はどのくらい強気のあいさつをしたら良いかを訊きました。
彼女のコンディションによっては、勢いに溢れ開始より、
落ち着いた感じの開演コールの方がフィットすると思ったのです。
禿の答えは「昨日の声の出を10とすると、今日は11くらい」
・・・それならイケると思いました。
例え緩やかでも、要するに右肩上がりには違いない。
そういうわけで、今日はさらに、自信満々の開演コールにしました。
結果、禿は確かに昨日より調子を上げていたように感じました。
役者の様子を見ながら、あとは任せた!という思いで
いつも開演前のステージに進みます。
2020年11月20日 Posted in
30_唐版 風の又三郎 Posted in
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公演記録
公演4日目の今日は曇天。
湿気が出て暑いほどでした。
昨日からの強風に加えて、昼間には小雨がパラリ。
公演には影響なく、助かりました。
新宿中央公園の落ち葉の量は半端ではなく、
朝にテント内を見て笑ってしまいました。
一晩かけて見事に吹き溜まっている。
これはもうチマチマやってもくたびれるだけなので、
稽古や食事、メイク、劇中歌の練習をいつもより早めに済ませて、
開場寸前にまとめて落ち葉をやっつけようという作戦にしました。
あれだけあれば、どれだけ焼き芋が焼けるか。
昨晩の小池都知事による会見は、
私たちにとっては、何とか千秋楽まで公演できそうだという
希望を持たせました。一方で、日々感染者数が増大していることは
純然たる大問題で、座組みやテント劇場の中から病気が、
ましてクラスターが発生しないよう、薄氷を踏む思いです。
本番中は元気いっぱいなのですが、
人によって疲労が目立つメンバーもいる。
喉もだいぶくたびれてきていて、主演の禿恵や、
重村大介、佐々木覚、小林敏和など、
舞台の進行をオペレーション室から観ていると、
かなりハラハラさせられました。
吹きすさぶ強風と舞い込む落ち葉。
それから、やたらと通り過ぎる本物の飛行機はなかなか良い味を出していましたが。
ここまできたら、何とか日々を全力でやりつつ千秋楽まで保たせるしか無い!
風邪の予防とコンディションの回復。
明日は30分遅らせて9:30集合。
2020年11月20日 Posted in
30_唐版 風の又三郎 Posted in
中野note Posted in
公演記録
未明、目が覚めました。
時計を見れば午前3時半。
なぜ起きてしまったのかというと、
終電上等の猛者、スケートボーダーが夜中じゅう、
孤独に練習を繰り返していたからです。
もう、ゴーゴーゴーゴー響いてくる。
私は良いのですが、一緒にテント番をしていた佐々木覚が気に掛かる。
彼は今回、高田三郎を演じて死の匂いをさせています。
3幕の畳み掛けるようなせりふのために少しでも多く眠り
温存して欲しい。
長編『唐版 風の又三郎』はとにかく多くの人間がよく喋る。
最後まで保ってもらいたいと切望しています。
午前9時に集合してからはいつものペース。
今日は記録用の映像撮影を計画していたので、
横浜国大の後輩たちがカメラとともに来てくれました。
それに応えてか、芝居の出来はゲネプロも含めた4日間で
もっとも充実していました。
朝から吹き始めた強風にテントや楽屋が煽られたり、
大量の落ち葉が劇場に舞い込んで、終始これを掻き出していましたが、
常に北風ばかり吹いている劇の内容にこの強風、
幸か不幸かマッチしていました。
上演を進めながら、目の前の都庁では、
小池知事が感染者の拡大を受けて会見を行っているようでした。
結果、かなり警戒感を強めていくことに。
すでに責任ある立場の方から、
それを受けてキャンセルの連絡が来ました。
残念ですが仕方ありません。
週末まで何とか公演は出来そうですが、
とにかく私たちはできる対策を徹底した上で、
日々、集まったお客さんに死力を尽くそうと申し合わせて、解散。
明日も9:00に集合。
2020年11月19日 Posted in
30_唐版 風の又三郎 Posted in
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公演記録
2回目の本番が終わりました。
緊張の初日から一夜明け、全体に柔らかさが出てきました。
それは、お客さんを入場からお見送りするところまでの対応もそうですし、
何より、せりふに喋り言葉としてのニュアンスが出ました。
唐さんのせりふは七五調を基本とした韻律を持っています。
かなりふざけた言葉も並んでいますが、一見、下品な物言いにも
美文調が薫っている。すると、ひたすらその美文調を追いかけて
しまいそうになるのですが、やっぱりそこは、役者が自分のことば
として言いこなす必要があります。
そうすると、登場人物同士のやりとりはずっと"生"になって、
彼らが何をしているか、お客さん的には体感的に理解でき、
話の進行がぐっとわかりやすくなる。
そういう兆しのある公演でした。
しかし、同時に、早くも喉の疲れの見え始めた本番でもあって、
公演終了後は即座に片付けをして、早く帰って寝るように促しました。
19:00前には解散。
本番を進行しながら、休憩時間にニュースに目をやると、
感染者数がかなり厳しいことがわかってきました。
明日には、何やら都庁で動きがあるらしい。
この建物の中でいつも見る会見をやっているんだな、と
思わず目の前の都庁を見上げてしまう。
そういえば、今日、ずいぶん前から予約していたお客さんから、
何人もキャンセルがありました。体調を悪くされたり、世間の情勢を
ご覧になってのご判断と思いました。
こういう時世ですから、事前に連絡してくださることをありがたく思います。
無理を押して公演をご覧になって、どなたか発熱した、
ということになれば大変なことになってしまう。
欠席のご判断を事前に頂くことで、当日券にも回せますし、
そういうご連絡でもって、公演を支えてくださっていると感じています。
その上で、立ち会ってくださる目の前のお客さんと、
3時間かけて圧倒的な場をつくることが、私たちの役割です。
加えて、一日一日、かなり厳しい状況になるだろうとも予想しています。
最悪、中止を迫られることもあるかも知れない。
今、やっている今日の舞台が、突然、千秋楽にならざるを得ないかも知れない。
だから、日々、健康管理と上演環境の衝動や換気に細かく気を配り続けて
惜しまずに死力を尽くす本番にします。
・・・何か悲壮感があるようでもありますが、
考えてみれば、これは"演劇"のいちばんシンプルな状態だとも思います。
もともと、体調管理して普通、一回に賭けてこそ! ですから。
興行的には色々なリスクがあって頭を抱えてしまいますが、
"本番"が掛け値なし、一回こっきりの"本番"となって燃えてきます。
いっそ、わかりやすくていい!
余念なく準備して、明日もやります!!!
ちなみに、そのようなわけですでに確実キャンセルも出ていますので、
当日券が何枚かずつ出ます。
迷われている方は劇団にお問い合わせください。
070-1467-9274(劇団携帯)
2020年11月17日 Posted in
30_唐版 風の又三郎 Posted in
中野note Posted in
公演記録
本日も晴天。
上着をきて動いていると汗ばむほどの暑さ。
11月下旬を目前にして、幸せを感じます。
下北沢で公演している先輩劇団・新宿梁山泊の皆さんも
同じ気持ちでいるに違いありません。
『犬狼都市』、ついに観に行かれなさそうですが、
きっとあちらも気を吐いているに違いありません。
先日の取材から一夜明け、
東京スポーツ(あの東スポ!)に記事が掲載されました。
周辺には、やれ薬物だ!不倫だ!という話題に溢れていますが、
私たちのことを書いてくださった文章は正統的で、
新宿の皆さんと唐さんに少し恩返しができたのではないかと思います。
9:00に集合をし、
10:00に稽古をし、
11:30から食事とメイクに入り、
12:30に劇中歌の練習、
13:00に受付開始、
13:30に開場モードに入るルーティンは、
昨日までと同じ。
そこに加えて、今日は実際にお客さんをお迎えするわけで、
ギリギリまで場内の消毒に時間がかかったり、
当日パンフレットを設置し忘れていることに開場直前に気づいて
力技でやっつけたり、初日らしい初日でした。
芝居も初日らしく硬さがあったけれど、昨日より格段にスピーディで、
自分の要求によく役者たちが応えてくれた本番でした。
本番中も、スケボー選手たちに理解を求めたり、
公園に来た演劇サークル風の若者たちが稽古に入ろうとするのを
静止したり、テント公演をやっている実感の湧くこと仕切りで、
劇の中と外、全員で一丸となって対峙しました。
コロナ対策でお客さんのお見送りも満足にできない状況ですが、
長い夜にかけて仲間うちで初日公演の総括や明日への改善点について
ゆっくり話すことができるのも、この時期に許された大きな贅沢と
受け取っています。
そうそう。19時を目指してテントに来た方、何人かいらっしゃいました。
実はこれ、どなたも先輩演劇人。
勝手知ったる皆さんにとって、テント芝居は19時開演とインプット
されているところに、唐さんの偉大さを再確認しました。
開演時間、今回は全て14:00です!
2020年11月17日 Posted in
30_唐版 風の又三郎 Posted in
中野note Posted in
公演記録
今朝も9:00に集合し、仕事にかかりました。
今日の目標は14:00からのゲネプロ。
公演本番と同じ時間にやりますから、
ここから日曜までは同じタイムスケジュールで動くことになります。
↑ご支援いただいた方のお名前を載せた唐ゼミ☆流芳名板も設置完了!
集合時には1日のスケジュールを確認して後、
舞台復旧とテント周辺の整備にかかりました。
10:00からは稽古。
特に序盤の集団シーンを中心に気になるところを1時間稽古。
その後はフリーで各自が気になるところを稽古。
11:30から食事とメイクに入り
12:30から歌練習
12:50に客席を作り、受付開始時点からの役割分担
13:20頃にはスタンバイしました。
13:40の開場時間手前から、
今日のゲネプロにお招きした関係者が集まってきました。
いつもとは違い、公演本番には定数制限があるので、
出演者の事務所スタッフや懇意にしている劇団のメンバーなど、
お迎えすることにしたのです。
それから、今回はメディアの方を何社かお招きすることにしました。
コロナ第三波の到来が告げられてもいますし、
様々な理由から現場に来られない方のために、
少しでも現場の様子を伝えたいと考えたのです。
せっかく『唐版 風の又三郎』という唐さんの中でも屈指のメジャー作品に
挑むことでもあるので、間口を広くしたいとも思いました。
14:00から私の挨拶とともにゲネプロ開始。
テントで各幕をノンストップで通すのは初めてとあり、
想定よりタイムが伸びてしまいましたが、
休憩時間=場面転換にかかる所要時間を含めて、まずまずのタイムで終わりました。
17:12頃に終演。終了後は、囲み取材を行いました。
18:00より明日への改善目標を伝え、急いで片付けをして19:00には解散。
夜には早く休むことが肝心で、明日も朝早めに起きて一同に介することになります。
朝型生活をルーティーンにしようと誓い合って、私たちは本番体制に入りました。
気づけば、『唐版 風の又三郎』上演を決め、
このゼミログを毎日更新しようと決めた日から、1年ちょっと経ちました。
明日が初日!
2020年11月15日 Posted in
30_唐版 風の又三郎 Posted in
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公演記録
今日も晴れている。
現場入りの日からずっと、晴天。
おそろしく恵まれています。
こんなことは東北4カ所を巡回して以来だと、
何人かで話し合いました。
逆に、テントの雨漏り想定ができず、少し心配ではありますが。
このまま晴れのまま走り切る公演なのかもしれない。
そんな風に希望を持っています。
今日は一旦、稽古から離れて、
残りの作業を詰めて行きました。
客席や場内のほころびを整える仕事。
劇場の外装を飾り切って受付を設える仕事。
そのどれもが公演に欠かせないものです。
何人かのチームに別れて役割を負い、
ひとつひとつ、皆で解決していきました。
そしてなんと言っても、
今日のメインディッシュはエンディングの仕掛け。
これに午後から夕方、夜にかけての時間を総出で費やしました。
結果、首尾は上々、皆で明日の舞台に強い希望を持って、
帰途につきました。
何人かの人間は、まだテントや楽屋に残って仕上げの仕事をしている。
こういう献身を見ていると、どこまでも本番の舞台に向けてのみ
聚斂していく劇団の表現が、やっぱり演劇の基本だという
信念を強くします。
気づけば20年。よく続けてきたなと思うと同時に、
もう一息、明日に向けた考えをまとめてから、
テント番を米澤と小林に任せて横浜に戻ろうと思います。
2020年11月14日 Posted in
30_唐版 風の又三郎 Posted in
中野note Posted in
公演記録
今日も晴天。昨夜はテントに泊まりましたが、
ほとんど寒さを感じませんでした。
ここにきて、冬への移り変わりは
少しペースを落としてくれているような気がします。
もっと極寒かと怖れをなしていましたが、僥倖です。
今日は3幕の場当たりをメインに、
場面転換の練習にも取り組みました。
3幕の上演時間は1時間ほどです。
1幕の方が量感がありますが、
如何せん芝居全体のクライマックスとあって、
舞台に続々とそれまでの登場人物たちが結集してきますから、
照明を合わせるのに時間がかかります。
さらに、危険度を伴う大仕掛けについては、
何度も反復練習をしてシステムを確立させ、
安全性を確保する必要があります。
また、場面転換もけっこう重要で、
空間的に連続していた1〜2幕から一転、
3幕はお茶の水周辺にやってきます。
その分、丸ごとセットを変えなければならない。
うちの劇団は専属スタッフは齋藤と私のみで、
あとはキャストがスタッフワークを兼ねて行います。
それが、2幕から3幕の間が多くの人間が早替えを要求させるので
戦力に乏しく、困った状況です。
なんとかやり繰りする方法を思案と実験を繰り返して捻り出しました。
昨日と併せて全編が流れるのを確認すると、
すっかり陽が暮れて寒くなり、限られたメンバーを残して早々に解散。
ここで誰かが熱を出したらゲネプロや初日に差し障る時期に入りましたので、
風邪予防、感染症対策からして、早く帰宅して早々に休むよう言い渡しました。
明日にエンディングの仕掛けを整え、
観客導線はじめ細部を詰めて整えきったらいよいよ本番モードです。
ご支援を頂いた方のお名前を入れた芳名板、
劇中に出てくる代々木月光町地図(津内口デザイン)が届きました。
明日、劇場の前に掲示板をたてます。
2020年11月13日 Posted in
30_唐版 風の又三郎 Posted in
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公演記録
ヘトヘトだった4日目から一夜明け、太陽の光が再び戻ってきました。
皆で元気を取り戻し、今日から本格的な稽古を再開しました。
実際の舞台セットや照明の中で各シーンの立ち位置や動きを確定させていく
「場当たり」という作業です。
舞台装置の転換に関わる不具合などもあぶり出して、
同時に解決にかかります。
皆、川崎で稽古していた時以来、
久しぶりに衣装を着て稽古に臨みました。
スタート時点では、舞台の寸法や道具の立ち位置、
登退場口の狭さ、共演者との距離感など、
問題が一緒に押し寄せてきて面食らっていましたが、
7時間をかけて、1-2幕を整えることに成功しました。
夕方からはぐっと気温も落ちるので、
片付けをしっかりしたら早めの解散として、
明日も日照時間をフルに生かして3幕に取り組みます。
それにしても、開演時間を14:00にして良かったとつくづく思います。
常態的な換気を確保するとなると、やはり夜は寒すぎて、
観劇や演技どころではなくなってしまいそうです。
昼間は、これで結構快適です。
寒くなってきたな、と思ったらエンディングに突入!
そういう時間の計算です。
初めての参加メンバーに、テント空間での立ち方や視線の向け方、
せりふの伝え方を伝えると、あっという間に馴染んでいきます。
様々なバックグラウンドを持つメンバーが、
一つの美学に向かって急速に合流しています。
初日まで、あと4日。
2020年11月12日 Posted in
30_唐版 風の又三郎 Posted in
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公演記録
現場入り4日目の今日は初めての曇天。
雨こそ降らないから良いものの、深々と底冷えがして、
私たちの体力を奪っていくように感じられました。
週明けから皆で躍起になって働いてきましたが、
ちょっと冷静になる時期に差し掛かりました。
作業の要である舞台監督の齋藤など、
もう朝に出会った瞬間からくたびれ果てていて、
痛ましいような感じ。
皆が皆、寒い寒い言いながら働いています。
テント公演に慣れた劇団員はここまでくると口数少なく、
寡黙になる。まるで体力を少しでも温存するかのようです。
初参加のメンバーは、興奮と疲労をせわしなく行ったり来たりしていて
ハラハラもするけれど、やっぱりテント公演の現場に出会って
彼らが嬉しそうにしていると、こちらも嬉しく、
誇らしい気持ちになります。
テント芝居というと"演劇"という全体の中の1ジャンルのように
思われるかも知れませんが、私たちには特段変わったことをしている
感覚がありません。むしろ、小屋掛け芝居って正統なんだと任じています。
参加してくれたメンバーがそれに共感してくれる。
今度はその自信を全体でもってお客さんにぶつける。
そういう機会が、もう目前に迫っています。
今日は舞台の仕掛けを確認しつつ稽古を再開しましたが、
若葉町WHARF以来のブランクと、ここ数日間の疲労と寒さ、
初めて立つ今回の本舞台に、もれなくすべての身体が戸惑っていました。
それでも、エンディングを試してみんなが一発で決めたことに、
希望を持ちました。
ここは一旦寝て、明日からもう一度仕切り直します。
初日まで、あと5日。
2020年11月11日 Posted in
30_唐版 風の又三郎 Posted in
中野note Posted in
公演記録
今朝も9:00きっかりに体操からスタートしました。
今日は3幕もののセットをかわるがわるたてては
明日から始まる場当たり稽古の準備をするのがミッションです。
当然、音響や照明も仕込む。
特に照明仕込みは大変ですが、
今日もまた多くの助っ人の力を借りて作業を前進させました。
と、レポートはここまでにして。
今回は、現在までに頂いてきたご支援への御礼を申し上げたいと思います。
情報解禁をした3ヶ月前から、
いつも頂戴してきた差し入れやお花のかわりに、
公演案内に併せて封書やネットで皆様へのご支援をお願いをして参りましたが、
ほんとうに多くの応援を頂き、改めて感謝申し上げます。
去年の『ジョン・シルバー3部作』を終えた後、
私たちは次回公演について話し合いました。
唐十郎ゼミナールが始まって20年、劇団の公演回数が第30回、
節目の公演をどう飾るのか、私たちは思案しました。
その中で、主に私の身辺にさまざまな事情があって、
ここ数年に劇団活動が停滞してきたこと、
劇団や劇団員が思い切り暴れ回ることができる機会が
減少してきたことにも向き合いました。
ですから、2020年は唐ゼミ☆が劇団として再生し、
再生する以上に以前よりも飛躍しようという願いを込めて、
演目には、唐十郎戯曲の金字塔たる『唐版 風の又三郎』を選び、
公演場所には都内の中心地を目指しました。
日常の中でもっとも劇団活動を上位に置いて勝負をかけよう。
そう気合いを入れました。
しかし、そうした矢先にコロナが・・・
正直に言って勢いを削がれた時期もありましたが、
やはり私たちは、公演が実現できる可能性に賭けることにしました。
それからは、多くの役者が集まり、
公演場所も新宿区に多大なご協力を頂き、
そして、皆様から激励のメッセージとご支援を頂戴することができました。
今現在も、いつ中止になるとも知れない公演ですが、
可能性があることへの希望や、応援のありがたさがリスクを遥に凌いでいます。
もしも年明けの日常が続いていたら、
ここまで公演に漕ぎ着けることに感謝し、燃えられなかったようにも思います。
それほどの力を、すでに私たちは頂いています。
テント演劇や、唐さんの作品に取り組む集団があって欲しいという
皆様の後押しを強く感じながら、ひとつひとつの作業に当たっています。
ここ数日間でクリアしなければならない課題は山ほどあります。
疲れてくればリスクも増す。
けれども、このような挑戦の場にいられること自体、
私たちにとっては僥倖です。
ほんとうにありがとうございます。
皆様のご厚情にお応えする第一義は劇の内容であると受け止めていますが、
それとは別にも、何かお返しができる方法がないかと、
現在、劇場の壁面デザインと外装づくりに励んでいます。
これが完成し次第すぐにレポートしますので、愉しみにしていてください。
2020年11月 9日 Posted in
30_唐版 風の又三郎 Posted in
中野note Posted in
公演記録
天高く、胸も高鳴る新宿の朝。
やってきました、中央公園。
トラックを2台並べて、怒涛の荷下ろし。
道ゆく人も足を止め、
ここに劇場ができることを知る。
空中戦も久しぶり。
初参加メンバーは地上からサポート。
作業はトントン拍子に進み。舞台上の拡張部分に差し掛かる。
重村の、火花を散らす鉄パイプ斬り。
ついにたった! 4年ぶり、新宿中央公園の青テント。
2020年11月 8日 Posted in
30_唐版 風の又三郎 Posted in
中野note
↑眠ったからだを叩き起こすラジオ体操
本日は快晴にして気候も温か。恵まれました。
早朝より齋藤と浜川崎に行き、
4トントラックをレンタルするところからスタート。
ハンディラボに到着すると、定時の9:00より30分以上前から
メンバーは続々と集結。
いよいよ現地入りが近づき、全員の武者震いを感じます。
定時に朝礼をして、
ここからの集団作業において、個食と一人ずつの喫煙を厳命しました。
ついついマスクを外している状態でお喋りをしまいがちですが、
公演の完遂が最優先。
ラジオ体操をして、平トラックから積み込み始めました。
列をなして、声を掛け合いながら、倉庫の中から続々と資材を送り出せば、
シュミレーションを繰り返してきた荷台の上の重村が、テンポよく捌く。
元来、整理整頓が得意で異常にキレイ好きな彼は、適材です。
初めて唐ゼミ☆に参加しているメンバーもたちどころに役割を心得、
良いチームワークが生まれています。
昼食は、方々でかなり距離を取りつつ・・・
その後、平トラックを完全に積み終わりました。
15:30からは、お願いした運転手さんの運転で
4トンのアルミバンがやってきました。この運転手さんが良かった。
実に的確なプロの指示で、テキパキと機材や衣装ケースなどを積載。
17:30には終了。
掃除も終え、ここ1ヶ月間やりたい放題に使わせてもらってきた
ハンディラボももとの姿を取り戻しました。
全体は解散しましたが、私と佐々木あかりは、
これから公演前、最後の唐ゼミ☆ワークショップを行います。
2020年11月 7日 Posted in
中野note
↑唐組にお借りした照明機材もあります!
明後日に迫った現場入りに備え、
唐ゼミ☆の拠点であるハンディラボに皆が集結しました。
明日から持ち出す荷物の一切をまとめるためです。
荷物は、テント設営のための鉄骨や幕
舞台装置を構成するパネルや机やイスなど道具の数々といった
大掛かりなものもあれば、
衣裳や小道具、照明や音響の機材などのように繊細なもの、
受付を構成する事務用品まで多岐に渡ります。
皆が集合したのは、
役者ひとりひとりに収納ケースが1〜2個割り当てられ、
その中に、ケアした衣裳や小道具、メイク道具をしまうためです。
これに関しては、完全に自己責任。
現場に行って「忘れた!」などということが無いよう
念入りにチェックします。
一方、私は方々に買い出しに行きました。
衣裳ケースが足りなかったので、ホームセンターへ。
あるいは、ともすれば最低気温が冷蔵庫の中並みになる11月下旬の
テント番に備えて、寝袋を新調しに行きました。
これにはかなり散財せざるを得ませんでしたが、
ただでさえ大事な一人ひとりのからだ、
加えて、現在はコロナ禍ですから、
誰にも風邪をひかせるわけにはいきません。
mont-bell山下町店にて、店員さんに説明を受けながら、
0℃でも大丈夫!洗濯もできます!
という触れ込みの優れものを購入しました。
今回、テント番は二人体制なので、
中くらいの背たけの人用と高身長の人用を2種購入。
米澤が両方を試し、暑いくらいですと言っていました。
これから寒くなるんだから、今は暑いくらいで良い!
みんなでいると笑いに溢れ、勢いづきますが、
家で夜中にハッと目覚めたりすると、
せっかくつくってきた私たちの『唐版 風の又三郎』が
根こそぎ陽の目を見ないままに終わるのではないかと、
ゾッとすることがあります。それゆえのmont-bell奮発。
ああっ、神様!仏様!
明日はトラックへの荷積み。早朝からスタートです。
2020年11月 6日 Posted in
中野note
↑超強力助っ人の気田睦。寡黙な兄貴分です。
作業日である今日は、私は方々を駆けずり回っていました。
朝から平塚市に行き、夕方には都内に行く。
その間、ハンディラボでは、
劇団員全員が助っ人の力も借りて、道具づくりを追い込みました。
『唐版 風の又三郎』には、
芝居が大団円を迎えるために必要な道具がある。
それを必死になってつくる。
また、舞台上に飾るものだけでなく、
劇場の外装を設えることも極めて重要です。
お客さんが新宿駅からやってくる時に「あれだ!」と華やぐもの、
テントの周辺を通り過ぎるだけの人にも気になる存在であるため、
意匠を凝らします。
こういう外装の大切さと面白さを教えてくれたのは、
2009年の『下谷万年町物語』に出演してくださった後、
翌年に亡くなった、元第七病棟劇団員の入方勇さんでした。
『下谷〜』の時、車に資材を積んでやってきた入方さんは、
手慣れた様子でテキパキとテントを飾り付け、
あっという間にステキな外装を完成させました。
その手際と仕上がりの良さに、私たちは目を丸くしたものです。
↑『蛇姫様』公演の青テント外観
2010年初夏の『蛇姫様 わが心の奈蛇』にも、
入方さんは出演しないにも関わらずやってきて、
さらにデコラティブな外装を展開。
それから数ヶ月後の訃報は、私たちに衝撃を与えました。
そんなイズムを受け取って、私たちはそれから、
テントの外側にも凝ることになったのです。
他にも、月曜から始まる野外作業に備えて、雨合羽を干したり。
合羽は防寒具にもなりますから極めて重要。
久しぶりに風を通し、太陽の光を当てていると、
臨戦態勢であることを実感します。
明日から、新宿入りのために荷造りが始まります。
2020年11月 5日 Posted in
中野note
劇団虹の素の宮本(左)、現役大学生の小山(真ん中)、
ダンサーで普段は映像の俳優をやっている小林(右)が、
要所で重要な役割を担います。彼らの戯曲理解が超重要です。
今日は暖かな日中の時間を存分に生かそうと、朝のうちに集合しました。
そこで、昨日の2回目の通し稽古の結果を受けた修正をする。
修正作業というのは主に二通りのやり方があって、
上手くいっていない箇所を指摘し、
こうすればもっとよくなると言葉でアドバイスを送る場合。
実際にその場面が理想的になるまで、出演者総出で何度でも繰り返す場合。
こんな具合です。
1回目の通し稽古の翌日は、徹底して後者をやりました。
これには大変に時間がかかるのですが、コロナ禍の影響で
私たちは直接に多くのメンバーが集まらないようにしてきましたから、
どうしても実際の手合わせが不足していたのです。
昨日の2回目は、半々。
せりふの機微などについては、もう言葉で伝えるにとどめ、
音楽との絡みや出演者が入り乱れるところなど、
実際にやってみなければ改善できない要所を当たるのみにしました。
ですから、稽古場である若葉町WHARFを使える時間は
まだまだありましたが、全体での稽古を、
まだ陽が残っているうちに終えることができました。
次に稽古に取り組むのはテントをたてた後、場当たりで、
ということになります。
稽古を終えると、劇団員たちの大半はハンディラボに急行します。
集中して稽古を行ったこの10日間、齋藤は一人で頑張り続けているのですが、
どうしても遅れが出ている。そこで、作業の応援に行ったのです。
一方で、禿と、唐ゼミ☆に出演している外部の人たちは稽古場に残り、
自分たちの試行錯誤をしていました。
そう云えば、今回は、自分たちで工夫する話し合いの場が激減していた。
これは、テレワークを導入せざるを得ないあらゆる仕事の現場で
起こっていることでもあると思います。
事務作業をしながら、彼らの会話がふと耳に入ってきます。
すると、今回の公演で唐作品自体に初めて接した役者までもが、
『唐版 風の又三郎』全編の筋や、自分の与えられた役柄と役割、
せりふや所作が果たすべき役割をもとに、今の舞台での動き、
せりふの言い方を考えていることが、彼らのやり取りから伝わってきました。
当たり前といえば当たり前ですが、
半年前は自分の頭の中だけにあったことが出演者の一人一人に伝わっていると
感じる時、演出家としての手応えを感じます。
2020年11月 3日 Posted in
中野note
↑スタンバイする丸山正吾。
ウォーフにはこのような大きな窓があり、気になって覗いて行く人もいます。
昨日は3幕終盤をずっと観ているおじさんがいました。
さすがに観過ぎだと感じて音響席から睨み付けると、おじさんは
頷いてさらに前進。窓にへばりついて観続けた挙げ句、
やがて頭を下げ、手を振って去りました。
良い人なのかどうか、まるでわからない!
本日は若葉町WHARFをお借りしての稽古。
先日までの川崎H&Bシアターのように舞台装置を持ち込んだり、
衣裳や小道具を持ち込んだりはできませんが、
川崎での修正の結果を受けた2度目の通し稽古を行いました。
今回は劇団員の新木遥水とちろがダブルキャストで
「老婆」役に挑んでいるので、新木がこの役をやるバージョンの
通し稽古でもあります。
川崎は天井も低く、音響的にはデッドな空間でしたが、
元銀行であるWHARFは反響が大きいですから、
以前よりも演技に対する力の込め方が違います。
同じ熱演でも、ボリュームに託して開放的にやるのでなく、
より内向的にして、声の大きさよりも滑舌を重視するよう
集合時に伝えて臨みました。
どこの劇場でもそうなのですが、
音の反響はお客の入りによって変わります。
夏と冬では、冬の方が衣類が厚く、また量も多いので、
よりデッドになります。
テント劇場の場合、これに天候の影響が大きく加わるわけですが、
今回は特に、換気力を確保するためにテント側面の下の方を開けて
臨みますので、当然、音の返しは少なくなります。
人間の体は頭で意識せずとも自然に環境に順応しますから、
お客さんを前にすれば、自ずから皆さんにせりふを聴かせたいと実感し、
周囲の環境に対応しながらそれを実行するのが役者の本能ですが、
みんなの場合は、もっと戦略的にそういうことを考えて欲しいと
いつも思っています。
結果的には、WHARFという環境は、
稽古を積み重ねて疲れの蓄積している皆の喉には優しく、
また、自分たちのせりふを改めて聴くにもってこいの場でした。
上演時間は、2度の休憩を入れて3時間5分ほど。
終わって18時を回ると、気温が急激に落ちてきました。
建物の一階なので底冷えもするので、修正や微調整の作業は明日に行います。
明日で稽古は打ち上げ。
『唐版 風の又三郎』について、物語を進行させ、
唐さんが執筆時に思い描いた衝動をかたちにする作業は、一区切りします。
そして、これからが重要。
上記のような「型」ができたところで、テント設営の中で喉を休ませつつ、
どうしたらこの「型」に魂を込めることができるのか考えるのです。
熱くて、身を切るような魂を一気にこの「型」に流し込む!
ここからが、新たなスタート地点と云えます。
2020年11月 3日 Posted in
中野note
↑稽古休みの日も働きつづける重村大介
今日は稽古休み。
劇団のメンバーは遅れている舞台装置づくりをハンディラボで行います。
土曜日の全幕通し稽古を受けて、衣裳などにも注文を出しましたから、
それにも対応しています。
椎野や津内口は新宿中央公園を管轄する消防署に手続きに行き、
禿は当日パンフレットの仕上げにかかる・・・
疲れて、消耗してはいるけれど、
公演の完成像をそれぞれに思い描きながら、
こうして一手一手、そこまでの道のりを詰めていく。
こういう時に力になるのは、一昨日の通し稽古の感触です。
必ずこの劇が上手くいくというが支えとなって、私たちが作業を進める推進力になっています。
一方、私は朝から若葉町WHARFに行き、
次いで床屋で散髪、KAATの事業の会議に出席し、
さらに仙川の桐朋学園に教えに行きました。
そこからまたKAATに戻り、主催で行っている公演の終わりを待って、
観劇後の何人かと打ち合わせをしました。
KAATにいて、徹底した分業を目の当たりにしていると、
同じ舞台づくりでも、劇団との違いをまざまざと実感して、
これを面白く思っています。
芝居の内容を熟知した者によるセットや衣裳づくり。
芝居の内容に惚れ込んだ者による消防申請。
芝居の内容を体現する者が行う、当日パンフレット入稿。
これらこそ、"劇団"表現の醍醐味にして最終奥義であるといえます。
2020年11月 1日 Posted in
中野note
初めてフルメンバーで、初めて全ての幕を通しました。
1幕 59分 2幕 44分 3幕 58分
というタイムでした。
一昨日に3幕を通した時にはどうなることかと思いましたが、
昨日の立て直しの甲斐あって、物語が滞りなく進行し、
さらに1幕・2幕で張り巡らせた伏線が結実するようになりました。
また、通し稽古を終えた何よりの成果は、
役者たちにとって、これまで必死で組み立ててきた自分の演技や場面が、
他のメンバーが演じるせりふや動き、場面にどう関連付けられているのかを
意識し始めることができた点にあります。
木を見て、森を見て、木を見て、森を見て。
稽古はそれを繰り返しながら、自分の一瞬一瞬により強い確信を得ていく
過程だと思いますが、皆にほんとうの意味で、初めて全体を意識させることが
できたように思います。
通し稽古のあとは、達成感もあったでしょうし、
長大な上演時間と内容にヘトヘトになっていましたから、
ざっくりと改善点や優れていた点を伝えるのみにして、
衣裳や小道具のケアをしっかりとさせて、早めの帰宅を促しました。
もちろん、手直しは膨大にありますから、
また改善策を練った上で、明日は一日、各シーンの修正に費やします。
川崎で過ごした1週間は贅沢で、実り多い時間でした。
名作と呼ばれ続ける唐十郎作品の真価を、骨の髄まで実感しています。
2020年10月30日 Posted in
中野note
本日の稽古風景
昨日は3幕を通し稽古してボロボロでした。
そこで、昨晩から今日のお昼にかけてはよく休養をとらせ、
今日の稽古自体も、皆にできるだけ負担をかけず、
最短距離で実行できる改善策を練りに練って臨みました。
ダラダラと長時間にわたって稽古すれば、
疲労→発熱→公演準備の強制中断→公演中止 or 低レベル公演
の転落コースが待っています。ああ、ほんとうに怖ろしい。
それぞれの役者について上手くいっていない箇所を潰して回ること。
全体のアンサンブル能力を向上させ、いま、舞台で起きている何を見せ、
何を聴かせているかを全員で理解し、体現させること。
勝負どころでは、大いに時間を使って熱演を見せること。
カーテンコールの段取りも組み、明日はいよいよ、勝負の全幕通し稽古。
きっと、自分たちが何を創ってきたのかを知る機会になるはずです。
ところで、明日、私は早朝5:30に新宿中央公園に行き、
ラジオ体操のためにお集まりの近隣の皆さんにご挨拶をする予定です。
そう。私たちが公演会場としてお借りする水の広場は、
新宿区が誇る一大ラジオ体操拠点。
その一角をお借りするのですから、
ご理解を頂けるようお願いをしに行きます。
2015年の『君の罠』の時も、
2016年の『腰巻お仙 振袖火事の巻』の時も、
同じようにしてきました。
初めて訪れた時など、広場のそこかしこで大勢の人たちが、
私には馴染みの薄いラジオ体操第二まできっちりとされている様子を見て
驚きました。壮観とはまさにあのこと。
以前は始発を乗り継いでランニングがてら行ったのですが、
今回の私には車がある! おかげでかかる時間は約半分。
我ながらようやく大人になったものだと実感しています。
2020年10月29日 Posted in
中野note
↑新宿中央公園の池には、カメがたくさん棲んでいます。
今日はお昼に新宿区に行って打合せをし、夕方から稽古をしました。
新宿区では、中央公園を担当している課の方々と
構想している演出を技術的にクリアするための申請について協議。
その足で新宿中央公園にも赴き、
現地で進行している公園内の改修工事の現場に挨拶に行きました。
ここ数年で美しさと居心地の良さを増している
中央公園には、ものすごく人がいます。
これからさらに美観や機能を整備するための工事も進行中、
今回はお昼の公演なので、重機や作業の音がこちらと干渉しないか、
気を遣って下さっているのです。
私たちもテント演劇をやっている以上、
上演環境に完全なサイレントを求めているわけではありませんし、
芝居が盛り上がれば、むしろこちらが加害者になる可能性があるので、
これから現場入りした後も交流を重ねてお互いが回るようにしなければ。
こういう手続きの一つ一つに、芝居の実質がかかってくるのが、
やはりテント演劇の醍醐味であると云えます。
夕方から行った3幕の通し稽古は、
タイムこそ55分と満足のいくものでしたが、内容的にボロボロでした。
皆に疲れが出ていることもありますが、根本的な理解の浅さ、
稽古の不足がここにきて露呈しました。
3幕は特に集団シーンが多く、感染予防のためにこれまで行ってきた
少人数での稽古の弊害が現れているとも云えます。
こうなれば、皆で細部を検証するしかありませんから、
明日はとにかく厳重に対策をしながら返し稽古をします。
これを乗り切れば、明後日はいよいよ、
3幕3時間、全編の通し稽古に切り込みます。
2020年10月27日 Posted in
中野note
↑今回は一部、私が音響を担当するので、オペ席が稽古場の真ん中にある。
本日は1幕を通し稽古し、さらに手直しをしました。
通し稽古の直前、私は必ず沈黙の時間を取るようにしています。
ある時期から、どんなに切羽詰まった公演準備の時にも、
必ずそうしてきました。
それは10分程度で充分なのですが、20人からの人間が押し黙っていると
確実に緊張感が漂います。それで身が硬くなる人もいれば、
集中の後に弾けるようパフォーマンスに突入する人もいる。
ぜひ後者になって欲しいというのが、私の願いです。
みんなを鎮めると、今まで聴こえなかった日常の雑音を耳が捉えます。
遠くの工事とか、道路を往く車とか信号の音など。
そうして、サッと本番に突入します。
結果、1幕の上演にかかったのは約1時間。
その後、衣裳や小道具をケアしつつ休憩を取り、4時間ほど手直しをしました。
これまで観客として接してきた『唐版 風の又三郎』に比べて、
我ながらかなりスピーディーな上演だと云えます。
もちろん、私は基本的にノーカットが信条なので、
唐さんの台本に手を入れることはしません。
このスピードにはいくつかの理由が挙げられますが、
判りやすさを求めていくと速くなる、というのが私の考えです。
何事もゆっくり説明された方が判りやすい、というのはウソです。
重要なところをじっくり聴かせるのは大切ですが、
逆にそれ以外の部分には時間をかけない方がかえって判りやすい。
要は、メリハリです。
唐十郎作品は感じるものであって、理解するものではない、
という意見をお持ちの方が、特に昔からのファンの中に多くいらっしゃいます。
私としては、反対と賛成が9:1の割合いです。
唐さんの作品は、唐さんなりにリアリズムで書かれている。
ご本人に接する中で、私はそう思うようになりました。
ですから9割は反対。
多くの点で、きちんとロジックはあります。
ただし、1割残したのは、どう考えてみても理屈では解決できないのに、
どうしようもなく感動的な瞬間があるからです。
私はこの部分をこそ、唐十郎の"天才"だと言いたい。
速くて、判りやすくて、勝負どころではむせぶような情感に溢れている。
そして、謎中の謎はそのままに放り出してある。
これが私の理想です。
通し稽古が始まると、木を見て森を見て、もう一度木を見て・・・、
という作業の繰り返し。そうするうちに、メンバー一人一人が
唐さんの考えたことを体現するのを目指します。
明日は2幕。必死にその準備をするメンバーを残して、
私は先に稽古場を出ました。
2020年10月26日 Posted in
中野note
↑みんなが帰った後に、居残って音響の調整。
今日から1週間、川崎の小劇場を拠点にすることにしました。
ここは、川崎市東口にあるH&Bシアター。
初めて訪れる場所ですが、いよいよ出演者が一堂に会し、
パーツで組み上げてきたシーンを一気に3幕3時間の全体に仕上げるために、
どうしても広い場所が必要だったのです。
稽古に劇場を使うのはかなりの贅沢ですが、
ソーシャルディスタンスを確保しうる場所を求めてここに辿り着きました。
明日から1日に1幕ずつを完成させ、週末には全幕通し稽古を行います。
せりふと段取りが入ったここからがスタート地点であり、
一挙にまとめにかかるここ数日の稽古こそ、
あらゆる芝居づくりの過程の中で私が一番好きなところです。
出演者たち自身が、
初夏から積み上げてきたものの全体を知って驚くのが愉しい。
自分たちが何をしようとしているのか理解することで、
これまで散漫だったエネルギーを結集させ、
一つの方向に迷いなく突き進ませるのです。
緊張感と期待感が、同時に高鳴っています。
2020年10月24日 Posted in
中野note
今日は朝から、KAATの仕事で横須賀に行きました。快晴に恵まれ、横浜横須賀道路を降りて汐入に進む道すがら、
左手にはいくつも軍艦が輝いているのが見えました。
2013年秋に神奈川芸術劇場で『唐版 滝の白糸』を上演することに
なった時、私は事前に何箇所か遠出をして、いくつかのものを
目に焼き付けておきました。
例えばそれは、劇中に出てくる蛇「エメラルドボア」。
調べたところ、地元である名古屋の東山動物園と、
静岡の日本平動物園にいるということがわかり、
二箇所を訪れて実物を見ました。
横須賀にも、同じ理由でやってきたのです。
劇中、主人公の青年「アリダ」がまだ少年だった10年前、
彼を誘拐した「銀メガネ」は、逃亡の途中にここ横須賀に寄り、
二人で潜水艦を観たというのです。
銀メガネ曰く、二人で潜水艦に乗り、
エメラルドボアの棲む南米に向かって逃げ出したかった、と。
横須賀駅前にあるヴェルニー公園には
かつて潜水艦に装着されていた巨大なスクリューが展示されています。
それを見ていると、閃きがありました。
『唐版 滝の白糸』の舞台である長屋にもスクリューの羽と似たものがある。
それは、物干し台で存在感を放つ「えもん掛け」でした。
こういう発見も、実地に見聞すればこそたどり着いたものです。
いずれ、『唐版 風の又三郎』公演が終わったら、
ワークショップの題材に『唐版 滝の白糸』も取り上げてみたいと思います。
この二つの作品には関連性があって、
それが『唐版 滝の白糸』冒頭の謎めいたト書き「ホテルのロビー」
を解くカギであるとも考えています。
そのあたりの話も、いずれしてみたい。
今日はこの後、夕方から青少年センターで稽古です。
2020年10月23日 Posted in
中野note
↑役者道を歩むため、1ポンドの豚肉と対峙する重村大介
先日、『唐版 風の又三郎』に出演している
宮本悠我君のTwitterを見て、ヤラレタと思いました。
この劇の2幕には、『ヴェニスの商人』をパロディにして
死んだ登場人物の肉1ポンドを云々するくだりがあるのですが、
宮本君は実際に1ポンドのステーキを食べることで、
その肉の量感や重みを実感したらしいのです。
実に優れたアプローチです。
演劇人たるものこうでなくてはなりません。
1ポンド=約450gという知識のままでは、
何にもならない。
やはり物事の実感を身体に刻み付け、
腑に落とし、完全に我がものとして語ることができなければ。
それがために、私も御茶ノ水に通い、
先日は齋藤と閉店間際のキッチンジローにまで出張って
自衛官がさぞ喜びそうなガテン系男子メニューに挑んだわけです。
が、愚かにも、1ポンドの肉は疎かになっていた。
宮本君に触発された私は、今日、馴染みの肉屋に行き、
豚ロースを1ポンド切ってもらうことにしました。
「相当ぶ厚いですよ〜」と言われながら、巨大な包丁で一閃。
受け取って完全に納得しました。
芝居の中で実際に肉を切り取るのは重村なので、
これを彼にプレゼントして栄養も付けさせることにしました。
これでまた一歩、役を体現する道を進んだに違いありません。
2020年10月22日 Posted in
中野note
↑唐十郎ゼミナールで私は一度だけ役者をやりました。
演目は『腰巻お仙 義理人情いろはにほへと篇』。
"ドクター袋小路"という役でした。
劇団員たちが分散して下北沢に通っています。
もちろん、唐組の『さすらいのジェニー』を観るためです。
そして観終わった者から、どんな話だったか、どこが面白かったか、
稽古や作業の合間に話すのは愉しいものです。
目下、自分たちが取り組んでいる劇と、何が同じで、何が違うか、話す。
すると、これから挑む劇の姿がよりくっきりと浮かんできたりします。
これを書いている今、千秋楽が終演して皆さんホッとされているところでしょうか。
ところで、『ジェニー』を観た者ならば誰もが目に焼き付く
敵役「ベロ丸」を、今回は久保井さんが演じていました。
名前の通り人智を超えた舌を持ち、
人工甘味料のなんたるかを峻別する重要な役どころです。
本来、ああいうものの所管は「厚生省(現在は厚労省)」のはずですが、
劇中、何故か保健所が司どっているところが、唐さんのご愛嬌。
ともあれ、タキシードに山高帽という出で立ちだった「ベロ丸」こそ、
『ジェニー』という芝居の中で最も厳格な役人中の役人というわけです。
あの役、初演時に演じたのは麿赤兒(当時は"赤児")さんでした。
久保井さんの垂らすあの"ベロ"は誰にとっても印象深かったはずですが、
元祖はズバリ麿さん。
さらに、"麿さん"と"舌"といえば、
思い出されるのは『腰巻お仙 義理人情いろはにほへと篇』。
あの劇で麿さんの演じた"ドクター袋小路"は実に口八丁な怪しい医者ですが、
その虚言癖を咎められた際、「二枚舌なんです」と言って、
口中に仕込んでおいた小道具のベロを出す。
時は1967年8月。
状況劇場が初めて紅テントを発明した時のことです。
そして『腰巻〜』から21年、1988年に打ち出した新機軸「下町唐座」で、
袋小路の"二枚舌"はベロ丸の"人工舌"となりました。
それが再び、32年後の2020年に初代紅テントの下で炸裂する
久保井版"ベロ"になってお目見えしたわけです。
どうです? なかなか感動的ではありませんか。
同時に、「状況劇場」を解散したばかりの唐さんが
「下町唐座」で心機一転しようと、盟友の麿さんを頼りに
再びその舌先三寸を駆使して世間に挑みかかろうとした心中を推し量る時、
その思いにこちらも胸が熱くならざるを得ません。
紅テントと同じ色をした"舌"に翻弄される愉しさを、
観劇して数日後の私は今日も味わって生きています。
2020年10月20日 Posted in
中野note
↑2003年頃の唐ゼミ☆紅テント
昨晩の観劇から一夜明け、さまざまな感慨が湧いてきました。
昨日は唐組の皆さんの寒さに負けぬ熱演と水しぶき、
初めて観ることのできた『さすらいのジェニー』で
胸がいっぱいだったのですが、今朝になってみると、
昨晩2時間半を過ごしたあの小さな紅テントに寄せる記憶が
次から次へと湧いてきました。
今回の公演で唐組が使っている紅テントは2枚の天幕から構成されています。
1枚目は、状況劇場が1967年8月に初めてたてた紅テント。
2枚目は、1971年『吸血姫』公演の時、
いよいよ世間の注目を集め始めていたのを受け、
より多くのお客さんを収容するために追加で買った紅テント。
さらに言えば、『二都物語(72)』『ベンガルの虎(73)』
そして『唐版 風の又三郎』も、昨晩に観たのと同じ天幕の下で
初演されたわけで、実にありがたい紅テント体験と云えます。
その上、実は私たち唐ゼミ☆のスタートにも、
あの天幕は強く影響しています。
2001年に『腰巻お仙 義理人情いろはにほへと篇』を
横浜国大のサークル棟2階、大練習場で公演した時、
唐さんが貸してくださったのが、あの初代紅テントでした。
唐さんとすれば、初めて花園神社にテントをたてて上演したのと
同じ演目をゼミナール生たちが公演するに際し、
援軍を送り込みたかったのかも知れません。
屋内ではありましたが、私たちは天井から天幕を吊るして、
客席が真っ赤な天幕に覆われるようにして公演に臨んだのです。
それから、2002年5月には『ジョン・シルバー』上演に際して、
せっかくお借りした紅テントを屋外にたててみようということに。
さらに、同じ年の11月に上演した『動物園が消える日』の頃には、
2代目のテントも借りて、二つを連ねるようになりました。
その後、2003年の『少女都市からの呼び声』と『鉛の心臓』を、
私たちはあの2台の紅テントに守られながらつくりました。
2004年4月に現在の青テントを買うまで、
私たちはずっとあの天幕の下で過ごしていたように思います。
唐さんと状況劇場の面々だけでなく、初期唐ゼミ☆メンバーにとっても、
あの屋根に包まれて過ごした時間は、同じく原点であると感じています。
2020年10月19日 Posted in
中野note
一年ぶりの紅テントから帰ってきました。
ひと幕40分×3幕もの+10分間の休憩が2回入って、
カーテンコールが盛り上がり、21:30終演。
たっぷり観てきました。
いやあ、唐組の上演スタイルも換気力が並じゃない!
雨も降っていましたし、必ずや寒いだろうと警戒して行ったのが
功を奏しました。対策バッチリだったので、意外に寒くない。
けっこう快適に観劇して帰ってきました。
ここから先はネタバレもありますから、ご容赦を。
物語は大別して、2つの軸を持っています。
1つ目には、藤井さんが演じる鈴木和子=チクロと、
稲荷さん演じるジュースの開発者・ワタナベの再会と訣れ。
2つ目は、ポール・ギャリコの『さすらいのジェニー』に感化された
青年が物語の主人公「ピーター」転じて「ピタ郎」を名乗り、
憧れの女性「ジェニー」を捜す話。(まるで「ドン・キホーテ」!)
この2つの軸をまとめる点に、
鈴木和子=チクロがおり、彼女はピタ郎に「ジェニー」と思い込まれ、
最後には「チクロ」を卒業して「ジェニー」を引き受ける。
また、ジュース開発に必要な人工甘味料に認可を下ろす保健所員のボス
=ベロ丸=デンプシイという悪役も、2つの軸を行き来する。
これを久保井さんが演じていました。
(舌が鋭い、というだけで、こんな奴が国の認可を背負って大丈夫か!?)
特に2幕を中心に展開する和子とワタナベの男女関係は
観やすい!判りやすい!さすが長年に渡って主演を務めてきたコンビ。
観客が芝居に入っていくための巨大な求心力になっていました。
それから、ピタ郎がなぜ「ピーター」たろうとするのか、
このあたりの秘密は、一見エキセントリックな「姉」を演じた
美仁音がきっちりと描いて、見事、福本くん演じるピタ郎に内面を
与えていました。相変わらず美仁音は、シリアスとコミカルを
自在に行き来しながら演じ切る。まさに天性!かつ、知的でもある。
そして、誰あろう、この『さすらいのジェニー』全編を通じて
一番感動的な人物は、全原さん演じる「金四郎」でした。
サバイバルゲームに興じていた現在の若者がピタ郎に感化され、
やがて"物語"の世界に生きようとする。
スタート地点とゴールがもっとも離れている、
芝居の最初と最後でいちばん変化する、まさに劇的なキャラクターでした。
正直、台本を読んでいた時は、こんなに素敵な役だと思わなかった!
というものを観せてもらいました。
というわけで、すっかり元気になって帰ってきました。
もっともっと。何度も観たい。そう思わせる芝居です。
ああ。もう一遍、観たいなあ。
2020年10月17日 Posted in
中野note
↑一番右が鈴木能雄さん。嬉々としてオカマに扮する!
今日、私が留守中のハンディラボにお客さんをお迎えしました。
大道具や玩具づくりのプロフェッショナルである鈴木太朗さん。
「箱馬倶楽部」というオリジナル・ハンドメイドスタジオも
亡くなったお父さんがかつて唐ゼミ☆に出演したご縁から、
陣中見舞いをしてくださったのです。
(せっかくなのでこの時だけはみなマスクを外して撮影)
2009年に上演した『下谷万年町物語』に出演してくれた能雄さんは、
私たちの大切な味方の一人でした。
初めてかかってきた電話は妙にぶっきら棒で強引で、
一体どんな人が来るかと身構えていたら、
実に気さくでお洒落なおじさんがやってきました。
能雄さんは画家さんでしたから、
最近になって出た追悼の画集を、私たちはすぐに求めました。
去年にご自宅で行われた展覧会を思い出しながらしげしげと
作品を眺めていると、年表のところに思いがけない記述が。
「2009年には劇団唐ゼミに所属、『下谷万年町物語』に出演。」
そうです。能雄さんは唐ゼミ☆に「所属」していたのです。
私たちは習慣として、自然に「劇団員」と
外部から出演してくれる「客演さん」を分けて考える向きがあります。
けれど、亡くなった能雄さんが、例え一時を共に過ごしただけとはいえ、
唐ゼミ☆に所属したと受け取ってくださっていたことには、
例えようもなく嬉しさが湧いてきます。
志しや想いを共にし、同じ目標に向かって走るニューカマーでした!
『唐版 風の又三郎』も一緒にやろうぜ。ヨシオさん!!!
2020年10月16日 Posted in
中野note
↑当時、劇団員だったニワトリ役の寺坂君。
衣裳にも、苦労して調達した羽があしらってありました。
昨日はKAATの仕事で、安藤洋子さんらと象の鼻テラスにいました。
進行する熱心な会議。すると、ドンッ!とぶつかる音がして、
驚いて顔をあげると、紛れ込んできた一匹の鳩!
壁や窓、天井など、あっちこっちにぶつかりながらジタバタしている。
テラスに来ている人の中には多少の悲鳴も上がりましたが、
可哀想なのは鳩の方。とにかくぶつかりまくっている。
アート作品を壊してもいけないので、
私は隅に追い込んで優しく掴み上げ、外に開放しました。
しかし、少し触れただけで、その羽の抜けること抜けること。
舞い上がる大量の羽毛を眺めながら、ハッと思い出しました。
そうだ!!! 私たちは過去に公演のために、
ひたすら鶏の羽をかき集めていたことがあったのです。
あれは2003年秋。演目は『鉛の心臓』。
この芝居には、新興宗教に入信した娘を
取り返すべく教団に詰め寄る一家が出てくるのですが、
その家族の中に、ペットとして役者の演ずるニワトリ役が
設定されていたのです。
そのニワトリに関連して闘鶏のシーンもあり、
とにかく私たちには大量の鶏の羽が必要でした。
そこで、横浜市内にある養鶏場に3人で数日通い、
抜いたりむしったり拾ったりしながら、
私たちはゴミ袋いっぱいの羽毛をかき集めたのです。
持ち帰ると、雑菌が入ってはいけないから、
今度は熱湯をかけて消毒し、さらに丁寧に乾かす。
結果、ふんわりと舞い上がる軽やかさも出たし、
何より変えがたいリアリティを得ました。
中には羽を吸い込んでしまってむせる役者もいたけれど、
あそこにこだわって良かった。
舞い上がる鳩の羽を眺めながら思わず甦った、懐かしい光景です。
2020年10月15日 Posted in
中野note
音響台本を作成中です。こうなると稽古も終盤。
いよいよ仕上げにかかる段階に突入します。
これまで使っていた台本はメモだらけで、いまや却って判りにくい。
さらに、書いては消し、消しては書きのフリクションボールペン跡。
けっこう汚れている。
正月に作って以来お世話になってきたものですから
これはこれで愛着もありますが、ここで心機一転します。
それぞれの登場人物がせりふを語っていく中でキーとなる単語、
心理状態が切り替わるターニングポイントは
すでに腑に落ちていますから、いちいち確認する必要がない。
それよりも、もっと長い目で、
こことあそこが同じ主題の変奏になっている、
そういうことを一気につかまえて整理するのが、この音響台本づくり。
この作業は、今までそれぞれの場面に気を取られて
ゴチャゴチャになっていた頭をかなり整理してくれます。
そう云えば、この作業に勤しむとき、
台本を書く前と後の唐さんの頭の中はきっとこんな具合ではないかと
思うことがあります。
私の知る限り、唐十郎という人はメモを取る程度で、
箱書きや試し書きをしません。
頭の中に着想を溜めて溜めて、一気に、解き放つように書く。
まるでダムの放流のように書いていくのが唐十郎流。
だから、書き始める前は目がギラギラして殺気立っていて、
書き終わるといつもすっきりされていました。
『唐版 風の又三郎』は、約三週間で書いたと云います。
これだけのモチーフや人物が入り乱れていたら、
そりゃ頭はパンパンだっただろうなと、その苦しさが想像できる。
格は違いますが、私もその感覚を追体験しています。
2020年10月13日 Posted in
中野note
↑今日はKAATの仕事で鎌倉に行き、鶴岡八幡宮にもお参りしました。
公演に関わるメンバーやお客さんの無事と、上演の成功を祈願!
初日まで40日を切りました。
ここで、今後のワークショップ展開について説明します。
公演に向けて『唐版 風の又三郎』の稽古が本格化する中、
一旦、唐ゼミ☆ワークショップは別作品を歩むことにしました。
あれは暑くなった頃からだったと思いますが、
あえて様々な唐十郎作品に寄り道して、視野を広げたかったのです。
稽古していると、どうしても近視眼的になりますから。
参加者の皆さんと、
『少女仮面』『恋と蒲団』『ジョン・シルバー』『下谷万年町物語』
を渡り歩いてきました。
特に『恋と蒲団』は短い作品です。
皆さんと全編を愉しむことができましたし、
今年の夏の酷暑がかえって魅力的に感じられるような劇世界で、
多くの実りがありました。
また、『ジョン・シルバー』と『下谷万年町物語』は
30本やってきた唐ゼミ☆の歴史の中でも特に大切な演目ですから、
原点に立ち戻るような思いがしました。
私は、一見複雑そうに見える唐さんの世界の中に、
シンプルなルールを発見することが掛け値なしに好きです。
作品によってそのルールは異なりますが、極限まで単純化して物語を理解し
鍵となるモチーフを発見すれば、劇の中にスッと入っていくことができます。
また、そういう手続きを踏むことで、ほんとうに"謎"としか思えないもの、
どうにも読み解けず、意味にもまったく回収されないけれど、
異様に吸引力を持つせりふや所作や場面を発見できるようになります。
私は前者に、唐さんのすこぶる熱い人間性や卓抜な物語りの手腕を感じて
共感します。後者には、まさに天才の所業を見てめまいがします。
とにかくも、ここから一月は別の物語を味わう余裕はありません。
猛烈に『唐版 風の又三郎』に帰って、
初夏まで語りそびれたキャラクターの妙味や、
少し入り組んだ筋立てを解きほぐしてみようと考えています。
まるで壮大なプレトーク。
11月の上演をさらに愉しんでもらえるようになることが私の目標です。
2020年10月12日 Posted in
中野note
↑舞台装置のチェック中です。
お手紙やホームページでご支援を募ったところ、
皆さんから熱烈な応援をいただいています。
金額もさることながら、皆さんお一人お一人の熱さが身に染み、
改めて、絶大に応援されながら劇団を続けて来られたということを
強く実感しています。
劇団全体でこの気持ちをシェアして、私たちは日々前進しています。
大切なお金と、さらに大切な期待や応援を背負って、
引き続き準備と公演に当たっていきます。
コロナ禍で始めたZOOMワークショップも
十数人の方が定着してご参加いただいています。
世の中には、"座友"というポジションが設定されている劇団があります。
"劇団員"ではないけれど、身近に接して、何より作品についての
想いを近くしてしている方を言うのだと理解しています。
そういう意味、"唐十郎"という大きな存在を媒介にして
新たな出会いや関係に恵まれていることが掛け値なしに嬉しい。
極限すると、唐ゼミ☆のワークショップは、唐さんに興味を持つ人に、
私なりの唐十郎世界の探検の仕方を伝える場所です。
それを皆さん、けっこう愉しんでくださっている。
Covid-19は脅威であり、辛いことばっかりですが、
まさに怪我の功名です。大きな功名。
さらに、
今日も非常勤で教えに行っている桐朋学園で講義をしてきたのですが、
20人の生徒に自己紹介をしてもらったところ、
けっこうな割合で、唐さんについて聴きたい人がいる。
聞けば、高校時代に『少女都市("呼び声"でなく!)』を上演した
という強者まで!?
こういった皆さんとの出会いや会話が、
目前の『唐版 風の又三郎』上演に向かって、
猛烈に私を駆り立てています。
ご存知のように、埼玉県で活動する劇団でクラスターが発生してしまいました。
人数の規模は違いますが、明日は我が身、まったく他人事とは思えません。
色んな人の熱意と、コロナの現実と、両方に背筋が伸びます。
初日まで、今日であと40日!!!
2020年10月10日 Posted in
中野note
このシリーズも本日が最終日。
2014年10月13日(祝月)を控え、
スーパー・タイフーン「ヴォンフォン("スズメバチ"の意)」は確かに強力だが、すべてをなぎ倒すというほどではなさそうでした。
そこで、昨日にご紹介した『子連れ狼』最終決戦プランから、
これまでやってきたトラック演劇の構造をいかに残すか
という思案に入りました。
まず、楽屋用のテントをお客さんに提供し、
皆さんができる限り雨と風をを凌げるようにする。
その上で、4トントラックのアルミバンをレンタルし、
機材の避難場所や劇団メンバーの楽屋としました。
ついでにトラックは、風向きを読みながら劇場の上手に駐車して、
風防壁とも、様々なものをロープでくくり付ける巨大なウェイトとも
なってくれました。当然、照明も音響も必要最小限に絞り込んで。
当日の昼頃、交通機関のストップ情報が続々と舞い込んできました。
同時に、嵐の千秋楽を楽しみに来るお客さんからの確認の電話も。
「東京から行こうとしてるんだけど、やるよね?」
「今から九州を出ます!」
結果的に集まったお客さんは合計13名の猛者たちでしたが、
そのうちの何人かは遠方から。そういった皆さんのおかげで、
私たちは輪をかけて気持ちよく、退路を断つことができたのです。
あとはもう勢い。
大雨が降り、大風も吹きましたが、合羽を着て屋根の下から見守る
ギャラリーを前に、私たちは完全燃焼しました。
こんな感じで↓
前座パフォーマンス。雨の日のプロ野球よろしく、
左側の俳優・木下藤吉はグラウンド全体を使って執拗なスライディングを行う。
当時は気付かなかったけど、このギターは大丈夫だったのか・・・
トラックが走り去るエンディング。地面全体が川のよう。
客席は避難所状態。人数は少ないが異様に盛り上がっていた。
カーテンコール。ここにきてようやく、寒さと雨の冷たさを急激に実感。
・・・という具合でした。
終演後はお客さんと出演者スタッフで「お互いに頑張ったね」と
称え合い、缶ビールを配って意地で乾杯までやりました。
その後、夜中にどこまで片付けをし、どうやって宿舎に皆が帰ったのかは、
まったく憶えていません。
何がなんだかわからなかったけど、
私はようやく2012年9月30日の借りを返すことができました。
トラウマを乗り越え、再び胸を張ることができるようになったのです。
今度の『唐版 風の又三郎』がどうなるか、
時期的には台風シーズンを抜けているでしょうが、
テント演劇はその場に起こるすべてを肯定して武器に変えるのが基本。
何があっても、上演を貫くことが基本であることに変わりありません。
あとは、今晩の台風が被害を及ぼさないことを願うばかりです。
オマケの写真は、翌日の片付け。
私たちが踏み荒らしたグラウンドをひたすら整備しました。
台風一過で暖かく、空は気持ちの良い秋晴れでした。
2020年10月 9日 Posted in
中野note
↑大阪入りするとすぐ、公演を誘致して下さった「犯罪友の会」の
武田一度さんを表敬訪問。恐るべき仕込みの規模に皆、ビックリ。
今度の台風は、どうやら大阪直撃らしい。
確かあの時、大阪公演のゲネプロは、
椿昇さんとやなぎみわさんという豪華ゲストを迎えて行われ、
やる気充分の私たちは、学生たちによる前座パフォーマンス〜
トラックが来襲しての劇場設営〜『木馬の鼻』本番と、
フルコースをやり切りました。
結果、お二人はよろこんでくれ、特に椿さんには
「ルーマニアあたりでやっている村芝居みたいだな!」
と褒められた記憶があります。(そう。これは褒め言葉!)
そして初日を迎える頃には、直撃は確定的に。
こうなると思い出すのは、
同じ『木馬の鼻』が中止になった2012年9年30日、足柄山の上。
あの、本来だったら公演しているはずの時刻に、
宿舎でぬくぬくと過ごしている時間の気持ち悪さ。
ちょっと補足すると、
この感情は、私たち劇団の運営状態が原因なんだと思います。
年間300ステージも公演がある売れっ子カンパニーであれば、
300分の1を中止にするに過ぎないし(それでも苦渋でしょうが)
お客さんに対しても代替が効くというものです。
しかし、私たちは、そこまでの公演回数は無し、
その頃はトータルでもせいぜい20〜30回というところ、
いきおい、一回一回が"魂の叫び"になるわけです。
だからこそ、あんな台風でも、
何か出来なかったか? もっと粘れなかったか?
そうどこまでも思ってしまうし、公演を中止にした事実を前に
自分に対して演劇人たるところを証明できず、狼狽えてしまう。
同じ『木馬の鼻』。同じ千秋楽。かくなる上は、
必ずや公演をやり遂げて二年前のトラウマを乗り越えるべし。
そう思いました。
それに今回の場合は、好条件が2つ
(1)決行・中止の判断が現場に委ねられている
この時も主催は唐ゼミ☆でなく、文化庁と横浜国大でしたが、
基本的に判断は現場に任されていました。
※もちろん、事故は厳禁!
(2)テント演劇ではなく、野外劇である
テント劇場の幕は、風が大敵。しかし、野外劇であれば勝算がある。
※絶対に、事故は厳禁!
そのようなわけで、初日を終えた夜から、
私はどのような公演であれば千秋楽の決行が可能か、
もっとも過酷な状況を想定しつつ、
上演が成立する最小単位を構想し始めました。
その時に思い付いたのは、小池一夫先生の漫画『子連れ狼』。
私の大好きなあの作品の終盤の光景でした。
拝一刀と大五郎、宿敵・柳生烈堂は江戸の外れの河原で対峙する。
彼らの最終決戦を盛り上げるかのように、天気は大荒れ。
すると、将軍をはじめ大名、配下の武士たちが屋敷を飛び出し
本来は"私闘"に立ち会うはずもない人々が現場に集まる。
しかし、闘いのあまりの凄絶さに彼らは近付くこともできず、
まして制止もできず、ただ、鎧を外して(武士としての最高の礼)
両者の闘いを見守る。
↑一番下のコマを見よ。
力尽きた一刀の傍らで、烈堂は大五郎に刺され立ったまま絶命。
こんな具合です。
よし、あれをやろう! そう私は思いました。
幸い、扇町公園は広い。
周囲に関テレや地下鉄の入り口、公衆トイレなどの建造物もある。
だから、私たちは公園の真ん中、
できるだけどこからもよく見える場所で完全燃焼し、
お客さんには『子連れ狼』の大名や武士たちのように、
安全な周囲からその姿を目に焼き付けてもらえばいい。
そう考えました。
もちろん。
すべてのせりふが怒鳴り声になっても、
雨風を超えて唐さんの言葉と物語を届ける。
一人でもお客さんがきたら、やる。
これだけのことを考えてしまうと、気持ちは実に晴れやか。
あとは現実にやってくる台風の強さを見極めながら、
中間にある落としどころを劇団員たちと探るのみ。
どうせ千秋楽だし、必ずやる!
公演2日目のお昼。
その日の晩の公演に備えながら、
私たちは嬉々として翌日の仕込みを始めていました。
〜つづく〜
2020年10月 8日 Posted in
中野note
↑2014年夏頃のオレたち。
台風14号が接近していますね。
思わず気になるのは、先輩劇団である唐組紅テント。
どうやら現場入りは週明けとのこと。良かった!
週明けの2日間、あまりにヘトヘトだったので
齋藤にピンチヒッターを頼みました。
人間って同じ体験をしつつもいろいろな感じ方がある。
たいへん勉強になりました。ありがとう、齋藤。
いよいよ、唐ゼミ☆と台風の話題も最後のエピソードです。
もっとも激烈を極めた2014年10月『木馬の鼻』大阪公演。
当時の私たちは野外公演の可能性を模索中でした。
2トントラック2台を連ねてその荷台を舞台とし、
周辺に柵囲いをしただけの劇場空間をつくる。
各地を移動しながらフットワークの軽い公演を目指しました。
それに、せっかく唐さんに書いてもらった『木馬の鼻』を
各地でお披露目したい。そういう気持ちが強くありました。
私たちの旅程は、
9/13(土)-15(祝月)横浜市関内大通り公園を出発。
21(日)-23(祝火)長野市善光寺の麓にある権藤商店街をめぐり、
27(土)-29(月)名古屋市城山八幡宮を経て、
10/11(土)-10/13(祝月)大阪市の扇町公園に至る
というものでした。
↓移動中に、サービスエリアで撮影
この公演の特徴は、
即席で仮設の劇場をつくるところから見世物にしたことでした。
荷物を積んだトラックがやってきて10分かからずに舞台と客席が組まれ、
お客さんを入れて本番に突入。
終幕にはトラックも走り去り、劇場は柵囲いも取れて丸腰になる。
儚く消えるかりそめの劇空間、その魅力を追い求めました。
お客さんもノってくれたし、面白い体験でした。
普通の劇場で公演するより、テント公演の方がお客さんの反応は大きい。
それが野外公演となると、さらに反応が大きくなる。
本番中に拍手をしたり、声を掛けたり。
"ビアガーデンで呑む時の騒ぎ方"、そういう感じでした。
↓よこはまばし商店街の入り口の前で行った初日
演出的にも、すでに習熟した『木馬の鼻』です。
唐さんの着想を最大限に生かす手数を多くし、
周囲のノイズに負けないスピード感も追究しました。評判は上々。
最大の懸念は"雨"でしたが、これが一向に降らない。。
前に、"日本は年の3分の1が雨だというのはウソだ!"とこのゼミログで
書いたことがありますが、それにしてもこの年は降らなかった。
私たちはつくづくラッキーだと実感しつつ、
横浜〜長野〜名古屋と、各地を転戦しました。
ところが、最後の最後に、大物が待ち構えていたのです。
2014年10月3日にマーシャル島沖で発生した
スーパー・タイフーン「ヴォンフォン("スズメバチ"の意)」が、
私たちが大阪で仕込みを続けている頃、ヒタヒタと日本に迫っていました。
〜つづく〜
2020年10月 3日 Posted in
中野note
↑気温以上に、内容も暑苦しかった『夜叉綺想』2幕の終盤
劇団史上、初めての公演中止を経験した私たちは、
翌年も台風と向き合うことになりました。
演目は、中止となったあの夜に研究していた『夜叉綺想』。
2013年6月に横浜国大と長野市での公演を終え、
7月に浅草に乗り込んだ時のことです。
それにしても、あの夏はほんとうに暑かった。
現場入りした瞬間からカンカン照りで、
熱すぎて軍手なしには鉄骨に触れない。
テントが建てば、中は常にサウナ状態。しかも芝居は三幕もの。
涼しかった長野とは打って変わって訪れた酷暑に、
皆、悲鳴を上げました。
「もう三幕ものはよそうぜ・・・」「三幕もの禁止!」
そんな話をしたのを覚えています。
(後にやった『あれからのジョン・シルバー』も、今回の
『唐版 風の又三郎』も、元気に三幕もの!)
その年の台風7号「ソーリック」がやってきたのは、
浅草公演が二日目を終えた夜、7月14日(日)深夜のことでした。
とても変な台風で、普通は南西から北東に進路をとるのが一般的ですが、
ソーリックは南東からやや北西に進んだのです。
威力も大きく、後に沖縄・台湾・中国に被害を及ぼすことになった7号に、
我々は恐れをなしました。
しかし、実は私はこの夜のことをまるで知りません。
2012年7月の浅草がトラウマとなった齋藤は、
寝てばかりいた私に戦力外通告をし、
齋藤自身も含めた4人を手勢としてテントに残りました。
結果、私は家で寝ていた。
備えは万全だったそうです。
2年前、同じ場所で、
テントの外に出て天井のバウンドを見つめるしかなかった齋藤は、
深夜までかけて厳重な対策を施しました。
が、結局は何ともなかった。
翌朝に私が現場に着いてみると、呆れるほど無風状態の中、
強風に備えてあらゆる箇所が結束された青テントがあるばかりでした。
輪をかけて驚いたのは、
引越しの時などに本をくくる時に使うポリロープの小さな塊、
工事用の足場の上に置き忘れられたそれが、
一晩経ってもその場を微動だにしていないのに気づいた時でした。
この朝の生ぬるい空気は、
齋藤の施した対策の激しさとのコントラストをなして、
強く私たちの胸に刻まれました。
ともあれ、無事で良かった!
2020年10月 2日 Posted in
中野note
↑台風直撃に備え、解体中の青テント。
後ろは夜中に一人で向かい合うと何だか怖い、旧第一生命本社ビル
『木馬の鼻』足柄公演は無事に初日を迎えました。翌2日目も大丈夫そう。しかし3日目、最終日が無事に済みそうにないことは明らかでした。
それほどまでに台風は大型。しかも直撃コースだったのです。
2日目を終えた夜から、私たちは身構えました。
と言っても、簡単に引くことは出来ません。
テント演劇とは、そもそも荒天や騒音とともにあるものです。
悪条件とお客さんの印象は別物で、何だか大変だったけど面白かった、
上手くすれば芸の力でそんな感想を引き出すことができる。
その日、その時間にその場所で起きることを肯定するのが基本的な精神です。
大袈裟に言えば、生きているって素晴らしい、究極的にはにそういうことなのです。
事故の無いよう出来る限りの手を尽くし、
お客が少なければせめて伝説を残そうじゃないか。そうも思いました。
まして私は2004年秋の紅テントを目の当たりにした身です。
やっぱり簡単には引けない。あの日の唐さんに恥ずかしいことはできない。
意地を張りました。
公演を中止にするにしても、せめて判断を翌朝にして欲しい。
そういう私の願いを、主催者である神奈川県、運営を担う
横浜アーチストやハッスル株式会社の皆さんは受け止めてくださいました。
今、KAATでも働くようになって、私はそのありがたさが身に滲みます。
主催者として、強制的に中止を決定して前夜に発表した方が
どれだけ楽だったか知れませんが、皆さんがこちらの意志を尊重してくれました。
このことは、現在も私がプロデューサーとして振る舞う際の規範になっています。
唐組が『眠りオルゴール』の時にしたように、進むことも引くことも出来るよう、
2日目終演後に劇団員たちは遅くまで残り、テント内の装備を最小限に整えました。
そして、判断は翌朝8:00。
早朝に起き出し、即決しました。
すぐに電話は飛び交い、お客さんへの連絡と当時に、劇場の解体が始まりました。
鉄骨を残し、片っ端からバラして目の前の体育館にしまい込みます。
そうそう。私たちが判断をギリギリまで引っ張ることができたのは、
あの体育館のおかげでした。目前に巨大な収納スペースがあればこそ、
当日の朝に決めることができた。幸運でした。
台風は猛威を振るいました。
どう考えても中止に疑いを挟む余地はありませんでした。
皆で風呂に行き、食事を買って宿舎に戻り、夕方になりました。
すると、外は暴風の中、言いようもない不快感が身をもたげました。
妙に心がザラザラする。
芝居を上演するはずだった時間に別のことをして過ごす、初めての夜でした。
私は宿舎にいるのが嫌になり、車で最寄りのデニーズに行って台本を読みました。
翌年に公演しようと思っていた『夜叉綺想』。
相手は誰だかわからないけれど、これは大きな"借り"をつくってしまった。
そんな感覚でした。
2020年10月 1日 Posted in
中野note
↑去年の10月にSANEYOSHIと行った駐車場。
この場所に青テントがありました。
2012年6-7月に浅草で初演を迎えた『木馬の鼻』は、さっそく他所でも上演を行う巡り合わせとなりました。
会場は、神奈川県足柄郡大井町の山の上、
東名高速を下るとき左手に見える、大きなビルの駐車場でした。
この場所は、かつて第一生命の本社ビルであり、
現在はコーヒーのブランド「ブルックス」が一帯を所有しています。
敷地内には、広大な駐車場に加えていくつかの建物、体育館もあり、
この体育館を中心拠点として神奈川県が主催する
「足柄アートフェスティバル」のコンテンツの一つとして、
私たち唐ゼミ☆が招聘を受けたのです。
このようなオファーは私たちにとって稀であり、喜んでこれを受けました。
それに、この『木馬の鼻」にはモチーフとして、
インカ帝国が築いた「マチュピチュ」が登場します。
伝説の山岳都市のような会場の居ずまいに、すぐに私は惹かれました。
実際、これまでにテント番をしてきた多くの土地の中で、
あれはもっとも絶景に恵まれた場所でした。
遥か遠景に富士山がそびえ、手前に連なる山々の稜線が入り乱れます。
雄渾。雄大。気持ちの良いことこの上なし。
夕暮れ時に広がる景色はいかにも「神々の黄昏」という感じがしました。
劇団員たちは平地にある宿舎と会場を行き来していましたが、
私はずっと山頂に陣取って離れませんでした。
夜中に目が覚めると、かつて第一生命を行き来した
数千・数万の人いきれが残っているようで怖くもありましたが、
夜空や朝焼けの美しさがそれを凌ぎました。
ゆったりとしたスケジュールの中で、テント設営から内装、
リハーサルを終え、9/28(金)〜30(日)の公演に備えました。
お客さんの案内は、神奈川県から業務委託を受けた
横浜アーチストやハッスル株式会社の面々が、
麓の駅から車両によるピストン輸送をして下さる計画でした。
テント劇団としてほんとうに贅沢な、恵まれた環境です。
しかし、リハーサルを重ねるごとに、
東シナ海からは台風の足音がしてきました。
浅草では周囲に風よけとなる建物がいくつもありましたが、
ここは山の上です。日常的な強風の上に、遮るものとてない吹きっさらし。
初日に向かって気勢を上げながら、
丸腰で台風と向かい合わなければならない不安が、
徐々に私たちにのしかかっていました。
2020年9月29日 Posted in
中野note
↑これらの装飾は台風を凌いだ後に取り付けました。
唐ゼミ☆のために初めて唐さんが書き下ろしてくださった演目
『木馬の鼻』は、結果的にいつも嵐を呼ぶ芝居となりました。
考えてみれば、
今回レポートする浅草公演前夜、
同じ年の9月に行なった神奈川公演最終日、
2014年の決定版上演の最後を飾る大阪公演千秋楽と、
かなりの高確率で台風とぶち当たることになったのです。
それ以前に、忘れもしない2012年5月26日。
唐さんが大怪我をされたことは私たちに大きなショックを与えていました。
せっかくの書き下ろし公演の本丸、東京初日を目前に
それは起こってしまったのです。
唐さんには、4月に横浜国大で行なったプレ公演に
立ち会って頂いてはいたものの、まだ上手くいっていない箇所があり、
ご自身にとっても私たちにとっても、
決して満足のできる出来ではありませんでした。
これだ!と言う完成度に仕上げて浅草での初日に漕ぎ着けよう。
唐さんによろこんでもらおう。上演に関わる誰もがそう思っていました。
それなのに、唐さんが大怪我をされた。
かなり呆然としましたが、同時に、
作品に込められた意志を細大漏らさず伝えようという使命感を持って、
私たちは浅草入りしました。
台風が来たのは現場入り直後。
6月下旬というかつてない早期に訪れた4号「グチョル」は、
19日に愛知県東部に上陸して東海道沿いを東進、
深夜に東京にやってきました。
この時は、齋藤と二人でテント番をしていたのですが、
花やしき裏のビルを抜けて来る暴風がヒューッという音を立てると、
それから約3秒後に決まって青テントの天井が浮き上がり、
鉄骨部分にバンッと叩きつけられたことをよく覚えています。
それが何度も何度も続きました。雨はそう強くなかったけれど、
照明機材が揺れてどうにも心許ない。
最後には、機材が降ってくることも考えられたので、
尽くせる手は全て尽くした齋藤と危険を回避するためにテント外に出て、
しばらく天井のバウンドする青テントを眺めていた記憶があります。
その時の私は、何だかくたびれていて寝てばかりで、
台風対策の役にはまったく立たなかった、
危機な日にこの人を残してはいけないと確信したと、
齋藤はいまだに恨み節。
『木馬の鼻』と台風が相まみえた、これが最初でした。
2020年9月29日 Posted in
中野note
台風シリーズ③は、唐ゼミ☆公演の記憶から。
2007年に池袋西口公園で行った『鐵假面』は、
私たちが初めて都心中の都心に躍り出た公演でした。
今回の『唐版 風の又三郎』公演のチラシの隅をよく見てください。
唐ゼミ☆ならではの役職「公演場所世話役」に
私の友人である関口忠相の名がクレジットされています。
今回お話しする池袋公演こそは、彼と初めてした共同作業でした。
実際にへ現地入りしてみると、
池袋西口公園という会場は実にシビれる場所で、
それこそ24時間、気を抜く暇がありませんでした。
何しろ、実にバラエティに富んだ面々があの公園を絶えず行き来する。
作業や稽古をしていれば頻繁に声をかけられ、
さらにキャラクターによっては「テントが邪魔だ!」とケンカも売られる。
直前に横浜国大で行った内容をパワーアップさせ、
池袋公演バージョンのエンディングを完成させることに躍起になっていた
私たちは、周囲とのやり取りにも揉まれてヘトヘトになっていました。
そこへ、7月にしては妙に強力な台風4号「マンニィ」がやってきたのです。
公演日は7.13(金)〜16(祝月)。ようやく初日を乗り越える頃に、
「マンニィ」はどんどん関東に近づいて来る。
そして、15日(日)に最接近の時を迎えました。
初日の終演後、唐さんは「次は楽日に来るね」と言って帰られたんですが、
15日は早朝から、テント番をしていた私に電話をかけてきて、
「大丈夫かあ!」と興奮気味。その時点でテント演劇40年の唐さんは、
風がちょっと強ければ、その音で本能的に目が醒めてしまうそうなのです。
そして、「オレがそっちに行ってやるからな!」と力強くおっしゃる。
実は「マンニィ」。結局は東京への威力は大したものではなく、
結果的に青テントもダメージを受けなかったんですが、
昼頃、テントの外を見渡せば、長靴にレインコートを翻した
完全防備の唐さんが宣言通り、のしのしとやってきました。
明らかに「陣頭指揮を取るのはオレだ!」と言わんばかりの気迫。
しかし結局、先ほど書いたように被害は大したことなく、
唐さんは周辺の喫茶店で長時間を潰し、せっかくだからと
その日も芝居を観てくださいました。
それにしても、唐さんはちょっと不満そうでした。
これから天気が荒れて面白くなる、そうなればオレの出番だ!
明らかに朝の時点でそう思っていたフシがある。
あの時、池袋駅から一直線にテントにやってきた唐さんこそが、
嵐そのもののようでありました。
2020年9月27日 Posted in
中野note
↑いきなり鏡がいっぱい出てくる『下谷万年町物語』2幕終盤
今日は台風の話題はお休みします。
そう。明日・明後日はワークショップ続きなんですね。
明日は唐ゼミ☆ワークショップで『下谷万年長物語』を、
明後日は、桐朋学園芸術短期大学に初出勤し、
自己紹介と、何か唐さんの劇中歌を解説しながら、
みんなで景気付けに一緒に歌おうかと考えています。
唐ゼミ☆ワークショップ。
この前までやっていた『ジョン・シルバー』の直後に
『下谷万年町物語』を持ってきたのには訳があって、
それはあの作品の2幕の終わりに、唐突に鏡が出てくるからです。
ヒロポン中毒のヒロインに自らの姿を見せつけて苦しませる
あの場面は、どう考えてもミュージカル『ラマンチャの男』の
クライマックス「鏡の騎士」の場面にインスパイアされているように
思われますが、その後の2幕の終わらせ方も含めて、
かなり唐突な感じがする。
唐作品の中でかなり世話物的な気配の濃い『下谷〜』にあって、
何か急激に抽象度が高まるのが、この2幕終盤なのです。
同時に、この場面は明らかに重要だとも言える。
唐さんが物語の進行を少し判りにくくしてでも、
どうしても書きたかったという感じがします。
いびつなだけ強引に、この芝居全体のテーマを背負っている、
私はそう考えています。
これに気づいたのは2010年秋の再演の時。
ここを読み解くことで、全体がクリアに理解できる『下谷万年町物語』。
シアターコクーンでの上演も近く放映されるようですが、
明日から張り切ってやってみたいと思います。
2020年9月25日 Posted in
中野note
↑紅テントに出演中の禿恵。
去年末に亡くなった写真家の増尾久仁美さんが撮影して下さいました。
昨日に続き、2004年唐組秋公演の初日を台風が直撃した時の話です。
あの日は確か、70〜80人のお客さんが来ていたと記憶しています。
その内訳が誰だったかはよく覚えていませんが、
先ごろ亡くなった評論家の坪内祐三さんが合羽を着て嬉しそうに
やって来たことは印象に残っています。
坪内さんのみならず、今日の芝居をこそ絶対に観届けなくては!
客席にはそんな猛者たちの気合が漲っていました。
演目の『眠りオルゴール』は、
かつて二人のオルゴール職人が約束した誓いが戦争によって
果たされず、そのことを恨んだ一方がもう一方の息子を
窮地に陥れるという話を軸に展開する物語でした。
稲荷(卓央)さんが主人公の青年「兄谷(あにや)」を演じ、
丸山(厚人)くんが「兄谷」を陥れる「梶川」役でした。
戦時中にヒロポンを与えられ、眠ることを許されなかった兵士たち、
現在の新宿にたむろし、薬物による喧騒に眠りを忘れた若者たちに、
彼らの神経を慰めるような、安らぎのオルゴールが響くという話です。
と言っても、これは後日に改めてした観劇によって知ったストーリーで、
初日の私は本番中、ずっと楽屋番をしていました。
公演開始時間になって雨は弱くなったものの、
風は未だに止まなかったからでした。
運動会の受付用に使うような楽屋テントが風に煽られる度、
それが飛ばないように押さえつける役でした。
風が弱まると、紅テントに近づいて、
幕の隙間から舞台の進行を途切れ途切れに覗きました。
・・・盛り上がっている!
あれはあれで、なかなかの観劇体験でした。
記憶に濃いのは、これからまさに芝居がクライマックスに突入する寸前、
一度ステージから引っ込んだ稲荷さんが楽屋に駆け込み、
ウイダーインゼリーをひと飲みにしていったことでした。
一日中働き続けて食事もままならず、
けれど最後の最後で渾身の熱演を見せようと、
自らに鞭をくれるかのように紅テントに帰って行った稲荷さんを、
自分は惚れ惚れと見送りました。
そして終幕。
いつも不思議なのですが、大雨の時も、台風の時も、
終演後には何故か雨が上がる印象があります。
この時も天気はすっかり穏やかになり、安堵感と、
今日一日を称え合うような充実感に紅テントは満たされました。
それにしても、自分は今も、
開演時に挨拶に立った唐さんが忘れられません。
唐組の開演時にはいつも若手が挨拶に立つのが通例ですが、
この日はオレが行くと言って唐さんは花道を進んだのです。
観客に来場への感謝とこれから始まる芝居への気迫を伝えた後、
唐さんはこう叫びました。「眠れ、オルゴール!」
・・・・・オルゴールは、
眠れない皆を優しく眠らせるから『眠りオルゴール』なのです。
オルゴール自体は決して眠ってはいけないのです。
しかし、何故か唐さんはそう叫んだ。感動しました。
もはや話の整合性や細部は関係なし!
暴風雨にさらされ高まる混沌と期待をさらに煽り立て、
唐さんと唐組の面々は「オレたちの戸山ハイツ」に突入していったのです。
2020年9月24日 Posted in
中野note
↑「暗雲よ来い! 唐十郎」
21歳の私に唐さんが下さったメッセージは効果覿面!
今までに多くの「暗雲」が私のもとにやって来ました。
今回は関東を逸れて私の周囲に被害のなかった台風ですが、
そも台風そのもののパワーや被害は年々強くなっていますね。
思えば、ゲリラ豪雨のようなスコール性の雨も激しさも増していますし、
どうも日本が東南アジア化しているような気がする。
台風とテント演劇といえば様々な思い出がありますが、
初めての邂逅は実に2004年10月に遡ります。
あの年の秋、唐さんがまだ横浜国大教授だった頃の唐ゼミは、
ご本家・唐組紅テントの秋公演に4人のメンバーを送りました。
いまだ在団しているのは禿恵だけになってしまいましたが、
古川望、前田裕己、小川尊(現在が「緒川尊」)が、
唐さんの誘いで唐組に出演できることになりました。
私たちは翌月に『黒いチューリップ』初日を控えていましたが、
稽古日程をやり繰りし、喜んで彼らを送り出しました。
演目は『眠りオルゴール』。もともとは1975年秋に
状況劇場で上演された『糸姫』を唐組のために改訂した作品でした。
台風が襲い掛かったのはその初日。2004.10.9のこと。
出演中の劇団員はもちろん、
予定が空いていた唐ゼミメンバーは総出で加勢に行きました。
早朝から、紅テントの中の照明機材は必要最小限に取り外され、
客席中央には屋根幕が落ちぬよう、
大きく「×」の字に補強資材が組まれます。
藤井(由紀)さんの手配で4トントラック箱付きがレンタルされ、
水に弱い機材や、繊細な道具が中に収納されました。
この時は本当に直撃でしたから、
中止と決行、両方に備える必要がありました。
皆、総出でずぶ濡れにながら動き回っていました。
唐さんはいつものディレクターズチェアに腰掛け、じっと空を睨んでいます。
私はケータイで天気予報を調べては、唐さんに伝えました。
午後になり、関西では「維新派」が公演を中止した
というニュースが飛び込んできました。
この時点で、唐さんはすでにやる気マンマンに。
紅テントにはこういう時ほど喜んでやってくるお客さんがいるのです。
一人でも客が来る限り強行するという意志が、唐さんに漲っていました。
夕方になると、唐さんは劇団幹部を集めてお話をされました。
細部は思い出せませんが、「今夜がオレたち唐組の戸山ハイツだ!」
とおっしゃったのを覚えています。
「戸山ハイツ」とは、紅テントを発明する前の状況劇場が
1966年に新宿区の公団住宅の真ん中の空き地で『腰巻お仙 忘却篇』を上演し、
警察沙汰になったメモリアルな場所を指します。
こういう初日を凌ぎきってでこそ芝居者である、
そう唐さんは言いたかったのでしょう
すると、合羽を着たお客さんも徐々に集まり始めました。
・・・長くなってきたので、続きはまた明日!
2020年9月22日 Posted in
中野note
↑2014年に再演した『木馬の鼻』より。
白状しておきますが、下ネタが大好きです。
特に隠語に暗喩に包まれたせりふやト書きを発見するたび、
「またまた〜、唐さんも好きですね〜」とひとりごちながら、
早朝に台本を読んだりしています。
例えば、私が唯一、唐さんに書き下ろしてもらった『木馬の鼻』。
初めて原稿を手渡された時、
唐さんを前に緊張しながら目を通す私の眼前に、
大好物の設定が飛び込んできました。
主人公は「谷也(たにや)」という引きこもりがちの青年。
帰宅するなりタンスの中に閉じこもるという設定の彼は、
当然ながら異性との付き合いなど未経験に違いない。
そんな彼に大問題が起こる。
デパートの屋上遊園地の清掃係たる彼は、
木馬の鼻に引っかかった鳥のフンを吹き忘れて帰宅し、
それをネタに、上司たちからの執拗なイジメに遭うのです。
問題はこの「木馬の鼻面にベットリと付着した白い鳥のフン」
というくだり。何をか言わんや。
谷也のウブさとこの設定を重ね合わせる時、出てくる答えはただ一つ。
唐さんの前で目を通していた当時の私は、
ここの部分にきた時やっと少しの余裕を取り戻し、
机を挟んでこちらを見守っている唐さんに「なかなかの設定ですね」
とお伝えすることができました。
すると、唐さんもニヤリ。
こんなことを思い出したのは、
先日の『ジョン・シルバー』ワークショップの折に、
似たような箇所に踏み込んで大いに盛り上がったからです。
双子の姉妹は、ついに恋愛を知らぬままに背むしになってしまった女。
彼女らは悶々と続く会話の果てについに開き直り、
「♪あたいちゃすべた あたいたちゃあさり」
という、楽しくも下品極まりない歌をうたいます。
するとそこへ、「シルバー」という想い人を持つヒロイン・小春が
やってくる。二人は強烈な羨望と嫉妬にかられ、小春が大事に持つ、
ヴァイオリンケースを奪い取り、その中に入っていた義足を、
「握ったり」「しゃぶったり」します。
ちなみに、このヴァイオリンケースが開いた瞬間の絵面が何を意味するか、
唐ゼミ☆初演時に21歳だった私に教えてくれたのは、室井先生でした。
かように台本が読めてくると、勢い小道具づくりにも精が出ます。
「そのヴァイオリンケースの内張りの布、もうちょっと赤黒い方がいいな」
「ヒダをもっと寄せた方が良いですかね?」
「いや、少し寄せるのは良いが、やり過ぎてはあまりにも・・・」
こんな会話を繰り広げながら、一所懸命、細部と向き合っています!
2020年9月21日 Posted in
中野note
安保さんが作曲した唐さんの歌を、今日も元気に歌っています!
今日、劇団員たちは朝から大道具・小道具づくりを
ハンディラボで行いました。
昨日に行った衣装合わせといい、
8月から9月中旬までをかけて
稽古が一通り最後のシーンまで進行したことで、
一旦、作業に重点を置いて活動するのが、
ここから約三週間の目標です。
一方、私は津内口と、
神奈川芸術劇場の仕事で行っている
綾瀬シニア劇団のワークショップのため、
現場をお任せしている劇団山の手事情社の
倉品淳子さん、佐々木啓さんと綾瀬市オーエンス文化会館に。
お二人のワークショップの進行をサポートして帰って来ました。
それにしても「GO TO キャンペーン」のためか、各地で超渋滞。
大丈夫か、感染拡大!?
帰りにお二人がハンディラボに寄ってくだったので、
そこで記念撮影!
ちなみに、以前には、
同じ神奈川芸術劇の企画で仕事をしている
安藤洋子さんもハンディラボに来てくださり、
こんな動画製作にも発展しました。
00:17からの映像に、『木馬の鼻』の木馬「マチュピチュ」が
出てきます。
https://www.youtube.com/watch?v=1SD9btrM0-M
そのあとは唐ゼミ☆ワークショップに突入し、
熊野とともに10人の参加者を巻き込み、
『ジョン・シルバー』の要所を押さえていきました。
メインは1幕後半を当たることでしたが、
話は2幕を通じた「小春」のその後や、
続編における完結篇『あれからのジョン・シルバー』の
集結部分にも話が及び、終わってみれば、あっという間の22:00。
来週からは『下谷万年町物語』をやります!
2020年9月20日 Posted in
中野note
↑ちょうど日付が変わる頃、禿とNADJA(ナジャ )に伺ってきました。
最後はやっぱりここ!!
『唐版 風の又三郎』に挑む者にとっての大いなる味方、
劇中歌作曲の安保由夫さんとの思い出をつづる日記も今夜が最終回。
御命日の前夜は、安保さんご自身に関する私の大好きなエピソードから。
後に状況劇場を支える一人になった安保さんですが、
劇団の入団試験には落ちてしまったのだそうです。
しかし、試験翌日に安保さんの姿は劇団の稽古場にあった。
自分が入ると決めたからここにいる。そういう理屈であったようです。
試験の当落に関わらず安保さんが貫いた姿勢は
やがて認められるところとなり、晴れて劇団に加わることができた。
私はこの挿話がとにかく好きで、安保さんから幾度となく伺いました。
紅テントとか、70年代とか、
どちらかといえばマッチョなイメージが強く、
大声で怒鳴り合う闘争の雰囲気が漂いがちですが、
この姿勢こそが安保さんの真骨頂だと、私は常々思ってきました。
安保さん独特の強さ。それは、静かな、決然とした強さです。
これは私の想像ですが、
きっと安保さんは声を荒げることなく稽古場の隅にいたに違いない。
いぶかる先輩たちに何と言われようとそこに居つづけたに違いない。
第一夜目に書いたように、
安保さんはいつでも、静かに私たちを助けてくださった印象があります。
この静けさと、震えるような神経の細やかさこそが、私たちの安保さん。
あるいは、紅テントの宴会で、唐さんが開く稽古場での集まりで、
安保さんが曲を付けた中原中也の『サーカスの唄』を聴き続けてきた
からかも知れません。静かで震えるような、安保さんの歌声。
実は、私はかつて一度だけ、
自分には唐さんの劇をつくる資格が無いのではないかと思ったことがありました。
その頃は少しの力も湧かず、ただ呆然としていたものです。
そのような時にお電話したところ、安保さんはこう言われました。
「やりたい人が、ただやればいい。
中野が唐さんの芝居をやりたいならば、やれば良いと思う。
ボクの劇中歌も、歌いたいなら歌って良いよ。」
じわりとこみ上げてきました。
大声を上げて他人と渡り合うような闘争心や元気は無かったけれど、
当時の自分にも、ただしがみつくつくことならできそうでした。
そして実際、ただしがみつくことにしました。
安保さんには多くの恩を受けてきました。
その中でもとりわけ大きな恩は、『蛇姫様-わが心の奈蛇』の後と、
そして、静かに励ましてもらったこの時でした。
きっと、11月に臨む『唐版 風の又三郎』は3番目の大恩になります。
さらにこれからも、自分で力が湧かないような時には、
安保さんに教わった静かなやり方で自分を貫くと思います。
それにしても、自分には何故か、
見られたはずもない状況劇場入団1日目の安保さんの姿が目に浮かびます。
きっと梃子でも動かない意志のこもった眼差しで、
安保さんは静かに、そこに座っていたと思います。
2020年9月18日 Posted in
中野note
↑向島ゆり子さん(左)と張紅陽さん(中央)をバックに歌う安保さん
第五夜です。明後日が御命日。
自分の腕に少し自信が持てるようになると、
徐々に緊張も解け、安保さんの話はますます面白くなりました。
私は酒が飲めないので、NADJA(ナジャ )では
ほとんど「ウィスキーの香り付け水」のような水割りをつくってもらって、
これを舐めながら過ごします。ナポリタンもよく食べさせてもらいました。
状況劇場の稽古や唐さんの創作がどんな風に行われていたか
いつも興味を持っていた私は、まさに生き字引きである安保さんに
様々なエピソードを伺いました。
その中で判明したのは、
勢いや暴力性に任せて語られることの多い紅テントが、
実は徹底した稽古量を土台に展開していた事実でした。
例えば、唐さんや大久保さんは、
どちらかといえば、稽古の積み重ねよりも本番でハジけるタイプです。
稽古をしていると、すぐに飲み会に突入したくて仕方がない。
一方、李さんや根津さんを中心に、膨大な稽古が実践されていたらしい。
このあたりの遠心力と求心力、双方の激しさやぶつかり合いに、
当時の状況劇場の秘密がありそうな気がします。
だいたい、当時の劇団の様子を伺うと、
年末年始の他はとにかく稽古場に集まっていたそうで、
上演台本があってもなくても、例え公演本番が遠くても、関係がない。
過去の唐戯曲や、時には唐さんではない台本も引っ張り出しては、
稽古していたと聴きました。
そう言われてみると、1980年初演の『女シラノ』の映像には、
李礼仙さんと十貫寺梅軒さんが、バレエのテクニックである「リフト」を
駆使して縦横無尽に動きながら、矢継ぎ早に喋りまくる場面があり、
あのタイミングとスピード、安定感は、
緻密な段取り、繰り返しの修練なしには不可能です。
そんな風に、私は安保さんの話の中から、
いつも自分の芝居づくりに応用できそうな要素を探っていました。
もちろん、従来のイメージ通り、
かなり破天荒な唐さんたちの伝説も伺いながら。
そうして過ごしていた2011年度の初め、
当時の上司だった室井先生が、横浜国大のサテライト「北仲スクール」の
予算を使って唐さんのイベントを構想するべしと言ってくださったことが、
「大唐十郎展」や、目玉の「21世紀リサイタル」に結実していきました。
勿論、早期に私が安保さんに協力を仰いだことは言うまでもありません。
土台、このイベントの下地には、
安保さんが2005年春に下北沢シネマアートンで行った
『追跡・汚れた天使』上映と弾き語りが大きく影響していました。
『ベンガルの虎』の名劇中歌『鬼と閻魔』を初めて聴いたあの夜を経て、
『汚れた天使』も上映した「大唐十郎展」がありました。
↑即興で歌って下さった石橋蓮司さんを完璧にサポートする安保さん
安保さんのご紹介により、伴奏に「めいな CO.」の張紅陽さんや
向島ゆり子さんら豪華メンバーもお迎えでき、
自分ではなし得ない幸福な一人歩きをこのイベントはしていきました。
このリサイタルのために、安保さんは私がお支払いした謝礼以上を
使ってスーツを新調したのだと、後に伺いました。
飛び入りで歌って下さった石橋蓮司さんに対し、
圧倒的な経験値と対応力で伴奏を付けて下さった安保さん。
『蛇姫様』を経た私は、以前より堂々と安保さんに会い、
胸を借りることができるようになっていました。
2020年9月17日 Posted in
中野note
↑21世紀リサイタルでは『ユニコン物語』より、思い出の『八房の唄』を
リクエスト。バックコーラスを唐ゼミ☆メンバーが担当しました。
安保さんに捧げる第四夜。ちなみにこのシリーズは9/19(土)、御命日の前夜を以って完結する予定です。
2006年秋の唐ゼミ☆『ユニコン物語 溶ける角篇』以来、
安保さんと交流が生まれて判ってきたことは、
安保さんをはじめ唐さんの周りの恐そうな方々が、
実はみな優しい、ということでした。
それはそうです。
唐さんの芝居は荒っぽくておどろおどろしいと思われがちですが、
その中心にはいつも繊細さ、傷付きやすさが潜んでいます。
そういうものをキャッチして惚れ込んでいる面々ですから、
やっぱり温かいのです。
しかし、そういう優しさを頼りに安保さんと交流しながら、
自分には大きな課題がありました。
『ユニコン物語(06)』『鐵假面(07)』『ガラスの少尉(08)』と、
唐ゼミ☆で安保さん作曲の劇中歌の力を借りながら、
未だ肝心の芝居を認められていなかったのです。
私が礼を正して接していれば、安保さんは相手をしてくださいました。
でも、劇は認められていない。そういう自覚がはっきりとありました。
口惜しく、避けては通れない大問題です。
人間的には優しいけれど、こと芝居には厳しい。当然です。
これもまた唐さんの周囲で出会う全ての方々との、どうしようもない真実でした。
この間、唐ゼミ☆にも初期メンバーの離脱など様々な変遷がありましたが、
09年の大作『下谷万年町物語(劇中歌作曲は猪俣公章さん)』を経て、
2010年春、四たび安保さんの劇中歌の力をお借りする日がやってきました。
演目は『蛇姫様 わが心の奈蛇』。
以前にこの「ゼミログ」でも書いたことがありましたが、
この公演をきっかけに、自分は劇のつくり手として一定の感覚を掴んだように思います。
稽古の頃からその予感はありました。
唐さんの芝居が、もっと言えば、劇のつくり方そのものについて、
自分が一定の基準を体得できつつある感覚があったのです。
例えば、1幕の序盤。
青年「山手線」と仲間の「タチション」、
ヒロイン「あけび」はいずれもスリ同士、商売敵として出会います。
そのうち、悪役による罠から「タチション」は毒サソリに手を噛まれてしまう。
すると、「あけび」は咄嗟に自らの口で毒を吸い取ることで、「タチション」助けます。
身を挺してを「タチション」を救う姿を目撃した「山手線」は、
その瞬間に信頼と恋心を「あけび」に寄せ始めて主人公チームが完成、
ドラマは大きく動き始めます。
ですから、この場面はせりふやト書きが与えられた「あけび」や「タチション」に加え、
「あけび」の行動に心打たれる青年「山手線」の変化をこそ、
観客に見せ、感情移入してもらうことが重要になってくる。
・・・とまあ、こんな具合に登場人物たちの有りようや見せるべきポイントが
たちどころに判り始め、劇として立ち上げられるようになったのです。
↑思い出深い『蛇姫様 わが心の奈蛇』の1幕
観客にも唐さんにも本当に申し訳ないことなのですが、
以降に比べれば、それまでの唐ゼミ☆はせりふや場面の羅列に終わっていました。
唐さんに教わって約10年、何か判ったぞ!掴んだぞ! そういう感覚でした。
以来、台本を読むことが、劇をつくることが、いよいよ愉しくなりました。
さらに嬉しかったことは、『蛇姫様』を観に来てくださった安保さんが、
終演後に初めてきちんとした感想を下さったことでした。
「泣いちゃったよ。3幕(終幕)には、
ただ『あけび』がんばれ、『山手線』がんばれっ、て観たよ。」
嬉しかった。あの安保さんに認めてもらえたことが心底うれしく、感動しました。
『蛇姫様』の時点から、自分の考えには変化がありました。
中途半端な自己主張を戒め、自分を透明にして唐さんを押し出そう、
唐さんの登場人物たち、唐さんのせりふ、唐さんの物語を、
出来るだけさり気なく、そっと押し出そう。そう思えるようになったのです。
台本を読み、劇のつくり方が判るとは、つまりそういうことでした。
そこへきて安保さんは、
ご自身が自然に物語の中に入ることができたと伝えてくださったのです。
自分の実感をずばり汲み取ってもらうことができました。
この感想は、これまでに私が体験してきたお客さんからのご意見すべての中で、
最も大切なものの一つです。
自分が安保さんに演劇人としても認められたと思えた、それが最初でした。
2020年9月16日 Posted in
中野note
↑昨日と同じ『唐版 風の又三郎』パレスチナ公演より、サングラスの安保さん
昨日の続き、唐ゼミ☆で『鐵假面』を上演した時の思い出です。
主題歌『ヒドラの髪油』の話。
この名曲、1幕に2回、2幕に2回、要所で歌われることになっています。
うち3回はヒロインが歌い、1幕の終盤には鉄仮面の群れによる合唱もある。
何度も繰り返し披露され、印象に残ります。
その歌詞はこんな具合。
『♪ヒドラの髪油』
細長い指でぬりたくる ヒドラの髪油
それが頬をかすめると 肌はうろこだつ
冷たい下等な血を秘めて あの女がゆく
手には生臭い ボストン・バッグ
燃えあがる息でからめとる ヒドラの髪油
それが胸を流れると 肌はにおいだつ
ホロリとあつい風をまき あの女がゆく
手にはきな臭い ボストン・バック
これにはおかしなことがあって、唐さんの台本にはどう見ても1番しか無い。
ところが、安保さんが私に託してくださったテープには2番がある!
気になって伺ったところ、この2番は大胆にも、
安保さんご自身が作詞してしまったのだそうです。
「ボクは作曲だけでなく、唐さんが作りそうな詞を書くことも得意なんだよね」
と笑いながらおっしゃっていました。
実に良い2番だと思いました。
そこで私は、唐ゼミ☆での通し稽古、唐さんによる稽古総見で、
2幕にヒロインが歌ううちの1回を、2番に替えて椎野に歌わせました。
安保さんに応えたかったし、何より劇終盤に2番の詞がすごくマッチしたのです。
↓2幕でボストン・バックを手に『ヒドラの髪油』2番を歌う椎野
通し稽古後に唐さんに事情をお話しすると、
「あの歌詞も良いね」とたいへん満足されていました。
さすがは安保さん。
この歌詞には2幕の内容が実に色濃く反映されています。
実際、安保さんは自己主張をしたのではなく、
唐さんを追いかけ、唐さんの内部に入って、唐さんならどう考えるのだろうと
思案したのだろうと思います。もちろん、遊びゴコロとともに。
どんなに追いかけても唐さんご自身にはなり得ないわけですが、
その安保さんの姿勢には、自分も大いに共感しました。
同じように唐さんを追いかける者として、私もまた今日に至ります。
2020年9月15日 Posted in
中野note
↑『唐版 風の又三郎』パレスチナ公演の写真に映る安保さん(真ん中)
ずいぶん物騒なものが手前に写っていますね。
初めは恐かった安保さんのお店「NADJA(ナジャ)」に、私は時々行くようになりました。
唐ゼミ☆が2007年に『鐵假面』、2008年に『ガラスの少尉』を上演し、
その都度、劇中歌のテープを頂きに通ったことがきっかけとなり、
安保さんのお話がいよいよ貴重で面白いことが判ってきたのです。
『鐵假面』は1972年秋に状況劇場が初演した作品で、
『ガラスの少尉』は1973年に放送されたラジオドラマ
『ギヤマンのオルゴール』をもとにした舞台、という変わりダネでした。
お店をやっていらっしゃるためか、
安保さんは紅テントを生きて来られた他の方より記憶が鮮明で具体的です。
折に触れてお客さんを相手にお話しされ、思い出すことがあったからでしょう。
唐さんや大久保さんによる虚実入り乱れたエピソードもすこぶる面白いのですが、
これから具体的に劇を作り込む自分には、安保さんによるお話しの
ちょっとしたディティールが宝物でした。
それに安保さんは役者だけでなく作曲も担当されていたためか、
資料を実にきちんと整理されていたようで、
先に挙げた『ギヤマンのオルゴール』も、
カセットテープにダビングして安保さんが私にプレゼントしてくださいました。
若かりし日のすまけいさんと常田富士男さんが主演するこのドラマを、
自分は今でも車の中で聴いています。
ご本人によれば、
作曲などしたことがなかった安保さんが紅テントの劇中歌を手掛ける上で、
『鐵假面』は特に印象深かったそうです。
それ以前には、
1971年秋『あれからのジョン・シルバー』3幕の『♪風が吹きます〜』や、
1972年春『二都物語』の『ジャスミンの唄』をすでに作っておられたのですが、
まだまだ小室等さん作曲の色が濃い頃です。
あるいは、初めて劇中歌の全てを唐さんに任せられたことが、
安保さんの心象に影響したのかも知れません。
翌73年の『ベンガルの虎』と『海の牙 黒髪海峡篇』を経て、
1974年春の『唐版 風の又三郎』までもう一息です。
ちなみに『♪風が吹きます〜』については、
亡くなった後に出たこのCDで聴くことができます。
唐ゼミ☆で『あれから〜』上演を決意した矢先にこれが発売になったので、
安保さんからのメッセージを感じました!↓
『鐵假面』と安保さんについては私も思い入れがあります。
明日はこの芝居に出てくる名曲『ヒドラの髪油』の話をしましょう。
2020年9月14日 Posted in
中野note
↑2011年に行った『唐十郎 21世紀リサイタル』に出てくださった、
一番右側が安保さん。真ん中に唐さんと、左にセコンドの私。
今週末、9月20日は、
『唐版 風の又三郎』の劇中歌を作曲された安保由夫さんの御命日です。
そこで、今日から何日間かは安保さんに思いを馳せながら弔意を新たにし、
現在の稽古への活力にしたいと思います。
安保さんは恩人の一人です。
それも困った時に、いつも静かに手を差し伸べ、
知恵を授けて下さった恩人でした。
唐十郎門下となった20歳前後の自分にとって、
唐さんの周りに集まっている面々はかなり恐ろし気に見えました。
遠巻きに眺めていた大久保鷹さん、四谷シモンさん、緑魔子さん、
石橋蓮司さんは言うに及ばず、金守珍さんも渡辺えりさんも
おっかなくて仕方がない。
後に親しくなる唐組や新宿梁山泊の面々も
押し並べて強面に見えたくらいでしたから、先にあげたような、
状況劇場時代から唐さんと付き合いのある方々ともなれば尚更です。
当然、安保さんもその中のお一人でした。
そんな安保さんと初めて本格的な関わりが生じたのは、
2006年秋に『ユニコン物語 溶ける角篇』に挑んだ時です。
それまでに手掛けた作品の劇中歌は、安保さん作曲ではありませんでした。
『腰巻お仙 義理人情いろはにほへと篇』『ジョン・シルバー』
『少女都市からの呼び声』は小室等さん。
『鉛の心臓』『黒いチューリップ』『お化け煙突物語』は猪俣公章さん。
『盲導犬』は田山雅充さん。
『動物園が消える日』と『錬夢術』はオリジナルをこちらで作曲。
という具合です。
それはただの偶然だったのですが、
同時に、安保さんが唐さんに深く関わった70年代の状況劇場作品に
唐ゼミが挑むようになったことを意味します。
そのようなわけで、私は安保さんのお店を訪ねることになったのです。
新宿にある「NADJA(ナジャ)」というバー。
今にして思えば、背後に唐さんもいらっしゃる私の平身低頭を
安保さんが受けないわけはないのですが、緊張しながら電話でお願いをし、
後日、安保さんが用意してくださった劇中歌のテープを受け取りに、
いかにも重そうな扉の前に立ちました。
土台、酒の飲めない私はバーや居酒屋に慣れていません。
呑めないので、テープを受け取るのがやっと。
就職試験でも受けるようにドアのノックし、挨拶し、御礼を伝える。
テープを頂戴して辞するまでの時間はだいたい2分そこそこ。
"いたたまれない"とはこのことでした。
飛んで帰るなり再生したコミックソング『八房(やつふさ)の唄』。
安保さんの歌う前奏の ♪ブンガチャカ ブンガチャカ〜 が
緊張の余韻でまったく笑えなかったことを、よく覚えています。
2020年9月12日 Posted in
中野note
写真は休憩中の稽古場。
シャッターを開けて換気中、米澤と重村の姿が外からも見えます。
今日と明日は若葉町WHARFで稽古しています。
場面は3幕(最終幕)。明日には一通りの場面を終えて、
以降はその向こう側のレベルを追究する稽古を始めます。
先日、佐藤信さんとお話しした時、面白い意見を伺いました。
コロナ禍での公演は、目の前の観客と、観に来られずに
応援して下さっている遠くの観客めがけて行うべし。
そして、遠く離れた人にも届くために、
劇自体のレベルをこれまでの二周り上に鍛えなければならない、と。
至言です。当然、二回り以上をいきましょう!
ところで、明日の戯曲読解ワークショップですが。
ご参加いただいている方からのご要望に応えて、
テーマに掲げている『ジョン・シルバー』1幕の他に、
この演目のエピソード・ゼロである
『絵巻講談 ジョン・シルバー』や、
『ジョン・シルバー』冒頭に書かれているエピグラフについても
追いかけてみます。
リクエストしてくださった方は大変に鋭い!
この二つ、実は『ジョン・シルバー』を読み解く上で、
欠かすことの出来ない前段なのです。
唐さんから教わったこの演目にまつわるエピソードや、
唐ゼミ☆上演時の思い出話も、繰り広げてみたい。
ご期待ください。
2020年9月11日 Posted in
中野note
↑唐十郎教授の最終講義は、自分の初期の自信作のひとつです。
今月末から、桐朋学園芸術短期大学で非常勤講師を
することになりました。毎週月曜の夕方に通います。
これまで単発の講演で呼ばれたことは何度かありましたが、
定期の講座を行うのは初めて。
もちろん唐十郎戯曲の面白さについても伝えるつもりです。
横浜国立大学の教室で唐さんの話を聴いていた自分が
20年経つとこんな風になるなんて。まさに隔世の感。
全15回で何をやろうか、稽古の合い間に準備しています。
当然、『唐版 風の又三郎』は必ずやりましょう。
ところで、先日、私のFacebookで、
唐ゼミ☆初参加キャストの福田さんが困っていると書きました。
「前を向いてせりふを言うのは何故か?」という疑問に、
これまで相手役を向いて喋ってきた彼は突き当たっていたのです。
翌日に若葉町WHARFを訪ねて佐藤信さんに会うと、
すかさずあの記事のことを訊ねられました。
「どうやって説得したの?」と。
自分はギリシャ悲劇や能や歌舞伎を例に、
前を向いてせりふを言うことの自然さを説明しました。
加えて、信さんによれば、
演劇のせりふとは一つの語り物の分割であるそうです。
だから、複数で喋っても前を向く。
他にも、演劇のはじまりにおける仮面劇や音楽劇の重要性に
ついても話しました。
学生時代、このような根源的な話をする相手はいつも
室井先生でしたが、WHARFができたことにより、
こうして気軽に信さんともお話しできるようになりました。
昔の唐さんとのエピソードも伺ったりして、
示唆に富む、まさに講義の時間です。
信さんから教わった1971年の鞘当て公演の様子など、
今後ここでも披露していきたいと思います。
2020年9月10日 Posted in
中野note
↑今朝もみなとみらいで撮影。
今日は稽古場を劇団員に任せ、私は神奈川芸術劇場の仕事。
朝は象の鼻テラスでシニア向けダンス企画の配信ワークショップ。
↑私の担当する共生共創事業のシニア向けダンス企画
「チャレンジ・オブ・ザ・シルバー」。
プロジェクトリーダーをお願いしている安藤洋子さんがZOOM配信中。
↑夕方以降は、綾瀬市オーエンス文化会館で
シニア劇団の2020年度 初顔合わせを行いました。
この綾瀬シニア劇団「もろみ糀座」のプロジェクトリーダーは
劇団山の手事情社の倉品淳子さんにお願いしています。
せっかくなので、講師や参加者の皆さんと一緒に身体を動かそうと、
今日は一日ジャージで過ごしました。
ところで、最近は気温が下がり、明らかに蚊が増えましたね。
暑すぎると蚊も動けなかったそうですが、ちょっと活発すぎる。
車の中にすかさず入って来れられるもんだから、
運転中はやられ放題で、赤信号のたびに車中は戦場に。
この残暑。苦しんでいる方も多くいらっしゃるでしょうが、
私にはこの暑さが惜しくてなりません。
唐ゼミ☆が公演する11月ともなれば、
確実に寒くなって、観劇にも大きく影響するでしょうから。
今回はいつもと違って、チラシにも書いた
「テントなのに密じゃない 換気力が並みじゃない」
を確実にやりますから、テントの風通しを万全にします。
必然、寒いに違いない。
暑さよ、少しでも東京から去らないでくれ!
というのが、率直な願いです。
開演時間について何人かのお客様から問い合わせを頂きましたが、
そのようなわけで、今回はお昼の公演のみです。
昼間は多忙な方が多くいらっしゃるでしょうが、
夜になると寒すぎて観ていられないだろうと想像しての苦渋の決断です。
どうかご理解ください。
2020年9月 8日 Posted in
中野note
本日は稽古休み。
朝から神奈川芸術劇場の仕事に邁進していたところ、
お昼過ぎの移動の際、新宿中央公園の横を通り過ぎました。
思わず停車して、チラシとともに写真を撮ります。
ここが、当面の私たちの最終目的地です。
短時間の撮影中も日射しがギラギラ。
今日も暑かったのですが、今の私はこれが苦にならず、
なんだかこの暑さが惜しいような気さえしています。
公演本番の11月になったら寒くなるに決まっていますからね。
少しでも暖かい側に天気がとどまってくれたらと願うばかりです。
新宿中央公園にいたわずかの時間、さまざまな感慨がありました。
思えば、コロナ禍で「新宿」はずいぶんな目に遭ってきました。
夜のお店の件しかり、シアターモリエールの件しかり。
けれど、私にとって「新宿」という街はやはり輝いて見えます。
唐十郎演劇のメッカであり、実際に接する方々も、
芝居に理解のある温かい方ばかりなのです。
『腰巻お仙 振袖火事の巻』以来、第30回を記念し、
どうしても新宿中央公園にテント芝居を持ち込みたいと希望した私たちを
受け容れて下さったこと自体、その証左です。
地元の方たちの中には、
「いま『新宿』は評判悪いけれど、大丈夫?」
とかえって心配してくださった方もいて、どうにも頭が下がりました。
「君たちの芝居から、明るい催しが戻ってくるといいな」
とも言って頂いたりして。自然と力が湧いてきます。
この上は、絶対に期待を裏切るわけにはいかねえ!
さあ、明日は朝から稽古だ!!!
2020年9月 6日 Posted in
中野note
↑このオオカミ、なかなかの顔つきです。背景の青空も良い!
チケット発売から一夜あけ、土曜・日曜の席がもう無い。
ありがたいことなのですが、悩ましいし、申し訳ない。
普段のテント公演だったら、
ご来場のお客さんは舞台上に座ってもらってでも帰らせない
という精神ですから。
コロナ禍はほんとうにキツい。
でも、安全第一ですから、今回は厳格にやらせていただきます。
すみませんが、どうか平日をご検討ください。
↑衣裳製作中の"ちろ(芸名)"は写真撮影と英語が上手い新人です。
今日は、劇団メンバーは昨日に引き続き、ハンディラボで作業。
私は、外で仕事をしてきました。
一昨年前から神奈川芸術劇場の仕事で関わっている
NPO法人ドリームエナジープロジェクトを訪ねて、
演劇ワークショップをしてきました。
お題は「みんなで紙芝居をやる」というWSです。
私は唐さんから、
唐さんご自身が小学校の頃にご覧になった紙芝居
『黄金バット』や『小年王者』のおもしろさ、
ソース煎餅や飴玉かかえて現れる「紙芝居のおじさん」の
アヤシイ魅力をずっと伺ってきましたので、
今日は自分が「紙芝居のおじさん」になったわけです。
『おおかみと7ひきのこやぎ』を題材に、
「うら声」「しゃがれ声("アングラ"は得意中の得意!)」
「効果音の入れ方」「紙芝居のめくり方の演出的効果」
をめぐり、ドリプロ・メンバーと試行錯誤してきました。
今後もドリプロさんへのWSは続きますから、
以前から興味を持っていた「紙芝居」をもっと研究していきたい。
このあたりにも、唐さんの教えは絶大です。
↑さらに夕方は、友人の田口さんに会いました。
田口さんは介護職のプロフェッショナルですから、
神奈川芸術劇場の仕事で行っているシニア向け劇団やダンス企画に、
いつもアドバイスいただいているお友達です。
それになんといっても、お名前が"田口"さんですからね。
先週まで唐ゼミ☆WSの題材だった『恋と蒲団』もそうですが、
唐さんの芝居の主人公の多くは"田口"青年です。
(唐さんのお母さんの旧姓です)
そういうわけで、勝手に親近感を感じてお付き合い頂いています!
皆さん、日々のSNSへのご協力ありがとうございます。
さまざま方々の中には、
コロナが危ないうちは観劇を控えるべき立場の方たちもいます。
しかし、そのような方たち、劇を観に来られない方たちにも、
"テント芝居"や"唐版 風の又三郎"という私の信じる素敵な世界のあることを
チラシやSNSを通じて、お知らせしていきたい!
さあ、これから今日の仕上げ。
すでに常連で参加の皆さん+新規の方という仲間を得て、
今夜の唐ゼミ☆WSのテーマは、私の原点『ジョン・シルバー』だ!!!
2020年9月 5日 Posted in
中野note
今日はチケット売り出し日でした!
ここ数日、宣伝に多大な応援やご協力をいただいている皆様、
ほんとうにありがとうございます!
今日、われ先にと予約を入れてくださった方々に深く感謝申し上げます。
コロナ禍にも関わらず、観に来てくださるという決断に、
おひとりおひとりの覚悟を受け取っています。
私たちのテント芝居を応援してやろう、そういう気迫を感じています。
その思いに、必ず舞台で応えます!
11/21(土)の回はすでに残りの座席が少なくなりました。
11/22(日)の回も次第に埋まってきています。
平日はまだ余裕がありますので、
そちらでご検討いただけたらありがたいですし、
こんな風に創作や表現に取り組んでいるということを、
内容も含めて少しでも多くの方にお伝えできるよう、
発信を多くしていきます。
チラシにも多くの評価をいただけてうれしい。
過去最長、実に半年以上をかけて禿がデザインした力作です。
ちなみに、表紙の腕は熊野の右腕。
今日はチケット申し込みの受付と同時進行で、
劇団員でハンディラボに集まり、作業をしました。
ここから1ヶ月ほどで、小道具や大道具、衣裳の創作にかかります。
右腕の熊野は、小道具のスリッパを加工していました。
2020年9月 4日 Posted in
中野note
チケット発売前日です!!!
コロナ禍での公演です。
いつにも増して、お客さんが来てくださるか心配です。
いつもと違ってテントの中にお客さんがギッシリというわけにもいかず、
客席数が限られているので、これも心配です。
心配だらけではありますが、
今回の公演を進める中ですでに得た物も大きく、
唐ゼミ☆は前進します!
客席数を大幅に削らなければならないコロナ禍での公演。
初日直前になるほど、中止の可能性が高まるこの公演。
そこで、
劇団・キャスト・スタッフのSNS発信を生かして可能な限り創作プロセスを紹介、
唐ゼミ☆『唐版 風の又三郎』表現の目撃者を少しでも増やしたく、お願いです
FacebookのシェアやTwitterのフォロー&リツィートをお願いします。
11/17(火)公演初日までにTwitterのフォロワー倍増が目標です。
換気力抜群のテント芝居!
絶対にやりきる『唐版 風の又三郎』!
すでにいただいている多くの方の応援に感謝します。
皆さんご存知のような情勢下。
本番直前にメンバーの誰かが発熱したら、
結果的にコロナでなくても一発アウトのこの公演ですが、
やっぱり、どうしてもしがみつきたいと思いました。
私たちの活動全体を後押しして下さっている大きな力を実感します。
演劇があって欲しい。
テント芝居があって欲しい。
唐さんの芝居をやって欲しい。
皆さんの切実なエネルギーに背中を押されています。
今回、テント芝居の換気力はコロナ禍に強いのではないかと気付く一方、
どうしても客席数を大幅に減らさざるを得ず、状況は厳しい。
恐縮ながら、チラシをお送りする皆さんに支援のお願いをさせていただきました。
すると早速、何人もの方が名乗り出てくださいました。
「観に行けないけれど応援するよ」という何通ものファックスも寄せられています。
一通一通、涙が出るほど嬉しく、勇気が湧いてきます。
公演する方に賭けて良かったと、ますます確信しています。そして責任重大。
日々の行動は慎み、稽古はさらに熱心にしようと、素晴らしく追い込んでもらっています。
唐ゼミ☆は跳びます! 皆さんと『唐版 風の又三郎』の力で、空高く飛びます!!!
2020年9月 3日 Posted in
中野note
↑1月に御茶ノ水をウロウロした時に撮った写真
お昼過ぎのニュースを見て、ショックを受けました。
「キッチンジロー、外神田店含む13店舗が閉店へ 15店舗から2店舗へ激減」
今日から取り組む『唐版 風の又三郎』第3幕の舞台、「御茶ノ水」。
私にとっての二大娯楽、本とCDをハイレベルに完備し
いつ行っても美しく、惹かれてきた街です。
そしてこの街は、何よりも唐さんが青春時代を過ごした場所。
隊員1 あそこにニコライ堂があります。
隊員2 あそこにジローがあります。
隊員3 あそこに文化学院があります。
隊員4 あそこに陸橋。
さすがは明治大学卒業の唐さん、
第3幕で矢継ぎ早に吐かれるせりふにも、
「ああ、ここは御茶ノ水なんだ」と思わせる響きが宿っています。
この「隊員」というのは「自衛隊員」のことなのですが、
市ヶ谷との距離を考えてみれば、彼らは実にご近所からこの場所に
やってきた実感も湧いてきます。
そして、「キッチンジロー」。
創業は1964年だそうですから、
唐さんが明大を卒業された後のオープンですが、
きっと何度も行かれたに違いありません。
残念ながら「ジロー」にお供したことはありませんが、
唐さんと外でお昼ご飯をご一緒する際は、
よくハンバーグやナポリタンのお相伴に預かってきました。
神田や神保町からお店がなくなるのは残念ですが、9月中はまだある。
九段下まで行けば、10月以降もある。
次に御茶ノ水に行ったら、必ずジローに行きます。
さらに「隊員2」役には、特に大事にせりふを言ってもらいます。
2020年9月 1日 Posted in
中野note
面白い看板を見つけました。
荻窪近くの中央線に沿った道から見えるビルに、
それは付いており、目立っていました。
「チャイルド社」という社名もなかなかですが、
フォントのデザインもひときわ味わい深く、思わず写真に収めました。
「チャイルド社」と聴いて思い出すのは、
2006年の秋に上演して新潟・京都にも回った『ユニコン物語』に
登場する悪徳企業「ネンネコ社」です。
社員全員がその名の通りネンネコを背負っているこの会社、
一見するといずれの従業員もにこやかで優しげですが、
その実、さまざまな病院から胎盤をさらって商いにしているという
筋金入りのワルモノたちです。
まあ、儲けの効率が極めて悪そうなのが唐さん流のご愛嬌ですが、
とにかくひどいヤツらの集まりに違いない。
嬰児として取り替えられた男女の主人公ふたりを描くこの物語、
2006年当時の自分では上手く演劇化できなかったという、
挫折感が残る演目なのですが、一方で、唐さんが私たちのために、
初めて一部を改訂してくださった記念すべき台本でもありました。
1978年に上演された初演時の正式なタイトルは
『ユニコン物語 台東区篇』というのですが、
私たちには『ユニコン物語 溶ける角篇』という副題を
付けて下さいました。
唐さんご自身としては、初演時に劇中で取り上げた血液型の話題が
正確では無かったので書き換えたかったそうなのですが、
それだけでなく、2005年に封切られた映画版『ナルニア国物語』も
引用されて、私たち用の改訂版が出来上がったのです。
「チャイルド社」の看板を眺めながら、
2006年に歯が立たなかったことが思い出され、
いまだ唐さんの労に報いることができていない申し訳なさが
頭をもたげました。完全に宿題です。
このまま自分がしっかりしなければ『溶ける角篇』の存在自体が
無かったことになってしまう。そう感じています。
現在の全身全霊を以って
これは何とかしなければならないという思いに駆られています。
2020年8月31日 Posted in
中野note
昨晩はこの1ヶ月間に取り組んできた『恋と蒲団』ワークショップの
集大成として、通し稽古を行いました。
合計8名の参加者に恵まれましたので、
せりふを喋る登場人物が2名のこの台本を半分に割り、
一回の通しで4人が活躍、それを2回行うという実践を行いました。
私は音響係を務め、予め組んでおいたプランを基本に、即興で追加。
唐さんが仕掛けた
片想いの粘っこさ、、
独特の下ネタの数々、
聾唖者に設定されたヒロインの切なさを、
万年学生服のドンファンに沈殿する虚無感を、
愉しみました。
読んでいる参加者ももちろん面白いですが、
他人が読むのを横でニヤニヤしながら聴いている皆さんが実に愉快。
通してみれば1回40分ほどの上演時間ですが、
内容が充実しているので時間以上の量感がありました。
朝起きた時「今日は通し稽古だ!」という緊張感と手軽さの両立は、
ちょっと他の台本では考えられません。
これからも追いかけ続けたい台本だと再認識しました。
そして、今朝は若葉町ウォーフでの配信。
テツヤと8:00からお喋りしてきました。
『テツヤとアツシの朝から呑んじゃってる?』
「なぜ朝の番組にしたのか」というトピックから、
アルコールがいかに苦手かという話題に発展し、
なぜか「劇団犯罪友の会」と「椿組」の野外劇の違いについて
熱く語り合う結果になりました。
最終的に、テツヤは次回配信までの断酒を誓い、
私は英会話への入門を宣誓してお開きに。
なんと言っても、二つの先輩劇団について
月曜の朝から元気いっぱいにお話しできたのが今回の成果です。
次のWSは9/6(日)で題材は『ジョン・シルバー』1幕。
次回の若葉町チャンネルは10/5(月)に配信です。
2020年8月29日 Posted in
中野note
↑テツヤと新人のSANEYOSHI
新企画です。
明後日から若葉町ウォーフチャンネルで配信される番組に参加します。
「テツヤとアツシの朝から呑んじゃってる?」
初回は8/31(月)ですが、今後は毎月第1月曜日に放送されます。
時間は8:00〜8:45。朝です。
私は子どもの頃から朝が強く、
小学生時分には母親に注意されがちなファミコンを楽しむため、
日曜朝は4時台に起きてこれを苦にしませんでした。
こういった習性は唐十郎教授に出会ってからさらに磨きがかかり、
唐さんが翌年の春公演に向けて早朝に台本を執筆される11月ともなれば、
同時間に行われる私の台本研究にも一層の気合いが入ります。
「今ごろ東京で唐さんが書いている。ならばオレも劇に没頭せねば!」
という具合です。
今回の番組スタートに当たっては、
自宅がご近所同士のテツヤにロイヤルホストで遭遇した折り、
お誘いを頂きました。それから改めてお話をし、
放送時間を朝にすることに。
新たに始まる1週間に向けて誰もが爽やかにスタートしたい月曜。
皆さんの健やかな日常へのエールとなるのか、
完全に出鼻をくじく嫌がらせチャンネルになってしまうのか、
ご期待ください。
春先から毎週火曜に続いてきた
「マコトとテツヤでしゃべります。」も、
今後の配信日程を決めて継続されるそうです。
では、明後日の朝!
2020年8月28日 Posted in
中野note
↑2010年秋に公演した『下谷万年町物語』1幕
9月から10月にかけて行うワークショップ。
今日はその内容について吟味してみました。
まずは、ぼくらの原点!『ジョン・シルバー』から。
1幕を中心にやります。
「双子の姉妹」とか「らくだの姉妹(背中にコブがあるから)」とか
呼ばれるこの役が、一体どのようなキャラクターなのか、
読み解いていきます。
唐さんの初期作品というのは、設定を抽象的にすることが多いのですが、
その"抽象"の裏にある確固たるリアリズムについて検証します。
前にもここに書きましたが、
"下町の長屋"を90度反転して"塔"に見立てるのが唐さんですから。
『ジョン・シルバー』で3週過ごした後は、
個人的に大好き『下谷万年町物語(したやまんねんちょうものがたり)』
を取り上げます。
『下谷〜』は唐さんが40歳の頃に書かれた台本ですから、
24歳で執筆された『ジョン〜』よりかなり具体的なのですが、
一点、2幕のエンディングから3幕前の幕間に唐突に"鏡"が登場します。
そこを手掛かりにして全編を読み解くと、
唐さんがこの自叙伝的作品に託したものが鮮やかに見えてきますので、
一生懸命に追いかけましょう。
劇作家志望の少年が登場する、"唐さんの原点"という長編です。
テーマ【ひとり言の世界】
9/6(日)『ジョン・シルバー』①
1幕より「 〈双子の姉妹〉とは何者か」
9/13(日)『ジョン・シルバー』②
1幕より「 〈双子の姉妹〉その哀しみと愛」
9/20(日)『ジョン・シルバー』③
1幕より「 〈双子の姉妹〉の通し稽古」
全幕より「 鏡だらけの『ジョン・シルバー』」
テーマ【助っ人はいつも鏡の中から】
9/27(日)『下谷万年町物語』①
1幕より「大人と子どもの文ちゃん」「洋一のひとり言」「池に手を映してみる」
10/4(日)『下谷万年町物語』②
2幕より「牢獄のキティ瓢田」「キティ瓢田と鏡」「2幕の終わりに」
10/11(日)『下谷万年町物語』③
幕間より『病院からの突破口』
3幕より『お市とお市の偽物」「全幕の終わりに」
2020年8月28日 Posted in
中野note
↑今日はジャンベを手に入れました。ハンディラボで練習しようと思います。
今日は個人稽古をしました。
2幕に主人公2人の場面があって、これが難所なのです。
そこで、2人の人間関係がどう変遷するのか、
丁寧に確認しながらやりました。
まず、一方が相手を邪険にする。
すると、邪険にされた相手が怒り出す。
相手が怒り出したと知るや、邪険にした当の本人が機嫌を取り始める。
しかし、機嫌を取り始めてみると、実は相手は怒っておらず、
怒ったフリをしていただけで、まことに良いヤツであった。
こんな感じです。
そのようなやり取りを経て2人が結束を高めたところで、
敵役たちが舞台に雪崩れ込んでくるわけですが、
そのような展開に至るまでのプロセス、
人間関係が変わっていく様子を逐一を押さえました。
こういう場面では、この一言をきっかけに人間関係が変わった!
というポイントを押さえることがすごく大事です。
私たちの日常でも他人が急に怒り出した時、後から、
「あの一言がマズかった」などと反省することがありますね。
劇を組み立てる時は、ああいう経験を応用します。
さらに、音響の練習。
どのように役者のせりふや歌をサポートするのか、そういう訓練です。
新木は音楽が好きなので、いくつかの協奏曲やオペラの場面も
参考にしながら教えました。
上手い伴奏は、演者が苦手とする箇所では音量を押さえて支えます。
さらに、得意な声域に差し掛かって声が伸び始めると、
声量の下にピタリと付けてボリュームを上げ、
もっといけそうな時には、煽ることさえします。
肝心なのはせりふや歌詞の切れ目で、
ここをいかに演者から引き継ぐようにして盛り上げるかが肝心です。
大切なのは、単にボリュームを上げるのではなく、
この「演者から引き継ぐ」という感覚です。
優れた陸上選手のバトンリレーを見ていると、参考になります。
リレーが上手いと、バトンを渡される側が、バトンの渡す人の
エネルギーを受けて加速しているように見えますね。
ああいう感覚です。
そうだ。今度の日曜のワークショップは、
ここ1ヶ月間をかけて取り組んできた『恋と蒲団』の集大成です。
皆さんに通しで読んでもらいながら、私は音響をやる予定です。
2020年8月25日 Posted in
中野note
↑同じ企画で和歌山県の新宮に行き、あの方の記念館に立ち寄りました。
愛用の笠の話の続きです。
2016年の夏、私は演出助手として、
やなぎみわさんのトレーラー演劇に参加していました。
台湾から取り寄せたデコトラを用いた野外ステージで、
中上健次の『日輪の翼』を舞台化し、上演しようという企画です。
やなぎさんとは、それまでに『パノラマ』公演もご一緒しましたし、
発想の突飛さとスケールの大きさに惹かれました。
そしてまた、「野外」「夏」とくれば「笠」の出番でした。
神奈川芸術劇場のスタジオで行われた稽古を経て、
一行は大阪に乗り込みました。
住吉大社の近く、北加賀屋にある元造船所の倉庫内で、
実際のトレーラーを用いたリハーサルを行うためです。
その際、私は倉庫のすぐ近くにある、
ある絵画教室に宿泊することになったのです。
制作助手の井尻さんという女性の知り合いが、そこを運営していました。
夏ですし、大きなソファをベッドにタオルケットがあれば快適でした。
風呂無しでしたが、近所には早朝から深夜までスーパー銭湯があり、
回数券を買って通いました。贅沢をして朝晩、1日に2回。
朝起きて、事務仕事をし、
横浜にいる時と同じように傘を装着してランニングに出掛けます。
初めての土地なので色々な場所を見て回りました。
それから風呂に行き、遅めの朝食を食べて稽古に向かう日々。
出発する際は、荷物を極限までコンパクトにして出かけます。
午後や夕方には子どもやお年寄りが集まって絵画教室が行われるからです。
後から聴いた話では、教室に通う近所のお婆さんはその荷物を見て、
お遍路さんが住みついたと思ったそうです。
たまたま置いて出掛けた笠を目にして、「あ、お遍路さんだ!」と。
3週間弱を過ごして大阪を後にする日、
私はお遍路さんらしく、墨書風に仕立てた御礼の置き手紙をしました。
まるで、自分が『砂の器』の登場人物になったように思えました。
2020年8月24日 Posted in
中野note
↑客演から帰った重村君、映像の仕事を終えた福田君が合流した本日の稽古。
最近、2幕の稽古で大きな発見がありました。
出演者のうち、宮本君と小山君と小林君、佐々木君に関わる場面です。
私は、役者が進行中のシーンに馴染まずに停滞する時には、
次の二通りの原因を考えます。
(2)私が示した台本への読解が間違っている
こちらとしては追いこんで事前に台本を研究しているつもりなので、
まずは(1)を疑いたくなります。
だいたい、せりふがきちんと入っていないじゃないか!
といったことを、つい言いたくなる。
しかし、役者が一生懸命やっているにも関わらず稽古が進まないと、
こちらに責任がありそうな気がしてきます。
原因は(2)かも。要するに、オレのせいかも知れない。
こうなると、せりふが上手く入らないこと自体も、
読み解かせ方に間違いが原因であるような気がしてくる。
人の体というものは正直かつ敏感ですから、理不尽は通用しない。
理解に違和感がある場合に体は上手く反応しないのです。
そうこうしているうちに、
私は2幕半ばにある自衛隊員たちのシーンへの理解が浅かったことに
気付きました。おかげで、これまで習慣的なやり方がされていた場面に、
真の意味や目的を見出すことができました。嬉しい発見です!
役者たちには、私の不明から遠回りをさせて申し訳なかったのですが、
実際、正確に読み解いて理屈が通るようになると途端に場面は流れ始めました。
役者の体とは素直なものであり、優れたセンサーだということも実感しました。
明らかな難題に取り組んでこれをクリアするのは愉しい作業です。
しかし、今まで習慣的に捉えてきたものの中に真実を発見する時にこそ、
格別のよろこびがあります。
今まで何気なく通り過ぎてきた箇所に埋もれてきた問題点を直感する。
そういう反射神経にいつでも研ぎ澄まされていたいと思います。
今回のことは、役者たちに"借り"です。
2020年8月22日 Posted in
中野note
↑初夏の下見の時に撮った写真
『唐版 風の又三郎』の公演情報を解禁しました。
2016年に『腰巻お仙 振袖火事の巻』を上演して以来、
4年ぶりの新宿公演。そう。会場はあの新宿中央公園です。
前回は、1969年1月3日に唐さんが同じ演目を公演してから、
実に37年ぶりの同演目による復活上演でした。
初演時は、200人とも300人とも言われる機動隊に囲まれての
強行上演でしたが(訊く人ごとに機動隊の人数が全然ちがう!)、
私たちは合法でやりました!
時代が変われば、社会も人も変わるもの。
機動隊ではなく私たちを取り囲んだのは、
スケボーに打ち込む大勢の若者たちと、
その数を遥かに凌ぐポケモンハンターの群れでした。
あれからさらに時間が経ち、
中央公園はますますキレイに改修されました。
今年のような状況下でもテント演劇を応援し、
会場を提供して私たちにチャンスを与えて下さったのは、
まさに僥倖でした。
公演初日が迫れば迫るほど、
メンバー1人の発熱が一発アウトに結びつく昨今ですから、
多くの方の好意に報いるために、
もちろん、それ以上『唐版 風の又三郎』に期する私たち自身のために、
慎重に慎重を重ねた準備を進めます。
と、これを書いている今、
猛然と強烈な雷雨が降り始めました。
これから試練の多い公演になるでしょうが、
かつて唐さんから「暗雲よ来い!」とエールを送られた私たちですから、
日々ジリジリと乗り越えて千秋楽を手繰り寄せてみせましょう!
稽古や準備の一つ一つに、自然と熱が入ります。
2020年8月21日 Posted in
中野note
↑数日前に紹介した笠は、長野市の善光寺で買ったものです。
2011年秋に上演した『海の牙』以来、
2015年まで4年に渡って通い続けた長野市権堂での公演ですが、
その集大成は、唐さんが書き下ろして下さった『木馬の鼻』の
野外公演でした。
訪れたのは9月でしたが、涼やかな長野をして昼間の陽射しは強く、
善光寺参道のお土産物屋で見かけたこれを、試しに買ってみたのです。
その時、確か同じような品物が数種類あって、
先の尖っていない真ん丸の笠もありましたし、
同じ形で「善光寺」と墨書風にプリントされているのもありました。
私は、そのあと巡る名古屋や大阪でもかぶり続けようと思い、
シンプルなデザインを買うことにしたのです。
結果は大正解。その絶大な過ごしやすやは前回に紹介した通り。
後日に気づいたのですが、
家の近所あるホームセンターでも、夏場になると同じ品物を扱います。
ということは、私の他にもこの笠を日用使いする人がいるということです。
でも、ホームセンターのを手に取ってみると、
私の愛用の品は表面がたっぷりのニスでコーティングされており、
機能も美観も微妙に優れていることがわかりました。
さすがは善光寺ブランド。以来、5年以上ずっと愛用しています。
この笠については、
後にやなぎみわさんのスタッフとしてトレーラー演劇に関わった時、
神奈川芸術劇場でベトナム企画にたずさわった時にも
威力を発揮してきました。次は、その話もしましょう。
今日は、稽古がお休みです。
2020年8月20日 Posted in
中野note
↑佐々木覚さんは穏やかな人ですが、舞台での表情は不吉。もちろん役作りで。
今日は昼食を食べに行った店で素敵なことがありました。
椎野と私がカウンターで並んで頂いていると、
年配の男性がいかにも定位置といったイスに腰掛けました。
その方は生ビールと天丼を注文し、さっそく一杯やり始めましたが、
常連らしく親しげに料理人さんとお喋りしています。
聞けば、92歳とのこと。
さらに、午前中に講義を終えた帰りだともおっしゃる。
供された天丼を見事にガツガツやっていました。
すっかり平らげて、「毎日暑いけど、あの日も暑かったなあ」と。
「あの日」とはもちろん終戦の日。
8/17が彼の誕生日らしく、当時は16歳だという計算です。
それから75年も経って、現役で仕事をし、天丼をガッついている姿に
大いに希望を持ちました。
その足で築地本願寺に行き、ブディストホールで観劇。
重村と佐々木あかりが楽しそうに他流試合をやっていました。
キャリアのある方、俳優として鍛え上げられた方、中には芸人さんもいて、
隣に立つことが何ものにも勝る収穫だと思いました。
優れた舞台人は体幹が安定してとにかく見やすい。
それでいて、動くときは大胆に動く。見習って欲しいと思います。
終演後は取って返し、急いで『唐版 風の又三郎』の稽古へ。
メンバーのうち個々人をいかに少なく集め、
凝縮して修練させるかというスケジュールの設定なので、
今日はいきなり3幕中盤。
しかし、ずいぶん読んできた本なので私としてはまったく苦になりません。
役者はあっちいったりこっちいったりで大変でしょうが、
この新しい稽古のやり方に、彼らも食らいついています。
2020年8月18日 Posted in
中野note
↑『ジョン・シルバー』に取り組むWSでは、この二人の場面をやります。
来月以降も続けるワークショップ、そのお題を今朝から思案しまして、
「鏡の世界〜『ジョン・シルバー』と『下谷万年町物語』」
ということにしました。
タイトルの通りわたしの好きな2作品を渡り歩きながら、
特に『下谷万年町物語』はけっこうボリュームがあるので、
10月半ばまで6週間をかけて丹念に当たっていこうと思います。
『ジョン・シルバー』からは1幕を中心に、
『下谷万年町物語』からはテーマに関わる箇所を拾いながら
進めようと計画しています。
かつて、石橋蓮司さんから、
「唐さんの劇をやる上で大事なのは"孤独"だと思う」
と伺ったことがあります。
蓮司さんとは、唐さんのところで折に触れてお目にかかるほどの
関係なのですが、その少ない機会にそうおっしゃったことは、
大変に印象的でした。
今回、設定したワークショップには、この"孤独"が影響しています。
"孤独"だからこそ、唐さんの劇の登場人物たちは激しく他人を求めます。
そしてこれは、演劇人全体に共通する性質でもある。
世の中には、褒められも貶されもせずに独りで生きた方が楽だという人も
いると思いますが、こと演劇人に関する限り、
こういう人には出会ったことがありません。
例え斜に構えていたとしても、結局は共演者や共同製作者や観客が欲しい。
そしてできるならば褒められたい。これが演劇人の性だと思います。
2作品を通じて"孤独"と、
そこから一歩進んだ登場人物たちの"他人への渇望"を体験してみる
ワークショップです。
もちろん、今わたしたちが取り組んでいる『唐版 風の又三郎』にも
そういった心境やテーマは溢れていますから、それを確認をする意味でも
やってみたいと考えました。
・・・と、こう書くと、
かなり真面目に過ぎる感がありますが、
これまでと同じようにどなたにも楽しく、
それでいてやっぱり超真剣にやりましょう。
そうだ! 今度の公演の日時や場所について、土曜日に発表します!!
2020年8月17日 Posted in
中野note
↑アクション・シーンのために立派な剣を用意
昨日は、午前から昼過ぎにかけての稽古と、
夜のワークショップを渡り歩きました。
『唐版 風の又三郎』のせりふは実に膨大なのですが、
本読みに費やした助走期間も長かったですし、
まだ序盤ですからスイスイと進んでいます。
面白いのは、やはり立ち稽古ともなれば、
登場人物同士のやり取りが本読みよりも遥かに複雑になることです。
ことばだけでなく、目線や体の向きでも人は会話します。
対面する相手とせりふのやり取りをしながら、
意識は他の人間と対決したりする。
こういうことを要求してその場に渦巻く対立を複雑化させると、
場面の緊張は一気に高まります。
これをいちどきに全てを消化することが難しいメンバーにも、
順を追ってひとつひとつ体得してもらい、
必ずや自分のものにしてもらいます。
手順を踏みながら、次から次へと要求。
上記のような稽古の影響もあり、
ワークショップでも、半ば立ち稽古のようなことをやりました。
『恋と蒲団』全34ページを4回に分けて進行しているワークショップですが、
昨晩はその2日目。ここには、ちょっとしたアクションシーンがある。
だから、パソコンの向こうの参加メンバーにも、
剣で切り結ぶアクションをしながらせりふを言ってもらいました。
家族の方にはさぞ怪訝に思われたでしょうが、
本格的に劇を想定する醍醐味は味わってもらえたように思います。
また、目下わたしたちを苦しめているこの暑さが、
『恋と蒲団』を読み解くにあたっては、実に有効なのです。
炎天下に立ち尽くし、じっとりと片想いの相手の家に視線を向ける。
『恋と蒲団』の主人公はこうでなくてはいけません。
さらに、当の青年は恋が叶わなければすぐにこの街を去ろうと決意し、
背中に蒲団まで背負っている。その背中の汗ばみ、蒲団の汗ジミこそ、
この台本に向き合う者が心得ていなければならない重要なポイントです。
来週はいよいよ、唐十郎流の恋愛シーン・濡れ場にも差し掛かり、
じとじとと燃え上がります。
そうそう。ワークショップは面白いし、
『唐版 風の又三郎』の気分転換になるので来月もやります。
2020年8月15日 Posted in
中野note
↑米澤の口につけているこれを、齋藤が仕入れてきました。
膨大なせりふと格闘しなければならない役者たちのストレスを
軽くできないか、心を砕いてのことです。
マスクと顔の間にこれを入れれば空間ができ、多少は楽になるかも。
そう望みを託しましたが、稽古後の禿と米澤のリアクションはイマイチで、
今日は善し悪しがはっきりしませんでした。
明日以降、他のメンバーでも試してみる必要があります。
未経験の対策を取る中で、稽古場ではこんな工夫を重ねています。
ところで、私もある道具の導入で、
今日から日常生活のつらさがかなり軽減しました。
↓これです。
実は8月に入って以来、私は体力の衰えを痛感してきました。
去年までも同じように暑かったのに、朝のランニングがやたらとキツく感じる。
年齢によるものかと思い、堪えました。
しかし、そうではなかった。
去年までの私は、玄関に置いてあるこの笠をかぶって外に出ていたので、
大変に楽だったのです。
ところが、最近になって借り始めた倉庫の中にこれをしまっていたために
存在自体をすっかり忘れていました。
ふとしたことから今日はこの夏場の必須アイテムを思い出し。
久々に装着して歩きました。結果、絶大な効力を発揮しています。
見た目は変かも知れませんが、これは実に優れものです。
日傘と違って手も空くし、頭と笠のすき間に空間があるので蒸れません。
その上、雨を通すこともないのです。
終戦記念日ともなれば、今日はあえてこれで炎天下を歩き、
かつて実際の玉音放送を聴いた祖父母の過ごしただろう時間を
共有してみたくなりました。
そうして稽古場への道を行き来するのは、なかなか良いものです。
この愛用の笠には沢山のエピソードがあるので、
次回以降に購入時からの思い出を振り返ってみましょう。
2020年8月14日 Posted in
中野note
↑思案のしどころ、密を避けた立ち稽古のスケジュール組み
昨晩、立ち稽古がスタートしました。
今回は劇団をあげて特殊なやり方をとっていて、
それはやはりCovid-19のためです。
劇団員の熊野と林を中心に思案して、
今回は必要最小限の人を集めて稽古する日程を組みました。
集団シーンは後回し。映像をつくるように、
集まる人に合わせて飛び飛びで場面を当たっていきます。
さらに、その様子は常にzoomで実況中継されていて、
みんながこれを見ている、という具合です。
このご時世では、
トップシーンから順番につくっていく従来の方法は
広い稽古場を確保できる劇団だけに許された贅沢と言えます。
しかし、稽古ができるだけ、芝居ができるだけでありがたい。
そう思い、この方法で立ち稽古初日をスタートさせましたが、
初めての新鮮さもあり、私はむしろ大いにこれを気に入りました。
というのも、
目の前の役者とシーンに集中できるのです。
それでいて集中すべきところの他は、リラックスできる。
例えば、目の前の場面が上手くいかないと稽古場は停滞します。
それは役者にせりふが入り切っていなかったり、
台本の内容を反映して上手く動けなかったり、
私の指示がわかりにくかったりするのが原因なのですが、
稽古場が停滞すると、隅っこの方にたちどころに退屈や睡魔が発生する。
要するに出番を待っている役者が散漫になる。
こうなると最悪で、私はなんだかムカムカするし、
そのムカムカに役者たちは焦り出してよりボロが出るし
ボロが出ると輪をかけて稽古場は停滞。
私の知る限り、個人を尊重するヨーロッパの演出家は
そういうことを避けるために、稽古に詰まると、
難題に直面している役者以外をその場所から出してしまうことがあるらしい。
スタッフも追い出して、役者が目の前の問題にだけ、
周りを気にせず取り組めるようにする。
まあ、これにも潤沢な空間が必要ではありますが。
とは言え、
集団を背負って闘うのが役者の責任や強さとも言えるし、
ムカムカを押さえて人を力ませないのが演出家の度量でもありますが、
今回は和を以って尊しとなす日本型でなく、個を尊重するヨーロッパ方式で、
できる方法を最大限に芝居の質に生かそうと決意しました。
それにしても、実況中継しているzoomの向こうで、
みんながどのように稽古場を覗いているか、気になる。
気になるので、時々は話しかけるようにします。
2020年8月13日 Posted in
中野note
↑昨晩は最後の本読みでした。
6日間かけて3つの幕を稽古してきたので、最後に全幕を読み通しです。
『唐版 風の又三郎』に取り組んで以来、これは初めてのことでした。
とりあえず通しで読んでみよう、ということを私はしません。
意味も分からず盲滅法にただ読み上げることは、
作品に申し訳ないし、役者たちの体にもいたずらに負担がかかります。
第一、聴いていて耐え難い。
逆に言えば、昨日に何とか通しで読むために、
これまでの半年間にわたり積み上げてきた研究があったと言えます。
結果、実りも、至らないところもあったのですが、
一定の指標を得ることができました。
要するに、この芝居はイケる。
今回、私たちはノーカットで上演します。
厳密に言うと、劇中歌をコンパクトにするところはある。
この劇では同じ歌を何度も歌うので、
あるところは1番だけ、別の箇所では2番だけ、そんな風に調整します。
こういうのは工夫のしどころで、前後のシーンを見ながら、
あ、ここは2番の歌詞の方がしっくりくるな、
などと選択していくのが愉しいし、歌がより効果を発揮します。
要するに、
唐さんが書いた言葉で、一度も発語されない言葉があってはならない。
これが大原則です。
で、通し本読みの結果。
私は上演時間を、休憩2回含めて3時間強とにらみました。
トイレの3密を避けるために休憩時間を延ばす可能性もありますが、
覚悟していたよりずっとコンパクトだという実感を得ました。
全体をスピーディーに、それでいてメリハリを効かせ、
厳選した見せ場をここぞとばかりにたっぷり見せるのが私の信条です。
せりふは、強調したいところをしっかりと聴かせたら
あとは速く言った方がわかりやすい。
全体がゆっくりだと、かえって何が言いたいか判らなくなります。
そのためには、目の前のせりふが何を伝えたがっているか、
役者は意味を熟知する必要があるし、だから台本をよく読んできました。
これまでに唐ゼミ☆が公演してきた中で、
何と言っても長かったのは『下谷万年町物語』でした。
特に2幕は抜きん出ており、やってもやっても終わらない。
上演に3時間半近くかかった日もありました。
その『下谷万年町物語』に比べれば、
『唐版 風の又三郎』の台本は20ページほど短い。恐るるに足りません。
何より、必ずや内容の充実が時間を忘れさせるようにつくります。
改めて、この芝居はイケます。
今日から立ち稽古です。
2020年8月11日 Posted in
中野note
↑稽古場用のスピーカーを整える音響担当の新木。
稽古休みの今日は、音響担当の重要性について話します。
野球でいえば、私が監督で、音響担当はキャッチャー。
オーケストラでいえば、私が指揮者で、音響担当はコンサートマスター。
料理屋でいえば、私がオーナーで、音響担当は板長。
それほどに音響担当の支配力は大きく、責任は重大です。
そのようなわけで、私は新木のことを頼りにし、
かつ意図をわかりやすく伝えるように心がけています。
幸いにも、
彼女は仲間たちと組んでいるバンドでボーカルをしており、
音響的なセンスに恵まれています。
耳が良く、声がよく出て歌が上手い分、
せりふの修正についての反応もすこぶる速い。
音響担当に必要な資質を備えています。
あとは、性格的に大胆なのが良い。
例えばアクションを手直しするとして、
大きな動きを小さく直す方が、小さな動きを大きくするより遥かに簡単です。
その点、彼女は若くして豪快さに事欠きません。
これらが、彼女を私が頼りにする理由です。
『唐版 風の又三郎』にはたくさんの劇中歌が登場します。
しかも、ひとつの曲を何度も何度も歌う。
延べ数として、その数は他の唐作品の中でも抜きん出ています。
そのために、いつも伴奏づくりをお願いしている
サトウユウスケさんには早めに作成をお願いにいき、
出来上がってきた伴奏について、
本読みの中で試しながら、高さや速さの調整を重ねました。
他にも、すでに私がBGMとして使おうとしている曲を、
徐々に新木に渡し、音楽のかけ始めのキッカケを指定し始めています。
今回は準備期間も長かったし、稽古場で出演者全員が会えるのは
貴重な機会ですから、とにかく早く決めてしまおうと考えています。
そうすることで、新木のスイッチやボリューム・コントロールの腕を
早めに上げさせる必要がある。
これからの二人三脚、自分に張り付く新木は苦労を重ねるでしょうが、
少なくとも栄養は充分に取らせようと決意しています。
もちろん女優もやってもらい、その時の音響は私がやります。
2020年8月10日 Posted in
中野note
↑すでに新品にリニューアル
昨日、米澤が書いたように私の車のタイヤはパンクしました。
場所はハンディラボの駐車スペースです。
クギを踏んでしまったことが原因でした。
あそこは、事務所・倉庫・工房の3つの機能を持った場所です。
材木の加工なんかよくやっていますから、これは仕方のないことです。
車のタイヤは普通にクギを踏んでもパンクしないものですが、
何かの拍子に垂直に刺さってしまった。
少ない可能性が重なって不幸は起きました。
公演やイベントごとが近づくと、こういうことは必ず起きます。
常に少しずつソワソワしており、常態的に浮き足立っていますから、
何となしに事故や事件が招き寄せられます。
長年やっていますから、こういう事故が起こった時、
私は特段なんとも思わなくなりました。
回避できるミスだという風に反省もしないし、落ち込んだりもしない。
運転して停めた劇団員は、自分に気をつかって可哀想だと思いますが。
生来の私はいちいち不安に慄き、浮き足だつ方ですから、
これは場数を踏むうちに事故への対処も経験し続け、
自信がついてきたということです。
印象深いのは、2015年に行った野外演劇の東北ツアーの最中、
石巻での公演準備中に禿と回転ずしに繰り出し、
そこの駐車場でハイエースの背面ガラスがコナゴナになったことですね。
当時のゼミログにその時の様子があります。
あの時も、割れたのはキレイにガラスだけで、
フレーム部分が一切接触していなかったので、すぐに治った。
ああいう時、まだ運は残っているなと思いました。
今回もすぐに治ってしまった。
前回のタイヤ交換時にパンク保証に入っており、
工賃のみで4本とも新しくなりました。
事故から1日後にはリカバリー完了です。
公演終了まで、これからいくつもの細かなトラブルを経験し、
その度に対処するだろうと想定しています。
ケガはするけれど、それが致命傷でなくフォロー可能であれば、
私たちは結構ラッキーである。そういう考え方です。
2020年8月 8日 Posted in
中野note
動画製作を支援する助成金に申し込んでいたのですが、
めでたく採択されましたので、
今日はハンディラボにカメラをセットして撮影を行いました。
内容は、普段の稽古の様子を皆さんに公開するというものです。
Covid-19の影響は実際の公演が迫るにつれて困ることばかりなのですが、
公演準備の過程で内省的な時間が増えたのには、
ずいぶん助けられたというのが率直な私の実感です。
春には特に台本がよく読めました。
下調べの資料にもよく当たることができました。
こういう作業が充実したのは、とてもありがたいことです。
また、実際の動画撮影の時には、
1月から行ってきたワークショップの効果が如実に現れました。
台本にあるせりふやト書きについて説明するやり方について、
私は参加者の皆さんにずいぶん勉強させてもらってきました。
ですから、動画の撮影もあっという間に済んでしまいました。
ワークショップといえば、明日から新章に突入します。
明日から始まる8月の日曜日4回で私の好きな短編戯曲の読み上演を、
一本まるごと完成させてしまおうと計画しています。
演目は1976年に初演された唐さんの戯曲『恋と蒲団』。
あまり知られてはいませんが、唐さんの恋愛感を凝縮した、かなりの逸品。
私にとっては、2011年以来の挑戦です。
すでに10人以上の方にご参加いただいていますが、
まだ数名分は余裕がありますので、よかったら覗いてください。
2020年8月 7日 Posted in
中野note
↑腰越の手前から見た江ノ島
昨晩と今夜は2幕を稽古しました。
劇中劇『ヴェニスの商人』によるコミカルな冒頭を経て、
一転、血と肉がしぶきをあげる結末に突進する要所です。
最後には流血沙汰。
「紅(くれない)のマント」という2幕に唐さんが付けたタイトルは
伊達ではなく、見せ場で燃え上がるヒロインの歌い上げる歌詞が、
実に聴かせます。
♪ 燃えるよ燃えるよ カゲロウが
夏の入江に横たわる
あたしの陰でカゲロウが
あなたと共に燃えまする
ところで、今日は朝から夕方にかけて、
久しぶりに神奈川県内をウロウロしてきました。
朝から鎌倉に行き、冷房の効いた素敵な空間でミーティング。
それから湘南海岸を西に急行。
途中、混み合う由比ヶ浜から鎌倉高校前にかけての道を
とろとろと進みながら、久々に江ノ島を眺めることができました。
唐さんも大好きな江ノ島。
上記の歌詞は、きっとあのあたりを想定しているはずです。
今日が、普通なら暑くてしんどい本格的真夏日であったことも、
2幕を稽古中の自分にとっては幸いに感じられました。
昼過ぎに小田原に辿り着いて知り合いに会い、
ついでに真鶴にも足を伸ばし、周囲に頼まれた買い出しもして。
帰りはまさに大渋滞。
海老名インターに寄ったところ、今が夏休みど真ん中であることを
痛感させられました。コロナ禍とはいえ、
お父さん、お母さんに連れられた子どもたちが、
そこらじゅうを飛び跳ねていました。
それを横目に、私は遅れてはならじと冷や冷やしながら、
稽古開始時間に向けてハンディラボに殺到。
2幕を猛進して先にあげた劇中歌に差し掛かると、
お昼に見た人気の無い湘南海岸が眩しくよみがえりました。
2020年8月 5日 Posted in
中野note
みんなのためにトイレ掃除を行う新木。
現在、稽古場に集まることができるのは数人です。あとはリモート。
しかし、その数人ですらも、気をつけないわけにはいきません。
今日は新加入した竹林くんと個人稽古をしたくて、
早めに現場入りしました。
すると、いち早く来た重村と新木が稽古場づくりをしていました。
扉を全開にして扇風機をフル稼働し、換気を行う重村。
冒頭にあげたように、新木は各設備を拭き掃除。
新木は音響担当でもあるので、今回の使用曲を徐々に渡してきます。
編集などのブラッシュアップをして、
稽古でかけてもらうための準備もすでに行っています。
真夏の稽古ではありますが、
ハンディラボはスペースも広く、創造意欲を掻き立てる空間です。
ここで稽古できるのは、実に幸せな感じがします。
陽が沈めば気温も落ちて、居心地が良くなります。
初めて出演してくれた竹林くんとの個人稽古↓
2020年8月 4日 Posted in
中野note
今日から『唐版 風の又三郎』の公演体制に突入しました!
新しい稽古のはじまりです。
劇団員ではないメンバーも今日から正式に加わり、
これまで重ねてきた本読みを、改めて座組み全体で共有しました。
私自身は当然ながら全員と会ったことがありますが、
よくよく考えて見ればメンバー同士は初対面のケースもあります。
この辺が新鮮です。
過密状態にならぬよう、リモートとハンディラボを存分に使います。
幸い、ここは広い。そして換気バッチリです。
これまで共有してきたはずのビジョンは、
果たして現場で上手く噛み合うのか。
こういった検証も初めてのことでしたが、
思いのほか成果を得ることができました。
本読みの段階を終えたら、立ち稽古に入ります。
今回はこれがさらに難関です。
まるで映像の撮影のように、
一度に集まる人数がもっとも効率化されるよう、
完璧なスケジュールを組まなくてはなりません。
単に作品をつくっていく難しさに加えて、
また新たな視点で安全な稽古場に努め、維持しなければ。
気持ちは逸りますが、気合だけでは越えられない壁です。
芝居の中身だけでは無く、稽古の進行についても、
知恵を絞る毎日のはじまりです。
2020年8月 3日 Posted in
中野note
先週末、珍しくスーツを着てネクタイをしました。
私がこういう格好をするのは年に数回ほどで、
だいたい、何かしくじってお詫びに行く時か、
かしこまった面談の席か、どちらかです。
幸い、今回は面談の方でした。
とはいえ、かなり緊張させられ大汗をかきましたが。
スーツといえば思い出があって、あれは大学3年生の春。
唐十郎ゼミナールがスタートしたばかりの頃のことです。
その時、唐さんは世間の注目を集めていました。
三田佳子さんの息子さん、高橋裕也さんを唐組で預かり、
座長として彼に役者修行をさせる、身元引き受け人になられたのです。
唐組大阪公演の仕込みを終えて関東に戻ってきた唐さんは、
翌日に控えた大学での講義に備え、横浜駅のホテルに前泊されました。
東京のご自宅に戻れば、マスコミに囲まれてしまう恐れがあったからです。
そのことを室井先生から聞いた私たちは、翌日に向けて緊張しました。
ひょっとしたら取材の人たちが嗅ぎつけ、
唐さんを追いかけ回すかも知れない。
大学にマスコミがやってくるかも知れない。教授を守らねば!
そこで私たちはスーツを着て集まることにしました。
有名人の護衛といえばスーツ。これに決まっているからです。
翌朝、横浜駅から出勤された唐さんを、私たちはずらりと
スーツで出迎えました。しかし、マスコミの気配はまったく無し。
仕方がない。せっかく皆でそんな格好をしたので、
教室に教授が移動される際は、唐さんの四方につきまとうようにしました。
そして、最後には研究棟の前で記念撮影。
あの写真がどこに行ったのか、ついに見つけ出せずにいます。
あの時、私たちの対応に唐さんがかなり嬉しそうで、
つられて私たちもかなり楽しかったことを、よく覚えています。
2020年7月31日 Posted in
中野note
↑『少女仮面』ラストシーンは慣れていないので、事前に予習中
昨日のワークショップは絶好調でした。
お昼のうちはなんだかくたびれ果てていたのですが、
早めにハンディラボに着いて30分ほど仮眠を取って臨んだところ、
展開する芝居の内容に時間を忘れました。
仮眠の効果もさることながら、やはりこれは、
取り上げた2作品の終盤が持つ圧倒的なパワーによるものです。
思い返してみると、1月からワークショップを始めて、
最初は桜木町のバー「はる美」で5人くらいを相手にスタートしました。
当初は2週に一度のペース。
それが、Covid-19が人の口の端にのぼるようになり、
さらに「自粛」の波が押し寄せて人の集まりが憚られるようになり、
一旦、下火になりました。
ところが、zoomが一般的になることで、
このワークショップは息を吹き返しました。
それどころか、以前よりも多くの参加者を集めながら頻度も上げて、
よりパワーアップすることになったのです。僥倖でした。
『少女仮面』『唐版 風の又三郎』終幕の比較は、
前からやってみたかったお題のひとつでした。
ボーイ主任の視線がただの初老の女を宝塚スター「春日野八千代」に、
織部の視線がただの宇都宮のホステス・エリカを「風の又三郎」に、
見立てているところが酷似している2作品ですが、
その結末はあまりに違います。
どう違って、何故違うのか。
唐さんが両戯曲を書いた年代や背景も押さえながら考えていくと、
そのコントラストはより鮮やかです。
両方の台本の違いと良さを、改めて味わうことができました。
参加してくださった16人の皆さん、ありがとうございました。
これまでの流れを一区切りして、来月は私の趣味の世界
『恋と蒲団』にお付き合い頂くことになります。
短いけれども濃厚な1幕が、皆さんの頭の中に妄想シアターとして
まざまざと展開したら嬉しい。
そんなことを愉しみに、次回は8/9(日)から始まります。
↓現場まで来てくれた参加者、役者の真坂雅さん
2020年7月30日 Posted in
中野note
先日の晩、立ち寄った建物の5階で驚くべきものを発見しました。
それが上の写真です。
名刺くらいの大きさのトカゲ。見事なスタイルです。
悪天候のなか窓にはりついていたんですが、よく5階まで来たものです。
心から感心するとともに、これから彼が地上に降りる困難を想像し、
頑張れ!と、胸が熱くなりました。
ここまでも苦労したでしょう。しかし、ここからが本当に大変そうなのです。
唐さんは動物が好きで、
よくアニマルプラネットを観た話を伺った時期がありました。
芝居にもしばしば動物は登場し、中でも私が気に入っているのが、
『下谷万年町物語』に出てくる「大トカゲ」と、
『黒いチューリップ』に登場する「グアーチャロ」です。
「グアーチャロ」、南米の洞窟に棲む鳥で、暗闇にいるために目が見えない。
相当ざっくり整理すると、
「大トカゲ」は、辺境の地で独自の進化を遂げてしまったユニークな存在です。
『下谷〜』の中で大劇団「軽喜座」に対抗して旗揚げしたメンバー三人の
弱小新劇団「サフラン座」に、「大トカゲ」が重なる。
一方、「グアーチャロ」。
恋のもつれによって刃傷沙汰を起こしてしまった登場人物「ノブコ」。
刑務所に収監されるうち、世間の光を恐れてだんだん居心地が良くなって
しまう彼女の姿に、一生を暗闇で過ごす「グアーチャロ」が重なります。
『黒いチューリップ』の初演時、
観客には馴染みのない「グアーチャロ」を少しでもイメージできるよう、
この鳥の鳴き声を探し回り、たいへん苦労しました。
唐さんの動物への興味は尽きることなく、
ずばり『動物園が消える日』という演目には、
ストレートにそれがあらわになっています。
この台本は私たちも上演していますので、また別の機会に。
私自身は、カンガルーが好きです。
走り始めて一定以上の高スピードになると、
むしろ酸素が要らなくなるというエピソードが妙に気に入っています。
車だって、高速道路でずっとハイトップギアでい続ける方が
かえって燃費が良いのと、通じるものがあります。
写真を撮ってから約24時間以上が経ちました。
あのトカゲが無事に地上に戻っていると良いのですが・・・。
2020年7月28日 Posted in
中野note
稽古が本格化する8月を前に、メンバーと話をしています。
唐ゼミ☆は11月に公演を行う予定です。
チラシのデザインは完成して待機しており、
作品の内容も半年かけて集団で研究してきました。
劇中歌の伴奏も、すでに力作が完成。
セットのデザインも模型を見ながら検討しています。
これまでに無く力の入った公演準備が、いよいよ目前に迫っています。
このように準備は万端なのですが、ここで一度足を止めて、
皆と話をすることにしました。新型コロナウィルスに伴うリスクが、
ここから先、特に強く付きまとうからです。
私は、世の中が4〜5月にかけて行われた強制自粛状態に戻ることは
もう無いだろうと考えています。
国も自治体も、補償のためのお金は尽きているでしょうし、
感染者の中心が若年層であることによって、
医療負担も一時ほどでは無いようです。
ですから、リスクを背負うところまで含めて全ては現場に委ねられている。
そう考えています。
これから注意に注意を重ねて稽古をし、
成功間違いなしの初日が手の届くところにあって尚、
誰かが発熱したら公演を中止にせざるを得ないリスクと、
私たちは向き合うことになります。
例え自分たちが健康でも、同居する家族が感染することもあり得る。
そんな場合にどう判断を下すか、ここから先は、
最悪を想定を繰り返しながら日々前進するのだと覚悟しています。
ですから、それぞれ意志を確認してから先に進もうと思いました。
一緒に走ってくれたらありがたい。
けれども、引き返すなら今。
個別にそういう話しをしました。
『唐版 風の又三郎』は大人数が出る長編です。
その分、確率的にリスクが高い。
ここから先は、せめて出来ることをしていこうと思います。
自分自身は、公演に関わること以外での行動は極限まで慎み、
全てを『風又』に向けて過ごそう。
それらの不自由やリスクを背負って尚、公演にたどり着けば実りがある。
『唐版 風の又三郎』はそういう公演です。
2020年7月27日 Posted in
中野note
↑特にキツかった荻窪のコインパーキング。
駅近なのに、安くて、良いところなのですが、私を寄せ付けません。
街中を移動していると、よく音に苦しめられることがあります。
いわゆるモスキートサウンドというやつで、商用施設やひさしのある所に
人が溜まらないよう、なされた仕掛けです。
若い人が集まりやすいところほどキツく、
映画館やデパートの前だとか、目に見えないトラップがいっぱいです。
私はもう40歳近いのですが、ぜんぜん耳元から消えてくれない。
先日も齋藤と一緒に車を停める最中、係の人の作業があまりに遅く、
その間に鳴りっぱなしだったので、私は齋藤に財布を預けて、
建物から距離を取りました。
他にも音に関して苦手なものがあり、
それはここ数年売られるようになった、フリクションポイントノック0.4mm。
あれ、書き味は素敵なのですが、ペン先をしまう時にノックすると、
「キーン」という音が耳に響き、苦しい。
ところで、私にはあまり怒ることのない唐さんが必ず激怒するのは、
本番で役者のコンディション調整に失敗した時でした。
あらゆる舞台がそうだとも言えますが、
特にせりふが勝負の唐十郎戯曲において声が枯れることは許されません。
しかし、残念な本番を、20代の頃は何度も経験してきました。
そんな時に師匠は決まって、高音・中音・低音を使い分ける重要性を、
実演とともに説くのです。
唐さんの膨大なせりふに接すると、
キャリアの浅い役者はどうしても高音域一辺倒になります。
その中で、つなぎの中音域、低い声や小さな声も使えるようになれば、
ひとつコツを掴んだと言えます。
せりふの中身と渾然一体になる時、低い声や小さな声は
大きく高い声以上の威力を発揮します。
そして自分の声、他人の声を嗅ぎ分ける「耳」こそ宝物だと、
私たちは唐さんから教わってきました。
役者には長いせりふの中に適切な息継ぎ点を発見し、
呼吸の後に低音域に移行する技術が求められます。
そうすると、せりふが永遠に盛り上がっていくような快感が味わえるのです。
2020年7月25日 Posted in
中野note
↑仕込み日、休憩中の風景
新宿3丁目にあったパンプルムスの話の続きです。
サイズが適当であること、料金が手が届くものであったこと、
それにも増してこの劇場が私にとって重要だったのは、立地でした。
パンプルムスが2階にあったビルの近くには、
かつて「泉」という喫茶店がありました。
その向かいに新宿文化ビル。「アートシアター新宿文化」と呼ばれ、
幾多の前衛映画や前衛劇、そして唐さんと蜷川さんの初仕事である
『盲導犬』が初演された場所でした。
若き日の石橋蓮司さんや蟹江敬三さん、緑魔子さん、桃井かおりさんが
出演した、劇団櫻社による舞台です。
本来、「アートシアター新宿文化」は映画館で、
そのロードショーが終わる21時過ぎに一党は搬入を開始。
スクリーンの前の奥行きのない舞台、乏しい照明を逆手にとった
芝居を上演していました。『盲導犬』の美術が新宿駅地下街の
コインロッカー前に設定されたのも、明らかに空間の制限を
チャンスに変えるアイディアです。
櫻社のメンバーは「泉」で今か今かと映画の終わるのを待ち、
数十分の仕込みで開演を迎えるべく新宿文化に乗り込んだと言います。
ですから、当時の私にとって、パンプルムスは痺れる場所でした。
本番の日、あの新宿3丁目に向かうというだけで興奮しました。
本番前に唐さんと一緒に目の前のプロントに行き、
アイスコーヒーを飲んだだけで感動しました。
唐さんと話しながら、
蓮司さんや魔子さん、蜷川さんと唐さんがスタンバイし、
アートシアター新宿文化の周りを観客がとぐろを巻いていた『盲導犬』初日が
どんなだったろうと想像しました。
この場所での公演を目標に2003年は過ぎ、
2004年の初夏、私たちは『盲導犬』の上演に挑戦することになりました。
2020年7月24日 Posted in
中野note
↑手前の白いビルの2階に劇場「パンプルムス」がありました。
先日、東京・荻窪にある劇場の仕込みを手伝いに行きました。
『唐版 風の又三郎』に出演するメンバーが関わっている芝居なので、
劇団員の齋藤と助っ人に向かったわけです。
「オメガ東京」という、随所に意匠がほどこされたこだわりの劇場です。
食堂やコインランドリー、宿泊施設などを含む建物全体の様子も、
支配人さんが熱を入れて新設したことが伝わってくる美観でした。
自分は雨の中の搬入と、それから明かり合わせを少し手伝いました。
そうしていると、学生時代に新宿3丁目の「パンプルムス」という
小さな劇場で公演をしたことを思い出します。
当時の私たちは、ゼミナールでの公演がスタートしてまだ3年目で、
この劇場をきっかけに東京で初めて公演することになったのです。
入場料がまだ1,000円だった頃。
火曜から木曜日の3日間コースを格安で借りられたので、
火曜日に仕込みを行い、水曜と木曜のに本番。バラシを突貫で。
セットや小道具、衣装を運ぶためにトラックを借ります。
搬入の前日に新宿のレンタカーを2t車を借りに行きました。
運転は同級生の渡辺くんで、自分は助手席。
当時、ペーパードライバーで自動車の運転すらからきしだった自分には、
タバコを吸いながらトラックを転がす彼が、果てしなく大人に思えました。
2003年度の春と秋に公演した『少女都市からの呼び声』『鉛の心臓』が
この劇場での上演作品です。両方ともエンディングでは、この劇場の奥に
設えられていた鏡を使って奥行きを出す演出をしました。
それぞれの演目について2回公演を合計すると、お客さんは150人ほど。
最近、知り合った人が学生時代にそれを観ていたと知って驚きました。
この劇場を選ぶにあたり、その立地にはかなり思い入れがあったので、
それはまた明日、お話しすることにしましょう。
2020年7月22日 Posted in
中野note
先日、この場で問いかけをしたCMが判明しました。
貴重な情報を寄せて下さったのは、
ずっと唐ゼミ☆を応援して下さっているお二方です。
件のCMは、同じインスタント食品でもラーメンではなく、
レトルトカレーのものでした。
カップヌードルは1972年の「あさま山荘事件」で機動隊が携帯したことで
大いに宣伝になったのが有名で、てっきりラーメンかと予測していましたが、
今回カレーだったようです。
これで自信満々に歌うことが出来ます。
今回教えてくださった方々は実にありがたい知恵袋で、
これまでも折に触れて、同時代に唐さんを追いかけ続けてきた人にしか
判らない情報を教えて大さるのです。
中でも一番印象に残っているのが『鐵假面』のエンディングの激変ぶりで。
私はもっとも早く掲載された文芸誌と初演後に収録された単行本の
あまりの違いに驚愕しました。
それまで、唐さんには一度書いたものを一文字も揺るがせにしない印象が
あったのですが、現場では書き換えることもあったようです。
以来、かなり注意深く活字になったものに目を通すようになりました。
そのきっかけとなった『鐵假面』は、ぜひ原典版でやってみたいと
思い続けている演目です。
今回の『唐版 風の又三郎』には、カミソリの「フェザーシングル」の
CMソングも登場し、これが結構おもしろい。
同時代の人たちなら皆知っていただろうあの面白いフレーズを、
役者にぜひ覚えてもらいたいと思っています。
2020年7月21日 Posted in
中野note
↑2010年秋『下谷万年町物語』2幕の終わり
今日、さっそく『恋と蒲団』の台本を作りました。
やると決めたらすぐに自分なりの台本を作ります。
書き込みをしたり、付箋を貼ったりしながら研究するためです。
昨日のゼミログをきっかけに、2009年と2010年に渡って
『下谷万年町物語』を二度も上演した経緯を思い出しました。
2009年の上演時、唐さんは大よろこびで「またやってよ!」
とリクエストされました。唐さんにそう言われると弱い。
それに、何よりも嬉しい。
膨大なコストのかかる芝居でしたが、勢いで再演することにしました。
けれども、『蛇姫様』を稽古するうち、
自分が台本を読めるようになった実感が湧くことで、
再演へのスタンスは急激に変化していきました。
例えば、『下谷万年町物語』2幕の終わり、
子ども文ちゃんとヒロポンの注射器を持つヒロイン・キティ瓢田は、
お互いの手を併せて幕を閉じます。
ああいうことの意味が、たちどころに判ってきた。
判らないうちは、自分が判らない状態にあることに気付きません。
判って初めて、人は自分が判らない状態にあったことを知ります。
そういう実感でした。
しかし、一挙に視界がひらけるということは、
同時に前回の不具合が吹き出すように露呈するということでもあります。
それを徹底して克服するため、自分は芝居の骨格を堀り下げることに
没頭しました。
結果、上演は一定の満足がいくものになりました。
この芝居を二度に渡って観てくださった朝倉摂さんは、
「ドラマとしてずいぶん良くなったね」と再演を褒めてくれました。
しかし、直後から気づいていたことなのですが、
あの芝居に決定的に必要なお祭り感は減退してしまいました。
さらに、あのドラマをさらに正確に研ぎ澄ませるためには、
どうしても階段状の客席にして、舞台前面に設えられた池を
お客さん全員が覗き込める必要があると、ずっと思い続けています。
願わくばもう一度あの演目をやりたいという切望が、
私にはずっとあります。
自分にとって『下谷万年町物語』は、特別な作品です。
2020年7月20日 Posted in
中野note
↑忘れもしない『蛇姫様』1幕のワンシーン。
ワークショップを来月以降も続けることにしました。
ただし、稽古が本格化するので曜日を変えて。
来月からは日曜日の19:30-21:30にやります。
8月9日(日)16日(日)23日(日)30日(日)に実施。
題材は『恋と蒲団』にします。
この前、ゼミログで『恋と蒲団』について触れて以来、
どうにも気になって久々に台本を開いたのですが、
以前はよく判っていなかった部分がいくつも目について、
これは本腰を入れてもう一度やった方が良いと考えたのです。
私にははっきりとした実感があって、
自分が台本を読めるようになったと感じた瞬間があったのです。
それは2010年の春に、『蛇姫様』1幕をつくっていた時のことでした。
親友のタチションがマムシの毒にやられて困り果てた主人公・山手線は、
ヒロイン・あけびがタチションの指から毒を吸い出す姿に惚れ込みます。
美しく言えば、その献身に惹かれたわけです。
そもそも女が指をチュウチュウ吸う姿は、青年にとって魅力的です。
このシーンを稽古していた時、私は全てが腑に落ちる感覚を味わいました。
しかもそれが感覚的なだけではなくて、ちゃんと説明ができるのです。
説明ができるようになると、何を見せれば良いか、どの一瞬が劇的なのか、
誰の主観に立って瞬間瞬間を構成すれば良いのか、たちどころに実感できた。
さらにその理屈に合わない部分を修正すると、いとも自然に劇が流れ始めた。
自分が本当に真剣に台本を読むようになった、
台本を読む愉しさを知った、あれが始まりの日でした。
ですから、過去に手掛けたものの中でも、
2010年春以前に行った上演には特に不足を感じます。
『恋と蒲団』もそのひとつ。
皆さんとともに短い作品を作ってみる、良いワークショップにします。
2020年7月18日 Posted in
中野note
今日は週に一回の劇団集合が長引き、ずっとハンディラボにいます。
朝10:00から打ち合わせをして、それから稽古をして、
さらに上手くいっていないところを居残り稽古しました。
本読みの段階でzoomの居残り稽古をするのも初めてですが、
今回は大所帯なので、中核となる劇団員を早めに叩き上げておかないと、
後々、全体の進行が滞ったり、妥協を迫られると思ったのです。
そこで2時間半、少人数をつかまえて稽古を続行。
夕方にはそれも終わりました。
しかし、まだまだ考えたり決定しなければならないことが山盛りなので、
休憩しようと、コンビニに出かける禿にカップ麺をリクエストしました。
こうして、カップ麺を食べるのも久しぶりです。
ところで、カップ麺といえば、
『唐版 風の又三郎』3幕には、インスタント食品に絡んで
いまだに判らない一節があります。
高田 ゴハンだって洗濯だってするぞ。
エリカ 嘘のような本当のような・・・。
高田 嘘じゃない。できるんだ、インスタントにできるんだ。
エリカ (歌って)♪即・・・
高田 私はできる。おまえをインスタントに乗せられる。
この「(歌って)♪即・・・」の部分、
どうやらインスタント食品に関わる往時のCMソングのようなのですが、
今も判然としません。ずっと気になって仕方がない。
もし心当たりがある方はぜひ教えてください。
ちなみに、この作品の初演は1974年春ですから、
それ以前のコマーシャルであることは確実です。
2020年7月17日 Posted in
中野note
↑2019年に行った『ジョン・シルバー三部作一挙上演』より
『唐版 風の又三郎』二幕には、
帝國探偵社の面々がふんどし姿で暴れ回る場面があります。
メンバーは教授・乱腐・珍腐・淫腐の四人。
元自衛官たちは軍歌を口ずさみながら、
自らがゼロ戦になったかのごとく両手を翼のかたちに広げて飛び跳ねます。
「♪ブンブン荒鷲 ブンと飛ぶぞ」
初演時、これは唐さんをして自信満々のシーンで、
観客にウケにウケ、劇場全体がどよめいたそうです。
それには秘密の工夫もあって、ただでさえ面白いこのくだり、
唐さんは衣裳のふんどしをわざと緩めにしめてステージに突撃し、
飛び跳ねる度に股間がチラつくという邪道なワザまで駆使したそうです。
そりゃウケるわ。
今後、唐ゼミ☆もこの線を踏むかどうかは分かりませんが、
私たちにとって「ふんどし」といえば、
やはり『ジョン・シルバー』の「夜の男」が初登場時に見せる、
あの長い長いふんどしです。
唐さんによれば、実はあれには明確な理由があって、
単なるこけおどしやインパクト狙いでは無いらしいのです。
夜の海を泳ぐにはサメが怖い。
そこで、長いふんどしを身に付けて自らのからだを大きく見せれば、
サメが退散するという効能があるのだそうです。
荒唐無稽に見えてリアリズム。
唐十郎を追いかける者なら誰もが押さえておくべきポイントです。
2020年7月16日 Posted in
ワークショップ Posted in
中野note
本日はワークショップでした。
予定通り『少女仮面』3場の冒頭を、
聴講も含めた8名のメンバーと一緒に読み解きました。
常連さんも、初めて参加してくださった方もいて、ありがたいことです。
先月より知り合った9歳の女の子も参加してくれました。
劇の内容の説明にはやや気後れもありましたが、
いざとなれば率直に説明することしました。
考えてみれば、同じ年の頃、
自分はガンダムのプラモデルをぶつけ合って喜んでいましたが、
同級生の女子は『東京ラブストーリー』などのドラマに夢中でした。
要するに彼女らは格段に大人なのです。だからもう大人扱いで。
結果、役の割り当てを変えながら、
7ページの分量を何度も何度も読んでもらいました。
初め、おぼつかなかった会話が、
皆さんがせりふやト書きの意味を理解していくとともに
徐々に立体化し、練り上がってきて、
春日野八千代と少女・貝の稽古が見事に立ち上がりました。
ワークショップ後も皆さんと話し合ったのですが、
それにしても不幸なのは春日野です。
地下のしがない喫茶店で彼女は何とか宝塚スターを気取ろうとする。
けれども、貝の少女らしいズケズケとした物言いや、
周辺で行われる地下鉄工事、空気の読めない部下のボーイたちに、
自分の世界を台無しにされてしまいます。
まさに、「春日野の悲劇のはじまり」とも言えるシーンが、
2時間かけてちゃんと誕生しました。
唐作品の中でもっとも多く上演される『少女仮面』ですから、
ぜひ一度ナマの舞台をどこかで観て、今日のメンバーでつくった場面が
きちんと演じられているかどうか、自信満々で観劇して欲しいものです。
2020年7月14日 Posted in
中野note
↑2003年秋に上演した『鉛の心臓』より、
この場面の劇中歌は好評で、リクエストされて何度も歌いました。
今週も木曜が近づいています。
学生時代には唐さんが大学に出勤される日だった木曜日が、
いつからか私たちの劇団集合日になり、
最近ではワークショップの日に定着しました。
近頃、熊野が先々のプランを整理する役割を買って出たことで、
ワークショップは劇的にスムーズになっています。
もっと早くからやっていれば、
もっと多くの人に唐さんの面白さを伝えることができたのに、
などと思ったりしながら、遅ればせながら今を精一杯やろうと、
週明けから本格的に構想を練り始める習慣がつきました。
明後日は、久々に『少女仮面』を取りあげます。
『少女仮面』3場の序盤には畳み掛けるように歌やダンスが続く箇所があり、
私は幾多の上演を見ながらこの場面が大好きになりました。
同時にこのシーンは、華やかな場面展開についつい乗せられて、
そこに込められた意味が置き去りにしがちな要所でもあります。
だから、扱ってみたいのです。
なぜヒロインは周りの人間に次々と歌を歌わせるのか、
その内容が場に相応しくないと怒って苛立つのか、考えてみましょう。
そういえば、唐さんは宴会中によく劇中歌をリクエストされます。
禿も椎野も、あの「何か歌ってよ」という唐さんのオーダーに応えて
ここまできたようなものです。ちょっとした勝負の時間。
時にはせりふのリクエストもあります。
特に20代の頃は、
飲み会ではありながら私たちはどこか息を潜めて、
これから何を言おうか、この場で何を歌ったら面白いか、
少し緊張していました。でも実は、これこそが本気の遊びというやつで、
今となってはただお喋りしているだけの宴会はなんだか物足りない。
そんな面白さを知ったのも、唐さんのおかげだと思っています。
2020年7月13日 Posted in
中野note
↑2011年のリサイタルの時には、椎野の伴奏でピアノを弾いてもらいました。
カーテンコールで、一番右にいるのがサトウユウスケさんです。
劇中歌の伴奏がついに完成しました。
これから稽古が本格化する中で調整があるかも知れませんが、
一旦、完成です。
特に劇全体の主題歌とも言える『又三郎のテーマ』は必殺の仕上がりで、
完成してから二晩で100回以上聴きました。
ランニング中も、車の中でも、昼間に書類を書いたりしている間にも
パソコンにイヤホンをつないでこっそり聴く。
これからスゴい劇ができるぞ、と様々な構想が湧いてきます。
サトウユウスケさんはいつもながら迅速、
こちらのオーダー以上のキメ細やかさで、
まさに痒いところに手が届く確かさで、
腕利きっぷりを発揮してくれました。
打ち込みだけでなく、友人のギタリストも動員して、
勇気凛々の仕上がりです。
ユウスケさんは唐十郎ゼミナールの一期生で、私の一学年先輩です。
初めから音楽の道に進むつもりであったにも関わらず、
せっかく唐十郎という伝説的存在がゼミを開いているのだからと、
ゼミに飛び込み、唐さんが演出された舞台に立たれました。
演劇で手一杯の自分とは異なり、万事に有能なユウスケさんには
そういう遊び心と余裕があるのです。
我ながら、良い先輩に恵まれたものです。
唐さんはユウスケさんの作曲を気に入って、唐組に登用されたりもしました。
他面、酒に関してはかなり豪傑で、スカイツリー建設予定地で
『お化け煙突物語』を公演した夜など、うちの劇団員の明け方まで飲み明かし、
夜明けに上半身ハダカで倒れていたのを思い出します。
極めて有能でありながらバカに徹することができるという男ぶりなのです。
これからは、現場に疲労感が漂うたびに『又三郎のテーマ』をかけます。
そうすれば、身のうちに闘志が湧き、皆ゾンビのように蘇るはずです。
と、これを書いている今も当然リピートで聴きまくっています!
2020年7月11日 Posted in
中野note
↑11年前のちょうど今頃やりました。
17時と18時半からの2回公演ができたのも、この演目ならでは。
『唐版 風の又三郎』のような長編を手がけていると、
さすがに疲れを感じることがあります。そういう時に去来するのは、
「ああ、もういっぺん『恋と蒲団』やりたいなあ」という思いです。
『恋と蒲団』。
1976年初演の台本で、もともとは日本舞踊の花柳流の舞踊家と
コラボレーションするために生まれた作品です。
せりふだけ追いかけていくと上演時間40分程度、
登場人物は男性2人に女性1人、しかもヒロインは喋れない設定。
初演時にはこれにダンスパフォーマンスを絡めて、
1時間強ほどのステージが展開したそうです。
会場は、渋谷のジャンジャン。
私はこの台本が妙に好きで、
横浜国大で働いていた頃に新入生歓迎のために初めて上演し、
これを観てくださった建築家さんからのお声がかりで、
三田にある建築会館の中庭に青テントを立ててデモンストレーション公演
にも発展しました。
さらに九州まで行って天神のギャラリーでの発表も実現。
手軽で、しかも内容が面白くて、幸せな演目に発展した台本です。
物語は、あまりに奥手で女性に縁遠く、独りごちてばかりいる青年が、
恋の達人であるドンファン「万学(万年学生服の略)」から
恋愛指南を受けるという他愛もない内容です。
が、相手の女の子が聾者であり、やがて視覚の奪われた闇の中で、
触覚のみによる男女のまさぐり合い、動物めいた色恋が繰り広げられる。
このあたりが唐さん流で、冒頭、あまりに長すぎる主人公の独白も、
唐作品でしか味わえない過剰さに溢れています。
今日のゼミログのタイトルは、「万学」が「青年」に
ぜひとも勇気を出して恋愛にチャレンジするよう諭す場面で
吐かれるせりふです。
恋はすばらしい。まさにルネッサンスの嵐であると。
しかしよくよく読むと、このひと言。文法的には無茶苦茶です。
なのに、というか、だからこそ、
誰が聴いても言わんとすることがダイレクトに理解できます。
そのあたりの不思議さが唐さんの言葉のセンスであり、
このせりふをして、ライトな短篇ながらも勢いに溢れています。
唐作品に疲れを感じた時は、別の唐作品を思い出して気分転換。
ああ、もういっぺん『恋と蒲団』をやってみたい。
2020年7月10日 Posted in
中野note
↑ついに6ケタの大台に!
今朝、いずれ来る来ると期待していた瞬間がやってきました。
3年前の4月から乗ってきた車の走行距離が10万キロを突破したのです。
この車を買ったのは2017年4月。
神奈川芸術劇場で働くようになり、
県内を走り回る仕事がスタートしました。
神奈川は広い。それに駅から離れた場所に行くこともしばしばです。
そこで生まれて初めて車を買うことにしました。
調べてみると、相鉄線西谷駅の近くに50万円以下の中古車専門店があり、
10年落ち、走行距離11,000キロのラフェスタをすぐに気に入りました。
駐車場を借りるのも、車庫証明の取得も、保険への入会も初めて。
それらを経て、なるほど自家用車というものはどれほど車体が安くとも
贅沢品なのだと実感しました。
しかし、生まれて10年経つのに1万キロと少ししか走っていないとは、
前の持ち主はどんな人だったのでしょう。
中古車屋のオーナーは「これは出物ですよ」と言って、
せっせと整備や手続きをしてくれました。
以来、平均すると1年あたり千キロしか走って来なかったラフェスタは、
突如として私と一緒にモーレツに走ることになりました。
平均すると、1年に25,000キロ以上を飛ばしてきました。
遠くは佐渡まで行き、都度メンテナンスしつつ元気に走り続けて10万キロ。
疲れ果てて駐車場に着いた瞬間、寝落ちしてしまったこと。
移動の間中、膨大に音楽を聴き続けたこと。
荷物を満載にして劇団員たちが身体を捻りながら同乗していたこと。
病気の息子を運んでくれたこと。
さまざま思い出されますが、本当にありがたい相棒です。
あと1万キロちょっと走れば、自分だけで10万キロ乗ったことになります。
不具合もあるでしょうが彼の限界までは一緒に走り切りたいと思っています。
2020年7月 9日 Posted in
中野note
↑ひさびさの『ナジャ』。ひさびさのアンドレ・ブルトン。
紅テントに通ううち、いつか巌谷國士先生ともお話しできました。
昨晩、夢を見ました。
その中で、私たちは地方公演をしているらしいのです。
会場は神社の境内。
公演本番が終わり、後片付けもあらかた終えて、
踏み荒らした会場の整地にかかっている様子でした。
釘やハリガネ、木っ端などを拾い終わり、
劇団員の重村がジャリを均等にならすためのトンボをかけていました。
しかし、プライベートで実に几帳面な彼には、
劇団のこととなると妙にぞんざいになるところがあり、
トンボをかけたあと、ジャリが一部えぐれて黒い土の部分があらわに
なってしまっていました。
神社の人がそれを見とがめて、私に、
「あそこもキレイにしてくれなければ。もうすぐお祭りなんだから」
と言う。
私は謝まりながら、近く、ここでどんなお祭りがあるのか訊きました。
その答えこそ、「横川のあまじょりご」。
そこで目が覚めました。しかし、「横川のあまじょりご」。
あまりにはっきり耳に残っていたので、枕もとにあるスマホですぐに検索。
すると、残念ながらそんなお祭りはおろか、
「あまじょりご」という言葉さえどこにも無いようなのです。
・・・こんなことを書いてしまったのは、『唐版 風の又三郎』3幕に、
「ナジャ」という言葉が登場するからです。小説のヒロインの名前です。
気になって久々に文庫本を買って読み直したために、
作者のアンドレ・ブルトン、シュルレアリスムのことも思い出し、
学生時代に自動筆記や夢判断について読んだ記憶がまざまざと蘇りました。
自分の中には広大な無意識が眠っている。
それを意識の世界に敢えて引き出すのがシュルレアリスムです。
今の自分の年齢となればずいぶん青臭いようにもを感じますが、
こういうものを信じる気持ちは、アートの基本のようにも思えます。
思えば、最近の自分は、唐さんの劇に出てくる登場人物の足もとばかり
見すぎているのではないかとも反省しました。
「わけわかんない」「なんかすごそう」
多くの人たちが「芸術」に向ける熱っぽい眼差しや期待にも応えたい。
そんな思いを新たにしました。
「あまじょりご」。どうにも気になります。
2020年7月 7日 Posted in
中野note
↑1幕半ば過ぎのこの場面、モリコーネさんにお世話になりました。
芝居の中でかける音楽を探しています。
劇を作る時はいつもこうで、良い音楽を見つけるとその曲に導かれて、
これから作りたい劇の内容が立ち上がってきます。
こうなるとしめたもので、稽古の前後もその音楽をずっと聴き続け、
集中が切れることがありません。
目の前に完成した舞台があるかのように予感していられるようになる。
今回も数曲、新たに見つけてあります。
過去に集めた音楽の中からも、聴き直して数曲を引っ張ってあります。
しかし、まだまだ。
『唐版 風の又三郎』は劇中歌が多く、安保由夫さんの作曲は極めて
粒揃いです。それに予め唐さんが指定した
西田佐知子の『エリカの花散るとき』
エンリコ・マシアスの『わかっているよ』
軍歌『荒鷲の歌』
もうこれだけで強力すぎる布陣です。
ですから、それに加えてさらに細部を詰め、ダメ押しする音楽を
探しているわけです。
劇を演出し始めた時から、必死で音楽を探してきました。
ある曲を偶然に見つけ、やれやれ、ようやく劇の目処が立ったと
思ったことも数知れません。
ということは、その曲が見つかるまでは暗中模索で、
常に心細さと一緒にいるということでもあります。
貯めたお金を使い果たしながら、渋谷にかつてあった
CDショップに通い詰め、当たりが出るまでジャケット買いを
繰り返していたこともあります。
当時はその場でパソコンで聴く習慣も無く、
わざわざ渋谷まで買いに行って家に帰り、すべてのCDが外れて
何度も途方に暮れていました。
今はitunesがありSoundHoundがありますから、ずいぶん便利に
なり、また余分なお金を使わなくて済むようになりました。
台本がよく読めるようになってからは、
前より一直線に必要な曲に辿けるようにもなりました。。
イタリア人作曲家のエンニオ・モリコーネさんが亡くなったそうですが、
彼には大変お世話になってきました。
唐さんは『荒野の用心棒』が大好きで、
私はまた別の、ほとんどポルノ映画としか思えないくらい
ベッドシーンが多くて内容の薄い映画に彼が作った曲を偏愛しており、
『動物園が消える日』を上演した時には、
その曲で劇が完成したようなものでした。
今夜は追悼で、かなり久々に聴き直しています。
2020年7月 6日 Posted in
中野note
渋谷のラジオで。パーソナリティーの華恵さんと。
昨日、家で事務作業をしました。
外は大雨でしたし、とにかく必要な書類が目白押しなのです。
私がwordで文章を書く、目標とする構成を伝える。
すると劇団員が適切な写真を確保し、レイアウトして戻してくれる。
これをチェックして修正。
こんな作業を早朝からスイスイと進めて悦に入っていたところ、
思わぬ落とし穴が現れました。
ちょっと目を離したスキに、1歳5ヶ月になる娘が、
パソコンのキーボードの上に飲むヨーグルトをたっぷりとかけたのです。
発見したときには、モニターはパカパカと点滅していました。
急いでハードディスクをつないでデータの移行に入ります。
15分くらいかかるという予測でしたが、5分後、完全にブラックアウト。
でも、ハードディスクの方はライトが点滅し続け、
祈るような気持ちで見つめていたら、そのうち、ポンッと音がして
無事にデータは救出されたようでした。
以来、そのパソコンからは何の反応もありません。か細い断末魔でした。
これはこれでいずれ修理したいのですが、
早速、気を取り直してニューマシンを買いに行くことにしました。
同情した齋藤と津内口が、私がやれば時間のかかる機材の選択、
立ち上げを手伝ってくれました。
数日前、定額給付金が振り込まれてビックリし、
子ども二人を眺めて小さいのに10万円ずつ稼いだことに感心しました。
その上、こうして娘は経済の活性化にも貢献。大したものです。
機械が新しくなったので、そんなに悪い気はしていません。
・・・というのは、強がりです。
ところで、今日は「渋谷のラジオ」に出演してきました。
「書き物」を紹介するというコーナーですから、
かつて『ジョン・シルバー』を初めて唐ゼミ☆で上演した時、
唐さんが書いてくださったコメントと署名を紹介してきました。
まだ21歳だった頃、これから何をしたら良いか、
どう世の中と渡り合ったら良いかわからない自分に
唐さんが寄せて下さったのは、「暗雲よ来い!」という言葉でした。
今回のラジオを機会に久々に眺めて、駆り立てられました。
買ったばかりパソコンすら、今すぐ壊されたって平気です。
暗雲よ来い!強気です!
本日のラジオはこちらにアーカイブされています。
是非お聴きください。
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
渋谷のラジオ『渋谷のかきもの』
2020年7月6日(月)14:10-14:55放送
パーソナリティ:華恵@hanae0428
2020年7月 4日 Posted in
中野note
稽古後の夕方近く。
今は看護師として働く上野さんがハンディラボに来てくれました。
彼女は横浜国大の後輩であり、かつて一緒に野外劇をつくった仲です。
演目は『腰巻お仙 忘却篇』。
大学の野外音楽堂をメインの舞台に、
お客さんを集合場所から誘導するところまでを含めて、
現役の学生たちをメインにつくり上げた渾身のイベントでした。
チケットは石。
VIP席価格は30,000円。
劇の途中で停電する。
劇の途中で警備員に怒られ、公演を中断する。
リヤカーを引っ張った自転車が坂道を全力疾走。
衣裳の帽子の高さは4m。
人形を7階のビルから落とす。
松明を燃やし放題。
野外音楽堂におびただしく突き刺さる卒塔婆。
といった具合に、他にも投じたアイディアはいくらもありました。
やりたい放題の舞台は評判を呼び、再演もしました。
たまたま集まった演劇未経験のメンバーは誰も彼もが粒揃いで、
私は狂喜しました。みんな度胸も良かった。
その一角を担ったのが上野さんです。
妙にウマが合って以来、彼女は唐ゼミ☆がオリジナルの筆文字を
必要とする時、いつも協力してくれるようになりました。
そう。彼女は書道の達人でもあるのです。
彼女は横浜国大を卒業したあと、
看護師を目指して看護学校に通いました。
そのさ中に観に来てくれた『腰巻お仙〜振袖火事の巻』の感想が、
「中野さん。わたし、あんな看護婦になりたい」でした。
・・・ドクター袋小路の助手の看護婦のことのようでした。
彼女は担当ではないものの、働く病院にはコロナ病棟もあるそうです。
ドクター袋小路の助手になりたい思いを胸に秘め、
明日も上野さんは、世のため人のために働いています。
2020年7月 3日 Posted in
中野note
昨晩はワークショップでした。
10人の方が参加してくださり、21:00までの予定を30分近く延長してやりました。
『唐版 風の又三郎』を極限まで単純化するとどうなるか、
皆さんと一緒に台本の超重要部分のみを抜き出し、声に出して読みました。
皆さんが個々に台本を読まれる際に、これは必ず役に立つはずです。
唐さんの台本は、寄り道や脱線部分にパワーがあるのが面白い。
謎めいた部分や唐突な固有名詞も多く、読む人は迷子になりがちです。
そんな時、最短ルートを心得ておけば頼りになると思うのです。
これは、私たちのように実際に劇を作る者にとっても重要なことで、
部分々々を作っていると、各所の愉しさや困難にかかりきりになり、
どうしても視野が狭くなりがちです。だから大局観が大切なのです。
このような感じで、劇団の稽古もワークショップも全く同じノリで臨んでいます。
ですから、ひと仕事終わったあとは高揚感でいっぱいになる。
家に帰ってもなかなか寝つかれません。
ところで、週明けにラジオに出ることになりました。
7/6(月)14:10〜14:55に「渋谷のラジオ」でやっている
「渋谷のかきもの」というコーナーです。
去年の『ジョン・シルバー三本連続上演』を観に来てくださり、
ワークショップにも何度かご参加いただいた
パーソナリティーの華恵さんに誘っていただきました。
https://shiburadi.com/
なんでも良いから「かきもの(書き物)」を2点、
曲を2曲というリクエストがありましたので、
早速、本棚を眺めたり、いま準備している『唐版 風の又三郎』からの
連想で「これだ!」というものを選びました。
「書き物」の中には、もちろん唐さんが書いてくださった言葉を
取り上げますが、ひとつは20年近く前のもので、
改めて、こちらが駆り立てられるようなものです。
良かったら聴いてみてください。
2020年7月 2日 Posted in
中野note
じめじめじめじめしていますね。
マスクの内側も蒸れるし、嫌だ嫌だと思いながら過ごしていました。
が、『唐版 風の又三郎』が入っているハヤカワ演劇文庫をめくっていたら、
「なんてじめじめした陽気だろう」というせりふが目に飛び込んできて
慰められ、反省しました。
同じ文庫に収められている『少女都市からの呼び声』の一節です。
このせりふを初めて唐さんが書いたのは60年代の前半で、
23歳の時に書かれた
『24時53分"塔の下"行は竹早町の駄菓子屋の前で待っている』という芝居に、
すでに登場します。
この劇は謎めいた塔のある町を舞台に、老人たちが
「なんてじめじめした陽気だろう」と言いながら階段を登り続け、
やがて塔に頂上に達すると、そこから身を投げるという劇です。
なんだか暗いじゃないですか。
だから同じせりふが登場する『少女都市からの呼び声』を
唐ゼミ☆でも上演する時に神妙にやろうとしたら、
唐さんには「もっとスピーディーな方がいいよ」と言われ、
大久保鷹さんには、嬉々としてやるべし、とアドバイスを受けました。
前にも書いたと思いますが、
このせりふは、高温多湿の日本に対する讃歌である、と。
なるほど、私たちは深刻な状況下でもけっこう明るいし、
忘れっぽい。それは愚かさかも知れないけれど、
愚かでみっともなくてしかも陽気なのが希望なんだとも
気付きました。なかなか深いですね。
嬉々として、「なんてじめじめした陽気だろう」と言いましょう。
そうすれば、日本に暮らす自分のからだを謳歌できる感じがします。
毎日じめじめしてるって、なんて素晴らしいんでしょう!
本日もこれからワークショップです。
以前にこのゼミログでご紹介した9歳の子も参加してくれるので、
大人の皆さんにどういう影響を及ぼすのか、とても愉しみです。
2020年6月30日 Posted in
中野note
「付き合いを忘れちゃこの世は闇さ」
『ジョン・シルバー』2幕、「小男」のせりふより
昨日、浅草について書いたことで色々と思い出しました。
私は、あるもんじゃ焼き屋の女将さんに、
人と人との付き合いを教わったのです。
花やしきの駐車場での公演を繰り返していた頃、
近所のもんじゃ焼き屋の女将さんと親しくなりました。
女将さんは芸事を応援する浅草の気風に溢れた方で、
ご自身の店のみならず、周囲でご自身の顔のきくご近所さんの壁にも、
ポスターを貼って回って下さるのです。
自然と、このお店に通うようになりました。
このお店で、自分はもんじゃ焼きの底力を知ったように思います。
とにかく材料が厳選されており、旨いのです。
「B級グルメ」という言葉がありますが、なかなかどうして、
岩手から取り寄せたお水を使い、粉からさきイカからチーズから、
女将さんのこだわりが結集したもんじゃ焼きは他とは別格でした。
はっきり言って、通常のもんじゃ焼きより値段がしますが、
なるほどこれは高級であって仕方がない納得させられる質でした。
確か、搬出の日だったと思いますが、その日は食べ納めと思って、
トラックの荷積みの合い間に、いつもより早くお店に行ってみました。
それで、一番好きなもんじゃ焼きを頂いて会計をしようとしたところ、
「中野さん、ごめんなさい。クチアケだから」と言って
定価より500円多く請求されたのです。
クチアケ・・・何のことかよく判らず、
それでも、いつも優しい女将さんのことですから、
言われる金額をお支払いして現場に戻りました。
ネットで調べてみると、すぐに判りました。
「クチアケ」=「口開け」とは、開店して一番乗りしたお客のことで、
1日の商売繁盛を祈念してちょっと多く料金を頂く風習があるらしいのです。
元来が高級品である上に、バカにならない500円ではありましたが、
郷に入っては郷に従えと言い聞かせました。
問題はそこからで、お昼過ぎ、いよいよ荷積みを終えそうな私たちのために、
女将さんはいっぱいの焼きそばを差し入れてくださったのです。
明らかに、500円では及びもつかない量でした。
私の表情が怪訝なのを女将さんは見逃さなかったのだと思います。
もともと応援してもらっている身です。
もっとスマートに払ってこれなかったのかと後悔し、
ありがたさが身に染みました。
最後に伺ってから5年ほど経ちます。
すっかり足が遠のいて失礼をしていますが、
今度はもっと粋にこなせるでしょうし、
なんとなしに教育してくださったことも含め、
浅草はありがたい土地だと、改めて感じています。
2020年6月29日 Posted in
中野note
↑初めて浅草で公演した時には、近所の商店が提灯を出してくださいました。
こういう習慣も、この時に初めて教わったのです。
6月も終わりです。
唐ゼミ☆のテント公演は暑く、また寒い時期に行われると
お客さんに言われたことがあります。
もうちょっと観やすい時期にやってよ、ということだったのですが
いつの頃からか制作ペースがそうなってしまい、
6月末〜7月、10月末〜11月というのが定番でした。
今朝の蒸し暑さで思い出したのですが、
ちょうど今頃はいつもテントの中にいて、常に蚊との闘いです。
浅草にいた5年間は、寝苦しいテント番が明けて劇団員たちがやってくると、
近くの観音湯によく行きました。
他の銭湯はだいたい午後3時から開業するのですが、
あそこだけは、何故か午前6時に開いて夕方には閉まるのです。
初め、強面だった近所のテキヤさんは、
ここでの裸の付き合いが生まれると急に親しく話しかけてくれるようになり、
交流が生まれました。騒音で迷惑をかけているので招待しますよ、
と伝えても、何だか恥ずかしがって芝居は観にこないのですが、
テントを立てたり、お客さんが集まって開演する様子を、
外からタバコを吸いながら眺めていました。
何年かすると、その人は引っ越して、
住んでいた家はコインパーキングになってしまいましたが、
銭湯を「観音さまのお湯」と言っていたあのおじさんの丁寧な物言いが
耳に残っています。見た目こそ強面だけれど、浅草寺の境内に向かって
丁寧に手を合わせる。折り目正しさを持った人でした。
2020年6月27日 Posted in
中野note
↑「密」と「飛沫」の極み、『下谷万年町物語』より
8月から始まる本格的な稽古の日程を組んでいます。
『唐版 風の又三郎』のために多くの役者が集まっていますから
舞台監督の齋藤が叩き上げたスケジュールに検証に検証を重ねて
しっかりしたものを計画として提出する必要があります。
気の赴くままに横浜国大で稽古していた日々が懐かしくもありますが、
これはこれで、なかなか緊張感があって悪くない。
ちなみに、私たちの稽古はいつもかなり計画的に進みます。
本読みをしっかりやって設計図を共有した上で、
どの日に台本の何ページから何ページまでを稽古するのか、
厳格に計画して始めます。また実際に、その計画を何としても実践する。
劇は、登場人物やキーアイテムの登退場によって、
ある目的を持った「場面」「シーン」に分けることができます。
この区切りとは別のところで、例えば、
毎日15ページ稽古しようというのではかえって役者は混乱します。
一方、上手く「場面」「シーン」を切り分けて稽古すると、
分量に増減があっても、頭の中が整理されてスムーズに稽古できます。
もちろん、予め当たる箇所が宣言されているので、
みんな必死にせりふを入れて準備してきます。
この「場面」「シーン」に芝居を切り分ける手法は、
実は学生時代に唐さんから真っ先に教わったもので、
唐さんご自身は「ピース分割」と仰っていました。
さらに今回は、稽古場が人で溢れないよう配慮する必要もあります。
出番がない人も稽古に立ち会うことはかなり大切なのですが、
今はそうも言っていられません。
出番の無い人が自宅からモニタリングできるようにする、
出入りの時間差をつける、といった工夫をこれから行います。
しかし、今回は『下谷万年町物語』でなくてほんとうに良かった。
つくづくそう思います。セットに池あり、本物の水ありの
オカマ100人芝居では、さすがに歯が立ちませんから。
2020年6月27日 Posted in
ワークショップ Posted in
中野note
『唐版 風の又三郎』には"三腐人"というキャラクターたちが登場します。
これ、初見で読み方が分かる人はまずいないでしょう。
高校時代に初めて読んだ時、私はこれが人であるかどうかさえ
理解できませんでした。悪い妖精か何かかと思った記憶があります。
「三腐人(さんぷじん)」と読みます。
乱腐(らんぷ)珍腐(ちんぷ)淫腐(いんぷ)という三人の探偵を
まとめてこう云います。
やっぱり悪い精霊か何かのような名前ですが、
もちろん本名ではないでしょう。
彼らが誇り高い自衛官をクビになって、しがない探偵をやっている。
探偵といえばまだ聞こえが良いが、要するに興信所員。
浮気調査なんか繰り返しやってすっかり人間が腐ってしまった。
この名前には、そういう意味も込められているのだと思います。
で、昨日のワークショップでは、このうちの"淫腐(いんぷ)"に
注目しました。普段の稽古であまりこういうことはしないのですが、
ワークショップというのは私にとっても貴重な実験の場です。
お客さんがいるからできる、真剣な遊びとも云えます。
やってみて判ったんですが、やっぱり"淫腐(いんぷ)"は相当ひどい。
三腐人の所業は劇の全編を通じてかなり乱脈なのですが、
3番目の彼はいっそうその性向が抜きん出ています。
1幕で設定した"三腐人は男色"というキャラクター設定が
終幕の頃には完全に崩壊していく。
実際、すべてがご愛嬌で許されてしまう実にズルい展開なのですが、
唐さんが悪びれもせずにこれを書いている姿が目に浮かび、
笑えてきます。
そのようなわけで、昨晩は私もとっても面白かったんですが、
内容的にはかなり3枚目でした。すると2枚目が恋しくなります。
ユーモアや悪ふざけも大好きですが、
来週は硬派で、カッコ良くて、美しい、
これぞ直球勝負、正統派という内容のワークショップを展開します。
2020年6月25日 Posted in
中野note
今日も先週と同じように、ワークショップ直前にこれを書いています。
前回、熊野をはじめとした劇団員のバックアップがあって、
私はだいぶ落ち着きました。
まだ改善点はありますが、もう一息という実感です。
さて、今日は熊野の他に、佐々木あかりが現場にやってきました。
彼女は、東北に出張中のお父さんが送ってくださった
山形産サクランボを、わざわざ届けてくれたのです。
山形のサクランボ。
過去に山形県で公演したことは2度あり、
1度目は2008年秋に『ガラスの少尉』を米沢市の隣の川西町で、
2度目は2014年夏に『青頭巾』野外公演を山形市の馬見ヶ崎川で
芝居をやりました。
どちらの時も、
地元ではサクランボは買うものでなく、もらうものだと教わりました。
横浜や東京にいる私たちからすれば高級品、実にぜいたくな話です。
サクランボと唐さんといえば、
真っ先に思い出すのは『唐版 俳優修行』に登場するヒロインの名前です。
その名を「サクランボ・ポリス」と云う。
要するに新人女性警官のことなのですが、この言いにくそうな名前は、
何度も発語してみると「ボ」と「ポ」の響きがぶつかり合って面白く、
クセになります。それに、いかにも"新人!"という感じがして、
さすが唐さんのネーミングセンスだと唸らされる名前です。
その他に、私が個人的に偏愛している登場人物名は、
『青頭巾』のヒロイン「オイチョカブ」と
『住み込みの女』のヒロイン「そのひぐらし」です。
彼女たちは自分たちのことを「オイチョ」や「ひぐらし」と云う。
コミカルで可愛らしい名前に唐さん独特のユーモアが込められていて、
何より声に出してたのしい。
これに限らず、唐作品に登場する名前の面白さは尽きることがありません。
またいずれ、ここで書いてみたいと思います。
2020年6月24日 Posted in
中野note
関係者が終演後に出口でお客さんを送っていました。まるで芝居のあと。
この映画に誘ってくれた鳳恵弥さんもいます。
久々に映画を観てきました。
考えてみれば、映画館に行くのは年末に『クライングフリーセックス』
を黄金町シネマジャック&ベティで観て以来です。
学生時代は週に3回くらい行っていた時期もあったんですが、
半年に一本とは、情けない。
こういう情勢下なのでひと席ずつ空けての着席でしたが、
映画の場合まったく気になりませんね。
ガラガラの映画館もザラですから、むしろよく入っている印象でした。
『いつくしみふかき』という映画です。
30代の青年たちが一念発起してつくった作品で、
エンドクレジットに並ぶ名前の数の多さを見れば、彼らがいかに
のたうちまわって現在の一回一回の上映にこぎつけたのか一目瞭然です。
自分はこんなに追い込んで創作しているだろうかと、嫉妬させられました。
実際、長野県の飯田を舞台につくり手の熱気は滲み出ており、
悲喜劇の切り替えの巧さ、展開する長野の風景に魅了されました。
美術的な細部の詰めや台本の破綻などご愛嬌で、
かえってそのような破れ目が魅力になっている映画でした。
主演は渡辺いっけいさんです。
いっけいさんについて、私は小学生の頃に観た連ドラ『ひらり』の
イメージが強いのですが、それ以前は紅テントに出られていたこともあって、
唐ゼミ☆が新宿中央公園で行った『腰巻お仙〜振袖家事の巻』を
観にきて下さったことがあります。
詳細時期は未定ですが、いずれジャック&ベティにも来るようです。
周りの人間も誘いたいですし、もういっぺん確かめるように観たいと
思わせる映画です。
2020年6月22日 Posted in
中野note
先日、ちょっと変わったワークショップを行いました。
9歳という、これまで私が迎えた中で最年少の参加者を迎えたのです。
唐ゼミ☆ホームページを見て申し込んで来てくれたそうですが、
9歳からの希望があったと聞いたとき、うろたえました。
毎週木曜に参加してくださっているメンバーに混ざって
その子が加わっているのを想像すると、自分の語り方もバラバラになり、
ここぞというところで下ネタの威力が鈍ることは目に見えていました。
そこでお願いして、別日にプログラムを変えて行いました。
やっぱり唐ゼミ☆なのだから『少女仮面』あたりに切り込もうかとも
思いましたが、「捨てたパンツに聞いてごらん」というせりふを
9歳に上手く説明できる自信はまったく湧かず、
別の作家のテキストを引っ張って歌詞を読み歌を唄ったりしました。
でも、最後のオマケで、
どうしても唐さんの世界にも触れて欲しかったので、
『夜叉綺想』の劇中歌をやってみました。
復讐譚なのでどうかとも思いましたが、
子どもの世界も残酷であることに賭けてトライしました。
結果、けっこう伝わったのではないかという実感です。
経験上、唐さんの作品と子どもとはかなり身近だと思います。
浅草で『蛇姫様-わが心の奈蛇』を上演していた時、
近所にあっていつも応援してくださったもんじゃ焼き屋さんの
お孫さんが、友だちと連れだって観劇してくれたのです。
3時間、じっと観てくれました。
後日お店に伺ったら、帰ってきたお孫さんはお祖母ちゃんである
女将さんに、滔々と今観てきた芝居について語ったそうです。
唐さんの"子どもパワー"は、実際の子どもに伝わるのだと確信しています。
2020年6月20日 Posted in
中野note
かつて唐さんがお醤油のCMに出演した「フンドーキン」のものが家にあります。
昨日は深夜まで都内に出かけることになったので、
ピンチヒッター・齋藤にブログを書いてもらいました。
リンガーハット。
みんなは行ったことがあったらしいのですが、
私はあの時の京都で、人生で初めてリンガーハットを発見したのです。
感動しました。
私を感動させたもの。それは柚子胡椒が食べ放題であることでした。
あれは高価です。なのに好きなだけ食べて良いという。
なんという豪気。ギョーザに塗りたくって食べながら感心しました。
それで通うことに。
だいたい私は、公演中はルーティーンが定まります。
どこで食べるのか考えるのも煩わしいので、自然と行く先が決まるのです。
同じ飲食店に1週間通ってくる客はなかなかいませんから、
自然と店員さんと知り合いになります。それも楽しい。
そして忽然といなくなるのです。
あいつ、今日も来るんだろうな、そう思わせておいて姿を消す。
そうでなければ、だいたい3日目くらいで会計時に話しかけられたりします。
テント芝居をやりにきていることを打ち明ければ、
ご近所のちょっとした味方になってくれます。
この場合はちゃんと別れを告げて去ります。
リンガーの場合はチェーン店ですから、ぱったり来なくなるパターンです。
これはテント演劇の基本コンセプトでもあります。
ヒット&アウェイの鋭さが肝心です。
そういえば、この柚子胡椒自体も唐さんから教わったものです。
20歳前後の頃、こんなに美味しい調味料があるのか、
感激しながらお相伴にあずかった覚えがあります。
2020年6月18日 Posted in
中野note
先週の問題を克服し、必ず巻き返すべし。
これからいよいよ準備を重ねたワークショップが始まります。
劇団集合の中で検討を重ねました。
ZOOMのシステムをよく研究し、
サポートで熊野が付くことになりました。
今日だけと言わず、
7月いっぱいまでの内容も吟味しました。
今日は、2幕冒頭の劇中劇『ヴェニスの商人』に注目します。
もともと、唐さんの劇には役者と役柄が並走するようなところがあります。
先日ご紹介したこのせりふ
教授 シェイクスピアが何だってんだ!
これは「教授」の発言というより、
この役を初演で演じた唐さんの声と言えます。
役者が自分自身と役柄を行ったり来たりしながら演じていく
このような仕組みは、何も唐さんに限ったことではありません。
歌舞伎なんて平気で芝居の進行中に客席から役者の名前がかかりますから。
大衆的な芸能には、同じような行き来がよくあります。
面白いのは、劇中劇の場合はこの仕組みが三重構造になることです。
①役者本人→②役柄→③役柄が演じる役柄
という具合です。
今回は『ヴェニスの商人』ですから
①参加者 ②教授 ③裁判官(ポーシャ)
①参加者 ②乱腐 ③シャイロック
これを縦横に行き来して、これから愉しんでもらおうと思います。
先週にお伝えしたように、私にとっては稽古の一回一回が本番です。
さあ、いよいよ19:25。気合い入れてやろう!
2020年6月16日 Posted in
中野note
一昨日の熊野のコメントを読んで、
紅テントに出演した際の重村がせりふを間違えていたことを
初めて知りました。
昨晩は久々の劇団集合、
全体の解散後も私と重村は音響作業があったので居残り、
深夜にハンディラボを後にしました。
それから重村のアパートに音響機材と本人を送りましたが、
途中、お腹がすいた私たちは24時間営業の中華料理屋で、
長崎ちゃんぽんとギョーザを食べました。
唐ゼミ☆には、せりふを忘れてしまう人はほとんどいません。
過去に少しあったのですが、それもかなり稀なことで、
私たちの劇団が行う執拗な反復練習の成果だと思っています。
まあ、せりふを忘れずに言えたから素晴らしい舞台
というわけではありませんが。
ちゃんぽんとギョーザを食べながら
重村はしきりに「クマちゃんに申し訳ない」と、
舞台で迷惑をかけたことを詫びて続けました.
が、うつむき加減のその表情はどこかニヤニヤしている。
もっとも、重村は常にニヤニヤしているので、
真意や反省の度合いを知るのは至難。
が、その割に、彼の書くは文章は何故か明晰です。
そのようなわけで今日のブログは反省を込めて、重村もまた書きます。
2020年6月15日 Posted in
中野note
劇団ではない仕事の絡みで、谷崎潤一郎を読んでいます。
小説やエッセイが有名ですが、芝居の台本も書いています。
昔、中公文庫から出ていた「潤一郎ラビリンス」でまとめて読んで以来、
本当に久しぶりの谷崎体験です。
ところで、
唐さんはこの作家を「大谷崎(おおたにざき)」と呼びます。
『東海道四谷怪談』で有名な四世の鶴屋南北を
「大南北(だいなんぼく)」と言ったりしますが、
あれと同じようなものだと教わりました。
唐さんによれば、暗黒舞踏の土方巽さんは若い頃に小説家を志し、
特にこの「大谷崎」に憧れたのだそうです。
さらに、その憧れのあまり、得意の身体能力を生かして
鎌倉にあった谷崎邸の屋根の上によじ登り、
一家の様子を覗き込んだことすらあるそうです。
情熱のあまり屋根の上へとよじ登った軽やかな動き、
じっと覗き見を続けるその所作などはすでに舞踏であったに違いない。
そう唐さんはおっしゃっていました。
土方さんについて唐さんから伺った話ですから、真偽は藪の中です。
しかし、恐ろしいのは、誰も見た者がいない往時の土方さんの様子が、
何となしに私にも想像できてしまうことです。
・・・といったエピソードが邪魔をして、
なかなか目の前の文章が入ってきません。
早く読んでしまわなければならないのですが・・・
2020年6月13日 Posted in
中野note
今日は劇団の稽古で、『唐版 風の又三郎』2幕の前半をやりました。
もうこの本読みが何周目なのか、よく思い出せませんが、
年明けから本読みを行ってきた劇団員にとっては、
すでにここは何度も通り過ぎてきた道です。
ですから、実際に声を出して読んでもらうのは、最近加わった人、
劇団の外から参加してくれた人をメインの役にするようにしています。
実際に声に出して考えながら読むと、よくわかりますからね。
彼らは初めてですから、念入りに、時には台本の内容を超えて、
劇団員なら知っていて当たり前ということから、伝えていきます。
例えば、こんなやり取り。
教授 口から吐き出すもの(=せりふ)はダイヤモンドだ。
おまえのはジャリ石じゃないか!
乱腐 誰がジャリを吐かせているんだ!
教授 それを言うな!
乱腐 俺だってダイヤを吐きたいんだっ。それを、誰かのために
涙を飲んで、ジャリを吐いているんじゃないか!ちくしょうっ。
これは、初演で唐さんが「教授」役を演じたことを知らなければ、
ちょっと読み解けません。
要するに、「乱腐(らんぷ)」が「教授」に文句を言っているのでなく、
乱腐役の不破万作さんが教授役の唐さんに舞台上で文句を言う、
というシーンを、やっぱり唐さんが書いたわけです。
まあ、かなりズルい手でもあります。
同じように、こんなせりふもある。
教授 シェークスピアが何だってんだ。
唐さんが言ったとなると、役柄を超えたところで聴こえてきますね。
では、唐さんじゃない人が演じた場合、
もちろんせりふは一切変えずにどう渡り合うのか、稽古ではそんな話もします。
ところで、「シェークスピア」という響きはどこか懐かしい。
日本で初めての全集翻訳者、ご存知・坪内逍遥先生では、
「シェイクスピア」でなく「シェークスピア」です。
同じように、『ヴェニスの商人』でなく『ベニスの商人』。
これは『唐版 風の又三郎』に出てくる
登場人物たちが演じる劇中劇の場面ですから、唐さんが書かれたように
シェイクスピアの『ヴェニスの商人』よりも、
シェークスピアの『ベニスの商人』であった方が、
大時代的で良いな、と思います。
だから、ここはひとつ大いに芝居がかって、
時には大根役者に見えるくらいにやろうじゃないか、
そんなことも伝えます。
繰り返し、繰り返し、何周目かの本読みですが、
読むたびに発見される細部の魅力が、いずれ地力となる時がきます。
新しい人を劇の世界に導入するために過ごすこの時間、
すでに先を走るメンバーをさらに加速させる稽古でもあるわけです。
2020年6月12日 Posted in
中野note
天を仰げばくもり!
昨晩はワークショップでした。
劇団員が見守るなか、客演さん、遠方よりのお客さんにも恵まれて
張り切ってはじめましたが、こちらがzoomを使いこなせずに
参加してくださった方にかなり迷惑をかけました。
本当にすみません。
そのようなわけで、終わった直後からだいぶ落ち込んで、
ハンディラボからなかなか帰る気にならず、ガーッと仕事をしたり、
台本を誦じたりして夜中までいました。
それでも、Facebookのメッセージで「面白かったよ」と
言って頂けると、心の底からありがたく、
また、やっぱり申し訳なさも込み上げてきます。
とりあえず、稽古が本格化するのが8月ですから、
7月末までは絶対にやっていきたいワークショップです。
技術的なことをこの数日で克服して、
それから内容もよく練って、来週に向かいたい。
正直に言うと、ワークショップと劇団の稽古は、
私にとってさほど変わりがありません。
同じように台本の真意を汲み取り、それを伝えるのが私の仕事です。
結果、出てくるせりふが例え拙くても、本読みだけで立ち稽古がなくても、
その場のメンバーの頭の中に素敵な舞台が輝いていなくてはなりません。
それなのに、あの段取りの悪さ。悔やまれてなりません。
この感覚。そういえば本番中はいつもこんな感じです。
終演後の深夜から早朝にかけてヘコんだり、勢いづいてみたりしながら、
翌日のお昼には、昨晩の問題を克服する方法を持って迎えます。
来週は、これだ!というものを必ず叩き出します!
2020年6月11日 Posted in
中野note
『海の牙』公演を終えて片付けの終盤
先日、Yahooニュースで、
イトーヨカドー長野店が閉店になったと知りました。
6月7日(日)のことです。
思わず、ネオンホールの小川哲郎元支配人にLINEしました。
2011年から数年間、唐ゼミ☆が長野市に旅公演することができたのは、
小川さんをはじめとした仲間の方たちの尽力があってのことです。
公演場所は善光寺のふもと、権藤商店街の入り口にある
イトーヨーカドー前の駐輪場。
この期間だけ自転車を停めるスペースを圧縮して、
私たちがテント劇場をたてる場所を用意してくださったのです。
初めて行った『海の牙-黒髪海峡篇』『吸血姫』を経て、
長野県にゆかりのある演目『夜叉綺想』、テントを立てず野外劇として
行った『木馬の鼻』まで、いつも長野の水や空気は清らかで、
お客さんの雰囲気も清らかで、心が洗われるような1週間を過ごして
私たちは帰途につきました。
思い出の場所です。ですから、閉店のニュースは堪えました。
いつか小川さんに、長野店は売り上げこそ厳しいものの
イトーヨカドーを創業された方の思い入れが強い店舗なので、
ここまで存続してきたと聞きました。
公演準備の休憩中、フードコートに行って食べるお蕎麦は、
それだけでかなり美味しく、この土地が本場であり、
また激戦区でもあることを実感させました。
惣菜コーナーには日常のおかずとしてイナゴの佃煮が売っており、
私はこれが好きでよく買いました。
一度、怒られた事もあります。
あれは『吸血姫』の時、劇団員とのやり取りがヒートアップし過ぎ、
怒鳴り声を上げていたところ、すっ飛んできた店長さんから
営業妨害になるのでやめてくれと叱られ、全力でお詫びしました。
テントを囲んだあの恐るべき数のムクドリの群れも、印象的でした。
唐さんから後に、そういうのはエアガンで追い散らすんだとアドバイスを
受けましたが、もちろんエアガンはなく、役者がずいぶん苦労させられたのも、
良い思い出です。
また長野に行きたい。今は何の算段もなくただただ衝動のみですが、
やっぱり長野にまた行って、皆さんに劇を観てもらいたいと思います。
2020年6月 9日 Posted in
中野note
今日は仕事で都内に出たその足で、清水宏さんと会い、
2年前から行ってきた神奈川県の仕事を、これからどう発展させるのか
作戦を練りました。車の中で話をするのも久しぶりです。
そして、二人で若葉町WHARFへ。
今度は佐藤信さんと3人で語り合いました。
写真は、午後7時から行われた
マコトとテツヤとヒロシによるトーク配信の様子。
今回、私はたった一人のギャラリーとして参加しました。
清水さんが20代後半に参加した黒テント公演で出会った俳優、
福原一臣さんの話を伺い、信さんが『三文オペラ』で仕掛けた
苛烈な稽古と、福原さんが叩き出した驚異的な成果について、
じっくりと伺いました。
必然的に、黒テントと紅テントの話の話も登場。
佐藤信さんと唐さんとは、お互いに子役時代の間柄ですから、
すでに約70年のご縁だそうです。
若い頃、お互いの劇を観て批評し合うのがいかに大変だったか、
たいへんに苦労された話を伺いました。
何しろ、それぞれ美学の違いは打ち出さなければならない一方、
世間を向こうに回せば、圧倒的に仲間だという意識もある。
内心は認め合っているわけですが、仲良しになっては盛り上がらない。
このあたりのバランスを取るのが至難だったそうです。
また、これは配信前に伺ったことですが
後年、横浜国大教授としてかなりスペクタクルな初講義でデビューした
唐さんとは対照的に、信さんはあえて派手な演出をせずに学芸大の初講義に
臨まれたそうです。しかし、難しいことを喋ろうとするあまり
自分でも難解すぎて訳が分からなくなってしまったとのこと。
お二人の芸風の違い、根底のところで共通するテンションの高さが
如実に感じられるエピソードです。
2020年6月 8日 Posted in
中野note
↑だんだん以前の渋滞が戻ってきました。
一昨日、唐さんをお送りして車を運転していた時の話をしました。
そこで久々に思い出したことがあります。
横浜国大から唐さんのお宅へは、大学を出てすぐ第三京浜に乗り、
玉川出口を経て都内に入るコースを取ります。
その第三京浜上でも唐さんは、印象深い発言をされます。
唐さんをお乗せしているので、
私は一にも二にも安全運転を旨としていますが、
酔っぱらった師匠は通し稽古の興奮も手伝って豪放です。
若い男女の乗った左ハンドルのスポーツカーに抜かれた時など、
「どうせレンタカーだろ!」と吠えていました。
そういう時、こちらは"車"に唐さんの芝居に引っ掛け、
『腰巻お仙〜義理人情いろはにほへと篇』3幕に出てくる
美少年の科白「海辺をひとっ走りさ〜」や、
『続ジョン・シルバー』1幕でヒロイン・小春が
愛車ムスタングで叫びまくるシーンを諳んじて盛り上がります。
ある時、フッと唐さんが静かになって、
窓の外を見つめていたことがありました。
見れば何台ものトラックが次々と東京を目指して殺到していきます。
「・・・この物流が憎い」そう唐さんは呟かれました。
90年代から2000年代にかけて書かれた唐さんの劇の設定は
いつも時代から置き去りにされた人やモノ、
お店や工場を舞台にしてきました。
ここでいう"時代"とは、ほとんど"経済"と同義です。
しかし、ITや六本木ヒルズでなく、
高速道路をひた走るトラック目掛けて"経済"を感じるところに、
やはり唐さんだと思わずにはいられません。
2020年6月 6日 Posted in
中野note
今日は定例の稽古を行いました。
ほとんどのメンバーはリモートなのですが、
熊野+3人の新しい人たちには、
実際にハンディラボまで来てもらいました。
彼らは今回の『唐版 風の又三郎』のために集まってくれた面々ですが、
いずれも熊野や重村のこれまでの共演者、
私自身は初対面なので、全身や雰囲気を含めてどんな役者なのか、
こちらは稽古に際してこちらはどんな目標を設定しているのか、
理解し合おうと一堂に介しました。
と言っても、別に面談めいたことがあるわけでなく、
普通に集まって挨拶をし、早速本読みに取り掛かります。
リモートでパソコンの向こう側にいる劇団員や他の出演者を
紹介しながら、1幕後半を稽古しました。
面白かったのは、台本上に出てくる歌謡曲を紹介するくだりです。
西田佐知子の『エリカの花散るとき』
エンリコ・マシアスの『わかっているよ』
あと、せりふに登場する「ジュンとネネ」がどんな歌手なのかを
説明するために『愛するってこわい』を聴きました。
(この曲は『鉛の心臓』で歌われもしますからね)
私たちはもはや慣れっこになっているんですが、
彼らはこれら曲を聴いてかなり新鮮な反応を示すんですね。
それらナツメロのインパクトを劇に持ち込む唐十郎アンテナの鋭さを、
初対面の皆さんを通じて再確認しました。
いつもどんな風に芝居を作っているか一通りおしゃべりしもして、
帰りは車で駅まで送りました。
途中、お互いが劇を始めた頃の話をしたりして。
そこで自分自身も思い出したのですが、
私たちは芝居づくりがある段階に達すると、いつも唐さんをお呼びして
稽古総見をしていました。これは相当緊張するのですが、
新たな演目を観る時には唐さんご自身も緊張されていて、
終わった後によく飲み会をしたものです。
これには、緊張をほぐすことの他に別の意味もあって、
唐さんは現場に対してすごく気を使われる方でもありますから、
劇のダメなところをそうズケズケと指摘されたりはしません。
ですから、こちらとしてはダメなところははっきり言ってもらおう
という下心もあるのです。
時に、帰りにお送りする車の中でやっと呵責ない意見をもらったこともある。
もちろん、始終そんな厳しい会話をしているわけではなくて、
基本的には、通した芝居の面白さを縦横ナナメからバカ話も含めて
振り返るうち、ふと決定的なヒントが訪れるのです。
そんな風に過ごしてきたことも、皆さんと話すうちに思い出されました。
2020年6月 5日 Posted in
中野note
昨日の夜はワークショップを行いました。
ここ1ヶ月半はぼちぼち身内でやっていましたが、
緊急事態宣言解除の影響か参加の希望が寄せられ、
リモートで3人の方をお迎えしました。
面白いのは、そのうちお2人は名古屋からの参加だということです。
初め、てっきり知り合いで誘い合ったのかと思って訊いたら、
ぜんぜん知らない同士とのことでした。
3人目の方は神奈川県在住ですが、聞けば名古屋ご出身なんだそうです。
もちろん、私も名古屋。
結果、4人の名古屋人が集結して『少女仮面』に取り組無ことになりました。
参加者の中に最近『少女仮面』を上演したという劇団主宰者さんがいたので、
いっちょうやってみようと思ったのです。
冒頭シーン、老婆と少女・貝が喫茶「肉体」に乗り込む場面について
90分間みっちりやりました。
『少女仮面』と名古屋と言えば、
戯曲が成立してこれから初演という時、唐さんが鈴木忠志さんに
電話して台本の感想を訊いたのが名古屋だったと記録にあります。
当時の唐さんは、『由比正雪』を最後に新宿花園神社を追われ、
『腰巻お仙』の「義理人情いろはにほへと篇」と「振袖火事の巻』を
仕立てて、日本列島を沖縄まで南下、そこから東京まで戻りながら
芝居を行う往復ツアーの真っ最中でした。
名古屋での公演場所は若宮大通り公園。
このツアー中、終演後のテントで一座は寝泊りしていたそうです。
1969年10月が初演ですから、その手前の夏のこと。
いつも紅テントの中で車座になって食事していると白米が赤く染まる。
長い旅の終わる頃にはそれがどうにも嫌になってしまったと、
唐さんから伺ったことがあります。
公演の合い間、
蒸し暑さ極まる夏の名古屋から東京に電話する唐さんの声は、
初めてよその劇団に作品提供した緊張と自信を孕んで、
さぞ涼やかに響いたろうと想像します。
唐さんにとって、上演頻度No. 1の傑作がお披露目される2ヶ月前の話です。
2020年6月 3日 Posted in
中野note
唐ゼミ☆での『ガラスの少尉(08)』上演。
この公演から重村大介は劇団員になりました。
今日はラジオドラマ『ギヤマンのオルゴール』から派生した
戯曲『ガラスの少尉』についてのお話です。
唐ゼミ☆がこの台本の上演を計画していた2008年当時、
私たちが話題にしていたのは、果たしてこの台本は
上演されたことがあったのだろうかということでした。
唐さんによると、どこかの学生劇団が上演したことがあると
おっしゃっていましたが、どうもよく分かりません。
内容としては、もとがラジオドラマですから、
場面があっち行ったりこっち行ったりしてなかなか突飛な設定です。
会話とか対決といった要素は少なく、モノローグが多様されているのも、
舞台上演に立ちはだかる壁でした。
状況劇場の写真集には上演の記録はありませんから、
単に唐さんがインスピレーションに駆られ、
当てもなく書いてしまったのかとも考えました。
当時、唐さんは戯曲の他に小説やエッセイも含め、
書きまくっていましたから。
この謎を一端を解いてくださったのは、
かつて状況劇場に在籍していた俳優・田村泰次郎さんでした。
『唐版 風の又三郎』で三腐人のひとり「淫腐」を演じた方です。
1974年の初夏、唐さんたちは『唐版 風の又三郎』パレスチナ公演に
赴きました。日本国内で大絶賛を浴びての遠征です。
田村さんによると、その時の状況劇場のメンバーは、
パレスチナ組と日本に居残り組は別れたのだそうです。
もちろん皆さん、パレスチナに行きたかったでしょうが、
全員を帯同するわけにもいきませんから、
唐さんは配役も含め、劇団員に一定の条件を課したのだそうです。
結果、残念ながら田村さんは選に漏れ、留守を預かることになった。
そして、本体が海外に行っている間、国内組に与えられた課題が、
『ガラスの少尉』だったそうなのです。
しかし、これをどのように稽古し、どのように発表したのかは、
私もずいぶん以前に田村さんからこの話を聴いたこともあり、
かなり曖昧です。唐さんの帰国後に稽古総見があったのか、
その後に対外的な上演があったのか、相変わらずの謎です。
しかし、留守中に宿題となる台本を執筆して行かれるあたり、
唐さんはかなりキメ細やかな座長と言えます。
私たちの上演では、突飛な設定を克服するため、
かなりスタッフワークに凝りました。
何しろ、墜落する飛行機の中で起こる走馬灯のような物語ですから。
思えば、先んじて書いた『ギヤマンのオルゴール』の「ジェット機」が
『唐版 風の又三郎』の「ヒコーキ」に結び付いたのではないか、
そんなことも思わせます。
2020年6月 2日 Posted in
中野note
ここ3年、読書量が減っています。
妙に忙しなくなったこともありますが、
車を運転するようになったことが決定的でした。
豊かな電車移動の時間が激減。
その変わり、ものを聴く時間はうんと増えました。
移動の時間を面白く過ごしたいので、
短距離の時には短めのピアノやヴァイオリンの小品や落語
長距離の時には、講談の連続ものや交響曲やオペラ、
義太夫を聴くようになりました。
講演の音源なんかも面白い。
『唐版 風の又三郎』上演準備の必読書であるダンテの『神曲』を
コロナ禍によって読み直す機会ができたので、
翻訳者の平川祐弘さんや、高階修爾さんによるお話を何度も聴きました。
おかげすごく充実しています。
ラジオドラマも面白いですね。
現在でこそ下火ですが、
かつては並み居る劇作家がラジオドラマで糊口を凌ぎ、
あるいは手腕をふるった時代がありました。
『常陸坊海尊』の秋元松代さんがそうですし、
別役実さんにも名作の数々があります。
この前に亡くなった横浜ボートシアターの遠藤啄郎さんも、
若い頃はラジオ作家として多忙を極めたそうです。
遠藤さん、月に40本書いたとおっしゃっていました。
我らが唐さんも、ラジオドラマを書いています。
後に『ガラスの少尉』として戯曲化された『ギヤマンのオルゴール』、
同じく『ふたりの女』に結実することになった『恋の鞘当て』を
最近も私は聴き直しました。これにより、車内の時間はさらに充実。
明日は、唐ゼミ☆でも上演した
『ガラスの少尉』=『ギヤマンのオルゴール』の話をしましょう。
2020年6月 1日 Posted in
中野note
今週の木曜もハンディラボでやります。
先日、リモートでのワークショップが意外に便利であると書きました。
何しろ、九州や北海道の人とも一緒に台本に向かい、
稽古ができるわけですから、これは活用し甲斐がある。
そう考えていたところ、
早速に遠くからの参加希望が寄せられました。これは嬉しい!
しかもその方は、
唐さんの台本を上演した経験まであるそうです。
せっかくなので、その作品、『少女仮面』の一部も
ワークショップのなかで当たってみようと思い立ちました。
ここしばらく、ずっと『唐版 風の又三郎』一本槍できましたから、
ここらで一度、視野を広げるのも良いはずです。
私が高校時代に初めて買った唐さんの本は、
白水社から出ていた『少女仮面/唐版 風の又三郎』でした。
確か、その本の帯には「現代演劇における、少年少女の発見」
という言葉があったと記憶しています。
確かに、『唐版 風の又三郎』は女が少年に変装し、
『少女仮面』は初老の女が少女であろうとする物語です。
世界は往々にして主人公たちに冷淡ですが、
それぞれの相棒だけは、彼らを少年や少女だと
信じ抜こうとするところも似ています。
ただし、この代表作2本のエンディング、
一方は苦く、他方は突き抜けるようなエネルギーに充ちています。
このあたりを比較しながら語り合ってみたら、
すごく面白いだろうと想像しています。
ちょっと時間が足りなさそうですが、
唐さんの代表作2本を向こうに回し、欲張ってやってみましょう。
2020年5月30日 Posted in
ワークショップ Posted in
中野note
↑個別にハンディラボに来て、小道具づくりに精を出すメンバーもいます。
一昨日のワークショップ、久々に新しい方が参加してくれました。
こんな状況下ですからリモートですが、嬉しいことです。
ワークショップをやる時、込めている思いには二種類あって、
ひとつには優れた出演者を集め、出演が決まった人たちには、
台本への理解を深めて欲しいということです。
おのおのが全体の仕組みを分かっていると、
稽古がスムーズになり、声を枯らしたりケガをすることも減り、
何より日常の中で台本について話すことが愉しくなります。
こうなるとしめたもので、登場人物たちや物語が、
隣人や噂話のように身近なものとして躍動し始めます。
もうひとつは、
例え公演に参加できなくても、役者ではない人でも、
唐さんの作品の面白がり方をもっと知って欲しい。
すでに唐十郎ファンの人にも、自分が唐さんから教わった愉しみ方を
お裾分けしたいということです。
前者と後者、それぞれにやる気になります。
出演希望者が来れば、一緒に舞台をつくるかも知れないので
全力を尽くそうと思いますし、一般の参加希望者が来れば、
もっと唐さんの世界にハマってもらおうと知恵を絞ります。
一昨日は一般の方でしたが、
ちょっとお話しして、この方は『唐版 風の又三郎』の台本を
ご自身でも一生懸命に読まれそうだったので、
それをサポートできるよう、ガイドラインに徹することにしました。
約90分のワークショップでできる、
この作品を極限まで切り詰めた3つのシーンをやったのです。
全224頁の台本から3カ所を抜き出して、トータル10頁強でした。
ここを押さえた上で、
これからご自身で全体を読んでくださいとお願いしました。
まずは、もっとも必要な本質に迫る。
その上で、今度は寄り道や無駄を、大いに愉しむ。
こういう手順です。
リモートには可能性があって、遠く離れた地域の人にも、
今後は参加してもらえるのではないか。
これまで行ってきた地方公演で知り合った方たちも
巻き込めるのではないかと思っています。
2020年5月29日 Posted in
中野note
いま取り組んでいる『唐版 風の又三郎』には、
「岩波文庫の〇〇頁には〇〇〇〇と書いてある」
という意味のせりふが何度も出てきます。
普通、劇作家はわざわざ登場人物に
こんなことを喋らせないと思うのですが、これが唐さんなのです。
ご自身の几帳面さがよく顕れています。
で、実際に写真の文庫本をめくってみると、
その通りの頁に同じ言葉が書いてある。この圧倒的な律儀。
(約半世紀、岩波書店が文字をデカくしたりしていないからこそ判りました)
執筆時、文庫本を開きながら各部分をまめまめしく書き写した
唐さんを想像すると、どこかユーモラスでもあります。
『唐版 風の又三郎』の上演を目指すにあたり、
私はもちろん岩波文庫の『風の又三郎』を読んであったのですが、
先日、ちょっと調べたいことがあって久々にこれを取り出しました。
そこで目次を見て、思わず笑ってしまった。
↑だってこれを見て下さい。
不覚にも今まで気づかなかったんですが、『風の又三郎』の次は、
『セロひきのゴーシュ』なんですよ。
どういうことかというと、唐さんは1974年春に『唐版 風の又三郎』で
大ヒットを飛ばした後、秋に『夜叉綺想』という作品を上演します。
この『夜叉綺想』の元ネタが『セロひきのゴーシュ』。
よりによって、短編集のひとつ後ろの作品をネタに次の芝居を構想する。
この思い切りの良さが実に唐さんです。
そしてさらに、この文庫に収められた最後の作品は、
『グスコーブドリの伝記』です。
唐さんは後に、これをネタに『黄金バット(81年初演)』を書きました。
いいですか。
現在やっと740円+消費税のこの文庫本、
唐さんが買った時に幾らだったのかは分かりませんが、
とにかく、一冊の文庫本で3本も書いてしまった。
この生産性、経済効率のあまりの良さに、私は天を仰ぐばかりです。
2020年5月28日 Posted in
中野note
↑このおばあさんも"左利き"ですね。どっちが被害者かわからない絵。
一昨日は即興で出演したライブ配信の話題でしたが、
今日はまた、右手のケガの話です。
ここ2日ばかり、上手い躱し方を身に付けたのか。
痛みがそれほど気にならなりました。
極力、左手ばかり使うように工夫しています。
これがまた何だか自分が左利きになったような気がして、悪くない。
"左利き"への憧れが、自分にはあります。
私は父母姉との4人家族で、全員が右利きの血液型A型という
典型的な日本人家庭で生まれ育ちました。
ですから、幼い頃から私には特別そうに見える左利きへの憧れがある。
この憧れ自体が極めて右利き的だと自覚しながらも、
やっぱり素敵だと思ってしまいます。
「わたしの彼は左利き」だからこそ歌になるのですし、
これが右利きではサマになりません。
中学校時代に流行ったスーパーファミコンの『ロマンシング・サガ』には
「レフトハンドソード」という最強の武器まで登場。
まさに左選ばれし者のみが使いこなすことができる。
週刊少年サンデーで連載されていた野球マンガ『MAJOR』では、
中学時代まで右投げだった主人公が投げ込みにより肩を壊し、
血の滲むような努力の果てに左投げを体得、
球速160キロ、しかもジャイロボールを投げる復活を遂げます。
この特別感、まさに"レフティ"に漂う神秘のなせる術と言えましょう。
唐さんの中で、"左利き"に注目した演目といえば
ズバリ2001年春に初演された『闇の左手』です。
ヒロインの名前が実にふるっていて、「ギッチョ」という。
自らが製作した義手を自殺志願の人々に貸し出し、
リストカットの代行をさせるという哀しい商売をしている職人です。
別に、"左巻き"に注目したものもあります。
ホラ、頭のつむじが左巻きだと"天才"とか云うじゃないですか。
2008年春初演の『夕坂童子』の劇中歌には"左巻き"に引っ掛けて
小道具の「アカガオ」に向けて唄うこんな歌詞が出てきます。
「時の針にさからいながら いつも左に巻いていく
そのつるは俺の櫂 だけど俺にもわからない......」
こうして並べてみると、唐さんが"左利き"や"左巻き"に託すものは、
単に変わっている、才気に優れていることではなくて、どこか不器用で、
ちょっと普通の人たちからはこぼれ落ちるような存在であることもわかります。
それでも、自分は断然憧れるし、だんだんと即席の左利きを楽しんでいます。
回復の兆しも見えましたから、ケガの話はこれでおしまい。
今日は良いワークショップが出来ましたから、また報告します。
2020年5月26日 Posted in
中野note
今日は即興で、若葉町WHARFの配信に参加してきました。
毎週火曜の19:00から行われるこの配信が始まったのが2週間前。
これまでは、レギュラーである
マコト(佐藤信さん)とテツヤ(岡島哲也さん)のコンビでお送りして
きたそうですが、突然にお声掛かりがあったので行きました。
マコトさんからは、昨今の演劇人の陳情についての所感や
「COVID-19」が世界共通問題として共有されていることの特殊性、
「新型コロナウィルス」でなくちゃんと名前で呼んでやろうぜ、
という問題提起があり、
昔「演劇を殺すな」と言ったけど、演劇は死なないよね、
というお話がありました。
あとは、オンラインで一人芝居の稽古やアカデミーの講座も
されているらしく、その面白さについて話し合いました。
テツヤさんとは、これは放送外だったのですが、
志村けんさんの話をしました。
テツヤさんこそ、ここ14年公演されてきた『志村魂』の
スタッフをされてきた方ですから、
今年、15周年の準備が着々とされていたことを伺いました。
実際に、私はテツヤさんのおかげで、
座間のホールで、本物のバカ殿様や変なおじさんを目撃することが
できたのです。
あとは例によって、お互いの接してきた唐さんの話をして、終了。
帰りがけ、
「やっぱり3人だと盛り上がるからどんどんゲストを送り込んでくれ」
と言われました。
我こそはと思う人がいたら私に連絡ください。推薦します!
2020年5月25日 Posted in
中野note
唐ゼミ☆でも2005年3月に上演した『少女都市からの呼び声』から、
「養老先生」と「インターン」の場面。近畿大学での上演です。
懐かしいメンバーが活躍しています。
右手を負傷中、と一昨日のnoteに書いたところ、
何人かの方から優しくしてもらい、たいへん良い気分です。
しかし、今日も小銭を出す時、ウィンカーを上げる時、キリキリする。
あれは何でしょうね。
5キロ以上ありそうなカバンを持ち上げるときは何でもないのに。
優しくされて嬉しいけれど、やっぱり煩わしい。
そこで、またこのネタで書いてせいぜい元を取ってやろうと思い立ちました。
今日も"痛み"の話。唐さんから"痛覚"について伺った話です。
80年代に交流のあった養老孟司さんにまつわるエピソード。
『バカの壁』以降、特にメジャーになり、
テレビのバライティー番組にも出演される養老先生ですが、
80年代当時は東京大学解剖学第二講座の先生をされていました。
先生はその頃、作家の島田雅彦さんと
『中枢は末端の奴隷』というとっても刺激的なタイトルの本を出されて、
唐さんはその影響を受けたのだそうです。
1969年初演の『少女都市』を改作し、
85年に『少女都市からの呼び声』を公演します。
この劇には、その名も「養老先生」という役柄が登場し、
その相手となる「インターン」役で島田さんは実際に出演もしたそうです。
(出演時の様子は、島田さんと唐さんの共著『汗のドレス』に詳しい)
話を養老先生に戻すと、
唐さんによれば、先生は何日も解剖を行った後、
生の感覚を取り戻すため、針でチクリと自分の指を刺すのだそうです。
当然、少し血が出る。痛い。そのことによって、
自分は今まで相手にしてきた死体とは別なのだと実感する。
養老先生からその話を聴き、唐さんは感動したのだそうです。
"中心は末端の奴隷"というフレーズも良いですよね。
どんな偉丈夫も、偉い人も、手に刺さった一本の小さなトゲに
全身を支配されてしまう。それが人間のリアル。実に唐さん的です。
時に、人間ぜんぶを支配しつつ、生きている実感を与える"痛み"。
ここしばらく、右手首と親指が私のご主人様。
腹立つので、明日もこの話題で引っ張ってやろうと思っています!
2020年5月23日 Posted in
中野note
今日も朝から、恒例の本読みをしました。
最近、手を怪我してかなり困っています。
重いものを抱えながらバランスを崩したのが原因なのですが、
咄嗟に出した右手を負傷しました。
手首、親指の付け根にかけてが、何か持つと痛い。
何も持たなくとも、ある角度になると痛い。
整形外科に行ったところ、骨は異常なし。
安静にして自然に回復するのを待つしかないそうなのですが、
利き手なので非常に不便です。
例えば、財布の小銭入れ部分を開ける動作、あれ、激痛が走ります。
また、車のウィンカーを出す所作、もう曲がりたくない。
唐十郎作品を読み解く上で、すごく重要な要素でもあります。
それが顕著なのは、唐さんが脚本を書いて、
新宿梁山泊の金守珍さんが監督した映画『ガラスの使徒(つかい)』。
この作品では、望遠鏡や顕微鏡に使う巨大レンズ、
あれを超絶な精度で磨くことのできる職人を唐さんが演じたのですが、
主人公たちが揃いも揃って掌の真ん中に傷を負うんですね。
一方、敵役は決して怪我をしない。
キリスト教では、イエスが磔刑になったときの傷を、
「聖痕」「スティグマ」と云いますが、この映画でも、
ちょうどあの位置に、勲章のように傷が描かれています。
つまり、考えようによって"傷"や"痛み"こそ生きている証なんですね。
唐さんにとって、痛覚は"生"や"肉体"を実感するための宝物です。
だからこそ、『ガラスの使徒』はああいう展開になっていますし、
他のあらゆる作品でも、主人公たちは身も心も傷つきながら、
その傷に鍛え上げられていきます。
コンビニで小銭を出すとき、十字路でウィンカーを上げ下げするとき、
ああ、生きているなあと実感します。
そして、ただもう早く治って欲しいとも。
2020年5月22日 Posted in
中野note
「嫌いになったならそう言って」
一年ほど前、新人劇団員のSANEYOSHIがこう私に言ってきました。
驚いて調べてみると、わずか2歳半の彼が唐突にそんなことを言うのは
私が買い与えたジブリの『コクリコ坂から』を何度も観たかららしい。
話のなかに、そんなせりふがあるのだそうです。
最近は「マヌケなおじさん」と盛んに言ってくるようになり、
ある時、こちらが書き物に没頭している時に靴べらで突きながら
しつこく連呼してきたので、完全にブチ切れました。
これについては何を見聞きしたのか、出自は判っていません。
ただ判っていることは、上に挙げたふたつの言葉のどちらも
彼はよく意味を把握せずに使っているということです。
使ってみたら、容赦無くブチ切れられた。
そうして身体で意味を理解していくのだろうと思います。
私自身は幼い頃、よくカセットテープを聴いていました。
特に気に入っていたのは、前にも話したように思いますが、
伯父に買ってもらった『宮沢賢治童話集』。
宇野重吉、米倉斉加年、長岡輝子という
往年の新劇界の大立者が、全10話を分担して読んでいるものでした。
小さな頃から、文字通りテープが擦り切れるほど聴きました。
話し方、抑揚の付け方、間の取り方、音色、音圧、声色。
SANEYOSHIのように子どもは丸呑みに覚えますから、
自分のなかには知らないうちに彼らの影響があるに違いありません。
こういうせりふが心地良いな、という価値判断のなかに、
彼らの詠み方がきっとある。
しかし、このテープについて、私は唐さんに伝えたことはありません。
宇野さんこそ、唐さんの『少女仮面』岸田賞受賞にケチを付けた張本人。
米倉さんは、唐さんが明治大学を卒業して入った劇団「青年芸術劇場」
の幹部であり、あんまり良い思い出がない方なんだそうです。
そういう訳で、
唐さんとは賢治の話はしても、このテープには一切触れずにきました。
ただ、渡辺えりさんが宮沢賢治を題材にした芝居をされていた時には、
長岡さんの朗読が大好きなことを率直にお伝えしました。
えりさんが演劇少女に覚醒したのは、かつて文学座が山形に巡業した
『ガラスの動物園』がきっかけであり、その時に出演されていた
長岡輝子さんに大いに憧れたんだそうです。
このテープ、今はハードディスクの中にすべてデータで入っており、
ふと思い出して聴くことがあります。
2020年5月21日 Posted in
中野note
↑まさに準備中@ハンディラボ
あと1時間でリモートによるワークショップが始まります。
今はその準備中。
今日は3人の方の参加があり、
いずれも唐ゼミ☆の稽古は初体験という人たちです。
今回は、どの人にも公演本番への出演可能性があるので、
より実践的にやりたいと計画しています。
オープニングシーンをやりながら、
芝居全体をもっとも単純化したあらましと構造を確認し、
男性3人が同時に活躍できる場面という事で、
1幕から主人公「織部」と帝國探偵社の「三腐人」の対決シーンを。
あとは、一人一人にスポットを当てるために、代わる代わる、
3幕の「高田三郎(=死青年)」の長せりふをやってもらおうと
思います。
この際、「三腐人」が元自衛隊員にして現役の探偵であることを
念押しすることは、すごく大事ですね。
キャラクターの出自や足元をよく確認した上で、
唐さんが付けたユニークな役名に応えるように飛躍させる、
このあたりの流儀は、何度も何度も口を酸っぱくして言います。
最近、別の公演で唐作品に取り組んでいる人たちから
台本の中身について質問を受ける機会がありました。
色々と寄せられる疑問の中でもっとも根源的だったのは、
「唐戯曲に書かれていることはどこまでが本当なのでしょうか?」
という問いでした。
これについては、以前、唐組の久保井さんと話している時に
おっしゃっていたことが実に的確です。
「唐さんの台本に書かれていることは、ぜんぶ本当なよなあ」
至言です。
今日は数々のせりふやト書き、登場人物名に至るまで、
どのように真正面からぶつかり、かつまた時にはふざけるのか、
みっちりとやりたい。開始まであと40分、腕が鳴ります。
2020年5月19日 Posted in
中野note
↑これをクローズアップすると↓
『唐版 風の又三郎』に出てくる「冥府」や「地獄」という言葉の多さ。
あれ、とても気になります。
飛行機を乗り逃げして亡くなった男を追いかける女の物語なので、
死の世界が取り沙汰されるのが当然といえば当然ですが、
それにしても気になる。
先日、都内に行く用事があり、
1時間ほど空いたので上野公園に行ってみました。
そこで見つけたのが上の写真。ロダンの『地獄の門』です。
残念ながら美術館は閉館中なので、遠巻きに見る程度でしたが。
ああ、これが唐さんが幼少期から身近に接していた
地獄かも知れないと思いました。
通称・下谷万年町、現在の北上野に育った唐さんにとって、
上野公園はごく身近な遊び場でした。
特に戦後間も無く、唐さんの小さい時には、
日暮れると男娼のたむろする恐ろしい森でもあったそうですが。
この門は昭和8年からここにあるそうです。
『唐版 風の又三郎』には「男色」も大きなトピックとして登場します。
「地獄の門」と「男娼」がない混ぜになった成果かも知れません。
やはり「地獄」、そして「門」なのです。
「天国と地獄を絵で見りゃ、地獄の方がおもしろそう」
唐さんが初演で演じた「教授」の、実に意味深な科白です。
確かに『地獄の門』のディティールも、見て飽きることがなさそう。
今度は、もっと近寄って見たいものです。
2020年5月18日 Posted in
中野note
上の写真を見てください。
先日のハンディラボでの風景。
なんだかJ-popアーティストのオシャレPVのようではありませんか!
いつもテントを担いでドサ回り、汗をかきかき
口角泡を飛ばしてまくしたてる泥仕合ばかりしてきた私たちにも、
このような瞬間が訪れました。
劇中歌の伴奏を作ってくださっているサトウユウスケさんから
デモテープが送られてきたので、ここは何としても実地に合唱し、
サトウさんに対して迅速な切り返しをみせるべしと、
交通機関に乗らなくて済むメンバーだけ集まりました。
距離を取りながら歌って録音した様子がこれです。
今日は他に何も言うこと無し!
最後に、角度を変えてもう一枚。
今日の写真はいつもより大きめ。ハンディラボ、素晴らしい拠点です!
2020年5月16日 Posted in
中野note
↑『蛇姫様-我が心の奈蛇』のカーテンコール。車のことは乗り越えたあと。
(写真:伏見行介)
銀座三丁目〜浅草花やしきの激走で熊野にかなり世話になった話のつづき。
もはや、この車は一度うごき出したら止まれない。
どうにかして走り続けなければ。
10km/h以下にスピードを落とせば強制的にエンストして10分は動けない。
例えば、首都高上野線の入谷出口付近で停まってしまった場合、
完全にこの場所を塞いで後続車が出られない状態になってしまう。
深夜で車が少ないとはいえ、
さすがに10分も停まればスピードに乗った後続車両が
モリモリと出口付近の下り坂に溜まってしまう。恐怖。
とにかく可能な限り停車しないように走りました。
そのためには、ここではとても書けないような様々な「〇〇無視」を
繰り返さざるを得ない。
その時、周囲をキョロキョロ見回しながら私に警察がいないことを
知らせ続けるのが熊野の役目でした。
首都高はなんとかノンストップ、
入谷出口の目の前の大きな交差点はタイミングを加減して青信号で突破。
そこから右折し、しばらく直進、吉原の手前をさらに右折し
言問通りを渡って花やしきに至るいつもの定番コースを基本に、
即興の右左折も加えて駆け抜けました。
横断歩道に歩行者がいれば、完全に十字路の中で停まってしまいますから。
記憶が朦朧として定かでないところもありますが、
確か3〜4回の停車で車を休ませ休ませ辿り着きました。
停まらぬように、停まらぬように、
本来は停まらなければならないところも停まれないので停まらぬように走る。
その間、熊野は「パトカーいません」「パトカーいません」と連呼し続け、
ようやく到着しました。
翌日も本番を抱えているのに、ずいぶんなことをさせたと思います。
感謝を込め、深夜に唯一空いているお風呂
浅草ロックスの「まつり湯」を奮発しても充分お釣りがくる活躍でした。
熊野がいなければ、ここまで走り切ることはできませんでした。
2020年5月15日 Posted in
中野note
↑2010年春『蛇姫様-我が心の奈蛇』で「藪野文化」を演じた熊野(右)
(写真は伏見行介)
どうも、中野noteです。昨晩は面目ありませんでした。
1幕終盤の滞りを解消して「耳」の穴への突撃に納得がいき、
かなり達成感があったのですが、それで安心したのか、
ちょっとの間おちてしまいました。
ピンチヒッター熊野に助けられました。
思い起こせば、熊野にはかなり世話になったことがあります。
あれは2010年春に『蛇姫様』に取り組んでいた時、
私は当時、テントを建てていたしていた浅草花やしきと横浜の間を
友達から借りた車に乗って通っていました。
公演初日を終えて、さあ帰ろうかと思ったのですが、
銀座まで来たところで車がボンネットから煙を吹いて
ストップしてしまった。
後から調べたところによればチューブの劣化による水漏れ、
冷却機能がなくたったことによる停車だったのですが、
当時は訳もわからず焦りました。
同乗者の中には、「爆発する!」と慌てた団員もいて。
仕方がないのでメンバーには降りて電車で帰ってもらい、
とりあえず時間をおいてみました。
すると、落ち着けばまたエンジンがかかることが分かった。
さて、横浜か浅草、どちらを目指そうか思案しましたが、
どう考えても近いのは浅草です。
夜遅くに加えて友達の車でもあるので勝手がわからず、
とりあえず浅草まで帰ろうと決意しました。
そして、翌日にJAFを呼ぶしかない。
正直に言って、銀座〜浅草間が途轍もない距離に感じ途方に暮れました。
その時、「僕いっしょに行きますよ」と、
当時20歳の新人劇団員だった熊野が現場に残ってくれたのです。
彼も初日を演じきってヘトヘトだったはずですが、
なんと優しい男よ!
ここから浅草まで戻る道のりの激走は、明日に続きます。
2020年5月14日 Posted in
中野note
今日は熊野noteです。さっきまでワークショップでした。
中野さんが再三にわたって宣言してきた「耳」の穴についに入りました。
ここで、本来だったら中野さんがその様子や成果を
レポートするはずなんですが、この人は燃え尽きてしまった。
どうやら昼間の劇場の仕事も大変だったようで、
やや遅刻気味の激しい運転でハンディラボまでやってきました。
ワークショップ自体は、自分と禿さんという最小人数で集まり、
あとのメンバーがリモートでモニタリングしながらやりました。
稽古はずいぶん盛り上がり、
死んだ恋人めざして耳の穴に突撃するために、
結局は立ち稽古のようになって位置関係も調整しながら、
熱血の試行錯誤をしていきました。
きっとリモートで見ていたメンバーは、
こっちがあまりに勝手に動いてゴソゴソやっているので、
訳わからなかったのではないのでしょうか。
その後、「今日もゼミログ書かなきゃな〜」と言っていた中野さんは、
力尽きてしまいました・・・、なので代理で書いています。
ここだけの話。最近、中野さんがFacebookでハマっていた
「ブックカバーチャレンジ」。
あれ、熱を入れすぎだと思うんです。
そしてゼミログも書いている。
ここだけの話、ひょっとしてこの人は案外ヒマなのでは・・・
今日もおつかれさまでした。
2020年5月12日 Posted in
中野note
↑その唐突さに震撼します。
一週間前の5月5日、菖蒲にまつわる唐作品の話をしました。
その時に挙げたのは『秘密の花園』『唐版 滝の白糸』です。
今日は、私が他にも、
この2作には共通点があるのではないかと思っている話です。
まずは、『秘密の花園』から。
日暮里を舞台にしたこの作品は、何とニューヨークで書かれたそうです。
当時、かのロックフェラー財団の支援により渡米した唐さんは、
ブロードヴェイなど見向きもせず、
ホテルの部屋に引きこもっていたそうです。
後年、冗談めかして唐さんが私に教えてくださった理由としては、
「アメリカ人はみんな背が高くて、イヤになっちゃった」
結果、唐さんは自ら強烈な缶詰状態になり、
下町中の下町を舞台に不器用な男女のラブストーリーを書きました。
まさに、帰巣本能のなせる術と云えます。
一方、ゴーストタウン化した長屋を舞台にした『唐版 滝の白糸』もまた、
『秘密の花園』と同じように海外で、具体的には
1974年7月のパレスチナで書かれたのではないかと、私は睨んでいます。
理由としては、登場する小人プロレスラーたちのうちに、
世界同時革命をほのめかすせりふのあること、
何より、芝居の冒頭に「ホテルのロビー」というト書きのあることです。
このト書きは、
初演の演出家である蜷川さんを多いに悩ませたらしいのですが、
私の個人的な推測では、何のことはない、
執筆に当たった場所をノートに書きつけたのを、
戯曲が初掲載された別冊新評『唐十郎の世界』の編集者が、
ト書きと間違えたのではないかと推測しています。
唐さんは時折、生原稿に執筆に当たった場所がメモされました。
きっと雑誌にト書きとして印刷されてきた「ホテルのロビー」という記述を、
唐さんはいつものイタズラ心でわざと指摘せずに、
蜷川さんを苦しめたのではないかと思っています。
ここまで2本、唐さんが海外に行く→強烈に下町に寄せる
というパターンを紹介しました。
まあ、唐作品にはかなりの確率で下町が出るよね、
と言われればそれまでですが、この2作の下町っぷりは
他の作品と比べて抜きん出たものがあります。
最後に、唐さんの帰巣本能が極限にまで達した例をご紹介して終わります。
作品は、芥川賞作家に唐さんを押し上げた『佐川君からの手紙』。
皆様ご存知、オランダ人女性のルネさんを殺して食べてしまった
佐川一政さんとのやり取りをもとにしたこの小説で、
唐さんはパリに収監されている佐川君に会いに行くご自身を描いた
わけですが、ついに目的の方には会わずじまい。
話題はオリジナル・キャラクターであり謎の女性「K.オハラ」に
収歛していきます。その最後のシーンが、まあすごい。
「オハラさん」とわたしは声かける。
「前から聞こうと思ってたんですが、K.オハラのKは何て名ですか」
「キク」
と言いながら、ドア口にはみ出たトランクを、オハラは足で押し戻した。
「菊です」
それは、わたしの祖母の名であった。
↑見てください。何と、唐さんのおばあちゃんの名前で終わっています。
よほどフランスやパリ、佐川さんをアウェイを感じていたに違いない。
そして、唐さんの拒否感が極北に行きつき、下町を超えたホームグラウンド、
まさかの「おばあちゃん」を呼び出してしまったに違いない。
この帰巣本能!
ジョイスよりも「意識の流れ」に忠実であることは、間違いありません。
2020年5月11日 Posted in
中野note
今朝、ランニング中にこのようなものを発見しました。
カッターナイフの刃です。
かなり豪快に折れてしまったようで、
数えてみたら7ブロックまとまって落ちていました。
場所は近所にある松原商店街のお店の前。
前にも紹介したと思いますが、
私は横浜のアメ横ともいえる、この商店街の近くに暮らしています。
目に入ってしまった以上、
このカーターナイフの刃が起こし得る様々な事故が頭をもたげます。
車やバイク、自転車のタイヤがパンクしてしまうとか、
誰かが踏むとか、子どもが拾い上げて怪我をする、
といったようなイメージがすぐに入り乱れました。
こうなると拾わざるを得ない。
が、家まで持って帰るのは面倒だし、どうしようかと思案しました。
結局、周りを見渡して落ちていた空き缶の中に刃を放り込み、
それを自動販売機の横のゴミ箱に押し込みました。
こうすれば、ダイレクトに捨てた場合に刃がゴミ袋を破り、
外に飛び出る心配も無いわけです。
何でこんなに心配になるのだろうと、我ながらくたびれました。
しかし、ふと思い起こせば、身近にカッターナイフをひどく
恐れている人がいたことを思い出したのです。
そう。唐さんです。
大道具や小道具を作る際、カッターナイフは便利です。
薄手のベニヤなんかを切る時には、特に使いでがある。
しかし唐さんは、カッターナイフは使うなよ、
と周囲の人間を戒めるのです。
大学に教えに来られていたころ、私も何度も言われました。
きっと長年のキャリアの上で、
大事な時にケガをした劇団員たちを目にされてきたのでしょう。
カッターナイフに限らず、唐さんは尖ったものに対して敏感です。
舞台で使う小道具や、単管や丸太の結束部分が鋭角的に突き出ていると、
それを丸く削ったり、布で覆うように指示されます。
大胆かつ豪快そうに見えて、実は極めて細心、
そのようなところに鋭く目を光らせるべし、というのが唐さんの教えです。
今日は唐さんの教えのおかげで、
起こったかもしれない流血を防ぐことができました。やれやれ。
2020年5月 9日 Posted in
中野note
↑まとめて箱で買います!
今日は稽古でした。
例によって一人でハンディラボにやってきて、
パソコンや台本を広げて、ワーワーやりました。
現在、劇団員全員での本読みは3幕を追いかけています。
以前まで、私はお弁当にサンドイッチを持参していました。
朝7時頃から近所のパン屋が開いているので、
ランニングのついでにこれを買うのが習慣でした。
ところが、最近は新たに別の店がオープンしたので、
これに乗り換えています。
このお店は、正確にはプロ用の調理器具を扱う店舗なのですが、
週末だけ焼き芋屋になります。
ここでは、得意の最新鋭調理器具を使って塩梅よく焼けた
「紅あずま」「シルキークイーン」「安納芋」などの
ブランド芋が売っており、これが安価に買えるのです。
休憩に、昼食に、車の移動中に、焼き芋は便利で味も良い。
気に入っています。
ところで、
数年来親しくさせて頂いているプロデューサーの中根公夫さんは
サツマイモが大嫌いです。
かつて、戦中戦後に非常食としてサツマイモばかり食べ飽き、
以降、これを食べることは一切無いとのこと。
終戦直後、中根さんの学習院初等科時代、
同級にいた元帝国軍人のご子息がお弁当箱の蓋を開けると、
中には、ふかしたサツマイモの輪切りがゴロリと入っているのみ。
それをしげしげと眺め、中根さんもそのお友達と涙したそうです。
10年ちょっと前に亡くなった私の祖父も、
サツマイモや南瓜の類を決して口にしませんでした。
現在では、今度はどの種類にしようかと悩みながら、
私が嬉々として買い、稽古や打ち合わせに励んでいます。
2020年5月 8日 Posted in
中野note
↑三木富雄さんの作品の写真を、ネット上より拝借しました。
いやあ、昨日は完全にペース配分に失敗しました。
最近は自らを律して、稽古の時にはなるべく予定通りに
事を進めるようにしているのですが、
昨日はついつい道草が過ぎてしまいました。
1日経ち、来週こそ「耳」の中に入るべしと言い聞かせています。
さて、その予習も兼ねてなのですが、
昨晩お伝えしたヴェルギリウスからの影響という私見以前に、
かなりダイレクトに唐さんに影響を与えたであろうトピックに
触れてみたいと思います。
それが、上に紹介した画像。三木富雄さんによる作品です。
三木さんは耳にテーマにした数々の作品で有名な彫刻家です。
残念ながら41歳の若さで亡くなってしまいましたが、
その作品の数々に唐さんがインスピレーションを得たことは
間違いないように思います。
三木さんは、現在も唐組の公演チラシの表紙を飾ることの多い
美術家・合田佐和子さんとご夫婦でした。
かつて状況劇場に在籍し、後に映画・演劇評論家になった
山口猛さんが紅テント時代を振り返った著作に、
確か、「耳の三木さん」との交流も描かれていたはずです。
人間の身体に常に興味を持つ唐さんのことですから、
これらをヒントにすれば、
あとはもう、耳の中があの世への入り口となるのも簡単です。
足の親指なんかもそうなのですが、
ずっとじいっと見つめていると、身体の一部は
妙な、不思議な雰囲気を漂わせはじめます。
ぜひ隣りにいる人の耳の穴を、まじまじ覗いてください。
2020年5月 7日 Posted in
中野note
↑第六歌だけを抜き出した、こんなマニアックな本もあります。
表紙中央の男がヴェルギリウス......、面白い顔です。
今は早めにハンディラボに着いて、
これから始まるワークショップに備えています。
今日のお題は「耳」。
1幕の終わり、
エリカが死んだ高田三郎三曹に会うためにあの世につながる通路として、
織部の「耳」の穴に突破口を発見するくだりです。
あの世への入り口=「耳」という設定には、
私の推測するところでは原典があり、
それはラテン文学最大の詩人と言われているヴェルギリウスの
叙事詩『アエネーイス』だと考えています。
『イリアス』『オデュッセイア』のホメーロスよりはマイナーですが、
私は妙にこれが好きで、数年に一回は読み直す本です。
この叙事詩の全12歌中、第6歌に有名な「冥界下り」の章があり、
主人公のアエネーアスが海辺の岩場にある洞窟に
分け入っていく様子が描かれます。
何やら怪しげなガスの吹き出す場所にいる「シビュラ」という巫女に
亡くなった父の霊を降ろしてもらって会話するという、
まさに恐山のイタコそっくりの場面が展開します。
ポイントはこの「海辺の岩場の洞窟」で、
唐さんはこれを「耳」に見立てたのではないかと思っています。
何せ、『唐版 風の又三郎』第1幕は、こんなト書きから始まります。
死の花嫁を捜しにどこへ行く、オルフェ。
死の魔窟は......死の耳はどこにある。
読むものをねじ伏せるこの剛腕。
強引すぎる向きもありますが、さすが唐さんです。
「死の花嫁」=高田三郎三曹
「オルフェ」=男装したエリカ
という風にジェンダーがひっくり返っているのもユニークです。
ちなみに、「ヴェルギリウス」の名は1幕のエリカの長ぜりふ中に
しっかりと登場します。
この「耳」の部分、観る人を大いに戸惑わせそうなので、
稽古は丁寧に、本番は勢いを持って臨みたいところです。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
と、ここまで書いてワークショップに突入したところ
先週にやった「教授 vs 又三郎+老婆」のおさらいで盛り上がりすぎ、
まったく「耳」に進めませんでした。
来週こそ、「耳」の穴を!
2020年5月 5日 Posted in
中野note
最近は外を歩いていると、至るところに行列が散見されます。
今は人と人とが距離をとっての生活を余儀なくされていますから、
さして人数がいなくとも、長蛇の列に見受けられることがよくある。
それにしても、今日はひときわ和菓子屋の前に人が多い。
何故だろうと覗いてみたら、柏餅を買い求める人たちでした。
すっかり忘れていましたが、今日は「端午の節句」だったのです。
我が家には新人劇団員のSANEYOSHIがいますから、
多少はそんな行事にも触れてやらなければならないと思い至りました。
そこで、並ばずともパッと手に取ることのできた菖蒲の葉を
買って帰りました。
年中行事と唐さんといえば、
何と言っても3月3日の雛祭りと『少女仮面』が印象的です。
一方、5月5日に因むのは、
『秘密の花園』『唐版 滝の白糸』の2本でしょう。
特に『秘密の花園』における「菖蒲の葉」の存在感はハンパではなく、
それこそ、昨日に触れた小道具ばなしの好例として、
唐作品の中でも屈指の使われ方をする一品と言えます。
作中には、
唐さんの幼少期、まだ銭湯が多くの人たちにとってインフラだった頃、
5月5日に男の子たちが我れ先にお風呂屋さんに殺到し、
まるで剣のように、長くて、強い菖蒲を奪い合う様子が
得意の長ぜりふで披露されます。
銭湯や公衆浴場、今年は残念な状況にありますが、
来年はどんなものか、ぜひ実体験してみたいと思いました。
それこそ、花やしきでの公演時に行きつけていた
浅草寺裏の「あけぼのゆ」なんか、狙ってみたいところです。
2020年5月 4日 Posted in
中野note
↑我が家の夏の平和を守ってくれるクーラー。
このありがたいメーカーが追い込まれているのではないかと心配です。
唐さんの芝居では、小道具が重要な役割を果たします。
他にも道具を重んずる劇作家や戯曲はあるでしょうが、
明らかに唐さんの"物(ブツ)"に対する偏愛は上位に入ると思います。
私たちがこれを痛感したのは、
かなり初期に上演した『ジョン・シルバー』でした。
あの芝居には、まるで"一人一品"という感じで、
それぞれのキャラクターに道具が授けられています。
登場人物たちは揃いも揃って、その小道具に向けた過剰な愛を
モノローグの中で延々と吐白するというスタイルで全編が進行する。
『ジョン・シルバー』を黎明期に選択したのは
ただの偶然だったのですが、小道具の扱いを身に付けるという意味で
早期にあの作品に取り組んだことは幸運でした。
どのように小道具を扱い、観客に見せ、
それにせりふを浴びせて効果を発揮させるのか。
あの芝居はそういった意味で、唐十郎作品における方法序説的な
位置を占めていると実感しています。
一昨日、「お岩さん」をこのゼミログのタイトルにしましたが、
彼女の名前から連想して、ふと思い出したことがあります。
唐さんとは、折に触れて『東海道四谷怪談』の話をしてきました。
「戸板返し」で有名な「隠亡堀(おんぼぼり)」をはじめとして、
唐さんにはいくつか好きなシーンがあるそうなのですが、
主人公の伊右衛門がお岩や赤ん坊との家族関係を破綻させていく場面も
大いに好みだとおっしゃっていました。
そして、ここに重要な小道具が登場します。それは"蚊帳"。
不実な夫・伊右衛門の横暴に耐え続けるお岩が、
それだけは質屋に持っていくのをやめてくれと食い下がるアイテムが、
この"蚊帳"なのです。
当時、いかに世界の他の都市と比べて清潔を誇った江戸とはいえ、
現代のコンクリート社会からすれば、虫の発生は比ではなかったでしょう。
当然、クーラーも扇風機も網戸もない。
赤ちゃん抱えた母親にとって、夏場に"蚊帳"を欠くことは即地獄を意味します。
この場面、"蚊帳"という道具をクローズアップすることで、
鶴屋南北は家庭の破綻を切実に語らしめたわけです。
唐さんは、こういう小道具が好きなのです。
時に道具は、それを取り巻く人間模様や生活、生きてきた歴史までをも背負って、
せりふ以上の雄弁さを発揮します。
ここ数日の暑さ、今年の夏はどうなってしまうのでしょうか。
2020年5月 2日 Posted in
中野note
↑稽古中のモニターはこんな感じです。
昨晩ご紹介したように今日は劇団員たちと『唐版 風の又三郎』2幕に
取り組みました。
1幕に比べて2幕は平易です。
あらかじめキャラクターや設定が出揃っているので、スイスイ進みます。
実際、分量としても、前後の幕の4分の3ほどです。
その最後の方で、毎回気になるこんなト書きとせりふがあります。
織部 バラの刺青だあ。(近づく)エリカさん。(その胸の血を飲む)
夜の男 (織部の髪をひっぱって)ちくしょうっ。高田の血を飲んだな。
高田の血を!(髪がちぎれる程にひっぱる)
後半2行の( )の中身とト書きに特に注目してください。
見事に髪の毛が抜けています。
上演する側にとってはなかなか無茶な設定ですが、
ここを読むたびに思い出される唐さんの話がありますので、
今日はこれを披露しましょう。
状況劇場を旗揚げしたばかりの二十代半ばの無名時代、
何とか頭角をあらわそうとしていた唐さんは
ある作戦を立てたそうです。
それは、当時、気鋭の映画監督として名を馳せていた大島渚監督に
役者として自分を売り込もうと考えてのことでした。
そのために若き唐さんは、
大島監督がしばしば現れるという新宿ゴールデン街のバーを突き止め、
実際に監督がいると見るや、そこで大立ち回りを演じ始めます。
つまり、友人と連れ立ってわざと派手なケンカをしてみせ、
監督の目に留まろうとしたわけです。
ところが、偽のケンカはだんだんエスカレート、
やがて二人は本気の取っ組み合いを展開します。
ついに唐さんは髪の毛を掴まれたまま、階段を転げ落ちたそうです。
あの時は頭の毛の半分が抜けた、と唐さんはおっしゃっていました。
ちなみにその友人とは、映画監督であり、
後にパレスチナに渡ることになった足立正生さんだそうです。
唐さんから伺った話ですから、虚実はどこまでも曖昧ですが、
後年『新宿泥棒日記』で大島作品への出演しを達成したことを
考えれば、作成は大成功と言えます。
もう一度くり返します。
その時、頭皮から半分の髪の毛が抜けたそうです。
2020年5月 1日 Posted in
中野note
↑相棒として、唐ゼミ☆マスコットのこの木馬がいる!
最近はよく孤独でハンディラボ(劇団で借りている倉庫)にいます。
家にいると子どもたちが襲いかかってきますし、
リモートで稽古する時には特に大きな声を出すので、最適な環境です。
去年の三月、ようやくここを見つけて引っ越したのは大正解でした。
受け入れて下さった建築家集団「ハンディハウス」に、
今また新たな感謝が込み上げてきます。
喜ばしいことに、昨日は問題をいくつか解決しました。
もう最近は『唐版 風の又三郎」1幕が気になって気になって仕方がなく、
思い出しては苦々しい日々を過ごしていますが、
禿・米澤・林の3人の協力を得て、
又三郎と教授の対決について、老婆が又三郎の正体をバラす場面について、
解決に向けて大きく前進しました。
次は、又三郎が実は女であることを織部に明かすシーンの難解さを
片付けねばなりません。
そして、かなり強引に二人の突破口が"耳の穴"に修練していくところが
成立すれば、1幕の目処が立ちます!
それはまた来週に取り組みます。
このように、劇団全体の本読みと、気になるシーンを当たる少人数の稽古、
二段階で進めています。
明日は劇団全体で2幕の後半をやる。
小道具や衣装、劇中歌の伴奏もそれぞれで作り始めています。
2020年4月29日 Posted in
中野note
↑昨日の写真のココに注目!
『唐版 滝の白糸』に取り組んでいだ時、
私にもささやかな「めぐり会い」が舞い降りたことがありました。
まずは、この戯曲についてご説明しましょう。
舞台は都市開発を目前にゴーストタウンと化した下町の長屋、
かつてそこに住んでいた青年「アリダ」が貯めた10万円を、
彼に縁のある二人の人間が奪い合います。
一人は、アリダの亡くなった兄の恋人「お甲」。
一人は、かつてアリダを誘拐して警察に捕まった「銀メガネ」。
いまだ青二才であるアリダの甘さに漬け込み、
世馴れた二人の男女が巧みに同情を引き寄せ、
10万円を手繰り寄せようとする鍔迫り合いがこの芝居の面白さです。
やがて、「10万円の奪い合い」というセコい争奪戦を飲み込むように、
長屋全体が都市開発に巻き込まれていく。その様子は、
可笑しくも無残なクライマックスを生み出します。
その際、終幕寸前の盛り上がりとして使われるのが「水芸」です。
それを繰り出す「お甲」は、小人プロレスのメンバーに
寄生して糊口を凌いでいるというなかなかユニークな設定のヒロイン。
その彼女がアリダの気を惹くために、無理やり水芸を披露する。
このシーンについて、突如として私に閃きが訪れたのです。
きっかけは、買い物を終えたコンビニの前で原付バイクが発進するのを
見たときでした。そのバイクはかなりの年季ものだったらしく、
排気マフラーがコツンとコンビニ駐車場の車止め石にぶつかった瞬間、
よほど錆びついていたのでしょう、筒の真ん中あたりにポロリと穴が
空いて猛烈な音をたて始めました。
「これだ!」と思いました。
それまで私は、『唐版 滝の白糸』終盤の水芸に違和感を覚えながらも、
突き詰めて考えてはいませんでした。
だって台本に書いてあるんですから、その通りやれば良いと。
ところが、この原付マフラーの穴に接して、
そこには歴としたリアリズムが貫かれていることを悟りました。
要するに、お甲が披露する水芸とは、
ゴーストタウンのそこここに溢れている腐食しきった雨どいや水道管、
排水管に穴を空けていくことだったのです。
置き去りにされた街ですから、すっかりボロっちくなっているわけです。
それらをポンと叩けばすぐに穴が空いて、水がチョロチョロと吹き出す。
いかにもお甲に相応しい、ショボさの中に愛嬌を感じさせる、
なけなしの水芸です。
ラストシーン、
長屋の部屋にある流しに手首を切って血をたらせば、全ての水が血に染まる。
あらゆる流水は、水道によってつながっているからです。
たった一滴に血で全ての水が真っ赤に染まるのには想像力の飛躍があります。
一方で、ゴーストタウンにおける水芸には、唐さん流のリアリズムがある。
あの時、原付バイクのマフラーに穴が空くのを目撃しなければ、
こんな気付きもなかったと思いますが、これこそ、
作品に取り組むときの「めぐり会い」、醍醐味ではないでしょうか。
『唐版 風の又三郎』を読みながら、
再びあんなことがが起こってくれないか、日々、期待して生きています。
狙いつつ、狙ってはいけない。難しいバランスではありますが。
2020年4月29日 Posted in
中野note
↑伏見行介撮影による『唐版 滝の白糸』での水芸。
後ろに伸びるホース、仕掛けがバレバレなのがポイントです。
今日は、最近よくCDを聴いている人の言葉から。
「探すべきではない めぐり会うべきである」
と、往年の指揮者ルドルフ・ケンペは言ったらしい。
なかなか素敵な発言です。
「探す」という行為にはついつい自分の思惑が混ざってしまいますが、
「めぐり会い」には余分な力が入っておらず、素直で、自然体で、
自己が透明であるところに妙味があります。
ただし、これを実践するのは非常に難しく、
一見めぐり会ったつもりでも実は探してしまっていたりしますから、
よほど用心しなければいけません。
どんなに疑いの目を自分に向けても「あれは自然な出会いだった」
と思えたら、これはかなり幸せなことです。
一方、心の底から何かが気になって、
四六時中、それこそ寝ている間も考え抜くことができれば、
人間はふとした拍子に他人には何でもないことをヒントにして、
「めぐり会い」を体験してしまうものだ、という気もします。
例えば、ニュートンのリンゴなんかはそうですね。
他にも、世界の王貞治さんが、
「バッターボックスに立つのではありませんよ。
地球を踏みしめるのですよ」
と合気道の達人に言われて打者の奥義に目覚めたエピソードも同じですね。
そもそも、かなり思い詰め、考え続けている人でなければ、
目の前のリンゴが落ちたことで重力を発見したり、
「地球を踏みしめろ」と言われてバッティングに開眼できるはずがない。
ある作品を追いかけることは、これと少し似たところがあります。
次回は、2013年に上演した『唐版 滝の白糸』の時に起こった、
私の小さな「めぐり会い」についてお話しします。
2020年4月27日 Posted in
中野note
1ヶ月前までは知りさえしなかったZOOMを、
いまや周りの人たち皆が当然のように使いこなしています。
必要に迫られるというのは、恐ろしいことです。
こういうご時世ですので、
我が劇団でもいっちょう使ってみようということになりました。
ちなみに私自身は家にいると
保育園に行くことが出来ない新人劇団員たちが襲いかかってくるので
会議や稽古どころではなくなります。
ですから、いそいそとハンディラボに出掛けます。
広い倉庫に一人か二人でいて、ワーワーやるわけです。
結論から言うと、公演のかなり前段階、作品研究的な本読みはいけます。
この時点での稽古は、あるべき姿そのものを達成するのが目的でなく、
あるべき姿を思い描き、共有することが目標だからです。
当然、本番直前2ヶ月の稽古がリモートでは立ち行きませんが、
今はむしろ、移動の時間を身体づくりに、
交通費を栄養状態の向上に回して欲しいものだと思います。
しかし、どうしても大変に感じることがある。
それは、リモートだとは全員の顔が均等に映っているので、
集中していない人がたちどころに判ることですね。
要するに、かえって死角がない。
無料段階では40分一区切りとなっているシステムは、
散漫になることが無いようにするための、
ひとつの助け舟ではないかとすら思えてきます。
その上で、
『唐版 風の又三郎』には、1幕に圧倒的な難しさを感じています。
大きな役柄がとにかく乱立している演目なので、
それぞれの主観をすべて検証することにとにかく骨が折れます。
さらに、極めて強引な設定のオンパレードです。
本を読み、仮説を立て、
その仮説に従って読み合わせする中で細部を検証、
結果を受けて仮説そのものを組み直し、またトライ
こういう作業のオンパレードです。
この前、ワークショップでやった又三郎vs教授の場面は、
正直言って自分のミスリードがあり、上手くいっていません。
何度でも考え抜き、読み合わせで試しながら、
早く"あるべき姿"を見つけ出さなければなりません。
そのようなわけで、ここ二週間ほどは特に悶々としています。
2020年4月26日 Posted in
中野note
↑歌う唐さんをリードする小室等さん。稲荷さんもいます!
このタイトルで書いてきたら、
最後に小室等さんについて触れないわけにはいきません。
もちろんこれは、先ごろ亡くなった別役実さんが作詞、
小室さんが作曲して歌われたヒットソングのタイトルですから。
(と、今日のお昼に劇団員と喋っていたら知らなさそうだったので、
ここに書いておきます)
小室さんと私自身のご縁はたった一度だけ、
2011年の『21世紀リサイタル』にご出演頂いた時のことでした。
唐さんの劇中歌を特集するイベントで、
唐さんご自身が歌うパート伴奏をお願いしたのです。
これまで、それこそ『唐版 風の又三郎』の安保由夫さんをはじめ、
何人もの方が唐さんの劇中歌を作曲してきました。
その草分けは、何と言っても小室さんです。
初期、60年代の唐さんの歌は、
まだ専門の作曲家が現われる前なのでヒット歌謡の替え歌が多いのですが、
いよいよ小室さんとの出会いを経て、
『少女仮面』の『時はゆくゆく』『三月三日が』
『腰巻お仙 振袖火事の巻』の『かえるが泣くから帰るなら』
『吸血姫』の『夏の海辺に行ったとき』『月がかげれば』
などが立て続けに生まれます。
ちなみに、あの『ジョン・シルバーの唄』の作曲は小室さんになのですが、
あれはイタリアの名歌手・ミルバの『リコルダ』というカンツォーネを
気に入った唐さんが🎵フンフンと歌ったハミングをもとに、
小室さんがまとめて誕生したそうで、
もう小室さんご自身にも「自分で作った」という感じがしないそうです。
それでもやっぱり、
小室さんがまとめなければあれだけのメロディは生まれないと思いますので、
私にとっては、いかにも若き日の集団創作の現場という感じがする
エピソードだと思います。
話を2011年に戻すと、
伴奏をお願いするために初めてお目にかかった小室さんは、
圧倒的な"大人"でした。
こちらは素人丸出しで、予算が無もあまり無く、
唐さんが練習するための伴奏の録音をお願いしたのは
北池袋にある、若手が練習するようなレンタルのスタジオでしたが、
嫌な顔ひとつせず、ご自身でギターを抱えてやってきて下さいました。
本番前日に実際のメンバーでリハーサルを行い、
その時が実に久しぶりの小室さんと唐さんの再会でしたが、
お世話役として緊張しながらも、充実の時間でした。
そしてリハーサルも、もちろん本番も、
伴奏を置いてどんどん先に歌いたくなってしまう唐さんに、
小室さんがピタリとつけていくのです。感動的なサポートでした。
バンドを担当してくださっていたNRQのメンバーも、
「やっぱり小室さんはすごい! 一緒にやっていて楽しい!」
と口々に言っていました。
腕利きの彼らをして、やはり小室さんは大先輩という感じがしました。
以来、初期の唐さんの戯曲に挑む時には、
とりわけ丁寧に小室さんの事務所に連絡をするようになりました。
その度に、「唐さんの関係の人は基本的に応援しますよ」という
温かな対応を受け、勇気づけられています。
また、当時、小室さんが東中野で定期的にやられていたライブで、
あの永六輔さんの生のお話を伺えたのも、
自分にとって"間に合って良かった"という特別な体験でした。
「雨の日はしょうがない」と歌う小室さん。
「何で楽日で降るんだよお」と言い続けた唐さん。
時間が経ち、80年代に共同作業した
『ジャガーの眼』のヒロインが歌う『♩私は見ていた』を口ずさむと、
お二人に共通する熱さのなかに、小室さんの温かさが聴こえてきます。
2020年4月24日 Posted in
中野note
↑その頃の私たちは『鐵假面』に取り組んでいました。
尽きない雨の話題。今日は唐さんの話をします。
私が紅テントを観られるようになったのは、
大学に入学した1999年春の『眠り草』からです。
以来、唐組の本番は全公演に立ち会ってきましたが、
中でも抜きん出て雨の記憶が濃いのは、
2007年春に上演された『行商人ネモ』の千秋楽でした。
あの日の大雨はすごかった。
記録によると6/17(日)の公演ですから、まさに梅雨まっ盛り。
スコール性の大雨が猛烈に天幕を打ちつづけた公演でした。
特に凄絶だったのは2幕中盤、
クライマックスを目前に主演の稲荷さんの見せ場がやってきました。
『オイディプスは母と寝た......』という冒頭から繰り出される
延々とした長ぜりふを述べるのですが、
はっきり言って、先に上げたフレーズしか聴き取れなかった。
渾身の力を込めて声を絞り、
伝えるべき単語を立てに立てて物語を届けようとする稲荷さん。
その努力は悲壮な感じさえしました。
すると、せりふこそ聞こえないものの、やがて舞台は異様な迫力を帯び、
稲荷さんの背後に湯気が揺らめくようなシーンが現れました。
しかし、雨は情け容赦なくテントの屋根を叩きつづけ......
結局、この日の雨が止むことはありませんでした。
終演後は、出演者も観客もお互いを称え合うような雰囲気でした。
忘れられない舞台になった、そういう言葉が取り交わされたと
記憶しています。
あれはあれで良かった。だってテント芝居じゃないか。
その場に立ち会った皆が心からそう感じていたと思います。
が、一人だけ納得していない人がいました。唐さんです。
唐さんはその晩こそ胸を張ってお客さんの相手をしていましたが、
二日後の夜、ベロベロに酔っ払って私に電話してこられました。
そして、「なんで楽日なんだ。なんで楽日でなんだ」と、
繰り返しおっしゃるのです。
はっきり言って、あれはもう不満や愚痴こぼしというレベルを超えて、
泣き言の域に達していました。
とにかく電話ごしに伝わってくる地団駄感がハンパない。
当時、67歳だった唐さんがあまりにジタバタするのに、
私は唖然としました。
だってこの人こそ、テント芝居を標榜する張本人なのです。
自ら「暗雲よ来い!」という人なのです。
それでも、「やっぱりせりふが聞こえなきゃイヤだ」と言う。
この正直、この偽らざるワガママ!
唐さんは、芝居が決して安心のなかにあってはいけないと言います。
けれども、やっぱり自分の託したせりふや物語が伝わらないのも、
イヤでイヤで仕方がない。
矛盾です。けれどもこの盾と矛はともに極めて強靭。
雨よ来い!そして雨なんか絶対に来るな!そういうことなのです。
2020年4月24日 Posted in
中野note
伏見行介さんの写真より『吸血姫』2幕で「氷の海」について語る場面。
ああいう寒いシーンには、冷たい雨降りも有効でした。
4/20(月)にした話の続きです。
あの時お伝えしたように、
雨が本番にぶつかるというのは実はかなり稀なのですが、
やっぱりテント演劇にとって、避けられないものでもあります。
私たちの記憶の中で「これは降って参ったなあ」と記憶に強烈なのは、
2012年の秋に浅草花やしきの駐車場で上演した『吸血姫』です。
何日目だったかは忘れてしまいましたが、早くも芝居の序盤から
テントの横から客席に浸水して水たまりができる。
長年使ってきたために天井幕の擦れて薄くなっているところから雨漏り、
鉄骨を器用に伝ってきた滴も含めて、
お客さんの頭や肩をポタリポタリとやり始めました。
心配になって一番後ろから客席を覗いてみると、
それを避けるために身を捩っている人が何人もいる。
これはいかん、ということで、
あの芝居は長い三幕もので休憩が二回ありますから、
1回目の休憩の時に花道に出て行って、
困っているはいないか、大声で投げかけました。
「こっち、雨漏りしてる!」
「こっち浸水してる!」
などと声が一斉に寄せられましたので、
雨漏りの場合はちょっとズレてもらってそこにバケツを置く、
浸水の場合は、これはもう短時間ではどうしようもないので、
座っている位置そのものを豪快に引っ越してもらいました。
確か、あの日は楽日近くで満席に近い状態でしたけれど、
そういう時は皆さん心が一つになっていますから、
すごくよく協力してくださって、大いに助けられました。
そんな具合にワーワーやっていましたが、
あの晩は寒くて、客席の後ろに置いてあった石油ストーブに
何かの拍子につまずいてしまった。
上に置いてあった薬缶が転んでお湯がザーッとなったんですが、
たまたまそこには人がいなくて助かったのを、よく覚えています。
かなりヒヤリとする場面もありましたが、
こういう風に、起こってしまったことは嬉々として乗り越えるのが
テント演劇であり、また演劇そのものだとも思います。
2回目の休憩の時にも出て行って「大丈夫かあ
!?」
と問いかけたら、「大丈夫だ!」って口々に飛んでくる。
こうなるともう、客席は劇と劇団の味方で、
せりふを吐く息が白くたなびくような晩でしたが、
百何十人かで心を一つにして乗り越えた、という1日でした。
良くも悪くも、普通に芝居を観る、それで劇の評価をもらう、
っていうのとはだいぶ違うところまでいってしまう、
そのこと自体に盛り上がってしまう、
そういう要素が多分にありますが、
「こうなりゃイベントだ。ドキュメンタリーだ!」と腹を括って
別のスイッチを入れ、状況をショウアップするようにしています。
圧倒的な現状肯定、これが基本です。
明日は雨と唐さんについて、思い出したことを話しましょう。
2020年4月21日 Posted in
中野note
かつて、登場したてのフリクションは画期的でした。
それまで台本に間違った書き込みするのを怖れていた私に、
試行錯誤のチャンスを与えてくれました。
唐さんはブルーブラックの万年筆を愛用されていますが、
私はライトブルーのフリクションを気に入っています。
今日は明後日のワークショップのお知らせです。
狙うのは1幕中盤。
又三郎(実はエリカ)が教授を追い込み、
あと一歩のところで逆転を許してしまうプロセスに注目します。
例えば、こんなせりふ。
教授 論理と釣合はバッサリ崩れ、地獄のフタが踊っても、
バッサリ崩れぬものがある。ちゃんとよんでも、逆さによんでも、
それはテイタン、タンテイ、タンテイ、テイタン。
これは何でしょう?
どんな風に言ったら良いのでしょうか?
ちなみに、テイタンとは「帝國探偵社」の略。タンテイは「探偵」です。
唐さんのせりふは詠んで良し、聞いて良しの流麗さですから、
ついつい耳心地が良くなり、喋ることそのものの気持ち良さに
溺れてしまいがちです。
でも、私たちのワークショップでは、
それをそのままにしておかないことから始めます。
やっぱり、何が言いたいのか判って言いたいから、そこを追いかける。
これは要するに、
かなり追い込まれてしまった悪役「教授」が
「自分は立派で、相手より絶対に正しい。オレの立場は揺らがないんだ!」
と自らに言い聞かせ、鼓舞し、体勢を立て直す時に喋るせりふです。
形勢有利な相手に負けじと、自分を奮い立たせているわけです。
一行目などかなりユニークな言い回しですが、
端的に言って、論争に負けそうになっている様子が伝わってきます。
ここで、ちょっと筋を追いかけると、
エリカは、ようやくこの代々木のテイタンを訪ねた主目的である
ヒコーキ乗り逃げの高田三郎三曹の話題に切り出して
教授を追い込みますが、教授は自分を奮い立たせ(①)、
周囲の助けを得ながらこの危機を脱します。
するとそのやり取りを見ていた高田家の老婆は又三郎を見限る。
又三郎が女であることを白日のもとに晒すのは、
当初は身内であった老婆である、
というスリリングなシーンが展開します。
一度は追い込まれた教授と又三郎(=エリカ)の関係は完全に逆転。
エリカによる決死の挑戦。その第1回目は惨敗に終わります・・・
この、①の部分に来るのが上記の面白いせりふです。
ここらへんを実地にやってみようと思います。
2020年4月21日 Posted in
中野note
↑久々に雨宿りをしました。どなたかの家の軒先を借りています。
一昨日前、嵐のような大雨が降って、昨日は快晴。
そしてまた、今日は大雨。
写真は、もう止んだと早合点して外に出たあと、
いきおい降ってきたものですから、
急いで近くの屋根のある場所に駆け込んだ時に撮りました。
一人であれば猛ダッシュで帰りますが、
自分の胸元で娘が寝ていたのでそうもいかず、
仕方ない、しばらくじっとしていました。
日本は年の3分の1が雨だと言われていますが、あれはウソです。
人間は、1日に1時間でも雨が降れば
「今日は雨だった」と感じてしまうことがありますが、
実際、ほとんどの時間は晴れているか曇りなのです。
それが証拠に、今日、平和島パーキングエリアのトイレで見かけた
注意書きにもこうありました。
そう。「雨天の時間は全体の約1割に満たない......」。
全くその通りなのです。
私が常日頃これを感じているのは、
ひとえにテント演劇に邁進しているからです。
なんだかんだ言って、なかなか公演本番中に雨が降っていることは少ない。
雨に当たればかなり運が悪い。経験則的にそういう実感なのです。
20歳過ぎの初心者だった頃、
夜中に雨降りのテント劇場にいるのが、嫌で嫌で仕方ありませんでした。
あの中にいると、外にいるより雨音をずっと大きく感じますし、
屋根のところどころに水が溜まってくるのを、
定期的に棒で突っついて落とさなければなりません。
あと、虫が劇場の中に入ってきて耳元でブンブン飛んだり、
刺されて痒くなったりするのが、たまらなく嫌いでした。
虫たちからすれば、自分も雨宿りをしにきたところに、
ちょうど良いのがいた、という感じでしょう。
何か、こいつらのために苦労してテントを立ててやったようで、
腹も立つわけです。
後年は全然平気になり、さらに巧みにベープを持ち込んだりして
何でもなくなりましたが、ごく初期の頃、
夜なか中、棒で屋根幕を突き続けてヘトヘトになった時には、
もうボンヤリと、膨らんでいく屋根をただ眺めていたことがありました。
それでいて、やはりハッと我に帰って、エイッと突くのです。
翌日、ことの次第を報告すると唐さんは大変によろこばれ、
「それは良い経験をした。それこそ青春である」と絶賛されました。
当時は気が気でなく、
何を褒められたのかよく判りませんでしたが、
今にして、理解できるような気がします。
目的をすっかり忘れてしまい、ただ身体だけが動いている時間
とでも言うのでしょうか。
本当に久しぶりに雨宿りをして、少し思い出されました。
一方で、雨の日の公演と唐さんについても思い出すことがありました。
せっかくなので、また明日に書こうと思います。
2020年4月18日 Posted in
中野note
↑その日のカーテンコール。一旦、客席に入ったからか、
大久保さんは履き物を履いていないことに、これを見て気付きました。
一昨日の続きです。
『ジョン・シルバー』再演時の2日目、
大久保鷹さんに唐ゼミ☆の舞台に登場してもらった話です。
あのようにして何とか1幕をやりおおせました。
上演時間は大幅に延びつつありましたが、
ステージはいきおい華やぎました。
即興の面白さがありすぎるほどあり、
この魅力はそれまでの唐ゼミ☆には無かったことでした。
そして2幕。
場面は海の見える床屋です。床屋の店主が見守る中、
常連客である紳士を小春が訪ねている場面から後半がスタートします。
大久保さんといえば、初期の唐作品における「床屋」が当たり役。
唐さんがレコード化した発禁歌謡『愛の床屋』にも鷹さんバージョンが
あるほどです。そこで、「床屋さんの先輩の床屋さん」という役で、
2幕冒頭にいきなり登場して、歌ってもらうことにしました。
しかし、ここでもニヤニヤと登場した大久保さんはなかなか歌い出さない。
土方巽さん直伝なのでしょうか、
それこそ「舞踏」のような動きに「ワァオ!」「ワァオ!」といった
謎の歓喜の声を繰り返して、ひたすら小道具のカミソリを研ぎ続けました。
ずっと「ワァオ!」しか言わないんですが、
身振りで、唐ゼミ☆の床屋役の渡辺くんにも「ワァオ!」と言えと指示します。
この辺りは実に「先輩」と「後輩」で、
「こうやってやるんだ!」とばかりに鷹さんが「ワァオ!」。
つられて渡辺くんも「ワァオ!」。
初めはおずおずとしていた渡辺くんも、だんだん堂々と「ワァオ!」。
このやり取りが大いにウケて、一通り客席も温まったところで、
ようやく鷹バージョンの『愛の床屋』を披露して、引っ込んでいかれました。
これは、いかにも先輩が実施に手ほどきをしてくれている温かさもあり、
とにかく面白かったですね。
そうそう、一昨日書き忘れましたが、
例の1幕のカゴかきのシーンでは、
本番中に舞台上でギャラ(薄謝)を渡す、というギャグもやってみて、
これも大いにウケたことを昨晩に思い出しました。
色々やりましたが、大久保さんには、舞台本番の遊び方と、
特に1幕が顕著だったのですが、大いに遊んだ後の舞台の引き締め方を
伝授されたように思います。
これは、ちょっと大衆演劇的なやり方でもあるのですが、
真面目にやる→崩してふざける→より真面目にやる→さらに茶化す
→もっと大真面目にやる
というのを自在に操れるようになると、
生身の役者のドキュメントと登場人物の背負っている物語が
同時に並走して、ナマで観る舞台の醍醐味を味わえますね。
あの徹底した遊び方と行き過ぎた真剣さのバランス。
胸を借りるというのは、ああいうことを言うように思いました。
2020年4月16日 Posted in
中野note
↑一番奥にいる、派手な着物の人が「カゴかき③」です。
昨日の続きです。
青テントのお披露目となった『ジョン・シルバー』再演は3日間の公演
でしたが、その初日は散々なものでした。
で、そこに観劇に来てもらっていた大久保さんが、
2日目の舞台に立つことになった。
明日までに何か考えようということで、
確か室井先生のポケットマネーでその晩は横浜のホテルに鷹さんに
泊まってもらい、翌朝、中華街で朝粥を食べながら作戦を練りました。
結果、出番を2箇所考えて、
1幕と2幕で一回ずつ出てもらうことにしました。
1幕。
一応は現代劇にも関わらず、あの芝居のヒロイン・小春は
何故かカゴに乗って現れます。
そのカゴかき役の3人目ということで出てもらいました。
「カゴかき①」が兄貴分。「カゴかき②」が弟分。
大久保さんが演ずるところの「カゴかき③」は②のさらに弟分。
という設定です。
もともと、①が何か言うと、②はひたすら「そうだ、そうだ」と言う。
さらにその「そうだ、そうだ」が盛り上がって「炭酸ソーダの唄」に
至るという、他愛なくも演者にセンスが求められる仕掛けです。
で、いきなり出ていった鷹さんは、
②の後に輪をかけて「そうだ、そうだ」と言い続け、
①②が歌う「炭酸ソーダの唄」の歌詞をステージ上でコピーしながら
かなり即興で歌いました。
当然、一人だけやたらに余裕な人が明らかに場当たりでやっているので、
ウケます。
その後、カゴかきたちが小春を手ごめにしようとし始めたところに
ふんどし姿の紳士が登場して暴漢たちをなぎ倒し、
カゴかき去る→紳士は小春に一目惚れ→2幕 床屋で二人は再会、
という風に、芝居は運ぶわけです。
が、ふんどし紳士がカゴかきたちを倒しているにも関わらず、
あの人、ステージ上から全然去ろうとしない。
一応、やられたリアクションは取ってくれるんですが、
元気いっぱいに駆け回って、とにかく引っ込んでくれないんですね。
それが、あまりに続いたので、
客席は喜んでいるけど、こりゃ芝居が破綻するなと思った私は、
舞台袖からロープを投げ込んで、つまみ出すように言いました。
結局、紳士・カゴかき①・カゴかき②が3人掛かりで、
カゴかき③をロープでグルグル巻きにして、
ステージ脇にポイと捨てることで、
ようやく長い長いシーンが終わりました。
大いにウケて、うちの役者たちはかなり嬉しそうでした。
それから、ここが大事なことですが、
そんな風に遊び尽くした後、紳士が小春に一目惚れする場面には、
芝居の本筋に引き戻すために、いつも以上の集中力がありました。
・・・長くなってしまったので、これは明日も続けましょう。
明日は2幕の出番の話です。
2020年4月14日 Posted in
中野note
↑インターコンチを睨みながら、初めて立てた青テント
一昨日、昨日のゼミログで大久保さんにお世話になったので、
もう一発、鷹さんとのやり取りを振り返ってみましょう。
初夏や秋に公演することの多い私たちは、
ただ一度だけ4月に公演したことがあって、それは2004年のことでした。
確か4/23(金)-25(日)の三日間だったと記憶していますが、
場所はみなとみらいにある臨港パークの「汐入の池」付近。
演目は『ジョン・シルバー』の再演。
海賊ものをやるというので海から10mの海岸に進出したわけですが、
青テントを新たに用意し、初めて大学の外に出てテント公演をしたのが
この時でした。
かなり意気込んできたわけですが、
当然ながら不慣れな資材運搬とテント設営には時間がかかる。
何より、強風にはかなり悩まされました。
どのくらい風に煽られたらテントが耐えられなくなるのか、
初めてのことに感覚の掴めない私たちは、
劇場ごと浮き上がって飛んでいってしまったらどうしようと恐れ、
全員がポケットにカッターナイフを忍ばせていました。
どうしようもなくなっても、
とりあえず壁面のテント幕に亀裂を入れれば、最悪の事態は避けられる。
初めての青テント興行にも関わらず、私たちは悲壮な決意をしていました。
真剣でした。
さらに、平日はなりを潜めていた観光用ヘリコプターが
目と鼻の先の発着場からナイト・クルージングし始め、
人口の強風と爆音が週末の公演日になって現れた時は唖然としました。
ヘリコプターの真下は、すぐそばにいる人の声でさえ
何を行っているのかわからなくなります。
それが定期的にやってくる。
それを見るなり一目散に走っていって、
私は発着を取り仕切っているスタッフの人に、
せめて飛び立つ方向、帰着する時のルートだけは、
テントと反対側の角度にしてもらうよう交渉し、
了解してもらいましたが、
多少緩和した程度の成果しか得られません。
まったく、せっかくの青テントデビューが、
芝居どころではない初日となってしまいました。
途方にくれるとはこのことです。
そして、そのような混迷のうちに、
どのような経緯だったかは忘れてしまいましたが、
たまたま初日を観に来て下さっていた大久保さんが、
二日目の公演に"乱入"することになったのです。
続きは、また明日。
2020年4月14日 Posted in
中野note
昨日の続きです。
『腰巻お仙 百個の恥丘』上演時に目をつけた場所こそ、
箱根山と戸山ハイツに囲まれた窪地、
『腰巻お仙 忘却篇』の会場となったこの土地でした。
本番時は通行中の人々にタダ見されないよう、
窪地であるのを利用してムシロで壁面をつくり、
劇場空間の外部と内部を分けたそうです。
勝手に住宅街に乗り込みつつも、
興行についてかなりシビアな感覚を持っているのがいかにも唐さんであり
強く打たれましたが、残念ながら観客は20人くらいだったそうです。
写真は、麿さんがいかにスピーディーにリアカーで駈け降りたかを
大久保さんに熱っぽく再現してもらっている様子です。
この時の麿さんは、異様なまでの高さの白い帽子、
医者にして犬殺しという設定でした。役名は「ドクター袋小路」。
リアカーの荷台には、ドクターに狩られた犬という設定で、
鼻の頭を黒く塗った唐さんが仰向けに倒れていたそうです。
さらに、ここが重要と言って教えて下さったこの場所。
大久保さんがかなり執拗にこの階段の脇の一角に拘るのは、
かつてはここで、かの土方巽さんと澁澤龍彦さんが
並んで座って観劇していたからなんだそうです。
私にも経験がありますが、
夜の野外劇というのは暖かな季節でも肌寒さを感じますので、
お二人は一升瓶を手に、チビリチビリやりながら
ご覧になっていたそうです。
銘柄はおそらく「剣菱」。『こち亀』の両さんも好きなあのお酒です。
それにしても、
よくもまあ、このような住宅街に芝居を仕掛けたものだと感心します。
警察に通報されて揉めるのも、当然といえば当然。
まさにご愛敬、芝居の一部というところでしょう。
と、このように2時間半程度のレクチャーと散策をしました。
密閉空間の危険性がとみに叫ばれる昨今、
このようにして私たちは外の空気を吸いながら、
今日の芝居がいかにあるべきかを真剣に考え、試行錯誤しています。
2020年4月12日 Posted in
中野note
過日、天気の良い日を狙って、
かつて況劇場により行われた公演の現場検証を行いました。
上の写真は、メイン・ステージとなった広場に立ち、
どこから役者たちが登場したのか話し合っている風景です。
現場は東京都新宿区にある戸山ハイツ。
ここは、唐さんのキャリアにおける初期中の初期、
紅テントを発明する前に行っていた試行錯誤の痕跡を残す場所です。
案内人はもちろんこの方。
そう、ご存知 大久保鷹さんです。
まずは、1966年『腰巻お仙 百個の恥丘』の現場から。
ここは都営の公団住宅「戸山ハイツ」の近くにある広場で、
かつてあった豪華50mプールが使用されなくなり、
廃墟化していたところを目ざとく見つけて公演会場にしたとのことです。
現在では「ジャブジャブ池」と呼ばれる極めて浅い池があり。
夏になると小さな子どもたちが水遊びができることが分かりました。
しかし、オムツ装着の子はダメ、小学生以上はダメ、
という厳格な取り決めにより、対象年齢3〜5歳という
極めてコアな年頃の児童だけを相手にしているようです。
あまりにものどかなこの場所を、
約半世紀前には金粉塗りたくった半裸の役者たちがウロウロしていたわけです。
ここで公演を行った時に、
「ア、向こうの方にもっと良い場所がある!」
ということで、『腰巻お仙 忘却篇』を展開したあの会場を発見したとのこと。
そこの調査の様子は、また明日。
2020年4月11日 Posted in
中野note
↑熊野は、『海の牙〜黒髪海峡篇』の名和四郎で頭角を現しました。
昨日のワークショップでは、
元自衛隊員が「帝國探偵社」で働く悲哀と執着、面白さを追いかけました。
ところで、初演で乗り逃げの「高田三郎」を演じたのは、名優・小林薫さんです。
状況劇場を退団後、映像を中心に活躍されている小林薫さんは、
どちらかと言えば寡黙で、渋い役柄が多い印象があります。
最近だと『深夜食堂』がつとに有名ですが、あのマスターも多くを語りません。
しかし、唐さんの芝居で出演されていた頃は、
異様なまでの饒舌、長ぜりふで大活躍されていました。
『蛇姫様』の「権八・伝次」
『ユニコン物語』の「八房」
『女シラノ』の「Mr.オナラ」など、
70年代後半の作品における悪役・敵役が大人気だったそうですが、
その才気により長ぜりふに開眼し、注目され始めたのは、
73年秋の『海の牙〜黒髪海峡篇』の「名和四郎」
74年春『唐版 風の又三郎』の「高田三郎三曹」だったようです。
いずれも、とにかく喋りまくる役ばかり。
1996〜2005年に単発ドラマとして放送されていたドラマ『ナニワ金融道』
で演じられた主人公「灰原」の先輩「桑田」役を観ると、
紅テント時代の片鱗を伺うことができます。
あの金融会社の名前は「帝國金融」。
やはりここにも「帝國」が存在するのが、面白いところです。
2020年4月 8日 Posted in
中野note
↑2012年秋に唐ゼミ☆が公演した『吸血姫(きゅうけつき)』2幕
伏見行介さん撮影
初めに宣言しておきますが、
明日のワークショップは『唐版 風の又三郎』の1幕終盤をやります。
昨日の記事を書いてみて一晩経ち、
唐さんから教わったある詩人のエピソードを思い出しました。
紅テントの公演には、いつも多くの文化人が出入りしてきました。
初期から関わりの深かった澁澤龍彦さんや寺山修司さんがそうですし、
柄谷行人さん、山口昌男さん、大江健三郎さん......
それこそ枚挙に暇がありません。
今年、没後半世紀を迎える三島由紀夫さんには
ついに自分の芝居を観てもらえなかったと、
唐さんは残念そうにおっしゃっていました。
その口ぶりからすると、どうもあと一歩のところだったようです。
土方巽さんという共通の知り合い、強力な媒介者がいたわけですから、
唐さんが初期に書いた『アリババ』という劇のタイトルを
三島さんが気に入って、気にかけていた、
などといった情報を唐さんは得ていたようです。
野心溢れる唐さんが、アンテナをビンビンに立てながら、
さて、誰に自分の才能を認めさせようと
手ぐすね引いている当時の様子が眼に見えるようです。
本題に戻ると、1971年に『吸血姫』を上演していた頃、
『どくろ杯』『ねむれ巴里』で有名な詩人の金子光晴さんが
紅テントにやってきたそうです。
金子さんと言えば、1895年のお生まれですからすでに70代半ば過ぎ。
唐さんは座長として緊張しながら"詩人"をお迎えし、芝居がハネた後、
どんな環境で詩作をされているのか金子さんに質問したそうです。
返ってきた答えは「台所のまな板の上」。
これに唐さんはいたく感動したといいます。
先日のドトールコーヒーもそうですが、
唐さんにはそういう地に足のついた状況をむしろ誇るところがあって、
私はそういう部分をすごく尊敬しています。
かつて室井先生が、横浜国大に唐さんを招聘された時、
横浜駅から大学まではタクシーを拾ってください
とアクセス方法を伝えたら、
僕はバスを使います、というような返事があって、
その答え方にある種の凄みを湛えていたそうです。
私が出会った時、
唐さんの好きなお酒は、並居る高級酒を無視して一途に「いいちこ」。
"下町のナポレオン"。まさにそういう感じです。
2020年4月 7日 Posted in
中野note
↑横浜駅構内にあるドトールコーヒー。
いつもはごった返し、待ち合わせのランドマークともなるこの場所ですら、
このところ閑散としています。
先日、神奈川芸術劇場で働く先輩演劇人とお話ししていましたら、
如月小春さんの逸話を伺う機会がありました。
如月さんと言えば、唐ゼミ☆の舞台監督・齋藤亮介が、
演出助手としてお正月にお世話になった、
山田うんさん演出『NIPPON・CHA!CHA!CHA!』の作者。
美貌の女流作家として、2000年の早逝が惜しまれている方です。
聞けば、如月さんは大活躍されていた時分には、
都内の自宅からわざわざ京王プラザホテルに宿泊し、
カンヅメになって執筆に当たられていたそうです。
現在とは違ってたいへん景気の良い時代に手腕を発揮された方とはいえ、
そのようにしてご自身を鼓舞しながら劇作に向かう姿を想像すると、
いかにも時代の先端を走る作家という感じがします。
一方、我らが唐さんはと言えば、
過去に編集者の計らいで、文壇における御茶ノ水の名所、
山の上ホテルで執筆に当たられたと伺ったことがあります。
しかし、興が乗れば恐るべき速筆となる唐さんのことですから、
原稿はさっさと書き終えて時間を持て余し、
劇団員をホテルに呼び寄せては、レストランで出版社持ちの豪華料理を
召し上がっていたとのこと。いかにも唐さんらしい光景です。
私が知り合ってからの唐さんは、
基本的にご自身の書斎で執筆をされていました。
時間はもちろん早朝です。
朝5時には起きて書いているとよくおっしゃっていました。
ところがある時、作品が何だったか思い出せないのですが、
ご自宅の外にちょうど良い場所を発見されたと言うのです。
それは、ドトールコーヒー阿佐ヶ谷店。
あのドトールコーヒーで、
周囲の人たちの雑多な会話を盗み聞きしながら書くと、
アイディアも湧き、すごく筆が進むと嬉しそうに言うのです。
店にたむろする大半の青年たちが、懐にドスやジャックナイフを
忍ばせているような連中ばかりだともおっしゃっていました。
唐さんたくましい妄想にかかると、
そんな風景が広がっているそうなのです。
一杯につき200〜300円のコーヒーでかくも加速する創造力。
まさに錬金術です。
2020年4月 6日 Posted in
中野note
↑松原商店街の「魚幸水産」
街の中にも名ぜりふはあります。
私の自宅は、横浜市内でも指折りの規模・賑わいを誇る商店街である
「松原商店街」の近くにあります。ここは言わば、横浜の「アメ横」で、
年末のローカルニュースでしょっちゅう特集される名所でもあります。
とりわけ、中央に位置する魚屋「魚幸水産」は
マグロの解体や柵売りが常時なされており、
飲食店と家庭の仕入れが入り乱れる、「松原〜」を象徴するお店です。
私はどちらかと言えば、
パン屋さんや和菓子屋さんなどを日常的に使っていますが、
劇団の皆で食事をつくって食べる機会には、
量を安く買えるこのお店を利用します。
先週末、自粛要請により静まり返る横浜駅とは対照的に、
「松原〜」は絶好調の賑わいを見せていました。
当然ながら「魚幸水産」の若い衆も元気いっぱい。
いつにも増して大音声と気の利いた呼び込みで、
お客さんの心を鷲づかみにしていました。
曰く、
「イワシ10匹300円がここから200円だ!
もうパンドラの箱、開いちゃってるよ!!」
ちなみに「パンドラの箱」と言えば、
懐かしき「脳内メーカー」によると私の頭の中はこんな感じです。
2020年4月 5日 Posted in
中野note
↑いつも集まる「ハンディラボ」は、いかにも「アジト」という感じです。
次回、4/9(木)のワークショップより、会場を変更します。
これまでは、野毛の都橋マーケットにあるバー「はる美」を会場として
きましたが、これからは我らが本拠地「ハンディラボ」にご案内します。
また、それに伴い、参加料を1,500円から1,000円に値下げします。
「ハンディラボ」は綱島駅か、鶴見駅からバスという立地にありますので、
バス代がかかるからです。
まあ、私たち自身は綱島駅から20分強歩いたりもしますので、
慣れたらジュース代にしてください。
理由はやはり、こういう時世ですので広さを確保したいと思いました。
通常なら、「はる美」の距離感は声を張り上げる必要もなく、
台本について考えながら声に出して読むに最高の環境でしたが、
今となってはこの手狭さが玉に瑕です。
その点、「ハンディラボ」ならかなりの広さを確保することができます。
それにしても、世の中たいへんな状況になったものです。
先週末も仕事の帰り、野毛のメインストリートを車で横切りましたが、
いつもなら満席必至の路面店の居酒屋さんにお客さんの姿は皆無、
おそらくアルバイトであろう従業員さんが、
声を限りに呼び込みをしていました。
空席である以上、店主さんとしてもこのような行動を託すしかなく、
時給を受け取る側もこうして店に貢献するしかないという
切実さが伝わってきました。
このまま、一般人外出禁止、
戒厳令下のような状況になってしまうのでしょうか。
「戒厳令」といえば、日本では2.26事件が有名ですが、
1972年に唐さんたちが韓国での『二都物語』上演を決行した時、
首都ソウルには戒厳令が敷かれていました。
西江大学の広場での野外公演だったそうです。
今までは記録として読んでいた当時の上演の様子が、
私たちの中で以前より現実味と熱を帯び始めています。
これが「自粛要請」であるうちは、
日々の稽古も公演も、変わらずに行っていきます。
2020年4月 3日 Posted in
中野note
↑2014年、夏の扇町公園
トラック演劇の会場を用意して下さったのも武田一度さんです。
大阪に「犯罪友の会」という素敵な名前の劇団があります。
代表は武田一度さん。これが実に面白いおじさんで、
2003年に初めて大阪で公演できることになった時、知遇を得ました。
私たちが割と早期に関西まで巡業できたのは、
やはり大阪で活動する劇団KIOの中立公平さんのお招きによるもので、
作品は『鉛の心臓』という演目でした。
私は大阪でも気合いの入った演劇人の一人である武田さんのところに、
その中立さんに連れられて伺ったのです。
初対面の武田さんは嬉しそうに私からの挨拶を受けると、
アルバムを開いて、ご自身の野外劇について説明してくださいました。
私は初めて、世の中に丸太1,200本を組み合わせて造る野外劇場が
あることを知ったのです。
まるで映画村の一角が期間限定に現れたようだと、感嘆しました。
あの時は昼間だったのですが、
武田さんは私にお茶がわりに缶ビールをお勧めになり、
「唐十郎の弟子」に対する武田さんの期待を裏切っていけないと、
私はかなり頑張りました。
現在では体質的に全く飲めないことを面白く伝える術を身に付けた
私ですが、当時は初心でした。
武田さんは気さくに、
状況劇場の『二都物語』に衝撃を受けたことや、
いずれ船を使った芝居をやってみたいこと、
若手演劇人が使う「ファンタジー」という言葉が気に入らないこと、
「犯罪友の会」という劇団名ゆえに重ねた苦労について、
語ってくれました。
後に観た武田さんの劇は人情味があって、
恐ろしく生真面目に創られていて、ご自身の分身のようにシャイで、
けれども最終的に独特のユーモアに至るところに、愛着が湧きます。
お互いの劇を観た回数は残念ながら少ないのですが、
確かな友情があって、年賀状や公演案内を通じて励まし合っています。
初対面の時、武田さんは、
「君は若いけれど、劇団員に厳しくし過ぎたらダメだよ」
と諭してくれました。
かつて、武田さんはメンバーに厳しくし過ぎたために、
全ての劇団員が辞めてしまったことがあったそうです。
けれども、一人で稽古場に通ううち、戻る人、加わる人がいて
現在に至ったとも、教えてくれました。
一人でも稽古場に通った武田さんを想像すると、
実直で、ちょっと可笑しくて、勇気が湧いてきます。
明日は、劇団集合です!
2020年4月 1日 Posted in
中野note
写真は2017年4月1日に撮ったものです。
この日、私は神奈川芸術劇場の館長付として仕事をするようになり、
SANEYOSHIは保育室に初めて登園しました。新人同士でした。
あれから3年が経ち、昨日SANEYOSHIはその保育室を卒業、
さらに新人のRINKOと一緒に今日から二軒目の保育園に通い始めました。
あの当時、
新たな境遇の中でどうやって劇団を続けていこうか、五里霧中でした。
現在も活動の持続は容易ではありませんが、どんな状況にあっても、
芝居や唐十郎の世界を追究することが出来ると思っています。
話は変わりますが、残念ながら志村けんさんが亡くなりました。
自分は小さいころ、スイカ人間が怖くて仕方ありませんでした。
家族は大笑いしていましたが、自分はテレビを見ていられなかったのを
よく覚えています。
一年半ほど前、座間市のホールで『志村魂』の稽古を覗く機会があり、
ナマの「バカ殿」や「変なおじさん」を観ることができました。
彼らは実在したのです。ありがたいことでした。
ある時、唐さんの口から「志村けん」の名前が出たことがあります。
1982年、下北沢にある本多劇場のこけら落としシリーズで、
唐十郎、別役実、斎藤憐が立て続けに連作をしました。
その時に唐さんが書いたのが、名作『秘密の花園』です。
聞けば、唐さんは主人公のアキヨシを、
当初は志村さんにお願いしたかったのだそうです。
アキヨシは、女性に貢ぎ続けながらも手も握らず、
正座で黙って相手を見つめているような一途さが特徴なのですが、
テレビで喝采を浴びる志村さんの中に、
唐さんはそういうキャラクターを見出したのだそうです。
プロデューサーが掛け合ってはみたものの、
当時のいまにも増して志村さんは超売れっ子、
メディアの世界ではるかに多くの人やお金を背負う存在でしたから、
硬派な舞台への出演などとても無理だったそうです。
若き日の志村さんのアキヨシを想像すると、
やっぱり良かっただろうなと思わずにはいられません。
一方、結果的に柄本明さんがアキヨシとして迎えられ、
『秘密の花園』出演が現在に至る柄本さんの大活躍の端緒のひとつと
なるのですから、面白いものです。
後年、ご存知のように柄本さんは志村さんとの名コンビを組みました。
唐さんにそんな裏話を聴いた私には、
コントで手練の芸者に扮する志村さんと柄本さんが、
二人のアキヨシに見えてなりません。
2020年3月31日 Posted in
中野note
今日は劇団集合でした。
重村大介や佐々木あかりは他の現場で頑張っていますから、
残りのメンバーで現状や今後について話し合い、
『唐版 風の又三郎』3幕の本読みを
しました。
本読みが進む中で、いよいよ芝居は佳境です。
何人かの男女関係がもつれにもつれて、クライマックスに行き着きます。
一方、芝居もあまりに長大なドラマの終盤になると、
当初のキャラクター設定がブレてきているのを感じます。
1幕当初は口を酸っぱくして「女肌不触」を標榜し、
「チーム男色」で結束してきた元自衛隊員→帝国探偵社メンバーに
明らかな女好きが現れました(笑)
「淫腐(いんぷ)」というキャラクターです。
名前からして、バイセクシャルに目覚めたということかも、
などと考え込んでしまいます。
まあ、実際に役者が演じれば身体の説得力で成立してしまいそうですが、
この辺の余裕、いい加減さもまた、実に唐さんらしい豊かさです。
ともかく、次回の集合で、ひとまず完結するペースです。
また、これは新たに決めたことですが、
隔週木曜日で行っている「はる美」でのファンミーティングの内容を
見直すことにしました。
結果、4月からはこれです。
題して「唐ゼミ☆過去作品研究会」!
私たちがやってきた昔の公演映像をみんなで飲み食いしながら観る
という企画です。
この会の仕切りは米澤剛志がやっていますが、
米澤自身にとって学びの場にも、自分が入る以前の劇団活動を
検証する場にもしたいとの希望がありましたので、
古い公演映像を引っ張り出すことにしました。
これらを経て、『唐版 風の又三郎』に辿り着いたわけですから、
大いに観てください。
4/2(木)は2004年に上演した『盲導犬』
4/16(木)は2002年に上演した『ジョン・シルバー』
上演時間も90分程度と手頃なので、4月はこの2本でいってみます。
若い劇団メンバーや初めて劇団に参加する人もこの機会を利用して、
温故知新になれば良いと思ってはじめます。
まあ、何人かで酒やツマミをチビチビやりながら、観てください。
私のワークショップは変わらずにやって、
唐作品や『唐版 風の又三郎』を熟知する人をコツコツと増殖させます。
2020年3月29日 Posted in
中野note
雪と自粛要請により人通りは少ないですが、
伊勢佐木モールのお店はほとんどいつもの通り開店。さすがです。
今日は雪でしたね。
外出を自粛すべしとお達しが出ていたところに雪が重なり、
ちょうど良かった。きっと車の事故なんかも少なくて済んだだろうな、
と想像しているのは私だけではないはずです。
今日はフロントガラスに積もる雪と格闘しながら、
朝から山の上にある文化施設に行ったり、劇場に寄ったり、
ほとんどいつものようにウロウロしていました。
思えば、降雪にドキドキさせられた経験は、過去に何度かあります。
2009年春先のこと、私はトヨタハイエースで大阪に向かい、
そこから名古屋を経て上越に旅しました。
2008年末に行った『ガラスの少尉』公演の際、
舞台セットの一部を南河内万歳一座さんに、
音響機材の一部を劇団KIOさんに、
お借りしたのでそれぞれ返却に行き、
次いで、いつも和服の古着を送って下さっている上越の古着屋さんに、
来るべき『下谷万年町物語』に備え、厚い協力をお願いしに行くのが
目的でした。
問題が起こったのは上越に着きかけた日の夕方で、
小雪が舞い始めたにも関わらず、当時の私は北陸の天候に無頓着、
こういう場合は車のワイパーを上げて駐車するものだということさえ
知りませんでした。
翌朝、一面の雪景色にかなりビビりましたが、
心配そうに見送る皆さんに「妙高高原を越えれば大丈夫だから」
と励まされながら、ハイエースをお尻ふりふりスタートさせました。
やっと長野の飯田に入った時、
いつの間にか雪跡さえもスッと消えたことにいたく感動し、
雪国との境界を見たように思いました。
さらなる試練は忘れもしない2013年の成人式で、
あの時は水戸芸術館で行われたコンサートに勇んで行き、
良かった良かったとホールを出たら一面まっ白になっているのに
ビビりました。
何せ天気予報には、雪の兆候は全く見られませんでしたから。
仕方ないので、やはりお尻ふりふり帰途についたのですが、
当然のように高速道路は閉鎖され、路肩には立ち往生した車の山。
あのような骸と化してなるものかと気合いを入れてローギアを駆使し、
下道を12時間かけて横浜に辿り着きました。
坂道のみならず、ちょっとした交差点の右折にも
後輪が雪に取られて空転する罠を何度も味わいましたが、
確かあの年以来、気象庁は異様に大袈裟に雪だ雪だと予告するように
なったのだと記憶しています。
公演中の雪といえば、ただ一度だけ。
2005年3月に近畿大学で行われた「唐十郎フェスティバル」に
『少女都市からの呼び声』を用意して参加した際、
3月3日の公演で雪が降りました。
客席は近大から借りた10台以上の石油ストーブで温かでしたが、
物語の終盤、ドクター・フランケ醜態を演じた名優・杉山雄樹が
舞台裏をオムツ姿で震えていたのを思い出します。
とはいえ、極寒の満洲が登場し、
ガラスの世界の住人・雪子がヒロインであるこの演目の上演には
なかなかオツな環境であったとも記憶しています。
2020年3月29日 Posted in
中野note
↑かつて、劇団員総出の深夜作業でペイントした舞台美術。
2007年3月に初めて上演した『続ジョン・シルバー』のセットです。
パネルに「海」が描かれています。
今日は、夜に何人かで集まって作業をしました。
劇団のメンバーはそれぞれの仕事を持っていますが、
人によって、イベントや公演の中止や、盛り場の閉鎖による影響が
現れています。
劇団というものは、どこか原始共産制みたいなところがあり
お腹が空いている人がいたら食べ物を分け合う、という風に自然と
なります。不安定な情勢下ではありますが、
何人かで集まって話をしていると、やはりかなり愚かな話もし、
気分が明るくなってくるから不思議です。
劇団のおもしろさ、人が集団でいることの強さを実感します。
一昨日に舞台美術家のカマダトモコさんとセットの話をして以来、
『唐版 風の又三郎』公演の美術に向けて、頭が動き始めました。
そこで思い出したのが、劇団員総出で描いた『続ジョン・シルバー』
のパネルです。
この時はテントでなく、劇団新宿梁山泊の牙城である「満天星」
という小さな地下の劇場を使わせてもらいましたので、
大きな柱も含めて、空間を上手く遊びたいと思って考案したのが
これでした。
物語的には「海の見える喫茶店」という設定です。
だから、海と喫茶店が一体化したセットを作りました。
これは、晴れた日に横須賀市の観音崎というところに行き、
撮影した映像を深夜にプロジェクターで投射し、
メンバー全員で片っ端から塗り込めていく作業によって
完成したものです。
学生時代にアルバイトしていたコンビニの店長さんがよくドライブに
連れて行って下さった効能がここに現れました。
数人の釣り人以外、いつもあまり人がいない京急観音崎ホテルの裏の
デッキボードから見える風景です。
本番では、このパネルの元になった映像を投射しながら開演すると、
不思議な風合いになって気に入っていました。
東中野の地下室にも、海の匂いを運ぶことができたように思います。
柱は、喫茶店を貫く大木として造形し、オーガニックなカフェという
ことにしました。
2020年3月27日 Posted in
中野note
都橋マーケットの照明は思いのほか明るく、
何十年もの時代や状況を凌いできた強さを感じさせます。
昨日はワークショップをして燃え尽きました。
件の新型コロナウイルスの影響で対応に追われる部分もあり、
早朝からあっち行ったり、こっち行ったりしていましたが、
ようやく定時直前に辿り着いた「はる美」で完全燃焼しました。
こういう時、密かに数人で台本を読み、
妄想や想像を膨らませていると、
そこに、これから創っていくべき世界が現れて、
身のうちに力が湧き上がるのを感じます。
創作プロセス的に雌伏の時でもありますから、
いずれ遠くないうちに、ドカーンとやってやるぞと燃えてくるのです。
常連さんがよく付いてきてくださって、こちらが励まされています。
また、新たなワークショップ日程を記載したチラシを撒いて
新しい人も誘いたいなと思っていますが、
ごく少人数の、かなりマニアックに作品を追いかける会を
なかなか良いロケーションで繰り広げています。
こういう時世下では、
公共機関や大企業より、コツコツと手仕事を積み上げるような
私的で小規模な集まりや営みが地力を発揮するものだと実感しています。
平時は象や恐竜が強いものですが、時によると、
ネズミがすばしこく生き延びることもあるわけです。
換気や通気性と意味では、
唐ゼミ☆がこれまでやってきた中でも、
トラックや自然の景観を生かした野外劇は、かなりの開放感です。
雨に弱く、興行としての安定感に欠ける嫌いもありますが、
あんまり収束しないようなら、そういう手も使って、
大いに身体を張ってみようかというアイディアが、頭をよぎります。
2020年3月25日 Posted in
中野note
舞台美術家のカマダトモコさんです。
家がご近所なので、小回りの効いた打合せを申し入れることができ、
いつも助かっています。
2019年1月の『ジョン・シルバー』『続ジョン・シルバー』以来、
今回も舞台美術をお願いしているカマダトモコさんと
第1回目の打ち合わせを行いました。
まずは企画書をお渡しし、公演日程や会場候補地についてご説明、
次いで、台本の中で展開される各シーンについて解説し、
さらに、『唐版 風の又三郎』全体のあらすじや読み方について、
お話ししました。
自分が参照してきた資料や、
作品にちなんで訪れてきた場所や建物の情報なども伝えました。
今夜は、新型コロナウイルス対策で世間が騒然としているために
ごく短時間の話し合いでしたが、今度、現場を下見しようと約束して
別れました。
こちらが作品に託して実現したり、伝えたいことや、
公演に関わる諸事情を伝えてしばらく経つと、
カマダさんはいつも面白いデザイン画をくれます。
現在まで3度味わいましたが、あれはすごく愉しみな瞬間ですね。
今は世の中全体が雌伏の時ですから、
何しろ、この先の見えない時間を有効に使いたい。
関わってもらうスタッフの皆さんには、
これからこうして順々に会って行こうと思います。
2020年3月25日 Posted in
中野note
禿がずーっとチラシを作っています。
彼女は私と違って基本的に夜型で、デザインを試行錯誤し続けています。
今日は、神奈川芸術劇場での仕事を終えて、
津内口も連れて禿が作業中の横浜国大に行きました。
津内口もデザインができるので、
自分より実地なアドバイスが可能だからです。
ちなみに、残念ながら中止になってしまった「芝居の大学」チラシは、
津内口の手によるものです。
他にも、現在配られている出演者やワークショップ受講生を
募集するためのチラシも、津内口作です。
これは、台本の中に岩波文庫が出てくるので、
あの、いつも見かけるあの文庫本のイメージを参考にしています。
津内口はギャラリーでも仕事をしており、
実にキレイ目のデザインをするのですが、禿はかなり独特です。
そこで、局面によって二人がそれぞれ仕事をすることにしています。
唐ゼミ☆公演のチラシを禿が作るのはいつものことなのですが、
数年前までは椎野が最も出番やせりふの多い役をやっていましたから、
なんとか両立できていました。
最近は舞台も禿が完全な中心ですし、今回はただでさえ長大な台本です。
せりふも出番もかなり膨大ですから、何とか早めにデザインを仕上げ、
安心して稽古に臨める環境を作りたいのです。
作業はすでに消耗戦に入っています。
今回は可能な限り時間を持ち寄って創作プロセスをともにし、
隣で自分は各種仕事も捌きながら、
目処がついたら都度、意見するのを繰り返したいと思っています。
そうしていると、何となしに会話もしますから、
ずいぶん昔のことも思い出されます。
先日ここで書いた『腰巻お仙 義理人情いろはにほへと篇』のことは、
私よりも禿の方がずっと印象深く覚えていました。
また何か思い出されたら、ここに書きつけたいと思います。
2020年3月22日 Posted in
中野note
チラシを作っています。
いつも遅くなりがちなので、今回は半年前には完成しようと、
禿さんと躍起になっています。
そうして夜な夜な作業していますが、今度のチラシは本当に特別です。
2000年に唐十郎ゼミナールが誕生して20年経ちますし、
第30回公演という節目でもありますから、
私たちは満を持して『唐版 風の又三郎』に挑むことにしました。
作品のコンセプトを湛えながら、
これまでの劇団活動のありったけを込めたいのです。
そこで、年表のようなものを作っていたのですが、
二人で話しながら作業するうち、
禿と唐十郎ゼミナールに入ったばかりの頃、
しくじって唐さんにひどく叱られたことを思い出しました。
あれは、唐さんに勧められて私たちが初めて取り組んだ演目、
『腰巻お仙 義理人情いろはにほへと篇』の初日でした。
私は「ドクター袋小路」役で、禿は「お仙」役で、
それぞれ緊張の舞台に臨みました。
1幕、私が舞台に出て行ってまず気付いたのは、
あるはずの装置が何も無いということでした(汗)
本番前、舞台のセットを上演開始時の状態にすることを「プリセット」
と言いますが、それをあろうことか、誰もしなかった。
あの演目は唐さんには珍しい4幕ものですから、
それこそ場面転換の練習は入念にやったのですが、
よりによって、プリセットをするという頭が完全に抜けていました。
仕方が無いので、本番を進行しながら、
徐々にセットである「バス停」や「ベンチ」を搬入するという、
珍妙な序幕になってしまいました。
上演終了後、即座に謝りに行くと、
唐さんはたいそうご立腹で、こう言われました。
「初日だからって泡食ってんじゃない(怒)
『バス停』こそ、この芝居のセットのクイーンだろ!」
.........、
大いに反省して、二日目は勿論このようなミスはありませんでしたが、
同時に、ほとんど初めて怒った唐さんのユニークな物言いに、
感心してしまいました。
なるほど、
作家とは咄嗟の時にもやはり作家らしい表現をするものだと当時も
唸りましたし、唐さんがいかにあの芝居のバス停に入れ込んでいたか、
チラシを作りながらまざまざと思い出します。
2020年3月22日 Posted in
中野note
皆様、どうぞお下品に!
とは、『二都物語』冒頭のせりふです。
今日は尾籠な話で恐縮ですが、カンチョウの話をしましょう。
そうです。浣腸です。
最近、3歳半になった新人劇団員のSANEYOSHIは
すっかり野菜嫌いになってしまいました。
もっと小さい頃は何でも食べていたのですが、
だんだん選り好みが出てきて、
自分の前に置かれたあらゆるお皿やお椀から、
野菜を指で摘み上げては、ピンとはじくようになったのです。
必然、彼は便秘になりました。
そこで心配になった先輩劇団員の椎野は、これを買ってきたのです。
まあ、本当に困った時のおまじないのつもりで。
ところが、これが何のための物かを説明を椎野から聞くと、
SANEYOSHIの判断は速かったそうです。
ここ数日間よほど苦しかったのか、
「おしりの薬をやろう」と本人が希望しました。
そこで、早速に事を成し、まるで出産のような経験を彼はしたとのこと。
精力をすっかり使い果たすほどの大事業だったようです。
椎野は「初めて正規の使い方でカンチョウを使った」と言っていました。
というのも、私たちの劇団の舞台ではいつの頃からか、
流血シーンにカンチョウが使われるようになったからです。
初めはサランラップを使ったりもしていましたが、
カンチョウの容器は血糊を仕込むのに最適なのだそうです。
ですから、これまでもしばしばお世話になってきたというわけです。
カンチョウと言えば、
目下、準備中の『唐版 風の又三郎』1幕には、
これが非常に重要なアイテムとして2度、登場します。
初対面の又三郎(実はエリカ)と主人公の青年・織部の
緊張をほぐすのは、又三郎の服からふとこぼれ落ちるカンチョウです。
さらに、元自衛隊員の三腐人がその本性を表す時のアイテムもまた
カンチョウなのです。
1幕の舞台となる帝国探偵社は男同士のコミュニティですから、
カンチョウを大いに活用して清潔を保っている。
そういう世界観です。
「はる美」のワークショップでは、
そういう小道具の重要性も丹念に追っています。
2020年3月20日 Posted in
中野note
大久保鷹さんに『海の牙』の話を聴いた後に撮った写真。
2011年頃に北仲スクールの階段で撮影。
今日は、3/26(木)に行う「はる美」でワークショップ予告です。
ずばり、次回は『唐版 風の又三郎』1幕より、
「夜の男」というキャラクターを追いかけてみたい。
初演時にこの役を演じたのは、言わずと知れた大久保鷹さんですが、
私はこの「夜の男」が、なんだか冷遇されてきたように思い、
今度の唐ゼミ☆公演では正面から彼と正対したいと考えてきました。
彼はヒロイン・エリカに疎んじられる役どころですが、
一方で実に一途な、不器用な男です。
かなり暴力的なところもあるので単純な悪役にされがちなのですが、
けっこう可愛げもある。
元同僚の「教授」や「三腐人」「高田三郎」たちは、
宇都宮の元・自衛隊員、現在では代々木の帝国探偵社職員として、
清く男色を貫き、実に正統派です(笑)
しかし「夜の男」は、こういった気風に馴染めない。
この「男たちの社会」は、
ホモ・セクシャルが正常で、ヘテロは異常、
という世界観で構成され、これが手を変え品を変えて紹介されるのが
実に面白い。
「夜の男」はと言えば、このチームワークからすると、
「エリカ」というホステスに入れあげていますので、
かなりはみだし者なんですね。
それでいて、特に「教授」と「三腐人」からは
「仕方のないやつ」として愛されてもいる。
それだけのチャーミングさがあったということなんでしょうね。
そういう話を次回のワークショップではしたい!
彼「夜の男」は西田佐知子の歌う『エリカの花散るとき』の
大ファンでもありますから、この歌もうたって憶えましょう。
歌詞
エリカ エリカの花の咲く村に
行けばもいちど(もう一度)
逢えるかと......
実に「夜の男」らしい純情の歌詞です。
この回は、自然と、
いつも私たちを応援し続けてくださる鷹さんの話にもなるはずです。
そろそろ大岡川の桜も咲き始める「はる美」に、
ぜひ『唐版 風の又三郎』を追いかけにきてください!
2020年3月19日 Posted in
中野note
昨日の続きです。
学生たちと2013年につくった『腰巻お仙 忘却篇』の話。
この芝居はまだまだネタ数が豊富で、
上のように本火を使うなどまだまだ序の口。
実際に、バリカンで学生の後頭部に星型のハゲをつくってみたり、
(千秋楽後にはハードな丸坊主に)
リヤカーをくくりつけた自転車を全速力でこいで、
転がり落ちるように坂道を突進して登場してみたり、
会場全体の地面に200本を超えるセットの卒塔婆をぶっ刺してみたり、
(本物のカラスが集まって、それはそれは不気味だった)
他にも、これは残念ながら写真が残っていませんが、
地上7階の建物の屋上から人形を降らせてみたり、と
とにかく色々やりました。
あと、これは初演時の様子を大久保鷹さんから伺ったのですが、
1965年の上演の時は、自転車のライトを舞台照明に上演を行ったそうです。
つまり、誰かがずっと、
上演の続く限りヘトヘトになりながら自転車を漕ぎ続けていた!
これをどうしてもやりたかったので、
本番中にわざと停電騒ぎを起こし、
中道具の自転車のこぎまくって明かりの点いたライトの周りに皆が集まり、
自転車の薄暗い明かりに顔面を寄せ合いながらせりふを喋っていました。
あと、戸山ハイツで行った初演時は、
近隣住民が呼びつけた警察に怒られて上演を中断させられたらしいので、
私たちも大学の警備員を装った男に芝居を中断させるなど、
キメ細やかなネタを連発しながら、小一時間の芝居に仕立てました。
相当な下さなさと初演のハプニングを再現する度はずれの真剣さにより、
かなり評価されたこの公演は、早速2ヶ月後に再演することになり、
噂を聞きつけて5月に観にきてくださった唐さんには、
野外におよそ似つかわしくないふっかふかのソファセットでご覧頂き、
この公演のモットーである台本に向き合う生真面目さ、
繰り出し続けたネタの下らなさを大いに評価して、
「こんなの、よくやったねえ」と褒められました。
「唐ゼミ」という名前は、
唐十郎が教授のゼミナールであると同時に、
唐十郎を追究し尽くすゼミナールでもありますので、
我ながらその面目躍如と言えるものだったと、いまだに自信になっています。
興行的にはなかなか成立しませんが、
時々ああいう公演もあった方が良いはずだと、私は真面目に考えています。
2020年3月18日 Posted in
中野note
塔(単なるイントレ3段)の上で仁王立ち。
少女「お仙」の手には日本刀、胸にサラシ、赤い腰巻。
彼女を肩車する「ドクター袋小路」の胸には、
秘密結社のマークのような、赤い薔薇。
喫茶・丘を発見し、まざまざと思い出されたのは
これまで私が手がけてきた唐作品の中で、
もっとも縦横無尽で、身体を張った企画でした。
2013年3月にやった『腰巻お仙 忘却篇』。
ちなみにこれは、唐ゼミ☆公演でなく、
当時、室井先生の主宰する「横浜都市文化ラボ」に集まっていた
学生たちを集めて上演したものでした。
ほぼ全員、演劇未経験ですから、
当然、せりふも所作もおぼつかないですが、
そんなことは全く関係ない、たまたま体育会系のメンバーが揃ったので
彼らのフィジカルの強さを最大限に生かすための公演を組みました。
これには、仕掛けがあって、
もちろん、台本は丁寧に追いつつ、
この演目の初演にまつわるエピソードを、
とにかく全て再現するというコンセプトを立てたのです。
例えば、チケットは「石」
初演時は10円の石、100円の石、50,000円の「石」がチケット代わりに
用意され、役者がショボければと投げつけても良い、
というルールだったそうです。
そういうわけで、受付はこんな具合でした。
他にも、地面に埋まった役者がお客様のお出迎えをしたり、
登場したドクターが、何故かやたら背の高い帽子をかぶっていたり、
これは、まだまだ紹介したいので、明日も続けましょう。
2020年3月17日 Posted in
中野note
言わずと知れた『腰巻お仙 忘却篇』のポスターです。
ポスター・ビジュアルに注力し続けた状況劇場の旗印の中でも
傑作中の傑作、デザインを出掛けた横尾忠則さんの代表作ともされる
このポスター。
ちなみに、この演目、初演は1965年ですから、
日本に新幹線が誕生した1964年の東京オリンピックから一年足らずで、
デザインに盛り込んだことになります。
あと、これにまつわるトリビアとしては、
当時、大活躍中だった麿赤兒さん(その頃は赤児)は、
その後のイメージもあり、
つい背中を見せているシルクハットの男と思われがちなのですが、
実は、こっち向いている痩せて唇の赤い青年が麿さんだそうです。
ところで、
今日、他人の買い物に付き合って、
普段は行かないアメ横に久しぶりに足を踏み入れました。
そこで、偶然にも、あのお店を発見したのです!
そう。喫茶店「丘」です。
このポスター右下に印象深いフォントで広告掲載している「丘」は
いまだに営業中だったのです。
興奮のあまり撮った、やや別角度↓
月曜定休につき、入店は叶いませんでしたが、今度、行ってみましょう。
月曜を除く平日は10:00〜17:30
土日は10:00〜17:00
に営業されているそうです。
唐さんの実家は上野ですし、
状況劇場のスタートは唐さんの自宅を集合場所にしていたわけですから、
きっと、よく出入りしてたからこその広告掲載だったのだろうと
想像しています。
まだまだ無名だった唐さんに力を貸したこの店、
買い物に付き合って上野・御徒町に行った甲斐がありました!
2020年3月16日 Posted in
中野note
昨日、室井先生の退職記念特別イベントの話をしたので、
唐さんの最終講義についても、ちょっと振り返ってみましょう。
あれは行われたのは2005年1月29日(土)のことです。
ちなみに、1997年に行われた初講義は、
内容を唐さんご自身がお考えになり、
当時の唐組劇団員の皆さんが総動員されて行われたそうです。
教室に黒板のセットを建て込み、
『ジャガーの眼』の「田口」役に扮した唐さんが、
その黒板を突き破って登場。ひとくさり劇中歌を唄って、せりふ。
「あっ、路地を抜けると教室だった!」
......そこから講義が始まる、という内容でした。
周到な唐さんは、横浜駅のバス停にも案内係を立たせたと言います。
さすが、です。
最終講義はといえば、内容は一切が私に任されましたので、
二部構成にしまして、人型に穴の空いた黒板のセットを設えました。
一部は、唐さんが駕籠かきに運ばれて登場↑
扇田昭彦さんを聞き手にお迎えして、
大学で過ごした7年半の回想↓
二部は、そのままの流れで唐さんの振りでスタート。
唐ゼミがそれまでにやっていた8本の劇の名場面を、
ダイジェストして立て続けにやる、という盛り沢山の企画でした。
いま思い出しましたが、休憩なしのぶっ続け2時間でした。
そして、カーテンコールに突入すると、
当時の唐ゼミ公演の流れで、最後に唐さんが現れます。
この時は、2003年に唐さんが演劇賞を総ナメにした時に新調した
タキシードに着替えてもらい。
赤い木馬に乗って出てもらいました。
(一番上の写真です)
そして、唐さんのからの一言があり、
さらに再び木馬に乗って、大きな窓のところで花束を受け取る。
バンドの伴奏で『少女仮面』の「時はゆくゆく」を唄い、
窓の外に、つまり、教室から路地に帰ってゆく、という構成でした↓
特に面白かったのは、唐さんの挨拶で、
今でもはっきり覚えていて、だいたいこんな具合でしたので、
ここに書いておきます。
「いつも大学をあとにする時、振り返ると、
夕陽のあたる校舎の3階には、
中野くん、椎野ちゃん、禿ちゃんたちの影が見えます。
悩みながら、芝居の稽古をしているんです。
ああ、これこそ、現代の「若きウェルテル」なんだと思いました。
さようなら、横浜国大。さようなら、7年半!」
......唐十郎研究室は5階だったのですが、
この時、私は唐さんから、言葉の韻律やイマジネーションのためには、
多少は事実を歪曲しても構わない、ということを学んだのでした。
2020年3月15日 Posted in
中野note
↑本番で登壇中の室井先生と彦江先生
昨日は室井先生の「退職記念特別イベント」でした。
よく、退官される先生が「最終講義」をなさいますが、
「オレはこれからも講義をする!」という室井先生のこだわりで、
断固「退職記念特別イベント」だったのです。
ちなみに、こんな世情ですから、
この3月に横浜国大に退職される先生方のうち、
記念イベントをやったのは室井先生だけだそうです(笑)
室井先生が書いた構成台本をもとに、
会場のセッティングやリハーサルが前日から始まり、
詰めの作業が多くありましたので、
結局朝方まで作業をしました。
横浜国大で早朝まで過ごすのも実に久しぶりでしたが、
相変わらず、自由で、伸び伸びとした大学を満喫して、
仕込みや修正の作業を一つ一つ片付けました。
室井先生が唐さんを大学に呼んで下さったおかげで、
私はこの大学にご縁を得ましたし、
室井先生の唐さんに寄せる敬意は半端ではありませんから、
唐さんから贈られた卓上用のお花は、
常に室井先生の傍にあるようにしました↓
思えば、唐さんを皮切りに、
何人かの先生方の「最終講義」を手掛けてきました。
もちろん、唐十郎先生
ゼミでエーコの『薔薇の名前』を読む手ほどきを受けた根本萌騰子先生
宇宙論とクラシック音楽と結びつける理論に衝撃を受けた茂木一衛先生
いずれも、気合を入れて送り出しました。
佐藤東洋麿先生と木下長宏先生は、
それぞれのゼミの皆さんが活躍されていましたから、
参加のみさせてもらって満喫しました。
大里俊晴先生と梅本洋一先生が道半ばでお亡くなりになり、
同じ機会を得られなかったことがいかにも悔やまれます。
「マルチメディア文化課程」という学課名は
いまや恥ずかしいものになってしまいましたが、
良き先生方に恵まれていたのだという思いを新たにしています。
オマケの写真は同期の桜です↓
2020年3月12日 Posted in
中野note
↑2011年はこれに取り組んでいました。
震災から9年目です。
あの時は、妙によく揺れるアパートに住んでいました。
周りの建物より明らかに敏感で、
普段に起こる震度3くらいの揺れにもかなり反応していましたから、
家に帰ってみると、本棚の上に置いてあったプリンターがダイブして
ノートパソコンのモニターをゴツンとやっていました。
印象深いのはそこからで、
早速修理しに行こうと翌日に向かった渋谷はガラガラで、
アップルストアにもすぐ入れ、修理代は無料。
中二日ほどで完璧に直った現物が届いた速さに驚きました。
最近、夜に仕事で都内に行くと人通りの少なさに愕然としますが、
3月という時期も重なり、あの頃のことが思い出されます。
震災の日は、夕方から、
初夏の初日に向けて『海の牙』という演目の稽古中でした。
都内にいたメンバーもいましたが、
他にできることもなく、たどり着くことができたメンバーだけで、
横浜国大の研究棟に集まりました。
ここも、やはり揺れにはひどく敏感な建物でしたから、
天井まである本棚が倒れて散乱した本やCDを整理し、
それが落ち着くと、せめて、少しでも何かを前進させようと
劇中歌の部分だけを繰り返し歌いました。
それは、主人公を青年を誘いかける事になる怪しげな娼婦の歌で
こんな具合でした。
いたずら男が「ダン」とやりゃ
尻をモジモジ彼女が「トン」
「ダン」と「トン」の調子が合って、
眉にシワよせ 目元ほんのり ダダダンダン
舌を鳴らしてトンタンタン
唐さんとしては、
ギロチン台の露と消えた革命家「ダントン」をモチーフとしたため
このような歌詞になったのですが、
私たちにはこれがすごく長嶋茂雄的で、
わけもなく高揚し、何度も何度も繰り返して、夜まで過ごしました。
ネットで被害の状況を見て話をしては、歌う。
また、ネットで被害の状況を見て話しては、歌う。
そんな状況でした。
翌日、唐さんに電話すると、
ご自身は震災時、家の近くの駅前で揺れを感じたとおっしゃっていました。
唐組春公演の初日が翌月末に迫ってはいましたが、
何日か稽古をお休みにして、世情を伺っておられるご様子でした。
唐さんは大胆な方ですが、極めて用心深い方でもあります。
ですから、
「昨晩は何もできず、せめて劇中歌だけ大声で歌いました」と伝えると、
「中野はよくやるなあ」とも言われました。
何ヶ月か経って、初夏に『海の牙』が初日を迎えると、
唐さんは、「震災の時に買って使わなかった、これをやろう」と、
「力王たび」の、足首まで覆う紺色を下さいました。
「まちが瓦礫の山になっても、これなら歩けると思って買った。
何かあったら中野が使って」と言われました。
唐さんが震災を受けてすぐさましたことは、地下足袋の購入だったのです。
たいそうな贈り物に、かなり勇気づけられたのを憶えています。
2020年3月10日 Posted in
中野note
昨日はやっと連絡が取れた米澤を劇団集合後に捕まえて、
打ち合わせと取材に行きました。
他では見たことのない「コナズ珈琲」というハワイアンな喫茶店で、
相手を待っているところです。
音信不通の間に何をしていたか訊いても、
何故か照れるばかりで教えてくれませんでした。
また、今日は、
唐組初公演『さすらいのジェニー』に出張中の重村の稽古帰りを待ち伏せて、
エスニック料理屋で音響の打ち合わせと作業もしました。
これは、『唐版 風の又三郎』のためのものではなく、
3/14 (土)に元気いっぱいで行われる室井先生の退館記念講義に向けて
準備しています。
室井先生の教室に憧れるあまり、4年間も浪人して、
やっと横浜国大に入った重村が、先生への尊敬を込めて選曲しています。
ここ一年、奮発してマックを買って以来、編集作業も実にスムーズです。
彼にも、作業の合間に唐組の稽古がどんな様子か訊くのですが、
照れるばかりで全く教えてくれません。
こんな具合に、日々、劇団員と力を合わせて乗り切っています。
最後に、ワークショップの告知です。
先々週のワークショップでは、『少女仮面』3場にヒートアップし過ぎて
肝心の『唐版 風の又三郎』に触れられませんでした。
その反省を生かし、
明後日は『唐版 風の又三郎』ばっかりやる日にします。
物語のキモとなる主人公「織部」と「又三郎」こと「エリカ」の
出会いの妙を、90〜120分かけて頭と体に刻みつけようでは
ありませんか。
元気いっぱいのワークショップです!
2020年3月 6日 Posted in
中野note
↑「芝居の大学」の時の様子です。
学生たちと遠藤さんのボートに伺ってお話を聴きました。
これまでに作られた仮面や人形の説明をしてもらっています。
遠藤さんは、
作品を通じて臆することなく"世界"や"宇宙"を語りました。
実に堂々とされた姿に、自分はいつも惹かれてきました。
日常の口こぼしや不満垂れ流しのような作品が多い中で、
遠藤さんの世界は、こちらを鷹揚な気持ちにさせてくれます。
昨日ご紹介した『恋に狂ひて』の他にも、
遠藤さんがごく初期に生み出し、いまだに形を変えて上演している
『極楽金魚』など傑作中の傑作で、そのどちらも、
ある個人の上に起こった悲劇があまりに巨大であるために
世界全体を滅ぼしてしまうというところまで行き着きます。
好きな相手には自分の全存在を捧げ、
一旦憎むとなるや、相手を宇宙ごと滅ぼすまで恨み骨髄、
という世界観です。
それが、もちろん大真面目であり、
真面目なだけでなく、どこかユーモラスでもあるというところに、
強烈に共感を覚えます。
特に『極楽金魚』の方は、演奏者と語り手兼影絵使いの2名という
少人数のバージョンを拝見して感激しましたから、
息子がもう少し大きくなったら、まず観せてやりたいものの筆頭です。
神話や叙事詩、説話、宮沢賢治に小さい頃から親しんできた自分にとって、
遠藤さんは趣味の話をする相手でもあり、
また「バリにはこういう話や表現があってね......」などと、
さらに深淵を示してくださる案内人でもありました。
ずっと取り組まれてきたインド叙事詩「マハーバーラタ」より、
「ドゥルソソノ」という王様のくだりを劇化したいと言っておられた
のが印象的で、その創作に立ち会いたかったとも悔やまれますが、
ああいう風に生きることと創ることが一体化した方の人生は
常に中断で終わるのでしょうから、仕方のないことです。
遠藤さんが逝かれて、世界から面白い人が減りました。
もう電話をかけてきてお喋りする相手がいないのも残念ですが、
今後は、遠藤さんが自分に示して下さったいくつかのヒントを掘り下げつつ、
別の面白い人との出会いを求めることにします。
『芝居の大学』の講義録には、
遠藤さんがお話しして下さった来し方や、創作の経歴、
指針とされてきた美学への語り下ろしをコンパクトに収めてあります。
もし興味のある方がいらっしゃいましたら、お声掛けください。
2020年3月 5日 Posted in
中野note
↑告別式の日に頂いたポストカード
絶大に感動した『説教「愛護の若」より"恋に狂ひて"』の時の遠藤さん
横浜ボートシアターの遠藤啄郎さんが亡くなって、
もうすぐ一ヶ月が経とうとしています。
結果的に晩年となってしまったここ数年、
親しくさせてもらってきましたから、第一報は早かったのですが、
何となく書くのが残念で、憚られてきました。
が、もうすぐ一ヶ月ですから、
ここに書いて、自分の中でも整理してみたいと思います。
私にとって遠藤さんは、ちょくちょく電話をかけてこられ、
それもだいたい夜の22時すぎ、用はないけどただ話したくてね、
と率直に言ってこられる面白い方でした。
うんと年は離れ、キャリアも大先輩ではありますが、
ともに劇団をやっている主宰者仲間として、
集団を維持していることや、自分たちがこれ!と思ったことを
追いかける素晴らしさをまくし立てる遠藤さんに、
ずいぶん励まされたものです。
遠藤さんは声が大きく、また口跡も極めて良かったですから、
すでに90歳近いという感じが全くせず、
ひたすらエネルギーを発散している方でした。
また、実によく食べて、
二年前に講座「芝居の大学」にゲストで出ていただいた際、
講座が終わった後にお誘いした食事会で、
自分と同じだけ召し上がって平気なのに衝撃を受けました。
同世代に比べたって、自分は結構食べる方ですからね。
それが半世紀以上も年上で、中華料理を同じだけ食べて、
何でもなさそうな遠藤さんにビビったのです。
お互いに好きな酸辣湯麺(スーラータンメン)をすすりながら、
「初めてこれを食べたのは70年代のパリだったな」なんて、
カッコいいことを、ちょっと自慢気におっしゃっていました。
............。
長くなりそうですから、明日に続けましょう。
2020年3月 3日 Posted in
中野note
↑劇団で本読みをする時には、思い出深いこの本も並べて読みます。
演劇に興味を持った高校時代、
唐さんの存在を知った私が迷わず手を伸ばしたのは、
白水社から出ていた青色の『少女仮面・唐版 風の又三郎』と
赤い表紙の『特権的肉体論』でした。
そして白状すると、当時はまったく読み進められませんでした。
最高傑作との評判を頼りに『風又』に挑戦しても、
まず「織部」を何と読むかわからない!
(「おりべ」と読みます。ギリシャ神話の「オルフェウス」より)
まして彼が、この長い物語の主人公であり、
精神病院から脱走した宮沢賢治フリークの青年だとは、
読み解けようはずもありませんでした。
さらに、「三腐人」には、輪をかけて苦しみました。
あれ、初見で「さんぷじん」と誰も読めないでしょう(笑)
彼らは元・自衛隊員で、
後輩の高田三郎がしでかした飛行機の乗り逃げのために隊をクビになり、
今は帝国探偵社に勤める調査員となっています。
誇り高い自衛隊員が、「帝国」とは名ばかりの職場で、
浮気調査などやらされていたら、そりゃ腐るよな、
などと今だったら多少なりとも人間扱いして彼らを理解するのですが、
当時の私にそんな余裕があろうはずもなく、
ただただ天を仰いで自分の無力を恨むばかり。
マジかよ。
東京の人は理解しているから「唐十郎はスゴい!」と言えるに違いない
こんなことでは、オレはまったく歯が立たないのではないか.......
そんな不安でいっぱいでした。
ですから、この白水社版を見ると、当時の自分を思い出します。
そしてまた、あの時の自分の感覚を忘れてはならないとも思うのです。
だって、初めて唐さんの芝居を観たり、
台本を呼んだりする人は似たようなものでしょうから、
そんな人も巻き込みながら、唐さんの世界を前進させたいのです。
あんまり説明的でも堅苦しいですが、
ライブの迫力だけ面白がられて訳わかんないのもちょっとねえ。
そんなバランスを心がけて、いつもワークショップや稽古しています。
2020年3月 1日 Posted in
中野note
↑息子と買い物中、近所のスーパーで見つけました。
上の割引券の一端を見てください。
これ、細川たかしさんと長山洋子さんという
日本歌謡界を代表する『ふたりのビッグショー』の割引券なのですが、
驚くべきはその日程です。
いや、日程と言うより"時程"ですね。
2020年3月31日(火)13:00に茅ヶ崎で公演し、
同日、18:00には山下公園近くの県民ホールで開演しています。
主役のお二人は当然として、
何人のスタッフが同じように移動するのか、
仕込みやリハーサル、バラシは一体どうなっているのか、
想像するだに恐ろしい公演ですが、
これぞプロの世界というものなのでしょう。
音楽と演劇、だいぶ違うなあとこの券を見ながら感心していましたら、
我らが唐さんも似たようなことを過去に行っていたのを思い出しました。
1968年10月26日(土)、唐さん率いる状況劇場は、
18:30開演と21:00開演の2回まわしで京都公演を行います。
場所は鴨川のほとりの紅テント。
演目の『続ジョン・シルバー』は上演時間90分に満たない演目ですから、
これが可能だったのでしょう。
さらに恐るべきは、21時からの回を終えた後、
メンバーは京都駅から新幹線に飛び乗り、東京に移動、
24:30に新宿ピットインでの1日3公演目に突入しているのです。
これが地味に面白いのは、
翌日も同時刻に京都での2回公演をしているところです。
もういっぺん京都に戻る皆さんを想像すると、
何だか愉快な気持ちになります。
ついでに、その間は一体誰がテントの留守番をしていたのか、
大いに気になるところでもあります。
唐さんによれば、
状況劇場にお客が集まった!という実感を得たのは、
実にこの『続ジョン・シルバー』からだったそうです。
すでに前年に紅テントを始めてはいたものの、
当時はまだ好事家の注目を得ているに過ぎず、
ムーヴメントと呼ぶに相応しい勢いに突入したのは、
この頃からだったそう。
ご紹介した超過密日程公演こそその証左、
なるほど納得の暴れん坊ぶりです。
「あの1日3回公演は面白かったなあ」と、
いつだったか大久保鷹さんが私に話してくれました。
衣装・メイクはそのままに、上着だけ引っ掛けて新幹線移動。
車中はさぞ楽しかった事でしょう。
考えてみれば、
東海道新幹線のスタートは東京オリンピックの行われた1964年でした。
唐さんたちは、開通から5年を待たずにその恩恵に預かったとも言えます。
2020年2月29日 Posted in
中野note
↑立派です!
今日は移動の合間に池袋のジュンク堂に寄って、本を買いました。
白水社が1995年に出したブレヒト戯曲選集5巻セットです。
神奈川芸術劇場で働く先輩に、未来社の全集版より良いと教わったので、
思い切ってかなり奮発しました。
この本屋は、
時に20年以上前に出版された本も新刊で売っていることがあって、
最後の手段、という感じで頼りにしています。
本を買う時、
横浜の有隣堂、渋谷か東京駅の丸善、新宿の紀伊國屋
それでダメなら、池袋のジュンク堂、という風に格上げしていきます。
これは大学に入った時からの習性で、
間に三省堂や八重洲ブックセンターを入れることもありますが、
だいたいこの順序でカタがつきます。
最近はネットに頼ることも多いですから久々にあの店を訪れたのですが、
ふと、大学一年の初夏に雑司ヶ谷鬼子母神で、
紅テント立てを手伝った時のことを思い出しました。
唐組劇団員の皆さんが幕や柱の下ごしらえを終えた頃、
唐さんが遅れて現場にやってきます。
テント立ての肝となる、屋根幕をポールで押し上げる作業を
監督するためです。
当時の私はほぼ初めての参加でしたからかなり緊張していましたが、
唐さんは劇団員たちにロープを引かせながら「あと2センチ!」
などと指示を出し、鋭い目で微調整をはかっていました。
昼過ぎになって、座長が立ち会うべき要所を乗り切ると、
唐さんは私を呼んで「交通費ね」と言って千円下さり、帰っていかれました。
夕方まで手伝った帰り、
私は唐さんから頂いたお金を単に交通費にするのが惜しいように思われ、
初めてのジュンク堂に寄りました。
実家の名古屋にも大きな本屋はありましたが、その規模と在庫数に唸り、
"東京"を感じました。
それにしても、あのとき買ったのは、
なぜか別役さんの『マッチ売りの少女・象』なのです。
どうしてライバル作家に加担してしまったのか(笑)、
今ではさっぱり思い出せませんが、
おそらく、店頭にあった唐さんの本は全て持っていたからであろうと、
自分に言い聞かせることにします。
2020年2月28日 Posted in
中野note
↑テント芝居を覚えた頃に撮った写真です。雨の日でした。
今日はワークショップでした。
その模様は、劇団員のちろさんが明日レポートしてくれます。
私の方は、テント公演の場所探しの際に思い出すことを。
初めて東京にテントを立てようと決意した時、とにかく不安でした。
住んで活動している横浜ならともかく、東京はツテも何もありません。
当時決めていた『お化け煙突物語』という演目を意識して、
足立区〜台東区〜墨田区を徒歩でロケハンして、
いくつも公園や空き地やお寺の境内を見つけるんですが、
どうやってアプローチしたら良いかわからない。
それぞれの事務所を覗いても、
取りつく島の無さは歴然としていました。
当然ながら、世間は「テント演劇をやりたい人」を想定していません。
こっちだって社会と接触した経験に乏しすぎ、気後れしまくっていました。
結局、
唐さんから墨田区にお住まいの画家さんを紹介して頂き、
その画家さんに、知り合いの画廊を紹介して頂き、
その画廊のオーナーさんに、墨田区役所の方を紹介して頂き、
その墨田区の方が、すごく親身になって一緒に動いて下さったので、
私たちはスカイツリーのそびえるあの場所で、
東京テント公演デビューを飾ることができたのです。
これが決定するまでのプロセスはまさしく徒手空拳で、
公演の時期だけ決まっていましたし、後ろに劇団員が控えている手前、
これで決まられなかったどうしよう、とブルブル震えていました。
目端がついた時、もうちょっとで決まりそうな時、決定した時、
唐さんに報告をしましたが、細かな事や苦労は伝えませんでした。
そういう話は、唐さんにするには憚られるように思えたのです。
でも、場所が決まった時に会いに行くと、
「お前も苦労したなあ。オレもそうだった。
若い頃から座長だったから、頭を下げてばっかりだった」
そう、唐さんはポツリとおっしゃっいました。
唐さんに口こぼすのも嫌なので、
私はすぐに芝居や稽古の話に水を向けてしまいましたが、
こういう時の唐さんは理解者として、巨大な安心感があります。
昔、唐さんがお世話になった画商の木村東介さんという方が書いた
『上野界隈』という本には、公演場所探しについて、
唐さんご自身がされた苦労話が出てきます。
あの本の一節には、当時、ずいぶん励まされました。
2020年2月26日 Posted in
中野note
久しぶりにお話を伺った梅山いつきさん。
すっかり大学の先生の貫禄で、
堂々たる語り口と豊富かつ貴重なデータの数々。
これからもっと活躍していく同級生です。
来月『佐藤信と「運動」の演劇--黒テントとともに歩んだ50年』
という著作が、めでたく出版になります!買って読もうぜ!!
一昨日、2/24(祝火)は
「芝居の大学 第2期」が本格始動した記念すべき日となりました。
梅山先生が大分の時間を使って黒テントと水族館劇場を例に語られた、
移動型仮設劇場と定住型仮設劇場の特性を踏まえながら、
「移動型公共劇場はいかにして可能か?」というテーマに向き合いました。
一般に、行政が運営している劇場を「公共劇場」と言います。
一方で、黒テントは、体制に飽き足りない若者や地方の人々を巻き込む
演劇活動を展開することを目指してきました。
大いに「公共性」を意識しているわけです。
他方、水族館劇場は、特に社会的な弱者に焦点を当てて、
彼らに寄り添う演劇活動を展開してきたわけですから、
これもかなり「公共性」に溢れている。
両者ともに、ある意味では単なる「公共劇場」より
理念と行動で、明確に「公共性」を目指してきたと言えるわけです。
「『移動型』を付ける前に、そもそも『公共劇場とは何か?』」
という梅山先生からの問題提起がなされて前半を終え、
後半は藤原徹平先生のリードで議論が始まりました。
そこで出てきた意見をまとめると、
(1)
私は『公共劇場とは何か?』を問いながら館長をやってきたが、
まだ正解に到達していない。
今回のテーマは公共劇場の本質に向き合うためにも必要である。
(2)
どんな空間にでも、どこにでも運んで上演できるソフト(作品)を
創れば、それは「移動型公共劇場」と言える。単にテント劇場や
トラック劇場などの設備を持つのではなく、まず「公共性」の本質を捉え、
その手段としていくつもの設備やソフトを開発することが重要だ。
(3)
「観る舞台芸術」よりも「やってみる舞台芸術」、すなわち
ワークショップなど、「参加型企画」へのニーズは高い。
各地に仮設劇場を建てて土地の人が舞台に立つ仕組みをつくれば、
人気が出るだろう。
(4)
しかし、クリエーターたちが自己の表現意欲を実現したい徳望と、
(3)の活動が折り合うのか、疑問だ。
(5)
仮設劇場が持っている、日々、目の前で劇場が出来ていく
ワクワク感は、舞台が持つ魅力の本質にかなり関わっている。
そのあたりのことは、次回、3/18(水)の本杉先生から伺おう。
というような感じでした。
当初、神奈川県全体に、どこにでも運んでいける劇場があれば面白い
と構想したことが、結果的に、
「公共劇場とは何か?」
「今後、舞台芸術が社会に必要とされるためには何が必要か?」
という問いを含むことが、あらわになりました。
この講座はあと2年強つづきますから、
多くの立場の人を巻き込みながら、この議論を沸騰させたいと思います。
そしてもちろん、5年後くらいに、
イイ感じの芝居小屋が神奈川の至るところに神出鬼没し、
中では周到に練られた仮設劇場ならではのソフトが上演され、
地元の人もステージに躍り出て盛り上がっている、
という画が実現させようと思います。
そういうわけで、次回は3/18(水)17:00-20:00。
ゲストは日大名誉教授の本杉省三先生です。
参加希望の方は申し込んでください。
また、明日は唐ゼミ☆ワークショップです。
まだ1〜2名ならば参加可能ですから、こちらもどうぞ!
『少女仮面』と『唐版 風の又三郎』の一節をやります。
2020年2月25日 Posted in
中野note
↑久々に引っ張り出した『新・二都物語/鉛の心臓』の単行本より
年度末ですから、日々、色々な催しがあります。
全精力を傾けてそれらにぶつかりながら、
ふと、自分の中の唐十郎遺伝子が頭をもたげます。
2/22(土)-23(日)は、
神奈川県の仕事で担当している横須賀シニア劇団の公演がありました。
まだ誕生して半年ちょっと、
60歳以上のメンバーを集めてスタートした新しい劇団が、
11月の中間発表公演を経て、ついに旗揚げ公演をしたのです。
劇団をリードしてもらっているのは、
横須賀の老舗劇団「河童座」の横田和弘さん。
お父様の代から親子二代に渡って劇団活動を続け、
昨年末で第234回目の公演を達成している驚異の劇団の代表ですが、
その横田さんが書いた『黒船がやって来た!』という演目の上演でした。
この舞台には面白いところがたくさんありましたが、
それとは別に、唐十郎門下として胸に去来する一節がありました。
『黒船が〜』の劇中で、
「じゅん&ネネ」の『愛するってこわい』が歌われたのです。
瞬間、私の頭の中には、
『唐版 風の又三郎』第1幕後半に出てくる「夜の男」の科白
「何てかわいい言い方だ。まるでジュンとネネのジュンみたい。
ネネはフランスで結婚したんだってね。」
がよぎり、さらに記憶の淵から、
私たちが2003年秋に上演した『鉛の心臓(80年初演)』の2幕が、
甦ってきたのです。
椎野と禿は、何故か「鳥追い」の帽子をかぶってあの歌を唄いながら
張り切って登場したのですが、当時の私たちは何もかも生真面目すぎて、
年配のお客様から微かな笑いが漏れるだけの、苦いややウケでした。
今やったらかなり面白くなるのになあ、と昨日からずっと思っています。
本日(2/24)に行われた「芝居の大学」。
これもまた充実の内容でしたし、
今後に向けてかなりの威力を発揮していきそうなので、
後日、改めてレポートします。
2020年2月23日 Posted in
中野note
↑明日の講座『芝居の大学』に向けて、準備中です。
シーズン2の本格始動です。
前回、バー「はる美」で行っているワークショップの内容について、
あらかじめ教えて欲しいというリクエストを受けました。
ご要望にお応えして、宣言しましょう。
次回(2/27)のお題は、
『少女仮面』より第三場冒頭
『唐版 風の又三郎』1幕より、織部とエリカの出会い
をやります。
また、参加を希望される際にリクエストがあればお寄せ下さい。
唐ゼミ☆がこれまで扱った演目、
自分がある程度まで研究済みの戯曲であれば、お応えできます。
また、別の作家を一緒に研究することも、
ご要望に応じて検討します。
理想の上演について台本を読みながら考えるのは愉しいものです。
これまで一人で温めてきた劇もありますから、お問い合わせください。
そうそう!
つい台本を読む愉しさに没頭してしまいがちなのですが、
これはあくまで『唐版 風の又三郎』の出演者を募る企画なのです。
ですから、どんな場合でも『唐版 風の又三郎』は必ずやります。
そういうわけで、色んな方が訪れてくださることを期待しています!
2020年2月21日 Posted in
中野note
来週の月曜日、2/24(祝月)から、
私がここ数年、案内人をやっている神奈川芸術劇場と横浜国大の
連携講座「芝居の大学」が始まります。
いずれも、17-20時に神奈川芸術劇場での開催です。
2016-2018年度の第1期は、舞台芸術におけるレジェンドをお迎えして
お話を伺いました。
中根公夫(蜷川幸雄を商業演劇と世界にデビューさせたプロデューサー)
遠藤啄郎(横浜ボートシアターを率いて仮面劇・影絵芝居を世界で展開)
佐藤信(60年代演劇の旗手にして、10館を超える劇場の仕掛け人)
吉井澄雄(劇団四季創立メンバー、舞台照明・劇場設計の生ける伝説)
白井晃(KAAT神奈川芸術劇場芸術監督)
安藤洋子(ザ・フォーサイス・カンパニー出身の世界的ダンサー)
清水宏(世界の国々を笑わせる日本スタンダップコメディ協会会長)
ざっとこんな感じです。
そこで、第2期(2019-2021)は次のようなテーマを掲げました。
「移動型公共劇場はいかにして可能か」
私はこれまで、テント演劇やトラック演劇、野外劇に取り組み、
ここ3年は神奈川芸術劇場でも働いてもいます。
劇場でのミッションは、県内の文化施設や創作家と共同作業をすること。
イベントやワークショップに、シニアや子ども、障がい者など、
あらゆる人を巻き込んで一緒に作品を創ること、です。
ですから、これまでやってきたことを掛け合わせると、
「移動型公共劇場はいかにして可能か」になるわけです。
横浜国大の先生であり建築家の藤原徹平さんに協力して頂いて、
今後は、カッコ良くて、適切な人数が収容できて、移動がなるべく簡単で、
長く使えて、予算が法外にかかり過ぎないで、法律的にもオッケーで、
各地の人がうきうきする移動型の仮設劇場を構想します。
劇場や舞台を「出前」する仕組みを、講座をやりながら考えます。
誰でも参加できますから、興味があったら申し込んでください。
2/24(祝月)は近畿大学から梅山いつき先生が来て、
ここ半世紀に日本で活躍した仮設劇場について、紹介してくださいます。
おまけの写真は、2014〜2015に私がハマっていた野外演劇の様子です。
これはもう、ひたすら真剣に遊び倒しました。
2014年にトラックを使ってやった『木馬の鼻』。唐さん書下ろし作品。
2015年にやった野外演劇『青頭巾』。テキ屋の物語でした。
2020年2月19日 Posted in
中野note
禿の銀杏さん。『盲導犬』はダブルキャストでやりました。
禿ちゃんはイタリアっぽいから「ヴェネツィア版」
椎野ちゃんはフランスっぽいから「コートダジュール版」
唐さんが名付けました。
一昨日の続きです。
「ファキイル」をゴムで表現したところまでお話ししました。
問題は2日目、自分に迷いが生じたことにありました。
かつて蜷川さんが『盲導犬』を演出した時、
件の「ファキイル 」を音響と照明で見事に表現されたと、
エッセイで読んだことがあったのが、頭をもたげました。
そして、どんなものか、一遍自分でもやってみたくなったのです。
現在では、私は断然「ゴム派」です。
芝居というものは高度なテクノロジーが支えるのでなく、
小学校低学年くらいでも理解できる仕掛けの方が、
立ち上がる世界が豊かになると考えているからです。
まあ、貧乏くさくなってはいけませんが、
いかにも"人間の営み"という分を守って、
単純な仕掛けで創った方が、想像力が羽ばたく感じがするのです。
でも、当時は色んなことを試してみたいですから、
昼間のうちにちょっと工夫をして、2日目の上演にぶつけました。
すると、終演後に焼酎を煽りながら、みるみる唐さんが怒りはじめた。
「ゴムはどうしたんだ!(怒)ゴムは!!(超怒)」
こういう感じで立ち上がると、
私を怒鳴り付けながらサッと引き揚げて行かれました。
弁解や謝罪の隙も、取りつく島もなく、
まさに斬って捨てられたようなスピード感でした。
当然、ひどくショゲまして、
しかし、翌週末には東大の駒場小空間での公演が控えていたので、
夜のうちにバラし始めました。
少し寝て、翌朝も横浜国大の丘の上でバラしていたのですが、
そこに唐さんから電話が掛かってきました。
「研究室にスポーツ新聞を忘れたから、届けに来て欲しい」と言うのです。
そこで、私はバラしを抜けて新聞を手に、高円寺に向かうことにしたのです。
急いで。急いで。1時間半かけて唐さんの家のチャイムを鳴らすと、
唐さんが出てこられて、「昨日は怒りすぎちゃってゴメン!」と言うなり、
サッと新聞を受け取って、またガチャンとドアが閉められました。
自分は「こちらこそスミマセン。来週もよろしくお願いします!!」
と閉じられる扉の内側にお詫びとお願いをねじ込むのがやっとでした。
なんだかホッとすると、
帰りの道々、明らかに読まない新聞を口実に呼び出されたことが、
だんだん可笑しくなってきました。
同時に、怒る時も、歩み寄る時も、
全くベタベタしないヒット&アウェイの早技に、妙に感心してしまいました。
こういうのをスパッとやりおおせるのはなかなか出来ないことだぞ、
と、いまだに思います。
しかし、あの時、
なぜ唐さんがスポーツ新聞を持って大学にいらしていたのか、謎です。
あれはデイリースポーツだったような気がしていますが、そのチョイスも、
全く謎めいています。
2020年2月17日 Posted in
中野note
↑椎野が演じた「銀杏」。
この反抗的すぎる造形と眼つきは、「ファキイル」を全く必要としませんね。
失敗です(笑)
この前、「はる美」でワークショップをしながら、
昔、唐さんに心底ブチ切れられたことを思い出しました。
2004年の7月に『盲導犬』に挑んでいた時のことです。
これはちょっと長くなるので、
二日間に分けて、この話をしましょう。
『盲導犬』は服従と不服従を巡る物語です。
社会的、政治的な闘争に敗れた男「影破里夫(えいはりお)」は、
自らが憧れる存在として、盲導犬なのに決して人間に従わない犬、
「ファキイル」を探していると訴えます。
「ファキイル」とは、アラビア語で托鉢僧・乞食僧の意味。
要するに、永遠に飢え、渇望し、飢餓感に満ちている者という設定です。
ハーマン・メルヴィルの小説『白鯨』の主人公、
「エイハブ船長」から引用されたキャラクター「破里夫」の心は、
今や風前の灯にして、社会の多数派の側に折れかかっているわけですから、
「ファキイル」をよすがにして不服従の盲導犬を自分の心の支えに、
気合いを入れ直そうとしているわけです。
一方、夫に忍従を強いられている女「銀杏(いちょう)」が登場すると、
彼女もまた、本当の思い人であるかつての恋人との関係をいじめ抜かれ、
心に秘めた存在にすら精算を迫られていることが判ってきます。
「破里夫」と「銀杏」、
二人の心が徹底的に踏みにじられ、服従を迫られる時、
突然「ファキイル」は登場し、銀杏の首をかき切って飛び去ります。
面白いのは、この首をかき切るという一見ネガティブな行動が、
決して「銀杏」や「破里夫」に対する懲罰などではなく、
「ファキイル」流の、激しすぎる叱咤激励であるということです。
だからこそ「銀杏」は、あくまで歓喜とともに「ファキイル!」と叫ぶ。
ちょっと長くなりましたが、
とにかく、クライマックスのこの場面、
「ファキイル」の登場をどう扱うのかということが、
実際の上演に当たっての難題であり、
演出家をはじめとしたスタッフワークの腕の見せどころともなるわけです。
で、このシーン、
私たちの上演では、唐さんのアドバイスによって「ゴム」が採用されました。
自転車のタイヤのチューブなどに使われる、あの「ゴム」です。
これはもう実に単純な仕掛けで、開場前に舞台裏から客席後方まで、
劇場の天井に、黒くて太くて長いゴムをビーンと張っておいて、
物語が一番盛り上がったところで、
このギュウギュウに引き絞ったゴムをバシッと飛ばすわけです。
この「ファキイル」ゴムが発端となって、私は唐さんに激怒され、
訳あってこのブログのタイトルにあるように、新聞を運ぶことになりました。
続きは後日。
2020年2月15日 Posted in
中野note
↑薄暗くてちょっと判りにくいですが、
唐ゼミ☆青テントが最も線路に近づいた『お化け煙突物語(06)』の終幕
あと3秒で屋台くずしというところです。
パネルの隙間から見えている光が、東武東上線。
現在、スカイツリー駅が建っているあの場所で、私たちは公演しました。
初めて東京に進出しようと思った時、
玉ノ井の鉄道ぎわを舞台にした演目でしたから、
ウロウロ彷徨い歩いてここに辿り着きました。
墨田区と東武鉄道の皆さん、
唐さんのご友人である画家の宇野マサシさんのおかげでした。
唐さんと電車と言えば、
大学教授時代。学課の忘年会帰りの唐さんが、
東横線でお弁当箱を巾着袋ごと置き忘れてしまったことがありました。
曲げわっぱの、唐さんが気に入っていたものでしたが、
残念ながらこれは出てこず。
以来、私は酔っぱらった唐さんが電車に乗る時には、
渋谷駅まで付いていくようになりました。
そこから唐さんは山手線と中央線に乗り換える訳で、
忘れ物をする可能性が残っていたのですが、
「ここでいいよ」と言われて、もと来た道を引き返しました。
車を運転を覚えてからは、
室井先生の車で送ることができるようになり、全て解決しました。
ところで、電車内での唐さんは度はずれに正義感が強く、
お年寄りに率先して席を譲るのを専らとしていました。
目ざとくシニアを見つけるやいなや、素早い身ごなしと、
なんとも言えず大仰な、ずいぶん芝居がかった低音で声をかけるのです。
ある時など、車両の端っこに座っていた唐さんは、
ほとんど反対側の端に立っていた高齢者に猛スピードでアプローチし、
電車一両分を丸ごと引っ張ってきて座らせたのです。
生真面目さもここまで突き抜けると、異様な迫力を帯びてきます。
両側の長イスに座っていた乗客たちは瞠目していました。
まるで、花道で歌舞伎役者が見せる道行のようでした。
近頃の自分は車での移動が増えて、電車に乗る機会が激減しています。
わざと各停に乗りながら文庫本を読んだ日々は遠いものになりました。
ああ、ひとりの時間が欲しい。
湘南新宿ライナーも副都心線への接続も無かった頃、
唐さんと過ごした電車での光景を、たまに乗る東横線の中で思い出します。
2020年2月14日 Posted in
ワークショップ Posted in
中野note
↑今しも台本の抜粋を配って、本読みを始めようとしているところ。
昨晩は恒例のワークショップでした。
すでに常連さんと言える方が二人、初めての方が三人。
併せて五人。ありがたいことです。
毎度、『唐版 風の又三郎』に加え、
別の一本のワンシーンにも触れて世界を広げたいと思っていますが、
昨晩は『盲導犬』を取り上げました。
同じせりふでも、演じ手が話しかける対象を工夫することで、
どれだけ意味や情感が深まるか、というワークショップ。
さらに、『唐版 風の又三郎』1幕から、
老婆と大学生、テイタンの三腐人のくだりへと進みました。
これで二時間強。
ワークショップの始まりで、自己紹介がてら、
それぞれの唐十郎体験を披露してもらうのですが、
これはむしろ、こちらが愉しませてもらっています。
前回は、まさに1974年春の『唐版 風の又三郎』から見始めた、
という方のお話を伺いましたし、
今回は、1977年春の『蛇姫様』を観てハマった、
という方をお迎えしました。
声を出し始めると、
ト書きを読むのが面白くて仕方ないことに気付いた方がいて、
もう、ト書き専門でやってもらいました。
同じせりふを読みながら、それぞれの言葉が、
受け取る人によって異なったインスピレーションを触発していくのが、
面白かったです。皆さんが妄想に耽っていくのが、
表情の変化から手に取るようにわかる。
まさに、男だらけのロマンチスト大集合という感じでした。
せっかくなので劇中歌『又三郎のテーマ』をその場で覚えてもらい、
せまいバーの中で大合唱もして。
もし、申し込みの際に好きな唐作品をリクエストして頂けたら、
今後はなるべく取り上げられるようにしたいです。
良かったら、どうぞ。
2020年2月12日 Posted in
中野note
唐さんの台本には、何の前触れもなく、
突然、聞く者の心を射抜くせりふがあります。
それは登場人物にも、物語にも縛られず、ひょっとしたら、
唐さんご自身がこれを言いたいがために書いてしまったのではないか、
と思われるせりふです。
こんなことを思い出したのは、一昨日『透明人間』に触れたからです。
あの芝居は、唐組が何度も何度も上演してきた名作です。
当然、私は何度も何度も通って観ました。
2001年に新宿西口の原っぱで。
2006年に井の頭公園で。
2015年に花園神社で。
それぞれ何度も行きました。
あの芝居は基本的に、
悪漢「辻」に惹かれる主人公「田口」の目線で観る劇ですが、
私はいつの頃からか、どの上演の折にも、
中学生の少年「マア坊」が1幕で言う、
こんなせりふを心待ちにするようになりました。
母 親 下りなさいよ。(と、手を引き)ここは、
あんたなんか上がってくる階段じゃないんですから。
白 川 (引き下ろされる)
マア坊 階段なんか、誰が上がったっていいじゃないかよおっ。
これは、かなりドタバタしたシーンの末尾に紛れ込んでいるせりふです。
マア坊の母親が、青少年には似つかわしくない居酒屋の二階、
怪しげな「辻」のもとに息子を誘った担任の白川先生を非難する場面の、
最後に現われるせりふです。
このせりふは、前後の流れを超えて妙に耳に残るのです。
それはきっと、世間にくすぶっているあらゆる青年の野心や屈辱を、
このせりふが代表してしまっているからです。
自分の近くで、
いかにも恵まれた人がスッと階段を上っていくのを感じる度、
かつて私を射抜いたこのせりふが、ふつふつと甦ってきます。
2020年2月11日 Posted in
中野note
昨日お伝えした通り、今日は唐さんのお誕生日でした。
元旦を迎えた頃から、
もうすぐ唐さんのお誕生日だな、と意識し始め、
今年はどんなプレゼントが良いか思案するのは、愉しいものです。
プレゼントと言えば、
唐さんは公演の時をはじめとして、
折に触れて私たちに贈り物をして下さることがあります。
そのどれもが、いま取り組んでいる芝居に関係があったり、
青テント公演という劇団スタイルに想を得ていたり、
とにかく頓智が効いているのです。
それは、決して金額や世間的な価値観とは関係が無く、
いつも劇の内容やその時の催し、お祝い事の中身につながっている。
いかにも"心づくし"という感じのするものですから、
ひとつの他人に接する流儀として自然と影響を受けてきました。
プレゼントも芸のうち、ということで。
ところで、今日は紀元節でもあります。
神武天皇が即位したのと同じ日、
ちょうど皇紀2600年に唐さんは生まれました。
こう聞くと、さらにおめでたい感じがしますね。
そう言えば、目下取り組んでいる『唐版 風の又三郎』の2幕、
初演で唐さんが演じた女性嫌いの「教授」がこんな科白を言います。
教授 この脳梅女、コとかヨとかラ とか、
女の名の語尾をそれ以上喋りまくるのはやめてくれ!
ここは女人禁制の場だぞ。
桃子 女が嫌いで、てめえはどこから生まれてきたんだ。
教授 わしは天からの授かりものだ。
いかにも、唐さんは「天からの授かりもの」っぽい。
ここを読むと私はいつも笑ってしまい、朗らかな気持ちになります。
ついでに紹介しますが、
最年少の唐ゼミ☆劇団員である娘もまた、今日が1歳のお誕生日でした。
唐さんのちょうど79年後輩。当然、ローソクは1本です。
2020年2月11日 Posted in
中野note
「おなかの調子を良好に保つ」と書いてあります。
私たちがまだ地方公演に不慣れだった2005年過ぎ、
緊張しながら旅に出る私たちに唐さんが口を酸っぱくして仰ったのは、
とにかく腸の健康を保つべし、ということでした。
人の健康を司っているのはほとんど「腸」なのだから、
何はともあれ写真のようなヨーグルト・ドリンクを飲み、
できれば紫色のタマネギのすりおろしたのをやりなさい。
そうすれば間違いなく健康は保たれる。
ついでに言うならば、人の心、
人間の気分の大半は腸の状態に左右されている、
とも仰っていました。
実際に、唐さんは上記の二点セットを毎朝せっせと摂取し、
皆さんご存知のようにすこぶる元気でご自身の地方公演を乗り切っていました。
ところで、唐さんと「腸」といえば、
90年代の傑作『透明人間』の冒頭、
主人公である保健所員・田口が繰り出す長ぜりふを思い出します。
「母が、海中からおどり上がる一匹の鮫だったらどんなにいいだろうか、
母がオーロラの下をかける狼ならどんなに楽しいものかと僕は思ってました。
僕が母から受けついだものは、そんなふうに五官をたかぶらせるもんじゃない。
似ているところはただひとつ、並の人より腸が、
一メートル長いだけのことだったんです。」
これはある種の日本人論で、
日本に生まれ育った凡人代表の田口は、
「鮫」や「狼」という例えを借りて、非凡であることへの憧れを訴えます。
それが結果的に、中国人とのバイリンガルである悪漢「辻」への憧れや、
せむしで唖のヒロイン「モモ」への強烈な興味につながっていくわけですが、
面白いのは、ここで田口が「典型的日本人=腸が長い」と言っていることです。
やはり「腸」。大事なのは「腸」なのです。
私もまた、普通の日本人として師の教えを守り、
ブルガリアからやって来たヨーグルトをゴクゴクやって健康を維持しつつ、
芝居に打ち込むという醍醐味を日々味わっています。
あっ、これを書いているうちに日付が変わりました。
唐さん、80歳のお誕生日おめでとうございます!
2020年2月 9日 Posted in
中野note
↑イスラム教圏ではポピュラーなお守り「ファーティマの手」。
引き出しを整理していたら、こんなものも出てきました。
イスラム教圏では、「見る・見られる」という行為が、
すごく強い威力を持っているらしいのです。
肌の露出を嫌う土地柄ですから、
全身を包む衣類から覗く目線・視線の類が強力になる。
「イビルアイ=邪視・邪眼」という言葉もあるように、
よこしまな目でジロジロと見つめられることは、
ひとつの呪いを受けたり、犯されるも同然、という考え方のようです。
そういう邪悪な眼差しから身を守るために、このお守りがあるのだそうです。
手のひらの中に、邪視を跳ね返す聖なる目が埋め込まれている。
ちなみに「ファーティマ」とはマホメットの娘、
イスラム教における聖女の名前です。
2011年に『海の牙-黒髪海峡篇』に取り組んでいた時、
このお守りの存在に気づいて、全ての謎が解けました。
あの物語は、こんな具合です。
青年・呉一郎は中学生時代、
体育の時間に得意の鉄棒で大車輪を披露していたところ、
校舎の窓からとんでもなく強い目線が自分を射抜いていることに気づく。
瞬間、一郎の身は硬直して鉄棒から転げ落ち、
それ以来、右手が使い物にならなくなってしまう。
舞台は、その目線の持ち主であるヒロイン・瀬良皿子と、
(「シェラザード」をもじったセラサラコ)
呉一郎が再開するところから始まります。
この、大車輪中の刹那から二人の因縁がスタートするところが、
例によって唐さん節炸裂でなかなかの傑作なのですが、
この「目」と「手」を取り合わせたオブジェこそ、
「ファーティマの手」でした。
『海の牙』は1973年の秋に初演、
春に唐さんたちはバングラデシュ公演を行っています。
ここはイスラム教圏ですから、
きっと街のそこここでこのお守りを見た唐さんは、
物語の着想を得たに違いありません。
『海の牙』は私たち、けっこう自信あります。
またやってみたい演目のひとつです。
2020年2月 8日 Posted in
中野note
↑五年ほど前、名古屋は大須にある古本屋「猫飛横丁」で撮影。
唐さんが書きつけたサインやメッセージには、おもしろい発見があります。
言わずもがなですが、唐さんの言葉が好きです。
特に、唐さんが難しい言葉でなく、簡単な言葉を組み合わせて、
しかも、誰もが思いつかないような文章を寄せる時、
真骨頂だな、といつも思います。
今、簡単な言葉、と書きましたが、
唐さんの"簡単な言葉"って、いかにも、
実体験に基づく言葉、肉感を帯びた言葉、生活感に支えられた言葉、
という感じがして、分かるなあと共感しつつ、
それでいて、ちょっと普通じゃ思いつかないなあ、と惚れ惚れします。
唐さんはサインを頼まれると、そこに一文を書きつけることがあります。
写真の、かつて角川文庫から出版された『少女仮面』には、こう書いてあります。
移りゆく風景は
とこしえの衣装である
それをまとって僕は今を横切るだけ
テントをかついで旅する役者集団の誇りと慎ましさ、
何より、颯爽とした感じが伝わってきます。
ちょうど今、私たちが取り組んでいる「風の又三郎」になり切っている、
そんな感じもします。
他にも、2003年夏に私たちが『動物園が消える日』を金沢で公演した際、
地元のファンの方から、唐さんが書きつけたサインを見せてもらいました。
金沢、この小さな中世
『犬狼都市』という単行本の見返しにこうありました。
カッコイイですね。
旅行会社の宣伝にも使えそうです。
1979年春、状況劇場の金沢公演の際に書かれたものです。
いかにもきれいな文句だと思って唐さんに報告したら、
「ああ、ホイジンガの『中世の秋』が流行った頃だなあ」と、
ちょっと照れたようにおっしゃっていました。
2020年2月 6日 Posted in
中野note
昨日のゼミログで紹介した写真を見ながら台本を読んでいて、
あの頃の唐さんに言われたことを思い出しました。
細かい時期は忘れてしまいましたが、
あれは例によって、唐さんと都内で何かの芝居を観て、
終演後の飲み会にも参加し、流れでご自宅に泊めて頂いた時のことです。
翌朝に起き出して朝食をご馳走になり、
先に食べ終わった唐さんはソファーでくつろぎながら、唐突にこう仰るのです。
「オレが今、中野の歳だったら演劇はやらないなあ」
当時、私は20代の前半でした。
現在よりもさらに盲目的に唐さん目指して演劇一生懸命でしたから、
ドキリとして、思わずこうお尋ねしました。
「唐さんだったら、今、何をされますか?」
すると、唐さんはこう言うのです。
「そうだなあ。ハンググライダーなんか造りたいなあ」
私はなんだか、可笑しくなってしまいました。
今の演劇が、
ご自分の青年時代ほど威力を持っていないという見立ての厳しさ、
それは別にして、唐さんが一生懸命ハンググライダーを作ったり、
空を飛んだりする姿を想像すると、ちょっと笑えてきます。
同時に、唐さんから漂う「手仕事」の感覚に、安心したりもしました。
唐さんの演劇づくりは常にコツコツとした手作業の気配があって、
いかにも生身の人間が手と体を使ってやっている、
そういう安心感があります。
「やっぱり唐さんは芝居を作ってますよ」とこちらが笑いながら応えると、
唐さんは「そうかなあ」などと仰っていました。
『唐版 風の又三郎』の冒頭には、
かつて唐さんが演じた「教授」が「ヒコーキです」という科白を言う場面があります。
「ヒコーキ」とか「ハンググライダー」とか。
唐さんの、あの涼しく高い声にはいつも、
どこか空を飛んでいるような気配があります。
2020年2月 5日 Posted in
中野note
増えすぎた書類を整理するために勉強机のキャビネットを片付けていたら、
こんな写真が出てきました。
これは確か、
2003年秋、『動物園が消える日』を稽古している時に撮った、
大学の卒業アルバム用の写真です。
大学生にもなって卒業アルバム!?
と思われる向きもあるかもしてませんが、
唐さんは結構よろこんで撮影に応じて下さいました。
やっと学生である私たちとの芝居づくりが定着した頃です。
大学に不慣れだった唐さんは、
教授という役割を愉しみ始めていたようでもあります。
この頃、夜中まで稽古しては、
出番のない役者は石油ストーブの周りで暖をとっていました。
木曜日にやってくる唐さんに通し稽古を見てもらうためです。
とにかく緊張していました。
2/6木曜日に予定いている「はる美」でのファンミーティング開催のピンチに、
お一人、参加の連絡をしてくださった方がいます。
重村が喜んでラインしてきました。そして、まだまだ入れます。
木曜日は唐十郎ゼミナール開講。
私も参加します。重村を囲んで、芝居の話をしましょう!
2020年2月 3日 Posted in
中野note
禿さんが描いた渦巻。プリミティブな画力です。
第30回記念公演なので、
これまでの劇団の来し方をチラシに入れられないか相談したところ、
これが出てきました。
とても面白かったので思わず写真を撮りましたが、妙にボッテリしている。
もっとシャープなデザインにしてくれるよう依頼を出しました。
どういう風に完成版に反映されるのかはお愉しみですが、
こんな具合にチラシを作っています。
4月までに完成させたいというのが、私たちの目標です。
他にも、4月までに終えておきたいことがいくつかあります。
(1)公演場所の決定
何回か劇団員たちと各地をウロウロして、希望の場所が定まりました。
これから交渉していきます!
(2)出演者と配役の決定
こちらからオファーする人と、
「はる美」で行っているワークショップで出会う人と、
上手く組み合わせたいと思っています。
と言っても、ワークショップは出演者探しだけではなく、
唐十郎ファンの人との勉強会でもありますので、
気軽に来てください。
(3)劇中歌の伴奏づくり
『唐版 風の又三郎』は、とにかく歌が多い。
種類も豊富ですが、同じ歌を何度も何度も歌います。
このリフレインが、効果を生み出すように書かれています。
早めに相談にいかないと!
(4)チラシの完成
私が気になっているのは、目下、こんな感じですが、
劇団員によって、それぞれ担当の仕事に目を配っています。
メンバーによって、小道具の表を作る者もいれば、
チラシの折込に気を配って、手配する人もいます。
こうやって、全員でスクラムを組みながら、
公演準備が押し上がっていくのです。
2020年1月31日 Posted in
中野note
↑自分用の台本。224ページあります。
今日は2週に一度のワークショップでした。
5人の方にお集まり頂き、
『少女仮面』と『唐版 風の又三郎』それぞれの冒頭をやりましたが、
ハタと気付いたことがあります。
一人でもリピーターがいる場合は、
どんどん新しい演目やシーンをやらなければならない......
例えば、今日参加して下さった方の一人が次回もいらっしゃった時には、
他の方々が全くの初めてでも、
やっぱりリピーターさんを退屈させるわけにはいかないので、
新たな場面を追いかける必要があるわけです。
まあ、汲めども尽きせぬ唐十郎作品ですから、
やれば出来ないことはないのですが、
問題は、誰とどのシーンをすでにやったのか、
もう一月くらいで分からなくなってしまいそうなことです。
そういうわけで、ノートを付けることにしました。
これからは、当面の目標である『唐版 風の又三郎』よりワンシーンと、
他の演目でもう一本、そういうルーティーンにしようと思います。
そんなことを考えながら家に帰って、台本を完成させました。
まだ、誤字脱字があるかも知れませんし、
今後、版による違いが発見された場合は、選択して差し替えながら、
稽古は進んでいきます。
9月に『ジョン・シルバー』シリーズを終えてから、
なんだか寄る辺ない思いをしてきましたが、
これでまた、上演台本をカバンに入れて過ごすことが出来ます。
気になったことがあったら、すぐに台本を開いて確認。
明日から、そんな日々が始まります。
公演準備の醍醐味です。
2020年1月29日 Posted in
中野note
稽古帰りの米澤と映像編集にかかる打合せをしていたら、
パソコン間のデータ移動にやたら時間がかかることがわかりました。
1時間近くかかるということなので、
PCにデータを吸い取らせながら、二人で買い物に出ました。
たまたまスーパーで発見したのは「フンドーキン」の醤油。
昔、唐さんがCMに出演した大分県のメーカーによる製品です。
https://www.fundokin.co.jp/enjoy/cm/
現在は『めんたいぴりり』で有名な江口カンさんが監督された、
実に独創的な、唐さんへのオマージュに満ちた映像です。
その時、「中野にも一本あげる」と、
唐さんプレゼントして下さったのを思い出し、
自分も米澤にプレゼントしました。
ご飯を炊いて、玉子かバターを落とし、そこにこのお醤油をたらせば、
ちょっとしたご馳走です。
米澤よ、食べているか!
また、昨日は公演会場探しの前に
数年前に泣く泣く諦めたエサ=ペッカ・サロネン指揮の『火の鳥』を、
ようやく聴くことが出来ました。
絶対に良いに決まっていると確信して聴きに行き、やっぱり凄かった。
もう、今年のベストコンサートはこれで決まり!という出色の内容でした。
全体として纏まりながら、
各パートのが巧みに分離してバラバラに響き合う演奏を聴いていると、
集団シーンかくあるべしという感慨に打たれます。
"音響のよろこび"という感じです。
キラキラ、ギラギラ、それぞれが主張しながら鳴っていました。
20代の半ば過ぎから、私はクラシック音楽も熱心に聴くようになりましたが、
それには、横浜国大の先生だった大里俊晴先生と許光俊先生の影響があります。
お二人とも唐さんと同期で、1997年に赴任された先生方です。
20歳前後に感化されたものには、いまだに強く息づいています。
2020年1月29日 Posted in
中野note
今日は一日中、雨でしたね。
ことに夜も更けてからは土砂降りでした。
もう冷たい大粒の雨がボタボタボタボタ。
テント公演をやっていると、一番ダメージなタイプの雨です。
最近、劇団メンバーは外での仕事に忙しい。
直近の課題の一つに、テント劇場を建てる場所を決めることがあるのですが、
これについて、検分したり話し合ったりしたいのですが、
なかなか足並みが揃わない。
そこで、深夜に結集することにしました。
23:00、新宿西口に集合。
中野、齋藤、熊野、津内口の4人です。
主な役割分担は次の通り。
中野・・・道案内と、それぞれの場所について長所・短所を説明する。
齋藤・・・搬入やテントの建てやすさ、仕込みのしやすさ、終幕の仕掛けを構想
熊野・・・地の利、集客のしやすさについて
津内口・・トイレ、水道、喫煙場所、受付位置、観客導線など
こんな感じです。
複眼で見て、条件を出していきます。
その間も、雨に加えて冷たい風が吹きすさび、この後に齋藤の傘が壊れました。
金曜には、他のメンバーともこれをやります。
テント演劇にとって、会場の決定は要となる作業ですから、
念入りに、しかし、いつまでも時間が過ぎてゆくに任せてはおけないので、
ここから一週間で、完全に方針を出します。
帰りは眠くなり、途中に運転を替わってもらったりしながら、やりました。
車中では、いま見たばかりの土地について品評しあったり、
最近のお互いの仕事について、情報交換していました。
こんな風に、物事を進めるためには、時に力技も必要なのです。
そうそう。都内をウロウロしながら、迷い込み、
なかなか見事な行き止まりを発見しました。
いわゆる「袋小路」です。
唐さんは「袋小路」が好きで、
「ドクター袋小路」「袋小路耕三」などのキャラクターを生み出しました。
でも、普通は袋小路と言えば、どんづまりにのっぺりとした壁があるものですが、
今日、たどり着いたそれは、立派なお屋敷でした。
深夜だったせいか、なかなかに謎めいて見えました。
まるで、怪人二十面相のアジトのよう。
是非とも、明智小五郎と小林少年が大好きな唐さんに紹介してみたい場所です。
2020年1月26日 Posted in
中野note
↑片付け中の重村と新木。
一昨日、22時に「はる美」にたどり着いたら、
すでに営業が終わっていました。
重村も新木も充実した様子でしたが、
自分のワークショップも含めて、
「まだまだこれからだな」という話をして別れました。
やってみると、週に一度、小さなライブがあるようで、
これはありがたいことです。
劇団って、公演の時は華々しいですが、普段はかなり地味ですから。
コンスタントにファンも巻き込んで、芝居の話ができるのが嬉しい。
次回、1/30(木)は私の番。
前回は『ジョン・シルバー』と『夜叉綺想』をやりましたが、
今度は、これから色々な場所で公演される『少女仮面』と、
私たちが本格始動している『唐版 風の又三郎』の冒頭部分を、
集まってもらった人たちと読んでみたいと考えています。
『少女仮面』は、ここで冒頭だけでも本読みしてから、
ぜひ各公演に足を運んで貰いたいです。
どういう話かを知ってから上演に立ち会い、
様々にやり取りされる科白を聴いてみると、
手に取るように登場人物のやり取りがわかります。
『唐版 風の又三郎』の場合は、
これはもう劇団でやっている稽古と全く同じように本読みします。
特に、1幕序盤のト書きから、小学校のシーン、
現れた少年が「僕、風の又三郎です。」と口走るところまでで、
言いたいことが山ほどあります。
オルフェウス神話に着想したト書きをどう演じたら良いのか。
小学校の場面では、なぜ最大の数が問題にされるのか。
「僕、風の又三郎です。」という科白はどんな風に言われるべきなのか。
場面や演技を組み立てるための読解を、上演を前提としてやります。
一緒に研究しましょう!
おまけの記念写真は、
昨日、清水宏さんと綾瀬市で行ったスタンダップコメディの発表会後。
みんなでスタッフワークをしたわけですが、
米澤は演者としても気を吐きました。
スタンダップコメディアンとして、米澤オリジナルのネタで、
ほとんど初めて、きちんと笑いをとることが出来ました。
めでたい!笑顔に自信が漲っています。
2020年1月23日 Posted in
中野note
2007年に取り組んだ『鐵假面』。ヒロイン・スイ子の手にボストンバッグ。
昨日お伝えした通り、
今頃、重村がバーをお借りして皆さんとお話ししているはずです。
その模様は、明日にレポートされます。
今日は、劇作家による書き換えや改訂の話題です。
私たちは台本のベースを作ると、劇団員で本読みをしながら、
これまでに出版されたあらゆるバージョンと見比べます。
それには理由があって。
2007年の初夏から秋にかけて『鐵假面』という芝居をやっていた頃、
一人のお客さんから受けた指摘に驚かされました。
その方がおっしゃるには、
確かに自分はこの戯曲が初めて掲載された文芸誌を読んでこの芝居を観に来たが、
エンディングがまるで違う、というのです。
私は基本的に台本をカットしませんし、
まして書き換えなどもっての他と思っているタチなので、
台本を見せながら説明をしました。
すると、その方は家に帰ってわざわざ古い雑誌を取り出し、
そのコピーを見せてくれたのです。
確かに、違う。
新潮社から出ていた『二都物語・鐵假面』単行本に準じた私たちの上演だと、
主人公の青年「タタミ屋」が最後に刺すのは悪役「味代」ですが、
この台本が初めて掲載された総合文芸誌「海」昭和47年11月号によれば、
刺されるのはヒロイン「スイ子」なのです。
これでは、だいぶ話も違ってくる。
ここから先は私見ですが、
物語がより残酷で、ヒロイックに輝くのは初掲載の「海」バージョンです。
単行本版は、ともすればご都合主義的で、ちょっとコミカルなんですね。
もともと、姉の同棲相手を不意に殺してしまった姉妹が、
ボストンバッグにその男の頭部を入れて逃げ回っているという設定です。
おそらく、ストーリーが陰惨すぎるのを嫌ってか、
書き下ろした時点のものから、稽古や本番をしながら書き換えたのではないでしょうか。
それにしても、唐さん演ずる「味代」が最後、
大袈裟に刺される姿を想像するだけで何となく笑えてきますが、
正直に言うと私は書き下ろし版の方が好きになってしまって、
「次やるときは、『海』版だな」と強く思いました。
書き換えられた単行本版は、
何だが「現場の都合」に寄りすぎているように感じますし、
元来のエンディングの方が二枚目なんです。
そのようなことがあったものですから、
以降、唐さんのものに限らずすでに書かれた作品に取り組む際は、
活字化された全ての版と、できれば生原稿もチェックするようにしました。
劇団員と一緒に本読みをしながら、ちょっとした変化を発見すると嬉しくなります。
単なる間違い探しではなく、
そこに作者の試行錯誤を想像するのが、なんとも愉しいのです。
2020年1月22日 Posted in
中野note
↑御茶ノ水橋から、向こうに見える聖橋。工事が早く終わって欲しい。
『唐版 風の又三郎』に挑む者にとっては憧れの、御茶ノ水に行ってきました。
同行して下さったのは、
以前『こと』というお寿司屋さんの劇を演出した際にご一緒した、
鳳恵弥さんと鵜飼友義さん。
特に鵜飼さんは千代田区出身で明治大学のOB、
地元中の地元かつ現在は区議さんを務められていて、土地に圧倒的に詳しい。
↑三幕の科白に出てくる「ジロー」というお店の前にも案内してもらいました。
他に、最近進めていることといえば......
これから劇団集合の度に、上演台本を練り上げます。
まずは劇団員総出での誤字脱字チェック。
さらに、ここが大事なのですが、
これまでに活字化されたあらゆる同台本を劇団員それぞれに持ってもらい、
読み合わせをします。
時々、版によって変化していることがあるからです。
そのあたりのことは改めて書きましょう。
出演交渉も進めています。
今日は大事なキャストのマネージャーさんから良いお返事をもらい、
勢い付きました。
交渉ごとの日々を送りながら、一喜一憂して生きています。
そうそう。
明日は重村大介の初仕事です。
バー「はる美」で、唐十郎ファン、唐ゼミ☆ファンを集めて、
芝居の話題を中心に、彼がお話しする日です。
重村のワンマンショーだと思って楽しんでください。
サポートで新木遥水(「はるな」と読みます)が付きます。
主役は彼らですから、自分は邪魔をしないように、
終わり頃に行こうかな、と考えています。
2020年1月21日 Posted in
中野note
鷹さんと私。2003年秋〜冬に上演した『鉛の心臓』チラシに載せた写真。
先日、私たちが困っていた『唐版 風の又三郎』二幕の歌問題について、
大久保鷹さんからアドバイスが寄せられました。
「♪麗しのエッタンベヤ〜......」という歌い出しで始まる、
謎めいたあの歌。
鷹さんが詳しく説明して下さったところによると、
初演時、ズバリこの歌をうたう「夜の男」役で舞台に臨んだ時には、
この歌はカットされたそうです。
21世紀になって上演された新宿梁山泊版の時も、この歌はうたわれず。
そもそも、唐さんがどこから引用されたのかも、よく分からないとのこと。
しかし、
せっかく新たに上演するのだから出来る限り探り当てたい気持ちをお伝えし、
電話で少しお話ししながら鷹さんと糸口を探っていると、
「どうも麿さんが鍵を握っているのではないか?」というアドバイスを頂きました。
「何か、麿さんの甲高い声で『エッタンベヤ〜』という歌詞を聴いたような気もする」
と。
鷹さんにそう言われて思い出したのですが、
私たち劇団は、劇中歌について麿赤兒さんにお世話になったことがあります。
あれは2012年に『木馬の鼻』を初演した時、
禿恵が演じた「群馬」というキャラクターが、
「♪エンネルカフェデチニータ〜」という歌をうたうのです。
出来るだけ正確に歌いたい旨、唐さんに相談すると、
あれはもともと『腰巻お仙 義理人情いろはにほへと篇』で、
「ドクター袋小路」がうたった歌だから、麿さんに訊くべし、
というアドバイスを受けました。
そこで、実際に禿は吉祥寺の麿さんのところにお邪魔して、
ご本人に歌ってもらって手ほどきを受けました。
と、まあ、こんな具合に、何か分からないことがあると、
鷹さんにお電話して伺ったりしています。
年末には、
「『由比正雪』に出てきたアノ科白、誰がどの場面で喋るんでしたっけ?」
などというこちらの質問にも、延々付き合って下さるのです。
鷹さんは自分にとって、ちょっと頭が上がらない存在です。
2020年1月20日 Posted in
中野note
↑2011年に行った「大唐十郎展」準備の際に伺った時に撮影した「乞食城」
唐さんはいつか、
『唐版 風の又三郎』を三週間で書いた、と仰っていました。
台本を作ってみて、私が体感したのは、
これが実に、驚異のスピードだということです。
『少女仮面』の二日間はそれに輪をかけますが、
『風又』は登場人物の入り乱れ方がまるで違う。はるかに複雑です。
もちろん、私の場合は他の仕事を同時にしているとはいえ、
書き写すのに18日間かかった身としては、
これを三週間でか!? というのが率直な感想です。
考えながら書いていると、まず三週間では書けない。
頭の中から湧き出る奔流を書き留めた、
というスピードでなければ、ちょっと考えられない。
そういうことが、実際に追っかけてみて判るのです。
自分が知り合った1999年以降の唐さんは、
年に一本を基本に、多ければ二本、というペースで書かれていました。
春の唐組公演は新作、秋の唐組は旧作を改訂。
そこに、第七病棟に書いた『雨の塔』があったり、
大学で行ったゼミがきっかけとなって『鯨リチャード』が生まれたり、
他にも、
新宿梁山泊のために書いた『風のほこり』や『紙芝居』、
唐組が『二人の女』と抱き合わせて上演した『姉とおとうと』、
2011年8月には、
私たちのために『木馬の鼻』をプレゼントして下さいました。
そういう例外を除いては、年に一本を基調とし、
だいたい11月に執筆するというのが基本ペースでした。
一方、『唐版 風の又三郎』を書いた70年代の唐さんは、
状況劇場のために春も秋も新作、しかも往々にして大長編。
さらに、『盲導犬』や『唐版 滝の白糸』など、外部への作品あり、
文芸誌を中心とした媒体への小説やエッセイの寄稿あり、
映画にも取り組んだりしていますから、とにかく多作でした。
ですから、
唐さんは一座で山中湖畔にあるアトリエ兼倉庫、通称「乞食城」で合宿し、
書きながら稽古していた、とも聞いたことがあります。
早朝、唐さんが乞食城の天守閣(というか物見櫓?)で執筆し、
書けたところまでを、そこから劇団員で稽古、
そんな具合だったと伺ったことがあります。
70年代に書かれた作品の内容から、
脱稿してからから稽古した劇か、執筆と稽古が同時に行われたものなのか、
想像するのは面白い作業です。
一番は内容ですが、内容をもとに見当をつけ、
当時の唐さんのスケジュールを出来る限り調べたり、
初演に関わった方に訊いて、それを裏付けます。
私は今のところ、『唐版 風の又三郎』は前者だと思っています。
2020年1月16日 Posted in
中野note
今日は、記念すべきワークショップの第1回目でした。参加者は2人。
久しぶりにバーはるみのカウンターに入って、
10年前、『下谷万年町物語』のために、
仲間を募っていた頃のことを思い出しました。
ワークショップの様子は、
立ち会った新人劇団員のちろさんが、明日レポートしてくれます。
それよりも何よりも、
昨日、1/15(水)午前中をもって、
『唐版 風の又三郎』の台本をひと通り写し終えました。
12/29に始めましたから、合計18日間。
1日に向き合ったのは、冬樹社から出ている全集版で5〜6頁。
ノートを取りながらかなり根を詰めたつもりなんですが、
やっぱり時間がかかりました。
量は実に膨大で、3幕224頁。
ざっと『ジョン・シルバー』の2.5倍あります。
終わってみて、ずいぶん遠くまできたような実感です。
同時に、まるで大河ドラマを身のうちに取り込んだような充実感があります。
誰がどうなってそれぞれがどう絡み、主人公たちが最後まで行き着くのか、
かなり見渡せるようになりました。
明日からまた、
誤字脱字をチェックしたり、
単行本・全集・文庫本を見比べて、変化がないか検証したり、
登場人物の登退場や各場面の時間的変遷を示す香盤表を作る作業が始まります。
ここからは劇団員の力を結集して、上演台本を完成させるのです。
2020年1月13日 Posted in
中野note
↑唐さん流、海外公演の資金獲得術がこれ!
「レバノン」という土地に注目が集まっています。
日産自動車のカルロス・ゴーン元会長の逃亡・滞在先としてです。
一方、私たち唐十郎門下にとっての「レバノン」は、
目下取り組んでいる『唐版 風の又三郎』初演時、
唐さんが海外公演を行った場所として記憶されています。
1970年代の前半は、唐さんの一つの黄金期でした。
三年連続、ホップ・ステップ・ジャンプで次々と代表作をものにし、
紅テントの声望がいや増しに高まったのがこの頃。
同時に唐さんは、それぞれの演目に因んだ海外遠征を仕掛けることで、
劇団修行とプロモーションを同時に敢行しました。
1972年春 『二都物語』⇨韓国 ソウル
1973年春 『ベンガルの虎』⇨バングラデシュ ダッカ・チッタゴン
1974年春 『唐版 風の又三郎』⇨パレスチナ レバノン・シリア・ヨルダン
ざっとこんな具合です。
このあたりの手口は、
前に触れた川上音二郎もそうですが、
唐さんの同時代人で言えば、
神彰さんや康芳夫さんの影響もあるように思います。
要は、世間から暴挙としか思えない、言わば"死地"に赴くことで、
そこでの冒険を劇団や芝居に刻み付けて帰り、注目を集める。
戒厳令下のソウルを逃げるように後にしたり、
東南アジアの気候と水、食事に完全に体調を崩し続けたり、
それは、なかなかの強行軍だったと聞いています。
「ああ、日本に戻ってヤキトリ食べたいなあ」
現地に滞在しながらそう思ったと、いつか唐さんはおっしゃっていました。
同時に、
公演先で入場料を取ることができない世界各地での公演に際し、
劇団主宰者として厳しい経営感覚を持つ唐さんが、
ただの持ち出しのしたわけではありません。
例えば、パレスチナ公演の時には、
冒頭に写真を挙げたアサヒグラフにルポルタージュを書くことで、
全部ではないにせよ、軍資金の一部を稼いていたそうです。
メセナも助成金もない時代、筆一本で世界と渡り合おうとした唐さんの、
気概と智謀が伝わってくる方法です。
そして、このことが、
現在の私たちのように唐さんの後を追う者たちにとって、
貴重な資料を与えてくれているのです。
2020年1月12日 Posted in
中野note
↑我が劇団の「飛び道具」とも「鉄砲玉」とも呼ばれ、
一部でコアな人気のある重村大介。春のテント設営時の様子。
今日は劇団集合。
集合の日は、林麻子がいつもゼミログを書いてくれます。
しかし、ここ何回かは、
彼女がKAAT公演『NIPPON・CHA! CHA! CHA!』 に参加しているために、
重村大介が代理で集合の様子をレポートしてくれていました。
今日も当然、彼にお願いしたかったわけですが、重村は欠席。
聞けば、インフルエンザだとのこと。
考えてみれば、重村は実にインフルエンザに愛されている男で、
昨シーズンなど、流行りはじめの2018年12月に罹って稽古をしばらく休み、
世間がすっかりインフルのことを忘れた4月頭にも感染するという、
相性の良さでした。
要は、AもBもいけるクチだったのです。
そういうわけで、本人はさぞ苦しいでしょうが、
「ああ、またか」という風に、少し笑ってしまいました。
(ごめんネ。重村)
これで彼は、少なくとも水曜日まで引きこもり生活です。
集合では、
私がワードで打った『唐版 風の又三郎』二幕の誤植をチェックしたり、↓
登場人物の一人「夜の男」が二幕で歌う劇中歌の元ネタがどうしても判らず、
緊張しながら初演でこの役を演じられた大久保鷹さんに電話したら、
全然関係ない話に終始して電話を切られたり、↓
いよいよ1/16(木)から「はる美」で行うワークショップの準備をしました。↓
こんな感じで、みんな、すこぶる元気にやっています!!
2020年1月11日 Posted in
中野note
年末、夜に訪れたニコライ堂の外観。そのうち、中に入ってみたい。
現在は週に一度、劇団集合があります。
それまでに、企画自体の仕込みや、作品の中身に関わる作業を進めて、
皆に報告するべく生活しています。
昨日は夜遅くに、
ワークショップやファンミーティングの会場をお借りしてお世話になる、
お店のママやお隣の店のオーナーさんにご挨拶に行きました。
いよいよ来週からスタートします。
一方で、台本作りは三幕に突入しています。
『唐版 風の又三郎』第三幕の舞台は御茶ノ水です。
御茶ノ水といえば、明治大学出身の唐さんが学生時代を過ごした街。
聖橋やジロー、ニコライ堂といった地名が科白に紛れて飛び出すと、
作者にとってこの場所が、勝手知ったる遊び場であったことが伝わってきます。
今度、ニコライ堂の中に入ってみたい。私の身近な目標の一つです。
「ニコライ堂の鐘が〜」という科白があるので、ぜひ本物を聴いてみたいのです。
ニコライ堂といえば、
ここはかつて「赤い呼び屋」と呼ばれた稀代の興行師・神彰が、
その仕事のデビューを飾った「ドン・コサック合唱団」の招聘にあたり、
プロモーションに使った場所です。
ロシア帝国の崩壊によって難民となった兵士たちが結成した合唱団「ドン・コサック」。
彼らは羽田空港に到着するやいなや、まずは御茶ノ水のニコライ堂に立ち寄り、
ここで祈りの合唱を捧げたのだそうです。
この行為は結果的に、ギリシャ聖教の徒たる合唱団の神秘性を高め、
巨大な宣伝につながった。それが、1956年3月24日のこと。
何ともロマンチックな話ではありませんか。
話を戻して、『唐版 風の又三郎』。
年末に代々木の帝国探偵社前からスタートしたドラマは、
二幕に探偵社の中で繰り広げられる夜の学芸会、
幕間の病院を経て、御茶ノ水に行き着きました。
あと数日で、大々円を迎えます。
2020年1月10日 Posted in
中野note
林麻子がダンサーの方たちと柔軟をしています。
鏡に映るのは、この写真を撮っている齋藤。演出助手で参加しています。
今日は、『NIPPON・CHA! CHA! CHA!』公演の初日です。
今頃、皆さんで幕をあけた喜びに浸っているところでしょうか。
私は別件があり、他所でこれを書いていますが
劇団員が外で緊張しながら他流試合に挑んでいるのを想像すると、
胸が熱くなります。
皆さんも、ぜひ応援してやって下さい。
自分はすでにこの台本を読んでいますが、
これまで縁の薄かった如月小春さんのイメージが変わりました。
なんというか、どちらかといえば洗練された雰囲気の
インスタレーションの創作家だと思い込んでいたのですが、
意外にも、内容が熱いんですね。
『スクールウォーズ』的と言ったら良いのか、
つかこうへい的な熱さと言ったら良いのか、
バカバカしさの向こう側にある生真面目さ、真剣さに溢れた作品です。
昭和の終わりに書かれた如月さん流の日本人論なのですが、
律儀で、慎ましくて、健気で、愛すべき日本人が、
マゾヒスティックに頑張り、敗れていく物語です。
マゾヒスティックな日本人論といえば、
三島由紀夫の『サド侯爵夫人』を思い出します。
一見、典雅で高貴に思われがちな作品ですが、
要は、サド侯爵の夫人として苦労を重ねるルネが、
一番のドMだったという話です。
サドが社交界で放蕩を重ね、世間からの避難を浴びるごとに、
ルネは口では不安や心配を述べ立てながら、
実際はどんどん美しさを増していきます。
さらに大切なのは、そこに表現様式としての日本の新劇が重なること。
金髪のカツラをかぶってパテで鼻すじを通し、
一生懸命フランス人に近づこうとしている日本の俳優たちが、
愚かしくも美しく描かれるわけです。
今日の『NIPPON〜』はもちろんもっと青春運動的で、
もう三日もご飯を食べていないからますます労働に燃えて頑張る。
給料が何ヶ月も未払いだからこそ、さらに会社に尽くそうとする。
そんな日本人の美徳を体現する青年たちを描いた、汗と涙の物語です。
自分も週明けに観ます。
今日は『唐版 風の又三郎』台本づくりの苦労を、
ここに書き付けようと思ったんですが、とんでもないですね。
もう、台本の量は多ければ多いほど最高です。幸せだなあ!
↓オマケで、仕事中に真剣そのものの齋藤。
口元がややほころんでいますが、ヤラセでは全くありません!
2020年1月10日 Posted in
中野note
↑前回の『ジョン・シルバー三部作』終演後のショット
写真は、『あれからのジョン・シルバー』、新旧「黒犬」役の二人です。
右が木下藤吉さん、左が米澤剛志。
この四日間、劇団員にこのゼミログの担当を預けました。
年末この方、
『唐版 風の又三郎』の台本づくりを一人でひたすらやってきましたが、
これがかつてなく膨大だからです。
1幕が終わった段階の分量が『ジョン・シルバー』全編に匹敵する!
怖ろしいことですが、この件については、また明日、書くとしましょう。
で、みんな、それぞれの現場を良いペースでレポートしてくれていたわけですが、
ここに一人、問題児が。
米澤です。
米澤は、基本的に優秀な男です。
大学生の頃から、声もよく出る、口跡は良い、台本をよく理解する頭脳もある、
身体にバネがあって身体能力が高く、さらに、映像作成なんかも出来る。
が、極端にマイペースなんですね。
とにかく、締め切りが守れない。
さらに、よく音信が途絶える。
普段は寡黙な男ですが、その寡黙が沈黙に至る。
それで、昨日はこのゼミログを管理する椎野が手こずりました。
当初は、米澤にこの日記を書くようリマインドして、
「今から書きます」というので安心していたんですが、気づけば朝になっている。
これまでに再三再四こういうことはありましたから、
仕方なく、もう書き上がるまで電話をつなぎっぱなしにすることにしたそうです。
ところが、今度は、電話をつなぎっぱなしにしてものの数分で、
全くの沈黙になってしまった。
「書いてる?」「今、どのくらい?」と話しかけても、反応が無い。
彼はよく寝落ちしますから、椎野は不安になる。
相変わらずの沈黙、そして、すでに電話はつながっているわけですから、
ここでもし米澤が寝ていたら、これ以上、連絡する手段が無い。
電話がつながっているのに音信不通という状況が出来したわけです。
で、延々サイレントが続いて、「あ、書けました」と米澤の声がしたのが、
3時間後だったそうです。
このままいくと稽古場に遅刻してしまうのでは、とこちらをヤキモキさせる男。
本人は後に「ずっと書いてました」と言っていましたが、
その間、意識があったのかどうか、もう本人にもわからないレベルに、
彼は達しているんだと思います。
来月の舞台、錚々たる演出家に挑んでいますから、応援してやってください。
2020年1月 3日 Posted in
中野note
↑写真は、2016年に私たちが同公園で同演目を公演した時の開場直前、
ふらりと現れた大久保鷹さんが、熊野に熱のこもったアドバイス中。
今日は新幹線に乗りました。実家の名古屋に帰省するためです。
車内は空いており、まだ余裕がありました。
さすがに駅やデパートは買い物客でごった返していましたが、
まだまだ世の中はお休みモードという感じ。ああ、平和だ。
などと言っている場合ではありません。
唐十郎門下的には、今日はピリッと気が引き締まる日なのです。
忘れていはいけないあの日。
そう。新宿西口中央公園事件が起こったのは51年前、1969年の今日。
唐さんたちが花園神社からの撤退を余儀なくされ、
新たな公演場所を求めて西口中央公園の使用を都に掛け合うも許可が降りず、
機動隊に囲まれるのを承知で『腰巻お仙 振袖火事の巻』上演を強行、
終演後に連行されてしまった日なのです。
「正月三日からアングラ暴れる」って新聞に書かれたなあ、と、
以前、唐さんはおっしゃっていました。
テントと言うとどうしても暖かい気候をイメージしがちなんですが、
あれ、真冬にやっていたんですね。
観客が何人だったのか、
紅テントを囲んだ機動隊がどれくらいの規模だったのか、
現場にいた人に聞くたびに数が違って人数は定かではないですが、
とにかく熱気とともに語られることの多いあの公演が、
冷え冷えとした三が日の夕方から夜にかけ、極寒の中で行われていたと思うと、
気持ちはますます熱くなります。
自分が子どもだった1980年代ですら、
正月は商店が開いておらず、静かなものでした。
まして60年代の終わりと言えば、推して知るべしです。
いかに世間を賑わせたことか。
芝居のエキストラとして唐さんに稼働させられてしまった、
警察関係者や機動隊の皆さんにも、頭の下がるところです。
2020年1月 2日 Posted in
中野note
↑おみくじ。2020年の私の運命が書かれています。
テント公演をやるようになった頃から、何となく信心深くなりました。
「天候」が一番わかりやすい例ですが、テントをやっていると、
人間ではどうすることも出来ない力に左右されるからです。
そういうわけで、私はおみくじが大好きです。
昨日など、近所の神社が列をなしていましたから、
お参りは後日すいてからやろうと即断し、おみくじだけ先にやりました。
と、これくらい好きなのです。
ちなみに、ここ二年は大吉だったのですが、結果は末吉。
文章には「とにかく驕るな」と、
調子乗りな私に最も必要な言葉の数々がしつこく書かれていて、
まことにその通りと痛感しつつ、財布にしまい込んで帰ってきました。
その道すがら、「おみくじ」で思い出したのですが、
花やしきでテント公演をしていた時代には、みんなでよくやりました。
基本的に、公演前は公演の無事を祈ってご近所でお参りすることが多いのですが、
浅草寺の場合は、これに「おみくじ」がつくのがルーティーンになっていました。
メンバーにも様々なタイプがあって、
私のように大好きで仕方がないのもいれば、
こんなことは無意味だと、実に冷静な判断を下す人もいます。
まあ、それぞれなのですが、面白かったのは、
大吉が出るまで何回も突っ込む、というタイプですね。
これはあくまで私見なのですが、
浅草寺のおみくじはなかなかシビアで、「凶」「大凶」の類が結構出るのです。
そのようなわけで、中には芝居の前に縁起が悪いと、
「凶」の運命を力づくで覆そうとする強者も何人かいました。
最も面白かったのは、五連続で「大凶」と「凶」が続いたために、
自ら「凶」の字に赤ペンで「×」をつけ、
隣に「吉」と書き換えていた猛者で、
その行動に清々しさと感動を覚えた私は、
「幸あれ!」と願って彼をステージに送り出したものです。
『唐版 風の又三郎』、自重して謙虚に頑張ります!
2020年1月 1日 Posted in
中野note
↑この後、フルボリュームで「♪どっどど どどうど 〜 」と唄って下さいました。
2020年、私と唐ゼミ☆の目標は、『唐版 風の又三郎』を追うことです。
いつもにも増して気合充分のお正月ですので、
我らが師父・唐十郎のもとへ一族で行って参りました。
唐さんが激励に唄って下さったテーマソングを、劇団員全員に聴かせたかった。
「ああ。私たちはこの人に魅入られて人生始まったんだな」
と実感しながら帰途につきました。
というわけで、いよいよ最高峰に挑みます。
自分たちが持てる全てを絞り尽くして、果たして唐ゼミ☆がどこまで行けるか、
皆さん、見ていてください。
さあ、引き続き台本を読もう!
公演時期は、10月末〜11月頭を狙っています!!
2019年12月31日 Posted in
中野note
↑終演後の、熱気の残るテントも三年ぶり。
今、年内最後の予定を終えて、都内から戻るところです。
東横線の中はがらんとしていて、席の半分ほどが空いています。
ここ二年、稽古と公演準備の年末年始を過ごしましたから、
新鮮な感じがします。
今年最大の成果は、
何と言っても、久しぶりにテントでの公演が出来たことでした。
今にして思えば、以前は年に二回、
しかも場所を変えたり、地方にまで足を運んて来ましたが、
2016年に新宿中央公園で公演した『腰巻お仙〜振袖火事の巻』以降、
ご無沙汰していましたから、久々に日の目を見たように実感しましたし、
公演終了後にお客さんたちと車座になって語らっていると、
直接的に人間同士が関わり合う場の尊さを痛感しました。
この世には、テント芝居があった方が良いし、
自分が行っている全ての営みの中で、テント芝居は掛け替えがないものだ、
という思いにも駆られました。
唐さんが授けて下さった『ジョン・シルバー』に煽られてここまで来られましたし
三部作の連続上演を完遂できたことは、大きな自信になりました。
いくつもの作品を見渡しながら、全体の繋がりの中で細部を組み立てていく、
そういう自分たちの得意手を生かすことが出来たように思っています。
すでに私たちは、来年もテント芝居をやろうと準備を始めています。
次回公演は、これから新たに挑む唐さんの台本を相手に
何度も練り上げた『ジョン・シルバー三部作』の完成度をさらに凌ぎ、
全ての公演を満席にすることが目標です。
私たちが感じる唐さんの面白さをアピールし、もっともっと、
この愉しさを共有してもらえる人を増やさなければならないと考えています。
2019年、ありがとうございました。
さらに烈しく、絶対に面白い2020年が、私たちを待っています!
2019年12月30日 Posted in
中野note
白川静先生の絵本です。大人の絵本とはまさにこのこと。
さあ、お待ちかね。台本研究の時間が始まりました。
今日から三週間みっちりやります。
何をするかというと、上演台本を作ります。
唐さんの戯曲集から狙いの戯曲を取り出して、タイピングするのです。
元々、上演台本づくりは劇団員で分担してやっていたのですが、
いつの頃からか、私一人でやるようになりました。
理由はいつくかありますが、何より大きいのは、
一人でタイピングするのが、一番手っ取り早く台本を読む方法だからです。
自分はどちらか言えば、要領が良い方だと思います。
例えば、初見の台本を朗読すると、人よりかなりよく読めます。
声に出して読んでいる数行先を、目で追うことが出来るからです。
一方でこれは弱点でもあり、要するに、細部を読み飛ばしやすいのです。
往々にして、大局は捉えられても、役柄の機微やティテールの面白さを、
汲み取り損ねる危険性があります。
そこで、一人でタイピングするようになり、
結果として、いくつもの効能を実感しています。
例えば、
それまで自分のことを「私」と言っていた女性の登場人物が、
ある時、固有名詞で自分を呼び始めるとします。
これは場合によって、相手役に対してこの女性がしなだれかかる瞬間です。
そこで、演技の上でこれを汲み取り、固有名詞で呼び始める時には、
相手役にグッと接近してみよう、などと試行錯誤が始まるわけです。
コツコツとタイピングしていると、こういう瞬間を見逃さずに済みます。
まことに単純な作業ですが、効果絶大。
こういうやり方には何人かお手本がいて、
最大の巨人は、私が折に触れて読む白川静先生です。
「碩学」という言葉はこの方のためにある、
と言いたくなる古代文字研究の大家ですが、
この白川先生が文字を読み解く際の手法が実に単純で、
ひたすらガリガリとトレースするんだそうです。
線の太さ、曲線の曲がり方などを愚直に再現しながら、
全身で古代人に接近し、一つ一つの文字を読み解いていったと言います。
そこで私も、一字一字カタカタやりながら、
唐さんに狙いを定めているわけです。
本当は白川先生のように手書きが最も良いのでしょうが、
そこはサボってパソコンを使います。
よく読めて、気づけば上演台本まで完成する。まさに一石二鳥です。
2019年12月29日 Posted in
中野note
↑やっと仕上がった講座の原稿。10ヶ月もかかってしまった!
世間でも一昨日あたりで仕事納めが進行していると思います。
かくいう自分も、昨日で劇場の仕事がひと段落しました。
そこで、ずっとデスクワークをしています。
2月に行った講座の記録を作る仕事の仕上げです。
安藤洋子さん、清水宏さん、吉井澄雄先生という、
世界で活躍するお三方をお迎えしましたから、
貴重な記録を残そうとテープ起こしからコツコツとやってきましたが、
とうとう年末になってしまいました。
まずはテープ起こしが終わったのが6月頃、
そこから唐ゼミ☆公演準備に突入したので一旦ペンディングに、
10月から再開して、今日までかかりました。
作業はそれぞれ、
吉井先生が10月、安藤さんは11月、清水さんが12月、という感じです。
吉井先生の分は、『ラマンチャの男』を観に行ったり、
日生劇場こけら落としのベルリン・ドイツ・オペラ公演の復刻CDを聴きながら、
安藤さんの分は、神奈川県が行っているシニア向けダンス企画をご一緒しながら、
清水さんの分は、年明け発表を目指している葉山町と綾瀬市での、
オリジナル・スタンダップコメディの取材の合い間に、
ひたすら原稿と向かい合ってきました。
そういうわけですから、もう、三人の声が耳について離れません。
中でも、清水さんには手こずりました。
同じ時間を喋って、清水さんの原稿はざっと倍の長さです。
とにかく、喋る、喋る。
そして、言うまでもなくあの方は喋りのプロですから、
内容だけでなく、その語り口を再現しなければ、記録にならない。
このあたりもずいぶん悩みました。
骨が折れましたが、ようやく昨日、ひと段落しました。
あとは、それぞれの方に原稿をチェックしてもらう段階に進みます。
同時に、
私はこれでやっと、来年に挑む作品の下準備を本格化させることが出来ます!
2019年12月28日 Posted in
中野note
↑とっても面白い『ハイパーアングルポーズ集SP〈怪人〉』の表紙
昨日は、たまたま唐さんに自分が会えた話をしましたが、
今日は唐さんご自身が、
偶然にもある人に出会ってしまった話をしましょう。
正確にいつだったかは忘れましたが、
あれは、唐さんに横浜国大まで
通し稽古を観に来て頂いた時のことです。
私たちは唐さんが定年退官されてからも、
必ず現場入り前の通し稽古をご覧頂いていました。
芝居に問題や、意に沿わないところがあった場合は
指摘してもらうためです。
このタイミングで意見をもらえれば、
現場入りしてからの間に修正が可能ですから、
本番初日の一週間前には立ち会って頂くようにしていました。
そういう時は、都内のご自宅まで車でお迎えに上がります。
ある時、横浜に向かって環七を降っていた時、
唐さんがスーパーで買い物をしようとおっしゃったのです。
いつも通し稽古が終わったら飲み会をして、
その席で芝居の勘所や修正ポイントについて
お話を頂いていましたので、
唐さんは私たちで用意していたツマミに、
何品か足そうとして下さったのです。
それで、少し迂回にはなりますが、三軒茶屋に寄ることにしました。
あの街はスーパーが潤沢だからです。
で、車を路肩に停めて、自分は車番、唐さんだけ降りて頂くことにしたのですが、
唐さんが車のドアを開けて降りた先、ちょうど1メートルほどのところに、
麿赤兒さんが立っていたんですね。
「おう、麿」「あ、唐じゃないか!」
この時も、唐さんはさして驚きもせず、
まるでそこに麿さんがいるのが当たり前かのように立ち話を始めたので、
私は何だか笑ってしまいました。
それにしても、唐さんが車から降りた瞬間のお二人の距離が異様に近く、
可笑しかったのを覚えています。
2019年12月28日 Posted in
中野note
21世紀の2時間ドラマの中で、「紙芝居屋」という設定だった!
一昨日、昨日と書いてきて思い出したのですが、
いい加減な約束にも関わらず、なんだか会えてしまった、
ということもありました。
あれは2007年のことだったと記憶していますが、
現在では映画監督となった三島有紀子さんが、
名取裕子さん主演のドラマ『京都地検の女』を監督される際、
唐さんをキャスティングしたんですね。
唐さんは烏丸せつ子さんと二人で、
14歳の一人娘が自ら命を絶ったことに苦しむ夫婦の役をされていました。
あれ、なかなか凄くて、唐さんの職業は「紙芝居屋」ですし、
それにかこつけてタキシードを常に着ていた。
夫婦が住むアパートの本棚は、中原中也など文学系の全集で埋められるなど、
三島監督がメジャー枠にコアなネタを忍ばせる手腕に、唸ったものです。
で、京都の話ですから、唐さんは京都の太秦で撮影されたんですが、
事前に「今度、京都で撮影だ」という話をしていた時、
私が「ああ、その時期は自分も京都にいますよ」と応えたんですね。
確か、唐ゼミ☆京都公演の打合せか何かが、たまたまあった。
すると、またしても唐さんが別れ際に「じゃ、京都でな」と言って、
スッと帰っていく。
今度は、鶴橋でなく太秦に、一応行ってみることになりました。
ところがこの時は、何故か会えた。
初めて行く太秦の撮影所でしたから、自分も全く確信が持てなかったのですが、
何となしに駅から降りて進んでいったら、交差点を挟んだ向こうの建物から、
ちょうど唐さんが出てきたところでした。
隣にいたのは、当時、唐組劇団員として、同じドラマに出演していた丸山敦人さん。
「よお、中野!」と声を掛けられ、喫茶店に行って、
東京で会っているのと全く変わらない茶飲み話をし、
「それじゃ、撮影、頑張って下さい」と伝えて失礼をしました。
ああいう時、面白いのは、唐さんがいかにも普通であるということです。
こっちからすればタイミングと場所が合ったのはかなり底確率の偶然なのですが、
唐さんは全くもって驚きもしないし、
すごく日常的にニコニコして、お話しするだけなのです。
で、こっちもそれが面白いので、東京でしていた続きの会話をして、ただ別れる。
昨日書いたのとは違って、何だか会えてしまう日もありました。
2019年12月26日 Posted in
中野note
先日、お昼ご飯を食べた韓国料理屋で見つけました。大胆にして露骨!
昨日、待ち合わせ時間の話をしまして、思い出しました。
待ち合わせと言えば、さすがにうまく対応できなかったのが、
韓国食材店が並ぶことで有名な、大阪は鶴橋での出来事です。
前日が唐組の大阪公演か、あるいは横浜国大の次に唐さんが赴任された、
近畿大学の演劇科による公演だったか、ちゃんと思い出せませんが、
ともかく、大阪まで唐さんの芝居を観に行って、打ち上げにも参加した後、
別れ際に酔っぱらった唐さんがひと言。
「中野、明日のお昼に鶴橋で会おう!」
そう言うと、唐さんはスッとバイバイしてしまいました。
これは、一番困るやつです。
鶴橋のどこなのか。
"お昼"とは何時なのか。
あまりにざっくりしている。
でもって、酔っぱらっているとはいえ、
これは確かに約束したと、言えなくもない。
そういうわけで、翌朝は横浜に戻るつもりだったのですが、
予定を半日あと倒しして、鶴橋に向かいました。
まず、"お昼"というのはだいたい11〜14時くらいであろうと見立て、
ということは10時過ぎには張っている必要があるわけです。
昨日に書いた反省がありますからね。
で、場所なんですが、鶴橋のどこかは分からないので、
まずは電車でやってくるだろうと推理し、
幾つかある路線駅からの導線を確認。
ひょっとしたら車の可能性もあるので、降りやすそうなところも含め、
あっちかな、こっちかな、と移動しながら、来ないかなあ、と
待つわけです。
これ、途中でお腹も空くんですが、
ちょうど唐さんが来たタイミングでお店に入っていたら目も当てられないので、
我慢して、ウロウロしていました。
結局、さすがにこの日は会えず、14:15を過ぎたあたりで、
"お昼"も終わりと判断し、ホッとして帰路につきました。
これはもう防人の気持ちですね。
いつ来るか分からない。
どっちから来るか分からない。
本当に来るかどうか、基本的に分からない。
でも、あっちか、こっちか、そもそも、来ないんじゃないか、
オレがやっていることはそもそも無駄じゃないか、
という頭フル回転の時間は、極めて内省的です。
ある種、時間があった頃の贅沢でもあったと、今にして思います。
2019年12月25日 Posted in
中野note
↑第10回公演『ユニコン物語 溶ける角篇』のチラシ
今日、とある新聞記者さんと話していて、
唐さんがいかに集合時間に厳しいか、という話題になりました。
あれは2006年夏の、
私たちが『ユニコン物語 溶ける角篇』を仕込んでいた時のこと。
当時、私たちの劇団のチラシはA3見開きで、
中には必ず唐さんのインタビューを載せていました。
そこで、芝居のモチーフや執筆、初演の頃の話を伺うのです。
私は劇団員のトクちゃんとともに、
高円寺、純情商店街の中ほどにある喫茶店「琥珀」に向かったのです。
店は唐さんの指定、絶対に遅れてはならじと、
私たちは約束の時間の30分前には着いて、唐さんを待ち構えました。
しかし、なかなか来ない。
五分前になっても来ない。
唐さんは時間に厳しく、早め早めに動く方です。
この時点で私は「まさか」と思い至りました。
それで、急いで階段を上って2階の店を覗くと、
やっぱり、すでに唐さんがいるのです。
息せき切って店の中に入り、テーブルの傍に立つと唐さんは怒鳴りました。
「オレはなあ、約束の1時間も前から待っていたんだぞ!」
それから、こちらは二人でお詫びしいしい、
唐さんの案内で店の奥にある、
昼間は開いていないライブハウスのシャッターの前に歩を進めました。
見れば、図画工作室にあるような木のイスも並んでいます。
唐さんは早めに到着してお店の人に掛け合い、
インタビューに相応しいロケーションまで用意していて下さったのです。
こちらは平身低頭して謝りに謝り、
フッと唐さんの表情が緩むや否や、怒涛のインタビューに突入、
決死のリアクションで唐さんの話を盛り上げに盛り上げました。
それはもう、必死でした。
話が終わると、上気した唐さんはすぐに「飲みに行こう!」となり、
そこからはいつもの状態に。
あの時は、芯からホッとしました。
それから一週間後。
別の居酒屋で待ち合わせた時には、
反省を生かして1時間ちょっと前に到着しましたが、
その時も唐さんは先に来ていて、
今しもケータイを鳴らそうとしていたところでした。
急いで「唐さん!」と呼び掛ける私に、
唐さんはご機嫌で、
「よく分かったなあ。今、中野に電話しようとしてたところ」
危ねえ。この時はセーフでした。
ひどく緊張しているようでいて、
こういうやりとりがゲームみたいに面白い。
教授と学生の関係が終わってからも、芝居の師匠と弟子として、
二週に一回はそんな具合に会っていました。
2019年12月24日 Posted in
中野note
現在は神奈川県の施設「未病バレー〈ビオトピア〉」になっています。
メリークリスマス!
今夜も聖夜とはぜんぜん関係ないテント番の話です。
劇団史上、最も本拠地から近い場所で行った旅公演は、
神奈川県大井町の旧大井第一生命ビルの敷地で行った『木馬の鼻』でした。
当時すでに、コーヒーのメーカー・ブルックスの持ち物となっていた場所です。
ここは「足柄」と言われる地区ですから、
いかにも足柄山の上にテントを建てた、という感じがしたものです。
晴れた日には、ちょうど富士山と睨み合うような眺望の場所で、
神奈川県が主催する「足柄アートフェスティバル」の一環として、
県に招聘してもらっての公演でした。
旅公演に行くと、私は極力テント番をすることにしています。
その理由としては、
まず第一に、団体行動が苦手。
すごく早朝に起き出して作業したりするので、つい迷惑をかけがちです。
第二に、喘息持ちなので布団がたくさんある環境に極端に弱い。
最後に、劇団員の体力温存。
これらの事情から、旅公演は小屋番にまっしぐらです。
ただ、ここはちょっと不気味なところでした。
なにせ往時は、第一生命の社員3,000人がこの社屋で働き、
押し寄せる来客が、広大な駐車場を埋め尽くしていたといいます。
2011年にこの場所から第一生命が引き揚げ、
私たちが公演したのは2012年9月でしたから、
何となしに人いきれがするというか、
ここにいた人たちの熱が残っているように感じられるのです。
特に夜中にテントから出てトイレに立つと、
山の強い風の音に混じってビル全体が唸り、
ここを賑わした大勢の人たちの活況が聞こえてくるようでした。
おかげで、翌年の上演を狙っていた『夜叉綺想』の準備がやたら進んだのを、
よく覚えています。
2019年12月22日 Posted in
中野note
『黒いチューリップ』の舞台写真
83年に台本が掲載された文芸誌を掘り起こして上演しました。
今日も私が書きます。
最近の劇団集合はだいたい日曜日、
その日は劇団員に書いてもらっていましたが、今週に限って集合は明日。
忘年会も兼ねるということなので、集合率を優先しました。
今日は朝から、逗子〜綾瀬と渡り歩いて、
先ほどまでKAATで『NIPPON CHA! CHA! CHA!』の通し稽古を拝見しました。
この芝居には、演出助手として齋藤が、役者として林麻子が、
参加させてもらっています。
山田うんさんという世界的な振付家のもとで仕事ができるのは、
ありがたいことです。
ここ2日間、『黒いチューリップ』のことを書いてきましたが、
夕方、急いで綾瀬から横浜に引き揚げながら思い出したことがあります。
あの劇は小屋番の件で触れた沢渡中央公園の他、
何箇所かで公演しましたが、特に変りダネが定時制高校での公演でした。
今日、車で通り過ぎた地下鉄踊場駅の近く、戸塚高校の校庭に、
テントを建てて行った公演です。
学校の演劇鑑賞にテント演劇、唐さんの芝居を選ぶとは、
先生方も思い切ったことをされたものと、意気に感じて臨みました。
あの時、大半の生徒さんたちが珍しがって熱心に芝居を観てくれました。
が、中には、初めから真後ろを向いている生徒や、
少年ジャンプを堂々と広げた男子生徒もいて、なかなかに面食らいました。
けれど、主役の椎野が、とりわけ熱心に1幕の物語の導入を語るうちに、
彼らも、いつしか舞台の方を向くようになりました。
あの時、丁寧に丁寧に客席に接して、
集中の途切れがちな観客と渡り合っていた劇団員たちが、
ちょっと頼もしく感じたことを、車を運転しながら思い出しました。
2019年12月21日 Posted in
中野note
先日、KAATの仕事で久々に横浜国大の校舎に入った。
私たちがテントを建てて定期的に根絶やしにしていた雑草が、完全復活。
これは教育8号館の2階の教室から撮影。
昨日書いた『黒いチューリップ』の公演場所の一つが、
横浜駅から10分ほど歩いたところにある、沢渡中央公園でした。
横浜市民防災センターが併設されている公園で、
ここに青テントが建っていました。
11月の深夜というのは、それはそれは寒い。
あの公園で公演した時には発電機を借りていましたから、
夜には完全消灯です。
そうすると、地面も、テントの幕も鉄骨も、木で作られたセットも、
異様に冷たくなるんですね。やたらひっそりとして、生気が無くなる。
しかし、私はセットの「ケイコちゃんの部屋」でぬくぬく過ごしていました。
二畳のスペースに石油ストーブ、熱を反射する銀シートを床に敷いて、
それはそれは暖かでした。
時々、そこへ来客がやってきます。
興味本位で覗く人、だいたいヤンキーやヤカラの人たちなんですが、
彼らが周りでザワザワ言っていると、緊張します。
間も無く入ってくるんじゃないかと、ドキドキする。
まあ、喧嘩になったら多勢に無勢なんじゃないかと、身構えもする。
でも、中へ入ってこようとした瞬間、
「おおい!」って声を掛けると、たいがい逃げますね。
あとは丁寧に「すみません」と言われか、どちらか。
途中から気付いたんですが、
そりゃあ、見慣れた不気味なテントが建っていて、
誰もいない、何だろうと思って覗いてみたら、暗い中から声がしたら、
怖いですよね。時に、強力な懐中電灯も浴びせられるし。
『黒いチューリップ』の時、終電を失ったスーツのおじさんが入ってきて、
「寒いから入ってしまいました」と言われた時には、ちょっと悩んで、
やっぱりお引き取り願いました。
知らないおじさんと二畳じゃ、ちょっとねえ。
2019年12月20日 Posted in
中野note
懐かしいチラシ↑
私たちはテント芝居が基本スタイルの劇団です。
ですから自然と、公演は春と秋ということになる。
春は4月から、秋はせいぜい11月までというところです。
私はよく「小屋番(こやばん)」、要するに夜警をしますが、
ことに11月夜中のテントは冷えますから、
上着をなんでもかんでも重ね着して石油ストーブにかじりついていました。
数あるテント番歴の中で印象深いいくつかを、
これから数日に渡って書いてみます。
まず印象深いのが、2004年の秋にやった『黒いチューリップ』の時です。
まだ唐さんが教授として大学におられた最後の方の公演でした。
あれはなかなかに面白い芝居で、
「引きこもり」という現代的なテーマを背負っていますので、
技量を上げた現在の状態でぜひ再演したいとも思う作品ですが、
その1幕の設定がすごく奮っていました。
舞台はパチンコ屋です。
数あるパチンコ台の中に、いわゆるチューリップの部分が黒い1台が、
ステージのセンターにある。
そして、その黒チュー台の裏には、
手動で玉を供給している女が住んでいる、という物語でした。
で、ヒロインの「ケイコ」という女が住む部屋が畳2枚くらいの、
なかなか良い感じのひと間なのです。
芝居を上演する時は照明で照らすために、
この部屋には天井はありませんでしたが、
上演終了後は、いそいそとヨシズで簡易の天井を張り、
そこにストーブを持ち込んで私は暮らしていました。
ヨシズは通気性が良いので一酸化中毒にはならない。
しかし、なんとなしに暖かいのです。
愛らしくて住み心地の良い部屋だったと、今でも思い出します。
2019年12月19日 Posted in
中野note
↑これは大人になって買い直したものです。
小さい頃に買ってもらったテープは、大半を紛失してしまいました。
あれは自分が小学校に上がる前のことと記憶していますが、
母方の叔父さんがこのカセットテープ集をプレゼントしてくれました。
10話入って1万円という高級品を、叔父さんは奮発してくれたのです。
小学生の頃を通じて、これをずいぶん聴いたものです。
読んでいるのは宇野重吉、米倉斉加年、長岡輝子という、
いずれも新劇界の重鎮の皆様です。
『オッペルと象』『どんぐりと山猫』などが入ったこの童話集、
中でも気に入ったのは、宇野さんの読む『狼森と笊森、盗人森』と、
米倉さんの読む『どんぐりと山猫』、長岡さんの読む『祭の晩』でした。
不思議で縄文的なところのある『狼森〜』、
山猫の馬車別当の屈折が印象深い『どんぐり〜』、
怪力の山男が街場の人間にいじめられる『祭の晩』、
それぞれに魅力的でした。
自分が演劇に染まるようになってからは、
それぞれの朗読術が身に染みてわかるようになりました。
と、同時に、
宇野さんは、唐さんの岸田國士戯曲賞受賞に反対した人、
米倉さんは、青年芸術劇場時代の唐さんの先輩、
長岡さんは、渡辺えりさんを舞台の魅力の虜にした人、
という具合に変遷しました。
今でも、折に触れてこれを聴きます。
写真のパッケージは本棚にあり、
現在ではパソコンの中にデータとして収まっているこの朗読集ですが、
ひと度クリックすればあの頃と同じに、
あるいはそれ以上に、自分を魅了してやみません。
さっき試しに聴かせてやりましたが、3歳の息子にはまだ早いようです。
2019年12月18日 Posted in
中野note
↑ずっと気になっている馬車道のグリル。一度お昼を食べてみたいものです。
唐さんが環境問題対策について、メディアで発言されたことがあります。
あれは確か、長野を舞台にした『糸女郎』公演の時だったでしょうか、
詳しい局名や番組の名前は忘れましたが、
唐さんは直前に迫った唐組長野公演の宣伝のために、
ニュース番組に出演されたのです。
その時の唐さんはまるでコメンテーターのように、
他のニュースにも立ち会いながら、
番組開始から劇団の話題がトピックになる時を待っておられたわけですが、
司会者さんとしてはきっと、
唐さんにただ黙って座っていて頂くのも申し訳ないと思ったのでしょう。
本当にコメントを求めたんですね。
しかも、止せばいいのに、
「長野で行われている環境問題への取り組み」というコーナーで。
「唐さんも何か、環境問題について取り組まれていることはありますか?」
という女性司会者の問いに、唐さんは真剣な眼差しでこう回答されました。
「ハンバーグを食べた後、鉄板に油が残りますね。アレ、全部舐めます」
真剣なのか、ふざけているのか、全くわからない司会者は絶句していました。
こういう人の弟子で良かったなと、ハンバーグを見る度に思い出します。
2019年12月18日 Posted in
中野note
↑神田松之丞さんと立川談志さんの『慶安太平記』
車を運転する機会が増えてから、さらに音楽を聴くようになりました。
ジャンルは滅茶苦茶で、クラシック、ワールドミュージック、ポップス、
ジャズ、落語、講談、浪曲、朗読、講演会まで、様々です。
中でも、私は語り物が好きで、
目的地まで小一時間もあれば
「あ、『慶安太平記』でも聴けるかな」と、
ちょっと得した気分になる。
『慶安太平記』は由比正雪を主人公にした物語で、
正雪が並居る豪傑・知恵者を集めて幕府転覆を企て、
やがてその計画に失敗するというお話しです。
「由比正雪」といえば、
唐さんも同名の芝居を書いています。
1968年、結果的には前年に発見した
花園神社を出ていくことになった演目で、
唐さんには珍しい時代劇でもあります。
そういう風に、関連付けながら聴くことは愉しい。
唐さんの『由比正雪』では、
ヒロインは四谷シモンさんの演じた「お銀」だけで、
かなりコミカルの度合いが強い役柄です。
何故かと言えば、
当時、状況劇場のヒロインだった李礼仙さんは、
後の大鶴義丹さんを妊娠中だったんですね。
言ってみれば産休中だったわけです。
そういうわけで、唐さんの中でも
かなり男っぽい作品になっています。
大島渚監督の『新宿泥棒日記』を観ると、
当時の上演の様子を、数シーンだけですが、
窺い知ることができます。
と言っても、カメラが入ると俄然張り切って、
思わず芝居がかってしまう唐さんのことですから、
きっと上演には無かったこともやっているに違いない。
特に、時代劇には付き物の立ち回りの末に、
男二人が太鼓橋の上で逆立ちをしてから、
川の中に落ちるシーン。
観ていただければわかるのですが、
昨日に書いたような「無意味」のオンパレードで、
かなり印象に残る場面ばかりです。
2019年12月16日 Posted in
中野note
↑「聖橋」は「ひじりばし」でなく「ひじりはし」が正しいと知りました。
今、ちょっとくたびれています。
とにかく移動が続き、この週末だけで何回も都内に出て、
千葉、綾瀬、小田原、葉山へと行きもしました。
そんな時は頭が痺れ、過去に体験した無意味な記憶がふと蘇ったりします。
「無意味」というのは怖ろしいもので、
「無意味」だから脳みそが処理できない。
結果、妙に印象に残ったりする。
それが時折り、何の脈絡もなく息を吹き返すのです。
唐さんという人は、
そういう無意味なものを捉える能力が突出して冴えている人でもあります。
今日、思い出したのはこんなことです。
あれは2003年の演劇賞を総ナメにした『泥人魚』公演でのこと、
幕開けは、客席の下手横幕が落ち、
唐さん扮するマダラボケの詩人「伊藤静雄」が自転車で疾走する場面でした。
場内は、いきなり唐十郎の登場に拍手喝采。
で、問題はここからなのですが。
その時、唐さんを走って追いかける女性が二人いるのです。
一人は、近藤結宥花さん演ずるヘルパーの「腰田さん」。
もう一人は、「腰田さんの助手」を劇団の新人さんが演じていました。
何回かこの芝居を観に通った時、私は妙なことに気づきました。
評判を呼んだ芝居だけあり、場内は日を追うごとに満員、
私は、たまたま唐さんが登場する客席の一番下手に座ったのです。
すると、唐さんを必死で追いかける「助手さん」が、
何やらパクパク口を開けながら走っている。
喝采する客席のなかでよく聴き分けてみると、それはこんな具合でした。
「♪ぼやぼやしてたら私は誰かの いいこになっちゃうよ〜」
あの時、なぜ彼女が山本リンダを歌っていたのか、いまだに分かりません。
劇の内容やシチュエーションとは、どう考えても関係ない。
『泥人魚』とあの歌詞をどうひっくり返しても、関連が見えない。
しかし、彼女は全力で、必死で歌っていました。
今日、何故あの場面を思い出してしまったのかも全く分かりません。
が、いざ思い出してみると気になって仕方がない。
私は基本的に、全てを分かりたいと思って台本を読み、芝居をつくります。
けれども、「無意味」がどれだけ魅力的かも、知っています。
全てを分かり尽くそうとすること、
その果てに「無意味」の魅力に出会うことが、私の目標です。
助手さんは、なぜあの歌を歌っていたのでしょうか?
2019年12月14日 Posted in
中野note
↑岡本章さんによる講座「能と現代演劇の交流」。最前列で学生気分。
今日は私が世話人をしている、
神奈川芸術劇場×横浜国立大学の講座「芝居の大学」の、
2019年度、第1回目が行われました。
この「芝居の大学」は実に4年目となるシリーズで、
これまで、過去3年間のゲストをざっと並べてみると、
中根公夫さん、遠藤啄郎さん、佐藤信さん、吉井澄雄さん、
白井晃さん、安藤洋子さん、清水宏さん、
と、我ながら濃厚なメンバーをお迎えしてきましたが、
今回は、錬肉工房の主宰者である岡本章さんがいらして下さいました。
この講座、いつもは対話形式で進めてきたのですが、
今日は昨年度まで明治学院大学で教鞭を取っておられた岡本先生ですので、
自分の出番は最小限にして、学生時代に戻った気分でお話を拝聴しました。
会場は、せっかく能のお話を聴きますので、
上大岡駅から歩いて10分、久良岐能舞台に設定しました。
途中の道はかなり暗くて、迷った受講生もいたのですが、
いつもテント劇場で場所にこだわってきた唐十郎門下としては、
講座でも、やはり空間には凝りたいのです。
サービス精神たっぷりの岡本先生はたった2時間で、
能の成り立ち、パイオニアである観阿弥・世阿弥親子の凄さ
ご自身の出自と観世寿夫さんへの感動、能が持つドラマツルギーの多層性、
錬肉工房が押し進める「現代能」の試み、能舞台の特徴、
日本各地にある野外舞台の面白さ、という盛り沢山の内容を、
たくさんの資料をまじえつつテキパキと手ほどきして下さいました。
日本の現代演劇界には、
「現代の能」をつくったのが鈴木忠志で、
「現代の歌舞伎」を実現したのが蜷川幸雄、
という考え方がありますが、
例えば、同じ能に傾倒した表現者として、
鈴木さんと岡本さんとでは、大きな違いがあることに気付かされます。
鈴木さんは、能役者が持つ身体性や舞台が持つミニマリズムの豊かさに
強い関心を持ち、これを生かした創作活動を展開していますが、
岡本さんは「能」全体への忠義だて、
表現としての可能性の見出し方がもっと徹底しています。
能の演目が持つドラマツルギーにも全面的に惚れ込み、
様式化された能に原初のエネルギーを吹き込んで、
現代化を図っておられると感じました。
「青は藍より出て藍より青し」という言葉がありますが、
岡本さんのお仕事は、現行の能に触発されつつ、
一見すると、かなり型破りなこと、
時には演者が面を外すというタブーにまで踏み込みながら、
能自体を刷新するチャレンジを続けていらっしゃいます。
国宝級、並居る大家が岡本さんの作品に参加されていることこそ、
その証左です。
講座は、例えば傑作『井筒』を題材に、
小面を付けた演者のはみ出た顎に注目しながら、
能が演者と役柄を並走させながら進行していることに注目します。
その際、役柄もまたひとつでなく、
「里の女」「紀有常の娘」「在原業平」が混在しながら同時に進行することも、
映像を止めながら丁寧に説明してくださいました。
たった一人のうちに、四つの人格が入り乱れる。
これら役柄の行き来、移り変わりの妙、
最終的には、一人にして四人格がそれぞれの立場から同時に嘆きうることこそ、
能の豊かさ、面白さであると教わりました。
あと、特に面白かった点としては、
行事などで行われる仮設の野外舞台に臨む時には、
ステージから飛び出た釘にくれぐれも気を付けよ、
という言葉を、世阿弥は残しているのだそうです。
世阿弥が釘を気にしていた、ということで思い出しましたが、
我らが唐さんは、折に触れてカッターナイフには特に気を配るよう諭されました。
出来るだけ使わずにおくべし。
どうしても使うとすれば、充分過ぎるほどに注意せよ。
というのが、唐さんの教えです。
あれはいかにも簡単に手に入る道具だが、
場合によってかなりザックリ手を持っていかれ、大事になりがちである。
そうもおっしゃっていました。
唐さんを通じてみると、世阿弥にもなんだか親しみが湧いてきて、
同じ舞台に臨む「現場の人」という感じがします。
ちょっとした怪我、
細部の躓きが舞台の命取りになることを熟知しているのです。
2019年12月13日 Posted in
中野note
↑AM5:30頃、帷子川の上空、西の空に沈む月。
↑ややアップ
↑さらにアップ。
唐さんは超朝方の作家です。
執筆の時期になるとお酒を控え、早朝5時台には起き、執筆する、
お昼前までが仕事の時間だとおっしゃっていました。
その時、使う万年筆の色は、ブルーブラック。
執筆の時期、だいたい11月頃は、なんとなしにボンヤリされたり、
また逆にギラギラした目つきになりますから、
自然とこちらも口数も少なくなります。
唐さんが口を開くときのみ、応える。
余計なことは、言わない。
そういう緊張感が漂います。
唐さんの御子息である大鶴義丹さんの著書『昭和ギタン』にも、
同じような様子を描写した一節を読んだ記憶があります。
義丹さんも、
父と一緒にいる時、ここは黙っているべきだという雰囲気が漂う時がある、
という意味のことを書いていらっしゃいました。
「ここは黙っているべきだ」というのは実に卓抜な意見で、
唐さんのそばにいた経験がある人ならば、誰しも納得するはずです。
あの、少し宙空を眺めて、煙草の煙でも弄ぶように、妄想をくゆらせる時間。
そういう時、うっすらと笑みもこぼれていたりする。
すると、こちらは自然とそれを邪魔してはいけないと、厳粛な気持ちになる。
ちょっと脱線しましたが、
もともと朝が全く苦手でない私は、
学生時代以来、唐さんを真似て朝方生活になりました。
これは子どもが生まれてから、彼らに一人の時間を邪魔されてはならじと、
さらに拍車がかかって現在に至ります。
いつも買う100円のボールペンも、かつては真似してブルーブラックでした。
唐さんも、若い頃は土方巽さんの真似をしたと言います。
話し方から酒の飲み方まで似ていたと、どなたかの本で読んだ覚えがあります。
やっぱり憧れていると、人はその人に寄っていきますよね。
今日の写真は、西の空に沈む名残りの月です。
夜明けが遅い冬には、これを愉しむことができます。
普段、景色に目を留めることのないガサツな自分にも、
これには訴えるものがありました。
2019年12月11日 Posted in
中野note
↑ tptが1999年に行ったストリンドベリ特集の台本です
1999年の2〜3月に大学受験をしました。
横浜国大の前期と後期、2回受験してようやく合格しましたが、
どちらも試験前夜、横浜から東京に移動して聖地巡礼をしました。
行ったのは、花園神社、紀伊國屋書店本店、ベニサン・ピット。
どれも本や映像で知った憧れの場所でした。
大学に入学してからは、ベニサン・ピットを拠点としていたtptに通いました。
学生料金が設定されており、安く観られることが拍車をかけました。
とりわけ良かったのは、ルヴォー演出による『令嬢ジュリー』で、
1999年12月〜2000年1月にかけて行われた公演に5回通いました。
しかも、毎回違う友達を誘って。
写真の台本は、何回も観たご褒美として、
制作の女性がプレゼントしてくださったものです。
製本された上演台本を手にする、初めての機会でもありました。
後から、インタビューで読んだところによると、
ルヴォーさんはイングマール・ベルイマンに強い影響を受けたそうです。
ベルイマンは舞台演出家として、
同じスウェーデン出身の作家ストリンドベリの作品を得意としていました。
頬に傷を負ったヒロインのジュリーの印象深い舞台写真を、
何かの資料で観たことがあります。
自分に影響を与えた人の得意演目を演出するときは、
ルヴォーさんだって気合が入るのでしょう。
自分がこれまでに観てきた近代劇の中のトップの座を、
あの舞台は今も譲っていません。
あれはまさに「甘美なきラブストーリー」でした。
ロマンティシズムや甘ったるさを排して、徹底した心理戦。
駆け引きの応酬が、情緒ではなくロジカルに、際限なく展開しました。
口説く時も、ケンカする時も、常に二人は下心ありの舌戦に次ぐ舌戦。
でも、一瞬だけ、ルヴォー演出にも甘いシーンがありました。
終幕近く、男と女がするすべての諍いを終えて、
主人公のジュリーとジャンは相手を称えるように、
束の間、チークダンスを踊ります。
すべてを消耗し尽くした疲労とともにお互いに寄りかかる連帯感が、
そこにはありました。
が、すぐにジュリーと父親のノックによって、世界は現実に帰る。
ジャンは下男の習性を取り戻し、ジュリーは絶望の果てに自死を選びます。
自分には手の届かない大人の芝居、という感じがしました。
ところで、唐さんは『令嬢ジュリー』が好きなのです。
かつて観た千田是也さん=俳優座の上演に痺れたとのこと。
学生時分、舞台と言えば新劇という時代において、
唐さんもまた、優れた新劇俳優を目指した時期があったのでしょう。
滝沢修さんに憧れてサインをもらったこともある、と教えてくれました。
唐さんとは折に触れて、
もしも自分が世界の名作を演出するとしたら、という話をしたことがあります。
『令嬢ジュリー』はいつも上演候補の上位にあって、
自分がやるんだったら、ジュリーが持っている鳥籠を徹底してクローズアップする。
そうおっしゃっていました。
鳥籠の鳥こそ、不自由なジュリーの極めてあからさまな象徴ですが、
唐さんならば、『ジャガーの眼』に出てきた「サンダル探偵社」よろしく巨大化する。
もはや象徴などという思わせぶりなレベルでなく、
ジュリーは実際に鳥籠に入った状態で登場する。
きっと自作のハリボテの羽なんか、付けちゃったりして。
「でもこうなると、『令嬢ジュリー』が『令嬢ジュリ子』になっちゃうよ」
とも、唐さんは言っていました。
『令嬢ジュリ子』・・・、なかなか良いタイトルです。
2019年12月11日 Posted in
中野note
◯1◯1ビルの一角に輝く「THEATRE1010」のロゴで、思い出しました。
ちょっと時間が経ってしましましたが、
12月の頭、久しぶりの北千住に行ってきました。
そこで思い出したことを。
確か、2006年の春でしたが、
この劇場で唐さんの演目がかかったことがあります。
三田佳子さん主演、三枝建起さん演出による『秘密の花園』でした。
舞台美術は、当時この劇場の芸術監督だった朝倉摂さんでした。
朝倉先生とは、あれが初対面でずいぶん緊張しましたが、
後に唐ゼミ☆の公演を観にきて下さったり、
電話や葉書のやり取りもするようになりました。
自分は高校生の時、
『朝倉摂のステージワーク』に載る『下谷万年町物語』初演の写真を観て、
大学で唐さんに学ぼうと直感しました。
ですから、朝倉先生に対しては一層の緊張を感じたのです。
一方的な恩人、という感じでした。
で、肝心の芝居なのですが、
あの時は、ゲネプロと初日に立ち会うという珍しい体験をして、
これがなかなか面白い体験だったのです。
ゲネプロを観て、私はその上演時間に驚きました。
休憩時間をしっかり取るとはいえ、3時間もかかるのです。
それまで『秘密の花園』といえば、
私は大学一年生の時分に唐組が紅テントで公演したのを観ていました。
99年秋のことです。
あの時は、10分間の休憩をはさんで、2時間強という感じでした。
それが、同じ芝居で1.5倍の時間がかかったのです。
驚きでした。
劇でも音楽でも、内在する律動があるという考え方があります。
簡単に言って、台本や楽譜には、
それにふさわしいスピード感があらかじめ書き込まれているはずだ、
という考え方です。
唐組の場合は、作者である唐さんが演出されるのですから、
そこには当然ながら、ある種の「正解」めいたものが漂います。
そこへ行くと、3時間の上演はいかにも間延びして感じられたというのが、
正直なところでした。
ところが初日を迎えると、これが実にフィットしている。
面白い体験でした。
理由の一つには、
座組みが三田佳子さんを始めとする豪華キャストでしたから、
やっぱり初日に照準を当てて温存をした、
ということはあったように思います。
同じ「ゆっくりさ」に込める、充実度が違う。
当時の自分たちなど、稽古から盲滅法にやっていましたから、
そういうことが、ゲネプロの段階ではわからなかった。
しかし、それにも増して違ったのは、お客さんの有無でした。
演出の三枝さんは、メインの観客である三田さんのファンに合わせて、
劇の進行スピードを決めていたのです。
『秘密の花園』1幕終盤には、
プラトニックラブの権化である主人公、いちよとアキヨシが、
アキヨシの別の相手との縁談をきっかけに、別れ話をする場面があります。
その際、それまで仲睦まじかった二人は激しく諍うのですが、
いちよがトイレに立つことによって、このケンカは終わります。
そこのところなど実に客席は笑って、湧いていました。
ケンカの緊張のあと、三田さんが「ご不浄」と言うところで、
空気が一気に緩むのです。
ああ、観客が話に付いていっているな、と実感しました。
唐さんを難解と感じるお客さんは多いですから、この実感は大切です。
やっぱり、作品自体が求めるテンポがある一方で
観ている人に伝わらなければ意味がない、というのも一つの真実です。
終演後、三枝さんに、
「建起さんには、お客さんが見えていたんですね」
とお伝えした記憶があります。
自分はやはり、今でも俳優に対してある種のスピード感を要求しますが、
一方で、自分の言っていることが伝わっているかどうかには、
特に敏感であって欲しいと常に思っています。
本番でいきなりテンポを落として内容を伝えきることも、
時と相手によって、必要だと思うのです。
2019年12月 9日 Posted in
中野note
↑いつもは寡黙な米澤も、これにはすっかり怒り心頭!
先日に書いた「ヤフオク」についての続報です。
昨日は林麻子がレポートした通りの集合日。
午前中に集まり、次の公演と年越しに向けた事務作業と近況報告を経て、
台本の研究もします。
これが私たちのルーティーン。
集合から3時間半、それらをひと通り終えて一息つくと、あとは各論。
各自、思い思いの作業をしたり、
劇団員同士で話をして過ごすわけですが、
いつもは言葉数の少ない米澤が、ツカツカと近づいてきました。
「中野さん、僕、検索履歴からつきとめました!」
神妙に訴える彼に、何のことかと思いきや、
先日にここで書いたヤフオクの落札結果を、
米澤はスマートフォンの画面を持ち出しながら示してきたのです。
見れば、初期設定価格は先日の記載をさらに下回る1,500円。
ますますナメられたもんだと落札価格を見てみれば、
その金額に驚いた、驚いた。
なんと16,000円!
これには腹が立ちました。
普段、
ジャニーズ事務所のタレントがチケットの転売に抗議!
などというニュースを目にするたび、
「チケットを買ってくれるファンに申し訳ない。許せない!」
というような歯の浮くようなコメントが、なんとなく洒落臭いと思ってきましたが、
ようやく彼らの気持ちがわかりました。
あれは嘘です。あったとしても、ほんの数割。
心から応援してくれるファンのため、とか言っていますが、
本当のところはこうに決まっている。
畜生、オレたちが苦労しているイベントで利益を掠め取りやがって!
これは他人に、自分のふんどしで相撲を取られてしまったという悔しさです。
関係ない奴に良いように使われた!
オレたちがヒーヒー言いながら苦労して、儲かったのは知らない誰か💢
そんな行き場の無い怒りが、身をもたげてきます。
これを売った出品者自体は、
どうせ誰かが流したのを売っただけですから、責めようもありません。
そのことが、さらに腹立たしい。
流した奴は小金を稼ぎ、出品者はやや大金(きっと1万円くらい)を稼いだ。
こんなところでしょう。
どうせなら、ちゃんと我が劇団にも金を入れろ!と言いたい。
さしもの米澤もこれには声を荒げ、上記の写真となりました。
いつもボンヤリと眠そうな米澤とは思えない、この目の鋭さを見てください。
リサイタルのあった2011年は彼の入団前にも関わらず、この怒りっぷり、
実に良く出来た劇団員です。
ダメ、絶対!!
2019年12月 7日 Posted in
中野note
なんの変哲もない冬の商店街、きっとこの道のどこかに落としたはず!
今朝、鍵を落としました。
車の鍵です。
正確には、日産ラフェスタのスマートキー。
私には朝、街をウロウロする習慣があり、
ひと通り音楽を聴きながら走るのを終えた後、
近所のイオンで買い物を終えて駐車場に寄り、荷物を降ろそうとしました。
今日は、その後に参加するイベントのために、
車内のスペースを確保しておく必要があったのです。
ところが、ドアが反応しない。
鍵がポケットにあれば、ピピッと言ってすぐに開いてくれるのに。
......落とした!
おそらく、途中でiPodを取り出した時、
その拍子に鍵に付けていたお守りが引っ掛かって、落としたに違いない。
すぐに今日の約束の相手に電話して30分予定を繰り延べてもらい、
もう一度同じ道を、今度は自転車で回りましたが、無い。
横浜は初雪だったそうですが、雨に変わった初雪は、
ひどく身にしみて、そえはそれは冷たかった。
まあ、これだけのスピードで探して無いということは、
誰かに拾われて、きっと警察に届くはず。
ひとまず、スペアキーで過ごすことにしました。
で、「落とし物」と言えば、
最近、何度も話題にしてきた「自意識」との絡みで、
唐さんはよく夏目漱石のエピソードを披露してくださったものです。
曰く、
夏目漱石はイギリスから鬱病を輸入した初めての日本人だが、
彼はロンドン滞在中にコインを落としてしまい、
ロンドン塔の周辺をグルグル、地面ばかり見て歩き回ったらしい。
この話は、実に落とし物が「コイン」というところが肝で、
コインが象徴する貨幣経済に付いていかれず迷子になり、
日本が追いかけていた西欧文明にも迷子になり、
きっとブツブツと呟きながら、漱石は彷徨ったに違いない。
その時間こそが、後の小説をものにするための自意識を養った。
言葉は正確ではありませんが、
そういう意味のことを、唐さんは折に触れておっしゃっていました。
コインを落としてロンドン塔の周りをグルグル......、
恰好良いではありませんか。
日本・横浜とはいえ、
私も初雪というところが少しは文学的だったのですが、
失くしたのは勢いの無い商店街、もしくは近所のイオン、
しかも10年落ちの中古車のキーですからね。
しかも、ちょこざいなスマートキーというところが、さらに画にならない。
せめて四畳半のアパートの鍵なら、まだマシだったのに!
2019年12月 6日 Posted in
中野note
制作の岡村と年賀状を作っています。
手書きの部分があった方が良いとか、それだと読みにくくなってしまうとか。
工夫しながらやっています。
これまで正月3日くらいに届いた方が目立って良い、
などと言い訳していましたが、
やはり年頭の決意表明ですから、元旦に届くようにします!
......と、こう書いて、自分も含めた劇団員を追い込むのです。
先日に書いたゴーゴリの『外套』で思い出したのですが、
唐さんからはこれまで、多くの文学指南を受けてきました。
「自意識は宝物」という言葉とともに決まって引き合いに出すのは、
ドストエフスキーの『地下生活者の手記』でした。
今では『地下室の手記』というタイトルで出版されることの多いこの中編、
唐さんはご自身の学生時代に読んだ表題を気に入ってか、
断固として『地下生活者の〜』とおっしゃいます。
同じドストエフスキーの登場人物で特に気に入っていたのは、
『罪と罰』のスヴィドリガイロフ、『白痴』のムイシュキン公爵でした。
唐さんの作品には、ちょっと周りから馬鹿にされているような、
ボンヤリした青年が多く出てきますし、
ご自身も少年時代まではひどく内向的だったとおっしゃっていますから、
白痴と呼ばれながら最も清らかな人でもある、そんなムイシュキン公爵に、
シンパシーがあったのではないかと思います。
一方、スヴィドリガイロフの登場シーンなんて、
唐さんの芝居で1幕の終わりに悪の親玉が登場するところと、
完全に一緒ですしね。
発語してインパクトがあることも、すごく重要です。
唐さんがこれぞという固有名詞を捉えるセンスは天才的ですから、
いかにもあのセンサーに引っかかりそうな名前です。
逆に私から、読んで面白かったですよ、とお伝えした小説に、
『外套』と同じゴーゴリの『狂人日記』という短編があります。
世間からの評価に恵まれない主人公が自らをスペインの王様だと思い込み、
それをさらにバカにされることで輪をかけて狂気の度を深め、
やがて、ある日、犬の言葉を聴き取れるようになってしまう、
という物語です。
唐さんの小説『調教師』や戯曲『透明人間』には、
そんな具合に犬と人間の垣根を超えてしまう登場人物が出てきますから、
さぞ気に入るだろうと思って報告しました。
「それは面白い。オレも狂人だからな」と喜んでいらっしゃいましたが、
こちらが調子に乗り、「そうですね。唐さんは気狂いですもんね」と言うと、
「オレは気狂いじゃねえ!」と怒鳴られました。
即座に、裂ぱくの気合いで額を床に擦り付け、お許しを頂きましたが。
「気狂い」という言葉には、
「狂人」が持つロマンティシズムが欠けています。
こういう風にして、唐さんから文学を学び、言葉を学んできました。
2019年12月 5日 Posted in
中野note
『ジョン・シルバー』とは聞き捨てならない!
福岡でやっているイベントは、今週末12/8(日)まで。
『ジョン・シルバー三部作』上演中に九州から相談が寄せられました。
聞けば、11〜12月に行う唐さんを特集したイベントで、
以前、「大唐十郎展」のメインビジュアルに使った、
この写真を使いたいとのこと。
歓んでOKし、唐さんサイドや、
撮影してくださった首藤幹夫さんにも許諾を得て、
先方に使用の許可連絡をしました。
スケジュールやお金が自由になれば、飛んでいって参加したいくらい。
今頃、盛り上がっているのでしょうか。
ところで、この写真を撮った日のことは、ありありと覚えています。
撮影日は、忘れもしない2011年8月15日。
ちょっと前にヤフオクのくだりで紹介したように、
久しぶりのリサイタルを計画した時、
私が意識したのはもちろん、
1973年に行われた『唐十郎 四角いジャングルに歌う』でした。↓
これの21世紀版をつくろうとしたのです。
唐さんは当時、ボクサーパンツとグローブを持っていました。
なぜ持っていたのかは、今後また紹介しますが、
それを見るなり「唐さんに、あれを衣裳にしましょう!」という具合に
事が運んだのです。
首藤さん、劇団員の禿恵と連れ立ち、唐十郎アトリエのチャイムを鳴らすと、
中から扉を開けて下さった唐さんは、すでにこの恰好でした。
「まずはインタビューを取りますから、何か上に着てください」と伝えても、
唐さんは「このままでいい」と気合い充分。
結果、かなりシュールな光景のインタビューとなり、
約30分間お話を聴いて、いざ撮影へ!
首藤さんが速やかにブルーバックを用意すると、
唐さんは「わかった。入場するところから行くから!」と、
ボクサーの入場から演じ始め、続いてシャドーボクシングへ突入。
当初、ストップモーションして欲しかったこちらの要求を完全に裏切り、
背景のブルーバックからは常にはみ出っぱなし。
ガードを下ろした状態から地を這うようなアッパーを繰り返す唐さんに、
私と禿は狂喜し、首藤さんは満面の笑みでシャッターを切り続けました。
帰りの車中は「オレたち、良いものを見たなあ」という話題で持ちきりでした。
後にも先にも、あんなに楽しい終戦記念日を過ごしたことはありません。
2019年12月 4日 Posted in
中野note
ご存知、岩波文庫です。自分が初めて買った時より、文字が大きい!
「自意識こそ宝物」と唐さんはよく言っていました。
『外套』の主人公・アカーキイは、
内向的で、いかにも目立たない存在です。
周りから馬鹿にもされている。
けれども、外套を新調するという大奮発をすることで、
彼が人並みに備えていた、
目立ちたい、脚光を浴びたいという思いが露わになります。
が、自分が主役であるはずのパーティではあっさりと無碍にされ、
その帰り道、強盗に出来たばかりの外套を奪われてしまいます。
警察署長に訴えても、さる有力者に訴えても、
かえってその僭越を怒鳴りつけられる始末。
すっかり悲嘆に暮れて、憤死してしまうアカーキイ。
亡霊となった彼は、いまやすっかり街の人々を脅かす存在となり、
やがて、自分を辱めた有力者の外套を奪い取って復讐を果たします。
彼が日々、慎ましく過ごした時間、
外套を新調するため、重ねに重ねた倹約、
新しくやってきた外套を、慎重さを尽くして恭しく扱う手つきは、
いずれも彼の内に眠る自意識のなせる術です。
普段、誰にも見せることの無い、彼の心の内。
秘めたる思いが多ければ多いほど、
その爆発はダイナミックに展開します。
結果、彼は亡霊となり、いびつな形ではありますが、
世間に打って出ることに成功します。
唐さんは、無名の、
役者とも言えないような役者が好きなのだと言います。
もっと言えば、無名の役者がその名を轟かせる瞬間を、
物静かで、とても人前で大声など出せないような青年が、
突然、猛り狂って弾けるジャンプの時を、
常に狙っていたように思います。
だから、『外套』を好むのです。
「自意識こそが宝物だ」と励ますように言ってもらったことが、
自分には何度もありました。
唐さんには、あまり落ち込んだり、
悩んでいるところなどは見せないようにしているつもりでしたから、
ドキリとさせられましたが、判っているのだろうと思います
ちなみに、この名翻訳は山田肇さんの手によるものですが、
唐さんにとっては、山田肇先生です。
明治大学の教授でしたからね。
他にも、唐木順三先生、木下順二先生という具合に、
学生時代に形骸に触れた方々を恭しく、敬意を込めて呼びます。
いかに唐さんが生真面目な学生であったのかが、
その呼び方から、唐先生の学生たる私にも伝わってきます。
2019年12月 3日 Posted in
中野note
↑演出の岡島哲也さんと。若葉町ウォーフの入り口で。
先週の土曜日。若葉町ウォーフで一人芝居を観ました。
主演は、初めて拝見するSATACOさん。
パントマイム・アーティストです。
奇しくも、前夜のシルヴプレの柴崎岳史さんに続き、
二日間連続でパントマイムの方の舞台を観るという珍しい週末。
原作はニコライ・ゴーゴリの短編小説『外套』。
腕利きの舞台監督やプロデューサーとして活躍する岡島さんですが、
ウォーフの運営に関わるうちに久々に作品を作りたくなり、
「ヨルノハテ」という企画名で演出を再開されました、
今回はその第二弾です。
壁面まっ白の、ホワイトキューブを生かして広がる、
ペテルスブルクの雪景色。
舞台上に敷かれた一枚ものの白い紙は、
クシャクシャと揉み跡が付けられ、
SATACOさんが歩を進める事にたてる足音が、
感興を高めます。
SATACOさんがマイムも駆使して、
アカーキイ・アカーキエヴィチ・バシマチキンを演じながら、
寒空の下に終電を失った自身の体験を織り混ぜて語る、
という構成でした。
特に、アカーキイが慎ましい生活の中で他に楽しみも無く、
就寝前にも唯一の趣味にして役所での職務である清書に励むところ、
味わい深い佇まいでした。
さて、『外套』です。
これは、唐さんが『特権的肉体論』にも一節を展開する小説ですし、
薄くて読みやすそうだったので、大学一年生の時に手に取った作品です。
その時は、なんだかピンと来ず。
ところが、二十歳を過ぎた頃に再読して一気に覚醒、
それからはゴーゴリにはまり、
翻訳で手に入るものは未完の『死せる魂』を含めてほとんど読みました。
「我々は皆ゴーゴリの『外套』から生まれ出たのだ」とは、
ドストエフスキーの有名な言葉です。
また、ロシアのアニメーション作家、ユーリー・ノルシュテインは、
何十年もこの作品のアニメ化を志し、いまだ途上にあるようです。
小市民の悲劇には違いないですが、
哀しみの中に滑稽さ、愛らし差があり、身につまされる短編でもあります。
実に、それだけの観力がありますし、
唐さんも大いにこれを好むからこそ、
『特権〜」に収録されることになった文章を書いたのだと思います。
明日は、いつか唐さんと語り合った、『外套』の話をしてみましょう。
2019年12月 2日 Posted in
中野note
↑ 2011年11月に私がプロデュースした『21世紀リサイタル』の記録
各曲を収めたCDと全編を録画したDVDが入っています。
先週末の土曜、
劇団の携帯電話を持つ津内口のもとに、問合せの電話があったそうです。
伺えば、上に挙げたディスクがヤフオクに出ていた、
ついては、どうやったら手に入るのか、
というご連絡だったとのこと。
その方には、あれは内々に、リサイタルに関わって頂いた方々や、
唐さんと私たち劇団の関係者にのみ差し上げているもので、
販売はしていないのです、という事を丁重にご説明したそうですが。
............。
そうですか。ついに出ましたか、不逞の輩が!(笑)
かく言う私も、しばしばヤフオクにはお世話になっていますので、
オークション自体には何とも言えませんが、
誰だろう?誰だろう?と、
面白半分に劇団員同士で話題になりました。
今はもう画面にありませんが、
それを見たという唯一の劇団員・米澤の証言によると、
初期の値付けが2,000円台だったとのこと。
舐めやがって!
それから、お問い合わせを頂くことで、
やっぱりニーズがあることも確認できましたので、
ありがたい気持ちがしました。
あの会は、それはそれは錚々たるメンバーにご出演頂きました。
唐さんを筆頭に歌い手が、
大久保鷹さん、安保由夫さん、稲荷卓央さん、度会久美子さん、
近藤結宥花さん、そして飛び入りの石橋蓮司さん。
演奏が小室等さんをはじめ、
めいなCo.の張紅陽さん、大貫誉さん、サトウユウスケさんに、
NRQ+向島ゆり子さん
司会には、十貫寺梅軒さんと赤松由美さん、
という座組みでした。
それぞれの方に、直に会いに行ったり、手紙を書いたり、
ご紹介を受けたりしながらアプローチして、
やっと整った布陣でした。
それ以前に、過去を振り返ることを潔しとしない唐さんに、
計画すること自体のお許しを得ることが最難関だった会でもあります。
仮に「唐十郎ファミリー」というものがあるなら、
自分は末っ子みたいなものですから、
拝むように出演をお願いしたら、皆さん協力してくださいました。
時には、「唐さんが待っています!」と殺し文句も使いましたが。
ともあれ、あれは自分のプロデュース業の原点にして、
大きな成功体験でもあります。
芝居の公演だけでなく、
それまで影響を受けて来た人たちに一同に会してもらい、
仕事をさせてもらいたい気持ちもありました。
唐さんの芝居のほとんどには劇中歌がありますから、
総合すると、歌だけで膨大な数になります。
それに、かつては「ボタンヌ袋小路」という路地での歌謡祭や、
「四角いジャングル」というリサイタルもあったわけですから、
久々にやりましょう、ということで企画しました。
「四角いジャングル」に影響を受けて、
たまたま観に行った大日本プロレスから借りたリングをステージにしましたが、
あれがどんなにスプリングを引き締めても、ボヨヨンと柔らかすぎる。
しまった!「四角い〜」はボクシングのリングだった!
などというトラブルもありましたが、
皆さんの温かさで終えることのできた、幸せな一夜でした。
またヤフオクで見かけたら、教えてください!
2019年11月30日 Posted in
中野note
↑パントマイム「シルヴプレ」の柴崎岳史さんには、
笑顔の向こうにいつもピンと張り詰めた狂気、
本物の創作家であるという誇りに満ちた緊張感があります。
私の尊敬するパフォーマーの一人です。
昨晩、中野に行ってきました。
目当ては、柴崎岳史さんソロライブ、
実力折り紙付きのスタンダードナンバーの後、
腰砕けになるような音楽付き紙芝居でフェイントをかけ、
最後は、完全燃焼の長編で攻めてきます。
さすがタケシさん、納得のひとり舞台でした。
このライヴ、中野富士見町にあるplan-Bという劇場で観てしました。
JR中野駅から少し距離があるところを、
中野通りを走るように歩いて辿り着きましたが、
この中野駅に行く度に、ふと思うことがあります。
ご存知のように私の名前は「中野」と言いますが、
これは御先祖様には悪いのですが、あんまり良い名前ではありませんね。
小さい頃から「中野」の枕には「アデランス」か「サンプラザ」があって、
いつも物足りなさを感じてきましたが、
特に演出家や劇団代表としては、一層、切れ味も迫力も不足しています。
名前といえば、劇団を始めた頃、何人かの関係者は、
うちのトクちゃんの名前「禿恵(とくめぐみ)」を、
「いかにもアングラ好きそうな女子が付けた名前」と思っていたそうです。
が、あれは本名です。
話を戻すと、「中野」ってどうかなあとずっと思ってきました。
しかし、ある時、私は唐さんと接する中で、
なんだかこの苗字を悪くないなと思い始めた。
特に20台半ばくらいまで、私が抱えていたコンプレックスのひとつに、
自分は大学という、ある種守られた環境で唐さんに出会った、
というのがありました。
先生と生徒からスタートしたのでかろうじて相手をしてもらえたけれど、
演劇界や、あるいは、唐さんが血気盛んだった若い頃であれば、
歯牙にもかけられなかったのではないか、などと、とにかく自信が無い。
誰彼となく、実際にそういうことを言われたこともありましたしね。
現在では、まあ手加減してもらっていたなあ、ありがたいなあ、などと、
コンプレックスでなく、何割かの事実としてこれを受け止めていますが、
まだまだこれが生傷で、時折ひどくしみるような時には、
それまでイマイチだった苗字が役にたちました。
だって、初期の唐さんの周りを固めていたのは、
「大久保」鷹さんに「四谷」シモンさんです。
じゃ、麿さんはどうかと言えば、
あの方は御子息・大森南朋さんのお名前からも判る通り、
本名を「大森」というのです。
麿さんが「少女アセトアルデヒド」役として、
唐組の紅テントで大活躍した『電子城Ⅱ』のラストシーンでも、
「本名はオオモリ」という、
完全に悪ふざけとしか思えない断末魔をあげて舞台を去ります。
どうです?
駅名シリーズとしては、「中野」は悪くない!
唐さんと一緒に物づくりをする資格、完全に大アリです。
生意気ですが、自信の無さの裏には、
師匠と弟子だけでなく、作家と演出家の関係でも付き合ってんだ!
そういう気概もある。
もちろん、普段からこんなことを思っているわけではありませんが、
打ちひしがれるようなことがある時、
こんな、どうでもよいことまで持ち出して自信の足しにした日々を、
あの駅に行くと思い出します。
2019年11月29日 Posted in
中野note
ちょっと分かりにくいんですが、池の蓋がスライドして徐々に開く場面
『下谷万年町物語』の舞台美術はややこしい。
スタンダードに上演する限り、まずは、もちろん長屋が必要です。
オカマ100人が住むのですから、その規模は言わずもがな。
もうひとつ、大変なのは瓢箪池。
ヒロイン・キティ瓢田は、1幕の終わり、
この池の底から浮上して登場します。
つまり、この池は舞台袖につながっている必要がある。
ヒロイン役の女優は、
袖から池に入って、潜水して進み舞台中央に進み、
タイミングを見計って、ガバッといくわけです。
もちろん、水底で控えている間に呼吸をするために、
何らかの仕掛けも必要です。
と、ここからが今日の本題。
経験者たる濃野さん曰く、本当の敵はその後に現れる。
すなわち「池の蓋」。
私たちは、初めにこれを伺った時、
正直、よくわかりませんでした。
何故って、世の中に数多ある池に蓋はありませんから。
「池の蓋」そのものが、
この世の中に無い物と言って過言でない。
池の蓋?
でも、お話を聴いて、よくよく考えたら判ってきました。
『下谷〜』のセットの真の難しさは、劇中劇の仕掛けと関係がある。
つまり、同じ長屋でも、『下谷〜』という劇の中での本物の長屋と、
軽喜座とサフラン座による合同公演『娼婦の森』の劇中劇に出てくる、
偽物の長屋があるんですね。
で、本物と偽物の長屋と言っても、
土台、全体が作り物の演劇ですから、
そもそも本物の長屋だって、唐ゼミ☆が造った偽物の長屋に過ぎない。
ですから、持てる技術の全てを尽くしてベースとなる長屋を造ったら、
それより偽物っぽい劇中劇用の長屋も造る必要があるわけです。
さらに、最終幕の終盤、クライマックスにおいて、
偽物の長屋が並ぶ劇中劇『娼婦の森』の稽古場から、
いきなり1幕で出ていた瓢箪池に、舞台が飛ぶ。
だから、「池の蓋」がとにかく重要。
暗転すれば絶対に間が抜けるこのシーンにおいて、
できるだけ速やかに、できるだけ音も無く、
舞台前面の過半を占める面積の池を覆う「蓋」を払い除け、
さらにその「蓋」を舞台上から消す必要があるわけです。
後ろの方のシーンだからといって、
手前に出てくる長屋や池ばかりに気を取られていると痛い目を見るよ、
ということを、濃野さんは先輩として教えてくれたのでした。
さらに、私たちは初のテント上演への挑戦でしたから、
ラストに名物、屋台崩しがあり、
この、濃野大先輩も未踏の領域を達成するために、
劇団員は難儀してくれました。
『下谷万年町物語』のセットについては、
劇のテーマを伝えるために、さらに望まれることが多数あり、
まだ達成できていないところが随所にあります。
いつか、完璧にこの劇が求めるものを達成したいという衝動が、
今も自分の中にあります。
2019年11月28日 Posted in
中野note
ひと月ほど前、舞台美術家の濃野壮一さんから届きました。
これまでの氏の数々の業績、ロシア・アヴァンギャルドと舞台美術、
その日本への影響に対する考察に溢れた素敵な冊子です。
昨日ご紹介した都橋商店街のバー「はる美」への来客ですが、
募集していた出演者の他にも、
強烈な印象を残して行った方が何人かいました。
その筆頭が、濃野壮一さんです。
濃野さんこそ、『下谷万年町物語』初演の演出助手、
唐ゼミ☆上演の際、さまざまな知恵を授けて下さった恩人の一人です。
そもそも濃野さんは、初めて私たちが東京で公演することができた、
2006年頃からのお知り合いでした。
前にこのゼミログで、東京スカイツリー建設予定地で公演した時の話を
書きましたが、その時からのご縁です。
私たちが2008年の春、翌年の『下谷万年町物語』上演を宣言した折、
真っ先に反応して下さったのが濃野さんでした。
濃野さんは、70年代に京都の美大を卒業して東京にやってきた方で、
蜷川幸雄さんに関わりを持つ中で81年の『下谷〜』初演の座組みに加わり、
以降、状況劇場の美術も手掛けたデザイナーさんです。
オカマ100人芝居を謳い、出演者が多すぎるゆえに、
当時はまるで映画のように4人の演出助手がいたそうですが、
濃野さんはそのサード(3番手)だったと伺いました。
あの演目を上演する苦労を熟知するがゆえに、
私たちの募集チラシを見て大いに心配し、連絡してきて下さったのです。
ならば、という事で早速「はる美」にお招きし、
当時の劇団員で濃野さんを囲むことにしました。
濃野さんのお話は、初演時の資料も持ち出しながら多岐に渡りました。
オカマ軍団の頭領「お市」を演じた塩島昭彦さんの話題から、
蜷川さんのお遣いとして、唐さんのもとに原稿を取りに行ったエピソード、
後に手掛けた状況劇場での舞台美術、
唐十郎×蜷川幸雄×パルコ劇場の第二弾『黒いチューリップ(83年)』など。
豊富な話題にご本人の話芸も加わり、いずれも爆笑の連続でした。
で、肝心の『下谷〜』の美術を構想する時の注意点についてなのですが、
濃野さんが口を酸っぱくして言われるには、
この演目の勝負どころは意外にも長大な長屋の造作でなく、
「池の蓋(ふた)」にあるらしい。
「池の蓋」!?......明日に続きます。
2019年11月27日 Posted in
中野note
野毛近く、大岡川沿いにある都橋商店街、ここが面談の場所でした。
1964年、東京オリンピックの年に整備された飲食店が連なる長屋。
今日、近くを通ったので撮影!
能雄さんの話をしながら、思い出しました。
私たちは『下谷万年町物語』の出演者を募る時、
とにかく、普通のオーディションや面談は避けようと考えました。
普通のやり方では、私たちが考える乾坤一擲の芝居はできない、
そう直感したのです。
ずっと劇団員だけでやっていましたから、同じとまではいかなくとも、
何かそれに迫るような、少し変わった、特別な出会い方をしたかった。
そこで思いついたのが、この場所でした。
この中の一軒「はる美」は、知り合いが週末だけやっているお店で、
平日は閉まっていました。
そこで、このお店を出会いの場所にするべくお願いをしたところ、
特別に協力してもらえることになったのです。
出演者募集のチラシを撒いて、興味を持った人が電話をかけてくる。
そうすると、
「毎週水曜日にバーをやっているから、そこに会いにきてください」
と誘うのです。
◯月◯日(水)19-20時は誰々、という感じでスケジュールを組む。
あとは、
台本と、ちょっとしたツマミとお酒や炭酸水を用意して待っていると、
様々な人がこの環境を怪しんだり、緊張しながら訪ねてくれました。
この面談、
次の人の時間になったから交替で店を出なければならない、
ということはなくて、
ただ、新たにやってきた人がここからの1時間の主役の時間ですよ、
という感じで運営しました。
週によって、3人も4人も立て続けに会う日もあれば、
この日は1人だけという時もありましたが、
けっこう楽しく、にわかバーテンをやりました。
劇団のお客さんが、会いにきてくれることもあり、
割と繁盛した日もあります。
時には間違えて入ってくる本物のお客さんもいましたが、
そういう人は「すみません、今日は劇団のミーティングなんです」
とお断りしました。
行商の人が、大福やちょっとしたおもちゃを売りに来るのも、
大いに楽しみました。
明日は、浅草での『下谷万年町物語』を目指すために、
ここで繰り広げられた出会いや話題について、
思い出してみましょう。
2019年11月26日 Posted in
中野note
今日は、13年ぶりにテアトルフォンテでの公演に関わってきました。
という本題に入る前に、
昨日のゼミログ、鈴木能雄さんの追悼展について書いたのを、
椎野が息子さんにお知らせしたところ、
ツリーハウスは私が作っています。父は大工は大の苦手でした...笑
と返ってきたとのこと。
お宅の窓から見えるツリーハウスの片付けられた跡を眺めて、
なんとなく能雄さん、得意そうだったからと、
思い込んでうっかり書いてしまった私が悪いのですが、
能雄さんが大工が苦手だったと思うと、
それもますます面白い。合掌。
そういうわけで、すでに修正済みです。
ここからが今日の話題。
今日は、横浜市泉区のテアトルフォンテで、本番をやってきました。
神奈川芸術劇場の仕事のひとつで、
ベトナム人と日本人が混成キャストで送る
チェーホフの『ワーニャ伯父さん』公演があったのです。
この劇場、思い起こせば過去にお世話になったことがあります。
あれは2006年のお正月下旬、
新宿梁山泊の金守珍さんからの紹介で、
韓国の全州大学と横浜国立大学で大学間交流をした時のことです。
私たちは、全州大学の先生が演出し、
学生たちが演じる、伝統ミュージカル『春風の妻』を招聘したのです。
作者は、唐さんの友人である呉泰錫(オ・テソク)さんでした。
その当時は、2003年に唐さんが大成功した『泥人魚』の、
韓国語版のリーディング公演を呉さんが演出された後だったと、
記憶しています。
呉先生と唐さんがいつからのご縁だったのか、
詳しいことは分かりませんが、
私の聞いたところは、お二人は知り合ったばかりの頃、
自らの酒豪ぶりをアピールするため、
朝食の白メシにウィスキーをかけて牽制し合ったそうです。
相手を威嚇するため、旨くもないウィスキーご飯をかっこむ二人、
なんとも微笑ましい光景と友情です。
呉先生の台本を、
伝統楽器や伝統舞踊を援用したミュージカルに仕立ててある。
そういう公演でした。
朝から晩まで訓練された韓国の学生たちは、達者な人ばかり。
当時、朝6時に横浜国大の中にあった宿舎に行って朝食をつくり、
稽古の終わった彼らを送り届けて25時、という生活でした。
それから幾星霜。
今日は、ベトナム人をお迎えしての公演だったのです。
テアトルフォンテ。
懐かしみながらお世話になりましたが、
2006年の働きがあって、唐ゼミ☆はその後、
二度も全州に行くことになったのです。
そこで『ユニコン物語』と『盲導犬』をやった時の話は、
また今度しましょう。
そうそう。これも思い出したのですが、
90年代に唐さんは、
このテアトルフォンテで公演したことがあるそうです。
演目は確か『動物園が消える日』で、
当時、できたばかりのこの劇場の客席を、
唐さんは紅テントで覆わせたそうです。
劇場の中のテント。
能舞台のような風景だったんでしょうか。
まさに、屋上屋を架す。
そんなことを想像しながらベトナムの名優たちの演技を眺め、
あの劇場の客席にいたことも、良い体験でした。
2019年11月25日 Posted in
中野note
昨日、鎌倉に行きました。
2009年の『下谷万年町物語』に出演して下さった鈴木能雄さんの
追悼展があったからです。
能雄さんは画をやり、骨董をやり、ツリーハウスを息子さんに造らせ、
役者もやってくれた趣味人でした。
「能雄さん、遅くなってごめんなさい」と、
最終日に何人かで駆け込みました。
初め、劇団の携帯電話に問合せしてくれた能雄さんは、
ちょっと強面で、強引な感じが、
電話に出た劇団員をビビらせました。
「高圧的なおじさんから電話でした」
「次は、オレに替わってくれ」
そう話し合ったのを覚えています。
それまで劇団員だけで芝居をつくっていた私たちは、
2007年に学生時代からいた仲間たちが何人か抜けたことに、
大きなショックを受けていました。
世の中はそう甘くはないことを痛感したところで、
大勝負に出よう、
『下谷万年町物語』を一年半かけて準備し、
窮地を脱しようともがきました。
それから一人一人と出会いました。
中には上手く関われなくてお互いに傷付いた人もいましたが、
ともかく、60人を超える大人数が集まったのです。
その中に、能雄さんもいました。
二度目の電話に私が出てお名前を覚えていることを伝えると、
こちらの警戒を察していたように、
「態度がでかい人だと思ったでしょ!」と言われました。
なんだかホッとしながら、採用が決まりました。
直に会った能雄さんは、大人の遊びを知っているダンディでした。
おしゃれでカッコ良い。けれど、剽軽なところが、
電話の第一印象を吹き消しました。
それから稽古があり、本番があり、
能雄さんは万年町の長屋の住人として、
一緒に創った芝居で活躍してくれました。
初日のお客さんが出演者より少ない43人、
千秋楽は300人という、
たいへん乱暴な公演でした。
芝居が跳ねると、駆け足でテントをあとにしていた能雄さん。
その意味を、やっと昨日になって痛感しました。
能雄さんの住まいは、大船駅からモノレールに乗って数駅、
そこから少し歩いた場所にあるのです。
この道を浅草まで通ってくれていたのだと思うと、
ありがたくて、涙が出ました。
当時の自分はまだまだ未熟で、人がひとりひとり暮らしていることを、
あの駆け足の意味を、本当にはわかっていなかったのです。
公演後、何日か経って、
私たちは浅草のお蕎麦屋さん「十和田」で、
打ち上げの大宴会をしました。
交通費の補助程度しか出せない出演条件でしたから、
せめてお礼をしたかったのです。
遊びを心得た能雄さんが「こんな宴会をやれるなんて大したものだ」、
そうねぎらってくれました。
高圧的だったおじさんはひたすらに優しい、
赤ら顔の能雄さんでした。
あの日、したたか酔っぱらった能雄さんが
家の前の階段をどうの登ったのか想像すると、
可笑しさと、寂しさがこみ上げてきます。
2019年11月22日 Posted in
中野note
1幕の終わり、キティ瓢田の登場(2010年11月の上演より)
唐ゼミ☆が浅草に進出するきっかけだった『下谷万年町物語』には、
まさに音二郎と唐十郎に共通するセンス溢れる設定がなされています。
劇全体の鍵を握るある小道具が、それを体現しているのです。
ここで、ちょっと『下谷万年町物語』のあらすじを説明しましょう。
1948年(昭和23年)の東京、北上野。
戦後、帰る場所を失った復員兵たちがオカマの娼婦として暮らす、
通称「下谷万年町」。
坂を登ればすぐに上野の森があり、
夜、そこは彼らが春をひさぐ場所となる。
ある日、同じ万年町に住む少年・文ちゃんは、
オカマ軍団のサブリーダー格・お春さんから、
大事な帽子を持ったまま行方をくらませた洋一の捜索を頼まる。
実は、その帽子こそ、
風紀の乱れた上野の森の視察に訪れた警視総監の制帽。
視察の際、居丈高な態度に業を煮やしたオカマのリーダー・お市さんが、
暴行の末に総監から奪い取ったものだった。
以来、もう警察はカンカン。
そこで、万年町の者たちはせめて恭順の意を示そうと、
洋一に件の帽子を託して返却のお遣いに出します。
しかし、彼はどこかに行ってしまった。
困ったオカマたちに頼まれ、
聡明な少年・文ちゃんが友人である洋一を捜すことになった
文ちゃんと洋一の再会。
そこに、瓢箪池の底から浮かび上がった自殺志願の女、
松竹歌劇団の落ちぶれ女優・キティ瓢田も加わり、
三人は新劇団「サフラン座」を結成して、
自ら世間に打って出ようとする。
劇団「軽喜座」の小道具係として燻っていた洋一は夢である演出家に、
松竹歌劇団の端役だったキティ瓢田は再起して主演女優に、
二人に影響された文ちゃんは新進の劇作家に、
それぞれ突き進もうとする。
そこで、たった三人の新劇団が武器とした戦略とは......
かなり長くなりそうなので、明日に続きます!
2019年11月21日 Posted in
中野note
音二郎の描いた日清戦争 舞台画
『二都物語』のソウル 西江(ソガン)大学での公演
やっとです。
三日ぶりに、この話題に戻ります。
音二郎と唐さんには、似ているところがあるという話です。
優れて興行師的なアンテナが二人を同じような行動に導くのか、
それとも、唐さんは含羞の人ですからあまり公表しませんが、
実に勉強される方でもありますので、
ひょっとしたら完全に知っていて、参考にしていたのかも知れません。
日清戦争が始まったらすぐに従軍記者にくっ付いていく。
さらには、本当か嘘かは別にして、
戦場で拾い上げた軍服を衣装にしてしまう。
この手つきは、
1972〜74年に果敢な海外渡航に挑み続けた唐さんに、
通じているのではないでしょうか。
72年、朝鮮半島と日本を題材とする『二都物語』の時は、
実際に戒厳令下のソウルに実際に行く。
73年『ベンガルの虎』の際は、本当にバングラディッシュに赴き、
劇のモチーフの一つである旧日本兵が敗残した街道に佇み、芝居をかける。
74年『唐版 風の又三郎』に至っては、
率直に言ってもはや公演の内容とは全く関係ないと私は思うのですが、
中東の紛争のど真ん中であるパレスチナに向かい、アラブの人々の中に分け入る。
私が面白いと思うのは、
これがすこぶる壮大なプロモーションだと言うことです。
遠征していくことも重要ですが、
そういう冒険を背負って帰ってくることがさらに重要だと、
唐さんは考えていたのではないか。
これらの渡航は、
当時の劇団員だった山口猛さんのエッセイや、
渡航費の捻出のために唐さんがアサヒグラフに書いたルポルタージュなど、
多くの資料を産み出し、その一つ一つが面白い。
けれども、一方で、
唐さん率いる一党がそれぞれの土地で、
土地の核心に迫る冒険を繰り広げるだけでなく、
何もすることがなくて無為な一日を過ごしたり、
皆で、ただ夕暮れまでを過ごす日もあったのではないか。
そう想像することも、大変に愉快だと思うのです。
そこは、運動家ではなく芝居屋ですから。
例え大した冒険をしなくとも、現地であったことを盛りに盛って帰ってくる、
これもまた、一つの卓越した手腕だと思うのです。
こんなことを想像していると、唐さんに、
「オレは本当に本当の窮地の連続をくぐり抜けてきたのだぞ!」
と怒られてしまうかも知れませんが。
火のないところに煙を立てる、は言い過ぎですが、
焚き火を山火事に変え、伝説を造り上げてしまう腕力もまた、
優れた創造力に違いありません。
2019年11月21日 Posted in
中野note
嗚呼、今日も「その②」に行かれない!
嬉しいこと、面白いことがあったので、「その②」は後日に。
まずは昨日、嬉しいことがありました。
別々に接した二人の方から、このゼミログを読んでいると告げられたのです。
はっきり言って嬉しい!
松本くん、今日も読んでくれているか?
田口さん、本当にありがとう。
書くことは山ほどあるけれど、やっぱり眠い日もある。
が、調子に乗って今日も書きます。
そして、面白いこと。
今日、ここ二ヶ月間、心待ちにしていたCDの発売がありました。
これです!
1963年10〜12月、日生劇場のオープニングを飾ったベルリン・ドイツ・オペラによる、
『ヴォツェック』『トリスタンとイゾルデ』公演のCDです。
この音源はまさに蔵出し秘蔵のデータで、
同時期に上演された四つの演目のうち、
『フィデリオ』『フィガロの結婚』はずいぶん前に発売されていましたが、
今回の二音源は、ニッポン放送の開局65周年を記念して、新たに発掘されたものなのです。
これが私にとって重要なのは、
敬愛する照明家の吉井澄雄さんが、この招聘公演の中心人物のお一人であり、
吉井先生のされたご苦労を、直接に伺っていたからです。
特に『ヴォツェック』の方は大変で、
新設される日生劇場のオケピットに大編成のオーケストラを収容できるか量るために、
先生は銀座にある泰明小学校の校庭に日生オケピットの形や寸法を白線で再現し、
その上に奏者用の椅子や譜面台を実際に並べるという、
まことに原始的な実験を行ったそうです。
日本人がまだ、このオペラを知らなかった頃の話です。
図面上はなんとか成立したものの、
稽古初日はやはり楽団員の巨体が収まらずに、騒動になりかけた。
当時、30歳前後だった吉井先生は気が気じゃなかったそうですが、
芸術総監督グスタフ・ルドルフ・ゼルナーが見事な演説を打ってくれ、
何とか事なきを得たとおっしゃっていました。
奏者たちは皆、身を縮こませて弾いてくれたそうです。
そういう音源ですから、私は発売予定日の今日を愉しみに過ごしてきましたし、
タワーレコードの在庫検索ページに「在庫あり」表記が出たのを確認した瞬間、
すぐに横浜店に駆けつけました。
実際はまだ棚に載っていなかったのですが、
店員さんに相談して納品ほやほやの段ボールの中から出してもらい、
値札も貼られていないそれを鷲掴んでレジに直行しました。
これを聴きながら、今夜の寝不足は確実です。
そうそう。
いま話題にしている浅草および、『下谷万年町物語』ですが、
初演時の照明は上記の吉井澄雄さんです。
吉井先生は、蜷川さんが74年に商業演劇デビューして以来の中核メンバーですから、
美術の朝倉摂さんらとともにスタッフに加わっています。
この時代、
お互いが影響し合いながら仕事をされていた様子を想像するのは実に面白くて、
例えば、『下谷〜』の舞台前面に瓢箪池が設られている、
あれは明らかに79年に初演された『近松心中物語』がヒントになっています。
劇中歌も『近松〜』と同じ作曲家で、
森進一さんの『おふくろさん』で有名な猪俣公章さん。
『下谷〜』に出てくる『♪蛍の列車』『♪なんか、すっぱい匂いがします。』など、
まさに傑作です。
そういえば、82年に初演された『秘密の花園』では、
ブラームスの弦楽六重奏第1番第2楽章が実に印象深く流れますが、
あれも、80年に初演されていた『NINAGAWAマクベス』でかかっているのを聴いて、
唐さんが気に入ったものに違いありません。
唐さんは当然ながら、
ご自身の内に独自の世界を持っていると同時に、引用や本歌取りの名人でもあります。
周りに影響されながらも、完全に自分のものとして情報を取り込んでしまう。
そこが面白いところです。
私など、2011年に『海の牙』に挑んでいた頃、
登場人物「梅原北明」による登場一発目の長科白が、
約2ページに渡って野坂昭如さんの文章の完全な書き写しであったと気付いた時には、
文字通り天を仰ぎました。
それに、執筆当時、万年筆で執筆しながら、とある書籍の一節を丸ごと写す唐さんを想像すると、
なんとなくチャーミングでもあります。
このあたりも、また改めて例を挙げながらお話ししたいところです。
2019年11月19日 Posted in
中野note
今日は近所にある若葉町ウォーフで、佐藤信さんプロデュースによる、
清水宏さんの「戯曲の真相」シリーズ第7弾『井筒』を観てきました。
これがとても面白かったし、思い出すこともありました。
そこで、昨日から始めた話は明日に回すことにします。
この「戯曲の真相」シリーズは去年に始まり、だいたい三ヶ月に一回のペースで行われています。
信さんが古今東西の名作戯曲の中から年に四本をお題として提案し、
それをスタンダップコメディアンの清水宏さんがどう料理するのかが見どころ、
本編が終わると必ず二人のトークがつきますが、これがまたガチンコで、見応えがあります。
今回、選ばれたのは世阿弥元清の『井筒』。夢幻能の傑作として名高い演目です。
物語は、旅の僧が大和の国の在原寺に立ち寄るところから始まり、
そこに現れた女は、自分がかつて在原業平と育んだ恋の思い出を語ります。
『伊勢物語』の主人公と目されてきた業平は、平安朝きってのプレイボーイであり、
「井筒」とは要するに井戸のこと、袂に秋を表すススキをあしらってあるのが本作の特徴です。
やがて僧が野宿をしていると、在原業平に扮した女が現れます。
井戸の水面に映る自分の姿に、業平への思慕を募らせるというストーリーです。
スタンダップコメディアンの面目躍如たる前振りの後、
清水さんが演じた約30分間の『井筒』は、
能楽堂で観るお能の上演より、極めて正統的に謡曲『井筒』を伝えるものでした。
女が寂寞と立ち去ってゆく終幕も、最後に閉まるシャッターの音も、簡素にして効果的。
ストレートに『井筒』を観た!
主人公の女性の哀切をしみじみと観てきました。
私が唐さんとのことを思い出したのは、その後に行われたアフタートークでのことです。
信さんと清水さんの話題は作者である世阿弥に及び、
清水さんが劇団時代に読んだ『風姿花伝』の話になりました。
それによると、「秘すれば花」など、有名な言葉に溢れた『花伝書』の中で、
当時の清水さんの目に留まったのは、中ほどにある一問一答のパートだったとのこと。
特に観客の集中を集めるのが難しい昼間の上演にあっては、
開演を焦らせて焦らせて観客のボルテージを揚げ、昂まったところで不意に始めよ、
と世阿弥が説いた件りだったそうです。
ご本人も認める通り、この振る舞いは清水さんの芸に全く通じています。
さらに面白いのは、しかし、権力者が来た時には一も二もなく始めよ、と厳命している点です。
このあたり、世阿弥は大変に現場的で、彼は決して孤高のアーティストではなく、
あくまで足利義満をパトロンとした職業俳優であったことを伺わせます。
つまり"プロ芸人"なのです。
そこで思い出したのですが、私たちも唐さんに、プロの何たるかを教わったことがあります。
あれは2006年、私たちが初めて青テントで都内に進出できた時のことです。
場所は現在、まさにスカイツリーが建っている場所。
墨田区と東武鉄道、他にも様々に協力して下さる方のご好意で、
それまであった建物の取り壊しが終わり、これから着工だという束の間のあの場所を、
私たちは春と秋、特別に借りることができたのです。
そして、事件は秋公演『ユニコン物語』の終演後に起こりました。
その日は、主人公の敵役を演じていた禿恵のコンディションが極端に悪く、
かつて小林薫さんが演じた「八房(やつふさ)」役の膨大な長科白に四苦八苦した彼女は、
声を枯らしてしまっていたのです。
私にはあまり怒ることの無かった唐さんですが、
それまでも、役者の調子を整えられなかった時ばかりは烈火のごとく怒声を浴びました。
俳優がベストパフォーマンスを見せられないことが嫌で嫌で、歯痒くて仕方ないのが唐さんでした。
しかも悪いことに、その日は評論家や新聞記者、演劇関係者をお迎えする日だったのです。
車座になり、いつもより速いペースでグラスを煽る唐さんは明らかに荒れていました。
そして宴会もハネてお客さんが出払った後、ついにこう怒鳴ったのです。
「新聞記者が来た時に本気を出すのがプロだろう!」
唐さんが見せたこの剥き出しの悔しさは、ほんとうに応えました。
ちょっとでも分別があり、恰好を付けた大人はこんなことを言わないものですが、
あまりに率直に、まさに地団駄を踏む唐さんがそこにいました。
その後は、さすがに経験を積み、あれほどの致命傷を役者が負うことはありませんが、
やっぱり本番が近づくと、かなり繊細に目を配るようになりました。
声というものは、ずっと喋っていなくともある声域を出すと、途端に枯れるものでもあります。
今は「東京スカイツリー駅」となったあの場所、当時は「業平橋駅」という名前でした。
2019年11月16日 Posted in
中野note
もっとも好きな台本は?と問われたら『下谷万年町物語』と答えます。
もちろん、『木馬の鼻』は別格!
私たちが初めて浅草で公演した演目が、この『下谷万年町物語』でした。
何日か前にこのブログにも書いた「キティ瓢田」という変わった名前のヒロインが出てくる台本です。
初演はPARCO劇場のこけら落としとして行われ、
当時は演劇集団円の若手だった渡辺謙さんがメジャー・デビューし、
多くのエキストラを募って上演されたのがこの芝居でした。
演出は蜷川幸雄さん。
冒頭に挙げたように、もっとも好きな唐さんの演目は?と訊かれたら、
これと答えます。
もっと壮大な作品も、もっとまとまった作品も、さらにロマンティックな作品もありますが、
3人だけの弱小劇団「サフラン座」が打って出ようとするこの芝居が、
たまらなく好きです。
もっとも、初めてこの芝居を意識した時にはそんなストーリーすら読み解けず、
ただ、朝倉摂さんの舞台写真集に載った記録を見て、憧れていました。
自分が高校生の頃です。
台本の収録されたこの単行本を手に入れたのは、大学に入って数ヶ月経った頃。
当時はインターネットを知らなかったですから、
日曜日に住んでいた横浜の上星川から神保町に行き、
血まなこになって探し出しました。
確か、小宮山書店で買ったのだと思います。
唐さんと同じ年に横浜国大の先生になった今は亡き大里俊晴先生が、
私の古本屋巡りにおける指南役でした。
初めて台本を読んでから約10年後、
物語の舞台である浅草で、
唐ゼミ☆はこの大作に挑むことになります。
2019年11月16日 Posted in
中野note
ニュースを見れば、薬物の話題が溢れています。
『下谷万年町物語』の舞台となる戦後すぐは断然ヒロポン、必要なのは注射器です。
でも、これだと太くて様にならないので、カッコ良いのを探して彷徨い歩きました。
一番上くらいが、最も画になります。
ヒロイン・キティ瓢田の「六番目の指」という設定も加味して、
ちょっとシャープで、それでいて、舞台ですから遠くからも見える太さ.
こだわりどころです!
唐さんの芝居にはけっこう薬物が出てきますが、
それには、往時は合法であった「ヒロポン」が強く影響しています。
当時は薬屋で求めることができ、これから徹夜で働こうという時など、
気つけに一本!という感じだったと言います。
ヒロポン中毒、略して「ポン中」です。
「下谷万年町物語』に出てくる100人のオカマ屋さんはいずれも「ポン中」ですから、
まさにキーアイテム。
それに冒頭も、こんなシーンからスタート。
すっかり大人になった「文ちゃん」が懐かしの瓢箪池跡地のほとりに立つと、
自分の過去の姿である「子どもの文ちゃん」が現れ、
「大人の文ちゃん」から注射器で、時間という名の空気を抜くことで、
昭和23年にタイムスリップするという大技が繰り出されます。
そして、先述のように遡った先、
太平洋戦争直後の上野・浅草界隈ではヒロポンが猛威をふるい、
幼少期の唐さんも住んでいた北上野の長屋のオカマ屋さんたち、
松竹歌劇団のしがない端役であったキティ瓢田、
キティ瓢田の元恋人の弟で、彼女を姉と慕う売人・白井、
いずれもが第一の小道具として注射器を必要としますから、
『下谷万年町物語』に挑むにあたり、ずいぶん掻き集めました。
ちなみに、戦後すぐに東京藝大生だった横浜ボートシアターの遠藤啄郎さんによると、
確かに当時の上野公園周辺には、
職を失った元軍人たちが凌ぎを得るために身をやつしたオカマが跋扈し、
ヒロポンが蔓延していたそうです。
然ずとハイになりますし、加えて、彼らはもとが軍人ですから、
どうしても刃傷沙汰が尽きなかったそう。
そこらにあった私設風俗店のクリスマスの飾り付けを、
藝大生の技量を駆使してアルバイトで担当し、
大変におもしろかったそうです。
いかにも遠藤さんらしい。
唐さんと遠藤さん、どちらも脳内麻薬の自己生成タイプですから、
頭はインスピレーションに溢れ、身体は壮健というお二人です。
かくありたいものです。
2019年11月15日 Posted in
中野note
消費税が2%上がり、駐車料金は10%上がった。
自分の車を持つようになって2年半経ちます。
主な目的は、神奈川県内をウロウロすること。
これも、昼に働いている神奈川芸術劇場の仕事の一環です。
一方、都内に向かえば、
すでに多くの道に自分が精通していることに気づきます。
浅草に通い始めた頃の私たちは、
一ヶ月借りるのは安いけれど、
ちょっとでも擦ると高くつく
江戸川区のレンタカーからトヨタハイエースを借り、
そこに沢山の劇団員と物を積んで、
横浜と浅草の間を往き来していました。
春と秋、年に2回の公演でしたから、
一年のうち延べにして一ヶ月半以上通い、
もう首都高横羽線〜上野線が大の得意になりました。
芝居が跳ねて、24時過ぎの帰り路は眠かったけれど、
40分もあれば横浜に着く。
あっという間でした。
都内の他の道も、憶えたのはこの頃です。
いまだに用があって浅草に行くと、
浅草寺から言問通りを越えたところにある曙湯に行きたくなります。
夜中までやっている喫茶店「ロッジ赤石」のカツ重(カツ丼ではなく)は、
他の何処よりも美味しいとんかつの丼だと思っています。
また、当時は落ち着いた雰囲気だった「おにぎり宿六」は、
いつの間にかミシュランで星を取り、
手の届かないところになってしまいました。
それまで、公演ごとに青テントを建てる場所を求め、
彷徨っていた私たちにとって、
浅草は約5年間の安住の地でした。
ここでお世話になった方たちは、
いまだに足を向けて寝られない存在です。
そしてもちろん、浅草は幼い頃の唐さんの遊び場でもある。
公演をさせてもらった、『下谷万年町物語』から『青頭巾』まで、
あの場所で過ごした時間を、明日から徐々に思い出してみます。
2019年11月14日 Posted in
中野note
昨晩、別の仕事の現場でこの方に会いました。
念のため、写真を2枚撮ったのですが、
彼が笑えば、私が目を閉じ、
私が笑えば彼が目を閉じている、
この謎めいた方は、
そう、
先月の唐組秋公演『ビニールの城』で
神谷バーのバーテンを演じていた、
影山翔一さんです。
ちなみに、私たちは初対面でした。
神奈川芸術劇場の仕事、
日本人とベトナム人による共同制作する
『ワーニャ伯父さん』公演で、
現場を2週間ほどご一緒することになりました。
お互いが自己紹介するなかで、
オレ、紅テントに出た、
オレ、唐ゼミ☆やってる、
重村さんと熊野さんと十三さん知っています、
私も先月あなたを観ました、
という会話になりました。
『ビニールの城』のキーアイテム、
「電気ブラン」といえば浅草・神谷バーです。
他方、影山さんは椿組にもよく出演されているそうです。
椿組といえば、主宰の外波山文明さん。
かつて浅草の「はみだし劇場」「稲村劇場」で
活躍されていた方でもあります。
私は20代の終わりに、
浅草でお世話になっている
お蕎麦屋「十和田」の女将さんにお遣いを頼まれ、
新宿東口のワシントンホテルで行われた
外波山さんの還暦お祝い会に伺ったところから、
外波山さんに声をかけてもらえるようになりました。
私たちが花やしきに青テントを建てていた頃、
芝居で使う下駄や雪駄を修理しに浅草にやってきたトバさんが、
差し入れをして下さったこともあります。
かくして、浅草について語る機は熟しました。
これはもう、話題がいっぱいあります。
明日に続きます!
2019年11月13日 Posted in
中野note
↑今日の景色。こういうのを「夕まづめ」と言うのだと、むかし唐さんに教わりました。
さて、時には飛び飛びでしたけれども、
『少女仮面』のことから話してきました。
また年明けから、上演がいくつもあります。
唐さんの代表作ですし、
3場の1幕もので、やり方にもよりますが上演時間は1時間半ちょっと、
現場にとってもやりやすい演し物です。
思い返せば、これまでに沢山のバージョンを観てきました。
唐組の久保井さんが演出された伊東由美子さん主演のもの、
小林勝也さんが折に触れて演出される文学座研究所のもの、
同じく小林さんが別の若い劇団を演出された北池袋の小さな劇場で上演されたもの、
そうそう。劇団俳小による上演は春日野が女型で、
お風呂に片足を入れるシーンはこれまで観た中で最もインパクトがありました。
宇野亜喜良さんの美術が印象的だった新宿梁山泊による上演は、
唐さんの娘である美仁音さん扮する「貝」が喫茶店を舞台に、
妙に横柄に振舞っていたのがコミカルで印象に残っています。
また、同じ梁山泊の金守珍さん演出で、
李麗仙さんが主演されたものもスズナリで観ました。
これはやはり、登場から圧倒的に李さんの世界だったのですが、
同時に、登場から「吐気を催す程ゆっくり歩いてくる」と記されているト書きを、
完璧に遵守した上演でもありました。
台本の隅々に至るまで、一徹な演技・上演でした。
唐さんが演出して近畿大学の学生たちが出演したバージョンもよく覚えています。
あれは、満州平原より現れる甘粕大尉の一行が客席花道よりやってくる点で、
他の上演とは一線を画していました。
普通は奥からやってくるんですが、こっち側が満州というユニークな世界でした。
当の唐さんご本人の口からは、
早稲田小劇場による鈴木忠志さん演出の初演と、結城座を佐藤信さんが演出した人形芝居版が、
とりわけ優れた、これまで観てきた中で双璧の上演であると伺ったことがあります。
ちなみに、もしも自分が上演するのであれば、いつも通り、肩の力を抜いて普通にやりたい。
心の中は乙女として現役、孫に夢を託す若づくりのお婆ちゃんですとか、
夢に胸を膨らませてやってきた世界を、かえってその曇りのない眼が崩壊させてしまう貝ですとか、
老婆と貝の間にいるはずの、貝の両親の存在感がかくも抜け落ちていることの意味とか、
考えながら作ります。
そしてやっぱり、喫茶店の舞台に必死に演劇と夢にしがみついている、
春日野とボーイ主任の夫婦は全力で造形しないといけない、などと考えます。
まず、登場人物のことが一番気になる。
それからセットや照明や音楽や、イスやテーブルや人形や仮面の造形を考え、
テンポや強弱の配分を思案する。そんな感じです。
やっぱり唐さんは、宝塚歌劇を観ずに書いたのではないかな、と自分は直感しています。
初演当時。岸田賞で耳目を集めたこともあって、
その頃は東宝にお勤めであり、後に高名な演劇評論家となる渡辺保さんは、
宝塚から問い合わせを受けたそうです。
その際、渡辺さんは、実際の宝塚や春日野八千代とは関係のないものだと説明した、
そう何かに書いていらっしゃいました。
私が『少女仮面』について受け取っているところでは、
「宝塚」や「春日野〜」はやはり唐さんの中の観念的なイメージであって、
渡辺さんがおっしゃるように実際的ではないように思います。
同じ、「男装の麗人」の描写では、81年初演の『下谷万年町物語』に出てくる、
ヒロイン「キティ瓢田」の方がよほど肉感的で、書き手の実感が伝わる存在だと感じます。
上野・浅草が小さい頃の遊び場だった唐さんですから、
やっぱり関西の宝塚より、国際劇場で観た松竹歌劇団だったのではないでしょうか。
というわけで、『少女仮面』の話題はこれで一区切り。
明日以降は私たちもお世話になった「浅草」をキーワードにしてみたいと思います。
私たちもお世話になった「浅草」をキーワードにしてみたいと思います。
2019年11月12日 Posted in
中野note
昨晩、かなり嬉しい体験をしたので、
舌の根も乾かぬうちに脱線し続けることにします。
これ!
KAAT(神奈川芸術劇場)の仕事で関わる機会の多いよこすか芸術劇場まで、
ヒロリンのコンサートに行ってきました。
当初は『シンデレラハネムーン』を生で聴くのが目当てだったのですが、
唐さんを通じて知った、あの歌を唄ってくれたのです。
『すみれ色の涙』
懐かしいですね。
私にとってこの歌は、大学に入学した1999年に、
唐組秋公演『秘密の花園』で稲荷卓央さんが唄っていたアレでした。
唐さんが歌わせると、
「♪ブルーな恋人どうしが」
の部分が、
「♪青ざめた誰かと誰かが」
という替え歌になっていたような気がしますが、
これを生で、オリジナルのヒロリンで聴けたのは幸せでした。
思えば、唐さんには色々な歌を教わってきました。
例えば、山口百恵の『ひと夏の経験』
94年に初演され、私たちも2002年に上演した『動物園が消える日』1幕の
相当くだらないシーンであの歌を流すと、
あっという間にひとつの場面が完成しました。
他に思い出深いのは、石川セリの『八月の濡れた砂』
私たちが2004年の春に取り組み、
翌年には新国立劇場でも上演することになった『盲導犬』に
「八月の濡れた砂......」という科白が洒落っぽく出てきたので、
さっそくCDを調達し、同じ場面でイントロをかけてみました。
久々にあの曲を聴いた唐さんは大層よろこび、
稽古後の飲み会で、ラジカセを延々リピートさせました。
ちょうど、『少女仮面』執筆時に十貫寺梅軒さんにさせたように、
「もう一回、もう一回」という感じで、湯呑みでいいちこを飲んでいたのを思い出します。
そんな風にして、本や映画や音楽や、時には食べ物まで、唐さんに教わったものは数限りありません。
後年、蜷川さんのプロデューサーだった中根公夫さんと対談した時、
中根さんが幼少期に好きだった紙芝居『少年王者』の話題に完璧についていけたのは、
唐さんの教育のたまものです。
それらはまた別の機会にしましょう。
明日こそ、『少女仮面』に一区切りつけよう!
2019年11月10日 Posted in
中野note
おはようございます。
今日はこれから劇団集合。
というわけで、本日のゼミログは麻子さんにお任せ。
私のnoteはまた明日。
麻子さん、宜しくお願いします!
2019年11月 9日 Posted in
中野note
脱線が過ぎました。
そろそろ『少女仮面』を終えて別の話題に振りたいと思いますが、
なんというか、唐さんのこととなると、話題が尽きないですね。
この「脱線が過ぎる」というキーワードで数々の例を挙げながら、
私は一週間以上保たせられる自信があります。
それはもう、唐さんの芝居は延々脱線しますからね。
この間、私たちが上演したばかりの『あれからのジョン・シルバー』1幕でも、
白スーツの悪役「闇屋」が、主人公たちとの対決の最中、突如として、
自分が間違えて女性専用列車に乗ってしまった時の周囲の白い目と、
それに対する恨みつらみを述べ立てるくだりがあります。
そこで生まれた負のエネルギーを糧にして、闇屋は主人公たちにますます立ちはだかる。
明らかな八つ当たりです。
あんなの、明らかに唐さん個人か、あるいは当時出演していた誰かの実体験をまくし立てたもので、
芝居本編の進行に関わりが無いことは明白ですが、
あの脱線をスピンオフとして愉しみ、
一方で肝心の筋も忘れずに軌道修正するというのを、
私は唐さんとのお付き合いの中で身に付けました。
まあ、先ほどの例はまだまだ可愛いもので、
筋と関係ない話題に台本にして10ページ以上をかけたり、
エンディングでもまったく回収されないエピソードが、
唐さんが生み出した数々の作品には溢れています。
こういう場合、私も目的地を忘れて道草したまま帰って来られない時もありますが、
それはそれで、ひとつの豊かな体験でしょう。
............。
ああ、今日もまた戻って来られなかった......
『少女仮面』、次回で一旦締めます!
2019年11月 8日 Posted in
中野note
昨晩に続き、
唐さんがいかに具体的かという例は他にもあります。
例えば、
私たちが学生時代に唐さんの勧めで上演した、
『腰巻お仙〜義理人情いろはにほへと篇』。
コンパクトな場面を連ねた四幕もの、
何より、唐さんが初めて紅テントを建てて公演した演目、
という記念すべき作品ですが、
その2幕を稽古していた時に唐さんのアドバイスが飛びました。
場面は、怪しげな医者「ドクター袋小路」が、
想いを寄せる「かおるちゃん」を訪ね、ストーカーよろしく迫るシーン。
かおるの父「床屋」は袋小路を追い払うために娘は不在であると伝えます。
すると、目ざとく戸口の床近くにかおるの脚が見え隠れするのを発見した袋小路は、
本当は彼女は家にいるはずだと床屋に迫ります。
袋小路を誤魔化すために床屋が吐く科白、
「あれは大根です。」
私たちは、当然ながらかおるちゃん役の女子を戸の裏に立たせて脚をチラチラさせました。
が、そのシーンを見た唐さんはこう言うのです。
「あれ、本物の大根に変えよう!」
さっそく大根を二2本買ってきて入れ替えてみると、確かに面白い。
しかし、面白さに走るあまり、脚を大根だと嘘ぶいたという設定が揺らいでしまっています。
ストーリーとしてはちょっと難解になるのですが、
唐さんはそういう面白さに走る創作家なのです。
冗談が本当になってしまう、というか、
具体物を異様に愛するところが唐さんにはあります。
私が、師匠には敵わないなと骨の髄まで脱帽するのは、例えばこういう部分です。
これを書きながら、他にも似たような例を思い出しましたが、
この頃、唐組の紅テントで『糸女郎』という芝居がありました。
その初日、新宿花園神社で行われた1幕の終わりで、
ヒロインの口から出る長いひとすじの糸が、
仕掛けの不具合で上手く出なかったことがありました。
初日といえば、客席にお歴々を迎えるハレの舞台。
渾身のシーンが決まらなかったことに業を煮やした唐さんは1幕終了と同時に激怒し、
頭を下げる唐組の皆さんを前に、地面の砂利を口に放り込みながらこう言ったそうです。
「オレに砂を噛む思いをさせやがって!」
当時、私は客席にいたので、正確にはこれは後から聞いた話なのですが、
劇団員の皆さんは恐々としながらも、座長の行動に唖然としてしまったといいます。
それはそうでしょう。"思い"どころか、実際に目の前で砂を噛んでいるんですから。
この圧倒的な真剣さ、
抽象性とは程遠いこの徹底した具体性こそ、唐さんの真骨頂だと思います。
唐組の皆さんには少し申し訳ないのですが、私は今も感動しています。
2019年11月 7日 Posted in
中野note
ここ二日間は『少女仮面』を通して、
鈴木忠志演出の抽象性についてお話ししました。
何せ、透明の水が真っ赤に見えてくるくらいですから。
それはそれは凄かったのだと思います。
一方、私の知る唐さんは、
単に仕掛けによって水を赤く染める人、というだけではなくて、
徹底した具体性の創作家だと思っています。
唐さんの作品は訳がわからないとか、
エキセントリック、あるいはシュールだとか思われがちなのですが、
よくよく向き合っていけば、
ひとつひとつの設定や科白が、
どこかしら具体性に根ざしていることが判ります。
例えば、唐さんが23歳で初めて書いた台本は、
『24時53分「塔の下」行きは竹早町の駄菓子屋の前で待っている』
という長いタイトルの芝居なのですが、
これは要するに、
下町の真ん中に謎めいた塔があって、
長屋の住人たちはひたすらにその塔をぐるぐる回りながら登り、
ただ身を投げ出して死んでゆく、という物語です。
もちろん、中にはそれ以降の唐さんを想わせる少女のリリカルな科白や、
塔の番人めいた謎の男なども登場するのですが、
"無為"と"死"を基調とした、若書きらしい観念的な設定、物語性は希薄です。
いかに唐さんといえども、そこは、未だ何者でもない若者が書いた台本という感じで、
これから何を為すでもなく、ただ無為に時を過ごして死んでいく事への恐れや苛立ち、
青年特有の諦めの態度が、この処女作には溢れています。
ところがです。
何年頃だったかは忘れてしまったのですが、
ある時、例によって唐さんと居酒屋に行った帰り、
酔って気持ちよさそうに道路に寝そべった唐さんはこちらにも同じ姿勢になることを勧め、
面白がってそれに応じた私にこう言ったのです。
「下町の長屋は、自分が横になると"塔"に見えるよな...‥」
この言葉を聴いた時、
私は処女作に込められたリアリズムをまざまざと理解したように思いました。
下町には、確かに"塔"がある!
ちなみに、この作品の上演こそ唐十郎ゼミナール一期生に課せられた課題でした。
2000年度のことです。
この時の私はまだ2年生で、3年生から参加資格を持つこの公演には参加していません。
当日はまだお手伝いをするのみで、観客誘導の担当でした。
2019年11月 6日 Posted in
中野note
昨晩は「水道のみの男」の話でした。
透明の水が役者と言葉の力で、やがて血の赤に染まる。
これはやっぱり、鈴木忠志さんがいかに「能」の影響下にあったのかということと、
関係があると思う。
なにせ、早稲田小劇場で『少女仮面』が上演される前の公演は『劇的なるものをめぐって』。
直後の公演は、『劇的なるものをめぐってⅡ』。
別役実作品で出発した早稲小のキャリアが現在に通ずる鈴木演出、
すなわち「現代の能」として溢れ出す代表作の最中に、
唐さんとの仕事がある。
何日か前、『少女仮面』と『吸血姫』の比較のくだりで、
両者の構造を「序破急」と書いたけれど、
一幕を三場に割った劇構造はもちろん、「仮面」を主題とすることも、
前作『劇的なる〜』を受けた唐さんの応答に違いない。
唐さんはご自身の中に強烈な世界を持つ方ですが、
同時に、周囲の人や事に鋭く反応し、芸の肥やしとする人でもあります。
そういった面が、よく現れているようにも思います。
ところで、「能」と言えば、今度、講座をやります。
今年は2016年から続けてきた連携講座、
KAAT神奈川芸術劇場×YNU横浜国立大学「芝居の大学」の四年目に当たります。
運営側としては三年を一区切りととらえているので、
今年度からは新シーズン、
「移動型公共劇場はいかにして可能か」をテーマに、
ゲストを呼んで縦横に語り尽くします。
その際、12/14(土)18:30-21:00に、
「錬肉工房」の岡本章さんをお招きします。
世阿弥の再来と言われた観世寿夫さんに衝撃を受け、
鈴木忠志さんとは違った意味で「能」の文法を我がものとした表現を続ける岡本さんに、
ミニマムな舞台の持つ爆発力や豊かさについて伺います。
会場は、横浜市上大岡駅から歩いたところにある久良伎能舞台、
実際の稽古を行う空間で、実地に「能」について語って頂きます。
誰でも参加できます。
興味のある方は、唐ゼミ☆にお問い合わせください。
劇団唐ゼミ☆:070-1467-9274
2019年11月 5日 Posted in
中野note
『少女仮面』についての話は、まだまだあります。
ある時、唐さんが、
自分も『少女仮面』は何度かやったけれど初演の鈴木忠志の演出には叶わない、
とおっしゃったことがありました。
例えば、「水道のみの男」という役は脇役ながらとても魅力的な役で、
心ある男性の俳優なら誰もがやりたがる役なのですが、
彼に関わるシーンの処理に、鈴木演出は圧倒的に長けていたと言うのです。
この男は何度も喫茶店にやってきては、手を変え品を変え、水道の水を飲もうとします。
何の注文もせずに、盗むように水道の水をガブ飲みして去っていく、
いかにも謎めいた、それでいてコミカルなキャラクターで、
戦争直後の日本人の渇きを思わせつつ、
結果として、男装した「春日野八千代」がただの女であると暴き立てる。
そういう重要な役どころでもあります。
しかし、そのために彼は殺されてしまう。
そして、舞台裏で殺された彼の血が、それまで飲んでいた水道の水を赤く染めるのです。
配管が壊れて血が入ってしまったという設定です。
この場面の処理が、鈴木演出は傑出している唐さんはおっしゃっていました。
曰く、自分を含め、たいていの上演は実際に水を赤く染めるが、
鈴木忠志は透明な水のままで勝負する、と。
ここで注意しなければならないのは、
これは、流水を眺める人々が狂気を得てそこに血が流れていると錯覚する、
という心理的な処理では決してなく、周囲の演技によって、
観客を含めた劇場全体がその水を赤いと感じてしまう磁場と化していたのだそうです。
透明な水のままで、誰もがそこに赤い血が流れるのを見る。
二人の美学の差、当時の鈴木演出の強度をよく表す、私の好きなエピソードです。
2019年11月 4日 Posted in
中野note
いま、コメダ珈琲店で、これを書いています。
名古屋出身の私は、この店に時々吸い込まれてしまう。
小さい頃はよく長ぐつ型のグラスに入ったクリームソーダを注文し、
到着した瞬間にソフトクリームにストローを挿しては、
下からソーダが吹き出してテーブルの上をメロンソーダまみれにしていました。
もう大人なので、今日はコーヒーです。
さて、名古屋といえば、
1968年の夏、地方巡業中の唐さんが名古屋から、東京の鈴木忠志さんに電話を掛けた、
という記録があります。
唐さんは巡業に出発する時点で、二日で書いた『少女仮面』の原稿を鈴木さんに託しており、
その感想を確かめたかったようです。
「どうだい?」「面白くできそうだ」
そんな二人の会話が聞こえてきそうです。
私は帰省の際、当時、唐さんが紅テントを建てていた若宮大通公園の近くを通る度、
このことに思いを馳せます。
また別の資料で唐さんは、
『少女仮面』を早稲小にいる「アルレッキーノのような女優」に当てて書いた、
とも書いています。
これは明らかに白石加代子さんのことなのですが、
イタリアの喜劇「コメディア・デラルテ」に登場する「アルレッキーノ」、
つまり「道化」に白石さんをなぞらえるところが、唐さんの独自性だと感じます。
唐さんに目に20台後半の白石さんがどう映ったか、
この言葉をもとに想像するのは愉しいものです。
ところで、鈴木忠志さんはこの『少女仮面』をどう感じたのでしょうか。
この作品の終盤には、
「春日野八千代」を名乗ってきた女、女優として芽の出なかったただの初老の女、
春日野をサポートしてきたボーイ主任は、喫茶店という小世界で演出家ぶっていただけの夫
と知れるシーンがあります。
春日野が繰り広げる深夜の稽古なども、早稲田小劇場へのオマージュであると同時に、
茶目っ気たっぷりの唐さんが、鈴木さんを茶化しているようにも感じます。
演劇仲間の親しみと、つばぜり合いの緊張感が、ここには漂っています。
喫茶「肉体」という設定も、早稲小が喫茶店「モンシュリ」の二階にあったことが影響していそうです。
まあ、「モンシュリ」は二階、「肉体」は地下室ではありますが、
ともに「アンダーグラウンド」と評されてどう感じていたか、
このあたりを考えるのも面白いところです。
単なる作家とそれを受ける劇団や演出家、女優の仕事、というだけでなく、
そこにある両者の対話を感じます。
自分も、唐さんが『木馬の鼻』を書いて下さった時には、
物語を追いかけると同時に、
台本や科白を通じて唐さんは自分たちにどんなエール送り、挑戦を求めているのか考えました。
この問題は、いまも折に触れて考え込むことがあります。
今日も長くなりました。これはまた別の機会にしましょう。
名古屋からきた喫茶店は、横浜駅の近くにもある。
2019年11月 3日 Posted in
中野note
中野です。
今日のこのコーナーは、劇団員の林麻子に任せます。
今朝、劇団で集まりを持ったので、その状況報告を、
彼女にしてもらおうというわけです。
というわけで、私の話はまた明日。
今日の私は久々に、
「唐ゼミ☆について」を更新することにしましょう。
2019年11月 2日 Posted in
中野note
唐さんは『少女仮面』をたった二日間で書いたのだそうです。
「あれ以来、同じ書き方はできないなあ」
以前、色々なお話しをしながら、そうおっしゃるのを聞いたことがあります。
畏ろしいことです。
あの芝居には何度も、印象的にメリー・ホプキンスの『悲しき天使』が流れますが、
執筆の間、唐さんは劇団員の手を借りて、
この曲をヘビー・ローテーションで聴きながら書いたとか。
1968年当時はもちろんレコードですし、リピート機能も無いですから、
数分の曲が終わるたびに針を戻していた。
その劇団員が十貫寺梅軒さんだそうです。
劇団員といえば、
『少女仮面』を乗り越えるために唐さんは『吸血姫』を書いたのではないか、
私はそう推測してきました。
あくまで私の想像、妄想ですが、どうもそうではないかと思っています。
唐さんは1969年に『少女仮面』で岸田國士戯曲賞を受賞されましたが、
おそらく、この受賞は大いなる喜びであると同時に、別の思いもあったのではないかと推察します。
それは、『少女仮面』が早稲田小劇場のために書かれた作品だからです。
1963年の状況劇場創立以来、メンバーが入れ替わりながらも苦楽を共にしてきた劇団員たちを思うと、
唐さんは『少女仮面』以上の作品を紅テントで成し遂げる必要があったのではないでしょうか。
姉妹作のようにして書いた『少女都市』は、
寺山修司さん率いる天井桟敷の面々と起こした渋谷での大ゲンカ、
有名なスキャンダルのために上演回数も少なく、作品としては影を薄くしています。
翌年に書いた『愛の乞食』は間違いなく優れた作品ではありますが、
『ジョン・シルバー』シリーズのスピンオフです。
『少女仮面』自体の紅テント版も上演しますが、
やはり新作初演のインパクトを求める向きは強かったのではないでしょうか。
ちなみに唐さんの作品に「満州」が登場するのは『少女仮面』からで、
『少女都市』『愛の乞食』と、その手応えはリフレインし、やがて『吸血姫』の2幕で爆発します。
「少女」を題材に取り、序破急の三部構成、満州を彼岸とする点において、
長大さこそかけ離れているものの、両者はすごく似ています。
むしろ、唐さんは過剰にスケールアップした『吸血姫』に自身の劇団員たちと到達することで初めて、
世評の高かった『少女仮面』を圧倒し得たのではないかと、私は睨んでいます。
傑作『吸血姫』には、30歳を迎えた唐さんの創作が乗りに乗ると同時に、
劇団員たちとともに表現の高みに至ろうとする唐さんの意志が込められているのではないでしょうか。
今日はちょっと私の想像ばかりで、
「中野、ぜんぜん違うぞ!」と怒られてしまうかも知れません。
ですから、眉に唾をつけて読んでください。
そうそう。劇団員といえば、
唐ゼミ☆に二人、新しいメンバーが加わりました。
「ちろ」と「佐々木あかり」です。
両方とも、この前の三部作一挙上演に参加してくれた縁で、正式に団員となってくれました。
また別の機会に、紹介することにしましょう。
劇団員は大事です。
2012年の秋に唐ゼミ☆で上演した『吸血姫』
2019年11月 1日 Posted in
中野note
今朝早くに、豊橋の知り合いから問い合わせがありました。
彼女は尊敬する先輩演劇人なのですが、
年明け、世田谷で上演される『少女仮面』に向けて予習がしたい、
ついては本を貸してもらえないか、という連絡でした。
きっとこの「ゼミログ」は読んでいないはずなので、偶然と言えば偶然。
早速、早川書房の新刊本をおすすめしました。
私たちの劇団は、唐さんのことに関しては結構な資料持ちで、
これまで自分たちで一生懸命に集めてきたものもありますが、
それ以上に、昔からのファンの方々が、
「中野君たちが持っていると良いだろうから・・・」
と言って渡してくださったものをたくさん保管しています。
昔のチラシやポスター、チケット、唐さんの公演に際して劇団から送られてきたハガキ、
そういった珍しいものもあります。
いつか、何の気なしに紅テントを観に行った折、
花園神社の近くのコンビニで資料を手渡されたこともあります。
自分の観劇日など誰にもわからないはずなので、
ずっと渡そうと持っていてくださったのか、
一層ありがたく感じました。
「唐ゼミ☆」ですからね。
もともとは唐さんのもとに集まったゼミナール生の劇団でしたが、
現在は、唐さんについて探求し尽くすゼミだとも思っています。
例えば、この前に公演した『続ジョン・シルバー』ですが、
あれは『ジョン・シルバー』シリーズの中間部、楽しく観られるコメディ・パートであると同時に、
『少女仮面』の原型であるとも考えています。
喫茶店「ヴェロニカ」と「肉体」、
そこでやってくる少女「田口みのみ」と「貝」、
「小春」と「ボーイ」、「春日野」と「ボーイ主任」の夫婦関係は、
いずれも屈折に満ちて歪みに歪みながら共依存の極地です。
同じ作者が同時期に書いているので当然といえば当然ですが、
そこは「唐ゼミ☆」ですから、そういう発見が嬉しいのです。
『続ジョン〜』に、鈴木忠志さんと白石加代子さんが喫茶店の二階にある早稲田小劇場で、
深夜に稽古している光景を加えると、『少女仮面』が見えてきます。
写真は、私たちの『続ジョン・シルバー』から、熊野の「ボーイ」と津内口の「みのみ」です。
2019年10月31日 Posted in
中野note
今日は唐さんと宝塚歌劇の話題です。
唐十郎と宝塚といえば、
最近とみに上演される機会の多い『少女仮面』ですが、
あれを書かれた時点で唐さんは宝塚をご覧になっていたのか、
これが謎です。
ヒロインの名前は往年の大スター「春日野八千代」ですが、
物語が進むとだんだん、彼女が真っ赤な偽物だと知れてくる。
女優志望の少女・貝が春日野に入門しようとするところから舞台が始まり、
やがては貝のまっすぐな視線が、宝塚スターを騙る女の正体を暴いてしまう、
というストーリーです。
来年でめでたく御年80歳を迎え、
半世紀を超えるキャリアを誇る唐さんのことですから、
現在では必ずやご覧になっているに違いありませんが、
少なくとも私がご本人から宝塚の観劇談を伺ったことがないことに、
はたと気付きました。
執筆に当たられていた27~28歳当時の唐さんは、
どうだったのでしょうか。
一方、確かにあの作品には宝塚の"要素"は出てきます。
例えば1場の最後、
ようやく登場したヒロイン・春日野八千代が入ろうとするお風呂があります。
あれは、ファンの少女たちの涙を溜めて沸かしてある、という怖ろしいお風呂ですが、
宝塚の創立が、宝塚温泉に新設した温水プールが経営的に立ち行かず、
そのプールの上に蓋をして、それを舞台にして『桃太郎』を演じたのに由来する。
そういうところから来ています。
それに、あのファンの少女たちの恐ろしさですね。
一昨年、
若葉町にアートスペースを構える佐藤信さんをゲストに
大学生向けの講座を行いましたが、
何かの拍子に宝塚歌劇団が話題になり、
あの卒業というシステム、ファンの人たちが宝塚スターの青春を愛する制度は、
考えようによっては怖い、という趣旨のことをとおっしゃっていました。
同じような恐怖と残酷を唐さんは、
少女たちが舞台上の春日野から衣装や肉体の片鱗を引き千切るようにして奪い、
保管しているという設定に込めていると思います。
最近では早川書房が新刊で
『少女仮面』収録の文庫本を出版してくれました。
嬉しいことです。
それ以前は、70年代に角川文庫から出版されていたのを古本屋で見かけると、
値段が高くない限りついつい買ってしまい、
本棚が溢れると劇団員に渡していました。
この角川文庫版には、先月に唐ゼミ☆が 上演した
『ジョン・シルバー』も収められていますから、愛してやみません。
『少女仮面』。
自分たちはまだ上演したことのない作品ですが、話が尽きないですね。
明日も続きをやりましょう!
(劇団唐ゼミ☆代表 中野敦之)
2019年10月30日 Posted in
中野note
去年から劇団に入ってきた岡村夏希は、
『ジョン・シルバー』三部作で受付を取り仕切っていた女子です。
特に『あれからのジョン・シルバー』の時には出演もしていたので、
自分のいない受付を埋めるために、何人もの友達をお手伝いに呼んでくれてもいました。
私たちだけでなく、多くの信頼を勝ち得る人格者です。
彼女は、かねてより宝塚のファンだそうで、
昼間に私と津内口が働いている神奈川芸術劇場に宝塚公演がやってくると、逃さず観に来ます。
しかも、実家から家族まで呼び寄せて。
そういうわけで、彼女は宝塚事情に精通していますから、
私が歌劇団OGが出演している舞台を観に行くときには、
その方がどれだけ凄いのか、聴いてから行きます。
知恵袋です。
「あの方は"伝説"」「あの方は"トップ・オブ・トップ"」「在団時から『情熱大陸』に取り上げられた、あの方」といった話ぶりです。
そういう時、とりわけ彼女は熱っぽく語ります。
宝塚と唐さんとは、ちょっと関係があるように感じます。
何せ"男装の麗人"が現れる演目は、数限りないですから。
明日はそういうことを書いてみたいと思います。
岡村さんは小柄で、自分の約半分の年齢ですが、妙に堂々としており、
お姉さんのように感じることがあります。
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